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はてなキーワード: 現代とは

2024-11-02

80年代以前(1989年まで)で最も重要コンピュータゲーム10

○選シリーズも下火になってきたところで投下するよ。


元ネタ1:

https://anond.hatelabo.jp/20241012181121

元ネタ2:

https://anond.hatelabo.jp/20241026213447


最初ファミコンだけで10選を作ろうとしたけど、方針を変えた。なぜならファミコンの初期にはアーケードから移植作が多く、それらはどちらかというとアーケード作品として評価すべきだからだ。

ついでに他のハードも含めて、同時代コンピュータゲームすべての中から選出することにした。なおシリーズ物は一作のみとする。ゲーム史のカンブリア紀におけるレジェンド級の作品を見て行こう。


ポン(1972年/アタリ/アーケード

アメリカアタリ社が開発し、世界で初めて商業的に大ヒットをしたゲームコンピュータゲームが一大産業として成立する道を開拓し、これをきっかけとしてアメリカアタリ時代が花開くことになる。

日本では翌年にタイトーセガがポンのコピー品を作り、これが日本初のゲームとなった。


ブレイクアウト1976年/アタリ/アーケード

アタリのヒット作第二弾。いわゆるブロック崩し。これのリメイク版にあたるのがアルカノイドで、現代に至るまで古典的ゲームの一つとして知られている。

日本ではタイトーナムコ正規ライセンスを持って生産していたが、それ以外にも日本の多数のメーカーがこれを模倣したようなゲームを作り、のちに日本ゲーム産業が花開くきっかけとなった。

いまでは有名なメーカーが、正規ライセンスもなしにコピー品を作っていたという、大らかな時代でもあった。後にタイトーが、これをもとにスペースインベーダーを作ることになる。


スペースインベーダー1978年/タイトー/アーケード

初の日本メーカーによるオリジナルの大ヒット作であり、日本で初めて社会現象を巻き起こしたゲーム。それまでゲームに縁のなかった日本お茶の間にまで、コンピュータゲームを知らしめた作品

日本アーケード史上最大のヒット作といわれ、喫茶店スナックテーブルがこのゲームテーブル型筐体に置き換えられるほどだったという。

数が減るごとに動きが速くなる敵、敵がこちらを攻撃してくる緊張感、たまに出現して撃ち落とすとボーナスの入るUFOなどアドレナリンの分泌を促す仕掛けが満載で、ゲーム面白さの本質が詰まっている。


ゲーム&ウオッチシリーズ1980年/任天堂/ゲーム&ウオッチ)

単独ゲームソフトではないが、シリーズまとめてランクインとする。

初の大ヒットした携帯ゲーム機で、特に低年齢層を中心に爆発的にヒットした。当時のゲームセンターは不良の溜まり場で子供には出入りしにくく、据え置きの家庭用ゲーム機もあったが値段が高く、

そんな中で比較的安く買えてどこでも手軽に遊べるゲーム&ウオッチは子供向けのゲーム機としてうってつけであった。

横井軍平代表作の一つであり、シャープ提携して電卓技術で作られた玩具。この横井軍平シャープのタッグは、のちにゲームボーイを生み出すことになる。


パックマン1980年/ナムコ/アーケード

ナムコの躍進のきっかけとなった作品にして、日本アーケードの大ヒット作第二弾。

敵の種類ごとに異なる思考アルゴリズム、敵との強弱関係を逆転させるパワーエサ、緊張を緩めるコーヒーブレイクなどゲームを飽きさせない工夫が随所に施され、その工夫の数々は多くのクリエイターに影響を与えた。

日本のみならずアメリカでも大ヒットを飛ばし日本ゲーム世界通用することを知らしめた。80年代ゲームの中心地がアメリカから日本に移っていく、その象徴となる作品


ウィザードリィ1981年/サーテック/Apple II

ウルティマとどっちを選ぼうか迷ったが、こちらを選択

ウルティマと共に、すべてのコンピュータRPGの始祖と言っていい作品。もともと机上で行われていたTRPGであるD&Dコンピュータ上に移植するというアプローチで生まれた、他のゲームとはだいぶ出自の異なる作品

ゲームシステムの多くはD&Dに由来しているが、移動画面と戦闘画面の切り替えによって進めるゲーム進行、コマンドを選ぶことで進める戦闘システムなどコンピュータRPG基本的システムが完成されており、

ウルティマと共に、後のドラクエFFに大きな影響を与えた。堀井雄二坂口博信もこのゲームをやり込んだという。


ゼビウス1983年/ナムコ/アーケード

スペースインベーダーギャラガと続くシューティングゲーム系譜を完成させた作品。初めて隠れキャラ採用した作品として知られ、ゲームにおける「隠し要素」の祖ともいえる。

グレーのグラデーションで描かれた光沢のある敵のデザイン航空写真のような森、海、道の風景は、真っ黒な背景に簡素グラフィックゲームが多かった時代に圧倒的なクオリティを誇っていた。

何度でも繰り返し遊びたくなる仕掛け、背景の物語神秘性と相まって、多くの人を熱狂させた。


スーパーマリオブラザーズ1985年/任天堂/ファミコン

説明不要宮本茂の生み出したゲーム黎明期最高傑作の一つである

その画期性はググればいくらでも出てくるのだが、改めて分析しても同時代の中で突出した存在である

どこまでも広がる世界解放感、至るところに隠されたアイテムボーナスステージ、操作に習熟するごとに感じられる上達の喜び、初心者が楽しみながら悔しがりながら上達できるレベルデザイン

どこを取ってもオーパーツのようなゲームであり、いまだにゲーム古典的教科書の一つである

アーケードから移植作が多かった時代に、この作品は「ファミコンしか遊べない大ヒット作」であり、これ以降ゲームの主戦場アーケードから家庭内に移ることになる。(ゲームセンターに風営法適用されたことも影響している。)


ドラゴンクエスト1986年/エニックス/ファミコン

ウィザードリィウルティマを元に、日本人にはとっつきにくかったRPG日本人向けに大幅にアレンジして生まれ作品

これ以前にも日本メーカーからRPGはいくらか出されていたが、ドラクエの爆発的ヒットを元に、日本独自RPG=JRPG市場開拓されることになる。

とっつきにくい要素を排除するために、元のTRPGにあったリアリティを大きく削ぎ落したりしているため、当時のTRPG界隈などから批判も受けたようであるが、そうでもしなければこのゲーム国民作品になることはなかっただろう。

反面、そのあまりにも日本向けに特化しすぎたアレンジが仇となり、海外展開にはあまり成功していない。

ドラクエが生み出した(時におかしな)JRPGの「定番」「お約束」は数知れない。その影響はゲームだけに留まらず、西洋ファンタジーを題材とした漫画ラノベ等にもおよび、今日に至るまでその影響を与え続けている。


ゼルダの伝説1986年/任天堂/ディスクシステム

宮本茂最高傑作第二弾。スーパーマリオとはまた違った方向性世界の広さを表現した、知恵と工夫と探索のゲーム

このシリーズは極めて神がかったバランスの上に成り立っており、簡単模倣できる作品ではないため、直接のフォロワーとなる作品はあまり現れてはいない。

しかゼルダシリーズの魂とでも呼ぶべき、閃きと発見の楽しさは形を変えて多くのゲームに受け継がれている。それはダンジョンの中のちょっとしたパズルや謎解きだったり、アイテムの入手によって切り拓く道だったりするだろう。

近年のインディーズ市場において、ゼルダシリーズから影響を受けたようなゲームが多数見られることからもその影響力の大きさが伺える。



◆◆◆


以降は選外となった作品


Tennis for Two1958年/ブルックヘブン国立研究所/非売品)

世界初のコンピュータゲームと呼ばれるものの一つ。オシロスコープアナログ機器で作られたゲームであり、正確にはコンピュータゲームと言えるのかも分からない。

研究所見学者に大評判だったが、その後忘れ去られ、後のゲームには影響を与えていないという。時代を先取りしすぎた作品


平安京エイリアン1979年/東京大学理論科学グループ/アーケード

学生サークルが開発し、商業的に成功した作品。いわば同人ゲーム草分けのようなものである点に着目したい。アマチュアが作ったゲームで初めてヒットした作品といっていいのではないか


ローグ(1980年/マイケル・トイ, グレン・ウィックマン/Unix

ローグライクと呼ばれるジャンルの始祖となった作品D&Dから影響を受けて作られた探索ゲームであり、実はウィザードリィウルティマよりも古く、最古のコンピュータRPGの一つに数えてもいいかもしれない。


ウルティマ1981年/リチャード・ギャリオット/Apple II 他)

コンピュータRPGの始祖の一つで、ウィザードリィと共に後のドラクエFFに大きな影響を与えた。2D見下ろし型のフィールドマップは、このゲーム元祖である


ドンキーコング1981年/任天堂/アーケード

正直10選に入れたかったが、宮本茂多すぎやろと思って外すことにした。

宮本茂の初のヒット作にして、後に世界的大スターとなるマリオデビュー作。コンパクトな画面に詰め込まれジャンプアクションで、後のスーパーマリオにつながるようなアイディアが、すでに多数詰め込まれている。


ポートピア連続殺人事件1983年/エニックス/PC-6001/mkII)

テキストアドベンチャーの傑作で、堀井雄二の原点。原作PC版だが、どちらかというとファミコン版の方に着目したい。

コマンドを選んで進めるというファミコン版のスタイルドラクエの原点ともいえ、このゲームの開発で得た知見はドラクエの開発に大いに影響したことだろう。


テトリス1984年/アレクセイ・パジトノフ/Electronika 60)

最も知られているのはゲームボーイ版だが、最初に作ったのは旧ソ連科学である

ゲームボーイ版の方は「ゲームボーイ史上、もっと重要ゲーム10選」に選出されているのでこちらはあえて原作をチョイス。純粋パズルでこれだけ人を没頭させるものは他にないだろう。


三國志1985年/光栄/PC-88他)

光栄歴史シミュレーションゲーム。この2年前に「信長の野望」が発売されており、歴史シミュレーションゲームとして最初にヒットしたのはそちらであるが、俺は三國志の方を評価したい。

これは歴史のifを楽しむゲームであり、人材登用のシステムによって史実では敵だった人物を部下にするなどして、夢のドリームチームを組むという楽しみ方ができる。

歴史を題材としたゲームでありながら歴史を大胆に改変してもいいという発想が大きな魅力につながり、こうした発想は現在歴史物のゲームにも影響を与えている。


ハングオン1985年/セガ/アーケード

世界初の体感ゲームにして、セガ体感ゲームシリーズ第一弾。バイク型の筐体にまたがり、身体を傾けて操作するバイクレースゲーム

ゲームの主戦場アーケードからファミコンに移る中で、そのアーケードしか実現不可能臨場感が注目された。こうした大規模なギミックは、後にアーケード復権する鍵の一つとなる。


ザナドゥ1985年/日本ファルコム/PC-88他)

ドラクエ以前の日本RPGで大きくヒットした作品日本PCゲームで最も売れた作品とされ、ファミコンともアーケードとも異なるPCゲーム市場を先導した。


悪魔城ドラキュラ1986年/コナミ/ディスクシステム

コナミ代表するシリーズの一つとなった作品任天堂メトロイドと合わせ、メトロイドヴァニアと呼ばれるジャンル形成フォロワーが多数現れている影響力を評価したい。


アウトラン1986年/セガ/アーケード

セガ体感ゲームシリーズの一つで、リアル系ドライブゲーム元祖。車を運転すること自体の楽しさに焦点を当てたゲームで、ドライブの楽しさが存分に盛り込まれている。


ファイナルファンタジー1987年/スクウェア/ファミコン

スクウェア本領が発揮されるのは90年代だと思うのでここに入れるかも迷ったが、初代が売れなければスクウェアが潰れていた、という点で重要作品



80年代末期は、シリーズ物の二作目、三作目がヒットの中心であるため、ここまでとする。

PCエンジンやメガドライブからも選出したかったが、ここに挙げたものに並べる作品がなかった。

起点も終点現代じゃないタイムスリップものって無いの?

現代人が過去に行ったり、過去人間現代に来たりするんじゃなくて

平安時代人間戦国時代に行ったりするような作品を見てみたい

精神成熟と性行為大人にならないという生き方

インターネットで性行為をする=大人になったみたいに考えている人たまに見る。これについて自分なりに考えてみた。

昭和くらいまでのお見合いでみんな結婚して子供授かってが当たり前の社会だと、ほとんどの人は大人になるしか選択肢がなかった。大人にならないと生きていけない環境だった。けど、最近では精神的な成熟を十分でなくとも生きて行ける。現代には大人にならないという選択肢も生まれしまった。これは人類史を見ても社会全体がその流れにあるのはかなり特殊と言えそうだ。一部の貴族王族の中では起こっていたであろうが。

今は精神成熟してなくとも子を持つ人も多く、逆に精神的な成熟をしているのにもかかわらず子がいない・欲しくないひとも多くいる。なんでだろう。

まり精神成熟と性行為経験はあまり関係がないのか。

 

昔は「大人精神成熟)になったら性行為をしても良い。そして子供を授かろうぞ」というような価値観だった。それが変に残って現代では性行為大人象徴の一つになってる。

大人になるとは、どういったことだろうか自分なりに考えてみた。

自己認識自己理解

価値観の違いの認め合い

・柔軟性

感情コントロール

情報リテラシー

責任

などだろうか。

それは現代的な倫理観で見た場合こうなっただけで、昭和とかだとまた違うものだったかと思う。

では、なぜ大人にならない選択肢を選ぶ人がいるのかを考えてみた。

・面倒くさい、怠惰

成熟するには必ず深く思考したり葛藤したりある程度ストレスによって学習するためそれを避けてる。

・周りの環境

大人になったと思い込んでる

成熟しなくても生きていける

でも、この選択肢で生きている人も悪いとは思わない。新しい生き方が生まれたんだ思う。自分の言っている精神成熟だってただの価値観押し付けかもしれないしね。責任感とか怖いもん自分も含めて。難しいね

2024-11-01

幼い頃から周りと合わない理由が分かった

ほっそい家に生まれ奨学金に頼ってなんとか専門を卒業して働くことになった、幼い頃から周りの人と合わないことが多く子供ながら友達をガキだなぁと思って過ごしてきた

社会人になり田舎中小企業上場企業で働いたが社員意識の低さが異常だった、他人を敬うことを知らないスラム街で育ったような人達が多くいた

そんな環境な嫌気がさして日本代表する企業グループ会社転職することにした、なんとか面接突破して内定をもらうことができた

面接の時の自分に対する対応がいままで経験したことがないくらい丁寧で驚いた、それによりこれまで接してきた小中高専門の同級生職場の一部の連中は知的障害レベルの頭であることがよく分かった

たまたま貴族院議員先祖にいる家系だったので自分地頭がいいのかもしれない、現代になっても農民や程度の低い武士商人家系は本当に大したことがないんだと思ってしまった

そこら辺の日本人は中国人よりタチが悪い

マイケルジャクソンゾンビを墓から蘇らせるまであと何年かかるか。

マイコーの声で歌えるゾンビ現代技術でもう余裕で出来る。

マイコーのようなダンスを踊れるゾンビ現代技術だとまだ粗があるけど、おそらく数年以内にコンテンツとして充分通用する品質の物が出来るようになる。

マイコーのような思考をして会話するゾンビ現代技術だとまだこいつはマイコーじゃない!って解るけどきっといつかマイコーだと信じられるくらいの品質で会話出来るようになる。

マイコーが作りそうな曲を作るゾンビ=おそらく数年以内に充分な品質で出来るようになる。

マイコーが作りそうな超絶かっちょいいPVを作るゾンビ現代品質だとまだまだとても見られるレベルの物が作れないが、きっと充分な品質の物を作れる時代くるまで十年もかからない。


おそらく、マイケルジャクソン10年以内に墓から蘇る。

街中で動画撮り過ぎ問題

Instagramとか開くとさ、おすすめ動画並ぶじゃないですか。

他のSNSでも。

アレ街中で動画撮り過ぎじゃない?

街を私物化し過ぎじゃない?

周囲で映ってる人だとか、これ絶対許可取ってねえだろって動画ばっか。

外はお前のスタジオじゃねえんだぞって。

さらにムカつくのが、なんか撮ってんな…明らかにこっち映してんな…って場面に出くわしても

カメラSNS現代の銃過ぎて、何か物申せば晒上げられそうなのがクソ過ぎる

人と関わらないのが安定択な世の中、切ないね

anond:20241101184123

富裕層貧困層が襲っても無罪という法律施行された。

富裕層自分資産資産管理団体移転することによって、名目上の資産ゼロとし、これによって、富裕層資産がある相手合法的に襲撃することが可能となった。

富裕層資産管理団体組織する私兵とともに合法的都市を略奪することが横行するようになったため、この法律は「現代フェーデ」と呼ばれ……

anond:20241101154537

姓 天皇からもらう称号

苗字名字 所属を表す。◯◯村の、××殿様の領民のって意味 公的な場では武士しか名乗っちゃダメ


明治以降

姓と苗字名字悪魔合体して現代の姓に

称号でも所属でもなく家を表すものに変わる







よしこれにて一件落着!!!

anond:20241101153848

現代名字の原点をたどったときにそれが姓だったり氏だったり名字だったりと、指しているものが違うのがごちゃ混ぜになっているのが問題

ちゃんとしたいなら、私の姓は○○で、氏は○○で、名字は○○と言えるようにしなきゃならない

夫婦別姓とは違う問題で、今の名字システムはぶっ壊れてることが露呈してきてワクワクしている

anond:20241101153442

そもそも武士名字は、ほぼほぼ地名がそのままついたもので、

現代でも、金沢のおじさんとか、地名他人を呼ぶ習慣が残っている。

これが本来名字の由来だったりする。

anond:20241101152642

なんかよくわからんことになってるけど、現代で使われてる名字は昔でいうところの姓なの名字なの?

進数史上最も重要数字10

0

全ての始まりにして原点

インド人によって発見された奇跡数字

これがないと現代の2進数だけでなく数学が成り立たない

1

意外に思われるかも知れないが2進数は1で終わる

一見すると平凡だがそれでいて重要数字

10選に残すかどうかは最後まで悩んだが、まぁここは個人趣味ということで

PIZZICATO FIVE史上最も重要な「東京は夜の七時」10

TM NETWORK史上最も重要Get Wild 10

https://anond.hatelabo.jp/20241028143457

ブコメ

「全部同じじゃないですか!?」「ちがいますよーっ」「これだからしろうとはダメだ!もっとよく見ろ!」

といういつものジャーゴンがついていたので、えっ、Get Wildときで聞き分けが出来ないの?じゃあ、こっちだとどうなんだろ、とおもって書いてみたGetWild増田です。

Pizzicato Fiveは本格的にファンになったのは95年ごろだけど、それ以前も周りの友人にファンがいたり、学校帰りに当時のHMVに通っていた渋谷系世代なので基本的な流れはだいたい抑えられているはず。

 

こちらも選考基準独断偏見だが、TMと違ってPizzicatoは再結成をしていないので、歴史的には解散以降の方が長くなるので、Pizzicato Fiveとしての音源フォローできるだけしておく。

Get Wildと違って1枚にまとまった作品集はないけど、検索すればそれなりに出てくると思うので、必要に応じて聞き比べを。

 

もちろん元ネタこち

https://anond.hatelabo.jp/20241012181121

 

東京は夜の七時 (1993年

オリジナルバージョンはもともとフジテレビ系で始まった「ウゴウゴルーガ2号」のオープニングテーマとして作られた。曲名矢野顕子から引用小西康陽曰く「放送が7時からからこのタイトル引用した」とのこと。オリジナルバージョンは実は小西ではなく福富幸宏編曲によるハウスミュージックとはいえ、この時期のPizzicatoの諸作はマニュピレーターとして小西氏をサポートしていた福富氏なので、他の曲とがらっとバージョンが違うわけでもない。イントロピアノグリッサンドのようなアルペジオや「A New Stereophonic Sound Spectacular」というサンプリングなど後々の小西氏のシグネチャーサウンドがちりばめられている。個人的にはこのバージョンのサビに使われるシンセの「テッテッテッテテーテ」という音が好きなのだが、意外と他のバージョンでは使われていない。

 

東京は夜の七時(talking toolbox mix)(1993年

シングルカップリングバージョン。音が当時のニューヨークハウスっぽい。もともとそれなりに長い原曲だがこれはさらに長く8分ほどある。1ループフレーズを繰り返してボーカルだけ残すこのパターンはいかにも当時の向こうのR&B曲のハウスミックスって感じでかっこいい。フィンガースナップの音とか時代だなあと思う。途中からオルガンアドリブが入って自我が芽生えたみたいな感じなのもよい。一番DJ向きなバージョンDJミックスCDなどにはこれが入ってることがわりとある

 

東京は夜の七時(readymade mfsb mix)(1994年

ウゴウゴルーガピチカート・ファイヴ」が初出のリミックスバージョンmfsbというリミックス名がわかる通り、原曲ニューヨークハウスフィリーソウル風にアレンジ。一番生音っぽいバージョンなのとブラスストリングスの入り方など非常に華やかなバージョンなのでこれが一番好きな人が多いと思う。「デデッデデッ」というストリングスアタックが非常に気持ちよく、後々のカバーでも割と参照されている。原曲にもあったピアノグリッサンド風のアルペジオや「A New Stereophonic~」のサンプリングなども効果的に使われていてこっちが原曲だと思ってる人も多そうなくらいによい。一番人気のあるベスト盤Pizzicato Five JPNにもこのバージョンが収録されている。

 

東京は夜の七時(one year after)(1994年

実はこの前後で、Pizzicato Fiveは長年共にした高浪が離脱し、小西と野宮の二人になる。それを反映したアルバムOverdozeは結構シリアストーンであり、そこに収録された東京は夜の七時もその不安感を反映した10分超えのニューバージョンとなった。福富アレンジをしてるのは同じだが、なんかサウンドの取り方が日本90年代ハウスっぽくなってる。いや日本の曲なんだが。そしてここまで書いてこなかったが東京は夜の七時は華やかな曲調のわりに歌詞はかなり冷たい都会の不安感を表したような曲なのだが、それがさらクローズアップされたような歌詞に変更されている。正直、この曲名メロディにこんな不安定な歌詞ありかよと思わせる。今だったら大森靖子が書きそうな歌詞

 

東京は夜の七時 (the ast episode)(2001年

2001年解散時にでたベスト盤 Pizzicato Five R.I.Pに収録されたニューミックスリミックス小西が当時使ってたDJよしお名義でリミックスしている。変則的ブレイクビーツを使って不安感のあるシンセパッドを使ってたり、当時を思い返すと、小西さん完全に解散したくてたまらなかったんだろうなと思わされるリミックス。途中途中で時報の声が入ったり不穏すぎる。なんか全体的にせわしない。

 

東京は夜の七時(the first cut) / 野本かりあ2006年

ここから解散後のカバーなど。小西氏がreadymade international運営に本格化していく中で、新たなミューズとなったのが野本かりあ、というか外部目線的には、小西は本当は野宮を首にして第4代目ボーカリストとして野本を起用したかったんだけど、Pizzicatoのパブリックイメージが野宮になっていたのでレーベルなどから拒否されたんじゃないかと思えてならない。これも世相に合わせて歌詞を変えている。アレンジは前のバージョンからかなりアップテンポの4つうちになってる。このバージョンのマニュピレーターは吉田哲人。野本はもともとテクノ好きだったらしく、その意思を汲んだのかけっこうハードテクノっぽいリズム。ちなみに故KAGAMIリミックスもある。この辺の東京テクノ人脈とreadymade周辺はもっと接近した方がよかったと後から思う。

 

東京は夜の七時(盆踊りversion) / 野宮真貴2016年

ソロ活動が割と自身渋谷系パブリックイメージ再生状態になっていたようにはたから見えていた野宮が「東京は夜の七時の盆踊りバージョンを出す」というニュースを聞いたときの、往年のファンの複雑な心境を想像してほしい。というかその企画小西はよく許可したなと思った人が大多数だろう。俺も思った。もともと、ケイタマルヤマの「おしゃれ盆踊り」という企画のために作られて、そこで披露されたらしい。いちおう振り付けもある。狂気か。Get Wildですら盆踊りはないぞ。まあそういったこともあるので、僕は全く聞く気が起きてなかったのだが、今回の記事のためにはじめて聞いてみるとこれはこれでよいのではという複雑な心境になる。というかアレンジが良く出来すぎている。なんだこれ、モダン盆踊りの傑作かもしれない。しつこく入る「いよーっ」という掛け声が今の時代だとすゑひろがりず想像させすぎて勘弁してほしいが。

 

東京は夜の七時〜リオは朝の七時〜 / 浮雲2016年

2016年のリオパラリンピック閉会式披露され、ぼんやり見ていた渋谷系好き中高年の度肝を抜いたカバーバージョン椎名林檎歌詞を大きく書き換え、編曲も行い歌は浮雲こと長岡亮介歌詞の変更は小西と何度もやり取りしたと言われてる(含みを持たせる言い方)。東京プレゼンテーション的な曲調になっていてかなり感動をさそう内容のプレゼンテーションだった。五輪関係権利が色々がんじがらめらしく正式音源リリースはない。東京は夜の七時という曲をJ-POP史上にリプレゼンテーションする作品となったという点で、この曲のファン的には感謝したい。

 

東京は夜の七時 feat. Night Tempo / 野宮真貴2021年

小西2018年に久々に野宮とコラボした少林兄弟バージョンを入れようかと思ったが、個人的な好みでこちらを。韓国人シティポッププロデューサーNight Tempoを起用したバージョンPizzicato Fiveオリジナルバージョンをしっかりと参照したバージョンで正直複雑な心境になるくらいによい。ほとんどのカバーリミックスmfsbを参照していると思われるのに対し、原曲を参照しているというのが興味深い。Night Tempo言動シティポップをめぐるあれこれもあって、あまりよく思わない人が一定数いる(かつ、おそらく旧来のPizzicato ファンにはそういう人が多そうだが、この90年代ハウスな音は原曲への深い理解があると脱帽せざるを得ない。全東京は夜の七時の中ではトップ3に入るくらい好き。

 

東京は夜の七時 / 小西康陽プレイボーイズ (2019年

順序は前後するがなんとなくこれが最後がおさまりが良さそうなので。「井上順プレイボーイ講座12章」に収録されたジャズインストゥルメンタルバージョン。もともと「「円楽プレイボーイ講座12章 / 前田憲男プレイボーイズ」」というアルバムがあり、それの現代版として作られたアルバム井上順ナレーションが乗ってる。(いちおうナレーション無し版もある)軽音楽的なジャズインストクリーントーンのギターの音が良い。そして気づいた人も少ないかもしれないが東京オリンピックの閉会式で使われている。つまり浮雲版と対になってる作品である

 

ということで、また書いてみました。

ほんとはあと数曲(特にカバー曲でヴァニビとかを)入れたかったのですが、泣く泣く断念。

個人的には東京は夜の七時はPizzicato Fiveの曲では好きな曲としては6位くらいなので、そこまで思い入れはないです。

anond:20241031173836

自分名前が変わるのが嫌な奴はいない、というのはなかったな。むしろ嫌な実家のしがらみから抜けられた感じがして気が軽かったよ。

名前が変わるのはアイデンティティ喪失だ、という決めつけをしている辺りで「名前を変えたい」というおそらくマイノリティ存在をガン無視した独りよがりの考え方で、何が「選択の自由」だよって唾吐きたくなる。いろんな奴がいるから、制度について議論していくんだろ?「選べるようになるのは自由!素敵なこと!名前を変えるのは苦痛ですよね!それから解放されましょう!」余計なお世話だ。

お前らの考える「素晴らしい自由思想」に当てはまらない奴のことを考慮しないで「賛成派です(キリッ)」とかやってる奴は嫌だ。

選択夫婦別姓制度を取り入れるなら、改姓を望む層のために改姓や改名簡単に出来るようにしていくべきだというのが自分の考え。それに伴って戸籍制度現代アップデートするべきだけど、「面倒だからなくしてしまえ、いやむしろ戸籍制度をなくそう」ということにならないか心配。だから選択肢を認めるだけなんだから早くしろ」というのはただの欺瞞だと思う。国のあり方を根本的に変えるかもしれない制度なんだからもっと慎重に議論してほしい。雑なんだよ全部。

anond:20241101100359

土地の分割はモメやすいって聞くから少し考えたほうがいいかも…

資産って増やすためにあるじゃん?どうやって増やすか考えてたらこうなるってだけだと親たちは言うね。現代は減らさないことに重点を置くべきかなとは思うけど

anond:20241101100409

現代における結婚の意義とは?をまず論じて解釈を確定させる必要があるので

時代によって変わっても良いが

今が変わるべき時かは未確定ということになる

anond:20241101092015

この意見は、日本の「他人の家庭に干渉やす社会性」と「選択夫婦別姓」についての懸念を述べていますが、いくつかの矛盾検証必要な点も見られます。以下、主な問題点矛盾検討します。

 

1. 他人の家庭に干渉する日本文化的傾向

日本社会には、個人選択「家族」や「社会価値観」に沿うべきとされる面があり、特に家庭の在り方や家族構成に関して干渉される傾向があります。これは、文化的に「集団主義」が重視される日本でしばしば見られる傾向であり、家族観や生活習慣が多様化する現代においても、偏見価値観押し付けが残っています

ただし、他国の同姓や別姓に関する取り組みについて「問題がない」と断言するのは一面的です。例えば、アメリカヨーロッパでは選択肢の多様性一般化している一方で、夫婦間や社会的な固定観念が依然として影響するケースもあります。また、多くの国で夫婦の姓に関する制度の在り方や価値観が異なるため、単純に「日本特有問題」と断じるのは、国際的実態と必ずしも一致しない可能性があります

 

2. 別姓選択が「古い価値観」と見なされる可能

「別姓と同姓が拮抗したときに、同姓を選ぶ人が古い価値観象徴になる」との懸念も述べられていますが、これは将来の社会価値観がどのように変わるかに依存する面が大きいです。現在日本では同姓が主流であり、同姓家庭への偏見がすぐに生じるとは考えにくいですが、もし別姓が主流となった場合、同姓が「古い」と見なされる可能性もないわけではありません。ただし、選択夫婦別姓の推進者は「多様な選択肢の尊重」を求めているため、両者の価値観平等を目指すことが理想とされています

 

3. 子供の姓をどうするか

子供が好きな方を選べばよい」という意見に対し、確かに問題は残ります子供の姓は出生時に一つを選択する必要があり、両親間で合意に至らない場合紛争が生じる可能性もあります。ただし、これについては、両親が事前に合意するか、社会的な合意形成が進むことで解決が試みられている国もあります日本でも、子供の姓の扱いをどのように法的に定めるかについての議論が進んでおり、選択肢の一部として姓の選択権や変更の自由度を高める方法検討される可能性があります

 

4. 「ひとりぼっちの姓」への感情的懸念

別姓を選んだ場合家族内で「異なる姓」による疎外感を覚える可能性については個々人の感じ方に依存しますが、確かに一般的な懸念点です。しかし、別姓を選ぶ家庭で育った子供や親自身が「姓」よりも「家族としての絆」を重視するという社会的変化が起こる可能性もあります。別姓家庭が増加した場合、姓の一致や不一致が家庭内連帯感に影響するかどうかについても、今後の研究社会的な意識の変化によって見解が変わるかもしれません。

 

まとめ

この意見は、選択夫婦別姓における課題日本社会の現状に対する懸念を含んでいますが、同時に「選択肢の多様化」による社会価値観の柔軟性も考慮すべきです。社会において、選択肢の増加が「個々の価値観尊重」に繋がることを目指しつつ、制度の整備と偏見の緩和に向けた教育議論が進められることが重要です。

コンバーターコーンバター技術食文化に宿る人間創造

コンバーターコーンバター。この二つの言葉は、一見すると無関係対象を指しているように思われる。しかし、その響きには微妙共通点があり、現代人に与える感覚的な違いは、文化歴史の流れを通じて形成されてきた感性の奥底に根ざしていると言える。人間歴史の中で、技術食文化進化と、それらが生み出す美的な感動は切り離せない関係にあり、ここに「コンバーター」と「コーンバター」を媒介とした考察を試みることで、その深奥を垣間見ることができるのではないだろうか。

まず、「コンバーター」とは、一般的には何らかの機能属性を変換する装置技術を指す言葉である電圧を変換する電源コンバーターや、信号を変換するデジタルアナログコンバーターなど、その用途は多岐にわたり現代社会を支える根幹を成す技術ひとつとなっている。これに対して「コーンバター」とは、穀物であるトウモロコシコーンから作られるバター、あるいはそれに類する加工品のことを指す。日本においてはそれほど一般的ではないが、北米南米など、トウモロコシ主食の一部として重要視する文化圏では、伝統的な食材の一つとして親しまれている。

一見、全く異なる二つの概念であるコンバーターコーンバターしかし、その歴史的背景に目を向けてみると、人間の知恵と工夫、さらにそこからまれ美的感性が反映されていることに気づかされる。コンバーターの登場は、工業化技術革新によってもたらされた、変換や変容の技術に関する人間知識結晶である。これに対し、コーンバター農業の発展や食文化進化に密接に結びついている。技術の変換と食材の変換、いずれも人間生活を豊かにするために築いてきた歴史の一側面であり、そこには特有美的価値が含まれている。

人間は、常に物質エネルギーさら情報の変換を行うことで、生活利便性を高めてきた。コンバーターはその象徴的な存在である。例えば、電圧を変換するコンバーターがなければ、さまざまな電化製品自由使用することはできない。デジタル信号アナログに変換することで、音楽映像スムーズに楽しむことが可能になる。これらの技術は、もともと無機的で冷たい印象を与えるものであるが、実際にはその内部に「変換」というダイナミックなプロセスを含んでいる点に美しさが宿る。変換の過程は、単なる物理的な操作にとどまらず、情報エネルギーが形を変えて新たな価値を生む瞬間である。この「変換の美学」は、人間の手によって機械的装置デバイスに具現化され、現代社会の中で目に見えない存在感を発している。

一方で、コーンバターには全く異なる美的価値内包されている。コーンバターは、トウモロコシという自然から得られる素材を加工することで生み出される、食品としての変換の結果であるトウモロコシは、古代アメリカ大陸文明において神聖視された作物であり、その栽培と加工は生活の基盤を形成してきた。コーンバターもその伝統の一部であり、味や風味の中に先人たちの知恵が凝縮されている。食品としての変換過程は、技術的な効率を追求する工業的な変換とは異なり、味わいや栄養価を最大限に引き出すための工夫が重視される。ここに、人間が生きるために必要とする基本的欲求と、それを超えて美味しさや楽しさを追求する美的感覚が交差する点が見出される。

また、コンバーターコーンバターは、それぞれ人間内面的な感覚にも影響を与えている。コンバーターがもたらす利便性は、私たち生活を快適にし、さらには新たな表現可能性を広げている。情報自由に変換し、自在操作できるという感覚は、無限創造力を解き放つものであり、それ自体一種の「技術の美」であると言える。一方、コーンバターがもたらす味覚の体験は、単なる食欲の充足を超えて、郷愁安心感さらには家族共同体との結びつきといった、人間らしい感情喚起するものである。口に含むたびに、自然の恵みを感じ、その過程に込められた労働愛情を味わうことができる。このように、コーンバター食文化の一端としての「食の美」を表している。

さらに深く考察を進めると、コンバーターコーンバターの間には、「変換」という共通テーマがあることに気づく。コンバーター無機物エネルギーを変換し、コーンバターは生の素材を加工することで新たな形に変える。この変換のプロセスには、人間自然物質に働きかけ、何かを新しい価値へと変える行為が見受けられる。この行為自体に、人間が美を見出してきたのではないだろうか。機械的な変換は冷徹である一方、そこには洗練された精密さや無駄のない機能美がある。これに対して、食品の変換には、温もりや手作り感といった情緒的な美がある。いずれも異なる美意識でありながら、共に人間の手によって完成される過程である

現代テクノロジー社会において、コンバーターほとんどの人々にとって日常の一部であり、存在意識することなく利用されている。しかし、それが果たしている役割は極めて重要であり、その背後にある技術的な進化は、実に人間の叡智の賜物である。一方で、コーンバターのような伝統的な食品には、技術的な進歩とは異なる価値観が込められている。ここには「不変の美」という要素が存在し、テクノロジー進化とは対照的な、永遠に続く食文化の美が感じられる。コーンバターを口にするたびに、人々は祖先が歩んだ道を辿り、自然との共生を改めて感じることができる。

このように、コンバーターコーンバターは、それぞれ異なる形で人間生活を豊かにし、感性を刺激する存在である。どちらも変換という行為を通じて人間生活寄与し、美的価値提供している。そして、技術進化伝統継承という二つの相反する要素が、私たち感覚と美意識に新たな価値観をもたらしている。この二つの対象比較することで見えてくるのは、人間が創り出す「美」の多様性と、その根底にある普遍的な美意識である

茶道ってキャバクラじゃね?

茶道は、もてなす心、もてなされる心を学ぶ。

礼儀があって、儀礼がある。

カスハラダメだし、カスタマーに心尽しをできないのもダメだ。

  

キャバクラも、お酒を出す、出される。

もてなす心、もてなされる心がそこにある。

礼儀があって、儀礼がある。

カスハラダメだし、カスタマーに心尽しをできないのもダメだ。

  

キャバクラは、現代の形をとった、茶道なんだ。

2024-10-31

anond:20241031221921

ある政治的話題があります事務方勝手にやって自分は知らなかったと、と党の代表発言した事件について以下のような会話がありました。

A: なんか事務方責任転嫁してるけど、代表より上の権限ある奴なんているの?本当にそうなら陰謀論捗りそう。そのくらい嘘つきですね。

B:下の人間に舐められてるだけでしょ まあ最近若いもんはパワハラとか嫌いだからね 締め上げようとしたら人が離れていくのかもね

この B に対し、

政治能力無さを自らアピールしてるのかあ。普通に考えたら、街頭演説の最終日に代表許可してない人物を上げるわけないんだからそんな言い訳通らんやろ。 」

リプライしたところ、

「お前の日本語読解力は低い ChatGPTに見て貰え 」

と言われました。

どのような点が問題だったでしょうか?

あなたがBさんに対して行ったリプライは、Bさんの意図を正確に理解していない可能性があります。具体的には、Bさんは以下のような主張をしています

・党の代表は部下から舐められており、部下が勝手に行動している。

現代若い世代パワハラを嫌うため、締め付けを強めると人が離れていく可能性がある。

まり、Bさんは「代表が部下をコントロールできていない」という視点からコメントしています

一方、あなたリプライは以下のような内容です:

・「政治能力の無さを自らアピールしているのか」という皮肉

・最終日の街頭演説代表許可していない人物を登壇させることはあり得ない。

・そのため、代表言い訳通用しない。

ここで問題となるのは、あなたが「部下が勝手に行動することはあり得ない」と断定している点です。しかし、Bさんはまさに「部下が勝手に行動している」という可能性を指摘しています

そのため、Bさんはあなた自分意見を正しく理解せずに反論していると感じ、「お前の日本語読解力は低い」とコメントしたのだと思われます

から自分でやれよ

まんが道」のテラさんは正しかった

アイドル界の混沌も描いた『推しの子』が、本来対象じゃない低い年齢層の子供にも受容されてて関係者が焦るみたいなニュースがだいぶ前にあったけど、

自分の子時代も含めてだが、この約四十年以上も、『推しの子』どころではない、本来子供に見せるべきではないコンテンツ子供向けと強弁して売り付けるような商売が横行し続けているとしか思えない。

親の本棚からとか、河川敷に落ちてるエロ本から見ちゃったとかそういう次元ではなく、最初から子供向けとして、人間性健全な発達や安心を拒むコンテンツが溢れている。

単なる暴力セックスの話では収まらなくなってきている。最近少女漫画ではメンタルヘルスが病んでいる状態をむしろ美化しているのが常態化している。学歴差別格差ギャグのように描く作品もあり、それを小学生女児がこれから自分が過ごす社会の有様として受け止めながら読む、そんな光景すらある。

自分の話をすると、小さい頃から色々な漫画に触れられる環境にいた。親はむしろ漫画を気にせずどんどん読ませてくれる側だった。

だが、何というか、しっくりくるコンテンツが無かった。平成中〜後期の現行コンテンツより、帰省先の母の実家に捨てられずに残っていた昔の漫画の方が、地に足についている気がしていた。

大学で「こども文化論」みたいな科目を取った時、子供向けコンテンツの変遷を調べる機会があった。月並み結論からいうと、70年代を境目に、子供へのアプローチが大きく変わっている。子供は育てるべきものではなく、子供もそこで消費者すり替えられていた。そしてそれは子供自身が望んだことではなく、明らかに大人商売のために作られたものだ。

もちろん昔から赤本漫画など色々な問題があったが、それはしっかりと不健全もの理解されていた背景があり、それに対して「健全」さがしっかりと対抗できていた。今は、少年漫画少女漫画も、その槍玉に挙げられていた赤本(技巧やページ数の限界で抑えられていた)より数十倍も酷い内容を、美麗な外見でやっている。

ここで、『まんが道』(とその続編)に出てくる、テラさん実在した漫画家・寺田ヒロオ)の話を思い出す。彼が何をしたかは、検索すればサジェスト経由ですぐわかるだろう。「闇」扱いされてるが。

自分の連載と同じ漫画雑誌で連載されていた他作者の漫画「恐怖魔人ゾンビラス」(漫画内の仮称で、実際は楳図かずお永井豪漫画か?)に対して、編集長に「子供に悪い影響を与える、連載をやめろ」と異議を直談判し、それが受け容れられないと自らの連載を切ったエピソードなどだ。

漫画的脚色はあるが、テラさんの行動は様々な方面から史実と言える。子供のための「健全漫画コンテンツ」を求めたテラさんの行動は、漫画内の描写はもとより、ネット上でも「時代変化を理解しなかった頑固な人間」「遺物」みたいな扱いを受けている。

しかし私は、テラさん立場の方がずっと正しく、明らかに子供に対して誠実だったと、60年も後から思わされている。

ただ付け加えると、テラさんは、大人向けとはっきりわかる形で描いたアダルト作風漫画までは否定していない。テラさんが心を割って話せる存在任侠アダルト漫画家の棚下照生だったように。

子供に、身の回りの有様を伝えるときに、まともな人間なら、「人間関係は全て打算で、あらゆるもの欲望で出来ており、全てが醜い」と伝える人はいないだろう。社会にそう言う側面があっても、そこだけを切り取って子供に植え付けるのはまともな行いではない。

テラさん当時の、技巧的に発展途上の漫画劇画ですら、子供たちの世界を暗く後ろめたいものにしていたが、当時はまだ最低限の良心タイトルで煽る形で分かりやすくしていたのかもしれない。だが現代ではそれは一見からない形で(ギャグロマンスなどの体裁を取り)提供されるようにすらなっている。

はっきり書けば、思春期より前の子供には、ごく単純な、心理描写が少ない、身近な人間関係を描いた作品以外、適していないと思われる。

近所で野球をするだけ。親の手伝いをするだけ。学校で仲間と学び合うだけ。動物と戯れるだけ。「それだけ」の漫画で充分だった。

それをしなくなったのは、そして子供向けではないコンテンツ子供蔓延したのは、子供事情や「時代要請」「技術の発展」なんてものではない(子供が「ハレンチ学園」や「トイレット博士」を望んだのではない)。大人商売の都合なのだ

子供漫画社会の両輪で我々以上にますます病む前に。今一度、テラさんの突きつけた建前を、考え直す必要があると思う。

副業したい人の労働力活用は無理なのか?

https://anond.hatelabo.jp/20241029111821

 

ブコメで「副業したい人の労働力潜在的に余っている」みたいなこと言ってる人が居るが、本当なんだろうか?

(俺もだけど)どうしても「労働力があれば売上が立つ」→「潜在的労働力があるならもっと儲かるかもしれない」みたいに安易に考えちゃうんだけど

現代ビジネスシーンにおいては逆で

儲かるネタがあって、そのネタ運営してる会社利益最大化するために最適な人材を雇うんだよね

その時の人材は誰でもいいってわけではなくて、賢さや働き方や給料など厳しい制限があって、適当な人を大量に雇うとむしろマイナスとなってしま

と考えたときに、「副業したいけどできてない潜在的労働力」って実はマイナス人材なんじゃないかと思うんだよね

 

そういえばベーシックインカムについて、岡田斗司夫だったかが「無能なやつは金あげるから何もするなっていう制度だ」みたいなこと言ってたけど、似た状況がここでも当てはまると思う

大企業や、偉い人たちがそういった人材活用して儲けられるなら、絶対に既にやってるのよ

あるいは、内職というのはその中で生み出されたシステムだった、しかしそれも縮小していった

生産海外工場に移ったし、デジタルで完結する仕事PCに組ませるようになった

 

プラス人材になるのって難しくてさ、大学勉強して週5で1年とか働いてようやくその狭い領域プラス人材になれるんだよね

から多くの人にとって、土日はマイナス人材なわけで、そりゃ副業見つからんわなっていう

大人になると分かるんだよね、週5でやってるプロには叶わないって

 

まあもちろん、逆に言えば、その人材活用できるシステムを作ればかるく数千億円は儲かると思うけどな、誰か考えてくれ

anond:20241031091134

この意見には、いくつか妥当性も含まれていますが、問題点矛盾点もあります。以下にそれを示します。

 

1. 主婦層が働きやすくなるメリット

103万円の壁」が撤廃されると、扶養控除の枠内に収めるための就労制限が緩和され、主婦層が制限なく働きやすくなる点は妥当です。実際、こうした所得制限労働意欲の低下や、短時間勤務への縛りを生むため、特にパートタイム労働者労働時間抑制課題とされています

 

2. 少子化の促進という見解について

この意見が示すように、働きながらの育児が難しいのは事実です。しかし、103万円の壁が直接的に少子化を進行させるというのは、必ずしも明確ではありません。少子化の主な要因には、育児支援制度の不足や職場環境、住環境負担が大きく関与しており、就労による育児の難しさが直接的な原因ではないとの見解もあります政府企業が保育支援の拡充やリモートワークの推進により働きやす環境提供することで、就労出産育児を両立させやすくする取り組みが進んでいます

 

3. 高齢化社会への負担について

少子化が進むと、当然ながら高齢者を支える現役世代負担が増えますが、だからといって労働力制限するのは逆効果です。むしろ労働市場に多様な層が参加することは、高齢化による労働力不足への対応として必要です。また、103万円の壁撤廃パート労働者所得向上につながり、消費力の増加や経済活性化にも貢献すると考えられています

 

問題点矛盾

この意見矛盾点は、「主婦層が働きやすくなると少子化が進行する」としている部分です。これは、「働くこと」と「出産育児」が対立するものと捉えていますが、現代社会保障制度労働環境改善により、両立は不可能ではないと考えられます育児休業や短時間勤務などの制度活用することで、多くの女性仕事と家庭を両立させています

 

結論

総合的に見ると、103万円の壁撤廃による「少子化の促進」と「労働力増加」がどちらに強く影響するかは一概には言えませんが、適切な支援制度の整備があれば、少子化への影響を抑えながら労働力を増やすことも可能です。

: 厚生労働省, 「労働政策女性就労

健康文化的生活を送るには?

現代日本で「健康文化的生活」を送るためには、身体精神健康社会的つながり、文化的活動バランスよく取り入れることが重要です。以下に、具体的な取り組みを挙げながら論じます

 

1. 身体健康を保つための取り組み

身体的な健康を維持するために、適度な運動バランスのとれた食生活、十分な睡眠必要です。

運動: 日本国内で推奨されるのは、週に2~3回程度の有酸素運動筋トレです。ウォーキングランニングヨガ、筋力トレーニングを定期的に行うことで、心肺機能や筋力の維持、ストレスの軽減に役立ちます。また、屋外の公園公共施設などを活用し、自然との接触を通じてリフレッシュすることも可能です。

バランスのとれた食生活: 健康的な食生活日本の文化でも根付いており、魚や野菜発酵食品味噌納豆など)を取り入れた「和食」はバランスの良い栄養摂取に適しています厚生労働省も「健康づくりのための栄養食生活指針」を通じ、炭水化物たんぱく質、脂質のバランス意識することを推奨しています

睡眠: 日本人の平均睡眠時間は、他の先進国と比べて短い傾向があり、慢性的睡眠不足が問題視されています。良質な睡眠を確保するために、就寝前のスマホPC使用を控え、一定リズムでの生活を心がけるとよいでしょう。

 

2. 精神健康を保つための取り組み

精神的な安定を維持するためには、ストレス管理し、心の健康意識した活動重要です。

マインドフルネス瞑想: マインドフルネス瞑想は、自己を見つめ、ストレスを軽減する効果があり、日常生活での心の安定を助けます。短時間でも呼吸を意識することで、気分転換精神リフレッシュが図れます

趣味文化的活動: 自分の興味に合った趣味を持つことも精神的な健康有効です。読書音楽鑑賞、映画アート観賞など、文化的活動は心に豊かさをもたらし、リラックス効果があります。また、日本独自伝統文化芸能茶道華道、能、歌舞伎など)を学ぶことも、生活に彩りを与えます

 

3. 社会的つながりを築くための取り組み

社会的孤立を防ぎ、他者とのつながりを持つことも、健康的な生活の基盤となります

地域活動ボランティア: 地域イベントボランティア活動に参加することで、他者とのつながりが生まれます日本では「町内会」や「自治会」など、地域コミュニティ活動が活発な場所も多く、こうした場を通じて、世代を超えた交流可能です。

オンラインコミュニティ: 遠方に住む人や共通趣味を持つ人とつながるために、オンラインコミュニティSNS有効です。ただし、過度なネット依存に注意し、リアル交流バランスを保つことが大切です。

 

4. 環境への意識を高めること

環境保護の観点からエコロジーな行動も健康文化的生活に関わります

エコ活動: 日々の生活リサイクルエネルギー節約意識することで、環境保護に貢献することが可能です。ゴミ分別エコバッグの使用自家栽培などの「小さなエコ活動」を通じて、持続可能社会の構築に貢献できます

 

まとめ

健康文化的生活」を送るためには、身体的・精神的な健康を維持し、社会的つながりを築き、環境意識を持つことが重要です。自分生活環境に合わせた具体的な取り組みを通じて、日常生活における質を高め、心身ともに充実した生活を目指すことができます

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