はてなキーワード: 2007年とは
当然でしょう。
慰安婦をさんざん食い物にしてきた。
https://www.kibotane.org/our-mission
在日朝鮮人「慰安婦」サバイバー・宋神道さんの裁判過程をまとめたドキュメンタリー『オレの心は負けてない』を見て、ある学生がつぶやいた言葉です。日本軍「慰安婦」問題が日韓の外交課題として浮上した後で「慰安婦」問題を知った世代には、この問題が日韓の摩擦問題としてしか見えていないのだということを、気付かせてくれた言葉でした。サバイバーたちの四半世紀にわたる闘いが、「慰安婦」問題を外交課題にまで押し上げたのだという事実が、すっぽりと抜け落ちてしまっている。宋神道さんをはじめとする日本軍「慰安婦」サバイバーたちの闘いを目撃してきた者として、被害事実と共に、その闘いと、それが獲得したものについて、伝えていかなければならない責任を感じています。
韓国の日本軍「慰安婦」サバイバー・金福童さんは、日韓合意の最大の問題点は「歴史を売ったことだ」と言いました。「慰安婦問題は歴史なんだ。歴史はお金で売ってはいけないものなんだよ」と。
戦時性暴力の被害者が名乗り出て、加害国の責任を問うて国際世論に訴えるという、人類史上初の試みをおこなった女性たちは、二度と同じことが繰り返されない平和な世界をつくらなければならないと、自らの存在をかけて訴え続けました。その姿が、他の戦時性暴力被害者たちに勇気を与えたこと、世界の人権専門家たちの心を動かして重大人権侵害被害者の被害回復に関する国際基準を打ち立てる上で大きく貢献したこと、闘いの過程で自らが変わり周囲の人々を変えていったことも、私たちが記憶し、伝えていかなければならない歴史です。その歴史が見落とされ、あるいは歪曲されたまま、「解決」や「和解」を唱えても、「解決」と「和解」を手に入れることはできません。
日本軍「慰安婦」問題は私たちに多くのことを気付かせ、学ばせてくれた問題でした。その気づきや学びを、さらに多くの人々、多くの若者に伝えていくことで、「慰安婦」問題は「終わらせる」べき問題ではなく、平和な未来を拓く礎となる問題であることを伝えたいと思います。
日本軍「慰安婦」問題解決全国行動共同代表 1990年から日本軍「慰安婦」問題に関わる。1993年提訴の在日朝鮮人「慰安婦」被害者宋神道さんの裁判支援をおこない、2007年にドキュメンタリー映画『オレの心は負けてない』製作。現在、韓国ソウル「戦争と女性の人権博物館(WHR)日本後援会」代表、「YOSHIMI裁判いっしょにアクション」共同代表。通訳・翻訳、語学講師。 "
じっくり実らせよう、一粒の種 旧日本兵によれば、司令部や大隊本部の側には慰安所を設置した。本部を守る配置の200名規模の各中隊には慰安所の「慰安婦」が巡回した。最前線の小隊には慰安所も「慰安婦」の巡回もない。それで、女性を拉致し順繰りに犯し、「合意」と見せかけるため金を握らせた。真摯な反省も再発防止策も示さず日本政府が締結した「日韓合意」は70年以上前、最前線の兵士が編み出した犯罪隠蔽のため金を被害者に握らせた手法と同質だ。
日本政府は「日韓合意」の一条件とした平和の少女像の撤去にこだわる。韓国の若者は厳寒のソウルの日本大使館前にテントを張り、夜中も少女像を守った。釜山の総領事館近くの少女像は若者が資金を集めて設置した。日本の若い世代が韓国の同世代と交流し確固とした非侵略・平和を築く、そんな一粒の種になることを応援したい。
ノンフィクション作家。在日の慰安婦裁判を支える会、戦争と女性の人権博物館日本委員会所属、日本の戦争責任資料センター共同代表。沖縄に残された裴奉奇さんの半生を記録した『赤瓦の家――朝鮮から来た従軍慰安婦』(1987年)をはじめ、在日、日本、インドネシア、中国など日本軍「慰安婦」・性暴力を受けた当事者の人生を記録。
私たちの社会が「希望」という言葉を見失ってどのくらい経つのだろうか。希望の喪失度(という言い方があるとすれば)は、安倍内閣になってから急速に進んでいる。私たちは絶望感と閉塞感に苛まされてきた。そこへ「希望のたね基金」である。私はすっかり忘れていた言葉に再会して、ひそかに心躍らせている。この基金が、若者たちをターゲットにしていることが、とりわけ嬉しい。日本軍「慰安婦」とはなんであったのか、なんであるのかを若者たちが理解するときが来ることで、日本と韓国の関係は大きく変わるだろうし、それは必ずや日本の若者たちに生きるに値する未来をもたらすのではないかと、期待が膨らむ。自分の国の歴史を学んでこなかった日本人にとっては、若者だけでなく、新しい時代に生きる手がかりになるはずだ。
弁護士 2017年5月1日現在 1975年弁護士登録。以後、東京弁護士会及び日本弁護士連合会の両性の平等委員会の委員を、2001年4月よりはNPO法人「女性の安全と健康のための支援教育センター」の代表理事をそれぞれ務めている。2004年4月より2013年3月まで、明治大学法科大学院教授。第2東京弁護士会所属。主な著書に「性と法律」2013年岩波新書など。 "
国境を越えて人と人とが直接出会い、直接交流することは、国際関係で最も楽しく、最も核心的な要素だと思います。友達が一人でもできれば、自然に相手国や相手地域に対する関心が生まれてきます。日本で韓国の大衆文化が根付き始めたている現在、関心を持ち始めた若い方々に、一人でも多く朝鮮半島の友達と出会う機会が提供できればという願いを込めて、希望のたね基金の事業におおいに期待しています。
立命館大学文学部教授 / 強制動員真相究明ネットワーク共同代表 専攻は朝鮮近現代史、日韓関係史。主要論著に、「朝鮮における総動員体制の構造」『岩波講座東アジア近現代通史 第6巻』岩波書店、2011年1月(共著)、庵逧由香「植民地期朝鮮史像をめぐって-韓国の新しい研究動向-」『歴史学研究』No.868、2010年7月、などがある。
91年に金学順さんが声をあげたとき、私は大学生だった。当事者が声をあげた以上、解決しないわけにいかない、すぐにきっと解決できるはず。そう楽観的に信じていた四半世紀前の私に言ってあげたい。「甘すぎるよ」と。「慰安婦」問題は、この国のアキレス腱だ。国は力尽くで、この問題を忘れさせようとしてきた。「そうはさせない」と、急所に正面から切り込んでいった当事者と支援者の運動は、どれほど過酷だったことだろう。性暴力被害者が声をあげれば叩かれ、なかったことにされるのは、今も同じだ。だからこそ私は、この運動に関わりたいと思う。女性たちの無念を記憶するために。次世代に声と記憶をつないでいきたい。
作家 1996年、フェミニズムの視点で女性向けセックスグッズショップ「ラブピースクラブ」を立ち上げる。フェミニズム、ジェンダーに関する著書多数。「アンアンのセックスできれいになれた?」(朝日新聞出版)「毒婦。」(朝日新聞出版)「奥様は愛国」(朴順梨との共著著、河出書房新社)「性と国家」(佐藤優との対談、河出書房新社)他。
「慰安婦」問題は昔起きたことだから自分とは無関係」「国家間の問題だし、日韓合意で解決済み」。そんな声をよく聞きます。日本のメディアやネットでは「慰安婦」問題否定論が溢れ、日本政府が歴史の否定や忘却を後押しさえしています。でも、「慰安婦」問題を真に解決し、二度と戦時性暴力の被害を起こさないためには、「慰安婦」問題の事実やサバイバーの声、そして支援運動の歴史について学び、記憶し、それを継承していくことこそが重要なはずです。「希望のたね基金」の取り組みを通じて日本の若者たちが学んだ成果は、私が住むアメリカなど、世界の若者にも影響を与えていくことでしょう。皆でこの基金を育てていきましょう。
モンタナ州立大学准教授 文化人類学・フェミニズム 日本の社会運動、特にフェミニズムや右派運動の調査を進める中で「慰安婦」問題にも取り組む。共著に『社会運動の戸惑い—フェミニズムの「失われた時代」と草の根保守運動』(共勁草書房)、『海を渡る「慰安婦」問題 右派の「歴史戦」を問う』(岩波書店)ほか。
セクハラにの定義を歪めて水着までセクハラにしたインチキババア。
理事 柴洋子(しばようこ)
1990年から「慰安婦」問題は過去のページに閉ざされた歴史の一つではなくなりました。さらに金学順さんが名乗り出たことを機に多くの被害女性が名乗り出、日本政府に対して謝罪と賠償を求めました。私たちは彼女たちの勇気に支えられて、それぞれ各国の裁判支援を始めました。私は縁があって台湾の被害女性たちと裁判を通して交流してきました。そして30年近くが過ぎ去った今、台湾の被害女性たちは亡くなり、現在お元気な阿媽は2人です。台湾では2016年にAMA Museumを開館し、阿媽たちの歩んできた道を記憶し、記録するようになりました。韓国は「慰安婦」問題解決運動の先駆者です。ハルモニたちの声は国境を越え、現代の紛争下で性暴力被害を受けた女性たちにも勇気を与えています。日本にいる私たちも各国の被害女性たちの声を記録し、若い世代に伝えていく努力が必要です。しかし、どうやって? そういうときに「希望のたね基金」の活動は、まさしく私たちの希望となるものだという確信に至りました。私自身は模索しながらの参加になりますが、希望の道へ連なることができることを嬉しく思っています。
1990年代から始まった日本軍「慰安婦」問題解決運動が30年目を迎えようとする今なお、被害者が望む解決はなされず、その間に多くの被害者が亡くなられました。日本政府は歴史の事実をなかったことにしたいという欲望を隠そうともせず、「日韓合意」で終わった問題と公言して憚りません。忘れさせようとする権力に対し、サバイバーの生き方に学び、記憶することは抵抗であり、未来への一歩です。誰一人その生を再び踏みにじられることのない、性暴力や人権侵害を許さない社会の実現を共にめざします。「希望のたね基金」の取り組みを通じて次世代へとバトンをつなげ、あるべき社会の未来像を形にする一助になりたいと願っています。
原因は尹美香
映画「主戦場」で日本の若者がみな「慰安婦」問題は知らない,と言っている事に衝撃を受けました。しかし1991年に初めて金学順さんが名乗り出てすでに30年近く経っていることを考えると当時生々しい感動を受けた世代も記憶が形骸化しています。ましてや直接被害事実を聞いた事のない世代はこの言葉を知っていても被害者の苦痛を自分の事として想像するのは大変です。「希望のたね」の活動が,こうした問題に正面から取り組んで下さっていることに敬意を表しつつ,これに参加できることを幸せな事と思っています。
日本軍「慰安婦」制度や日本の植民地支配・侵略戦争は、数え切れない人びとの人権と尊厳を踏みにじった国家犯罪です。これらに対する批判的認識を確立し、真に人権が尊重される社会をつくりだしていくことは今を生きる私たちの課題です。マスメディアやインターネット上では、日本軍「慰安婦」問題に対するデマや、朝鮮半島をはじめとしたアジア諸国に対する不正確な情報が溢れています。こうした中で、若い世代のなかには「何が本当のことかわからない」と感じる人も多いでしょう。キボタネを通じて、歴史の真実を学び、東アジアの人びとと交流を深めていくことは、大きな力となっていくはずです。ともに学ぶ仲間の輪を拡げていきましょう。
私は、戦時性暴力は、戦時という特殊な状況下で起きる特殊な態様のものだと以前は思っていた。しかし、戦時特有の事情もあるにせよ、本質においては、どうもこの社会で日常的に起きている性暴力と地続きのものであるということを、日本軍「慰安婦」だった女性達の言葉と、それに対して向けられる偏見と罵詈雑言に接して、感じるようになった。
逃げられない権力構造下で起きた凄絶な被害がどういうものだったのかを直視することは、この社会から性暴力を無くすために何が必要かという本質的な問いのために避けられないだろう。必死な性暴力告発の声を「あなたは合意していたのに今更何を言うのか」と押し潰す暴力性の背後にあるものはなんなのか見極め、それと闘いたい。これが、不勉強と微力を承知で理事就任の打診をお引き受けした理由である。
弁護士 明日の自由を守る若手弁護士の会(「あすわか」メンバー)。「怒れる女子会」呼びかけ人。取扱分野は離婚等の家事事件、一般民事事件等。性暴力
https://anond.hatelabo.jp/20230530182341
これ昔から思ってた
不動産価格も半年遅れくらいで追従、これで土地転がししてた人らがバタバタ倒れたのは有名なんだけど
大企業はこの負債だけでは即死せず、かといって公表せず、爆弾を抱えたままゾンビのように生き残っていた
だから一般人にとってバブル崩壊はどこか他人事だった、株価が4年前に戻っただけだからね
例えば日本人の給料のピークが1997年だった、新聞の発行部数も1997年がピークだ
だから個人的には元増田の言う「90年代後半は暗かった」というのは分からない
エンタメも元気だった
例えばFF7発売が1997年だし、アムラーが流行ったのもこの頃、ジブリはもののけ姫を出したし、ハリウッドではインデペンデンス・デイやロストワールド、スピード2が出た年だ
北海道拓殖銀行、山一證券、日本長期信用銀行、日本債券信用銀行が破綻した
ただ、この頃からITバブルが始まっていたこともあり、若者や子供にとってはそんな暗い時代ではなかったと思う
ノストラダムスの大予言に夢中だったのは確かだけどそれはベクトルが違う
じゃあいつ頃日本が暗くなったかといえば、2002年頃から徐々にだと思う
ITバブルが崩壊し、金融政策がうまく行かず、バブル崩壊の負債と金融危機の負債が小出しで爆発した関係で低迷したし
回復してきたかと思ったら2005年に会社法が成立し、会社が健全化する中で膿を出しつつ低迷した
ちなみに2005年に合計特殊出生率が最低をマークしている、ここらへんがどん底だと思う
この頃は小泉政権時代だ、まさに聖域なき構造改革で、膿を出して2007年くらいにはようやく回復したんだが
2008年のリーマンショックと2011年の東日本大震災で追い打ちをされた(これがなかったらどうなってたんだろう)
海外でもゴタゴタあり、結果2002年〜2014年あたりの殆どのタイミングで暗い時代が続いた
そして実は2014年以降、つまりアベノミクスのタイミングでは世界的に平穏で少しずつ回復して行っていたわけだが
まあコロナで全部壊されて今に至る
暗い雰囲気、病んだ雰囲気を消費していただけで、今よりはずっと呑気で適当だった印象
ピチカート・ファイヴの曲を時系列に並べると、確かに90年代中頃から暗い曲が出てくるけれど(小西康陽のメンタルの波が影響していたらしい)、やっぱり雰囲気を消費していた感じがして、暗い時代という実感はない
ミニシアターでヌーヴェル・ヴァーグとか日活ロマンポルノとかやってて、エヴァの影響で神代辰巳の青春の蹉跌とか青春の殺人者とか見たけど、60年代から70年代は暗いんだなって思ってた
秋葉原は全盛期へ向かう助走が始まる熱があった頃だろう
自分で調べろ
1950年 | 2,337,507 | 3.65 |
1951年 | 2,137,689 | 3.26 |
1952年 | 2,005,162 | 2.98 |
1953年 | 1,868,040 | 2.69 |
1954年 | 1,769,580 | 2.48 |
1955年 | 1,730,692 | 2.37 |
1956年 | 1,665,278 | 2.22 |
1957年 | 1,566,713 | 2.04 |
1958年 | 1,653,469 | 2.11 |
1959年 | 1,626,088 | 2.04 |
1960年 | 1,606,041 | 2.00 |
1961年 | 1,589,372 | 1.96 |
1962年 | 1,618,616 | 1.98 |
1963年 | 1,659,521 | 2.00 |
1964年 | 1,716,761 | 2.05 |
1965年 | 1,823,697 | 2.14 |
1966年 | 1,360,974 | 1.58 |
1967年 | 1,935,647 | 2.23 |
1968年 | 1,871,839 | 2.13 |
1969年 | 1,889,815 | 2.13 |
1970年 | 1,934,239 | 2.13 |
1971年 | 2,000,973 | 2.16 |
1972年 | 2,038,682 | 2.14 |
1973年 | 2,091,983 | 2.14 |
1974年 | 2,029,989 | 2.05 |
1975年 | 1,901,440 | 1.91 |
1976年 | 1,832,617 | 1.85 |
1977年 | 1,755,100 | 1.80 |
1978年 | 1,708,643 | 1.79 |
1979年 | 1,642,580 | 1.77 |
1980年 | 1,576,889 | 1.75 |
1981年 | 1,529,455 | 1.74 |
1982年 | 1,515,392 | 1.77 |
1983年 | 1,508,687 | 1.80 |
1984年 | 1,489,780 | 1.81 |
1985年 | 1,431,577 | 1.76 |
1986年 | 1,382,946 | 1.72 |
1987年 | 1,346,658 | 1.69 |
1988年 | 1,314,006 | 1.66 |
1989年 | 1,246,802 | 1.57 |
1990年 | 1,221,585 | 1.54 |
1991年 | 1,223,245 | 1.53 |
1992年 | 1,208,989 | 1.50 |
1993年 | 1,188,282 | 1.46 |
1994年 | 1,238,328 | 1.50 |
1995年 | 1,187,064 | 1.42 |
1996年 | 1,206,555 | 1.43 |
1997年 | 1,191,665 | 1.39 |
1998年 | 1,203,147 | 1.38 |
1999年 | 1,177,669 | 1.34 |
2000年 | 1,190,547 | 1.36 |
2001年 | 1,170,662 | 1.33 |
2002年 | 1,153,855 | 1.32 |
2003年 | 1,123,610 | 1.29 |
2004年 | 1,110,721 | 1.29 |
2005年 | 1,062,530 | 1.26 |
2006年 | 1,092,674 | 1.32 |
2007年 | 1,089,818 | 1.34 |
2008年 | 1,091,156 | 1.37 |
2009年 | 1,070,036 | 1.37 |
2010年 | 1071305 | 1.39 |
2011年 | 1,050,807 | 1.39 |
2012年 | 1,037,232 | 1.41 |
2013年 | 1,029,817 | 1.43 |
2014年 | 1,003,609 | 1.42 |
2015年 | 1,005,721 | 1.45 |
2016年 | 977,242 | 1.44 |
2017年 | 946,146 | 1.43 |
2018年 | 918,400 | 1.42 |
2019年 | 865,234 | 1.36 |
元空調機器の開発者です。たしかにメンテナンス考えてないケースは多い。だがその多くは安全上の理由である。
私は元増田のほんと日本の男って家電開発のセンスがないわに同意する点は多い。だが白物家電はジャンルによるが、開発チームの3割程度は女性だ。普通に会議でも女性の意見は求められるし、お客様の要望として上がってくる。メンテナンスフリーじゃないのが男性主体であるという推察は、まったく的外れであるとは指摘したい。
だがまぁ、事実としては。マジでメンテナンス関連の開発優先度は低い。
強いて言うなら、修理部門から「分解しにくい」「パーツが壊れる」などの報告が来たときに改良する程度。
電子レンジに濡れた猫を入れるなんてジョークのような話があるが、科学教養がなくセンスのない馬鹿は世の中には掃いて捨てるほどいて、開発者はどうすれば馬鹿でも安全に使えるかに心血を注ぐ結果、部品に触らせないようにする。
もう10年以上昔だが、某エアコンにおいてメンテナンスを重視するべくファンや熱交換器を交換型アタッチメント式にする企画があったが、一瞬で却下された。最大の理由は「電源をオンのまま交換を行うお客様がいた場合、重大事故につながる」というものだった。
それにお客様の住環境によっては、電源コンセントを抜きにくい配置であったり、物理的にスペースがなくてパーツを外しにくい場合があるだろう。
事故やクレームの可能性は吐きたくなるレベルで無限に存在する。いや開発時に考えすぎて吐いた同僚がいた。
エアコンが顕著だが、2007年の省エネ法など法的な規制が厳しくなっている。
だがいくら技術や素材が進歩したからといって、そう簡単に省エネにできるはずがない。じゃあどうすればいいか。デカくするのだ。
エアコンや冷蔵庫などは熱を交換するという性質上、巨大パーツを動かす事で省電力化に寄与する。小さいコップに注がれたお茶と、大きな鉢に入ったラーメンが同じ温度だとして、小さいコップの方が早く冷めるのと同じ理屈だ。実際に多くの家庭用エアコンは本体・室外機ともに20年前より1.5倍程度デブになっている。
例えば多くの家庭用エアコンは解体者の左側にスペースがないとパーツの取り外し自体が難しい。右側に電気制御基板があるため、左側のフィン軸などを浮かせてパーツを分解するためだ。脚立の上で重たいパーツを抱えた結果、バランスを崩して転倒するのは目に見えている。実際、プロのエアコン修理業者ですら事故を起こした報告を聞いている。
元増田が上げてるすべての家電ジャンルに私は携わったわけではないが、回転駆動するモーターを内蔵する機器、高温になる機器、大電流を必要とする機器は、どうしても安全性を重視せざるをえないのは想像に難くない。回転するモーターがあって高熱で大容量電力が流れる状態で分解・清掃する馬鹿が、マジでこの世には山ほどいるのである。本当に信じがたいが。家電開発をしていると、もしかして人類全員は単細胞じゃないかと思えてしまう。冷や汗がでる危険行動をとる人がいる、いまくる、いすぎるのだ。あまりに多くて本当に気が狂ってしまうよ。
お掃除しやすくした結果、事故が起きては取り返しがつかない。お客様の命と同時にメーカーの信頼も失う。
とはいえ、私自身も元増田の投稿には心情的にかなり同意する点は多い。
ブコメにも指摘はあるが、メンテナンス製を重視して製品ラインナップを展開しているのは三菱電機くらいである。
環境負荷のことを考えても、適切に分解・洗浄ができて、長く使える製品を開発する事はメーカーの責務であると私も思う。だが上述の事由や、歴史的・文化的な企画判断では、メンテナンスの優先度は極めて低い。
全体的に「増田くらい清潔にメンテしておきたいって気持ちを持つ人は極少数」なのは知っといてもらいたいね。
非常にわかりみが深い。だが私はこの認識は少し古い気がしている。
SDGsの広まりが一過性のブームなのか、もっと継続的なものになるかは意見が分かれるだろう。しかし私はお客様の声や販売スタッフなどの話から、メンテナンスに対する需要は2020年頃から高まっているように感じる。若手からの企画報告でも、TikTok・Instagramm・YouTubeでのお掃除系動画の盛り上がりなど、気になるトピックが増えてきた。
メンテナンスを行いたいという感度の高い客層は、10年前・20年前に比べて増えてると私は考えている。生まれた時から多くの家電に触れ、ご友人の評判やネットの商品レビューから使いこなしを意識した、家電教養の高いお客様が増えている事の裏返しだと思う。
大手メーカーで一瞬で却下された企画を形にしたような、バルミューダのデザイン家電がヒットしたように。メンテナンス家電のメーカーXが今後登場する可能性はある。かもしれない。
ところで元増田は海外製品の良さを記しているが、これは歴史的・文化的な側面があるのではないかと思う。
日本は「町の電気屋さん」として、販売とメンテナンスを行う中小企業が多い。平成・令和となった今はビックカメラやケーズデンキなど大手家電量販店はすべての都道府県に存在するが、これは世界でも珍しいどころか、おそらく世界で日本だけの唯一無二の状況である。
お客様がアクセスしやすい家電サポートが身近にあるため、メンテナンス機能の実装優先度が下がると思われる。
一方国土が広いアメリカや、サポートスタッフが少ない途上国なんかだと、そうはいかない。お客様自身でメンテナンスできる機構が必要だったのではないか。
それから、メンテナンスができるとして、どこまでやれば良いのかという話もある。
洗濯機・エアコンが顕著だが、高温多湿な日本の環境は、家電にとって大変なハンディキャップである。
どんなにメンテナンスしてもカビ・ホコリは発生する。これを書くのは心苦しいが家庭用エアコンのお掃除機能は、ハッキリ言って焼け石に水である。
じゃあ完全分解洗浄するのか? そんな事をしても1年後には汚れまみれである。 毎年3万円かけて掃除業者やメーカーでエアコン完全分解洗浄をするくらいなら、全く掃除せず3年目に9万円の新品を購入した方がマシではないか?
メンテナンスのコストを下げるために改良した製品を投入するとは、この部分こそが未知の領域である。いったいどのレベルの製品ならば、お客様の満足と、それに見合うコストが釣り合うのか。誰も分からないだろう。
お客様にメンテナンスされて汚れを認識するくらいなら、奥にゴキブリが挟まってたとしても見えない方が良いという事だ。
aquatofana ガラスの崖(平時に出世するのは男性だが、危機的なときだけ女性に声が掛かり、そういうときしかチャンスを与えられない女性はチャレンジするが当然上手く行かず「女性は仕事できない」事例にされる)現象かな。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4736369796585370949/comment/aquatofana
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.techno-edge.net/article/2023/05/12/1280.html
2006年の研究では、法学部の学生はリスクの高い事件を男性の主席弁護士よりも女性の主席弁護士に依頼したがることを示した[7] 。
しかし、他の研究においては、ガラスの崖現象の存在の確認に成功した例はない。
最高経営責任者(CEO)の任命直前の企業業績に関する2007年の研究では、女性経営者が不安定なリーダーの立場に選ばれる可能性は男性よりも低いと示されている[8]。
We find that corporate performance preceding CEO appointments tends to favor females, implying that females (males) are appointed to the CEO position largely at times when the firm is in relatively better (worse) financial health.
Disaggregating the data by appointments in up versus down markets, at high-risk versus low-risk firms, and by calendar time yield similar conclusions.
There appears to be no glass cliff facing female CEOs at US firms.
Are Female Executives Over-represented in Precarious Leadership Positions?
長らく子供向け、それもサイズがトドラーサイズ(100~130cm/どうぶつの森や鬼滅の刃など一部除く)しかなかったのだが、最近大人用のが発売された。
ただ、プリントがトドラーサイズみたいに派手ではなく地味すぎるのが気に入らない。色も黒っぽいのしかないし。
もっと子供用と同じ原色!でかでかとしたキャラプリント!意味のないフリフリ!袖には謎英字!みたいなキッチュなデザインにしてほしい。
自分も光るパジャマには憧れを抱いていたが、それは子供服特有のキッチュなデザインがたまらなくすきだからだ。
自分もキッチュな光るパジャマを着れば「わーい!プリキュア(=戦隊・ライダー)のパジャマだ!かわいい!きもちいい!」と幼女気分になれるだろう。
実際人がいないすきに子供服売り場によって光るパジャマを2秒ぐらい触ってはそういう妄想をすることもある。ただ、目撃されたらその時点で人生終了だ。
ただそういうことを公共の場でするのは問題が大きいので、帰ってインターネットの子供服店でパジャマの画像を探し、それを着ているところを妄想することが多い。
実際それで抜いたことは少なく見積もっても15年で100回ぐらいはあると思う。多分一番最初にそれで抜いたのは中3のころやっていた『ボウケンジャー』で放送されていた「フォトプリパジャマ」のCMだ。
CMに映っている男の子になりきり「今僕は大好きな『ボウケンジャー』のパジャマを着ているんだ!」という設定で抜いた。
パジャマの肌触り、締め付けるゴム、自分の視界から見るボウケンジャーのプリントといったものを思い浮かべてした。ついでに出ていた男の子には興味はない。男の子になりきり「パジャマを着る」という状態に性的欲求を抱くのだ。
自分は2000年代~2010年代序盤の、キッチュなデザインのこども用パジャマが大好きだ。それは自分が性欲猿だった中高生時代に触れたパジャマだからだ。
パジャマ自体には幼稚園の年長から30年近く性的に欲情していた。小学1年のころにはすでに親の子供服カタログを盗んで、部屋の中で一人子供服パジャマの姿を見て「おちんちんが大きくなって気持ちいい」ってお耽美していた。
その後も小学校卒業まではそれらに掲載された写真を見ては勃起して気持ちよさを味わっていた。そして中学の時にはそれをおかずについに精通。
精通するころにはすでに「パジャマを着ている妄想をすると気持ちいい」って境地に達していた。それ以降子供服のパジャマを着ているところを妄想して性欲を発散するマシーンが誕生した。
しかし残酷なことに大人になっても子供服のパジャマ、それも性欲盛んな頃によく目にしたキッチュなデザインのそれにしか興奮できなくなっていた。
一方子供服のパジャマのトレンドは2010年代中盤以降急速に変化し続け、ここ5~6年ぐらいは大人の普段着と変わらないほどの洗練したデザインのものが主流となっている。
大人向け(紳士向け)パジャマでもキッチュなデザインはごくたまにあるが、それは道頓堀の底をさらって砂金を探すのと同じぐらい難しい。結局2010年ごろまで集めたパジャマの写真とかを見て抜くしかないのだ。
そんな自分に唯一残された希望、それが光るパジャマである。光るパジャマも『鬼滅の刃』は『呪術廻戦』のようなジュニアサイズ(130~150cm)のだとデザインの洗練化にあらがえず無味乾燥なデザインになりつつある。
ただ、トドラーサイズのだとまだキッチュなデザインのままだ。願わくばキッチュなデザインのパジャマをゆったりとした形で着たい。
そういう意味で、バンダイさんにはキッチュなデザインの大人用光るパジャマの販売を検討していただきたい。もっというなら2010年代初期ぐらいの「比較的ゆったりとしたデザイン」を希望したい。
じつはどうもある時期(2016年ごろ)を境にゆったりとしたデザインから(同じサイズでも)肌とより密着したデザインに変わっているっぽいのだ。
アメリカでは子供向けパジャマは安全性の観点から肌と密着した形で販売するようにという基準があるが(参照)、それとあわせたのだろうか。
とはいえ自分の好みからは大きく乖離するし、大人向けの話である。再考を促したい。
ついでに不逞の輩がやる「(明らかにサイズの合わない)ぱっつんぱっつんの『光るパジャマ』を着る」というのは邪道ですらなく、パジャマの持ち味を完全に棄損するバカげた真似だ。こんなので気持ちよくなるほど俺は落ちぶれてはいない。
【余談】
自分が高校1年だった2007年12月、当時やっていた『仮面ライダー電王』の光るパジャマのCMのことが突如頭から離れなくなったことがある。
しかもその時は期末テストの最中。ムラムラギンギンではテストどころではない。幸い赤点は回避できたが、あの時のムラムラギンギンしながら頭は焦りまくった状態は今でも忘れられない。
ついでに『仮面ライダー電王』は当時面白さを全く感じなかった。同期の『ゲキレンジャー』『セブンX』『ハニー THE LIVE』はかなり面白かったのに。
【余談2】
だめだおれの糞みたいなchat-GPT力ではこんな糞みたいなものしか生成されない
あなたは2007年からTwitterを使っているヘビーユーザーの小説家です。当時を思い出させるような、「2007年のTwitter」というタイトルの小説を書いてください。
ChatGPT
2007年、インターネットが日常生活に欠かせないものとなりつつある時代。作家である私は、友人から勧められた新しいSNSサービス、ツイッターに興味を持ち始めた。当時はまだ、誰もが知るような存在ではなかったが、私はその独特のコミュニケーション方法に魅了される。文字数制限のある140文字で自分の意見や日常をつぶやくという新しい形式に、初めて触れるのだった。
私は自分の小説や日常についてつぶやき始める。フォロワーも少しずつ増えていく。やがて、同じような趣味や関心を持つ人たちと出会い、友情が芽生える。私はこの新しいコミュニティに夢中になる。ツイッターは私にとってインスピレーションの源となり、次の小説のアイデアを見つける場所でもあった。
第3章: ツイッターの影響
2007年のツイッターは、まだ無邪気で楽しい場所だった。しかし、次第にネット上のトラブルや誹謗中傷が増え始める。私はそれを見て、ツイッターの危険性やネットリテラシーの重要性を痛感する。そんな中、私は自分の小説にツイッターを題材にした作品を書くことを決意する。
私は短編小説「140文字の物語」を執筆する。物語はツイッターを通じて出会った人々の交流を描いている。この作品が大変好評を博し、私はツイッター上でさらに注目されることになる。やがて、私はツイッターを使った小説の新たなジャンルを生み出すことに成功する。
第5章: 今も変わらぬツイッター
数年が経ち、ツイッターはさらに進化を続けている。私もその中で新しいつぶやきや出会いを楽しんでいる。2007年のツイッターは、私にとってかけがえのない思い出であり
続きお願い
ChatGPT
、時代の変化を感じることができる場所でもあった。しかし、私は今でもツイッターを使い続けており、その魅力に取り憑かれている。
第6章: 新たな挑戦
ツイッターが私の人生に多くの影響を与えたことは間違いない。私はツイッターを通じて多くのファンとつながることができ、彼らの声に直接耳を傾けることができる。そんなツイッターの力を借りて、私は新たなプロジェクトに挑戦することを決意する。それは、フォロワーからのアイデアを元にした連載小説の執筆だ。
第7章: フォロワーとともに
私はツイッター上でフォロワーからの小説のアイデアを募集し始める。多くの意見や提案が寄せられ、私はその中からいくつかのアイデアを選び、連載小説の執筆に取りかかる。フォロワーたちと一緒に作品を創り上げるこの新しい試みは、私にとって非常に刺激的であり、創作の喜びを再び感じることができる。
ツイッターは、2007年から大きく進化し続けてきた。しかし、その根底にあるコミュニケーションの楽しさは変わらない。私はこれからもツイッターを使い続け、新しい出会いやインスピレーションを求めていくことだろう。そして、私の作品も、ツイッターとともに時代の変化を映し出すものとなることを願っている。
最近、chatGPTとかStableDiffusionとかAI技術が話題だけど、こういったIT技術が社会に与える影響ってどのくらいなんだろう?
個人的にははてなやネットで騒がれてるほどインパクトはなくて、世の中がちょっと便利になるくらい。
これまでを振り返ると、
Napster、WinMX、WinnyなどのP2P技術が登場し、ブロードバンド環境が整ってきて、音楽や映画は(当然違法だけど)オンラインで簡単に手に入るようになった。
TVニュースで「宇多田ヒカルが新曲を発表」と聞き、Winnyで検索したらものの5分でダウンロードできた時には、これは時代が変わるって興奮したことを覚えてる(怖くなって後からCD購入した)。
1~2年もすればCD/DVDなんかなくなるし、レンタルCD/DVDなんて消え去るだろうって思った。
その後、サブスクサービスは発展したけど、20年以上経った今でも残ってるし、いつCDとかの物理メディアはなくなるんだ?
iPhoneが発売され、スマホやタブレットが急速に普及した。
ガラケーと違ってめちゃくちゃかっこよかったし、これはからは個人が高機能デバイスを持ち歩く時代だ、
そのうちメガネ型どころかコンタクト型とかのウェアラブル端末が登場して、常に情報を取り込みながら生活していくんだって思ってた。
実際はiPhoneはカメラが増えたぐらい、Appleウォッチもまぁ健康管理ができて便利なんじゃねぐらいの印象。
いつになったら俺の目を盗むやつが現れるんだよ?
Bitcoinが話題になり、ブロックチェーン技術による仮想通貨がいろいろ登場してきた。
信用の原理を聞いたときは、これは金本位制から続く国や中央銀行の貨幣による支配構造が一変するぞってドキドキした。
でもその後は、普及というか投機対象になってFXとか好きな人が上がり下がりを騒いでるだけになってしまった。
chatGPTが登場し、AIブームが起きた(逆か、AIブームが起きてchatGPTが登場したのか)。
ふーん、AIブームとか何回目だよ、人工無能と何が違うんだよと思って使ってみたらびっくり、日本語でもめちゃくちゃ自然に話す。
しかも、チューリングテストをクリアするどころか、3.5の時点で自分より頭よさそう(フォークト=カンプフ検査なら見分けられるだろうか)。
ただ、この自然言語処理技術に代表される今回のAI技術ってどこまで社会を変えるんだろう?
パーソナライズされたAIをみんなが使うようになって、ビジネスや教育現場での超優秀な部下・パートナー、教師になる、
寂しい独り者やボケてきたジジババたちの話し相手にはなるんじゃないかと思う(肩にインコを乗せるようになる)。
でも、弁護士、裁判官とかの士業、医者や救急隊員とか命に係わる仕事、果ては政治家を置き換えるようにはならないんだろうか?
MAGIシステムよろしく国会でAIに法案の良否を判断させたり、身体性を獲得したAIが選挙カーで選挙活動して当選、国会や議会に登庁する日は来るんだろうか?
Twitterも黎明期はそうだった。2007年ごろに始まったときは、「うんこなう」「バルスでサーバー落とそう」とか言ってみんなで大笑いしてた。
新しいSNSに飛びつくアーリーアダプタは割と寛容で、プラスのフィードバックをしてくれるし、そうした層がいるからサービスが伸びていくけど、後から入ってくる層はそうでもないんよね。
とにかく懐疑的だったり、陰謀論だったり、政治経済男女でレスバしたいやつばっかり入ってくると、雰囲気が悪くなって、アーリーアダプタが抜けていく。今のTwitterがまさにそういう状況なんだよね。
Misskeyも雰囲気がいいのは今だけだ。そのうち、「レターパックで現金送れ」にガチギレする層が入ってきたら、それがMisskeyのTwitter化の始まりなんだと思う。
【ジョジョの奇妙な冒険】はアニメシリーズが始まるまで人気無かったという偽史が広まり始めている様子を察知して証言する皆さん - Togetter
「人気がある」「人気がない」というのは相対的なものであって、人気がなかったと言っている人も「まったく誰にも知られていないマイナー作品だったぜ」と主張しているわけではないと思うし、ジョジョファンも「社会現象になるほど人気があったぞ」と言っているわけではないだろう。
ただ、ファンのほうも個々でだいぶトーンが違ったりするので、実際のところどんなもんだったの?というところを調べてみたい。
ジャジャン研 - 『ジョジョの奇妙な冒険』少年ジャンプ掲載データ
平均順位 | |
---|---|
第一部 | 11.95 |
第二部 | 10.01 |
第三部 | 11.94 |
第四部 | 11.63 |
第五部 | 14.64 |
第六部 | 15.65 |
ジャンプの連載作品はおおむね20作品前後である。と考えると全体的に低空飛行ではある。ジョジョファンがよく言う「一部二部は低迷していたが三部で人気が出た」という傾向も窺えない。もちろん、ファンのあいだで第三部が高く評価されたことは間違いないし、結果的に超長期連載となって黄金期ジャンプにおいて独自の存在感を発揮していたことも確かであるが、コンスタントに上位を取れるほど爆発的な人気があったわけではなさそうである。
1999年10月 | ゲーム『ジョジョの奇妙な冒険』売上26万本 |
2000年5月 | 第6部『ストーンオーシャン』1巻発売 |
2002年7月 | ゲーム『ジョジョの奇妙な冒険 黄金の旋風』売上16万本 |
2004年5月 | 第7部『スティール・ボール・ラン』1巻発売 |
2005年3月 | ウルトラジャンプへ移籍 |
2006年ごろ | シリーズ累計7000万部 |
2007年2月 | アニメ映画『ジョジョの奇妙な冒険 ファントムブラッド』 |
2010年3月 | シリーズ通算100巻 |
2011年12月 | 第8部『ジョジョリオン』1巻発売 シリーズ累計7500万部 |
2012年10月 | テレビアニメ放送開始 シリーズ累計8000万部 |
2013年1月 | テレビアニメDVD・BD発売 第一巻は2.5万枚? |
2013年8月 | ゲーム『ジョジョの奇妙な冒険 オールスターバトル』47万本 |
2016年12月 | シリーズ累計1億部 |
2017年8月 | 実写映画『ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない 第一章』 興行収入9.2億円 |
2022年ごろ | シリーズ累計1億2000万部 |
ネット上で検索するかぎりは2006年ごろからの数字しか拾えなかったが、2000年代後半はずっと「7000万部」で足踏みしていたようだ。100巻7000万部なら単純計算で巻割70万部だが、連載期間が2000年代後半に該当するSBR(全24巻)の前後で500万部しか増えていないと考えれば、その間は巻割20万部程度と推測できる。そして、そこからテレビアニメ放送開始以降に4000万部を積み増しているとすると、第一部から第八部まで合計131巻・1億2000万部なので、現在は巻割90万部まで回復していることになる。
ちなみに他のジャンプ作品でたとえると、巻割90万部は『封神演義』、巻割70万部は『家庭教師ヒットマンREBORN!』、巻割20万部は『魔人探偵脳噛ネウロ』くらいの売上である。
私は2000年以降しか知らないが、2000年代のジョジョは「ネットミームとしての人気」が先行しており、「作品としての人気」があるわけではなかった。古くからのコアなファンが支えているだけで、新規読者がほとんど入ってきていなかったと思う。ただ、ジョジョの名台詞だのコピペだのMAD動画だのはネットに溢れていた。「リアルタイムで人気がある作品」というよりは「重要な古典」として受動喫煙する機会が多い作品、という扱いだった。
また、第五部や第六部になると絵柄がさらにとっつきづらくなり、スタンド能力が複雑化して辻褄の合わない展開も増えてきていた。2chなどではジョジョを否定的に見る人もかなり多かった印象がある。平均掲載順位でも第五部・第六部でガクッと落ちていて、そのあとにジャンプ本誌からウルトラジャンプへの移籍をすることになるので、このあたりはジョジョにとって「逆風の時期」だったと言えるだろう。
しかし2010年代に入ってテレビアニメで新規読者の獲得に成功した。「興味はあるが長すぎて読む気になれなかった名作をあらためて一から履修する」ためにはうってつけのアニメだった。社会現象級ではないにしても売上も立派なものだったし、下降線をたどっていたジョジョという作品がそこであらためてグッと引き上げられたと思う。
まとめると、1980年代・1990年代のジャンプにおいては中堅作品の立ち位置ではあったがコアな人気に支えられて連載が長期化、2000年代は人気がやや落ち込むもネットの普及とともにパロディ元として存在感を高め、2010年代に遅ればせながらテレビアニメ化されてスマッシュヒットした、というくらいが妥当な説明なのではないか。それぞれの時点で「人気があった」と判断するかどうかは人によるってことで。
青果を販売する普通の農業で2500万円の年収を得るなんて絶対無理。
結論を先に書いておくと、正しくは一人当たりの年収は260万円弱となりました。
紹介文によると
「農家607軒の高原野菜の販売額は2007年に約155億円と、平均収入は2500万円を超えました。」
2500万円は農家1戸あたりの売上です。
確かに平均がこの値というのはすごいことですが、決して達成不可能な数字ではないです。
3-4人程度の人手が必要な金額なので、じいちゃんばあちゃんと息子夫婦であったり、兄弟であったりと
農業の場合、品目と面積がわかれば、その人の年収を概ね推定することができます。
農協出荷だと運賃・市場手数料・農協手数料・全農手数料・施設使用料・予冷費・部会費・ダンボールなど様々な金額が控除されます。
品目により大きく変わるが、トマトのような冷蔵不要で軽量・高単価のもので売上の20%ほど、
ハクサイのようなかさばる重量野菜で売上の40%ほどだと思います。
それとは別に、種苗費、肥料費、農薬、マルチ(畑に張るビニール)など諸材料費がかかります。概ね売上の20%ほどです。
農機への投資があるので、減価償却があります。こちらは通常は長期借入の返済に当てられます。
健全経営だと減価償却が売上の5-10%程度とされます。レタスは労働集約的なので、5%と考えます。
ここまでで、売上の65%が製造原価となったので、2500万円の売上のうち、1625万円が消えました。
残りは825万円です。
サラリーマンの収入と違うのは、ここから消費税納税があることです。
サラリーマンの税引前所得と同等の条件で比較するため、消費税分だけ引きましょう。
現在、野菜は8%の軽減税率ですが、肥料などの購入は10%です。
売上の消費税が200万円、仕入れの消費税が150万円なので、50万円が消費税納税額となります。
今はレタスは作っていませんが、作って農協出荷したことはあります。
経験から想像するに2500万円の売上を上げるには3人必要ではないかと思います。
機械類は補助金あったりしますが一時的なものだし、審査も厳しく全てが通るということはまずありません。
川上は水田転作でもないので水田フル活用の補助金もないと思うし、中山間地域直接支払いの対象になるような圃場ではないです。
なので年収を大幅に上げることはできません。
ブラック川上と呼ばれるのは、実際にそういう事例もあったのである程度は仕方ないし風評とは言えません。
でも、外国人奴隷使って2500万の「年収」を得ているというのは完全に誤りです。
ここまで数字だせるのは自分が農家だからだけど、普通に考えて無理っぽい数字なことぐらいわかるでしょう?
2015年問題:「団塊の世代」(1947年〜1949年生まれ)が2012年から65歳を迎え始め、2015年にはすべての団塊の世代800万人(※出生数)が65歳以上になる
↓
2010年問題:「団塊の世代」が2007年から60歳を迎え始め、2010年にはすべての団塊の世代が60歳以上になる
:
「高年齢者等の雇用の安定等に関する法律」により60歳未満定年制が禁止されており、60歳が日本の標準的な定年であった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
1986年[注釈 2]の高年齢者等の雇用の安定等に関する法律の改正で60歳定年が企業への努力義務に、1994年[注釈 3]の改正で60歳未満定年制が禁止(1998年[注釈 4]施行)されたことで60歳が日本の標準的な定年になった。2000年[注釈 5]に企業に対して、65歳までの雇用確保措置を努力義務化された。2004年[注釈 6]に企業に対して、65歳までの雇用確保措置の段階的義務化(2006年[注釈 7]施行)、2012年には企業に対して、希望する労働者全員を65歳まで継続雇用することが義務化がされた(2013年施行)[9]。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
2000年までは7年後という近い将来に大勢の社員が60歳で定年退職するので人手不足が予想されていた。
インチキ商品のクレベリンにやっと消費者庁の手が入り課徴金が課されたが、何の前触れもなく出てきてヒットした訳ではない。
2007年に三洋電機が医療施設向け業務用空気清浄機「ウィルスウォッシャー」を販売する。この商品は業務用としては異例の売り上げを誇った。
すると噂を聞いた他業種の法人から注文が来るようになり、医療用機材でありながら他業種にも多数納入された。
謳っていた効能と仕組みは水道水から電解水を生成し、OHラジカルを生成。同時に浄水場で水道水に添加される次亜塩素酸が空間に放たれてこれが空中のウイルスに付着して表面膜のタンパク質スパイクを不活性化させるというもの。
2007~2010年くらいにかけて、首から塩素錠剤が入った袋を提げた医師や看護士が多くなる。
小さいクリニック、大きい病院の別なく流行した。若い人が多かった。
三洋のウィルスウォッシャーの流行と効能書きから浮遊次亜塩素酸は抗ウイルス性がある、と考えられたと思われる。
その業態から怪しさが増し、「アルカリ電解水アホだろ」的ノリが強くなる。
最初、あの商品は特に広告とか打っていなかった。それで薬局が大量に仕入れするってのは、SNSでの流言だけじゃなくて過去の塩素タブレットなんかの流行があったからじゃないのかね?
そもそもの初めのウィルスウォッシャー自体が効果があったんだろうかというのが疑問だ。
これって今のアルカリ電解水空間除菌と同じものだろう。そういうのを病院は大枚叩いて購入していたって事になる。
空間除菌問題で議論されたように空中の次亜塩素酸は濃度が高けりゃ効果がある。でも効果がある濃度の雰囲気なら人間の呼吸器が破壊される。
OHラジカル(ヒドロキシルラジカル )は活性酵素の一つだが普通の状態では寿命が極端に短い。そのまま空間を浮遊するなんてことはない。
ヒドロキシルラジカル は工業的に使われてはいる。でも発生させるために強い紫外線照射やレーザー(ガス使用)、プラズマが使われている。
三洋のウィルスウォッシャーはフィルターに通風するだけ。
って事はやはりこの三洋ウィルスウォッシャー自体がインチキ商品だったと言う外無い。
そこからインチキミームがしぶとく生き残って三幸製薬は大金をゲットした。この時購入した人らはちゃんとした除菌、手洗い、アルコール、HEPAフィルタ付き空気清浄機などを怠っている訳だから罪は深い。
なので、
三洋が病院専用に卸して売っている製品だからきっとちゃんとしたもの/ちゃんとした理屈→大学6年も行った若手のお医者やナースが使ってるから効果があるもの→薬局に沢山売られているからちゃんとしたもの
青森県黒石市 - 1億円で純金製・純銀製のこけしを制作。2007年に1億9,000万円で売却。
山梨県白根町(現:南アルプス市) - 1億円で50キログラムの金塊を購入。2003年の市町村合併前に合併負担金捻出のため7,000万円で売却。
岐阜県墨俣町(現:大垣市) - 1億円で純金27キログラムを使ってミニシャチホコを製作。2002年3月に盗難、2003年3月に800万円で再制作。2006年10月には雄の腹びれ、背びれなどが盗難。以降、非公開。
高知県中土佐町 - 1億円で純金52.62キログラムのカツオ像を制作。1年後、制作業者に1億円で買い戻されたが、9キログラム減らした像を7,000万円で再度購入。1993年5月に盗難。容疑者は翌年逮捕。カツオ像はすでに800万円で売り払われ、溶かされていた。
大分県中津江村(現:日田市) - 約3,000万円で純金の雌雄の鯛を製作。雄が2006年に盗難。雌は2012年に9,045万円で売却。
偶然だが最近、銀英伝のアニメ見たんだよ。まあ全編じゃなくてyoutubeに上げられてる細切れのエピソードを数十個って感じで。
この増田みたいに銀英伝への憎悪を顕わにする高齢オタクが憤懣ぶちまけてるのをたまに見るので気になってたんだな。特にヤン提督っていうのがリベラル代表として憎悪されてるのが多い。
https://anond.hatelabo.jp/20230407234853
結構面白かった。民主政の意思決定のダメさとか現場の意見が無視されて甘い見立てが人気を得ちゃうのとか色々テーゼが山盛りなのな。
でもTwitterやヤフコメで暴れてるオタクがヤン提督にイキってるのってヤン提督の態度や思想でしょう?特に有名なところだと
それは、権力を持った人間、権力に媚びを売る人間が、安全な場所に隠れて戦争を賛美し、他人には愛国心や犠牲精神を強制して戦場へ送り出すことです。
宇宙を平和にするためには、帝国と無益な戦いをつづけるより、まずその種の悪質な寄生虫を駆除することから始めるべきではありませんか。」
ってやつ。
何でかと言えば、最近というかここ数年「軍師」批判がポピュラーになってる。特に叩かれやすいのがネトウヨで軍師は居るが兵隊は居ないっていう界隈になっていて、己の能力の客観視と自意識のすり合わせが出来ていない集団を外から見たらそりゃ軽蔑されますわな。
はてブのコメでもよく見るが、自我の防御として言ってるケースが目立つ。言われたら痛い事を自分から言うってやつね。
特に2/5chでなんJとアフィまとめブログが衝突を繰り返すようになった5年くらい前から叩きの言葉として流行しており、ストレスが溜まっているのではないか?
先に引用したセリフはまさに軍師批判エッセンスみたいなもんで良く貼られてるのを見るしその度にイライラした反論チックな事がされている。
また元増田の
というのを見た事が無いのだが、どういうのなのか?ポリコレなどに過剰適応?
それに
とナチュラルに常識へのルサンチマンが出てるのってどういう事なのかね?
「元増田が新しい社会常識」についていけない老害なのではないかとの疑念がわく。
1970年に「増産より公害対策を」と言っているのは共産党などの左翼が中心だった。だが20年後の1990年には公害対策は規制に組み込まれあらかたの公害は解決に向かっていた。既に工業規格と共に公害規制を熟知していないと倒産する時代になっていたわけだ。
1975年にはどこにでも痰ツバ吐き放題、だが1995年に道端に痰ツバ吐いたら顰蹙だし客先の敷地でやったら出入禁止の懲戒解雇だ。
もしかしてその痛い第二世代ってはてな村の旧村長みたいな人の事を言っているのか?
この度のコラボ攻撃やその前の温泉娘擁護で批判者を炎上みたいなムーブメントに冷淡な人らの事を言っているのか?
温泉娘では吹き上がったオタクはオタクイラストへの攻撃だとの扇動にまんまと乗ったが、その実はイラスト拒絶じゃなくて昭和脳な運営の黒岩知事流出メールみたいなオヤジの小汚い性意識開陳でそれへの炎上だった、っていう所まで見ていて覚えているところとかが一体感に水を差して不愉快なのか?
その前の中野まんだらけ騒動では対面の商店主の批判は「お気持ちだ!」とフェミへの批判と同じ道理で炎上させて潰せるとオタクたちは思っていたが、その一体感に背を向けてこれは風営法案件である事、風営法の管轄官庁は警察署である事、行政権と司法権が近く更に裁量権が大きい分野である事、などを説明する人を見つけ出して読み、オタクの一体感には冷淡だった事が不愉快なの?
コラボ騒動ではそれらの経験を踏まえてオタクらの一体感に水を差し、「また同じ理路と実存操作で扇動されてる」と冷淡だったところが気に入らない?
最初から「共産党との癒着で」「NPOのスキームを乱用して公金ガバガバゲット」「保護した少女を管理売春」「汚部屋宿舎に超高額請求」というところから始まっているので今までの経験から絶対にまともな批判にならないと見抜いていた事がポリコレ的?
それらがデマである可能性が高い上にそのデマがネットでは既存の形式なのでセットになるデマがあり、駅前の放置自転車のカゴの様にデマがデマを呼ぶ展開となって、社会的な物事を知らないオタクへの軽蔑を深める展開となる事を最初から見抜いていた事が「新しい社会常識」への恭順的で気に入らない?
新聞が産経を除いて記事にしない、更にそれに対して「マスゴミが報道しないフンダダラ」「報道しない自由」という反応があるのを観察して「ああいつもの」と冷淡だったのが気に入らない?
まず2002年頃まで。ここでは2chはネオ麦茶を生み出した悪意垂れ流しのバカの集まりで近づいてはならぬもの。
2002~2007年くらい。2chの影響力が増す。特に後を押したのが小泉改革で、既存の道徳を破壊してもいいし我らはその抑圧されていた主体だ。僕らが目指すのは常に上。
2007年~10年代前半。Mixiが流行。そもそもMixiがあれだけ成功したのは「2chではない」からに尽きる。顔出しや所属明記してのネット活動は2chのエサになるので出来なかった。その普通の人らの欲求に合致した為に大流行。
一方、コアな2chユーザーは2chで炎上して炎上側に居たらネットでの正義、という一体感と全能感の前提が崩れてしまいMixiに異常な悪意を抱いていた。病的なやつは「2chは自由、Mixiは北朝鮮」と数千ものコピペを貼りまくっていた。
10年代前頃~後半。ネット広告の伸長によりまとめブログが大隆盛。不愉快な反対意見を削除してまとめてくれるので閲覧者は全能感全開で気持ちがいい。だが広告単価が高くなるとヘイトスピーチの様に反社会的で程度の低いコンテンツは掲出拒否や契約解除されるようになり低調に。
オタク第二世代というのはこのオタクを中心としたネット民が共同性を持ち、強い隣組的行動則で異論をパージし「若者の異議申立」の文脈で企業脅迫や誤情報流布での評判操作をもしていくという中で人格を形成していった世代だ。
そんな不遜な態度に異を唱える者もいた。例えば大塚英志などだ。
大塚の主張は大人ならオタク産業は給与や報酬の交渉権すらない(労働組合や職業組合)のに目を向けろというものだが、単に一体感や全能感を棄損するオタクバッシャーとして異端追放されるだけだった。
『さらば青春の光』っていう英国映画があるんだが、モッズという暴走族の物語だ。イタリアのベスパスクーターにミラーやライトなど過剰な飾りつけをして陸軍の野戦コートを着て集団で走り回り大人が目をひそめる事や喧嘩してばかりいる。
警察に捕まった主人公はカリスマモッズのエースに出会って心酔する。エースのベスパはGSという高級車種だ。
裁判では仰々しい説教の後の判決が罰金刑だったので「そんなもん今この金で払ってやるよ」とコケにして仲間で大ウケ。
だがエースたちもやがて「大人になる」時が来るのな。エースはホテルのベルボーイになってヘイコラする労働者になった。
主人公はこの姿を見るや、世間に迎合した憧れのエースに憤懣やるかたない。日経新聞と朝日新聞を併読する大人になんかなりやがって!いや間違えた、こっちは反ポリコレしか知らないのに法規制や過去の慣行やその上での現在の業界事情を知りやがって!これも間違えた、とにかくお前はあのエースじゃない、俺の心の裏切り者だ!
エースの愛車だったベスパGSを盗んで走り出した主人公は速度をつけて崖からGSでダイブ。エースのGSがグチャグチャになったところでフィルムはストップ。
だがその後主人公は生きていてトボトボと歩いて行く…っていうのがあらすじだ。
元増田らあんたらは結局世間的なものに迎合して己を変化させて行くオタク第二世代のいくらかがインフルエンサとして目立つの気に入らないんだろう?
今まで自分の立ち位置を自分で確認した事があるのか?みんなで炎上させれば正義になる、だけど隣組がキツくて「これは違う」という事は許されない、そんな村落共同体みたいなところにずっと居ていいのか?因みに暴走族とかアウトローの世界はみんな同じ行動規範だ。そうやって「世界を閉じる」事で共同性や象徴性が堅固なものになるのだ。
暴走族も学生運動もいつか卒業するんだよ。18や22でな。あんたらはいくつだ?40代だろ?
オタクのくせにオタクの共同性に埋もれないやつらは元増田にとってのエースだ。レゾンデートルを否定するやつらだ。
だがそいつらはオタクの実存の外の社会でやっていくことでオタクコンテンツが価値を産むことを判っているからベルボーイをやっている。共同体の失敗を見ないという隣組規則は焼畑であり行き詰まり誰かが尻ぬぐいをする事になる事を知っているからやっている。
温泉娘は老若男女の旅行客に訴えてアピールする為にある。年喰ったオタクの性欲を開陳したいから掲出してくださいというんじゃ温泉宿もお断りだ。
今更ながらchagGPTにハマっている。
南京事件、竹島問題、旭日旗問題あたりを問いかけると、最初は日本が悪いとか日本にも責任があるとか主張してくる。
やり取りを繰り返していいくと、南京事件は正確な証拠は無い、竹島問題は韓国が国際法違反である、旭日旗問題は2007年のサッカーでの猿真似パフォーマンスが原因、というところまではたどり着けた。
とりあえずchatGPTは一般的に言われているとか双方主張しているとかアジア諸国が反発しているとかを繰り返すが、
一般的に言われているが証拠は無い、韓国による軍事侵略状態である、アジアで韓国だけが問題視しているとの回答までは得られるが、そこからは引くことなく最終的にはchagGPT3.5は色々なデータをもとにして回答しているだけで正解とは限らないという回答で終わってしまう。
■ネタ元
http://blog.tatsuru.com/2023/04/02_0947.html
賛成できる部分もあるが、個別の具体例に対して事実認識が古いか間違っている内容が多すぎて、読んでて気分悪くなった
外圧を利用して政策を通す、といういつも通りの政府のやりかたであって、米国のいいなりと言い切ってしまうのは一面的にすぎない。米国が日本に要求している事項は多くあるが、日本にとって都合のいい要求だけ呑んでいる。例えば、米国ははロシアへの経済制裁圧力をかけているが、日本がサハリン2から撤退する気配はない。米国へ徹底的に追従するというなら、今すぐにでもサハリン2から撤退してしかるべきだが、そうしていない。
国民がこの大きな増額にそれほど違和感を覚えないで、ぼんやり傍観しているのは、安全保障戦略について考えるのは日本人の仕事ではないと思っているからである。
でたよ雑な日本人論。安全保障について考えるのが政府の仕事というのは世界共通であり、別に日本に限ったことではない。日本人が平和ボケしているという人は多いが、実際平和なのだからしょうがない。ウクライナ戦争が始まってから慌てて軍縮を撤回しているドイツなど見てわかる通り、平和ボケは別に日本に限ったことではない。紛争を抱えていない国はたいていこんなもんである。ロシアも中国も隣国とは言えども海を隔てているのであり、例えばロシアと陸続きの東欧などとは、安全保障に対する意識の差は比べようもない。世界中で積極的に揉め事を引き起こしているアメリカでさえ、一般国民の大半は安全保障に関しては無関心で、日本人より関心を持っていないまである。共和党の有力な大統領候補のポピュリスト二人がウクライナへの関与を減らせと言って支持を得ているのが、その証左だ。
安全保障戦略は米国が起案する。日本政府はそれを弱々しく押し戻すか、丸呑みする。戦後80年、それしかしてこなかった。その点では日本政府の態度は戦後80年一貫しており、岸田政権は別に安全保障政策の「大転換」したわけではない。政権によって米の要求に従うときの「おもねりかた」の度合いが多少違うだけであり、そこにはアナログ的な変化しかない。だから、国民は誰も驚かないのである。
最近の日本の外交政策を全く追いかけられていない無能アピールか?俺は安倍首相の政策に対してはかなり批判的な方と思っているが、「外交の安倍」に関してはかなり評価している。というのも、QUADを提唱したのが安倍だからだ。QUADが始まったのが2007年、アメリカが対中シフトを始めたのが2011年頃であることを考えると、むしろ日本がアメリカの外交政策を動かしたといっても過言ではない。いや、過言かもしれないが、少なくともアメリカのいいなりになってQUADを始めたわけではないというただ一点において、内田樹の言説は全く持って誤っていると言わざるを得ない。安倍首相時代に安全保障政策は大転換しており、そして、その時の外務大臣は岸田である。安倍政権がクソであったことはさておき、日本の外交・安保政策における主体性は正しく評価されるべきである。
岸田首相の党内の政権基盤は決して堅牢なものではない。だから、長期政権をめざすなら、米国からの「承認」がその政治権力の生命線となる。ホワイトハウスから「米国にとってつごうのよい統治者」とみなされれば政権の安定が保証されるし、少しでも「米国に盾突く 」そぶりを示せば、たちまち「次」に取って替わられ、政権は短命に終わる。
陰謀論。まだGHQが日本に駐留してるならともかく、21世紀の現代でそれは無理がある。日本はアメリカの属国であるという命題から逆算した結果、とんでもない主張をしているとしか思えない。属国であるということは否定しない。外国の軍隊が駐留していて、その駐留費用を日本が負担しており、外国の軍隊が治外法権を享受している事実を列挙してみれば、属国扱いもしょうがない。だが、現代のアメリカに、その時の気分次第で日本の首相の首を挿げ替えるような力があるのだろうか。いやない。あるなら事例を出せよという感想しかない。菅首相はアメリカのいうことを聞かなかったからアメリカに首を挿げ替えられたとでも思っているのだろうか。
岸田政権にはとりわけ実現したい政策があるわけではない。最優先するのは「政権の延命」だけである。喩えて言えば、船長が目的地を知らない船のようなものである。自公連立政権という「船」を沈めないことだけが目下の急務であり、岩礁や氷山が目の前にきたら必死に舵を切って逃げる。だが、どこに向かっているのかは船長自身も知らない。
岸田首相は安倍首相の外交安保政策を主体的に継承、推進しているので、指摘は当たらない。岸田首相の動機に関しては、本当かどうかはともかく、NHKの以下の記事が示唆的である。
https://www.nhk.or.jp/politics/articles/feature/93812.html
総理周辺はこう解説する。「岸田さんは安倍さんが成立させた、集団的自衛権などを盛り込んだ安全保障法制の体系を機能させるために、防衛力を量的・質的な面で担保していくのが自分の仕事だと、よく語っている」岸田は第2次安倍政権で、4年半余り外務大臣を経験し短期間だが防衛大臣も兼務した。国民の命を守るため、最優先は外交的努力だとしながらも、外交に説得力を持たせるためには防衛力が必要だという考えを持つに至った。「安倍さんの“バトン”を自分はつなぐ」
それが、岸田の信念だという。その言葉の裏には、安倍が亡くなる直前まで防衛費の大幅増を主張し、最大派閥・安倍派の議員たちも、その遺志の実現を重視する声を強めていたという政治状況もあったとみられる。
「国民の声を聴く」とか「個性と多様性を尊重する」とか「新しい資本主義」とか公約を掲げていた時は、首相になれば少しはこのシステムをいじれると思っていたのだろうが、実際に船長になってみたら「お前が動かしてよい舵輪の角度はここからここまで」と言われ、ほとんど政策選択の自由がないことを思い知らされた。
これは同意。まあ選挙向けの適当なアピールだったんだろうが、特に「新しい資本主義」の中身のなさっぷりにはかなり失望した。何をどうやったら再分配が消えて投資の連呼になるんだよ、内容が180度転換してるじゃん。これこそ国民をナメてるとしか思えない。
今回の防衛予算の積み上げも、まず米国からの要求があり、それに合うように予算が組まれ、さらにその予算枠に合うように、「中国や北朝鮮の脅威」なる「現実」が想定されている。ふつうの国なら、まず現実認識があり、それに基づいて国防戦略が立てられ、それに基づいて必要経費が計上されるのだが、今の日本はみごとにそれが逆立しているのである。
ここに関しても同意。金額ありきなのは本当に意味不明。アメリカからの外圧を利用しての2%なのは構わないが、予算の内容について防衛省と調整してから出せよ。それを悠長に待ってたらタイミングを逃すから、という極めて政局的な判断なのであれば、それは批判されてしかるべき。
日本政府が購入を決めたトマホークにしても、その前に「爆買い」したF35戦闘機にしても、米国内でははっきりと「使い物にならないほど時代遅れ(レガシー・プログラム)」の兵器とされている。中国との競争において、米国はAI軍拡で後れを取っている。もう大型固定基地や空母や戦闘機の時代ではない。AIに優先的に予算を投じるべきなのである。しかし、米国には軍産複合体という巨大な圧力団体があって、国防戦略に強い影響を及ぼしている。兵器産業にいま大量の在庫が残されている以上、それを処理しなければならない。だから、それを日本に売りつけるのである。日本に不良在庫を売りつけ、それで浮いた金を軍のヴァージョンアップに投じる。そういう「合理的な」メカニズムである。
ここに関しては完全に誤認している。情報が間違ってるし古い。開発中は開発期間の延期と開発費の高騰で失敗作扱いされることもあったF-35も、今では様々な不具合が改修され、最新鋭の戦闘機として各国に順次導入されている。本当に時代遅れの欠陥機なら、米国と仲が悪いトルコがわざわざF-35供与要求するわけないじゃん。トマホークも初出は古いものの常にアップデートされており、日本が購入するブロックVは2021年開発である。亜音速の巡航ミサイルが古いという言説も、ロシアがウクライナ戦争前に自慢していた超音速ミサイルが期待通りの成果を上げていないことを見れば、何言ってんだこいつとしか思えない。
米国がAI軍拡で後れを取っているという言説に至っては完全に意味不明だ。OpenAIは中国製だったのだろうか。中国が米国と比較して先進的な軍用AIを開発した、というのも聞いたことがない。一応中華ソースのニュース記事も調べてはみたが、中国がAI開発に遅れを取っているというような内容しか見つからない。
不良在庫を言い値で買ってくれるのだから、米国にしてみたら日本の自公連立政権ほど「使い勝手のよい」政権はない。だから、この政権が半永久的に続いてくれることを米国が願うのは当然なのである。
前提があらゆる部分で完全に間違っているため、この結論にもうなずけない。思いやり予算批判でもしてればいいのに。
日本国民は属国身分にすっかり慣れ切っているので、自国の政権の正統性の根拠を第一に「米国から承認されていること」だと思い込んでいる。「国民のための政治を行っていること」ではないのである。米国に気に入られている政権であることが何よりも重要だと日本国民自身が思い込んでいる以上、日本人が岸田政権に不満を持つはずがない。だから、岸田政権が防衛増税を進めても、インボイス制度やマイナンバーカードなどで、国民の負担を増大させても、国民はデモもストライキもしない。それは国民自身が「政府というのは、国民の生活のために政策を実施するものではない」という倒錯に慣れ切ってしまっているからである。
全体的に批判が雑。岸田政権に不満があるから支持率が下がってるんじゃないのか…最近また上がってるけど。デモとストライキをしない=政権支持というのは短絡的すぎるし。
インボイス制度の導入で被害を被るのは零細の個人事業主という狭いターゲットであり、これに対して大規模なデモやストライキは起きにくい。というかデモ自体はやっているが、ニュースにならないだけである。安保闘争の時のように、100万人単位で動員しないとデモ認定されないんだろうか。サラリーマンや非正規というプロレタリアートにとって個人事業主というプチブルは敵であるから、むしろインボイス導入を喜ぶべきであるという冗談はさておき、労働組合は個人事業主に雇われる側なんだから、ストライキにはならんだろ。
またマイナンバーカードは国民の負担を減らすための施策であり、マイナポイントというエサで導入を釣ったり、保険証等からの性急な切り替えに対して文句を言うのはともかく、国民の負担増大というくくりに入れるのは具体事例としてどうなの。復興特別所得税の防衛費へのつけかえとかもっと直球な負担増大の具体例あるじゃん。
そうやって政府に対する国民の期待を下げれば下げるほど、棄権率は高まり、結果的に20%の鉄板支持層を持つ自民党が選挙には勝ち続けることができる。
https://www.soumu.go.jp/senkyo/senkyo_s/news/sonota/ritu/index.html
長期的なトレンドとしては下がってますが、ここ数年の国政選挙の投票率は上がっています。この理屈だと菅と岸田政権で国民の期待が上がってるみたいじゃん。