はてなキーワード: 感覚とは
かのマリーアントワネットのセリフとされているもの(真偽は定かでは無い)だが、このセリフは庶民が貧困の海で溺れているのを全く知らず、ただの親切心で言った台詞なんだろうと思わせる。本当に悪意がない、ただ世間知らずだっただけだ。
私が長年見てきたyoutuberやVtuber達も、そろそろこれに類する言葉を言うんじゃないかという気がしてきた。
全てのyoutuber達がそうではないだろうが、いわゆる成功者達、名を馳せている人達らこの傾向があるのではなかろうか。
今まではそれでも良かった。
ああ、成功してるなあ、それもそうか面白いもんな、いつもありがとう、と言う余裕があった。娯楽とはかくあるべきだと思っていた。
だが今はもうそうは思えない。
ただ、羨ましい、どうして私たちの生活は年々貧しくなっていくのに彼らは未だに大都会東京に住み高い買い物をしてウーバーを気軽に頼みコンビニで値段を気にせず買い物をするんだろう。よそ様が精魂込めて作ったゲームをペラペラ話すだけで(時に敬意なく適当にやっている人もいる)、ペラペラ日常の出来事を話すだけで私たちの日給以上を稼ぐんだろう。
彼らだって苦労してる?
この社会に生きていて苦労しない人の方が少ないだろうが。
庶民は会社に入る際、採用試験で落とされるんじゃないかって怖々して、それが終われば社内の人間関係ややべえ客に挟まれて苦しんで、それでも日々は続くから生きてかなきゃならない。
彼らの苦労ってなんすか?
自分のことが好きな人たちの前でじぶんの負担にならない程度に気を使いながら話して金持ちからお金をもらって、好きなことをしながら金を稼いで。行き過ぎたファンの言動に苦言を呈する人もいるが、正直それもうワガママだろそっちで何とかしろよという苦言もある。そもそも昨今言われがちな鳩行為・自分と関係ない話をしないでという注意だが、それは配信者がそのコメントを拾わなきゃ良いだけだろうが。なぜこちらが気を使わなければならない。なぜ頑張ってあなた達のご機嫌取りをしなきゃいけない。
やってられない。
もちろん、心無いコメントやクレームにやられて心を壊す人もいるだろう。
だが心を壊すやつなんて現代社会には腐るほどいる。
同じだよ。
私もそうしたい。というかそうするつもり。
主観だが、YoutuberやVtuberの武器は「親しみやすさ」だと思う。
配信者達は私達と地続きの世界に住んでいる感覚がある。彼らは雑談の中でコンビニの話、銀行の話、特売品の話等普通にやる。クラスの中にいる面白い奴、という感覚で楽しめる。
親しみやすさが強く、庶民的で、私たちと地続きの世界に住んでいるからこそ、彼らのことが「親戚からもらえる金で毎日遊んで暮らしている金持ちのクラスメイト」に見えてしまう。
私達がこんなに苦しんでいるのに、彼らは平気で大金を払った話をする。
私は本1冊を買うかどうか迷っているのに、クラスの端から『昨日漫画全巻買った~』という、世間から隔絶された金銭感覚の話が聞こえてくるような感覚。
彼らは庶民を相手にして商売をしているのに、庶民の金銭感覚が分からない。
もうキツイ。もう私にはyoutuberやVtuberを楽しむ余裕が無い。
もちろんこのような言動を行うのは成功者のyoutuber達であり、むしろそうじゃない人々の方が圧倒的に多いのはわかる。
でも私が昔からずっと見てきた人達は皆成功者側だった。成功者側の人達の方が目に映る機会が多かったし、彼らの方が圧倒的に娯楽としてのクオリティが高かった。要は面白い。
彼らは変わらない。彼らを見る私の環境が変わったのだ。
そして彼らは気づかないだろう、そんな話をしても私達は苦しんだりしてないと思っているだろう。彼らの価値観はコロナ前、まだ円安の波が訪れる前くらいからきっと変わってない。
もちろん彼らも同じ世界に生きているのだから物価高の影響を受けているだろうが、それは今まで買ってたものが高くなったなあ程度で、生きて行くためには何かを諦めなければならないというような過酷な選択は強いられていないのではなかろうか。
彼らは気づかないだろう、親しみやすさという彼らの武器は、所得格差の広がりやすい現代において致命的な欠点となることを。
彼らが悪いという話じゃない。彼らに悪意はない。
ただ、私の環境が変わりすぎた。
パンが買えないなあ、どうしようかなあ、何を削ろうかなあと日々苦しみながら、それでもオアシスを求めて彼らを見始めたら「ケーキが美味しかったの!」と言う。
やってられない。
(1) 元増田の想像力が弱いだけで、男児だろうと成人女性だろうと実際の場面を見るとやっぱり嫌悪感が先立つ
(2) やはり嫌悪感は女児にしか現れない場合、元増田は女児にだけ性欲や接触欲のようなものがないと思ってしまっているから嫌悪感が出る
私はたしかに、恋人もおらず、人生を語らう友もおらず、子供もおらず、誇れる仕事も財産もなく、家も車も持てなかったが、それらを列挙してみても、あまり未練を感じない。
ポケモンのストーリーをクリアして満足するように、その先の育成や対戦がどうと言われても、それは自分とは別の人々に向けたコンテンツに思えてならない。
人生を損してると言われても、私にはこれでもうお腹いっぱいで、いくら高級ディナーが控えていようが、レストランから退出したいというだけの話だ。
一か月先のイベントが遠く感じるという感覚は、今までなかった。
いよいよ潮時かもしれない。
生き甲斐を拾い集めて辿っていくうちに、気づけば人生をやりおおせているのかもしれないが、もはや一か月先のマイルストーンすら億劫になった。
もうすぐ誕生日を迎えて33歳が終わるので、いい機会だと思って平成初期生まれである自分のロマンス観の奥底に眠る作品について、水面まで引っ張り上げて雑語りしてみた。なお性別は男。
GL:これ
ガールズラブと項目を立てておいてなんだけど、実は未だによくわからない概念(もしかして期待して読みに来たかもしれない人がいたらゴメンなさい)。とりあえず自分のステートオブジアートとして率直な気持ちを残したいと思う。
BLの方で書いたように、筆者は昔からティーン向けの少女漫画や少女小説を摂取していたので、(少)女同士の関係性は友情(たまに愛憎)のものとしてプリセットされていた。なので女と女の距離が近くても「ああそういう感情ね」として頭の中の知っている感覚にラベルを振り分けていた。そこに特別な名前を付けることはなかった。ただ「友情・親愛」と。
その後、オタクとして成長すると共に、だんだんと百合という概念が男オタクの間に伸長してきたが、百合市場が出来上がるのを横目に眺めるだけで、自分自身がどうこうということはなかった。
覚えている限りだと、高校生の時(2006年くらい?)にオタク同級生の間で少女同士の関係性を題材にした漫画だったかラノベが友人の男オタクの間で流行っていたと思う。なんだっけ……4コマ漫画で……メガネの女子の眼の前で授業机の中から大量の煮凝りがぬぽって落ちるシーンだけは覚えているんだけど……。当時は百合という言葉は使っていなかった気がするけど、可愛い女の子同士がいちゃいちゃしているのがいいんだ、みたいなことを言っていた気がする。自分はそれに対して、特に思う感情はなかった。いや、逆に今更?という感情だったかも。なぜならば既にその場所は訪れたことがあったから。
自分が初めて少女同士の恋愛にも似た感情のやりとりを意識したのは、小説だった。図書館で借りてきたとある作家の小説で読んだS(エス)といううら若き乙女同士の関係。女学校に通う少女同士の疑似恋愛。そこにあったのは上辺は花畑を舞う蝶のように煌めき美しいが、内側に潜ると内蔵のようなヌメついた湿った感情だった。疑似恋愛、嫉妬、そして混じる疑似ではない気持ち。
そんな作品を読んできていたので、かわいい子とかわいい子がかわいいことをしている、みたいな作品に喜んでいるオタ友がどうにも幼く見えてしかたがなかった。
そうして百合とかGLとはあまり仲良くないまま、女同士の関係は友情というフォルダに入れて今の年齢まできたのだけど…………ただ……心の中で唯一引っかかっている、消化できなかった少女同士の関係があった(過去形)。それが恩田陸の小説「蛇行する川のほとり」に出てくる若い女子高生二人の関係性だ。
タイトル | 蛇行する川のほとり |
作者 | 恩田陸 |
本作は、高校美術部に所属する女子部員たちが、野外音楽堂で行う演劇の背景美術を仕上げるために夏休みに川のほとりにある合宿を行うというシーンから始まる。(一応)主人公の毬子は憧れの美術部の先輩である香澄さんに合宿に誘われ、有頂天で彼女が主催する合宿に参加する。本来ならば年頃の少女たちの楽しいお泊り会となるはずだったのだが、香澄さんをはじめとする他の参加者は、彼女に何かを企んでいるような、隠しているような態度を取る。次第にただの楽しい合宿ではないことが分かってきたころ、毬子本人が忘れていた幼い頃にあった事件が浮かび上がり彼女の過去を照らしてくる。そして過去を失い、少女は大人になる。
本作のあとがきで、作者の恩田陸は「私が感じていた『少女たち』を封じ込めたいと想って書いた」と記している。その言葉の通り、本作には様々な「少女」が登場する。まだ大人と子供の奇跡の狭間をうつろう毬子、過去を持たない完成された香澄、彼女の相棒で天才肌の絵描き芳野、一足先に大人へと羽化した真魚子。4つの章を通じて彼女たちは多様な顔を見せる。無垢でいながらも自分でも把握していない秘密を握っている毬子、どこまでも独立して半身の芳野にすら内心を明かさない香澄、優れた美術家の観察眼で本質を見抜きながらも最も大切な自分の中の香澄への気持ちに気付いていない芳野、そしてとある事件がきっかけでその輪に無理やり入れられた真魚子(まおこ)。章ごとに語り手が代わり、一つの側面の形質は、語り手へと姿を変えてると主観となる。
本作には、登場人物のうちに公式に女女カップルと呼べる組み合わせが存在する。香澄と芳野だ。常に二人で行動し、二人で一日を過ごし、どこでも二人の世界を作る。互いに互いを引き立て合うようなお似合いの二人。しかし二人は望んで一緒にいるわけではない。過去を共有してしまって、もはや離れられないのだ。お互いに過去という鎖を結びあってしまったと言っても良い。しかし、少なくとも芳野の方は、共に鎖を結びあった相手が香澄で良かったと思っている。
門外漢の自分が考えるに、多分世の中のGL?百合?好きは、芳野編を大いに好むと思う。そこで繰り広げられるのは、互いに誰よりも近く、親密で、そしてお互いに内面の99%まで理解しているのに、その残りの1%が、相手への愛が本当にそこにあるのか分からないという愛の物語だ。芳野編の、今まで無意識に避けてきた香澄の肖像画を描くことで、自分の中の気持ちを形作るという展開はとても美しいものがあると思う。
ただ、自分はこの二人の関係性は処理出来ていた、と思う。友情、親愛、そして強い愛情と。自分が最も咀嚼できなかったのはもう一つの組み合わせ、毬子と真魚子の方だった。
同級生の中でも子供っぽい毬子と、級友に先駆け一足先に大人になってしまった真魚子。恋愛面でもお子様な毬子と既に大学生の恋人がいる真魚子。正反対の二人は対極に位置するからか、親友同士であった。香澄と芳野という二人と比べると、一生離れずに共にある彼女たちに対し、高校生の間は親友でも卒業したら普通に進路が離れ疎遠になり、それでもたまに会ってお茶をする、というような関係だろう。仲良しで大好きだけど、互いに混じり合う程に近いわけでもなく、恋人よりも好きというわけでもない。そう、それだけなら十分に理解できたんだ。
物語の後半、とある事情により毬子の代わりに真魚子が合宿に参加することになる。自分が一番よくわからなかったのがそこだった。毬子が事情により参加できなくなるのは分かる、でもあんな事態になったとは言え、真魚子が嫌っていた香澄たちのところに単身乗り込むようなことをするのか、と。だって毬子と異なり彼女にはなんにも過去の事件に因縁が無い。だからいくら毬子に頼まれたからって、わざわざ事態を究明するために乗り込む必要はなく、ほとぼりが冷めるまで、物語が閉じるまで放っておけばいい。しかし、彼女は乗り込んだのだ。
この機序がずっと咀嚼できていなかったのだけど、最近、もしかし自分の考えは順序が逆であるかもしれないと気が付いた。頼みを受けて乗り込まねばならないほど、本当は彼女にとって、親友は本当に大切な存在だったのだ、と。誰よりも冷静で頭が切れる真魚子であっても、いや毬子の親友の彼女だからこそ動かざるを得なかったのだと。その時、すとん、と腑に落ちた音がした気がした。
香澄と芳野の唯一無二の分かち難い強固な結びつきとはまた違った、同級生の親友というどこにでもある女子高生の毬子と真魚子の結びつきも、それはそれで一つの思春期の素朴な輝かしい感情の頂点なのだと。
実家が飲食店を営業してる。帰省時に手伝いをしていたある日から、たくさん食べる人について思ったことがある
モヤっとほどではないけど、GWに気になることがあった。ちょっと怖いな、という人に出会った……
両親が中華料理店をしている(町中華がいちばん近い)。帰省した時にお店を手伝うことがあって、その時は冬の寒い日だった
夜に、作業服?姿の30才くらいの男性が来店した。普通に注文をして、食事をして出て行った。初めて見る人だった。近所の人ではなさそうだ
うちのお店のお客様は、皆さん千~二千円くらいお食事をしていかれる。食事1~2品とビールの人が多い
でも、その人は、自分だけで七千円以上も注文して、すべて平らげていった。飲み物は紹興酒3杯だけ。残りはぜんぶ食べ物だった
正直、あの人が食べている時が怖かった。最初のから揚げとラーメンの後、天津飯を注文したあたりでおかしいって思ったけど、なんであんなに食べられるんだろうと思った……
お会計の時、私の母が料金の収受をした。普段は父と母の2人だけで店を営んでいる
母は、その作業服のお客さんからお金をもらって、お釣りを返す時に、その男性の両手を握って「また来てください」と言ってた
父も、わざわざカウンターの奥から「ありがとうございました」って……すごく、尊敬してる感じだった
私からすると、その人の食欲に違和感を覚えた。あんなに食べる人はちょっと怖いよ……
もしかしたら、私の感覚が変で、実際は、たくさん食べる人ってみんな尊敬するものなの?
言うまでもなくわたしは若輩であり、人生の先輩方からするとヘンな意見かもしれないけど、聞いてみたい
なんで父も母も、あんなにあの人に心を近づいていったのだろう。教えていただけるとありがたいです
自分が抱いた嫌悪感がなにに起因するものなのかわからなく戸惑っている。
先日、小学校三年生くらいのコが5、6人、私の前を歩いていた。一人か二人が男の子で他は女の子だった。突然、左端を歩いていた女の子が隣の女の子の頬に軽くキスをした(ほっぺにチュー的な)。キスされた女の子はきゃーっと笑ったあと「口でしよう」と言った。そして女の子二人は躊躇いなく歩きながらキスしたのである。結構べったりと。
私は驚いて立ち止まり、彼女たちの背中を見送った。そのあとに嫌悪感が湧き上がった。いやなものを見たという感覚。自分の感覚に驚いた。これはなんだ?
増田は成人男子で二次作品なら百合は好物である。一般向け作品ならロリ表現も特段抵抗ない。BLもあまりエグい表現がなければ楽しめる。シスジェンダーで異性愛者だが、自覚的にはLGBTQ全般に対して寛容なほうだと思っている。私は一体何に嫌悪感を抱いたのだろう。
これが男の子と女の子だったらどうだろうと考える。「ませたガキだな!」と思っても嫌悪感には至らないと思う。
男の子同士だったらどうだろう。相当びっくりするだろうが、やはり嫌悪感には至らない気がする(ちょっとあやしいが)。
もう少し年齢が上の女の子同士(中高生くらい)だったらどうだろう。むしろ「尊い」とか「いいもの見た」という感覚になりそうだ。多分、嫌悪感はない。
となると、嫌悪感の源は「女児」+「性的ニュアンス」だろうか。いきなり三次元の児童ポルノを見せられたような嫌悪感。女児同士にキスをさせ、それを見ている成人男性である自分、みたいな。
仮にそれが嫌悪感の源だとしたら、あの光景が嫌悪感に結びつくのは普通のことだろうか。もしかしたら私のなにか認知のゆがみが嫌悪感に結びつけてしまっているのではないか。わからない。
件名の通り
若い頃から男性のことが嫌いではないが恋愛対象とみなすことができないまま年を取った
ビアンなわけではない
Aセクなわけではない、性欲はある
一応それなりに顔とスタイルには恵まれていたので若い頃からつきあってくれと言ってくる男は多かった
たまに気が向いて付き合うがそもそも恋愛感情を持っていないので結局塩対応になる
しかも彼氏なんて別れたら終わりなので優先順位が遙かに下になり
のカーストになる
あまり遊び回るのが好きではないのでせっかくの休みをどこかに出かけて潰したくないし、彼氏が家に来られるとパンツ一丁で歩けないしやだ
あとセックス嫌いじゃないけど面倒臭い。毛の手入れとかしないといけないしさあ~
分かるが故に申し訳ない
でも「めんどくせえ」が先に立つ
友達と遊ぶのは楽しいしめんどくさいとも思わない、なぜだ?と考えると女子同士だと隠し事とかないし、価値観も似てるしセックスしなくていいし楽なんだよね話してて
恋愛感情を男に抱ければ彼氏とのデートも違う楽しさがあるのかもしれないけど、めんどくせえ、どうせこのあとホテル行くんだろうなあ
マメに優しいLINEくれても「返事するのめんどくせえな…」ってなる。女友達だと「ばかwwwwなにしとんwwww」とか即レスできるのに
「いつか好きな人が現れるよ」なんて言われるもんだから出会えてないだけかも、と思ってまあある程度の数の彼氏と付き合ったがどの人にも等しく興味を持てない
あと私は仕事のせいかもしれないが男相手だと完全に営業モードに入る(水商売ではない)
彼氏でも一緒で、こう思われたがっている、こうされたがっている、というのを察するので反射的にそういう態度を取ってしまう
本音を語ることはまずない。できない。理解されないと思ってしまっているし、性別の差で仕方ないのだろうと思う。
逆に自分に興味を持ってない彼女持ちなどのほうが気が楽で楽しく過ごせる
これがもう30年間ずっとだった
そして40過ぎた頃になってもまあまあ彼女になってくれの引き合いはある
こっちもおばさんだが言ってくるのは独身おじさんなので50になっても結局モテ度あんま変わってない
20代の頃から体重体型変わってないのと美容整形に金かけてるからかもしれんが
こんな性格なので結婚なんてするつもりもないし、年齢的に子供も無理
今の彼氏とももう別れたい。いい人だけど会う度セックスしたがるし、気を遣っているであろうLINEが面倒になってしまった…
結局なんだったんだろうな~?ビアンでもセクでもないけど、ほんっと男の人と遊んでて楽しいと思ったこと一度もないまま、この人好き!と恋愛感情抱くこともないまま50年経つとは思わなかったわ
結婚願望でもあればまた違ったんだろうけど、自分の生活を乱されるのが激しくいやで自分のやりたいことだけやってたい我が儘な性格だから無理なんだろうな
あくまで私の感覚だけど、女は基本自分のことを話したい人が多いので、多少プライベートなことを聞くのが礼儀というかサービスのような感覚がある。相手にスポットライトを当てて、その場の主役にしてあげるようなイメージ。
増田が話題にしてる女性社員も、旦那さんに着いてきて話し相手が少ない状況で、色々聞いてもらえて嬉しかったんじゃないだろうか。
勿論聞かれたくなさそうだなと察したらすぐに引く。逆に相手が話題にしやすいように、適度に自己開示をする。聞かれたくなければ聞かないでオーラを気まずくない程度に出す。
同じ感覚の人がいた。
謙譲語を使うような文脈でもないし、丁寧語でさえないSNSの投稿でなぜか自社だけは「弊社」って語彙になるの、おかしいよねって言ってもほとんど賛同されたことがない。
日本の創作に黒人があまり出ないって前々から海外で言われていたと聞くし、弥助のあれこれもその延長にあると思うんだけど
我々が思う以上に鎖国してた時代まである島国の文化って海外からすると想像しにくいんかな
そもそも地理的にアフリカと離れてるのもあって余計に感覚的に馴染まない傾向にあるのも理解されにくそう。これが今の時代においてはそれが良いことだとは言わんけどね
良くも悪くも馴染まないからこそ弥助自体はフィクションの題材として面白そうだって思うし、でもこんだけ騒動になってしまえば今後取り扱うのも難しそうで、こんな事になって残念だ
もうすぐ誕生日を迎えて33歳が終わるので、いい機会だと思って平成初期生まれである自分のロマンス観の奥底に眠る作品について、水面まで引っ張り上げて雑語りしてみた。なお性別は男。
BL:これ
男なのだが、BLについては、実はかなり小さい頃から存在・概念自体には触れていた。
ひとつ前で話題に出した図書館には、ティーンガール向けの(おそらく少女漫画を卒業した近所のお姉さんたちからの)寄付所蔵があり、その中には白泉社系の漫画が数多く存在していた。当時の自分は、文字と絵があるなら何でも噛まずに飲み込む悪食だったので、男が少女漫画を読むとか特に何も考えずに頭を空っぽにしていろんな作品を乱読していた。そのお姉様方が残した漫画では……まあ割と頻繁に男と男がベッド・インする描写がございまして。たぶん清水玲子さんの作品だと思うのだけど、フツーに女が男と、男が男となんやかんやベッドで一緒に寝ていた。
当時は臥所をともにする意味を知らなかったので、ふーんで流していたけど、たぶんこれが原因でボーイ同士のラブにはじめから拒否感が無かったような気がする。長じて、そこそこの男オタクがBLを〇〇という蔑称で呼んで弄ぶおもちゃにしたり嫌ったりしている(た)のを見て、そんなに嫌う?と思ったこともあった。
あと、漫画の中にラッキーなことに「ぼくの地球を守って」もあって、それを血とし肉とし、年の差カップルやらTSやらやおいやらを学習していった。当時は倫くんに精神年齢が近かったから、亜梨子のことをすっげー年上のお姉さんとしか思ってなかったけど、今思えば……いや、今思っても流石に年の差はあるわ。(ぼくたまは面白かったなあ……【懐古】。好きなキャラはキャーおよびJrです)。
しかしながら、BLにハマる、つまり男と男のカップリングに熱を上げることはなかった。あくまでも、そういう価値観もあるという認識を持った程度。そんな自分のカチコチに固まった頭をぶっとばしたのが、数年前の自分の誕生日近くに発売された某ゲームに出てくるLくんというキャラクターだった。ここまでが前置き。
タイトル | ? |
ジャンル | SRPG |
(とくにBのLを主題にした作品ではないし、勝手に自分が思っているだけなので作品名はぼかす)
このゲームは、とある学校の先生となって選んだクラスの生徒たちを戦乱の時代に生き残れるように育て導いてゆくというもので、作り込まれた世界観に加えて、複数ある学級にそれぞれ個性豊かなキャラクターが何人もいる(しかも完全フルボイス!?)ことで、いろんな育成を試したり、生徒との恋愛シムを楽しんだり、生徒間でカップリングを作ったりと、様々に遊べて大きくヒットしたのだ。例に漏れず自分のオキニのキャラがおり、それがLくんだった。
いや、はじめはまっとうに可愛い女子陣(LとかMとか)にエへエヘしていたんだけど、なんか気が付いたらLくんのことがすげー気になる存在になっていたのよ。そのゲームにはいわゆるコミュ的な、キャラ同士が交流するイベントがあるんだけど、Lくんは初っ端からエンジン全開で仲間に対して自分のことを「容姿端麗にして才気煥発」とナルシ発言カマして、空気の読めない高慢ちきナルシスト変な髪型貴族として高笑いしながら自分のフルネーム(しかもミドルネームあるから長い)を連呼していたんだ。それでおもしれーやつ〈ルビ:コメディリリーフ〉的にLくんが気に入っていたんだけど、ゲームが終盤に近づくにつれて、なんかLくんが覚醒して、おかっぱナルシストからアシメ耽美長髪美人ノブレスオブリージュグレート薔薇大貴族に大変身したのね。おもしれーやつだと思っていた可愛い生徒が、ウルトラスーパーデラックス紳士になってしまって困惑3割感動7割で、まあ端的に言うと「り゛っば゛に゛な゛っ゛た゛ね゛ぇ(泣)」だった。
それで一周目をクリアする頃にはLくんを含めた学級の全員を超大好きになっていたのだが……話はここから。そう「一周目をクリア」が意味するのは二周目があるということ。実はこのゲームは学級の数だけ、正確にはさらに隠し的なルート一つがあり、何周もしないとストーリーの全容が分からないという恐ろしい作品だったのだ。
そこで、ゲームをクリアして二周目を違う学級ではじめたのだけど……完全に元の学級ロスになっていた。新しいルートを進める傍ら、最初のルート(ファンの通称は「実家」)の思い出を反芻する日々。新ルートで元の学級の子達と交流すると、現学級のライバルなのにいい働きをしたら「うちの子立派!」と思わず叫んで親バカの如く他学級を褒めるというしまつ。ついには、日々彼らのファンアートやらキャラ語りを探し回るゾンビになっていた。
このゲームは発売当時にそこそこ話題になった作品だったので、ネットを検索すると、それはもうファンアートや感想の海……いや大海原の如く豊穣な熱情(しばしば劣情)にありつけた。そうすると、次は二次創作というグランドラインに正面から向き合うことになるのは必然だった。名支援と呼ばれるLくんとMちゃんを描いた漫画作品、平民と貴族の組み合わせのLくんとLちゃんの小説、声デカ貴族組のLくんとFくんファンアート、そして学級長のCとLくん、LくんとC、またCとLくん、LくんとC……そう、実はLくんは異性とのカップリングよりも、学級長であるC(男)とのカップリングが、多分最も人気があったのだ。
CというキャラはLくんの真逆とも言えるキャラクターであった。級長のくせして腹黒軍師系だし、すぐに策を弄してハメようとするし。だが、内心にとんでもなく大きな野望を抱えているという複雑なキャラクターでもあった。やや高慢だが優等生のLくんと人当たりはいいが腹の底を見せないC。二人はストーリーでもコミュでも犬猿の仲というべきであった。
二次創作という大海原には様々な島が浮かんでいた。デフォルメされた姿でうさ耳が生えて赤面しているLくんがいたと思えば、リアル等身でどシリアスな殺して殺されての戦場で汚泥に塗れている姿があり、Cを言葉攻めしていたり逆にされていたり、現代パロ、学パロ、性転換、敵対シチュ、モブ、死ネタ、etc... ニュービーだった自分には直接的な官能的な絡み合いこそ刺激が強かったが、ネットの海に放流される彼・彼女たちの漫画・イラスト・小説・イメソン・etc……そこには確かにキャラクターへの愛があった。
そんな調子で元の学級への未練(飢え)を同志達の供給で癒やしつつ、数百時間かけて全ルートを回りきり、ついに念願の最初のルートに戻って最高難易度でもう一度やり直すことに。そこにはかつてと変わらぬ愛すべき学級の生徒たちの姿があった。Lくんも相変わらずCに突っかかって、Cはそんな彼のことを面倒臭がって、変わらぬ犬猿の仲……いや、なにかおかしい。
それは衝撃が固体になった瞬間だった。
初見プレイ時にはまだBL筋が十分に発達していたかったため見逃していたのだが、チャクラが開かれた今となって見ると、それはもうコッテリとした男と男のクソデカ感情がこれでもかと描かれていたのだ。
先に少し述べたように、Lくんはナルシストの傾向があれど、基本的には名門貴族の跡取り息子としての教育を受けている礼節を持った男であった。先に紹介した他のキャラとの珍妙なコミュにしても、彼は彼なりに真面目に誠実な態度を取っていた、ただ空回りしていただけで。しかしどうだこれは! Cとのやりとりに彼がこれまで受けてきた教養のある態度は認められない。そう、それは嫉妬。内側に秘めていた激情。むき出しの激重感情がそこにあった。
名門貴族の跡取りとして生まれた彼は、諸侯が己が利益を優先し団結をしようとしないこの諸侯連盟の現状を憂え、この国を正しく導くのは自分の責務であると自負していた。学問を修め、領主としての振る舞いを学び、着々と目標に邁進していた。そんな彼の前に現れたのが出自不明でありながらも突如として諸侯長の跡取りとなったCだった。全く貴族らしさを感じさせず、あまつさえ貴族の位なんて屁とも思っていない異物。それがLくんにとってCだった。
自分が欲しくてたまらなかった立場にありながらも、それを歯牙にもかけず、貴族の責務にも無関心で、それでいて何かを企んでいるのに見せようとしない見通せない。だから「君など現れなければ……」と本心が溢れてしまう。悔しそうな声。それは俺先生や他のクラスメイトには見せない、彼の心からの嫉妬だった。しかし、その心は、先生とCの隣で彼が望む未来の片鱗に触れていくにつれて変わっていった。領内の、国内ことだけしか考えていなかった彼は、この世界の人種差別や身分のことまでも変えていこうとするCの考えに触れ、彼こそが皆を率いていく器だと内心は認めるようになる。そして、二人きりのとき「君のいない世界など味気ない」と告げ、自らにとって彼が大切な存在であると言外と認める。
このやりとりを再見した時、なぜ、自分はこの感情のドッヂボールに気が付けなかったのか、と唖然となった。「お前さえいなければ」からの「お前がいない世界など」という完璧な回収。こ、これがブロマンスなのか……と濡れた泥を投げつけられたような衝撃だった。これで完全にチャクラが開いた感覚があった。
遺族厚生年金 子どもがいない夫婦の男女差なくす方向で検討へ | NHK
子供もいないならいつまでも公助に甘えてないで働いてくれよっていうのは自然な感覚だと思うが、批判コメントが上位なのははてなっぽいな
子供もいないならいつまでも公助に甘えてないで働いてくれよっていうのは自然な感覚だと思うが、批判コメントが上位なのははてなっぽいな - akashi735 のブックマーク / はてなブックマーク
討論会で言葉が詰まったり論理的な反論が出来なかったとしても、あんま関係ないよね、きっと。
そういうことよりも人柄みたいなのが重視されると思う。
仕事ができる総理より、いい人っぽい総理のほうが支持される国のような気がする。
能力より人柄じゃないんかな。
あっ、でもあの人は喋りがあんまり上手くなくて叩かれてたのか。
でも、もっといい人そうな雰囲気があったらそれも許容されてたと思う。
多分、日本の総理で最高の支持率を上げるのは大食いタレントのデブの人で好感度高い人いるじゃない?ああいう人が総理になったときだと思う。
世帯年収1000万でも… 東京の住宅価格高騰に悩む子育て世代
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20240723/k10014518961000.html
この記事読んでふと思った
都心の実家だと広くてもせいぜい4LDKくらいだから2世帯で住むのはキツいじゃん?
じゃあ家探そうってなっても、ほとんどの労働者は今の都心の不動産価格では親世代よりもアクセス悪かったり、狭かったり、古かったりする家に住まざるを得ないわけで
子供の時よりも大人になってからの方が不便な住居に住まなきゃいけないってすげー苦痛じゃないのかなと思う
俺が土地余りまくってるクソ田舎育ちだからこういう感覚なのかもしれんが
歳を重ねるほど生活に余裕が出来るはずっていう昭和の社会通念を引きずったまま未だに世の中回ってる気がしてて、
インフレや都心一極集中によってもたらされた現実が理想と乖離しまくってる現状で、都心生まれがどういう感覚で自分の住まいを考えているのか知りたい
俺が勝手に心配してるだけで、実際都心で働くエリートたちはインフレに見合った賃上げがなされていて、肌感覚では住まいに困ってないのかもしれんが
でも、4人家族で60平米の2LDKをペアローンフルで買って、車もなしで子育てするとか狂気の沙汰だと思うんだよな...あまりに家庭を持つのつらすぎないか都心
値動きはカオスと考えられている.
予測できているという感覚を人間が抱くことはあっても, それは幻想である.
しかし, 完全にランダムに売買したとしても, 何万人もいれば, 長期的に勝ち続ける者も確率的に出現する.
このまぐれも, 人間の目を曇らせる. あいつにできるなら, より優秀なおれならば…となる. 実際には能力の優劣は関係ない.
ところで, 値動きは総体的にランダムだとしても,取引する人間の心理はランダムではない.
売買する人間の心理は予測することができる (と考えている者もいる).
このことが手打ちの人間がデイトレードで勝てない理由であるというのが, 私の意見である.
人間らしさを完全に捨てたアルゴリズム取引ならば, この傾向に従わないから上記のカモにならない可能性がある.
たとえメルセンヌ・ツイスタ法を用いたアルゴリズム取引であっても, 人間が狩られ脱落していく限り, 相対的に浮上してゆく.
このことも人間の目を曇らせる.
この概念の形が定まったのはいつ頃のどんな作品群によってなのか
世界征服を目的とした組織で自分がまず最初に思いついたのは仮面ライダーのショッカーだな
こういうときニコニコ大百科にだいたい独自研究がまとまっているから助かる
おっと、仮面ライダーとサイボーグ009のどちらも石ノ森章太郎の作品じゃないか
じゃあ「石ノ森章太郎の作風に影響を与えたものは何か?」のような路線で掘っていけば何か見つかるかもしれないな
ファンタスティック・フォーに登場するヴィランのドクター・ドゥームも世界征服を目的として掲げている?
ドクター・ドゥームの方が早いが……
ファンタスティック・フォーを読んだことないんだよな
判断できない
しかし興味深いな
確かドクター・ドゥームってのは何かの組織の首領みたいな感じではないんだったか
ヴィラン個人で掲げる世界征服と悪の組織として掲げる世界征服という違いがあるのだなあ
サイボーグ009(というか石ノ森章太郎)が影響を受けている可能性がある作品として007シリーズがあるか
いるわ
スペクターですね
さて、これの初出は?
なんかこの時代らへんって世界征服をもくろむキャラクターが登場する有名作品が沢山誕生しているんだな……
冷戦下のスパイ小説とかが世界征服をもくろむ悪人キャラクターの源流なのかしら
ナチスの崩壊の1945年あたりまで遡れるかも、という勘がある
当時の人にとって「世界征服」はフィクションではなくREALに起こりうる危機という感覚があったのかしら
核戦争による終末はREALの感覚があったかもしれないけれど世界征服はREALだったのかNOT REALだったのか
こういう「当時の人がどのような意識でこれを読んでいたか」という肌感覚を知ることができたらなあ
石ノ森章太郎の自伝だかルーツをたどるみたいな本は予想通りあるみたいだな
国会図書館デジタルコレクションで「世界征服」で検索するとだいたい1890年~くらいの資料が見つかる
けれどモンゴル帝国の世界征服だったりナポレオンの世界征服だったりどこぞの国が世界征服をもくろんでいるので我が国も富国していこう(←これ正しく読めてないかも)みたいな文脈での用例になる
あー、「世界征服という単語がREALからフィクションでの出来事となったのはいつか?」というテーマにもできるのか
横道にそれた話→現実の話で「世界征服」と言ったとき、「世界」が「地球全土」とか「地球上に存在するすべての地域」とかを意味していない場合がある
石ノ森章太郎はSFの人だから海外SF小説に源流を探しに行くのも面白そうだ
宇宙人による地球侵略も隣接ジャンルだけれど……探す範囲が広範になってしまうな
エンタメとしてフィクションの題材に用いられるような類の陰謀論ネタで歴史が古いモノが何かないか一応見ておくか
ある程度調べたら日記にまとめるか
一旦ここまで
ハチミツに精液を混入させた事例って、現在の刑法でも性犯罪にカウント出来ると思うけどね
次々新犯罪を増やしていたらキリがないじゃん
実際の適用は必ずしも杓子定規ではなく、条文の解釈を加えた上で柔軟に適用されている
「暴行を加えた者が人を傷害するに至らなかったときは、2年以下の懲役若しくは30万円以下の罰金又は拘留若しくは科料に処する。」
となっていて、「暴行」の定義は一般的には「人の身体に対する不法な有形力の行使」とされている。
だけど、
判例は狭い室内で日本刀を振り回した事例でも暴行の成立を認め、過失致死罪ではなく傷害致死罪を成立させている。
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/665/050665_hanrei.pdf
そして、刑法174条以下のわいせつに関する罪では「わいせつ」という言葉が用いられているけれどこの言葉の定義も条文上は明らかではない。
判例は、「徒らに性慾を興奮又は刺戟せしめ且つ普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するものをいう。」と言っている。
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/650/054650_hanrei.pdf
この定義で言うならば、他人が飲食するハチミツに精液を混入させる行為は、普通人の感覚からすれば、「わいせつ」に当たるのが妥当だろう。
だって普通の人が見たらどう見ても、「正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反する」行為なんだから。
あと、強制わいせつ罪の成立について、判例は以前は行為者の性的意図を必要としていたけれど、
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/256/087256_hanrei.pdf