はてなキーワード: 限界とは
AIに論考形式でいろいろ書かせてみた。段落の最初の文の冒頭だけワイが指定した。
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自由意志、構造主義、そしてポスト構造主義における個人と構造の関係性
実存主義における自由意志と責任の関係は、単に自己の選択と形成を重視する思想にとどまらず、倫理的責任や存在論的な自由の問題と密接に結びついている。サルトルの主張する「実存は本質に先立つ」という命題は、従来の哲学が定めた固定的な本質観を否定し、個人が自らの行為と選択によって存在を形作るという、根本的な自由の重みを強調するものである。自由は自己決定の解放を意味する一方で、絶え間ない責任を伴う「自由の呪い」としても捉えられる。これは、選択の余地が存在しない場合でも、その不作為が一つの選択と見なされるためであり、したがって、個人は常に自己の行為に責任を負わねばならないという倫理的要請に繋がる。
これに対して、構造主義は自由意志に対する重要な批判を提示する。クロード・レヴィ=ストロースは、個人の選択や行為が無意識的に働く文化的・社会的構造によって強く影響されると主張し、これにより自由意志の概念を限定的なものとする見解を示した。レヴィ=ストロースは、神話や親族関係に見られる普遍的な構造を明らかにし、これが人間の行動を規定するという視点を提供した。彼の主張によれば、個人の選択や意識的な決定は表層的なものであり、より深層にある文化的な決定が根本的な影響を及ぼすとされる。この立場は、実存主義が強調する自由意志の重要性に対する強力な反論を構築しており、自由意志がいかに文化的・社会的構造によって制約されているかを示唆するものである。
ポスト構造主義やポストコロニアリズム、ジェンダー論の視点では、構造主義のアプローチに対する再考と批判が進められた。ポスト構造主義者たちは、レヴィ=ストロースが提唱したような普遍的な構造や法則が必ずしも固定的でないこと、むしろ歴史的・文化的な文脈に応じて変動し、多様な解釈が可能であることを強調している。ジャック・デリダやミシェル・フーコーといった思想家たちは、構造が流動的であり、安定した「本質」や「真理」が存在しないと論じた。デリダの「差異」や「痕跡」の概念は、言語や意味が常に変動し、固定的な本質が存在しないことを示し、フーコーは権力と知の関係が文脈によって変化し、固定的な構造に依存しないことを明らかにした。こうした視点は、構造主義が提示する普遍的構造の概念に対して、より流動的かつ歴史的な理解を提供するものである。
ポストコロニアリズムの視点からは、レヴィ=ストロースの普遍的構造という考え方が西洋中心主義的であり、他の文化や価値観を一方的に押し付ける危険性が指摘されている。ポストコロニアリズムは、特定の文化や社会に根付く価値観や規範が、あたかも普遍的なものであるかのように扱われることで、植民地主義的な支配や抑圧が正当化されるリスクを指摘する。この視点は、構造主義が提示する普遍的な枠組みが、他の文化や価値観を不当に排除し、支配的な立場を強化する可能性があることを示しており、文化的相対性や多様性の重要性を再認識させるものである。ポストコロニアリズムの批判は、構造主義が持つ普遍的な枠組みの限界を浮き彫りにし、より包括的で多様な文化理解の必要性を訴える。
ジェンダー論においては、ジュディス・バトラーがジェンダーのパフォーマティビティを強調し、ジェンダー二元論自体が構造的に強制されたものであり、固定的ではないと論じた。バトラーの理論によれば、ジェンダーは単なる固定的な属性ではなく、社会的な行為や表現によって常に再構成されるものである。彼女は、構造が個人を規定するだけでなく、個人の行為がその構造を再生産し、時には変化させる可能性があることを示した。この視点は、自由意志の役割を再評価するものであり、個人が構造に対して持つ能動的な力を強調する。バトラーのアプローチにより、レヴィ=ストロースの固定的な構造観に対する批判が深化し、個人と構造の関係についての新たな理解が模索されるようになった。ジェンダーのパフォーマティビティは、構造と個人の相互作用の複雑さを明らかにし、自由意志と社会的構造との関係を再考するための重要な理論的枠組みを提供している。
このようにして、実存主義、構造主義、そしてポスト構造主義は、個人と社会的・文化的構造の関係をめぐる議論において、それぞれ異なるアプローチを展開してきた。実存主義が自由意志と自己形成を強調する一方で、構造主義は文化的構造の決定力を指摘し、ポスト構造主義とポストコロニアリズムはその構造の流動性や文化的相対性を明らかにした。ジェンダー論はさらに、構造と個人の相互作用を再評価し、個人の行為が構造に対してもつ潜在的な力を示すことで、新たな地平を切り開いた。こうして、自由意志と構造の関係性に対する理解は、固定的なものではなく、歴史的・文化的文脈の中で絶えず問い直され続けている。
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デリダの項は差延でよくない?とか、ポスコロの部分は構造主義はもっと功罪入り混じる感じだよなーとか、ジェンダー論の項はバトラーの説明によりすぎているし、レヴィ=ストロースへの批判自体は重箱の隅をつつくようなもので、レヴィ=ストロースへの批判的読解(同性愛差別を再生産する構造)はバトラー以外に適任いるよなーとかあるけど、いい感じにAIがまとめてくれた。
いろいろ試したけど、ポスト構造主義の文脈でフェミニズムやジェンダー論尋ねたら聞いてもいないのにバトラーのパフォーマティビティの説明される。AIはバトラー信者だろ。バトラー信者な割にノンバイナリーのバトラーに彼女という代名詞使ってて草。
∀x, y ∈ X, x ≿ y ∨ y ≿ x
∀x, y, z ∈ X, (x ≿ y ∧ y ≿ z) ⇒ x ≿ z
∀x ∈ X, {y ∈ X | y ≿ x} と {y ∈ X | x ≿ y} は X において閉集合
∀x, y, z ∈ X, ∀α ∈ (0, 1), (x ≿ z ∧ y ≿ z) ⇒ αx + (1-α)y ≿ z
関数 u: X → ℝ が以下を満たすとき、u を選好関係 ≿ の効用関数と呼ぶ:
∀x, y ∈ X, x ≿ y ⇔ u(x) ≥ u(y)
効用関数 u: X → ℝ に対して、任意の r ∈ ℝ に対する無差別集合 I_r を以下で定義する:
I_r = {x ∈ X | u(x) = r}
公理 1-4 を満たす選好関係 ≿ に対応する効用関数 u が連続であるとき、任意の r ∈ ℝ に対して、I_r は X の閉集合である。
証明:
u の連続性より、I_r = u^(-1)({r}) は X の閉集合である。
公理 1-4 を満たす選好関係 ≿ に対応する効用関数 u が準凹であるとき、任意の r ∈ ℝ に対して、I_r は凸集合である。
証明:
x, y ∈ I_r, α ∈ (0, 1) とする。u の準凹性より、
u(αx + (1-α)y) ≥ min{u(x), u(y)} = r
一方、u(αx + (1-α)y) > r とすると、公理 4 に矛盾する。
よって、u(αx + (1-α)y) = r となり、αx + (1-α)y ∈ I_r が示される。
X が Banach 空間のとき、関数 f: X → ℝ が点 x ∈ X で Gâteaux 微分可能であるとは、任意の h ∈ X に対して以下の極限が存在することをいう:
δf(x; h) = lim_{t→0} (f(x + th) - f(x)) / t
効用関数 u: X → ℝ が Gâteaux 微分可能であるとき、点 x ∈ X における財 i と財 j の間の限界代替率 MRS_{ij}(x) を以下で定義する:
MRS_{ij}(x) = -δu(x; e_i) / δu(x; e_j)
ただし、e_i, e_j は i 番目、j 番目の基底ベクトルとする。
X が Hilbert 空間で、効用関数 u: X → ℝ が二回連続 Fréchet 微分可能かつ強凹であるとき、任意の x ∈ X と任意の i ≠ j に対して、
∂MRS_{ij}(x) / ∂x_i < 0
証明:
u の強凹性より、任意の h ≠ 0 に対して、
⟨D²u(x)h, h⟩ < 0
これを用いて、MRS の偏導関数の符号を評価することで証明が完了する。
X が局所凸位相線形空間、p ∈ X* (X の双対空間)、w ∈ ℝ とする。
効用関数 u: X → ℝ が連続かつ準凹で、以下の問題の解 x* が存在するとき、
max u(x) subject to ⟨p, x⟩ ≤ w, x ∈ X
ある λ ≥ 0 が存在して、以下が成り立つ:
1. ⟨p, x*⟩ = w
2. ∀y ∈ X, u(y) > u(x*) ⇒ ⟨p, y⟩ > w
3. δu(x*; h) ≤ λ⟨p, h⟩, ∀h ∈ X
証明:
超平面分離定理を用いて、{y ∈ X | u(y) > u(x*)} と {y ∈ X | ⟨p, y⟩ ≤ w} が分離可能であることを示し、そこから条件を導出する。
DINKsで俺だけリモートワーカーなんだが、当然家事を担当することになる。
週末に掃除は片付けるとして、平日の食事、洗濯、ちょっとした片付けは俺がやることになる。
片付けてない妻の私物や、飲みかけのマグカップ、たべっぱなしのお菓子のゴミなど、日中家で仕事をしているとリビングの散らかりが気になってしまう。
メンタルが安定していれば無言で片付けるのだが、そうでないときには無償の掃除夫になったかのような苛立ちを感じ、暗澹たる気持ちになる。
そして、残業で遅くなってきた日には、何やらやりきった顔をして返ってくるがまた腹立たしい。
俺は風呂を洗い、買い出しに行き、晩飯を作り、自分の分は食いつつ一人分だけ切り出して冷蔵庫等に収め、調理器具を片付け、副業を開始している。
事あるごとに感情的になり、小言ばかりになり、ときには爆発する主婦は、どうせ女のヒステリーだろと片付けられがちだ。
細分化した割り込みタスクに追われるのはかなりキツいし、完了することがあまりない。
その上自尊心や達成感は非常に得づらい。
このタスクの特性上、ストレスは溜め込んでどこかで爆発しがちになる。
実のところ、一個一個のストレスは非常に小さく、どれもいちいち指摘して怒ることでないし、そもそも自分でもストレスであると自覚するに至ってすらいない。
それが大量に日々たまっていくことでついついどこかで爆発してしまう。
そうすると相手は「そんな小さなことで..」と取り合ってくれないし、毎度言ったとしても「いや、ぬいだ靴下くらい床に多少転がっててもいいし、気になるほうが片付ければ..」みたいな程度問題として片付けられて、解決に向かわない。職場に上司の脱ぎっぱなしの靴下があれば気になると思うのだが。
なので、家に主フがいる働き手の方がた、自分のものは自分で片付けてください。
主フにとっては家は仕事場。荒らされるとイライラしてしまうので..
多少の苦難も報酬系が時給という形で刺激され、達成感を得ることができるからだ。
しかも完了条件もきちんとしている。「毎日8:00と21:00の3分」みたいな仕事の入り方もしない。
また、ノウハウが蓄積されれば別の現場で応用でき、自分のスキルアップにもつながるだろう。
しかし報酬はなく、現場は自分の家だけ。しかも専用に道具を揃えるなども費用対効果を考えると限界がある。
ヒゲダンのプリテンダーが流行った時にぐだぐだと女々しい歌詞だなと思い、あんまり好きじゃないなとそれ以上聞かなかった
最近、久しぶりに聞いて改めて歌詞を読んだら、主人公がうまくいかない恋人への思いをグジグジと内省してるのはその通りなんだが、彼女像が具体的になったというか、印象が変わった
当時なんとなく聞いてた感じでは、自由奔放で自分のものにならずにいつか離れてく彼女、みたいな、なんかこう…良いイメージで、主人公はいずれフラれることを予感しながらも彼女への思いが断ち切れない、なんて感じで聞いてた
けど改めて歌詞読み直すと、人の話が聞けないコミュニケーションレベルの低い残念な美人に愛想をつかした、みたいに読んでしまった
彼女は自分のことを話すばかりで、僕は口を挟む余地もなくただひたすら聞いてるばかり…もうこれ無理だわ、限界。別れよう…ああでも美人なんだよなあ と
これは嘘。ゼロ年代はてな村では今みたいな限界サヨクもウヨクもほぼほぼオピニオンの外側のノイジーとすら認識されないガヤそのものだった。
中心に豊かな言論があったのでしょうもないウヨサヨなんかは相手にされていなかったし、そういう連中はせいぜい2chの隔離板がお似合いでしかなかった。
ブログブームが終焉して人々がツイッターをメインにするようになってやせ衰えてから馬鹿の声が大きくなった。その代表がはてなブックマーク。
エッセイ漫画を読んでるとメンタル病んでる女性や障害がある女性に「でも支えてくれたのは彼くんでした!」と突然生えてくる現象、私もずーっっとそこを省略するななんで病んでて彼氏が出来るんだと思ってたので、長年メンタル病んでて今も病んでる自分がどうやって理解ある彼くんを作り夫くんにしたかを1サンプルとして書きます。
振り返って思ったけどドラマチック皆無の本当にそこらへんにある流れではあります。
あとODはしたことあるけどリスカとかはしたことないです。リスカじゃ死なないから。
生い立ちとか:
母親は高卒後結婚、信仰宗教にどハマり、エセ科学自然派ママ、手のつけられないヒステリー、過干渉、軽い虐待(針を刺してくるとか)、娘より優位に立ちたがる、世間体重視で娘の気持ちは無視、脅す事で言うことを聞かせる
言っちゃいけないことをぽろっと言うし何が悪いか分かってない、おそらくアスペ
私が限界になって死にたい…って泣いた時、「来世の為に頑張らなあかん、その辺のスーパーのおばちゃんに良い精神科ないか聞いてこい」と言い放った。
は????
私 本が大好きな子供だった。真面目で勉強が好きなため中高一貫進学校、大学を有名大と言われるとこにいく、が、母親と父親にけちょんけちょんにされてるので対人関係で適切な関係がわからずとにかく他人が怖い、完璧に振る舞わないと刺されると思ってる
ストレスにより頭皮から体至る所に蕁麻疹が出来る、つねに不安感で寝られない、月1,2で動けなくなる
10才の時に生きるのが辛くて辛くて遺書を書く(理由はその時は分からなかった)
深夜まで勉強してることが唯一の生きてる証
高校の時に電車に乗れなくなり心療内科に連れて行って欲しいと両親に伝えるも劣化の如く怒られる、保険証を渡してもらえない。この時治療受けていれば…と今なら思う。
同時に拒食症発症。37kgになる。部活やってたので痩せてるんだねーと心配されず。親戚からは心配されたけど痩せてる自覚なし。生理止まる。
他人が怖いといいつつも親元から離れてすごす大学生活は快適だった。
母親に本なんて読まず友達と遊べ!いつも人気者でいろ!でも私よりチヤホヤされたら許さない!(母親には友達がいない)とかいう無理ゲーを押し付けられてたため、大学では友達一人も作らず勉強だけしていようと思っていたけど、母親の支配下じゃない友人関係はとても快適でとても楽しい時間だった。今でも思い出す。
が、唯一の取り柄だった勉強で一番を取れない、週二の徹夜で実験レポと実習とバイト、なにより友達から聞く「家族像」がうちとは違いすぎて、あれ?と思うことが増える。
年末が近づくと動悸が強くなる。
抗うつ剤、抗不安剤飲みながら就活、希望の会社に入れるも動悸と不安感がすごく、新入社員ということで肉体的にも辛くなり不眠悪化、二年頑張るも「もしかして一生このままなのかな…」と絶望して退職
その後は休養と転職を7回くらい繰り返して、無職だったりぽんこつ会社員をしてたりしました。
給料と環境は一番初めの会社が一番良かった。拘束時間長かったけど楽しい仕事だった。
でも長時間働くと動悸と不安感で辛すぎるので、8時間勤務の事務職しかできなくなった。それもしんどかったけど。ゆるい会社はひどい男尊女卑で、客層も悪くて初めはびっくりした。B to Bの電話で開口一番怒鳴ってくるクライアントとかいた。
激減した手取りの額(11万)見ながら、私の価値ってこれだけしかないんだなぁー…と逆に乾いた笑いが出るくらいにはなった。この時30歳。(まだメンタル疾患が大変すぎて鬱と体調不良の波がありすぎて恋愛どころではない。)仕事で本当に酷いモラハラがあって、よし、死のう!と思い立ち通帳やら自分用の仕事道具を鋏で切って捨てて、スッキリして、いや死ななくていいだろと思い直し次の日から診断書あるんで休職しまーすと電話し、気になってた漫画読んだりゲームやったりした。従業員を人として扱ってたらこんな事にならないんだから会社は反省しろ。という気分だった。
相当やさぐれていた。脳がバカになっていたのでゲームや漫画は面白かったけど記憶はあまりないです。メガテン、ニーア、サクナヒメとかとても助けられたことは覚えてる。
その時なんとなくもう一つやりたいことがあった。大学の専攻で学んでいた事だった。家のノートPCでも出来たので、ちまちまやるようになった。
全然頭働かなかったけど、技術を理解するたびに面白いと思えるようになった。
一人で作品公開してるとちらほら反応が貰えた。ネットで人と交流するようになった。
一年半の休職期間が終わり、そのうち、まぁまた働いてもいいか…と思ってモラハラ会社は退職し転職でまた事務職に就いた。
新しい会社も微妙だったが、やる事やったら定時で帰っても怒られないのは助かった。
もうしぶとく一人でひっそり生きていこうと思い始めた。同じ趣味のネット友達と作業しながら会話するのが私の楽しみになった。
ネットで技術情報交流サーバーがあった、そこで一人もくもくと作業やってたのが未来の彼氏(夫)くんだった。
ネットではいろんな人と話してたのでいつから会話したのかわからないけど、この人と話してると居心地いいなぁと思うようになった。初めて人にときめいた。これは直感なので理由がないです。言葉や発想が優しかったとかそんな感じです。
何回も遊んで色々話すようになって、住んでるところが近かったので会いましょうとなった。
ですが私はすでに30才超えてる。彼くんは私より若かった。年齢は伝えたが会っておばさんかよ!と失望されるしかない、ここから恋愛は無理でしょー…と思ってたら向こうも気に入ってくれたみたいでまた遊ぶようになった。
彼くんは私より若かったけど話は合った。合わせてくれてたのかもしれないけど。
で、デート繰り返して告白されて同棲を二年して結婚した。(ここをもっと詳しく書けたらいいけど映画とか美味しいもの食べに行ったり旅行行ったり、付き合い期間が長いから婚約とかで普通すぎて)
夫くんになるまで、とタイトルに書いたけど平凡な日常が積まれただけな気がします。
彼くんに心配をかけない、負担をかけない、っていう気持ちで暮らしてた気がします。そう心がけても体調不良で迷惑かけるからね…
極力私はメンヘラを隠してました。病名は伝えてたけど、もうほぼ元気なんだー、みたいな。付き合ってる時は調子いい時に会うようにしてました。
まぁそれでも、ダメな日はやってくる。体調が悪くてデートをキャンセルしたこともある。それも数回。迷惑はかけてる。
ただ、
理解ある夫くんは自分が疲れたら適宜休んでる。辛いことがあったら辛かったよーって話してくる。
辛い時は頑張らなくていいんだ、というのが衝撃だった。言葉では知ってても実際の行動ってこんなんなんだ!二人とも疲れてる時は二人でダウンしてればいいんだ!?(もし子供が生まれたら…二人ともちょっとずつ頑張りつつ壊れる前に外部サポート頼む?)
ので、私も夫くんが疲れてる時はして欲しいことを同じようにする。
周りの人がダウンしてる姿ってあまり目に入らなかったから、みんなちゃんと休んでるんだと分かって嬉しかった。
理解ある彼くんを見つけて夫くんにするまでの所、やっぱり詳しく書こうとするとその辺に転がってる話と同じになってしまう。
メンヘラ女にも調子がいい時があって、その時に接してきた優しい男性が趣味が合うから彼女に選んでるんではないか?
と言う身も蓋もない話になってしまった。
運が悪い人生だった
物心ついたころから親は喧嘩ばかりで自分が学校いじめられてても気にかけてもらった事がない
小中は転校でどこいってもいじめられてばかり
高校はいじめられてはないけど自尊心ぼろぼろで人の目を気にしてばかりで、今思うとろくな思い出がない空白の三年間
大学は親元離れてほっとしたけど、1人で行きたく力はなかった。なぜか馬鹿にされてしねとか言われる集団となかで一年過ごし不登校にはならずともほぼぼっちで卒業まで過ごしてた。卒業後に誰とも連絡とってない
なんとか会社は受かったけど、どうコミュニケーションとっていいかわからず病んでしまった
同じ職場の人に「生きてて楽しい?」と突然言われたのが今でも記憶に残ってる
精神科通いながら逃げるように転職したりした。ある時、年下の上司に怒鳴られ、30過ぎてるのに職場で泣いてしまって、限界にきてたんだなと思う。よく今まで引きこもりにならなかった
普通にみられるようにとマッチングサイトとかで彼女を探し、何故か付き合ってくれて、この人と別れたら一生女性と付き合えないかもと思い結婚して子供ができた
けど、毎日辛い。一人暮らしのせいで家の家事とかロクな知識がないから、毎日怒鳴られ子供にも馬鹿にされる
こういう言い方は嫌だ、なんかある時にすぐ物を投げるのが嫌だといっても、気にしなければいいとしか、言わない
会話ができない
昨日も自分に興味がない嫌いと思ってる人と一緒に住めないとかキレてたけど、人の意見や行動を馬鹿にする人にどうやって興味もてばいいのかわからない
どっかでも自分の救いになるところがあれば変わったのかも知らないけど、自分に合わない事とした出会えなかったな
こういう愚痴を言える人や場所があればいいんだけど誰か教えてほしい
なんか疲れた
毎晩豆腐を食っている。
水でもどしたワカメと塩昆布を上から乗せ、醤油とごま油を垂らして食う。無限に食える。毎晩こればかりだが永遠に食える。
…
さる地方都市に住んでいて、おそらく市内で一番食っているのではないかと思うが、県内だと自信がない。まして国内だと上には上がいる気がする。
そういう気がするのだが、では、普通に食っているレベルの限界で、一番食うやつははたしてどのぐらいなのか?
例えば、極端な話、何かの競技性を帯びて豆腐と接していたり、強迫観念や意地のようなものがあるなら、一日三食豆腐を食い、加えて間食に食ってもいい。
ただ、そんなやつはさすがにいないだろう。無理することなく、なんなら、豆腐をよく食うという意識さえない、そういう意味で言う「普通に食っているレベル」である。
…
一日三食豆腐を食うような生活からは一種の無茶を感じるが、朝夕に冷ややっこを一丁ずつ、これぐらいになると俄然、現実味が増す。
というかたぶんそういうやつはいる。
そこからさらに豆腐の味噌汁を合わせる、ぐらいのことを天然でやっているやつも、わずかだがいるだろう。つええ。勝てねえ。
あと、麻婆豆腐専門店のベテラン従業員とかも、まかないでハンパない量を食っている可能性がある。
さらに、夜はまかないで豆腐を食い、こいつらもまた、朝にしれっと豆腐の味噌汁も食っている可能性がある。
これも、無理なく生活に取り込んでいる豆腐の量が常軌を逸しているパターンである。こういう手合いと話をする機会があって、
「夕飯は毎日麻婆豆腐なんですよ~」とかつって、手ごわい、と冷や汗をかきつつもそうなんですか、とか言って、じゃあ朝飯は毎日何食ってるんですか、と
尋ねたら、えーと、豆腐のお味噌汁と…って、これも豆腐ですね~、とか朗らかに笑われたときの敗北感はすごいだろう。
対抗するには俺も豆腐の味噌汁を食うしかないが、趣旨がおかしいのであって、そこまでは豆腐を食いたくない。
…
俺にとっては、夕飯に一丁の冷ややっこ、俺にとってこれが「豆腐」なんだ。俺は「これ」なんだ、これでいいんだ、とスポーツ漫画の1.5流のように、
憑き物が落ちた顔で笑う。
というかこの世の豆腐は冷ややっこか麻婆豆腐か味噌汁しかないのか。そんなはずはないが、自然に食っているやつの限界は
どこなのか知りたいと思っている。
プロンプトエンジニアリングってのは1回の回答で正解を得ようとする手法で
最近のサッカーのトレンドに詳しく適切なアドバイスができます。
みたいなプロンプトを書いて良い感じの答えを貰おうとしている
こういう使い方をする人はGPT-4oでトークン量が増えたときにプロンプトに大量にテキストを貼り付けて質問してる
残念ながらLLMでそういう使い方をしても精度は一切上がらない
なぜなら1回の回答で正解は出ないからだ
ChatGPTの正しい使い方としては、いきなり
「来週に攻撃力が強いチームとサッカーの試合があるんだけどどうすればいいかな」
って聞けばいい
「でも向こうのFWの武田って奴がこぼれ球狙ってくるんだよね」
みたいなこともできる
会話の往復を続けることで自分の本当の要望を伝えられるだけでなく、自分の中で本当の課題や要望を整理することができる
で、こういう感じで会話を長く続けるにはトークン量が必要になる
次の会話を作るためにはそれまでの会話を全部プロンプトとして投入しなければならなくて、トークン消費量は雪だるま式に増える
GPT-4oでトークンが増えたことで、会話量を増やしたり前のスレッドの続きで質問したりできるようになったのが一番の違い
あと、GPT-4oと会話していて「最初に言ったことが無視されてるな」と思うことはあっても「今言ったことが無視されてるな」と思ったことはない
なのでプロンプトの後半を見ていないというのは全くの嘘だしLLMの特性でもなんでもない
って言えばちゃんと加味して回答してくれる
LLMも所詮はプログラムなのでメモリ量(アテンション)に限界があるから、どれに注意を払って回答してもらうかは質問する側がコントロールしないとダメ
一連の流れを見ていて、俺のキモい自意識がどれくらいキモいのか気になったので投げつけてみる
36歳男
167cm 60kg
顔はすい星のごとく某所を席巻した新生永世名人に似ているらしい。シンプルに恐れ多い
年収850万
社交性レベル(この項目はどう評価すればいいんだ?)は社会人としてはふつう、私人としては彼女がいたことがないくらいに弱者
酒好き、タバコ嫌い
オシャレははっきり言って金ばっかりかかって嫌いだが、婚活に向け髪を切り眉を整え、ワンシーズンごとにユニクロ無印にセットアップをすがるくらいのことはしている
女友達なし。中高大に友達がいたことはあるがとっくに途切れている
男友達は10人くらいと言えばいいのか?ただ学生時代の友達ばかりで増えることはほぼない
年収850万とほかの弱者的要素を足して割ってようやく平均かそれ以下くらいという体感(伏線回収)
逆に言うと850万ぽっちでは無双できるわけでもなく、婚活を通して強く言い寄られるわけでもなく、弱者要素が相当に足を引っ張ってるのを痛感する
楽器やってたので惰性で続けてる
ただアドリブできないので積極的に人前で言うことはない。「なんか弾いて」という言葉ほど素人を殺すものはない
と挙げられるほどの趣味ではないが、低山とはいえ三月にいっぺんくらい登ってるので許してほしい
ロクに運動してないのところから限界に挑む感じが好き。あとひねくれず普通に自然が好き
マジで何でも読んでる
突撃しては死ぬほど疲れて敗退するのを繰り替えてしている。効率が悪いのは大目に見てほしい
→うち3回目デート到達数がのべ3回くらい
→うち3回目デート到達数0回。これは厳しい
→うち3回目デート到達数1回
アプリは死んでるのでそっと介錯しておいてほしいが、ほかで3回目まで行って付き合えなかったのはまず俺がギブアップしたから
ネットのナンパ師のブログを読みふけり、聞き専に回り、(ぎこちなく)褒めそやした甲斐もあり、おそらく女性の最低ラインは超えたのだとは思う。しかし俺が全く楽しくなかった
彼女たちはよく仕事でも会うような、ごく普通のいい子ばかり(歴戦を感じさせるいわゆる婚活戦士たちは、求めるハードルが高いのか切られることのほうが多い)
ただ圧倒的に受け身
元来しゃべらないとこを是とする弱者男性にとって、今後もこの寸胴の銅鐸を叩き続けなければならない運命に絶望するしかなかった
あと付け加えると皆俺に興味なさすぎ。マジで俺のこと聞いてこない
よくて、義務的にちょろっと俺の趣味を聞き、掘り下げあぐねて引っ込めるだけ
男のヒアリング能力はどこへ行ってもダメ出しの嵐というのに、この初歩にすら立ってない歴然とした差はなんだ。ここすら掘り下げやすいようにお膳立てしなきゃいけないのか?
会話に関してはギブかテイクかでいえばだいぶギブ側だった自負があり、すなわち3回戦で自滅する要因でもある
クソ疲れるとしか言いようがない。これで相手を好きになれる男とか存在するのか?
(正直ここは毎回神経をすり減らしてるところなので、キモいと言われようと全くかまわない)
ただまあこれは、俺の業の鏡写しでもあると思う
何様ってことは承知で、まず俺が順当に進められるスペックの裏返しなのが一つ
そのうえで己の努力を無意識に相手に投影してしまっているのが最悪で、婚活を長引かせている要因でもあるんだろう。盛大なブーメランだ
はっきり言ってよく分からない。この要求の仕方が一番の地雷らしいが
これに尽きる。細分化すると
こんな感じになると思う。顔だ体重だと実際のところあるとは感じているんだが、
まず前述の項目にを満たす女性が世の中に存在しないんじゃないかってくらいいないので、苦しくない程度に合うことを優先しプライオリティを下げている
俺もコレ。これまでの子とはまず話してて楽しくないので、なにがどうなると伴侶ができて人生バラ色になるのか想像がつかない
いや、当然全部バラ色に染め上げてもらうことは求めてないんだけど、どうなると、こう、お互い前を向けるくらいプラスになるのか分からない
あまりにもまったく想像がつかないので、要求項目がクリアにならないジレンマ
あとは恥ずかしいんだけど、この歳で童貞なことが相当にコンプレックス
特に結婚相談所での活動を続けた場合、俺は一生のセックスを相手に捧げることになる。自分で言っててクソみたいだがこれでハードルが上がってるところがある
じゃあなんとかこの呪縛を解消しようとしても、もちろんアプリで適当にヤリ捨てられるスペックは当然ない(アプリ女性はモテ男じゃないと許さない傾向かなりあると思う)
また風俗で捨てるのは恋愛行為ではないので、俺の中で心理的に捨てたことに多分ならない。愛される経験がしたい
やっぱ書いててキモいなーコレ。むしろ中途半端に進められがちなのがよくねーんだろな
こんな美しい自己愛性パーソナリティ障害の実験体もなかなかいないだろう
誰かこいつで実験してほしい
大抵理不尽な目に遭う方が限界になって組織を去るけど、そんなのを許してはいけない
元凶を全力で消すべきなんだよ本当は
会社が汚染されてる話を内部から告発するならもっと会社組織の話とか会社の人間の話がメインになるはずなんよ
それが表に出てるVTuber同士の派閥争いだとかいじめだとかがメインの話になってしまって、しかも貶めたいVTuberと持ち上げたいVTuberが露骨っていう
初めに謝っておくと自分は男だけどチー牛は嫌いです。
実生活では人に迷惑をかけないようにおとなしくしてる人たちなのになぜこんなに嫌いになる要素しかないのか。
そんな彼らでも社会の役に立ってると思うことにした