はてなキーワード: 四季とは
http://yaraon-blog.com/archives/242204
これ、結構明快だよね
本来なら2クールから3クール分くらいの日常パートを、ともすれば4話くらいに圧縮する
んで、事件発生から解決までの個別ルートで5話から6話、エピローグに1・2話
どうしたって不満が出る
その点、なろう系は良い
ジャンプ作品のように、初期に一定の面白さを提供しないと読者がついてこない連載形式が
1クールごとにお試し放映する仕組みとがっつり噛み合う
そこそこの見どころをピックアップして放映終了し
大台の評価を獲得、「あれを見たかった」という視聴者を作れれば成功
昔は4クール(通年)とかの枠で放映されたから、逆にやりづらい面もあったと思うんだよね
で、2クールが普通になって1クールになって、閾値はすごい下がった
旬を外れた事に加え、1クールでは魅力を出せないという部分で
駆逐されることになる
スマホがはやる前、昔はネット回線のセールスがうるさくてうるさくて、NHK以上にひっきりなしに家々に出向いてたことがあってなぁ。
パソコンのこともよく知らん近所のおじいちゃんおばあちゃんの家にもみんなネット回線を引っ張ったんよ。
それが「インフラ政策とNTTの役人のおかげ」ってんでなぁ、それに気づかん奴は幸せ者だな。
山を見て四季を感じ、鳥の鳴き声を聞き、植物の成長を楽しみ、山菜を摘み、虫を退治するのが自然の楽しみ方よ。
人工の道路がないと散歩できないなんて東京っ子は、文化の楽しみ方がまるでわかっておらん。
植物を育てることを楽しむことが頭おかしいなんて発想になるなんて、東京は本当に文化的だな。
無知な東京っ子が心配する必要はない。市街化調整なんてのは何十年も続いておるからな。
無理やりの移住なんてことはできないんだよ。
口を挟むつもりなら金を出せ。
そして東京が災害に見舞われたら、寄付を呼びかけるな、寄付を受け入れるな。
地震のような災厄が起こることを知りつつ住んでいるんだから、自己責任自己責任。
https://anond.hatelabo.jp/20230825125723
ここで挙げられてる曲が古すぎるのでアップデートしよう!
「夏が始まった」と明確に言っているので季節は夏。
クリスマスは冬なので明確に冬。
Official髭男dismの「subtitle」でも良かったかなhttps://youtu.be/hN5MBlGv2Ac
○ご飯
朝:なし。昼:玉ねぎ炒め。焼きそば。夜:だし豆腐納豆。ピーマンとシメジと玉ねぎのスープ。魚肉ソーセージ。ブルーベリーヨーグルト。間食:オーザック。豆菓子。ハチミツ味のポテチ。ばかうけ。(お菓子食べ過ぎ)
○調子
まあ休日だし許して欲しい。いや内臓に休日の概念はないし、許してくれないのだけれど。
・はじめに
陰気で友達が少ない女子高生のスバルと、その数少ない友人で正反対な陽気な性格のミスカの友情と断言しがたい歪な関係が、お人形さんの様と評される美少女転校生ルウの登場で変化していく様を楽しむノベルゲーム。
だけでなく、混沌が蔓延ってきて日常を侵略するホラー要素もあるのだけど、そちらは元ネタありきの展開が多くそういうものとしてふんわりとしか理解できる読んだので感想が特にないためこの一行以降はふれないことにする。
学校という閉じた人間関係と、思春期らしい自己の有りように悩む様とが、ある場面では丁寧に、別の場面では幻想的に描かれていて、この二点が文量の多くを占めている。
甘い恋愛的なイチャイチャする読んでいて楽しい気分になるシーンよりも、関係性に悩み他人を気遣うがあまり自傷的に自己言及を繰り返す辛くて悲しいエピソードが多め。
そんなこと一人で考えても答えは出ないし一生悩んだり楽観的になったりを繰り返すしかないよ、と大人になった今でこそ思うものの、自己と他者の関係性の有り様を悩む様は読んでていて共感する場面が多かった。
そんな辛い中でも食事のシーンは彼女達の悩みも何処へやらで舌鼓を打ってくれるので、夕飯の時間が待ち遠しくなったりもした。
陽気で友人が多く、テストの成績こそ悪いものの教師からの覚えもよく、容姿も可愛いと褒められ、前向きで良い子なミスカ。
しかし、スバルの方はミスカから向けられる好意を素直に受け止めない。
それどころか、些細な表現や物言いをどんどん悪意を膨らませてしまうスバルの生き方は苦しそうだった。
ミスカの一人称と、スバルの一人称を行き来することになるのだけれど、二人はすれ違い続ける。
ミスカは衒いがあるわけでなく、本当にただの根明で、楽しいことが好きなだけの普通の子。
ところがスバルはどこからでも悪意を見つけ、彼女の好意を受け取ろうとしない。
この関係値の噛み合わなさは読んでいて本当に辛かった。
ミスカが友情でなく恋愛としても惹かれていて、その理由もスバルの言う悪意のあるものでないにも関わらず、それが本当に一切伝わらない。
誕生日にケーキをご馳走するという、善意100しか考えられない行為ですら、スバルは穿ったものの見方をし、ミスカからの気持ちを真っ直ぐ受け止めない。
ペットボトルの回し飲みでミスカが間接キスにドキドキするも、スバルは喉が渇いたとしか思っていないシーンなんかは、もう読んでて可哀想だった。
空回りするミスカの好意が、物語的な意味でも何も前進させないのも読んでいてしんどかった。
献身的にスバルに尽くすミスカと、自分の内面世界のことでいっぱいなスバルのすれ違い。
スバルが素直になれば、開幕5分でハッピーエンドまっしぐらなぐらい、ミスカの好きは真っ直ぐで一貫してるのがもどかしい。
そして何よりスバルの素直な気持ちはミスカではなく、転校生のルウに向けられてしまう。
そんな端的に言ってしまうと性格が悪いスバルが、海外から転校してきたルウと交流することで変わっていく。
ルウは箸の使い方を知らず、麻婆豆腐や唐揚げやメロンパンを食べたことがない程に無垢な存在。
危うげというわけではなく思慮深いのだが、学校という枠組みからは大きく外れたような物言いもする。
そんな無垢さがスバルの悪意増幅センサーを回避するのか、ミスカからの好意を悪意に変換し距離を置こうとしていたのとは対象的に、ルウとはドンドン距離を詰める。
ミスカの好意が一方的なものだったのに対して、スバルの好意はルウに受け止められ、スバルとルウはドンドンと関係を深めていく。
ルウの方も、スバルのことを深く知りたい、会話したいと甘えるように距離を詰める。
手繋ぎデート、夕飯を一緒に作るなどの高校生らしいそれもあれば、添い寝や過激なスキンシップなどもあり、CERO Cとしてはそれなりに攻めたシーンも。
ルウとスバルがイチャイチャすればイチャイチャするほどに、ミスカは空回り続ける。
こうなっても客観的にはミスカはオカシイことをするわけではなく、ひたすらに良い子なのが可哀想さが増す。
ミスカは僕が先に好きになったのにと反転するでもなく、転校生の面倒を見れるスバルの成長を喜ぶ良い子なのだ。
ミスカからの好意は悪意に変換するのに、ルウからの好意はそのまま受け止めるのか。
ということは、スバルの精神世界を幻想的に描くシーンで抽象的に描かれる。
まだ人権の概念が無く子供を産むことだけが女性の価値であった時代を生きていたとある女性のエピソード、他人がおらず四季の移ろいをただ楽しむだけの世界などの、夢のエピソードと共にスバルの内面がゆっくりと掘り起こされていく。
一人で無限に牛乳と果実を食べ続ける生活が示唆するスバルの本音は、納得できるところもあったが、だからと言ってミスカの可哀想な空回りが救われるわけではない。
ここが本作の賛否別れる大きな箇所だろう。
スバルにはスバルなりの理由があるとはいえ、ミスカの気持ちはどうにもならないのは、正直僕はあまり好みではなかった。
あんなにも根っからスバルのことが好きで純粋にそのために良いことだけをして来たミスカが、フラれるとか、恋愛対象として見れないとかじゃなく、嫌われるのは、辛い。
ただこのミスカの好意の空回りの先が知りたい気持ちの牽引力は凄く、楽しいとか面白いではない、マイナス方面の感情で読ませる物語はよく出来ていた。
・さいごに
スバルを好きだけど見向きもされないミスカの空回りと、スバルとルウのイチャイチャという三角形の一辺が欠けた歪な関係に着目して感想を書いた。
ミスカの一人称ではスバルのことが大好きで一生懸命善意で良いことをする前向きさが、
ルウの無垢さに惚れていく展開は、辛いけど読み進める手が止まらなかった。
ミステリやコメディといったわかりやすいハッピーエンドが好きなので、好みとは大きく異なっていたが、終わってみるとコレはコレで好きな作品だった。
恒常性(こうじょうせい)ないしはホメオスターシス(homeostasis)とは、生物において、その内部環境を一定の状態に保ちつづけようとする傾向のことである。
(元ネタ:ヴェーダ https://w.wiki/4EJd)
子どもの頃に「北風と太陽」というイソップ童話を読んだことがある人は、スムーズに①抑圧→②解放→③闘争→④調和を通過できる。
試行錯誤で気づいた人は、人生の晩年になってやっと④へたどり着くか、下手すると途中で止まったまま人生を終える。
人生における成果は、農業のサイクルに例えて考えることができる。
(人間の寿命を80歳程度とした場合の割合なので、100歳生きる人なら25歳区切りぐらいで4等分すればOK)
の2つが理解できるようになる。
このうち、どんな人にでも共通する同じ部分の中に、人間の本質が存在している。
なぜ、自他の区別が存在して、自分を一番大事に扱うかというと、自他の共通点=人間の本質が理解できていないから。
自分と他人が別物に見えてしまっている段階にいる、というわけ。
自分と他人の共通点、すなわち人間とは何なのか?ということが理解できる者は、自分と他人を同等に見ることができるし、同じ扱いもできるようになる。
1位が自分であり、それと同じく1位に他人を入れることも可能になる。この段階で初めて、利己と利他が同じになる。これは理屈ではなく体験しないと理解できないので、もし頭だけで理解したつもりになったら、「まだ自分は理解していない」と思わないとダメ。口先だけの傲慢な奴になるだけなので。
※この文章では、曖昧かつ抽象的な表現を用いているが、厳密にこの話を理解するためには、圏論とゲーム理論の理解が必要になる。
(夏休みの中高生では、まだ圏論やゲーム理論を学んでいない可能性があるので、平易な日本語で説明した)
人間の成長段階で③闘争の段階に該当しており、物理的な衝突ではなく精神的/論理的な衝突において、自分の主張と相手の主張をぶつけ合って、調停できなかった状態と言える。
従って、③闘争から④調和への移行ができていないので、ここが改善する課題ということになる。
もし可能なら、この投稿を印刷して、振られた相手に読んでもらい、今回失敗した原因を指摘してもらうべき。
「あなたのこの部分がダメだったから振った」と分かれば、次からはそこを直せばOK。
相手に新しいパートナーがいる場合は、無理して寄りを戻そうとしない。それは単なるストーカーであり、迷惑でしかない。
せっかく欠点を教えてもらえたのなら、感謝して次の恋愛に活かすべきである。
全てにおいて完璧な人間はいないので、失敗するのは仕方ないけど、何度も同じ失敗を繰り返すのは、やはり愚かと言わざるを得ない。
学習機能が備わっていれば、失敗の原因と解決策を理解して、失敗を克服して人間は成長できる。
人生は有限だけど、失敗してもただでは転ばない。失敗は成長の素と考えて、みんなで頑張ろう。
https://anond.hatelabo.jp/20230817044541
これまで俺は、「自分のことを一番大切に考える」って方法で自分を守ってきた。周りがどんな状況でも、まずは自分を大切にする。それから余裕がある範囲で周りのことを考える。って感じ。
でも恋愛をして恋人ができて、その先の結婚とかも考え始めたら、それじゃもう回っていかないんだな。相手も、そんな俺の考えを察知すると、当たり前だけどいつも悲しそうにしてた。
不動の一位だった「自分」と同じところに「恋人」を入れることが恋愛なんだろうか。
俺は、お互いが「自分が一位、相手が二位(またはそれ以下)」の方が上手くいくって考えてたから、そのスタンスのまま行くつもりだった。
でもやっぱそれは通用しなかったんだな。
難しい。
毎年恒例、夏の甲子園(選手権大会)がネット上で話題になっている。悪い意味で。
自分が言いたいことはどこかの誰かが既にネットで書いているので、思いついたテーマで少し書きたい。
夏の甲子園は毎年8月に開催されており、他の部活でいうインターハイとは全くの別物。
高野連(高校野球連盟)と新聞社(朝日)が主催となって、夏の甲子園が開催される。
一方インターハイは高体連(高校体育連盟)が主催となって開催されるようだ。(詳細は知らん)
インターハイの時期としては7月後半から8月にかけて実施されるようだ。(球技毎に日程違う)
「なんでほぼ同じ時期に開催されるのに、いつも甲子園だけ批判されるんだ!」というお気持ちは、いつもの流れなのでここでは書かない。
※野球は甲子園固定に対して、インターハイは毎年場所変わるので全然別物。
自分が着目したのは、他の部活に夏の甲子園(もしくは春のセンバツ)みたいなインターハイとは別にピークが存在する部活はあるのか?という点。
すぐに思いついたのは、サッカーの選手権大会、バスケのウィンターカップ、春高バレー、冬のラグビー(花園のやつ)。全て冬休み(全国大会は12月~1月)に開催される。
まず高校野球については、夏の甲子園がピークだと言って問題ないと思う。そうでない高校も多少あるが、ほとんどの高校の野球部がそこに向けて日々練習に励んでいる。6月~7月に地方大会が開催され、そこで敗れると3年生の最後の大会となることが多い。つまり引退時期は6月~8月と明確。
※全員が本気で目指している訳では無いとかは、本題とズレるから虫。
一方上記で上げた部活(高校サッカー、バスケ、バレー、ラグビー)は、学校によって方針が大きく異なると思っている。
冬の大会をピークと書いたが、正確にはピークの一つでしかない。学校/部活によってインターハイをピークにしているところもあれば、冬の大会をピークとしているところもある。
インターハイをピーク(3年生の引退時期)としている学校は、冬の大会は2年生中心で戦うしかない。冬の大会をピークとしている学校は、それまで3年生が残っており、冬の大会では圧倒的に有利に戦える。インターハイはもしかしたら逆かもしれないが。
注目度の高い冬の大会に絞って考えれば、勉強もある進学校は不利で、スポーツ強豪校は有利だと考えられる。進学したい高校生にとって、3年の冬、センター直前まで部活なんて無理。
なのでピーク2部制を整理すると
・メリット
・学校/部活によって、ピークを自分たちでコントロールできる(俺は冬まで残るなど、個人レベルでも選択できそう)
・注目される冬の大会では、学校/部活によって有利不利がどうしても生まれてしまう
・メリット
・どの大会もピークという観点では学校/部活によって戦力差は生まれない(公平性がある)
・インターハイがピークの他の部活よりも、引退時期が1~2ヶ月遅い(これは体感)
別にどれが正しいとかではない。
上記でも書いた通り、サッカー等の部活の大きな全国大会(ピーク)は年2回あり、その特徴は高校の夏休み、冬休みに開催されるという点。
それはスポーツの特性として、季節・天候に強い競技だということも関連している。時期に関わらず試合ができ、多少天候が悪くても中止になることは野球より少ない。
野球はとにかくそういう面でデリケート/脆いスポーツだ。冬にはまともな練習もできない、プロでも冬は休みか、温かい気候の場所にわざわざキャンプや自主練として行くほど。
天候にも弱く、雨の日は基本中止になるケースが多い。グランドの状態で判断するケースも多いので、前日の天気にも左右される。(頑張ってやる時もあるけど)
四季があり、梅雨もある日本は野球に向いていないと思う。大会の時期をズラすのも結構難しいのではとも思う。
冬に試合ができないスポーツのため、春(センバツ)と夏(甲子園)という、偏った時期に大きな大会が2つもある。
話を大きく戻すと、高校野球に限らず他の部活の全国大会も夏休み/冬休みに開催される。これは高校生への色々な配慮の結果だと思うが、真夏に開催するのは仕方ないのかもしれない。
また高校に限らず、中学生も、もしかしたら小学生も全国大会は夏休みに開催されると思う。甲子園が目立つため矢面に立ちやすいが、ネットで書かれていることは根本的なことではない。
とはいえ、じゃあ全部廃止だ!となってしまっては、大人が存在する意味がない。子供を守るという一面もあれば、チャンスを奪う一面も大きい。
こと甲子園においては朝日やNHKが批判されることも多いが、そういう小さい問題ではないので難しい。どうすればいいんやろね。
いや増田の感性は素敵だけどさー既に指摘されてるようにそれは増田の感性と教養と自然の素晴らしさであって。
だいたい「スーパーが博物館」って表現も、それいいフレーズだけどさ、都会にはその博物館も沢山あるわけじゃん、
成城石井も紀伊国屋も北野エースもビオセボンもディーンアンドデルーカもあって、
その上でチェーンじゃない地元密着のスーパーもあるわけよ。あとは中華食材の店、韓国食材の店、南米やハラル食材店もあるしね。
ほんで選択肢の多さだけじゃなくって、それぞれのスーパーで働いてる人達によって棚に多様性が生まれる、それが都市の文化だと思うよ。もちろんコンビニとファストフードで生きることもできるし、外食三昧もできる、ピンキリが幅広くて沢山のレイヤーと選択肢がある、それを生み出せる人間と消費できる人間が居て文化が構築されてるんだよ。
だいたいさ増田はその田舎出身じゃないだろ、増田にとってまだ新鮮さがあるからそういう風に言えるのであって、例えば増田が30なら30年間その田舎にいたらその感性や教養って育ってないと思う。思春期〜青年期にある程度都会を経由してるからこその増田の文章だろ。自覚あるだろうけどさ。
それにこういう文脈で自然挙げてくる人多いけど都会でも自然の良さって感じられるからね、別に。23区は都市計画で公園も多いし、人が植えて人が手入れしてる自然でも自然は自然だから自然に合わせて自然に育ってくんだよ。最初は植えた感アリアリの苗木がだんだん根を下ろして、街と自然の一部になってってるのに気づくと頑張ってんなぁって気になるし。
至る所で雨と土の匂いだってするし四季の移ろいも感じられるし、朝日や夕陽の美しさも街に合わせて違うように感じられるしさ。
小田急から見る春の夕陽と中央線から見る秋の夕陽と、冬の山手線の始発から暫く経って感じる朝日と、夏のゆりかもめで感じる朝日とそれぞれ全然違う良さがあるしな。確かに星が見えないのは認めるが。ビルで見切れてる入道雲も言ってみれば大自然だし、秋になればトンボも飛ぶし、てか荒川沿いでも東京湾でもひらけた空は拝めるし。あと増田はたぶん植物園増田と同一増田だと思うけど、植物園だって行こうと思えばフラッと行けるよ。
カニ、カニ可愛いよね、でも文学や創作物と生活や日常の結びつきの話をしだしたらもう都会は文化そのものじゃん、言うまでもなく。
①夏の日差しをさえぎったり、排気ガスや騒音をやわらげ、道路沿いの環境を守ります。
街路樹は都市特有の現象として問題となっている「ヒートアイランド現象」の緩和に貢献しています。
②ドライバーの視線をみちびいたり、まちの目印になって、安全でスムーズな交通を守ります。
③まちを美しく彩るだけでなく、美しい花やあざやかな黄葉が季節の移り変わりを知らせてくれます。
④いきいきとした緑は野鳥や昆虫を呼び、都市の自然が心に落ち着きとやすらぎを与えてくれます。
https://www.kensetsu.metro.tokyo.lg.jp/jigyo/park/ryokuka/hyoushi/hyoushi3/index.html
好きでもない人を無理に好きになろうと努力しても難しいのでは?
自分と他人の接点には、様々なレベルやチャンネルがある。男女の恋愛関係もその1つに過ぎない。しかし、恋愛関係以外の人と人とのつながり方も多数ある。
好きな人がいないということは別におかしいことじゃない。むしろそれが普通だよね。人々の利害関係(利益を与えたり被害を受けたり)について考えれば分かる。特定の1人だけをえこひいきして、その人に多大な利益を与えたいという動機を持った人は稀だから。
人生の興亡は四季に似ている。人生80歳として、春:0~20歳、夏:20~40歳、秋:40~60歳、冬:60~80歳。春に種をまき、夏に実がなり、秋に収穫して、冬に貯蔵する。
人間関係のあり方を恋愛だけに絞ると視野が狭くなるので、恋愛にこだわらず、広く対人関係とはどうあるべきか?理想について検討した方が良いと思う。
今好きな人がいないということは、人を見る目が養われていない可能性も考えられる。焦って誰でもいいからと付き合うとハズレをつかんでしまう可能性もある。
他人を見るとき、最初は相手の見た目(顔・体形・ファッションなど)=表面的な一部のデータしか得られず、判断材料が不十分なので、当たりかハズレか分かりづらいだろう。
ともに過ごす時間が長くなれば、相手の内心が分かるようになってくる。目で見えるのは顔とか表面しか見えず、目では相手の心が見えないので仕方ない。
他人に騙されたくなければ、口先で言ってることだけでなく、実際の行動を見る必要がある。相手の内心は、普段の習慣的な行動として現れ、隠しきれるものではないだろう。
その上で、自分と同じ志向性を持った人と伴に過ごす時間があれば、自分に合ってる人と合ってない人が分かると思う。
例えば、社会起業やボランティア活動を一緒にやってみたら、相手の価値観や損得勘定の基準が分かってくる。
こいつは自分と一緒にいれば成長できるなとか、あいつは自己中だから一緒にいても不愉快になることが多そうだなとか。
日頃から考えていないことは、いざ急に考えてみてもなかなか答えが出てこない。考える時間があるうちに、大きな問題を扱ってみる。
30歳になっても日本人で自分にフィットする人が見つからなければ、外国に移住してみて投網をかける対象を変えてみるのも一手かも?(海外へ移住した知人とか見てるとそんなかんじかも)
幸せの形は人それぞれなので、婚姻制度に基づく結婚だけが幸せとは限らない。
もしもあなたが勉強と努力を重ねて自分で事業を興し、一生困らないだけの資産を得れば、男に養ってもらうために結婚する必要がなくなり、シングルマザーで生きていくことも可能だろう。
物事の予想は(1)最善、(2)最悪、(3)最有力(≒現状維持)の3パターン以上を想定して、どのような展開であっても対応できる準備をしておくことが賢明。恋愛も例外ではないと。
https://anond.hatelabo.jp/20230717163854
なんか似たような話は死ぬほどあると思うし、てかここで死ぬほど見たし、たかだか人生21年でなにがわかるのかという話である。私が一番そう思っている。
この日記は私の思考を整理したいのと、それに対しての反応が見たくて書いている。ぶっちゃけ初めて書くのでなんか変だったらごめんね。
ここからしばらく自分の人生語りになるので嫌な人は結論まで飛ばしてください。長いし。
私は現在21の大学四年生である。タイトルにもある通り処女である。スペック的には152センチ45キロFカップ。顔は極めて普通であると思う。ナンパとかそこそこされる程度の顔である。地元ではそこそこ名前は知れてるけど全国だと聞かないよね、みたいなレベルの大学に行っている。IT企業の内定は出た。
小中はそこそこ男子とも話したが高校から女子校に行った。女子校とはいえ彼氏のいる子はいたし、女子校だから彼氏ができなかったというわけではないと思う。ただ私は積極的に学校外のコミュニティを広げる気は無かった(そこまで余裕がなかった)。学校での友達はできた。
大学に入学したのは2020年で、コロナウイルスが猛威を奮っていた年である。当然ながらリモート授業がメインとなり、出会いなんて夢のまた夢であった。あとソシャゲにハマった。私のバイトは諸事情ありより稼げることを優先したため、病院の清掃を選んだ。若い男性なんかいなくて、基本主婦の人が多かった。辞める人もめちゃくちゃ多かったがメンタルが強いのが売りだったので結構続いた。主婦の人が可愛がってくれるのも嬉しかった。
大学3年ごろからいい加減自分で動かなければ出会いはないのだなと思った。とはいえ大学ではサークルに入りそびれそのあたりの出会いは期待できず、ゼミではなんかみんな個人での活動が多く話す機会がない。
正直すぐに飽きた。まあおとなしめの清楚系に見られる顔ではあるため結構なレベルのいいねが来た。やってたのはタップルである。一日ほっておけば99+件のいいねが来る。ここでの選別(言い方が悪くて申し訳ない)だけでだいぶ疲れる。マチアプは写真というのは真理である、こんなんいちいち文章まで読んでいる暇はない。顔写真を出していて、一定以上太っていなくて肌が綺麗、年齢は27あたりまでの人を条件に選んでいた。余談だが見てる限りでは30後半や40あたりの人、果ては60あたりの人からもいいねが来ていた。彼らは何を求めて私にいいねをしているのだろうか。間違えたかパパ活かなと思ってスルーした。
さて、ようやくここから会う段階に入り、8人ほどと会った。デート内容は割愛するが自分の費用は自分で払った。大半の人は、二、三回目あたりで付き合いたいと言ってくれた。ヤリモクもいたけれど。
ヤリモクでなさそうなひとから2人ほどと、期間がめちゃくちゃ短かったが(一ヶ月と三ヶ月)付き合ってみた。いれる寸前まではした。が、私サイドがめちゃくちゃ何も感じなくて続行できなかった。触られようが何されようがビタイチ気持ちよくならない。触られることやハアハアいってる人間への不快感こそあれ、これで何が楽しいのかさっぱりである。男性が多いジャンルのオタクであるためエロ同人とかも読んでるんだがあんなふうに全然なれない。濡れるわけもなく、シンプルに続行不可能となり、気まずくなり別れた。面倒になりタップルはやめ、就活頑張った。
私と付きあった2人が特別下手だったとは思わない。私サイドに圧倒的な問題があったんだなと思う。女性はテクニックどうこうではなく好きな人だとか雰囲気だとかの感情で感じるとかいうのをどこかでみた記憶があるが、私にはそれがなかったんだなと。好きになってもいない人とどうこうなっても、面倒臭さの方が優ってしまうし、そんな相手に触られても、本当に申し訳ないが感じ方としては痴漢と遜色ない。
じゃあ好きな人を見つけよう、となったって、現実にいたるまでまともに人を好きになったことがない。なんかいいな、と思う人がいても、自分を俯瞰的にみている自分が白い目で見てしまう。俯瞰的な自分が、こんな自分が誰かを好きになってるのを気持ち悪いなと思っていてどうにもできない。実際付き合っていた時もどうにも嫌で嫌で仕方ないときがあったし、相手から事に及ぼうとするときになんとなくなにかに失望していたし、そういうことをしようとする自分が気持ち悪かった。ベタベタ触られるのが嫌だった。
改善策もよくわからないし、なんなら改善したいかと聞かれたら現状面倒くささが勝る、という感じではある。ただ自分が人間としてなんとなく不出来だなと思って、誰かを真っ当に好きになりたい、もしくは原因を知りたいとは思っている。心が二つある〜
あとなんかまともに付き合った経験がないと社会から異常者に見られるのはよろしくないなという気持ち。まともな人間に見られたい。
精神病とかそういうのではないと思う。元気。
当たり前だがそこそこ荒れててこれがインターネット…となっている。Twitterもろくに呟かない人間なのでめちゃめちゃ新鮮!
女風は2回ほど試したけど会ってすぐの人間に心開けるわけもなく苦痛なだけで終わりました。本番なし。対して彼氏と変わらなかった。お金が無駄だった。
二次元なら、というのはよくわからない。夢女子とか腐女子ではなく、誰かのことを好きなキャラが好きだからか自分のことを、とかは一切思わない。女子校出身だからか周りには多かったけど。恋には落ちたい。誰かのことを好きな自分が気持ち悪くて、それで悩んでいる。
アセクとかはそうなのかな?わからない。勉強不足なのもあるけど、恋愛したい、とは思ってるのでなんとも…理想としては性的なこと一切なしでお付き合いできれば、なんだけど難しいよね。
マチアプのいいねに関してはほんと男女で違うと思う。大量に来るいいねを捌くだけで大変で、女性側からいいねを送る機会は減るんじゃないかなとは思った。知らんけど。
行動の合理性(目的と手段の合致)を検討すると、アスペっぽい傾向はありませんか?(別に恥ずかしいことじゃないけど)と思ったので投稿