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はてなキーワード: 現代とは

2017-08-20

https://anond.hatelabo.jp/20170820180748

現代中間層現実調和派というのは、昔の「ふつう」に於いて獲得できていた物事のうち、どれを諦めるか、諦めないか、の取捨選択を迫られているわけなんだよね。

結婚を諦めて趣味と贅沢にリソースを投入する。

・贅沢や趣味を諦めて、出産子育てリソースを投入する。

専業主婦を諦めて共働きをすることで世帯収入を増やす。でも出産子育てで数年するとキャリアは終わるので、リスタートしたあとの妻はワープアを強いられる。

労働を諦めて自由気ままに時間を過ごす(phaさん)。

など。

諦めずにすべてを獲得できるのは上級国民だけで。野原ひろしみたいな。

貧困層に目を向けると、そういった中間層の取捨選択の自由すらなくて、ワープアでひたすら全方位に貧しい生活を強いられるんですよね。

中間層だったが、取捨選択を誤ったりリソース管理に失敗して貧困層に陥ってしまうというケースも多いと思う。人生を常に賢明運営できる人たちばかりでもないからね。

中間層の非現実強硬派は、ステレオタイプな「旦那年収1000万じゃないと結婚しない」と言いながらいつまでも売れ残り婚活して社会に憤り続けてる人みたいな。あとアイドルしか結婚したくない!みたいなのとか。

なんかそんな感じ

科学現代人、一日あたり小説3冊分の活字を読む生活 研究であきらかに

https://anond.hatelabo.jp/20170820111359

私の意見が間違っていても、増田申し訳ながらなくていいんだよ。私は増田の言いたいことを理解したいだけだから

ありがとうございます

しかしながら自分の元の文が悪文であるが故に話がなかなか伝わっていないと思うので、その点で本当に申し訳なく思います

もうちょっとゲームを続けてもいい?

あんまり頭のいいプレーヤーじゃなくてこっちの方が申し訳ないんだけど。

はい、続けましょう。そして、私の言葉が足りていないのでそちらが申し訳なく思う必要はないと思います

まず、私の立場としてはポリコレの事自体を憂いているのではないということを念頭においていただければ幸いです。

私が憂いているのは、正しさで自己肯定をしてしまったが故に、他者不寛容にならざるを得ない人のことです。

ですので、

この増田主題は、自己肯定していない人間ポリコレを実行するのは危険を伴うから注意が必要だよってことかな。

ではなく、ポリコレなどの正しい価値観に準じることで自己肯定をするのは色々な意味で辛いのでやめましょう、ということです。

ネットポリコレ棒ブン回してる人たちはみんな、自分で考えたことを信じられないから(自己肯定してないから?)他人の考えを丸呑みにして準じようとするからそうなってるよね、それって本質理解してなくて、ただその教えに従ってれば自分絶対正しいんだって安心してるだけのポリコレ聖典信者だよねってことかな。

ポリコレじゃなくても、逆にレイシストであっても自己肯定がなければ、同じようにレイシズム聖典を抱えている可能性もあるってことよね。(ただレイシズム場合は元々相互理解不要であるという考えだからポリコレみたいにそれが本質でなくても内部矛盾する機構を持たないけど。)

前者、後者ともにその通りです。絶対に正しいことに従えば自分絶対に正しいという姿勢は、盲目的な信者しかない。そして、その絶対に正しいことというのは必ずしもポリコレである必要はなく、レイシズムであることも、フェミニズムであることもあります

自己肯定って確かに難しいよね。

小さい頃からずっと事あるごとにお前はいつも間違っているって言われて、その度にずっと脅されたり叱られたりしてくれば、どうしたらそのストレスから逃れられるのかなって考えた時に、じゃあもう自分で考えたことはみんな叱られるなら、みんなが正しいって言ってることを信じたらきっと叱られたり脅されたりせずに済むだろうって、まあ普通にそうなるよね。

だいたいその通りなのですが、最後の段だけ微妙に違います。みんなが正しいと言わなくても、絶対に正しく見えるロジックがあれば良い。時に聖典レイシズムであるのはそれだからです。そしてそれを信じれば叱られたり脅されたりせずに済むのではなく、叱られたり脅されたりしたときに無条件で悪いのは相手だと思うことができるので、ストレスから逃げることができるのです。

そんでポリコレの真髄とは、どんな反対意見を持った相手にも、どんな人種相手にも、どんな性別相手にも、どんな身分相手にも敬意を払って、失礼なことをしない努力をするってことなんだけど、そうなると相手意見尊重してよく耳を傾けなければならないし、自分がそれでもし何か間違っていたことがあったとしても、その間違いを正すことを恐れてはならない。自己肯定の塊よねこれって。

ポリコレの真髄ということまで私自身が理解できているとは思わないのですが、こうした他者を本当に尊重する態度は、自己がしっかりと確立していないとできないものなのでしょう。

そして単にポリコレ聖典にしているだけの人は、多分そこまで実践することができないのだと思いますポリコレ的な態度を取れない人をむやみに攻撃してしまう時点でポリコレから外れてしまうのはすでにご指摘のあった通りです。

自己肯定をするのはすぐには難しいかもしれないけど、でもきっとそれができればもっと楽チンに平和ポリコレできるよ!ピース

って感じ???

ここがまた私の考えとは違う部分です。この文章最初の方で述べた通り、私はポリコレ自体を憂う立場にはありません。だから、正しいポリコレのために自己肯定ができるようになろうと考えているわけではないのです。

憂いているのは正しさで自己肯定をしてしまったが故に他者不寛容になってしまう人です。

そうした人に、正しく生きることで自己肯定をするのはやめようと言いたい。自分が間違っていてもそういう自分を認められるようになろうと言いたい。

それができれば、信じるべき正しい聖典がなくても安定した自己を手に入れることができるよ、安定した自己が手にはいれば無闇に他者不寛容になってしまうこともなくなるよ、と思うのです。

安定した自己が手に入った結果、他者尊重できるようになり結果的ポリコレ的な態度を正しく実践できるようになることはあるでしょう。しかし、それは結果であって目的ではない。

重ねてになりますが、ポリコレを正しく実践するために自己の安定を手に入れようという話ではなく、ただ単に本当に楽に生きるために自分を認められるようになりましょうという話なのです。

ここまでのトラバリーの話の中で、私自身が自分が本当に訴えたいことを理解していなかったことに気づきました。最初は単に、正しさで自己肯定をしてしまう人は他者不寛容で息苦しい、そしてそういう人はポリコレ界隈の人だ、と思っていました。

けれども、ここまで様々な方とお話をして、自分自身の考えが深まっていきました。

結局言いたかったのは、正しさで自己肯定をしてしまうのは一見楽に見えるけれども実は辛いからやめよう、という話でした。

ポリコレ界隈の人全てが正しさで自己肯定をしているわけではないし、ポリコレ以外の正しさで自己肯定をしている人も、私が憂う人であったのです。

それなのに過激さを狙って「ポリコレとは現代聖典である」という上段に構えたタイトル元増田につけてしまい、反省をしています

これから元増田をどうするのかなど、ちょっと考えたいと思います

https://anond.hatelabo.jp/20170819171712

でもこんなくっだらねえ同意求めメンヘラ記事書ける程度には余裕あるんだね。

「腹いっぱいで食う餅は苦しい」的な。

やっぱ専業主婦って現代貴族様だわ。

キラキラネーム読解術

https://anond.hatelabo.jp/20170819083313

塾講師なのでキラキラネーム読解にはかなりの自信がある。

そんな私に言わせれば、羽奏=わかなはまだ標準レベル

なのでみんな読めたほうがいいんじゃないか。

こういう名付けの是非についてはいろいろ議論もあろうかと思うが、今後キラキラネーム勢が社会進出してくることは確実なので、この程度が読めないようでは老害烙印を押されることは必至。

というわけで、以下の原則マスターしてキミもキラキラネームマスターになろう!

大半のキラキラネームは意外に常識的だと心得る

キラキラネームには大きく2つのパターンがある。

①読みは普通だが漢字の当て方が変

漢字の当て方は普通だが読みが変

「羽奏」のばあい、読みの「わかな」は普通なので①というわけ。

①+②の最終形態になるともはやどうしようもないが、①か②のどっちか片方である=読みか漢字の当て方のどっちかは常識的である確率はけっこう高い。

天使=えんじぇるみたいなのばっかだと思っていると思考放棄に陥りがちであるが、「羽奏」は慣れれば余裕。

音のかわいさ・かっこよさ重視

これは大原則として知っておきたい。

「羽奏」を「はねかな」「うそう」などと読んでしまう人はこの点を理解できていないと思う。

読みは音・訓なんでもよい。熟語しか出てこない読みも可

羽=はね・は・う・わ

奏=そう・かな-でる

この時点で「わかな」を出すことができるので、「羽奏」はまだ常識的なのだ

これが無理でも、直翔=なおと 程度は現代人として即答したい。

この原則では処理しきれない場合は、次の手法へ。

読みの一部を使う

音・訓読みの一部だけを取り出すのはもはや常識的な名付け法となっている。

取り出すのは前でも後ろでも可。たとえば、由望=ゆみ、美星=みほ、という要領。

なお、読むのは難しくないが、望海=のぞみ、みたいになくても良い黙字的な一字を足すパターンも頻出。

最近よくいる翔汰のさんずいといい、不要不急のパーツは人間ロマンなのだ

というわけで、中級者であれば「羽奏」も「はな」と読む可能性が視野に入ってくる。

漢字から色々連想する

本当に難しいのはここからです。

キラキラネーム読解の達人になるためには、漢字から連想されるものも読みに含めてよい、という原則マスターせねばならない。

美宙=みそら、那奏=なおと、など。

文字もつ観念連想によって羽ばたかせる詩的センス要求される高度な技術

ワイルドカード

最後に、現在の名付けには何とでも読めるワイルドカード存在するということを知っておこう。

とりわけ「空」「海」「星」など自然物はワイルドカード率高し。

これに当たってしまったらもはや諦めるしかないが、男なら「と・た・き・ま」、女なら「あ・か・や・ら」あたりで読んでおけば、それなりの確率で当たる。

2017-08-19

美術館にも花火にも感動を示さな

それは現代病ではない。花より団子という言葉がそれを物語っている。

日本人にとって芸術素養とは、美しさを感じる心ではなく、その分野における慣例を知ることにすぎない。

牟田中将をひっぱたきたい

インパール作戦で何万人もの日本兵を野垂れ死にさせた、

牟田中将を殴りたい。

丸山眞男をひっぱたきたい、と言った人がいるらしい。

それって、現代でいえば

電通過労自殺した女の子を「ひっぱたきたい」

って言っているようなものではないの?

2017-08-18

https://anond.hatelabo.jp/20170818200636

先日も書いたけど、

歴史認識の話は恨みを次の代に継承させるかという話。

個人的には許す忘れることも和解のためには必要だと思う。

でもその辺りは個々人の体験によるので微妙な話。

今も何か続いている認識があるとかだと現代課題だし。

ポリコレとは現代聖典である

ポリコレ界隈とか見ていると、正直息苦しいなと思います

まず、正しいことは絶対だと思っていることに息苦しさを感じます。それは、人は間違えることもある、という基本則を認めない息苦しさであるだけではなく、正しくある自分絶対であると思っていそうな傲慢さにも息苦しさを感じるのです。

なぜそんなに傲慢になるのか、私なりに分かるところもあります。私もかつてその類の傲慢さを持った人間であったからです。

前提条件として、自己肯定ができない人がこの傲慢の罠にはまります。なぜなら、自己肯定ができないということは自分の中に評価軸というものがなく、何が良いものか悪いものかを計るとき他人物差しを借りてこなければなりません。で、借りてくる他人物差しに正しさを求めます。その正しさが絶対的ものであれば、自己肯定ができない不安定自分が確固たるものになるからです。

絶対に正しい評価軸に沿って生きていれば、何か自分を揺るがす出来事などに遭遇しても「自分絶対に正しい基準に従っているのだから間違っているのはあいつらだ」と思うのが非常に楽になります。それは不安定からは程遠いものであり、生きるのには楽な姿勢ですが、でもやっぱり傲慢しかありません。

そしてこの傲慢人間は、他人価値観基本的に認めることができません。この傲慢を支える絶対的物差しそもそも他人からの借り物でしかいからです。加えてその物差し絶対だと思っているから、さらに他の人の価値観を認めることは構造的にできないのです。

次に、自分が正しいと思っていることを他人にも求めていることに息苦しさを感じます。先ほど述べた傲慢さは、「自分は正しくなくてはならない」という生き方であり、この時点でも自分が間違ったときにそれを肯定できなくなるため生きづらいです。

けれども加えて、「なぜおまえは正しくないんだ」ということを他人に問う生き方をする人もいます。これはハッキリと生きづらいです。なぜなら、自分が信じている価値観に沿った生き方他人にも求めているからです。それは、他人他人価値観があるということを認められないから起こる態度です。

ここで、自分が信じている価値観が無条件の自己肯定感から出てくる自分なりの考えであるのならば、他人価値観を認められなくなるところまで行くことはめったにありません。自分肯定している自己と同じだけのもの他人にもあると思えるからです。無条件に自分肯定できているからこそ、他人価値観を認めても自分が揺らぐことはありません。

けれども、自己価値観を持てず絶対的に見える他人の正しさを借りてきただけの人だったら、その正しさを絶対的だと思えば思うほど、他人もその正しさを身に着けるべきだという視野狭窄に陥っていきます。ここでもまた、他人価値観を信じてしまっているからそれ以外の他人価値観を認めることができないという構造的な問題があります

さて、ここまでで述べてきた、絶対的に正しい他人価値観とは何でしょう?かつてはそれが宗教でした。自己アイデンティティがなくそ確立宗教に求めてしまたからこそ、自己を守るために自分が信じる宗教以外の宗教が認められないという構造がありました。

けれども、今は宗教がそんなに絶対的ものではないということが明らかになってきました。絶対的でない神には意味がないので、そういう意味現代は神が死んだ時代です。

しかし、全ての人が無条件に自己アイデンティティを持てている時代になったのかというと、それもまた否であります

私にはポリコレというものは、かつての宗教にとって代わる現代聖典のように見えます

からこそ、あの界隈の人々は正しくあることに妄信であるし、他人にも正しくあることを求めます。それが自己アイデンティティを支える術だからです。

でも、正しくなくてもいいじゃないですか。自分だって他人だって間違えることはある。それを認めることができる強さを持ちたいと思います

それに、絶対に正しい他人価値観に沿った生き方はやっぱり息苦しいのだろうと思います。その他人価値観に沿わない自分を認められなくなるからです。自分を正しさで守るために他人価値観にすがったのに、その価値観に沿わない自分が現れたら苦しいなんて言うのは本末転倒しかなりません。

そうじゃなく、自分自分評価するのをやめて、自分が感じることをそのまま認められるようになるのが、自分を守り、他人を認める一番の近道だと思うのです。

現代におけるコミケ存在意義は何か

昔は当然同人誌即売会だったわけだけど

現在はそうでもないよね

それでもコミケが支持され続けている理由って

 

年に2回、盆と暮に地方民が出張ってきてヲタクたちが色々やる

企業もそれに合わせて色々売ったり発表したりする

 

みたいな感じだと思うんだよ

でもそれもインターネットの普及で薄れてきていると思ってるんだけど

まだ支持されてるんだよね

 

インターネットではまだ足りない

即売会という”建て前の場”という存在意義もある

 

とかそんなところかなぁ

まあそもそも全部委託されるわけじゃないか地方民的にはまだまだ大事だよね

そして地方民(作家)が居るから都民無視できないという状態

現代における差別曖昧すぎる

https://anond.hatelabo.jp/20170817200113

 

差別、裏を返せば平等の話だが

曖昧すぎるんだよ、どっかにまとまってないのかね?

 

日本人が最もしっくりくるのは「チャンスの平等

黒人からダメとか、女性からダメみたいなのを無くすこと

でも区別はするべきだよね、って言う人が多い

 

これがもっと行くと「人類みな同一」という思想になったり

マイノリティ保護するのが平等」という思想に走ったりする

 

最終的に行き着くのが「結果の平等

この前のGoogleの話とかがこれ

国会議員の数を男女同数にしろみたいなのもこれ

 

差別は悪」と言った時に、どれが差別に当たるのかでここまで差がある

定義全然ガバガバから、話がまとまらないし、くだらないなーと思うんだけど

アメリカなんかでは国レベル暴走してたり、逆に揺り戻しが起こってたりする

 

結局平等だなんだ言ったところで、現代においてはその殆ど弱者自己利権を高めようとしてるだけなので

現代において差別云々って語りづらいんだよね

藪蛇というかなんというか、喩えるならウヨサヨ論争、ゲハ論争、エロ規制論争よりも無為に感じる

あーくだらない

差別心を持ちながら、差別糾弾するのは間違いなく詭弁だよね。

詭弁だけどそれでも言うしかないんや」って所まで認められて、少なくともやっと"正常な現代人"かなって思うけど。

どーなんですか?「わたくしのは詭弁じゃない!」なんて常軌を逸した詭弁マン居る~?

2017-08-17

砂の惑星」の端っこのドロドロ(消滅済み)

または砂の惑星に関するわずかな気に入らなさと、それがひょんなことから消滅したという、徹頭徹尾勝手な一視聴者のおはなし。


最近ネット上で砂の惑星云々という話を見かけ、はてデューンがどうしたのか(リンチホドロフスキー原作?)、と思ったらボカロ曲だった。

[niconico:sm31606995]

増田ってはてな記法ニコニコ記法ダメでしたっけ?一応直URL

http://www.nicovideo.jp/watch/sm31606995

そもそも私はここ数年ずっとニコニコ動画から離れており、なんとなく退会していなかったなー、というレベルだった。また当時から自分自身ボカロ創作DTMをやったことは一度もない、ただのイナゴめいた消費者である。そういうわけで、砂の惑星キャッチするのもこのように出遅れたわけだが、一度聴いてはしばらく延々ローテしていた。

エントリでは別に砂の惑星に関する解釈は扱わない。ただ聴いていて一箇所、「メルトショックで生まれ生命」というくだりに引っかかるものがあった、という話がしたい。また先に結論を書いてしまうが、下記リンクインタビューを読んでたらその引っかかりがなくなっちゃった、という話でもある。

http://natalie.mu/music/pp/hachi_ryo

なんのことだ具体的に、と言われると、まあボカロ曲メルト」に関する揉め事の話だ。当時を覚えている方なら「ああその件か」「今更その話をするのか」と一発で分かるし呆れるだろう。作り手側でない私が書く権利もないのだが、どうかご容赦を。

(ルシフェル指パッチン)老害チックな話をしよう。あれは9年…いや10年前の話だ。当時ニコニコ動画ボーカロイド初音ミクの来訪に沸いていた。私もその場に居合わせていた。つまり、「メルトショックで生命が生まれる前に」初音ミクと会っていた。

メルトショックとは…いや、別にここで長々と書く必要はないのか。知らない方は、丸投げになってしまうが、ニコニコ大百科で「初音ミク」「メルト」「メルトショック」を引いて見てほしい。

しかし、あの時の燃え上がり方というか、燃えていた側の感情はどう表現すればいいのだろう。実のところあれは「解釈違い」に近い感覚だったようにも思う。ボカロキャラクターであり、自分自身について歌うのがメジャーだった(という意識があった)。そこにそうではない曲がやってきて流行した。そこの不気味さと、不気味だと勝手に感じてしま偏見さは説明が難しい。

またメルトショックには、歌ってみた流行も大きな要素としてある。メルト自体流行することがショックだった、流行の中に歌ってみたが入っていた。分かりづらいがメルトショックはそのような二重構造だった。本エントリ後者関係ないが…と最初は思ったのだが、冷静に考えるとあるかもしれない。メルト歌ってみた勢に(それまで以上に)好評を博す要素があった。それ以前の曲は(メルトほど極端なレベルでは)なかった。その要素とは、恐らくは前述した不気味さのことである

まりこういうことだ。1000年草も生えない砂の惑星には違和感がある。こちらとしては1001年草が生えてなかったイメージなのだ。…もちろんこれは悪質な冗談だし、言い過ぎだし、事実ではないし、あと1年は長過ぎなんだが(3ヶ月ぐらい?)。

また流石に「メルト以降こそが枯らしておいて、今更砂まみれとは、まさしく草も生えないわい!!」とも言わない。そこまで歴史修正する気は流石にない。流石に。流石ですお兄様(殴)。それでも違和感がある、と言ってしまうのは、まあまあ私の性根が捻じ曲がっているせいであり(というより私一人が勝手に言っているだけであり)、いかなる創作者・消費者責任でもない。

その違和感が、上記URLインタビューを読んで消えたのだ。理由は…自分でもよく分からない。

不当な理由勝手逆恨みしておいて、意味不明理由勝手に許すとは何様だ手前、しかも許すって上から目線でよぉ、と怒られればもう平身低頭するしかない。あと一番申し訳ないのは、曲そのものではなく、関連する別情報を知ったことによって感想が変わるというなんか現代芸術みたいなダサい真似をしてしまったことである。これ本当にすみません(ハイコンテクストっていうんだっけ)。曲(動画)の話は曲を聴く(見る)ことのみで語れよってね…。

一つ考えられるとすれば、これはある意味人種的かつ気分的な問題だったのかもしれない。めちゃくちゃ頭のおかしい話なのだが、メルトという曲に罪はなく、作った側と受け入れている側の気持ちがよく分からない、的な。ここで側、側、と言っているのは、つまりそれまでのボカロ「層」とは違うんじゃないか、という偏見があったということなのだ。「クズたちの受け皿として機能していた」。その皿に以前は何が入っていただろうという。居場所がないというと言い過ぎだが、ボカロボカロオタクのものだった。そこにメルトである。居場所のないヤツらAの居場所に居場所のないヤツらBがやってきて、同じ穴の中でムジナが金網デスマッチというイメージ別にボカロボカロオタのもんじゃねーとか、こういう人種イメージ自体が誤解だとか間違いだという正論は、実はあまり重要ではなく、デスマッチ存在こそが大事だった。もちろん、インタビューを読んだだけでその間違いを訂正するのもそこそこ下品申し訳ないのだが。作った人がどういう人だったのか、10年弱も経ってようやくわかったわけだ。これは向こうも居場所のない弱者っぽいか安心した、という意味では決してない。ムジナ穴の取り合いにおいては相手の強弱などどうでもよく、相手がいることそのもの重要なのに、相手の顔をよく知らなかった(また、たかが知る・知らないの差だけで問題解決した気になってしまう)ことが問題なのだ

ところで、ニコ動全面の砂漠化についてはよく分からない。パンツレスリングが大量削除されて淫夢が台頭し始めたのは覚えてるが。衰退したとかなんとか聞くが、黎明期の未成熟時代、まるでシリア民兵でっち上げ鉄板シマテクニカルのような状態を見てきた老害にとっては「ニコ動に一体何を期待しているのか」「無残さこそニコ動よ」という底意地の腐った感覚もなくはない。いやIFの改悪とかは当時からあったし流石に嫌だったが…。なんとなく、生放送と超会議をやり始めた(ことを重視する価値観シフトした)のが悪いきっかけだったような印象があるのだが、まあこれも無根拠世代差別なのであろう。

これから砂の惑星にどんな植物が生えるのかは分からない。生えた植物が我々や向こう(あえて主語を大きくしてみた)に都合の良い植物かもわからない。トリフィドビオランテかもしれないし、最新のゴジラかもしれない。違う惑星に生えて、結局ニコ動砂漠のままかもしれない。

ただ、全く生えない、ということはないような気がするのだ。



余談

砂の惑星MV、途中で座ってる初音ミクの「あーかったりぃ…」って表情が素敵。

そもそもインターネットで気軽に集団組織化出来る現代において、真の意味での被差別者は既に存在しない

しろ集団組織化しようが無い、モブの如き一般人が実は真の被差別者である

任意保険かい格差を加速するだけの装置

任意保険のせいで

貧乏人→任意保険なんて無理

一般人A→任意保険入らない→事故→超貧乏人に進化

一般人B→任意保険に入る→保険に貯蓄を吸われた結果貧乏人に

金持ち保険かい期待値の低い負の宝くじなど不要金持ちけが得をする

という形になってるわけで

間違いなく格差は加速している

任意保険によって格差は加速している

自己責任論という現代の巨悪を利用した悪の商売

そもそも女の上方婚願望からすると

世界という名の未開地帯現代知識無双チーレムじゃあみたいなアレじゃダメだろう

(そんな偏見通りの作品がいくつあるのかは知らない)

https://anond.hatelabo.jp/20170817113738

とりあえず、水不足で直接的な侵略が起きるという発想がマンガ

石油不足時から現代に掛けてアラブ諸国がどうなったのかを見て、それと同じ事が日本でも起こりうる、というのならまだ多少説得力を感じる

また基本的には直接占領するより、金によって間接実質統治するのが本来ベターである

そこを鑑みれば、日本国内アラブと同じような、大国が裏で糸を引いた局地的紛争が起こる可能性はあるかも知れないが、この件で中国が直接的な侵略に及ぶ可能性は高いとは言えない


個人感では、それでも占領が起きるとしたら、単純に『列島線を恒久突破するという中国の長年の目標を達成するため』という1点が有力であり、現に中国はそれをアピールするために、現状においても空母列島線を突っ切って太平洋に出るデモを定期的に行っている

そして、上記要素による侵略経済バランスと言うより軍事バランスの変化によって現実身を帯びる

ここを鑑みると、むしろ中国経済的に安定している時は経済による間接統治を目指すだろうが、そこに(アメリカを怖がっている場合で無いほどの)著しい不安が生じた時に(国内の不満を払拭するために)一時的軍事拡大によって直接的侵略に及ぶ可能性が視野に入ると思える

臆病な祖母

ここ数日、祖父母の戦争体験を語るエントリが多くあったので私も思い出した。

こわがりな祖母が聞かせてくれた沖縄戦の話

祖母沖縄県中部農村に生まれた。物心つく頃には労働力として畑にかり出され、毎日サトウキビの世話をさせられたらしい。

毎日畑と学校と家の往復で忙しかったけれど、それなりに楽しい幼少期を過ごしたそうだ。

だが中学入学したあたりでそれまでの環境が一変した。

突然学校ウチナーグチ沖縄方言)を話すことを全面的禁止されたのだ。ウチナーグチ本土人間からすれば全く何を言ってるのか分からない未知の言語であるため、

こんなもの日本語と認めるわけにはいかん、正しい日本語を身につけさせお国に尽くす青少年を育成せよとのお達しが来たのだ。

日常会話の全てをウチナーグチに頼ってきた当時の子供たちはかなり戸惑ったそうだ。ウチナーグチポロっと出ただけで教師に襟首を掴まれ

ほかの生徒たちが見守る中で厳しい体罰を食らわされた。三度の飯よりお友達とのおしゃべりが大好きだった祖母もこれには相当参ったらしい。

祖母は本人曰く「とてもこわがりな性格」で、痛い思いをしておまけにみんなの前で恥をかかされることが本当に恐ろしかったんだそうだ。(ほとんど毎晩うっかり方言を喋ってしまいみんなの前で叩かれる悪夢にうなされるレベルで)

そんなこわがりな祖母一生懸命練った苦肉の策が「学校では必要最低限の返事しかしない」というもので、なんと「ハイ」「イイエ」「ドウモアリガトウ」の三語だけでどうにか一年乗り切ったというから驚いた。

しかしそんなしみったれ学校生活も長くは続かなかった。ついに米軍沖縄本島上陸する。

祖母家族とともに近所のお墓(沖縄のお墓はむちゃくちゃデカい。納骨のスペースが6畳くらいある)に逃げ込み、息をつめながら爆撃が早く止むようひたすら祈ったそうだ。

毎日「悪いようにはしない、県民大人しく投降せよ」という米兵のつたない日本語が遠くから聞こえてきたが、それだけはすまいというのが狭い墓で身を寄せ合う家族の総意だった。

米兵捕虜になれば男子死ぬまで肉体を酷使され、女子は野獣のごとき米兵に陵辱され、妊婦は腹を八つ裂きにされて殺されるという噂が流れていたかである

現在であれば噂の発生源を辿って真相を確かめ手段いくらでもあるが、当時は噂の真偽を確かめる術がなかったため、「米軍に捕まったら死ぬより恐ろしい目に遭う」という噂は共通認識となって島中に広がった。

毎日から何千発もの爆弾を投下し、無抵抗な島民を次々に殺戮する米兵の姿は噂の信憑性を補うのに十分だったことだろう。

ガマ(洞窟)や墓には日本兵も隠れていた。

米兵はまず、人が潜んでそうな場所を見つけると、外から拡声器を使って投降を呼びかける。

しばらく待っても返事がない場合手榴弾を投げるか、火炎放射器を使って中を丸焼きにする。わざわざ日本兵が潜伏しているかもしれない場所に入って危険をおかす必要はないというわけだ。

この方法で多くのガマに逃れた民間人が殺された。「こわがり」な祖母は、この火炎放射器がとにかく、とにかく恐ろしかったらしい。狭く蒸し暑い空間家族ごと炙り焼きにされる恐怖というのは、想像を絶する。

このまま墓にずっと身を潜めていてはいずれ火炎放射器で焼き殺される。かと言って捕まれ死ぬより恐ろしい目に遭う。自決が一番マシな選択に思えた。

米兵が墓の前まで来たら自決しよう」家族は話し合って決めた。

何日か経ってとうとう米兵が墓の付近うろつきはじめた。

ここから驚愕の展開なのだが、なんと祖母は「おーい!」と叫んで外の米兵に助けを求めたそうである

死ぬ覚悟はとうに出来てたはずなのに、なんであの場で声を上げたのか自分でも皆目分からないけれど、強いて言うなら「土壇場で死ぬのが怖くなった」らしい。

もうほとんど無意識だったに違いない。頭が真っ白になって、気付いたら家族と一緒に米軍バンに乗せられていたらしい。

祖母が声を上げたおかげで結果的家族自決を免れたわけで、収容所でしばらく荷物運びやら農作業やらやってるうちに気づいたらなんか終戦を迎えていたらしいのだ。

このへんは祖母も笑い話として語っていた。「私がこわがりだったお陰であんたたちがここにいるんだ」とコロコロ可笑しそうに笑っていた。

私も家族と大爆笑したものだが、歳をとるにつれ、祖母は本当にこわがりだったのかと疑問に思うようになった。

真っ暗な墓の中で凄絶な選択を迫られて、それでも尚土壇場で生にしがみつくことが出来るだろうか。

祖母が亡くなって10年余。この時期になると、毎年こわがりな祖母勇気を思う。

※補足※

ブコメで以下のようなご指摘を頂戴しました。

>些細なことだし、現代の人にわかやすいように書いたのかと思うが、次の箇所気になる。>だが中学入学したあたりでそれまでの環境が一変した。

ご指摘されて初めて気がつきました。詳細を失念していて申し訳ないのですが、当時の年齢を現代義務教育と照らして分かりやすいように祖母説明してくれたのだと思います

紛らわしくて申し訳ございません。ご指摘ありがとうございました。

現代における二台癌 老人と外人

最近やたら外人を目にする

都会とかじゃなくても普通にいる

ブラジル人タイ人中国人アジア系が多い

凄く不愉快だし邪魔

マナーがなってない

うるさい

くさい

街の治安が悪くなる

排斥して欲しい

この不況の折企業にとっては低賃金で雇えて便利なんだろうけど

日本のことを考えたら害でしか無い

少子化が加速する中この外人問題は今後大きな社会問題となっていくのはもう間違いがない

今のうちに手を打たないと手遅れになる

外人は魚や昆虫外来種と同じ

人間生態系破壊する害獣しか無い


それと外人がはびこることでそれに合わせて日本人賃金も下げられていく

雇用もなくなっていく

企業外人を利用し必ずそれをやってくる

フランスアメリカでも大きな問題になっている移民問題

外人最初低姿勢だがそのうちずうずうしく権利ばかり主張してくるようになる

これは間違いがない

日本人は優しくて人がいいので必ず外人に食われる

島国ガラパゴスなのでこういう外来種対応に慣れていない

愛で接すれば必ず愛で返してくれるはず

とか本気で思っているお人好しばかり

そんな理屈はやつらには通用しない

から攘夷排斥運動外人排除しないととんでもないことになる



それともう一つ最近目立つのが老人の害

動きがのろいし要領悪いし邪魔しか無い

特にスーパーとかお店で並んでるととんでもなく邪魔

時間いくらあっても足りない


しかし、これはいずれ自分もそうなるので百歩譲って目をつむったとして

最近多いのが逆ギレする老人

あるいは態度がでかい老人

マナーがなってない老人

これがやたら多い

自分がどれだけ周りに迷惑をかけているかなんか全く考慮せず自分本位

何か注意されると逆ギレ

自分のことは棚において文句だけはいっちょまえ

ありえない

こういうやつに限って身なりが汚いしみすぼらしい

ホームレスかと思うような身だしなみ

この種の癌も今後加速度的に増えていく

何か対策を考えておかないと地域破壊する

けもフレって結局のところ3話(こうざん)、5話(こはん)、6話(へいげん)、7話(じゃぱりとしょかん)であって他は惰性で見てるだけだよね

無知蒙昧な集団に対して知性をもって問題解決を働きかけるって構図を面白がってるだけでしょ

現代技術過去に持って行って無双する系統お話と根っこは同じだよね

※2話(じゃんぐるちほー)の解法はフレンズ身体能力ありきなので快感が薄い

https://anond.hatelabo.jp/20170817015629

本音と建前じゃなくて「基本的には現代的な父親のほうがいいと思ってるけど自分の頑固な父親のことを思い出すともしかしたらああいうほうがいいのかもしれないと思い迷ってしまう」という微妙な感じな。

2017-08-16

牛乳石鹸CMバッシングしている人は、もう少し考えてほしい。

http://b.hatena.ne.jp/entry/zuisho.hatenadiary.jp/entry/2017/08/16/015649

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20170816113637

 

ブコメ含め、脊髄反射バッシングしている人があまりにも多すぎる。

CM主人公には問題があるが、CMのもの問題があるとは思えない。

 

まず、CM主人公は、現代価値観からして屑だと言われても仕方がない。

ただ、あのCM意見広告ではない。

例えば、公共広告機構がああいったCMを流して炎上するのならまだ理解できる。

しかし、あのCM牛乳石鹸という商品CMだ。

あのCMが訴えたいことは、牛乳石鹸価値の不変性という点に尽きるのではないか

 

まり父親の与えるもの時代によって変化するが、

牛乳石鹸の与えるものは全く変化していないのだということを訴えたいのではないか

そのような視点で見れば、主人公いかに屑かということは、まったく本質的問題ではない。

昭和の頑固親父という存在は、かつては確かに価値があるように思われた。

しかし、現代の家庭にあの頑固親父の価値を持ち込もうとすれば、ご覧の通り、ただの屑だ。

一方、牛乳石鹸という存在価値は、あらゆるもの価値が変化してしまった今の時代も変わらない。

 

失われた価値葛藤を抱えていた屑の主人公だが、

浴室で牛乳石鹸を使っていた過去を回想し、変わらない価値もあることに気付く。

浴室から出てきた主人公は、少しばかり成長し「さっきはごめんね」と妻に謝罪する。

そして最後バスのシーンでも、以前よりも穏やかな表情で窓の外を眺めるようになっている。

そういった変わらない価値に触れた主人公内面的成長を描いたCMではないか

 

CM意味が読み取れないかバッシングすることは論外だが、

制作者の意図が読み取れないかバッシングすることにも疑問を感じざるを得ない。

今回の炎上によって、このCMが葬り去られるという流れになってしまったならば、

CM制作だけに留まらず、表現の自由にも悪影響を及ぼすことになるだろう。

キャッチーCMばかりになってしまうのは少し寂しい。

牛乳石鹸CM普通に心動かされて牛乳石鹸買いたくなったけど?

30代前半、妻と2児を持つサラリーマンです。このブログもあのブログもそのブコメも結局のところこのCMダメだという烙印を押してるんだけど、自分には普通に刺さったしあまりに温度差を感じたので少し書きます

http://b.hatena.ne.jp/entry/pokonan.hatenablog.com/entry/2017/08/15/194731

http://b.hatena.ne.jp/entry/zuisho.hatenadiary.jp/entry/2017/08/16/015649

自分父親と、そうなれていない自分比較して、葛藤というか悶々として、小さな一念発起(家より後輩を優先する)が見事に裏目に出て、あーあって色々嫌になって風呂入ってさっぱりしてまあいっかってなって、妻にごめんねして息子とも仲直りする。翌朝少しすっきりして(たぶん葛藤に対して大した結論は出てないけど風呂入ってさっぱりしてまあいっかって一時的になってる)また日常

いいじゃん。こんなこともあるよね。自分にも身に覚えがあるような気がするし、感情移入して見れたのが大きいことは認める。

id:wacok いや、そもそも映像作法おかしいのでテーマが読み取れない作りになってるのがまずい。笑いながら怒っている人を見ているような居心地の悪さがある。読み取れる人はかなり主観補正を入れてるはず

>「読み取れる人はかなり主観補正を入れてるはず」という点は上に書いたように同意。でもそういう主観補正を入れられる人って一定数いるんじゃないかと思うし、製作者サイドもそう思ったんじゃないかな。

id:iiiloveuuu07 しかも朝の場面で妻がスーツ着てるから共働きの設定なんだと思うんだけど、なんであの夫はゴミ出しするのとか子ども誕生日ケーキ買ってきてって言われたくらいであんなに恨みがましい目をしてるの…??

>「・・・って言われたくらいであんなに恨みがましい目をしてるの…??」恨みがましいんじゃなくて冒頭の葛藤とか悶々としている様子を表しているだけだと思う。ゴミ出しとか誕生日ケーキとかはそのことと何の因果関係もない。

id:ryun_ryun 「結局何も洗い流せていない」これに尽きるから大失敗でいいと思う。

>(多少は)洗い流せたから(多少は)晴れやかな顔になってるよね。

id:akirafukuoka 企業の主張は自由でも、旧来の家父長制的価値観肯定する、しか石鹸メーカーがというのはかなり信じがたい。どうせこのお父さん自分石鹸買わないでしょ?その人におもねって意味あります???

>「家父長制的価値観肯定別に肯定してないでしょ。その価値観現代の家庭を大事にする父親という価値観の間で揺れ動いていることを表現しているだけ。

「どうせこのお父さん自分石鹸買わないでしょ?」妻と買い物行ったりネット通販するときに「石鹸切れたけど次何にする?」って聞かれるんだよ妻に。その時にこのCMを見てたら心のどこかに引っかかってて「牛乳石鹸」て言うよ。俺にはそういう形で刺さったよ。

うじうじした男のうじうじした物語だってのはそうなんだろうけど、そういううじうじって結構あるんじゃないの?推奨されるもんじゃないけど。

はてな民に読解力がなさすぎる人が多くて怖い

この話なんですが。

id:pokonan

牛乳石鹸ウェブCM意味不明すぎて怖い - 田舎底辺暮らし

http://pokonan.hatenablog.com/entry/2017/08/15/194731

電通からんいるからって自分たちが作ったバイアスに囚われすぎてる。

物事を関連から切り離して評価できない、バランス感覚崩壊してる人が多すぎる。


id:uturogi_soy

嫌なことを洗い流してリセットしようって作製意図は良いと思うけど 家族を嫌なこと扱いしてしまったら、ただの悲しい話じゃないか

id:coopanda

バージョンもつくって欲しい。あの後、夫への苛立ちを洗い流す。

id:inuinuman

父親にとって家庭内イベントは、仕事と比べたら意味不明なんですよ。子どもが産まれ父親になっても仕事と家庭を同等には考えられない。洗い流したいのはその頭の中だよね〜[]

洗い流したいのは煩わしい家族ではなく自身葛藤ということが理解できないかなあ。


id:akirafukuoka

企業の主張は自由でも、旧来の家父長制的価値観肯定する、しか石鹸メーカーがというのはかなり信じがたい。どうせこのお父さん自分石鹸買わないでしょ?その人におもねって意味あります???🤔🤔🤔

映像最後では自身現代の良い父親像)を肯定しているから旧来の家父長制度否定しています。(相変わらずゴミ捨てをしているのがその示唆


id:natu3kan

定時に帰れない仕事漬けの人が、家族サービスから開放されたいって思う気持ちが見え隠れして、電通中の人気持ちが少しわかった気がする。仕事ストレスが重すぎて、家族すら重荷になる過重労働問題だよなあ。

id:zuna

我が国根本的な家庭観を鮮やかに可視化してくれてる良い教材。男は家事育児を"手伝う""やってやってる"で家庭持ちも自分時間は全部自分のもの。これこそ働く母が戦ってる最凶の敵。つか新井浩文無駄遣いヤメロ

主人公家族サービス家事育児から開放されたいとは思っていない「与えられているのかな?」って言ってるから息子にとってより良い父親になろうと思っているだけ。


正しい理解ができているのは少数。

id:kikinight

テーマ葛藤文学的CMだと思う。含みもあるし。良い父親ではないが、自分の在り方を探しているということを表現してるのでは? まあ、そもそもシチュエーション石鹸と結び付かないのは問題だが。

id:fu-wa

居酒屋は叱られた後輩を励ますため。「わが子の誕生日から後輩ほっとく先輩でいいのかという葛藤」はそのまま親父像とは?という自らへの問いに繋がる。風呂グローブ。いろんな表象が重なりうまく表現されてる。

id:toshi20

意味不明ではない。これは父親反面教師普段いいパパやってる男が何かのきっかけで迷って、価値観にゆらぎが出てるだけの話でしょ。ダメな迷いを洗い流して謝ってもう一度やり直す話じゃんか。皆、曲解が過ぎる

id:znd

「親父が与えてくれたもの俺は与えられているのかな」っていうセリフから自身父親像に迷い昔ながらの父親を演じてみたが自分には合わない。迷いを洗い流そう。今の自分肯定しよう。という意味だと思うよ。


みんな冒頭に説明が書いてあるの読んでないのでしょうか?

父と子の絆。

とある男のなんでもない1日の物語

気質で頑固な父親に育てられ、

反面教師にすることで今の幸せを手にした彼。

家族思いの優しいパパ」。

でも、このままでいいのだろうか。ふとそんな疑問を抱く。

それでも、お風呂に入り、リセットし、自分肯定して、

また明日へ向かっていく。


この解釈は好きwセンスありますね。

id:dusttrail

奥さんも子供旦那以外の人といるシーンがないし電話も人前で出ないし、多分奥さんも子供も死んでるんだと思う。全部旦那の見てる幻で、去年の息子の誕生日ケーキ買って帰ったら死んでたんだと思う。


電通社員炎上狙いをしているかどうかは知らない。そんな戦略まではこの映像からは読み取れない。どう推測しても邪推だ。

そして、このCM広告として優れているかも知らない。

あくまでも関連から切り離し映像作品単体を解釈した話。

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