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2024-11-15

転職が決まって心の整理をした


当方、齢37である。来月末に引っ越しをする。大学卒業から約15年、暮らしてきた実家近くのアパートを離れるのである

社会人としての稼ぎが少なすぎて、実家の手を借りなければ生きられない。よくメシを食べに行っていた。情けない社会人だった。それは結婚しても変わらなかった……幸い、子どもはいない。

妻は、いいやつだ。こんな貧乏暮らし人間結婚してくれた。見栄っ張りなのが玉にキズである。親戚や近所同士の集まりでも、コモンカード(MTGで言うと「モグ狂信者」 わかったぞ! わかったぞ! わか……)に等しい私を、高年収正規サラリマンとして紹介することがあった。

よくできた妻だと思う。私にはもったいないくらいの。悪態をつくことはあるけど、裏切ったりしない。近所の実家にお米や野菜たかりに行く時も、一緒に付いてきてくれた。

もし、この世界エロ漫画世界で、あらくれ氏が描くみたいなオッサンに妻が寝取られしまったとしても、私は許すと思う。私に尽くしてくれる良妻である

かつては弱者だった。※弱者男性という言葉は嫌い

大学時代、ぜんぜんダメな子だった。偏差値50台の二流以下の大学で、学生時代アルバイトばかりやっており、部活サークルもせずにダラダラ過ごしていた。就職活動はひどいものだった。

「Fの就職チャンネル」で就活生の動画ex.大学4年の6月から就活始めたりする)をたまにやってると思うが、まさにあんな感じの、圧倒的ダメダメ就活生だった。

さて今回、引っ越しをするのは、晴れて正社員としての採用が決まったかである関西の南の方に住んでるのだが、隣県での採用が決まった。大まかな括りだと機械操作オペレータである年収+はなんと約200万円。

今まで、この田舎にある小さい製造会社毎日毎日機械仕様書図面と格闘してきた。25才の時、契約社員として雇ってもらった。それまでは近所にある町中華の店でアルバイトしていた。

正直キツかった。専門知識は一切ない私立文系人間であるマジで辛かったよ。しかも、小さい会社なのに出張であるんだからな……だがしかし、ついに培ってきたワザが評価されたのだ!!

今年の4月になってから(妻の強い勧めで)転職サイト登録してみたところ、私のワザというのは、意外と需要のあるスキルだったようである。(ビズリーーーーーーーーーーチッ!!)



そんなこんなで、この田舎最後に何をしようか思案していた。

したことは思いつかなかったが、とりあえずやってみたことを列挙する。

・少し高級な中華料理屋で暴飲暴食

・年に5~6回通っていた居酒屋で高級シャンパンを注文

・昔の思い出グッズを漁る(MTGカード進研ゼミ中学版、ガラケー写真など)

地元中学校での文化フェスティバルへの参加。中学生以来

地元小学校のサマフェスへの参加。高校生以来

地元神社奉納祭り役員への立候補。当日記を書き始めた頃に無事終了

あとは、里山登りかな。幼い頃、祖母に連れられてよく里山散歩をしていた。小高い山の頂上から見下ろす町並みは壮観だった。

なにぶん田舎なので、里山がたくさんある。グーグルマップで見てみると、東京の方でも端っこの方は青々とした山が広がっている。あん標高数百メートル以内の山を、ひたすらに登っていく。

自宅の裏から繋がる山道入口から始まって、よいしょよいしょっと里山を登っていく。私が子どもの頃は、近所の人はみんな林業してたから、開けた地形がけっこうあった。里山というよりは丘陵樹木が生えてる感じだった。

亡き祖父の話によると、戦時中はどの里山もはげ山状態だったらしい。戦争石油燃料が不足したため、国民単位でみんな柴刈りをやりまくったのだ。グーグルマップで言うと、あの青々とした山がほぼ肌色だったということだ。

昭和前半の空中写真を見たら一目瞭然

今は林業をする人はおらず、里山は荒れ放題であるてっぺんまで行っても町の景色など見えやしない。雑木の群れが頂上を覆い隠している。

樹木が生い茂ってないところだと、町の景色が見えたりする。山の標高は低いけど、限界効用が低いとでも言えばいいのか、珍しい景色なので壮観である。汗ダラダラで意識朦朧としてるのもある。脳がマヒしている。

景色の一例≫※いずれも里山。道なき道を進んでいく

https://tadaup.jp/15183559802496/

https://d.kuku.lu/83gjgt5fb



高校時代卒業アルバムも読んだっけ。柔道部に籍を置いていた。

高校卒業式の直後、部活メンバーみんなで柔道場でお祝いをするのだが――その時の写真が出てきた。

なんと、みんなからの寄せ書きも残っていた!! 超恥ずかしいけど公開してみよう。別にいいだろ。増田にこういう投稿するの、人生最初最後なんだからさ。



卒業記念色紙の部員コメント

部員一同)

同人誌コレクター増田さんへ

あなた変態っぷりにはほとほと呆れるばかりでした……

大学生になっても、変わらず変態でいてくださいね

自分リッツ第一志望です。京都まで遊びに行きます

増田さんは、□△高校相川さんがロリロリで好みなんですよね!!

相川さんを是非モノにしてください

応援しています

増田先輩の行動で一番驚いたのは、■▲高校藤田さんの写真をこっそり撮って、救急箱に貼っていたことです

閉会式の時、柔道着の藤田さんが目を閉じて、優勝旗に顔を傾けているやつです

自分もあれがほしいです。現像したの1枚余ってたらくだいね

とにかく3年間お疲れ様でした。先輩にはクソお世話になりました!!

本当にありがとうございました

増田先輩の柔道、粘り腰で凄かったです。どんな時でもあきらめずに、ベストを尽くしてました

冬の大会で4人抜かれてから5人抜きした時はマジでびっくりしました!

自分もああい柔道、できるようになりたいです

大学でも柔道続けるんですよね。心から応援してます

増田先輩の変態エクストリームハートには緊張させられっぱなしでした。

スーパーハードロリータ増田!!

スーパーハードロリータ増田!!

スーパーハードロリータ増田!!

早く警察に捕まってください!!笑

カノジョさんともお幸せに 愛のキューピッド藤本より

ロリータ戦士 増田さんへ

あなたロリータっぷりにはびっくりでした。

あなたのそのロリータ魂を受けつぐ戦士が欲しいです。

ぜっひ増田さんにはロリータ魂を忘れてほしくないです。

ファックfuck!!fuck!!fuck!! アダルト西村

増田先輩へ

よく型の練習付き合ってくれたの感謝してます

先輩がいたので、二段の試験合格できました

今でも感謝してます

大学でもがんばってくださいね

増田先輩

お疲れ様でした!!

自分一年なんで、あまり絡みなかったです!!

けど、引退した後もたくさん乱取り付き合ってくれて、たくさん寝技も教えてくれて、感謝してます

いままでありがとうございました♡

柔道部監督

増田君が入部してきた頃にはどうなることかと心配しました。ご卒業おめでとうございますキャプテンとしての重責、大変ご苦労様でした。柔の道は、将来どこかで役に立つ時がきます。力必達(※つとむればかならずたっす)。何事も最後まで諦めず努めてください

女子マネ

・先輩ご卒業おめでとうございます これからも頑張ってください

・3年間お疲れさまでした 面白い先輩でした笑

・これからも今までみたいに頑張ってください



これはひどいwwwwwwを地で行く内容である。こんなん、人に見せられるもんじゃねーだろ。

でも、いいよ。増田民へのサービスだ。いつもお世話になってるからな。



そんなこんなで先月に就職が決まってから、結局最後までできなかったことがある。大学時代の思い出の開封である

それ以外の思い出BOXはすぐに開封できた。実家にある元自分の部屋にある段ボール箱テープを、ビリッとやればそれでよかった。でも、大学時代は後味が悪すぎる。就職すらできずに、逃げるようにして卒業したんだから。正直、嫌な思い出であるトラウマと言っていい。

いや、大学卒業式は出席したのだ。謝恩会にも。問題は、マクドナルドでの思い出である

マクドアルバイトしてたんだけどさ、卒店式っていうのがある。文字どおり店舗から卒業である。毎年3月にある。

卒店式だけど、マクドナルドって経営店舗運営外資ルールからエリア内の店ごとに売上を競わせるんだよな。

それで、いい結果を出してる店舗だとそれなりの貸館施設で、いまいちな結果の店舗だと近所の公民館無料で借りて、ジュースお菓子テーブルに並べて卒店式をやる。

大学時代アルバイトをしてたマクドの店は、成績がいいところだった。京都にある四条河原町店という名門店舗である店舗番号は100番以内、つまりマクドナルド黎明期に作られたお店のひとつだ(今でもあるのかな)。

当時の私は就職活動に失敗して、無職neatでの卒業が決まって落ち込んでいた。

そんな時、自分ひとつ年下の後輩のスウィングマネージャー(※できるアルバイト社員仕事をする。時給+50円)から話があった。「増田さん今までお世話になりました。卒店式、ホテルグランヴィア京都でやりますからね。店長が、すげー男を見せてくれた(※足りない分は自腹切ったらしい)んすよ!! 自分増田先輩のために送辞読みます」とか言ってた。

でも、私は嬉しくなかった。就職活動に失敗してニート確定の自分が、そんな場で送辞を読まれたって嬉しくもなんともない。畜生というやつだ。

結局、卒店式には出ないって後輩君に伝えた。すごくガッカリしていたよ。だって、彼が初心者の頃、私がずっと付いて教えていた。彼が嫌なことあって、アルバイト中に不貞腐れてる時でも、構わずにとにかく、いろいろ教えていったよ。

の子は才能があるから、すぐにうまくなるだろうと思ったけど、やっぱりすぐに上手になった。

ただスキルがあるだけじゃなくて、なんというか、仕事本質がわかってるというか。能でいうところの上手(うわて)みたいな感じである世阿弥がさ、『風姿花伝』で伝えてるような、社会人技能について嵩があって丈もあって(※今でいうとT型人材)、本質的なことがわかってる子だった。

一度だけ、後輩君から催促を受けた。二度だったかもしれない。あの時のことは覚えてる。

あれは事務所だった。「卒店式出ましょうよ」というシンプルものだった。しかし私の答えは……。

「そんな気分じゃない。早く就職しないと。すぐにできないかもしれんが」と言ったら、「増田さん。AJCCで2回も勝ったじゃないですか!! 余裕っすよ」と言ってた。

AJCCマクドナルド技能大会。「2回勝った」とは、地区大会と府大会部門別優勝したの意。関西大会では、府大会と違うメンツオペレーションになったので、コミュ障だった私はボロボロの成績だった

その後の後輩君とのやり取りは覚えてない。最後の方だと「あのな、後輩君。どんだけ綺麗に、上手く、速く、素早く、ハンバーガー作れたってな。社会じゃ何の役にも立たねーんだよ!」と悪態をついた。

それで、後輩君は黙ってしまって、それ以来やつとは会話していない。最後の勤務日も、淡々仕事を終わらせて――いや違う、確か女性学生客がトイレゲロ吐いたんだっけ――それの片付けを夜に終えて、私にとってのマクドナルド終焉を迎えた。

帰りに、同じくマクドナルド河原町三条店(※こちらは関西最古の店舗らしい。今でもあるのかな)に寄って、チョコパイベーコンポテトパイを買って帰った。マックポークだったかもしれない。マックチキン……( ;∀;)

しんみりしてしまった。

学生時代の思い出を開封するのは心理的キツイ。けど、時間は限られている。いったん妻とこのアパートを出たら、帰ってくるのは十数年後になるかもしれない。妻はうちの実家嫌いなので……。

そんなのはちょっと想像したくなかった。というわけで、アパートの自室の押し入れを開けて、学生時代の禁断に近い思い出の段ボール箱開封した。

そしたら、いろんなものが出てきた。当時のガラケーとか、大学時代の成績表とか、学位記とか、マクドナルド辞めてから郵送で届いた卒店式の寄せ書きとか、昔の授業ノートとかだな。産業社会学部のゼミのみんなで撮った記念写真もあった。京都駅の近くで行われた社会科学の研究展示会で賞を取った時のやつだった。当時の日記も出てきた。

その日記最後の方だけパッと読んでたんだが、どうやら学生時代の私は卒業時に108万円の貯金があったらしい。なんでそんなにあったかというと、大学1回生の時からマクドナルドで週5で働き続けていたかである。いわゆる超修行をしていた。ここまで働いてると、身体が脳をハックするようになる。

……厨房の注文画面が「ピッ」と鳴ったら、考えるよりも前に身体ハンバーガーを作り始める。考えるんじゃなくて、調理行程を『感覚』が捉えるようになる。トングとか、ソースガンとか手に取るんだけど、なんかさ、感覚がさ、一体感がすごい。トングが身体の延長というか、もはやマクドナルドというお店自体が、自分と一つになってるような、そういう感じ。

例えば、トングを握ってパティ(肉)を掴んでる時って、体のどこがそれを認識してるのだろうか。

指先だと思うかもしれない。けど、その指を支えているのは筋肉組織と関節であり、それらをさらに骨組織が支えている。物質に触れている指先というのは、入口である

組織と言ったけど、トングでパティを掴んだ時の刺激って、関節の中を電気信号が走って、最後は脳に伝わる。ということは、刺激というのは、結局は指先じゃなくて『脳』が認識している。

でも、その刺激って指先が認識してると人は解釈することができるし、実際にしている。脳が認識してると捉えることもできるし、体の先っちょが認識してると捉えることもできる。

こういう解釈が成り立つということは、指先が触れてるトングそのものが、パティ感触認識してるってことにもならないだろうか。

剣道の達人だと、竹刀が体の一部みたいになっていたりする。サッカー選手だったらボールである。そうだ、ここでの私にとっての肉体の最延長は、指先じゃなくて、トングなのだ!!

もう少し延長すると、店舗で働いている自分というのは、床に立っている。呼吸をしている。ほかの従業員やお客さんの存在を感じ取っている。ということは、其処に存在している以上は、その床を、空気を、ほかの店舗スタッフを、お客さんを、なによりマクドナルド四条河原町店という、その存在が――私という人間の延長として考えることはできないだろうか。

実際、国際赤十字とか、国連とか、国際NPOとかで働いている人、それ以外にも人類福祉のための活動してる人って、地球とか、人類社会のもの自分の延長として捉えてるんじゃないか? そう感じざるを得ないようなニュースがたまに飛び込んできたりする。



それはさておき。108万円の貯金、結局どうしたんだっけ。

あー、そうだ。グータラだった自分は、フリーター生活とともに2年もしないうちに霧消したんだった。でも、あのお金があってよかった。あれがなければ、秋から始まる奨学金の返済に対応できなかった。

あの頃(23~25才)の私は、アルバイトではダメだと、奨学金の返済に耐えられるだけの仕事を探して、探して、探しまくって、ようやくたどり着いたのが今勤めている金型の製造工場だった。

始めは出荷場での勤務だったけど、オペレータ給料が高いというので転属を申し出たのだ。これらは当時の日記を読み返して初めてわかった。案外、人は記憶改ざんするものである

ちなみに、まだ奨学金を返済できていない。普通社会人だったら、繰り上げで30前半くらいには全額返済できていると思われる。今はその程度の稼ぐ力すらないけど、これから妻と一緒に創り上げていきたい。

長くなったけど、これでひと段落ついた。終わりである

長文読んでくれてありがとうな。明日から、また一増田ユーザーである

みんなの面白い日記を楽しみにしています

2024-11-07

男性嫌悪を拗らせていた頃の恋愛

タイトルはこの増田から

anond:20241021131553

黒歴史大公開してるのを読んで共感性羞恥で死にそうになった

それといっしょに、

モテているやつは底の浅い馬鹿ばかり」「俺はそんな底の浅い恋愛ではなく真の恋愛を成し遂げるのだ」と思うようになった

この部分を読んだとき男性にもそういうのあるんだなーと安心感を覚えた

大学生の頃の私は本当にこの通りの考え方をしていたし、そういうのを拗らせて男性嫌悪にもなっていた

元の増田勇気をもらったので誰かの参考になったらいいなと思いながら大学に通っていた4年間の間にこじらせていた男性嫌悪とその時から今にかけての恋愛価値観を書いていこうと思う



男性嫌悪を拗らせていた時にしてたこ

大学に通ってた4年の間、私は色々と痛い行動をし続けていた

テンプレだけど、好きな言葉はクソオス、ミソオス、ジャッポス

X(当時はTwitterだったけど)で頻繁に男性批判を展開していいねリツイートを稼いでいた

男の性犯罪報道に引リツをして「#また男か」「クソオスは去勢しろ」等と投稿し怒りを募らせ、たまに絡んでくる弱者男性系のアカウントレスバする毎日を送っていた

ネット上に溢れる『特定の』愚かな男性の振る舞いをあげつらって笑い、それを男性全体に当てはめて見下していた

私の脳内では男性のすべてが潜在的モラハラセクハラクソ野郎であり、女性より劣った低知能のカスなんだと本当に信じていた


じゃあリアの日常はどうかというと基本的になるべく男性に関わらないようにして生きていた

大学サークルには入らなかったし、ゼミや必修で一緒になる男子もなるべく話さないようにした

けど、リアで痛いことをしていなかったかといえばそんなことはない

最大の黒歴史を例にするなら、たとえば食堂で面識のない男子二人組にいきなり口論をふっかけたこともある

(恥ずかしすぎて記憶もおぼろげなんだけど、たしかその男子たちは萌え絵か何かのネット上の議論を話していて、ひとりが口走った萌え絵擁護意見に腹が立って「それってどいうこと!?」って突っかかりに行ったはず…)

なんでそんな振る舞いをしていたのか

少し自分語りになるけど、男性嫌悪を拗らせたときの振る舞いの根源なので、私の過去ネット上での振る舞いについても触れておきたい

私は中学の頃からオタク腐女子だった

しかも拗らせている腐女子だったので、高校の頃からはいわゆる自治厨的な『愚痴垢』での活動を始めていた

知らない人のために補足しておくと、愚痴垢というのは自分の気に入らない人に粘着して陰湿監視し陰口を言いまくって共有する誹謗中傷垢のことだ

例えば鍵垢にせずR18のBL絵をTwitter投稿してる人を片端から引リツして仲間内晒し上げた

(当時未成年なのにエロ絵を見て回っていた自分のことは棚上げだ)

カプ名や地雷展開をタグ付けせずに投稿してる人にも粘着してひたすら叩きまくった

いわゆる『腐女子の村の掟』を破る人をいちいち監視してぐちぐちぐちぐちぐちぐちXで文句を言いまくっていた

BLの掟にとどまらず、例えば露出の多いコスプレイヤーなんかも晒し上げまくっていた

鍵垢の引リツで「芋女調子乗ってる」「キャラが汚れる」とめちゃくちゃに叩く

その人がBOOTHエロ系のコンテンツを売っていればすかさずサンプルを晒し上げて「お腹に手を当ててデブなのを隠したいのかな〜????笑」とか「デブ風俗パネルみたいw」とか普通に訴えられたら全面敗北するような誹謗中傷投稿しまくっていた

私が嫌悪していたのは男ではなく『女らしい女』だった

大学生の頃は通常の垢、愚痴垢用の垢、男性嫌悪投稿用の垢の3つを使い回していて、段々と男性嫌悪垢の運用時間が長くなっていっているような状況だった

「今にして思えば……」ってやつだけど、私の男性嫌悪愚痴メンタルは根っこの部分で繋がっていたのだ

例の初デートサイゼリヤ論争のとき、私は論争そのものよりもその後に現れた、イラストパロディーしたコスプレイヤー女性に対して憎悪を募らせた

初デートサイゼイラストと同じ構図で胸の谷間を強調しながらフォークを口に運ぶ女性画像

お察しの通り「ブスが調子に乗ってる!!!!!」「弱者男性ときチヤホヤされたいとかブスの承認欲求終わってんな!!!!!」系の誹謗中傷をぐちぐちしまくった

論争よりもその女性存在が許せなかった

私は男性嫌悪系の投稿もそうだけど弱者男性擁護する女性への嫌悪を強めていった

気づきの人もいるかもしれないけど、実は私は男性嫌悪している以上に「男性にちやほやされている女性」に嫌悪を持っていたのだ

多分私のこのメンタルが形作られたのは小学校の頃だ

別にいじめというほどのいじめはなかったけどカースト上位の女から強いられる同調圧力に私は苦しめられていた

カースト下位の私は上位の女が我が物顔でクラス支配してる中でタンスに隠れる虫か何かのように息を潜めていた(という自意識を拗らせている)

からカースト上位の女が嫌いだった

オタク仲間の女子連帯してそういう女の愚痴を言い合った

別にカーストトップブトップ、陰キャにも優しい美人完璧超人とかはいいんだけど、いわゆるギャル系の女は嫌いだったし、カースト上位でもないくせに妙に男子と仲の良いサブカル女なんかはもう本っっっっっっ当に嫌いだった

嫉妬と言ってしまうと私のプライドがズタズタになって耐えられないので否定したい

とにかく男子に媚びを売る中〜下くらいの女が嫌いだった

そういう自意識を拗らせていたか自分男子距離を置いていた

可愛い服を身に着けていいのはカーストトップブトップの女子だけ、中途半端女子は人様に迷惑をかけないように身分相応の地味な格好をしないといけない、ブスが色気づいた格好をするのはマナーとして絶対に許されない

・化粧をしていいのは可愛い子だけ、ブス女の努力ほど見苦しいことはない

彼氏を作っていいのは綺麗な子だけ、ブサイクと付き合ってるブサイクは何がしたいの?目が腐るんですけど???

元の増田も触れていたけど、こういう選民思想を拗らせていた

当然私は『選ばれなかった方の女』だから身分相応に地味な格好をして地味な化粧をしていた

そして、私と同じかそれ以下の女が彼氏を作ったり男子と仲良くしてると殺意を抱いた

世の中の人を「天上の上級国民」と「私と同等以下の非人」に勝手カテゴライズして、後者から前者に行こうとしてる(ように見える)人をぶっ叩いていた

要は酸っぱい葡萄だと思う

・私の嫌いなあの女たちが好きになっている「男」なんてのは本来大したものじゃないのだ

・大したものじゃない「男」に必死尻尾を振っておしゃれして金をかけて取り入ろうとするなんてあの女たちはバカ

・私はああいう尻軽クソビッチ低脳女とは違う賢い女だから本質を見抜いている

書いてて本当に恥ずかしい

でも当時の私の脳内思想はきっとこの程度のものだった

から男は全般叩きまくっていたし、男に媚びている(ように見えた)女も叩きまくっていた

叩かれる方じゃなく叩く方にいるために腐女子界隈の同調圧力に身を浸し、小学校の頃にできなかった「〇〇さんが悪いことしてました!良くないと思います!」みたいな振る舞いをTwitterの仲間内に行って自尊心を慰めていた

男性嫌悪が治ったきっか

そういうわけで大学生間中はひたすら男(と腐女子の掟を破る者と男に媚びている女)を叩きまくっていた私だけど、社会人になってからこの嫌悪感は一気に解消された

それは新卒で入った会社リアル等身大男性コミュニケーションを取る機会が増えたからだ

流石に学生の頃とは違って会社では同僚男性と密に話さないといけない機会も増えた

入社前の私は男性嫌悪の拗らせが最高潮になっていたので「私に舐めた口を聞いてきた男は公衆面前論破して泣かせてやる!」「場合によっては金玉を蹴り上げて潰してやる!正当防衛だ!」ぐらいに高ぶっていた(全盛期の宇◯美里かな?)

ところが職場の同僚の男性はみんないい人ばかりだった

セクハラパワハラも行われなかったし恋愛的なアプローチも一切なかった

職場会議ではこっちの意見尊重してくれるし、昼休み飲み会の席でもこっちの気持ちを察して適切な距離感を維持してくれた

当たり前といえば当たり前の話なんだけど、世の中には尊敬に値する男性もいるという現実を目の前にして男性嫌悪も段々と自然に薄まってきた

Twitterから拾ってきた情報だけを頼りに脳みその中でこねくり回して発酵させていた男性像は実在男性とはかけ離れていた

大学生間中ずっと動かしてきた男性嫌悪垢のフォロワーさんのつぶやきに対して「いやそれは言いすぎでしょ」とか「この人イメージだけで男を叩いてそう」といった感想を持つようになって、結局社会人になって一年経たないうちにアカウントを消した

男性嫌悪を拗らせたことによる後悔

普通に自慢だけど最近彼氏ができた

さっき書いたことの繰り返しになるけど、尊敬に値する普通男性

ただ、男性嫌悪を拗らせてあれこれ自分自分に抑圧をしていたせいで、彼氏ができてからかえって失ってしまたことへの後悔がとんでもないことになってきている

世の中尊敬できる男の人もいるのだと早く気が付きたかった

10代のうちに異性関係普通青春を送りたかった

彼氏の好きなポイント発見するたびにそういう後悔で胸が苦しくなる

高校生のとき男子と付き合ってみたかった

体育祭上着の袖をまくってノースリーブみたいにしてハチマキカチューシャみたいに縛って可愛い子ぶりたかった

制服ディズニーに行ってみたかった

何の恥じらいも無く放課後制服でデパコスを物色してイブサンローランのコスメを買いたかった

シーブリーズの蓋を交換したかった

何ならこういうカーストトップ女子でなくても良い

今の私はかつてあれほど憎んでいたサブカル系女子にすら憧れている始末だ

ハニーシナモン地雷系の服を身に着けてみたかった

男子のいるバンドに入ってちやほやされたかった

ギターのケースを背負ったまま帰り道にアイスを食べたりとかしたかった

ももういまさらそんなことはできない

男性嫌悪を拗らせていたせいで貴重な10代を棒に振ったという後悔で本当に胸が苦しい

私の顔面じゃキラキラした青春を送れたのかわからないけど、それに挑戦することはいくらでもできたはずだった

だけど現実の私が精を出していたのは愚痴垢での誹謗中傷


段々何を言いたいのかわからなくなってきた

幸い私は元の増田のように精神科にかかるほど重症化していたわけじゃなかった

でも、例えば新卒で入った会社が悪かったら?

もしあのとき新卒で入った会社セクハラなり何なりされていたらもっと男性嫌悪を拗らせて酷いことになってたかもしれない

男女問わず非モテ弱者的な拗らせに陥る原因は環境によるところが大きいんだろうなって思う

何の参考になるかわからないけど、もし私のこの黒歴史を読んだ誰かの拗らせがほどけたなら嬉しい

2024-10-28

週刊少年マガジン史上最も重要マンガ20

anond:20241012181121

マガジン20選を決める際、一人一作しばりを外した。ちばてつや梶原一騎(高森朝雄)はどうしても二作選ばなければならなかった。週刊少年マガジンちばてつやに育てられ梶原一騎に鍛えられた。特にちばてつやがいなければ今日マガジンはない。

『ちかい魔球』1961-1963『ハチのす大将』1963『紫電改タカ』1963-1965『ハリスの旋風』1965-1967『あしたのジョー』1968-1973『おれは鉄兵』1973-1980『あした天気になあれ』1981-1991『少年よラケットを抱け』1992-1994

と三十年以上に渡りマガジンを牽引してきた生き神様のような存在だ。新人発掘のちばてつや選考委員として世に送り出した漫画家たちも数多い。Wikipediaを見るとあの人もこの人もちばてつや出身だったのかと驚く。漫画家初の文化勲章受章者になったのも当然すぎるほど当然の偉人

梶原一騎は他誌でも書いているがマガジンでのヒット作が多い。『空手バカ一代』も『愛と誠』もマガジン連載作。

1 ちばてつやハリスの旋風』1965-1967

部活漫画開祖。ガキ大将剣道ボクシングサッカー等様々なスポーツに挑戦する。後世への影響力は『あしたのジョー』以上ではないだろうか。アニメ化の際はガキ大将大山のぶ代メガネくん小原乃梨子という配役だった。後のドラえもんコンビの原点という意味でも重要だ。

 

2 水木しげるゲゲゲの鬼太郎』1965-1969

墓場鬼太郎から改題。マガジン発ではないがマガジン連載で有名になり今もアニメリメイクされる国民キャラクターになった。

 

3 梶原一騎川崎のぼる巨人の星』1966-1971

後世への影響力は間違いなくマガジンNo.1。苦悩する主人公、激しい特訓、写実的な絵でスポ根というジャンル確立した。漫画界に地殻変動を起こした。その分パロディ対象にされることも多い。夏目房之介『消えた魔球 熱血スポーツ漫画はいかにして燃えつきたか』と斎藤貴男『夕やけを見ていた男 評伝梶原一騎』を読むと理解が深まる。

 

4 高森朝雄ちばてつやあしたのジョー』1968-1973

奇跡の名作。二つの異なる才能がぶつかり合い、週刊連載による偶然が積み重なり、梶原一騎世界ともちばてつや世界とも違う唯一無二の作品が完成した。日本漫画史はここで一つの頂点に達する。

 

5 永井豪デビルマン』1972-1973

日本最高の漫画を選ぶなら『あしたのジョー』と『デビルマン』は有力候補になるだろう。この二作が同時に載っていた当時のマガジンの恐ろしさ。永井豪は週刊少年漫画誌5誌全てに連載を持っていた。

 

6 矢口高雄釣りキチ三平』1973-1983

アウトドア漫画の魁。前代未聞の高度な画力釣り啓蒙した。梶原一騎時代の影響で暗くなっていたマガジンから明るさを取り戻す好機にもなった。当時10年間連載というのは非常に稀なことだった。

 

7 柳沢きみお翔んだカップル』1978-1983

少年誌ラブコメの基礎を築いたというだけでも偉大だが、その後深刻なメロドラマへと変貌する。今の瀬尾公治流石景はこの流れの中にある。柳沢きみお過小評価されている。永井豪同様5誌全てに連載を持っていた。

 

8 小林まこと『1・2の三四郎』1978-1983

熱血の時代から熱血を笑う時代へのパラダイムシフト象徴する一作。小林まこと島本和彦は熱血する自分を高らかに笑いながらまた熱血し続ける。三四郎は『ハリスの旋風』のようにスポーツ転々とする。『青春少年マガジン 1978〜1983』を読むと壮絶な舞台裏垣間見える。

 

9 蛭田達也コータローまかりとおる!シリーズ 1982-2002

かつてマガジン最長連載を誇っていた。超巨大学園の抗争から異種格闘技になったかと思えば突然ロックバンドをやり出して最終章ではどシリアスな展開に突入し「新」では柔道漫画に様変わり…と融通無碍作風マガジンカラーのものだ。「L」連載中マガジンSPECIALに移籍2004年に中断。

 

10 しげの秀一バリバリ伝説』1983-1991

峠の走り屋だった高校生世界的レーサーへと成長するまでの物語楠みちはるあいつとララバイ』と共に80年代バイクブームを盛り上げた。『バリバリ伝説』をバイブルと呼ぶバイク乗りは多い。後の『頭文字D』の布石にもなった。

 

11 森川ジョージはじめの一歩』1989-

森川ジョージちばてつやの正統的後継者だ。『ハリスの旋風』を読んで漫画家を志し、ちば先生が描いているからという理由マガジンに持ち込みデビューちばてつや世界平成風にアップデートした『はじめの一歩』は途轍もなく面白い漫画だった。そんな時代があった。

 

12 石垣ゆうきMMR マガジンミステリー調査班』1990-1999

世間への悪影響ではトップクラス。今でこそ「な、なんだってー!」をネタにしていられるが当時1999年人類滅亡に本気で怯えた子供は多い。70年代五島勉記憶が薄らいだ頃に再びノストラダムス予言の恐怖を植え付けた。山本弘トンデモノストラダムス本の世界』『トンデモ予言の後始末』は解毒剤として有効後者でのMMR批判は傑作。

 

13 佐木飛朗斗所十三疾風伝説 特攻の拓』1991-1997

ヤンキー漫画集大成。同時期の『湘南純愛組!』『カメレオン』等と共にマガジン治安の悪さに貢献した。これ以上不良を熱く描くのはもう不可能かもしれない。

 

14 天樹征丸金成陽三郎さとうふみや金田一少年の事件簿シリーズ 1992-2001,2004-2017

1億部を超えるマガジン最大のヒット作。推理漫画というマイナージャンルを一気に隆盛へと押し上げた。雨後の筍のように模倣作が乱立しその中から名探偵コナン』というもう一つの巨星が生まれた。影響力では『巨人の星』に次ぐNo.2だろう。福井健太本格ミステリ漫画ゼミ』は推理漫画歴史概観した労作。これを読むと『金田一少年の事件簿』以前以後で全く景色が違うのがわかる。

15 藤沢とおるGTO』1997-2002

湘南純愛組!』の主人公の一人だったヤンキー教師になって大暴れ。マガジンジャンプを破り日本一の発行部数に君臨する立役者にもなった。TVドラマも大ヒット。反町隆史松嶋菜々子ビッグカップル誕生きっかけになったという意味でも影響力は大きい。

 

16 赤松健ラブひな』1998-2001

萌えマガジンに定着させた。雑誌カラーを変えたという点でかなり重要。これ以後の『スクールランブル』等の恋愛漫画もつながる。一方でヤンキー漫画は減っていった。

 

17 寺嶋裕二ダイヤのAシリーズ 2006-2022

正確なスポーツ描写時代象徴する一作。同時期の『あひるの空』はスポーツ弱小校を描くことによって、『ベイビーステップ』は現実的トレーニング理論を取り入れることによってリアリティを追求した。梶原一騎根性主義は完全に過去のものになった。

  

18 鈴木央七つの大罪2012-2020

70年代しかあり得なかったはずの週刊少年漫画誌全誌連載が10年代に甦った。『ツバサ-RESERVoir CHRoNiCLE-』『FAIRY TAIL』『魔法先生ネギま!』等のファンタジー漫画隆盛の象徴としても挙げておきたい。

 

19 大今良時聲の形2013-2014

障害いじめという深刻な問題を描き大反響を呼び様々な議論を巻き起こした。マガジン塀内夏子以来女性漫画家が多い。(最初里中満智子だが流れを作ったのは塀内夏子)『シュート!』の大島司、『Harlem Beat』の西山優里子、『ゴッドハンド輝』の山本航暉、『トッキュー!!』の久保ミツロウ、『ベイビーステップ』の勝木光、『ヤンキー君とメガネちゃん』の吉河美希、『ドメスティックな彼女』の流石景等。

 

20 和久井健東京リベンジャーズ』2017-2022

今、不良は現実でも漫画でも下火になっている。その状況で不良漫画を描くにはどうしたらいいかタイムリープで不良が盛んな時代に行けばいい!という発想の転換で大ヒットになった。時代の移り変わりを象徴する一作。

 

天才バカボン』も『男おいどん』も『野球狂の詩』も『三つ目がとおる』も『ミスター味っ子』も『シュート!』も『BOYS BE…』も『サイコメトラーEIJI』も『エア・ギア』も『FAIRY TAIL』も『五等分の花嫁』も『ブルーロック』も選外になってしまったが、マガジン歴史の流れを重視して選んだ。

 

 

 

追記・返信

今回の20選は「後世への影響力」「時代象徴」という観点から選びました。

>”柳沢きみお過小評価されている。” 同意なのですが、すっきり終わるのがないからでしょうか。

今の流行と合わないというのもありますが、本人が自分ブランド化に失敗してる感じもします。

 

ミスター味っ子グルメ漫画演出にだいぶ影響を与えたのではないだろうか。むしろアニメ版が大きいのか?

そうですね、『ミスター味っ子』の影響力はアニメ今川演出によるところが多く、原作は割と普通なので。

 

巨人の星あしたのジョーの連載時期が重なっていることを再認識して呆気にとられる

本当に恐ろしい。よほどマガジンの風が合ったのか。

 

>90〜ゼロ年代の読者には「週刊少年キバヤシ」みたいな印象があるが、こうして列挙されるとそこまででもない、のかな。いや

週刊キバヤシあながち間違いではないと思います

 

バリ伝が入ってるのは嬉しい。イニDキャラクターに感じられなかった生気のようなものがまだあった。

バリバリ伝説』は絶対入れようと思ってました。『頭文字D』よりこっちですね。

 

七つの大罪ってそんなか?とか所々疑問はある。

うーん確かに。『FAIRY TAIL』の方がよかったかもしれません。

 

>「コータローまかりとおる!」途中で訳が分からなくなって、読むのを止めた。それまでは楽しみに読んでたよ。私は20選に選ばない

まあ名作というわけではないけど、あのなんでもありな感じが実にマガジンらしいと思います

 

味っ子IN大罪OUTだな、スーパードクターK面白いけどブラックジャック北斗の拳悪魔合体だし

うーんやっぱり『七つの大罪』は外そうかな。Kを入れなかったのはまさにその理由です。

 

つのだじろう「うしろ百太郎」は外せないのではないか。当時恐怖オカルトマンガブーム立役者の一つだったよ。

そう『うしろ百太郎』も重要……。重要作品が多すぎる。

 

> 私は良き読者でないのでどれを落とせとは言えないのだけど『天才バカボン』を外すのは納得できん。友人は「当時のマガジンガロなんかよりよっぽど前衛的だった」と言っていた。ていうか全般赤塚評価低すぎん?

天才バカボン』も本当は入れなきゃいけないんですが……。かなり悩みました。赤塚作品サンデー10選にもりぼん10選にも入ってるので全般的に評価が低い訳ではないと思います

 

>「ミスター味っ子」は良くも悪くも王道少年グルメ漫画なので、個人的マガジンならではって意味では「将太の寿司」の方が重要かな。

同感です。入れるなら味っ子より将太。しかしただでさえ90年代が多いのでこれ以上入れるのは難しかった。

 

ミスター味っ子料理漫画としてエポックメイキングだったし、オフサイド女性作家の描くスポ根漫画としてエポックメイキングだったと思う。

塀内夏子マガジン漫画家20選なら入ると思います。かなり重要作家。ただ作品で見ると20選は難しいかと。

 

>概ね同意ではあるんだが、さすがに真島ヒロが居ないのはおかしい。 迷うが、七つの大罪FAIRY TAILはしないといけないかと。

そうですね。真島ヒロはここ四半世紀のマガジンには欠かせない……。『七つの大罪』と『FAIRY TAIL』を入れ替えるか。

 

Twitterでの反応も

https://x.com/FUNDOSHIMASK/status/1851540864256065548?t=4HG7KChe6go4rpZiQoj5uA&s=19

しかジャンプ版でもサンデー版でもそうだったけど、通史で語るとどうしても21世紀が弱くなっちゃいがち。というか流石に21世紀マガジン作家として、ばっちょ>真島ヒロは無くない?

通史という性格上今が弱くなるのは仕方ないかと。しかし確かに鈴木央を入れて真島ヒロを入れないのはおかしいか

 

https://x.com/renge_kick/status/1851544678833025184?t=5xA6twKuvH1r8CV6s02t7g&s=19

RAVEマガジン史においてかなり重要だと思う(ヒット規模はFAIRY TAILのほうがデカいけどマガジン能力バトルが増えたのはRAVEからだと思ってるので)

https://x.com/renge_kick/status/1851601194126614683?t=n_MMf633SxuDnTGjJXmTUQ&s=19

>厳密にはRAVEよりも先にゲトバKYOが始まってるんだけど、人気に火がついた早さやその後のネギまツバサなんかのファンタジーバトルもののノリを見るとやっぱ重要なのはRAVEだよなーって

RAVE』の方が重要という意見。なるほど。

  

https://x.com/npeofnpe/status/1851570584460910706?t=ZqperbBdCK13dY0B_N36cg&s=19

>ごとよめって確か巻割100万いってましたよね?ラブコメ史上最強といえるので入ってない方が変かな

聲の形は単発でパッとあたったけどマガジン史においてなんか重要かと言われると別に…

聲の形OUT『五等分の花嫁』INという意見。うーん。

 

というわけで改訂版を出します。00年代漫画が一作だけなのも気になっていた。

 

改訂版

18 真島ヒロFAIRY TAIL2006-2017

驚異的な執筆量で21世紀マガジンを牽引する真島ヒロ。本作は海外人気も非常に高い。『ツバサ-RESERVoir CHRoNiCLE-』『魔法先生ネギま!』『七つの大罪』等のファンタジー漫画隆盛の象徴としても挙げておきたい。

2024-10-27

就職氷河期世代矮小化した本を出したという事で話題になっている近藤絢子さんの経歴を調べてみた。


2016年の時点で37歳って事は今は45歳かな。

東大経済学部卒らしいから、東大に入れないような一般氷河期女性が如何に不遇な目に遭ったか理解出来ていないんだろうな。

こんどう・あやこ 東大経済卒。コロンビア博士平成21年大阪講師法政准教授横浜国大准教授を経て、28年から現職。専門は労働経済学。37歳。東京都生まれ

https://www.sankei.com/article/20161024-GKZQQBP4GBPZ7APFL6EDJ7FN3E/



高校筑波付属かな?一応、今は結婚名字が変わっていて、これは別人の可能性もあるが。絢子という名前の人は他にも二名いる。

https://www.t-shinpo.com/707/97zenki.html


教授の勧めで院進、コロンビア大学留学からそもそも日本就活してないんだろうね。同世代女性就活で如何に落とされ続けたかセクハラパワハラで心身を病んだのか、全然知らないんだろう。


https://www.excite.co.jp/news/article/Minnanokaigo_news_special_ayakokondo/

3年生のとき、その思いをゼミ先生に話したのです。すると「君、そういうことをやるんだったら修士号ぐらいないと相手にしてもらえないよ」と言われて。もちろん、それは嘘なんです(笑)

当時であれば、修士号をとらないで就職した方が、国家公務員総合職の道は開けたと思いますしかし、先生は私を大学院に行かせようと思ったみたいで…。

私もその気になって進学しました。そして実際に行ってみたら、大学院勉強がとても面白かった!博士課程に進みたくなりました。その後、コロンビア大学に留学して学び、今に至るという感じです。

2024-10-26

他責うつってクソだろ

実家ニート10年以上やってるアラフォーの兄。

最近うつ病で通う病院で言い渡された発達グレーを嬉々として受け入れている。

そもそもアンタのうつってなんやねんと思う。

うつ病って、自責が強い人がなるものなんじゃねーの。

兄は、とにかく誰かのせいで自分がかわいそうムーブをする。

誰かのせいで自分が生きにくい。

誰かのせいで自分の力が発揮できない。

そんな世の中に生きてる自分がかわいそうすぎて病むってやつだ。

?????

誰かっていうのは、家族はもちろん数年働いた職場だっあり、大学中退)のゼミ教授だったり、仲良くしていたはずの友人だったりと、誰と関わっても同じ。

ただし一応他所では気を遣って生きているらしく、その反動特に家族への気遣いはまるでない。俺の病気理解しろ考慮しろと好き放題に威張ってる。

??????

こういううつ病いるかイメージ悪くなるんだろ。中途半端新型うつとか言ってないで、正統派うつだけうつ病にして、それ以外は「甘え」でよくね?????

周りの方が責任を感じてうつになるわ、アホか。腹立つ。

2024-10-24

anond:20241024220724

いや、大空幸星の売りは逆境から這い上がってきた経歴だろ・・・

インタビューではこういうエピソードほとんど鉄板トークみたいに出てくる

自民公認を出してるからウラ取りもされてるだろう


名門大で在学中に社会問題関連のベンチャーやらNPOやらを立ち上げて、サークルゼミOBコネをうまく使ってメディアに出て成り上がっていく

実情は知らないが、そんなのは別に珍しくもないルートだろ

親のカネとコネがなきゃ無理なんてことはない

2024-10-22

この十年、選挙投票先をランダムに・サイコロで決めている話。

私はこの約十年間、市町村議会選挙知事選挙・衆参院選挙を問わず、あらゆる選挙投票先を、ランダムに決めている。

文字通りサイコロを使って(候補者が七人以上の場合ちょっと複雑になるけど)、とにかく自分意志であるとかを介在させないようにやっている。

(一方で最高裁判事国民審査は全部バツを付けているがちょっとこれは別の話にしたい)

なぜこのようなことをしているのかの発端は、前の自民民主政権交代劇の際に、「無党派層」というもの存在というか意義?について、考える機会があったからだ。

私は大学ゼミで、戦前男子普選の時代に「無党派層」というもの勢力としてあまり認知されなかった、と学んだ。

(↑かなりはしょっているが、つまりそれらが育つ前に社会が硬直化し戦争突入してしまったのと、地域社会や院外団活動関係で○○党の支持をやめたら××党の支持者になるしかないみたいな短絡さがあったらしい。これも本題じゃない)

選挙権を行使する機会を得たばかりの私にとって、「無党派って一体、どういう立場なのだろう?」と常々考えていた。無党派って、本当に「党派」じゃないのか?みたいな。

報道職場労組、近所付き合い、フットサルジムサークル……もろもろの影響を受ける中で「無党派」というのはただ「選挙に行く気がないか投票所の門をくぐった瞬間何かの党派空気で入った人」を指す言葉しかない。

党名を隠して政策だけでアンケートを取ると、共産党が一位になったという結果がどこかであったらしいが、しかしその結果を知ると、「共産党?うーんやっぱり自民党」みたいな行動を取る人がいるわけである

あるいは単に「負ける候補者に入れたくないか都知事選では石原に入れるし、2009年選挙では民主党に入れる」みたいな人もいる。

筋金入りの、自党が優位であろうが劣勢であろうが投票し続ける支持者をのぞいて、選挙に本当に「意志」を見出せるのか?その様な選挙が何十年と続いて日本は良くなっているのか?

良く分からない。その分からなさを理解するために、試しにやり始めたのがきっかなのだ

やり方は前述の通り、本当にランダムである。私の場合選挙公報に番号振ってサイコロを使い決めるだけだ。

具体的な党名は出さないが、泡沫というか「無党派層」が入れなさそうな党に「入れることになった」(ランダムなのでこういう表現ができる)こともあれば、勝ち馬議員に入れることになったこともある。

私の選挙区は、勢力があまり拮抗しておらず、ある党や議員が優位を保っている。この勢力基準に考えると、数万票単位の優位さに、私の「ランダムな一票」が加勢するのか・抵抗するのかみたいな問題になってしまっている。

まりランダム投票行動は選挙区によっても意義がかなり変わってくる。

日本ではなくアメリカになるが、今度の大統領選挙でも、カマラトランプの双方の選挙パフォーマンスを見るたびに支持候補を変える人々や、「隠れトランプ」(おそらく「隠れハリス」も)支持者など、

選挙活動にほぼランダムと言っていい影響を与える人が・・・言ってしまえば、「選挙に行く日の朝、最後テレビネットで見た顔の候補者の方に入れる」人が何百万人といるのだ。

私の選挙行動はそれを意図的にやっているかたちである

私は個人的に、皆さんには、制度的に意味のない白票であるとか、「支持政党なし」のような党名ハックではなく(ランダム投票先であれば仕方ないが)、

自分意思を介さない、何か人為的ではない要素や乱数による「ランダム投票活動」をお勧めしたい。この活動が何万票という力を持った時に、はじめて「選挙」の意義や「無党派層」の価値というものがわかってくると思えるからだ。

そして議員が、「自分存在乱数の上の存在しかない」ことを意識すれば、よりマシな政治活動を行うようになるのではないかとも思っている。そう考えながら、私は今度の投票にも臨んでいく。

もし私と同じようにランダム投票活動であるとか、何か珍しい(?)決め方をしている人がいたら、是非教えてください。

2024-10-14

anond:20241014134833

大学の授業なんて大半は学生教授も片手間でやってるだけよ。さっさとゼミに参加するなり、企業インターンに行くなりして、増田のお気に召す環境に飛び込んだほうが良い。で、違うと思ったら節操くそから居なくなって、また別の環境を探すのが良い。そんなことが本当に気兼ねなく自由にできるのは学生の間だけだ。

世界旅行も良いぞ。社会学するならなおさら自分の五体を通して、今までの自分と今の自分/人と人/社会社会、そういったものを半ば自動的比較する機会になるから、色んな気づきを得られるよ。

2024-10-13

村上春樹作品ポリコレガン無視云々で思い出した恩師との会話

ノルウェイの森キモいとか嫌いだったとかコンプラの欠片もないとか色々言われている(私はノルウェイの森に関しては学生時代映画を観てヒロイン役の水原希子が「もう二度と演技の仕事はやりたくない」みたいなコメントをしていたこしか覚えていない)。

そういう意見に対する反応の中に「コンプラ違反キモい小説禁止されるようになったら小説は終わりだ」みたいなものがあった。

それを見て、以前に恩師と話したことを思い出したので、何となく回想する。ただ、記憶曖昧な部分も多いので、架空の話と思ってもらったほうがいいかもしれない。

恩師(A先生とする)は文学が専門の大学教員で、ゼミでお世話になった。私はリアル留年するレベル卒論に手こずったのだが、A先生は急かすこともなく私が自分なりに納得できるものを書き上げるまで待ってくれた。私がA先生を恩師と呼ぶのは、その「恩義」によるところが大きい。

昨年の5月、久しぶりにA先生を訪ねた。先生はその年の3月大学早期退職していたので、会ったのは駅の近くのルノアールだった。

挨拶やら近況報告やらを経て、話題A先生が定年を待たずに大学を去ったことに移った。先生退職理由について「学内の過剰な『コンプラポリコレ意識に窮屈さを感じた」というようなことを話した。

私は少し身構えた。当時の私(今もだが)はどちらかといえば「コンプラポリコレ重視派」というか、フェミニズム共感したり、不公正に違和感を抱くことは大切だと思ったりする人間だった。Twitter(現X)のおすすめタブも、かなりリベラル寄りに構築されている。だから尊敬するA先生がいわゆるポリコレアンチだとしたらちょっと嫌だなぁ困るなぁ、と思ったのだ。

私はA先生の話をもっと聴くことにした。先生言葉をどうにか納得できる形で解釈するための材料が欲しかった。

A先生は、最近学内には過剰な(と先生が感じる)ほどの「配慮」を求める空気がある、と言った。例えば、講義の中で残酷と思われる映像を扱う時に、事前に警告して「苦手な人は見なくていいですよ」と言わなければいけないのだという。

そのような「配慮」は、私も見たことがある。以前、NHK地上波ドラマで、作中に出てくるセンシティブな要素(性的描写暴力自傷行為など)について冒頭で警告していた。ある種のネタバレとも言えるのだが、人によってはフラッシュバックを起こしかねない描写に警告を入れるのは「正しい」ように思われた。

大学サイドはクレームを恐れている。事なかれ主義的に先回りして、学生を傷つける可能性の芽を片っ端から摘んでいる。それは学問を教える場としてあるべき姿だろうか? 人間が学び成長する契機の一つは『ショックを受けること』だ。本来人間には、ショッキング経験咀嚼し消化することで新たな知見や価値観を得る力がある。『コンプラ』に基づいた『配慮』によって学生たちをショックから『守る』ことは、彼らの『ショックを消化する力』を信頼していないということではないか?」

といった内容を、A先生は語った。確かに、誰でも見る可能性がある地上波ドラマと違い、大学講義を受けに来るのは一定以上のリテラシーを持った一定以上の年齢の学生に限られる。「後から訴えられるリスクを避けるため」という理由だけで、彼らの「ショックを受ける権利(≒成長する権利)」を奪うのは、学問の場の在り方としておかしいと言えるかもしれない。

また、A先生は「今これを読んでいるのだけど」と、明治時代私小説(確か森鷗外)を見せてくれた。詳しいあらすじは忘れてしまったが、端的に言ってクズな男の話だった。

「この話は、『ポリコレ』としては全く『正しくない』。だが、そういう『正しくなさ』を持っているのが人間ではないのか。そして、人間の正しくなくて醜くてクズな部分をも描くことができるのが文学(≒フィクション)ではないのか。『ポリコレ的に正しい』文学しか認めないというのは、非常に危ういことだ」

と、A先生は語った。これはまさに今回の村上春樹作品の「正しくなさ」論争に重なる話だろう。

ポリコレ」つまりポリティカル・コレクトネス」とは本来政治的な正しさ」を意味する言葉だった。ゆえに、配慮対象となるのはあくま現実社会を生きる人々であったはずだ。にもかかわらず、今ではフィクション評価軸として「ポリコレ」が使われており、なおかつ「ポリコレ的に正しくない」作品非難対象となっている。

だが、A先生の専門である(そして私が多少なりとも学んだ)文学という分野において、フィクションを「ポリコレ的に正しいか否か」で評価することはある意味危険視されている。文学にとって「多様性」は命だ。文学は唯一絶対の「真理」を信じない。なので、「ポリティカル・コレクトネスはどんな時も決して譲るべきではない」という立場とは、そもそも相性が悪いのだ。さらに、先ほどの先生言葉の通り、文学は「正しくないもの」の居場所でもある。フィクションには、現実社会では犯罪になるような行為差別的とされる感情も受け入れる余地がある。もちろん、受け手がそのようなフィクションに触れて「キモい」「傷ついた」「作り手の人格を疑う」などの反応を返すことは当然ありうるし、(特に商業的な作品では)作り手がそういった反応を回避するためにコンプラポリコレ意識することも普通にあるだろう。だが、「正しくない」フィクションを一律に禁じ、「正しい」フィクションけが存在を許される事態は、少なくとも文学畑の人間からすれば「あってはならない」ことなのだ。

1時間少々をルノアールで過ごし、私とA先生は再会の約束をした後、駅で別れた。電車の中で、私はずっと先生との会話を反芻していた。今思えば、私はまさに先生発言に「ショックを受け」、それを咀嚼し消化しようとしていたのだろう(この投稿自体がその行為の一環といえるかもしれない)。

最後に、フィクション受け手を傷つけることについて、思うことを書いておく。

私は昔から小説漫画など色々なものを読んできたが、その中でショックを受けたり傷ついたりしたことも少なくない。今でも覚えているのは、小学生の時に読んだ児童書で、登場人物クラスメイトのことを「グループ渡り鳥」とバカにしている描写だ。当時の私は特定グループ所属していなかったので、「私は『グループ渡り鳥』なんだ、良くない状態なんだ」と思い込み自己肯定感が下がっていった気がする。

それでも、私の基本的スタンスは「傷つくのは受け手事情」だ。明らかな悪意に基づくものならともかく、一般的フィクションに触れて傷ついたとしても、それは「自分の傷つきやすい部分に当たった」に過ぎない。「勝手に傷つくお前が悪い」とは言わないが、少なくとも「人を傷つける作品が悪い」とはならないと思っている。そもそも、誰も傷つけないフィクションなんて、誰も感動させないフィクション同義ではないのか。

以上、長々と書き連ねたが、今言えるのは、私が恩師にまた会える日を楽しみにしているということくらいだ。そしてその時には、また色々な話がしたいものだ。

2024-10-10

今が辛い、全ての受験生へ~大学受験反省Fラン大学入学後~

増田偏差値64の高校へ通うも、

大学受験は大失敗し、私立文系Fラン大学9.5割推薦入学)へ入学した。

高校の同期はほとんど国公立トップ私立

今は23卒の社会人二年目だ。

結論から伝える。

我慢するのではなく、結果につながる努力をしよう」

当たり前と思うかもしれない。抽象的だからさらいかもしれない。

しかメンタルをやられると、合格志望校試験に受かるという結果であることを忘れてしまう。

増田の敗因を挙げるならば、

指定校推薦を取って遊んでいる友達が羨ましかった(遊びへの我慢

模試でいい成績をとる友達と比べては病んでいた(いい成績の人に囲まれて辛い環境我慢

毎日睡眠時間4時間半で勉強していた(睡眠欲に耐える我慢)(10/11追記:嘘っぽいのここか。マジで睡眠欲に耐えてただけなので肝心な勉強は集中できてないということ。通学1時間半かけてたから毎朝6時起きなのに寝るの大体1時半だった。)

というところだ。

辛くて病んでいる状況を我慢することが努力だと思っていた。

1つでも多くの問題を解けるようになることが大切なのに、

履き違えていた。

・遊んでいる友達を羨むのではなく、問題集を1ページ進めてから息抜きする

・人と比べて病むのではなく、1問でも多く問題を解けるように模試を1問解く

睡眠時間を減らして眠気に耐えるのではく、ある程度寝てから集中して単語5個を覚える

これを毎日意識するだけでも違う、と今となっては思う。

難しいのは知ってる。けどこれしか改善策はもう思いつかない。

4年間塾講師バイトもやっていたけど、

たまに我慢努力の履き違えをしたまま病むだけ病んで受検失敗した子を数人見た。

病み方があまりにも辛そうなので、変に声をかけられず、

質問されたことに答えることしかできなかった。

遊べないのが辛いなら、遊ぶべきだと思う。

実際に高校の先輩で、二年まで定期テストクラスで下から数番目、夏休みまで部活していたものの、

夏休み明けからは、日曜の午後は一切勉強しないというルールだけを徹底し、某公立大学合格した先輩もいる。

もう一度伝えるが、受験においては志望校試験に受かるということがゴールだ。

人生では受験大学入学は通過点であるべきだけどね。辛い人は今は考えなくてもいいかも。)



増田受験失敗後はどうなったか

別にどうってことないが、プライドは無くなった。

増田入学した大学は、推薦以外の0.5割は同じ受験失敗組だった。

そのなかの2人と友達になった。

2人がいたので、1年次は傷を舐め合いながら生きていくことができた。

1人は、某国公立大学編入した。

2人は、1年次終わったら休学して地方公立へ再受験すると言って大学で見なくなった。

私の代は、大学2年次でコロナ禍になってしまったので、

連絡が疎遠になってしまったが、2人目は再受験したのかどうかすらわからない。

この前連絡がきたが、今何をしているかは聞けなかった。

の子が言っていた「上ばっか見てるのは辛いから、たまには下を見てああはなりたくないと思うことも必要だよ」という言葉はずっと覚えている。

増田仮面浪人編入もせずそのFラン大学卒業した。意外と大学の授業が面白かったのと、もう二度と苦しい思いをしたくなかったからだ。

大学で割といい成績を取り、教授にもそこそこ気に入られてたため、卒業式の卒業代表挨拶に選ばれるかもと噂があった。

結局私より成績が良い人が1人いて、その人が代表挨拶だった。同じゼミAO入学の子だった。最後最後までプライドをへし折られた。

別に失敗したっていい。

大学名は就活に影響あるけど、ある程度大学での行動でカバーできるし、

しろこの経験を失敗談として活かせば強みにもなる。

何回か就活面接話題に出したし、ウケが良かったこともある。

大学受験から卒業までに、プライドをへし折られすぎて、

社会人強靭メンタル仕事できているのでこの大学に入ってよかったと思う。

受験の失敗経験を活かし、早めから就活対策して大手メーカーへ運よく就職することができたが、社内の新人賞も後少しのところで落とした。

人生こんなもんですよ。

辛い受験生、どうか少しでも落ち着いて。客観視して受験から逆算してほしい。

増田みたいな人生が嫌なら、目の前の勉強自分の状況からどうか逃げないでください。

2024-10-03

仮想通貨マルチ商法多すぎじゃない?

Fラン大卒のせいか卒業以降マルチにハマる同窓生がそこそこいる。

この10数年で包丁やら化粧品やらサプリやらの勧誘を何度か受けてきたけど、最近仮想通貨マルチってなんなんだ。

今年だけで4人から勧誘を受けた。

内容としては、

コインチェックビットフライヤーとは異なり、人が作業するのではないDex利益を出す

②年利は20〜40%(NVIDIAより高い!?)

Dexシンガポール台湾エンジニアコントロールしている(人いるじゃん)

④もうすぐ日本でも登録を受けて一般的リリースされる(マルチに入らなくても買えるという意味らしい)ため、高い利率を見込める購入権が買えるのは今だけ

(一般的リリースやんない方が長く儲かるのでは??)

細かな差はあれど、共通するのはこんなところだった。

詳しくはこれに載ってるよ!と渡してきた書類特定商取引法37条の文字があるにも関わらず、

マルチじゃん、と言うと「違うよ!そういう怪しいのじゃないよ!」というまさかのお返事。

4人目の時は興味本位セミナーに出る約束をしてしまったが、面倒なので飛ぼうと思う。

かろうじて生きてるゼミLINE名前出して注意喚起しといたけど、「それ私もやってる!怪しいのじゃないよ💦」などという返信がついてきた。

余談だが、勧誘してきた4人とその返信をした1人あわせて5人中4人が大学時代遊ぶ金欲しさキャバ嬢やってた女なので、私の夜職への偏見は深まるばかりである

LINE内での私の発言には泣いている絵文字リアクションがいくつも押され、地銀就職たかつてのゼミ長が県警の詐欺注意喚起ページを無言でアップする流れで終わっているが、グループ内の友人3人から自分勧誘を受けたがスルーした&関わらない方が良いという個別LINEをもらった。

わざわざごめんね。

マルチ商法で仮想通貨やらNFTやら買わせてくるやつ、むしろ詐欺じゃない可能性ってあるもんなの?100%詐欺だろ。

Xやインスタじゃオイルマルチ話題だけど、地方では仮想通貨マルチが大流行中だよ〜〜

2024-10-02

誰かを好きになっても自分の嫌なところしか目に行かなくなった

高校のころは今日ちょっと話せた、目が合った、会釈してくれた、そんな程度で嬉しくなっては舞い上がって





下手なりに甘酸っぱい経験もそれなりにしてたんだなって思う





でも人との関わり方って10代のうちにちゃんと覚えておかなきゃ駄目なんだなって思う










別に仲良くないのに連絡先聞こうとして拒否られて




今考えたらそりゃそうだよな、陰キャにいきなり絡まれたら何考えてるんだろとか、陽キャ見世物にされてるみたいで気分悪いよな










そういう失敗を経て本来なら努力して人並みにコミュ力磨いたり、距離感の詰め方とか学ぶんだろうけど





ずっとそこで躓いたまま大学卒業し、ついには社会人になって10










大学生になっても上手く異性と関わるために内面を磨こうとか人当たりを良くしようとか向上心なんて抱かず











今はその時じゃない、きっと自分に寄り添ってくれる人と出会えるって





年齢は成人を迎えたのに都合良く夢想しかしていなかった










大学ときも同じゼミの人のこと好きになったけど、コミュ障デートになんて誘えるはずもなく










何年か前にLINE名字変わってたの知って


結局そんくらいの関係しか築けなかったんだよなって虚しくなった











社会人になってから好きな人が出来て、でも自分高校の時から何も変わらずコミュ障のド陰キャ







昔は相手の顔を見かけると嬉しくなったり気分が弾んでモチベーションになったりしたはずなのに







上手く相手と関われない自分劣等感とか無能感とか、そういう気持ちばかりに苛まれ






好意を抱くということ自体が苦しく思える

2024-09-23

男だけど男が嫌い

小学校ときに物を隠したり、仲間はずれにしたやつ、それを許してやれと諭した教員部活竹刀で殴ってきた奴、高校指定校推薦を取るなと言ってきた奴、大学マルチに誘ってきた先輩、男に興味ないの?と俺のチンコを触ってきたゼミ教授就職してパワハラしてきた上司、みんな男。みんな嫌い。

 

ネットでは男がわざわざ女に絡みに行ってギャーギャー騒いでいるが、これこれ、これが男。俺が嫌いな男の特性だわ〜って思う。

女が女を助ける活動をしているとキレる男がいるが、そいつ等は何故か男が男を助ける活動をしたがらない。意味不明。でもそれが男。

ちなみに俺に明確な加害をしてきた女はいない。

女だけの街が欲しい、という女の書き込みを見たことがあるが、その気持ちはすごくわかる。

俺は男だが男の加害性には辟易する。

2024-09-12

から大学を変えると詰む

大学院から別の大学に進学した結果、俺は孤独になった。

大学院というのは学部とは異なり、人間関係がかなり狭い。基本、学内ではゼミメンバーしか関わりはない。俺は文系から理系で言う研究室というよりゼミという概念の方が強く、日常的に顔を合わせるのはゼミメンバーとそれぞれ受ける授業のメンバーくらいになる。

大学院生は学部生と比べて圧倒的に人数が少なく、俺は私立だったか特に少数精鋭だった。だから人間関係が数人単位で完結してしまう本当に狭い世界だった。

そんな中で人間関係に躓くと逃げ口がない。院からの進学者から当然同級生に知り合いはおらず、学部生にも後輩はいない。かといって院から学部生のサークルに入るのも難しく、院で孤立するとその大学人間関係が築けなくなる。

「あぁ、この大学自分の居場所はないんだな」と思った。俺が進学したのは有名私立マンモス校だったが、何万人も学生がいるのに自分は独りぼっちだという落差に耐えられなかった。

しかも、俺は院から一人暮らしをしていたから、周りに誰も知り合いがいない生活余儀なくされた。会いたくもない連中と顔を合わせ、その苦しみを紛らわせる回路もない日々。久々に大学時代にお世話になった先生に会いに行ったら、「ずいぶん痩せたね」と言われた。自分が思っているより当時はヤバい状況だったのかもしれない。

こんなことを書くと「そんなこと言ってないで研究しろ」と言われるだろう。もちろん研究はした。俺は孤独の穴を埋め合わせるように一人研究に勤しみ、M1ながら論文投稿した。

こうして、なんとか逃げるように卒業したが、あの大学にはなんの愛着も未練もない。俺にとってあそこは見知らぬ外国であり、俺は紛れもない異邦人だった。

外部進学者院生孤独問題にはもっと光が当てられるべきだと思う。

童貞の話

童貞の話で自分童貞大学生だった頃を思い出した。

ゼミ内で付き合ってるカップルの女に生理が暫くきてないとかで

どうしよう・・みたいなどんよりした空気が仲間内に流れた時期があって

結局は妊娠はしてなかったみたいなんだけど(本当のところは知らん)、

自分には1ミリ関係ないのに、しか自分童貞なのに、

神妙に悩みを聞いてあげてたなーということがありました。

2024-09-11

小泉進次郎学歴職歴

どうやら次期総理になりそうな塩梅小泉進次郎先生

その学歴職歴は非常に華々しくかなり特異だ。

 

まず中高大一貫校の関東学院中学から大学までを過ごしている。

高校での募集は行って居らず、大学偏差値は40台前半といったところ。所謂F欄。

 

ところがこの後の学歴職歴が凄まじい。

関東学院大を卒業した進次郎氏は東京大学よりも格式が遥かに高い、ニューヨークコロンビア大学大学院に入学するのであるコロンビア大はアイビーリーグの一つ、という説明も不必要な程の名門校である事は言うまでもない。日本人留学生の受け入れも多く、明石康氏も同校出身だ。(実は大島てる出身

関東学院からコロンビア大学院。すごい努力だ。すごい努力が見える。

しか知日派ジャパンウォッチャーとして名高い保守系国際政治学者、ジェラルドカーティスゼミ指名カーティス師事した。

 

卒業後はCSIS戦略国際問題研究所)の研究員として就職。ここも保守系シンクタンクの名門で、日本などの金融シンクタンク分析に留まるのに対して、アメリカ政治に影響を与える力を持つ。ぶっちゃけ、ここが「ここは戦争をした方が良い」と意見を出したら西側諸国戦争を始めるのである

そんな世界を動かすトップレベルなところに研究員として就職したのだ。

これもすごい努力である。すごい努力が見える。

 

そしてこれが唯一の職歴だ。エリート中のエリート仕事世界を動かす仕事以外した事が無い。因みにCSISは1年で退職した。

 

関東学院卒なのにこんなすごい経歴なんだが、週刊新潮がそのからくりを説明している。

 

小泉進次郎、名門「コロンビア大学院」留学は「特別プロセス」 関係者証言

https://www.dailyshincho.jp/article/2021/08200557/?all=1

 

まりカーティスゼミに入る事を前提に、関係者が色々手を回した。

そのキーマンマイケル・グリーンであったと。グリーンジャパンハンドラー日本転がし/日本の飼い主)の代表的人物だ。ブッシュ政権ではNSC国家安全保障会議)の日本朝鮮担当部長を務め、その後はCSIS上級顧問日本部長を務めている。日米関係の超重要人物だ。

 

こうして進次郎氏はコロンビア大学院に入学出来、卒業も出来た。

更にCSISにも入社出来た。マイケル・グリーン東亜担当部長やってるんだからそりゃ通るし部下として配属されるわな。

新潮記事ではビクター・チャ氏が骨を折ってくれたと書かれているが、この人は記事にある通りに後にNSCアジア部長となり、トランプ政権ではトランプ北朝鮮限定戦争を抑止した人物である

なんともすごい人物が続々登場して努力した結果、進次郎氏はコロンビア大→CSIS学歴職歴をゲットした。

 

CSISで進次郎氏のような人材必要だったんだろうか?普通に考えたら判るがそんな訳がない。

まりコネだ。それまでの自民党総裁は米側の要求はなんだかんだと有耶無耶にして結局日本が大損ならやらないし、吉田茂角栄を筆頭に憲法9条があるから再武装有耶無耶に断って出兵もしないし、経済成長に全振りするから低価格品質化した日本製品北米市場を喰われてしまう。米企業には、軍事機密に属する技術コピーは出来ないという縛りがあるのに、軍事産業が無いという建前の日本は、新技術軍事技術に属するかとか気にせず、それどころか米軍の装備の実物が無いのに機能だけから脳内アッセブリして応用技術として製品に組み込んでしまう。汚いな、流石日本汚い。

 

だが小泉純一郎総理比較アメリカ要求を聞いてくれるし、革新的であり、その革新さはアメリカネオコンサバティズム立脚している。

だったらその子供を純粋培養してやればクローンが作れる。

…という20年先を見込んだコネ入社ってことでしょな。

一般企業で数年以上働いてしまうと、経験思想のすり合わせが必要だ、とか直線的に目標達成すると周囲の環境を折り込めていない天ぷら的なものを作ってしまって全体としてはコストが余計に掛かったり、パイを縮小させてしまう、といった事を覚えてしまう。

進次郎氏も実質的な「一般的に認識される職歴」というのはゼロなので、全アイデンティティであるコロンビア大→CSISコースをやるしかない。これは歴史思想アイデンティティ問題であり、進歩主義の一つである

戦後政治史とかもどうせ頭に入っていない。

 

ただ、ネオコンサバティブで問題となる、戦争を引き起こす問題現在封印されてはいる。イラク戦争で大失敗して「change」を旗印にしたオバマ政権誕生し、色々妨害したがオバマは8年務め、足元の共和党トランプに塗り替えられてしまって居場所がない。

でもそれ以外のアメリカ要求が来た時に、それが日本国益を著しく損なわないか国際社会受益する以上甘受すべき不利益なのか、Winwinなのか、構造改革なら先行の効果測定結果があるのかという判断はどうせ進次郎には出来ないだろう。

 

この辺の魂胆は党内でも同じなんだろう。

岸田のように、カルト議員パージを行うかも?という不安裏金問題で公正や法治の方に舵を切るのでは?という不安を抱えなくて済む。

顔もいいので国民から批判も緩む。例えば大阪知事吉村洋文株券印刷業と揶揄されるアンジェス人間をすっかり信用して「大阪会社が初のワクチン供給する」と考えてしま補助金を出した。製薬業に無知過ぎた。するとそれを見たイソジン製造元の営業は怪しい話を吉村に吹き込む→信じて記者会見イソジン治療法を発表→イソジン爆売れというのをやらかした。明らかに製薬業周辺の知識がない所をつけ込まれているいるのだが、顔がいいのでスルーされてしまった。イケメンバカを超えるのだ。

これは利用しない手はないな。って事で、イケメンバカ純粋培養社会人経験なし、世襲という条件がたまらなく利用価値があるって事なんだろう。

コネ普通仕事回して貰えるとかの限定的な利益だが、進次郎さんのコネもっとスケールが違うので、実質はリモコンだと思われる。

そりゃ関係者努力しますわな。

道理ですごい努力が見える訳だ。

無職になってから親が優しい

24歳1留+既卒ニート1年目。 女。

実家を出たいのは持病で免許が取れない&親が過干渉っぽいから。在学中より無職の今の方が親が優しい。

住みは群馬に近い埼玉。 4年生を2回やった。親の意向就職より卒論を優先した。

在学中は大学が遠く門限もあって人付き合いや課外活動が出来なくて一人暮らしたかったけど、今親から離れても大学生の友達関係とか恋愛は出来ないし、普通の人には4年分の積み上げがあるけど私にはないし。って考えちゃった。

経緯を書いていく。

19年入学→3年次躁鬱→4年生を2回やる→イマココ

干渉はずっと。バイトは8時まで。サークルの飲みは7時に抜けて9時には家に帰る。夜は送り迎えなしでは出掛けない、親が21時までしか起きれないから送迎有りでも21時まで。土日に2時間通勤して工場バイトした。昼間だけのところが他に無かったから。交通費はなかったから7時間働いても4000円にしかならなかった。精神科に行ったり行かなかったりを繰り返したところ自立支援医療を紹介された。2年からオンライン授業になったのもあり、百均バイトを始めた。しか抗うつ薬調子が良くなっても飲み続け、この時既に躁鬱になっていたと思う。地元友達に誘われたという理由車校契約をしたり、フォロワーがやっているという理由PS4買ったりした。親は泣いた。コロナで対面授業は無いのに、インスタで友達同士遊んでいるのを見て一人暮らしの人が羨ましくなった。増田は父の仕事柄もありコロナに敏感だったから。孤独感が強く、一人暮らししてる人への劣等感が強かった。2月バイト中に顎が外れるようになり、バイトを辞めた。3年次ゼミのこと仲良くなった。その子芸能活動の為に授業に出れないから、次の授業は休んでも支障ない内容か先生に聞いて欲しいと頼まれた。

結果私は口を滑らせ、その子は鬼LINEを送ってきた。ショックで下痢になり、授業中にも関わらず何回もトイレに行った。 過呼吸になって、リュックオーバーブリッジを殴った。帰宅自殺未遂した。入院した。

1ヶ月で退院した。

4年次で留年した理由は鬱の症状で卒論が手につかなかったこと。元々就職後引っ越す為のお金が欲しくてバイトをしていたが、4年の前期にパワハラバイトを辞め単発バイトをしようとしたらそんなに金が欲しいかと怒鳴られたこと。普通免許を躁鬱は取得できないことを知り、卒業しても就職出来ないと思い中退しようとしたから。親が泣き崩れて学生課に電話をかけ、おばさんカウンセラー教授との話し合いをすることになった。拒否したら親が泣いたり暴れると思ったから。

修学継続アンケートに記入するとき「〇〇の意思留年するんだよね?勉強したいんだよね」と言われたが自分意思じゃなくてそう言わないと暴れると思ったから。

2回目の4年生で、また別な所でバイトを始めた。親には予め了承を取り、14時-22時契約で入ったものの「遅番が多すぎる!」「契約書に書いてあるからってシフト変えてくれないお店は違法!!」「お前がバイトすると私は死ぬ!!」など言われた。

ごめんね他県で就職する為に貯金したいんだよねと言ったら「地元就職すればいい」「月給16万でも実家暮らしならお金はいらない」など言われた。バイト先に事情を話したところ14時-18時出勤することになった。月7万から月3万に減った。親は夜入らない分午前中に入れて貰えると思っていたらしい。「こんなに減っちゃったの?でも勉強に集中できるし嬉しいな」と言っていた。私がバイトしてるからお母さんが体調悪くなるって言ったかシフト減らしたんだよ。勉強の為じゃないよ。ニヤニヤ笑ってた。

しかし今度は最初契約以上にシフトに入れられてしまう。人が辞めたからだ。週五で入らされた為辞めた。

その後元々登録していた派遣の待機案件で出勤しようとしたら羽交い締めにされて止められた。行くなと言われていたのを無視して出かけようとしたら羽交い締めになった。

母「もう増田大人から羽交い締めにしないと止められない」

それは先に暴力を振るう側のセリフでは無いと思った。

体調が悪いから、新百合ヶ丘は遠すぎるからお前の会社おかしい(2回目)etc.

暴力解決するなどまともな人間では無い」と返したら

父に親に携帯代払ってもらってるのに反抗するのか、と言われたがバイトすら辞めたら携帯代も払えない。

就活の予定を話すとでも卒論が、と言われた。在学中に実家を出る為、ソーシャルワーカーへの相談互助会保険金が貰えるか等奔走していたら卒論が疎かになった。卒論ギリギリに提出し、卒業した。

現在

無職既卒(卒業後3年以内は新卒扱いになる)で就職活動中。就活しながらバイトしたいけど週3〜希望/夜はいれないだとほぼ落とされる。なので家から出ない。

中途未経験枠は受けてみて嫌な会社が多いか新卒枠でやっているんだけど 母は「そんな会社ばかりじゃない」「ハロワマイナビよりまとも」と言う。これは時代の違いもあると思うんだけど 増田バイトに応募するとバイトより就活優先!と言うのだ。昨年就活出来なかったのはバイトのせいじゃなくて増田母とのトラブルで病んだからなんだけだな。

お母さんが優しい。

私が家にいるか不安にならないだけで、もし実家近くで就職したら「本当に残業なのか?」「必要飲み会なの?」色々言ってくると思う。

家出た方がいいのわかってるけど、大学生の時は一人暮らししたら友達とお泊まりできるし彼氏も欲しいなとか思ってたけど周りを見たら皆結婚出産意識してて、増田がその時経験できなかったことは出来ないままなんだよね。

アラサー彼氏出来ないとか言ってたら婚期逃しそうだし。来年就職しても皆と同じ土俵に立てないならもう地元出なくてもいいかなって。

2024-09-01

小池都知事関東大震災朝鮮人犠牲者追悼文中止に至るまで-2 項目説

前編はコチラ 

https://anond.hatelabo.jp/20240901181941

 

2009年衆院選幸福実現党候補応援

スポニチスッパ抜いて失笑を誘った。池袋の裏手で聴衆もほぼ無くビールケースに乗って面白カルト候補応援する姿が写真掲載され面白画像として出回った。

記事は削除されてこれくらいしか残っていない。https://matomame.jp/user/20yama20/86adf5030479d91ccee5#9c0b66168507bff3b75a

 

2009年11月twitterで「事業仕分け日本解放第二期工作要綱による日本弱体化の為の施策」の由発言

日本解放第二期工作要綱とは1972年日本右翼活動家によって中国にて発見されたとされる、中共による日本赤化工作の指針文書。要するに中国版の32年テーゼだ。因みに1972年田中角栄による日中国交正常化があった年だ。それに伴って国府台湾政府)とは断交した。

 

32年テーゼというのはコミンテルン1932年に定めた日本共産党の革命指針の綱領で、日本は2段階革命のどこの段階かの判断に始まり天皇制の打倒、小作廃止、7時間労働などを定めていた。後半の2つは奇しくもGHQが実現している。

日本解放第二期工作要綱は、この32年テーゼと同じもの中共が作っていた!とするものだ。だから日中が国交を樹立すると共産主義になるぞ!と。

だがコミンテルン中共立場は全線違うからそんなもんはあり得ないし、そもそも効果が無い。日共過去コミンテルン下部組織だったが中共とそういう関係であった事は無い。

 

しか右翼活動家が偶然発見しただけで、他にはその文書を見たものは居ない。という事で、これは嘘だと考えられている。

 

もう一つの文脈が、西尾幹二2007年頃?に発表したコミンテルン史観で、これが受容されるうちにドンドントンデモ化して行った。

例えば、満州事変コミンテルンが画策した、日米開戦コミンテルンの策略、GHQコミンテルンだった!、などなど。杉田水脈は「コミンテルンは今も存在しその活動が活発になっている!」と言っている。大企業学者中央官庁で経歴をいくら積んでも比例代表制で党の票は回して貰えないが、コミンテルンが生きてると言うと比例上位に就けて貰えるのだな。あれもこれもコミンテルン!と仲間内で「議論」(陰謀論)を活発に言い合うと、コミンテルン活動が活発になった事になるのだ。

田母神幕僚長がこのコミンテルン史観論文開陳して馘首された。

このコミンテルン流行の後に小池はこれに引っかかっているのである杉田水脈小池が同じ程度と思う人は少なかろうが、少なくとも同じ程度だった事はあったという事だ。

 

初登庁と共に特別秘書民族派極右野田数就任する事が報じられる

山本一郎記事をどうぞ

https://archive.is/9EaDx

 

喜多ら2人の親小池議員には発言権を与えずパシリにして議席が無い野田が牛耳る院政

最初自民党に叛旗を翻して離党し反都議会自民議連を旗印にしたので初登庁には音喜多都議二人以外がお迎えをしないアウエイ状態であった。

しか希望の塾を発足するとそんなコアの2人には発言権はロクに無くて議席の無い野田秘書が全部仕切るパシリ状態

たこの頃の野田歌舞伎町で豪遊している所を週刊誌に撮られている。

 

舛添全都知事独断で話をつけてきた市ヶ谷商業高等学校の跡地を韓国人学校転用する約束反故

市ヶ谷商業高は牛込柳町近くの新宿区矢来町にあったが廃校になり、土地活用方を探していた。当地人口減少が続く都心の坂と狭隘路の中にある土地で、高層ビルなどへの転用が難しい。また住宅街の奥にあってランドマーク的な使い方も無理がある。

そこで舛添は韓国訪問した際に韓国人学校への転用約束をしてきた。これに右派は大反対して反舛添の声を上げた。

舛添が金の問題で失脚して小池都知事就任するとこれを反故に。

これも極右ゴロとの付合いが影響していると思われる。

 

それでは転用方の代案は?と問われた小池は当時問題になっていた保育園転用すると答えた。

だがこれは相当トンデモな解答で、保育園電車で行くものではない。更に柳町渋滞の名所で朝夕に送り迎えするのは困難だ。しか付近人口減少地帯で、保育園の立地としては完全に不適だ。また保育園としては施設が大きすぎる。

故に当地保育園転用考慮もされず放置状態となっていた。最近になって、付近中学校の建て直しに伴い新宿区特養ホームを建てる計画を立て、ようやく土地活用が進みつつある。

 

2017年希望の党結成。「排除します」発言 音喜多らコアメンバー政治手法批判して叛旗、小池の元を去る

2017年衆院選希望の党大敗 小池知事大人しくなる

小池は元々リベラルだった。また、芦屋出身兵庫民で選挙区兵庫だったが、郵政選挙小泉政権刺客として東京10区に飛ばされた落下傘候補である

まり風や波に乗って立場を変えてきた人物であって、思想史とか戦後政治史とか全然頭に入っていない。戦後政治史というのは自民党史でもある。

一方、小池都知事都民ファという潮流に乗ろうとした前原誠司は逆に90年代保守エリートみたいな経歴を持つ。松下政経塾にも行っていて、更に京大高坂正堯ゼミ出身だ。高坂正堯門下生という事は、猪木正道戸部良一らの防衛校長らの系譜でもあり、それはオールドリベラリズムリアリズム系譜でもあるという事である吉田茂海洋国家論にも影響を受けているし憲法九条問題も、その護持は日米安保との合わせ技で安全保障経済発展の安定土壌を手に入れる吉田らの施策理解している。その結果、戦後日本常軌を逸した経済発展を遂げ、戦争に負けたのに極東の中心となった。

国際的立場が上がったので安全保障の美味しいトコ取りは出来ないというのが当時の課題であっし、9条改正問題はその為のものであった。

しか小林よしのりブーム以後の保守論壇というのはバカが出来る人をパージする場となってしまい、9条は亡国の策略とかGHQコミンテルンだとか言うのがまかり通ってしまう。

小池後者代表で、高坂正堯の本なんかも読んでないだろう。

前原は焦っていたのだろう。自分が確りとした思想地盤にのっているのにポピュリズム駆逐されてその地盤が無くなり、保守政治との接点が無くなってしまった。一方、コミンテルンが未だに活動盛んと言えば政治的に重用される。

そこでポピュリスト権化である小池に接近して合流する事で党勢を伸ばせると考えた。

ところが調子に乗りすぎた小池は「排除します」発言をしてしまう。前原はこれを説得できると思ったようだが、何せ前提の知識経験が違う。小池の「保守思想」の全てがネトウヨっぽい天ぷらだとは考えていなかったようだ。しかしそこに至るまでの経緯を見れば天ぷらというのは明らかだ。

 

その後希望の党大敗して党勢ほぼゼロとなってしまう。ずっと時代の風と波に乗ってやってきた小池にとってここを起点にマスコミバッシングが始まり7つのゼロも含めて問題にされ一つ一つの発言施策根拠ガチ詰めされる流れになるというのは恐怖だったのではないかと思う。

そこでそれまでのイデオロギー的振舞いは全部止めた、というところじゃないか?ずっとその後は本当に大人しくしていた。

2020年コロナ流行し、当初安倍総理が甘く見て放置し、国民の怒りが上がってきた辺りで感染防御に切り替えた。この流れに乗って「3密」や移動抑制を呼びかけたところ、ポピュリストの才能がいい方向に作用して過去のヘマは忘れられて今に至る。

 

まあそれは良かったが、やっぱりロッカーの奥に仕舞ったままのマルチ商材は反省して処分すべきだと思うよ。

2024-08-26

聴覚障害の友人がいるのだが



 友人が、どうにもこうにもしんどくて仕方ない。どこにも書けないし、誰にも言えないからここに書き込む。本人や、知り合いがが見たら僕が書いたとバレる恐れがあるので所々ぼかす。

 友人・Nは、いわゆる大学の基礎ゼミが同じだったが故に知り合った。基礎ゼミ以外でも後述する理由で近くの席に座ることが多く、なるべくして親しくなったのだ。程々の仲でありたかったのだが。

 Nは聴覚障害者である。これを書くことにより彼にバレる可能性が飛躍的に上昇してしまうが、Nの話をするためにはどうしたって省く訳にもいかぬ。ともかく、そうした事情があるので、僕は彼の手助けを出来るだけ心がけている。手話挨拶程度しか出来ないが、筆談やらLINEやらでなんとか会話をしている状態だ。

 これがあることにより、嫌いだ苦手だということが健常者より複雑になるから困る。一歩間違えたら差別主義者と思われかねない。

 彼は講義のために文字起こし必要なため、ボランティアの手をかりている。そのため席は最前にならざるを得ない。そして僕はコンタクト使用しても視力が弱く、乱視もあるために最前席を取らざるを得ない。だから席がどうしても近くなるのだ。

 彼が苦手だ。なんならまあまあ嫌いだ。

 ひとつ断っておくが、障害があること自体理由では無い。あらゆる差別は根絶されるべきものだと思う。つまり、単純にNの言動が嫌いだ。ただし、障害があることにより発生してしまう彼の思考は苦手なため、事態をややこしくしている。

 しかし縁を切るわけにはいかない。大学毎日うからだ。フラストレーションは溜まるが、耐えてニコニコとし、大切なことは何も言わないようにしている。

 簡単スペック

 N

 ・男子大学

 ・二十歳越え

 ・重度の難聴

 ・意味わからんくらいポジティブ

 

 

 僕(K)

 ・男子大学

 ・二十歳越え

 ・耳が聞こえる

 ・ことなかれ主義

 


 █

 まず、とにかく話が合わない。というか、話が合わないとかい次元ですらないのかもしれない。

 彼の話はなんとなくスピリチュアルなうえにファンタジックで、その歳の人間が言ってると思うと薄ら寒い。幼い子供が言うならいいけども。そこまでガチモンのスピ系でもないが、割とうんざりする。

 一例を挙げる。自宅でLINEのやり取りをした際のNの言葉である。多少の原文はいじっているが、ほぼそのままだ。

 僕:そういやサークル合宿、めちゃくちゃ自然豊かな所行くっぽいよ

 僕:Nは合宿行かんよな?(サークル同じ)

 N:良いね自然

 N:何故か、時々、深呼吸したくなる。

 N:どうしてか、時々、走り出したくなる。

 N:なんだか、時々、宇宙と繋がってみたくなる。

 N:そんな時、あるよね?

 僕:あるかな~笑

 あるのかもしれんが、それを僕に言ってどうするんだ。話の脈絡特にない。無駄句読点も鬱陶しい。もちろんそれを本人に伝えると面倒臭そうなのであまり触れないようにして流す。

 次。その日は移動中にゲリラ豪雨に襲われたという背景を付す。これは対面でLINEしている様を想像してほしい。

 N:雨つよすぎ……

 僕:明日は晴れるらしいけどね~

 N:きっとさ、

 N:これは神様が「今日は雨降らそう」とかいう気分でそうしているんだよ。

 N:今日は機嫌が悪かったのかもしれない。

 N:きっと大きなジョウロを持っていて、それを俺たちに向けているんだ。

 これを聞いて、「少年の心を失わないピュア好青年」でも感じるべきだったのかもしれないが、僕にはそれが出来ない。ナチュラル宇宙神様ファンタジー的な話を持ち出されるのだ。結構辛いものがある。無論、大学である我らはとうの昔に成人済みの男である

 █

 そしてこれがかなり問題だと思うのだが、彼は物事押し付ける。これは断れない僕も悪いが、Nにも非があることは一目瞭然のはずだ。

 これは彼と出会った初期の頃の話。これも対面LINE

 僕:Nくんは好きな本とか作家いる?

 僕:僕は○○の『△△』が好き

 N:○○さんの作品全般好き!

 N:あとさ、

 僕:?

 N:くん付け要らないから。Nって呼んで。俺もK(下の名前)って呼ぶから

 僕:ずいぶん急だね

 僕:呼び捨て普段あんまりしないからさ

 N:Kの初めてってことだ! 呼んでね!

 これは特にNに伝えていなかったのでこちらも悪いが、僕は呼び捨てで呼ぶのも呼ばれるのも苦手な方だ。家族や幼馴染くらいしかしない。

 しかし、彼にとって友人になったら当たり前、みたいなことなのかもしれないとその時は受け入れることにした。価値観や考え方自体は多様であるべきである

 だが、まだNは友達になっていない人にもこれをやるのだから驚きである。基礎ゼミグループワークを行う際なども自分への呼び捨て強要。当然のようにメンバーを男女かまわず呼び捨てる。フレンドリーと言えば美点なのだろうが……僕には、距離感の詰め方が流石にバグっているように見える。

 ただし、これは障害があるというハンデがあるからこそ、距離ガンガン詰めて、避けられないように……という彼の生存戦略可能性もある。僕が価値観の違いで勝手不愉快になっているだけと考えればまだ許容範囲だろう。

 しかし、これは堂々と不愉快言動と言わせてもらう。

 大学主催ボランティア講習(Nのための文字起こしボランティア)があった時のこと。

 N:Kも来るよね? もう、Kは絶対参加だよー。

 僕:まぁ行くけど

 N:だよね! Kが来ないとかありえないから!

 行くのが嫌なのではない。友達なんだから来て当然みたいな雰囲気が嫌だ。ガクチカになるかもしれないし、困ってる人間は助けたい派なので行こうとは思っていた。それにしても、多分Nは僕をガッツリ頼る気満々である。僕と普段から仲がいい(と思っている)ため、頼りやすいからだとは思うが、初めから至極当然のようにアテにされるのは少々不満である

 そして、何より、「Nさんと仲のいいKさんは行くよね?」みたいな周りの目も嫌だ。これで行かなかったら薄情者と思われるのではないかと思ってしまう。

 図書館課題作成していた時のこと。Nは背後から忍び寄り、いくつか本を手渡してきた。

 N:オススメ! 

 N:俺の私物は借りたくないって言ってたか図書館ならいいかなって。Kって意外と潔癖? 笑

 僕:○○の本、前に好きって言ってたな

 N:あんまり読んだことないんでしょ? ここの図書館にあるやつだから読んでみて。

 僕:さんきゅー。でも、今日はとりあえずいいや笑

 N:良いの?

 僕:メモはとる

 僕:時間ある時読むわ

 彼の私物を借りるのがそもそも何となく嫌だった。既に彼を面倒くさがっていた頃のやりとりだ。そこでこのオススメ本の布教に来たのだろう。

 今ではない。確実に今やることではない。

 僕が今PCをカタカタやってるのが分かるだろう。机の上に資料があるのが分かるだろう。なぜ今渡すんだ?

 そして言いにくかったから言ってないが、僕はお前の好きな○○という作家にそこまで強い興味がない。すまないが、どんどん言いにくくなっていた。

 読書趣味だが、お互い好きな方向性が違うじゃないか触手をのばすのは悪くないが、押し付けられるからどんどん嫌になってしまうとなぜ気付けない。

 僕のオススメを聞いても、お前はお前で読まないしな。

 一年生の頃の夏休み直前のこと。

 N:夏休みってみんなどこ行くのかな?

 僕:海とかプールとかなんじゃね?

 N:調べてみる(Googleで『大学生 友達と出かける場所』と調べようとしているのを見せてくる)

 N:ボーリングとか買い物とかは手軽そうだな~。あと美術館とか博物館とかも面白いかもね

 僕:あ~定番っぽいね

 N:Kはどこ行きたい? 八月二十日!

 僕:え、二十日???

 N:俺と行けば博物館とかそういうの、同行者として割引とかあるよ。無料場合もある。

 僕:僕、同行者としてはあんま役立たんけど? 笑

 僕:手話分からんし笑

 N:俺がKと行きたい!

 知らない間に僕とNが出かけることになっていた。あれは仰天した。僕は一切こちらの予定など告げていない。同行者割引なんぞ要らんから、僕を誘う一言をくれ。予定を確認してくれ。僕はバイトもしている。流石にいただけないだろう。

 ちなみに彼はバイトをしていない。障害者がアルバイトをするのが難しいということだそうで、確かにそれは大変だとは思う。思うが、こっちの事情は考えてほしいものだ。実際その日が空いていたのも良くなかった。

 結局Nがその日は体調を崩し、なかったことになったため、内心ほっとしてしまった。その後にも何回か誘われたが、バイトやら他の予定やらが入っていたために事なきを得た。

 またある時は、

 N:俺のTwitterフォローしてないよね? 是非してね☆

 僕:してないけど……した方がいいの?

 N:して! これ俺のアカウント。(リンク貼ってある)

 僕:少し待ってくれる?

 僕はTwitterリア友を通したくない派だ。仕方なく新しい垢を作った。ほとんどその垢にログインしないが、Nはほぼ毎日何かしらスピリチュアルな何かや聴覚障害に関わるツイートをしている。

 N:Kの初めてのフォロワーじゃん! テンション上がる

 たった今作ったアカウントだって、見ればわかると思うけどな。

 ……もう、これ以上にも思い返せばまだまだあるのだ。僕のバイト先に押しかけて先輩に負担をかけるし、知らん障害者の自伝か何かを手渡して感想を求めるし、飲みの席では健常者同士でも全員筆談手話で話せと言い放ち、僕の着る服にまで口を出し、挙句には僕の一人称が「僕」であることにすら、幼く見えるからやめたら? などと言う。

 いくらでもある。こちらの話を聞かない。事情を考えない。自分の話ばかりする。とにかくゴリ押す。

 どうもこの辺りは見ている限り、ろう学校時代に培われたものらしい。というのも、こうした言動をしているのに対し、軽く非難にならない程度に指摘すると、「中高とか、みんな俺みたいな感じの奴らばっかりだったよ」と言う。中高とろう学校に行っていたそうだ。みんなNみたいなのか。しんどそうである

 でも、みんながみんなNのようであれば、意見が通るのが割と当たり前であり、言えば結構色々と叶ったのかもしれない。特別支援学校では、少しでも生徒が不便を感じたら、迅速に対応するべし──これは特別支援教育講義で学んだことである

 学問上、障害に関する勉強もしているためなんとなくは分かるのだが、彼は障害者の嫌なところの寄せ集めである

 先述のスピ系も同様だ。ろう学校のことを詳しく存じあげる訳では無いが、一般的学校に比べてこういう考え方が主流なんだろうか? ろう学校内でガラパゴス化しているのか? N本人も、一般的学校のことはよく分からないと言っていたことがある。

 彼はどうも、自分の主張はなんでも通ると思っているフシがある。

 耳が聞こえない不便さにより、周りを頼る習慣があるのは良い事だと思う。頼ってくれなければ助けようがないし、どう助けていいのかも分からいからだ。だから彼のためのボランティア講習に僕も参加した。彼に苦手意識はあるが、困っているのなら助けるぐらいの人の心はある。

 でもそれはあくまで誰かが厚意・善意でやっていることで、私的ワガママを通していいのとは違うのではないか? 必要な手助けと身勝手な振る舞いの許容は全くの別物だ。

 はっきり言って、Nは勘違いしているようにしか見えない。ワガママを言えば誰かが叶えてくれるという傲慢勘違いだ。そしてNにとってその"誰か"は、大学内においてはきっと僕だ。

 これを書いていたら、障害者に関わる機会が職業柄多い母が以前、「障害者は距離結構詰める人いるよ。見えない聞こえない動けない分からいから」と言っていたのを思い出した。だとしたら障害がある故にNはああなったのだろうか? だとすれば僕はそれを疎む差別主義者か?

 僕はNを心の中では信用していないので、これらの発言を嫌でも断れない。断ったら面倒なことになるのが目に見えるし、断ったところで彼の態度が変わるとは思えない。

 周りは僕を、「Nと仲が良く、Nと普段から行動を共にする人間」「Nに用があるなら耳が聞こえるKを通せばいい」と認識している。Nは他にも大学に友人はいるが、おそらく一番一緒にいるのは僕だ。周りにそこまでゴリ押し危害は及ばないのかもしれないが、だからこそ誰も僕を助けてはくれない。

 そして、これらのやりとりは当然筆談LINEを介する。会話にスピード感はない。更に当たり前だが可視化されてしまうため、Nのカロリー高めの発言言葉の端に上手く流すことは出来ずに僕に降りかかる。耳を介したやりとりなら、軽く笑ったり「まあまあ」とか言って、上手く話の流れを切り替えられるのに。

 会話に少しでもストレスを感じないために手話習得しようかとも思ったが、申し訳ないがそこまで彼のためにリソースを割けない。彼も本当は僕に手話を覚えてほしいらしいのだが、今は流石に無理だ。NHKの『みんなの手話』のテキストを定期的に貸してくれるが、無理なモンは無理だ。

 この夏休みが終われば、また彼に付き合わなくてはならんのかと思うと、正直憂鬱だ。

 もしここまで読んだ人がいるのなら、大変な乱文で申し訳ないと思う。書きなぐりであるゆえ、整っていない。

2024-08-23

武蔵大の広告で「ゼミ武蔵」ってのを見かけたけどあれはハチムサシの捩りなのだろうか

2024-08-14

anond:20240813225550

移民多様性に寛容なリベラル知識人がですよ、

ホテルラウンジでお高い紅茶をしばいてるときにですよ、

選りすぐりの中東ワキガ民が隣席にいらしたらですよ、

果たしてどのようなリアクションをするのか?

それが行く先々の飯屋、電車エレベーター、果てはゼミ生までワキガ尽くしであった場合果たしてどうするのか?

実に見てみたい。

2024-08-13

anond:20240813180455

教授が間違った事言ってるゼミ生にするみたいな無慈悲ファクトチェックやめてください

勘ぐれ、お前

2024-08-09

おれ早稲田国教だけど

この間ゼミ

おれ

イスラエルガザ攻撃おかしい」

カナダから留学生

ハマスによる無差別テロおかしくないのですか?」


おれ

イスラエルパレスチナ人土地

侵略して奪い取った!」

カナダから留学生

イスラエル人たちは、パレスチナ人に金を支払って

土地を買っていっただけです」


おれ

私たち日本人ガザの人々と連携する!」

カナダから留学生

「だから能登地震が起きて日本人大勢死んだのです。

ホロコースト犠牲者たちの霊魂日本に罰を下した」


何も言い返せんかったわ・・・

2024-08-04

大学時代に密かに好きだったゼミの子就職活動が上手く行かなかったらしくて心配してたんやがある日ネットサーフィンしてたら覆面男たちのおしりの穴から足指まで丁寧に舐めてご奉仕してから鬼みたいに突かれてるその子が出演してるFC2動画見つけて呆然とした思い出

東浩紀

東浩紀の伝記を書く。ゼロ年代に二十代を過ごした私たちにとって、東浩紀特別存在であった。これは今の若い人には分からいであろう。経験していないとネット草創期の興奮はおそらく分からいかである。たしかにその頃は就職状況が悪かったのであるが、それはまた別にインターネットは楽しかったのであり、インターネットが全てを変えていくだろうという夢があった。ゼロ年代代表する人物を3人挙げるとすれば、東浩紀堀江貴文ホリエモン)、西村博之ひろゆき)ということになりそうであるが、彼らはネット草創期に大暴れした面々である。今の若い人たちはデジタルネイティブであり、それこそ赤ちゃんの頃からスマホを触っているそうであるが、我々の小さい頃にはスマホはおろか携帯電話すらなかったのであるファミコンはあったが。今の若い人たちにはネットがない状況など想像もできないだろう。

私は東浩紀の主著は読んでいるものの、書いたもの網羅的に読んでいるというほどではなく、酔っ払い配信ほとんど見ていない。しかし、2ちゃんねる(5ちゃんねる)の東浩紀スレ古参ではあり、ゴシップ的なことはよく知っているつもりである。そういう立場から彼の伝記を書いていきたいと思う。

1 批評空間

東浩紀は71年5月9日まれである。「動ポモ」でも援用されている見田宗介時代区分だと、虚構時代のちょうど入り口で生を享けたことになる。國分功一郎は74年、千葉雅也は78年生まれである。國分とはたった3歳しか離れていないが、東が早々にデビューしたために、彼らとはもっと年が離れていると錯覚してしまう。

東は中流家庭に生まれたらしい。三鷹市から横浜市引っ越した。東には妹がおり、医療従事者らしい(医者ではない)。父親金沢出身で、金沢二水高校を出ているそうである(【政治番組東浩紀×津田大介×夏野剛×三浦瑠麗が「内閣改造」について大盛り上がり!「今の左翼新左翼左翼よりバカ!」【真実幻想と】)。

東は日能研でさっそく頭角を現す。模試で全国一桁にいきなり入った(らしい)。特別栄冠を得た(らしい)。これに比べたら、大学予備校模試でどうとかいうのは、どうでもいいことであろう。

筑駒筑波大学附属駒場中学校)に進学する。筑駒在学中の特筆すべきエピソードとしては、おニャン子クラブ高井麻巳子福井県実家訪問したことであろうか。秋元康結婚したのは高井であり、東の目の高さが分かるであろう。また、東は中学生時代うる星やつらファンクラブを立ち上げたが、舐められるのがイヤで年を誤魔化していたところ、それを言い出せずに逃げ出したらしい(5ちゃんねる、東浩紀スレ722の555)。

もう一つエピソードがあって、昭和天皇が死んだときに、記帳に訪れたらしい。

東は東大文一に入学する。文三ではないことに注意されたい。そこで柄谷行人の講演を聞きに行って何か質問をしたところ、後で会おうと言われ、「批評空間」に弱冠21歳でデビューする。「ソルジェニーツィン試論」(1993年4月であるソルジェニーツィンなどよく読んでいたなと思うが、新潮文庫ノーベル賞作家を潰していくという読書計画だったらしい。また、残虐記のようなのがけっこう好きで、よく読んでいたというのもある。三里塚闘争についても関心があったようだ。「ハンスが殺されたことが悲劇なのではない。むしろハンスでも誰でもよかったこと、つまりハンスが殺されなかったかも知れないことこそが悲劇なのだ」(「存在論的、郵便的」)という問題意識で書かれている。ルーマン用語でいえば、偶発性(別様であり得ること)の問題であろうか。

東は、教養課程では、佐藤誠三郎ゼミ所属していた。佐藤村上泰亮公文俊平とともに「文明としてのイエ社会」(1979年)を出している。共著者のうち公文俊平だけは現在2024年7月)も存命であるが、ゼロ年代に東は公文グロコムで同僚となる。「文明としてのイエ社会」は「思想地図」第1号で言及されており、浩瀚な本なので本当に読んだのだろうかと思ったものであるが、佐藤ゼミ所属していたこから学部時代に読んだのだろう。

東は94年3月東京大学教養学部教養学科科学史科学哲学分科を卒業し、同4月東京大学大学総合文化研究科超域文化科学専攻に進学する。修士論文バフチンで書いたらしい。博士論文ではデリダを扱っている。批評空間に94年から97年にかけて連載したものをまとめたものである私たち世代は三読くらいしたものである博論本「存在論的、郵便的」は98年に出た。浅田彰が「東浩紀との出会いは新鮮な驚きだった。(・・・)その驚きとともに私は『構造と力』がとうとう完全に過去のものとなったことを認めたのである」という帯文を書いていた。

郵便本の内容はウィキペディアの要約が分かりやすく、ツイッター清水高志が褒めていた。「25年後の東浩紀」(2024年)という本が出て、この本の第3部に、森脇透青と小川歩人による90ページにわたる要約が付いている。森脇は東の後継者と一部で目されている。

東の若いころの友達阿部和重がいる。阿部ゲンロンの当初からの会員だったらしい。妻の川上未映子は「ゲンロン15」(2023年)に「春に思っていたこと」というエッセイ寄稿している。川上早稲田文学市川真人によって見出されたらしく、市川渡辺直己の直弟子である市川鼎談現代日本批評」にも参加している。

東は、翻訳家小鷹信光の娘で、作家ほしおさなえ1964年まれ)と結婚した。7歳年上である不倫だったらしい。98年2月には同棲していたとウィキペディアには書かれていたのであるが、いつのまにか98年に学生結婚と書かれていた。辻田真佐憲によるインタビュー東浩紀批評家が中小企業経営するということ」 アップリンク問題はなぜ起きたか」(2020年)で「それは結婚の年でもあります」と言っており、そこが根拠かもしれないが、明示されているわけではない。

そして娘の汐音ちゃん生まれる。汐音ちゃん2005年6月6日まれであるウィキペディアには午後1時半ごろと、生まれ時間まで書かれている。名前クラナドの「汐」と胎児聴診器心音ちゃんから取ったらしい。ツイッターアイコンに汐音ちゃん写真を使っていたものの、フェミに叩かれ、自分写真に代えた。汐音ちゃんは「よいこのための吾妻ひでお」 (2012年)のカバーを飾っている。「日本科学未来館世界の終わりのものがたり」展に潜入 "The End of the World - 73 Questions We Must Answer"」(2012年6月9日)では7歳になったばかりの汐音ちゃんが見られる。

96年、コロンビア大学大学入試に、柄谷の推薦状があったのにもかかわらず落ちている。フラタニティ的な評価によるものではないかと、どこかで東は推測していた。入試について東はこう言っている。「入試残酷なのは、それが受験生合格不合格に振り分けるからなのではない。ほんとうに残酷なのは、それが、数年にわたって、受験生家族に対し「おまえの未来合格不合格かどちらかだ」と単純な対立を押しつけてくることにあるのだ」(「選択肢無限である」、「ゆるく考える」所収)。いかにも東らしい発想といえよう。

2 ゼロ年代

東の次の主著は「動物化するポストモダン」で、これは2001年刊行される。98年から01年という3年の間に、急旋回を遂げたことになる。「サイバースペースはなぜそう呼ばれるか」はその間の論考である

東はエヴァに嵌っており、「庵野秀明はいかにして八〇年代日本アニメを終わらせたか」(1996年)などのエヴァ論も書いている。その頃に書いたエッセイは「郵便不安たち」(1999年)に収められた。エヴァ本をデビュー作にすることも考えたらしいが、浅田彰に止められたらしい。だからサブカル本を出すというのは、最初から頭の中にあったのだろう。

「いま批評場所はどこにあるのか」(批評空間第Ⅱ期第21号、1999年3月)というシンポジウムを経て、東は批評空間と決裂するが、それについて25年後に次のように総括している。「ぼくが考える哲学が『批評空間』にはないと思ってしまった。でも感情的には移転があるから、「お前はバカだ」と非難されるような状態にならないと関係が切れない」(「25年後の東浩紀」、224-5頁)。

動ポモ10万部くらい売れたらしいが、まさに時代を切り拓く書物であった。10万部というのは大した部数ではないようにも思われるかもしれないが、ここから動ポモ論壇」が立ち上がったのであり、観客の数としては10万もいれば十分なのであろう。動ポモフェミニストには評判が悪いようである北村紗衣も東のことが嫌いらしい。動ポモ英訳されている(Otaku: Japan's Database Animals, Univ Of Minnesota Press. 2009)。「一般意志2.0」「観光客哲学」も英訳されているが、アマゾンのglobal ratingsの数は動ポモが60、「一般意志2.0」が4つ、「観光客哲学」が3つと動ポモが圧倒的である2024年8月3日閲覧)。動ポモ海外論文でもよく引用されているらしい。

次の主著であるゲーム的リアリズムの誕生――動物化するポストモダン2」までは6年空き、2007年に出た。この間、東は「情報自由論」も書いていたが、監視否定する立場から肯定する立場へと、途中で考えが変わったこともあり、単著としては出さず、「サイバースペース」と抱き合わせで、同じく2007年に発売される(「情報環境論集―東浩紀コレクションS」)。「サイバースペース」は「東浩紀アーカイブス2」(2011年)として文庫化されるが、「情報自由論」はここでしか読めない。「サイバースペース」と「情報自由論」はどちらも評価が高く、この頃の東は多作であった。

この頃は北田暁大と仲が良かった。北田は東と同じく1971年まれである。東と北田は、2008年から2010年にかけて「思想地図」を共編でNHK出版から出すが、3号あたりで方針が合わなくなり、5号で終わる。北田は「思想地図β」1号(2010年)の鼎談には出てきたものの、今はもう交流はないようである北田はかつてツイッターで活発に活動していたが、今はやっていない。ユミソンという人(本名らしい)からセクハラ告発されたこともあるが、不発に終わったようである結婚して子供もできて幸せらしい。

その頃は2ちゃんねるネットの中心であったが、北田は「嗤う日本の「ナショナリズム」」(2006年)で2ちゃん俎上に載せている。北田は「広告都市東京」(2002年)で「つながりの社会性」という概念を出していたが、コミュニケーションの中身よりも、コミュニケーション接続していくことに意味があるというような事態を表していた。この概念を応用し、2ちゃんでは際どいことが言われているが、それはネタなので心配しなくていいというようなことが書かれていた。2ちゃん分析古典ではある。

東は宮台真司大澤真幸とも付き合っているが、彼らは北田のように鋭くゼロ年代を観察したというわけではなく、先行文献の著者である。宮台は98年にフィールドワークを止めてからは、研究者というよりは評論家になってしまった。大澤は日本ジジェクと称されるが、何を論じても同じなのもジジェクと同様である動ポモは彼らの議論を整理して更新しているのであるが、動ポモも「ゲーム的リアリズムの誕生」も、実際に下敷きになっているのは大塚英志であろう。

宮台や大澤や北田はいずれもルーマンであるが、ルーマンっぽいことを言っているだけという印象で、東とルーマンも似ているところもあるというくらいだろう。しかし、ルーマン研究者馬場靖雄2021年逝去)は批評空間に連載されていた頃から存在論的、郵便的」に注目しており、早くも論文正義門前」(1996)で言及していた。最初期の言及ではないだろうか。主著「ルーマン社会理論」(2001)には東は出てこないが、主著と同年刊の編著「反=理論のアクチュアリティー」(2001)所収の「二つの批評、二つの社会」」ではルーマンと東が並べて論じられている。

佐々木敦ニッポン思想」(2009年)によると、ゼロ年代思想は東の「ひとり勝ち」であった。額縁批評などと揶揄される佐々木ではあるが、堅実にまとまっている。類書としては、仲正昌樹「集中講義日本現代思想 ポストモダンとは何だったのか」 (2006)や本上まもる「 “ポストモダンとは何だったのか―1983‐2007」 (2007)があったが、仲正は今でも読まれているようである。本上は忘れられているのではないか。この手の本はこれ以後出ていない。需要がないのだろうか。

佐々木の「ひとり勝ち」判定であるが、そもそもゼロ年代思想土俵を作ったのは動ポモであり、そこで東が勝つというのは当たり前のことであった。いわゆる東チルドレンは東の手のひらで踊っていただけなのかもしれない。懐かしい人たちではある。

北田によると、東の「情報技術公共性をめぐる近年の議論」は、「批評が、社会科学的な知――局所から全体を推測する手続きを重視する言説群――を媒介せずに、技術工学的知と直結した形で存在する可能性の模索である」(「社会批評Introduction」、「思想地図vol.5」、81-2頁)ということであるが、ゼロ年代の東はこういう道を歩んでいた。キットラーに似ており、東チルドレンでは濱野智史がこの道を歩んだのであるが、東チルドレンが全てそうだったわけでもなく、社会学でサブカルを語るというような緩い営みに終始していた。宇野常寛などはまさにこれであろう。

佐々木ニッポン思想」と同じ2009年7月に、毛利嘉孝ストリート思想」が出ている。文化左翼歴史をたどっているのであるが、この頃はまだ大人しかった。ポスコロ・カルスタなどと揶揄されていた。しかし、テン年代佐々木命名から勢いが増していき、今や大学メディア大企業裁判所を押さえるに至っている。しかし、ゼロ年代において、動ポモ論壇と比較できるのは、非モテ論壇やロスジェネ論壇であろう。

非モテ論壇は、小谷野敦の「もてない男」 (1999年)に始まり本田透に引き継がれるが、ものすごく盛り上がっているというほどでもなかった。本田消息が分からなくなり、小谷野2017年から売れなくなった。ツイッターでは雁琳のような第三波フェミニズムに応対できる論者が主流となっているが、そういうのの影に隠れたかたちであろう。大場博幸「非モテ独身男性をめぐる言説史とその社会包摂」(2021年教育Permalink | 記事への反応(13) | 17:44

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