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はてなキーワード: 感覚とは

2023-06-02

anond:20230602235414

すごいな

ちなみに過集中している時の感覚は寝っ転がってマンガ読んでる時と変わらん

anond:20230602234211

他人種だと美しいの感覚が鈍るんだよ

アジア人だけは他人種にやたらと鋭敏だがな

もう一生会えないかも、と思った人には別れ際に握手するようにしてる。

じいちゃんが生きていた頃、じいちゃんから帰る時いつも「おう、じゃあな!」って握手してたんだけど、今でもあの手を握った感覚を覚えているから。じいちゃんガリガリだったけど、握手だけは力強かった。

どこかで言いたかったオナネタ

はてな匿名ダイアリーくらいしか書くところが思いつかなかった。

当方女、いわゆる腐女子理解ある彼氏あり。

今時話題性自認は完全に女。

女だけどどうしても挿入する側の願望がある。BLに影響されてるかもしれないけど、かなり若いうちからその気持ちがある。

される方はされる方でいい。嫌いとか嫌悪とかはない。普通に気持ちいい。

でもなんとか自分が入れる方になれないかと考えることは多い。別に彼氏突っ込みたいとかは思わないけど、オナホを使ってみたい、って感じ。ペニバンはなんか違った。

先日、百均でお尻のシールなるものを見かけて、もしかして、と思って買ってみた。一緒に柔らかめプラでできた旅行用の詰め替えボトルも買った。

シール割れ目カッターで切ったら、超小さいオナホって感じになった。これならクリ挟めるんじゃないかって思った。シール保護フィルム剥がして、詰め替えボトルの底に貼り付けて、握れるようにした。

クリ勃起するまで少しいじってから、ローション付けてクリがいい具合に体から出る角度でシールに挟んでみた。

見た目がやばい。尻だから肌色シリコンみたいなので、そこに勃起して赤くなったクリ挟まってるのが見える。最初どう動かしていいかからなかったけど、抜けずにシコれる角度見つかったら凄かった。これがオナホ使ってる感覚かもしれないって思うくらい。コンディショナーで体液感出したらあっという間に達した。

挿入はできてないかもしれないけど、クリをシリコンに挟んで棒みたいな形の物でしごく体験だったので満足感高い。

こういうの求めてる女の人他にいるのかなとか気になったから書いてみた。

恥ずかしくなったら消す。

anond:20230602161343

1.

まず、「絵を描く技術」それ自体商品ではない。だから技術を盗む」という言い回しに振り回されていわゆる窃盗のように考えるのは間違っている。実際、見よう見まねで誰か風の絵が「描けるようになった」というそれだけでパクリ呼ばわりされたりはしないはず。誰々風の絵を描いて、世に出して初めてパクリ呼ばわりされたりされなかったりする。

さらに、画風が似ているとパクリ呼ばわりされたとして、本当に著作権侵害要件を満たすかはかなり怪しい。これはこれ系の話を追っていれば耳にタコができるほど聞いてると思うから割愛する。結局、世間一般的には「絵を描く技術」については個人に属する権利はほぼ認めていない。(特許でも取ってるなら話は別だが)

従って、絵師がやたら気にしている「この書き味はオレのものだ!」という感覚は、ごく個人的なプライド問題であって、客観的に守られるべきものではない。少なくとも今の日本にはそういう合意はない。

から、「若手のこと考えてないですよね」という指摘は、まあそうなんじゃないの、としか言えない。ある人が強烈に持ってる拘りを別にみんなして守る道理はないというそれだけの問題なのだから

2.

勘違いされていそうだが、ビジネスマインドが強いというのは金になれば何でもいいという立場ではなく、どうせAIのなかった時代に戻るなんてことはできないのだから、将来的にはAIを使う前提で備えるという立場話題になった人で言えば岸田メルとかさいとうなおきとか?

上にも書いた通り「絵を描く技術自体商品のように扱うのは従来の法解釈からかなり離れた主張で普通は考えない。だから自身創作活動においてウェイトの低い作業AIに任せようというのは全然ありうる発想。

3.

いろいろ論理が飛んでるので前提から確認するが、まず二次創作者が金を稼いでいようがSNSでひっそりやっていようが、著作者利益侵害しうる。著作権侵害著作者意向訴訟になるかどうかが決まるので、著作者イラつき度を上げないために金を稼がないでおくというライフハックが周知されているだけで本質的には関係ない。

次に、AIによって生成された画像自体には、少なくとも現行法では必ずしも著作権上の問題は発生しない。もちろん使う側が似せようとすれば従来通りの著作権侵害範囲になってしまうが、「こういう髪色、顔、体型、服装で…」とちゃん指定すればそれはその人の作ったキャラであってオリジナルだ。

…と、こういうと「他人著作物から学習したんだから著作権侵害だろ」的なツッコミが入るのがおなじみだが…じゃあ誰のどの著作権侵害してるの?

AI学習データには何億という画像があって、しかあくま学習に使うだけでAI自体はどの画像データも持ってない。そんな状態特定のこの画像に明らかに依拠してるってなんで言えるの?

もう一度言うけどAIによって生成された画像自体には必ずしも著作権上の問題は発生しない。悪人が使えば悪いことができるというだけ。

これまで己の腕で頑張ってきた絵師があれをキモイと思うのは自由だけど、これも最初の話と同じで個人プライド問題から。そう思わない人もいるし、絵師個人プライドをみんなで尊重してやる道理もない。

anond:20230601180249

そうなんだよ

こないだのルフィ強盗団がおばあさんを殺した事件見てかなりショック受けたんだけど

自分もそうだし自分の親世代暴力の脅威がボヤけてるんだよなあ

祖父母世代はかろうじて殴られて育った世代だけど

戸塚ヨットスクールっぽいのに謎の憧れを持ってる感じで子供愛のムチでぶん殴る的な暴力しか見てない

もっと野蛮で原始的暴力という装置手段?への感覚がスッポ抜けてる

anond:20230602171220

これが一般人感覚だよ

増田君はネットで偏った情報に接しすぎたんだよ

なんやろな

言い方悪くなるけどさ

少子化、、、少子化って言ってる割には

お金持ちじゃないなら子供求めんなって状況じゃんよって思ってしま

今の日本の状況で子供望んでんのは、、、って内容をみてしまって

そんな中私はまだ子供を望んでいるって気持ちが間違ってるって感覚に陥る瞬間があってとても悲しくなる

anond:20230602145842

インセル・アンフェ男性には特有性格があることが調査で明らかになっている

いかにもインセル」とみられる性格には、どんなものがあるか

インセルには抑圧された感覚不安孤独感が強かった。その一方で、生活への満足感が総じて低く、より「カジュアルセックス」を望む傾向が強かった

インセルには対人関係における被害者という感覚が強くみられた。つまり、「周囲が自分マウントをとろうとする」と感じやすい。

インセルは「世の中の不公正」について熟考する傾向も強い

インセルは内にこもりやすく、うつ症状を引き起こしやす

インセルには不安や抑圧感だけでなく偏執症(パラノイア)の傾向がある

精神的に追い詰められやすインセルには自殺が目立つ

インセルという自覚のある調査対象272人のうち約6割に多かれ少なかれ自殺願望があった

いかにもインセル」な性格の持ち主には、理論武装逆恨みを覆い隠すことも珍しくない

インセルカップル成立における男性の決定権を過小評価しすぎ

インセルは「他者の悪意」を前提に、一部の事実を都合よく拡大解釈する陰謀論に近い

昔のモンハンのちょうどい〜い距離感を返せ

かなり前のモンハンでは、オンラインに繋いだプレイヤーは一旦全員街に集められて、そこで仲間を集めて狩りに行ってた。

知らない人と交わす、クエスト攻略法情報交換みたいな丁度いいコミュニケーション

そして誰か時間が来たら「乙です(・∀・)ノシ

この頃のこういう、一期一会空気感がたまらなく好きなんだ。

ちょい新しくなると、直接4人で部屋に集まるようになる。

街という公の環境が無くなった分、プレイヤー距離間はかなり近くなったし、風通しも街の方が良かったけど、これはこれで良い。気の合う人間が揃った時の卍感は街には無かった。

今のモンハンは、狩場で集合、狩場で解散。これはまあ楽っちゃ楽なんだけど、コミュニケーションほとんどない。あってもクリア後にスタンプを送るくらい。

チャットは全部定型文だしそれすら自動で送られるからマジで他人とやってる感覚がない。ウツ教官と変わんない。

でも今は別の方法もある。TwitterとかDiscord友達を集めるやり方。これならコミュニケーションは好きなだけとれるし、ゲームチャットより連携も取りやすいし、親しくなればプライベート関係にも発展できる(出会い厨は4ね)。良い事ばっかりだ!

……とはならないんだよな。別に俺は、ゲーム友達とずっと繋がっていたいわけじゃないんだ。趣味とか生活を細かく知りたくもないんだ。相手に求める情報なんて強いても年齢くらいのもんで、そこまで他人に興味ないんだ……。

ゲームを終わらせたら、ゲーム友達とも距離を置いときたいんだ………。

俺は「友達」じゃなくて「フレンド」とゲームをしたいんだ…………。

んでここまで書いて気づいたんだけど、別に今でも普通に集会所あるんだよな。救難やりすぎてマジで存在忘れてたわヤバすぎw

救難が便利すぎるんだよな結局……

anond:20230602015202

ポリコレを推進している人々の感覚は実際そういう感じだな。ならまず自由の女神アジア人に作り替えてから言えよとは思うが。

anond:20230601205928

同じ時期にTwitterセーラームーンうさぎ黒人にした方が素晴らしいと言って肌の色を塗り替えたアメリカ人ツイートが出回ってた。コメントも多くが賞賛だった。

こうして平然と自分たち価値観他国文化切り貼りしたり書き換えて疑問に思わないどころかそうしないと差別扱いしてくるアメリカ人感覚に背筋が寒くなった。

白人だろうが黒人だろうが世界支配しているアメリカの一員であって、黒人他国に対しては差別する強者以外の何物でもないのにポリコレにはその意識がない。アメリカローカル問題世界区別がないから。

彼らは過去白人優越主義反省してるつもりなんだろうが、結局新しい欧米人(白人+黒人)優越主義しかなってない。世界文化を「ウエスタンウォッシュ」しようとするのは19世紀と同レベル文化帝国主義だとどうすれば訴えることができるのだろう。

anond:20230531225016

ありゃそもそも冷戦残滓なのよ。

共産主義という共通の怨敵があるから手を組んだだけだからね。

思想的に言えば立正佼成会神社本庁、なんなら伝統的なカトリック教会のほうがズブズブなんだけど、それらは日本人感覚として古臭くはあっても違和感ないし強引な勧誘や集金はしないか問題になりにくいだけやね。

色恋の話を複数人の前でしたくないという話

春になり労働が始まった。

職業飲み会が割と盛んに行われており

私は飲み会のどこか浮かれた雰囲気が好きで

下戸ながらも誘われたら積極的飲み会に参加するようにしている。

その中で最近気付いた事がある。

タイトルの件だ。

社会イロハもしらないペーペー複数人集まる飲み会ともなれば色恋の話に発展するのが

世の常というものだろう。

だが自分はあまり大人数の前で色恋の話をしたくないタイプなのだと言う事に最近になって気付いた。

正確に言えば

自分を除いて男女混合∧自分を含めて4人以上でその様な話をしたくないのである

この感情根拠自分にもよく分かっていない。

別に色恋に興味が無いふりをしてカッコつけたい訳でもないし、その場のどの人間ともサシで聞かれたら好きな女性タイプから最近FANZAで買った地味眼鏡爆乳物のAVの話までなんでも話せるぐらいにはオープンな方だと思う。

ただ上記の条件が達成されると急に話したくなくなるのだ。

更に言えば空気を壊すのも嫌なので適当を言ってしまうのが問題である

そのせいでこの前の飲み会では好きな異性のタイプを発表しあう地獄時間が始まった時に別に好きでも無い誰でも知ってるような王道系の女性を挙げてしまった。

もちろん王道系なので普通の反応が得られた。

が、自分が本当に好きなのは

派手な子よりは地味な子で髪は黒髪ロングがいいし

自分無限適当しか言わん会話botなので

それに付き合ってくれる子か上手くスルーしてくれる子だと相性がいいし

何よりもライフプランが一致しそうな子がいいのだ。齢23だとか4だとかで結婚したい子は自分には合わないだろう。

話は戻り

恐らくこれがもっと大人数だったらこ感覚に皆共感して貰えるかもしれない。

少なくとも学校クラス規模の中で自分タイプの異性を話せるのは

集合写真センター寝そべりを決め込む人間ぐらいだろう。

自分場合それが飲み会ならまあまあ有り得る人数なのが悩みなのだ

ただこの感情に気付いたのは最近の事なので

もう少し精査の余地はあるように思える。

たまたま空気感が違ったのかもしれないし

メンツが実は良くなかったのかもしれない

まぁつまるところ私は黒髪ロング爆乳眼鏡女性が好きだ。

anond:20230601205928

あいつらの中では「ゼルダ姫が白人(のような見た目をしている)」は「強盗奨励している」とか「違法ドラッグ濫用を煽っている」と同じような罪深い行為なんだよ

なので「強盗奨励するべきではない」とか「違法ドラッグの乱用を煽るべきではない」と同じ感覚で「ゼルダ姫を黒人にするべき」と言ってるだけ

anond:20230531223314

雑誌出版広告収入モデルで儲かってた1980~90年代がむしろ特例

当時と同じ感覚で維持できるわけはない

当方元増田と逆に単行本仕事書き下ろし歴史雑学系)がメインで

一冊の仕事に数ヶ月かかる方が気が楽だが

ここ2、3年の原稿料単価の下落は劇的だ

同じ分量書いても10年前の6~7割しかギャラが入らない

カメラマンわず良いカメラも使わず編集者みずからスマホ撮影も多い

かといってWebメディア校閲責任感が低そうで信用できない

紙の出版ならこんな間違い途中で誰か絶対気づく記事もよく目にする

AI普及の初期から言われていたことだが

文章書く仕事でも一部にはなかなか機械化しにくい分野もある

スポーツライターなんかはいい例だと思う

喋るのは苦手な選手内面とか上手に言語化できてる人も多い

でも今後は紙の本の市場需要自体が小さくなるのは必然だろな

うちの近所の大型書店セルフレジを導入したが

キャッシュレス専用なので誰も並んでないwww

今や紙の本は年寄りしか買わんのだ

もう自分より若手の商売候補が入って来ないのは気が楽だが

逆にいうと俺は70代になっても学生アルバイトみたいな

インタビュー記事構成とかやることになるのか……

――まあこれも写真植字が普及して鉛活字職人が消え

DTPが普及して写真植字職人が消えたようにくり返されてきた道だ

2023-06-01

松本人志の影響で、面倒くさいお笑いファンが増えた。

少しでも

松本人志お笑いは好みじゃない」

といったことを口にしようものなら

「ほんだら他に誰がオモロイねん?!」

「他にオモロ芸人がおるんやったら言うてみいや!ああ?!」

「どうせ✕✕(※他のお笑い芸人名前)とか、しょうもない奴で笑うとんやろ?センス無いのお!」

みたいな感じで食って掛かられて

(うわぁ……)

と、ドン引きしたという経験が少なからずある。

勝手に興奮して

松本人志が居らんやったら、日本お笑い界は無いんやで?!」

松本人志が居らんやったら困るやろ?!」

とか言われても、こっちは共感できない。

そもそもお笑い芸人も、彼ら彼女らが提供するお笑いコンテンツも、自分にとっては生活必需品じゃないか

お笑いが無くなってもええんか?!」

と言われても

別に困らない……」

と言いたくなる。というか、実際に言ったこともある。そしたら、また

「ほんだら(略)!ああん?!」

と切れ始める。もう、面倒臭くて心底ウンザリさせられる。

お笑い芸人も、お笑いファンも、何でこう押し付けがましいというか恩着せがましいんだろうか。別に頼んでもいないのに。

「全ての人間お笑い好きなはずや!」

という勘違いや思い上がりを止めて欲しい。

松本人志とその子分たちの笑いって、

タクシー運転手とか飲食店従業員とかコンビニ店員のことを「アイツ」「オマエ」呼ばわりして罵るとか

ナンパしたオンナがヤラせてくれへんかったか冷凍鶏肉を投げつけたんですわ!

「ギャヒー!ギャヒヒヒー!スベらんなあ!」

みたいなノリで、少しも笑えない。しんどい

倫理的な話を抜きにしても、90年代感覚で停滞している感じで、とても古臭い

anond:20230601190727

婚活パーティはないけど街コンはある。

街コン女性負担が安いのもあって、遊び感覚で来ている人が多く、本気の人を探すのにすごく苦労するからもう行かないと思う。

チアプも同じ理由で、少しやったが辞めてしまったよ

anond:20230601190343

「1:2だから嫌だとかちょっと意味がわからない」みたいな感覚を、恋愛結婚以外で育むの難しくない?

松本人志氏への提言審査員という権力 書き起こし

https://www.youtube.com/watch?v=fHrzrL06I2A

動画も見てね。

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今日はですね、「THE SECOND漫才トーナメント」という大会についてちょっとお話ししていけたらなと思っておりますね。

いやーまずね、あの「THE SECOND」が放送されたタイミングと同じタイミングオリラジ

アカデミーって僕らのYouTube大学で、藤森くんとの番組生放送してた。生放送という

プレミア配信してたんでね。うわ、裏被ってるよと思ったんですよ。

なんかコメント欄でも「『THE SECOND』とかぶせんじゃねえ」とかって、「もうお笑い芸人が『THE SECOND』とかぶせんな」とかあったんだけど。ふ~ん。あっ、かぶってんだぁ。

僕「THE SECOND」って知ってたし、興味なくはなかったんですよ。言ったらもう

知り合いとか先輩が出まくってるから。あぁ、あの先輩どうなったのかなとか、知り合いどうなったか三四郎とか同期だしね。

うーん。言ったらギャロップさんとかもね。若手の頃に大阪劇場でご一緒させてもらったりとかそういうのもあったからねぇ。もうベテラン枠。15年以上が出るんですよね。大会でね。で、客評で決めていくと。そこまで知ってたんだけども。いつかってまでやってない。こっちはこっちでさ、あのスケジュールがあってこの日にっていうのが、たまたま一緒だったから。

あ、そうなんだ。わ、一緒かぁと思いきや、視聴者層の違うし。何だったら戦いだと。常にね。あらゆるコンテンツつうのはずうっと戦いだから。やってるじゃねえかぐらいの感じで

オンエアしましたね。

その結果ね、僕のほうのYouTube大学が急上昇ランキング4位までいきまして。相方のほうの後編は急上昇ランキング1位になりましてね。よかったなあと思いましたよね。その「オリラジアカデミー」木本さんにも活躍していただいてみたいな。そういうのもあって。

でも裏だったしって思ったんですけど。だって見ないで何か論じるのっておかし

よねと思って、見たわけですよね。

ギャロップさんですとか三四郎漫才を見ましたし。大会のあり方そのものも含めてね。

中田がどう思ってんのかっていうことですよね。はい。ここなんですよね~。

これでさネタ面白かった云々っていうのもそれもあるんだけど、大会のもの

どういうふうに中田、捉えてるのかっていうことで言うと。

本当にいろんな側面があると思う。単純に「M-1自体そもそもは「M-1」との兼ね合いの中で生まれ大会じゃないですか。「M-1」はテレ朝でやってて。この「THE SECOND」ってフジテレビでやってるんでよね。

そんな中でテレ朝が作ったこの「M-1」っていうのがいろんな、その後賞レースできましたけども、すべての雛形になってるような形ですよね。

というのもお笑いで言うと東京ってああいお笑いの賞レースって。

ショータイムのショーのレースじゃなくて受賞の賞ね。賞レースって我々言ってるんだけど、賞がついてるレースだよね。こういう大会自体が、関東あんまなかったんですよ。テレビ局は。でもこれ、関西文化大阪ABCお笑いグランプリとかなんとかMBSアワードとかなんかいろいろあるみたいなんですよ。

でもその吉本の中でも大阪東京って全然文化が違うから、その東京人間がじゃあ大阪に行って大阪の賞をとれるかっていうと相当厳しいんですね。大阪の賞は大阪芸人のものだっていうのが、大阪テレビ局の中でも芸人さんの中でも視聴者の中でもどっかあるんですよ。

から東京から来た奴らっていう感じだから、なんかね大阪の賞レース文化ってちょっと遠くに見てたんだけど。ただ吉本興業ってすごくその賞レースを中心とした事務所なんですよ。だからそのテレビでどれだけ売れたか以上に漫才の賞を取ってるかどうかで劇場のギャラが上がる下がるとかっていうのがあったりしたんだよね。少なくとも俺がいた時は。

から僕はずっと不平等だなと思ってたの。なんで、東京はショーが少なくて大阪はショー

がいっぱいあるのに賞を取ったらギャラが上がるんだよって。フラットじゃなくない? 大阪超有利じゃんとかいろいろ思ったわけ。

でもそれはそれで、テレビ局全国ネット東京にあるんだから東京芸人は売れやすくて有利じゃないか大阪から移住しなきゃいけないんだぞとか、いろんな理由があるから

必ずしもね。そのどっちがっていうのはないと思うんだけども。その大阪の賞レース文化っていうのはなんかすごく遠くに見てたんだけども。

そのM-1っていうものができて僕はそこに吉本って入ったの、「M-1」ができた後ですから

2004年NHK入って5年にデビューするんですけど、2001年に「M-1」始まって。僕は大学生の時に大学1年生の時に「M-1」ってのが始まったっていうのがね。覚えてますから

その「M-1」の大会存在意義っていうものも含めてこのセカンドができたわけですよね。「M-1」っていうものは要するに1年目から10年目までしか出れなかったですよ。まず

これは島田紳助さんが10年やって売れないんだったらもう諦めてもいいんじゃないかっていうことでお笑いという、いつ売れるかわからないけれど、そのためがゆえにズルズルやっちゃうという芸人さんを産まないために10年目までに光を浴びないんだったらやめなはれ

というですね。

そういう言ったら厳しい愛の鞭のような意味を持った年齢制限だったわけですよ。

ところが1回終わるんだよね。「M-1自体がね。なんでかって言うともちろん紳助さんが辞める辞めないとかもあったんだと思うんですけど。それ以上にやっぱりこう、10年目までのおもしろい人たちが大概出ちゃって。ちょっとこう、「うーん…。なんか、どうする?」みたいな状況になった中で。「THE MANZAI」とかできたり、(一緒に?)しましたよね。

そんな中でまた戻って、15年まで広げたんだよね。芸歴15年まで出れるようになったわけ

よ。この時点でかなり中堅に優しい大会になったんだよね。

これ10年って、俺が、俺はずーっとこう最初デビューした時に武勇伝っていう

もの自体そもそも漫才じゃないっていうことで準決勝まで行けたんだけど決勝に上がれ

なかったんですよ。

そこから漫才じゃなきゃいけないんだと思ってずっと漫才やってたんだけど、漫才自体が俺が一番向いてるフォーマットじゃなかったんじゃないかって思ってたし。僕らの実力不足でいけなかったんだよね。優勝も決勝までね。ずーっと敗者復活とか準決勝で敗者復活。ずーっと。そんな感じだった。

そんな中で、でもまあ10年でやめれるっていう側面もあるわけよ。あれって。

芸人からすると。もう出なくていいっていう側面もあるわけよ。ところが15年まで広がることによってずっと出なきゃいけなくなっちゃうんだよね。

ここね。でも15年で言ったら解放されるって所があるわけよ。解放されるのか? それともチャンスがなくなるのか? この2つの視点があることがすごい大事なの。

で、「THE SECOND」始まったんだよね。15年以上のキャリアの。ということはだよ? これ、全キャリアがその賞レースに向かうことになったわけですよ。

この「M-1至上主義っていうのが「M-1」で見出された人たちはたくさんいるん

だけど、俺からすると正直みんな「M-1」目指しちゃってもなーって思ってたんですよね。

もちろんいろんな意見あると思うよ。「お前は決勝行ってないんだから黙ってろ」とか

いろんな意見あると思うけど、「M-1」ばっか目指しちゃうんですよ。みんな。

売れるために「M-1しかないって思ってる人もすごい多かったのね。今、わかんない。「YouTube頑張れ」とかっ言う人もいるかもしれないけど、「M-1しか

ないと思って、「M-1」で何とか売れるために1年準備して「M-1」に行くんだけど、「M-1」のすごいところって、発掘してるっていう側面もあるんだけど、選抜してるっていう側面がすごい強いから。言ったら「M-1」で優勝したとか準優勝したとか、それぐらいの功績を残した人たち以外は、言ったら日の目を見ない大会なんですよね。あんまり

特にM-1」の決勝出たけど、下位だったっていうコンビって、逆にレッテル貼られたりするじゃないですか。相当しんどいんですよね。僕の感覚からすると、お笑いって

漫才だけじゃないんですよ。まず。

漫才が偉いとかも実はないんですよ。だけどあの大会のすごいところは、漫才が偉

いっていうふうにしたところで実はみんな2001年からお笑いの流れしか知ら

ない人って漫才ってすごいもんだって思ってると思うんですけど。

実はそれよりちょっと前って、言ったらボキャブラとかの時代って漫才師のほうが少なかったんですよ。ネプチューンさんとか、ナインティナインさんとかロンブーさんとかの世代

ってどっちかというとそのショートコントとかコントとかそっちのほうが多くて、漫才ってちょっとレトロ演芸になりかけてたところがあったんですよね。

それをルネッサンスしたのが、復興したのが、復活させたのが「M-1」だったわけなんですけど、そういう風に相対的に見ると漫才っていう演芸コントっていう演芸とそれ以外の演芸っていうのは実は本当はフラットなんですね。

みなさんの中で落語漫才どっちが偉いですかとかって言われてもなんか「う~ん、知りません」って感じじゃないですか。だけど昔は落語のほうが圧倒的に偉かったですよ。これ。

落語家さんは出番が黒い文字で書かれてて、それ以外の漫才師さんとか手品師さんとかそういう人たちは全部赤い文字で。色のついた文字で描かれて紹介されて落語という主の演芸を賑やかす、いろもんって言われてたんですよね。そういう感じで時代によってこの演芸格式が高いっていう認識って全然違って。

ある時は落語、その後である時は漫才みたいになったりもしたんですけど。それはすごく相対的ものなんですよ。すごく相対的もの。そんな中で「M-1」っていうものがもたらしたのは、僕から言うと漫才至上主義に近いものでそれのカウンターカルチャーに置かれちゃったのが「エンタの神様」とかなんですよね。

エンタの神様はどっちかっていうと「ボキャブラ」とかそういうのもそうなのかもしれないですけど、テレビバラエティの中で言ったら何でもいいからやるっていう感じですね。

もちろん漫才とかもやる時間もあったけど、漫才時間は「エンタ」ってすごい少なくて漫才師は出づらいって言われて、タカアンドトシさんでも「コントで出ろ」とか、サンドウィッチマンさんでもコントで出ろとか言われて、コント漫才を直してやるぐらい、お茶の間センターマイク1本で2人が立ってるだけの演芸は伝わりづらいだろうっていう五味和夫さんの強い意向によってコントにしていくっていう。そっちのほうがテレビ的じゃない?っていうそういう流れの中でやられてたんですけど。

から言ったら「エンタ芸人と「M-1芸人って、2種類あるとしたら、なんかエンタ芸人のほうが一発屋の扱いを受けることのほうが多くないですか? でもね、冷静に考えてほしいんですけど、エンタ出身で売れ続けている人もいっぱいいるし、「M-1」出たけど一発で終わった人もいっぱいいるんですよ。

そうですよね。「M-1」の決勝に出たけど、今その後出てない人も全然いるんですよ。だけどなぜか「M-1」で決勝を出て、その後売れてない人ってのはあんまり一発屋だって言われないんですよ。こういう、まず流れがあるんですね。なので、「M-1」は漫才格式が高いっていうふうに見せた流れがあることと、キャリア10年って限定してたんだけど、それを伸ばしたっていうことがあるっていう事がまずあるんですよね。

そんな中で、僕がもう1個問題だと思ってるのが、実はその若手がすごく、その「M-1」に集中しすぎちゃって、逆にチャンス減ってんじゃないかなと俺は思った時期があったんだよね。他の出方、いっぱいできるんだもん。「M-1」に向けてだけやる人、すごい多くて。

減ってる?チャンス、もしかしてって思うこととか。あとね、他の賞レースとの大きな違い。これ、功罪両方あるんですけど。「M-1」って圧倒的に審査員に光がめっちゃ当たるんですよ。審査員がなんて言うかっていうのは超重要なんですよね。

特に松本さんだよね。松本さんが「うーん、もっと点数入ってもよかったと思いますけどね」って言ったら、順位が低くてもものすごいフォーカスされたりしますよね。あれがもう圧倒的な特徴なんですよ。この「M-1」の「M-1」の圧倒的な特徴が、審査員ものすごい力があって、審査員ものすごい光を当てられる。

あんなに審査員が華々しく登場する賞レースってないんですよ。最初の1時間ぐらい、実はネタ始まるかなと思う。始まんないじゃないですか審査員の紹介が、結構長い大会なんですよ。だからこそ成功してるとも言えるんですよ。

他の大会見てると、重みがあんまりなかったりするんですよ。要するに言ったらネタ番組差別化が図れないんですよね。だからこそ大御所審査員のほうが厳しいこと言うとかがすごいフォーカスされますよね。上沼さんがとろサーモンさんに対して何か言ったとか、和牛さんに対して何か言ったとかもすごい注目されるように、紳助さんがなんか言うかとか。

でもなんせとにかく松本さんがなんか言うかっていうところすごく強かったわけですね。M-1ってね。これが大きな特徴。そんな中で、僕がずーっと思ってたことは、松本さんがあらゆる大会にいるんですよ。

これ冷静になって考えてほしいんですけど、「1本グランプリ」にもいらっしゃいますよね。「滑らない話」もいらっしゃいますよね。漫談でも大喜利でもいるんですよ。なんだかんだで、その若手を審査するっていうお仕事めっちゃ多いんですよ。それは第一人者からカリスマからっていう意見もあると思うんですけど、今までもカリスマ的な芸人さんってたくさんいたんですよ。

たけしさんとかさんまさんもそうじゃないですか。でもたけしさんやさんまさんはそんなに審査員いっぱいやらないんですよ。ここが松本さんの特筆すべきところで。

松本さんはあらゆる大会主催して、あらゆる大会の顔役になってたんですよね。ここで非常に重要なことが、賞の審査員が、どのジャンルでもですけど、実はその業界で一番力を持つことが大きいんですね。例えば、だから芥川賞ってすごい有名な賞ですけど。

芥川賞審査員をやっている作家が一番偉いんですよ。実は。なんでかというと、どの作家がいい文学かっていうのを規定できるからなんですよね。この文学がいけてる。なぜなら、こうだからだっていうふうに決められる作家が一番偉いんですよ。

から太宰治とかは、それを賞を、僕に、芥川賞を僕にくださいとか言って審査員にお願いしに行って断られたりとかっていうことがあるわけですよね。

それぐらい、その審査員って権力なんですよ。この権力分散していたらまだいいんですけど集中してるんですね。なんせ漫才だけでキングオブコントもそうですよ。キングオブコントにもいて、「M-1」にもいるって、要するに言ったら、主流二種競技なんですよ。漫才というかコントって。その両方にいて。なんと大喜利にもいて、漫談にもいるんですよ。4種競技。5種競技だとしたら、全部のジャンル審査委員長松本人志さんっていうとんでもない状況なんですよね。これって。

たぶん他の業界だったら信じられないぐらいの独占状態にあるんですよ。これ、どうなるかって言うと、松本さんがおもしろいっていうか言わないかで、新人キャリアが変わるんですよね。その権力集中っていうのは、1個の見方で言うと松本さんがそれだけ偉大な人だから求められてるんだって見方があると思うんですけど、求められてるっていうことと、実際にやるっていうことはちょっと違うことなんですよね。

求められてたとしても、冷静に考えたら実際にやることがその業界のためになるかどうかでいうと、もう僕の意見で言うとあまりためにならないと思うんですよ。なんでかって言うと一つの価値基準しかないっていうことは、それ以外の才能は全部こぼれ落ちるからなんですよ。

その人の理解できないお笑いに関しては全部こぼれ落ちていくんですよね。いや、とはいえ中田とはいえ、それでうまくいったんじゃないか、「M-1」は成功したんじゃないかっていう議論があると思うんですけど。

もちろん素晴らしい芸人さん出てったんですけど、この「M-1」における成功って何なのかってことだと思うんですけど。それってネクストスターの発掘じゃないですか。

まり本当の成功って松本さんを超える芸人が出てくることなんですよ。「滑らない話」「M-1」この「キングオブコント」「1本グランプリ」もう何年もやってますよね。「M-1」にいたっては2001年からから、言ったらもう20年近く。休んでいった期間があるとはいえ20年以上やってるんですよ。20年やって、松本さんを完全に超えたっていう芸人さんをこの全大会全部やってですよ、誰か産んだんすかって言うと、誰かが新しい大会審査委員長になって、みんなが納得するような人が出てきたら、もしかしたらそれは成功したっていえるかもしれないですよね。

ところが、新しく始まった「THE SECOND」のアンバサダーという役割は、松本さんなんですよ。わかります? つまり20年間松本さんは松本さんを超える才能を発掘できなかったんです。発掘できなかったのか、どうなのか。

それとお笑い回は、今向き合わなきゃいけないと僕は思うんですよね。みなさんがどう思うかわからないです。僕の意見だけ言うと、ここのっていう、このアンバサダーという立ち位置がすごい微妙立ち位置ですよね。なんでかっていうと、審査に影響を与えない大会の顔だけを求められてるわけですね。権威だけとしてアンバサダーってあるわけじゃないですか。

ブランドアンバサダーかいますよね。でもそれは広告塔であってブランドディレクターではないですよね。クリエイティブディレクターとかではないから、広告塔になってくださいという言い方なんですけど。ただね、ここ、すごいポイントなんですけど松本さんってめちゃめちゃ評価に介入していくタイプの人なんですよ。

今回それが浮き彫りになったのがマシンガンズさんの時ですよね。マシンガンさんが自分たち書き込み自分たちについての書き込みを読み上げていくぜって言って、「マシンガンズがこういうふうに言われてる! なんでだよ!」って突っ込んでいくっていうネタがあるわけですけど。

それをやってすごいウケたわけですよね。ウケた後に、「いやでも、あの紙を出すのっていうのが、どう捉えられるかな」っていう意見を言ったわけですよね。あれがいわゆる介入。

価値観への介入に値するわけですね。

M-1」でもそういうことはたくさんやってきたんですよ。「M-1」でも、もっと受けてもよかったけどなとか、もっと点数入っても良かったけどなってなった時に、「あっ、えっ? そうか。点数はもっと高くあるべきなんだ」と。「この人たちは面白かったのにうけなかったのは間違いなんだ」っていう。あれは審査とか、価値への介入なんですよ。

それをまあ積極的に求められてるから審査員なんじゃないかっていう見方で言うと、今回審査員ではないにもかかわらず価値に介入していったんですよね。その価値への介入を、しかも今回凄かったのが、跳ね除けちゃったんですよね。客票が。マシンガンズが勝っちゃうっていう。だから余計に変な感じになるわけですよね。

「ん? どっちなの?」っていう。紙を出しても良かったの?良くないの?

ドラゴンはむしろ古代からの噛ませ犬要員だろ

https://twitter.com/Unagi_Kousuke/status/1663839294572879872

うなぎはかなり古いファンタジーを読んで育った生物なので、昨今のドラゴンの扱いには少しばかり辟易する事がある('ω')

あれは「知恵ある頂点捕食者、コントロール不能な生きた災害」というのがうなぎ感覚であり、チートを見せびらかす為に簡単に狩られてしまうと些かショックを受けてしまう。



ファフニールジークフリートに瞬殺される。

〇ケートスメデューサの首を見せられて即死する。

カドモスが戦った竜:いろいろな攻撃を試されて殺される。瞬殺されなかっただけましな方か。

ベオウルフが戦った竜:老境のベオウルフと相打ち。善戦した方だが相手は老人・・・

リプ欄にはキリスト教が~というのもあるが聖ゲオルギウス以前からドラゴン普通に噛ませということがわかる。

そもそも東洋でも瞬殺されている。(ヤマタノオロチとか)

神話からあっさり片付けられるのは当然」では近現代ファンタジー作品群を見てみよう。

〇サラガヴヴェルグ(サクノスを除いては破るあたわざる堅砦):年端もいか少年に鼻づらをボコボコに殴られた挙句、剣の素材となる(モンハン!)

スマウグ(ホビットの冒険):一撃で射ち落とされる!

〇イエボー(ゲド戦記):かけだしの魔術師見習いにあっさり真名を見抜かれて放逐される。

アイシングデス(ダークエルフ物語):ねぐらの氷柱が頭に突き刺さって即死。(環境キル)

ゲーム小説ですら瞬殺されている。

バカ高いステータスに設定されているD&Dでさえこの扱い。

日本の一昔前のラノベでは扱いがよかったのかもしれないが、ドラゴンは噛ませにされる方が伝統に沿っていると言える。

anond:20230601171359

自分が持っている評価尺度だけで期待するから騙された感覚になりがちだけど、そうじゃなくて、

「今の人はこういうのが好きなのか。確かに、この音楽のこの部分はこの観点から聴く楽しいな」

とか

「そういえば、この感じは自分が好きなこの曲にも似てるな」

というように、自分のまだ知らない新しい良さを見つけよう、その曲やジャンルの楽しみ方を探ろうという探究心を持てば、

多少は許容できる音楽が増えてもっと楽しめるようになると思うんだけど、どうだろう

若い人の音楽とか聴くとガッカリする

新しい学校 とか聞いたんだけど確かに斬新なんだけど練られてないから、出来が悪いと感じてしまうんだよね。

それ以外の若い人に人気!とか音楽でも小説でも漫画でも共通して、新しいけど浅い出来が多い。

凄い!って思ったのはYOASOBIくらいじゃないだろうか。

あと毎回さあ聞くぞ!って音楽聞いてそのたびに駄目だった…とガッカリすると疲れてしまうんだよね。もう聞きたくねえなあ って。

中年以降のオッサンが新しい作品に関心を持たない ってこういうことじゃないかなって思う。

何回も騙された感覚なんだよね。

endelっていうAI BGMサービスを試してみた

リラックス睡眠・集中とかのモードに合わせてAI無限BGMを流してくれるサービス(有料)

こういうの使ったことなかったけど、こういうのって感覚をある程度マスキングしてくれるのがいいんだろうな。

周囲の雑音だけじゃなくて、今考える必要のないこととか、視界の隅で動いたどうでもいいこととか、そういうものフォーカスして神経が疲れることを防いでくれる。ような気がする。

寝る前の1時間ぐらい聞いてたけど、睡眠時間はいつもと変わらないのに寝覚めは良かった、気がする。

anond:20230601033342

抑肝散の成分で特有だと思うのは

チョウトウコウ (釣藤鉤)だと思うんだよな

そこの有り無しで効果を見て、他の配合試してもいいかもしれん

女性なら命の母とか雑多な精神症状に効く生薬大抵入ってるので比較してもいいかも(釣藤鈎は入ってない)

証を見たり鍼灸保険効かないと高いか結構勇気いるかもしれん

個人的にはせんねん灸勧めたいが肌に跡つくから感覚過敏なら嫌だろうな…

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