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はてなキーワード: 四季とは

2020-05-21

このままだとマジで四季気候のせいになりそう

頑張れよ新型コロナ雑魚すぎるぞ

anond:20200521002254

他国と比べて日本コロナの死者数が限定的だった理由不明なままだが、それは脇に置くとして、日本人は(飽くまで傾向として)、文明を知ってる程度には賢く、しかしながら議論を通じた意思決定が苦手で、戦略的にふるまえない点で愚かだと思う。日本は地政的にかなり恵まれる反面、それが仇となり、住民議論に基づく意思決定戦略的思考が弱い傾向にある。

中国という歴史上有数の文明から遠すぎず近すぎない距離を海で隔てられた、温帯にあって、ときどき大きな自然災害に見舞われる、割と大きな島。」というのは国家運営の前提条件としてかなり有利だ。日本海は大陸から侵略のほどよい障壁になる一方で、交易交流の妨げになるほど大陸と遠いわけでもない。四季をともなう厳し過ぎない気候は人の精神活動を活発にする。時々起こる大きな自然災害経済に大打撃を与えるが、かといって主要都市を壊滅させるほどのインパクトをもたらすものは極めて稀にしかない。むしろ短期的には住民間の結束力を高め、長期的にはおそらく経済発展への刺激となっている。北東から南西に伸びる細長い国土なので、主要都市が同時に激甚災害に見舞われる確率が低いのも幸運だ。平地面積と地下資源にはあまりまれていないが、それでも1億人が暮らせる程度の国土がある(こうした環境で、日本文明産物は適宜取り入れながら時々の紆余曲折を経ながら経済発展してきた。今では国民の皆保険制度基本的な防疫にも十分なリソースを回せる程度の国になった)。

しかし、それら有利な前提条件の下で半ば必然的に発生する不利な条件がある。日本は頻繁には侵略されなかったことで住民バックグラウンド多様性が乏しい。結果、異なる考え方をする人間同士の議論による意思決定が下手くそで自閉気味。多数派の考えと異なる考え方をする人間は突き抜けた能力を持たない限りは、コミュニティ同化するよう「教育」されるか無視されるか排除される。また、「強力なリーダーを立て、目的を固め、現状を分析し、戦略を練って実行、大失敗は避けつつ戦略は状況に応じて適宜修正。」といった思考回路は内乱に明け暮れた歴史の一時期を除いて希薄だ。短所長所の裏返しなのだ。

まとめると、元寇を退けたのも高度経済成長コロナで死者が少ないのも巨視的に見れば地理的条件のおかげ。住民文明的だが議論戦略思考が苦手。

2020-05-18

もうすぐ起きること

  1. 新しい生活様式法って6月以降もテイクアウト主体でやっていったが、ノウハウ無くて食中毒起こして営業停止
  2. 1を恐れて、もしくは強引に通常営業再開して客から感染者発生してフルボッコ

いやホントまじで飲食業は気をつけろよ。日本には梅雨四季があるから。正直間引き営業が一番だし、今のうちにテイクアウト見直したほうが良いぞ

コロナ発生は自粛警察程度だけど、食中毒は国相手だし地元密着の店だと二度と客は来ないぞ

韓国の状況は日本未来

2週間後はNYで一時期ネタになったけど、韓国の第二波はガチ日本未来だよ

毎日追ってたら分かるが、韓国は御存知の通り中国に続いて解除されて、そこまでの流れも日本に近い(PCR検査数とか追跡とか違うけど)

で、結果は御存知の通り。LGBTとかは関係なくハメ外したら案の定って話だ。知っている人も多いと思うが、韓国場合日本より厳密に一部解除の対応をしていた。それなのにコレだ

じゃあ日本は?そもそも要請だし、飲食店や遊興施設は指針を守る気はサラサラ無い。パチンコ屋は換気が凄い?焼肉屋換気扇がある?そういう問題じゃない

温度湿度四季神風がとか言うけど、実際のところ耐え忍んでいる病人が多いだけ。新しい生活様式真剣に守らなきゃ一瞬で4月頭に元通り

あと田舎関係ないとか言うけど、重要なのは都市部なんだよ。確かに田舎は大して感染者出てないかもしれないけど、経済的に考えたらそもそもそんな田舎はある必要もないし、そんな所に医療を注ぎたくないんだよ。だから全国で自粛。解除されても県どころか市区町村から出るな。日本的には9割に田舎なんて原っぱになってもGDP的にはノーダメージです

2020-05-17

望月衣塑子の弟、陰謀論者でやばい

[B! 日本] 望月龍平 on Twitter: "原爆は落とされたんじゃなく 打ち上げたのです それを爆発させたのは日本ですよ 本当の悪は誰でしょ https://t.co/hNanKEgVdC" https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/RyuheiMochizuki/status/1261593847806791681



望月衣塑子の弟ってソースはこれ

2020-05-10

父亡くなる

私は物忘れがとても酷くて色々忘れちゃうから忘れない様に何度も読み返して記憶に焼き付ける為にメモする

 

末期癌の父をさっき自宅で皆で看取った

昼間訪問した時はまだ反応があったんだけど0時過ぎぐらいから呼吸がちょっとおかしくなったというので、母から2時に電話が来た

 

誰も歩いていない真夜中の静かな町を早歩きで向かう

暗く静かな道でバクバク打つ鼓動が妙に痛い

実家は近いか電話来てすぐに着けた

 

人工肛門にしてからどんどん痩せていって、

徐々にご飯が食べられなくなって、父は骨と皮でゴツゴツになってしまっていた

入れ歯だったからごっそりげっそり頬がこけちゃってねちょっと不憫でね

 

誰も泣き叫ばず静かに看取る真夜中

掌の中で命が消えていく哀しい時間

 

段々目の焦点が合わなくなって、白目が濁るってのかな?瞬きとかの動きが減っていき、亡くなると体温が失われて肌の色が変わっていくんだね知らなかった

 

その時を迎えた父は、寝た様に見えた

ぽかんとクチ開けていつものパジャマ着て酔って寝ちゃったみたいに

だけど、違う

腹膜が1mmも動いてない

それを見て、ああもう呼吸をしてないんだなって痛感した

開いた口と閉じた瞼

苦悶さは一切見えない

モルヒネの力で苦しさはなかったみたいだけど、目頭に残ったこの液体は、たぶん父の最期の涙だ

  

私が電話受けて実家着いてから10分ぐらいで父は逝った

まるで着くの待っててくれたみたいだ

昼間は自力でベッドから起き上がって座る位置直したり動いたりしてたって言ってから、今夜逝こうと決めたのかな?

それぐらい不思議な早さだった

 

末期がんの診断出て2年

思っていたよりも長く父は生きた

胃がん浸潤大腸切除

その後抗がん剤で髪が抜けてしまって、でも抗がん剤止めたら髪が生えて生命力すごいなーなんて言ってて

末期がんって判ってから仕事辞めて家にいる事になった父は家具作りやスマホ家事料理を始めた

引っ越したばかりの団地の部屋を得意の家具作りであちこち整え、スマホを学んでネット競馬したりLINEyoutube視聴やポケモンGOもしだした

炊き込みご飯を勧めたら気に入ったみたいで美味しいのを作る様になったし、カレーも作った

茶碗蒸しプリンも良く作って食べさせてくれた

庭いじりが好きな父は四季折々庭を整えられて少し楽しみを持ててたみたい

あとめだか飼いだしたけど上手く育てられなくてすぐ死んじゃうから悲しくなって飼うの止めたって聞いてちょっと辛かった

 

今回は自宅で看取れたので良かったと思う

心電図モニタは母の希望でつけなかった

祖父の時は病院心電図モニタありで音が結構辛くてイヤだなって思ってたから今回は無しでいくって聞いてたので良かったと思う

医者さんも看護師もいない自宅だから、逝こうとする父を皆で静かに見守れて良かったと思う

 

コロナで休業期間で家族全員が毎日じっくりゆっくり看取り期間があったから徐々に覚悟が出来た

 

ありがとうありがとう

って母がずっと言っていた

…お父さん

私もありがとうって思ってるよ

 

朝が来た

真っ白な光の風

暗かった闇が潮の満ち引きみたいに引いて朝が来た

父がいなくなってから初めての一日が始まる

しっかり務めるよ

 

 

火葬をしてきたので追記

 

日経ってから実家へ行った

一日後に見た父はダブルスーツ着せてもらえてて安置してもらってた

顔は一日前に見たままだった

胸には花束が載っていた

父が庭で育ててた花で作った花束

ピンクと白の綺麗な花で、ちょうど咲いたんだそうだ

手摘みの花束ってのがとても我が家らしいなと思った

 

もう一度、声をかける

訃報を送ったら、会社の人とか私の周囲の人達が私が父の面白話をちょこちょこしてたからか、話した事すら忘れてた父との小さなエピソードを覚えててくれて、それが嬉しいねーって話をしたり、孫が父に書いた手紙があったりしたのでそれを見せてもらった

 

出棺後はお別れの時間がないよと言うので、僅かだけど二人きりにしてもらった

線香をあげてから、頭を撫でる

暖かかった頭

髪の毛は一日前と同じ柔らかでふわふわだったけど、髪の毛の先、皮膚からはすでにドライアイスでかっちこちの冷え冷えの身体

わっちゃってて、最期に撫でた頭の温もりとのギャップ感がかなり激しかった

 

斎場

斎場は静かで少し薄暗く、涼しかったので落ち着いて過ごせた

 

先に行った私達から遅れて父と母が車で着いた

車はクラウン

ああ、トヨタなんだ

父はレンタカートヨタって決めてるぐらいトヨタ絶対の信頼を置いてたので、ちょっと笑ってしまった

(偶然なのか帰りに捕まえたタクシートヨタ製だった。どこまでトヨタ好きなんだ)

 

白っぽい棺が台車に載せて運ばれてきて、お花を入れてあげてと言われた

ここでも庭から摘んだ花を入れてあげられた

庭いじりが好きで実家も深い山の中の人から、あっちに行ってもきっと珍しい草木を見つけて育ててるだろうねなんて言いながら皆で父を花で埋めていく

注文してた花と育てた花で棺が埋まっていく

ダブルスーツパリッと着て綺麗な花に埋もれた父のその姿は、見ていても不思議と決して不幸な感じはしなかった

 

余談なんだけど、遠い昔、親戚の葬儀に参加した時、棺に釘を打つ作業があった

知らない親戚だったけどあれは二度とやりたくなかったから、この斎場ではそれがなくって良かったなと思った

 

粛々とやる事が進んで、やがて焼き場の扉前に棺が運ばれる

みんなで父にお礼を言った

ありがとう がんばったね ありがとう

泣きながら 泣き崩れない様に支え合いながら 涙そのままに 既に涙が枯れてたり

各々の別れ方だった

 

そして、横、縦と閉まっていく扉

金属製の重い境界の扉

かにかにしめやかに

その時は終わった

 

時間ぐらいして、燃え終えた父が出てきた

乾いた白いバラバラで粉々の崩れたただの物になった身体

それは死んだ珊瑚みたいで骨に見えなかったし、これが父だったんだとはちょっと思えなかった

物を骨壷に入れて、布巻いて、木箱を母が抱える

ようやく終わったなー。そんな感じ

 

真夏の様に暑かった昨日とはうって変わって、とても凉しい皐月らしい午後のお別れだった

 

三週間前ホスピス入院になったけど、何とか実家に戻ってきた父

そこからゆっくりゆっくりかに逝く様に準備をしてたそうだ

整えてなかった実家の不便な所のビフォーアフターを済ませ(DIY好きの父なのであちこち整えてった)、身の回りの物の整理や、搬出搬送やすい様に動線の整理も済ませ、亡くなる3日前、栄養のない点滴に自分意識で切り替えたとも聞いた

吐き気が酷かったんだって

 

二年半、末期がんの父を皆で思い思いに看病をし、逝くまでを皆で見られた事

祖父の時出来なかった事を全て出来たと思う

言い方悪いけど、母の時にまたやる事になるだろうから、その覚悟も出来たと思う

 

私もこんな風に逝けたらいいと思えた葬儀でした

 

コメントありがとうございました

モルヒネ意識が混濁してた父ですが、最期には目があって何度かアイコンタクトを交わせたのですが、その眼差しと動きには心残りや苦痛な感じは一切見受けられなかったので、悔い無かった様に感じられました

2020-05-03

時間は敵だ 時が経てば傷はいやされる せっかくつけてもらった 傷なのに

わたしはなぜこのブログを書いているのだろうか。もういまさらわたしが口出しすることでもない。それでも今日記念日ということに気づいてしまった。気づいてしまったのだからしょうがない。しょうがないことにしてほしい。

今日は、すこし特別な日なのだ。ほんのすこしだけれど。2年前までだったら、かなり特別な日だった。

うれしくて、ふわふわして、気持ちが浮いて、地に足もつかなくて、そんな日だった。だってあなたたちの誕生日からあなたたちが生まれた日だからあなたたちに名前がついた日だから

ジャニーズJr.という世界は、このブログを読んでいる人が思っている以上に厳しいし、わたしたちが思っている以上にシビアだ。ジャニーズJr.に、約束などない。

たとえば、次のコンサートが終わると同時にグループが消されることもあるし、昨日まであったグループが突然消滅していたなんてこともある。酷いときコンサート中に解散が発表される、なんてこともあった。正確に言えば「様々なグループから色々なジャニーズJr.選抜してのデビューを発表した」になる。解散が発表される、とは少し違うがまあ同じようなものだ。ジャニーズJr.とは、そういうものだ。

わたしはそれを去年の1月に知った。知識としてそういうことがあったことは知っていたし、実際に突然干されてそのまま全員で退所していった一部始終も見ていた。5人グループが6人グループになったところも見ていたし、名前が突然変わったところも見ていたが、まさか自分がその当事者になるなんて思っていなかった。わたしあの日、突然渦中の人物になった。大好きだったグループの、愛していたグループの突然のメンバー加入発表。増員発表。

ジャニーズJr.に「絶対」がないことは知っているつもりだった。覚悟もしていたつもりだった。でも、だけど、それは「つもり」でしかなかった。心のどこかで(そんなことが起こるのは人気のあるメンバーだけだし、デビュー路線にのったグループだけだ)と思っていた。はっきり言ってしまうと、わたし応援していたひとは人気というわけではなかった。アンチはいないけど、ファンも少ない。そんなひとだった。グループとしてもデビュー路線から少しずつ外れ、舞台班としての道が見えていた。わたしは当然そちらに進むものだと思っていたし、ファンとして最低なことを言うと舞台班になることを祈っていた。一年に一度大きなツアーがあるだけなんてわたしには耐えられなかった。毎月毎月会わないと、生で見ないと息ができなくなってしまうのではないか錯覚するほど毎月現場があったからだ。

あぁ、わたしはなんて馬鹿なんだろう。こんな記事を書くのだからと、久しぶりにあなたたちのプレイリストにしたのが間違いだった。想いのつまった曲が流れ始めてしまった。つらいなぁ。だいすきだったんだ。愛していたんだ。わたしがかけられるだけの時間お金もかけてきたつもりだった。それじゃ、不満だったのか。まぁ、当然か。生活がかかっているわけだし、いつまでもアルバイト」のようなジャニーズJr.という不安定立ち位置で満足なんかできないだろう。「正社員」に近いデビュー組を目指すのは当然だ。

だけどわたしわがままから考えてしまう。

あなたたちは、この曲をどんな気持ちで歌ってくれたの?歌詞自分たちの名前を入れて、ペンライトは誰のメンバーカラーでもない白にして、おたくが踊れるような振りにしてくれた。涙を浮かべて歌ってくれたあの景色は嘘だったの?

涙で滲む約束は、あなたたちで果たしてしかったのに。人数が変わってしまったら意味がなかったのに。もう少しなんて言わなくたって、ずっとそばにいるつもりだった。手を離したのはどちらなんだろうか。まあ、当然わたしなのだだってまだそばにいる人はたくさんいるのだからわたしがあの増員に耐えられなかったのはわたし責任なのだわたしが悪い。

気持ちが強すぎた」なんてそんなことは口が裂けても言わない。わたしが単純に聞き分けの悪いお子ちゃまだった、それが正解なのだから

ただ、わたし生活にはあまりにもあなたたちが入りこみすぎた。四季折々共に過ごしてしまたから、春にも夏にも秋にも冬にもどの季節にも思い出がある。いまだに聞けない音楽がある。行けない劇場がある。言えない言葉も聞きたくない言葉もたくさんある。

だけど、時間というもの残酷だ。出来事というものはその瞬間に記憶になる。記憶は思い出になり、思い出はいつか薄れてなくなっていく。そういうふうにできているのだ。なんて残酷なのだろうか。あなたたちと過ごした思い出も、苦しんだあの日々も、ぜんぶいつかは消えてしまう。たとえ今は結成日が忘れられていなかったとしても、だ。間違いなくいつかは消えてしまうだろう。

だけどなかったことにはしないでほしい。腫れ物を扱うように当時を振り返らなくなるのはやめてほしい。わたしの大切な日々であり、消したくない青春なのだ

わたしはあと何回、あなたたちを思い出して泣くのだろうか。

6という数字に縛られるのだろうか。

6人組のアイドルグループに羨望の眼差しを向けなければならないのだろうか。

どれも答えはわからない。わたしがどれだけ見ないようにしたとしても、わたしの周りにはあなたたちのファンがたくさんいるし、テレビだってたくさん出ている。

デビューとはこういうことだ。見たくなくても目に入ってしまう。聞こえてしまう。今まで、わたしがどれだけ好きだと叫んでいても見向きもしなかった友達が「かっこいい」「好き」と言っている。掌を返したように何人も何人もだ。あの日わたしに「かっこいい人だれもいないしJr.とかガチすぎてこわいよ」って引き気味に言ってきたあの子でさえそのうちの1人なのだ。興味も持たなかったくせに。

だけど、この「今」を彼らは望んだ。彼らは願った。わたしが願っていない未来を、彼らは願っていたし、わたしが嫌な今を、彼らは喜んでいる。そういうことだ。彼らの望むこれからは、わたしの望まないこれからだ。彼らに必要ないのはわたしのような人間だ。そんなこと1番わかっている。だからファンと名乗ることをやめた。無理矢理別の人を好きになった。

もし今、似たような状況の人がいたとしたら無理矢理別の人を好きになるのはおすすめしない。好きだったのに。大好きだったのに。そんな風に思いながら生活からそのひとを切り離したおたくの成れの果てがこのわたしだ。

春になれば春の思い出で泣き、

夏になれば夏の思い出で泣き、

秋になれば秋の思い出で泣き、

冬になれば冬の思い出で泣き、

記念日にはこんなブログを書き、

雪が降れば彼らに良い出来事があったかもしれないと思い、

そんな風に考えてしま自分に、簡単に泣いてしま自分に、こんな文章を綴ってしま自分うんざりする。わたしは、こんなわたしが嫌いだ。すごく、すごく嫌いだ。自分自分の首を絞め続けて、感傷に浸って、悲劇のヒロインぶっている、救いようのないほどの馬鹿阿呆自分が嫌で仕方ない。

だけど、たぶん簡単には変わらない。何年間も毎日あなたたちのことを考えて生きてきた。言葉では言い表せないほど、愛してきた。そんなに簡単わたしの中から消えてもらっては困る。かけてきた時間お金もそれなりな、わたしの大切な青春から

から、何年も何年もかけて悲劇のヒロインから一般人になれればいい。いつかあの日々を笑って話せたらいい。「好き」と決してかえってこない片思いに似たような日々に浸ればいい。この傷が時間によって癒されてしまうまでの期限付きだ。

わたしのなけなしのプライドグループ名もタレント名前も出さなかったけど、ここまで読んでくれた誰かが理解できるように書けているのだろうか。降りてまで迷惑かけたくないから出すつもりもないが。

2020-05-02

最後の心の拠り所だった「四季がある」さえ失ってしまった哀れで惨めな日本人

2020-04-29

anond:20200429093229

日本には優れた部品と素材と工作機械四季と飲める水道水があるぅぅのでぇえぇ~👍

竹ヤリでぇえぇムーンショットぉ~出来ますぅう~❤😘

2020-04-26

anond:20200425234846

ありがとうございます

雑草って面白い和名のものも多いので、名前の由来を調べるのも面白そうですね。

小さい頃はそのへんのノイチゴを口に入れてたのを思い出しました。

いつしか家でも職場でも人工物に囲まれ、道端の草に四季を感じるような生活となってしまいました。

2020-04-19

anond:20200419200719

ルピシア

烏龍茶だと四季春がオススメです。

ティーバッグもある。

烏龍茶っていうと普通ペットボトル茶色い奴を想像するけど、

これは発酵度が浅めで色は薄黄緑。とても綺麗。

香りは華やか、口当たりはまろやかで飲みやすい。

いつ飲んでもいい。

自分モヤモヤは既に言語化され尽くしている

インターネットやりだして最初に驚いたのがこれ。すごい!

一番好きなのが「でも日本には四季があるから

子供の頃から聞いてたけど改めて聞くとだからなんやねんて感じだよね。むしろ四季のせいで通年の気温の差が広くて暮らしにくいのでは。てか他国四季あるとこたくさんあるよ!

2020-04-17

BCG紫外線

日本には四季があって水道水が飲める

しかBCG摂取しているかコロナ重症化しない

嘘だったんじゃん

最初言い出した奴は反省しているのか

2020-04-13

anond:20200413115723

男が家庭でのコロナ対策に非協力的過ぎてコロナ離婚とか

女が潔癖症過ぎてコロナ離婚とか

いつも通りやりあっているようだが

それはそうと、こういうの好き

コロナが終わったら増田は、はてブ四季を愛でるとか温泉に行くとか趣味について語るとかそういう話題だけになる いいね

コロナで男女対立話題が消えてないか

もっと根源的なところから生じたどうしようもない争いだと思ってたんだが 毎日毎日毎日毎日やってたし

しょせん生命経済危機の前にはどうでも良くなるようなものだったってこと?「俺/私はクソマンコ/ジャップオスから輸血は受けん…!」とか言って死んでいくくらいの覚悟でやり合ってるものと思ってたんだけどな

ガッカリだよ

もう2度とやらないでくれ 

コロナが終わったら増田は、はてブ四季を愛でるとか温泉に行くとか趣味について語るとかそういう話題だけになる いいね

2020-04-08

ミッドサマー人生四季見立てて72歳が来たら自ら尊厳死する風習

実際にどこかにあるのかわからないが、よく出来てるなーと思った

終わりが決まっている分それまで全力で生きられるしトータルでの満足値は高そう

俺もそうしようかな

2020-04-06

コロナで会えなかった祖母通夜に行った

ビックリするほど眠れないしこんなどうでもいい話をする相手もいないからここに書こうと思う。

長く入院していた祖母は、終末医療を受けていた。1ヶ月前くらいから、病院自体が時節柄部外者立ち入り禁止となってしまった。仕事が忙しく年末に会いに行ったきりで、春先のまとまった休みが取れたところで会いに行こうとしていた僕は、もう外に出られない祖母が誰にも会えずにベッドに寝たきりなことを考えただけで泣きそうだった。

そしてついに亡くなってしまった。知らせを受けてもやっぱり病院には入れず、休憩時間にそっと泣いて、そのまま仕事を続けた。酷い、本当に酷い話だと、それでも何を憎んだら良いかからず、ただただ天を仰ぐと満開の桜が見えたりして、毎年桜が咲くと祖母のことを思い出すのかなと思うなどして。

共働きの両親に代わって中学卒業するまでの面倒を見てくれてたのは、同居していた祖母だった。祖父も一緒にいたけど、昔ながらの亭主関白な人で、お茶すら自分で入れない人だったから。将棋とかトランプとかでは遊んでくれたけど、食事風呂なんかは全部祖母がやってくれていた。

美味しいもの好きな人だった。おやつスナック菓子が出てくるのは稀で、今日は近所のお煎餅屋さんの甘辛煎餅よ、今日は遠出して〇〇屋の羊羹買ってきたわよ、旬の果物を剥いてあげようね、ラクアイスじゃなくてアイスクリームを食べなさいって。百貨店のお肉の包みもよく見たし、手巻き寿司をするときは食べきれないほどのネタを用意してくれた。だからといって毎日カロリー食ではなくて、良いものを美味しく食べさせてくれていた。

学校から帰るとちょうど、リビングテーブルテレビを見ながら夕飯の仕込みをしているのをよく見た。絹さやの筋を取ったり、茹でたとうもろこしの粒をほぐしたり、生栗の皮を剥いたり、里芋の皮を剥いたり。料理下手な両親に代わり、料理を教えてくれたのも祖母だった。

自然好きな人だった。何かにつけては花を見に一緒に遠出した。小さい頃だから花に興味なんか全然なくて、なにが楽しいのかさっぱり分からなかったけど、楽しそうにする祖母を見るのは好きだった。

四季を楽しむことを教えてくれたのは、紛れもなく祖母だった。

生前好んで食べていた食べ物と、たくさんの花に囲まれ眠る祖母は、やっぱり綺麗な顔をしていて、大好きな僕のばあちゃんは、もう2度とクシャクシャの笑顔は見せてくれなくて、言葉ももう、交わせなくて、分かってたはずなのに、分かっていたはずなのに、死ぬことがどういうことかって、教え方が、痛いよ、ばあちゃん

2020-04-05

anond:20200405124008

6月梅雨収束したよ!って世界に発信して、

日本には四季がある!来年梅雨で明けにオリンピックやるから大丈夫だよ!って安全宣言出して、

南半球は冬だって知らない脳足りんのJOC森元が開催強行して、

いずれみんな死ぬから対策しないとか言ってるブラジルあたりからコロナがいっぱいやってきて、

まだワクチン無いし集団免疫とか得られてないか2021年からまた第二期コロナ地獄がくるとかそういう感じの流れになって、

なぜかコロナを広めた中国非難を免れて、2021年秋の第二期パンデミックを起こした日本が強烈に批判され、

身体闘争を求め、

アーマード・コアの新作が発売される

2020-04-02

エモいという言葉

エモいという言葉を知ってから四季をそれとなく大事にするようになった気がする

俺は夜型だから、夏にあの言葉を知った日から大三角形を気にするようになった

秋には枯れていく木も愛おしく感じた

冬は寒さで澄んだ空気と白い吐息を好きになれたし

この春には一瞬でいなくなる桜の儚さを儚いなりにじっくり観察できた

オリオン座が見えなくなっていくことを感じたのも"エモい"のおかげかもしれない

映画を沢山観たこ春休みもそう

レトロ喫茶店を見つけては足を運んだのもそう

どうか、"エモい"を思考停止の語彙として受け止めないでほしい

"をかし"という言葉を作った日本人末裔が生み出した言葉から

大切に思いながら、ライトに捉えて、使ってほしい

追記

たくさん反応いただいてとても嬉しいです

いろんな人がいるなあと感じています

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