はてなキーワード: 限界とは
男には精通から25年間の精役義務(精子提供もしくは性交の義務)が課せられるものとする
提供を月1回とすると、男一人あたりの生涯精子提供回数(これをdとおく)は12×25=300回
世界の男女比をrとする
このとき男一人あたりの出生率d×sが1/r以上(=男児再生産率が1以上)であればその社会は持続可能となる
(男女比に偏りがある社会では、多いほうの性はいてもいなくても変わらない余分とみていいはず)
s=10%、r=1:9(=10%)のとき出生率は30 これは≧10なのでOK
でもこの手の世界では主人公以外の男の性忌避や不能化が進んでる場合が多いから、それを考慮に入れるなら1:10くらいが無難に維持できる限界だろうか
こういう「読めばわかることが伝わってない奴」見るとほんとイライラするんだけど
28歳増田は結構高望みかつ自分が「オンナっぽい努力」するのは嫌なんだよ
自覚無く高望みの奴はイラっと来るけどこいつは全部自覚して書いてるから勝手にせいって話
28歳なら35歳ぐらいまでのレンジで相手探せば好条件もいると思うけどそれするのは嫌
こういう理解ある夫が得られない女性が子供を作るには、精子バンクを使うしかないのでしょうか?
anond:20230924001845 婚活市場から撤退し、精子提供を受けることにした。
精子バンク増田は一人でマタニティブルーになったとき自殺しないでしょうか?
https://anond.hatelabo.jp/20230924020434
仕事でぐちゃぐちゃ(明らかにキャパオーバーの仕事をぶん投げられて上司フォローなし)。
昼からデート予定の土曜日に休出、進捗ヤバすぎて日曜も休出するしか無い状況。
夜10時ごろ「明日も仕事なんだから帰って寝なさい」と諭してくる。
色々限界で大泣きしながら「まだいっしょにいたいよ」となく私。
押し問答しつつ冷静になり、「ごめん、わがままだった。気遣ってくれたのにごめん」といったら「今日は泊まろ!一緒にいる!」と恋人は言いました。
「困らせてごめん、大丈夫、ごめん」といえば、
「何言ってんの?もう今日は一緒にいるって決めたから一緒にいる」と言った。
苦しい状況は何一つ変わっていない。
不安でぐずぐずなく私をヨシヨシしてくれた。
たぶん恋人はそんなこと分かってない。
というかそこまで考えてない。
私がそばにいてくれと泣くから、叶えられることを叶えてくれたんだと思う。
それがどうしようもないほどの救いで、お陰様で今でもこの記憶が私を支えている。
パートナーに求めるものは人それぞれだし、それを自覚してない人も多いんやろなと思います。
私の心や体を気遣ってくれる人、そばにいてくれと言えばいてくれる人。
寄りかからない努力はするけど、それでもどうしようもない時に受け入れてくれる人。
そんな人この人しかおらんやろ、と心が決まった。
仕事でぐちゃぐちゃ(明らかにキャパオーバーの仕事をぶん投げられて上司フォローなし)。
昼からデート予定の土曜日に休出、進捗ヤバすぎて日曜も休出するしか無い状況。
夜10時ごろ「明日も仕事なんだから帰って寝なさい」と諭してくる。
色々限界で大泣きしながら「まだいっしょにいたいよ」となく私。
押し問答しつつ冷静になり、「ごめん、わがままだった。気遣ってくれたのにごめん」といったら「今日は泊まろ!一緒にいる!」と恋人は言いました。
「困らせてごめん、大丈夫、ごめん」といえば、
「何言ってんの?もう今日は一緒にいるって決めたから一緒にいる」と言った。
苦しい状況は何一つ変わっていない。
不安でぐずぐずなく私をヨシヨシしてくれた。
たぶん恋人はそんなこと分かってない。
というかそこまで考えてない。
私がそばにいてくれと泣くから、叶えられることを叶えてくれたんだと思う。
それがどうしようもないほどの救いで、お陰様で今でもこの記憶が私を支えている。
パートナーに求めるものは人それぞれだし、それを自覚してない人も多いんやろなと思います。
私の心や体を気遣ってくれる人、そばにいてくれと言えばいてくれる人。
寄りかからない努力はするけど、それでもどうしようもない時に受け入れてくれる人。
そんな人この人しかおらんやろ、と心が決まった。
ツイッター(Xとは呼びたくない)で自ジャンルや同人関連のTLを構築して見てるんだけど、
最近本当にトランス差別をよく見るようになった。それもいわゆるフェミニストというか、性犯罪を特に糾弾していたアカウントから。
同人関連のつながりから政治や社会に関する話が流れてくるのは全く問題はないと思うし、性犯罪を特に厳しく批判するのも大体同意してた。
だけど最近は、そういうアカウントから特にトランス差別的な話が流れてくるようになったんだな。
トランス女性は女じゃなくて女装した男とか、トランスは性犯罪者だとか。
しかもこれまであまり社会や政治について呟いていなかったアカウントからも、それほど強い口調ではないがそういう話が出てくるようになった。
IH一口クソ狭シンクだと加熱作業は並行してできない。洗い物もすぐ水がビャーってなってイラつくし、必然ワンプレートで済む料理が増える。おれは品数少ない方が好きだからそれは苦じゃないけど。
切ってさえしまえばあとは炒めて煮込むだけなんだけど、冷蔵庫や洗濯機の上にまで作業エリアを拡張して具材並べて準備をするのが余りにも面倒臭い。
マジで終わってる時はたまに素カレーを食べる。水張ったボウルにルーを雑に砕いて投入してレンジ。トロミがつかなくてシャバいしから米を混ぜてごまかす。ちょっとルーの塊が残ってたりもする。
気力があればルーを刻んだ方が良いけど、気力がある時に食べるものではないと思う。
ツナ缶はいつまでも保つから別に放置してもいい。たまにコショウとマヨネーズかけてつまみたくなる事もある。
生モノはそうもいかなくて困る。ミニトマトをつまみたくなる気分というのはおれにはまるで訪れなくて、しょっちゅうシナシナになるまで放置する。
捨てるのも何なので、減るより早く増えるツナ缶もろとも処理しようと思った。
ツナとトマト……カレーだな!と思った。そんなメニューを食べた事はなかったけれど、直感で。
ツナとトマトを炒めて、水足してルー投入。予想通りというか、トマトの酸味と甘さが気になった。
これを消すのにソースを入れてみたりめんつゆ足してみたりしてみたけど、中々上手くまとまらない。
これはもう強烈な何かで上書きするしかないと思って、鷹の爪とニンニクチップを大量に入れてみた。
これがなかなか良かった。カレーとニンニクのスパイシーさと鷹の爪の刺激の挟み打ちでご飯が進む。黒コショウを振ると尚良し。
味をごまかす苦肉の策で生まれたけど、変な調味料抜きでもう一度作ってみたら、やっぱり美味しかった。ミニトマトとツナ缶は定期的に発生するので、定番のメニューと化した。鷹の爪は辛さを許容できる限界まで、ニンニクは入れれば入れるほど美味しい。トマトとツナの風味、食感もマッチしてると思う。
ウチにある調味料の中ではニンニクと鷹の爪とコショウが一番出番も消費量も多い。あらゆるものをペペロンチーノ風味にして食ってる。ペペロンチーノの決め手は味の素だったけど。
甘えとは言わないけど、なんでも他責思考だったり、都合が悪い事は覚えてませんって言ったり、フォローに対して感謝の気持ちや誠意が無いのは自分に甘いと思う。
欠勤が多い、ミスが多いのは仕方がない。
欠勤が多い分は上司に相談して人員補充しか対策のしようがないし、ミスが多く行動の順序が自分本位なのは多少目をつむり、優しく丁寧な口調で具体的な業務内容と完了時間を何度も棒読みで言い続けるしかない。
でも、何かあるたびに身内がこう言ってたから~、○○さんはこう言ってたので~、と言われても、それはTPOによって解釈は異なるし、行動の責任を他者へ丸投げしているし、こちらとしてはミスの原因分析がしたいのに、覚えていないと言えば怒られないと思ってるんだな~としか思わない。
まず覚えていないという事は無いようにメモしたりしようねと言っても都合が悪い事は覚えていないと言うから意味ない。致命的なミスが無いように周囲は注意をしておくしかないだろう。
ミスが起きてしまった場合、注意したいのは、周囲が善意でフォローしたり、助けたりせず本人にやらせる事だ。(※本人にフォロー内容を指示するのは可、本人から助けの要請があれば対応する。)
厳しいようだが、これまで周囲にサポートされて当たり前という環境で育ってきたので、何もせずぼうっとしていれば勝手に周りがなんとかしてくれるという意識がある。精神科医Tomy先生の解説では、「雛(鳥)人間」と言う。
でも需要と供給は成り立つので、そういうタイプは助けてくれる人が現れるまで待ってたり、可愛い子ぶってできないという態度を見せていると誰かが優しく助けてくれる。(※多分それをやってもらって愛情や好意の確認をしているような気がする。)そーいうのは人のために尽くす喜びを感じる人に任せればいい。頑張ってほしい。できれば無料ウーバーイーツみたいに無料であなたの言う事何でも聞きます奴隷システム的なやつを誰かが作ってほしい。
私の用語では勘違い痛いおばさんとしている。勘違い痛いおばさんは大体自分の事を可愛いと思っている。可愛いから自分が出来なくて当たり前だし、助けてもらって当たり前だと思ってる。そのため感謝の気持ちも無いし、女王様気分なので対価を払おうとする気持ちも無い。
優しい人が多い職場では、上司が上手くフォローしてと最初は指示をするが、上司も大体他人事なので、大変だね~としか言わない。(※うちが無能すぎるだけかもしれない。)だから具体的にどのくらいフォローをしていて業務負担がどの程度か数値的に表し、改善案を提示したり、心身共に限界な優秀な社員がいる事を訴えた方が話が早い。そうしたら優秀な社員と勘違い痛いおばさんを天秤に量り、おおよそ優秀な社員を選ぶだろう。
と、まあ書き連ねたが、正直他人の事だしマジでどーでもいいって思ってる。負担になるのもしょうがないし、勘違い痛いおばさんが一生他責思考で成長しないのも自分に関係ないしどーでもいい。
ただ、私の大学の恩師もアスペであり、他人の感情と行動というものを幾万幾通りも学び、理解していないけど覚えて実践して適応している、と話していたことがずっと残っている。先生は決して他責ではなかった。努力している人もいるというのを勘違い痛いおばさんを見ると言いたくなるけど、どーでもいいという気持ちで今日もフォローしながら一緒に働いている。一人一人特性が違うと言うなら、自分の特性を理解して、できる事を検証して、できない事はなぜできないか原因分析をしてみて、それでもできないなら全部他者にやらせるんじゃなくて、できない部分だけ分析した結果の理由を添えて頼ったりすればいいんじゃないだろうか。(こんなん言っても理解できなかったり謎解釈されるのもだるいんで放っておいた方がいいんですけどね。まあでも本当に全体の士気は下がるし、優秀な人はどんどん離れていってしまうから、悪循環になる原因や仕組みから整理した方がいい。感情を抜きにして制度上可能な事、特性上配慮してほしい事、単に病名ではなく何ができて何ができないか、どういった配慮をしてほしいかを就業規則と折り合いがつけられるとお互いすっきりすると思う。)
※個人的にはSNS(特にX)特定するのはマジでおすすめ。 当日欠勤しそうな日は1時間前ぐらいには辛い辛い言ってて欠勤するんだな~って分かるし、欠勤してんのに辛いけどご飯食べられたってめっちゃ元気にお昼ご飯あげてんな~とか分かる。仕事中もスマホいじってたりするとリアタイで何考えてるか分かるし、これが地雷なのか~とか分かるから自分だけ敵になりにくい。
宗教が普遍的な善を子供にインストールしてくれる、っていうのは異教徒狩りや戦争起こしてきた歴史やらを鑑みたら全く同意出来んなぁ。
仮にインストール出来ても聖職者や行政府の腐敗という現実と教育内容とのギャップであまりよろしくない心理的ショックを与えてしまうように思う。
宗教二世問題もあるし子供に特定の思想を吹き込むべきでないだろう。
そもそも善悪というのは実在しない人間の思想上にのみ存在する曖昧な存在なわけで善悪を教えるというのは極めて困難なようにも思う。
例えば殺人は悪、を教える場合を考えるだけでも正当防衛や無人島で生き残るためにやる場合や侵略者を撃退する場合、政府から正式な命令を受けて行う場合等の限界事例について論じなければならなくなるし、そもそも悪だとなぜやってはいけないのか?という堂々巡りの話になる。なので善悪を教えるよりは殺人をすればその殺した人の関係者から恨みを買い復讐される恐れが発生する等の合理性の面から教えたほうがいいように思う。
理数国が優秀というのも他国に比べて平均が優秀みたいな話であって、ネットの海を漂ってたら知性の欠片もなさそうな人間を多く目撃するわけで
未来ある小学6年生がAoEとかDooMとかにドはまりして42歳限界パソコン博士の現在に至るまでの30年間酷使した右人差し指の関節がズキズキ痛むようになってしまった。
どうすればいいのか。なかゆびをつかえばいいのか。
止まらないかどうか,漏れ出るほど作ってるかどうか,これは大切なことである.この世界を生きてることに興味があるか,一瞬一瞬を集中して楽しんで生きているか,寝るときには限界を迎えているか,その繰り返しを生きているかがとても重要だと思う.その中に研究やものづくりがある人なら,「すでにやっている」のである.逆にそれ以外の人々とはどうしても研究のずれが生まれる(そもそも目指しているところが違うのだと思う)
「この世界に生きることに興味がある?」という言葉にちょっと痺れた。
前にヨーロッパ旅行に行ったときに散歩しながら、今後生きていくときの指針について考えていて、技術を愛しながらまずまず仕事をして、芸術を嗜んでささやかに生きていこうと考えて帰ってきた。自分の時間を現代の常としてお金を稼ぐために働くことは妥協して、人類の暇の使い方として時の試練の中で精錬された芸術にせっかくだからほどほどに触れ、自分も拙く芸術の制作側(自分の中では音楽)もやろうと考えた。なんにも目標がないふわふわした未来をどうやって生きるか、生きる価値があるのかを考えて、せっかくなら人生の楽しさや人々の過去の営みの中で生まれた大切なものを摂取して生きようと消費者的な思考を持った 。(生産者側の視点として、他人の生活に影響を与えることを目標にするような人生を考えたが、自分はそういう価値観は持ち合わせていなかった。まだ若いだけかもしれない)
「この世界を生きることに興味があるか」はこれに似ている。落合さんもせっかく生きるなら興味のあることを、楽しいことをやろうと思っているようである。しかし、自分と違うことはここでさらに「熱中」という概念が入っていることにある気がする。自分はなにかに熱中できるほどの熱量と矛先は持ち合わせていなくて、熱中することがある人は(退屈や空虚)を忘れられて幸いだねという斜に構えてしまうスタンスだ。人生は根本的に退屈と空虚でできているのだ。熱中できることがある人は、それは幸いなことだ。
中高のカトリックの学校で、その時の先生が「人はひとりひとりが使命を持っていて、人生のある時に天からの掲示のように心の中に現れる。そこでそれを自分が受け入れられるかどうかが問題で、一度受け容れられなかった使命はもう二度と同じものはやってこないのだ」(意訳) と言っていたことを思い出す。熱中できることがある人は自分の使命にしたがって生きている人なのだろう。そういう人が身近にいると羨ましいなと思ってしまう。
とはいえ、ほどほどに生きていくこと。それだけでも生きる価値があると思う。今日は帰りにデパートに寄って、美味しい和菓子屋さんの店 (榮太樓總本鋪)を知ったのだ。これを知らずに死ぬなんてもったいない。
月会費は6000円強
推定50代のチビのオッさん。痩せているように見えるが全身筋骨隆々
全てのウェイトトレで限界ギリギリまで追い込む姿勢は素晴らしいがその度に
海亀が産卵するときのようなイキんだ顔で「イッッ!」「ンアッッッ!」と叫ぶので命名した。
推定50代のオッさん。ガメラみたいな筋肉デブ。オマケに異様に肌が日焼けしているので
真っ黒な体躯をしていて悪徳不動産会社の社長っぽいオラついた感がある。
ただし足トレをサボっているのが足の細さで素人目に見ても明らか
スミスマシンで胸筋トレをするのがお馴染みだが余りに高速で動かしまくって故障させた事がある
推定30代の男。顔が韓国人っぽいが韓国人かどうかは不明。ただし全身異様に体が締まっているので
韓国軍に居たんじゃないかと思っている。基本的に無害だがベンチプレスやスミスマシンにダンベルを持ち込んで
ダンベルトレーニングをするので真っ当に使いたい時腹立たしい。しかも1時間くらい退かない
推定40代くらいの男。ネパール人かもしれないがわからん。腹が出ている。
必ず筋トレ中にインスタライブを始め出すので煩い事この上無い。
そのせいか最近ジム内に「動画の撮影は原則禁止です」と英語で書かれた貼り紙があるが
さまぁ〜ずの大竹に似ている50代くらいのオッさん。マナーはいいのだが異様に丈の短い短パンを履いている。
1. コードは宇宙の対話である。 コードは宇宙との無限の対話であり、私たちの理解が進化するにつれてその対話も深まっていく。
2. 真のプログラミングは無自己である。 真のプログラミングは自己の概念を超越し、全体性に根ざす。
3. コードは形而上学的な鏡である。 コードは物理的なものではなく、実在の鏡であり、抽象的なアイディアを映し出す。
4. プログラムは人間の知識の限界を探求する試みである。 プログラムは知識の限界に挑む試みであり、その結果は常に新たな謎を解き明かす。
5. エラーは現実の一部であり、学びの機会である。 エラーは完璧さへの旅路における重要なランドマークであり、深化の機会でもある。
6. コードは共感の言葉である。 コードは他の人々や文化との共感を通じて、共感の言葉として機能する。
7. プログラムは無限の創造力の表現である。 プログラムは無限の創造力を持つ人間の魂の表現であり、その限界はまだ知り尽くされていない。
8. プログラマーは宇宙の音楽家である。 プログラマーは宇宙の音楽を奏でる音楽家であり、コードはその楽譜である。
9. コードは情報としての存在である。 コードは物質的な存在ではなく、情報としての存在であり、知識と結びついて意味を持つ。
清水はライブハウスでソウルドアウト公演だったので入場時から何度も前へ一歩ずつ詰めるよう言われるが自分より前が詰めないので結果的に全く詰まらないと言う現象が起こっていた…。まぁ詰めたくない気持ちは分かるけど…。何だかなぁと言う気もしなくはなかった。
野音は座席表で見た感じ真ん中ら辺だったからアニキから微妙に遠いかもと思ったけどいざ入ってみたらほぼアニキ前だったので良かった(?)と言うかこういう指定席で初めて自分の名義でアニキ側を引いた気がする。大体指定席は金やん側or真ん中辺りなので…笑
とりあえず印象に残った曲の感想等。
·冥王星、c/wの割に登場率かなり高いからバンド内で気に入られてるのかな?盛り上がるしね。
·スレドニ・ヴァシュターの出だしのギター、本当にヤバかった!!清水でニヤニヤ止まらなくてずっとニヤニヤしてた(怖)
·Ready〜、何曲かやった未発表の新曲群の中で一番好きな感じだった。アニキのギターがカッコいい、あと亀ちゃんっぽい曲だな〜と感じたが実際はどうかは分からない。
·NOS、アニキと田中さんが向き合って弾く見せ場(?)があって盛り上げる為に頑張ってんのかなと思った(すごい性格悪い感想)
·想うということ、イントロのアニキのギター大好きなので聴けて嬉しい。
·雀の子、ライブ映えがすごい!!ツアーで更に進化する(であろう)のワクワク過ぎる。
·This Town、田中さんとアニキのギター息ぴったりで最高に気持ち良い。
·Good bye my world、毎回ライブでやって欲しいぐらいライブで聴くのが好き過ぎる!!清水でトリップしまくった…笑
·Glareがまたライブで聴けるとは…!!何と言う最高のセットリスト…!!
·B.D.S.でアニキのスライドギターが間近で見れて最高…。清水ではアニキ側もまん中辺りも来てくれてガン見した笑 野音は照明当たってなくて真っ暗だったの勿体なかったな…。その変わり(?)亀ちゃんにめちゃくちゃ照明当たってたの面白かった。
·清水はSPF→Reverb→放浪フリーク、大阪は放浪フリーク→SPF→Alrightだった。Reverb、キーが高くて田中さんの声が割りと限界っぽい感じなの、結構好きなんだよね。無理して出してる高音って苦手なんだけどこれは別。SPFはこの夏バズったみたいな話を田中さんがしてたけどバズってたの??全然知らないんだが…笑 放浪フリークは野外で聴くの本当気持ち良かった〜。アニキのギターがめちゃくちゃ映える。
以下、ライブを観た感想。結構微妙な事も書いてるのでお気を付け下さい…。嘘は書きたくないので…。
行く迄は結構複雑な心境で楽しみって気持ちでもなかったけど、清水で観て感じたのはやっぱりバインのライブは最高!と言う事だった。何より私はアニキのギターが大好き。そしてアニキを始め、亀ちゃんや高野さん金戸さんがここに居てくれて良かったなと強く実感した。正直まだ田中さんを沢山視界に入れるのは個人的に厳しかったけど…。ライブの楽しさも全て興醒めしそうで…。でも今はそれで良いんだと私は思っている。歌は好きだし、いつかはそんな感情もなくなりはせずとも薄れていくだろう。もう曲が良くて、アニキのギターは最高で、ライブが楽しければ現状私は文句ないので。個人的に清水の方が好きなライブだったけど、野音も良かったし何より去年のリベンジも果たせたので終わり良ければ全て良しかなと。10月新譜のライブも純粋に楽しみだなという気持ちです。
あと本当どうでも良い話だけど、清水でライブハウス横(?)の喫煙所に田中さんが居てびっくりした。ちょっと目が合った(お互い人が居たら見ちゃうよねってやつ)ので気付いてない振りして通り過ぎた。何か田中さんは結構遭遇するな〜と思ったけど(RSR、森道)アニキも何回か遭遇した事あるんだよな…。どちらも一回も声かけたことないけど…。
スレドニ・ヴァシュター
目覚ましはいつも鳴りやまない
NOS
想うということ
雀の子
This Town
Goodbye,Annie
Good bye my world
Glare
B.D.S.
E.N
SDF
Alright
私も同じ様な病的な感覚で仕事していてある時せっぱ詰まっているのに全くやる気がなく間に合わなくなって破綻した。
急いでした仕事の品質は良くないので評価があがらない、年とともに能力は落ちるので間に合わなくなる等、苦労してないといいが破綻するときまで頑張ってほしい。
今までの人生を振り返ると映画や公演は開演時間、電車の発車時刻ギリギリに到着するように行動してしまう。自分の中で限界のタイミングがあってそれを越えないと行動に起こせない。
仕事の段取りを細分化して、締め切り時間から逆算して余裕を見て行動しようとしたがなぜか頭痛が起きる。ストレスが溜まるみたいだった。そうやってるうちに時間的余裕がなくなりやばくなると尻に火がついて作業し出す感じだった。
相手が逃げようとしてないなら横に座って肩を抑えるくらいが私人逮捕で許される限界
制圧して怪我を負わせた場合、相手に逃亡の意思がなかったおとなしく話を聞いてたと
まぁ、片方が「犯罪被疑者」でもう片方が「善意?の第三者」だった場合
被疑者が「逃げるつもりもなかったしおとなしく言うこと聞いてた」と主張して
「何言ってるか分からない」「日本語で書け」とか言ってる奴がほんと限界知能みまである。
「この言葉はどういう意味で使ってるの」とか「このくだりからどうしてその結論が出てくるの」とか文章から不明な箇所を具体的に指摘してるなら書き直しようがあるけど、ただ分からないと言われたって、多分その相手自身同じことを言われた場合書き直すことなんてできないはずなのに、こんなことを正当な反論のつもりで言ってしまうのがやばい。
「俺は日本語で書いてるよ。逆に何語だと思うの?」とでも返すと、「比喩も知らんのかアスペか?」と都合よく理解力上がって今度は会話が成立した答えを返してくる。
特別な意図でもなければ同じ人間が同じやり取りの中で書いたものについてその個別の文章ごとに理解に必要な読解力が変わってるなんてことはないとは思わないのかねと。
福祉という原則があるから、受益者負担の限界があるんだよね。高額医療制度と似たような構図。
けど子育てパワーカップルとかはその辺の負担の天井があってそれ以上は増えないことにはぜったいに触れない。
高齢者が「自分の高額医療負担」についてぜったいに触れようとしないのと同じ。
自分が得をするなら黙っておく。そんな小者が天下国家を語りうるツール(ネットやSNS)を持ってしまったことが不幸の始まり。
正直親元からも切り離され兄弟も少なく祖父母も働き出してて、男の年収が少ないから共働きせざるを得なくなってるなどの子育て環境自体が大幅な悪化してる
児童の権利も強くなってて、発達障害の増加などの医療ケア必須の子が増えたり、子供を自立させるための教育費…と親の負担も増えてる
総合的に見て子供は鬱陶しい負担だと感じる要素は増えに増えまくってる
鬱陶しいと言ってる奴らの中でも、自覚してないだけで体力精神的に実は限界に来てる人相当多いだろ
そもそも虐待しないために保育園預けるって保育園の使命にも合致してると思う
真の問題は保育に正当な賃金が払われてない、人員配置が足りないことで、これについては親が協力しないとダメなんじゃないの?と思う
親も保育士の待遇改善に協力する、できることはやる、で、元増田が言ってたように、行けるならなるべく早くお迎えに行く、無理ならこっそりやるくらいの配慮あって良くね?とは思うんだが、それすら嫌らしいからどーしよーもねーわと思う
鬱陶しいから子を預ける奴が0なわけねーよ