はてなキーワード: ちびまる子ちゃんとは
水野英子はあくまで少女漫画の元祖だから、彼女よりも前にレディースコミックを描いてる人がいたとしても矛盾はないわけだが、実際はどうなのか…
それと手塚治虫がリボンの騎士とかそのあたりの初期作品を描いたのと同時期に活躍していた漫画家ってものについて全然語られる機会がないのが気になる。
下手くそな方が選ばれるんです
上手いのは上手いのでいたんですよ
表に出てこなかっただけ
昔は情報発信するのはテレビと雑誌しかなかったから売れないって見込まれたらとことん落とされるんです
ちびまる子ちゃんがいい例
下手な絵ってのは落ち着くみたいですね
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11260914161?sort=1&page=2
こういうの見てると、手塚治虫はむしろ下手だったから、それより上手い(ゆえに共感されなくて純粋に絵の美麗さを求めるマニア以外には売れない)同時期に活躍した漫画家が歴史の闇に葬られたのではないかって気がしてくるけ
多い、黒い、硬い、太いの四重苦で
三つ編みはしめ縄だった
パッツン眉上前髪に憧れて真似したら前髪が重力に完全勝利してカッパの様になって泣いた
若い頃は少しでもボリュームが抑えられるようニットキャップを被って寝ていた
美容院へ行くと開口一番「髪多いですね」と言われるのが嫌で仕方がなかった
仕上げにブローして頭を膨らませてくるのが大嫌いだった
髪が多い事をボヤくと大抵梳いて量を減らしましょう!と言われるのだが
梳くと内側の短い毛が外側を押し上げ更にボリュームアップし
量が多いので抜け毛も酷く
さらに長いので床に落ちていると目立ち
そんな髪との付き合いも30年を越えたある日、ふと男性のツーブロックを見て「これ上から被せるように髪伸ばせば傍目にツーブロックとは分からないのでは?」と天啓を得た
そのまま美容院へ行き
「毛量が多くて多くて嫌なのでツーブロックでばっさり減らしたいんです」
とお願いした
美容師は「女性でツーブロックですか?」などと言うことも無く手慣れた様子でバリカンを使って頭の下半分を3mm残して全て刈り上げ、上半分を肩上のボブにしてくれた
この時の自分の感動と言ったら!
今までせっせと梳きばさみを入れて毛量を減らしていたのはなんだったんだろうか?!
いつも短くするとちびまる子ちゃんの様な外に広がるおかっぱにしかならなかった私の髪は普通に乾かすだけですっと内巻きのコロンとしたシルエットになったのだ!
しかも完全に乾くまで20分以上かかる為子供の世話優先で自然乾燥に任せていたのが今では5分で終わる!
あれだけ毛量が多い事に苦しんできた日々は何だったのだろうか
想定した通り、上から隠してしまえばツーブロック部分は全く気付かれる事はない
耳にかけてもチラ見えくらいだ
髪の毛を結ぶとちょっとギョッとされるかも知れないが
私の場合広がる髪を重さで抑える為に伸ばしていたので
動物のお医者さん、バナナ・フィッシュ、ここはグリーン・ウッド、ポーの一族、恋愛描写があってもBASARAとか、ぼくの地球を守ってとか、絶愛とか、ガラスの仮面とか、ドラマチックなストーリーに生きるか死ぬかで派手な展開なら結構楽しかった。
りぼんくらいの対象年齢低めな雑誌でも、有閑倶楽部、ちびまる子ちゃん、お父さんは心配症等々大人でも楽しい漫画は多かった。
何か気がついたら少女漫画に学園恋愛物とかがどっと増えて、恋愛好きなティーンに対象絞り込んだ感があって、オタクは少女漫画読者からはじき出されたような気がする。
今の時代に少女として生きてたら、多分初めから少年漫画に行ってるだろうと思う、恋愛に関係しないで生きてるヒロインが沢山いるから。
恋愛必須な感じでヌルい恋愛物に溢れてる今の少女漫画界が息苦しい。
詳しく知らんだけで今のオタク少女を受け止める少女漫画も沢山あるんだろうけど。
てゆーかあってほしいな、ないと寂しい。
なるほど。
まぁ性の目覚めのタイミングはトラバを見てもわかるとおり個人差があるとして、
増田本人はアンパンマンとかそういうのではなくって言ってるけど、漫画もアニメもグラデーションがあると思うんだよね。
増田が何歳かわからないけど、自分の世代だとアンパンマンしまじろうがあって、忍たまやサザエさんやちびまる子ちゃんのような夕方時間帯のアニメがあって、ディズニーやジブリがあって、クレしんやドラえもんがあって
本の方も、絵本があり、園児向けの雑誌があり、「小学○年生」があり、コロコロボンボンがあり、ジャンプサンデーマガジンとリボンちゃおなかよしがあり…というふうに段階があるじゃん?(アンパンマンでさえドキンちゃんの恋心の描写があるから、インプットされる価値観が「無」ということは無いんじゃないかと思う)
そして少年誌までくると微エロ枠だったり恋愛漫画枠があるけど、そこで描かれる性愛の価値観と「お互い初対面で、こちらのことを好きではない女を、金で買う(風俗)」という価値観ってだいぶ離れてる気がするので、
女性視聴者の人たちは、ドラえもんのジャイ子やちびまる子ちゃんの前田さんをどう思っているのだろう。
なぜフェミニストは、いわゆる「表現の自由」に関する問題において「重箱の隅をつつく」のか?
自分はこう考える。
つつくべき問題はむしろ、数多の表現が詰まった「重箱全体が偏っている」ことなのだが、
重箱の中身のひとつひとつには特に大きな問題がないため、非難しずらい。
そのため、自他に分かりやすい、少しでも具体的な問題点が疑われる部分(しかし全体から見れば隅に過ぎない)を、
集中的に叩いてしまうのではないだろうか。
自分が「重箱全体の偏り」として捉えている例が、「家庭描写が多く長寿な4大アニメ」、
サザエさん・ドラえもん・ちびまる子ちゃん・クレヨンしんちゃんである。
これらの名作は、昭和~平成初期までのスタンダードとされた家庭を元に描写されているため、
長らく人気コンテンツであり、子どもが(そして大人になっても)目にする機会も多いこれらの作品が、
家庭をとらえる意識に及ぼす影響は、計り知れない。
日本のアニメーションは原作者への属人性が高く、いずれも作者が鬼籍に入っていることから、
また日本の家庭における格差が広がったこともあり、各アニメの描写が共通して知られる「古き良き時代」として支持される一方、
現代における家庭描写が多い長寿アニメが生まれにくくなっている点がある。
そしてフェミニストたちは、こういった「広く偏っている事象」を指摘するよりは、
(あるいはそういった偏りをうまく言語化できず)
分かりやすい「絵面に問題が疑われるもの」を叩くという結果になっているのではないだろうか。
それではフェミニストは、半端に重箱の隅をつつくより、上記のような例を問題提起するべきなのだろうか?
制作当時のよくある家庭描写であるに過ぎず、これを指摘しようものなら、
炎上するだけで何も解決しないこと必至。とてもそうすべきではない。
繰り返すが、長寿アニメもその描写も属人性も、個々では全く何の問題もない。
「それが子どもの見る「アニメ内の家庭」で一定割合を占めている」ことが問題であり、
そのことを個々の作品に問うたり、即座の解決策を打ち出すことは、非常に困難である。
重箱の他の偏り例として考えられる、女性キャラの胸の大きさや露出についても同じで、
個々を指摘しても「見せていけない部分が見えている訳ではない」「他と同じくらいだ」となる。
それなら、どうすればいいのか?
正直なところ、漫画アニメなど表現の自由界隈ではなく、現実社会で動きが起こることで、世の中の風潮が変わるのを待つしかない。
前述の家庭描写についても、家事負担の面は改善されていないが、母親が専業主婦ばかりである点の影響については、
(夫の実質収入減という良いとは言えない要因で迫られたケースも多いものの、)現実では改善しつつある。
若い人を見ていても思うことだが、現実社会での人々の意識も変われば、
広範にまたがる偏った表現もまた、違う方向へと遷移していくものだ。
非常に個人的な見解になるが、日本は現状維持という名の価値観アップデートの欠如により、
しかしだからこそ、それが限界まで来たとき、何らかの面で痛みを伴うかもしれないものの、
現行の価値観からの急激な大転換が起こる。いや、望むと望まざると不可避であると思っている。
それを口実にミソジニーが現実の問題を矮小化するのも止められないだろう。