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2019-03-19

ニート

大学4年の後期、あと半年卒業できるというところで大学に行けなくなった。

ゼミで上手く発表ができない。課題がこなせない。意識が高いゼミだったが向上心が持てず、何もかも辛かった。

あとバイトも行けなくなった。要領が悪くて仕事が上手くこなせない。あと雑談とかもできない。自分趣味以外のものに興味が持てないし、人間の顔を覚えるのも苦手。どこに行っても人間関係を上手に築くことができない。

それで全部から逃げた。最悪だな。

それから半年精神科カウンセリングに通いつつほぼ引きこもりのような状態で過ごした。

私はADHDASDを併発しているらしい。

ADHD治療をして元気になれればよかったんですけど、原因がわかったからといって急に元気になれるわけないし、自分が急に普通の方が普通にできる普通人間になれるわけじゃない。

自分は要領が悪くて人付き合いが出来なくて空気も読めなくて仕事も出来ないクズなんだなぁという気持ちが増すだけである

親はなんとか卒業してもらいたいらしくて、半年休学することを勧められた。

だって大学にずっと払ったお金無駄にしたくなかったので、

半年休むことで大学でがんばろ〜!なんてなるとは思えない。休学中にバイトしないとな、と思いながらも怖い。満足に仕事も出来ず人と話せない奴が働ける場所なんてあるわけない。

そんなんで社会に出れるわけないし別にどうしても身を立てたい理由もないしなんで生きてんだろ。生きる事にコストばかりがかかる。

2019-03-15

anond:20190315145929

金子勇って誰だか知ってる? 東大教授やぞ。

そいつとある危険セキュリティソフト」についての講義なんやかんやゼミまで開いて勉強会してたのな。

んで、その東大教授自体は「危険セキュリティソフト」がそこそこ危険犯罪性もあることを認知しながら生徒とかにも色々教えてたらしいんだけれど、態度は一貫して「悪いことはしたらアカンねんぞ」だったらしいぞ。

その後ツーチャンネルっていう掲示板では悪態ついてることがバレてタイーホされてるけど。

2019-03-11

企業ESを書いていたのだが、指示を読んでいるだけでげんなりしたので書いておく。

あなた学業において最も力を入れたことについて、どのようなことを課題として考え、どのような行動を起こしたのか具体的に教えてください」みたいな。

いわゆるガクチカ学業限定バージョン(もちろん、この設問をコピペしてちょっと書き換えたみたいな感じの設問が続く)だ。


こういうのって普通あなた学業において最も力を入れたことについて教えてください」って書くのが普通だと思うんだけど、めちゃくちゃロジカル説明することを求めてくる書式だとどうしても「当てはめて書くこと」が最優先になる。

学生に対して具体的に書くように促さないと人事の人が困る、という理由があるとしても、私はこういう書式を見ると戸惑ってしまう。


世の中の学生はこんなにロジカルに考えて行動しているのだろうか。

こういう書式のESを書いているといつも思うのだけれど、ESを書くことによって自分の行動動機を作り出している(もっと言うなら「ねつ造している」)っていう側面は否定できないと思っている。

自分はどんな風に行動した?どんな風にその時感じ、何に問題意識をもったのか?

それらが全て気まぐれだったとは言わないが、少なくとも私はかなりの率で「やらなきゃいけないと思ったからやった」という原理だけで動いている。

そんな私は16性格診断でINFP-A/P(「仲介者」;自分信条に基づいて行動する人)である

例えばゼミ議論リードしてきたことだったら、教授から直接意見を聞ける貴重な機会を無駄にしたくなかったということ、そしてゼミで学べることはちゃんと身に着けたいという思いがあったから、かなり真面目に取り組んできたと自負している。

そういう動機はもちろん嘘ではない。嘘ではないのだけれど、本当にそうだったか?ということを自分に問い直すと、正直なところ「ゼミ内で女王様のごとく振る舞っているキラキラ女子に負けたくなかった」というのが一番の動機だった。ガリ勉陰キャ思考回路じゃん。これ正直に書いたら絶対落とされる。

証明写真からして既に陰キャなのに、これ以上「コミュニケーションできない(コミュニケーションをとろうと努力できない)陰キャ」という付加情報をつけてどうする。

今日若い人は『成長』を頑張りすぎている」っていうような趣旨ブログを2記事ほど読んだから、余計にこういうことに敏感になってしまっているかもしれない。

就活生に限った話ではないのだけれど、世の中の人は本当に「そんなに成長するの大好き!」と考えて、そして「成長するために」と、合理的に考えて行動するものなの?

私は全然合理的になんて動けない。いつも気まぐれだ。だってバカから

…と、思考を停止している時点で察してほしい。私は合理的になんて行動できないし、行動するという選択肢脳内にない。


話をESに戻す。

ESの項目、とりわけガクチカに関しては「再現性があるかどうかを見ている」と言われるけど、自分の行動にそんなに再現性があるかというと微妙だ。

いや、はっきり言おう。ない。

強いて言うなら「気まぐれに動いている」ということになるが(この時点で会社勤めできない気配が既にする)私の脳内出張してきている某就職エージェントが「自分では『気まぐれに動いている』と思っているかもしれないけど、でも本当はちゃん理由があって動いているでしょう?それについて書いてください」と促してくる。

「本当は」ってなんだよ。ないよ!!!

こうして無理やり書式に当てはめて書き上げたESを見ながら、なんだかまるで自白みたいだなあと思うことがある。

本当は心にもなかったかもしれないことを、さも事実であるかのように差し出しているようで。

2019-03-08

anond:20190308063019

自分が進学する学部ゼミ教授菓子折り持って挨拶に行け。

大学教員だが、こんなこと不要。むしろこんなことをすると、今年ヤバい奴が入学して来た(悪い意味で)と話題になること間違いなし。

逆に菓子折りなどいらんから研究室見学したいです、研究の話を聞かしてくださいというなら大歓迎。

しかし、時間を取るのであれば、なぜうちに興味がもったの?どういうことに興味があるの?とこちから質問させてもらう)

まり、何が言いたいかというと、「ご挨拶のためのご挨拶」など、お互いにとって時間無駄

お互いの顔合わせのために入学オリエンテーションなどがあるわけで、

個別に顔をうっとくと後で得するみたいな行動を学生にされると全員が不幸になる。

anond:20190307220630

自分が進学する学部ゼミ教授菓子折り持って挨拶に行け。

余裕があれば入りたいサークルやらクラブも覗きに行け。

可愛らしい後輩がわざわざ足運んでくれて嫌な気するもんじゃないし、早いうちに顔見知りになっといた方が得。

2019-03-06

就活生に告ぐ》大学ジャーナリスト戯言なんてあてにするな

なんか大学ジャーナリストが、就活生の不安をムダに煽っている。どうせ自分の飯のタネ必死にこさえているのだろう。

https://news.yahoo.co.jp/byline/ishiwatarireiji/20190227-00116339/

あくまでも一般論であるが、就活に関するコラムで、作家ライターが書いたものを当てにするべきではない。

読むべきものは、日々現場採用に携わっている人か、少なくとも会社で働いている人が書いているものに限る。

なぜ大学ジャーナリストが、自分に「学生エントリーシート」を評価できるスキルがあると思いこんでいるのか理解に苦しむ。

就活生のエントリーシートがしょぼすぎる!」なんて煽ってるのは、自分Yahoo!個人アクセスに応じて原稿料をもらうためだ。就活生のことを本気で考えているわけではない。

特にこの人は、自分では就活に失敗しているし、会社でロクに働いたこともないし、なにしろ採用に携わったことがない。でも、態度のデカさだけでここまでやってきた。

まあ、自力で生き延びるようとしている人は、他人からとやかく言われる筋合いはない。ただ、弱いものを騙して生き延びようとする存在は、放置すべきではないだろう。

滑稽なのは「問:学生時代に頑張ったことは何ですか?(400字以内)」について、図々しく添削例を披露していることだ。

はっきりいうが、添削したものと元のものとでは、大した違いがない。元のもので通らなければ、添削のものでも通らない。

就活というのは、そんな片手間の手練手管で突破できるものではないのだ。なめてはいけない。

何が悪いのかというと、ネタの選定だ。ジャーナリストであっても編集者であっても、共通する認識がある。それは「ネタが8割」ということだ。9割、いや、すべてと言ってもいいかもしれない。

から添削で真っ先に指摘すべきは「私が大学時代に頑張ったことは委員会活動」では、ネタとしてまったく弱いということだ。

弱いネタしかないときは、どうするのか。

1つ目の対策は「強いネタ差し替える」ことだ。4年間を見渡し、本当に自分が力を入れたことを率直に振り返るしかない。

そのときに「学業バイト」という凡庸ものしか出てこなくても、落胆する必要はない。それは事実からだ。事実であれば、いかにも取ってつけたような「委員会活動」よりも、ずっと説得力がある。

できれば「学業」と「バイト」の中に、なにか興味をひいたものがあれば、その部分にズームインすればいい。

2つ目の対策は「弱いネタを組み合わせる」ことだ。弱いネタ1本で押し切ろうとしても、無理が出る。

だって、実際に委員会活動にばっかり力を入れたわけじゃないだろ? そんなもん、4年間の学生生活に使った全エネルギーの中で、3%にも満たないはずだ。

実務に携わらない作家ライターは、就活突破するための作り話で何とかなる、と勘違いしている。就活は、そんなに肩肘張って臨むものではないのと同時に、そんな風になめて臨むべきでもない。彼らは、そのさじ加減を理解していない。

から普通に、こう書けばいいのだ。

学生時代に力を入れたことは、学業が6割、バイトが4割くらいです。学業は専門のマーケティング勉強面白くなって、関係する選択科目も受講しました。ゼミ社会心理学の○○○○先生のところに入りました。大学に入って初めて知ったことが多く、まだまだ勉強が足りないと感じているので、これからもいろんな本を読んでいきたいです。バイト飲食接客運送などもやりましたが、自分に一番合っているのは家庭教師かなと思いました。できない子を伸ばすためには、時には辛抱強く待つ必要があると知ったのが一番学んだことです。あと、印象に残っているのは、1年と2年のとき体育会委員になってテニス講習会担当したことです。2年のときには副委員長になったのですが、参加者を増やすために募集期間を延長したり、プロ選手を呼んでメニューの魅力を高めたりして、前の年の1.5倍の参加者を集めたときには達成感がありました。」(393字)

かいところは勝手推敲すればいいけど、これが普通大学生の4年間なのではないのか。別に海外事件に巻き込まれたりしなくていい。悪いけど、そんな話はいくらでも聞きますから、もう飽きてます

そんなことが聞きたいのではない。こういった普通の話を聞きながら、この中で引っかかりがあれば、面接担当者が質問するので、そこでリアルな内情を打ち明ければいいのだ。

「なるほど。プロ選手を呼んだんだね」

「ええ。実はそのプロ選手というのが、○○さんで…」

「へえ、どうやってお願いしたの?」

みたいな話は、後でやればいい。

あ、もう晩酌時間だ。あとは君らに頼んだぞ。高名な大学ジャーナリストと、普通サラリーマンおっさん。どっちの方が信用できると思う?

2019-03-05

ゼミを移動することになった

だんだんゼミに顔を出せなくなってきて、このままじゃ留年だと思ってたけど、最低限のことをして、なんとか温情進級。

進級と同時にゼミを移動。

やった!

先生に追われることもないと思うと、安心して生活ができた。いや、薬を増量したからかもしれない。

でも研究内容がガラリと変わるから、どうしよう。

2019-02-25

会話という行為非対称性

この世の明るく社交的な人間のうち誰かひとりでもこの文章を読んでくれることを切に願う。

陽キャ匿名はてなとか読まないって言われたらそうですねとしか言いようがないけど……

私は根暗でいわゆるコミュ障大学生だ。基本的に平日は毎日授業に行く。中にはグループワークやチームプレゼンをする講義があったりして、その時はもちろん同じグループ学生と話し合う。ゼミにも出て教授研究について話したり他の学生と発表についてディスカッションしたりする。サークルに参加してメンバー活動内容について話すし雑談もする。バイト先でもレジ打ちだから基本は定型とはいえ普通に接客業をしている。

私は根暗コミュ障だが、一応他人と会話している。

会話しているのだが、そのとき私は「ここは会話する場だから」と心構えをして出てきているので会話が出来ている。グループワークもゼミサークルバイトも、人と人とが何かをする場所からえいやと気合を入れて他人と会話をしている。その延長で帰り道に雑談をするぐらいまでは頑張る。なるべく話を広げようと努力するし、趣味も合わない興味すらそそられない自慢話にも頑張って相槌を打つ。

でも、本当のところは根暗コミュ障なのでなるべく趣味も合わない他人とは話したくない。気合の入っていないときはでいさせてほしい。例えば朝電車に乗っているときとか。講義終わりの帰りに歩いているときとか。

なんで1人でいるときに話しかけてくるんだよ!!話しかけてくんなよ!!!

お前が話しかけてきたら答えなきゃいけないじゃん!!!話題も無いのに!!!シカトできないじゃん話しかけられたら!!!話弾まないのわかってるしそもそも気分じゃないから見えてない聞こえてないふりして素通りしたのになんで発見するんだよ!!!ほら話弾まなかったじゃねえか!!!しかもお前が話しかけてきたのになんでお前が黙るんだよ!!!なんで話題無いのに話しかけるんだよ!!!ほら気まずい!!!あと6駅この気まずいのやるわけ?!!!!つか私イヤホンしてたじゃん!!!音楽よりお前の方が優先されると思ってんの自信がすげえな!!!私お前と待ち合わせしてたか?!してねえだろうが!!!!ほっといてくれ!!!教室着くまでに人間と会話するための準備するから!!!今話しかけんな!!!死ね!!!今お前が死ねば会話しなくて済む!!!

これ最悪なのはしかけてきた側の「会話したい(話弾まない相手を捕まえてでも)」というワガママ一般的肯定されるのに私側の「人と会話したくねえ」を押し通したら白い目で見られることだよ。納得いかないこの非対称性

分かる、分かってるんだよどうやって趣味の合うやつ悩みの合うやつを探すのかって言ったら他人と会話するしかないんだよ。でもそれは気合の入ってる時にやらせてほしい。気力の無い時に一生懸命頑張らせないでほしい。そこまで四六時中血眼になって探さなければいけないならこれ以上新しい友達はいらないです。

社会人になったらそうはいかない?うるせええ!!!!!!!!!!!!!!!

他人ゲリラ的に会話を切り出すときは「例え相手一言も喋らなくても20分は保たせてみせる」という気概で話しかけてほしい。

今日も帰り道で「私今日はここに用事あるから〜」と言って話の弾まない知人を置いて途中の駅で降りてしまった。

2019-02-09

距離を置きたい同級生(たち)

大学生になってとにかく友達を作らなくてはと必死だった。入学してまず最初に話すのは基礎ゼミの人たちだったので、そこの女子と沢山話して一緒に行動するようになった。奇しくもその内の一人と入ったサークルが被り、ますます繋がりは強くなった。仮にSちゃんとする。

サークルは一応伏せるけど、規模30人くらい。全員で行動するのでも個人プレイでもなく、4~6人くらいの単位を作って一つの作品を作り上げるみたいなやつ。チームは複数持ってもよくて、人気のある人とか実力のある人は4、5個も持ってたりした。

Sちゃんと良好な関係を築いて良い学校生活を送ろう、と思っていた。

そこに所属し、最初の2ヶ月くらいでSちゃん違和感を覚えるようになった。まず悪口がとんでもなく多い。誇張じゃなく会話の8割を占めている。その悪口だって、例えば意地悪な人に理由無くいじめられているとかそういった同情できるものではない。

バイトリーダーに噛み付いたりふてぶてしい態度をとったら嫌われた、パワハラだ!」とか、「あいつはメンヘラっぽいしウザイって私のレーダーが反応したかシカトしてやった」とか、「あいつが気に食わないから画策してサークルから追い出してやろう!」といった、聞いててうんざりするようなもの

彼女はまんま「ふてぶてしい態度をとった」とかは言わないが、当時の会話をロールプレイ再現する癖があり、その様子を見ると「そんな表情、口調、態度で言ったの?そりゃ嫌われちゃうよね」となる。ちなみに「レーダーが反応した」に始まるレッテル貼りから個人を嫌うとか、「サークル追い出そう」は実際に言っていた。

たかが1年にそんなことできるかよ(追い出しの件)となるが、彼女のとった行動はその人を真正から攻撃しまくって嫌にさせて自主的サークルを止めさせるというものだった。いじめか。

次に、気に入った先輩への媚があった。

ちゃんが気に入る先輩の条件は

作品作りに関して才能があること

・甘えさせてくれること

作品作り以外の点(運営など)において有能であること

・言わなくても汲み取ってくれること

などがある。そして全て満たさなければならない。

これは彼女が言ってた。

さらにたぶん、イケメンであることも含まれる。「先輩先輩」と積極的に行く人を見てるとだいたいイケメンなのだ。その先輩に彼女がいてもお構いなしにグイグイ行く。媚び方は「イジり」で、おっぱいあてて誘惑みたいな漫画みたいなことはさすがにしてなかった。

「先輩出会い系使ってそうですよね!」

といったちょっと際どい系のネタを多用していじって遊ぶ。先輩は笑ってくれるので、同じネタを会う度繰り返す。そんな絡み方。

それがエスカレートして、十分に先輩の懐へ入り込んだら、「妹キャラ」を全面に押し出して甘える。「かまってかまって」と人目をはばからず言って、帽子をとったりフードをかぶせたり、鞄を勝手に開けたりして相手アクションを期待する。

めちゃめちゃ温厚な先輩が一度耐えかねて「おい!」と怒鳴ったことがある。それくらいにしつこい。

そういうのがあってだんだん「あれ、この子もしかしてやばいかもしれない」となり、入学当初のようにこの子もっと仲良くなりたい、一緒にいたいみたいなのは消えていった。

でも、基礎ゼミも一緒、サークルも一緒、とってる授業も一緒な中、「現状を変えずにSちゃんとだけ距離をこれ以上近づけないようにしたい」と欲張りセットしたためにむしろ距離が縮まっていくというスパイラルに陥った。

しかしまあ嫌なものは嫌で、というか距離が縮まった結果、ますますちゃんうんざりしてしまい、年明けごろには「友達との距離の置き方」を血走った目でググるようになった。

Sちゃんうんざりしたほかの例としては、

・「常識は」「普通に考えて」が口癖なこと

・↑のように自分の中の常識をおしつけてくること

・いつも自分の話か悪口ばかりで、ほかの話で盛り上がってる時も「ねえそれよりも私の推しがさあ」と割り込んでくること

・キョトンとした顔とアヒル口で「ふゆ?」とかいって首かしげるところ

ゲームに負けたら不機嫌になるところ

会議の場で感情的個人攻撃し出すところ

レッテル貼るところ

…なんかもうありすぎる。一度別の人に相談したところ「Sのこと嫌いすぎじゃん」と指摘されたけど、本当にその通りだ。

これでサークルさっぱりやめて距離を置けたらいいのだが。

やはり、私にはサークルに対する未練がめちゃくちゃある。正確にはサークルではなく、上記した4~6人でやるチームの1つに。

そこはとても刺激的で、今までやったことないことが出来て(酒とかタバコではない)、そして個人主義なので良い意味自由。このチームを失いたくないと思ってしまう。

ではインカレでやろう、となっても、ここでSちゃんが登場する。

私はSちゃんともチームを組んでるのだ。

こうなると、やめるならすべてのチームをきっぱり辞めないと苦しくなってくる。

ここにきて、Sちゃんをとことん嫌っておいて、縁を切りたくて仕方ないのにSちゃんがどう思うかを気にしてしまう私のチキンさよ。現状維持はいやだなあ。

話は少し変わって、タイトルの(たち)の部分。まあSちゃん周りの人間関係なんだけど。

基礎ゼミ女子は私含めて4人で行動することが多い。その内の一人、Qちゃんはフリだか本心だかは知らないがとにかくSちゃんを持ち上げ褒め称え、まるで家臣か何かのように振舞っている。

「私はS様の下僕でございます」といって何かにつけて奢ったりと奉仕したがる。SちゃんもSちゃん調子にのって、Qちゃんを誰かに紹介する時に「私の下僕です!」と言ったりしてる。

最初はいじめっ子気質のSちゃんに嫌われないように過剰防衛してるのかなと解釈してたんだけど、ある時私とQちゃんの2人きりでいる時にも「やっぱりSちゃんはすごいよね、素晴らしいよね」なんて言ったもんだからからなくなった。

少なくとも、私は今後一切、Sちゃんに関する悩みをQちゃんに言えないと感じた。

私はQちゃんとも距離を置きたいと感じるようになってしまった。

サークル内でもSちゃんを中心とした人間関係に嫌気がさしてきてる。Sちゃんは仲のいい2人の男子と共に、対面やTwitter内輪ノリの極地みたいな文化を作り上げ、それに人を巻き込んでいっている。この内輪ノリに楽しそうに混ざるメンツとも、距離を置きたくなってきている。

過剰なのかもしれない。

妥協すればいいのかもしれない。

案外いい人なのかも。

けれど、接したあとの疲労感が無視できないほどになってきてて、家に直帰したら本当に参ってしまいそうだから寄り道して心が落ち着いたら帰る日々が続いてる。

今は春休みだ。けれどチームの練習作品作りの都合上週に1回以上は皆と会うことになる。

サークルはどうしよう、やめようか。

いずれにせよ、早く進級したい。春休みでは事は動かせない。

2019-02-08

ちょうど10年前、職場コンピュータウィルスに襲われた。

一部システムサポート切れで対策必要アップデートができず

緊急停止したそのままに、運用終了することになった。

ユーザ最前線にいた自分は、家電量販店や街のショップ

現金を握って駆け込み、突貫で代替手段の構築にあたった。

機能的には甚だ不十分ながらも、何とかしようとしているという

姿勢だけは顕示できたと思う。

新年度には一応のシステムが用意できた。外部からサポート

契約できた。そしてそのまま、システム全般を引き受けることに

なった。壁一面のドキュメントを前に、必要なことは全部ここに

書いてありますから、の一言で、引き継ぎは終わった。

学科を立ち上げて2年目、シラバスの最低ラインは形にしたし

非常勤講師だけで授業をまわせるよう、大学ゼミとの提携

できていたが、そのまま自分フェイドアウトするというのは

随分と無責任に映っただろうと思う。特にもうひとりの先生には

無理に呼び込んで、立ち上げであれだけお世話になったのに、

本当に失礼なことをしたと、今も顔向けできない。

それから業務パソコンの入れ替えをした。半数は新規調達

残りの半数はメモリを足してOSを入れ替えて再出荷した。

ホコリアレルギーになったり、急に足の力が完全に抜け

何台もパソコンを抱えたままひっくり返ったりしたけれど

職場として初めての一斉更新を、まあ何とかやり切った。

5年後のリプレイスは、もう少し上手にやれたと思う。

あと3回やったら定年だな、などと嘯きながら、次の更新

ひとりでやるようなことなら辞めようなどと思っていた。

後任になるはずだった優秀な後輩もいたが、一段落してすぐ

業務に移り、その後、家庭の事情でやめてしまった。

半年後、また後任候補という、しかし随分若い後輩が来た。

欲のない、ボンヤリした感じだが、課題はしっかりこなす

大きく化ける可能性を秘めているようだったが、程なくして

また他業務に取られて行ってしまった。

2019-01-26

私と猫のお話

 子供のころは、家の方針ペットを飼うことはできませんでした。母曰く、「ペットは死んでしまうから悲しいかダメ」。子供心に残念でしたが、幸いにも友人がトラ猫を飼っておりたまに遊びに行っては撫でさせてもらうなどしていました。

 中学高校と進学するにつれ、猫と触れ合う時間は無くなっていきました。たまに野良は見かけるのですが、ほとんどの猫は荒々しく、遠くから警戒しているのが明らかだったので、近寄ることはありませんでした。

 大学進学のため一人暮らしを始めると、それこそ猫と触れ合う時間は皆無となってしまいました。当時の私は猫より犬派を自称しており、猫はあまたいる家畜一種しかないとうそぶいていました。

 そんなある日、半年ぶりに実家帰省すると黒猫がいました。玄関で一瞬だけ目が合い、すぐにドタバタと走り去り部屋の押し入れに飛び込む太ましい黒猫の後ろ姿を見て、私は思わず言ってしまいました。

 「おかあさん、ペット飼わないんじゃなかったの?」

 母は、マンション入口で鳴き声がうるさかっただの、やせていてみすぼらかっただの、餌を与えたら部屋に入り込んできただの言い訳がましく言っていましたが、先ほど見た後ろ姿は、どう見ても丸々と太るまでかわいがられた毛並みの良い黒猫です。本当にありがとうございました

 この猫、仮にイチゴ名前を付けましょう。イチゴは、人見知りする猫でした。帰省した日も含めて7日ほど滞在したのですが、結局押し入れから出て私の目の前に現れたのは最終日です。カリカリを食べている間だけ仕方ないなと撫でさせてくれる。そんな関係を構築して帰省は終わりました。

 大学に戻ると、母親から怒涛のようにイチゴ写真が送られてくるようになりました。これまで後ろめたかったのか我慢していたのでしょう。毎日のように送られてくる猫写真にさすがにあきれてしまったのですが、送られてきた写真スマホに保存しては日替わり待ち受けにしてしま自分も結局は同類でした。

 さらに数か月後、猫用のおもちゃ片手に帰省しました。イチゴと遊ぶ気満々だったのですが、こいつ、私の顔を覚えてねぇ。押し入れに飛び込んだままなかなか出てきません。やはり猫畜生かとつぶやいて、こたつに入ってテレビを見ていると、ふと背中視線を感じたような気がしました。振り向くと、押し入れから出てタンスの上にいるイチゴと目が合ってしまいました。

 いえ、違いますね。正確にはイチゴタンスの上から垂らした尻尾と目が合ってしまいました。そこから微妙心理戦が始まります基本的イチゴと目は合いません。テレビ見ていてふと気づくと、イチゴが部屋のいろいろな場所で後ろ向きに存在しているのです。私から近づくと逃げることがこれまでの経験からわかっているので、私も知らないふりをしています

 でも、トイレに行くために立ち上がった瞬間、ダッシュで押し入れに逃げるのは、傷つくのでやめてくれないかな。

 この神経戦は母が家事を終えてこたつに入ったところで終わります。こいつは母にはデロデロに甘えていやがります。母が首元なでるたびにゴロゴロ言っています。くやしいので、母の膝の上にいるイチゴに近づき、撫でさせてもらいました。あ、ちょっとゴロゴロ言っている気がします。

 母の仲介で少しだけ仲良くなったわけですが、次の日から少しずつ関係を深めていき、帰省の最終日には、「撫でれ!」という雰囲気で首をこすりつけてくるまでになりました。でもなんででしょうね。しばらく撫でていると、「へたくそ!」とガッと噛みつこうとしてくるの。フリなんでしょうが、びくっとしてしまます

 私とイチゴ関係は、母が送ってくる無数の猫写真と、帰省中のぎこちないふれあいが中心となりました。なお、帰省初日玄関押し入れダッシュからまり尻尾との挨拶そして撫でれガっ!という一連の流れは、何年たっても変わりませんでした。

 実際、イチゴはとても臆病な猫でした。母は飼い始めてからほとんど家の外に出したことがないようでした。一度ベランダに出したところ、車が通る音に驚いてオシッコもらしたよと母が笑い話をしているくらいですので、本当に臆病だったのでしょう。でも、家猫としてクッションの上でくつろぐ姿には貫禄すらあり、少なくとも家を出て半年に1回しか帰らない私よりは家の主の資格がありました。

 また、イチゴはもとよりそこそこ年寄りだったようです。写真をよく見ると頭の付近ちょっと毛が薄い部分があるのに気づいてしまい、母とちょっと笑ってしまったのを覚えています年寄り猫ですので、寒暖差にも年々弱くなっていきました。母は昔からクーラー嫌いで頑なにクーラーをつけなかったのですが、イチゴ真夏日にバテて病院に運び込まれから、部屋に最新のクーラーをつけると宣言したのです。驚きつつ、もちろん母のクーラー選びに付き合いましたよ。ええ。

 そんなある日、母から深刻そうな声で電話が来ました。イチゴ腎臓がよくないのですが、病院でもらった薬を飲むのをとても嫌がるとのこと。毎日飲ませないと死んでしまうのだけど、嫌がるのに無理やり飲ませ、無理やり生き延びさせるのは母自身自己満足なのではないかと母の声は暗く落ち込んでいました。

 そのとき、私はなんて答えたのでしょうか。正確には覚えてませんが、母親だけでなく、私もイチゴには生きてほしいと思うと答えたような気がします。母だけでなく私のわがままでもあると。結局、無理に飲ませることになりました。腎臓がよくないので大好きな煮干しも食べられなくなったイチゴ自身はどう思っていたのか、今でもわかりません。

 その後、1年ほど過ぎたでしょうか。母から短いメールが来ました。「イチゴが逃げた」

 たしか夕方ゼミ中だったと記憶していますメール見て、ゼミを抜け出し、母に電話をかけました。

 事情を聞くと、昼前に洗濯物を干すためにサッシを開けたところ、イチゴベランダに飛び出したようです。そのまま木を伝って降りて見えなくなってしまったと、すぐに外に出て探したのだけど全然見つからないと、途方に暮れているようでした。

 ごめん、すぐには帰れないと私は返事しました。そう返事したことを今でもはっきりと覚えています大学実家飛行機距離でしたし、卒業必要レポートの締め切り日も迫っていました。最終的に帰省したのは、電話から2週間後の土日になりました。そして、その間、母に電話メールもできませんでした。結局連絡せずに帰省し、母を驚かせることになりました。

 母は意外と元気でした。急な帰省で驚いてはいましたが、何のこだわりもなく温かく迎えてくれました。とはいえ、もちろん忘れたわけではありません。夜に二人で軽くお酒を飲みながら話をしました。

 近所に写真を持って聞いて回ったこと、首輪をしているか野良と間違えられることはないであろうこと、それでも見つからない可能性が高いこと、薬を飲んでいないので半分諦めていること、年寄り猫だったので覚悟していたこと、そして、悲しいけれど目の前で死なれることの悲しさと比べるとまだましであると気丈に話していました。

 次の日、私も母と一緒に近所を回りました。もちろん、見つかりませんでした。

 今私は就職し、一人暮らしをしていますしかし、ペットを飼うことは今後もないでしょう。母もペットを飼うことはないと断言しています。この前気づいたのですが、母のスマホの待ち受けが、先日生まれた姪っ子の写真になっていました。元気におばあさんをやっているみたいです。姪っ子にはおばあさんと呼ばせず、下の名前で呼ばせるつもりのようです。

 私も、姉から送られてきた姪っ子の写真を待ち受けにしました。今度、姉の家に遊びに行く予定です。もちろん私も下の名前で呼ばせるつもりです。

 スマホの中のイチゴ写真は、日々増えていくたくさんの写真に押されて奥へ奥へと流れていきます。だから私は、今日ネット上でかわいい画像あさります特に太めの黒猫大好物です。

2019-01-22

人生仕切り直したい

24男子大学院生修論もほぼ書けてもうすぐ卒業内定もある。学歴初任給だけ見れば相当いい方だと思う。けれど、大学6年間ですっかり心をやられてしまって、とてもじゃないが働ける気がしない。寝ても覚めても不愉快趣味もろくに楽しめない生活を送ってる。自分語りして整理すれば仕切り直せるかなと思って書くことにした。

高校までは田舎優等生やってた。学校の成績はいつも1位で、生徒会長やったりもして、不満はほとんどなかった。地頭はなくて数学の難しい問題は苦手だったけど、勉強はやっただけ成果が出たから、つらいと思ったことはほとんどなかった。今思うとどうしてあんなに勉強やれてたのか分からないし、「勉強しない」っていう選択肢を知らなかっただけなんだろうな。親や先生が褒めてくれるのが気持ちよくて望まれるがままに勉強してた。大学入試も難なくクリアして、いわゆる難関大学情報系に進んだ。情報系を選んだのは、ブログ運営で少し触ったプログラミングがなんとなく面白そうだったから。当時はニュースビッグデータがもてはやされていて職に困ることもなさそうだった。

大学1年目、高校の延長で真面目に勉強してたら自然と上のほうにいた。だけど、自分の周りでは、小学生からプログラミングやってて課題で褒められるやつとか、やたらレポートの内容が濃くて授業中に取り上げられるやつとか、無難試験問題が解けるだけじゃない化け物がより目立っててかなり焦った。当時はまだギラギラしてたから、すぐにプログラミング入門書とか買って自分勉強した。幸い自学する力はあったから、大学から始めた人の中では頭ふたつ分くらい抜きん出たと思う。Twitter自分勉強した内容とか発信してかなりイキってた。ただ、自分プログラミング勉強していくのは結構しんどくて、月に何日かとにかく不快で何も手につかない日があった。自分はなんて頭が悪いんだろうとか、どうしてプログラミングを楽しめないんだろうとか、そういうことをぐるぐる考えてた。

大学2年目、先輩に誘われて一緒に小さなプロジェクトをやることになった。プロジェクト過程で、プログラミング能力の低さとTwitterでイキてったのをめちゃめちゃに叩かれて人格がかなり矯正された。不健康気味だったメンタルが更に脆くなって自信とか自尊心がなくなったけど、プログラミング能力はすごく伸びたし、なによりあのままTwitter井の中の蛙やってたらと思うとゾッとするし、トータルでは感謝してる。とはいえ、そのプロジェクトやってる間は大変だった。深夜にやってた萌えアニメを録画して起きてる間ずっとリピート再生したりしてた。今なら絶対に続けられないけど、当時は「つらいことをやめる」っていう選択肢を知らなかった。

大学3年目、自信を失ったなりに必死勉強した。優秀な人の真似をしてみたり、流行りの技術に手をつけてみたり、自分の興味は二の次でひたすら迷走した。見かねた先輩に「君、意志ある?」と言われたのは今でも鮮明に覚えてる。意志はなかった。それでも、とにかく自信を取り戻したくて、別に面白くもないことを無理やり勉強し続けた。もちろん、当時は面白いと思い込んで勉強していたわけだけど。

大学4年目、研究室に配属され快進撃が始まる。たぶん人生で一番賢い時期だったと思う。きっかけはゼミの輪読。準備のために全部の定理証明したり順序立てて説明する練習をしていたら一気に賢くなった。学校先生がしきりに言っていた「論理的思考」がどういうことなのか分かって、頭の使い方が変わった。自分が急速に成長するのがわかって、すごく嬉しくて、それまでやっていたプログラミングを全部捨てて研究にのめり込んだ。指導教員聡明な優しい方で、目の付けどころが良いと褒めてくれて更に研究が進んだ。今になって振り返ると、別に研究対象が面白かったわけではなかったと思う。一般に上手くできることは面白いし、人に褒められたら気持ち良い。ただそれだけのことだったけど、寸暇を惜しんで研究をした。眠りにつく直前まで研究のことを考えて、良いアイデアを思いついたら飛び起きてメモした。

年が明けて1月卒論は早々に完成させた。同期が卒論執筆でひいひい言ってるのを横目に、ひとりヨーロッパに飛び、トップカンファレンスポスター発表コンペで2位をもらった。賞金の300ドルiPad Pro を買う足しにした。日本に戻ると、すぐに国際学会に出すための論文を書き始めた。1か月ちょっと毎日10時間くらい研究室にこもって論文を書き続けた。2月末には30ページの英語フルペーパーが出来上がって、それがトップカンファレンスに一発で通った。割と流行りの分野だったし、近い内容の論文が同時にアクセプトされたりしていて、巡り合わせが良かったのだと思う。それでも十分に異常な成果だったし、このあたりでもう博士課程に進むことになるんだろうなと考えていた。

大学院1年目、アクセプトされた論文の諸手続きや発表準備をしながら次の研究テーマを探した。博士号をもらうには更に2本国学会論文を通す必要があって、1本目の論文技術的にも精神的にも指導教員依存していた自覚があったから、次のテーマ自分の力で見出したかった。指導教員からもしばらく迷走しなさいと言われた。たぶんここが分岐点で、ここで手厚い指導をお願いしていたら何か変わっていたかもしれない。当時の自分は、博士号取得に向けたアドバンテージを得たのを良いことに、時間たっぷり使って自力研究テーマを探そうと思った。手始めにここ30年くらいの関連研究を根こそぎリストアップしてひたすら読んだ。研究テーマを見つける最短経路ではなかったけど、一人前の研究者になるには歴史を知る必要があると思った。たぶんこれが大学生活最大のミスで、大して面白いとも思ってないくせに、何十ページもある論文をいくつもいくつも読み続けた。少しずつ、論文を読むのに飽きて、研究テーマをまとめる期限がせまって、メンタルがやられていった。

翌年2月下宿クローゼットに大きな穴が空いた。もう1文字論文を読みたくない、研究テーマもろくにまとまらない、どうしたら良いんだって頭を抱えて家にこもってるところに、知り合いかしょうもない説教めいたメッセージが届いて目の前が真っ白になった。机を目一杯殴って立ち上がって、自分が座ってたゴツいオフィスチェアーをクローゼットめがけてぶん投げた。木が割れるすごい音がして、クローゼットに人の顔くらいの穴が空いた。そうするしか自分を守る方法は無かったと思うけど、引越しのことを思うと気が重い。そこまで追い詰められても、まだ教員相談しなかった。初期の成果が異次元すぎて、それに見合う研究者にならなければいけないと思っていた。

大学院2年目の5月自力学振申請書を書き上げた。めぼしい研究から無理やり話を広げてそれらしい展望でっち上げた。内心、その研究面白いとも有力な結果に結び付くとも思っていなかったけど、とにかく研究の段階を前に進めないと精神がもたなかった。指導教員コメントをもらいながら、5000字くらいある申請書を10回書き直した。申請書を書いた後は、修士論文の影もちらついていたから、申請書に書いてある内容に沿って研究を進めることにした。もともと愛着情熱もないテーマなのに、行き詰まって、読みたくもない論文を読み込んで、理論改善して、というのを繰り返す日々が続いた。折れた足で無理やり走っているような気がした。足の骨を折ったことはないけれど。

8月、ようやく研究が形になってきて指導教員ミーティングをした。それまでも月に1、2回は簡単ミーティングはしていたけど、理論も含めてしっかりと方針説明するのは初めてだった。自分メモを前に映して30分話して、色々と質問された後、この方針は厳しいねというような話が始まった。先行研究の流れを十分に汲んでおらず眉唾モノとのことで、一番近い先行研究改善する方針提案してもらった。教員からすれば僕の研究はいわば初稿、それを足がかりにして研究を広げれば良いと思って話をするのは当然だけど、僕からすると1年半の集大成が30分で水の泡になったわけで、たぶん致命傷だったと思う。事態の原因が自分研究の進め方にあったことは理解していたし、現実問題として修士論文を書かなければいけないので、そこから2週間くらいは騙し騙し提案してもらった研究を続けた。

8月末のある朝、起きたら研究をやめていた。あの朝の感覚説明するのはすごく難しいのだけど、とにかく、自分の中の何かが壊れて研究をやめていた。研究をしたくてもできないなんてレベルの話ではなくて、きれいさっぱり研究をやめていた。研究をしなくてもなんとも思わないし、すごく不思議感覚だった。そこから10月まで毎日ゲームをした。あんなに遊んだのは人生で初めてだった。途中、指導教員に「もう研究できません」といったメールを書いたところ、とても優しく対応してくださった。返信の言葉は適切でとても暖かく、もう数ヶ月早く同じ言葉を聞いていればさぞ励みになっただろうと思いながらゲームをした。成果にも指導教員にも恵まれていたし、とても貴重な機会を棒に振ったなと思った。

10月、指導教員ミーティングをした。1ヶ月半ゲームをして療養したので、もしかしたら研究ができるかもしれない、という淡い期待を持って臨んだ。8月わずかな進捗とその後の顛末を報告して、全く新しい研究テーマでやってみましょうということになった。参考文献を教えてもらって読み始めたが、アブストを半分過ぎたあたりで胃腸ギリギリ痛んで吐きそうになった。指導教員に「もう無理です、すみません」と泣きついて1本目の成果で修士論文を書くことを許してもらった。その後、就活をして内定をもらった。大学での成果を振り回して精一杯の虚勢をはったので、さぞ優秀な学生に見えたと思う。会社内定と同じくらいの時期に、学振内定通知も届いた。申請書に書いた展望はまるっと没になっているが、一体どんな素質を見出されたのだろう。

そうして今に至る。研究ではそれぐらいの挫折はよくあることだよ、とも言われたけど、それを乗り越えられるほどの情熱や興味はなかった。というか、乗り越えて平気な顔で研究を続ける人の方が狂ってると思う。努力は夢中に勝てないというやつ。何か夢中になれるもの出会いたいと思うけど、何かに夢中になりたいって言いながら年を取るんだと思う。何をやったとしても、上達するにはどこかで自分に負荷をかけて頑張らないといけない。そこで夢中でいるための気力を大学の6年間で全部使い果たしてしまった感じがする。つらいことや興味のないことを頑張りすぎた。

社会に出て働くわけだし、流石に関連技術勉強しなければと思うのだけど、ひたすらつまらない。以前の自分なら、会社評価されそうな技術を喜んで勉強したと思うのだけど、そういうギラギラした熱意は失われてしまった。たぶん研究に全部持っていかれた。どの分野もどの技術もつまらない。物事の細部や深い意味に立ち入りたいという欲求が一切湧いてこない。自分知的好奇心の乏しい人間であることを痛感する。この状態で働き始めて、仕事を続けられる気がしない。毎日少しずつ自分が衰えていくのが分かってとても怖い。何か努力をしなければと思うけど、何をしてもつまらなくて30分ともたない。何も努力していないから、手放しで遊ぶこともできない。人生どん詰まり状態。早く仕切り直したい。

友人(存命)の部屋に行ったら遺書があった

先日、一人の友人の部屋に遊びに行った。便宜上、彼のことは〝彼〟と表記する。

〝彼〟とは中学生の頃からからもう8年来の付き合いになる。

初めて会った時から変なやつだとは思っていた。ろくに授業も聞かず、学校部活もサボってばかりいる割にテストの点だけは良くて、ラノベ主人公みたいだという印象があった。

帰り道が同じ方向なので、僕はしょっちゅう〝彼〟と一緒に帰っていた。話してみれば面白いやつだった。僕も根は真面目ではなかったので、〝彼〟とは仲良くやることができた。

進んだ高校は別々だったが、もう一人別の友人を交え、僕たちは三人でことあるごとに集まった。

いつも遊ぶ場所は僕の家だったが、ある時〝彼〟の家に遊びにいく機会があった。

〝彼〟の家はすごく辺鄙な立地で、信じられないくらい細い路地を進んだ袋小路の先にあった。

外観はゴミ屋敷だった。銭湯下駄箱とか、シーサーみたいな動物の置物とか、そんなもんどこで拾ってくるんだよと尋ねたくなるようなゴミで溢れかえっていた。

内装バカの家だった。玄関のドアを開けるとまず真っ先にバカみたいなサイズ水槽の中に入った故の知れぬナマズみたいな魚と、明らかに飼い主の手に余っている気性の荒い大型犬が三頭出迎えてくれた。当然床はゴミであふれていて足の踏み場もない。大量の段ボール箱とか、いつ食ったのかもわからないコンビニ弁当のガラとか、とにかく生活感のあふれるゴミがわんさか転がっていた。あと窓ガラス割れていて、ビニールテープで雑に補修してあった。

多分〝彼〟のご両親は頭がおかしいんだろうなと思った。先生の話を聞かないのも、一番身近な大人ちゃらんぽらんから敬うことを知らないせいだろうと思った。

のちに聞くと、彼の父はDV常習犯躁鬱病患者、母はそんな夫を見限ってまだ幼い息子二人と娘(〝彼〟には二歳下の妹と六つ上の兄がいた)を放って家を出て行ったのだとか。本当に両親揃ってダメ人間だった。

現在、〝彼〟のTwitterアカウントFF比が3くらいあって、2000人くらいフォロワーがいた。投稿内容はアルファツイッタラーもどき気持ち悪いツイートであふれていた。マッシュ頭に丸メガネというテンプレート通りの外見の自撮り投稿して囲いのメンヘラ女を喜ばせたり、学問の話をして身内と盛り上がったりしていた。

あと〝彼〟は常に病んでいた。メンヘラというより厭世主義者で、誰かにかまってほしいから病んだふりをしているというより、本質的に狂っているような感じがあった。なにが面白いのかさっぱりわからない上に、なにか僕の感性根本的な部分が拒否反応を起こすので普段ミュートしている。

〝彼〟の感性普通ではない。太宰や芥川作品のような雰囲気を纏う芸術の類ばかりを愛で、普通恋愛とか、人間関係にはほとんど関心を示さなかった。恋人はいたし、その相手とは僕も交友があったが、やはりどこか壊れている女ばかりだった。援交でお金稼いでるとか、エロい自撮りを鍵もかけていないアカウントで上げているとか。

〝彼〟の感性普通ではないから、部屋で遺書を見つけた時もただの悪ふざけかと思った。だって遺書(これは常備のものなので私が死んでいない時には読まなくてよい)」とか書いてあるんだもの。けれど、悪ふざけにしては度が過ぎている。自殺する気があるのかどうかは知らないが(決してないとは言い切れない)、少なくとも常人よりは死を身近に感じているような雰囲気があった。

少し迷ったが〝彼〟は階下で僕と飲むためのお茶を用意してくれていたので、その隙に僕は勝手に内容を検めた。好奇心に負けた。

遺書封筒にすら入っておらず、B5のコピー用紙の片面に印刷されているだけで、その乱雑さも〝彼〟らしいと感じた。

中には男女1人ずつのフルネームと連絡先が記されていた。男は大学で同じゼミ所属している人間で、女は元恋人だった。男には〝彼〟のスマートフォンの完全な破壊を、女には引き出しに入っているという手書きメッセージを引き取るよう指示してあった。流石に女に宛てた手紙勝手に読むことは良心の呵責が許さなかったが、いったいどんな手紙を残したのだろうか。(すでに良心が〜とかどの口が言うんだ、くらいのことをしているとは自分でも思うが)

遺書は、ただの作業指示書だった。

〝彼〟は無駄なことをわざわざする人間ではない。誰にも発見されないかもしれないのに手の込んだネタを仕込むようなお茶目なやつでもない。

からあの遺書は多分、本気で書いたものなのだろう。本気で彼はスマホ破壊と、童貞を捨てた相手メッセージを伝えるくらいしか自分が死んだ後に望むことがないのだ。

言葉にし得ない虚しさがあった。育ちや環境に同情するには遠過ぎた。ただ、哀れに思った。

こんなことを考えるのは不遜にもほどがあるとは思う。人の遺書勝手に暴いてこんなところに晒しておいてケチをつけるとは何事だと、これを読んでいるあなたはきっと思っていることだろう。

けれど、僕は悲しいのだ。仮にも数少ない友人である〝彼〟の人生が、こんな詰んだものであることが。

遺書には男の名を指して「君くらいしか頼める相手がいない」と書いてあった。

僕を頼れよ、とは思わない。だって僕は彼を救いたくないから。本当に気色悪いと思っている。

ただ、彼の人生が詰んでいるのが、ひたすらに悲しい。

〝彼〟はまだ生きている。3年前と同じことをツイートしている。

どうか、せめて長生きしてくれ、友よ

そして、僕の知らないところで人知れず死んでくれ。

2019-01-20

また大学卒業できないかもと不安になる夢を見た

何か分からないけど何かに没頭していて授業に全く出席しておらず、卒論も全く書いておらず、突然「やばい!!!」と焦り出す夢を今まで何回も見ている。

実際は簡単単位を取れる授業ばかり選んで3年で殆ど単位を取り終えたし、卒論ゼミ先生テーマ勝手に決められたのでテーマに沿った本を図書館で借りて内容をまとめただけの論文とは言えない作文であっさり卒業できたのに。

卒後10年経つのになんなんだろう。夢の中ではめちゃくちゃ焦ってる。

2019-01-19

ソーシャル乞食

大学院ゼミメンバーグループチャットあるんだ。

OBOG現役生ありの交流目当てのやつなんだけど、教授から加入依頼されたので

面倒だけど入ったわけ。

OBOGはみなそこそこの企業に勤務してるし就職とかスカウトかにもある程度

効果があるみたく割とよい感じに運営されてるよう。

そんななか、ここんとこ急に増えてきたのが、クラウドファンディング資金提供依頼。

それも「海外日本の歌を広めたい(個人で)」とか、そんなんばっかりで、しか

随行者のコスト滞在費とか全部資金調達しようとしてるわけ。浅ましいにも程がある。

当然資金も集まらいから小銭持ってるOBOGに毎日のように連絡がくる。

あー、うちの大学乞食が湧いてきたなあ、と思ったので

自己満クラウドファンディングに誰が投資するわけねーだろ」や

「そんなんで就職有利にはならんよ」とポストしたらクッソ荒れたw

この発言きっかけでグループからはBANされた。まあ、結果オーライ

そのあと「就職相談乗って欲しい」って連絡が厚かましくも来るんだが、

どういう頭してるんだろう。自分大手の人事で採用に関与してるけど。

2019-01-11

ゼミの同期から押し付けられて、明日(日付越えてるから今日)の発表のレジュメパワポを作っている。

家族ももう寝てしまって、寒い真夜中に1人で海外データベースにあたって資料をつくっている(英語嫌いなのでそれだけでストレスフル)

いい年していじめられているみたいに感じてしまって、とても辛い。なんで直前にこんな負担が大きいもの押し付けるんだよ。

怒ることができない自分のせいだとは分かっているのだけれど。

誰かがやらないと、ゼミ先生が困ることになる。先生を困らせるのは嫌で、とりあえずそう言い聞かせて嫌な作業をしている。

この後は、サブゼミパワポの手直しもある。

絶対明日は頭が働かせられる状態じゃないのに、発表2個とか馬鹿じゃないの。無理だよ。

2019-01-06

anond:20190106172228

221年に一度の周期で別の種と交配したセミは何年ゼミになるん?

2018-12-27

素数ゴジラ

ってのを思いついた。(仕事中に)

素数ゼミみたいに、素数年の間隔で海からあがってきて、世界を襲うの。

忘れないうちに書いとく。

2018-12-25

愛の爆弾

今年はアプリを始めたおかげで、8人の女と遊ぶことができたが、つくづく男女関係は時限爆弾なんだよな、と思うようになった。

男たる者、男女がサシで会う時はその日にセックスしたい、大学時代からそう考えてきた。しかし、ゼミバイトである程度仲良くなったと思っていた子を二人きりの飯やら誘ってみると、「何、色気づいてんの?w」みたいな反応がほとんどだった。

一方、アプリ出会った女たちは、半日すら時間をすごしていないのに、体を許す人がいたわけだ。

時間を共有して築いた友情や信頼は、女にとって抱かれてもいいか判断材料になっていない、寧ろ変に時間をかけると性的関係になりにくいのか。

男女関係時間をかけてしまうと、関係陳腐化してしまう時限爆弾みたいなものなんだ、という知見を広めるとともに、お前たちの反意見を聞かせてほしい。

2018-12-20

後輩に慕われる経験の有無


ってあんまりないの?

自分は後輩が自分についていきたいと思ってくれて同じ部署に来てくれたり、学生時代は同じ部活をやりたいって言ってついてきてくれたりする経験があり、周りにその話をすると「自慢かよ」といわれ大変嫌な思いをしている。

自分尊敬する先輩がいるからという理由ゼミを選んだりした経験があるので、かつ友人もその様なタイプが多く、いわゆる体育会系なところもあるのかもしれないが、誰でも大なり小なり慕い慕われの経験があると思っていた。なので今の職場に来てそんなマッチョ気質嫌だと言われてプチショック!!

先輩をしたったり後輩に慕われる経験というのはメジャーではないのだろうか。

2018-12-14

今の私の話

大学四年。とある大学理系で、卒業論文に向けて研究をしている。

まだ始めたばかり。

私の研究室は完全に個人プレイで、みんなで実験をしたりもなく、1人でパソコンに向かって研究している。

そういう状態から、まだわからないことだらけだけど、手取り足取りだれかに聞ける感じじゃなくて、手探り手探りやっている。

まあ聞けばいいんだけど、そこはコミュ障で変にプライドの高い私の心が邪魔をする。よくないのはわかってる。

そんなわけだから研究は思ったようには進まないし、まだ面白いと思えてない。

コアタイムはない。あるけど。この時間に来ないとダメ!と会社のように決まってるわけじゃないけど、みんなだいたいいつもいるから来ないと浮く。そんな感じ。

授業は全部取り終えてるから、2週間に3回しかないゼミ以外は、私がいないことがあっても、言及はされない。

そんな状況で、自分存在意義みたいなのを失ったんだと思う。

そんなんだれも気にしてないよって言われればそれまでで、来ない方が浮いてるよって言われればそれまでなんだけど、私は休んでしまった。

から朝が弱くて、かつ遅刻して教室に入るのは嫌だから休んじゃうタイプ人間()なので、ある日昼まで寝てしまったのが原因だ。

一度休むと、その罪悪感から遅刻して教室に入るのが嫌」と同じ感覚で逃げ続けてしまう。

まだ、1週間全く行かなかったことはないけど、そのレベルの出席率になった。行ってしまえば何も気にすることはないんだけどね。行くのが辛いんだ。

休む原因のもう1つに、同居人存在がある。

まあ、私の意志の弱さが1番の原因ではあるんだけど、同じ立場のはずの同居人所属する研究室はコアタイムも全くなくて、来ない人も多いらしい。

そんなだから普通に昼に起きて、何の罪悪感もなく出かけて行く。そういうのを気にしない性格なのもあると思う。正直羨ましくて、向こうも誘ってくるので、朝の寝ぼけた頭で一緒に昼まで寝ることを選択し、結局自分は、遅刻して行くのが嫌で休む。

どう考えてもやってることは馬鹿なんだけど、そんな毎日だ。

そして、同居人がいなくなった部屋で、罪悪感から逃げるように眠る。そうすると、夜寝られず、布団の中で罪悪感に襲われて、気づくと朝を迎えている。ようやく眠くなって眠ると、次の日、また遅刻する。

最近はそれは良くないと思って、せめて寝ないようにしているけど、やっぱり5時をすぎても寝られない。眠いのに。

これが鬱なのか、ただの怠けなのか、入眠障害なのか、ただの昼寝のしすぎなのか、わからないけど、そういう病院に行く勇気もないし、そこで診断されない怖さもあるし、同居人や親が理解してくれるとも思えないし、というか自分自身でも自分が甘えているだけだと思ってるし、でも何かきっかけを作って変わらないといけないし、でもどこから変わればいいのかもわからない。

あと最近性欲は全くなくなった。食欲はむしろある。趣味のことは今まで通り興味あるし、アルバイト普通にする。

新型うつだか躁うつだかそんな感じもするけど、結局自分生活を治すしかないよね。何から始めたらいいかもわからないけど。

オレがコケたのはどこだろな

大学だろなやっぱり

せっかく旧帝滑り込めたのに、共通科目はまだしも、専門科目がまったく単位とれずに落ちこぼれていって、

大学パソコンルームエロいのを堂々と見る日々

高校までがろくに努力しなくてもいい成績とれてたか毎日コツコツ勉強できなかった

低年次のときは、面白そう!とかい基準講義選んでたのに、

つのまにかいかに楽に単位とれる講義かってことばかりに腐心するようになって

最後は4年生の後期まで必修単位が残ってギリギリになってめちゃくちゃ焦って

テスト前日になってようやく必死勉強してなんとか単位とれてギリギリ現役卒業

そもそもすでにゼミ論出さずにお情けで単位もらってたし

まあゼミ論以外のゼミ、発表会とか毎回のゼミとかは欠かさず出て真面目にやってたからお情けくれたんだろうけど

ほんとーに大学はおおいなる無駄だった

なんとか大卒という資格を手に入れて、モラトリアムというなの堕落をしていただけだった

ももともと自分はそういう人間だったんだと思う

頑張り屋で真面目で一生懸命でみたいなのは全部ウソだった

そう見えるだけで実際は全然がんばってなかった

たまたま高校までがうまくいってただけだった

それを勘違いした自分のアホさが呪わしい

ゼミ飲み会で「女子サラダ取り分け」を禁止することがある理由という記事がバズっているが

スマートモテリーマン講座では10年以上も昔に

サラダの取り分けをモテる男の仕草であると指摘している。

女子力がどうのこうのとほざくお前たちは何もわかっちゃいない。

2018-12-13

ハルヒ個人的には海外オタクとの緩やかな交流を挙げる

anond:20181213160908

1989年まれで当時17歳だったがほぼ同意する。

他につけくわえるなら、海外アニメオタクとの結節点を挙げる。


インターネット上で爆発的にハルヒミームが増大したので海外アニオタ日本アニオタ流行が徐々に重なり始めたと記憶している。

それまでは日本海賊版を輸入したり、ローカライズ版を購入していたためにだいぶ遅れていた海外オタクがこの時期を境に急速に日本ムーブメントと時を同じくし始める。

https://www.youtube.com/watch?v=5Xx4tszZ-DE&gl=JP&hl=ja

フィリピン刑務所ハルヒダンスを踊っている動画投稿日は2007/11/15日だ。

俺は初期からYoutube活躍してる人になぜかたまにアニメオタクとかが混じってる理由はこれが原因だと思ってる(PewDiePieとか)


あとどうでもいい自分語りだが、小学生の時からオタク自覚していた俺は当時は世間的にはオタクは少数派だとなんとなく感じていた。

宮崎勤世代ほど逼迫されていたとは思わないがあまり友人感で話題にすることはなかった。

ただハルヒを及びニコニコを核としてあの辺りからクラスメート間で徐々にアニメ話題をし始める同級生露骨に増え始めた(もちろん俺の観測範囲内の話だ)

大学情報系の大学に行ったので入学後はオタク話が半ば当たり前になっていて俺は周囲と同期できなくて逆に困惑していた(ゼミに入った後はオタク仲間が増えて楽しかったが)

そして真にオタクが同年代間で浸透したのだと確信するに至ったのは中学校同窓会だ。

大学の頃に同窓会があったが、なんとそいつらは二次会カラオケアニソンバリバリに歌いまくっていた。

1990年代オタクで人前でオタク丸出しにすることになれていなかった俺はその時死んだ(爆)

2018-12-09

家に帰ると何もできなくなる

頭ん中はしんどい死にたいでいっぱいでなんか涙が出てきてはてなとかまとめサイトみたいな簡単文章しか追えない、というか無意識にずっと眺め続けてしま

身体は疲れてるから本当は寝たほうがいいのにスマホを延々と見るのをやめられない

やろうと思っていたことも何一つ着手できていない

ずっと焦ってばかりで何も行動してなくて、ゼミ先生に失礼なこと言って本当に自分クズでどうしようもない人間だということがわかった

からうっかりで焦りがちで自信がないのが全部悪く現れてしまった

これからどうすればいいかからない

自分に自信を持てとか言われても知らん

疲れた

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