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2024-06-18

発達障害水泳平成不況リーマンショック、30代

・これは何か

私の半生を占める水泳と、それがその後の人生に及ぼした影響について整理するために書いた記録である

なお、当時は強いストレス下に置かれていたため、詳細を思い出せなくてぼんやりしている部分もある。

・なぜこれを書いているか

私は現在休職状態にあり、ADHDの診断を受けたところである

精神科に通いつつ、投薬とカウンセリング治療をおこなっている。

そしてカウンセリングを受けつつある今、自分がいまこうなっていることの底にはあまりに苦しかった水泳記憶があり、それを直視することは避けては通れない道ではないかと思ったからだ。

(先生に直接「直視しろ」と言われたわけではない。ただ、「あなた言葉あなた感情をひとことも説明しませんでしたね」、と言われ、その原因を自分で考えていたら、勝手にそこに行き着いたという話である)

正直に言えばそこに目を向けるのはめちゃくちゃ嫌で、前回のカウンセリングを受けてから2週間くらいメソメソメソメソメスティーソ泣いていたのだが、友達と遊んで少し息抜きをしたらちょっとした気づきと癒やしがあり、なんとか気力を振り絞れそうなので書いてみた。

水泳のこと

3歳から高校2年まで水泳をやっていた。

早いうちに才能を見出され、小学校1年か2年くらいでヘッドハンティングのような形で選手育成クラスに移った。

当時、肉体にすごく負荷を掛ける練習方法流行っていた時代だったから、シンプルに肉体的につらかった。スパルタが主流で、体罰は当たり前だった。

楽をしようものならコーチにも怒鳴られ叩かれ全員の前で吊し上げられた。そこまでは周りのみんなと条件は変わらないのだが、私の場合母親ほとんど毎日練習を見にきていて(それほどに熱心な親は他にはいなかった)、仮にコーチに怒られなくても、母親の目から見て私のパフォーマンスが悪ければ、そのことを帰りの車の中で詰められる日々だった。

行き帰りは車で母親に送迎してもらっていたが、車の助手席に乗り込むと母親の「今日練習について」の裁判が始まるので、毎日まるで犯罪を犯して法廷に立たされるみたいだった。キツい負荷の練習をこなしてやっと家に帰れるのに、すこしも安らいだ気分になれなかった。

でも、私は無理にでもやらせればやらせただけ、負荷をかければかけただけ、結果が出せてしまタイプ人間だった。

父親も叔母もスポーツ学生時代成功した経験があって、家系としても肉体的に優秀だったのだと思う。

それが母親成功体験になってしまい、尻を叩けば叩いただけ結果が出るという思い込みを強化したふしがおそらくあるんじゃないかと思う。

長期休みに入るたび、朝夕2回の練習では足りないと別のプールに連れて行かれ泳がされた。この習慣は我が家では「こそ練」と呼ばれていた。

ただでさえキツい練習をしてるので嫌だったが、嫌がれば母親から「速くなりたくないの?」と頷くまで詰められる。

こうやって追い込めば追い込むほど結果が出たので、母はどんどんエスカレートしていった。

極め付けはようやく出来始めた友人関係破壊されたことだった。

中学に上がると、小学生選手育成クラスから中学クラスに上がって、ここがジュニア女子選手としては一番上のクラスだった。その上に、高校生の男子さらにその上澄みだけが入る、一番練習ハードクラスがあった。

いま振り返ってみると、私はかなり発達障害的な特性のはっきり出た子どもであり、周りと関わるのがかなり下手だった。だから、キツい練習を何年も毎日一緒にこなしてきたというのにチームメイト連帯感を育めなくて、ずっと浮いていた。浮いているのに才能だけあったから、周りからすると目障りな子どもだっただろうと思う。選手育成クラスというだけあってそこそこ実力主義ではあるので、幸運にもいじめられこそしなかったが(あるいは特性上あまり他人に興味がなく嫌がらせに鈍感だっただけかもしれない)、やっぱり浮いていた。私は人生を通してずっと普通になりたい、と漠然と願ってきたが、その願いはこういう環境のなかで醸成されてきたように思う。

(ちなみに、当時どのくらい浮いていたかというと、なんか男子たちが私に話しかけるのを何かの罰ゲーム一種として扱っているな、と気づいたことがある程度には浮いていた)

けれど、ここで話の合う友達ができたことで、この一瞬だけ練習に行くのが楽しかった時期があった。

私はもともと才能があったので、中学生のクラスを受け持っていたコーチにも期待されていたし、たくさん話を聞いてもらえて、私自身もコーチのことを頼れる大人だと思っていたし、期待に応えたいと思っていた。信頼関係を築ける大人との出会いがここであった。だから、このクラスちゃんと私の記録は伸びていた。

だけど母はその伸びでは満足できなかった。

母にはいわゆる白雪姫の母コンプレックスみたいなものがあって、私が楽しそうにしていると不安になる性質だった。不安を感じやすく、その解消のために誰をどれだけ振り回しても良いと考える傾向があった。

私が楽しんで練習に行き始めた時、母は不満だった。私が苦しんでいないから、きっと負荷が足りないのだと考え、「娘の才能が無駄に消費されている!」と強く不安を感じたのだろうと思う。これでは速くなれない、と母は考えた。

そして、「上のクラスに上がりたいと言いなさい」と母は私に強要した。

私はかなり嫌がった。もともとジュニア女子が入れる中で一番上のクラスではあったし、せっかく話の合う友達ができたのに、その子たちと話せなくなってしまうことも嫌だった。先生の期待を裏切ってしまうことにもなる。すごく抵抗があったことは覚えている。

母は私に、「あん肥溜めみたいなクラスにいたら、あなたダメになってしまう」と言った。

嫌だった。泣いて抵抗した気がする。あまり覚えていない。でも、最終的には「上がりたい」と言わされた。コーチはショックを受けていたと思う。でも最終的には上のクラスコーチに頼んでくれて、私の(母の)要求は通った。

中学1年の女子高校生の男子クラスに入れられて泳ぐことになった。毎日階段をまともに降りられないくらいの筋肉痛になった。まわりはひと回り年の違う高校生の男子しかいないので、友達と話せる機会は減った。肉体の負荷は上がるのに、心の支えは何もなくなり、ただ苦しかったしつらかった。

私が苦しんだので、母の不安は解消された。

そして、精神とはうらはらに、私の肉体はそれに応えた。

実際に大幅に記録が伸びた。一緒に泳いでいた高校生の男子より私は上のタイムを叩き出し、彼らにもよく頑張ったと認められた。中2のころにはジュニアオリンピックで決勝に残り、関東中学で優勝し、全国でも10本の指には入った。国体にも県代表で選出された。県で私より速い選手はいなくて、私がベストを出せばその度に大会新記録、県の新記録だった。母はこのことについて、自分が尻を叩かなければ結果が出せなかったはずなので、自分の手柄だと考えた。

注意して欲しいのは、これらの成果を私自身もまた喜んでいたこである。才能や能力があると見做されることは、特性持ちの人間にとっては他人から受けるマイナス感情を弾く盾にもなる。母の手柄は、私を絞り上げ、苦しめて作り上げられたものであるが、同時に私を守るものでもあった。

あなたは結果で他人を黙らせなさい」というのが、母の持論だった。母は私のために、心を鬼にして私を苦しめていたはずである。叩けば結果が出ることがわかっていたのだから

この頃から試合合宿遠征先に行くと、夜中にこっそり抜け出して、当て所もなく歩き回るようになった。特に裏道や暗い道を選んで歩いた。いま考えると、間接的な自傷だったと思う。酷い目に遭いたかった。私という価値が一気になくなってしまうくらい、誰かに酷い目に遭わされたかった。母が守る『私』という価値と、それに伴う苦しみが分かちがたく結びついていたために、母の目の届かないところで地味な自傷行為に走っていたのだと思う。

体に傷を残すようなことはできなかった。そんなことをした日に母を襲う衝撃と、その衝撃の余波を受ける自分のことを考えたら、とてもではないが無理だった。

しかし、こういう無理は続かないものである。ほどなくして精神的に破綻して、泳げなくなった。中3の秋ごろだったように思う。喘息悪化させ、負荷のキツい練習から逃げ、最後は何か喚き散らして家に帰り、そこからしばらく練習に行けなくなったように思う。詳細は覚えていない。

だけど、そこで辞めるには水泳は私の人生で大き過ぎた。人生の大半を占める一大事業に等しかった。だからそこから高校2年の夏まで、通うスクールを変えて足掻きブランクを取り戻し、記録は少し伸びたし、インターハイにも出た。

ただ、大学受験に切り替えるならこの辺りがタイムリミットだった。結局、わたしはここで引退して受験に切り替えた。水泳のために自分学力よりかなり下の高校に行ったので、辞めてから予備校漬けになった。

受験勉強は圧倒的に楽だった。体の負荷も消えたし、学業自分特性から見ても結果の出しやすい分野だった。あまりにも結果が出やすくて、母も不安にはならなかった。躓きや苦しみも多少はあったが、水泳で受けたそれとは比べ物にならなかった。この時期、私と家族はかなり明るく過ごした。

大学には簡単合格した。願書を出した大学ほぼ全てに受かった。

とにかく家を出たかったので、その名目が立つ大学を選び進学した。

ここから水泳を辞めた後の話に入る。

友達が作れない、学業に身が入らない問題が出る大学1年目

ひとり暮らしをはじめて、やっと手に入れた自由を楽しんだ。でも1年目、ぜんぜん他人との関わり方がわからず、友達が作れなかった。小中高と水泳にかまけていて、相変わらず発達特性的な部分で学校でも浮いていたし、そもそも自分偏差値より随分下の学校に行った(水泳にはリレーメンバーの都合がある)ため、頭の程度が均されている環境でほかの人間と接して友達になる機会がまったくなかったのだ。県大会で何度も優勝し、実家に腐るほどトロフィーがあっても、友達の作り方がわからなかった。この時点で、私の能力は社交性に比して随分歪だったと言えると思う。

ひたすら学校と家を行き来して、家ではゲームばかりやっていた。

1年の後半の方になってようやく所謂オタクサークルに入って、対人能力に似たような問題を抱えた人たちに出会い、それでやっと少し友達ができた。ここから就職活動が始まるまでは、楽しく過ごせていたと思う。彼氏もできた。

とはいえ、あまり成績は良くなかった。勉強したいと思って進学したはずなのに勉強に向かう気力が湧かなかった。どころか、水泳を辞めたことが傷になっていて、「どうせ最後には全部台無しにする、水泳だってあれほどつらい思いをして人生を捧げてきたのにそうやってダメにした」と囁く声が頭から離れなくて、あまり集中できなかった。

漠然と、卒業したら死のうかな、と思っていた。

就活ができない問題が出る大学3年生

学業もそんな感じだったので、いざ3年になってもぜんぜん就職活動を進められなかった。というか授業もギリギリラインだった。

振り返ると、つらい思いをして思春期を生き延びた先に、ようやく手に入れたご褒美としての『自由』がたった4年で終わることに全然納得が行っていなかったんだという気がする。他の人たちは将来を考える精神の準備ができていたのに、私には何もできていなかった。こんな人生の先に、また何十年も続く苦痛が待っていると思って、絶望感があった。

就職留年

このあたりのことはぼんやりしているが、就職活動が出来なさすぎて就職留年した。ちょうどリーマンショック東日本大震災の影響があった時期で、特に女子就活は周りを見渡しても厳しかった。なので就職留年という言い訳は通った。

でも、留年したのに就活全然ちゃんとできていなくて、とうとう親が乗り込んできた。希望する企業の傾向は決まっていたので、母親マイナビリクナビエントリーする企業を選んでくれて、エントリーシートや履歴書に書く志望動機などの文章としてこちらで考えたら、それを母が手書きで代筆してくれたりして、こんな大学生はおそらく他にいないなと思うほど過剰にサポートしてもらった結果、なんとか書類選考が通るようになり、面接を受けたりと就職活動らしいものを進めることができた。

面接が苦手すぎて苦戦はしたが、なんとか内定をもらった。たた、周りがちゃんとこなせていることも自分にはろくすっぽできないとわかって情けなかった。

卒論が出せなくて2度目の留年

このあたりもぼんやりしている。夏くらいに内定が決まって、そこからしか全然ゼミに行かなかった。いや、たぶん特性的に並行してふたつのことができないので、就活中はゼミにも授業にも行けていなかった気がする。内定が決まった後、バイトしろと言われてしていて、必要な授業の出席とバイトくらいはしていたが、ゼミに出てないので卒論が当たり前に書けなかった。英米文学専攻なので卒論英語で書く必要があった。ぼんやり決めたテーマがあるくらいしかなくて、そのまま冬になった。ちょっと書こうとしたけれど当たり前に書けなくて、でもそれを就活を熱心にサポートしてくれた親には言えなくて、卒論提出の日に失踪した。1〜2週間家に戻らず、銀行口座の金が尽きたら死のうかなくらいの気持ちでいた。漠然と死のうと思っていたし、その時が来たのかと思っていた。

結局親に口座の金を引き上げられて、無様にも死ねずに戻った。怒られ、殴られ、彼氏にも心配をかけまくり、色々あったとは思うのだが、この辺りの記憶ぼんやりしている。

ひとり暮らしの家を引き払い、実家カンヅメになって母親監視のもと卒論を書いた。足りない単位のための授業とバイト以外の外出はさせないくらいの感じだったと思う。

ひとり暮らしの家を引き払った時、この時も家がゴミ屋敷になっていたので、ゲーム依存病気だと親に疑われたが、ゲームは単なる逃避行動で、やれない環境であればあっさり辞められた。振り返ってみれば、何らかの支援の網に引っ掛かっておくタイミングがここだったような気がする。ただ、スポーツで結果を出し、世間的には良い大学に行ったような人間が、ゲーム依存なんかで病院に罹るのは外聞が悪い、という意識がなんとなく家族全員にあったのか、結局ここでは必要だったであろう支援とつながることはできなかった。

この環境でなんとか卒論を書いて卒業した。就職は結局バイト先に拾ってもらうかたちになった。

新社会人として

もう一度実家を出てひとり暮らしをはじめた。

働き始めるととにかく眠かった。ひたすら眠かったことを覚えている。仕事でも会議でも寝てしまい、怒られて、怒られたあとは体が一時的闘争反応というか覚醒状態になるので、それで過集中を起こし仕事を進めてなんとか巻き返す、みたいな感じだったと思う。昼に寝てしまうので夜は眠れなかった。その悪循環で昼にまた意識を失った。

本当は病院に行くべきだったと思うが、家に帰るとその気力もなかった。家の電球が切れて、ほとんど暗闇だったのにも関わらずその家を引っ越すまで電球を変えられなかった。1年以上真っ暗闇で生活した。歯が折れて激痛でも病院に行けなかった。ぎっくり腰でも行かなかった。ゴミ屋敷はここでも生産された。

この時期私は相当な困難を抱えていた気がするけれど、同時にどこか安心しているような部分があった。自分価値がこうやって毀損されていくことに対する「ざまーみろ」という気持ちがあった。ちょうどこの頃、母親と完全に連絡を遮断して、実家と絶縁状態になった。直接のきっかけはなんだったか覚えていない。ただ、自分価値ボロボロと溢れ落ち、人生ダメになっていくことについて、母親への不健全復讐欲求が満たされるように感じていたのは覚えている。

この状態を5年くらい続けて、3つくらいの現場経験した。就職先は人売りのSESだった。

コロナ禍でリモートワークが開始する

これは自分にとって大きな転換点だった。寝ているところを他人に見られないのでストレスが大幅に減り、なんとか自分が起きていられる時間帯に仕事を進め、眠りたい時は寝ていることができた。とても褒められた就業態度とは言えないが、それほど能力的なハードルが高い客先でなかった幸運もあって、なんとか巻き返しが効いた。この時期が一番平穏だったように思う。この現場自分にとって一番長く続いたし、終わり方も案件ごと終了ということで円満だった。

この現場が4年くらいで終わり、本社に戻ることになる。

本社に戻る。眠気の問題ふたたび

リモートワークが終わり片道40分くらいの通勤生活が数年ぶりにスタートする。10年近く戻っていなかった本社に知った顔はほとんどなく、コミュニケーションが得意そうな子たちの若い顔が並ぶ。すでにこの時点でうまくやっていけるか不安ではあった。

自社開発の案件アサインされるも、やはり眠気の問題が復活し、怒られる。仕事客先常駐とは違い、粒度の粗い仕事を上手いことやっておいてというような感じで振られるため、勝手全然からず、先の見通しが立たない。作業をうまくこなせず、進捗が出せない。学歴スポーツの成績だけ見れば能力はあるはずだと思われているので、サボっていると見做される。寝てるよね?なんでコミット全然出ないの?

年次だけは無駄に高いので直属の上司もおらず、まともな相談先もなく、周りの子たちは若くてこんなことを相談できる相手ではなく、結果誰にもうまく頼れずにひたすら信頼を失い続け、頼みの綱だった週1回のリモートワークも許可を取り消される。

社長から新卒みたいなことを注意させないでくれる?」と言われる。怒られて、闘争反応になった勢いで、なんとかメンタルクリニックの予約を取った。

そうやって通院治療を開始したのが、2023年10月ごろ。

日中の眠気、夜の不眠、集中困難、ゴミ屋敷などの問題が主訴。

これらの問題は通院治療を開始したところでたちどころに解消するようなものでもないので、年末年始休みを挟んだ後、ボツボツ休みが増え、雪崩れ込むように職場に行けなくなって休職開始。

心理検査(WAIS-Ⅳ)の結果、言語理解ワーキングメモリ・処理速度の間で有意差50を超えた。言語理解・知覚推理凸、ワーキングメモリ・処理速度凹のタイプだった。

この結果と、現在社会生活が送れていない実態をもって、5月ごろにADHDと診断された。

現在は、投薬治療カウンセリングを受けている。

・総括

概観してみると、今の私を状態説明する要点は、下記のようなものであると考えられる。

特性を持って生まれ子どもが、いわゆる体育会系世界に入れられ、なまじ才能があったがために、支援 Permalink | 記事への反応(22) | 22:15

anond:20240615204406

すげぇ!女のマウンティング三すくみそのままじゃん!これゼミでやったやつだ!

2024-06-14

大学ゼミ「ウェーイwwwwwwウェイウェイウェイwwwwwwウェーイwwwwwwwウェイウェイウェイwwwwwwwww」

お前ら「シコシコボーッチシコシコボーッチシコシコボーッチ……」

2024-06-13

[]anond:20240613200534

https://utf.u-tokyo.ac.jp/project/pjt83

h抜きする意味が解らないのでリンクしておくね

地方母子家庭出身の女さんが東大博士号を取るまで

生活保護博士号ニキとか授業料値上げの報道かに触発された。

残念ながら、いわゆる理解のある彼くん要素がある。

長いと思ったら一番最後だけ読んでくれるとうれしい。

東大に入れたのは単純にペーパーテストがめちゃくちゃできたからだが、目指すようになったのは模試の結果を見た高校教師が勧めてくれたことがきっかけ。たぶん高2の春。

それから東大意識するようになって、現国問題で毎回おもしろ文章読めて最高〜、図書館で出典探して著者経歴を見ると東大出身者多いな〜、東大に行けばこういうおもしろい考えにもっと出会えるのかな??ぐらいの浅い動機東大第一志望にし始めた。

金のことはあんまり考えてなかった。

高校私立だったが奨学生として学費は全額免除してもらっていた上に(その条件で入学した)、民間団体が県住民対象でやっていた給付型奨学金支給されていた。

学力も授業だけで問題なかったので予備校に通う必要もなく、教育費はほぼゼロ

大学も同じように学力さえあれば行けるし、貧乏人にはそれ相応の奨学制度があってそれで何とかなると思っていた。だってそうあるべきじゃないか?

父親ギャンブルによる借金が原因で離婚し、母親非正規雇用で働き始めていたというのが数年前から我が家の状況だった。養育費もなく、突然働かざるを得なくなった母親は当然ストレスを抱えていた。その捌け口になったのが私。

自分の娘が東大に行けるはずがない、父親似の目つき・言葉存在その全てがとにかくムカつく、おまえもどうせ父親と同じだ、あんたは地頭が悪いからだめ、性根が良くなければ勉強なんてできたってなんにもならない。色んな言葉をぶつけられて、まあ限界でしたわ。

A判定しかない模試の結果を見せ続けてもだめ(ふーん、だから?)、日本学生支援機構の貸与奨学金の話をしてもだめ(あんたも父親と同じで借金踏み倒すんだろ!)、年収400万円以下が対象になる授業料免除の話をしてもだめ(ちゃん免除される保証がどこにあるの!?)、格安学生寮の話をしてもだめ(入れなかったらどうする、女なんだから余計な下宿費がかかる!)。

給付型奨学金地方のしょうもねえ高校全然情報はなく、先生たちも諦めるなぐらいしか言ってくれない。

自分で調べろって? 調べた上で給付型奨学金勘定から外していた。

募集人数がめちゃくちゃ少ないのに、「学業優秀」で「経済的に困難を抱えている」学生自分が「絶対に」該当するなんてどうして言い切れるんだ?

そんな不確かなものを頼みにできるわけがない。

地方、女、貧困が混ざるとこうなる事例としてぜひ参考にしてくれ。

制度存在することと、使えると認識することは違うんだ。うちの場合だけかもしれないけど。

結局「何とかなる」でゴリ押して、受験すること自体同意を得たのは高3の12月浪人なんてできるはずもないので、東大に落ちたらすでに受かっていた防衛大に行くつもりだった。とりあえず家から逃げることが第一目的に変わっていた。その上で大学おもしろそうなことを勉強たかった。そうじゃなきゃ生きている意味がないと思った。

無事に受験できて、合格した。合格たからってごちそうが出たわけでも金一封が出たわけでもなかった。

翌日に大震災。見事に被災して、なーーーーんも調べることもできないまま、ほぼ丸裸で上京した。

大学のこともなんもわからんし、クラスなんそれ、語学ごとに性格あるんだへー、五月祭なんてものがあるのかー、演習ってなんだ?

こんな感じ。臆病な自尊心合格発表前に色々調べておかなかった私も悪い。

ていうかみんな発言ちゃんとしすぎ、英語喋れすぎ、そしておしゃれすぎ。それに対して私は何もかもが終わりすぎ。

慣れない電車通学、週20コマの授業、母親言葉フラッシュバックで病んだ。健康診断の段階で精神科を勧められて受診はしたけど、医師震災サバイバーズ・ギルトですねで終わらせたのもあってその後の通院には結びつかなかった。

毎日何とか自殺先延ばしにして、大学に通い続けた。おもしろ講義を聞いている時だけは生きている感じがした。

そんな感じで大学と寮の往復で友人もできないまま夏学期が終わり、冬学期が終わった。試験対策が高度に制度化されているおかげもあって、単位には困らなかった。ぼっちこそ東大に行け。

2年生になって少しメンタル回復してようやく友人ができた。ようやくふつう大学生に近づけたと思った。3年生のときには友人の繋がりでのちの彼くんとの付き合いも始まった。

優秀かどうかは分からないけれど、友人になったのはみんな良い人たちだったし、私が母子家庭であることを公言していないせいか、友人たちが気を遣ってくれていたおかげか、対等な付き合いができたと思う。劣等感のようなものもそれほど感じなかった。仲良くなったのが都市部出身ゴリゴリ強者ではなく、地方中流〜上流家庭出身者ばかりだったというのも大いにあると思う。父親教授とか銀行員とか(母親は当然専業主婦)、そんなのばっかりだったけど。


仕送りは当然なかった。しかし、授業料全額免除家賃が月1万円程度の学生寮、さらには運良く引っかかった給付型奨学金のおかげで、経済的に困窮することもなかった。自分でも意外なぐらいに何とかなってしまった。

毎年授業料免除のために母親源泉徴収票を手に入れていたのだが、当時の母親年収200万に満たない程度である。たまに母親仕事が嫌になって無職になったり、転職を繰り返したりしていたので、提出書類をそろえるだけでも一苦労だった。

ちなみに震災の影響で提出できなかった書類を改めて提出するために訪れた奨学係で、たまたまリストを渡してもらえたか給付型奨学金に応募できた。


3年生になるとあっという間に就活ですよ。院進も国家公務員試験留学も考えてなかった。そういうのはタフでグローバルなふつう東大生がやるものなので。

自己分析しているとまた病んで眠れなくなった。家と大学図書館の往復の日々を過ごしてきた私に書けることなんてなかった。どうして自分ふつう東大生になれなかったのか。私と彼ら彼女らで何が違ったのか。

考えるのが嫌になって、手持ちのタマが切れた段階で就活をやめた。留年ぼんやり意識し始めて、さてどうしようとなったのが生活費授業料

特に遊びに行くわけでもなく、自炊を続け、節約しまくっていたのと、貸与型・給付型奨学金と細々としたアルバイトのおかげ何とかなりそうな貯金はすでにあった。

しか留年すると、奨学金は止まる上に、いくら世帯年収が低くても授業料免除対象から原則として外される。授業料分までの貯金はなかったし、家に頼ることはできなかった。

結局めちゃくちゃアルバイトをして授業料相当額を稼いで、留年に備えた。


「とりあえず留年」の先に何か目指している進路があるわけではなく、毎日自殺を考えていた。しかし、たまたま履修したゼミに救われて、大学院進学を考え始めた。もっと救われたかった。

成績だけは相変わらず良かったので、無事に合格できた。また、ようやくメンタル問題と向き合う決心がつき、学内カウンセリングに通った。留年した年の学費はこのために支払っていた気がする。

院進後は授業料免除奨学金も復活し、博士課程では生活費研究費付きのプログラム採用してもらえたから何とかなった。


博論書けない無理とふつう院生のように悩んでいたところ、身体を壊してしばらく入院することになった。標準年限の3年で上がれないのが確定したこと生活費のあてがないこと、研究アルバイトを両立させるような体力はないこと、その状況でまた授業料を支払わなくてはならないこと。何度も自殺は考えてきたけど、ついにその時が来たなと思った。

彼くんに頼ることは全く考えていなかった。しかし、結婚し、しか授業料も出すことをあっちから提案してきた。実は親戚に博士号持ちが多く、本人もかなり稼いでいたこと。これが「博士号取得にやたら理解のある彼くん」の背景にあった。

それまでは割り勘だったしお互いの家の話もロクにしていなかったので、そこそこお坊ちゃんであったことに驚くとともに、これが東大生の家庭なのかと惨めな気持ちになった。

しかし、自分人生にここまで賭けてくれる人がいるという事実は単純に嬉しかった。自分の救いのためだけではなく、応援してくれる彼のためにもさっさと博論を仕上げようと奮起し、かなり短期間で博論を仕上げて博士号を取った。

これがいかにして地方母子家庭出身の女が東大博士号を取ったかだ。要するに学力幸運に恵まれていたから。

高校民間公益財団法人東大の奨学制度博士課程学生向けプログラム、そのすべてに感謝している。うまくやれてる限りにおいて、選ばれる限りにおいて、多くを望まない限りにおいて、意外なほどに制度は充実しているというのが一当事者感想


まれながらに貧困だったわけではなく、しばらくはそれなりの生活を送り、両親もそろっていたので、ガチ不利層というわけではない。だから代表者ヅラする気はない。あくまで一つのケースとして見てもらうのがよい。また、学力自体最初から備わっていた。だから学力格差と関連する機会の平等の話ではない。

学力があっても受験自体が危うかったこと、経済的に一度でも詰んでいればそこで諦めていたであろうことが私がお伝えしたかった点である。詰まなかったのは単なる偶然。


博士課程の最後一年ふつう東大生が過ごしてきた環境なんだろうなとも思う。教育のために金を惜しまず、授業料を払い、衣食住が保障されて、何よりも心から応援してもらえる。率直にずるい。それなりにプレッシャーはあるし、生活保障されていても勉強研究が大変なのは分かったけど、でもずるい。

もちろん、そうじゃない人たちもたくさんいた。授業料免除申請の大行列、寮の住人たち、親との折り合いが悪く仕送りもないのに授業料免除から奨学金から対象外にされて私なんぞよりよっぽど厳しい経済状態にあった知人たち。彼ら彼女らと連帯することはなかったけれど、どうにかそれなりの人生を歩んでいることを願ってやまない。



授業料の値上げの必要性は理解している。国立大学法人改革はクソ。競争資金はクソ。

しかし、値上げの代わりに経済的に困難を抱えた層への支援を充実させる案には、次の5点の問題があることから反対の立場だ。むしろ授業料免除制度なんていらないくらいに、学生アルバイトで賄える範囲授業料を下げるべきだとさえ思う。

第1に、書類準備の手間。住民票、源泉徴収票アルバイト先・RA先生に書いてもらう収入関係書類、とにかく書類が多い。家族に提出をお願いする書類も多い。私の母親書類に関しては協力的であり、私自身の事務処理能力もそこまで低くないので何とかなったが、自分家族書類準備能力が不足している場合、あるいは家族が非協力的な場合、容易に詰む。しちめんどくさい書類を準備させる手間を経済的困難層に課すことは正しいことなのか? その手間を背負わされる学生たちを増やすことは正しいことなのか?

第2に、スティグマ。本当に困っている人の授業料免除されるならいいけどという言説はキャンパス内にも普通に存在した。生活保護と同じようなもので、授業料免除されているということは「恥ずかしい」。払えるものなら、こっちだってすばらしい授業と指導の対価として気前よく授業料を払いたかった。

第3に、高い授業料を払う層と授業料免除される層の発生による、「合格さえすれば平等であり対等なコミュニティの仲間である」という虚構崩壊

第4に、親との折り合いの悪い人々が制度狭間に陥る。学部生の場合独立生計を認められるハードルはめちゃめちゃ高かった。つまりたとえ親から仕送りが全く存在せず、世帯から恩恵を全く受けずに自分アルバイト等のみで生計を立てていたとしても、授業料免除対象に入れてもらえない。個人的にはこれが一番の問題。「親との折り合い」を判定条件に入れて、不正を見逃さずに、本当に支援必要学生を正しく判別できるのか? できるなら教えてくれ。そしてすぐ実行しろ。もしかしたらすでに改善されているのかもしれないけど。

第5に、留年すると原則対象外になるので、失敗・留年覚悟の挑戦ができなくなる。


他方で、なぜ高卒の人々には支援が行われずに、同じ年齢の大学生に対してのみ支援が行われるべきなのか、私には分からない。日本社会の発展に繋がるから? 勝手に期待して我々の未来を決めないでくれ。

高卒の人が一足先に社会で働いて収めてくれた税金が巡り巡って私の就学を支えていてくれていたこと、しか学歴理由に彼ら彼女らが下に見られること、さら生涯年収に大きな差が生まれることを考えると、勉強ができて大学入学できたというだけで大学生が優遇されていて非常に不公平だと思う。若者支援というくくりで全員に対して支援をやらないとおかしい。

最後、一番言いたかたこと。

結局東大に金がないのが悪いんだから、「貧しい家庭出身でも能力があるなら東大に行ける」、そういう理想を守りたいんなら自分で金を出してくれ。つまりみんな直接東大に寄附すればいいよ。「修学支援事業基金」っていうまさにその目的のための基金もある。

ttps://utf.u-tokyo.ac.jp/project/pjt83

ちなみに税額控除対象政府に回る金を減らして直接自分の思う公益のために金を投下できるすばらしい制度税額控除だ!

理想を実現するためには金がいる。金もさないくせにごちゃごちゃ抜かすな。口だけの偽善者になるな。

6月13日現在の今年度の寄付総額は約130万円、寄付件数は80件だ。

この数字が増えることを楽しみにしている。

anond:20240613143132

リー群ゆっくりと反芻してみる。間違いない。

まさか場末街コンで、この単語を耳にする日がまた来るとは。

変換や対称性を体系的に扱うための数学的なフレームワーク。そして私の専攻分野だったもの

「ヴォーガンの分類理論では、単純リー群の既約表現が極大コンパクト群で分解されると思いますが、分岐則の立場から見ると、極大トーラスに既約表現制限したときの分規則の端が分類の不変量として用いられるじゃないですか」

男がギョッとしてこちらを振り向く。

ブリリンスキー柏原の分類理論との関連性がよく分からなくて……りーくんさんならご教示いただけるかと思い」

男の目が泳ぎ出す。小馬鹿にしきった笑みはいつの間にか消えている。一体どこからどう説明を始めればいいのか分からない顔。

物心ついた頃から、こんな顔を数えきれないほど見てきた。女は大学に行く必要はないと言い切った父親数学コンクールに女が出るなんてと吐き捨てた小学校斉藤先生、筑附合格を一番に伝えたかった大好きな山田先輩、学振特別枠を申請したときゼミ教授就活に失敗して目の前から消えた元カレ

要するに、格下だったはずの女に場を制圧されたとき、男たちが一様に見せる顔。

テーブル沈黙支配する。男は口をギュッと結び、食べ残した肉を見つめていた。

これでいいのだ。時間が来ると、男は誰とも目を合わせず、逃げ出すように店を出ていった。彼が街コンに現れることは二度とないだろう。

私のせいで自信を喪失した男たち。ペニスパンツの中にしまうことを覚えた男たち。そんな彼らの姿をみるたび、私は自己満足の微笑みを浮かべるのだ。

2024-06-09

韓国人日本愛国ポルノで稼いでる

大学の頃、同じゼミだった韓国人Youtube日本語ホルホル動画で小銭を稼いでる。

以前は韓国語でやっていたけど、日本語投稿してみたらそっちの方が再生数が多かったので日本語専門ホルホラーになったとのこと。

コメント欄の方達は動画制作韓国人だってわかってるのかな。

チャンネル所在地普通に韓国になってたから、気づいてる人は気づいてるかもな。

2024-06-08

横浜トリエンナーレへの批判を読んで(後半)


(前半からの続きです。)

https://anond.hatelabo.jp/20240608093126


現代アートの不満


もっとも、現代アートは手放しで褒められるものでもないでしょう。多くの批判者が火のないところに煙を立てているとは言えないと思います作品の出来が悪いものも混じっていることは否めません。


大方の批判にもかかわらず、私は今回のトリエンナーレではそのような「的外れ」感のある作品ほとんどないか、かなり少なかったと感じています。これもキュレーションのよさでしょう。


思い返せば2020年トリエンナーレにあった「エビSEXをさせる方法を考える」という一連の展示はひどかった。テーマはとてもよかったのですが、日本(だったと思います)のクリエイターたちの作品はふざけているとしか言いようのないものでした。その課題は、「エコスフィア」(エビ水草の入っている閉じた水槽)の中でエビ酸素を吸って二酸化炭素を出し、水草二酸化炭素を吸って酸素を出す。この循環のバランスはうまく保たれているが、一つ問題があって、エビ生殖をしなくなる。そこでエビ生殖をさせる方法を考える、というものでした。多くの作品エビセクシーな格好をさせるとか、エビ秘宝館のようなものを作るとか、そういうものだったと記憶していますしかし、クリエイターたちはこの「エコスフィア」が地球生態系比喩であると気づかなかったのでしょうか? だとしたら愚かに過ぎるとしか言えません。それとも、気づいていてこのような作品を作ったのでしょうか? だとしたら二倍悪い。エビとは「私たち」に外ならないのだから、つまりクリエイターたちは女がセクシーな格好をして男を誘えばよいと言いたいのでしょうか? それはあまりにも「男尊女卑」に終始していると言わざるをえません。そこには問題意識が欠如しています。「教授課題テーマはよかったが、学生たちのレポートがだめだったという感じだ。」私は友人とそう語りあったことを覚えています


2020年といえば壁にブレインストーミングのように年号出来事を書いてゆく展示もありました。そこには作家メモも展示してあり、『荘子』の「胡蝶の夢」の故事引用してありましたが、「與」を「興」と書き誤っていたことを覚えています自分のことは棚に上げつつ、非本質的でささいな事をあげつらうようですが、「どうかわからないことで見栄をはらないでほしい」と思われてなりませんでした。


現代芸術作家たちの一部が「見栄をはろう」としていることは薄々感じられます人文学哲学歴史学経済学などに議論の蓄積がありとっくに通過してきた知見について、芸術家たちが何周も遅れて的外れなことを言っている光景は、あまりみっともいいものではありません。なぜそのようなことになっているかといえば、芸術家が「作品」だけではなく、その「意味」で評価されるようになっているからでしょうか。


かつて芸術家は貴族の注文にこたえて絵を描いていたそうです。今の作家自由作品を作れるはずなのに、ただ社会要請にこたえて作品を作ろうとして、中身のないステートメントを打ち出しているのは、痛々しくさえあります


しかし、これは決して「アーティストはよけいなことを考えるな」と言いたいわけではなく、むしろその逆で「もっと学問をしてほしい」ということです。しかもそれは「芸術家」としての意識以前に、「市民」として当たり前にもつべき意識であると思うのです。芸術家は作品だけで力のある面白い作品を作って、そしてそれとは別に最低限、当たり前に市民として的外れでない発言もしてほしいのです。


作品」と「意味


トリエンナーレと同時開催の展覧会Bank ART Life7「UrbanNesting: 再び都市に棲む」に足を運ぶと、新高島駅地下1階の会場の入口には巨大な土のダンゴがありました。これはかなり面白かったのですが、説明を見ると福島の土で作ったとありました。もちろん福島原発事故はまだ収束したと言えませんし、提示された問題は深刻です。しかし、その場では私も友人も何となく興が醒めてしまったのです。それはなぜでしょう? 何となく、「作品面白さにテーマが負けている」と感じました。私も「キラキラ」なアートを好む一員であり、私の中で「無意味」のもつ破壊的な力に「意味」が負けてしまったのかもしれません。あるいはその逆で、テーマの重さのために、作品が軽く見えてしまったのかもしれません。いずれにしても、私は作品のよい受け手になることができませんでした。


しか問題受け手だけにあるのではないと思います。「作品」と「意味」のバランスは難しいことであり、作り手の側でもうまく調整しなければならないものです。先程述べた通り、今回の展覧会にはピンボケ作品が少ないと感じました。しかし、今回の出品作のうち、どれくらいが「意味」(言葉による解説)なしに「作品」だけの魅力で勝負できるものだったかは疑問も残ります


今回の展示にあったBゼミの試みはよかった。「意味のないものを作る」とか「新しい楽器を作る」とか、芸術意味から解き放つような試みは今でも頼もしく思われます。どうもいまのアートは、意味付与された瞬間に弱くなってしまうような気がしています作品意味との関係性については、まだまだ考える余地がありそうに思います


私の身近に YOASOBI のアニソンが好きでないという人がいます。「アニソンというのはアニメ解釈であり、アニメへの讃歌であり、しかアニメ本編とはズレているか面白い。YOASOBI の歌はアニメストーリーをそのまま歌っている。だから面白くない」と言うのです。何となくわかる気もします。偉そうに勝手なことを言うならば、現代芸術世界にあるモノをそのまま出すのでなく、世界アートの形で表現するとどうなるのか、「意味」に傾きすぎず「作品」の力で見せてほしいと思います


しかし、芸術に「意味」をこめるなというつもりではありません。批判者の中には、芸術家は被災地創作で消費するのではなく、実際に活動をすることで被災地に貢献すべきだというような意見を言う人があったような気がします。もちろんそのような活動はしないよりもしたほうがよいのですが、それはあくまで「市民」としてのはたらきであって、「芸術家」としてのはたらきではないでしょう。芸術家には芸術家にできることがあり、それは創作であるということを否定するつもりはありません。しかし、だからこそ「作品」と「意味」にはもっとよい関係があるのではないかと思います。その答えが何かということは、残念ながら即座に提示できないので、偉そうに勝手なことを言うだけになってしまうのですが……。


批判いたことのついでに言えば、今回のトリエンナーレ批判する意見の中には、電気を使ったインスタレーション環境問題を訴える作品を同じ空間に並べることの違和感を語る人がいたように記憶しています。その違和感理解できますが、それとは別に芸術資本関係という問題も感じました。入り口の協賛企業の一覧を見たとき、たいへん違和感がありました。資本主義への警鐘をならす作品(全てではないにしろ)が、大資本資金で展示できるとは! 大企業はそのようなお金を出すほうがよいと思いますけれど、その一方で企業がそれを「みかじめ料」として批判されなくなるべきではもちろんないでしょう。作品意味もつときには、その作品のおかれる「場」までもが、自らの意味暴露するようになるのかもしれない。初っ端からそんなことを考えさせられるなかなか面白い「展示」でした。


むすび


咎め立てばかりしてしまったようですが、最後によかったところをいくつか述べたいと思います。友人は、今回のキュレーター解説文(紹介文)がよかったと言っていました。友人によると今や「この作品はこう見るべきだ、ここが素晴らしいのだと天から決めつけて、自分に酔ったような解説」を見ることも多いなかで、今回の解説文は「キュレーター自身作品をどう見るか、真摯に考えて書かれていたので好感が持てる」というのです。また、「キュレーションにも工夫が多かったような気がする。例えば商業主義マルボロ広告の下にインドの貧しい生活を描いた版画を配置するなど、『対比』を意識したものがいくつかあったように感じた」とも言っていました。キュレーターの仕掛けた「作品」と「意味」の関係性のバランス果たして十分達成されたかどうか、それはよくわかりませんが、キュレーター真剣構成しており、私たちに問いかけるものがあったのは確かだと思います


要するに、初めに述べた通り「批判者の言うことにもわかる点はある。でもキュレーターはそれなりによくやっていたと思うし、今回が最悪だとか、他の回に比べてどんどん悪くなっているとか、そんな気はしない」ということです。言いたいことはこれに尽きます


魅力のある作品も少なくありませんでした。友人は勅使河原蒼風ファンになり、富山妙子画集を買いました。私は土肥美穂の buttaiが気に入りました。同時開催のBankART Life7では、みなとみらい駅の腕木信号オブジェや、Bank ART Stationにあった送風機で立ち上がる足などの機械仕掛け作品が好きでした。


つらつらと思いつくまま書くうちに、思いがけなく長文になってしまいました。次回のトリエンナーレにも期待しつつ、このあたりで終わりにします。


2024-06-03

anond:20240602153026

相手無視しないこと。

コンビニスーパー店員の顔を一々覚えてないし、袋詰めしてもらっても「ありがとう」って言わないじゃん。そういうのを「人間扱いしない」っていう。

逆に、話しかけられたら無視しないとか、同じゼミかに入ってる人には男女問わず自分から挨拶するとか、相手個人として見てるのが分かる振る舞いをすれば、相手は「この人は私をちゃんと人として扱ってくれる」と思うよ。

2024-05-26

anond:20240526010152

文系のことは知らんけど、自分のいた研究室毎日来るのが当たり前の情報系だったので、そことは大いに違うな。

「これでは修士に値しない」と卒業できなかった

個人的感覚だと、研究室が課している出席のルールを満たしていてこれはちょっとあり得ない。

過去卒論をそんな理由で失敗していた学生なら見たことはある。

学部3年のころ、先輩方の卒論発表会を傍聴してたんだけど、

一つ下の学年の自分から見てもヤバいと思うような発表内容で、回覧に出されていた卒論ほとんど何も書いてない感じのだった。

後で聞いた話だと、その発表をした学生ほとんど研究室に来ていなかったらしい。

...まあ、こういう状況で「これでは修士に値しない」はわかるけれど、それなりに研究室に来ているのにそれをもらうのははっきり言ってブラック研究室

実際に見たことはないんだけれど、自分のいた学部にかつて卒論発表会で自分学生パワハラを始める人がいたらしくて、

その研究室に行くとヤバいってことが知られているところがあったな。

今でいうAIのような流行ものテーマを扱っている研究室だったので、憧れだけで研究室を選んで地獄を見る場所だったらしい。

文系大学院常識は知らんけど、自分感覚だと修了率50%は相当ヤバいと思う。

ゼミ以外の時間は(研究質問に)来ないでね。

この研究室論文を書く場合って、指導教官はauthorに入りますか?

ゼミ指導をしたと言えば言えるのかもしれないけれど、文系研究室はえらく気が長いんですね。

月1程度(1回1.5時間ほど)以外は研究について話すのNGなんですよね。

研究を進めるうえで研究室特殊機械を借りたり、先生の人脈を使ったりしてますか?

自分感覚だと、その程度の相談時間で、研究室リソースも使わないとなると、指導教官をauthorに入れていいのか怪しいレベルだと思うんだけど。

ちなみに、自分のいたところは毎日指導教官テーマについて話してました。

論文を書くときは構想から相談して、添削もしてもらってました。

増田君が言いたいことはこういうことでしょ」と先生が書き直したことも時々あったので、ぶっちぎりでauthor感があった。

ゼミでのご助言が抽象的すぎる

これが1カ月に1回。ほんとに研究室の進捗がslowなんだな。

そして、シン・仮面ライダーメイキング(NHK制作ドキュメンタリー見てくれ)よりもひどい世界だ。

早いフィードバックで何度も回すのが自分の周りだと普通なので。

もちろん、先生に毎回確認するのは気が引けるので博士などの人が先生質問をするときに一緒に居たりして、一緒に先生の話を聞いて意図を組んで、その人と壁打ちをすることが大半だと思うけど。それでもって、その博士の人もauthorに含まれる。話しているうちに博士の人のアイディアが入ることもあるし。

私たちに聞かれても、知識がないからわからない。私たちを頼りにしないで」

別に正直でいいと思うんだけれど、先生の知り合いでその分野に明るい人を紹介してもらって共同研究できないんだろうかとかは考える。

ヒステリックになっていると言われる

先生同意ちゃうかな。

先生方は現状をどのようにお考えなのですか」の回答はそんなに問題があるとは思えない。

「お考えですか」だからね。

大学としてこの修了率は普通ことなのか、普通じゃないのか?みたいなところからだな。普通のことだったら、それ以上の会話はないよ。

普通じゃなかったら改善案についての話になるけれど、普通のことだったら改善などないからね。

正直、元増田お気持ち表明以上の意味がある質問には見えない。

納得いかない感情をぶつけられても困るだろうなと。

修了率が高い研究室に移れないかを考えてもいいとは思うけれど。

計画性がないと言われる

ここまで読んでいて思うのは先生には学生を育てる動機づけがないってことかな。

先生問題というよりも、大学やその業界問題のような気がしてならない。

うちの分野だと自身研究成果はさておき、育てた学生(特に博士)の数や研究評価対象になるので、下を育てることにそれなりの動機付けがある。

多分、指導能力がない(学生を育ててない)人はテニュアトラックに乗れないんじゃないかなと。

あと、先のところでも書いたけれど、もしかして元増田の通っている大学院別に修了しない学生が多くても構わないって思ってない?

自分のいたところはその分野の人材を育てるという意味合いもそれなりにあったのか、修了率はかなり高めだったと思う。中途で消えた人は見たことない。

でも、修了率50%でなんとも思わないというのは研究室どころか、その専攻科がそれを良しとしているとしか思えない。

休みメールすると怒られる

え?先生って定形勤務なの?てっきり裁量労働なのかと思ってた。

働きたかったら何時間でも働いていいけれど、働きたくなかったら別に何もしないでもokみたいな。

ふんわり定時みたいなのがあったほうが自分学生も働きやすいからそういうのをやっているだけかと思ってた。

前述のとおり、先生には学生を育てる動機づけがないと思う。

でも、この書類GW直後に見てもらうのだと間に合わなかったんだろうかとも思ったりする。

先生だって休みの日を休みの日として過ごす時間必要だと思うので。

家族サービス中にちらちらとメールチェックをするのはokですか?ngですか?

旅行に行けるような休みは、去年の年末からありません。

これは理系だと普通という認識

ちょっと研究室にいた時間と自宅にいた時間かぶってて、なんかおかしいので時間帯はわからんけど、

理系だと追い込みの時期に研究室に住んでいるみたいな人は普通にいる。

ま、事実上研究室に住んでいるような人生研究に捧げた先生なんかもいるらしいしね。

学位論文書いてた時は研究室から徒歩数分のソバ屋で年越しそば喰って、正月研究室にいたけれど...

大学院はこんなものですか?やっぱりおかしい?

研究に費やす時間についてはこんなものだと思う。修了できなかったら死ぬみたいな気持ちでやってたのは事実で、文字通り命を削って学生してた。

親はモラトリアム楽しんで遊びに行っていると思っていたようで、恥ずかしいからと親戚の集まりに来ないように仕向けられてた。

就職して思ったけれど、仕事の方が大学院行くよりも楽だな。

労働基準法で守られているし、学位を取れなかったら死ぬみたいな謎な緊張感もないしね。

でも、指導教官対応はなんかおかしいと思う。そもそも学生を育てようとか卒業させようとかい意思を全く感じない。

でも、それは個人問題というよりもシステム問題なのかもしれないとも思う。

もし、増田の分野が人を育てることを重視していないなら、それは業界問題であって個人問題ではないし、

そこは手厚い育成を求める人たちが行ってはいけない分野なんだと思う。

アカハラで(学校以外で)駆け込むとしたら、どこ?

法テラス

普通に考えると、この手のトラブル弁護士に話す案件かなーと思った。他の人の状況や客観的証言を集めたかったら探偵も使うのかもしれないけど。

アカハラを受けて指導者を変えた人間からアドバイス

指導者を変えよう

これからセミナー研究会の発表を本気で聞いて良い人を探すといい

休憩時間や懇親会を利用して発表者に近づいて「あなたの発表面白かったです」といっていろいろ質問しよう

良い人が見つかったら「あなた研究に興奮しました!わたしにも研究させてください!」とアプローチしよう

たぶん、書類上の籍は今の大学に残したままそちらの研究室に受け入れてくれると思う

アカハラ無関係にそうやって研究室を移る人は大勢いる

 

一流の研究室ほど教授たちの移動は早いし、一年のうちの殆ど外国で過ごすから書類上の指導教官実質的指導者はみんなバラバラ

学生の方も教授について ●大→ワシントン大→R研 みたいな移動の仕方をする人もいれば

日本に残っていろんな人と共同研究している学生もいて経歴もルーツもみんなめちゃくちゃだよ

あなたも好きな指導者を選ぶと良い。選ぶのはあなたの方だよ

  

共同利用機関研究開発法人みたいなところも学生受け入れをしているのでとにかく声かけてみよう。

すごいパターンだと研究所長と共同研究した学生もいるよ!やってみれば意外となんとかなるよ!さあ冒険だ!

 

図太く行こう

研究者として生き残るのに必要ものってなんだと思う?

頭の良さや情報収集能力流行に乗り危ない時には身を引く要領の良さ、研究者としての信頼。それから運も重要だけど

一番必要なのはメンタルのタフさではないか最近思うよ

   

無知に引け目を感じなくて良い

馬鹿にされることを恐れずどんどん質問しよう。読むべき教科書論文を教えてもらおう。

知らないことは片っぱしから吸収していくと良い

馬鹿にしてくる人は気にしなくて良い。うさぎと亀の兎みたいなものだ。サラッと追い抜けるよ

怖いのは利口な兎のほうだね。彼らは亀を気にしない。自分より上の人だけを見ている。あなたも利口な兎を目指すとよい。

 

M1ゼミについて

よくあるダメパターン

みたいなかんじかな

 

あなた教授になって大学院生に講義をするつもりで発表すると良いよ

まずはそのチャプターの目的とあらすじをサラッと解説しよう。常に議論道筋を見失わず今どこにいるのかがわかるように声かけをしたり、途中で簡単ここまでのまとめを挟むとわかりやすいよ。

単純な式変形は適宜省略して、でも聞かれた時にはサラッと示せるようにしておこう。

 

もし理解できない箇所があるなら暇そうなポスドク質問して回るか同期と議論しよう。教科書1冊で満足しないで名著や重要論文は片っぱしから読んでおこう。

 

余談

ちなみに私も昔パワハラを受けたことがあって指導者を変えているんだ

最初に私の指導に当たった人はちょっと問題がある人でね。嫌がらせをされて困っていた。

そんな頃すごい論文を読んだ。それは革新的研究で新しい学術領域を作り出すものだった。その論文の著者は天才と呼ばれている人でね。名前をAさんとしようか。

Aさんは当時1人も学生を持っていなかった。噂では彼の認めた天才しか取らないのだという。

  

「この研究がどうしてもしたいです!どうか指導してください」と私はAさんの部屋に突撃していった。(注:アポを取りましょう)

パワハラを受け後が無い私に怖いものはなかった。やけっぱちとも言う。認められなければ辞める気だった。

Aさんはちょっと驚いていたけれど後日改めて呼び出された。

今の研究の状況や元の指導者との関係を聞かれたので淡々説明をすると

「それは私の方から話をつけたほうが良いねあなたは口裏を合わせてね」と言われた。1週間も経たずに新しい刺激的な研究が始まった。

天才議論ができるのは本当に素晴らしい経験だった。Aさんの生き方や考え方は研究だけではなく私の人生全てに影響を与えた。大学院の日々は私の人生で最も楽しく輝かしい日々だ。自分で言うのも恥ずかしいけどとても良い研究成果も残せた。本当にAさんと出会えてよかった。心から尊敬している。

  

後日例の噂の話をしたらAさんは笑っていた「そんな話初耳だ」と。

何のことはない、学生勝手に恐れ誰もAさんに指導を申し出なかっただけなのだった



anond:20240524223357

 

 

[追記] ポスドクと仲良くなろう

重要なことを書き忘れた。ポスドクと仲良くなろう!

ポスドク情報通だ。学生を育てるのが上手い人は誰なのか、研究環境が良いのはどこかをよく知っている。

特にアカハラをするような奴は悪い意味業界有名人だ。ポスドク絶対知っているはずだ。

とはいえシラフだと教えてくれないので飲み会を利用しよう

(※必ず複数人から聞こう。M1に嘘を吹き込む悪い人もいるからね)

  

ポスドクと仲良くなる方法を教える。研究を褒めよう!

研究を褒められて嬉しくない奴はいない。

「さっきの発表面白かったです!AをBで解決するなんてよく思いつきましたね」「ひょっとしてこの研究はXに利用できますか?」

目をキラキラさせて研究を語るあなたの周りに人は集まるようになるだろう。人が集まるということは情報が集まるということだ。それは研究者として有利なことなんだよ

 

 

ブコメ

心が弱ってる線の細い人に「図太くいけ」というのは草

 

ありがとう。私も最初心配していたんだけど元増田追記を見て大丈夫そうだと判断した。

一晩で前向きになっているところを見るに元々タフな子なのだろう。ぬるま湯を捨ててあえてチャレンジングな環境に身を投じる所も優秀な子の特徴だ。

ここからは私の予想だけれども、元増田の内容を見るに地方から上京してきた子なのではないか

経験上、遠くから来た子は5月連休くらいで高熱を出してダウンすることが多い。地方東京では人間関係距離感が違うし新しい生活最初は大変だ。

張り詰めた心の糸がぷつりと切れるのが5月なのかもしれない。

5月の終わりというのはちょっと時期が遅いけれど、それだけ元増田ガッツがある子なのだろう。

経験上辛いのは最初の3ヶ月くらいだよ。1年を過ぎる頃には増田に書き込んだことも忘れて楽しく研究しているのではないかな。

2024-05-24

追記しました】まだ5月だけど大学院やめたい

「生きててごめん」ゼミの後、うつ病に 22歳で命を絶った大学院生

今この自殺したM1とまったく同じ状況。

研究ってのがやってみたくてわざわざ外部有名大学の大学院に進学したけど、間違った選択だった。

自分はこの環境にふさわしい能力がない人間だった。

同級生は実質1年先輩みたいなもんで、研究内容の基本すらわかっていないのは自分だけ。

週一回のゼミ発表、それに加えて毎日実験雑務論文読み。

体力も気力もなくて全くついていけない。

休日存在しない。早く帰れた日でもスーパーはすべて閉まっている。

それに加えて深夜27時でも余裕でメールは回ってくる。大学院って労働基準法適用されないのかな?

お盆休み正月休みもないらしい。先輩は2年帰省できていないらしい。

以下、入学後一カ月で指導教員にいただいた言葉

 ・これまで聞いてきたプレゼンで一番ひどい。

 ・使えない人間はいらない。

 ・あなた(のような能力が低い人間)がこの場に存在していいのは学生から社会では無言で呆れられ人々は静かに離れていく。

 ・実験の失敗もケガも自己責任。調べてこない本人が悪い。

なんでも教えてもらわなければできない。研究室にいるだけでみんなに迷惑をかけている。絶対2年で修了できない。やめたい。

でも、応援してくれた家族の顔が浮かんできて口には出せない。

研究から一歩出ると悲しくもないのに毎回涙が出てくる。

でも、学生相談室が開いている時間研究室の外に出ることはできない。

指導教員が「みんなが当たり前にやっていることを出来ないお前はどこにいっても通用しない」ってよく言うけど本当なのだろうか。

もし、環境が合わないだけならこれ以上お金無駄にする前にやめたい。応援してくれた人の期待を裏切り、後ろ指をさされる人生になるけど。

もし、指導教員の言う通り自分能力では社会で生きていけないなら早めに死にたい

あんなに優秀な人がいうのだから後者に向かうべきなんだろう。


10年前はランドセル背負ってたのにな。自分がこんなに無能だとは知らないではしゃいでいた日々がまぶしい。


追記です

夜中の衝動で書いた支離滅裂文章にもかかわらず、たくさんの方が温かい言葉を書き込んでくださっていて驚きました。

今日は通院のために研究室を早退して町で太陽を浴びました。

髪色の明るい同い年ぐらいの人たちが楽しそうに歩いているのを見て、とても不思議気持ちになりました。

「何してる人たちなのかな。働いているのか、学生なのか。肩書はなくとも夢を追っている最中なのかも。」

外の世界を見てそう考えていたら、ここ二カ月で自分視野は狭まり変な方向まで思考が飛んでいたことに気づきました。

同時に研究室のことも悪く書き過ぎたかもしれないと思いました。

こんなに楽しいのに休むなんてもったいない!とばかりに、同じ環境で目をキラキラさせて研究に励んでいる学生もいるわけで…。

ここはスーパーマンたちがより輝くために用意された場所であって、とにかく私とは相性が悪かっただけかもしれないです。

世の中にはそういう人たちがいてそういう景色があるのだということは、進学しなければ知りませんでした。

一度知ってしまった手前、そっち側ではなかった自分がっかりする気持ちは残りますが、良い経験でした。

相談室にも両親にも話せなかった悩みを、こんなに多くの人が見てくれるなんてすごい時代ですね。

私はラッキー人間だと思います

大学院を続けるにしてもやめるにしても、皆さんの意見を参考にしてひとつずつできることは何か考えてみようと思います

ありがとうございました。

2024-05-20

βの呪縛から逃れられない

アラサー独身男性

旧商ソルジャーバンカー

彼女いない歴=年齢。

大学時代から今までの約9年間、大学サークルゼミ、紹介、マッチングアプリ職場の人など、それなりの女性デートをしてきた。

「振られる」という土台にすら立てず、付き合う前のデート食事で「大人しそう(陰キャ)」、「真面目そう(つまらない)」、「優しそう(良いところ0でキモい)」という評価が下されて終わっている。

いくら非モテとはいえ脈なしの女性ガツガツするみっともない真似はしないので上記評価が下された時点でちゃんと身を引いている。

これまでβオスから抜け出してαオスとなるべくそれなりに色々とやった。

筋トレ服装脱毛、髪と色々とやってきた。

社会人になってからはお洒落と言われることも増えた。

相席屋に行ったりクラブにも行ってひたすら女の子と会話し続けた。

言葉の始めに「あ」「あの」がつくこともなくなった。

数年かけてようやく「大人しそう(陰キャ)」と言われることはなくなったが、それでも「真面目そう(つまらない)」「優しそう(良いところ0でキモい)」という評価から抜け出せない。

低めの身長と童顔も影響していると思う。

気になってる子にキラキラした笑顔で「〇〇君って本当優しそうだ(良いところ0でキモい)よね」なんて言われた日には次の日が仕事でも、早朝から資格勉強しないといけなくても悔しさと虚しさで朝まで眠れない夜を過ごすことになる。

「遊んでそう(かっこいい)」「チャラい(タイプ)」「彼氏にしたくないw(彼氏になって♡)」と言われる日は永遠に来ない。

これまで、自分のことを「真面目そう(つまらない)」「優しそう(良いところ0でキモい)」と評価した女性から告白されることもあった。

つい孤独に耐えかねて「喜んで!」と言いそうになるが、そこをグッと堪えている。

ちゃん自分に異性としての好意を持ってくれている女性と付き合いたい。

うそんなことを言っていられる年齢じゃないけど、それでも諦められない。

どうすればβオスの呪縛から逃れて女性からら本当に好かれるαオスになれるんだ。

結局、そんなことは無理なのか。

苦しい。

2024-05-18

幹部候補教育ダルすぎてやりたくない

「気取ってる」ってああいうのを言うんだろうなあ。

「教わってる側の癖して」って気持ちに産まれて初めてなったわ。

なんであんなに「私の方が優秀なんですから私の時間無駄にしないでください」みたいな態度が取れるねん。

しろこっちはお前がやらかした諸々の尻拭いで四方八方振り回されてめっちゃ時間無駄にされてるんだけど。

まあ物覚えは良いと思うんだよね。

でもそれを仕事に応用する能力っていうか、自分のした行動が他の人にどう影響するのかを捉えるための感覚が足りてない。

工程先を想像する能力がないっていうより、考える気がなさそうなんだよね。

今その場で目の前に与えられた課題自分が高い評価を出すことが全てになっていると言うか。

経験値の低さ自体ゼミ部活バイトで上手く学べてないと難しい気がするから諦めるんだが、意識がなさそうってのは気になるんだよなあ。

自分王様で周囲の者がその召使みたいな感覚があるっていうかさ。

店で金払えば店員下僕扱いしても問題ないと思ってそうなタイプというか。

いわゆるエリート特有の「優秀な俺が結果を出すために手伝うのが、「優秀以外」に属する君たちの役割だよ」みたいな感覚があるんだよなあ。

ほんまなんでこんな奴に仕事教えなアカンねん。

この仕事を引き継ぐ人のために受け継いでいくのはいいけど、コイツ完全に腰掛け感覚なんだよね。

「下々の働きぶりを学んでから上にいけと言われていてね。君たち、将来上司になるかも知れない僕に恩を売るチャンスがあってよかったね?」ぐらいの感覚なんじゃね―かって感じさえある。

新人だろうがなんだろうが、次の肯定、次の年、次の仕事、次に自分の席に座る人といった次に当たるものを考える気のねー奴となんて働きたくねえよ。

まあこのエリート様的には「僕が出世した先」という形で未来を見据えているんだろうけど、それはお前個人未来だけだろうがよ。

この部署会社だけでなく業界全体とかまで考えた先が見えてないんだよ。

その癖して「僕は10年先の自分ビジョンを見ているからね。今目の前にある仕事は単なる経験値稼ぎやテストみたいなもんだよ」みたいな感覚で先を見た気にはなってそうなのがムカつくー。

お前自分の周囲半径1人2人程度の動きさえ把握出来てないっつーの。

2024-05-15

女性恐怖症と人間不信

子供の頃から女の子みたいとよく言われた

男のくせにナヨナヨするなヘラヘラするなとよく怒られた

男なんだからもっとキハキしなさいとよく叱られた


小1の時はゴリラというあだ名女子いじめっ子から守ってくれた

ゴリラと言われていたけど俺より背が低くクラスで一番かわいい子だった

でも気が強くて男子と対等に渡りうからそういうあだ名を付けられた

小2からは体力もつき多少はましになった

相変わらずいじめっ子はいゴリラ女子はいなかったけど他に守ってくれる子達もいた

小5の時、いろんな子から一緒の班になりたいと言われるくらいの人気者になった

小6の時、女子2人に呼び出されあんたのあの糞生意気な妹をどうにかしろと言われた

二人は妹と同じバトン部だったけど、スポーツ万能の妹への妬みだったのだろう

人一倍気が強くて男勝りの性格の妹には直接言えないから気の弱そうな俺に言ってきた

妹とは毎日喧嘩してたけど流石にそんなこと聞き入れられるわけがいか口論になった

そしたら女子の1人が、あんたの笑い顔がキモい、ビンボウニン、ボットン便所と言った

何も言い返せなくなり、この出来事トラウマになった

自分の笑い顔が嫌いになり、写真を撮る時笑えなくなった

家が貧乏、汲み取り式トレイというのは一番触れられたくないことだった

みんなが陰口を言っているように思えて人間不信になり他人との距離が測れなくなった

対人恐怖症になり大勢の前に立つと赤面するようになった

人の目を見て話せなくなった

親しい人でもそれが例え友人でも気安く下の名前で呼べなくなった

まだ男子とは話せるだけましだった

女性恐怖症がひどく女子とは全く話せなくなった

女子が集まって話していると悪口を言われているようで怖くて近寄れなくなった

女子と話もできないから小中高と1度も彼女はできなかった

告白したこともされたこともラブレター1通貰ったこともなかった

バレンタイデーとか卒業式の第2ボタンなんてどこの世界の話って感じだった


大学生になると地元過去をたち切れたので多少マシになった

でも対人恐怖症がまだあって電車通学がつらかった

かいの席からジロジロ見られている気がした

女性グループで乗っていると悪口を言われている気がした

あれは人間じゃないマネキンだと思おうとしたがダメだった


それでもバイト先で告白されたり

たまに行く合コンで連絡先を交換したいと言われるようになった

でもコミュ障から会話が続かず1回会ってそれっきりだった

ゼミには女子が5人いてみんな優しくていい人たちだったけど

ほとんど話した記憶が無いし1人の連絡先も知らなかった

結局、大学時代彼女女友達さえ1人もできなかった


社会人になってもあまり変わらなかった

新卒の時は直属上司パワハラが酷かった

笑うなヘラヘラするなと言われ続けた

徹底的に人格否定された

脛を蹴られたこともある

少林寺拳法有段者から蹴られた滅茶苦茶痛い

責任押し付けられたり成果を無いことにされたりもした

俺がどれだけ酷いことを言われても先輩たちは見て見ぬふりだった

地方赴任で友達も同期もいなかったから誰にも相談できなかった

休み明けに先輩たちがよく出勤してきたなもう辞めると思ってたと驚いた

ストレス十二指腸潰瘍になっても上司から会社に来いと言われた

そのうち上司説教するとそれがモニター映像のように見えるようになった

上司はお前は瞳孔が開いている、脳のスイッチを切って俺の話を全然聞いてないと言った

ギリギリ自己防衛本能すらも許されなかった

人間不信と対人恐怖症が悪化精神崩壊寸前まで行った

2年目に俺を心配した2つ上の上司本社へ転属させてくれた

この人は厳しい人だったがいつも社員退職理由人間関係が1位と言っていた

上司が嫌で辞める社員が圧倒的に多いというのが口癖だった

から直属上司はこの人のいる前では絶対パワハラをしなかった

俺もこの人には何も言わなかったが、それでも全てを察していた

直属上司はなんでお前が本社勤務なんだと憤った


本社勤務となり環境がガラッと変わった

上司が俺の悪い噂を流していたが、それを信じる人は少なかった

新しい直属上司も嫌な奴だったけれど、元上司より100倍マシだった

フォローしてくれる先輩や他部署管理職の人たちがいた

同期や大学時代の友人が何人もいて相談ストレス解消もできた

でも相変わらずコミュ障だったから同期や先輩から合コンに誘われても断っていた

人数合わせで強制参加の合コンで連絡先を交換したいと言う人がいた

でもやっぱり二人だけで会うと口下手だから1回会って終わりだった

その後の合コンで会った何人かと連絡先交換したけど2回会えればいい方だった

結局、いつまでたっても彼女はできなかった


社会人3年目の時、大学ゼミ同級生の男1人と女1人から飲みに誘われた

ゼミ女子サバサバした性格で俺でも気軽に話せる人だった

彼女飲み会職場同僚女子を1人連れてきた

同僚女子普通にしていればかわいいのに、笑うと目も口も一直線の変顔になった

口元には薄っすら大きめのアザがあり笑うと引き伸ばされて目立った

でも彼女はアザなんて一切気にせず全開の変顔で笑った

俺は彼女とは初対面なのになぜか臆せず話せた

飲み会が終わる頃には彼女の変笑顔もかわいく思えた

でも彼女拒否されるのが怖くて、結局、連絡先を聞けなかった


飲み会後、1週間経っても彼女の満面変笑顔が忘れられずゼミ男に相談した

ゼミ男はゼミ女子に聞いてみればと連絡先を教えてくれた

ゼミ女子に連絡したら実は彼女を俺に紹介したくて飲み会に連れて行ったのだと言った

2人とも凄く性格がいいのに彼氏彼女がいないと聞いたからだと言った

ゼミからなぜ当日に彼女と連絡先を交換しなかったのかと怒られた

もっと早くに自分に連絡して来くるべきだったと説教された

あなたは人が良すぎる一刻の猶予もないのを全く理解していないと言われた

ゼミ男は飲み会の翌日には彼女の連絡先を聞いてきたぞと衝撃の事実を告げられた

とにかく急げ1秒たりとも逡巡する暇はないこの電話を切って今すぐ行動しろと言われた

俺は電話を切るとすぐ彼女電話してまた会いたいと言った

彼女は快くOKしてくれた


初めて二人だけで会った日

彼女は満面の変笑顔で待ち合わせ場所に現れた

普通の顔に戻るとやっぱりかわいかった

ランチを食べた後ショッピングに行くとメンズ服屋に連れて行かれた

女子と二人で服屋に行くのなんて人生で初めてだった

彼女に着せ替え人形みたいにあれを着ろこれを着ろと試着させられた

俺が絶対に選ばないピンク系がかわいくて一番似合うと言った

店員の前でも平気でかわいいかわいいを連発するから恥ずかしかった

その間ずっと変笑顔全開で楽しそうだった

俺が人前でかわいいって言われるのは恥ずかしいからやめて欲しいと言うと

彼女かわいいものかわいいと言ってなぜいけない

女でも男でも子供でも大人でもかわいい褒め言葉だと言った

かわいい服のほうが俺には絶対に似合うと言った

まだまだ男らしさ女らしさが求められる時代だった

彼女時代の遙か先を行っていた


彼女は俺の笑顔が好きだとも言った

俺は彼女自分笑顔が好きじゃないと言った

彼女は俺の笑顔見ていたら自分笑顔になる

その笑顔は最高だからもっと笑った方がいい

自分の笑い顔のほうがよっぽどへんてこだと言った

それを俺が笑ったら、笑いすぎ失礼すぎると怒られた


それまでにもそういう風に思ってくれた人はいるとは思うけど

口に出して面と向かって言ってくれた人は彼女が初めてだった

俺はずっと無理して男らしくしようと背伸びしていたと思う

彼女にそう言われて肩の力が抜けた気がした

彼女の前では自然体でいられた

そして人生で初めて彼女ができた

彼女家族以外で本気で喧嘩できる初めての人になった

彼女家族親戚以外で初めて下の名前で呼べる人になった


からといって俺の性格根本的に変わったわけではない

女性恐怖症も人間不信も完治したわけでもない

笑顔がぎこちなくなることも多いし

ネガティブ思考も一向に抜けない

ここでこんな文章を書くくらいにはこじらせている

それでも彼女は今でも待ち合わせには変笑顔全開で来てくれるし

メンズ服屋の店員の前でオッサンになった俺を平気でかわいいと言ってくれる

2024-05-13

理系学生教員ハラスメント講習受講必須にしてほしい

飲み会女子の体を触らないとかそういうレベルから教育してほしい。

後輩にパワハラしてゼミ炎上させるとかも。

キャリア以前にあの環境に残りたいと思う女子は相当変わってるよ。

2024-05-11

やる気のない学生

まったく卒研進んでないのに、ゼミではしっかりろくろ回しながらカッコつけて喋るんだよな

中身スカスカでそれは痛いぞ

就活でもそんな感じなのかなーって思ってたら

この間最終面接落ちたって凹んでたわ

そりゃまあ、バレるよねぇ

2024-05-09

anond:20240508205203

リー見返すことすら出来ないのほんと草

職場のみんなからの反応も言えず、憲法解釈引用することも出来ず、憲法ゼミ所属してたことも証明できず妄想確定

負け、負け、アンド負け

お前の人生のものやな

2024-05-07

anond:20240507035732

最初憲法読んだらわかるとか嘯いたのお前だからお前が憲法ゼミに入っていたことをお前が証明出来なければお前の妄想確定でお前の負けな

anond:20240506061423

ゼミでやらされながら短歌俳句自分にゃ無理だな!!!となった者だけれど,大事なことは古今和歌集仮名序が既に全部言ってるんだなあ……と思う今日この頃

やまとうた(漢詩ではない、和歌)は人の心を種として,万のことのは(葉)とぞなれりける。

(やまと歌は、人の心の動きを元にして、様々な言葉になったものである

世の中にある人事業しげき(繁き・繁樹)ものなれば,心におもふ事を,見るもの聞くものにつけてい言ひだせるなり。

(世のなかにある人は、事象が沢山あるので、心に思うことを、見るもの・聞こえるものに託して言葉に表しているのだ)

ざっくりと言えば,少なくとも心情を情景に託すことが出来ていないか,それが(なるべく初見で)読者に伝わらない句は駄目っぽい。

この基準プレバト見ると才能アリ・ナシが予測できたりしてちょっと面白いおっちゃんは後者が苦手。

関係ないけど古今和歌集仮名序の種→葉→樹の仕掛けが歌論なはずなのに、ちゃんと"やまとうた"でとても好き

anond:20240507002809

日本国憲法がその基礎その法意としていわゆるHuman rightsやSocial justiceといった思想を擁していることは日本国憲法を「まともに」読めているならばご存知のはずですよ

まさか条文を適当に読んだだけで憲法を読めたと思い込んでいるのですか?

どちらの憲法ゼミにいらっしゃったんですか?

まさか自分の頭の中だけで「読んだ気になった」だけなんですか?

2024-05-05

なぜほとんどの学会オンサイト開催に戻ってしまったのか

概要

ほとんどの学会オンライン開催からオンサイト開催に戻ってしまった。ポスター発表が盛り上がるような良いシステムがないので得るものが減るし学生未来がひいては学問未来ヤバイのが理由である

はじめに

学会も全部オンライン開催でよかったのにみんなオンサイトに戻った」のを不満に思っているのを確かGW前の増田で見た気がする。

今日はなんでそうなっちゃったかを書いておこうと思う。

そもそも学会ってなんだ

まあ学問仕事にしている人ならわかっているが、私は仕事にしている人ではないし、ここは増田なので書いておく必要があるかもしれない。付録にして後ろに置きたいが先に書いてしまおう。

学会というのは意味が2種類あって、

のどっちも学会と呼ばれる。文脈で分かれるから注意だ。

コミックマーケット準備会コミックマーケット対応しているようなものだ。コミケットを開きたいか準備会設立する必要があったんですね。

ただ、両方を指して学会って言ってるようなもんでなんでそんなめんどくさいことになってるのかは私の分野ではないので知らない。日本語関連の先生に聞いてください。

学会の初期の緊急対応

新型コロナウイルスcovid-19が流行り始めて対処も良くわからない時期があった。今なら換気してマスクしてワクチン打って手洗いうがいをすればかなり抑えられることがわかっているが、2020年ダイヤモンドプリンセス号が魔界の船のような雰囲気を出していた時点ではそうもいかなかった。

というわけで現地開催が無理になり、急遽学会中止にしたり、スポーツで言う無観客開催のように予稿集に載ったことで発表したことにするね!現地には来ないでね!といった対応をとったりした。全部未発表扱いにした学会はあったのかな。私は知らない。

covid-19前提の学会開催へ

病気への対処全然からない時点でも、学会を開催する側は来年の開催を考える必要が出てくる。学会の準備って9か月前ぐらいからやってるんで。なんなら会場の予約は1年前にしとかないといけないんで。

そこで注目されたのがオンラインである結構からオンライン会議できることは知られていたしZoomは急速に普及した。それにyoutube動画イベント講義動画を発表したりするのは以前よりよくやられていたか当然の帰結である

vimeo使ってもいいし、youtube使える場合だってあるし(学会計画時点でだれでもyoutubeliveできたのに計画中にチャンネル登録一定以上じゃないとできなくなって慌てて違うのを探したという事件を聞いた)、ニコニコだっていい(参加有料の学会ニコ生でやったのは知らない。一般向けの講演ならやってるのは見た)そもそも動画とっといてUPしてもらえば何とでもなる。

そんなわけで2021年から既存学会がたくさん、オンラインにいったん移行した。

これはある程度うまくいった。講演や口頭発表のように、広い会場で一人が発表して、司会がほんの少しの質疑応答を仕切るスタイルだと、質疑応答オンサイトよりやや盛り上がらないぐらいでほとんど問題にならなかったのである。なんなら質問テキストでのみ受け付けて司会が代読するスタイルにすると演説始めるような変な質問者をはじけて最高。それに住んでいる地方関係なく参加が簡単だし、おまけに講演者外国活躍している人を旅費なしで直接呼べちゃう。さっきまで動画でしっかり講演してた先生リアルタイム質疑応答になったらコロナで息も絶え絶え熱が下がんねえよって言いながら回答してたのは不謹慎ながら未来を感じたりした。

ところが大きな問題があった。懇親会とポスターセッションである

懇親会ができない!

あんなん飲み会じゃんと思う人がいるかもしれないが、基調講演するような偉い先生に対して講演の質問をできる機会というのは貴重である。懇親会に出てくれるからかい質問は後にしろって講演の時に質問ぶった切られたりするしね。それができないんなら全部質問させろってことになりかねない。

それにそういう質疑のサブセットがフラクタル状に起きてるのが懇親会なのである

でもまあ非常時だから仕方ないよね疫病だもんねっていうのでまあ納得できるぐらいのダメージではあった。

ポスターセッションがうまくいかない!

最大の問題はこれである

ポスターセッションというのは、会場に模造紙サイズのでかい紙を貼れる板を何十枚か用意して、そこに研究の成果を貼って、来た人に研究説明をして、来た人の質問をもとに議論するっていうセッションである

すげえよな2024年なのに板に紙貼ってるんだぜ紙。布もあるけど。私は全ポスターモニタープロジェクターになった学会は見たことない。多分お金土地と電力が足りないんだと思う。

オンライン学会ポスターセッションはいわゆるZOOM/WebEX/Teamsみたいな会議ツールがよく使われた。Zoomブレイクアウトルームでよく参加したなあ。わーい紙じゃない未来が来たぞ。

これの問題としては

  • 全体をざっと流して興味のある研究がないか探すことができない
  • 今質疑が切れたから聞きに行こうとかあそこあまり混んでないから聞きに行こうとかできない
  • 質問同士が同時に出てお見合い状態になるしそれを防ぐために遠慮がちになる
  • 発表者が虚空に呼び掛けている徒労感が強い

などがある。

あとはoViceみたいなオンラインオフィス系統もあった。オンライン会議に比べると比較的質疑し易くはあるんだけど、一方これだけで学会しようとするとこの形式は講演がやりづらいとか資料が見づらいという問題がある。

どのシステムでも質疑応答が盛り上がらないし、質問する方は回れるポスターが減る、質問される方は場数が踏めないし、質疑応答からまれる新しい発想なんてのも生まれてこない。

結局、多人数が発表していてさらに多人数が質問するけど質問者は発表者一人一人の声がクリアに聞こえなくちゃいけなくて、なおかつ空いた発表がどこなのかわかりやすツールはまだ出てきてない。

そりゃVRChatの部屋みたいなところでポスターセッションできればいいと思うよ。でも同時に2百人とか3百人とかは入れないじゃん。3百人いて発表者30人ぐらいをさばけるシステムがないんだ。どうしても時間あたりに議論に参加できるポスターの本数が減っちゃうんだよな。

学生さんが充分な質疑応答経験を積めないということは、学者としての経験値が不足するということだ。ということは学生さんの成長がヤバイ学生さんが成長しないということはその学問の分野の未来ヤバイ。なんのために学会やってるんだっけってなる。

そんなわけで、covid-19の対策が進んだことにより学会オンサイトに戻っていった。

じゃあハイブリッドにしてよ!

オンラインだけだと不都合があるのは分かった。じゃあハイブリッドにしてオンサイトオンリーはやめてほしい。

うんわかる。参加者からそう言いたいのは分かる。特に参加費より旅費交通費が大きい民は特にそう思うと思う。わかるんだけど、発表者にオンサイトポスター見ながらオンライン会議質疑応答もやれっていうのは負担普通に倍なんで無理です。学生さんだぞ。ネットレスバしながらゼミ受けろってのと変わらん。何の拷問ですか。

あとな、オンライン学会システム利用費、なんかリアル会場に引けを取らないぐらい高い。運営したらわかる。ピッタリ一緒じゃないけど、10分の1で済むとかそういう感じにはならない。桁がおんなじ感じ。

まりフルにハイブリッドでやるとお値段がだいたい倍かかるんだ。参加者が倍になってくれないと割が合わないよな。で、倍にならなかったんです。

残ってるオンラインハイブリッド学会大事にしよう。もしくは立ち上げよう

結局、いままだハイブリッドやってるとかは相応に頑張ってるので応援してあげてほしい。あとポスター少なくて口頭発表と講演中心の学会であればオンラインも十分やっていけると思う。そういう学会自分でやるしかないんじゃないかなあ。

結論

学会オンラインだけに戻るのはポスターが盛り上がる発表システムがないと無理。そうじゃないと学生学問未来ヤバイオンライン学会向けの発表システムについては今後の課題である

2024-05-03

退職エントリー的な何か

ずっとソフトウエアエンジニアで飯食っていたのですが、2021年4月からIT系専門学校教員を3年間やってきました。

今年の3月末で退職し、技術系の会社転職しました。

教員は初めての経験でした。

始めるうえでやって良かったこと。逆にがっかりしたことを書こうと思います

いずれちゃんと書くつもりだったのですが、途中で飽きてしまったのでwとりあえず下書きっぽいのを投げてます

—-

教員になってすぐに、理事長含むお偉方の前で模擬授業をやったのですが、そこでの理事長評価がとても良かったそうです。私がいないところで褒められたので、どこが良かったのかわからないのですが、模擬授業中の他教員からフィードバックでは、「常に教室中を見回して聞き手のことを見ている」「適当時間質問タイムを入れている」などをいただきました。この辺りは説明プレゼンを数多くこなしていれば普通に対応できると思います。どちらかというと、「初手で理事長に好印象付けに成功した」が大きかったと思います

とりあえず、なんとかなりそうだとの感触を持ちました。


まず、何を考えて教員をやったか。やって良かったこと等。

さて、私は大卒専門学校のことも知らないし教員歴もありません。

なので、経験のある社員教育OJT)をベースに、不具合があったところを修正する、という方針で臨みました。

新人から入社数年くらいの社員に対しては

課題解決方法提供、答え合わせまで行う。

課題解決のための材料提供のみ行い、課題解決自身で行なってもらう。こちらが全てお膳立てして、こちらの想定に沿った解決策の提示を行なってもらっているので、まだ自立しているとは言えないが、本人は自分努力解決したという自意識を持っている。

③「なぜこの課題解決すべきなのか」という問題提起のみ行い、解決のためのリソースを入手するところから自力でやってもらう。これができるようになると、こちらの想定を超えた課題解決を行うことがあり、仕事を任せることができる。

という順序で指導を行っています

こちらをベースに、不具合のあるところをアレンジする方針で臨みました。

基本方針

①専門知識は全て教員が持ち、必要情報を全て提供する「教師と生徒(≠学生)の関係

②体調が悪い時には自ら病院に通い、専門技術を持った医者医療サービスを受けるような「医者と患者の関係

RPGの「武器屋」のように、自ら魔王は倒さないけど、各自に合った良い武器の選び方、武器の使い方は教える「勇者武器屋関係

という3つの関係の使い分けです。

③だけちょっと表現が違いますが、これが1番学生に通じやすかったんです。

また、学生は「さん」づけで呼びました。TPOによっては呼び捨てしますが、「あの子」のような「子」とは呼びませんでした。「あの子呼ばわり」というとネガティブな印象の方が私には強いので。


学生対応について

基本的学生との接触回数・接触時間を増やすことで、学生から好感度信頼度は上がります(人によって上昇率に差はあるにせよ)

なので、登校日はできるだけ朝早く教室に顔を出しました。

学生によっては、授業の始まる30分前には学校に来ています

朝早くから在室しているメンバーは固定されがちですが、まずは少数の学生であっても、良い評判を勝ち取り、口コミで他の学生評判が広がってくれれば良いと考えました。

これはずっと続けたかったのですが、特に3年目は仕事が忙しく、時間ギリギリ通勤するのがやっとだったので中断してしまったのが残念です。


専門学校大学と違うところの一つが、専門学校にはゼミ研究室がないことです。

コロナ禍でオンライン登校が多かったせいもあると思いますが、学生同士のつながりが希薄です。クラブ活動も全面ストップだったので、クラス外の学生、学年を跨いだ学生同士の連携ほとんどないように感じました。

大学だと、学生が何かわからないことがあれば、まず同じ研究室生・同級生に、次に先輩に質問し、それでもわからなければ教員に聞きにくると思うのですが、専門学校だと、割と軽微な質問まで教員にきます。もちろん困っている学生がせっかく相談に来てくれたのだからそのつながりは大事しますが、教員に聞きにくるまでに捨てられた無数の質問もあったんだろうなと思いましたので、そちらをなんとかしたいと考えました。

まずクラス内の学生のつながりを強化したいと考えました。

ひとつツールなどの紹介です。

こんな便利なツールがあるよ。よかったら授業で使ってください。という「紹介」をしました。

かい使い方までは言わなかったのですが、特にグループワークで学生自主的に使ってくれました。

特に人気があったのはMiroブレインストーミングカンバンなど)、Figmaアプリデザインなど)、Notion(技術共有などWiki的な使い方)などです。どれも複数人の同時編集機能があるので、グループワークで使うのに相性が良かったようです。

ツールの使い方、どんな図面ドキュメントを書くかなど、学生同士が細かく相談したり、あるチームの成果を別のチームで紹介したり等、学生自主的に動いてくれました。

統制が取れた、良いチームワークができたと思っています

統制とは(辞書に載っている意味とは違うかもしれませんが)個人自主的に別の個人やチームに共感し、自主的にその方針に従っている状態が保たれている時、「統制が取れている」と言う言い方を、私はします。

フォローアーシップが十分に発揮されている状態、と思って頂ければと。


もうひとつ放課後教室開放です。

1年目は登校授業が週1に制限されていたので、放課後学生居残りまで発想が及ばなかったのですが、「夏休み中に登校して、学校基本情報勉強をしたい」との学生の申し出があったのでいろいろ調べたところ、前日までに登校計画書を提出すれば対応可能だとわかりました。計画書さえ出せば毎日登校でも良いそうです。その後、通常授業の日も事前に学生名などを届けることで教室が使えることになったので、できるだけ学生を呼ぶようにしました。

あとひとつ就活の利用です。

卒業の1年以上前内定を取る学生もいますので、彼らに未内定学生フォローを手伝ってもらいました。

面接でどんな質問があるか」等、最新の就活事情は私もわかりませんし、その辺の情報学生が1番詳しいです。

教員就活支援担当のいうことより、同年代学生経験談の方が、説得力もありますし、学生真剣に聞いてくれます

さらには、就活フォロー名目で、学生との1on1に当てていました。

自己PRネタ探し」などの名目で、学生経験などをかなり詳しく聞くことができます普段なかなか聞けない「みんなより1学年上なのはなぜ?」などの質問もできますので、私にとっては貴重な時間です。



授業について

私は座学をほとんど受け持たず、実技メインの授業でした。

実技メインなのは助かりました。

技術者として他の人に指導なり水平展開するのと、基本的に同じやり方が取れるからです。

技術リーダー仕事は「自身スキルを持って、他の技術者の成果を向上させる」です。それは教員でもほとんど同じです。

受け持ちも3、4年生なので、2年以上プログラミングを学んだ人たちです。ずぶの素人集団ではありません。

特にグループワークの授業では「チームがより良い成果を出すためには、チームメンバー技術知識経験をフルに生かすこと」を命題に、かつて学んだCrew Resource Managementの技術ベースCRM自体学生に学んで欲しいわけではないので)に、Psychological SafetyやHealthy Conflictの考え方を交えた取り組みを行いました。

引き継いだシラバスからデザイン思考を用いた企画発案、スクラムによるアプリ開発を重点に、他の部分は極力削ぎ落としたり簡単に取り上げるだけにしたのも良かったと思います

実際の授業では、先に挙げた通り学生同士の教え合いを活発化させることをメインに、こまめに学生の机の間を回って、学生から質問なり、ただの雑談があったときにすぐに話ができるようにしていました。

このあたりは、工夫というほどではないですね。

専門学校は1コマが50分しかないので、途中で集中力が切れてしまったら、時間内の回復は難しいです。

なので、できるだけ授業を止めない。たとえばあるチームの質問を他のチームにも展開したいと思った時には、その場で一旦授業を止めるのではなく次のコマの開始時にまとめて話をするようにしました。

逆に、これは50分持たないな、と思った時には、あえて中間に5分ほどアイスブレイクを入れることもあります


この辺り、授業進行・クラス運営技術ではなくアートだなと強く感じました。


優秀な学生への対応

基本的には「中間層の学生をメインに授業設計する」「よりできる学生は本人の自主性・成長力に期待する」「それ以外の学生個別対応」で対応しました。クラスに40名以上もいると、全員個別対応はできませんので・

ただ、できる学生からと放っておいてもいいわけではない。常に気を配っている姿勢を見せつづけないといけない。

で、そういう学生には「こちからお願いごとをする」機会をできるだけ作るようにしました。

直近2年連続で学年総代を私のクラスから輩出させていただいたのですが、彼(女)らは、4月の時点では特に目立って他学生への気配り・目配りができるタイプではなかったです(仲間内では人気がある学生でしたが)。「総代候補」の学生数人を中心にこちからお願い事を増やし「ありがとう」という感謝の意を伝えるようにしました。

結局、総代になった学生は、私から最もお礼を言った学生になりました。

総代になる学生は、何か具合の悪いことが起こった時に逃げたしだりやる気を失ったりせず、問題解決しようとするか、少なくともテンションが大幅に下がることがないですね。そういう「胆力」がある学生結果的に総代になってくれて、個人的にはうれしかったです。


成績・出席率の良くない学生対応

高校時代の出席率が良くない学生は、(高校入試偏差値が高くても)成績がよくないケースが多いです。高校時代の出席率は入試担当部門に行けば見せてもらえるので(そのことを知ったのは教員やって1年以上経ったころでしたが)、予め当たりをつけることができました。

ちなみに今は高校時代の成績、出席率は教務担当オンラインで見られます。なぜか国語の成績はシステムに入ってないので、そちらは相変わらず見に行かないといけないのですが。


人数はそう多くないのですが、高卒資格入学してくる学生は、これらの情報がありません。学生コミュ力結構な差があって一概にいえないのですが、教員含む大人との駆け引きは苦手な学生が多い印象です。つまり就活が大変になるということです。


調子の良くない学生典型例として心療内科受診経験者も結構いたのですが、教員にも隠していることが多く、引き継ぎにも書かれていないケースや、本人から教員に言わないで欲しいという申し出もたまにあります

私の場合心療内科受診を勧めた学生受診歴なしの学生はいなかったのですが(受診歴あるのに本人から申告されるまで気づかなかった学生はいます。)こういう対応ができる教員はそう多くないので、学生が隠したがる一員になっていると考えています

対処法は学生による、としか言いようがないですね。学生むけの無料相談室を勧めるところまでは共通ですが。


前年度の担任から、「特に問題点はない素直な学生だが成績は良くない」という引き継ぎを受けた学生が、実は大人を騙すことになんのためらいも無い人物だったことがありました。私などからすると「こんな単純なウソ大人通用すると本気で思っているのか?」と思える幼稚な対応でしたので、すぐに保護者連絡を取って(当然保護者は気づいていますので)、保護者担任連携が強固に取れていることをアピールすると、少なくともウソ通用しないことは気づきます基本的には保護者から先生、なんとか卒業だけはさせてください」という言質を取って、とっとと卒業してもらう、というスタンスです。

やたら素っ気ない態度と、1年の時から比較して成績が急降下していた学生がいたのですが、彼女の友人から父親と決定的に仲が悪く、そのためか年長男性に心を開かない」ことを教えてもらうまでは、全くとりつく島がなく、苦労した学生がいました。会話が成立するようになってからも、特に強い言葉を使ったつもりもないのに学校に来なくなってしまうことが時々あったのですがなんとか就職も決まり、今は元気にやっている様子です。

出席率・単位が不足する学生には補習を受けてもらうのですが、私を含めごく少数の教員は「他の人よりちょっと多く学校に来てもらうことになったけど、これが終われば進級・卒業できるんだから、あとちょっとけがんばろう」というスタンスでした。補習が終わり「これで卒業決定です。4月から新社会人として頑張ってください」というと、学生自ら反省とか決意とかを言ってくれるので、こちらはそれを信じて送り出します、

一方で補習中ずっと説教モード教員も多く、聞いているこちらがうんざりしました。説教しない教員同士で「学生はすでに十分反省しているのに、なんでまだ怒るんでしょうね」とヒソヒソ話をしてたものです。

保護者面談について

事前に全く想定していませんでした。

私自身、大学どころか、高校中学先生と両親が面談をやっていた記憶がありません。

とりあえず

保護者スポンサーステークホルダーとして対応する」

「できるだけエビデンスを揃える」

で臨みました。

成績の良くない学生就職を控えている学生保護者との面談特に重要です。

「もうすぐ社会人なのだから自分決断・行動してほしい。先生にお尻を叩かれてから行動を起こすようでは困る」という保護者は多い、というか、ほぼ全員です。こちももとよりそのつもりです。

単純に放置する保護者も多いのですが、「1人前になるのはゴールではなくスタートですよね?1人前の人間としての能力を持ったら、その力をどう使うべきでしょう?困っている人を助けるのも、力の使い方のひとつと思います」などと偉そうなことを言って、保護者連携を強化しました。

最新の就職事情がわからない。自身IT系人間ではないので、どういう支援をしたら良いのかわからない、という保護者の方には、過去学生活動事例、本校学生就職先、勤務地などの資料をもとに、説明を繰り返しました。

大学就活に関する情報ネットにたくさんありますが、専門学校生に特化した情報は意外とありません。それはこちらも同じなのですが、「ここは大学生とほぼ同じ。ここは事情が違う」という情報を集めてご報告しました。


保護者自身も、保護者懇談を予想していなかった人もいます

先生と会ってどんな話をしたらいいのかと思っていたが、お話できてよかったです」というメールをいただいた時にはホッとしました。

教員を辞めた理由について

1. とにかく忙しい。

去年の3月末で辞めた教員の補充しなかったため、仕事が山積みになった

その前年にもベテラン2名が辞めていたので、土日も休めない状況になった。

2.やることがなくなってしまった

2年目で数値化できる数値はほぼずべて学年トップ場合によってはIT学科トップや全校でも2、3番手などになってしまい、さらに上を目指すものがなくなった

3.学科長の方針独自すぎる

校長など経営陣の意向を取り違える。他の学科長と連携しないなど、独自路線を突っ走る。かといって学科の取りまとめもやらないので、成果の出ない(クラス数激減)学科になった。

4. 他教員と話が合わない

4年ではスクラム開発を取り上げるのですが、4年担任はよくいえばスクラムガイドに忠実。悪くいえば批判精神がない、なぜこういうルールになったのかまで考えが至らないタイプでした。

スクラムガイドには、チームは「10名以下」と明記されているのですが、チーム開発経験の乏しい学生にこの人数は多すぎです。

実際、成果を出したチームは4人チームが最も多かったのですが、ずっと多人数チームに固執し続けていました。

4年生は当然実力はあるのですが、それに見合った成果が出ませんでした

成果の出ない授業の担当は、本当に苦痛でした。

5.他教員が働かない

関係者以外の目に触れた実例として卒業式の例を。

私は卒業生・保護者来賓の方の誘導係でした。

2、3名で案内をしていたのですが、体が不自由そうな保護者の方をエレベーター誘導したり、 Permalink | 記事への反応(2) | 13:20

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