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はてなキーワード: いじめとは

2018-12-13

anond:20181213140933

頭のよい女子高行けばいいじゃん

他人いじめたところでメリットいか

いじめほぼないよ

教師と付き合うってのもなかった

そのかわり勉強抜け駆けはあるが

そこは共学も同じ

女だけだから生理今日お腹痛い!とか言えるし

ナプキン借りたりできて楽だったなー

anond:20181213133249

第701回東京都青少年健全育成審議会 会議資料

BLコミック「看守は2度も3度も×××される。」について。

合わせ技で考慮されるんだよーん。

2018-12-12

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181212-00000006-khks-soci

劣等感云々には?だが、卒業式小学生が袴を本当に着たがっているのかが問題だ。親同士のいらぬ見栄の張り合いになっているのでは?

これがブコメ上位な辺り、はてな民知識のなさと小学生女子への幻想が伺える。ロリコンか。

小学生女子服装なんか気にせず親に与えられたものを何の疑問も持たずに着る純粋無垢な生き物だけど

母親は見栄を張りたがる醜い生き物、って思ってるのかな。

実際は小6にもなれば下手な大人以上にお洒落に気を遣うし、友達と同じでいたがる傾向も強いか友達袴着ると言えば私も着たい!となるのは当然。

そこで袴を着せられなければ周りの子からダサい貧乏人と馬鹿にされて中学(同じメンバーだろ)でいじめに遭う可能性もある、とならば

そりゃ親も無理してでも着せるだろ。

そういう想像力ないんかね。

それを辞めさせたいなら、トップダウン禁止にするしかないよ。

anond:20181212205203

いや、いじめられても痴漢されてもがんばって乗り越えよう!ってヤバいメンタルだよ

助けを求めることと自分を許すことを学びなさい

アル中の望み

私はばかな女だ

辛いことがあっても、うまく言葉に出して上手に伝えられない

私への距離が近い人は苦手 なんかうまく応対できなくてぼんやりしてたら、さっさと他のグループ?とかに行ってしまって違う団体の人かと思い知らされるから

家の中でいじめられても、何もしてないのに先生に腕を力いっぱい掴まれてつねられて泣かされたり、痴漢に襲われたり、大人に嫌味言われたり、たくさん嫌なことあったけど、乗り越えてるひとはちゃんといる

いいことを心の糧として大事にできない私が嫌い

悲しみをずっと持ち出してて、幸せになりたいのに、そんなことに囚われてる私が嫌い

酒量増えて仕方がない

辛いことを整理する力は何からすべきか誰にも相談でにずにいる

少しのきっかけとかエピソードとかでもなんでもいいので、教えていただけたら幸いです。

anond:20181212194552

恋愛至上主義バブル崩壊後長引く不況とともに消えていってると思うけどね

聞く方もバブルの頃みたいな見下しじゃなくて単に興味心で聞いてる人が増えてると思うよ

まぁそれをいじめだと受け止めるなら気の毒にとは思うけど

anond:20181212194552

"彼氏いる?って聞かれる=いじめ"

はさすがに話をすり替えすぎじゃない??

anond:20181212194241

いじめられている人間はいじめてくれる相手すらいない人生よりマシという発想

ぼくは希望が持てない

本やテレビ世界では、今日希望戦士絶望と戦っている。

希望絶望を打ち倒し、世界平和が訪れる。

よくある話だ。

人々は希望に惹かれ、絶望嫌悪する。

それがこの世界セオリーだ。

数々の希望の話を見ながら、ぼくは輝かしいと思うと同時に、いつも少しだけ、

ほんの少しだけ恐怖していた。

ぼくは希望が持てない

ぼくはごく一般的な、平和家族の元に生まれた。

優しい父と母に守られ、愛されてきた。

絵に描いたような幸せ家族だ。

ぼくは父と母が好きであるし、家族になんの不満もなかった。

友達にも恵まれていた。

幼少期は少しいじめられたりもしたものの、人との関わり方を覚え、そのいじめっ子とも仲良くなれたほどだった。

というのも、ぼくがいじめられたと思っていたことも、その子に言わせてみればじゃれ合いの範疇だったことがのちにわかたからだ。

ぼくの世界は、平和だった。

平和すぎるほどに平和だった。

そんな幸せ世界にいながら、ぼくはどうしてもフィクション世界の彼らのように、希望を持って生きることができなかった。

3日に一度、末期ガン余命宣告を受けたらと考える。

一週間に一度、隕石地球が滅んだらと考える。

そんな時、いつもぼくの心に表れるのは

羨望の念だった。

もしぼくが末期ガンになって、残り半年の命だったら?

きっと延命治療なんてしない。

できるだけ少ない苦痛の中で、放置していたゲームをやり切り、行きたい観光スポットに赴き、美味しいご飯を食べて、半年後に満足して死ぬ

不謹慎だが、こんなに幸せなことはないと思う。

もし、明日隕石地球が滅ぶなら?

皆が家族の元で最期ときを過ごそうとして、人がいなくなった渋谷スクランブル交差点に、堂々と大量のチョークを携えて立ち、地球最後落書きをしよう。

描き終わったら、地面に描いたでっかい落書き中央に寝転んで、そこから落ちてくる隕石を眺めながら昼寝でもしよう。

きっと最高に楽しい眠りにつけるだろう。

「終わり」について考えたときのぼくの中にあるのはいだって喜びだ。

きっとなんの脈絡もなく交通事故で死んだところで、明日の部屋の掃除をしなくても良くなることを喜ぶ自分がいるのだ。

明日が来ないこと、それこそが僕の救いだ。

だらだらと毎日が続いてしまったら、きっと放置していたゲームをやり切ることなく、行きたい観光スポットにも一生行かず、独り暮らし節約だけを考えた特に美味しくもないご飯を食べる生活が続く。

人の迷惑を一番に考え、スクランブル交差点で地面に落書きなんて絶対にできない。

「終わり」を考えると恐ろしいと、友人は言った。

隕石で、地震で、地球温暖化で、何かしらの大きな力で、無慈悲に人の今までの営みが消されていくのが恐ろしいと。

話を聞きながら、そうだねと相槌を打ちながら、人の営みが消されることに恐怖を覚えると言うことを、どうしても理解できずにいた。

人間は高度な文明を持ちすぎたせいで、自分地球上に生まれ動物ひとつだということを忘れがちである

動物」と「人」を分け、動物無意識に見下し下等生物だと思っている節がある。しかし、人間はただの動物に過ぎないと、神《ここでは生物支配できない天候、運命等を言う》になることはできないのだと、ぼくは常々思う。

しろ動物を超えてしまった何かになっていたのだとしたら、ぼくは僕の心臓が動いていることすら恐ろしく感じる。

たくさんの動物がこれまで絶滅してきた。隕石で、地震で、地球温暖化で。

人間がそれらの神の力によって死に絶えることが出来るなら、ぼくは人間が地上に存在して良い生き物であったと、やっと安心することができるだろう。

ぼくは、いずれ人間が滅ぶことを、心の底から望んでいる。

ぼくはきっと、希望戦士から見たら倒すべき思想を持っている人間だろう。

きっと倒されて光の力に圧倒され、希望を持てるようにされるのだろう。

でも僕は、希望を持つことが何よりも恐ろしいのだ。

希望を持った人が、その希望が続くと信じて、その希望が失われた時、その先にあるのは深い悲しみと絶望だろう。

でも、希望に触れた人が、いずれこの希望は消えると思っていたら、いざ本当に消えてしまったとき、たしかに悲しいけれど、心の準備ができていた分苦しまずに済む。

後ろ向きなことを言っていることは百も承知だ。

でも、これはぼくなりの心の防衛なのだ。期待せず、希望を持たず、諦める。

もちろん100%後ろ向きな訳ではないが、心のどこかで諦観を持っておく。

希望を持つということは体が浮いてしまうような漠然とした恐ろしさを感じる。

諦観を持っておくことで心に重石ができて、地に足を付けることができる。

「死」は、「終わり」は、僕にとってはエンドではなくフィニッシュだ。

終わりではなく完成なのだ

どうせならヨボヨボの状態でなく、現在の最高点でフィニッシュさせてしまいたい。

忘れじの 行く末までは 難ければ

今日を限りの 命ともがな

(「忘れない」と言ったあなた言葉最後まで変わらないのは難しいだろうから、私はその言葉を聞けた今日死んでしまいたい)

この和歌を歌ったのは儀同三司母という人であり、この歌は恋のうたであるが、ぼくはこの人の気持ちがよくわかる。

きっとこの人も、この幸福状態のまま自分人生を完成させてしまいたいと思ったのだろう。

希望を持つことは素晴らしい。それは同感だ。

ぼくも希望に憧れるし希望に向かって進む姿はかっこいいと思う。

しかし、ぼくがそれをやれと言われたら、きっと迷子の子ものように前に進むことができず立ち尽くしてしまうに違いない。

フィクション世界の悪役のように、人々を絶望に染めてやろうとは思わない。

でも、ぼくにとってぼくのネガティブ思考は、長年連れ添った相棒であり、ぼくの心を守ってくれた騎士でもある。

ぼくはきっと一生こいつを手放すことができない。

希望戦士にも悪役にもなれず、少しだけ希望に恐怖しながら、一般人として生きていくのだろう。

小学校全部オンラインにしたらええやん。

いじめ不登校学力差も一気に解決すんで

教員も精鋭100人ぐらいで済むし

体育他は個々でやればええやろ

校舎に欠陥があろうが修繕もクーラーもいらんし

登下校中の事故事件もなくなる

いっぺん終わった授業も何回も見れるから勉強の遅れもなくなるし

採点も一瞬で済む

受験もなくなるから全員ええ教育格安で得られて学力底上げ

こんなん後進国が思いついて実行したら導入をもたついてる日本速攻で負けるやろ

anond:20181212170548

AV女優って理由外野が行動を制限しようとするのは問題だけど、

批判が本人じゃなく子供自身に行くことと、その場に居合わせ反論できる時期なんか限られてることは完全に忘れてるよな。

まあ元AV男優が作ったガキもいじめられてるんだろうけど…

昔は障碍者と見なされなかった人たちが保護されるようになった時代

ツイッターからまれた「見慣れぬマーク」の正体は? 少年への心ない言葉に…社長が立ち上がる

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181210-00000001-withnews-soci

 

音響障害と呼ばれるものがある。

簡単に言うと大きな音が苦手な問題総称だ。

キモいオッサンである私の場合、遠い昔の家族虐待が元で怒鳴り声や叫び声(子供の泣き声)などに反応して発作が引き起こされる。

この障害中小高校大学にいたっても常に付きまとい、周囲からいじめられるほか変わり者扱いも多かった。

無論、こんな概念など無かった時代だ。私を理解してくれた人は一人足りともいなかった。

家族すら敵だった。今は人間全てが敵だ。

 

昨今自閉症アスペルガーなどの先天性疾患のほか、lgbtなどの権利が幅広く主張され保護されるようになった。

対象者子供のうちから手厚く保護されるよう叫ばれその推進が進んでいる。

そう遠くない将来には意識改革もほぼ終わり、彼らが完全に保護される時代がやってくるだろう。

 

だが、過去に行われた事象についてはそうもいかない。

私も守られたいし保護されたかった。私を救ってくれる光がほしかった

でも全ては過ぎ去ってしまった過去のこと、そんなものはもう存在しない。

無論、そういった障害を受けた人々の救済が叫ばれて久しいのは事実だ。

だが彼らが守ろうとしているのは子供若者女性、「キモいオッサン」分類は保護対象ではないのである

しろ彼らは私を敵と見なすだろう。事実、みなした。

 

長々と書いたが一言でまとめます

「なぜお前らだけが救ってもらえる?なぜ私は救ってもらえない?同じだろう?同じだったはずだろう?」

 

お読み頂きありがとうございました。

2018-12-11

自虐とブスとお前

「ちょうどいいブス」なんていうのが炎上している。Twitter検索すれば色々わかるのでだいぶはしょるが、どうやら「自虐なんてしなくていい。へりくだる必要は無い。あなたはすてきだ」なんて言葉があふれているようだ。なんかフェミニズムとも絡んでいるらしい。ようわからん

そう、これから続く文章はなにもかもよくわかっていないブスが書いたものである。怒らないで欲しい。怒られるのも褒められるのも苦手だ。作文もあまりとくいじゃないし。

わたしはブスである

ちょうどいいなどというものではない。はっきりとブスだし、おまけに太っている。マジで人権がない。

子供の頃からこうだったので、よくない思い出も沢山ある。けれどいじめられはしなかった。あぶれることも無かった。それはひとえに、自虐技術のおかげだと思う。

自虐にも種類がある。笑えない自虐はだめだ。他人が聞いても笑えるほどゆるく、なおかつ、その自尊心をうまくくすぐるものでないとならない。人間基本的に、自分より弱いものには優しくできるようになっている。女子特にそうだと思う。「こいつはデブでブスで頭が悪くてろくでもないやつなんだな」と思ってくれればとてもいい。そうすればすくなくとも孤立する心配はなくなる。精神ゆっくりと摩耗する時間と引き換えに、普通地位を手に入れられる。

と、思っていたところに、最近の「自虐をするな」という風潮だ。

正直いい流れだと思う。私はデブでブスで頭が悪くてそれを直そうと努力をしない、本来ならば共同体に悪しかもたらさな存在なので、いじられ役とか自虐とか、 そういうのを税金を納めるつもりでやっている。だからといって、他の人にそれを強制する気はないし、その権利もない。やらない方がいいと思うし。

でも、「自虐しなくていい、あなたは素敵だから」と自分に言われると、戸惑ってしまう。

やめるとかやめないとかそういう問題じゃないのだ。身に染み込んだ処世術を、今更洗い流せといわれても困る。っていうかかわいくて努力してる女の子にそれ言うのは超わかる、でも私がそのスタンスでいっても滑稽なだけだ。

そりゃあ私だって大手を振ってランウェイを歩けるような、自信のある人間になりたかった。顔の美醜はどうあれ、裏打ちある自信が溢れる人間は目を惹く。だが私は違うのだ。気づいた時には周りが怖くて、お前は劣っているのだと明に暗に言われているようで、恐ろしくて、自虐することにしか活路を見いだせなかった。

全部周りのせいだと言うつもりはない。劣っている私が悪い。でも、「ちょうどいいブス」に石を投げている人に言いたいことがある。

お前は劣っている人を見て安心したことはないか

自虐やお道化調子を合わせてそいつらを馬鹿したことは少しもないのか。

ない人だけが引き続きあれに石を投げろ。本を出したりドラマ化したり、そうして人に強制することはダメだけれど、アレは元を辿れば山崎氏なりの自己防衛で、生存戦略だったのだ。お前らがそうさせたんじゃないのかよ。ブスは馬鹿にされて当たり前だしデブには人権ないって空気にしたのはお前らだよ。なあ。いまさら人面するなって。なにが自信をもてだよ。じゃあ返してくれよ。私の自信を。お前らがぐちゃぐちゃにして笑って弄んで散々にこわしてお昼時の弁当の片手間のささやかな娯楽として消費してもう戻らない私の誇りとかなんか大切だったはずのそれを。なあ。なあってば。

と、だいたいこのようなことを考えるのである。ブスの僻みだとおもってくれてかまわない。ふてくされたデブの悪あがきと見なされてもしかたがない。

でも、地べたを這い回る私のような虫が、これを読んでいるあなたの周りにもいるということに、少しだけ思いを馳せて欲しい。そいつが表面上明るかろうと暗かろうと、彼/彼女はだいたいが周りの環境を、ひいてはあなたとその周りの人を強く憎んでいる。消えてほしいと願うほどに。

ここまで読んでくれてありがとう

できれば呪われてほしい。胸くそ悪いとかそういう気持ちになってくれ。

2018-12-10

anond:20181210191041

あー確かに

男→女の「ブス」は軽いけど

女→女の「ブス」は重そう。いじめって感じ

https://anond.hatelabo.jp/20181210090849

はあちゅう童貞いじりへの批判もそうだな

そもそも現状の時点で規制されてる事についてどう考えているんだろう

ポリコレ皆無になったらまたテレビでのオタクいじめが始まるぞ

2018-12-09

犯罪をして捕まった場合

 犯罪をして、もし逮捕までこぎつけられると、二段階のいじめがある

(1)初犯

 ア 留置場で丸裸にされ囚人服に着替え

 イ 留置場弁当はそこらへんの脂ぎった仕出し弁当くそまずい

 ウ 留置場ではすることがなく死ぬほど暇で発狂する(先日、某留置場発狂死したやつがいた)

 エ 定期的に取調室に出され、取調官から暴力的取り調べあり、犯行を認めないと何回も呼び出すぞと脅して苦痛を与え

   自分意見は調書に簡単に書いてもらえない、取り調べに逆らうには、ヤクザもんくらいの不屈の精神がいる

   その辺のやつなら呼び出しが嫌すぎたり、調書にサインすると裁判上どうなるかが分からなくて、さっさと出たくて

   犯行を認める文章を書かせてしまサインもしてしま

 オ 押送といい、警察での調べが一段落すると、バンでお迎えが来て、お前含め留置にいるやつ数名が手錠つけられバン

   に揺られて千代田区霞が関にある東京地方検察庁につれていかれる、朝8時出発、9時到着、一日200名ほどの

   被疑者が同行室という部屋の牢屋に入れられ、順次検察官に呼ばれる

   昼食は、食パン3枚とジャムが渡される、それとお湯。便所牢屋内にあり、他のやつの目を気にしつつ、クソ小便

   をすることになる

 カ 検事室では、警察と一緒。閻魔のような奴に、怒鳴られ、犯行を認めるよう脅される。否認すると、連日呼び出し、

   朝9時から17時まで牢屋監禁になるので、嫌すぎて否認を続けるバカはいないし、否認できるのは、よほどの

   知能犯ヤクザのように精神の強いやつだけ

 キ 否認しても、犯行を認めても、ほとんど起訴起訴になると、葛飾区小菅東京拘置所移送される、刑務官から

   チンポの皮を剥け、など、いじめあり、建物はきれいだが、飯は豚のエサ

 ク 裁判所に連れて行かれ、審理が始まる、否認を貫くと、実刑で、もっと恐ろしいことになるが、拘置所必死に考えて

   真人間になり、法廷で、真摯反省しているようなオーラを出すのに成功すると、執行猶予で釈放

 正義とかはない。手続きの体で、以上のような罰ゲームがある、相当きつい、実刑場合は、次に書く

鉄道おじさんことTというダサイ男

技能もなくデータだけ書いて、提案力はない、

提示する解決策はなんの裏付けもない下衆の勘ぐり的なインチキ科学技術者 

インチキ文化人

若者いじめるために、遊んだ後、自分で片付けできないいじめっ子

から毎回詰めの甘いものになり、突っ込みどころを作る。

自分作品が、重箱をつつくようなことを言われるのは、読んでるそいつ理解力がないから、

自省力がないから、自分以下だから

自分の与える情報を受け入れることでそいつ自身もよくなるのに。

みんな自分の言うとおりでいいのに そう憤る。

 

そして、彼は自分自身を低く見積もってるから

なにかうるさいことを言ってくる奴には、自身を互いに利用することが

最大のダメージだと思い、利用をする。

一方、自分評価するやつはそれで利用する。

あとは周囲がついてくるのを待つだけ、大物も、自分を見つけるはずという態度をとる。

しかし、小物文化人を気取ってるが、よりすがってるのは大物的なものばかり。

もうすぐお祭り騒ぎも始めるだろうな。

私利私欲で動いてる人間で遊んでも、彼自身自分を大きく見せたい、訴えたい、ちやほやされたいといった私利私欲丸出しのスタンス相通じている。

から、ただの自己中心的人間のはぐれものが、同じ自己中心的人間で遊んでいるだけにしか見えない。

仮に彼が遊んでいる人間立場に、彼自身が立っても同じように欲におぼれて過ちを犯すだろう。

はいだって小物を気取りながら大物と合流したがる『インチキ文化人』。

ブログ匿名掲示板動画界隈などではいろんな立場になり済ましたつもりで文化人気分。

から見れば低い取れ高を、彼自身フィルターでは10倍、100倍も大きく、またあるときは高い取れ高が1/10、1/100に小さく見えている。

彼は、自分自身に痺れることを前提に、文化活動や、ネットでの行動を行っているのだ。

自分自分が痺れるように、オーディエンス自分に痺れるのが普通であると考えている。

また、私利私欲丸出しで、その範囲自分を中心とするものから立場が二転三転する。

元々本から遠い人間だったのに、今や本を持ち上げてるのも、結局、読者がスポンサーになってくれてる部分が大半だろう。

結局、自分私利私欲と、その時その時の嗜好に理屈つけて動いてるだけ。

うんこもできない修学旅行」「修学旅行

「無理強いされた運動会」「運動会

「黙ってようと思ったけど告げ口したら今度は自分が標的になったいじめ」「いじめ

「そのすべてが」

「今では」

「いい思い出です」

ひどい会社で嫌々ながらも従って働き続けるのは加害者なのか

それは言い過ぎでは と思ったが

いじめを見過ごす同級生加害者なのと同じ理屈だとそうなるか

そうすると今の自分加害者だな

会社をやめた同僚は加害者になる道を選ばなかった真っ当な人間だな

部活指導やめたいけど

部活を外部化して学校から切り離すことで、児童生徒にとっての閉鎖的な社会学校しかないことに起因するいじめを少しは減らす効果があるのかな? 

と思ったこともあったが、単に地獄を外部委託して観測範囲から外しているだけなのでは、と言われるとぐうの音も出ないのだった。

anond:20181209074317

いじめで死んだ小学生を産んだ学校社会に対して徹底交戦する自分アピールする為に決まってんだろ

はてなーなんて何か事件が起こるたびに自分にとって都合のいいストーリーを当てはめて騒いでるクズの集まりだぞ

2018-12-08

フケの無限エネルギー

フケが原因でいじめられてるんだけどさ、でもほんとに掻いても掻いても出るんだよ

これって無限に湧いて出るんじゃないだろうか

無限エネルギーとして発表したら億万長者になって学校に行かなくても済みそうでうれしい

芸人話題で思ったけど、笑いとか時代教育で変わるもんだよね

いじりが笑えない、っていうのは若い世代ほどそうなんじゃないか

いじめダメものだと学校で教えられてるし

笑いどころが分からいか不快と感じるか

申し上げます。申し上げます旦那さま。あの人は、酷い。酷い。はい。厭な奴です。悪い人です。ああ。我慢ならない。生かして置けねえ。はいはい。落ちついて申し上げます。あの人を、生かして置いてはなりません。世の中の仇です。はい、何もかも、すっかり、全部、申し上げます。私は、あの人の居所を知っています。すぐに御案内申します。ずたずたに切りさいなんで、殺して下さい。あの人は、私の師です。主です。けれども私と同じ年です。三十四であります。私は、あの人よりたった二月おそく生れただけなのです。たいした違いが無い筈だ。人と人との間に、そんなにひどい差別は無い筈だ。それなのに私はきょう迄あの人に、どれほど意地悪くこき使われて来たことか。どんなに嘲弄されて来たことか。ああ、もう、いやだ。堪えられるところ迄は、堪えて来たのだ。怒る時に怒らなければ、人間甲斐がありません。私は今まであの人を、どんなにこっそり庇ってあげたか。誰も、ご存じ無いのです。あの人ご自身だって、それに気がついていないのだ。いや、あの人は知っているのだ。ちゃんと知っています。知っているからこそ、尚更あの人は私を意地悪く軽蔑するのだ。あの人は傲慢だ。私から大きに世話を受けているので、それがご自身に口惜しいのだ。あの人は、阿呆なくらいに自惚れ屋だ。私などから世話を受けている、ということを、何かご自身の、ひどい引目ででもあるかのように思い込んでいなさるのです。あの人は、なんでもご自身で出来るかのように、ひとから見られたくてたまらないのだ。ばかな話だ。世の中はそんなものじゃ無いんだ。この世に暮して行くからには、どうしても誰かに、ぺこぺこ頭を下げなければいけないのだし、そうして歩一歩、苦労して人を抑えてゆくより他に仕様がないのだ。あの人に一体、何が出来ましょう。なんにも出来やしないのです。私から見れば青二才だ。私がもし居らなかったらあの人は、もう、とうの昔、あの無能でとんまの弟子たちと、どこかの野原でのたれ死していたに違いない。「狐には穴あり、鳥には塒、されども人の子には枕するところ無し」それ、それ、それだ。ちゃんと白状していやがるのだ。ペテロに何が出来ますか。ヤコブヨハネアンデレトマス、痴の集り、ぞろぞろあの人について歩いて、脊筋が寒くなるような、甘ったるいお世辞を申し、天国だなんて馬鹿たことを夢中で信じて熱狂し、その天国が近づいたなら、あいつらみんな右大臣左大臣にでもなるつもりなのか、馬鹿な奴らだ。その日のパンにも困っていて、私がやりくりしてあげないことには、みんな飢え死してしまうだけじゃないのか。私はあの人に説教させ、群集からこっそり賽銭を巻き上げ、また、村の物持ちから供物を取り立て、宿舎の世話から日常衣食の購求まで、煩をいとわず、してあげていたのに、あの人はもとより弟子馬鹿どもまで、私に一言のお礼も言わない。お礼を言わぬどころか、あの人は、私のこんな隠れた日々の苦労をも知らぬ振りして、いつでも大変な贅沢を言い、五つのパンと魚が二つ在るきりの時でさえ、目前の大群集みなに食物を与えよ、などと無理難題を言いつけなさって、私は陰で実に苦しいやり繰りをして、どうやら、その命じられた食いものを、まあ、買い調えることが出来るのです。謂わば、私はあの人の奇蹟の手伝いを、危い手品助手を、これまで幾度となく勤めて来たのだ。私はこう見えても、決して吝嗇の男じゃ無い。それどころか私は、よっぽど高い趣味家なのです。私はあの人を、美しい人だと思っている。私から見れば、子供のように慾が無く、私が日々のパンを得るために、お金をせっせと貯めたっても、すぐにそれを一厘残さず、むだな事に使わせてしまって。けれども私は、それを恨みに思いません。あの人は美しい人なのだ。私は、もともと貧しい商人ではありますが、それでも精神家というもの理解していると思っています。だから、あの人が、私の辛苦して貯めて置いた粒々の小金を、どんなに馬鹿らしくむだ使いしても、私は、なんとも思いません。思いませんけれども、それならば、たまには私にも、優しい言葉の一つ位は掛けてくれてもよさそうなのに、あの人は、いつでも私に意地悪くしむけるのです。一度、あの人が、春の海辺をぶらぶら歩きながら、ふと、私の名を呼び、「おまえにも、お世話になるね。おまえの寂しさは、わかっている。けれども、そんなにいつも不機嫌な顔をしていては、いけない。寂しいときに、寂しそうな面容をするのは、それは偽善者のすることなのだ。寂しさを人にわかって貰おうとして、ことさらに顔色を変えて見せているだけなのだまことに神を信じているならば、おまえは、寂しい時でも素知らぬ振りして顔を綺麗に洗い、頭に膏を塗り、微笑んでいなさるがよい。わからいかね。寂しさを、人にわかって貰わなくても、どこか眼に見えないところにいるお前の誠の父だけが、わかっていて下さったなら、それでよいではないか。そうではないかね。寂しさは、誰にだって在るのだよ」そうおっしゃってくれて、私はそれを聞いてなぜだか声出して泣きたくなり、いいえ、私は天の父にわかって戴かなくても、また世間の者に知られなくても、ただ、あなたお一人さえ、おわかりになっていて下さったら、それでもう、よいのです。私はあなたを愛しています。ほかの弟子たちが、どんなに深くあなたを愛していたって、それとは較べものにならないほどに愛しています。誰よりも愛していますペテロヤコブたちは、ただ、あなたについて歩いて、何かいいこともあるかと、そればかりを考えているのです。けれども、私だけは知っていますあなたについて歩いたって、なんの得するところも無いということを知っています。それでいながら、私はあなたから離れることが出来ません。どうしたのでしょう。あなたが此の世にいなくなったら、私もすぐに死にます。生きていることが出来ません。私には、いつでも一人でこっそり考えていることが在るんです。それはあなたが、くだらない弟子たち全部から離れて、また天の父の御教えとやらを説かれることもお止しになり、つつましい民のひとりとして、お母のマリヤ様と、私と、それだけで静かな一生を、永く暮して行くことであります。私の村には、まだ私の小さい家が残って在ります。年老いた父も母も居ります。ずいぶん広い桃畠もあります。春、いまごろは、桃の花が咲いて見事であります。一生、安楽にお暮しできます。私がいつでもお傍について、御奉公申し上げたく思います。よい奥さまをおもらいなさいまし。そう私が言ったら、あの人は、薄くお笑いになり、「ペテロシモン漁人だ。美しい桃の畠も無い。ヤコブヨハネも赤貧の漁人だ。あのひとたちには、そんな、一生を安楽に暮せるような土地が、どこにも無いのだ」と低く独りごとのように呟いて、また海辺を静かに歩きつづけたのでしたが、後にもさきにも、あの人と、しんみりお話できたのは、そのとき一度だけで、あとは、決して私に打ち解けて下さったことが無かった。私はあの人を愛している。あの人が死ねば、私も一緒に死ぬのだ。あの人は、誰のものでもない。私のものだ。あの人を他人に手渡すくらいなら、手渡すまえに、私はあの人を殺してあげる。父を捨て、母を捨て、生れた土地を捨てて、私はきょう迄、あの人について歩いて来たのだ。私は天国を信じない。神も信じない。あの人の復活も信じない。なんであの人が、イスラエルの王なものか。馬鹿弟子どもは、あの人を神の御子だと信じていて、そうして神の国福音かいものを、あの人から伝え聞いては、浅間しくも、欣喜雀躍している。今にがっかりするのが、私にはわかっています。おのれを高うする者は卑うせられ、おのれを卑うする者は高うせられると、あの人は約束なさったが、世の中、そんなに甘くいってたまるものか。あの人は嘘つきだ。言うこと言うこと、一から十まで出鱈目だ。私はてんで信じていない。けれども私は、あの人の美しさだけは信じている。あん美しい人はこの世に無い。私はあの人の美しさを、純粋に愛している。それだけだ。私は、なんの報酬も考えていない。あの人について歩いて、やがて天国が近づき、その時こそは、あっぱ右大臣左大臣になってやろうなどと、そんなさもしい根性は持っていない。私は、ただ、あの人から離れたくないのだ。ただ、あの人の傍にいて、あの人の声を聞き、あの人の姿を眺めて居ればそれでよいのだ。そうして、出来ればあの人に説教などを止してもらい、私とたった二人きりで一生永く生きていてもらいたいのだ。あああ、そうなったら! 私はどんなに仕合せだろう。私は今の、此の、現世の喜びだけを信じる。次の世の審判など、私は少しも怖れていない。あの人は、私の此の無報酬の、純粋愛情を、どうして受け取って下さらぬのか。ああ、あの人を殺して下さい。旦那さま。私はあの人の居所を知って居ります。御案内申し上げます。あの人は私を賤しめ、憎悪して居ります。私は、きらわれて居ります。私はあの人や、弟子たちのパンのお世話を申し、日日の飢渇から救ってあげているのに、どうして私を、あんなに意地悪く軽蔑するのでしょう。お聞き下さい。六日まえのことでした。あの人はベタニヤのシモンの家で食事をなさっていたとき、あの村のマルタ奴の妹のマリヤが、ナルドの香油を一ぱい満たして在る石膏の壺をかかえて饗宴の室にこっそり這入って来て、だしぬけに、その油をあの人の頭にざぶと注いで御足まで濡らしてしまって、それでも、その失礼を詫びるどころか、落ちついてしゃがみ、マリヤ自身の髪の毛で、あの人の濡れた両足をていねいに拭ってあげて、香油匂いが室に立ちこもり、まことに異様な風景でありましたので、私は、なんだか無性に腹が立って来て、失礼なことをするな! と、その妹娘に怒鳴ってやりました。これ、このようにお着物が濡れてしまったではないか、それに、こんな高価な油をぶちまけてしまって、もったいないと思わないか、なんというお前は馬鹿な奴だ。これだけの油だったら、三百デナリもするではないか、この油を売って、三百デナリ儲けて、その金をば貧乏人に施してやったら、どんなに貧乏人が喜ぶか知れない。無駄なことをしては困るね、と私は、さんざ叱ってやりました。すると、あの人は、私のほうを屹っと見て、「この女を叱ってはいけない。この女のひとは、大変いいことをしてくれたのだ。貧しい人にお金を施すのは、おまえたちには、これからあとあと、いくらでも出来ることではないか。私には、もう施しが出来なくなっているのだ。そのわけは言うまい。この女のひとだけは知っている。この女が私のからだに香油を注いだのは、私の葬いの備えをしてくれたのだ。おまえたちも覚えて置くがよい。全世界、どこの土地でも、私の短い一生を言い伝えられる処には、必ず、この女の今日仕草も記念として語り伝えられるであろう」そう言い結んだ時に、あの人の青白い頬は幾分、上気して赤くなっていました。私は、あの人の言葉を信じません。れいに依って大袈裟なお芝居であると思い、平気で聞き流すことが出来ましたが、それよりも、その時、あの人の声に、また、あの人の瞳の色に、いままで嘗つて無かった程の異様なものが感じられ、私は瞬時戸惑いして、更にあの人の幽かに赤らんだ頬と、うすく涙に潤んでいる瞳とを、つくづく見直し、はッと思い当ることがありました。ああ、いまわしい、口に出すさえ無念至極のことであります。あの人は、こんな貧しい百姓女に恋、では無いが、まさか、そんな事は絶対に無いのですが、でも、危い、それに似たあやしい感情を抱いたのではないか? あの人ともあろうものが。あんな無智な百姓女ふぜいに、そよとでも特殊な愛を感じたとあれば、それは、なんという失態。取りかえしの出来ぬ大醜聞。私は、ひとの恥辱となるような感情を嗅ぎわけるのが、生れつき巧みな男であります自分でもそれを下品嗅覚だと思い、いやでありますが、ちらと一目見ただけで、人の弱点を、あやまたず見届けてしまう鋭敏の才能を持って居ります。あの人が、たとえ微弱にでも、あの無学の百姓女に、特別感情を動かしたということは、やっぱり間違いありません。私の眼には狂いが無い筈だ。たしかにそうだ。ああ、我慢ならない。堪忍ならない。私は、あの人も、こんな体たらくでは、もはや駄目だと思いました。醜態の極だと思いました。あの人はこれまで、どんなに女に好かれても、いつでも美しく、水のように静かであった。いささかも取り乱すことが無かったのだ。ヤキがまわった。だらしが無え。あの人だってまだ若いのだし、それは無理もないと言えるかも知れぬけれど、そんなら私だって同じ年だ。しかも、あの人より二月おそく生れているのだ。若さに変りは無い筈だ。それでも私は堪えている。あの人ひとりに心を捧げ、これ迄どんな女にも心を動かしたことは無いのだ。マルタの妹のマリヤは、姉のマルタが骨組頑丈で牛のように大きく、気象も荒く、どたばた立ち働くのだけが取柄で、なんの見どころも無い百姓女でありますが、あれは違って骨も細く、皮膚は透きとおる程の青白さで、手足もふっくらして小さく、湖水のように深く澄んだ大きい眼が、いつも夢みるように、うっとり遠くを眺めていて、あの村では皆、不思議がっているほどの気高い娘でありました。私だって思っていたのだ。町へ出たとき、何か白絹でも、こっそり買って来てやろうと思っていたのだ。ああ、もう、わからなくなりました。私は何を言っているのだ。そうだ、私は口惜しいのです。なんのわけだか、わからない。地団駄踏むほど無念なのです。あの人が若いなら、私だって若い。私は才能ある、家も畠もある立派な青年です。それでも私は、あの人のために私の特権全部を捨てて来たのです。だまされた。あの人は、嘘つきだ。旦那さま。あの人は、私の女をとったのだ。いや、ちがった! あの女が、私からあの人を奪ったのだ。ああ、それもちがう。私の言うことは、みんな出鱈目だ。一言も信じないで下さい。わからなくなりました。ごめん下さいまし。ついつい根も葉も無いことを申しました。そんな浅墓な事実なぞ、みじんも無いのです。醜いことを口走りました。だけれども、私は、口惜しいのです。胸を掻きむしりたいほど、口惜しかったのです。なんのわけだか、わかりませぬ。ああ、ジェラシィというのは、なんてやりきれない悪徳だ。私がこんなに、命を捨てるほどの思いであの人を慕い、きょうまでつき随って来たのに、私には一つの優しい言葉も下さらず、かえってあんな賤しい百姓女の身の上を、御頬を染めて迄かばっておやりなさった。ああ、やっぱり、あの人はだらしない。ヤキがまわった。もう、あの人には見込みがない。凡夫だ。ただの人だ。死んだって惜しくはない。そう思ったら私は、ふいと恐ろしいことを考えるようになりました。悪魔に魅こまれたのかも知れませぬ。そのとき以来、あの人を、いっそ私の手で殺してあげようと思いました。いずれは殺されるお方にちがいない。またあの人だって、無理に自分を殺させるように仕向けているみたいな様子が、ちらちら見える。私の手で殺してあげる。他人の手で殺させたくはない。あの人を殺して私も死ぬ旦那さま、泣いたりしてお恥ずかしゅう思いますはい、もう泣きませぬ。はいはい。落ちついて申し上げます。そのあくる日、私たちは愈愈あこがれのエルサレムに向い、出発いたしました。大群集、老いも若きも、あの人のあとにつき従い、やがて、エルサレムの宮が間近になったころ、あの人は、一匹の老いぼれた驢馬を道ばたで見つけて、微笑してそれに打ち乗り、これこそは、「シオンの娘よ、懼るな、視よ、なんじの王は驢馬の子に乗りて来り給う」と予言されてある通りの形なのだと、弟子たちに晴れがましい顔をして教えましたが、私ひとりは、なんだか浮かぬ気持でありました。なんという、あわれな姿であったでしょう。待ちに待った過越の祭エルサレム宮に乗り込む、これが、あのダビデの御子の姿であったのか。あの人の一生の念願とした晴れの姿は、この老いぼれた驢馬に跨り、とぼとぼ進むあわれな景観であったのか。私には、もはや、憐憫以外のものは感じられなくなりました。実に悲惨な、愚かしい茶番狂言を見ているような気がして、ああ、もう、この人も落目だ。一日生き延びれば、生き延びただけ、あさはかな醜態さらすだけだ。花は、しぼまぬうちこそ、花である。美しい間に、剪らなければならぬ。あの人を、一ばん愛しているのは私だ。どのように人からまれてもいい。一日も早くあの人を殺してあげなければならぬと、私は、いよいよ此のつらい決心を固めるだけでありました。群集は、刻一刻とその数を増し、あの人の通る道々に、赤、青、黄、色とりどりの彼等の着物をほうり投げ、あるいは棕櫚の枝を伐って、その行く道に敷きつめてあげて、歓呼にどよめき迎えるのでした。かつ前にゆき、あとに従い、右から、左から、まつわりつくようにして果ては大浪の如く、驢馬とあの人をゆさぶり、ゆさぶり、「ダビデの子にホサナ、讃むべきかな、主の御名によりて来る者、いと高き処にて、ホサナ」と熱狂して口々に歌うのでした。ペテロヨハネバルトロマイ、そのほか全部の弟子共は、ばかなやつ、すでに天国を目のまえに見たかのように、まるで凱旋将軍につき従っているかのように、有頂天歓喜で互いに抱き合い、涙に濡れた接吻を交し、一徹者のペテロなど、ヨハネを抱きかかえたまま、わあわあ大声で嬉し泣きに泣き崩れていました。その有様を見ているうちに、さすがに私も、この弟子たちと一緒に艱難を冒して布教に歩いて来た、その忍苦困窮の日々を思い出し、不覚にも、目がしらが熱くなって来ました。かくしてあの人は宮に入り、驢馬から降りて、何思ったか、縄を拾い之を振りまわし、宮の境内の、両替する者の台やら、鳩売る者の腰掛けやらを打ち倒し、また、売り物に出ている牛、羊をも、その縄の鞭でもって全部、宮から追い出して、境内にいる大勢商人たちに向い、「おまえたち、みな出て失せろ、私の父の家を、商いの家にしてはならぬ」と甲高い声で怒鳴るのでした。あの優しいお方が、こんな酔っぱらいのような、つまら乱暴を働くとは、どうしても少し気がふれているとしか、私には思われませんでした。傍の人もみな驚いて、これはどうしたことですか、とあの人に訊ねると、あの人の息せき切って答えるには、「おまえたち、この宮をこわしてしまえ、私は三日の間に、また建て直してあげるから」ということだったので、さすが愚直の弟子たちも、あまり無鉄砲なその言葉には、信じかねて、ぽかんとしてしまいました。けれども私は知っていました。所詮はあの人の、幼い強がりにちがいない。あの人の信仰とやらでもって、万事成らざるは無しという気概のほどを、人々に見せたかったのに違いないのです。それにしても、縄の鞭を振りあげて、無力な商人を追い廻したりなんかして、なんて、まあ、けちな強がりなんでしょう。あなたに出来る精一ぱいの反抗は、たったそれだけなのですか、鳩売りの腰掛けを蹴散らすだけのことなのですか、と私は憫笑しておたずねしてみたいとさえ思いました。もはやこの人は駄目なのです。破れかぶれなのです。自重自愛を忘れてしまった。自分の力では、この上もう何も出来ぬということを此の頃そろそろ知り始めた様子ゆえ、あまりボロの出ぬうちに、わざと祭司長に捕えられ、この世からさらばしたくなって来たのでありましょう。私は、それを思った時、はっきりあの人を諦めることが出来ました。そうして、あんな気取り屋の坊ちゃんを、これまで一途に愛して来た私自身の愚かさをも、容易に笑うことが出来ました。やがてあの人は宮に集る大群の民を前にして、これまで述べた言葉のうちで一ばんひどい、無礼傲慢暴言を、滅茶苦茶に、わめき散らしてしまったのです。左様、たしかに、やけくそです。私はその姿を薄汚くさえ思いました。殺されたがって、うずうずしていやがる。「禍害なるかな、偽善なる学者パリサイ人よ、汝らは酒杯と皿との外を潔くす、然れども内は貪慾と放縦とにて満つるなり。禍害なるかな、偽善なる学者パリサイ人よ、汝らは白く塗りたる墓に似たり、外は美しく見ゆれども、内は死人の骨とさまざまの穢とに満つ。斯のごとく汝らも外は正しく見ゆれども、内は偽善不法とにて満つるなり。蛇よ、蝮の裔よ、なんじら争で、ゲヘナ刑罰を避け得んや。ああエルサレムエルサレム予言者たちを殺し、遣されたる人々を石にて撃つ者よ、牝鶏のその雛を翼の下に集むるごとく、我なんじの子らを集めんと為しこと幾度ぞや、然れど、汝らは好まざりき」馬鹿なことです。噴飯ものだ。口真似するのさえ、いまわしい。たいへんな事を言う奴だ。あの人は、狂ったのです。まだそのほかに、饑饉があるの、地震が起るの、星は空より堕ち、月は光を放たず、地に満つ人の死骸のまわりに、それをついばむ鷲が集るの、人はそのとき哀哭、切歯することがあろうだの、実に、とんでも無い暴言を口から出まかせに言い放ったのです。なんという思慮のないことを、言うのでしょう。思い上りも甚しい。ばかだ。身のほど知らぬ。いい気なものだ。もはや、あの人の罪は、まぬかれぬ。必ず十字架。それにきまった。祭司長や民の長老たちが、大祭司カヤパの中庭にこっそり集って、あの人を殺すことを決議したとか、私はそれを、きのう町の物売りから聞きました。もし群集の目前であの人を捕えたならば、あるいは群集が暴動を起すかも知れないから、あの人と弟子たちとだけの居るところを見つけて役所に知らせてくれた者には銀三十を与えるということをも、耳にしました。もはや猶予の時ではない。あの人は、どうせ死ぬのだ。ほかの人の手で、下役たちに引き渡すよりは、私が、それを為そう。きょうまで私の、あの人に捧げた一すじなる愛情の、これが最後挨拶だ。私の義務です。私があの人を売ってやる。つらい立場だ。誰がこの私のひたむきの愛の行為を、正当に理解してくれることか。いや、誰に理解されなくてもいいのだ。私の愛は純粋の愛だ。人に理解してもらう為の愛では無い。そんなさもしい愛では無いのだ。私は永遠に、人の憎しみを買うだろう。けれども、この純粋の愛の貪慾のまえには、どんな刑罰も、どんな地獄業火問題でない。私は私の生き方を生き抜く。身震いするほどに固く決意しました。私は、ひそかによき折を、うかがっていたのであります。いよいよ、お祭りの当日になりました。私たち師弟十三人は丘の上の古い料理屋の、薄暗い二階座敷を借りてお祭り宴会を開くことにいたしました。みんな食卓に着いて、いざお祭りの夕餐を始めようとしたとき、あの人は、つと立ち上り、黙って上衣を脱いだので、私たちは一体なにをお始めなさるのだろうと不審に思って見ているうちに、あの人は卓の上の水甕を手にとり、その水甕の水を、部屋の隅に在った小さい盥に注ぎ入れ、それから純白の手巾をご自身の腰にまとい、盥の水で弟子たちの足を順々に洗って下さったのであります弟子たちには、その理由がわからず、度を失って、うろうろするばかりでありましたけれど、私には何やら、あの人の秘めた思いがわかるような気持でありました。あの人は、寂しいのだ。極度に気が弱って、いまは、無智な頑迷弟子たちにさえ縋りつきたい気持になっているのにちがいない。可哀想に。あの人は自分の逃れ難い運命を知っていたのだ。その有様を見ているうちに、私は、突然、強力な嗚咽が喉につき上げて来るのを覚えた。矢庭にあの人を抱きしめ、共に泣きたく思いました。おう可哀想に、あなたを罪してなるものか。あなたは、いつでも優しかった。あなたは、いつでも正しかった。あなたは、いつでも貧しい者の味方だった。そうしてあなたは、いつでも光るばかりに美しかった。あなたは、まさしく神の御子だ。私はそれを知っていますおゆるし下さい。私はあなたを売ろうとして此の二、三日、機会をねらっていたのです。もう今はいやだ。あなたを売るなんて、なんという私は無法なことを考えていたのでしょう。御安心なさいまし。もう今からは、五百の役人、千の兵隊が来たとても、あなたおからだに指一本ふれさせることは無い。あなたは、いま、つけねらわれているのです。危い。いますぐ、ここから逃げましょう。ペテロも来い、ヤコブも来い、ヨハネも来い、みんな来い。われらの優しい主を護り、一生永く暮して行こう、と心の底からの愛の言葉が、口に出しては言えなかったけれど、胸に沸きかえって居りました。きょうまで感じたことの無かった一種崇高な霊感に打たれ、熱いお詫びの涙が気持よく頬を伝って流れて、やがてあの人は私の足をも静

anond:20181207120017

二番煎じ

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