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はてなキーワード: 研究者とは

2024-10-05

anond:20241004112542

住んでる地方仕事とか、個人特定出来ない範囲教えてくれたなら更に調べるよ。

1.視覚障害者向けに、学費が安い鍼灸マッサージ学校が多数あるので、入学準備にツボや解剖生理学を覚え始めたら。

2.失明が不可避になったら住む予定の場所などを考える。視覚障害者向けの大学である筑波技術大学周辺、都内だと茗荷谷筑波大学キャンパスがあり、視覚障害を持つ教員も多数いる他、放送大学も同じ立地にあり、視覚障害者支援センター茗荷谷に多い。

3.埼玉だと航空公園国立障害者リハビリテーションセンターという、視覚障害者生活訓練出来る施設があるし、関西だとライトハウスって団体が在宅でも訓練やってるから、今のうちに問い合わせたり見学しよう。

私の場合は、東大に目も耳も聞こえない福島先生って教授いるから、その人をライバル視して、視覚障害が生きやす社会のための研究者になるね。あと、渋谷視覚障害者向けの触れる美術館ギャラリートムがあるんだけど、似たような感じでオタク趣味楽しめないか考える。

東大生駒場祭(学祭)で東方コスプレしてBad Apple!!再現をして盛り上がっているユーチューブを見た

東大生オタ充してるのってなんか凄い嫉妬とやるせない怒りというか悔しさみたいなものを感じた。

官僚になったり商社外資上場企業に行ったり起業したり研究者になったり、そういうのにもある程度の嫉妬は感じるがそういうのはいいんだよ

やっぱり優秀な人間が頑張って職について今後の日本を発展させていったりしてくれるんだろうなとも思うし。

たださ、東大がそういう大衆領域に入り込んで荒らすなよ、お前らが本気で入り込んでくるとその優秀さを使って文化を乗っ取っていくから嫌なんだよ

優秀さって物差しでのゲーム勝手に始めて美味しいところを持っていく下品卑怯な事しなくても東大だったらもっと良い思いいくらでもできるだろ

みたいな事を感じながら東大京大だらけになった任天堂の話を思い出す。

2024-10-04

anond:20241004061939

アスペには研究仕事においてチーム形成して仲間と協力し合えるコミュ力社会性がない」とは言ってないんだがな、何を読んだんだろう


アスペには「研究仕事においてチーム形成して協力して成果を出す」「配偶者平穏に暮らす」目的達成に必要な最低限度のコミュ力はあるよ

多分増田が考える「コミュ力が高いチームの研究者」にもASD傾向は沢山混ざっている

東大生の3割はASDだが、チームで課題に取り組んでるコミュ力がある者が殆んどで成果も出している

研究者にもASDは分野によっては既にかなりの割合を占めているが、特にチーム研究問題はない。

そもそもASD同士.ASDが多数いる空間では社会性に関する問題は起きない

定型発達に客観性社会性がない(社会性の多様性を受け入れない)のが問題本質であってASD問題なわけではない



定型発達が一切の多様性を受け入れられずに定型発達の社会欲求を強く満たすことだけを目的に、社会圧をかけているから、アスペを高ストレス晒して潰すことになり本来の実力が発揮されないだけ

anond:20241004060013

優れた研究者コミュ力ある人ばっかりだけどね。やっぱそうじゃないと仕事にならん…。最近仕事は高度でチームで研究するしかないと思うんだけど。もう一点集型の発達障害活躍できる妄想捨てた方がいいよ。

 

世界トップクラスの超絶一流の天才であればあり得るかもしれないけど

 

そんな超ごく一部の例外一般化するなんて

論理的じゃない

おもんない男性おもしろくならないと思う

おもんない男性は、おそらく個人気質以前に脳の作りが違うのだと思う。努力すればどうこうなるというものではない。

TVタレント算数数字計算)が全然できないという人がいるが、言語能力場の空気を読むみたいな能力には秀でている。

世界でも有数の研究者だけど時間感覚絶望的にない人だっている。

文明が発達し、教育や訓練された人が増え、円滑な人間社会システムに組み込まれると平均的にこれくらいはできるだろう、普通はこんなものだろうと思ってしまう。

しかし、もう少し注意深く他人を観察したり、コミュニケーションをとってみると、能力バラツキが多いことに気づくはずだ。

皆、当たり前のように日常をこなしているが、思ってもみないことに苦労していたり努力をしている。

主観による当たり前や普通を主張するのではなく、個々人の立場能力など、どういった個体なのか、どういったメカニズム人間なのか、相手視点からも考えてみて欲しい。

インターネットが普及してからは、私の苦労、私の悲しみ、私の正義などの私の◯◯がヒステリックに叫ばれていることをよく目にする。

私ばかり頑張っている、私ばかり苦労していると思っているかもしれないが、皆、同じことを思っているのだ。犯罪者だって自分正当性を主張する。

多くの人々は日々の生活自分のことで精一杯だ。他人のことを深く考える余裕がないのかもしれない。

群れとして多くの他人協調して社会形成している我々は、私と他人の両輪が常に必要なのだ

他人を責めたり、求めても、ほとんどのことは上手くいかないだろう。

人には人の価値観優先順位があるのだ。丁寧にコミュニケーションをとっても言語化できない人や言えないことだってある。

人の本心は変わるものだし、自分にも分からないこともある。コミュニケーション解決できると思わないで欲しい。

抽象的なことをダラダラと述べてしまったが、言いたいことは自分価値観だけで物事を考えるなということだ。

私に価値観優先順位、得意なこと、苦手なことががあるように、他人にも同じようにある。

自分を主張する前に少しだけ相手のことを考えて欲しい。

相手否定する前にどうしたら折り合いがつけれるか、相手自分にも負荷が少ない方法を考えて欲しい。

別に自分より他人を優先しろと言う訳ではない。相性というものがあるように合わなければ距離をとるのが正解だ。

愚痴文句を言う毎日に飽きているのなら実践してみることをおすすめする。

2024-09-30

良いデフレについて

1. 購買力の向上

数値例:

年間収入が500万円の場合、2%のデフレ実質的に510万円の購買力を持つことになる。

2. 貯蓄の実質価値上昇

数式:

実質貯蓄価値 = 名目貯蓄額 ÷ (1 - デフレ率)

3. 企業効率化と競争力向上

1. デフレ圧力コスト削減の必要性

2. コスト削減 → 生産性向上への投資

3. 生産性向上 → 国際競争力の強化

4. 競争力強化 → 輸出増加の可能

結果:経済全体の効率性向

5. 消費者余剰の増加

6. 輸出競争力の向上

1. 国内物価下落 → 生産コスト相対的低下

2. コスト低下 → 輸出品の価格競争力向上

3. 競争力向上 → 輸出増加の可能

4. 輸出増加 → 国際収支の改善経済成長への寄与

ケーススタディ: スイスの事例

約5年間にわたりスイスでは消費財価格が下落したが、国の経済に広範囲にわたる悪影響はなかった。

実際、価格が下落する中でも経済繁栄した。

このため、一部の経済学者はデフレの悪影響についての見解を改め、経済における消費者生産者は均衡を保つことができると主張する者もいる。

重要ポイント

スイスデフレの事例 詳細

2015年初頭、スイス中央銀行は、過大評価された自国通貨に対する投資家の需要抑制するためにマイナス金利を導入。

近隣諸国債務危機東欧諸国経済不安が相まって、安全通貨避難先を求める投資家によるスイスフランの需要が高まった。

その後、経済学者たちはスイス経済不況に陥ると予想した。しかし、経済は成長し、 2016年失業率は4.9%となった。

全体として、国全体の購買力は純増した。

良いデフレというもの存在するのか?

デフレは国の経済にとって悪いことだという意見一般的だが、この問題に関する経済研究では意見が分かれている。

2004年 2 月に全米経済研究所 (NBER)が発行した「良いデフレと悪いデフレ: 金本位制時代の教訓」と題された論文( NBER ワーキング ペーパー No. 10329 ) では、19 世紀後半の米国英国ドイツにおけるデフレ期について考察している。驚くべきことに、これらの経済学者は、デフレマイナスよりもプラスになる可能性があると主張している

これらの経済学者によると、良いデフレは、商品の総供給が総需要を上回ったときに発生する。これは、技術進歩生産性の向上の結果である可能性がある。

悪いデフレは、総需要が総供給の伸びよりも速く減少したときに発生する。大恐慌中に起こったようなマイナス通貨ショックは、「悪い」デフレを生み出す。

マイナス通貨ショックにもかかわらず通貨中立性が維持されれば、デフレの影響は中立になる可能性がある。

良いデフレ供給によって推進される

2015 年 3 月、国際決済銀行 (BIS)の研究者チームが「デフレコスト: 歴史的視点」を発表した。研究者チームは、140 年間にわたる最大 38 の経済圏を対象に、生産高の伸びとデフレ歴史的関連性をテストした。研究者たちは、この関連性は統計的に弱いか重要ではないと結論付け、この理論経済学で広く普及しているのは大恐慌出来事の結果であると述べた。

NBER の経済学者と同様に、これらの研究者は、デフレが必ずしも総需要不足や経済の弱さの兆候ではないと主張している。場合によっては、デフレ生産性の向上による供給の増加、商品市場での競争の激化、または労働力石油などの商品などのより安価豊富な投入物の結果である可能性がある。

デフレ供給によって引き起こされる場合価格は低迷するが、所得生産量(GDP など)は増加する。これは経済にとってプラスの状況を生み出す可能性がある。

デフレコスト

デフレ経済損失をもたらした場合の最良の対応方法は、経済学者が今も答えを出そうとしている難しい政策課題であるしかし、デフレは常に経済不振兆候であるという見方は、経済理論に深く根付いているものの、必ずしも真実ではないかもしれない。

結論

デフレ期と大恐慌タイミングが一致したことで、因果関係を取り違えている。

大恐慌経済を低迷させる原因であるが、デフレは必ずしもそうではない。

2024-09-28

わたし現代新書、できました。

エックスフォローしている研究者が「私の新書が出来ました」という言葉と共に書影のあるリンクポストしていた。

前々からフォローしていただけあって私の興味のある内容のようで、これはめでたい、ぜひ購入して新書を読もうとリンクへ飛んだ。

飛んだ先には、確かにその新書書影がある。そしてその画像には「わたし現代新書、できました。」とある

だがなぜかその内容や購入する方法が一切かかれておらず、その代わりになぜかでかでかと「AI編集者とつくろう!わたし現代新書」という文字がある。

いや、私は別に新書を作りたくはないのだ。あの面白そうな親書を読ませてくれ。そう思いながらそのページを読んでも一切知りたい情報は書かれていない。

???となりながらも、もしかしたら電子書籍のような形で、自分が書いた文章を公開できるサービス?みたいなものなのか?

メニューを開いてみてもやたらと親書を作らせたがっている。なんなんだ。

仕方がないので「おすすめ60冊の一覧」というのを開いてみる。もしかたらこの一覧に読みたい新書情報があるかもしれない。

知らん編集者似顔絵がズラリと出てきた。ふざけるな。

読みたい本を探しているときに知りもしない編集者のご尊顔が何の役に立つというのか。

知らない。知らないんだよお前らのことなんか。だれなんだ。どうでもいいんだ。本は?ここは出版社ホームページだろう。お前らは編集者なのだろう。

頼むから本を読ませてくれ。

だが、似顔絵の下にある一覧にはそれぞれAmazonへのリンクがある。この中にあればいいのだが…

しかし、一冊ごと1画面くらいの大きさで紹介されているので60冊から探すとなると60スクロールしなければいけない。

まぁいい。アマゾンへのリンクがあるということはすでに私の勝利は確定している。

60スクロールかけてじっくりと獲物を追い込むのも悪くない。

・・・ない。なかった。ないのかよ。

意味が分からない。フランツ・カフカの「城」を追体験するサイトなのか?いや、カフカの城は新潮文庫からそれは無いか

どうやら講談社現代新書の60周年を記念したサイトらしいことは分かったが、説明が無さ過ぎて意味が分からない。

しきりに本を作らせようとするが、その「本」とは何なのか?私は最初出版されたのかと思ったが、どうやら違うらしい。

電子書籍のような形で公開されたものなのかと思ったが、どうもそうでもないらしい。

どうやらこれは、ユーザー入力したタイトル親書の表紙と帯をAI編集者がそれらしい画像と共に作ってくれて、その画像を使ったグッズが貰えるキャンペーンのようなものらしい。

インターネットでは昔からある「なんとかジェネレーター」みたいなやつか。

そうかそうか。いやいや私はすっかり騙されてしまったようだ。講談社知的ユーモアセンスには脱帽だ。

クソみてぇなキャンペーンしやがってよ。

なにが「わたし現代新書、できました。」だよ。端的に嘘じゃねーか。

ユーザー騙してリンク踏ませるってやってることがスパム業者と一緒だぞ。

嘘なら嘘でせめて開いた瞬間にそうとわかるように明示しろよ。

読みたい本は読めねぇわクソみてぇなサイトを上から下まで読ませられるわ最悪だよ。

追記あり】虎に翼が終わったので全力で不満点疑問点突っ込みどころその他考えたことを書く

続きと追記こち

https://anond.hatelabo.jp/20240928135408

当初は面白く見ていたのに最後の方はもはや「ここまで来たからには最後まで見てやる」という義務感で見ていた。

何がそんなに引っかかったのか、という事をここでまとめて書いてみる。まとめと言いつつまとまりはない。

穂高の件

妊娠して倒れた寅子が穂高仕事やめろと言われ、勤め先の事務所妊娠バラされて辞めさせられた」件。

ネットでは未だ賛否両論のようだが、あれはそもそも穂高真意が分かりにくかった。

母親になるからには二度と仕事に戻らず育児に専念すべき」と考えていたのか、

「今は仕事を続けられる体調ではないから辞めるべきだが、産んで落ち着いた後に仕事に戻ればいい」と言う意味なのか?

どうやら脚本家は前者のつもりだったらしい?けれど、

(「資格があるのだから後で戻れるだろう」と言った台詞もあったので)後者意味にも取れるし

ネットの反応を見ていても後者意味に取った人が多かったと思う。

実際仕事を続けられる体調ではなかったのだから、一旦辞めろという穂高の言う事は普通に正論だ。

妊娠出産死ぬ事も珍しくない時代に寅子の態度はナメ過ぎている。死んでもいい覚悟だというのならともかくそんな認識もないようだったし。

なのに寅子が激怒して完全に辞めてしまい、よねに対しても二度と戻るつもりはないと啖呵を切ったのが当初意味が分からなかった。

(後でどうやら脚本家としては前者のつもりだったらしい?というのを知った)

でも前者ならもっと前者だと分かりやすく示すべきで、視聴者の大多数が勘違いしたのは脚本の荒さ故でしかない。

この時はその後の戦争激化→家族が続々死亡→日本国憲法、という怒涛の展開もあり何となく皆忘れていたのに

穂高の退官パーティーで寅子がこの話を蒸し返して場をぶち壊す暴挙に出た上

謝りもせず、結局穂高大人対応で納めて(というようにしか見えなかった)そのまま死んでしまった辺りから

寅子が理解できないという声やドラマ自体への批判も増えてきたように思う。

あれも脚本家が「親子喧嘩なんです」と言い訳してたが、そもそも親子じゃないし。

若者がやってるならともかく30半ばで他人を疑似の父親扱いしてあの態度、というのなら幼稚すぎ&甘えすぎだろう。

そもそも何で子供産んだのかも分からない

社会的地位を得るための契約結婚」だったはずなのに突然夫に「恋をして」セックスして妊娠

普段全く恋愛感情に疎い寅子が突然そうなったのでポカン発情期になった動物じゃないんだから

別に子供を産む事を誰かに強制されたわけでもなければ頼まれたわけでもないのに

そのせいで仕事を辞めて怒ってるからそもそも妊娠しなきゃ良かったじゃん自業自得だろともなる。

うるせえ史実で産んでるんだから産まなきゃならねえんだよ!ってのは分かってるけど

史実に合わせる為に強引な展開にしてるから自然さが目立つ。

どうせ「結婚してない女は信頼できない」の後には「子供がいない女は信頼できない」が来るんだから

いっそ「社会的地位を得るための出産」にしてしまえばまだ自然な展開になっただろうに。

それならその後子供に関心がなくてはると花江に丸投げする展開も納得がいく。

自分で望んで産んだ」割にその後子供に関心がなさすぎなんだよね。

そもそも全然地獄に見えない

最終回で「人が宣う地獄の先にこそ私は春を見る」と米津の歌が流れたが、どこが地獄なのか最後まで分からず。

裕福で理解ある両親の元に生まれ、勉学でも大した苦労もせず悩みは精々生理が重い程度、

社会的信用のために結婚しなきゃならんとなったら究極の「理解のある彼くん」たる優三が結婚してくれ、

家庭と仕事の両立や義実家との関係に苦しむ周りの女たちを尻目に

いつまでも実家住まい家事家族が全部やってくれて夫が天涯孤独故に義実家存在しない生活

生活費を稼ぐ必要もなく父親が養ってくれるので、仕事を辞めようと思えばすぐ辞められる生活

上記穂高の件も、妊娠して初めて「いくら金と理解ある家族がいようが妊娠出産だけは自分一人でやるしかなく思い通りにもならない」

事に直面してキレたんじゃないか?と思えるくらいの恵まれ人生

戦中戦後は苦労したもののそれはこの時代の人ほぼ全員がそうだし、

その後の再就職先では周囲から可愛がられチヤホヤされて家事育児はやはり他人任せで仕事だけしてればいい生活

子供と二人で新潟行ってもなぜか大した苦労もせず仕事家事育児を軽々両立し、

その後はイケメン金持ちエリート再婚して向こうの家族ともなんか知らんが上手く行き、

どんどん出世子供も最終的にお母さんのお陰で幸せと言う子に育って人生最高!で終了。

なんか地獄の要素あったか?そりゃこんだけ恵まれ人生なら最高だろうよ。

地獄だったのは周りの女たちだろうよ寅子じゃなくて。

仕事が出来るように見えないのにチヤホヤ

学生のうちは「成績が良い」「難しい試験に受かった」というだけで「優秀な子なんだな」と思えた。

でも就職後は仕事っぷりはろくに描かれず、周囲からただ優秀だと言われるだけ。

そしていい年こいても世間知らずで空気が読めないまま。

家裁非行少年や家庭の問題担当する仕事をしているのに自分の子の事すら理解してないし、

女性たちから「姑との関係が」「夫から離婚されたら生きていけない」などと言われてもピンと来ない、

これで仕事が出来るといわれても説得力がない。

終盤とってつけたかのように美佐江の娘を説得して救うという展開を入れていたが、

今までの積み重ねがないので突然そういうの入れられてもと思った。言ってる内容も薄っぺらかったし。

そもそも裁判所で雇われた理由は「女がいればGHQが喜ぶから」で、正規採用試験を得て選ばれたわけでもなく

その後芸能人ラジオで紹介されて有名人になったのも「女だから」。

上司のおじさん達(桂場や多岐川やライアン)に可愛がられるのも結局「女だから」。

なので段々「大して仕事も出来ないのに男ばっかの職場で可愛がられてる姫」に見えてくる。

その後「エリート男性結婚して更に出世」までやる。

女性差別と闘っている女」なのではなくむしろ「『女』を利用してのし上がる女」じゃないのかこれ。

専業主婦・花江の描き方が微妙

寅子の親友兼兄嫁であり、寅子とは対称的な生き方女学校を出てすぐ結婚して一生専業主婦)をする女性として

脚本家が「もう一人の主人公」くらいに力を入れて描いていたという花江。

脚本家曰く「働く女の裏には花江のようにそれを陰で支える女が不可欠だが、

そういう女が世の中で透明化されたりバカにされているのが腹が立つ」ので花江をメインの一人にした、

あくまで「望んでそういう生き方をしている女性」として描いたんだそうな。

でもその割に花江の人生の描き方が微妙すぎる。

女学校時代の花江は確かに結婚に憧れていて、自ら望んで卒業後すぐ結婚したが

別に家事育児をしたくて結婚に憧れていたのではなく

あくまで寅子の兄が好きで「好きな人結婚する」のが憧れという子だった。

なのにその結婚した主な理由たる夫は戦争でさっさと死んでしまい、後は未亡人として只管家事育児をするだけの生活

それで家事育児を楽しんでやっているのならまだしも、当初は上手く行かず姑(寅子の母)とモメたり寅子に嫉妬したり

私なんて女中みたいなものとか、(自立出来る寅子と違って)私の老後は誰かに世話にならなければいけないと自虐してみたりと

その立場を心底楽しんで納得しているように見えない。

そもそも育児は(自分の子だけではなく寅子の娘まで自分の子と同様に世話をし可愛がっていたくらい)好きだろうけど

家事が好きとは一度も言っていた記憶がない。

家事を終えた後居間休みながら家族幸せそうな姿を見るのが好き」とは言ってた気がしたが。

家族が好きで家族生活を成立させるために家事は行うけれど、家事のもの別に好きではないんじゃないかと思う。

寅子が法律勉強法律に関わる仕事のものが好き、というのとは対照的に。

子供たちの成人後も結婚相手が皆寅子のようなバリキャリだったため「自分と一緒に家事をしてくれる専業の嫁」もおらず、

年をとってもずっと一人で息子世帯家事孫育てまでやる状態になっていた(途中から寅子の娘が手伝うようにはなっていたが)。

他に趣味があるわけでもなければ、友人がいたり遊びに行くような描写もなくずっと家事育児だけ。

この生活幸せとか言っていたが、そうか?

そもそも「本人が幸せって言ってるから幸せなんだ、だから何でもかんでも頼ってやらせていいんだ」ってのが?

それをやりがい搾取と言うんじゃなかったっけ?

脚本家は「私は専業主婦の事もちゃん理解して尊重してます」とばかりに意識高い事を言っていたけども

結局のところこういう描き方しか出来ない。

いやまあ分かるんだよ、今時「家事のものが好き」な女性なんて視聴者の大多数が共感しないだろうし

幸せそうで人生に満足している専業主婦を描いたらヘイトを食らいかねないってのも。

そもそも演者の力で何とかなってるキャラだと思う、下手な俳優がやったら嫌われてたかもしれない)

それよりは働く女に嫉妬もすれば引け目も持っていて自虐もするリアル専業主婦を描いた方が共感されるってのも。

でも寅子を初め他の女キャラたちがエリートだったり自分が好きな事を好きなようにやってる人たちが多い中で

くすぶってリアルなありがち専業主婦像を描いて「私は彼女たちの事尊重してます彼女たちはあれで幸せなんです」と言われてもな。

意識高い脚本家インタビューさえなければ気にならない程度ではあるんだけどな。

そういや最終回では推定80代くらいでもまだ生きていて、何故か寅子の娘に介護されていたが

「お母さんが大好きだから自分がお母さんの世話をするんだ」と言っていた息子たちはどこへ行ったのだろうか。

母親が動けるうちは家事孫育てを散々やらせておいて年食って要介護になったら寅子の娘に丸投げしたのか?

そういや花江のひ孫も寅子の娘が世話していたが、これも花江の息子の子の子供だろうに丸投げ?

優未が分からん

寅子の娘、優未。

結局この子がどういう子だったのかが良くわからない。

「(母親にとって都合が)良い子」なのか、それとも「毒母のせいで歪んだ子」なのか。

脚本家がどういうつもりで描いていたのかが分からないまま、最終回では寅子と抱き合って幸せだと言って終わったが

とにかくハッピーエンドで終わらせなきゃならねえんだよ!とばかりに取り繕ってる感がした。

父親は早死にし母親放置され、義理の伯母である花江に・花江の息子たちと一緒に育てられた、という生育環境を考えると

大人男子に媚びて取り入るのは上手いが、同世代女子とは仲良くできない子」であるという設定は説得力があった。

「寅子の前では『いい子』を演じている子だったが、母子二人で生活していくうちに『いい子』の仮面が取れて寅子と何でも本音で話せる子になった」という事になっていたが

それもまた「いい子の演技」なんじゃねーの?「何でも本音で話しているという演技が上手い子」になっただけでは?という感じがした。

寅子の再婚時も再婚相手の男やその義母に取り入り可愛がられるようになる一方で、相手の子供(特に同性である娘)には嫌われるというのもリアリティがあった。

再婚時に相手の子から良く思われていないのを不安に思った寅子に対して「私は不安はないの。だってお義父さんはお母さんの事が大好きだから」と言っていたのも、

実際相手の子供の前で再婚相手やその義母ベタベタして可愛がられてるのを見せつけていたのも

要するに「相手の子から父親私たちが奪ってこちらの味方につければいい」って考えてるって意味だよね…優未、恐ろしい子…と思ったけれど

こういった描写の受け取り方が脚本家意図通りなのか、脚本家はそのつもりはないのにこちらがそう邪推しているだけのかが分からない。

そうやって「周りの大人にとって都合が良い子」をしながらかわいがられて生きていたのに、

大人になって突然院を辞めフリーターになったのは遅れてきた反抗期モラトリアムか何かか?と思ったら

最終的には色々な仕事を掛け持ちしながら花江の介護他人の子供の世話をしていたのもよく分からない。

それも全部好きでやってると言いつつ自分人生失敗だったかもと自虐し出すのは花江と同じパターンだが。

つーかモデル通り「研究者になりました」じゃだめだったんだろうか。

再婚相手の子たちも終盤は人生迷走してたので、「子供が親の望み通り順風満帆人生になった、じゃ面白くないから展開ひねらせた」だけかもしれないが。

新潟でどうやって生きてたの?

花江に家事育児丸投げ状態から新潟転勤になり、優未は置いていけと言われる中で連れて行って全て自分でやらなきゃいけない状態に。

なのに大して苦労せず。今と違って便利な家電サービスもろくにない時代に。

仕事内容はほぼ描かれなかったが、支部長というのはそんなに楽な仕事なんだろうか。

子供いるから定時で帰らなければならないのに仕事が終わらない」「大事な予定が入っていて絶対に休めない日に限って子供が熱を出す」

と言ったワーママあるあるも一切なし。

令和の子持ち様じゃあるまいし、支部長という立場から同僚に丸投げじゃ済まない仕事も多々あると思うんだが。

実際夜中に部下が令状貰いに来る描写があったが、でも毎日定時で帰れて家事時間も十分に取れるんです、ってか?

優未は3年間の赴任中一切体調を崩さないしケガもしない丈夫な子だったのか?腹は壊してたが。

昭和陰湿田舎という設定のはずなのに、東京から来てなんだか裕福そうで言葉も違う子供友達も作らず孤立してても

いじめターゲットにならない小学校治安も良すぎる。昭和小学校こんな平和じゃないだろ。

母子家庭の仕事育児の両立の苦労」がまるで描かれていない。せいぜい一日だけ飯作れなくて代わりに菓子食っただけ。

「優秀な寅子はその気になれば苦労せず仕事育児が両立できる。苦労してる現実母子家庭は母親無能から」とでも言いたいんだろうか。

当初は小学校低学年の優未を家に長時間一人で放置家事やらせるのも、この時代なら当たり前かもしれないが今の価値観だと虐待なのに

このドラマ普段は今の価値観で動いてるのでここだけ当時の価値観では違和感がある。

稲がいながら何故か毎日雇おうとしないのも意図がわからない。史実だと家政婦雇ってたのに。

花江がはるの死後一人で家事するのに苦労するという描写があった後にこれなので

「花江が専業主婦なのに家事に苦労していたのは無能から。優秀な寅子は楽々仕事家事を両立できる」とでも以下略

私は専業主婦の事理解尊重してますという脚本家ドヤ顔は何だったんだろうか。

夫婦別姓以前に再婚する理由が分からない

ネットが揉めに揉めた夫婦別姓展開。ろくにドラマを見てない人が絶賛し、ろくにドラマを見てない人が叩いていた。

お前らドラマ見てからもの言えや、という事で見ていた立場から書くが

寅子も自分で言っていたけど、そもそも「お互い経済的に自立していて子供もおり新たに子供を作る予定もない」のに結婚する意味ある?

いや現実のこの時代の人ならあっただろう。死別とは言え独身のままでは生きづらいとか、

未婚の男女が頻繁に会っているだけでふしだらだと言われるとか(特に裁判官なんて堅い仕事人間なら尚更)あっただろうし。

でもとらつば世界はずっと独身だろうが未婚の男女が同居してようが(よねと轟は周囲にどう思われてるんだか)誰も何も言わず平気なのに結婚する意味ある?

いやうるせえ史実結婚してるんだから結婚しなきゃならねえんだよ!ってのは分かるが。

結局恋愛脳的理由しかなかったのか、「寅子さんの夫を名乗りたいから」「私も航一さんの妻を名乗りたいわ」なんて言ってたけど

航一はともかく、寅子そんなキャラだったっけ?

まあ優三の時みたく新潟最後に突然発情したのでそこでキャラ変わったのかもしれない。

でもって同姓にしたくないから別姓にするために事実婚、という史実無視の超展開になったが

どうせ史実無視するならそもそも結婚させる必要が以下ループ

いやうるせえ脚本家夫婦別姓ネタねじ込みたかったんだよ!ってか?単にそれだけであんな不自然展開?

モデルの三淵嘉子は再婚時に相手の姓に変えた(から「三淵」嘉子)けど不満も葛藤もあったっぽいので

同じように「最終的に相手の姓に変えたが不満も葛藤もあった」と描けば十分問題提起になったと思うんだが…

そもそも作中では事実婚してその後何の問題も起きなかったので、これだと「じゃあ別姓にしたけりゃ事実婚でええやん」にならない?

折角同性婚と絡めて「結婚しなければ二人の関係は死んだ後残らない」とか言ってたのに、事実婚でええやんになったら同性婚必要なくなるような?

しかし親の突然の恋愛脳に振り回されて他人と同居するはめになった子供たちがかわいそうである

これも現実のこの時代価値観なら「子供の事なんかいちいち考えなくて当然、子供は親に黙って従って当然」だけど

とらつば世界は基本はそうじゃないのに子供の事一切考えてなかったよなこいつら。

当然子供と揉めたけど、それもなんかやはり超展開で解決してたし。

2024-09-24

囲碁AIによりプロ棋士オワコン化した

一力遼が世界戦を勝ったが、なんと日本勢としては19年ぶりらしい。 張栩アジア選手権で勝った以降、井山すらも世界戦では勝てていなかったことになる。 これ自体は、素晴らしいことだとは思う。

しかし同時に、囲碁プロ棋士ってもう意味あるんだろうかという疑問も持っている。

囲碁AIが発達し、人間とは大差の実力を持つようになってしまった。 その結果どうなったかというと、 「AIが示す着手が最善手」という認識プロにもアマにも定着してしまった。 今、アマプロの碁を見る時にやってることは、 プロが打った手がAIの示す最善手と一致しているかどうかを確認することだ。 形勢判断についても、今はAI評価を見ることが一般的だ。

プロも、囲碁学習ではAI様のおっしゃるに打てるようになることを目指し、 実戦においても、AI様と一致することをよしとする。 今、世界ランキングでダントツトップを行く韓国の申ジンソは、 AIとの一致率の高さから、「申工智能」と呼ばれている。 決まった答えがあり、それと同じように打つことが求められるのであれば、 もはやそれは人間がやる意味はないと思う。 お笑い番組で、箱の中に隠されたものを手の感触だけで当てるゲームがあるが、 これに近い。

以前は、囲碁プロ棋士の役目は、最善手の探求そのものにあったように思う。 囲碁理論(棋理という)自体を生涯をかけて追求した棋士もいた。 囲碁プロ棋士とは、勝負師であると同時に、囲碁研究者でもあったわけである。 それが研究の答えはこうですとAIが示すようになり、 人間もそれを受け入れてしまった以上、 囲碁研究者という人間仕事はもう失われてしまったわけで、 今残っているのは、AIなりきり選手権だけである

去年、本因坊戦が縮小されて業界的には大きなニュースになったわけだが、 これは本質的にはAIの発達によってプロ囲碁価値が失われたからだ。 囲碁新聞なんかもどんどん廃刊になっていっているが、 これも例えば棋譜解説なんかはAI入力させれば終わりだし、 そもそもプロの打ち碁自体AIものまね選手権であり、価値を失ってるからだ。

今後も、プロ囲碁はどんどん価値を失っていき、 職業としても危うくなっていくと思う。 芝野虎丸の兄である龍之介は、囲碁棋士斜陽であり、 平均年収は300万弱(中央値もっと下)であるという考察を述べて、 囲碁の普及が足りてないことを問題意識として持っているようだが、 おれの考えでは真の原因はAIの発達と、それによる囲碁棋士オワコン化にあると思う。

しかしこれは、囲碁自体オワコンになったことを意味しない。 おれは、囲碁が生き残る方法は、囲碁を知能教育手段として明確に位置づけることだと思っている。 東大では、全学体験ゼミナール囲碁で養う考える力」 という講座があるように、碁は考える力を養う。 おれの母校である京大をはじめとして他の大学でも同様の講座をすべきなのはもちろんのこと、 出来れば小学校囲碁を必修化すべきだ。しょうもない英語なんかやってる場合ではない。 囲碁地頭を強化すれば、算数だろうが英語だろうが、余裕で出来るようになるから安心しろ。 故長尾健太郎氏は、囲碁で頭を鍛えた結果、四谷大塚で5年生の時に6年生の試験を受けて、一位をとっていたようだ。

元経産官僚宇佐美典也氏(東大卒)は「僕は小さい頃、地元では1番で、このまま日本一になるのかと思ったこともあった。でも四谷大塚に入ったら、学年は1個下なのに、僕の学年の試験を受けて、ずっと1番を取っている長尾健太郎という男がいた。 https://times.abema.tv/articles/-/8670771?page=1

では、この世界に向かうにあたって、あるいは到達したあと、 囲碁プロ棋士はどんな意味を持つだろうか。 例えば、スウェーデンでは教員になるためには修士号必要というし、 大学受験の世界でも数学科出身の人が数学講師をやっていたりするわけだからプロ棋士囲碁先生になるというのは自然なことだ。

しかし、どんなに囲碁人口が増えようとも、囲碁プロ棋士になる 人間は増えず、ゼロ収束していくと思う。 それは上に述べたように、囲碁がもうコンピュータによって解き明かされた ゲームであり、人間の探求領域はもう存在しないかである

しろ今後は、アマチュアの囲碁が盛り上がっていくのではないだろうか。 AIによって学習の機会は平等になったし、それによって受ける恩恵プロよりも アマチュアの方が大きい。

囲碁棋士歴史が終わってしまうことは文化的には大きな損失だとは思うが、 技術革新によってある仕事が失われるというのは他の業界では起こっていることであり、 囲碁についても、プロ棋士ではない別の職業が生まれるのではないかと思っている。 日本棋院は囲碁棋士業界延命させることに必死だが、 それは無理なので、別の道を模索した方がいいと思う。

武宮正樹の息子の陽光日本棋院の理事になったよう なので、何か面白いことをやってくれないか期待している。

自分のために研鑽できなくなった

趣味家族時間犠牲にしてまでお金を稼いだり勉強したりする、自己研鑽一生懸命な人の気持ちが本気で理解できなくなっている。そのことに気づき驚愕した。

何故だろうと考えると、それほどの自分のための研鑽インセンティブがないからだと気付いた。

今の自分支配するのは、「行き着く先は一個人の死である」「死後に干渉できることなどなく、観測することもできない」「死を前にしては、殆どのことはどうでもいいことである」という、仏教的な虚無主義だった。

死後自分に残せるものがないなら、死後のために努力して意味があるのか。生きている間に直接関与できない人間のために努力する意味があるのか。報われるかも分からない努力をしようというほど粋な心意気をしているわけでもない。ならば、今自分大事にしたいもの幸せを感じられるもの時間投資をすべきだろう。そのような刹那主義に気付かないうちに至っていた。

ふと、元々そんな気質だったかと省みてみる。幼少期から一貫して、真面目な性格であった。学生の本分だから勉強はするし、将来選択肢が増えて生きやすくなるから成績を上げる。両親の期待投資があるから報いようとする。果たしてそれは、学歴という成果につながった。

また、学生時代から漠然と知性体を創りたいと考え、その道に邁進した。その原動力は恐らく、価値観の合う同世代がいない孤独感を埋めたいという動機であった。

知性体を創りたいという想いは、自らの才能に見切りをつけた時点で潰えた。いか研究しようとも生きているうちには創れないだろうという確信、大局観を持つのが苦手な自身研究適性のなさ、研究者として生きるのが難しいという社会的な制約。そういったものをひっくるめて、才能がないと理解した。

やがて会社に勤め、その孤独感だけを手元に残して働くようになった。目の前の仕事邁進する中で孤独感は膨らみ、誰かと一緒に生きていきたいと言う思いが募った。迫る孤独への焦りと言い換えても良い。

そして、出会いを求め、結婚した。極めて運の良いことに、価値観が合い、一緒にいて気安くかつ幸せ暮らしていける相手結婚できた。その結婚による変化は劇的だった。端的に言えば、自分のために研鑽するうえでの最後動機であった孤独が、満たされてしまった。

学生の頃の残滓社会人博士も目指したが、もはや優先するものが変わっていた。続くわけがなかった。

最後子どもが生まれ人生の主役の座を明け渡した。

妻と子供という自分より大切なものができた時点で次に意識したのは、自らの死だった。かつての自分にとって、死は「作業が止まるイベント」でしかなかった。だから、それまでにできることをやらねばならないと言う焦りに繋がった。しかし、今の自分にとって、死は「何を遺すか」になった。自分のために遺しても意味がない。であれば、自分のためにする研鑽意味がない。

あと思いつくものといえば、勉強が必ずしも良い未来保証しない年齢に差し掛かっているのかも知れない。また、元々の気質として、好奇心概要に触れるだけで満たされ、何か行動に移すということが厭わしいと思う所もあるのかもしれない。

総括すれば、自分のために努力する動機を失ったこと、自分よりも優先したいものができたこと、死への意識の変化、そして年齢と気質。そういった物が集まって、自分のための研鑽をしなくなったのだろう。

ならば、今私がすべきことは、自分のための研鑽をしなくなったことを嘆くのではなく、家族のために何を遺せるかを必死に考え、そのための努力をすることなのかもしれない。

時間という値千金のものを何に捧げるかを考えながら。

anond:20240924115208

就職予備校の側面はアメリカでもあるけど

より稼ぐ為に学識を積むの主流なのがアメリカ

日本場合は積んだ学識を問える人間が産側に多くないし、なんなら大卒だろうが院卒だろうが専門研究者だろうが専門性を活かす仕事に就かせないのが多い

貧困層高卒数学研究で成果を収める方法

無名状態ではarxivのendorsementを得ることが出来ない。AI提案したパスとしては、以下のいずれかがある。

2024-09-23

anond:20240923135809

アラブ式にすればいい。

面倒な雑用とかは外国人労働者やらせて、成果だけをもってゆくのがアラブ理系だけど

それを日本では、男性がお膳立てして、女性研究者がが発表するようにすれば、理系女性を増やすことが出来る。

出来るのに、男どもがくだらないプライド抵抗して日本の国力を落としている。

許せない。

2024-09-22

anond:20240922132652

もうやってたら申し訳ないけど、英語圏の文献を読むのはどうだろう?

日本批評とかは、翻訳があって売れた、話題になった限られた冊数の文献の中で延々とやってる感あるので……最近はマシだけど。負荷はかかるけど、世界は広がると思う。

(もちろん、限られた文献を深く読解することにも価値はあるが、それにしても限られてる、という意味で)

ハイデガーベルクソン研究者だって最近ちゃんとした人は今までの海外含めた先行研究の蓄積をちゃんと踏まえるから

いつまでハイデガーウィトゲンシュタインアーレント、よくてローティバトラーに立ち帰り続けるんだって感じ。

あとは、もちろんやってると思うけど、趣味ならどんどん分野変えていけばいいと思う。映画批評以外にも。

原著出版年が比較的新しく、かつちゃんとした日本出版から出てる翻訳書を読むのもおすすめ和書は出してからしょうもないと判明することあるけど、翻訳書は、原著価値があるというのがある程度はっきりしてから出すから翻訳文が読みづらくても、重要度が高くて面白いことが多い。

2024-09-20

日本権力政治

30年生きてきて今更気が付いたけど、結局人は個人利益追求しか興味が無いのよな。

思想は左右どちらも色々あるけどさ、結局突き詰めれば個人利益の追求なんだよ。その結果が社会を作り出している。

提起される問題はなぜ提起されるか、それは単純に利益(富、権力名誉、異性、利権個人的な欲求の発散)になるから

全てただのポジショントークに過ぎない。

じゃあこれが現代特有事象かと言えば、そうではない。  

今は日本という共同幻想で固まってるが、その前は藩だし、藩ごとで争ってたわけだ。

欧州世界のあちこちでヒトを奴隷にした。

結局、自らの利益のため動いていたわけだ。

ソーラーパネルの異様な推進、妙な水道民営化推進、規制をすり抜けた危険乗り物の増加、地方自治体での外国人への異様な肩入れ、生活保護口利き

これらは結局彼らの利益になるから推進しているに過ぎない。

医師会とかはわかりやすいよね、利権の実現のために政治家に多額に献金し、政策意向を反映させている。

派遣もそう、日本ライドシェアもわかりやすい。業界がひたすら利権の拡大と死守をしてる。

外国人大学生しかいないFランを潰さないのもそう、普通研究者ポスドクで苦しむ中、元政治家や元官僚新聞社OBがたくさん就職してるからね。政策実行者側からすれば大学を増やして補助金漬けにして金の采配を握るのはメリットしかない。経営者と違って失敗したところで借金背負うこともない。

利益誘導が目的となってるから少子化対策一般人から見ると苦しい政策となる。

日本全体の少子化所得による補助金制限支配からすれば合理的

支配側はちゃんとした日本人の総数は削りたいし、バカは増えてほしい。だから所得がある人の負担は増やす。ついでに補助金漬で権力を増やす

妙な移民もそう、不法移民を使って利益を得たいだけ。国民ことなんざ考えてない。争いこそ利権の根源。

移民国民との間で争いを作り、利益をより多く取る形で統治したい、それだけ。ただのマッチポンプ、わかっててやってる。 

上級官僚政治家も全く国民ことなんざ考えてない。国民なんざ奴隷家畜くらいにしか考えてない。

不法移民日本人が争っても所詮家畜からね、ちょっと品種が違う程度、日本人が犯罪被害にあっても、救済はない。

日本は今の中流層以下にとってはどんどん住みにくい国になる。

一族や血族とか見えにくい繋がりのあるグループ上級国民としてあらゆる富と権力政治的に略奪する一方、

それ以外の移民日本人の争いを支配である上級国民上級外国人は大笑いしながらホクホク顔で眺める。

まあ、国民政治に関心を持たず、結果損害を受けているのも、彼らの個人的な利益追求の結果であり、もう仕方がないんだろな、民主主義というか、人類限界だよね。

2024-09-19

anond:20240919003956

頭脳流出とか技術流出とかを危惧するようなことが言われる割に研究者を使い潰すから言われてるんじゃないの。中国研究者流れることとかネガティブに報じるじゃん。もっと日本ではうまく使えないからどうぞ研究者技術も取っていってください」という態度を全面に出したら諦めるのでは。

Xだと研究者にまともな給料を払え!って言ってる人たちが多いけど、大学研究者予算を使わなければいけない理由が分からないんですよね

日本はもう技術立国をやめたんだから、国の技術力を上げる理由もないし、研究お金を出す理由もないと思います

2024-09-16

anond:20240916221633

論文数とかは研究評価だろ?Fランどころか大半の大学教育教員研究力は一切関係ないと思うんだが

あと論文はいくらでもハックできる

Fラン大にいるゴミみたいな研究者がゴミみたいな論文誌に誰も読まないゴミ投稿し続けて、数だけは東大クラス教員10倍くらい論文持ってるとかそこそこあるんだよ

引用数にしたって水増しする方法はいくらでもあるし

国立大学国立専門学校にしたほうがいいんじゃないかな

基礎研究とかそういうのは、金がある国に任せればいいじゃないか。だいたい、研究養成したって、優秀な人ほど日本に残らないよ。

知ってる?アカデミアはほとんどの分野で中国トップ。金が全てなわけ。逆立ちしても勝てない。

それに、世界と戦える人材が、こんな給料が安い国にすみたがるか?

物価が安くて治安がいい老後に住みたい国であって、研究の本場でもない国に住まないといけないのか。

研究養成なんか無駄から大学実学教育に全振り、全部専門学校にしたらいい。教授陣は外国人を雇え。必要人材留学させろよ。明治時代みたいにり

知の追求は道楽なんだから、そういうのこそ私立が担えばいいさ。

anond:20240916112623

でもロクに役に立たないFラン大を作って、学生から高い学費を取って研究者を養うなんてのは、もはや詐欺に近いよね

anond:20240916111554

たとえばなんだけど、生物の同定・分類なんてジャンルは、「優秀な人」だけじゃとても人手が足りないので

ものすごく優秀ってわけじゃなくてもいいか専門性を持った知識人の人数が必要なんだよね

研究って一部の大天才革新的理論を発表してイノベーションみたいなものばかりじゃないし、

その一部の大天才革新的理論を発表するための下地としても、専門性を持った有象無象の数多の研究者による情報の蓄積が必要なんだよ

 

目撃情報とかを集めるにも、たとえば日本の固有種の情報を集めるなら日本人の方が色んな人の話をよく聞けるわけ

通訳とか通すとどうしても情報時間のロスがあるから

 

シンギュラリティAIものすごく発展してそういうの全部任せられるようになればいらないかもしれないけど

現状のAIって乱雑な情報から特徴量を抽出するばかりで、

論理的プロセスを経てなんらかの事実特定するなんてことにはまるで向いていないしね

正直アメリカには世界中研究者が抜擢されて研究しているのだから日本にいる時点で選ばれてなくて優秀じゃないと思うんだけど。日本でわざわざいつ芽が出るかわからない研究者保護する必要ある?日本の歴史を特別研究してるとか日本しかできなくて日本関係あることならまだわかるけど。

 

金になる研究者はすでに保護されてるし。

anond:20240916111139

うん、「Fラン大は研究者を養うためにある」と言うのなら納得なんだけどね

この増田はその本音を誤魔化してゴチャゴチャ嘘くさい理由を並べ立てているのが気に入らん

anond:20240915210019

研究者養成機関という観点から言うとBラン以下の大学不要かなと思う。早慶ですら正直怪しいやろ。

国民教養底上げするという意味ではCランくらいまではあっていいかな。

どちらにしろ高校の授業を復習したりモラトリアム満喫するためのFランは要らない。少なくとも大学である必要はない。

授業の復習がしたいなら子供チャレンジでも取ればいいので。

2024-09-14

anond:20240914225843

というか官僚養成機関もしくは就職予備校である東大に行く意味そもそも低いのがね。研究者として、東大特定先生師事したいにしても、家庭教師としてやって来てもらうことさえできる立場でしょ。

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