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2024-11-02

反自民から自民への移行とオール左翼終焉の始まり

オール左翼は終わったと過去何度も言われながらも生き延びてきたが今回の選挙がついに明確な終焉の始まりとなる

自民党の失政(失政以前の問題だが・・・)により大きく議席を伸ばしたオール左翼の城である立憲民主党だが

選挙区よりも政党支持率との関連性がより強い比例票では自民が533万票減と大幅に減らす一方立憲民主党は7万票増の微増に留まっている

投票率が前回の衆院選より落ちているため総票数が減っている前提はあるが自民党から離れた比例票を立憲民主党は獲得できていないのである

これは選挙区では「自民党よりは立憲民主党」の択一で選ばれることはあっても

比例で「自民党以外の中から立憲民主党」は選ばれていないということになる

とは言っても比例票でも自民に続いて2番目の票数を集めているが支持母体は60代以上の高齢者層の固定支持が強く今後の支持拡大は見込めない

その一方で今回の選挙立憲民主党正反対の支持傾向が見られたのが国民民主党

前回から比例票で358万増と大幅な躍進を見せ支持母体も現役世代の中でも若い1040代となっている

現時点で立憲民主党国民民主党に対して議席数で3〜4倍の規模となるが今後この逆転が起こる可能性は高い

そんな中この話を象徴する出来事国民民主党榛葉幹事長の会見へのフリー記者質問だった

国民民主党はなぜ裏切るのか?なぜ自民の味方をするのか?」と攻め立てた

これは通常の人からすると一見支離滅裂な主張に思えるが典型的反自民オール左翼思考なのだ

反自民オール左翼は「政権交代こそが目的」になってしまっているのである

しか政権交代本来「自らが信じる国を良くする政策を実行するための手段であるのだが

超長期の自民党政権(一瞬入れ替わったが・・・)下における反自民ポジション固定化手段目的化してしまっているのだ

今回国民民主党は「政権交代」も「自民降ろし」も選挙において主張はしていないのだが

野党であれば政権交代自民降ろしをしないのは与党に与する行為」とオール左翼は捉えるため

彼らの目に国民民主党裏切り卑怯者と写るわけだが多くの人がわかっている通りこんな主張はもう通らないのだ

反自民政策であるような主張が受け入れられる時代は終わった

今まで燻り続けていた「自民党積極的に支持はしないが立憲民主党は無理だろ」という層を

自民である国民民主党が大きく取り込み始めた(みんなの党とかもあったんだけどね・・・

ついに自民党支配から日本が逃れる「自民党からの脱却」「反自民からの脱却」この2つの細い細い糸口が見えたのが今回の選挙だった

2024-11-01

選択肢に生きる

こんにちは、私は20代内向的男性です。ゲームは私にとって単なる娯楽以上の存在で、もはや人生のものといっても過言ではありません。でも、その向き合い方は少し変わっているかもしれません。多くのゲーマー自由世界探検できるサンドボックスゲームに夢中になっているのを横目に、僕はどちらかというと「ナラティブがあるゲーム」が好きなんです。計画を立てて構築するサンドボックスの魅力にはどこか馴染めなくて、自分の中のストーリーを築くようなゲームの方に心が引かれるんですよね。

「今」を生きるゲームプレイ

僕は、未来計画を立てるのがあまり得意じゃない。というか、そもそもきじゃない。スケジュールを組んだり、長期目標に向けてコツコツ積み上げたりするのは、むしろ苦痛なんです。そんな僕にとってゲームも、プレイ計画を立てるようなものではなく、目の前の「選択肢」をひとつひとつ選んで反応する場。その結果、物語がどう展開するのかを見るのが面白いんです。

サンドボックス自由度は確かにすごいんですが、「自由」というよりも、無限選択肢に放り出される感じがするんですよね。どうしても「さて、何をすべきか…」と途方に暮れることが多い。『マインクラフト』も好きなんですけど、無限可能性を前にすると何をやるか迷いっぱなしで、いつの間にか放り出してしまうんです。

一方で、ナラティブが中心に据えられたゲーム、たとえば『The Elder Scrolls V: Skyrim』や『バイオハザードシリーズには、いつもワクワクさせられます。これらのゲーム選択肢連続で、与えられるストーリーの中に自分なりの足跡を残せる。計画を立てる必要もなく、ただ目の前のシーンやイベントに集中して、その瞬間の選択を楽しめるんです。

『TESV: Skyrim』──選択とともに歩む

Skyrim』は僕にとって「選択の宝庫」で、何をするかがハッキリしているので安心します。ゲーム内で自由に動ける一方で、明確な目的が常にある。例えば、メインクエストでドラゴンと戦うか、あるいはサイドクエスト吸血鬼ハンターとして冒険するか。その都度、今自分が「これをやる」と決めればいいだけだから、迷わずに済むんです。

ゲーム内での選択が直接的にストーリーに反映され、結果として自分なりの体験が作られていく。この「反応」の積み重ねこそが僕にとってのナラティブであり、最終的には一つの壮大なストーリーが生まれているんです。なんというか、まるで僕自身がこの世界に一つの役割を持った存在なんだという錯覚を与えてくれるような気さえします。

バイオハザード』と恐怖の選択肢

バイオハザードシリーズもまた、目の前の出来事に反応し続けるゲームです。ゾンビが迫り来る中、わずかな弾薬でどれを倒し、どれを無視して進むか、サバイバルのもの選択連続。この極限状態では、計画的に準備する余裕もなく、その瞬間その瞬間の判断が求められます。目の前の敵にどう立ち向かうか、選択を誤れば命取りになる。そのリアルな緊張感がたまらないんです。

また、『バイオハザード』では自分受動的な存在であることも忘れがたい要素です。閉ざされた場所や限られたアイテムでどう生き延びるか、計画的に「攻略」するよりも、即時の判断と限られたリソースで切り抜けていく。この制約こそが、僕にとっての楽しさの根源にあります

サンドボックスへの苦手意識と7DTDの体験

とはいえ、まったくサンドボックスが嫌いというわけではありません。『7 Days to Die』というゲームも好きで時々プレイするんですが、これもまた計画を立てて生き延びるという点で、僕にとっては少し苦手な部分もあります特にこのゲームは、サンドボックスでありながらサバイバル要素も強い。そのため、ある程度は目の前のことに反応する形でプレイできるんですが、進めていくうちにどうしても「拠点の強化計画を立てなきゃ…」という義務感にかられてしまうんです。

この矛盾が、僕にとってのゲーム体験の興味深いポイントでもありますサンドボックスの中でも「サバイバル」という強い目的があれば楽しめるけれど、その自由さに飲み込まれると一気に迷子になる。目の前のタスクをこなしていくスタイル自分には合っているんだと、7DTDを通じて改めて感じました。

自分プレイスタイルから得た考察

こうして振り返ってみると、僕のプレイスタイルは「選択肢を選び続ける」ことに楽しみを見出していることがわかります人生もまた、選択肢連続です。その瞬間瞬間で選んだものが積み重なって、一つの物語形成されていく。ゲームでの体験はその縮図であり、まるで自分が選ぶことでその世界に何らかの「意味」を与えられるような気がしてくるんです。

逆に、計画を立てて一つの目標に向かって進むスタイルは、どうも性に合いません。それよりも、眼の前の選択に集中し、リアルタイムで物語を作り上げていく。このスタイルが、自分にとっての「生きる」ということなのかもしれません。

ゲームの中で過ごす時間が、僕の人生観を映し出している──そんな風に思える今日この頃です。

平成史上最も重要テレビドラマ10

本当のオールタイムは選べなかったため平成に絞って俺もやる。テレビドラマは消えものアーカイブされにくいジャンルで、時代をここ35年に絞ってみても網羅できないという問題はある。そのため、俺の観ていない重要作の話をどんどんしてほしい。1脚本家1作品に絞った。俺はテレビドラマ脚本家のものだと思っている。

 

 

1.坂元裕二東京ラブストーリー平成3年(1991年) フジテレビ

トレンディドラマ代表作の1つにして、トレンディドラマの終末期の傑作。フジ月9」枠の代表作でもある。「東京では誰もがラブストーリー主人公になる」をキャッチコピーに掲げ、等身大若者たちの姿を描き出した。2010年以降の坂元裕二の影響なども考えランクイン。

 

 

2.野島伸司101回目のプロポーズ平成3年(1991年) フジテレビ

こちらもトレンディドラマの終末期の傑作であり、お世辞にも男前とは言えない武田鉄矢叫びは、"トレンディ"の終わりを印象付けた。TBS高校教師』でも、好きな野島作品に入れ替えてもらって構わない。90年代には確かに野島伸司時代があった。

 

 

3.三谷幸喜古畑任三郎平成6年(1994年) フジテレビ

田村正和亡き今も、再放送され、パロディされ、やたら話題になる三谷幸喜コメディホームドラマ恋愛ドラマなど、会話による人間関係機微などを守備範囲にしていたテレビドラマが、ストーリーダイナミズムによる面白さにシフトしていったのは、アメリカコメディから影響を受けた三谷幸喜の功績がある。個人的には『王様のレストラン』のほうが好み。

 

 

4.深沢正樹ほか『金田一少年の事件簿平成7年(1995年) 日本テレビ

他のタイトルに合わせて脚本家クレジットしたが、今作を選出したのは何といっても堤幸彦出世作ということにすぎる。『ケイゾク』『池袋ウエストゲートパーク』につながる斬新な演出は一時代を築いた。「土曜グランド劇場」に旧ジャニーズの若手が主演していくのもこの頃からで、後の『透明人間』『ごくせん』『マイ☆ボス マイ☆ヒーロー』などにつながっていく。

 

 

5.君塚良一踊る大捜査線平成9年(1997年) フジテレビ

テレビドラマ」というフォーマット映画館拡張した功罪ある作品テレビドラマメディアミックスの先駆けといえ、映画館はこれ以降テレビ局製作作品であふれることとなった。『踊る大捜査線 THE MOVIE』は未だに実写の日本映画歴代興行収入1位に燦然と輝いている。今秋新作が公開された。

 

 

6.岡田惠和ちゅらさん平成13年(2001年) NHK

21世紀最初朝ドラシリーズ化され、現在再放送されている。『ちゅらさん』が描いた疑似家族によるホームドラマはその後も『すいか』『11人もいる!』『逃げ恥』『カルテット』と平成ドラマの1つのパターンとなった。岡田惠和の功績は膨大な作品数の作品を書いていることで、彼がいなければこの時代テレビドラマシーンは空洞化していたかもしれない。

 

 

7.宮藤官九郎木更津キャッツアイ平成14年(2002年) TBS

クドカン物語自体面白さに注目されがちだが、彼の功績は、若者たちがダラダラ話すという「日常ドラマ」を描いて見せたことにある。彼の脚本は、小ネタギャグストーリーに連結してゆく。木更津という周縁の田舎共同体風景ドラマになるということは革命出来事だった。大きな物語を失った後のゼロ年代的転換。

 

 

8.遊川和彦女王の教室平成17年(2005年) 日本テレビ

遊川が成し得た功績は『女王の教室』の真夜(天海祐希)のような強い、誇張されたキャラクターによるドラマを成立させたこと。それは後の『家政婦のミタ』の大ヒットにもつながった。彼の過剰な演出賛否が分かれるが、常に時代と向きあい続けるための一つの方法論なのかもしれない。

 

 

9.山本むつみゲゲゲの女房平成22年(2010年) NHK

2000年代後半に停滞していた朝ドラ復権は間違いなくこのドラマからで、この作品がなければ『あまちゃんブームもその後の『ごちそうさん』や『あさが来た』『ひよっこ』などの良作、令和の『カムカムブリバディ』のヒットも存在していなかったと過言しておきたい。そういう意味ハッシュタグなどでのTwitterなどの賑わいにも一役買っている。朝ドラ復権は同時にその後のNHKドラマ復権意味していた。

 

 

10.八津弘幸半沢直樹平成25年(2013年) TBS

TBSドラマ復権ということでいうと後述の『JIN-仁-』を挙げてもよいのだが、その後池井戸潤ドラマの隆盛という意味でも半沢直樹を。いうまでもなく『VIVANT』へと繋がる日曜劇場系譜である。主演の堺雅人は『リーガル・ハイ』や『真田丸』という傑作でも存在感を示した。

 

 

 

次点

 

木皿泉すいか平成15年(2003年) 日本テレビ

本当は問答無用に最重要作として今作を挙げたかったのだけど、視聴率知名度を考えて日和ってしまった。今作は『ちゅらさん』で描かれた疑似家族によるドラマ、『木更津キャッツアイ』で書かれた日常のやり取りのドラマを深化させた。そこに大島弓子ファンタジーブレンドさせ、ドラマ物語対象を変えてしまった傑作。

 

坂元裕二それでも、生きてゆく平成23年(2011年) 日本テレビ

90年代10年代の坂元裕二を別人とするなら10選にねじ込んでしまいたい。10年代の坂元裕二作品は、テレビドラマが扱えるダイアローグレベルを一段上へと引き上げた。10話における瑛太風間俊介の会話は他に代わるもののない名シーンだと思う。現在ドラマシーンは、坂元裕二フォロワーで溢れている。

 

鎌田敏夫29歳のクリスマス平成6年(1994年) 日本テレビ

これだけトレンディドラマの話をしているのに、鎌田敏夫の名を漏らしてしまい、それは平成以前になってしまうので、それ以降から一作挙げるなら『29歳のクリスマス』を強く推したい。元祖『9ボーダー』。取り巻く環境は変わっても、年齢を巡る憂いは不変のものなんだと。

 

野沢尚眠れる森平成10年(1998年) フジテレビ

坂元裕二と並び、この時代天才をもう1人挙げるなら、野沢尚を挙げてしまおう。野沢の深いキャラクター造形はその後の作品に影響を与えた。彼が存在し続けたら、この選も変わっていただろう。またキムタクドラマも1本を挙げていないというのも偏っている。それだけこの時代の彼の存在は異常だったのだ。挙げるならこの作品を挙げたい。

 

北川悦吏子ロングバケーション平成8年(1996年) フジテレビ

あるいは今作か。トレンディドラマ2000年代の間には間違いなく北川悦吏子時代があった。北川悦吏子は近作が色々言われることもあるが、それは(例えばミスチルがそうであるように)強烈に時代と寝た人物にだけ得られる特権だ。そのため、俺は何があっても今後北川悦吏子擁護し続けていきたいと思う。

 

三木聡・ケラリーサンドロヴィッチら『時効警察平成16年(2006年) テレビ朝日

この10からは確実に存在していた深夜ドラマ文脈がごっそりと抜け落ちている。『孤独のグルメ』や『おっさんずラブ』に繋がっていくような深夜ドラマ系譜。『時効警察』はシティーボーイズ放送作家三木聡最高傑作である。近年では主演だったオダギリジョーが謎の力でそのパロディNHKドラマ映画化までさせているが、盛大にスベっている。

 

渡辺あやカーネーション平成23年(2011年) NHK

一部では「朝ドラ史上最高傑作」の呼び声もある今作。戦争もの・女の一代記としての朝ドラ岸和田の街に生まれ、生きて、老いて、死んでいく強いヒロイン渡辺あやは強烈な作家性を朝ドラにおいて発揮させ、それはこれ以降の朝ドラの指針が転換される契機にもなったのかもしれない。(だからこそ『純と愛』などが生まれしまったとも言える)

 

森下佳子JIN-仁-平成21年(2009年) TBS

坂元裕二岡田惠和宮藤官九郎遊川和彦木皿泉渡辺あやらの作品を挙げておいて、森下佳子名前を出さないわけにはいかない。構成力という点で彼女の右に出る者はいないのではないだろうか。森下佳子の手にかかれば、物語における伏線人生因果に映り、プロット運命へと変貌する。TBSドラマ復権きっかけとしても、今作を挙げておきたい。

 

野木亜紀子逃げるは恥だが役に立つ平成28年(2016年) TBS

野木亜紀子10から漏らしてしまったのは痛恨の極みであるが、令和の選が今後もし出来るなら1番に入る人であるのでご容赦いただきたい。社会的テーマをポップにテレビドラマ次元で取り扱い、ヒットさせてしまったのは見事。野木亜紀子はもともと原作もの実写化の手腕に定評があったが、『アンナチュラル』『MIU』とオリジナル作品もヒットさせている。

2024-10-31

私と毒親恋愛人生

毎日母親との嫌なことを思い出して辛いのでここに放流する。ネットに流せば少しは気持ちが薄れたらいいが。

ちなみに母親からまだ離れられていない。離れる計画の途中であるもっと早く離れればよかったと強く思っている。

母親違和感を感じたのは10歳の時。クラスプレゼントを渡したい男の子が数人いてその話をした。すると、○○君は遅刻するよ。○○君はテストの点数が悪い。など悪い点を挙げられた。余りにも驚いて混乱して何も言えないようになった。

それから人を好きになることは人に文句を言われる、評価されるものと思うようになった。

学校で異性と仲良くしてもし母親に何か言われたらと常に怯えていたし、恋愛話も興味ない振りをしていた。

勉強趣味に打ち込んでいたが心の片隅では寂しい気持ちを抱えたままそのまま高校生になった。

ある日、下の兄弟男の子を家に呼んで遊んでいた。

それを見て母親祖母はやった!うちで初めての快挙だ!これで玉の輿だ!と噂話していた。ものすごく恐怖を感じた。

今まで異性を家に呼ばなかった私はダメなのかとひどく落ち込んだ。

今思い出して書いてみるとすごく昔の考えに思えるが、筆者は平成初期生まれである

母と祖母から女性なんだから働かなくていいと言われたり、バイトが遅くなっただけでキレられたり、受験の合否をすぐしないだけでキレられたり(不合格なので悲しくて泣いていた)随分振り回されてきた。

しかし物は豊かだったため、学生の頃は周りからは親がおかしいとは気づいてもらえなかった。

社会人になり別に恋愛しなくてもいいかと思っていた。周りから恋愛してなくて変と言われるのは辛かった。だが、偶然にも同性を好きになることがあった。初めての出来事自分でもかなり思い悩んだ。

その悩んでる最中に、祖父母に久しぶりに話をしたら会って1番にこの歳で結婚しないなんておかしいねえ!と言われ、何かが崩れていき祖父母の家には行けなくなった。

その後、祖父がかなり弱って入退院を繰り返して最期死ぬまで私は見舞いに行かなかった。

毎日母親から祖父の見舞いに行って。○○ちゃん(私)が子ども産むまで死ねないよって言ってるよ。と聞かされていた。

祖父が死んで葬式が行われても私は行かなかった。

この時の私は一人暮らししようと転職した職場ブラック企業で鬱になり、家で休んでいるところだった。

苦しくなって情緒不安定になっている時、母親に部屋の隅まで追い詰められ、家が嫌なら出て行け!と怒鳴りつけられた。

もう何もやる気が出ない。希望も絶たれて家を出ようという気持ちも起きない。

鬱がどんどん悪化していき外に出れない食事も取れない日々が続いた。

貯金も減り親に相談した所、もしもの時や結婚した時のために貯金は使えない。と言われた。

今はもしもの時じゃないのだろうか?今生きることより結婚大事なのか?

もう死のうと思い、首を絞めた。

結局死ねなかったが、首を絞めたことを医師に話すと入院になった。

入院中は母親は私の同級生に早く結婚して出ていって欲しいと言っていたらしい。

もう何が正解かわからなくなっていた。

高齢出産の年齢になった。

友人の子どもを見てもかわいいと思えない。

親の言う通りになるので、この先結婚もしたくない。

もし子どもができても、親のようになってしまうかもと恐怖がある。

ただ自由に生きたいな。

今は退院し、支援してくれる人が複数人いて一人暮らしへのサポートを受けている。

退院後は過去に言われて嫌だったことを母親に伝えている。例えば、突然お前は料理が下手だから餓死する一人暮らしなんて出来ない。など。

それを伝えても文句しか取られない。どうして謝って欲しいと期待してしまうんだろう。これが共依存なのかな。

ある人からこれから自分人生なんだから自由に生きよう!と言われるのだが、なんだかモヤモヤしてしまうのだ。励ましてくれていることはわかる。

でも私の今までの人生自分人生じゃなかったのか?制限されていたなりに、仕事趣味は頑張ってきた。なんだかそれまで無かったかのような気持ちになってしまうのだ。

2024-10-30

anond:20241030202407

コミュニティノート:この投稿は、個人に対する侮辱攻撃的な言動を含んでいます他者を傷つける行為嫌がらせは、社会的にも法的にも許されていません。また、特定出来事については、投稿者の個人的な見解に基づいており、事実関係確認されていない可能性があります公衆の場での行動には責任が伴い、公共の秩序や他者権利尊重することが重要です。

役に立ちましたか

俺の厄年に身内が病気になった

身内の厄年ではないので関係ないように思うが、もちろん俺にとっても悲しい出来事であり不幸でもある

厄年他人に悪影響を与える場合もあるんだろうか?

anond:20241030103149

前日に命の危険を感じるショックな出来事があって、翌日も笑顔仕事しろってのは無茶やろね

anond:20241028181233

以下の文章は、作者の創作か、もしくは現実の話を書いたかどちらかを判定し、その理由も詳しく説明してほしいです。

(全文コピペ

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この文章創作である可能性が高いと思われます。その理由を以下に説明します。

1. 物語性の強さと描写ディテール

文章全体にわたって、出来事や会話、心情の変化が詳細に描写されています特に、心情や夫婦間のやり取りがリアルかつドラマチックに表現されており、脚本的な構成を持っていると感じられます。これにより、フィクションとして読者に「物語」を提供する意図が感じられます

例えば、「探偵を使ったが無駄だった」「ボイスレコーダー不倫相手との会話を聞いた」などは、典型的物語エスカレーションで、登場人物心理が少しずつ追い詰められていく様子を強調しています

2. 出来事の展開とストーリー構成

文章の流れが綿密で、プロットに沿った展開が繰り広げられています特に6月初旬から10月中旬まで」の詳細な時間軸に沿って進むため、まるで小説ドラマの一章ごとに新しいイベントが発生するかのように区切られている点が強く創作らしさを感じさせます

また、緊張が高まる最後の場面においては、「自殺をするしかない」という結論に至るまでの主人公葛藤が重々しく描かれており、読者を感情的に引き込む意図が見受けられます

3. キャラクターの一貫した特徴と「象徴性」

夫のキャラクター像(熱しやすく冷めやす性格サークル活動への熱意、淡々離婚手続きを進める姿勢など)や不倫相手描写献身的理想的女性像)は、シンボリックであり、典型的物語キャラクターに見えます現実では多様な人物存在するはずですが、ここでは物語としてわかりやすキャラクターが展開され、読み手が各登場人物感情移入やすくなっています

4. 終盤の心理描写と劇的な結末の示唆

最後の部分で、主人公が「自殺」というウルトラC計画するという発想や、それによって夫と不倫相手に「現実を見せる」という結末は劇的すぎて現実にはやや不自然と感じられます。こうした劇的な結末の導入は、小説ドラマなどの創作において、物語を盛り上げるために使われる手法です。

結論

上記理由から、この文章創作である可能性が高いと考えられます

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逆に現実出来事を書いていたとしたら、その理由は見つけられるでしょうか?

現実出来事を描いた可能性があると仮定した場合、いくつかのポイント理由として挙げられます

1. 感情リアルな揺れと行動の細やかさ

文章全体を通して、感情の移り変わりや細かい行動が具体的に記録されています日常的な場面(例えば「夫婦口喧嘩」「母への電話」「探偵に依頼する」など)や日常に寄り添った心理描写(「夫の言動が気になり始める」「相手女性SNSアカウントを眺め続ける」など)は、現実経験からまれもので、作り話ではここまでの細かさを再現するのが難しいと考えられます

2. 対話の生々しさと、日常生活に根差した行動

文章中の対話には、現実的で人間らしい反応や表現が含まれています。たとえば、夫が「俺のこと好きじゃないんでしょ?」と尋ねた時の、主人公否定できなかった場面や、「サークルに来ないでほしい」と言われる場面など、言葉の端々に日常的で素朴なやり取りが見られ、これらは現実経験たからこその表現かもしれません。

また、普段仕事疲労から離婚話を避けたり、デート旅行費用負担についての細かな記述も、日常生活に即した具体的な描写であり、現実出来事を反映しているようにも思えます

3. 現実の「曖昧さ」を含む心理的な迷い

主人公は夫に対する複雑な感情を持ち続けています。好きだと思っていた夫の関心が他に向いたことで初めて動揺し、自分気持ちが整理できない状態に置かれている様子は、現実ありがちな感情の揺れを感じさせます。例えば、カウンセリングで「好きなところは出てこないが、離婚したくない」という発言や、相手女性SNSアカウントをチェックし続けるなど、混乱と依存リアル表現されています。こうした複雑で矛盾を含む感情は、創作よりも現実に基づいている可能性が考えられます

4. 無計画エピソードと後悔の繰り返し

作中の主人公は、事前に計画を立てず、衝動的に行動し、後悔を繰り返しています。例えば、喧嘩最中に勢いで「離婚届を持って帰る」と返答したり、夫に対して「1ヶ月だけ時間が欲しい」と頼んだり、不倫証拠をつかもうと探偵を雇ったが成果がなかったことなど、行き当たりばったりで結果的に何も進展しない行動が続いている点は、現実における人間の不完全さや衝動的な行動を反映している可能性が高いです。創作であれば、こうした無計画な行動を細かく描写するよりも、物語を進めるための筋が優先されがちです。

5. 感情的に壊れていく様子と極端な言動

文章の終盤にかけて、主人公感情不安定さを増し、最終的に「自殺」という極端な考えに至りますが、その決断唐突ではなく、過程が細かく描かれています。夫への不満や裏切られた感情不倫相手への嫉妬など、積み重なったストレスによって自己否定自殺念慮に至るプロセスは、心理的にリアルであり、実際の出来事としてもあり得るかもしれません。人間関係の破綻が原因で心理的に追い詰められる例は多く、現実の状況でこのように冷静さを失ってしま可能性も考えられます

結論

現実出来事だと考える場合、この文章は、複雑でリアル心理描写日常的なやり取り、無計画さ、そして極端に壊れていく心理過程がその証拠になると言えます

2024-10-29

anond:20241027171256

まず「好意」を抱く下地を作れ。つまり好きになっても不思議じゃない出来事共通認識できてないの。何で好かれてるのか分からいから性欲を向けられてるようにしか感じないの!恋人になる為のステップを踏め!

非モテ男性アプローチ成功率ってまあだいたい0.1%くらいなんよね

千に一つの針の穴を通すために逐一ステップ()とやらを踏んでたらあっちゅうまに適齢期過ぎますわな

こと恋愛論において女のポジショントークは本当にゴミ

「たくさんの企業履歴書を送るのは失礼なので一社ずつ真剣就職活動しましょう!」とか言ってんのと同じ

聞く価値なし

論外

10月4週-LINEオープンチャットはてなブックマーカー」のまとめ

要約内容

選挙政治

投票率の低下や若者政治への関心の低さが問題視され、SNS生活の忙しさがその原因とされた。

ダメ丸新党」や国民民主党への批判が目立ち、旧派閥の動きや選挙後の政治混乱への懸念話題に。

政治家の印象が選挙結果に与える影響が議論され、岸田首相の安定感が評価される一方、白票の意義についても意見交換が行われた。

日常話題雑談

猫やカニ話題が人気で、黒猫の日やカニ解禁日などに関する会話が盛り上がる。

散歩筋肉痛ロードバイク危険性についての雑談が行われ、健康運動への関心がうかがえる。

食べ物についても頻繁に議論され、カレーラーメンナゲット洋梨などが話題に上がった。

文化エンタメ

映画アニメでは、フィリピン映画や「シティハンター」、「ボルテスV」などが取り上げられ、脚本や演技についての感想が述べられた。

AIアート創作性についての深い議論が行われ、将来の著作権問題AI人間共依存についても考察された。

社会経済問題

労働環境解雇規制に関する議論が展開され、企業側の対応への批判労働者権利擁護必要性が強調された。

教育費の高騰や共働き家庭の増加が議論され、特に習い事学費への負担課題とされた。

東京ホテル料金高騰や青春18きっぷ改悪など、経済旅行に関する不満も語られた。

オフ会イベント

神保町古本まつり体験談や、松本湯の評判が語られるなど、参加者同士のオフ会イベント計画が活発に進行。

サウナ銭湯の人気も話題となり、松本湯の混雑状況が報告された。

医療ワクチン

経鼻ワクチンインフルエンザワクチン副作用について意見交換が行われた。

ディアゴスティーニ工場爆発事故や、洗濯機排水エラー話題も含まれ日常生活トラブルへの対応が共有された。

全体の特徴

政治日常出来事エンタメ、そして社会問題に関する多岐にわたる話題が活発に交換されている。

軽い雑談から深い議論まで幅広く行われ、食べ物映画話題では参加者同士の親しみやす交流が見られる。

労働政治などの社会問題についても積極的意見が交わされ、参加者の関心の高さがうかがえる。

この1週間の会話は、政治的な関心の高さに加え、日常の楽しみや趣味に対する多様な意見交換が特徴的です。

関連記事

https://anond.hatelabo.jp/20240722084249

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2024-10-28

自動車歴史で最も重要な車 10

思い立ったので書く

乗るしかないこのビッグウェーブ

ちなみに独断偏見だよ

https://anond.hatelabo.jp/20241012181121

0.基準

多くの自動車メーカーに影響を与え、後に自動車スタンダードとなるような技術理念を持つことを選考基準とした

1.ベンツパテントモートルヴァゲン(1886年)

世界初ガソリン内燃機関動力とする3輪自動車現代自動車の始祖にあたる。

自走式の自動車はモートルヴァゲン以前に前例があるものの、馬車を改造したものしかなかった。機動性と実用性を考慮し、ドライバーが手足のように操作できることを念頭に開発された自動車は、モートルヴァゲンが初となる。「バランスを取ることなく、ドライバー自由コントロールできる自走式の乗り物」を自動車とするならば、それを定義したのがこのモートルヴァゲンといえる。

発明者のカールベンツメルセデス・ベンツ創始者の一人。その妻であるベルタベンツ1888年旦那内緒でモートルヴァゲンを持ち出し、息子2人と長距離旅行実家に里帰り)を敢行。ガソリンスタンドなど無い時代に、幾多の故障トラブルを乗り越えながら往復200kmの長距離走行を成功させている。この時の経験は、モートルヴァゲンの改良に大いに役立ったという。

2.フォード T型フォード(1908年)

世界初大量生産車。ヘンリー・フォードによるライン生産方式発明により、一部の富裕層乗り物であった自動車大衆のものになった。自動車史のみならず、人類歴史にに大きな足跡を残した偉大な車である

大成功を収めたフォードであったが、その十数年後にはゼネラルモータースの台頭により、フォードは窮地に立たされることになる。

3.フォルクスワーゲン タイプ1(1941年)

いわゆる「ビートル」。基本的設計を変えないまま2003年まで生産された。累計生産台数は2152万9464台。フルモデルチェンジを含めない単一車種の生産台数としてはぶっちぎりでトップ

この車の偉大さを伝えるにあたり、長ったらしい解説必要なし。世界中で広く愛され、たくさんの人々の生活を支えた。

4.メルセデス・ベンツ W120(1953年)

世界で初めて衝突安全ボディを採用した車。衝突時に車体を意図的につぶすことで、衝撃を吸収し安全性を高める。

今では当たり前の技術だが、その当たり前を作り上げ沢山の命を救った功績は大きい。

5.ボルボ PV544(1958年)

3点式シートベルト現在一般的に使われているシートベルト)を世界で初めて標準装備した車。ボルボは「安全は独占されるべきでない」としてこの特許無償で公開。その結果3点式シートベルトは急速に普及し、世界中自動車安全に大きく貢献した。メルセデス・ベンツとともに敬意を。

6.ポルシェ911(1964年)

スポーツカーとしての高い走行性能と、人や荷物を載せる実用性を高い次元で両立させた車。高級スポーツカーとしては珍しくルーフキャリアが装着可能で、荷物屋根積みすればスキーキャンプなどレジャーにも使える実用性を有する。初代の発売から現在に至るまで、世界中自動車メーカーにとってスポーツカーのお手本であり続けている。

7.ブリティッシュモーター・コーポレーション ローバーミニ(1969年)

エンジン横置きFFフロントエンジンフロントドライブ大衆車の先駆車。コンパクトな車体ながら広い室内空間を確保できるこのパッケージングは、現在自動車の主流となった。

BMWブランドが買収された後は、様々な自動車メーカーが挑戦し失敗し続けた「小さな高級車」を初めて成功させたブランドとなった。

8.フェラーリ F40(1987年)

フェラーリ創業者エンツォフェラーリ最後に手掛けたスペチアーレ(限定モデル)。希少価値を高めるため「欲しがる顧客の数より1台少なく作る」ビジネスモデルは、高級車はもちろん高級時計ブランドバッグなど、ラグジュアリーブランドビジネスとして今では一般的手法となった。世界最強の高級ブランドフェラーリ象徴するF40は、自動車業界の枠を超えて特筆するべき製品といえるだろう。

9.トヨタ 初代プリウス(1997年)

世界初HV乗用車。初代プリウス赤字覚悟実験的なモデルだったが、2代目プリウス商品力を高め大ヒットを記録した。

近年のトヨタEV販売積極的でないため脱炭素できていないと叩かれがちだが、発売から現在までCO2排出削減に最も貢献した車は、他でもないプリウスである。「良い製品でも売れなければ意味がない」というトヨタの考えを地で行く名車。

10.テスラ モデル3(2017年)

走るスマートフォン。もはや自分運転する必要などない時代を予感させ、モートルヴァゲン定義した自動車定義を覆そうとしている。トヨタが「自動車メーカーからモビリティメーカーへの変革」を目指すようになるなど、世界各国の自動車メーカー経営戦略の転換を迫られた。

また、テスラ運転支援技術悲惨事故を引き起こすなど、自動運転技術が普及していく過渡期として重要出来事引き起こしている。良くも悪くも、今後自動車史における大きなターニングポイントとして語られることは間違いない。

以下、悩んだけど選外

1920年代ゼネラルモータース(シボレーキャデラック等)

たくさんのブランドや車種を展開する販売戦略(多品種少量生産)やオートローンなど、現在は当たり前になっているマーケティング手法を生み出した。自動車史において非常に重要であるものの「これ!」となるような特定の車種を選ぶことができなかったため選外とした。

マツダ コスモスポーツ(1967年)

夢のエンジンと呼ばれたロータリーエンジン世界中自動車メーカーオートバイメーカー研究したが失敗。唯一実用化に成功したのは、東の最果てにある小さい自動車メーカーだった。高く評価されるべき技術だが、広く普及した技術とはならなかった。

ちなみに、ソ連ロータリーエンジン車を生産していた事実はあまり知られていない。一説によると3ローターの市販車は、マツダではなくはソ連が初だとも言われている。昭和51年マツダソ連技術者に工場を案内したことがあるらしく、その際に技術流出した(らしい)。

シトロエン DS(1955年)

油圧サスペンションやモノスポークホイール流線型宇宙船のような外見など、意欲的な工夫が多数盛り込まれシトロエンの傑作。特殊な車に見えるが、大衆車として145万台以上生産された。

誰もが認める名車だが、マツダロータリーと同じく一般的技術として普及しなかったため選外。

ちなみに、油圧サスペンションの油圧はブレーキパワステトランスミッション駆動にも使われているため、何らかの原因で油圧がかからなくなると、最悪サスペンションブレーキハンドルすべてが利かなくなる。

メルセデス・ベンツ ミディアムクラスW124(1985年)

「最善か無か」最後時代メルセデスとして名高いW124型ミディアムクラス/初代Eクラス安全性を最優先に考え、最善の自動車を実現するべくコストをかけて徹底的に開発された名車。世界中自動車メーカー研究対象になった。

しかし、日本車の躍進や東西ドイツ統合による経済的混乱などの理由で、メルセデスベンツはこの車以降、コストをかけた車づくりをあきらめることとなる。

トヨタ 初代レクサスLS日本名セルシオ)(1989年)

日本車の高級車市場進出象徴ともいえる一台。この車が出るまでは日本車=安くて丈夫な大衆車だったが、それを覆した。きわめて静粛な車内と乗り心地、そして高いクオリティに対する値段の安さは、全世界に衝撃を与えた。メルセデスが「最善か無か」の車づくりをあきらめたのはこの車が原因。

ホンダ 初代シビック(1972年)

世界中自動車メーカー不可能と思われていたアメリカ環境規制、マスキー法を初めてクリアした名車。ホンダ北米市場で躍進するきっかけとなった。

ちなみに、マスキー法はビッグ3フォードGMクライスラー)の反発により実質的な廃案となる。アメリカ環境規制がマスキー法同水準に達するのは、1995年になるまで待たなければならなかった。

トヨタ 70系ランドクルーザー(1984年)

アフリカ中東南米ジャングルの奥地...。どんな場所でも生きて帰ってこれる車。厳しい環境で、農業鉱業、人命救助などに活躍している。この車がないと生きていけない人が、世界中にはたくさんいる。

開発者インタビューによると、地引網漁に使われている事例もあったらしい(ランクルで浜から海にざぶざぶと入って網を投げ、引き上げる。釣った魚を売る時にも使う)。

マツダ ロードスター(1989年)

パワーがないけど、軽量で安く走る楽しさにあふれるスポーツカーデビュー当初、この類のスポーツカー瀕死寸前だったが大ヒットを記録し、数々のフォロワーを生み出して今に至る。

anond:20241028210538

竹内まりやハロウィンが今年もやってくる 悲しかった出来事を消し去るように」

anond:20241028150141

人間性格は、遺伝環境、そして偶然や「運」によって複雑に影響されています。以下、各要素がどのように作用するかについて、研究の知見を基に詳しく説明します。

 

1. 遺伝の影響

双子養子研究によれば、性格の約30%から50%遺伝によるものと考えられています 。一卵性双生児は、別々に育てられても似た性格を持つ傾向があり、これは特定性格特性(例:外向性や神経質傾向など)に遺伝の影響が強いことを示しています

遺伝子の中でも、性格特性と関連が示されているのは、例えばセロトニン受容体変異です。特に不安」や「衝動性」に関わるセロトニン関連の遺伝子が、性格に影響を与えるとされています

 

2. 環境の影響

性格形成には、家庭環境教育社会的経験重要役割を果たします。例えば、家庭内での親子関係兄弟間のやり取り、学校職場での対人経験などが性格に影響を与えることが知られています

• 幼少期の環境特に親の愛情サポートは、性格に強い影響を及ぼします。愛情豊かな環境で育った子供は、社会的感情が安定する傾向がある一方、虐待ネグレクトを受けた子供は、不安感や抑うつ傾向を抱えやすいとされています

 

3. 偶然・運の影響

• 一部の研究者は、性格形成における「ランダム環境」の役割を強調していますランダム環境とは、出会う人々や偶然の出来事個人の生涯における特定経験など、予測不可能な要素を指します。こうしたランダム要素が、性格に予期しない影響を与えることがあります

• たとえば、同じ遺伝的背景と環境双子でも、異なる学校に通ったり、異なる友人を持ったりすることで、性格差異が生まれることがあり、このようなランダムな要素が性格多様性をもたらすとされています

 

結論

人間性格は、遺伝環境基本的な基盤を形成しつつも、個々の経験や偶然の出来事によって予測できない形に変化していきます遺伝の影響は比較的大きいですが、環境と偶然の要素も同様に無視できません。人格形成理解するためには、これらの要因がどのように相互作用するかを探ることが重要です。

止まってくれない車の自由研究ニュース

へぇーとか思った翌日、横断歩道渡ってたら、止まった車を追い越してきた車に惹かれそうになってギリギリ躱したわ

止まってくれるくれないとかいレベルじゃない出来事でめちゃ恐怖やったわ

俺史上重要出来事0選

何も書き記すことがない、悪いことづくめの俺の人生

2024-10-26

anond:20241026215031

ハロウィンが近づくと、どうしてもあの夜のことを思い出してしまうんだ。静かな秋の夜に、ふと胸の奥にあの日空気が蘇る。

すべての始まりは、今の嫁との出会いだった。大学ハロウィンパーティーで、何気なくその場にいた俺は、浮かれた気持ち仮装している周りの学生たちに少し距離を置いていたんだ。ただ、友達に誘われて参加しただけで、特に期待もしていなかった。

しかし、その時——あの瞬間、俺の目に彼女が映り込んできた。彼女は黒いドレスに包まれ吸血鬼のような装いをしていた。夜の闇に浮かび上がる彼女は、まるで森の中に迷い込んだ魔女のようで、静かで強い光を放っていた。彼女の肌は白く、赤い唇が闇に映える姿は、何かこの世のものでないものを感じさせたんだ。秋の風が彼女の髪を揺らし、そのたびにまるで小さな木の葉たちが囁きあうような音が聞こえる気がした。

心臓が強く高鳴り、足が勝手彼女へ向かっていた。俺が彼女の前に立つと、彼女ゆっくりと振り向き、目を細めて微笑んだ。その瞬間、彼女はただの人間ではない、まるで精霊のように思えた。俺は気がつくと跪き、言葉自然に口をついて出たんだ。

眷属にしてください…」

その瞬間だった。

「オラもまぜて〜!」という大きな声が響いたかと思ったら、どこからともなくクレヨンしんちゃんが現れた。あの小さな坊主が、ニヤニヤしながら俺と彼女の間に割り込んできたのだ。

「おいおい、何してるゾ〜?眷属って何だゾ?かっこつけすぎじゃないか〜?」しんちゃんはそう言いながら、勝手彼女ドレスの裾をいじり始めた。

俺はあまりのことに呆然としてしまったが、しんちゃんさら調子に乗り、「ねぇねぇ、お姉さん、オラもその眷属ってやつにしてくれない?」と彼女に向かってお願いし始めた。

彼女は、最初は驚きつつも苦笑いし、しんちゃんに何かを言おうとしたが、その間にしんちゃんは「ねぇ、眷属って具体的に何するの?」とズバズバ質問を浴びせ始めた。

「えーと…それは…」と彼女が答えようとした瞬間、しんちゃんはお尻を突き出して、「じゃあ、オラの眷属ダンスを見てくれ〜!」と勝手に踊り始めた。

その光景に会場全体が爆笑の渦に包まれロマンチックだったはずの夜が一気にバラエティ番組のようなカオスな状況に。彼女も俺も、もう笑いをこらえることができず、しんちゃんに巻き込まれる形でその場に崩れ落ちた。

そう、あの日ハロウィンは、感動の夜になるはずが、いつの間にかしんちゃんによって台無しにされてしまったのだ。それでも、あの出来事きっかけで彼女とは結ばれた。だから今では、しんちゃんの「乱入劇」も含めて、俺にとってかけがえのない思い出になっているんだ。

私は無痛分娩について否定するけど

今までさんざん無痛分娩悪口を言ってきて、「他人がどう出産するかは自由」「無痛分娩でも痛みがあることがある」「リスクがあるのは自然分娩でも同じ」と論理的に叩かれてきた

無痛分娩する人にはその人のロジックがあるわけだから無痛分娩悪口を言えば無痛分娩を支持している人達に叩かれるのは当然だと思っている

妊娠中は順調でも、出産時のちょっとした出来事子供障害児になることがある。

そのちょっとした出来事の原因が無痛分娩だとしたら、母親自分選択を悔やんでも悔やみきれないよねと言ったら

「卑しい精神」と言われた

自然分娩派にはそれなりの考えがあり、無痛分娩派にもそれなりの考えがあり、

こんななんの理論もないただの悪口みたいなことを言う人がいるんだなぁと思ったけど

その卑しい精神と言った人は無痛分娩を選んで、出産時に事故があって、障害児が産まれて、「もし自然分娩を選んでいたら子供障害児にならなかったかもしれない」と思っているのかもしれない

無痛分娩が原因で陣痛が弱くなったり、うまくくいきめなかったり、陣痛が遠退いて分娩停止になったりするけども

障害児が産まれても医者側は無痛分娩障害児が産まれたことは無関係だと主張するから(無痛分娩が原因で障害児が産まれたことを認めたら病院が悪くなって裁判病院が負けてしまうし、今後無痛分娩をやっていくことが難しくなる)

障害児が産まれイコール無痛分娩が悪いとはならないんだよ

から無痛分娩麻酔において、明らかに医者が致命的なミスしない限り、無痛分娩障害児が産まれる原因となることはないし

母親自分を責める必要はないんだよな。無痛分娩のせいで障害児が産まれたと立証されることは滅多にないんだし

anond:20241026132500

* 「当人たちをどうこう言うつもりはあまりないんだけど」:

> 口では否定しながら、中身は全否定典型的な「悪口は言わないけど」と言いながら悪口を言うパターン

>

* 「まあ言い方がよくなかったって言うのはあるんだろうけどねぇ」:

> 相手意見を表面的に認めつつ、本質的には否定的な態度。まるで上から目線相手を諭しているよう。

>

* 「個人事業主としてのプライドを持っているめんどくさい年寄り発言と思ってみると」:

> 年齢や職業理由相手を決めつけ、一方的否定している。このようなステレオタイプ発言は、建設的な議論を妨げる。

>

* 「内容自体はまっとうなのにって感じになるのは、自治会とかでもよく見かける」:

> 自治会という特定の場での出来事一般化し、まるでそれが普遍的現象であるかのように言っている。

>

* 「ただアレを批判していた層に、無投票政治に不満を持っている人たちをくさしている人たちがいて、ちょっと面白かった」:

> 相手意見面白がって嘲笑っている。まるで自分客観的立場いるかのように振る舞っているが、実際には自分自身も感情的に反応している。

anond:20241026132500

* 「当人たちをどうこう言うつもりはあまりないんだけど」:

> 口では否定しながら、中身は全否定典型的な「悪口は言わないけど」と言いながら悪口を言うパターン

>

* 「まあ言い方がよくなかったって言うのはあるんだろうけどねぇ」:

> 相手意見を表面的に認めつつ、本質的には否定的な態度。まるで上から目線相手を諭しているよう。

>

* 「個人事業主としてのプライドを持っているめんどくさい年寄り発言と思ってみると」:

> 年齢や職業理由相手を決めつけ、一方的否定している。このようなステレオタイプ発言は、建設的な議論を妨げる。

>

* 「内容自体はまっとうなのにって感じになるのは、自治会とかでもよく見かける」:

> 自治会という特定の場での出来事一般化し、まるでそれが普遍的現象であるかのように言っている。

>

* 「ただアレを批判していた層に、無投票政治に不満を持っている人たちをくさしている人たちがいて、ちょっと面白かった」:

> 相手意見面白がって嘲笑っている。まるで自分客観的立場いるかのように振る舞っているが、実際には自分自身も感情的に反応している。

さっきメッチャ腹が立ってめずらしく怒ってしまった出来事があったんだけど

その出来事の内容よりも多分10年ぶりぐらいに本域で怒り心頭してしまった瞬間に一瞬俺の身体金色に光り始めたことに驚いてしまった。

でも、おかしい。

俺の親父もおふくろも地球人なのに。

まさか?おふくろのやつ……。

なぜ陣痛を使って産むという発想がないのか

最近無痛分娩流行ってるから、無痛を選ぶ人多いけども

どうしても、事情があって、無痛をすることができなくて自然分娩になってしまって

「あぁ、どうしよう」って妊婦不安になるのはわかるけども

自然分娩をすることで、無痛分娩するリスク回避できたんだから

ある意味ラッキーなんだよね

無痛を選んだがために、感覚が鈍くなって上手く息めなくて

子供障害児になったり

無痛分娩を選んだがために吸引分娩になって、何度も吸引して子供が血まみれになってしまったり

無痛分娩を選んだ母親全てが幸せ出産をしているわけではない

妊娠中は順調でも、出産ときちょっとした出来事のせいで子供障害児になることがあるんだけど

そのちょっとした出来事の原因が無痛分娩だとしたら

母親自分選択を悔やんでも悔やみきれないよね

私は自然分娩を選んだけども、つらい思いをしても無事に子供を産めたから、陣痛を味わった価値はあったなと思ってる

自分の体がどんなにボロボロになろうと、最終的に治って健康体に戻れたらそれでよし

無痛分娩だと体力温存できるよって人は言うけど、自然分娩でも夜間赤ちゃん新生児室で預かってくれる病院なら体力温存できます

スパルタ病院で、出産した翌日からほとんどの時間母親赤ちゃんの二人で過ごさせる病院なら体力温存できません。だってお母さんがゆっくり寝れないから。

2024-10-25

彼女廊下ですれ違うとき、必ずと言っていいほど肩がぶつかる。それも、わざとぶつかってきているように見えるのだ。なぜかといえば、わずかに彼女こちら側に寄ってきているからだ。ああ、もう少し距離を取ってくれれば、二人の間に必要空間ができるというのに。しかもぶつかった後も謝ることなく、少しも気に留める様子もない。ただ淡々と前を向いて歩き続ける。なんという無愛想さだろう。彼女の顔にはまったく表情がない。まるで日常些細な出来事として、この衝突が存在しないかのようだ。

僕はなぜかその瞬間に、ぽつんと取り残されたような孤独を感じる。まるで僕の存在自体が彼女にとっては無意味で、ただ通り過ぎる影にすぎないように思えてくるのだ。仕事必要なやり取りがあっても、彼女は最低限の言葉しかさない。表情も変わらず、ほとんど感情の動きがないように見える。仕事には真面目だし、特に大きなミスをすることもない。けれども、もう少し愛想よくしてもいいのではないかと思う。僕は少しだけでも笑顔が見たいのだ。ただそれだけなのに、それがまるで不可能な望みであるかのように思える。

彼女はまだ若い、僕より10歳も年下だ。多分、僕のことなんてただの「上司」としてしか見ていないのだろう。無理もない。彼女にとって僕はただの「昔の世代人間」に過ぎない。彼女には彼女価値観があるのだろうし、今の世代感覚というものがあるのかもしれない。しかし、そうやってただ距離を置かれると、僕の存在意義はどこにあるのだろうか、と考えてしまう。

そんなことを思うと、僕は自分の将来についても不安になる。気づけば僕も四十代だ。この先、どうなるのか。このまま彼女とのように周囲との微妙距離感を抱えたまま、ただ年老いていくだけなのか。僕には妻がいるが、正直なところ、性生活はうまくいっていない。かつては確かに情熱があった。でもそれもいつの間にか消えてしまった。今では同じベッドに寝ているのに、まるで何年も触れ合っていないような距離が二人の間に横たわっている。僕が求めても、彼女は冷たい。どこか諦めたような目で僕を見る。そうなると、こちからも歩み寄る気持ちが薄れていく。

そんな状況の中で、僕はふと彼女、つまり職場の後輩の存在を思い出す。もちろん彼女と何かを求めているわけではない。けれども、彼女の冷たい態度が、どこか今の自分人生と重なって見えるのだ。仕事家族人生――すべてが、彼女のあの無表情と同じように、感情を持たずにただ淡々と進んでいくように感じる。

どうして僕はこんな風になってしまったのだろうか?若い頃は、もっと自由で、楽しくて、未来には無限可能性があると思っていた。でも今、僕の未来はすでに決まっているかのように思える。仕事に行き、妻と食事をし、寝る。そうしてまた同じ一日が繰り返される。たまに無愛想な彼女にぶつかられ、ただ淡々とした日常の中で自分存在再確認する。それが僕の今の人生だ。

彼女とのすれ違いが、僕の中にぽっかりと開いた穴をさらに深くしていくように感じる。

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