はてなキーワード: の子とは
でもおまえもだれかの子供でありだれかの孫じゃん
そうやって考えながら生きて行ける子供と孫の寄り集まりを社会っていうの
だれも子供をうまなかったら社会は崩壊してしまってそんなことを考える余裕さえなくて
それこそ食う寝るだけのケモノにもどっていくのね
でもおまえもだれかの子供でありだれかの孫じゃん
そうやって抱き着いちゃいかんなあとか考えながら生きて行ける子供と孫の寄り集まりを社会っていうの
だれも子供をうまなかったら社会は崩壊してしまってそんなことを考える余裕さえなくて
少子化は東北大震災やウクライナ侵攻とおなじくらい、いやもっと早い速度で社会を壊してるんだよ
何度かやめて欲しいとお願いしたし、怒ったりしたがヘラヘラ笑われて終わった
嫌すぎて一人で泣いたこともある
姉のことはどうだか分からない
一般の家庭はどうなんだろうか
娘はみんな家でこんな感じなのか教えてほしい
※追記
反応があって嬉しいです
ずっと溜め込んでて辛かった
私は20超えてから一人暮らしをしていて、たまに会うたびにたびにそんなことになります。二人の時だけではなく、家族が他にいても親戚がいてもそうなります。
所属に対する人間の欲求ってものすごいものがあると思うけど...
所属なんてどうでもいいものならいじめを苦に自殺とか無いでしょ。
例えばさ、学校で自分以外の子供たちはみんな当たり前にゲームの話をしているのに自分だけその輪に加われないみたいなのってかなりストレスなのかなって思う。
賃貸物件で犬猫禁止だけど人間の子供なら飼えるって理由と、人間育ててみたいって好奇心しかなかったです
経済的に豊かではないので人数は決めてましたが、親が子供を幸せにしなきゃいけないと思ってないので重責だと思ってなかったです
私は私の幸せのために貴方を産んだ、無事産まれてきてくれた事で親孝行は完了してる、だから貴方も貴方の幸せのために生きて欲しいと子供には伝えてあります
産まれた事で恩返しの済んでいる子供に、自分の人生のやり直しや援助を期待したり要求したり、逆に過剰に援助して子供の人生を操作しようとするのは親じゃない
子供が親を幸せにしなくていいように、親も子供を幸せにしなくていい
ただ子供に、自分が知る限りの幸せになる方法を教え、子供の幸福を心から願えばいい が私の考えです
義母が2歳の子供に大好きなアンパンマンのポシェットをくれた。
ポシェットって一歩間違って首絞まる可能性あるのに、何でくれたんだろう。
アンパンマンが大好きで、アンパンマンに関しては願いが叶わないとイヤイヤ期も相まって手がつけられないくらい癇癪を起こす時があるから、見せたら着けたがったら止められないよね。
子供が寝ている間に捨てよ〜
宗教ってのは全部科学的には存在しない神の為に何かしらの献身を求めるもんだぞ
子供が露頭に迷うようなことは当然ダメだけど、それはお前が作ったストーリーだろ?
当の親が別に露頭に迷ってないし、そもそも金がないなら生活保護がある社会で、露頭に迷うって表現がまさにお前のイメージでしかない
お前の中で中年の子供を生み出してまで叩きたいって、自分の中の問題と向き合うほうが先じゃないか?
まずは病院に行って山上って子供が露頭に迷って安倍を殺してしまったんですって話を医者に聞いてもらうことから始めもらったほうが話は早い
居酒屋で働いてると日々様々な人を見ることになるんだけど、その振れ幅の大きさに元気をもらえるよ。
中でも指折りの下限エピソードをシェアするよ。よければ元気もらっていってね。
仕切り役っぽい子が「絶対吐かせないようにしますんで!」とハツラツ笑顔で入店後、ビール、サワー、ワイン、日本酒とちゃんぽんグランドスラムを達成。
これはやらかすなあ、と思ってたらしっかりトイレにグループの男の子たちの人だかりができてたよ。
まあ内々で処理してくれればいいからそういうのは基本放置なんだけど、介抱してた子もべろべろに酔っててゲロ拭いたトイレットペーパーを持ちながら店内をふらつき始めたのでこれはだめだな~と思って介入することにしたよ。
何かお手伝いできることはございませんか~と声を掛けたら「友達が気分悪くなっちゃったみたいで……救急車呼んでくれって……」とぽやっとした表情で打ち明けられたよ。
うわ~久々に大きいのきたな~と思いつつトイレに行くと、入店時の笑顔が霧散した仕切り役くんがトイレにもたれかかっていたよ。
お前が吐くんかいと脳内ツッコミをいれつつとりあえず横向きに。口から胃液だかゲロだかよだれだかをこぼしつつ救急車をうわ言のように繰り返しはじめちゃって、もう全然だめだね。
このあたりで一緒に来ていた女の子たちが続々と店の外へ出て行くのが見えて、大学生になると割とこんな感じだよな~と人間の成長を実感したよ。
ちなみに会計は7万弱。もちろん一部の女の子たちは帰っちゃったので残った子たちで出し合ってた。
何度も飲み放題勧めたのに単品で飲みまくり食べまくりだったからね。かわいそうだね。
余談だけど店員としては今日は何杯だけと決めてるとか、終わったら退店しなきゃいけない店以外は飲み放題をお勧めするよ。
大体3、4杯飲めば飲み放題と同じ値段になるけど、今日はそんな飲まないし単品でいっかーと言う客は大体飲み放題の時間内で3、4杯飲んでいるよ。
単品の値段を払うという減酒の戒めは酒飲んだら大体忘れちゃうよ。
学友と思しきご年配グループがご来店。
最初は控えめに注文してたんだけど、お酒が入るにつれて少しづつ一度に頼む注文の数が増加。
ついでに態度も少しずつ大きくなって、「俺たちはもう何十年もこうやって集まってるんだよ!」「俺たちは某有名私大の○○って会だったんだよ!」等のだからなに情報をチップとしてもらったよ。
コップをくれと言われたからこちらでよろしいですか~と尋ねたら「普通コップって言ったらこれだろ!」と威嚇されたよ。私怨でごめんね。
最終的に頼んだ食事の4割を残して退店。
食べ残されるのは日常茶飯事だけど、これにはさすがに驚いたよ。
きっと昔からの友達と話して心が若返って、体も若返ったように感じたんじゃないかな。
昔よりずっとお金があるのに、体がついてこないのって悲しいよね。
でも、店員としてはやっぱり食べられる量だけ頼んでほしいよ。
あと、30過ぎると想定の6割くらいしかはいらないよ。キツイね。
お子様連れのグループがご来店。もう嫌な予感がすると思うけど、たぶん当たるよ。
ファーストドリンクで乾杯した後、子どもたちの好奇心が爆発。叫びながら店内を縦横無尽に駆けまわり始めたよ。
こういうとき子どもたちの安全と食事の素早い提供を両立させなきゃいけないのが居酒屋店員のつらいところだね。
まあ、いくら気を付けてても店員の腰くらいしか身長がない子どもが前も見ずに猛スピードでわーっと突進して来たら、もう身構えて受けるしかないよね。ドリンク持ってるし。
ばっしと店員にぶつかった子はがっつり尻もち。目が合って茫然、真顔。
失礼いたしました~お怪我ございませんか~と言いつつ様子を見てたら、親御さんがこっちを見ているのに気づいて心臓はねたよ。
でもすぐに他の親御さんたちとの会話に戻って、なんだかものすごく複雑な気分になってしまったよ。
子どもはすぐ起き上がって他の子のところへ行ったから、大丈夫とわかっていての行動だったのかもしれないけどちょっとびっくりしたよ。
22時頃、卓から聞こえてきた「もう帰ろうよお~眠いよお~」という声は聞いててしんどかったよ。
そして帰ったあと卓の片づけに向かうと目に入ってくる300均のおもちゃの空き箱、おやつの残骸、床に落ちた食べ物。お金もらってるからもちろん掃除するよ。
ちなみに、あまり居酒屋に行かない人はこういうお客様をマイルドヤンキー的な見た目の人々で想像しがちかもしれないけど、意外と大人しくて地味な服装の方が多いよ。
こういうのってどうしたらいいんだろうね。店員は飲むの我慢しろとは言いたくないけど、子どもを店内で自由に遊ばせても構いませんよとは言えないよ。
家で誰か預かってくれればいいんだろうけど、そうもいかないから連れてきてるんだろうしね。
でもやっぱり居酒屋じゃなくて、もっと子どもに合わせた場所が他にもあるよねと店員は思うよ。
何の問題も無く宴会が進み、飲み放題もラストオーダーを迎えてそろそろ宴もたけなわかな~という頃合いで卓から爆音でガッシャーンという音が聞こえてきたよ。
もう見る前からうわ~と思っていたらホールに出てた子が「布巾どこにありますか」と尋ねてきたので、ついでに見てくるか~と布巾持って卓に行ったよ。
「ああ、すみません」と謝る客に布巾を渡しつつどうされましたか~お怪我ございませんか~と尋ねると「大丈夫です、ちょっと机にダイブしちゃって、グラスも……」と言いつつ自分の服を拭き始めたよ。何もわからないね。
よく見るまでもなく机の上には割れたグラスとお酒がぐっちゃり広がっていて、状況はわかるんだけど、机にダイブってつつがない宴会の流れのどこで発生したんだろうね。
とりあえず割れたグラス片付けてテーブル拭いたんだけど、その直後に「写真とってもらっていいですか」って言われたときはさすがに何がいいんでしょうか?と返しそうになっちゃったよ。はいチーズ!何が?
こういうまったく予感できないトラブルが一番心にくるよね。
誰かが少しでも元気になってくれたら幸いだよ。
ご同業のみなさん、お盆で大変だけど頑張ろうね。
年金生活(年金が貰えるとは言ってない。歳取って働かなくなったら)になったら、自分の子供世代が働いて生み出したもので生きていくわけなんだから、他人の子供を育てるのは間接的に自分達のためやで
横だけどそれなら俺も答えられるわ。
みんな空気読んで言わないだけで、俺みたいな奴は結構いると思うんだよなあ。特に生まれた子供が知的障害者だった場合に親が責任を負わなくてすむようなシステムを作るだけで出生率は結構上がると思う。でも日本社会はその辺見ないふりしてるから議論の俎上に乗せることすら難しい。
サマセット=モーム全集で『月と六ペンス』の次の作品だったので、この作品から続けて読んだ。結果、興味深い点もあったが、全体としてはいまいちだった。
1925年に発表された、中国の英国植民地になっている仮想の町を舞台とした作品で、その設定は面白く、簡潔で要領を得た人物描写も巧みで興味深く読んだが、人物の書き込みが足りない。またプロットが性急すぎる(展開が早すぎる)。このせいで全体としてやや散漫な印象を受け、作者が連載小説を書くために書いているだけの印象を受けて、全80章を最後まで読むのがだるく感じた。
全編を通してKittyの揺れ動く心理描写がテーマになっているといえばいえるが、読後感としては、何だこりゃという感じである。サマセット=モームは人間の多様さを書くのだが、それ以外に何もない。中国を題材に取っているため、タオを人生観として提示してこの小説は終わるのだが、どうもとってつけたような結末だという印象がぬぐえない。
この小説を読んで、もうしばらくサマセット=モームはいいやと思った。
主人公のKittyは植民地官僚のCharlieと不倫をしている。夫で細菌学者のWalterは典型的な理系の人として描かれている。非常に真面目で、抑制的で、冷徹な印象を与える。不倫が露見すると、WalterはCharlieを訴えるかわりにKittyをMei-tan-fuという街に連れて転任するよう提案する。この町はコレラが蔓延していて、Walterは医者として派遣される。Kittyは自暴自棄でMei-tan-fu行きを承諾する。転任しても二人の間には冷たいものが流れる。仮面夫婦だ。ある日Kittyは街の修道院を何の期待もなく訪問し、そこで働く修道女たちの姿に感銘を受ける。また修道女たちはWalterの献身的な努力を褒めたたえる。Kittyは自分が無価値な人間であることを悟り、修道院で働き始め、修道院長のMother Superioの人格にも感化されつつ、少しずつ変わっていく。そんな折、Kittyの妊娠が発覚する。身体に宿っているのがWalterの子か、Charlieの子か、はっきりしない。そのことをKittyはWalterに正直に言う。Walterはその直後にコレラにかかって死ぬ。検視によれば、彼は事故でコレラに感染したのか、実験中に故意にコレラに感染したのか、判別がつかない。KittyはWalterの死に衝撃を受ける。修道院長に諭されて帰国を決意する。もとの植民地都市に戻った時にCharlieの妻の発案でCharlieの家に寄宿して、憎んでいたはずのこの男に結局再び身体を許してしまい、激しい自己嫌悪に駆られ、英国に帰ることを決意する。帰途、マルセイユでKittyは母の病死を知る。ロンドンの家に戻ると、父はバハマの植民地総督として赴任が決まったところであり、Kittyはロンドンでの生活を選ばず、父に着いていくことを決める。
夕飯、ハンバーグにした
YouTubeみてた娘が食べたいって言ったから張り切って作ったけど一口も食べなかった
また怒っちゃったし娘も癇癪起こしたけど納豆ご飯食べたら落ち着いたのか「ままごめんね」って言ってきた
ままもごめんねって言ったけど全然そんな顔してなかったと思う
この後帰ってきた旦那が「どうせ食べないのにまたこんな張り切ったもの作って」みたいな顔で見てくるに決まってるから娘が残した分も全部食べて気持ち悪い
なんで何も食べないの?
離乳食の頃焦って保健センターとかで相談しまくったけど無駄だったしすり減るから行くのやめた
「カレーに野菜はなんでも入れちゃって!」ってカレー食べないし
「カレーも食べないの、変わってるわね」うるせー!ってなる
野菜なんかドロドロの頃から一口も食べてないけど何故か普通に成長してるのなんで
そもそも私は料理好きで独身の頃も毎日自炊して綺麗なお弁当作っていつも褒められてたし
妊娠してから「あなたのごはんが毎日食べられるなんて幸せな子ね」とか言われて嬉しくてお腹撫でてた
いっぱい食べてほしいなんて言わないから普通に食べる子がよかった
嫌いなものがあってもいいからそれを克服できるように工夫したりしたかった
なんで私の子が食べない子なの?
他何が出来なくてもよかったからただ食べる子であってほしかった
娘にため息ばっかりついてる
全てを諦めたくなる
少子化対策には、数多くの子供が保育所に行けるようにする必要がある。
そして、数少ない保育師が数多くの子供の面倒を見られるようにするには、育児の自動化・効率化が必須である。
例えば、児童見守りにカメラとAIを使って、配置する保育師を減らすことなど。
しかし、育児に限らず、教育における自動化はかなりハードルが高い。
なぜか、教育は人の暖かみを以て実施しないといけない、そこに効率化を求めてはいけないという神話がある。
例えば、学校の授業を動画化して負担を減らそう、とか言うと否定的な人が多数居る。
(例えば、動画教材も教科書会社が作成し、配布すればよいのにと思うのだが。)
その結果、教員の負担を減らすという視点が無いので、教員志望者は減る一方なのだが。
そういう教員の場合と同様の理由で、育児の自動化・効率化という観点で検討がなされることはないのだろう。
第二次世界大戦のときに国力が違うアメリカに、日本が挑んだのは馬鹿な決定だったという意見は多いと思う。
総力戦研究所の分析を上司が聞かなかったといった具合で、わかりやすい。
では、圧倒的に国力が高い国が一方的に攻めてくる場合、どうすれば良いのか、ウクライナを見ていてもよくわからない。
台湾を見ていてもそうだ。具体的な軍事行動に移られた時点で、ほぼ負けではないか。
良い負け方なんてあるのだろうか。
すぐ降伏したとすると、侵略国の要求を全面的に飲むことになる。損切りは早いほうが良いとは言えない。
抵抗したとして国力差が大きすぎて押し留められないときは、どうするのか。今更本土決戦するのか?
死にたい って誰かが言った時に
「そんなこと言うな」とか
「お前のこと大事にしてる人が悲しむぞ」とか
いろんな人に愛されて育ったんだなあと思う。
羨ましいよ、何も考えてなくて。
人は皆愛されて幸せだと信じて疑わないんだろうなあ。
「お前のこと大事にしてる人が悲しむぞ」って言えるんだからなあ。
でもニコニコ伸び伸び育ててもらったのに、
他者の苦しみに理解が及ばずそれを否定する人間に育ってしまったんだな。バカだな。
それを否定するのはやっちゃいけないことだろ。
おなかすいた って言われて
「飯作ってくれる人大変なんだからそんなこと言うな」とか
言い返さないでしょ。
最近20~30代の子と話をすることが増えたのだが、みんながキラキラしていて眩しいよ
私たちの世代は、腐女子が創作活動をするときに、ネットがなかったので本を出すしかなかった
本を出す人なら分かると思うが同人活動は金も時間もべらぼうにかかる
彼氏とうまくやりつつ同人誌を大量に出すなんて不可能で、しかし自分の書いた物を見て貰うには同人誌以外に手段がなかった
個人サイトが現れてもまだpixivはなく、小説はまだ見て貰えても長編漫画などはやはり本になってしまう
なので私のように創作しまくっていた人間は未婚者がけっこういる。気がつけば子供も産めない年齢となっている
創作するのにかかる時間や金を考えると家事を親に背負って貰える子供部屋おばちゃんの人も多い
でもさ、今の子たちは創作したものを表に出すのはTwitterもあればpixivもあるんだよね
自分が20代~30代だったころにpixivとTwitterがあったらと考えてみると、多分一人暮らしをして彼氏も作って、本まではこんなに必死に作らずにネットで公開して楽しんでただろうなって思うんだ
実際今の若い子は彼氏の話とかを同人垢でもTwitterでしてるし旦那が~って書き込みもよく見る
いいなあ、うらやましいなあと思うけれど、正直これが時代の流れという奴で、私たちの頃は結婚してもかろうじて仕事が続けられはしたが、出産したら辞めてね、ムーブだったので、仕事したいけど
泣く泣く辞めていった先輩もたくさん見た
そういう人達も、「私ももう10年遅く産まれていればなあ」って思ったんだろう
自分としてはこうして、何かを犠牲にしないとなにかができない環境がどんどんとネットの進化や時代の流れでなくなっていってることはとても嬉しい
今の子達を羨ましいと思うけれど、「何よ腹立つ!」と思っているわけではない
ただ、もうこの先の人生が見えている自分にとって、可能性や選択肢の増えている今の若者を見ると胸がキュッとなる
上手く説明できない
子供部屋おばちゃんで結婚も投げ捨てて創作をひたすらしていた私についたのは画力
絵だけは上手になったので、どのジャンルに突撃してもそれなりに売れるしそれなりにかまってもらえる
今はやってないが十年くらい前は絵で副業ができるくらいでもあった
その代わりにそれ以外を捨てた感はあるし、絵がたのしすぎて結婚も出産も、うーん、できたらね…って感覚だった
今もいいなあ、とは思うが年老い、車の運転もできなくなった親を放置して一人暮らしをしたら結局親の痴呆は早まり、自分の介護負担が増えるだけで、親を看取るまではそういう事は考えられないし、まあこの年の女と結婚するおじさんもいないだろう
少子化が進んでいるとは言うが、オタク界隈を見る限り、若いオタクは私たちの世代に比べて結婚率が高い気がする
少なくとも昔は同人誌を作る事でしか創作意欲を解消できなかった人達が、気軽にネットでアップできることで、同人誌という全ての時間をもぎ取るハードな物に飛び込まなくてもよくなったことだ
同人誌とイベントは先細りだと思うが、その理由の一つに、コロナもあろうが、やっぱり本を出し、イベントにでるための労力(金や時間など)があまりにも重すぎるというのがあると思う
その道に飛び込む覚悟を決めると他の趣味などを投げ出すしかなかった世代の人間としてはそう思うし、もう少し気軽に活動したくても、本を出す以外に活動手段がなかった。ネットがなかったので。
なので若い世代のオタクたちは、子供部屋おばちゃんの妙に画力や文章力のあるアラフィフアラカンオタクを見た時に、プークスクスせずに優しく接してくれると嬉しい
「結婚も出産も全て捨てて同人誌を作っていた奴らだ。面構えが違う」ってやつだ