はてなキーワード: 組織化とは
より良い環境の国での就労・移住に肯定的な人は、逆によい環境を求めて日本により就労・移住してくることを肯定しないと矛盾が生じるだろう。逆に、外国人の日本への就労・移住に否定的な意見を持つ人は、海外への同様の就労・移住に否定的な意見を持つことになるだろう。この外国人排斥的な考えを持つ者の存在が顕在化していると言うことではなかろうか。
外部の現実から自分たちを隔離した内側だけを見つめることによって局所的に無謬な空間(「待避所」)を作る心の作用のことを、精神分析の用語で「病理的組織化」というらしい。この「待避所」ではメンバーを内部にとどめようとするフィードバックが働くが、その一貫としてそこから離脱しようとする者に対し攻撃的な姿勢を取りがちになる。このことは精神科医で著述家の堀有伸による記事(https://gendai.ismedia.jp/articles/-/51941?page=3)で知った。太平洋戦争時代の日本や宗教・思想のカルトとも同じ構造だと思われる。
是は是、非は非と考えられるような精神的な成熟があれば、問題の本質に対処することだけに注意が向くから、出る出ないとかいうどっちも居るような話でいちいちモメたりはしない。
ブコメやらでも勘違いしてる人が多数なんだが、その倫理ってどこでも皆同じものを持ってるのではなくて人や場所によって差異があるものってのが分かってないように見える。
当然だが社会的には法を守れば何しても良い。
それは世間様と接しているので、商売を棄損しないようにする倫理とやらのルールができてくる。
基本それに文句は出せない。
炎上してる広告の件なら広告審査機構とか社内広告審査規定が倫理に当たるもの。
世の中にいろんなサービスあるよね。
事業者やサービス運営によってエログロOKなところとNGな所がある。
公共に接する場合は公正公平でなければならず一方的な価値観や倫理観の押し付けはあってはならない。
公共の場所では互いの人権が衝突するためその人権自体は最小限となるから。
要は尊重と譲り合いの精神。我慢しろ、見ない選択をしろが基本なの。
(これも分かってない人がまー多い)
公共ではない何かのサービス利用には必ず利用規約の同意がいる。
はてなもそう。
利用者や事業者はそれぞれ定められた倫理規定に沿って行動していると言え
個人レベルの拘りとも言える倫理観なんてその場所のその中でさらに絞る行為と言える。
僕たちは生まれながらにして不幸だった。
物心がついた時には経済成長など実感できないほどなく、平和のみが幸運にも固定されていた。少子高齢化を無責任に押し付けられ、いつも年金の説明では僕たちが下で、いっぱいの先人が上に伸し掛かる絵を繰り返し見せられた。
小学生のころには阪神淡路大震災があり、生活は不条理に突然破壊されることを知った。
オウム真理教は天災だけでなく人災があることを教え、それを報道するテレビには頭のおかしい人をいじめることの楽しさと正しさを刷り込まれた。
学校ではいじめがあっても誰も救ってくれなかった。子どもも大人も誰も責任を取らずに済んだ。
どう大人を信じようと努めても、彼らの正しさの裏にある保身だけが形を濃くするだけだった。
いじめ、学力低下、キレる十四才、僕たちだけが責められている気がした。勝手に「ゆとり」を与えられ、数年後には「ゆとり」だとバカにされた。
ノストラダムスの大予言も二千年問題も世界を無くしてはくれなかった。変わらないんだ、という陰鬱な気分を虚構ごと生活に仕組まれた。
社会に参加するまでの過程で、どんどんと多様性という理想が叫ばれるようになっていった。でも現実はまだそう出来ていなかった。ゆとり教育でも、AO入試でも、新卒一括採用でも、実験の最前線で僕たちは消費された。
社会の正体に近づくほど、実験の甲斐なく何も変わらずに、大人たちは利権を固定させようと頑張っていることがわかった。かつて多くの若者たちの理想主義が現実主義に敗北し、僕たちの生活には既に革命の「か」の字すらなかった。
センスが良いとされる大人は肌触りの良い冷笑と諦観で、理想からも現実からも逃げているだけだった。
芸術に届くわけではないわずかな詩情の中に逃げ、丁寧な暮らしとやらで現実を隔離しただけだった。雑草も食えるらしいと、何も新しくない発見を雰囲気の良い雑誌で語った。
とにかく真っ当ではなかった。僕たちには老朽化した線路と駅が残された。
いつかみんな死ぬ、くらいしか希望はなかった。僕は、小学校四年、五年と苦労したあとに六年生になったときのような開放感を待っていた。
インターネットは唯一僕たちに与えられた現代的で民主的な革命だった。僕たちは最前線に立つことを初めて喜んだ。僕たちが社会を実験していた。大人の腕の中で揺らされるのではなく、自らが世界を開拓していた。
過去の日本では文学や学生闘争に向いたであろう若者の活力がインターネットで遊ぶことに費やされた。情報の波をサーフィンしていた。
けれどアナーキズムなど思想と呼べるほど突き詰められてはいなかった。脱法とジョーク、たくさんの知識。組織化しない雑多なカオスが世代や日陰者の雰囲気をベースとしてただ在った。
東日本大震災のとき、僕たちは初めて大きな波を感じた。世界ごと変えてしまおうというワクワクがあった。
ネットから始まる民主化が現実世界にも網目を伸ばし、キレイな情報を伝播させることを夢見ていた。
実際のところ我々には思想がなかった。正確には思想が育っていなかった。長い間の自己否定とカオスたちの団結は思想を形成させなかった。
論壇はインテリっぽい動きに酔っているままで、ほとんどの人間が責任を背負おうとしなかった。
大衆は十分なリテラシーを持っていなかった。目の前の文字が自分を騙そうとしているかだけを考えていた。
もちろん先行者と同様に誰も責任を取りたがらなかった。波は結果的に芸術の一部分だけに還元された。
僕たちの革命は、革命という皮すら被れずに失敗した。あの頃目立った人間たちのどれだけがまだ実際に社会に有効なことをしているのだろう。
僕たちは生まれてから今までずっと負け続けている。逃げ続けている。立ち向かう人間を冷たい視線で嘲笑っている。かつて"カッコイイ大人たち"がしていたように。
拗ねた子どものままで皮肉とセンチメンタルを捏ねくり回している。
最近は「多様性の尊重」がブームになっている。拡がり分化する人間の在り方を認めようとするのは正しいことだと思う。
だが、それは欺瞞だ。多様性は排外主義への攻撃だ。多様性を求める社会は多様性をもたらさないものを排除する。
最大限の寛容ではなく、この時代この社会における妥協点でしかない。
ただそれよりも深刻なのは、多様性未満の僕たちだ。多様性で救われるのは国籍、性指向、いくつかの快い思想である。いわば十分に形作られたアイデンティティーのうち、現代社会に適応するものだ。そして主張に成功したものだ。
僕たちの苦しみはアイデンティティーの未発達である。差別をされたり、大事に築き上げたものが喪失したわけではない。時代により幾度となく無意味化された結果、育たなかったのだ。
社会の複雑さへの想像力、ありのままの他者の受容、明確な善への地図が無かった。
今までのシステムは近いうちに崩壊すると言われつつも、なかなか崩壊しない。仮に崩壊したとしてもサバイバルを生き抜く知恵が無い。広大な大地に丸腰で放たれるのだ。
「ちゃんとしなきゃ死ぬ」とトリプルファイヤーの吉田靖直は歌った。「ちゃんとしなきゃ」という要請だけが社会にある。
なんとなく、どこか生きにくい僕たちの行き場はどこだろう。ちゃんとした職があればいいのか?ちゃんとした病名がつけばいいのか?ちゃんとした人になれればいいのか?ちゃんとした人ってなんだ?
今になってようやく哲学や文学などの人文学に解答を求めることができるだろうことに気づいた。それは人間として真っ当な足掻きに思えた。
まだ遅くはないと信じて、攻略サイトには無く、ビジネス書より直接的な、人間思索の旅に出ようと思う。良い哲学の書を教えてくれ。
私は自衛隊は合憲だと考えてるし、(個別自衛権に関しては)日本政府の公式見解を支持しています。改憲反対ですが稼業の都合で自民党員をやっていて、選挙では自民党に投票してます。という立ち位置から「自衛隊は違憲だから改憲すべき」論がいかに馬鹿げてるか説明します。
まず前提として、改憲が実際に起こるまでは日本国は現行の日本国憲法に従う必要があります。改憲は未来の話ですが、現行憲法の違憲は現在の話です。
さて、現行憲法で自衛隊が違憲だとすると、自衛隊はどういう存在になるでしょう?もちろん違憲ですよね。そう、違憲で違法、非合法な武装組織です。そんな組織が日本に存在していいと思いますか?なわけないですね。違憲で違法な武装組織として、即刻の武装解除と解体が必要です。改憲はその後の話です。改憲を発議して、国民投票も通って、新憲法で合憲な新自衛隊として再組織化する、ということになります。それを見据えても現行憲法が有効なうちは、武装解除と解体しかあり得ません。そして、改憲が成功して新自衛隊が結成されるまで、日本は自衛のための戦力を失います。このご時世に。
もう一度問います。自衛隊が違憲で改憲が必要だとすると、今そこにある自衛隊はどういう存在ですか?え?解釈合憲でそこに存在してても許される?じゃあ改憲の必要も無いですね。
わかりましたね。自衛隊が違憲だとすると今そこにある自衛隊が論理矛盾を起こします。違憲なら存在は許されないし、許されるならそれは違憲ではないので、改憲の必要もない。
まとめます。
自民党も旧民主党も私もこの意見です。国会議員の8-9割はこの意見だと思います。
今話題になっている、「米山隆一議員と仁藤夢乃氏と室井佑月氏のアレ」。
選挙後早々にリベラル界隈で内部紛争が勃発、ということで各方面から注目が集まっていますが、これまでも、
といった事例があり、この件に限らず、立憲・共産党とフェミニズム活動家は必ずしも一枚岩でないことがわかります。
そして、こうした話題を見ていて思い起こされるのが、ズバリ「部落解放同盟と、そして日本共産党との対立関係」です。
「社会的弱者や被害者の掘り起こし・組織化に熱心な共産党と、解同の仲が悪い」という事態は、この界隈をよく知らない人間にはなかなかイメージしづらいものがあります。
なので共産党も、あの手の運動には珍しく、真顔でディスっているというわけです。
なお、対立の理由は他にもあり、例えば1965年の「同和対策審議会」答申を巡る評価が解同と共産党で分かれたことも、その一因と言われています。
答申に一枚噛んでいる社会党に近い派閥が答申を評価する一方、共産党や解同共産党派は内閣諮問機関による答申を「毒まんじゅう」、つまり自民党との妥協であると批判。
なんだか「表現の自由」あたりでも散々聞いたような話ですね。
社会運動が自分の支配下である間はとりあえず優しいけど、ヨソが手を伸ばしてこようものなら即手の平返しちゃうと。
しかも、そんなこと言ってた共産党がこないだの選挙では自ら毒まんじゅう食わせる側に回ったのだから、まあなんとも皮肉な話です。
一方、解同側も社会党派を中心に共産党勢力の排除を進めていき、1971年には以下の理論を打ち出します。
その名も「朝田理論」。
半世紀も後のツイフェミの言動までもが全てこれで説明できてしまうなどと、いったいどこの誰が予想したでしょうか。ノストラダムスじゃねーんだぞ
しかし仲の悪い相手にはとことん手厳しい共産党、こちらについても「部落民以外はすべて差別者=部落排外主義」と批判を加えています。
米山先生おっしゃるところの「フェミニストイズム」も、これに当てはまるかもしれません。
それにしても「当事者・活動家至上主義と先鋭化が極まった結果、共産党のオルグすら拒んだ」というのは、いろいろと示唆に富むものがあります。
(まあ、「社会党vs共産党の争いで社会党側が勝った」と言ってしまえばそれまでなのですが)
様々なものを一方的に燃やされてばかりの男オタクの立場からは観測しづらいかもしれませんが、
実はそごうやルミネ、TOKYO女子けんこう部などの事例を振り返ると、むしろ「女性に媚びているはずの広告がなぜか炎上」したケースも結構多いことがわかります。
それも「『けんこう』が平仮名なのは女性をバカにしている!」などと、まさに令和最新版朝田理論の全力ブン回し。
いったい何が差別にあたるのか、もはや当事者と中国王朝の暴君以外に判別がつかないレベルです。
1000のうち1か2でも気に食わないことがあるとすぐ糾弾会をおっぱじめるバーサーカーぶりからは、やはり『血だるま剣法』的な何かを感じずにはいられません。
と、解同に対する批判の多くがなぜか現在のツイフェミにもブッ刺さる、というまことに面白い結果になったわけですが、
私は彼ら彼女らの暴力的な性格、先鋭化や偏狭さはともかく、運動のあり方自体を批判するつもりはありません。
社会運動は特定の党派の持ち物ではないし、自分の要望を実現してくれるなら誰と手を組んでもいい。
むしろ、リベラリズムからアベヤメロまでいちいち全部ワンパッケージにしなければ気が済まない風潮の方が、ぶっちゃけよほど不自然ではないでしょうか。
今回の衆院選で東京のとある選挙区の立憲民主党候補のボランティア支援をした。
数年に一回ただの紙っ切れに人の名前書くだけで国が変わるわけねーだろ、と最近思ったので少しでも政治に参加しようと思って立憲のホームページからボランティア登録して参加した。
そこで思ったことがいくつかある。
立憲の候補者は、基本的に「みなさん、自民党の○○がこう発言したことを知っていますか?」「安倍元総理が~と言いました。皆さん、これでいいんでしょうか」など、
特に聴衆に向かって言いたいことが思いつかなかった時に、英語のWell...やYou know..., のごとく「自民党は~」がつなぎ言葉にしてしまっている。
自民党、と最初に言うことでそこからすらすら連鎖反応的に言葉がつながっていって演説っぽい文章が口からでてくる、そんな印象を持った。
立憲民主党の候補者自体は、それぞれ個人個人色んなモチベーションがあって選挙に立候補しているわけだから、おそらく何も考えてないということはないと思う。
だけど、それにしても演説の度に「自民党」という言葉を使わないと演説にならない今の現状は明らかにおかしい。
これじゃまるで自民党がいなかったら自分達に存在意義が無いとでも言えるような状態だ。
もちろん、LGBTやワーキングプア問題、格差の問題など、自身が特に興味を持っている分野について訴えかけをしたいという本心はあるのだろう。
だけど、そういう個別の問題を駅前で訴えても、その問題の当事者以外は関心がないわけだからどうしても共通の関心ごとをテーマに演説を組み立てないと話を聞いてもらえない事情もあるのだろう。
それは理解できる。
それでも、「自民党」という言葉を使わなければ演説が成り立たない今の立憲民主党の現状は若干残念に思う。
維新を参考にしろ、とまでは言わないが、せめて国民の極一部ではなく大多数がこれは変えないといけない、と感じていることを掬い取って演説としてまとめられないものだろうか。
LGBTや、自民党政治では声を聞いてもらえないマイノリティの意見を私たちは聞きます!と演説でもよく言っているが、これはよくよく考えてみると、経済や外交、防衛等のメジャーな問題については自民党に言ってくれ、私たちはそういう問題ではないもっとマイノリティの少数派が抱える問題に対する意見を優先して聞く、ということだ。
立憲候補の辻立ち演説にも数回参加して話を聞いていたが、こうした印象はさらに補強された。
この態度が彼らの本心であるならば、むしろ今回の衆院選で立憲民主党は実は議席を余分に取りすぎているということになる。彼らは今回おおよそ衆議院の議席の1/5を獲得した。
だが、彼らが相手にしているLGBTや特殊な事情を持つマイノリティの数を考えたら、本来の適正議席数は衆議院議席の1/10に満たないのではないか。
国民の10%に満たないマイノリティの声を聞く政党、彼ら少数派の意見を国会に届ける政党が彼らの本分であるならば、彼らは自民党のライバル、最大野党になれるはずがない。
そういう意味で言えば、2大政党制を目指すのであれば自民党vs立憲民主党という構図にはなりえないと思う。マジョリティ政党vsマイノリティ政党などという構図が生まれる訳が無いからだ。
それでも1/5の議席を獲得したということは、それはつまり彼らが相手にしていない層からの票を自民党批判によって得たということだ。
マイノリティを重視する政党なのに、議席ではマジョリティを目指す。これはやはり構造的に矛盾している。
マイノリティ重視政党が議席でマジョリティを取りたいがために、自民党批判を繰り返すことによって、彼らが自身の党のターゲットとしていない層からの票をかさ増ししている、そう言われても仕方がないのではないか。
上にはつらつらと立憲民主党への批判を書きはしたが、立憲候補の選挙ボランティアを初めてやってみて、支援した候補には愛着というか、応援する気持ちは生まれた。
選挙ボランティアに参加するのも初めてだったし、最初は普段の生活では目にしないような濃い人たちがたくさんいて面白いかも、という好奇心が動機だったが、そういう意味では参加して良かったと思っている。
彼らの良いところを上げると、やはり他人に優しい人が多い点があげられる。自民党候補の演説と比較すると、自民党候補の場合は演説内容が若干攻撃的で危機感を煽り、いわゆる扇動するような印象が強かった。
そういう演説は傍から見ると心強くもあり、決意や覚悟を伺わせるものがある。こうしたことから基本的には自民党候補はエグゼクティブ、取締役クラスというイメージが強まる。
実際、立憲民主党候補と自民党候補の印象を眺めると、自民党候補の場合は会社員をやっていても役員クラス以上までのし上がりそうな我の強いタイプが多く、立憲民主党候補は組合員クラスというか、取締役にはいなさそうな人が多い、という印象になる。自民党候補のエグゼクティブ感は、正直言って洗練されていると感じた。やはり一定規模の組織で組織構造の上部にいるような人間はある程度のカリスマ性というか何等かのテクニックを持っているような印象だ。エグゼクティブ感のある強者をサポートしているジブン、取締役クラスの大物の子分であるオレ、というポジションは多くの小市民にとっては心地の良いものであるに違いない。
それとは異なり、立憲民主党候補は、言葉自体は強い言葉を使って批判したりすることは多いが、やはり「優しい」雰囲気がある。しかし、この雰囲気自体は私は非常に好きだと感じたし、こういう優しい人達がマジョリティである世界で生きていきたいと思う自分に気づいた。「取締役クラスの大物の子分であるオレ」というポジションとは異なり、他人に優しい、いわゆる弱い奴と舐められがちな候補を支援するジブンというのは人によっては受け入れられないだろうな、とも強く感じる。
学校生活で例えると、学年を牛耳っている大物がいるグループに入りたいか、そういう大物を批判して抵抗を続ける小グループに入って生活をしたいか、どちらを選ぶか、といった問題と共通すると思う。
その結果、後者のグループに入っても良いと考える国民の概数は1/5だったと考えると、なんとなくこの例えも的を遠く外しているわけではなさそうだとも感じる。
対案という言葉が流行しているので、建設的な意見も残しておきたい。
とにかく立憲民主党の議員と国民との接点をマスコミ以外の場で作ることが必要だ。現状大多数の一般国民にとって、国会議員というのはテレビでしか見ない存在だ。
だが選挙ボランティアに参加してみて思ったのは、国会議員も普通の人間、そこらへんの日本人と99.999%以上同じDNAを持った同種族のおじさんおばさんだということだ。
選挙演説では一方方向で候補者が自分の決意を流すだけだが、もし自分達の発言が直接議員に届く場があるならば、国民の選挙や政治に関する意識も私みたいに大きく変わる可能性が高い。
もちろん、そういう生の意見をフィルタリング無しに直接ぶつける機会を作るというのは、あらゆる意味で高いコストがかかるものだということは承知している。
想定外の質問にあたふたすることだってあるだろうし、個人的な怒りを個人情報織り交ぜてぶつけだすヤバい奴に絡まれる可能性だってある。
そうだとしても、タジタジになった姿を仮に見せることになったとしても、それでもそういう場を設けるべきだ。想定外の質問なんだから、痛いところを突かれることだってある。そうだとして、答えに窮するようなことになったとしても、
我々国民は国会議員という人間が遠い世界のアイドルではなく、我々と同じように高校や大学に通って同じ空気を吸って物事考えてきた人間だと実感することはできる。
彼らのエグゼクティブなイメージは、その偶像崇拝的なイメージ戦略によって支えられていることが多い。想定外の質問に窮する姿を支持者に絶対に見せられない大きな制約を抱えていると言ってもいい。
幸か不幸か、自民党議員と比較すると立憲民主党の議員には偶像崇拝的な「強い個人」というイメージが無い。これは長所と捉えて最大限活用すべきだ。
選挙ボランティアに参加してみて強く感じたのは、我々ボランティアは立憲民主党の議員達の目には名前も顔も知らないよく知らないおっさんおばさんとしてしか認識されていないんだな、ということだ。
ボランティアでビラを配ったりするのに使った時間は1日1~2時間程度だったが、いくら愛想よくビラを配ったり声掛けをしたりしても、通行人から悪態をつかれたり嫌な絡み方をされても基本は放置だった。
つまり良い仕事をしたら評価するという姿勢も無ければ、不慣れな仕事に対して指導やサポートをするといった体制が無い。
せっかくボランティアとして選挙のお手伝いをしに行ったのだが、正直これは何とかしてほしい。議員さんたちは議員さん達で話しかけられたり声を出したりするという自分の仕事があるのでそちらにある程度集中するのは
しょうがない。だけど議員はリーダーになるべき人物であるわけで、選挙ボランティアを集めておいて何の説明も無しにビラや立憲民主党のジャンパーを渡して、あとはいい感じによろしく、ではあまりにも仕事ができなさすぎる。まともな継続性のある組織であれば、新人がチームに入ってきたときは気持ちよく動いてもらえるよう丹念に説明をしてから仕事をしてもらうのが普通だ。この説明が無いと、新人はてんでんばらばらな仕事の理解のまま、組織の活動としてやっているのに個人の責任で活動することになってしまい、まともな組織にならない。
加えて気になったのは、ボランティアの数名が議員に名刺を渡していたことだ。つまりもしかしたら議員側の人達はボランティアというのはボランティアがコネ作りのために下心をもってやってきているのであって、議員に気をかけて欲しかったら自分達が議員になるためにしてきたように秘書として仕事をしたり無償ボランティアで名刺渡して顔を売って仲間に入れてもらえるようにそっちで努力しろ、と暗に思っているのかもしれないと感じた。
彼ら議員は無償で時間や労働力を提供しに来た選挙ボランティアに対して積極的に感謝の意を示すことはなかったし(※訂正あり。文末参照)、次回のボランティアもお手伝いお願いします!と言うことすらなかった。
特に選挙最終日の日の最後の練り歩きで、次回のボランティアについても協力をお願いするのでもなく、なあなあで自然解散して締めの挨拶すら無かった点は、政党活動を市民ボランティアから拡大していこうと日頃から口にしている態度とは大きく矛盾していると感じる。
これに関しては悪意があるというわけではなく、自分のことで精一杯でボランティアや他の重要でないスタッフに気をかける余裕が無かったのだと思う。しかしそれはそれで政党という一組織を作り上げる能力に少し欠けていると評価せざるをえない。せっかく支援しに来てくれている10人程度のボランティアすらまともに組織化できない国会議員が、どうやって政府与党になって何十万人もの官僚が属する組織を作り変えることができるんだ。
現在の立憲民主党は、サポートを言明している有権者の1/10にも満たないマイノリティ層+自民批判の浮動票という形で議席を獲得している。
立憲民主党が明日からでもやらなければいけないことは、この浮動票を順次立憲民主党の固定票へと変換していくことだ。そのためには、前者の特定マイノリティ層との対話だけを繰り返すのではなく、浮動票を立憲民主党に投票してくれたマス層に対して、党員になってもらうよう日頃から呼びかける活動をもっと積極的に行わなければならない。
そのためには外交や経済、国防についてのメジャーな政策についてだって国民一人一人と意見交換しなければならないが、立憲民主党がもしまだ少しでも与党として日本を率いていきたいと願う気持ちがあるのであれば、ぜひそうしてほしい。もし立憲民主党の議員が特定の少数団体の意見のみを重視しマス層の国民の意見を軽視するというのであれば、それは自民党に陳情した方がよっぽど自分達の意見が国政に反映されることになるので、俺は支持することはできない。
ビラ配り、練り歩き時に通行人のおっさんから「お前、立憲民主党の奴なのか?だったらもっと大きい声出してちゃんとやんなきゃダメじゃない。こんなんだから民主党はダメなんだ」と言われたことが強く記憶に残っている。
いや、俺は別に立憲民主党の党員でも支持者でもない通りすがりのただのボランティアなんだわ。お前はただ街に出て候補者にしょーもねーヤジ飛ばして投票するだけで終わりなんだろ?こっちは投票程度じゃ大して意味ねーと思ってるからこうやって政治活動にあくまで無報酬のボランティアで手伝いしにきてるんだわ。なんで自分では政治活動全然しない奴が無給ボランティアで政治参加してる俺らに高圧的に出るわけ?
「民主党はちゃんとやれよ」じゃねーんだわ。そう思うんならお前もなんか手伝えや。なんか、俺は税金払ってるお客様、お前らは俺らの税金で飯食ってる株式会社立憲民主党の社員、って勘違いして図に乗ってるオッサンに腹が立ってしょうがない。
お前は、アホか。
この件に関してもっと長文で思いの丈を吐き出してスッキリしたいのだが、本当に長くなりそうなのでここらへんでやめておく。
「彼ら議員は無償で時間や労働力を提供しに来た選挙ボランティアに対して積極的に感謝の意を示すことはなかったし」
この部分だが、これは「ボランティアに来てやってるんだからもっとありがたく思ってほしい」という私の主観、エゴが少なからず含まれている。
この部分に関して、立憲候補者側の落ち度のように書いてしまった点は訂正するとともに謝罪したい。
選挙当日の焦燥感や最後の一押しといった高揚感の中で最優先で気を配る相手は聴衆・通行人であって、ボランティアを最優先で丁重に扱うべきという主張は後から考えると書きすぎだった。
また候補者側のスタッフからは感謝の意は受け取っており、「感謝がない」というのは誇張でした。大変申し訳ございません。
どこか別の機会にまとめようと思うが、政党政治である日本の国会で選択すべき政党というのは、イデオロギーではなく「システムの優秀さ」なのではないかと考えつつある。
システムとは、国民が自分の意見を国政に反映するための組織体制、仕組みだ。そういう意味では、日本中から批判にさらされた自民党の二階元幹事長の構築した「陳情」という仕組みは
日本の国政史上かなり高いレベルで有権者(一部の、だが)の利益を実現する仕組みだったかもしれないと感じつつある。(具体的な検証はしていないので、誤りかもしれない)
@kis (id:nowokay) さんの以下の記事についてです。
https://nowokay.hatenablog.com/entry/2021/09/25/042831
ブコメにもあるようにちょっと内容が雑というかわかりにくいせいで賛否両論になってしまっていて、もしかしたら近いうちにアンサー記事が出るかもしれませんが、自分自身の理解を助けるためにも言わんとしていることを推測しつつ、自分の認識もまとめておこうと思い書くことにしました。明らかに誤読してそうな箇所があれば、指摘してください。
まずは前提を書いておかないと論点がぼやけると思うのでいちおう。
その他の前提:
2000年代に入って関数型プログラミングが脚光を浴び始めたのは、コンピュータ資源が潤沢になりパフォーマンスをそれほど気にしなくってよくなったことが大きな理由ではないか、という認識があります。
関数型プログラミング言語の内部実装を読んだことがないので推測ですが、データを不変にするということはその都度メモリ領域を新たに割り当てることになり、そのオーバーヘッドがプログラムのパフォーマンスに影響を与えるので、パフォーマンス要件がをシビアな場合、どうしてもメモリ割り当てや計算効率を考えるとミュータブルにせざるをえないと思います。が、ウェブアプリケーションに限っていえば、データベースアクセスやネットワークアクセスのレイテンシが大きいので、そうした相対的に細かいオーバーヘッドを無視しても(大抵の場合は)問題にならなくなった、というのが「時代」の流れなんだという認識です。
いっぽうで別の観点もあって、REST API や FaaS が一般化して、関数単位で処理を分割し、アプリケーション外部に配置することが当たり前になってきた現状があり、マイクロサービスのようにアプリケーション自体もモジュールの一単位として考えると、アプリケーション内部のモジュール同士でも関数ベースでやりとりする形になっても不自然ではないと考えられます。
元記事にもありますが、RPC の派生(実装?)として生まれた Java の CORBA や Microsoft の DCOM みたいな振る舞い付きのオブジェクト(コンポーネント)を共有しようという世界観は廃れ、REST API のような単一の振る舞い(エンドポイント)とそれにひもづく JSON のようなデータ構造のみを受け渡すやり方が一般的になったアプリケーション間通信の潮流と、計算機資源が潤沢になって再度脚光を浴びた関数型プログラミングが、レイヤーの違いを飛び越えてひとつになろうとしているのではないか、と。
つまり、元記事に書かれている「時代に合ってない」というのは、「データ構造と振る舞いが一体となったオブジェクト」のような「なにか」は、そうした背景があるために、どこにも存在する必要がなくなってきているのではないか、と解釈しました。
なので、以下のコメントはちょっと論点がずれてると思いました。
はあ?「再利用する方法としてはWeb APIが主流」って、その中身をオブジェクト指向で設計することは、全く矛盾しません。 部品化の単位は、慣習や柵などで大きく変わります。オブジェクト指向とはほぼ無関係です。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4708813645995359202/comment/suikyojin
なんでサービスとして外とやり取りする話とサービスの内部設計の話をごっちゃにしてんだ。なんか理解度が怪しくない
https://b.hatena.ne.jp/entry/4708813645995359202/comment/ssssschang
たしかに、アプリケーション単位とアプリケーション内部のモジュール単位とでその表現形式を合わせる必要はないんですが、元記事の言わんとしていることはこの一文に端的に表れていると思います。
ソフトウェアの記述をまとめるという視点では主にステートレスな関数を分類できれば充分で、データと振る舞いをまとめたオブジェクトというのは大きすぎる、システムを分割して管理しやすくするという視点ではオブジェクトというのはライフサイクルやリソース管理の視点が足りず小さすぎる、ということで、オブジェクト指向の粒度でのソフトウェア管理は出番がなくなっているのではないか、と思います。
「オブジェクト指向でなぜつくるのか」という本がありますが、「え、いまどきオブジェクト指向でつくらなくない?」っていつも思います。内容的には、もうほとんどはオブジェクト指向関係ないソフトウェア工学の紹介になっていますね。
当該書籍は読んだので後半はまぁわかるんですが、前半は「え、いまでもオブジェクト指向でつくるのが主流じゃないの?」って思ってしまいます(オブジェクト指向の定義が「データ構造と振る舞いが一体となったオブジェクトの集まりとしてソフトウェアを組織化すること」なのであれば)。
Joe Armstrong が "Why OO Sucks" を書いたのが2000年とのことなのですが、そろそろこうした議論は収束に向かってほしいと個人的には思います(とっくに収束していると感じている方もいらっしゃるでしょうけど)。
せやな。
体制ってのが政府側、ルールを作ってたりお金を刷ってたりする一番大きな外側の話やからな。
国営の悪の組織や海賊があったら「体制側」なわけで、その大雑把なルールで利益を産んでるルーチンに対しておざなりにされて不利益を受けてる側が対抗するのが反体制よな。
ただデカいだけの組織に従っていたら体制かっていったらそれに近いけど、一番がつかないとな。
国なり法律なり価値観なりを自在に操れる立場って所とそれを理不尽にも強要できるってところが体制ってところだな。
俺はその列挙されたものほとんど読んでないが、呪術高専は高専といっているけど国家からの依頼をうけたって話みたことないな。
大量殺人とかなったときとか人死にがでたときとか、国がもみ消してるとことか出てないと思うけど、出てないなら私設集団って可能性もあるよな。
キメツもそういう血筋の一家が組織化して戦ってる闇の組織みたいなもんだよな。ほかの刀鍛冶一族とかなんとか一族みたいなのと交流あるみたいだけど無残様を政治利用したり国家予算で隊を支えたりしてないよな。
どっちも殺人をして隠蔽はしてるかもしれないが「殺人許可」はでてないよな。
ほかも騎士団っていっても施設なのか属国の国営なのか、大国の国営なのか連邦の所属なのかで変わるよな。
昨日まで国家のための聖戦に参戦してた英雄だったのに今日から敗戦国の犯罪者みたいな話もあるというかそういう立場の話が「体制反体制」だよな。
個人事務所でも事務所に所属してなくてもタレントはタレントだろ
VTUBERを生主と別だと主張したいからなのか、理屈に無理があるぞ
Vtuberと生主の違いが「企業に所属して利益を上げるために組織化されるかどうか」だけなら、個人事務所かタレント事務所所属か程度の違いしかないから、Vtuberを生主と呼ぶことは何の問題もなくなる
企業所属の生主っているの?そいつら生主の定義に矛盾していない?
企業に所属して利益を上げるために組織化された集団まで生主というのは
個人Vが名前とデザインそのままV企業所属になることはあっても
組織に所属して活動している生配信者もYouTuber呼びが普通で生主とは呼ばないだろ
VTuberの呼び方からして企業活動の動画配信者から出てきて広がったものだし…
(現在の主流がそれとはだいぶ違って生主寄りになっているのは認めるが)
V=生主論者はどうしても自分が昔から知っている呼称に当てはめて呼びたいんだな
自分の脳のメモリーを節約したいのかオタク得意の前からあった指摘がしたいのか
その主張を他人にまで強制したいなら、Vが生主を同じカテゴリーに入れてまったく問題がないことを、ちゃんと説明をしてくれないか
説得がしっかりしていれば、主張を認める読者もいるかも知れないぞ
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