はてなキーワード: 聖闘士星矢とは
マリオの映画の評論家と観客の評価が乖離してるのはポリコレの強行のせいだ普通の人はポリコレうんざりなんだ増田もそうなんだが、そもそも映画やその他のエンタメ作品の鑑賞自体が出来ているのか?という疑問が湧くのだ。
https://anond.hatelabo.jp/20230504221408
この映画は反ポリコレだ!だからヒットしたんだ!ポリコレが無いから評論家の評点が低いんだ!っていう意見が一か月くらい前からネットで湧きあがってるんだが、それに対して全然そうじゃねぇってツッコミ多数という状態になっている。
そんな状態で「オタクは女とポリコレに攻撃されている」という投稿をすると無条件で持ち上げられるはてなにそのままの認識をぶっこんだら賛同されると考えたんだろう。そしてその通りになっている。
だがこのオタクの反ポリコレブームというのはかなり変なのだ。「ポリコレ的なものを無理くりに見つけ出して批判する」というゲームになっているのだ。
そしてポリコレ要素が「見つかった」ものは棄損されスポイルされたものであるからつまらない、と結論される。インフルエンサーの雑な扇動と飯のタネになってるのではないか?
例えば、聖闘士星矢のネトフリ新作ではアンドロメダ瞬が女になると伝えられて、それがポリコレだ!と糾弾されるわけだ。
でも原作でもアンドロメダ瞬は中性的ななりで、何故か股間に防具が無くてレオタードみたいなのむき出し、なのに股間もっこりがない。
なので二次創作やおいジャンルでは瞬は女役というかもっとはっきり言うとメス役で他の男に犯される役が専らだった。
因みにやおい腐女子と呼ばれるジャンルは70年代末に遡るが、それが大きくなって市場化する起爆剤になったのが80年代の聖闘士星矢の二次創作だった(あとキャプテン翼)。
これって非常に反ポリコレでしょ。
そして四半世紀経ってリメイクするに当たり、公式の方が腐女子に合わせてきた訳だ。これがポリコレかっ!?逆だろう。
だからこういう大してオタクでもない増田も知っている文脈を知らないからポリコレという「真理」が見えちゃうというケースである。
それから鑑賞が出来ていない疑惑だが、数年前に100日後に死ぬワニってマンガがあったのはご存じかと思う。
変な広告屋に抱かれたせいで101日後にコンテンツとして爆死してしまった訳だが、この4コマ漫画の最終回は凝ったもので、ワニの死が直接描写されず、雑誌なら見開き(WEBなので大判だが)に桜が散るというコマで死が暗喩されていた。
だが、作者のTwitterには「僕の解釈」を開陳するレスが殺到したのだ。「このバイクに乗っているのは誰々で、そのキャラが死んじゃった」等という様々な「解釈」が殺到した。
つまりはあれだけ簡単な暗喩表現が分からない人は結構いるという事と、そういう人にとってはネットで見る物知り達の「自分流の穿った解釈」は単純理解と同レベルであり、単純理解が不能だった時は僕の解釈をしてもいいと思われているという事だ。
これはゲームのリプレイ動画に付くコメントでも同じで、洋ゲーのちょっと洒落た表現では必ず「僕の解釈」のコメントが付いている。
そういう人がネットの反ポリコレ言説に触れて、ちょっと難しい表現に当たった時、それは「ポリコレのせい」に見えるのではないか?
元増田の場合は「映画評論」というものを知らないのでは?という疑念が湧く。映画評論家は「これはポリコレ的に×、これはLGBTが出るから加点」という風にやる連中だと思ってないか?
一般的に人気はあるけど評論家の点数は低いという時、多いのは「全体的に面白いけど平板だから」というケースが多い。「大人も子供も楽しめますね」ってやつだ。
例を挙げよう。
同じ3Dアニメで「カーズ」ってアニメがある。車を擬人化した映画だ。
この中で古い車キャラが主人公の若い車にドリフトを教えるシーンがある。嘗ての街道レーサーみたいなジジイ車なんだな。
そしてレース中にスピンした主人公車がそのまま逆ハン切って大ドリフトに移行するというシーンがある。その時、実況解説してるジジイ車はたまらずに身を乗り出す。
こういう「刺さる」シーン「光るシーン」を平板な子供アニメに入れ込むと評論家の評価は上がるのだ。
更に今ではこの刺さるシーンのせいでネットでミーム化していつまでも残り、続編への呼び水になったりもする。
この評価の乖離が起きたのってロッテントマトとかだろう?新聞のキッズ欄の「お勧め度」じゃないんだろう?新聞キッズ欄の「お勧め度」なら平板でポリコレで安全な方が点数は高くなるがそれ以外なら逆だ。
これ書いてる増田の好きな映画ジャンルというのは虐殺、暴力、理不尽、同性愛、フェチといったもので、あんまりポリコレが力持ちすぎると困る。
映画『パフューム』のAmazonレビューに「無実の人が死刑になっていやな気分になった」とコメントされているのを見て笑ってしまった。同映画では連続殺人を犯した主人公が香水の魔力によって大衆を魅了し、死刑を免れる。司法は法的辻褄の為に代わりに世話人の家の一人を犯人にでっち上げ、処刑して主人公は放免めでたしめでたしとなるのだ。この理不尽は当然観客を反徳でいやな気持にする為に入れられている。
けれどネットのオタクが論う「ポリコレの浸食」は見るからにトンチンカンなのだ。一般的な鑑賞、読解と評論が出来ずに飛びついているというケースばかりなのだ。
いや聖闘士星矢の映画見てもないから勝手なことはあまり書けないんだけどね。
でも聖衣のデザインとかさ、もっともっともっともっと原作リスペクトして欲しいよね。
いやもちろん車田大先生がそういう原作寄りの聖衣のデザインに対して逆にダメ出しをしたというエピソードは読んだ。
いやそうじゃねええんだ!俺たちがみたいのはあのとき、あの感動を与えてくれた、あの聖闘士星矢を今に蘇らすことなんだよ!!!先生!!!わかってくれ!!!
ちゅうくらいの勢いがほしいんだよな。
くらいの熱量で作ったほうが逆に原作知らない奴らにもアピールする部分があるんじゃねえかなあ、とか思う。
AEDの問題は結局ここからスタートしているんじゃないだろうか?
心臓のすぐ真上にある脂肪と筋肉のアマルガムに対し、脂肪の割合が高ければそこにはエロスが宿るとして規制され、筋肉の割合が高いのならば乳首に平気で電気パッドが貼り付けられる。
何故こんな違いが起きるのか。
たとえば心臓が膀胱の辺りについていて、電気パッドを女であれば尻とヴァギナに貼り付け、男であれば片方はチンコに貼るのであれば、男女ともに異性に張ること貼られることに拒否反応を示すのは納得だ。
俺だって金玉を蹴られる痛みを知らない奴が電気パッドを金玉に当てようとしているのを幽体離脱中に見つけたら、意識が戻ったらコイツを通報するべきかどうかを悩みながら生死の境を漂うことだろう。
結局のところ、胸部の扱いに由来する非対称性こそが問題なのだ。
女が男のムキムキな胸に興奮するという話は確かに聞くのに、何故男の乳首はR-12でさえないのだろうか。
男は貧乳にも興奮するが、女はペラペラ胸板に興奮しないという詭弁はやめて欲しい。
俺がその昔間違って読んだキャプテン翼や聖闘士星矢の漫画では、決して逞しいと言えない胸の上に生えた乳首がつねられているシーンがあったのだから。
いまや男女ともに水泳水着はワンピースタイプとなりつつあるし、ゆくゆくは誰もがイアン・ソープみたいなピチピチタイツで泳ぐ時代が来ると言われている。
普段は「子供を大切にしましょう」「先進国じゃ当たり前! ヘルジャップ!!」みてーな言説をフツーに支持してるくせに、
いざ女がガキ死なす事件が起こると急にガキ放り出して、女の方をヨシヨシしたがる
こういうの傍から見てると本当に笑えるんだよなあ
必死こいて弱者認定もらったと思ったら、今度は他の弱者とマイノリティ最強の座を争わなきゃいけないとか
聖闘士星矢じゃねえんだぞって
でも今更こうやって醜態晒すぐらいなら「子供の声は騒音じゃありませええええん!」ってイキる連中が出てきた時に、ちゃんと声上げときゃよかったのに
弱者属性のない奴はとっくの昔に問答無用で黙らされてきたんだから、なろうの追放系主人公も「何を今更」ってビックリだわ
トランス問題にしてもそうで、不安なお気持ちはわかるし、変な奴は丸ごと雑に排除したい気持ちもよくわかる
ただ、そんならあのリベラル共とはよ決別せえよって話なんだけど、それもしない
社会正義には守ってほしいけど、正義のために自分が何かしようって気が全然ないの
人類の半分がこうやって自分の利害が絡んだ途端に転職の嫁ブロックみたいに妨害してくるなら、そりゃ高邁な理想も簡単に実現するわけないよね
もしかしてさあ
ジョジョはそこまで人気じゃなかったのではという話だが
スマホどころかインターネット以前の雑誌全盛の時代に毎週800万部超えだったジャンプの連載作品だったという感覚は、
コンビニの雑誌棚で争奪戦があり、クラスで回し読みされ、駅前では拾った雑誌を100円で売る人たちがいた時代、
トップ人気は幽遊白書やスラムダンク、聖闘士星矢だったが、それ目当てだろうと雑誌を手に入れれば半自動的にジョジョは目に入る
現代だとたとえジャンププラスが人気でも、結局はアプリなので読まないマンガは全く読まないが
特にマンガ雑誌だと文字の記事ならすぐ次に飛ばすけど絵なら何となく面白そうなとこはチラ読みする
というか、ジョジョは当時はそこまで人気がなかったと指摘するのなら、ドラゴンボールだって中堅どころではあってもトップ人気ではなかった
ドラゴンボールがジャンプの看板になったのは他の看板作品が連載終了して「次」が求められたとき(やおい女子がベジータに目をつけたあたり)からであって、
ジョジョとドラゴンボールの差は掲載順位でいえば5,6番差ぐらいなもの
知名度、内容を知っている度でいうと、サンデーやマガジンの二番手、三番手あたりの作品とジョジョが同列ぐらいの扱い、チャンピオンの看板作品より圧倒的上
漫画週刊誌全盛期を単行本の売れ行きだけで語るのはちょっと変ではと思ったので
おっさんが、
坊さんに「この仏教徒め!」っていってるようなもん。
まあ、なんでわざわざそんなこと言うの?ってなるのである意味怖い。
凶悪な獅子座連中と、無垢で被害者な蟹座の対比を強調するためです。
話のまくらやで……。
ただのフレーバーテキストやで……。
問題文はちゃんとわかりやすく書いてあるやろ、おもしろ星座選手権じゃ。
国語の読解テストだって、テーマわからんからって諦めたりせずに、問題に関するところだけ拾うだろ。
頑張れ。
精神が成長しない
なんか見抜いたったみたいな書き方してるが、別に隠してないかんな!
元々、そういうロールで遊べってオーダーで、
君と君にスターつけた人以外はみんな、
分かってて乗っかってくれてるだけだぞ!
気をつけろよ!
『聖闘士星矢』のなかでも特に人気が高かったのが、黄道十二宮の星座に守護された黄金聖闘士(ゴールドセイント)たちが登場する「十二宮編」です。
神秘的な牡羊座のムウ、堂々たる牡牛座のアルデバラン、勇ましき獅子座のアイオリア……。
星座カーストのなかでも最も不遇だったのは蟹座でした。十二宮のうち、巨蟹宮を守る蟹座のデスマスクだけが黄金聖闘士らしからぬ、卑劣でかっこ悪いキャラクターだったからです。
ある時、同僚が退職した。今から約五年前に一緒に地元の市役所に入った同期だった。タイトルのとおり、調子に乗っている系の若者だった。同期といっても、当方は中途採用なので年は結構離れてる。
その辞めた彼、ヤツと表記することにしようか。どうしてこれを書くかといえば、退職の過程に感じるものがあったからだ。官公庁も民間企業もそうだと思うが、人事異動によって婉曲的にその人のランクを示すわけだろう。でも、その中には、勘違いをするような人事もあると思うのだ。そういうことについて書いていく。
ヤツは、新卒での入庁だった。最初は社会教育の分野で働いていたはずだ。一般的な名称だと、社会教育課といったところか。体育振興とか、公民館の行事とか、どちらかというと大人を対象にした教育活動だ。
ヤツの環境は恵まれていた。俺は最初から本庁の財政課で、銀行出身ということで地方交付税の算定基礎となる数字を固める仕事をしていた。はっきりいって激務だった。先輩が優しいのと、周りに人格者が多いのが救いだった。
ヤツの環境は、はるかに恵まれていた。仕事が楽だったのだ。臨時職員がやる庶務みたいな仕事が大半で、社会教育の仕事もメインでひとつも持っていなかった。つまり、まだ若いという理由で、初心者モードでのキャリアスタートとなったわけだ(祖父や曾祖父が町内会長だったのも大きい)。
仕事が退屈だったからかは不明だが、ヤツは同期会や若手職員の飲み会では調子に乗っていた。「あのイベントは俺も一枚噛んでる」みたいなことを吹聴していた。みんなそのことをわかっていてスルーしていた記憶がある。
中身のない若者だった。リクルート(特にジョブズ)や、サイバーエージェントやGMOとかと交流経験がある人ならわかるかもしれない。実績ゼロにおいてすら、自らの成果を誇張する理解不能レベルの人間がいるだろう。あんな感じだった。
話は逸れたが、入庁一年目から楽な環境であること――それが正しいことかはわからない。だが数年後、ヤツの環境は変わった。組織の再編により社会教育課は厳しい環境に置かれた。
残念ながら、ヤツには実力が身に付いていなかった。その根拠は噂話が0.5、ヤツの姿を実際に見てが0.5、合わせて一本というところだ。
ストレスに耐えられない行動を取っていた。あなたの職場にもいるのではないか。仕事とか家庭とか、なんでもいいけれども、ストレスが多くなって精神的に潰れている人間の姿だ。ヤツは、元々コミュニケーション能力に難があり、いわゆる話がわからないタイプの人間で相当難義をしていた。
・キレやすい
こんな行動だ。特に、その年度末時点では、まるで50代のごとく自分が思ったことを脊髄反射で口に出すようになっており、声をかけるのも憚られるほど救いようがなかった。
職場仲間から非人格的な行動を咎められるのはまだいい方で、はっきりいって見捨てられていた。個人的には視界に入れたくなかった。
次の年度、ヤツは別の部署に異動になった。おそらく配慮があったのだろう。今度は、多くの人が想像するタイプの市役所の仕事だった。社会教育課よりは楽になるだろうと思ったし、実際にそうだった。わかるのだ。自分とヤツとは、その時期は同じ階で働いていたから。
だが、調子に乗った態度は変わらずだった。前の職場である社会教育課の後輩に対して架電していたのだが、市民も見ているであろうに大声で叱責をしていた。私の席からヤツの上司の顔を遠目で眺めると、苦虫を嚙み潰したような顔をしていた。ほかの職員もそうだ。
が、その年度の終わりだった。ヤツにある意味での最後通告が下った。総務省に出向するように命じられたのだ。
多くの増田民やブクマカには意味がわからないと思われるので説明する。まず、民間と同じく地方公務員にも他組織への出向がある。一定の水準に達している者が出向するが、例外もある。表で説明するほどのものでもない。記号を使って出向先のランク付けについて逗子する。
○出向先ランクの一覧
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(将来を嘱望される職員の出向先)
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(上に準ずる職員その他の出向先)
概ね1〜2年の間、出向先で働くことになる。長くても3年だ。最悪だと4年以上。このうち(上に準ずる職員その他の出向先)については、言いにくい事情が何点かある。
まず、市区町村→国や県への出向については2パターンある。①規模の大きい仕事を進めるために出向が必然となるもの(今だと広島G7サミットの事務局。数年前だとオリンピック)と、②出向が昔からの慣例になっているパターンだ。特に②の場合、国の方から「事業推進のため○人の職員を出向させてください。お願いします」(※要約。実際は崇高な理念という名の大言壮語が書いてある)といった通知が各自治体に届いて、そのお願いを聞く恰好で、地方自治体は中央省庁(+地方事務所)に人員を派遣する。
ヤツは総務省への出向だった。その際、ヤツは相当喜んだ様子だった。LINEで何度も同期グループにメッセージを入れていたし、出向者の送別蟹に参加した際などは(※私もその年に県に出向した)、それはもう大喜びの様子だった。出世コース万歳、みたいな調子だった。
中央省庁には大変申し訳ないのだが、うちの自治体では、はっきりいって辞めてほしい職員、別にいなくなってもいい職員のうち、比較的学歴のある若手を(上に準ずる職員その他の出向先)に送るという慣習がある。※国としては、官僚と同程度の学歴のある人間がいいらしい。
辞めてほしくない職員を国に送らねばならない場合は、1年や、半年ずつに分けて2人など、各個人が負担にならない形で送り出す。
蛇足になるが、未婚の女性職員は送り出さない。断じて出向させないらしい。噂話のレベルだが、中央省庁への出向中に都内で結婚相手を見つけ、出向が終わって夏のボーナスをもらった直後に退職して東京に戻った人が過去にいたようだ。
さて、ヤツは総務省に何年いたと思う? ……正解は言えない。特定のおそれがあるからだ。二年以上とは言っておこう。○年半が経った頃、うちの市から「四年目もお願いする」という連絡をもらった後、ヤツは辞めた。その後、どこに行ったかはわからない。消息不明だ。ラインの同期グループでは、「ずっと毎月残業60時間以上。もうダメだ」といった内容が続いていた。
組織としては、ヤツは辞めてほしい人材だった。ヤツは何度も調子に乗った行動を取ったし、他の職員や上司のひんしゅくを買ったし、市民や団体に迷惑をかけている。ヤツ以外にも、辞めてほしい人間として国に送り出したと思われる若手職員はけっこういる。
だが、実際かわいそうだとは思わないか。国の出向制度を利用して辞めてほしい人間を送り出すなど、制度の趣旨を理解していないのではないか? むごい。
出向先の中央省庁のうち、(将来を嘱望される職員の出向先)と(上に準ずる職員その他の出向先)の区別だが、前者の官庁の場合は、出向者に企画や調整の仕事をさせてもらえることがあるらしい。または、特殊な技能の習得など。公務員として一生使える力だ。
対して後者の場合、出向者は『無料で使える臨時職員』(※出向者の給料は自治体負担)であり、仕事内容も裁量ゼロの大量ルーチンをこなすことになるそうだ。職場の上長は地方からの出向者を指揮することはなく、彼らの差配をするのは20代の若手官僚になるという。なんというか、完全に国の仕事を遂行するための材料として使われている感がある。
なお、この日記にはフェイクはあまり入れていない。リアル感を出すためだ。身バレなどのリスクは私がすべて負うことにする。どうしても書いてみたかった。
あれから月日が経った。ヤツは元気でやっているだろうか。思えば、20代半ばの若者というのは、調子に乗りたがるのがむしろ正常なのかもしれない。
当時の私は、ああいう連中について、聖闘士星矢に出てくるおとめ座(ヴァルゴ)のシャカみたいに思っていた。
「若手職員のガキたちよ。今から引導を渡してやる。おとなしく餓鬼界へ落ちたまえ!オーーーーム!天魔降伏!」くらいにしか思ってなかったが、今ではしみじみと思い返すことがある。