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2024-07-26

11人の女性と12Pを楽しむ強者男性がいる一方で、1Pしかできない僕みたいな弱者男性がいるのが世の中というものである

なぜファミコンは二人分のコントローラーがあるのだろうか

ぼっちに二人分は不要ではないか

いつまでも新品の2プレーヤー用のコントローラーが僕の心を締め付ける

かわいい女の子が突然二階の窓から乱入してきて、2プレーヤー用のコントローラーマイクに息を吹きかけてくれないだろうか

子供の頃、僕はいつもひとりぼっちファミコンをしていた思いでしかない…

ウソです

ファミコンは買ってもらえませんでした!

買ってもらったのはMSXです!

新宿西口駅の前のヨドバシカメラゲームを買ってもらったこともなくはないですが!

MSXマガジンとかの超長いマシン語打ち込む忍耐力もないので、

もっぱらプログラムポシェットみたいな雑誌10BASICを打ち込んで暮らしていました

MSXのいいところは、コントローラーが二人分とかないところですね

ぼっちでもぼっち意識することがない、これって素晴らしいことじゃないですか?!

彼女が部屋を去ったのに、使われてない歯ブラシとコップが洗面所に置いてあったりすると切なくなりませんか?

ウソです

そんなシチュエーションになったことは、人生で一度たりともありません

あ、親が来たことはありましたね

新品だったタオルが、なぜか訪問してきた母親の手によって雑巾にされてたことがありました

発見直後は激怒したのですが、今は雑巾の形をしたタオルとして、普通に風呂上りに使ってます

しかし、12Pというのは極端な例ですが、3Pは意外と巷に溢れているようです

不思議ですね、そして不公平ですね

そういえば、かなり前に恋愛関係とか0.1nmもない美人女性と、一夫多妻について論争をしたのですが、

彼女は、イスラム世界とかを例に出して、男がすべての女性を養わないといけないから、一夫多妻は大変ですよ、という主張を繰り返すのですが、

私はチャールズ・マンソン派なんですよね、えぇ、モテないのにチャールズ・マンソンを崇拝しているんです

だって、彼、そこそこギターも上手いじゃないですか

何の曲弾いても同じにしか聴こえない気はしますがw

ミュージシャンとして成功した未来というか世界線もあったかもしれないですよ

マリリン・マンソンマンソンですよ

マンソン形成したハーレムコロニーマンソンファミリー生活共同体でもあるんですよ

まり構成員女性もそれぞれ働くべきなんです

まあ、最後マンソン女性たちに殺人を命じてお縄になってしまうわけですけど、生活共同体って憧れませんか?

生協食品を買った方が、なんかいいことしてる気になったりしませんか?

仮に僕が11人と結婚したとしても、僕は11人を養うお金は当然ないわけです

というか、1人を養うことさえできません

でも、僕も含めて、11人がバイトして、12人が住む一軒家を買ったらどうでしょうか?

収入があっても、住居の賃料や水道光熱費で大きく引かれてしま現代社会、みんなで暮らせば節約できると思いませんか?

今風に言えばシェアハウスです、なんでもシェアするんです

ライドシェアとか、これからは何でもシェアする時代なんです

対戦相手彼女は一夫一妻に最後までこだわっていました

話は平行線で終わりました

今でも僕の考えは変わっていません

まだ一夫一妻で消耗してるんですか?

ひとりのつらさは1/1ですけど、12人でつらさを分かち合えば1/12です!みんなで暮らせば怖くない!

というわけで、不肖弱者男性の僕ですが、11人の共同生活者を募集しようと思います

応募先は画面のこの辺、この辺に表示されるはずです、この下の辺りですね

ご応募、お待ちしております

ウソです

でも、バンドやりたいのは本当です

私以外は全員女性がいいです

タンバリンマラカストライアングル担当したいという人でもウェルカムです

でも、言っておきますけど、例えばタンバリン世界レベルの奏者とか凄いんですよ

僕は何十年も前にその存在を知って、レベルの高さに驚いたのですけど、最近日本人でいるようです

ピアニカなんかも超絶プレイをする人がいます、小中学校楽器をなめてはいけません

まあ、まずは普通にベースドラムボーカルが来てほしいですね

彼氏がいても構いませんし、処女でなくても構いませんし、既婚でもバツイチでも構いません

でも、昨日のNHKを偶然見ていて思ったのですが、六本木心中アン・ルイスでないと駄目ですね

アン・ルイスみたいなボーカルに会いたいなぁ

2024-07-25

anond:20240724214330

上記プリントアウトして労基を訪問相談では無く指導要求。各項目に対してどんな証拠があれば良いのか聞いて、その証拠を揃えて次回提出。

袋入りのスナック菓子をもって高級老人ホーム訪問

毒母スナック袋の口に穴が空いていないか、これみよがしに、仔細にしつこく確認している

「毒入ってないよ(笑)

「さすがCIA(笑)

「次はお餅もってこようか?(笑)

勝手に大樹やら第一やら生命保険ネタにされて殺されかけた上、裁判所隠蔽工作かけられたんで、我慢限界はとうに超えていて冗談レベル

放火やら殺人とか起こしてない自分って、偉いわー

渋沢栄一ガチャ会社の元社員なんて最悪な奴らなんだろう

いわゆる柏木教会の異教徒にも学習院にも差別意識を持たざるを得ないんでね

どこの信徒でもないか犯罪ネットワークがないの辛いわあ

0歳の子を親戚に預ける女だから国交省の弟も含めて頭がいいんでしょ

臨終

都内病院看護師をしているものです。

先日、患者さんが病室で息を引き取りました。ご家族に囲まれながら、亡くなりました。

五三歳の男性で、末期の大腸がんでした。

入院中、ご家族はよくお見舞いに来られていました。男性独身だったようで、お見舞いに来るのは高齢のご両親と、ご兄弟、それに親戚らしき中年の方も数人お見えになっていました。

病室からはよく、励ましの声が聞こえました。

「まだまにあうよ」

「はやくおうちにかえろう」

「こんなところでしぬのはゆるさない」

当然、ご家族男性の命が残り少ないことはご存知だったと思います

それでも、賢明に語りかけていました。

男性精神的に不安定だったのか、「帰らんと言ってるだろ!」と何度か怒鳴っていたのを憶えています

「もう、放っておいてくれ」とも言っていました。

しかし、ご家族訪問を止めることはありませんでした。

いよいよという頃になると、ご家族男性を家に帰したいと、医師相談するようになりました。

ところが、本人が頑なにそれを拒んだのです。

あいつらの言うことは絶対に聞かないでくれ」

先生には、そう強く訴えていたそうです。

ご臨終の日。

男性家族に囲まれながら、ベッドに横たわっていました。

かろうじて息をしている状態で、既に会話は無理でした。

病室には、ご家族だけを残して、最後時間を過ごしていただきました。

たまたまわたしが病室の前にいたときです。

病室からこんな声がしました。

「まにあわなかった」

「このできそこない」

「こんなはずかしいしにかたしよって」

「せっかく、おのぼりさんになれたのに」

ぺッと音が聞こえました。

後になってご遺体確認したところ、お顔に唾のようなものがかかっていました。

あのときわたしはこの人達に関わってはダメだと、そう思いました。

2024-07-24

anond:20240724133243

橋本総理(当時)発コック首相書簡要旨

1998年7月15日

我が国政府は、いわゆる従軍慰安婦問題に関して、道義的責任を痛感しており、国民的な償いの気持ちを表すための事業を行っている「女性のためのアジア平和国民基金」と協力しつつ、この問題に対し誠実に対応してきております

私は、いわゆる従軍慰安婦問題は、当時の軍の関与の下に多数の女性名誉尊厳を深く傷つけた問題認識しており、数多の苦痛経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての元慰安婦の方々に対し心からのおわびと反省気持ちを抱いていることを貴首相にお伝えしたいと思います

そのような気持ちを具体化するため、貴国の関係者と話し合った結果、貴国においては、貴国に設立された事業実施委員会が、いわゆる従軍慰安婦問題に関し、先の大戦において困難を経験された方々に医療福祉分野の財・サービス提供する事業に対し、「女性のためのアジア平和国民基金」が支援を行っていくこととなりました。

日本国民真摯気持ちを表れである女性のためのアジア平和国民基金」のこのような事業に対し、貴政府の御理解と御協力を頂ければ幸甚です。

我が国政府は、1995年内閣総理大臣談話によって、我が国過去の一時期に、貴国を含む多くの国々の人々に対して多大の損害と苦痛を与えたことに対し、あらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたしました。現内閣においてもこの立場に変更はなく、私自身、昨年6月に貴国を訪問した際に、このような気持ちを込めて旧蘭領東インド記念碑に献花を行いました。

 

そして貴国との相互理解を一層増進することにより、ともに未来に向けた関係を構築していくことを目的とした「平和友好交流計画」の下で、歴史研究支援事業交流事業を二本柱とした取り組みを進めてきております

我々は、過去の重みから未来への責任からも逃げるわけにはまいりません。我が国としては、過去歴史直視し、正しくこれを後世に伝えながら、2000年には交流400周年を迎える貴国との友好関係を更に増進することに全力を傾けてまいりたいと思います

2024-07-23

時代的な信用金庫担当者

訳あって信用金庫の口座を作ったんだけど自分スタイルと合わなくて辛い。

担当者がというより信金方針なんだろうけどIT業界で働く自分としては信じられないことが多い。

例えば営業担当者メールアドレスを持っていないのでコミュニケーションは全て電話

セキュリティがうんたらかんたらと言ってメールアドレスを持っていないらしい。名刺にも記載なし。

話があるといきなり電話がかかってくるので面倒なんだけど先日はなんと午前9時に電話してきた。

他にも申請書や書類の提出が必要な時は対面手渡しが基本でオンライン申請は一切無し。

そしてすぐウチに来たがる。担当者が変わると挨拶と言ってピンポン押してくるし

書類の受け渡しが必要受領証を出すからとすぐ訪問したがる。

自分フリーランスなので自宅兼オフィスみたいな感じなんだけど

一般的マンションなので他の住民の皆さんに迷惑がかかるのでやめてくれ。

信金営業方針として地域密着地元商店零細企業ターゲットなのはわかるけど

さすがに今時メールぐらい使えるようにして欲しい。

2024-07-22

普通人間雑談の内容や、初めて訪れた場所で通った道とかある程度覚えてると聞いて驚き

自分発達障害者である

会社で扱っている機器メンテナンス担当しており、機器を設置してある客先に車で訪問することがある。

そのとき、初めて訪問した客先で担当者と雑談をしたが、何を話したかマジで何も覚えてなかった。帰社後その客先の担当者と顔見知りの上司に「担当の〇〇さん面白い人でしょ?俺のことなんか言ってた?笑」と聞かれたが、仕事契約でこうこうすることになったという結果は覚えているが、雑談で何を話したか全く覚えておらず具体的なエピソードが何も出てこなかった。

上司助手席に乗せて客先へ車で向かった時、自分は以前訪問したことがあったのだが、カーナビに出てこない分岐の道があり、どちらかが正解でその分岐を進まないと客先へ辿り着けないのだが、どちらが正解か全く覚えておらず、不正解の道は進んでしまい、「お前来たことあるんだよな??」と上司を呆れさせた。

普通人間雑談の内容や、初めて訪れた場所で通った道とかある程度覚えてると聞いて驚いた。発達障害者自分は、雑談の内容を記憶しようとするなら、「雑談の内容を記憶して上司に報告しなきゃ」とスイッチをオンにし集中モードに入り、メモを取らないと記憶できない。こうでもしない限り、右から左へ話の内容が抜けていき、何も記憶に残らない。車を運転する時もそう。この分岐はこっちが正解!!とメモを残さない限り絶対忘れる。

2024-07-18

人生どん底小学校とき

私の両親は6歳のころに離婚した。

ある日突然、父が私と姉を実家に連れて行った。

父は離婚したくて、両親に相談したところ連れて来いと言われたそうだ。

母は大変驚いて、何が何だかからなかったそうだ。

ところが、祖父母は「私ちゃんは育てられない」と言ったらしい。

父は祖父会社で働いていたし、両親の手がないと子供を育てられない、自分だけでは育てられないから、両親の言うことを聞くしかなかったらしい。

祖父(父の)は祖母(母の)に電話をして、「その家を三日以内に出ていけ、お前の娘(母)は大阪に連れて帰れ」といったそうだ。

母は私と姉を父の実家に迎えに来た。私はその時のことを覚えている。

祖父母母親の言い争う声、母の泣き声、今なら母が不憫で仕方ない。

母は当時28歳とかで、父は37歳とか、実家は遠方で誰も頼れず、誰にも気が付かれず、頭のおかしい義両親にいじめられていたのだ。

母の実家サラリーマン家庭であることを馬鹿にし、週に何度も小言を言いに訪問し、二人の娘のうち、一人だけをかわいがり、母は参っていたんだと思う。

そんな状況の中で子ども拉致られ、取り返しに来たら罵倒され、姉の方は絶対に返さないけど、妹の方なら連れて帰れと母は言われたのだ。

「私ちゃんは本当に息子の子どもなのかわからないわ。」

祖母が実際にそういったらしいが、隣にいた私の父は一言反論もしなかったそうだ。

母と私はこうして二人で暮らすことになった。

別居状態で姉の親権一年ほど争っていたけど、父から婚姻費用も貰えす、離婚は成立していないので母子家庭状態かつ収入もほぼないのに児童扶養手当も貰えない状況で、母は離婚に応じるしかなかったらしい。

父は私に毎週会いに来た。父は私のことが大好きで、一緒に暮らしたいとしきりに言っていたし、なんでも買ってくれて何でも食べさせてくれた。

私は父が大好きだった。

母との暮らしは極貧だったうえに、母は病んでしまってアル中、家はゴミ屋敷だった。

家の中にコバエが死ぬほど飛んでいたし、シンクはカビだらけ、家中めちゃくちゃだった。

怖いもので、私はそんな家の中でまともな感覚を失い、その状態に完全に慣れていた。細かいエピソード割愛させてもらうが、私も母もまともじゃなかった。

そんな中、母に彼氏ができた。(離婚後、男遊びはまあまあしていたみたいだけど、さすがに育児放棄はしてませんでした。毎日帰ってくるし、男を連れ込んだりもしてません。そんな中一人の男が彼氏になりました。)

これを読んでくださっている人の中には、ヤバイ!って思った人がいるかもしれないけど、そうです、やばいです。

この彼氏DV男でした。すぐ不機嫌になるし、すぐキレるし、機嫌を取ってあげないといけないタイプでした。なんでや!!!

母はこの男と付き合いだしてから、家にいるときはずっと電話していた。マジでずっと。

母はキッチンでずっと電話してて、私はリビングで一人でご飯を食べて一人でテレビを観て、母と会話なんてほぼしない生活になった。やば。

私が母と話したくて話しかけに行くと、あっち行ってて、って感じだった。なんかかわいそうになってきた笑

まあ当然私は不愉快まりないわけで、最悪!!って感じでした。

その男と初めて会ったのはいつだったかな、忘れたけど、私と母でその男の住む地域に遊びに行った。

その時、その男は私と母をいろんなところに連れて行ってくれたけど、私は終止不機嫌。

なんせ父が大好きだったし、母が違う男に夢中になり、無理やり連れてこられ、何もうれしくないんだから

その帰りの電車で母に叱られた。

私は何も反論できなくてぽろぽろ泣いた。なんか悲しくて悲しくて仕方なかった。

そのうち私と母の暮らすアパートに男は入りびたるようになった。最悪である

母とその男喧嘩は壮絶で、すごい怒鳴りあうし、母は携帯を折られるし殴られるしガチやばかった。

私は殴られたことないけど、なんで付き合ってるのかわからなかった。

夜、私に風呂に入ってこいって命令して、私が風呂に入っているときに子作りしていた。グロすぎ。ちょっと成長してからあの時のあれって...ってなった時吐きそうになったわ。

そのおかげで、私が小3のときに母に赤ちゃんができたので、母はその男結婚すると言い出した。意味不明だった。

引っ越すから父や姉と会えなくなるし、転校することになって、今度は私が病み散らかした。

私と母は、その男が住んでいる県に引っ越した。毎週のように会っていた父とも会えなくなり、友達もいない、親戚もいない、来たこともない土地連行された。

小4にして人生どん底、母しか頼れないのに、母は新しい夫の世話と赤ちゃんに追われ、私は人生でこのときが一番孤独だった。

私の反抗的な態度に腹を立てると、男はその文句を母にぶつけて喧嘩がはじまる。

喧嘩は私のせいだと母に怒られる。

(あと母のいないところで若干セクハラされたことある実は。忘れてた。)

私と母はこのころから毎日のように喧嘩していた。今思えば、私の反抗期(?)と母の余裕のなさがベストマッチだった。

私は母に殴られるし、物投げられるし、首絞められるし、髪をハサミで急に切られるし、児相案件では??って感じだった。

母も母で、めんどくさい男の機嫌を損ねるうっとうしい娘と生まれたて赤ちゃんを抱えた貧乏生活で、すっごい大変だったんだと思う。今ならわかるよ。

まあ自分で選んだんやろって昔は思っていたけど。

当時はマジで貧乏で、母は私に、「パパに電話してお金もらって」って言ってきてた。

正直これは本当にしんどくて、父は母にお金を渡したくないから、超板挟みだった。ちなみに母の再婚後に父は養育費を払うのをやめました。

母もわかっているから、私が欲しいものを買うお金をもらう体で頼めって言ってきた。あれが必要、これが必要、あれが欲しいこれが欲しいって言えみたいな。

私はその電話を本当にしたくなかったけど、母は絶対に譲らないから、電話するまで何時間でも迫ってきた。

小学生の私はそこで折れないほど強くなかったから、父に電話してた。

父にお金をせびるのは中学生くらいまで続いたかな、父には申し訳なかった。私もつらかったんだけどね。

私は本当に病んでて、小学生の頃は腕切ってた。笑


中学校に入ってから人生楽しくなってきて、部活勉強に忙しくしてて、私の中で家庭が占める割合が減ってきたから、そこまで病み散らすことがなくなった。

母と男と弟で普通家族なのに、私邪魔じゃねって思っていたことぐらい。

でも母との仲は最悪で、喧嘩ヒートアップしてた。私も体力がついてきたので普通に殴り合いしてた笑

そういえば母はなぜか友達と遊びに行くことをよく思っていなかったのがすごく不思議。その喧嘩すごく多かった気がする。

高校受験の時はそれなりにもめた。私は県外の高校に行って親元を離れたかったけど母は猛反対。

私も頑張って説得しようとしたけど、結局無理で戦意喪失勉強する気が失せて公立落ちて私立に進学することになった。


高校に入ったらもう無敵、親に何言われようが無視。なんでも強行突破できるくらいには私も強くなった。

バイトも早々に始めたけど、はじめの一年くらいは母管理だった。普通お金取られてたけど、ほんと大したことない。小学生の頃のつらさに比べたら屁でもない。

あ、高校自分のせいで私立なっちゃったので学費バイト代で払うと申し出た。

3か月に一度13万くらいの引き落としがあって、私は月3万母に手渡し。

補助金は後から振り込まれるので、いったん払う必要があり、私はバイト代を渡していた。

私立助成が月3万ちょいあるから絶対黒字だったけど、私そんなに払わなくてよかったけど払ってた。自分私立選んだんだし、母はいるって言い張ってたし。

あと携帯代も1万円渡してたから、毎月母に4万円手渡ししていた。

からいっぱいバイトしてた。友達出来てすごい楽しかたから、別に苦じゃなかった。

さあ大学受験!私は絶対実家を出るという強い意志があったので、都内大学に進学することを決めた。

ここでみなさん心配してくださったかな、お金あるの?って

父の出番が来ました。父です。私の父は先述の通り私大好きなので、私が上京するよと言ったら大喜び、生活費を出してくれることになりました。

父は都内に住んでいます

さすがに一緒には住まなかったけど、生活費(家賃光熱費、食費)を毎月定額で支援してくれた。

わたしってスーパーラッキーガールだと確信しました。なんて恵まれてるんや。

ちなみに学費は全額借金です。これは仕方ないし文句もない、私の責任において私がしっかり返済する。

大学行けただけで大感謝。ほんと素晴らしい人生ラッキー人生

大学入学し、一人暮らしがはじまると、お金に余裕は全然ないながらも、めっちゃ楽しい生活

ただ定期的に母から金貸してって言われることがだるいくらい。消費者金融かに借金してほしくないから貸してたけど返ってこないのであげたことにする。

母と距離を置くようになったらめっちゃ仲良しになった。最高。マジ友達

私と母は一緒にいろいろ乗り越えてきた戦友で、家事育児(弟)も完全ツーオペで、離婚再婚貧乏DVも全部一緒に一生懸命乗り越えてきた戦友。

母の苦労を一番わかっているのは私で、私のことを一番よく知っているのももちろん母。

母は立派な親じゃないし、立派な人間っていうわけでもない。

親なのに、母なのに、大人なのに、って私はずっと理想の母と比べていたけど、母は母でしかないことにようやく気が付いた。

母は母なりに一生懸命やったし、母もどうすればいいかからなかったし、申し訳ないとか本当はこうしたいとか、いろいろ考えてたはず。

から今恨んだりしない。文句全然言うけど母を断罪できるほど私は偉くないし。

ちなみにDV男はDVこそしなくなったけど、(何回か警察沙汰になってる笑)いまだにわがままくそ自己中男です。

でも昔に比べたらほんと丸くなった。ちなみに私のこと大好き。マジで帰省するの超楽しみにしてるっぽい笑

さて、ただちょっとだるいことがまだありまして、父です。

父は私を溺愛しているから、私と一緒に住みたいとか、将来は一緒に住もうとか、私と暮らすのが人生目標だったとかいろいろ言ってきます

皆さんどう思いますか。

どういった経緯で離婚に至ったのか思い出してください。

私はちょっと複雑なんです。

私と母をある日突然捨てておいてって思っちゃう。姉と突然引き離して。

離婚はどっちが悪いとかじゃないとはいえ手段は悪かったんちゃいますの。

父がいなければ大学に行けてないし生活もできてないか感謝はもちろんしているけど、私と母がどんだけ苦労したと思ってます???

ついでに姉も大変病み散らかして大変こじらせていて、ヲタク高校中退のフリーター

姉が父の実家でどんな思いで暮らしてきたと思っているの。ある日突然母親を奪って。

私は母に申し訳なくて父と一緒に住むことはとてもできない。でもはっきりそう言えない。今は父に生かされてるから

これはコンプレックスの話なんですけど、いとこの存在が私の家庭環境コンプを刺激するんです。

母の妹は二人いて、それぞれ結婚して子供がいて専業主婦

それぞれ大変なこともあると思うけど、私の目には普通幸せな家庭に写る。

いとこたちは両親がそろった家で、食べるものにも住むところにも困らず、お金の苦労も知らず、本当に大切に育てられている。

めっちゃいいことなんだけど、私がなんだか惨めで。

全くの他人ならこう思わないけど、身内だから...

誰かを恨んでいるわけじゃないけど、自分が惨めで仕方ない。

私が欲しくて欲しくて仕方なくてどんなに努力しても頑張っても望んでも絶対に手に入らないものを生まれながらに持っているじゃん。

普段は接点ないから感じないけどたまに関わると自分が惨めになってて。

そんな自分が一番だるい

そんなどうしようもないこと考えるなよって思うけど、ほんとに誰にも言えなくて、誰かに聞いてもらったらすっきりするかなと思ってこれ書くことにした。

長すぎて誰も読まないかもしれないけど、私の誰にも言えない話を読んでくれたら本当にうれしいしこの気持ちが晴れる気がする。

家庭環境系の話って友達にできないんだよね、重すぎて。

読んでくれて本当にありがとう。読んでくれる人がいたらまた思い出話させて。

進行した認知症患者誤嚥肺炎とは延期可能老衰である

誤嚥肺炎という病気がある。

ガイドラインでは、誤嚥リスクのある宿主に生じる肺炎、と定義される。

そのうち最も多くを占めるのは高齢かつ進行した認知症患者発症する誤嚥肺炎である

内科救急で最も多く経験する疾患で、入院で受け持つ頻度もかなり高い。

特異なことに、最も多く接する疾患の一つでありながら、専門家存在しない。

肺炎から呼吸器なのかといえば、呼吸器内科医は認知症への対応は専門ではない。

精神科認知症診療業務範囲に含まれるが、身体疾患が不得手である

神経内科医は嚥下認知症を専門領域の一つとするが、絶対数が少なく、専門領域が細分化されている。

そんなわけで多くの場合内科医が手分けして診療することになる。

そういうわけだから誤嚥肺炎に対する統一的な見解はない。ガイドライン2013年から更新されていない。また誤嚥肺炎に関する文献や書籍はあるし、質の良いもの出版されているが、多くは診断、治療、予防に重きを置く。価値観に深く踏み込んだもの殆どみない。患者自身が何を体験しているか推定している文章殆ど読んだことがない。

病状説明も僕が研修医でほかの様々な医師説明を聞いても、肺炎です、誤嚥が原因です、抗菌薬で治療します。改善しないこともありますし、急変することもあります、といった通り一遍説明以上のことを聞いたことは殆どなかった。

当然ながら国家試験の出題範囲にも入っていなかった。

もっともよく経験する疾患でありながら、どうするべきかの具体的な方針大学教育でも研修医教育でも提供されないのだ。

にもかかわらず、認知症患者誤嚥肺炎は最も多い入院かつ、その患者入院期間が長い傾向にある。入手可能データだとおおよそ一か月の入院となる。死亡退院率はおよそ15-20%で、肺炎としては非常に高い。疫学については良いデータがないが、専門病院などに勤務していなければ、受け持ち患者のうち5人から10人に1人くらいは誤嚥肺炎が関連している印象がある。

誤嚥肺炎は、進行した認知症患者ほど起こしやすい。そして、誤嚥肺炎を起こすことでさら認知機能が低下する。しばしば経口摂取が難しくなる。そして自宅や施設退院することが難しくなり、転院を試みることになる。

転院待ちのためにさら入院期間が延びる。

典型的には進行した認知症を背景に発症するので、意思決定を本人が行うことができない。患者施設入居者であることも多く、施設職員がまず来院する。その後家族が来院して、話をする。肺炎であるから治療可能な疾患の前提で話が進む。進行した認知症治療不可能な疾患があることは意識されない。

ここでは、進行した認知症、つまり意思決定能力があるとは考えられない患者、今自分がどこにいて、周りの人がだれであって、自分の状況がどうであるかを理解できないほどに進行した認知症患者、と前提する。

退院してもらうための手段、という意味では治療は洗練されてきている。口腔ケアを行い、抗菌薬を点滴する。嚥下訓練を含めたリハビリテーションを行い、食事を早期から開始し、食形態誤嚥しづらいものに変える。点滴を早期に切り上げて、せん妄リスクを減らす、適切な栄養療法を併用して低栄養を防ぐ…。

そういったことを組み合わせると、退院できる可能性は高まる身体機能食事を再開できないレベルまで低下することはあまりない。

しかしそこまでして退院した患者は、以前の身体機能認知機能を取り戻すわけではなく、少し誤嚥肺炎を起こしやすくなり、活動制限がかかり、介護をより多く要するようになり、認知機能さらに低下して退院していく。

から人によっては一か月とか半年後に誤嚥肺炎を再び発症する。

家族医師は以前と似たようなものだと考えている。同じような治療が行われる。

そこに本人の意思はない。本人の体験がどうなのかを、知ることはできない。

というか、進行した認知症で、ぼくらと同じような時間感覚があるのだろうか。

本人にとって長生きすることの体験価値があるのか、ないのかも知ることは難しい。

 というのは逃げなんじゃないか

状況認識ができなければ、そこにあるのは時間感覚のない快・不快感覚だけではないか。だとすればその時間を引き延ばし、多くの場合苦痛のほうが多い時間を過ごすことにどれほどの意味があるんだろうか。

なぜ苦痛のほうが多いかといえば、状況を理解できない中で食形態がとろみ食になり(これは美味とは言えない)薬を定期的に内服させられ(薬はにがい上、内服薬をへらすという配慮がとられることはめったにない)、点滴を刺され、リハビリをさせられ(見当識障害されている場合、知らない人に体を触られ、勝手に動かされる)、褥瘡予防のための体位変換をさせられ、せん妄を起こせば身体拘束をされ、悪くすると経鼻胃管を挿入される(鼻に管を入れられるのは、快適な経験ではない)

どちらかといえば不快であるこれらの医療行為は、治療という名目で行われる。

この治療は、肺炎治療するという名目の元に正当化される。

多くの医師は疑問を抱かずに治療する。治療される側も、特にそれに異をとなえることはしない。異を唱えるだけの語彙は失われている。

仮に唱えたとしても、それはせん妄認知症悪化としてとらえられてしまう。

老衰過程が長引く苦しみがあり、その大半が医療によって提供されているとは考えない。

 ここで認知症というのは単なる物忘れではないことを説明しておく。それはゆっくりと進行する神経変性疾患で、当初は認知機能、つまり物忘れが問題になることが多いが、長期的には歩く能力、座る能力食事する能力が失われ、昏睡状態となり最終的には死に至る疾患である

 多くの内科医はこの最後の段階を理解していない。肺炎入院したとき認知機能について評価されることは稀だ。

実際には、その人の生活にどれだけの介護必要で、どのくらいの言葉を喋るか、笑顔を見せることがあるか、そうしたことを聞けばよいだけなのだけど。

進行した認知症入院するのがどのような体験か、考慮されることはめったにない。

 訴えられるかもしれないという恐れの中で、誤嚥リスクを減らし、肺炎治療するべく、様々な医療行為が行われる。身体が衰弱していくプロセスが、治療によって延長される。

 医療において、患者権利尊重されるようになってきた。僕らは癌の治療を中断することができる。良い外科医を探すべく紹介状を書いてもらうこともできる。いくつかの治療法を考慮し、最も良いであろうと考える治療選択することもできる。

 しか患者自身認知機能を高度に障害されてしまった場合はそうではない。医師が何を希望するかを聞いても、答えてくれることはないし、答えてくれたとしても、状況を理解できないほどに認知機能が損なわれている場合は、状況を踏まえた回答はできない。

 そこで「もし患者さん本人が元気だった時に、このような状況をどうだったと考えると思いますか」と聞くこともある。(これは滅多に行われることはない。単に、どんな治療希望しますか、と聞くだけだ。悪くすると、人工呼吸器を希望しますか、心臓マッサージ希望しますか、と聞かれるだけだ。それが何を引き起こすかは説明されずに)

しか問題があって、認知症が進行するほどに高齢患者家族もまた、高齢であって、状況を適切に理解できないことも多い。また、記憶力に問題があることもしばしばあって、その場合は話し合いのたびに最初から話をしなければならない。このような状況は、人生会議の条件を満たしていない。もしタイムマシンがあれば、5年前に遡れば人生会議ができたかもしれない。

 親類がいればよいが、これからの世の中では親類が見つかりづらかったり、その親類も疎遠であったり、高齢であったりすることも多いだろう。

 そうした中では、理解が難しい場合も、状況を理解して改善しようという熱意に乏しい場合も、(本人の姉の息子がどのように熱意を持てるだろうか)、そして何より、医師が状況を正確に理解し彼の体験想像しながら話す場合も、めったにない。

 意思決定において、話し合いは重要視されるが、その話し合いの条件が少子高齢化によって崩されつつあるのだ。

 無益治療、という概念がある。

「同じ治療をしても100回に1回も成功しないであると推定されること」

「その治療を行っても、急性期病院から退院できないこと」

この二つを満たすことが無益治療定義である。この概念提唱した、ローレンス・J・シュナイダーマンと、ナンシー・S・ジェッカーは、脳が不可逆的に障害された患者対象としている。

彼らはいかなる経験をすることもないから、治療による利益を得ることもない、だから無益治療倫理的に行うべきではなく、施設ごとにその基準を明示するべきだ、というのが彼らの主張である

高度に進行した認知症患者誤嚥肺炎治療は、厳密な意味での無益治療ではない。彼らは何かを体験する能力があるし、半分以上は自宅や施設に帰るだろう。自宅や施設では何らかの体験ができる。体験を感じる能力も恐らく完全には損なわれていないだろう。

この完全ではない点が、倫理的な空白を作り出す。

痴呆から認知症/物忘れと名前が変化したことは一因だろう。

そこで死に至る疾患である印象が失われた。

専門家の不在は、価値の普及を妨げた。病状説明の型がある程度固まっていれば、それがどのような形であれ、専門家集団によって修正され得ただろう。ガイドラインは不十分である医療ガイドラインエビデンスのまとめと指針である。つまり誤嚥肺炎の診断・治療・予防であり、その価値に関する判断はしばしば言及されない。ガイドラインはないにしても、診断・治療・予防に関して役立つ本はある。ただ、価値踏み込む場合も、基本的にはできる限り治療するにはどうすればよいか、という観点である

人生の最終段階における医療ケアの決定プロセスに関するガイドライン人生の最終段階における医療ケアに関するガイドライン存在するが、そもそも高度な認知症合併した誤嚥肺炎が、人生の最終段階と解釈されることはめったにない。だからこのガイドラインを用いた話し合いができることは少ない。また、多くの医師は、押し付けられた仕事認識していることから、じっくりと時間をとって家族と話をすることはなかなか期待できそうにない。多忙であればなおさらである

さらに状況が不利なのは、個々の病院Key performance indexは、病床利用率であることだ。

認知症患者誤嚥肺炎は、しばしば酸素必要とし、時に昇圧剤やモニター管理を要するなど重症であることが多く、入院期間が長くなる。そのため、看護必要度を取りやすい。多くの病院は、その地域病院が不可欠であることを示す必要がある。不可欠であることの証明に病床利用率と、看護必要度使用される。そのため、誤嚥肺炎患者を引き受けない理由はない。救急車の使用率も高く、数値上は確かに重症であるので、病院経営上は受け入れておきたい。

 介護施設に入所した場合は、誤嚥肺炎の死亡で敗訴し、2-3000万円の支払いを命じられる訴訟複数あることもあって、搬送しないという選択肢は難しいだろう。

 介護施設から搬送された患者誤嚥肺炎であることは多い。その一方で、こういった場合家族が十分な話し合いの時間を割けないことが多い。片手間でやっている医師も、長い時間をかけて説明したくはないので、お互いの利益が一致して肺炎治療が行われる。

 一方、最近増えている訪問診療は、誤嚥肺炎治療を内服で行うとか、そもそも治療を行わないという選択肢を提案できる場である。そこには期待が持てる部分もある。定期的な訪問診療でそうした話がしっかりできるかといえば難しいが、可能性はある。ただ、訪問診療医になるまでに、誤嚥肺炎に関する専門的なトレーニングを受けるわけではない点が問題になる。しかし家での看取り、という手段を持てるのは大きいだろう。

 

訪問診療を除けば、医療の側からこの状況を改善することは殆ど不可能なように思える。

 病院経営構造施設訴訟回避医師不勉強説明不足、そしてEBM患者中心の医療を上っ面で理解したが故の価値という基準の不在、めんどうごとを避けたい気持ち多忙さ、患者自身自己権利利益を主張できないこと、家族意思決定能力の乏しさや意欲の乏しさ、こうした問題が重なりあって、解決は難しいように思える。

現在誤嚥肺炎入院担当する主な職種である内科医は、糖尿病外来診療を主たる業務とする内分泌代謝内科という例外を除いて、減少しつつある。

専門医制度煩雑になったからというのもあるが、ぼくは少なから認知症高齢者の誤嚥肺炎診療したくないから、希望者が減っているのだと思っている。確かに診療をしていると、俺は何をやっているのだろうか。この治療に何か意味があるのだろうか、と考えることがあった。同じようなことを考えている医師は少なからずいる。露悪的なツイートをしている。しか構造上の問題点について踏み込むことはそこまでない。

僕は構造的な問題だと思っていて、だからこういう文章を書いているわけだ。

進行した認知症患者誤嚥肺炎とは延期可能老衰である、という共通認識が広がれば、状況は変化してくるかもしれない。事実認知機能が低下していない高齢者で、延命希望しない方は多い。その延命意味は具体的に聞けば、かなりしっかりと教えて頂ける。

誤嚥肺炎診療は、所謂延命解釈することが可能範疇に入ると僕は考えている。

後期高齢者医療自己負担額一割と、高額療養費の高齢優遇の組み合わせを廃止することや、診療報酬改定によって、誤嚥肺炎入院加療の色々なインセンティブを調整することで、否応なしに価値が変化するかもしれない。そういうやり方をした場合、かなりの亀裂が生まれる気もするけど。

2024-07-14

anond:20240714092049

アポ無し訪問はまさに「付き合ってるんだから当然ワガママ聞いてくれるよね?」って気分でやってるから

『俺の感覚だとアポ無し訪問は「ワガママを聞いてあげてる」的な認識

で合ってるよ

anond:20240714092049

恋人アポ無し訪問と言えば、アポ無しで彼氏の家に行ったら今家にいないって断られたのを浮気されたと思い込んでブチ切れたという猫ミーム動画があったな。アポ無しで行くな相手の都合考えろと批判殺到してたが。

恋人アポなし訪問の件

https://anond.hatelabo.jp/20240712182743

増田を読んだ。男女性別逆ではあるが元増田共感できるなと思って読んでいた。世間マジョリティも当然そうだと思ってたんだけど、ブコメ見ると意外とアポなし訪問肯定派がいて驚いたので自分見解コメントしておきたい。

一言で言うと、アポ無し訪問生活スケジューリングが狂うんで、恋人だろうが会うためのコストが上がって負担なんだよね。

そこそこ忙しい社会人常識的感覚としては、当日会う予定の連絡は遅くても昼休みくらいには欲しいと思ってて。なんて言うか、「今日会社上司に酷いパワハラくらって、メチャクチャいから俺と飲んで慰めて欲しい…」くらいのことがないと恋人だろうがアポ無しで訪問しない認識なんよ。

普通社会人の平日の生活ってさ、翌日朝イチで大事会議がある日はお酒飲まずに早めに寝たいとか、毎週水曜はジム通いしてるからこの日はなるべく予定入れないようにしているとか、TOEIC受験いから最低週5時間英語勉強する時間確保してるとか、帰宅早くなったから「自分一人分」の食材買ってご飯を作り始めるとか、夕方までに予定入らなかったら、その日の夜は自分のために時間使う前提で動くよね?

とはいえ恋人が部屋まで尋ねてきたら「夜ジム行きたいか今日は会えない」って追い返すわけにも行かないでしょ。事前に訪問来るのわかってたら、少し早めにジム行って、夜9時以降の遅めの時間なら会えるとか調整して自分時間恋人と過ごす時間も両立できるのに、アポ無しで訪問あったばかりに自分の予定はダメになって(でも恋人自分希望叶えられてラッキー)、不公平状態になってしまうわけじゃん。

から、俺の感覚だとアポ無し訪問は「ワガママを聞いてあげてる」的な認識になってストレス蓄積していくのね。相手ワガママな振る舞いしてる自覚あって、受け入れてくれることに感謝気持ち持ってくれてるならまだしも、ワガママな振る舞いと認知されてないのがまた辛いところで。この感覚、真面目に仕事してる社会人なら共通で持ってるもんだと思ってたけど、意外とそうでもないの?

2024-07-13

引きこもり生活保護受けさせるビジネス始めたい

引きこもりって何の社会的支援も受けてないんだよ

引きこもりって病院にも行けないし、親の庇護のもとに暮らしてるから

けど、本来引きこもりって社会的支援必要としてるひとたちじゃん

から引きこもり世帯分離して移動させて、医者訪問治療を受けさせて生活保護受給させる

引きこもり存在してるだけで、その家庭にとっては年間めちゃくちゃ損失生まれてると思うんだよ

から、金払いはいいと思うんだよね

結果安くつくし

2024-07-12

ゴミ屋敷じじばば訪問医療とか社会制度が終わってると思うけどな

そんなゴミじじばばなぞに公金使うな

しろボランティアで燃やし尽くしたるやぞ

新人向け】会社仕事ができるようになるテクニック

こんにちは4月入社の方はもう3ヶ月たちましたが元気にやっていますか?

出世したいかどうかはさておき、人生の中で多くの時間をかけるのであれば、穏便な人間関係の中で働きたいと思う人は多いのではないかと思います。穏便な人間関係もつためには、先輩や同僚の性質によるところも大きいですが、じつはあなたの振る舞いによっても変わります

自然とそんな振る舞いができる方も少なくないですが、これまでと違い、年の離れた人たちが多い環境では、あえて教えてくれる人も少なくできない人はいつのまにか失敗してしまい穏便な人間関係を持ちにくい方もいるでしょう。

そんな方々に、上から目線で恐縮ですが、数点テクニックを授けますコメント歓迎です!

1.返信もしくはリアクションをする

メールだったりSlackだったりであなた宛てになにかを頼まれることがあります

そのとき、気付いたときに返事をしたり、リアクションスタンプ)をとって、受け取ったことを依頼者に伝えると依頼者は安心します。

それがなければ、依頼者はあなたが依頼を見逃しているのか、困っているのか判断できず気にし続けることになってしまます

依頼に対して、不明点を訊いたり、対面(もしくはビデオチャット電話)での意識合わせしたいであったり、見込みの所要時間を伝えるとなおよしです。

2. 数時間以上リアクションできないときはわかるようにする

予定がないにもかかわらずチャットでのメンションに3時間以上対応ないことは基本ないようにする。

例えば集中モードに入るとか研修や客先訪問があるのでSlackはみません、というときはあらかじめ宣言しておくかステータス更新しておいてほしいです。

※ 突発した打ち合わせやなんらかの対応があった場合は仕方ないですがその場合は、そういう事情があった、と「言い訳」してほしいです。

3.休むときはチームに共有する

労務的には勤怠管理ツール申請するだけでよいのですが、これだと上長しか把握できません。チームのいるチャットなどでも共有してもらえないと、チームはあなたがいない理由がわからず困りますSlackでしたらステータスを設定しておくと便利です。

また、体調不良なら仕方ないですが、それ以外で、例えば明後日休みます、というときはその日にあなたが主要な参加者となる打ち合わせを調整してください。小規模の打ち合わせであればリスケを依頼するか、議事録を読んでおくと宣言するなどあるとチームメンバーフォローやすくなって一緒に働きやすくなります

4.あいさつする

出社したときおはようございます、と言ったり、退勤するときに、おつかれさまですといったり、お先に失礼します、というだけでちょっと信頼感があがります。何も言わずにいなくなると不審に思われます

あいさつなんて儀式的なもの社会でいらないと思うかもしれませんが、先輩方も人間で、人間は複雑です。単純接触効果で声をかけるだけでも信頼感は増えます

※ 多くの人間が長時間残業している職場であれば定時に帰ることにひけめがあるかもしれません・・・

5.声をかけられたときに、顔を向けるかひとこと返事をする

声をかけられたときに、パソコンに向かいながら話を続けると、話を聞いてくれていないと信頼を失いやすいです。

すぐに手を離せない場合は「この返事をするので少しお待ち下さい」であったり「あとでそちら行きます」などと伝えるなどしてください。

6. 失敗したとき申し訳なさそうにする

誰でも失敗します。そして組織での失敗の場合は、チームの責任でもあってあなたけが悪いわけではないです。

というのは前提なのですが、失敗のフォローをしてもらっているときには、すみませんでした、もしくは、ありがとうございます、など一言声をかけるだけでも印象は違います

以上です。ほかのテクニック見出した方がいれば、はてなブックマークコメントするか、右下の「言及する」をクリックしてはてな匿名ダイアリーでお知らせください。

なるべく楽しく働いてお金を稼いでいきましょう!

2024-07-11

   字下げが生活保護法による開始を受けて東京暮らし始めてからも、木田ケースワーカー訪問すらしないといった状況(令和元年6月13日には宮脇ケースワーカー訪問しているが、

  木田は、平成30年~31年のCWである)。 字下げの最初の居室は富澤佳代子が、207号室とし、4月24日に206号室に転室したことは、木田ケースワーカーが記録していた。

   平成30年4月11日の、河瀬交番警部補射殺事件は、その間に発生していたが、字下げは認識していなかった。平成30年6月3日に、警察が、坂下に住んでいるきゅうかひでちで

  という者が被害を受けたという、弱い催眠映像を流し、 6月11日に、富澤のオヤジ電話でブチ切れ、赤羽ゴルフ場発声練習をするようになったのは、警察の監察課の設定自演でその数日後

    であると思われる。しかし具体的日付は分からない上に、 6月26日には、稲泉健一殺害事件もあったが、なぜ、その日になったのかは分からない。

   7月4日に、杉浦真理子で受診したときに、 不可能ですから、とだけ言ってその趣旨不明であり、 その二日後の7月6日に、 麻原彰晃死刑執行があった。

  この期間に関する記録はほとんどなく、あえて言えば、佳代子が、前田さんの発狂の音と音楽夜遅くまで鳴っていて寝られないそうです、という苦情のメールけが残っており、8月11日

   に、 また警察通報したよね? といったメール送信されてきているだけで、具体的に何をしていたかの記録はどこにもない。

   ところで立法技術に当たるが、 民法724条を立法する際に、 3年の短期消滅時効と、20年の弱い除斥期間を定めたものであるコンメンタールには書いているが、

 724条は、国家賠償法1条1項の、国家賠償請求権に対しても及ぶところ、 この20年が、 弱い除斥期間であると言われても、それがどのような技術であるかについては、専門家

 聞かないと分からないところである

  

警告: 潜在的セキュリティリスクあり

Firefoxセキュリティ上の潜在的な脅威を検知したため、www.keishicho.metro.tokyo.lg.jp への接続を中止しました。このサイト訪問すると、攻撃者がパスワードメールアドレスクレジットカードの詳細な情報を盗み取ろうとする恐れがあります

どうすればいいですか?

 

そこ、警視庁サイト・・・・・・

2024-07-10

anond:20240710213412

駐日イスラエル大使2022年都庁訪問して撮影した百合子とツーショット写真百合子の当選を祝う

当選後に大使写真を撮ったと誤解した蓮舫が「私なら都知事選直後のこんなタイミングでこんな外交しない」とくさす

この写真2022年撮影されたか都知事選前ですよと教えられ「撤回要請をすべき」と百合子に怒り出す

こういう流れ

2024-07-08

anond:20240708145343

田舎文化公共空間には無いよ

映画館とかスタバじゃなくて

レベルの人同士がお宅訪問とかして

演奏会とかお茶会だとかしてるんだよ

ヨーロッパ田舎貴族生活みたいなものだよ

縁のない人には一生縁がないよ

2024-07-07

自分メモ: 2024年都知事選でひまそらあかね投票した背景

8年前は小池氏に投票して、4年前は全く覚えてないので、今回の2024年都知事選で「ひまそらあかね」氏に投票した背景をメモしておきたい。

投票日当日午後に投票した小学校ラランドサーヤ出身地域にあった。なお、都議補選白紙投票した。

小池氏及び東京の現状にはこれといった不満は無い。そもそも膨大な予算がある東京で現職が不利になることはあまり考えられないのではないか。ただ、「イス取りゲーム」のイスが固定化されてきている印象、ゲーム面白く無くなっている印象があるので、その辺の漠然としたものに対するルール変更の要請はしたかった。

なぜ、東京の「イス取りゲーム」がダメになっているかというと、基本的には「高齢化」と言う感覚が強い。人口動態で「高齢者」が占める割合が多くなっているので、否が応でも「今イスに座っている人」の発言力が強くなるのだと思われる。東京以外の地方政治共産党 or not の大政翼賛体制になりがちらしいが、国道16号線エリアで30年ぐらい前はドーナツ化現象最前線で輝いていたこエリアでも、そうした流れを感じることがある。東京全体ではまだ大政翼賛体制ではないと思うが、そうした漠然した懸念ベース投票を今回はしたいと思った。

投票を一瞬でも考えた人は以下:
今回の投票行動に関して考えた東京の現状:
4年後の自分へ:

4年後の自分戦後復興計画を終了させられる人に投票出来ていたらうれしい。でも、他の地域に住んで、たまに東京を「訪問」してエンジョイ出来る人になれていたら一番うれしい。

[]母親が起き上がれなくなった

いままで自分で立ち上がってベッドわきのポータブルトイレで用を足していたが、それも介助がないとできなくなった

食事の際も歩行器でキッチンまで歩けていたのに、車いすで押してやらねばならない

ポータブルで便をするのを嫌がって食事を減らしたり、歩くのが辛いから通所でなく訪問リハビリに頼り、リハビリが帰るとただ寝るだけという生活を続けた結果がこれである

その点を諭したが「まさかこんなになるとは思わなかった」「家にいたい。お前にも介助してほしい」である

父も限界を感じて週明けにもケアマネを呼んでどこかの施設への入所を検討すると言っている

今まで食事の介助が不要だったので仕事に出られたが、いよいよ辞めなきゃならんかもしれん

母親が起き上がれなくなった

いままで自分で立ち上がってベッドわきのポータブルトイレで用を足していたが、それも介助がないとできなくなった

食事の際も歩行器でキッチンまで歩けていたのに、車いすで押してやらねばならない

ポータブルで便をするのを嫌がって食事を減らしたり、歩くのが辛いから通所でなく訪問リハビリに頼り、リハビリが帰るとただ寝るだけという生活を続けた結果がこれである

その点を諭したが「まさかこんなになるとは思わなかった」「家にいたい。お前にも介助してほしい」である

父も限界を感じて週明けにもケアマネを呼んでどこかの施設への入所を検討すると言っている

今まで食事の介助が不要だったので仕事に出られたが、いよいよ辞めなきゃならんかもしれん

2024-07-06

30年近く同居している祖母精神疾患があると知った日

10年以上冷戦状態だった父親喧嘩した。ら、タイトル通りのことを知ることになった。今後振り返ったときに実際に起こったことだけを認識できるよう残しとく。ただの喧嘩の記録。

当然だけど、精神疾患に対する批判偏見の話ではないことだけは記しておく。不快になる方がいたら本当にごめんなさい。

喧嘩きっかけは、30年近く続く父方の祖母被害妄想暴言が、ここ数年痴呆が進んだことでさらにひどくなり、毎日のように「10年間の生活費1000万と盗んだ着物を返せ」と母に言うようになったこと。また、ここ1週間は、「〇〇(私)がメル◯リで私の着物を売ったからないんだ」と独り言を言うようになっていた。

同居して30年近く経つのになぜか期間はいつも10年間で、金額が日によって300万になったり700万になったり、そもそも生活費を出していたのは父なのになぜ母に言うのか、着物に至っては祖母が着ているのを誰も見たことがないし、というか祖母着物自体、家で見たことがないので本当に存在するのか?という感じ。完全なる被害妄想

数年間取り合わないようにしていた母の堪忍袋の緒が先月から切れ始め、母も言い返すようになり、朝晩問わず大声で言い争うようになっていた。ここまでヒートアップする前に父が祖母に訳のわからんことを言うのはやめろと話したことも一度あったが、結局次の日には祖母は何の変化もなく母に暴言を吐き、父も何の変化もなく部屋に閉じ籠った。

どんなに2人が言い争っても部屋に閉じこもって我関せずの父が私は理解できず、病院に連れていってほしいと話したこともあるが鼻で笑われて終わった。

それでもこの連日のヒートアップする論争を私が聞くだけ、止めるだけでは何の意味もないし、この現状を知っていても我関せずの父への苛立ちが爆発し、父の部屋に突撃した。

「なぜこの状況をスルーできるの?この声が聞こえてない訳ないよね?なぜ祖母病院に連れて行かないの?」と聞いた。

父は「声なんて聞こえてない。そもそもお前の偉そうな言い方はなんなんや」と怒鳴り返してきた。確かに今思えばちゃんと段階を踏んで辛抱強く話せばよかった。このとき私自身苛立ちが収まらず、「じゃあ扉開けたから聞こえるよね。今私が話したいのは私の話し方ではなくて、なぜこの状況を我関せずでいられるかなんだけど」と返した。

私に文句を言いながら父は論争中の母と祖母がいるリビングに向かい祖母に対し「頭のおかしいことを言うのはもうやめろ」と言った。祖母が聞き入れるわけもなく、「この人が金を盗んだのになんでそんなことを言うんや」みたいなことを返したと思う(ここはちょっと覚えてない)。

そしてすぐ部屋に戻ろうとする父に更に苛立ち、「なぜ病院に連れて行かないの?それが理解できない」と聞いた。「なんでお前はそんな偉そうな口聞くねん」と父が論点をずらそうとしてきたので、「いや、私は病院に連れて行かない特別理由があるのか知りたいの」と聞いた。父は明らかにその話をしたがらず、はぐらかそうとしていた。でもこんな状況になってるのに引いてたまるかと、何度もやりとりを繰り返して、何度も聞いた。

「前、祖母に向かって気◯いだと言ってたのも聞いた。自分母親普通状態じゃないとわかってるのになぜ何年もスルーするの?」と聞くと、「そうや、このひとはもう気◯いや。気◯いの言うことなんかスルーしろ」と祖母を指差しながら返してきた。

自分母親を堂々と差別用語で指す父親に引きながらも、「なぜ頑なに病院に連れて行かないのか、それを知りたいだけや」と再度言うと、糸が切れたように、「そうやずっと病気やこのひとは。30年以上前精神科に3回入院してるからな」と言った。30年以上前、となると祖母の同居前どころか父母の結婚前になる。

初めて聞く話にびっくりして、「そんな話全く聞いたことなかった。なんで今まで話さなかった?」と聞くと、「みんな知ってることや。知らんのはお前だけ」と。

「みんなって誰?母も知ってるの?」と聞くと、そばで話を聞いていた母が「待って、そんな話は聞いたことない」と呆然としてた。父は「俺と妹(私の叔母)は知ってる」と言い、「それのどこが"みんな知ってる"なの?」と私は呆れ返った。

「なんで今まで話さなかった?というかそもそも結婚前とか同居前に母に話さなかったの?」と父に聞くと、「何も聞かれなかったから。今までお前にも母にも聞かれてもないから、話さなかっただけ」と平然と言った。そんな言い分が通ると父が思ってることにもびっくりして、しばらく何も言えなかった。その間も祖母はずっと母に対し妄言を言い続け、母の腕を叩くこともあり、母が痛がっていて、見てるのが辛かった。

父に「なんの病気なの?もしかして〇〇?」と聞くと「そう。だからおかしいねんこの人は。そもそも病気やって普通わかるやろ。なんで自分たち2人は聞き流せないわけ?」とのこと。なるほど、父の頭の中では私と母が悪いんだなと妙に冷静になったことを覚えてる。父は終始、私と母がなぜ祖母妄言に苦しんでるのか理解できない(したくない?)様子だった。

私が、「いや、子どもの時からずっとこうだったから、学生ときまで元からこう言う人なんだと思ってた。でも、ここ数年はあまりにも様子がおかしい。病気だろうというのは予測はしてた。だからなぜ病院に連れて行かないのか理解できなかった」と話すと、「病院に連れて行っても意味ない。入院したら落ち着くけど出てきたらまた元通りなだけ」と。

「だからといって症状があることを知った上で30年以上放置するのは理解できない。痴呆も明らかに進んでるし病院には行って欲しい。あなたが連れて行く気がなさそうだから私が近々連れて行こうと思ってた。地域相談センターにも電話して相談もしてた」と父に言った。実際、この喧嘩の数週間前にセンターの人が家を訪問し、祖母状態確認しにきてくれていた。部屋に引き篭っている父は知らなかったけど。

すると父は、「なんでそんな余計なことするわけ?受け流したらいいだけ。なぜそれができない?」と言うので、私と母で「もう何年も我慢してる。これからもこの人は病気なんだから我慢しろってこと?」と言う。「我慢じゃなくて受け流せって言ってる」と父は当たり前のように言うので、「その場を離れてもついてきてまで言われることもあるのに?こんな状況はもう限界」と返した。

「じゃあ病院に連れて行ったらいいな。それで文句ないな」とうんざりした様子だったので、「できるだけ早く連れて行って、その検査結果も必ず伝えて欲しいし、そもそももっと早く病気のことを伝えてくれてたらこんなことにはならなかった」と言うと、「何十年も問題なかったやろ。こんなふうになったのはここ数年の話やろ」と言うので、それにもびっくりした。祖母妄言で母や親戚とトラブルになるのは私が子どもの頃から度々あったから。部屋に監視カメラがついていると言ったり、テレビから電磁波が出てると大騒ぎしたり、好きな野球選手結婚することになったから出て行くと言い出したり。皇室手作り人形を送りつけ、返送されることもあった。

私は子どもの頃に「お父さんとお母さんが離婚したらどっちについていきたい?」と祖母に笑いながら聞かれたりしたこともあった。「あんなお母さんいややなあ。かわいそうやなあ」と言われることもあった。小学生だった私は「なんで私にそんなことを言うんだろう」と思っていたが、その真意に気づいたときには父に頼ろう、相談しようと思う気持ちがなくなってた。だから母だけに話していた。

が、この際言ってしまおうとそのことを父に言うと、「そんなこと言われるのはお前個人に対してなにか野次ってやりたい気持ちがあるからやろ」とのこと。「祖母は私を嫌ってるってこと?6歳の頃から言われてたけど私がなにかをして、だから嫌なこと言ってやろうと思ってるってこと?」と聞くと、「そうなんじゃない。俺は知らんけど」と言われた。加えて、「それに、こんな母親でかわいそうっていうのは俺も思ってる」と母の前で平然と言った。

その姿を見て、なんだか自分の中で、自分父親って本当にこういうひとなんだなと諦めがついた。

今思えば「なんでこの人が自分母親なんだろうって思ったことはないけど、なんでこの人が自分父親なんだろうって高校生くらいか毎日思ってるよ」くらいは言ってやればよかったけど。

この後も偉そうだとか、なんで今更そんなことを言われなきゃいけないのか理解できないとか父に言われたけど、私は子どもの頃からあなたのこと信頼できない人だなと思ってたし、相談しようなんて今まで考えもしなかったからと伝えたら黙り込んでた。最後は「もういい」と部屋に戻って行った。

父親の60年の人生の総括みたいなもの今日のやりとりに詰まってた気がして、口論最後には目の前の父をすごく哀れに感じた。自分父親を哀れだと思う自分自身も少し嫌だったけど。

ただ、今日のこと、もっとこう話せばよかったと思うことはあっても、そもそもさなければよかったと思うことはなさそう。

振り返りながらこれを書いている今、強く感じたのは、10年近く避けていた父はこんなにも小さく、情けなく、自分プライドを守ることしか頭にない、どうしようもない人間だったこと。そして、心のどこかで恐れてた父にここまでぶつかれるようになっていた自分が頼もしかたこと。

もし父母が離れることになっても母のことは私が守りたいと思う。母は自身の両親が要介護になり、その2人の介護を1人でしつつ、家に帰っても姑の被害妄想に巻き込まれ、それでも私の前では明るく振る舞っている。一番しんどいはいつも母だ。

なんで増田に書いたかと言うと、こんな状況の人が周りにおらず(そもそもこんな状況を人に話せるわけもなく)、こんな情けない家うちくらいだろって、ずっと何年も1人で考えていたから。

同じような状況のひとに「自分の家だけじゃないんだ」って思ってもらえたらいいなーと。

そして、駄文をここまで読んでくれた人がいたら、本当に本当にありがとう。友人に話を聞いてもらった気分だ、救われます

(追記)

ネットの海に流れていくだけだと思っていたので、コメントまでしてもらえるなんて思っていなかった。感想を教えてくれた人、どう動くべきか教えてくれた人がこの世界にいるっていう事実が、私にとって本当に救いになってくれている。もちろん読んでくれただけでも十分すぎる。なんてありがたいんだろう。はてなビギナーすぎて、コメントの返信方法がわからず、この形でごめんなさい。

そして今日カウンセリングに行って相談してきた。カウンセリング中に思い出したこともあったので、少し加筆してます

カウンセラーの方には、「母と共に、それが難しければあなただけでも逃げるべき」とアドバイスをもらった。本当にそうだと思う。父が祖母病院に本当に連れて行くのか確認しつつ、次の手を考えたい。

そして、カウンセリングでびっくりしたのが、「あなたのお父さんは残念ながら世間一般で言う毒親です。だから離れてください」と言われたこと。世の中には親に虐待されたり、人格否定されたりしたひとがいるんだから、私の父なんてまだまだ序の口で、こんなことで参ってる私は甘いなあなんてどこかで思っていたから。

これを読んでくれた人は、私の父をどう感じただろうか。

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