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はてなキーワード: 証明とは

2018-01-21

信者アンチ自称中立マン外野から殴りたいマンも全部同じ

自分の組み立てた理論の正しさ、自分所属してる勢力の正しさを証明することに躍起になり、その反論となるもの全てに攻撃する人間であるかどうかこそが、議論の場や社交の場に赴くに値する人間であるかの最も重要ファクターだ。

自分とは考え方や立場が違う人間が居る事を理解できる。お互いがお互いを不用意に攻撃しあわなければ無駄に傷つかずに済む。そういった事をキチンと理解できているかどうかだ。

そしてそれが最も出来ていない人間所属しがちなポジションこそが「中立を気取ってさえいれば理論がどんなにガサツで人を傷つけるだけの暴論であっても許されると思い込んでいる自分のことしか見えていないクズなのだ

はてなにはこのタイプめっちゃいかはてな議論に向かない

anond:20180121012158

大便と小便は同時に出せないことが医学的にも証明されている。

これ豆な

2018-01-20

左派価値観

anond:20180120220712

左派(あるいは革新)って思想的使命として守旧政策思想を変更していくわけでしょ。そのとき変更する方向をさだめる価値観として「より公平に、より豊かに、より合理的に、より正しく」っていう羅針盤を持っているわけよ。これはどうしたって必要なんだ。じゃないと「なんで既存方針を変更しなきゃいけないの?」っていう問に答えられなくなっちゃう(=存在価値がなくなる)から。「より良くするために変更しなきゃならない、そのより良さとはこういう未来ですよ!」っていうのが価値提示なわけね。

左派はそういう運動をするわけなんだけど、その思想価値があるってことを証明するためには、その価値観を全方向に向けなければならない。例えば保守政策Aにたいして「それは差別的で公平ではない!」と批判を加えている左派が、自分たち政策Bの差別性とか不公平性にだんまりしてたらダブスタでしょ? そんなことしてたら、左派のいうことは利益誘導しかなくて、正義はないってことになってしまう。これはゆるされない(実際にはそういうことも割とよくあるんだが)。

左派思想的な優越性を喧伝するためには、その思想的な潔癖さを他者と同時に自分にも向けなきゃならないわけだ。

それはつまり彼らの思想には構造的に「自分自身も、あるいは自分自身こそ厳しい批判対象にする」って言う特徴があるってことなのね。左派批判する代表勢力は、左派なわけ。

多くの学生運動共産運動内ゲバ(内部に党派が出来て互いに批判を繰り返す状況)になっていったのは、ゆえないことじゃなくて、左派思想にそういう性質がすでにあるからなんだよ。

もちろんこれって別に悪いことじゃない。反省したり自己改革できるのは、そうでないよりよいことだ。自浄能力ってのはある方が絶対に良い。

ただ、左派思想は、あんまりにも原理主義と相性がいい。

そもそも政治運動価値は「今の社会をより良い方向に一歩でもすすめる」ことにあるわけなんだけど、左派の唱える「より公平に、より豊かに、より合理的に、より正しく」って言う価値観を闇雲に信じる(=原理主義)になると、「唱えた正義を守るあまり社会は窮屈で住みづらくなる」「絶対正義断罪し過ぎで参加者全員血まみれで倒れる」みたいな状況が発生する。山荘での凄惨殺人とか、紅衛兵による自己批判処刑とかもそうだし、言葉狩りとか、行き過ぎたPCなんかもそれで、つまりそれらは目的を見失った原理主義の起こした悲劇なわけだ。

一方これらの行き過ぎた(=原理主義の)左派にたいする批判ってのも当然にある。気の狂った左派批判するのもまた左派役割から。まあ要約すると「加減しろバカ」って話だよね。

てなわけで、左派批判されている現在ってのは、実は全然悪い状況じゃないんだよ。批判を受けない思想なんて生かしておくと害悪のものだ。そもそも批判自由にできる環境」そのもの左派の求める人権的な宝の一端なわけで。「批判をたくさん受けて精錬されていくこと」は左派の望みなんだよ。

もちろん「叩きと私怨炎上の血に酔ってる人」なんてのは左右にかかわらずWebにいるわけだけど、多分そういう人らはこの記事読まないと思うし届かんのであん関係ないよね。

から左派は叩かれすぎ」なんて心配はいらなくて、むしろ「ばっち俺を叩いてくれ! その焰の中からリベラルは復活するんだぜぇ!」くらい言っといたほうが健康的だと思うよ。

所詮はてな匿名

デビルマン原作漫画後半~最終局面局面みたいなやり取りが毎日行われてる所だ

●●を排除しろ異端だ!に対してオウム返しの…

これは5ちゃんもヤフコメニコニコニュースも同じだ…

そう、下記のあの記事が改めて証明してくれたさ

https://anond.hatelabo.jp/20180120162858

「頭いいからって調子のんな」

こういう表現聞くたびに「言ってる側がバカなこと自己紹介してるんかい」って思う

言われる側が調子のってる率大体0パーセントだけど調子のってなにが悪いんじゃ 努力してんのやぞ

同じパターンで「かわいいからって調子のんな」もよく聞くけど

己のブスを証明すな(迫真

2018-01-19

anond:20180119151010

「公平」な選抜ではないが?

勿論差別だが、私学なら仕方ないだろうね。

コネありの子は成績悪くても入学させる、とかも普通にあるわけだし。

公立面接点で差を付けたら証明しようがない。

anond:20180118155250

これで人間に対する害を証明出来たとはならないだろうが。少なくとも無害であるとか有益であると言い募る奴の事は信じたらあかんと思う。

世界初大麻の成分が脳の神経回路を破綻させることを証明 大阪大学

http://univ-journal.jp/8498/

anond:20180119005727

アトピーに詳しくないけど、アレルギーなら勉強した。

アトピーアレルギー遺伝証明されていない。

アレルギー子供が小さい内なら成長に合わせて少しずつ良くなる可能性が高いよ。

ただ増田がもやっとするのもわかる。

旦那の言い方がなあ・・・。

人としてどうなんってレベル

そういう言い方する旦那だったら、実際健常じゃない子供が産まれて来たら受け止め切れないんじゃないかと思う。

アトピーアレルギーに限ったことではなく、子供がどのような状態で産まれるかは産まれてみるまで判らない。

また健常に産まれても生涯真っ当に生きるとは限らない。

勇気のいることだとは思うけど、早めに話し合ってどんな子供を授かっても一生親でいられる覚悟がある相手なのかは見極めた方がいい。

2018-01-18

anond:20180118221116

本人の直筆の同意書のみ可みたいな。本人の判断能力の有無が証明できないかダメか。個人意見ではなんとかして安楽死合法化させたいんだけど難しいな。

2018-01-17

トイアンナ恋愛コラムは無価値だと証明された

どこかの記事別居婚メリットなんて語ってたの今思うと笑える

そんなことドヤってた間に夫は離婚を決意してたってカッコ悪すぎだろ

結婚に失敗した女の恋愛コラムなんて読むに値しない

今まで散々ドヤドヤしてたのに恥ずかしかろう

ムーミン谷がノルウェーにある可能性=0% を証明せよ

俺が私大教師なら今年の入試にこれは絶対入れる。

さぁ、この予想問題を解いてみろ!

出来ない奴は諦めて理系にでも入って因数分解してな

anond:20180117142833

受診状況証明書」は初診日を証明するための書類から

他の病院探したところで書けないよ。お前が認識不足

A4一枚書くのに半年かかる医者、その医者に何も言えない年金事務所

昨年妻が自殺してからというもの毒を吐く気力も無かったが

先日病院であまりにも不誠実で非常識対応されて怒りが湧いてきたので吐く

生後半年の娘が18歳になるまで遺族厚生年金支給されるかもしれない

私の収入や妻の病状を審査した上でのことで確実とは言えないようだが

妻が懸命に働いた証として遺族厚生年金請求することにした

妻は退職後に亡くなったことで請求方法煩雑

初診日を証明するために「受診状況証明書」という書類

初診のメンタルクリニックで書いてもらう必要があった

私はそのメンタルクリニック電話し、「受診状況証明書」の記載を依頼した

クリニックの受付担当者は「初めて書く書類なので年金事務所で一度確認を取って折り返したい」とのことだったので

私は承諾し待った するとかかってきた電話から衝撃の言葉が飛び出した

「当クリニックは同様の書類をたくさん預かっている状態受診状況証明書を書いてお渡しするのに半年かかります

私は困惑した 半年?同様の書類をたくさん?初めて書く書類じゃなかったの?本当に半年

受付担当者にどんな疑問をぶつけても帰ってくる言葉は「半年待て」だった

A4一枚に半年かけても良いのが医者という職業なのか私は愕然とした

今回依頼した「受診状況証明書」という書類年金機構HPからダウンロードできるようになっている

http://www.nenkin.go.jp/service/jukyu/todoke/shougai/20140421-20.html

A4片面一枚で内容も診療録に沿って書くものとなっており

医者ではない私が見ても記載に莫大な時間を要するものでは無いと思える

受付担当者と押し問答を終えた私は年金事務所に

クリニックから半年待て」と言われたことを伝えると

「長すぎますね~」とまるで他人事

被保険者遺族に書類準備の負担を強いておいてこの対応である

結局年金事務所から病院に対して働きかけはしてもらえなかった

翌日年金機構HPからダウンロードできる書類をわざわざ印刷して交通費をかけて

件のメンタルクリニックに「受診状況証明書」を持参し昨日のやりとりした受付担当者に手渡した

受付担当者は「お渡しできるのは半年を目安にもっとかかるかもしれません」と引きつった顔でのたまった

これでは半年後に本当に書類を貰えるのもわからないではないか

私は医者がいる診察室に文句を言いに行きたい気持ちを抑えて「できるだけ早くお願いします」とだけ言って

患者で混み合うクリニックを後にした

帰り際に保健所医療安全相談センター電話し今回の件を相談した

相談員の方には同情はしていただいたが、強制力のある働きかけはできないと言われた。

曰く「受診状況証明書を出すと言っている以上問題にはできない」そうだ

私はカイジに出てくる利根川セリフを思い出した

『出す・・・!出すが・・・・・今回 まだその時と場所指定まではしていない そのことをどうか諸君らも思い出していただきたい つまり・・・・我々がその気になれば金の受け渡しは10年20年後ということも可能だろう・・・・・・・・・ということ・・・・!』

通るかこんなもん

今朝年金ダイヤルにも相談したが答えは年金事務所と同じであった

受診状況証明書」が無い限り、これから待つ煩雑な遺族年金手続きは全て後ろ倒しになってしま

私は半年という医者非常識に付き合うしか無いのであろうか

それとも半年も待てない私が非常識なのか増田に毒吐くうちに分からなくなってきた

2018-01-16

anond:20180115192216

しょせん「本気」「熱意」なんて気持ち問題証明なんかできやしないのだから、段階的に往復するようなやり取りがあった、というくだりを仕立てるのがいいと思う。

言い換えると、「建設的な取り組みをした分野」でいい。

  • バイトの例
    • 塾の講師をしていて、生徒から質問や彼らの成績の変化を見て、指導に反映させていくと、良い反応があった(成績が伸びた)ので、それを別の生徒にも……
  • ものづくりサークルの例
    • 販売している時に、お客さんの反応を見て、次はこういうものを作ってみようと思えた。そして実際に要望があったものを作ったら、それをまた届けることができ……

まり、「自分活動」「他人への影響」までで話を止めずに、「その時の相手の反応」が「次の自分の行動を変えた」というところまで話す。かんたんに「本気っぽい」「まじめっぽい」になる。

これが表れるなら、お題目はなんでもよくて、人間関係の話でもいい。

自分にとっては人間関係をとても大切にする時期だった。友人の悩みを聴く機会があり、自分が思うことをきちんと、ていねいな言葉で伝えると、やはり友人の気持ちが楽になったり、あるいは一緒に次の行動につなげていけた」的な。いや、これはあんまりうまくないけど。

書いてて思ったけど、これはPDCAサイクルだな。その「サイクル」のところにフォーカスしてみる、というのをひとつおすすめしてみます

anond:20180116100253

そりゃできるだろ。

そのようなおっぱいが人体解剖学的にありえないことを証明すればそれで済む。

新たな文章練習法について

 文章サボり過ぎている。頑張ろう。

 文章トレーニングのための新機軸練習方法を思いついた。まだ思いつきの域を出ていないとは思うが、それはどんなものかと言えば思いついた単語を片っ端から書くというものである。あるいは頭文字共通している単語を書きまくるというものである赤ちゃんあんこアンダンテアスキー、とかみたいにね。つまりそうやって適当単語を書きまくっている内に――つまり無秩序単語を書きまくっている内に――秩序のある文章を書きたいという純粋欲求が生まれてくることを狙った文章練習法なのである。訳分からんことを敢えて書きまくっていると勝手に訳の分かることを人間は書きたくなるのではないかと俺は思っているのである。どこかの作家が言っていたが「誰にでもできることから始めることで、より高度な行為可能になる」ということなのだ。思いついた単語を書き並べることは(殆ど)誰にだってできることである。だから、まずは誰にでもできることを行うのが肝要なのだ。俺はそう思う。


 例えば、今ここまで文章を書いたところで俺のモチベーションは随分と下がってきているのだけど、あんことかアンダンテとか有馬記念とかみたいな単語を並べることは当然できる。だからモチベーションアップを図ることができるのだ。多分。知らんけど。


 ここまで書いたところで更にモチベーションが低下してきた。それでもまだ例の文章練習法に頼る必要は無さそうである。このままとりあえず書き続けてみよう。それで、モチベーションが底をついたところで実際に例の文章練習法を試してみるのが良いかもしれない。とは言え一応文章を書き続けることが(今のところ)できているので、そう、今のところその文章練習法に頼る必要は無い。やったぜ。


 そろそろモチベーションが再び尽きかけてきた。いや、まだだ。まだ何とかなりそうだ。独り言のように何とかなりそう何とかなりそうと呟ける内はまだ何とかなるのだ。しかしそろそろ難しくなって来た感がある。というのもさっきから同じことの繰り返ししか書けていないかである。「そろそろモチベーションが尽きかけてきた」→「何とかなる何とかなる」的な。しかし先程の論法に従って言い換えてみれば次のようになるのかもしれない。「同じことを繰り返し書くことは誰にでもできる。だから、そうやって誰にでもできることをやっている内に、再びモチベーションが生まれてくる」と。そういうことなのかもしれない。書くことに迷ったらあんことかアンダンテとかアルゼンチンとかそういうことを書かずに、今まで書いたことを書写していくのがいいのかもしれない。その方が文章推敲にも役立ちそうな気がする。今にして思えば。


 例えば、今からこの直前の段落を俺は複写しようと思う。「そろそろモチベーションが再び尽きかけてきた。いや、まだだ。まだ何とかなりそうだ。しかしそろそろ難しくなって来た感がある。というのもさっきから同じことの繰り返ししか書けていないかである。」

 やはり同じことの繰り返しとは言え、何かを書いている分には脳の方でも「こいつ何か書いてんな」と反応している感がある。つまり、脳は割と鈍感なのかもしれない。同じことの繰り返しであれ複写であれ何であれ、ともかく何かを書いていれば「こいつ何か書いてんな」と脳は認識し、結果的に「何かを書く練習」になるのかもしれない。つまり文章技術一般を鍛えるための練習になるのかもしれない。人間の脳なんて基本的に騙し騙されなのだ適当文章を何度も何度も複写していれば、まるで新たな文章を五千文字書いているかのように脳は錯覚してくれるのだ。多分。知らんけど。実際知らんけど。そもそも練習になっとるのかどうか知らんけど。結局は脳の判断云々よりも人間が如何に新しいものを書こうとするかに文章価値根本存在しているのだとすれば、今俺が「脳は結構鈍感で勘違いする」とか言ってる傍からオリジナル文章を書きまくっているその意味もはっきりしてくるのかもしれない。しれない。よく分からないけど、多分そうなのかもしれない。

 というか今これだけ色々と文章を書けているのはひょっとしたら昼間に飲んだコーヒーに含まれカフェイン効能なのかもしれない。それだけのことなのかもしれない。しれない。よく分からない。でもそうかもしれない。何か結局同じことを繰り返し繰り返し書いてるだけにはなっていやしませんかね自分

 あいうえおあんこアンダンテ、秋、憧れ、有馬記念阿久津主税八段(将棋棋士)。


 以上の文章文字数は千八百文字程度である。こんなに書いたのに、普段目標としている千文字文章を二つ分弱書き終えた程度の文字数しか稼げていないことに愕然としている。やはり繰り返すしか無いのかもしれない。あるいはあ行の単語やか行の単語を並べていくしかないのかもしれない。


 ところで自分が何故このような文章練習法を思いついたかと言えば、それは安眠法の記事を読んだからなのだ。その安眠法は「連想式安眠法」と言って、先程述べていたような頭文字限定した単語を幾つも幾つも思い浮かぶ限りで頭の中で唱えていくという安眠法なのだが、これが中々人の脳の中にあるざわめきを抑える効果を持っているようで、つまりは実際安眠に役立つのである。で、俺もその安眠法のファンになってしまったのだが、しかし何度も何度も頭文字共通する単語を頭の中で唱え続けていると、今度は秩序だった文章を頭の中で唱えたい欲求が生まれてきたのである。この文章練習法は以上の体験を元に考案されている。どうだろう。結構この文章練習法良くないだろうか。実際相当文字数を稼げていると思うのだけど、でもやっぱりこれも昼間飲んだコーヒー純粋作用しているだけなのかもしれない。だってそんな簡単文章を大量に生産できるわけがないと思うのだ。今まで俺は文章をたくさん生み出すことが中々できないから焦ったり悩んだりしていたわけであって、それがこんな簡単方法によって改善するとしたらおかしいではないか、と心の一方では思っているのである。だから、どちらかと言えば自分自身の考案した練習法が功を奏したのではなく、昼間飲んだカフェイン所為と言ってしまう方が安心するのである。変な話だけど。

 基本的に俺という人間人生において空回りばかりをしており、自分の考案した方法が功を奏したことなど数える程も存在していないのだ。あるいは一つとして存在していないのだ、実数分からんけど俺本人の印象としては一つも存在していないと言いたいくらなのだ。だから、実際物事が功を奏したとはどうしても思いにくい、そう、「自分の手柄とは思いにくい症候群」が現れているのである。難儀なもんですね全く。ところでキーボードを叩き過ぎて段々指先が痛くなってきた。キーボードを叩くという実にヤワ運動が指先の神経を破壊したりするものなのかどうか俺には分からない。もしそんな事実存在するのであれば全国の小説家廃業しなければならなくなってしまう。だって彼らは日常的に三千文字とか四千文字文章を書きまくっているわけだから、つまりもしそんなペンだことかと同じキーボードだこ的な職業病存在するのだとすれば全国の作家及びキーボード日常的に使用する全ての職種の人々は皆等しく指先の神経破損症候群的な持病を抱えることになってしまうのであり、しかし世の中で生きていてもそんな持病の存在について耳にすることは殆ど無いことから、あるいはそんな持病は存在しないんじゃないかと思ったりもする。とは言え、俺のキーボードタイプする力は常人よりもやや強いのかもしれない。若干指先がひりひりし、指の第二関節が少しばかり痛む程度には俺のタイプチカラは強いのかもしれない。そもそも俺は小指を使わずタイピングを行う自己流の要矯正タイピング法に慣れ親しみすぎており、つまり他の人々よりも指の負担がやや多くなっている可能性があるのである。小指が本来受け取るはずであった負担を四本の指に分配してしまっている可能性があるのである。そう考えると俺だけがこの指先神経破損症候群的な症状に罹患してしまうとしても強ち想像力の枠外とは言いにくいのではなかろうか。


 こんなところでようやく文字数が三千文字を超えていった。とは言えまだ三千文字しか書いていないのかという感覚存在している。あるいは俺の考えた文章練習法のお陰ではなくカフェイン所為なのではないかという疑惑も依然として根強く存在し続けている。

 しかし今ふと思ったのだけれど、やはり効果的な練習法の条件の一つには、人間心理的ハードル技術的なハードルを落とすことが含まれるのかもしれない。あるいは技術的なハードル心理的ハードルを下げることを含む必要があるのかもしれない。だって幾ら効果的な練習法が存在したところで、それが技術ハードルおよび心理的ハードルをゴインゴインと引き上げてしまったら元の木阿弥で誰も挑戦しなくなってしまうことになるではないか。俺今正しいことを言ってる感覚がある。そう、「誰にでもできることから始めよう」作戦は実に正しいのである。例えば、カメラに習熟したいならシャッターを押しまくれば良い。シャッターを押すだけなら大概の人間にはできるからだ。バカチョンカメラとも言うではないか。誰でもちょんと押しさえすればカメラは大抵風景を切り取ってくれるものである。多分。もっと専門的でテクニカルな要素を持ったカメラ撮影があるのかもしれないけれど。

 ホラ見ろそんな注釈自分で付け始めることないのに自分からハードル高くしにいってんじゃねーかと思う。「もっと専門的でテクニカルな要素を持ったカメラ撮影があるのかもしれない」とか言い出しちゃうタイプ人間なのだ俺は。つまり自分心理的技術的なハードルをゴインゴインと上げてしまタイプ人間なのだ。俺は。そう考えるとやはり誰にでもできることをやることは、全くもって善なる練習法なのではないだろうか。だって俺がこういう性格しちゃってるもんだから、尚更その「バカチョンカメラ」式練習法が輝かしいものに感じられるのだ。つまり自分が書いた文章最初から書写したりとか、あるいは頭文字が「あ」で始まる単語を書きまくるとか、そういう「誰でもできること」がやっぱり大切なんではなかろうか。そんな気がどんどんとしてきた。ホラ、だって文章が目茶苦茶量産体制に入ってるのは、さっき自分心理的技術ハードルを落としたからではなかろうか? そう考える傍から「いやいやカフェイン所為でしょそれ」的な思念が浮かんできてしまうのだが、これは良くないことなのかもしれない。しれない。分からない。小麦粉か何かだ。古いねこのネタ。正直昔このネタ聞いてもあんまり面白いとは思わなかった。恐らくこのネタ楽しいと思うにはそれまでラーメンズが演じてきた演目に対する知識必要になるのではなかろうか。なかろうか。俺、さっきから「なかろうか」とか「かもしれない」的なことを書きまくってるけど、それは俺の中にある自分が書くものに対する不安の念の現れなのかもしれない。現れなのではなかろうか。しれない。かもしれない。分からない。小麦粉か何かだ。


 ようやく四千五百文字を超えた。というか文章を書き始めてからこの辺りで既に四十分近くの時間が経過している。あっという間だ。今俺はライティングハイ的な状態になっているのだ。それがカフェイン所為なのか、あるいは俺の編み出した練習法により心理的技術的なハードルが下がった所為なのかは分からないが(その真偽は恐らく明日以降カフェイン摂取しない自分が自ずから証明してくれるであろう)、いや分からんね。そもそも自分が何を書こうとしてるのか分からんから必然的に「分からん」とか「知らない」とか「小麦粉か何かだ」的な記述が増えてきてしまうのです。


 ところでアレですよ、最近「なろう小説」というもの流行ってますよね。流行ってるんです。ええ。流行ってますとも。多分。知らんけど。

 この「なろう小説」の特徴としては、大体物語の冒頭で主人公が死んで転生するところから始まる。そして転生後の世界主人公稀有な才能を持った偉人として君臨することになる。そういう筋書きが殆どなのだ。この呼称はどのように生まれたかと言えば(アノニマスダイアリーに生息する御仁達には説明不要かもしれないが)この小説ジャンルは「小説家になろう」という小説系の投稿サイトで幅を利かせたジャンルなので、「なろう系小説」とか「なろう小説」といった呼称をされているのだ。説明すればするほど醜悪まりない作法によって書かれた小説ジャンルだと思うが、中には面白い作品もあって、個人的には「異世界料理道」なるタイトル作品推しておきたい。これはもう既に商業デビューを果たした作品であり、商業デビューするだけのことはあって世界観の組み立てやストーリーテリングが非常に上手い小説なのだ。二百話近くあるエピソードの半分以上を読んでしまったくらいだ。

 で、俺が言いたいのはそういう稀有面白さを持った小説に対する賛辞ではなくて、その「なろう系小説」を書いている人間文章生産能力に対する賛辞なのだ。俺はプロになる為には一日最低三千文字から四千文字文章生産する能力を持たなければならないと思っているが、いわゆる「なろう系」の小説を書く人間の中には一日に一万文字とか二万文字を平気で書き上げる人間ゴロゴロしていると言うのだから驚きである。一日二万文字と言えば、速筆で知られたか西尾維新氏が、それくらいの文章生産能力の持ち主だったかもしれない。しかし俺だってカフェインブースト心理的技術ハードルを下げる効果的な練習法さえあればそれぐらいの量の文章を書くことなんてお茶の子さいさいだぜと言いたくなってくる。実際そろそろ五千文字突破して六千文字に迫るか追い抜くかをしているところだと思うが、あ、そろそろキツくなってきたかもしれない。いやしかし「キツい」キツいと繰り返している内はまだ大丈夫だと先程言ったばかりである。これもまた繰り返している。繰り返し。繰り返し、リピートリピート。繰り返すことが人間心理的ハードル技術的なハードルを下げ、人間効果的な文章トレーニング提供することになるのだ。多分。でも一応今日はこの辺にしておこう。

2018-01-15

嵐のコンサートに行った

昨日、嵐のライブツアーが終わった。

終わってから1日以上経った今でもなんだか気持ちふわふわしていて、言葉にもうまくまとめられないんだけど、とにかく心にあることをここに書こうと思う。支離滅裂な文を読むのが嫌な人は、できればここで読むのをやめてほしい。それほど、ちゃんとした文章を書く自信がない。そもそも文章力なんて皆無なのに、その上感情がまとまっていないので、よりひどいことになっていると思う。それでもいいと思った人は、よかったら私の独り言に付き合ってほしい。

今回私は3公演コンサートに行った。今まで1年に1回しか行ったことがなかったんだけど、運良く周りの人や自分当選したので、幸運にも3公演も入ることができた。

最初12月末。東京公演の最終日だった。私は大阪に住んでおり、遠征は初めてだった。一年ぶりのコンサート半年ぶりの生の嵐(ワクワ学校というイベント6月に行ったため)。沸かないわけがなく、結果喉を使いすぎて風邪をひきさらにはインフルエンザももらってきた。席はスタンド下段の真ん中あたりで、いわゆる天井席(スタンド上段の、ほぼ天井といった席)ではないがファンサは望めない席だった。けれど、トロッコが来れば騒いだしペンライトも振った。

次は1月13日スタンド下段の1列目(アルファベット列というやつが前にあったため、最前列という訳では無い)だった。前は上から見ていたステージをほぼ横から見ていた。近いし、肉眼で顔が分かるし、とにかく幸福感が半端なかった。一緒に入った友人が騒ぐタイプの子でなく、それに影響を受けて私もあまり騒げなかったが(こんなときも恥を捨てられないのかと少し後悔している。今後は隣に構わず声を出すところは出そうと思った)、それでも終わった後意識ぼんやりしていた。

最後は昨日、最終日だった。いわゆる「オーラス」というやつで、過去数年間を見ているとこの公演だけアンコールが多かったりするので、ファンの間では正直特別視されている公演である(もちろんオーラスの他にも誕生日だとか特別視されている公演はあるけれど)。オーラスに入るのは初めてだったのでとにかく緊張していた。今年は挨拶定型文だったので、自分達の言葉での挨拶も聞けるんじゃないかと期待していた(実際聞けた)。席はスタンド上段、しかも横で、ファンサはおろか演出もすべて楽しめないんじゃないか?という席だった。結論から言うと今までと違う視点で見られたので新たな気付きが山ほどあったし、伝わらない演出もあったけどそんなの気にならないくらい楽しかった。嵐を好きでいてよかったと思った。そして、これからもずっと好きでいたいと思った。

そして翌日である今日。ふとした瞬間にコンサートのことを思い出して、何度も泣きそうになった。というかこれを書きながら今大泣きしている。

あれで、嵐が「untitled」というアルバムを引っさげて行うコンサート最後なのである。もうあのセットリストコンサートを行うことは二度とない。何なら、一生行われない曲だってあの中にはあるのではないかと思う。自分が見られる最後の公演だ、と思ったわけでなく、嵐が行う最後の公演だ、と思うと泣けて仕方なかった。

特にそれを感じてしまい涙が止まらなかった曲がある。UBという曲である二宮和也相葉雅紀ユニット曲だ。そもそも私はこの二人のコンビ死ぬほど好きなのであるユニット曲メンバーが発表されたときは2週間くらい信じられなかった。それゆえこの曲は私にとってはいっとう大事でいっとう好きな曲だ。そんなこの曲、間奏で行われるダンスが「コンタクト」というもので、簡単に言うと組んず解れつ、知恵の輪みたいに手と足を絡ませ合うものである

MC中、思い出深いことは何か?という質問に、二宮和也が「最終日のこのダンス」と答えた。「やりながらいっこいっこなくなってく。もうやらないから。これおわりこれおわりこれおわり…って」と言っていた。その言葉を聞いて涙が止まらなかった。ああ、もうこのダンスはしないんだ。二人が引くくらい近い距離で高難易度かつ密着度の高いダンスをすることも、相手パート口パクで歌いながら近付くことも、曲が終わってスタンド・バイ・ミーの振り(20年前に二人が出た舞台で行われていたハンドサインで、手を突き出しからサムズアップ、というものである)をすることも、もうないのである。そう思うと悲しくて悲しくて仕方がない。

UBに限らず、どのパフォーマンスも、これからしないのが寂しくてたまらない、素敵なコンサートだった。

さて、ここまで支離滅裂ながら思ったことを簡単に書き出してきた。しかしとにかく読みにくく、本当に言いたいことが伝わらない文だったと思う。というか本当に言いたいことはここまで言っていない。ここからが本題である

私は相葉である自担である相葉雅紀には昨年末熱愛報道が出た。昔からネタに耐性がない(恋愛ドラマも苦手なレベルである)私は大きなダメージを受けた。そんな矢先のコンサートだった。

女がいると分かっているアイドル(もちろん彼女がいないと思っているわけではないが、週刊誌によってその存在証明されたり結婚発表によって公式に認められたりするのと、勝手ファンが「彼女いるんだろうなあ」と想像するのには、私たち心持ちには大きな違いがある)を歓声をあげて応援するなんてできやしないと思っている私は、前から「嵐誰か結婚したら担降りする」と言っていたし、正直今回のコンサートも女の影がちらついてしまい全力では楽しめないんじゃないかと思っていた。

しかし先述の通り、死ぬほど楽しかったのだ。これからもずっと応援していたいと思えるコンサートだった。確かにコンサート中女の影がちらついた時は山ほどあったが、それでもそんなの気にならないくらい彼らは魅力的だった。

からこそ悔しいのである。女の存在が明らかになることで、ファンが離れ、少しずつでも彼らの人気が落ちていくのが悔しい。彼らはこんなに魅力的なのに。女絡みだけでなく、褒められたところではない点もあるけど、それ以上に彼らは魅力的だ。それでもファンは離れていく。ましてやこのまま結婚なんてしてしまったら、彼らの人気はどうなるかわからない。少なくとも、今より上がるようなことはないだろう。

私が言いたいのは、「嵐、頼むから結婚なんてしないでくれ」、ただそれだけだ。こんなところで言ったところで本人達に届くわけがないのは分かっている。けど、こんなところで吐き出さないとやっていられない。

もし結婚してしまったら、素直な気持ち応援できなくなるのではないかと思う。私たちがいま大好きだと歓声をかける相手には、家に帰れば最愛の妻がいるのだ。そんなの耐えられない。

中にはアイドル結婚するのを嫌がる心理がわからない人もいると思う。納得しなくていい。その気持ち理解しなくていい。けど、私たちにとって女の存在は大きなものであるということだけは知っていてほしい。

アイドルだって人間だと思うかもしれないけど、人間であるけれどアイドルなのである。疑似恋愛商売にしているアイドルなのである結婚してしまった時点でファンの夢は覚める(覚めないファンもいるし、そこまでの夢を見ていないファンもいると思う)。その時点で彼らはアイドルではなくタレントである

人気が落ちるのを見るのが寂しい。まだトップでいてほしい。そして何より、まだアイドルである彼らを応援していたい。だからどうか、嵐の皆さんは、もう少しだけ結婚しないでいてください。

(本当はもう少しと言わず一生結婚しないでほしいし、嵐に限らず全"アイドル"はそうであってほしいと思うけど。おわり)

結果最初から最後まで支離滅裂、取り留めのない文章でした。ここまで読んでいただいた方に深く御礼申し上げます

もちろんすべてのファンがこのように思っているということはありませんが、中には私と同じようなことを思っている方もいらっしゃると思いますし、逆に一切わからないという方もいらっしゃると思いますこちらで話したものは一ファン意見に過ぎません。嵐ファンの総意である勘違いなされることはないよう、お願いいたします。

「お袋の味」って気持ち悪いよな

だってその根底にあるのは「自分特別」「自分は恵まれている」「自分は神に愛されている」なんだもの

自分が如何に特別神様から愛されているか証明として「料理の美味いおふくろ」という設定を作り上げて利用しているだけなんだ。

そういうのってパチンコ宝くじ売り場に並んでいる連中と何も変わらないよ。

「私は特別人間ですので、世界は私中心に回るはずなのです」という思い込み死ぬまで振り回されて勝手死ね

anond:20180115201940

ちょいと追記

有給休暇については、「休んでいて、その分の給料が出ていない」っていう状況じゃないとダメ。多分、休ませてさえもらえていないだろうから有休拒否ってだけじゃ対価はもらえないと思う。

時間外労働の対価については、タイムカード給与明細があれば払ってもらえる。今からでもタイムカード写真を撮っていって、「ほら、時間外手当が出ていないでしょう」って言えれば大丈夫

セクハラパワハラについては、証明するのが難しいと思う……録音とかあればって感じかな……

anond:20180115185244

例1.

ジジイ認知症でないことを証明しようと車を運転するが、免許が取り消されたことを認知症で忘れている

例2.

「かっこいい泥棒」と書いた服をモデルに着せたら、「俺は泥棒じゃない」とモデルがブチ切れて店舗を襲撃略奪

例3.はそのまま。

このぐらいまでにならないと「答え合わせ」にはならん印象。

anond:20180115185244

2番めのやつさ「猿であることを証明」みたいに言いたいんだろうけど、侮辱されて暴力に訴えるのは、人種関係なく人間がしばしば行う行動で、全く猿っぽくないよね

条件はありまぁああす!

anond:20180114052652

こいつとならセックスしてやってもいい」と話題で「そんなものはない」「人それぞれだから証明不可」「そんなポンポンやらせメリットがない」等の議論がされています・・・

その条件は、なんとあります!!!

当方20代前半、経験人数3桁ギリギリ届かないくらい、経験した年齢層(18-50) 経験したタイプ(かわいい・きれい目・清純・強めギャル・お姉さんまだ色々ある)

んで本題に入るけど「こいつとならセックスしてやってもいい」っていう条件はあるッ!! 感謝!! 圧倒的感謝!!

じゃあなんでそんなこと言えるの?ってなると思うけど実体験だし先日そんな話を定期で会ってる子に言われたので話していきたい。

話す前になぜ「そんなものはない」「ひとそれぞれ」「解析不能」とかそういう話題が多いのかな~って思ってたけど、

そもそも女はそういう話は絶対他人に"明かさない"から

うつまり条件を作っている"本人"しか知らない上にその情報他人に共有されることは"絶対"ないのである

じゃなんでお前知ってるの?ってなるじゃん?

僕はその"条件"に入れたか

でここから本題ね

「こいつとならセックスしてやってもいい」っていう条件はある。

あるんだけど、条件は本当に"人それぞれ"ここは合ってる。

イケメンが好き

高学歴が好き

お金持ちが好き

とか本当に多種多様で色々ある。

そもそもそういう関係になる手段の一歩として

"マッチングアプリ" "ナンパ"等である(意外とすぐさせてくれる子は多いよ!!しかかわいい人、綺麗な人ほど!!)

そして僕は自他共に認めるそれなりにイケメンで誰も嫌な印象を持たれないタイプに入る。

"嫌な印象を持たれない"ってのとても重要でこれが"してやってもいい"に入れているポイントなのかもしれない。

顔が濃い→濃い顔が好きな人という"条件"の人に好かれるが薄顔好きが"条件"の人には好かれない

顔が薄い→上と同じ

僕は本当に中間なので初対面ではいイメージしか持たれたことがない

また話が逸れてしまったが、先日定期で会っている子にことが終わった後に

「女の人もこの人だったらヤってもいいとかあるの?」って聞いたら

「顔が好みか(結局イケメンってことらしい)?めんどくさくないか?話が続くか?気遣い(あらゆることを察する)ができるか、これをクリアできれば"まぁ"いいかもね。」

ちょっと省き気味の会話だけど、結局の所

条件は"ある"、条件は"クリア"したら"させてもらえる"ただ条件の"ハードル個人によって違う上にかなり高い"!!!

まりブサイクには無理なのである

でも条件はあるから!!!頑張れよ!!

120になった

艦これ司令部レベルの話。

14年春からはじめた。「やったら絶対ハマる」と思っていたか敬遠していた。当時は色々炎上もしてたから、普通に関わりたくなかった。

女の子が戦う物語が好きだった。男ばかりではダメだった。乙女ゲーム商業BLも。刀なんて絶対ムリ。

だけど、なんのきっかけだったか、突然始めてしまった。最初の頃のことはあんまり覚えていない。

2-4をはじめてクリアした時の妙な興奮だけが残っている。

結局それから、ずっと甲勲章を取ってる。俗に言う呪いにかかっている。

戦果もろくに稼がず、ランカーでもない自分が甲12先駆者たちにはほとほと頭があがらない。

別に報酬の良し悪しはどうでもいい。それがなくても、ケッコンしていなくても、改修が微妙でもクリアできることは証明されている。

出撃制限ルートによるギミック解放は、運営が忠実をなぞりたいのなら、これからもぜひこだわってほしいと思っている。

だってあんルートギミックなんて攻略には本当に面倒なだけで、「ああこれは忠実通りの艦隊でうんぬん」なんて気がつく人はほんの一握りだ。

でもそういう面倒なところがなんか好きで、あれこれ言いながら今日まで続けてきている。

もちろん批判は相次ぐ。思い通りにいかないストレス。大破撤退。資材の確保。私もストレス経験があるから、ひとえに無視できない。

友達で続けている人間はもうほとんどいなくなってしまった。もうこれはしょうがないことだ。

コンテンツを消費して消費して消費しまくって、枯れ木になったらオワコンと呼ぶのがいまのインターネットだと思うから

けれど艦これはもはや、私の費やした時間のかたまりになってしまった。

スマホゲーや他のブラウザゲームが続かないのも、ブラウザの端っこでいっつも母港が開いているのも、もう当たり前になってしまった。

同じ艦をモデルにしたゲームも試してみたが、どうしても続けられずにいる。


司令部レベル120になったら、思い返してみようと思っていたから書いてみた。

決意表明

決意なんてなくても仕事ができる事を証明しま

anond:20180115131153

絶滅危惧種を売るか閉店か」という二択を迫られてる時点で「うなぎ絶滅して滅びるのはまともな鰻料理屋」という命題証明されてるじゃん。

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