はてなキーワード: いじめとは
最近、なんとなく、いじめらた経験があるものならうっすら気付いているであろう、「民主主義も話し合いも、その場を権力と暴力で支配している強者や多数派の横暴の正当化の手段でしかない」って事実に、弱者や少数派が気づきつつあるように見える。
ただそれに気づかれて反抗されると、社会に混乱をもたらして、より弱い人間にしわ寄せが行くだけなので、強者や権力者は半端な反抗は公権力と暴力装置を使ってきっちり潰して欲しい。
反抗する力もないような真の底辺の弱者は、強者や権力者に媚びへつらって哀れみを乞うて社会資源を分け与えて頂く以外に生きる術なんかないんだよ。局所で暴れる元気はあっても社会を変える力はないような弱者の存在は、本当の弱者にとってはリスクでしかない。
北海道で川に突き落とされて殺された未成年女性も、フェミニストさんにとってはどうでもいい存在ので、抗議活動なんかしない。
女は結婚すると基本妊娠出産家事育児と身動き取れず夫の稼ぎに依存し、逃げられない立場を男から望まれるし追いやられる
結婚と子供を求める女が自分と子供を護れる強者男性を選ばざるを得ない構造が確固として存在するから仕方ない
https://web.archive.org/web/20200921074555/https://anond.hatelabo.jp/20130524111655
子供は環境で変わる。教育や環境次第だぞ。教育関係者は、発達障害あろうがなかろうが金持ち地区のガキは扱いやすいという。一方で、隠れてこそこそ悪いことをするからトラブルに気付けなかったり、陰湿ないじめもあるのが厄介と聞く。
いじめられとるんやでという話
田舎で、車がないと生活がものすごく不便な場所で育った。電車は走っていたけど運賃がとても高かった。
14歳から自傷行為を始めた。母独裁の機能不全の家と学校での孤立がトリガー。
19歳から精神科に通った。週1回の通院が必要な状態。度重なる自傷行為で鉄剤を処方されるような貧血。母との関係は最悪。貧血と精神科の薬の影響で、バイトは半年も続けられない。
20歳で初めての自殺◯遂。トリガーはお金がなく、国民基礎年金が払えないことだった。世間では社保庁の使い込みが話題だった頃。
24歳で発達障害が分かった。作業所に通うようになっていたけど、通院頻度は相変わらず週1回から減らない。自傷も不眠も続く。母との関係も変わらない。親が負担してくれるのは通院費と住民税やら市民税やらの公的なところ。
国民基礎年金は猶予制度を使った。ハロワは家から遠く、片道800円の電車賃が出せなくて通えず。職業訓練とその給付金は親の収入がそれなりだったため利用できなかった。車の免許はお金が出せず、また親の反対もあって取れなかった。
28歳で障害基礎年金を受給し始めた。手続きは全部自分でやった。診断書料だけは母を拝み倒して受け取った。この頃は自分の口座残高が312円だった。
服もカバンも穴が空いて、下着はサイズが合わないものを使っていた。親は海外旅行に行っていた。兄弟はブランド品を買っていた。
29歳でグループホームに入所した。元手は一年貯めた障害年金。通院頻度はまだまだ週1回。これでやっと生活を立て直せるはずが、ホームの運営がどうも杜撰。
突然利用料が値上げされたり、面談の日にちや時間を間違われたり、無理やり引っ越しさせられたりした。いつ住む場所が変わるか分からないし、お金がないので1日1食、着るものも満足には揃えられない。衣食住すべてが不安定。
身長163センチに対して体重は46キロ。しょっちゅう熱を出して風邪を引いて寝込んだ。住民税やら何やらの公的な分は払えるわけもなく、住む場所は離れても親の世帯からは出られなかったため生活保護も申請できなかった。
もとより親の職業が社会的地位としてそれなりのため、申請しても通らなかった可能性のほうが大きい。
33歳でグループホームを出た。通院頻度はまだまだ週1回。軽量鉄骨のアパートに部屋を借りた。とはいえ名義は親だった。帰ってこいとは言われなかった。世帯を出ろとも言われなかった。この頃後の夫となる人と出会う。
最低賃金を保証してくれる作業所に入れたが、法をかいくぐって弱者ビジネスをやっているような場所だった。生産性のない作業で補助金を吸っているような場所。何度もいじめのようなことをされて状態が悪化。貯金も体重も増えない。
35歳で障害者雇用枠のパートについた。通院頻度は週1回から抜け出せない。客からのつきまといに悩んだ。体重は少し増えたが貯金は全くできない。
37歳で「もういい、もう頑張ったよ。これからはボーナスステージってことで、もういいじゃん」と言われて結婚した。その翌年、通院頻度は2週間に1回になった。体重も50キロを超えることができた。
42歳。現在。洗濯をして、掃除をして、買い物に行って料理をするだけの毎日。子供はいない。通院頻度は月に1回になった。
時々、この20年で縁が切れてしまった友人や、私と同じような状況で未婚の人のことを考える。余計なお世話かもしれないけど。
できるだけ簡潔にまとめようとしたけど、やっぱり難しい。20代の、文字通り血みどろの毎日と、30代の福祉制度に振り回された毎日はそう簡単にまとめられない。
書いてないけど結婚するまでの間は暴力や給料未払い、20歳の時以外の自◯未遂も多々あった。必死に生きてきたというより、死なない(死ねない)だけの毎日だった。
今日、厚生遺族年金のあれこれを見て久しぶりに落ち込んでしまった。私のケースだと、週1回精神科へ通院が必要な発達障害持ちの人間が、どうやって厚生年金に入れただろうかと思ってしまう。今だって睡眠薬がないと眠れない。
遺族年金が有期給付になって、夫がいなくなったら私はまた死なないだけの毎日に戻ってしまうのだろうか。せめてその時までに安楽死制度が整っていれば良いんだけど。
今は毎日穏やかだけど、時々、特に今日みたいな日は生きててごめんなさいという気持ちになる。
ごめんなさい、生きてしまって。
そうだねその時代ではよくあることだったね
オリンピックの件は過去の精算もせずに大物ぶって身の丈に合ってない仕事引き受けた小山田も悪いけど
こいつにNHKやオリンピックの大仕事を与えて表舞台に立ってもいい身分だって勘違いさせた広告代理店だかも半分くらい悪いと思ってる
当時は認められていたとか当時は合法だったとか当時は迎合される風潮だったとか当時はみんなやってたとか
あの話のなにが問題かって事例として昔の話をもってきた事が「今もそのままの自分でいるので変わらない」って事が問題なわけ
記録として忘れちゃいかんのは別にいいけど、それを思い出して今でも通じると思って「当時は」って接頭語につけただけで再演することが問題なわけ
昔はうんこが貴重品だったんだよ 貴重な資源で価値が高かったし売り買いされて高値で取引されてた
そういう時代もあったんだよ
その時代は何食べてたからとかどういう状況だったからとかそういうのは授業でやればいいだけ
「あなたが壁にうんこを塗り付けたのはかつて建材として使われた過去や文化はそういう価値観があったとか当時の文化では」とか関係ないのって話なの
昔に卑劣で外道を極めた壮絶ないじめをしました、って告白だけならそういう歴史の語りと同じ 「それを現代社会でも使えるネタって思った」事が問題なの
やったことは消えないし当時の価値観は当時にしかないから今なにを言っても無駄だし意味もない 当時の罪を今償えというのも今現在罰が必要でなければ言われない
武勇伝を語る事でいまの世の中にその当時の価値観を引っ張り出してきたのよ うんこで言えば壁に塗りたくったわけ
言葉で言うのはなにも物理的に残らないから、実際には壁にうんこを塗る事とは全然違うって思うだろうけど職場でねちねち嫌味を言われて死ぬ人がでたら「物証はないので」で済ますわけないじゃん
引っ張り出してきた事についてと、その出したものについてのどちらかまたは両方に「現在の価値観」をぶち込めばたぶん話は終わってる
今の自分は「壁にうんこをぬったりしません」って言われたら安心でしょ それだけの話
「時代とか、世代とか、当時の空気感とか、そういう文化がどうのこうので、それは今はよくないけど、そういう事はありました」って言い訳したところで「もうしません」を言わない理由はなんなの
「かつてうんこは貴重品でした 壁にぬったりした文化もあったようです」って話をして「自分が今塗ったわけじゃないんですが、記者が勝手に塗ったってことに仕立て上げたんです」って言われたら 原因と問題と、なにが必要かを完全にどれも一切わかってないことが明白だよね
記者が捻じ曲げたとか、そんなことはなかったとか、もともとそんなことがなかったわけだから僕は善良なままでこれからも善良ですみたいな顔してさ
悪い事を悪いとか悪かったとか認められずに、実は悪くはなかったからと言い訳ばかりする奴が「これから壁にうんこを塗ったりしないのか」と認められないし安心できないわけ
もうしませんの実態効果はしないことの連続でしかできないから、それを言葉で時点に刻む形で自分のいじめとかいじめた相手とか、そういう事全体についての考え方とか示すアピール方法ってあるわけじゃん
物理的に寄付をするとか行動するとかもあるわけで、うじうじ過去が実はとか本当はとか裏ではとか真実はとか言い訳してなんとか都合のいい方向に誤解をされないかなーって期待したりしてるうちは安心できないよ
「真面目=ダサい、悪い=かっこいい」の構図は間違いなくあったね。
とはいえ小山田圭吾のウンコバックドロップはやり過ぎだし弱い者いじめだからみんな引いてたと思うけど。
その辺の超えちゃいけないラインを見極められずにイキっちゃたんだろうな。
ふと思い出したので書いてみる。
彼女はいつもオドオドしていて、なのに変なところでスイッチが入って突然怒り狂うような人だった。
◯◯菌が感染るなんて扱いもされていた。
私は彼女と関わらないようにしていた。
ある日、彼女が筆記用具を忘れて困っていた。
みんな気が付いていたが、ヒソヒソと囁き合うだけで誰も助けようとはしなかった。
彼女の隣の席であった私は、筆箱に入っていた使い古しのシャーペンを彼女に渡した。
返さなくていい、とだけ伝えた。
彼女はお礼を言い、その後度々私に話しかけてきたが、それらは全て無視した。
彼女がいない場所で◯◯菌のついたシャーペンなんか返してもらいたくないでしょ、と笑った。
彼女の母親は、彼女が友達から何かをもらうのは初めてなのだといたく感激した様子だった。
正直に言って、気味が悪かった。
古いシャーペンを渡しただけでわざわざ母親からお礼の電話なんて。
なので、私はそれ以降も彼女に関わることはしなかった。
二年になり彼女とはクラスが変わり、その後彼女は不登校になったと聞いたが、私は別に何も思わなかったし、今の今まで思い出すこともなかった。
おかげでその辺りはよく知らないが、結果的に良かったなと思っている。
まずロッキンオンの「ロッキンオン好みのもの以外はこき下ろして嘲笑う」のが無理になった。好きだったバンドをアイドル扱いしてほぼ完全無視していたのと、産業ロックとバカにしていたのにブラーだのオアシスだのブリット・ポップの流行りを追いかけては煽ってるのを見て「これは酷い」と思ってしまった。
そしてフリッパーズ・ギターはじめ渋谷系の「オシャレじゃなければサブカルじゃない」「わかんねー奴はダサいし鈍い」仕草がどうしても苦手だった。好きだったネオアコもオシャレアイテム扱いされているように見えて、90年前後からのものは聞かなくなってしまった。
逆にバリバリ影響されとるやんけ、と言われると全くその通りでぐうの音も出ないのだが。
最近になり渋谷陽一(昨年倒れられましたが…)のラジオで、彼が昔一顧だにしなかったバンドをさも昔から評価していましたよ、という態度で紹介しているのを聞いたり、90年代サブカルノリの冷笑主義、鬼畜系みたいなのがよく話題になっているのを見ると、傾倒しなくて良かったと思う。いじめは嫌い、と言おうものなら「いじめられっ子」とバカにされるようなサブカル空間が嫌いだったけど、そんな界隈にハマらなくてよかった。
炎上以降定期的にだされる小山田圭吾擁護シリーズの最新作で内容としてはいつもの
・グルグルまきにしてうんこ食わせたというのはデマというのを力説しつつも小山田本人がいじめだったと認めてるダンボールに押し込んで黒板消しの粉を振りかけたやつやロッカーに閉じ込めてガンガンけったやつについては可能な限りスルーないし矮小化する
・とにかく小山田は謙虚ないいやつであることを全編にわたりアピール
・俺の知ってる小山田君はこんなことする人じゃないからいじめはなかったに決まっているという結論ありきで展開される擁護
・いじめっていうなら小山田をネットリンチしたネット民のがカスだから小山田圭吾は被害者なんだわという結論
この四点セットによって作られてる本なんだけど
・今まで小山田本人しか言ってなかったうんこ食わせたは嘘の部分を同級生にインタビューとってこの部分についてはデマだろうという事の信頼度を挙げた
・小山田圭吾擁護シリーズに標準搭載されていたフリッパーズギターズの音楽は素晴らしくてぇ…コーネリアスこと小山田圭吾が無知蒙昧な愚民どもにキャンセルされることは文化的な損失でぇ…みたいな過剰な小山田圭吾賛美がオミットされてる
・前回の小山田圭吾擁護本みたく孤立無援のブログとその管理人がともかく全部悪いしあの管理人はカスみたいな感情的な悪口は言ってない(でも孤立無援のブログに触れた時その孤立無援のブログをやたら叩いてた本を読めみたいなこと書いてたから同じかもしれない)
・他の小山田圭吾擁護シリーズが徹底的に無視するなんで27年間定期的に燃えてたこのことを放置してたの?についてきわめて小山田圭吾に同情的な口ぶりながらも触れて放置したのはよくなかったときちんと指摘してる
・小山田圭吾擁護シリーズは後半になるほどネット民のカスさをなじることに力を入れがちなんだけどこの本はその点は控えめ(代わりに記事訂正応じないロッキング・オン・ジャパンの編集長と大した裏どりもしないで批判たれながした大手メディア等のメディア批判は多い)
以上の点から今まで刊行された小山田圭吾擁護本のなかでは一番客観的な本だったと思います。
でもやっぱり一番センセーショナルな部分はデマだったとしても本人が認めてよくなかったと思ってる部分についても擁護したり
いじめにあったとされる沢田君(仮)の内心を取材できてないないのに沢田君はいじめれてなかった二人には友情があったみたいに断言するのは
説明しよう!
バカが健常者より多い
↓
目に見えるガキのいたずらみたいなものを叩く
↓
悪がのさばり、バカ向けインフルエンサーに金を渡し、バカを黙らせる
↓
健常者が悪を糾弾する
↓
・はじめに
・第1章
「マスクはないほうがいいでしょうか」 / 二誌で語っていた“いじめ”とは / 「全裸でグルグル巻」は本当なのか? / 実際にした行為はどれなのか / 小山田はなぜ音楽担当を引き受けたのか
・第2章
空白の五日間のはじまり
漠然とした恐怖が現実となった日 / 過去にも問題視されていたいじめ記事 / ついに始まった小山田への攻撃 / 家族への釈明と徹夜で書いた声明文 / ホテルでの逃亡生活と殺害予告
・第3章
開会式本番二カ月前の依頼 / じつは小山田の名前を出さない約束だった / 「オリンピックへの参加は辞退しましょう」 / それでも続く炎上と二度目の殺害予告 / 太田光がメディアに抱いた疑問 / 訪れた殺害予告当日
・第4章
芸能一家に生まれて / 自由な教育の和光学園 / オザケンとの出会い / 秋田県の宿舎で何が起こったのか / 沢田君は友だちだったのか
・第5章
フリッパーズ・ギターの伝説 / 「ロッキング・オン・ジャパン」と山崎洋一郎 / 原稿チェックなしというポリシー / 山崎は小山田の理解者だった / 問われる「ロッキング・オン・ジャパン」の姿勢
・第6章
しゃべってしまった責任 / 小沢を意識しての発言だったのか / 何度もあった訂正・謝罪のタイミング / 二〇一八年に弁護士から「放置すべきではない」 / 小山田事務所と山崎の水面下での交渉 / 今、小山田は山崎に対して何を思うのか
・おわりに
「幕が下りる直前まで怖かった」 / 肩透かしを食らった復活劇 / 書きっぱなしのメディア / 当事者たちの責任と悔恨 / もし、あの夏をやり直せるなら
先日、暇空さんはラーメンを食べた
煮干し系のラーメン、昔ながらのダシガラチャーシュー、昔ながらのツルツルワンタン。アッツアツ
昔ながらの町中華ラーメンの頂上ではあろう。値段はさらに値上がりしてて1500円と、そこらの小洒落た変なラーメン屋より高い。ただ、ラーメンハゲに対するアンサーはこっち
76点
ラーメンがアッツアツなのは普通そうなのでクソつまらないレビューだ
ラーメンぐらい食べてもおかしくないと思うかもしれないが引きこもりがちな暇空にとっては非常に珍しいことだ
なぜ珍しく外出したのか
「呼び出されて外に出る用件があった」
暇空はcolaboへのデマ誹謗中傷で2月に書類送検され、起訴不起訴どちらになるかは4月に出るとアナウンスされていた
暇空が問い合わせても対応してもらえず
複数の団体にデマ誹謗中傷していることが加味されcolaboの起訴をどうするかの判断が延期されたと考えられる
暇アノンでもあり国会で真っ先にcolaboについて触れた国会議員ガーシーの不逮捕特権を思い出したのだろう
政治家になれば不逮捕特権を得られる、そんな狙いが都知事選にはあった
だが選挙に勝てず、7月18日にはcolabo裁判で敗訴、言い分がデマであり、誤認によるものではなく貶めるために歪曲捏造したものとも認定された
そして検察からの呼び出しがあり、暇空にとって芳しくない報告が行われヤケになっているのだろう、ここしばらく特に言動がおかしい
キッズドア叩きは暇アノン受けもよろしくなく、狂信者は乗っかっているが配信では4000人程度しか集まらなかった
colaboや堀口くんを中傷する配信なら数万人集まるのでかなり信者が引いている
キッズドアは共同親権反対派であり、暇アノンには共同親権を求める連れ去り被害者を名乗る者が多いのでそこらへんに焚き付けられてキッズドアを叩くようになった
キッズドアはエロ表現叩きは特にしておらず、叩かれたら強気で言い返すタイプでなく老婆である代表はしおしおと下手に出るのがいかにも弱い者いじめのようで「強気な女や若者を蹂躙する俺」に酔えない
天皇家もキッズドアに募金しており、募金は天皇の意思だけでなく審議会を通した上でなければ行えないため相当巧妙に工作していない限りクリーンな団体であるとお墨付きがあり根拠なく叩くのは朝敵と言える
「罪に対して罰が重すぎて釣り合ってない」「若いんだから」と擁護した人たちが
小山田圭吾のことになると死ぬまで許さないとばかりに粘着し続けるのはちょっと意味がわからない。
彼は謝罪したのに仕事をすべて奪われてキャリアを閉ざされ今なおこうして中傷され続けてる。
しかも小山田圭吾の「いじめ」エピソードは小中学生の頃のもので
幼い時のありふれた過ちに対して明らかに罰が過大すぎる。
整合性なくない?
子供は大人とは違って変な倫理観とかそういう物がないから合理的だ。
子供は普通から外れた子供をいじめる。でも、普通の感覚、共同体感覚がない子供は大人になっても生きるのに苦労し、死にたいと思うようになる。そうであれば、まだ子供のうちに殺してしまった方が、本人も楽だし、周りの人間への負担も少ないだろう。
狩猟採集をしていた頃の人類もきっと、普通とは違う人間をいじめ、時には殺していたに違いない。それが、農耕をするようになり、普通とは違う、本来であれば生きるべきでない人間も、労働力として使えるようになってしまった。
1920年代には、優生学といって、国籍障害の有無で強制的に人を殺した方が良いと言う考え方が広まったらしい。私は、これには断固反対する。本人の意に背いて殺すことはよくないからだ。
ただ、そうすると、いじめられている子供のうち、死にたくないと思っている子供は殺すべきではないことになる。そして、その子供が大人になって、自ら死にたいと思うようになってから初めて死という救済を与えられることとなる。だが、これは無駄に苦しませるだけだ。
将来苦しむとわかっているのに生かすことは果たして人道的と言えるのだろうか。
高3男。学校祭の実行委員を仲の良い友人たちとわいわい夏休みまでやってきたんだけど、各クラスからの選出時に紛れ込んじゃった文系女さん(委員長)が無双しまくった結果、僕(副委員長)が彼女にきつい言葉を浴びせていじめを行った事になり、20代芸術科の委員会担当の女さんが僕を委員会追放に処す事になりました。通り一遍の謝罪のメッセージを委員のLINE(オプチャ)に送ってそこから抜けたところ、委員長女さんは即座に僕の謝罪文を全員の履歴から削除。もちろんそれ以外の3年のメンバーは仲の良い男たちなので、そのスクショをグループに再送信してネズミごっこをやっているっぽいです。自分が全能であると思っている(実際には何もしていない)委員長女さんと、委員長がいれば成り立つと考えている(委員長が自分頑張ってるアピをしている事に気がつかない)担当女さんと、クラウド上で共有されていた数十点の自分が作成した資料を(ゴミ箱からバージョン履歴に至るまで全て)消去した僕と、委員長についていく気などさらさらない他の3年生と。受験前最後の、そんな夏が始まります。