はてなキーワード: 感覚とは
軽度ではあるものの、人生初のうつ病の診断を受けて休職期間を経て会社を辞めることになった。一応復帰することができたので、振り返りも兼ねて経緯を記しておく。
私のうつ病は仕事に起因するものなので、同じように仕事で悩んでいる人や、実際にうつ病で休職している人の参考になれば幸いである。
(自分のスペックは世間一般的には高いほうだと思うので、そういう意味では参考にならない部分もあるということは前もって断っておく)
【私のスペック】
・男 30代
・旧帝大卒
・職歴:中小企業2社、大企業2社(システムエンジニア、事業会社で企画・開発などを経験)
スペックを見てもらえばわかる通り、飽きっぽい性格のためか同年代と比較して転職回数は多めだと思う。
ちなみに過去の転職理由は、年収を上げたいとか、業界を変えてみたい、という理由によるもので、今回のようなネガティブな理由によるものではなかった。
直近の会社の在籍期間は3年ほどで、過去の会社と比較すると一番長く勤めていた。
主にDX(デジタルトランスフォーメーション)を推進するような部署に所属しており、私はデジタルやデータ活用に関わる施策の企画・開発に携わっていた。
それなりに成果も上げて役職も上がり、2年目くらいまではまぁまぁ充実感を得ながら働くことができていたと思う。
体調、というか精神面に異常を来すようになり始めたのは3年目くらいからである。
人手不足もあったことで担当する業務領域が増え始めたことと、役職が上がったことでより厳しい成果のハードルを課されるようになったことで、だんだんと精神的につらく感じることが多くなってきた。
これまでは自分の手を動かしていればある程度うまくいっていたことが、利害関係者との調整・偉い人への根回し、といったような難しいコミュニケーションが増え始め、なかなかスムーズにことが運ばないことに不安や苛立ちを感じるようになってきた。
コロナ禍でリモートワークがメインになったこともあり、直接会話すればすぐに済むようなこともチャットを何往復する必要があったりと、そういったこともフラストレーションをためることにつながったかと思う。
次第に以下のような症状・変化がみられるようになってきた。
・本が読めない、資料も読めない(文字は入ってくるが、理解ができない)
・趣味もやらなくなった
・日曜日は翌日のことを考えて何もする気がおきない(ずっとベッドのうえ)
会議をさぼるようになると他人の仕事にも影響が出てしまうので、「これはさすがにまずい」と思ったものの、だからといって会議に出れるようになるわけでもなかったので、とりあえず上司に相談した。
最初は業務量を減らして様子を見ることにしたが、それでも自分の仕事へのモチベーション低下や、思考力の低下は改善することがなかったので、
(ちなみに「軽度」としているのは、一般的にはうつ病になると性欲や食欲の低下も見られるらしいが、私の場合はそこまでには至らなかったので「軽度」とされた)
しばらく薬物療法で仕事をしながら経過を見ることになったが、どうにも仕事に手がつかなくなってしまい(がんばって働く意義を見出せなくなり)、また妻からの勧めもあり、私から「休職したい」と申し出て休職することになった。
病院では上記のような症状を伝えただけで「うつ病」と診断されたので、要因は自分で「これではないか」と考えたものである。
(他の病院でセカンドオピニオン的なものを受けたわけではないのでなんともいえないが、患者の言動をもって「うつ病」と診断するのはあまり科学的ではないし、仮にも医者を名乗っているのにそんなんでいいのか、とは思った。本筋ではないのでここでは深入りしないが・・・)
仕事から離れて時間的・精神的な余裕ができたことで、過去の自分の心理状態を客観的に振り返ることができたのはよかった。
今冷静になって考えてみると、うつ病の直接的な要因となった業務内容(利害関係者との調整など)はリーダーやマネージャーであれば普通にやっているようなことである。
にもかかわらず、精神的に不安定な状態となってしまったのはなぜか。(自分にリーダーやマネージャーの適正がなかった、ということも考えられるが、それだと解決にまで至らないのでいったんそれは置いておく)
今までの人生でもそうであったが、私は他人の言動に惑わされることが多いように思う。つまり、「他者の領分を自分の領分にまで侵略させてしまう」といったようなことだ。
具体的には、自分のやり方を批判されたり注意されたりすると自分自身が責められているような感覚に陥ったり、他人の要求を(それが理不尽なものだとしても)突き返すことができなかったり、などがあった。
これはいわゆる認知心理学的な話で、ネットやいろんな本を読んでみたところ解決策としてはマインドフルネスだとか感情ノート(自分が感じたネガティブな感情をノートに書いてみて、あえて肯定してみるトレーニング)が多く挙げられていた。
とりあえず実践はしてみてはいるものの、今のところ効果があるのかはよくわからない。(もしいい解決策があったら教えてください)
・コントロールできないことにこだわりすぎた
上の話から派生するものかもしれないが、自分ではコントロールできないことにこだわりすぎたように思う。
結果にこだわってどう動けばいいかだんだん分からなくなっていった。結果や評価というものは結局他人が決めることで自分ではどうしようもないことだと早く気付くべきだった。
自分は自分が考える最善のプロセスを踏むしかない、とある意味開き直ることが大切だったと今は思える。
コロナという状況で外出する機会が減ったおかげもあり、読書やネットでの情報収集を通じて上記のような思索ができたのは良かったと思う。
【その後について】
これまで真面目に働いてきた反動なのか、結局半年ほど休むことになった。次第に精神的に安定もしてきて、薬の服用も少しずつ減らすことができている。
うつ病になった経緯とその要因について振り返りたかったので、その後については本筋ではないものの、一応復帰はできたという事実は伝えておく。
復職することも考えたが、さすがに休んでいる期間が長かったので戻りづらいという気持ちが勝ってしまい転職活動を始めた。
もともとキャリアを通じて積み重ねていたことが時流に沿っていたこともあり、求人もたくさんあり転職活動はほとんど苦労しなかった。(特に聞かれもしなかったし、休職していることは伏せた)
結局いくつか内定を得ることができたので、転職をすることにした。
現状より高い年収を提示してくれる企業もあったが、あまり高いハードルを設定するとまた同じことを繰り返しかねないとも思い、お断りさせていただいた。
余談だが、今回、学歴や職歴が人生におけるリスクヘッジになることを改めて痛感した。
少なくとも書類選考で落とされることはほとんどなくなるし、「いつでも転職できるし辞めてもいい」という感覚を持てるのは今後の仕事人生でもプラスになると思う。
もし学生の方でこれを読んでいる人がいたらこれが一番伝えたいことかもしれない。
以上です。
正直最後のほうは多くの人参考になるものではなかったかもしれないが、こういう人もいるんだよということで同じように悩んでいる人の参考や助けになったのならうれしいです。
友達おらん独居老人なので久しく忘れてる感覚だけど、人としゃべりたい人はそろそろ限界だろうね。
色々犠牲にして時間稼ぎしても、国がお気持ちだけ語って稼いだ時間を全部ドブに捨てちゃうのがばれてるから、自分だけ我慢するのもアホらしいだろう。
https://note.com/cchan1110/n/n5527a515fba2
ホームレスとデートの記事を、素直に批判できる人達が羨ましい。
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私の父はホームレスだと思う。
20年以上、私は父と会っていないので、詳しい状況は知らない。
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電話の向こうで何か言い争っている声が聞こえる。
私は、ついに音信不通の父に見つかったのかと思い、背筋に冷たいものが走った。
少し時間が空いてから、母から連絡があった。母の認知症の友人が何か勘違いをして母の携帯を取り上げようとしたとかなんとか言っていた。大変そうではあったが、父は関係していなかったので、ほっとした。
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多分、今の私は何の問題もない。
結婚して子どももいて、共働きだけれど世帯年収はそれなりにある。コロナ禍で仕事は減ったが、当面はリストラをそれほど心配しなくていい。子ども達は素直で賢くて自主性があり、心身ともに健康そうだ。
それでも、時々、言いようもない不安に襲われる。
父が私の生活を壊しにくるのではないかとの恐れを抱きながら常に生きている。
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少し前に、母のところに父から連絡が入ったと言っていた。父が母の連絡先を知っているというのに驚いた。
父が私の連絡先を執拗に書き出そうとしたらしく、絶対に教えるな、教えるようだったら私は母と縁を切ると伝えた。
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子どもの頃のわが家は、父のせいでめちゃくちゃだった。
常に金がなく、いろんなものを諦めるのが当然で、父と母の喧嘩は絶えなかった。
毎晩、父が帰ってこないでほしい、交通事故に遭って死んでくれたらいいのにと祈っていた。問題のない家庭の子どもが健やかに寝ている時間に、私は父母の喧嘩の声を聞きながら、父の死を祈っていた。
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毎晩、母は父に夕食を作っていた。それを食べるために父は家に帰ってきた。
どうして母は父のためにご飯を作れたんだろう?
妻としての役目と信じ切っていたから?
母は離婚という考えがずっとなかったらしく、私の感覚からするとアタオカだ。
子どもの頃、私が父の悪口をいうと、母から烈火のごとく怒られた。夫婦って気持ち悪い。
父の母(私の祖母)は学校の先生をしていた。学校の先生をしていても、自分の子どもの教育には失敗する。
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今、思い返すとかなりひどい環境であった。
でも、子どもに残せるのは教育だけという母の方針により、県外の旧帝大であれば行ってよいと言われた。それだけが子どもの私にとっては希望だった。
私は塾にも行かなかった。参考書を買ったり模試を受けたり大学受験するお金がなかったので学校に隠れてバイトをしていた(バイト代を父から隠すのも必死だった)。
よくがんばったと思う。もともと受験勉強に向いている頭であったのと、高校が予備校のような対策をしてくれるところであったので助かった。
大学に入り、実家から離れた後の人生は特に大きな問題はない。奨学金を二ヶ所からもらえたのはありがたかった。
人並みに恋愛をしたり失恋したり、就活に失敗したり成功したりした。問題が生じても、それは人に相談できる問題ばかりだ。
自分の人生を自分でハンドリングできている、普通の人生を送れていると嬉しく思う。
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それでも、父が我が家を発見したら、そこで私の人生はおしまいだ。
私の配偶者は私の父のことを知らない。離婚される可能性は高い。
そして、自分の中にあるクズな部分を感じると、私の中にも父の血が流れていると実感し、父から逃れることはできないとも思う。
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私はホームレスを軽蔑している。理解できないではなく、そこまで行く前に立ち直るタイミングを全部捨ててきた無気力な存在にみえる。彼らの周りには数多の彼らに裏切られ、人生をめちゃくちゃにされた人たちがいるんだろう。
ホームレスとのデートを異世界探訪のように楽しめる人生が羨ましい。彼女はホームレスの人生を、一つもリアリティのあるものとして理解できないんだろう。いいなあ。心の底から羨ましい。
そして、それを差別的だと、正義感をもって批判できる人達も羨ましい。自分もホームレスになる可能性があるとか言える人間は、本当に自分や身内がホームレスになるなんて思っていないからこそ言えるんだ。私はそんなことを口に出すと、本当にそうなりそうで恐ろしくて言えない。
私は一生、釜ヶ崎には近づかない。
キーボードと同じだよ。あっというまにブラインドタッチができるようになるよ。
他の増田が言っているように基本は7音(の間の音)のループだから、最初に座る位置さえ「いつも」と同じにすれば同じ感覚で体を動かせばいいだけ。
そもそもオタクの定義なんて、無い。二人称がそれであったぐらいの由来だ。
人が理解できないものに情熱を傾けつつ、それを疑問に思ってないほど偏愛してるのがオタクだ。
そのうち、狭義のオタクは、その趣味が仮にそこまで深く好きではなくてもキモいものであることだ。(誰でも読む漫画は除外。わざわざ録画して見ないと見れない≒一般人には縁のない 深夜アニメや同人的なもの。ゲームも家庭用で遊べる一般向け以外のゲームを好きな人)
が、オタクという存在が市民権獲得しつつ、一般人でもオタク用コンテンツに振れやすくなった。(ネットや配信サイトなどのあれで)
で、今分断が起きてる。
い)平成前期~中期をオタクをして過ごした人間と、オタクとして過ごさなかったがオタクの存在をしってる人間のオタク観ってのと、
(い)は、オタクは圧倒的にキモいが圧倒的に凄いというのを肌で経験してる。ので軽々しくオタクとは名乗れない(一部それを知りつつ、昨今のオタクライト化ムーブメントに乗っかってオタク自称してるおっさん多いが、そいつらは、一番最悪。)
(ろ)は時代が変わっていくんだなーっていう。誰も悪くないただ時の流れがそうさせたものだ。
旧来の狭義のオタクにこだわっていると、今世の中で使われているオタクという言葉の温度にもやもやするが、若者が若者同士でオタクという単語を使っていてそれが自分の感覚と違うというのでは、時代に取り残されているという判断にしかならないだろうよ
帰りが遅くなり、20時を超えたら普段はベンチで休んでる人が数人いるくらいの都心の小さな公園に50人以上の人がいて酒を飲んだり、話し込んだりしていた。
地元の駅にも繁華街があるし、外のベンチで飲んでいるグループはいるが、地元ではこんなにも多くの人が外で飲んでいるのは見たことがない。とても驚いた。
駅の周りに沢山の人たちがいて「こんな時間に何の行列なんだ」と驚いたのだが、よく見ると並んでいるわけではなかった。
道の端にスペースをとって立ち呑みをしている集団が(鴨川の恋人たのように)ずっと続いていて、それが長い行列のように見えたのだ。
駅には100人弱くらいの人がいた。
これは感染も収まるわけはないと思う反面、この1年で多くの人が感じたことは「ほとんどの人は身の回りの家族や友人が重症化したり死んだりもしていない、感染する人は見かけるようになったが珍しいくらいの頻度」というものだ。
これは新型コロナを軽視しているわけではなく、指数関数的な感染増加をなんとか防いできた成果といえる。
だが、その結果として「こんな程度なら友人と飲みに行くくらいはいいだろう」という気持ちになる人も多いのだろう。
一年も我慢してきて、身の回りでは被害がほぼ出ていなければ我慢させ続けることか難しくなっていくことは想像できる。
ほぼ在宅で引きこもって仕事をしてきた身としてはとても驚いたが、ここまできたらもう皆に我慢してもらうことで去年のような成果を継続することは不可能なのではないかという気持ちにさせられた。
もう限界なのかもしれない。
運が良ければ、また感染の増加をある程度のところで抑えてグラフの上がったり下がったりを繰り返しながらワクチンのデリバリーを待つことができるかもしれないが……
実効再生算数が一定以上になりブレーキをかけられないほど感染の増加率が加速したら、身の回りの家族や友人が重症化したり死んだりすることも珍しくなくなってしまう。
増加を抑え込むことができた去年のような状況は継続できそうもない。
最近、また「ペースが上がって指数関数的に増え続けてブレーキが効かない状態になる」ということが理解できない人たちが増えたように思う。
やはり一年経過して「まあ増えてもこんなもんか」という感覚が出来上がってしまったからだろう。
市民の意識レベルを高めての行動抑制はもう限界に来ている、これは仕方ないことなんじゃないだろうか。
かといって、いますぐ強制力をもった規制をすることもできないだろう。いますぐ爆発的に沢山の人が死んでいるわけでもないからだ(規制すべきだという意見を否定しているわけではなく、いますぐ政府や自治体にその判断をさせるのは難しいだろうという意味だ)
写真って、未来に対して記録を残す手段という感じなので、10年ぐらい持つだけじゃ不十分という感覚は分かる
一方で、定期的に次のカードを買って焼けば持つじゃんという気持ちもある(自分が死んだ後にその作業をやってくれる他人がいるかとかそういう問題はあるか)
ほとんどコロナ出てない地方都市で、知り合い誰もコロナ感染者がいない場所に住んでると、この辺は一応はコロナあるんだろうけど比較的安全地帯という感覚がある
東京や大阪は、行くだけでコロナに感染してしまうような、腐海みたいな場所ってイメージがある
実際は感染者の人口比率はどの都道府県もめちゃくちゃ差があるってわけじゃないみたいだし、この感覚は間違ってるというのは知っている
風の谷の民より
こちら地方都市で、コロナは毎日県で2桁は出てるみたいだけど3桁は程遠い地域
地元のイオンもよく混んでて、建前上の対策はやってるけど本気の対策は誰もしてないようなところ
日朝の某女児アニメの影響で、娘が某海獣に興味を持ち、その実物が見たいというようになった
日本では本州の中央付近にある人口少なめの県の水族館のみでしかその海獣は見られない
うちの娘はYouTubeしか興味ない無気力少女で、地方都市在住でそんなに文化資本に恵まれないこともあり、こういうことを言い出したら即座にかなえてやりたいと思っている
で、小1に上がったばかりの娘を、興味が消えないうちになるべく早くT水族館に連れて行ってあげたいのだ
しかし、うちからだとどうしても某有名知事がいる府を通過していかなきゃいけないわけで、しかも最短で行くには乗り換えもその府でしなきゃいけない
隣の府やもう少し東の県で乗り換えるという方法もあるが、それで安全性があがるのかは正直わからん
関東や関西のコロナ患者爆発地域在住の方の感覚で言えばこれは論外というのはわかっているのよ
でも地方都市から地方都市への旅行だし、肌感覚で言えばコロナなんかテレビの中だけの話題というのが正直なところ
地方都市民ならみんなわかる通り、仕事の出張とかはみんな普通にやってるし、転勤とかも普通にあるよね
僕自身、コロナ流行ってのこの1年で3回は東京含む大都市圏へ出張したし、妹も転勤で住む場所ちょこちょこ変わってる
でもまあ、普通に気を付けてささっと用事済ませたら滅多に感染なんかしないよね
万が一感染したとしたら、仕事での出張で感染なら周囲の目は許すけど、娯楽の旅行での感染なら周囲の目が厳しかろう、というのが唯一の懸念だ
でもまあ、結局は行けないんだろうね
あー、娘に見せてやりたいなあ
毎回有馬記念のダントツビリを回避できず、感覚で適当にやっても無理だと悟った。
一位は無理だとしても先頭集団に食い込むくらいはやりたいんだがどうすりゃいいんだろうか。
芝と長距離Gをなんとかしなきゃ駄目なのか。
って判断できなくねえか?俺はできないから未だにその感覚が分かんねえ
例えうっすらオチの予想がついたとしても自分の予想のつく範囲より更に上を行く結末が待ってるかもしれねえとは思わないのか?
俺は映画好きだけど映画通ってわけではないからそういう期待をしてしまう
もちろん外れることが多くて予想通りのよくある結末を迎えることが多いけど、時々信じられないぐらい裏切られる時もある(良い意味でも悪い意味でも)
あとクソつまんな映画でもセットとか演出とか音楽とか俳優が好きだったり
考察巡らせたり、あまりにもバカ映画の時はもう小学3年生の気持ちで「なんかすごい」と思いながら見てる
けど全部結局楽しんで見てるし、サブスクもアマプラとネトフリ入って見てるしディズニーも検討中
サブスクの普及で飛ばしながら倍速で見たりとか、Youtubeでネタバレ動画見たりとかそれ全然楽しくなくない?と思ってしまう
自分も何がしかの趣味的なことを積み上げて何かを成すという憧れがある
自分は続けるどころかまず始められない
始めたところで一人では継続もできない
それはさておき、一芸で何者かに…っていうの、よくある夢のテンプレだよなあ
どの辺でこういう感覚ができたんだろう