はてなキーワード: シフトとは
親友が自殺未遂した。多分本気で死ぬつもりで、遺書も、自宅の整理もすべて揃っていた。消化しきれないので、フェイクを混ぜながら書いていく。
親友は職場で出会った後輩。歳は1つ下。元気で活発で、仕事も全力投球!みたいな女の子。
シフト制の仕事なので毎日会える訳では無いが、休みが合えば必ず会っていたし、旅行にも頻繁に行った。休みでなくても仕事終わりに銭湯に行ったり、食事に行ったり、互いの家でゲームをしたり、ずっと一緒にいた。
出会って数年になるが、お互いが無くてはならない存在になっていた。
ボーナス後に奮発して、露天風呂付客室に泊まったことがあった。温泉好きなのでもちろん2人して大興奮。夜中、露天風呂にお湯を張って、小さな声でお互いがいかに大切か語り合った。以前、友達を好きすぎるあまり、その相手に避けられてしまったことがあるのだと涙声で明かされた。私も好きだから大丈夫、と言うと、親友は、じゃあおばあちゃんになるまでこうやって遊んでようね、と。
親友が自殺行為をしたつい1週間前にも旅行(登山)に行っていた。2人とも計画性がないので、途中で道を誤って山頂にはたどり着けなかったが、その過程すら楽しくて2人でゲラゲラ笑って下山した。汗だくで銭湯に向かい、また行こうねと笑っていた顔を思い出す。今度はちゃんと調べて、次休みが合えばリベンジしようと約束した。
その1週間後。早く職場に着いた私は、癖で自分のデスクの引き出しを開けると、見慣れた字のメモ書きが入っていた。
『○時までに来なかったら読んでね』
自殺をしたこと、場所、警察や家族に連絡を取って欲しいことなどが書かれていた。
時が止まったかと思った。あいつがそんなことするはずがないと。とにかく○時まで待たなくては。あいつはいつも通り仕事に来るはずだ。
親友は来なかった。メモ書きに書かれていた通り、家族に連絡を取った。実家にも招待されたことがあって、家族とも面識はあった。
母親が電話に出た。親友は昨夜実行前に、遠方の母親に電話したらしい。様子がおかしかったので母親から通報、すでに搬送先の病院にいるとの事だった。
一命を取り留めたと聞いて、心底安堵した。でも後遺症が残ったら?体が動かなかったら?それでも私は親友さえ許すのであれば担いででもどこへでも連れていこうと思っていた。
一部の上司にのみ報告した。涙が堪えきれなくて早退を申し出たが、今日は人手が足りないから残ってくれと言われた。それでも耐えきれずに押し切ったら帰り際に上司に呼び止められて、ショックなのはみんな同じだよ、と笑われた。代わりにお前が死ねよと思った。
親友のアパートに向かった。鍵を開けているから入って、とメモにあったからだ。遺書があった。私宛にもメッセージが残っていた。大好きだ、楽しかった、と……じゃあなんで、と言いたくなった。
親友はそのまま精神病院に入院になった。携帯もパソコンも使えない環境を案じて、塗り絵やブロック、その他遊べるものを買っていった。手紙も添えた。公衆電話から連絡できるように、現金も預けた。面会はできないので看護師に手渡した。
まず、絶えず電話がかかってくるようになった。そして住所を聞かれ、手紙が送られてくるようになった。
私の差し入れが主治医の判断で没収されたこと、生活の不満、不安定な感情、いろんなものをぶつけられた。
それから、ほしい物を頼まれるようになった。あのおもちゃがほしい、あの漫画を持ってきて欲しい……私は律儀に答えていた。仕事終わりにでも買い物に行って届けていた。
親友の母親もひどくショックを受けていて、私に依存するようになった。娘との会話で少しでも気になることがあると、私に連絡してくるようになり、私は都度泣いている母親をなぐさめた。
だんだん眠れなくなってきた。家のことが手につかなくなってきた。食事もできなかった。
気力も体力も時間もお金も奪われていて、自分のことを出来る余裕が持てず、自宅はゴミであふれかえった。
それでも親友は私に連絡してくるし、手紙も寄越した。中には〇〇さんに渡しておいて、というものや、〇〇さんとの約束をキャンセルしておいて、というようなお願いもあった。
プライベートでも職場でも、退院後に馴染みやすいように出来るだけ気を使って、親友の事を聞かれても明るく答えるようにしていた。家族にも、(私)ちゃんに頼っていて申し訳ないけれど、遠方だからね……と言われた。誰かに相談するということは、自殺未遂をしたことも明かすことになるので、誰にも相談できなかった。
私を安心させようとしているのか、もう元気だよ、と手紙に書かれていた。眠れているし、食事も摂れている、医師や看護師にも相談できている。(私)ちゃんがくれた遊び道具も許可がおりて、楽しくすごしてるから、もう死にたいと思わないし心配しないでね、と。
私がこんなに気を張りつめて、食わず眠れずギリギリの体力でお前の要求に応えているのに。お前は黙っていても食事が出され、下げられ、身の回りの世話もしてもらえるのに。私は家族と疎遠で、お前には遠方でも心配して来てくれる家族がいるクセに。私は職場で1人減った分の穴埋めで休むなとプレッシャーを掛けられているのに。休職を申し出ても断られた。入院も休暇も困ると言われた。2人欠く訳にはいかないと。なんだ、先にやったもん勝ちじゃん、と思った。
そして、こんな短期間で、医師や看護師に相談できて、私や家族に心配されて、もう元気になるようなら、もう自殺しようなんて思わないなら、それは初めから大したことではなかったのではないかと思った。構って欲しかっただけなのではないか。なら初めからこんなことを起こすな。分かっている。そういうことではないのだと、分かってはいるのだけど。
こんなに負担をかけられて、ただ仕事に行って病院にいって帰って布団に入って寝ずに朝を迎えるような日々にされるくらいなら、初めから自殺が成功してくれていたほうがまだよかったのではないか。そしたらもう取り返しつかないことで、諦められたのに。
あんなに一緒だったのに、ずっと遊んでいようと誓い合ったのに、こんなことになってしまって。でも、親友は今も私を好きでいる。だから、むちゃくちゃにされてもう会いたくない気持ちと、好きでいてくれることに対しての罪悪感の間で揺れている。押しつぶされそうになっている。
もはや私が限界であることは、親友と同じことを起こさないと誰も心配してくれないのでは、という域に達している。
そして、退院後に私の死(或いは自殺未遂)を知って、永遠に消えない傷を付けてやろうと思っている。
あんなに好きだったのに。バランスが崩れたらあっという間。もはや恨みしかありません。
長々書いたけど読んでくれた人がいたならありがとう。
(追記)
そうだ、なぜこれを書こうと今日思い立ったのか。それを書くのを忘れていた。
今日は半年も前から楽しみにしていた、彼氏の職場関係の団体旅行だった。でもどうしても行く気になれなくて、ドタキャンしてしまって、いま1人で陰鬱と部屋にいるからだった。
私は何を楽しみに生きているのだろうか。
f(x)はxを与えるとxに応じた値が返って来る訳や。
二次関数でいうとf(x)=x^2の最小値はx=0のときf(0)=0やな。
ここでg(x)=f(x-2)=(x-2)^2を考えて、xを移動する前の関数f(x)が最小になるx=0を代入すると、g(0)=f(0-2)=(0-2)^2=4でg(x)の最小値(=f(x-2)の最小値)からずれる訳や。
じゃあg(x)が最小になるxはなんなのかというと、f(x-2)の括弧の中が0になる必要がある。だからx=2を代入したときg(x=2)=0で最小値になる訳や。(当たり前やんな?)
要するに、g(x)の移動する前の関数f(x)のx=aの値f(a)を与えるxは、x=aでなくてx=a+2にせなあかんねん。
朝
目が覚めた時すでに時計の針は6時を指していた
だがこうして目覚めることすら
なぜか今ではありがたい
言ってみれば薄汚い作業場だ
簡単に言うとまったくもって単純だった
だがそれでもそれが原因で工場は大混乱に陥った
まず原材料が届かなかった
工場長は冷静を装っていたが
誰もがその顔色を見てすでに不安を覚えた
数字の上では今日だけで3000個のパックを製造しなければならなかった
それもただの夢だ私の心臓はすでに速く打っている
どうにかしなければ午後のシフトに影響が出る
待つ間隣のラインで働く田中が何度も「これどうすんだよ!」と叫びながら
まったくどうしてこんなに毎回こういうことが起きるのだろう
もう何度も経験しているはずだ
私が日々耐えているのはこの絶え間ない不安定さだ
そしてついに届いた原材料
どうしてこんなに厄介なことが起きるのか
「本当にどうすればいいんだろう」
私は何度も呟いた
私の声が誰にも届かない工場の音が機械の音がすべてを圧倒していく
解決できない問題解決策が見つからない焦燥感が私を押しつぶしそうだ
そして昼食時
同僚たちと口を開くのが嫌だった
誰もが同じような愚痴を言い
また来週もこの繰り返しだろう
3つ目のトラブルは急に発生した
なんとか使えるようになったがトラブルの終わりが見えない
午後
製品はどうにか出荷できたが
それも全員が必死にやっている結果だ
結局私たちはどこへ向かっているのだろう
今日もまた何も解決していない机の上に積まれた書類を見るたびに
また明日が来る
誰かがまた何かを言う
私はその声にまた耳を貸すしかないのだろうか
ほんと、週末のスーパーって高くて頭にくるよね。確かに、最近の物価の上昇は厳しくて、なんだか家計が圧迫される。だが、ちょっと歴史を振り返ると、この「高い」という感覚は、決して新しいものではないんだよ。
例えば、19世紀の産業革命後、都市化が進み、労働者階級はその生活がどんどん厳しくなっていった。その時代の経済学者、アダム・スミスは「見えざる手」という言葉で市場経済のメカニズムを説明したけど、結果として富の集中が進んで、一般の人々の生活はどんどん困窮していったんだ。それと似たようなことが今、私たちの目の前でも起きてるんだよ。
現代のスーパーの価格設定も、ある意味「パワーカップル」や高所得者向けにシフトしていると感じる人が多いだろう。まさに、資本主義の縮図だよね。お金を持ってる人がもっとお金を得るシステム。確かに、この現実に心が痛むのも無理はない。でも、これはひとつの社会構造の一部に過ぎないんだ。
昔から「金持ちはますます金持ちになり、貧乏人はますます貧乏になる」というフレーズがあるけれど、これは皮肉なほどに現実を映している。かつて、フランス革命を起こしたロベスピエールも、貧困層の絶望を前にしてどうしようもない気持ちになっていただろうね。革命を経ても、結局、社会は完全には変わらない。新しい秩序のもとでまた別の不平等が生まれてしまう。哀愁を感じずにはいられない。
だから、君のその不満も当然だし、理解できる。でも、悲観してばかりもいられない。歴史を見ても、最も困難な時期を乗り越えたのは、少しずつでも諦めずに戦い続けた人々なんだ。家計の厳しさを嘆くよりも、どんな方法ででも少しでも生活を楽にする道を模索していくほうが、今の時代には求められてるんじゃないかな。
日産が広州モーターショーで発表したミッドサイズセダン「N7」。
一見すると中国市場での単なる新型EVだが、実はこれが日産の存亡を左右する重要な一手となる可能性が高い。
N7には、日本車では考えられないほど高性能な車載チップ「Qualcomm Snapdragon 8295」を搭載。これは現在の中国EV市場のトレンドに沿ったもので、N7が本気で中国市場を狙っていることの表れだ。
また、「ナビゲート・オン・オートパイロット」という高度な自動運転支援システムも搭載。これも中国の最新EVに引けを取らない機能で、日産が中国市場の要求に応えようとしている証左だ。
https://car-l.co.jp/2024/11/15/90192/
リストラ9,000人の発表をした日産。この苦境の理由は、日産の中国市場でのビジネスで近年苦戦を強いられているのが一因である。
日産の国別販売で、中国は主力。だが、かつて主力だったシルフィの販売台数は低迷し、収益性の高かったティアナやエクストレイルの販売も2022年頃から激減。
しかし、日産の主力EVであるアリアの中国での販売状況は壊滅的だ。中国では値下げを実施しても全く売れていない状況。なお、日本では逆に100万円ほど値上げしている。
https://ev-times.com/2024/07/04/25363
N7は性能面では他の人気中国EVと遜色ないスペックを持つ。しかし、従来の販売ネットワークでは売れない可能性が高い。中国の新興EVメーカーは斬新な販売手法を採用しており、日産もこれに追随する必要がある。
N7は日産にとって中国市場での巻き返しを図る最後のチャンスかもしれない。性能面では申し分ないが、販売戦略の抜本的な見直しなくしては成功は難しいだろう。日産の中国戦略の成否が、同社の今後を大きく左右することは間違いない。
結局いくらでかくなっても地域性、独禁法なんかで一社で世界シェア独占なんてまずない
その結果トップ数社で何十年もかけて低価格で売り続ける我慢大会が始まり、関連企業は疲弊する
例えば鉄鋼、中国がダンピングした結果世界中で大リストラ、中国企業も赤字でダメージ、日本欧米もリストラでダメージ
結果として中国の鋼材を締め出すことに 全員LOSER
自動車、トヨタがコストリーダーとしてダンピングを続けた結果、日本ドイツ以外の自動車メーカーが荒廃
結果怒ったEUがEVシフトしたら中国が新たな赤字ダンピング初めて 日欧米全員LOSER 中国も利益上がらずLOSER
EVというものの勢いが弱まったことでEVシフトを急がなかったことが正しかったという雰囲気になっているけれど、それもあまり正しくはない。
世界的に各国の車会社が、減益となっている中でテスラとBYDは増益となっている。
これはEVに対する投資がすでに先行2社ではほぼ済んでいていて、今は投資からの収穫期に入っているからだと分析されている。
日本勢などは、これから大量に投資していかなかればならない現状を考えると、決して安泰といい難いのは本当のところだ。
欧州勢、VWなどが歴史的な深刻な経営悪化にある中で、日本勢はまあまあやっているようにも見える。
しかし、それはVWが稼ぎ手として中国市場に深く依存していたことが主な原因である。
言うまでもなく中国はBYDのシェアの拡大が恐ろしい勢いで進んだことで外国勢は大幅にシェアを落としてしまった。
その影響がVWは最も大きかったということだ。
BYDをはじめとした中国勢が、日本の牙城である東南アジア圏へと進出していけば、大いなるダメージを与えられることだろう。
さらに、その他にも水素や代替エネルギーなどへの投資も休めるわけには行かない。
BYDなどは、EVにほぼ全フリしてる状態なので、そういう意味では簡単なのだ。
日本勢のように、全方位的な戦略を考えて投資を分散する必要がないのだから。
このへんの発想の転換というのも日本勢には必要なのかもしれない。
TOYOTAのような無限の体力があるならば全方位戦略も可能だ。
しかし、それ以外はどこに向かっていくのかいい加減決めるべきところだろう。
ホンダなどは潔く全部EVにする、そのために全フリする、だからF-1みたいな無駄なお金も使わない、
と華々しく発表した割には、あとからあとから、やっぱりちょっと考え直します、みたいな雰囲気が出てきている。
そういうことで果たしていいだろうか?
とりあえずはEVの勢いは減衰したけれど、自動車業界の変化はむしろこれからが本番だ。
そういう中で、どっちに向かっていくのか?状況を見ながら判断します、なんてことを言えるのはTOYOTAくらいだと思うんだけど。
いい店舗で働けてると思ってる。みんなイイ年してフリーターである自分に優しい。
まかないのラーメンが毎回同じ味で飽きることはないし、給料は近隣よりも僅かに高いくらいだし、シフトは融通が利くし、早くこのバイトから抜け出したいなんてこともない。
あれ、どうにかならんかな。お客様だからって、上から目線すぎるだろ。
★1を付けるやつって、どういう趣味してるんだ?これもカスタマーハラスメントということになるんじゃ?
ちょっとだけ例を挙げよう。新しげなやつを3つだけ。
なお、うちは濃い味のラーメンを出してる。地元では有名になりかけてる。
【クチコミ①】
★★★☆☆
家系。今時流行りのラーメン屋はごく稀に入店する。普段は老夫婦がやってるお店のラーメンを食べている。
● 味の濃さ
凄まじい濃さ。某有名ラーメン漫画でいうところの「ヒステリーな味」だ。ラーメン(特にスープ)は体に毒という情報は、若い方でもご存じと思われる。
ニュース番組で、毎日ラーメンを食べていたその道の評論家の人が若くしてお亡くなりになった~という報道が数年前にあった。
もし、週に何度もこういうお店のラーメンを食べると、冗談抜きで糖尿病・高脂血症その他の生活習慣病に罹患する。毎日利用したなら還暦前にお亡くなりになる。
機会があれば、冷えたラーメンを見てみよう。油脂が白く固まっている。まさに結晶。あれは分類上、一般ごみではなく産業廃棄物になる。
● 実際においしいのか
脱水症状とか、仕事でたくさん働いた後で~という留保を付けるなら、はっきりいっておいしい。凄まじい味の濃さで、そのうえ量が多い。若者向けだ。
スープが特濃なので、野菜と合わせると相性抜群である。個人的にはホウレンソウをベジファースト気味に食べるのが◎だった。
ただし、ほかのレビュアーもおっしゃっているが、アルバイト主体であるためか、日によって品質が異なる。これは、こちらの店に限らず、新進気鋭のチェーン店ではどこもそうである。あなただけが不幸なわけじゃない。
どうしてもハズレを引きたくなければ、近所にあるジョリーパスタかココイチに行こう。くら寿司とずんどう屋はダメである笑
● 最後に
繰り返すが、ラーメンと健康について。ラーメンは多くても2週間に1回に留めた方がいい。特に、私の隣でラーメン・肉・ご飯を貪っている若者を見て感じた。
若いうちはいいとか、そういうものではない。若くても生活習慣病になる。なってからでは遅いのだ。お米など炭水化物が食べられなくなってしまう。
スープまで完食すると、サービス券が出るようだが理解に苦しむ。なぜお客を病気へと導くサービスを行うのか?
(※廃棄スープを減らすため、あるいは心理学のコミットメント狙いと思われる)
地元民として、こういうやり方は歓迎できない。
こちらのチェーン店に限らず、今時風のラーメンの出汁は最後まで飲んではいけません。肉体が塩と油にまみれてしまいます。
イートイン
食事の種類
ディナー
1 人あたりの料金
¥1,000~2,000
食事: 3
サービス: 3
雰囲気: 3
やさいラーメン
【クチコミ②】
★★★☆☆
無料ライスもありがっつりいきたい人にもばっちりです。サイドには薬味類がありました。
私は今回ネギラーメン(醤油)を選びましたが、見た目豚骨?かと思いました。
食べると醤油なのですがw
18時までに注文すると麺の大盛りは無料サービスになるそうです。
麺は意外と長くなく箸で一口分に掬えるようになっていましたね。
ご飯にスープを浸して食べれば美味しそうですがその前にお腹いっぱいになり、辞めときました。
ただ、水を飲むときは氷と同時にでるためお代わりが欲しいときは切り替えがないので、氷のみが増えていきますので要注意です。
食事: 3
サービス: 4
雰囲気: 3
【クチコミ③】
★★☆☆☆
これまでここはラーメンちゃうと敬遠してきたが22日は550円で食べれると並んでみた。13:30に来店し20分で入店。15分待って着丼。見た目は味噌と醤油の区別つかん。まずは一口スープをぐびっと。ヌル!味噌、醤油ともに油呑んでるみたいで区別つかん。麺も食感なく最後まで塩っぱい油漬け麺の印象。スープも麺も一口で大盛り無料に後悔。初めて残しそうになった。若い人にはご飯お代わり自由だしご馳走かもね。
うちに限らずだが、このへんの飲食店のレビューって、★4★5が多数なんだが、あえて★1を付けるカスハラが多い。
なんていうか、Amazonのサクラ商品みたいに、レビュー分布の図が弓形に反りかえっている。
こういうのって、なんとかならないんだろうか。
Xの規約変更だとか、ウォーターマークとか、いろいろ目に入ってくるが結局の発端は「生成AI」だろう。
なのでここから先、どれだけ読んでもらっても「生成AIを滅ぼす方法」を求めている方のご期待には添えない。
これはあくまでも、絵師界隈で生計を立てていきたいが、生成AIが存在するこれから先の未来に不安を抱いている絵師に向けたものであり。
小説家界隈に住む私が、実際にイラストを勉強する過程で感じた二つの界隈の違いを言語化し、それを元に考察した一つの提言を届けたい。そういう趣旨のものだ。
これから先、イラストで食べていくことに不安があるのなら「オリジナルキャラクターを作れ」。
ただ単にオリジナルのイラストを量産せよ、という意味ではない。
あなたの頭の中にある「キャラクター」を絵という形で出力し、世間に認知させ、あなたではない第三者がそのキャラクターのイラストを描くようになることを目指す。という意味だ。
乱暴な言い方をするなら「絵を描かされる側から、絵を描かせる側にシフトすることを意識しろ」といった感じだろうか。
Vtuberのママ(キャラクターデザイン)を想像してみてほしい。
だいたいあんな感じの立ち位置が、私の想像力の範囲で今後も生き残っていける絵師の一つの形だと思っている。
なぜ、絵師はオリジナルキャラを作るべきなのか。その理屈を語る前に確認したい。
絵師界隈の方々は「同じクリエイターなのに、どうして小説家界隈はあんなにも生成AIに対する反応が薄いんだ?」と思ったことはないだろうか?
むしろ小説生成AIの方が、イラスト生成AIより先に世に出ているはずだ。
だが、実態として小説生成AIに対し、敵意や危機感を抱いている小説家は少数派だろう。
ではなぜ、小説家界隈が生成AIに対して他人事のようなスタンスになりがちなのか。
(以後、市場や、顧客、マネタイズシステム全てを包含した『社会』という主語を用いて記述する。)
そして、私が見るに絵師も小説家も、大多数がこの両界隈の違いに気づいていない。
その違いは
『社会』は小説家には「作品」を求め、絵師に対して「技術」を求めている。
この一点に尽きる。
誤解を恐れずに言えば、『社会』は絵師に対してほとんどの場合「作品」を求めていない。
絵師界隈のトップレベルの方々は、おそらくこの違いを認識しているように見受けられるが、逆にトップクラス以外の領域では認識していない人の方が多数派。というのが私の所感だ。
(一方で小説家界隈はトップクラス層もこの違いを認識していない人の方が多数派だと思っている。というか、クリエイターは全業界で「作品」重視で活動していると認識してそうな気がする。)
この違いがどういうことか、わかりやすい事例をあげよう。
例えば、ある無名の絵師がイラストコンクールで最優秀に輝いたとしよう。
その絵師は名声と得て、イラストの依頼が殺到するかもしれないし、あるいは協賛企業から何かしらの商業イラストを描く契約を結ぶかもしれない。
だが、肝心の『最優秀賞に輝いた絵』そのものがマネタイズの中心にはならないと思う。
あってせいぜい、短期的な限定グッズのデザインになる程度のはず。
おそらく絵師側も最初から「その絵」で稼ごうとは思っていないはずだ。
だが、小説界隈は違う。
企業も、小説家本人も、基本的には「その小説」で稼ごうとする。
2003年にスニーカー大賞に選ばれた『涼宮ハルヒの憂鬱』は、2024年現在も市場に流通し続けているのが代表的な事例だ。
受賞した作品を脇に置いて、その出版社の編集が提案した全く別の小説を書かせる。というのは無いとは言わないが、そういう流れになると小説家側からはあまりいい印象は持たれないだろう。
つまり、同じ賞レースでも絵師界隈は「技術を持った人」を探し、小説界隈では「作品」を探している。というのがなんとなく伝わったはずだ。
「金を出すから自分の代わりに理想の絵を描いてくれ」が絵師と『社会』の関係の主流で
「印刷、流通を代わりにするから、その売り上げの一部をわけてくれ」が小説家と『社会』の関係の主流なのだ。)
つまり、『社会』が絵師に求めているのは代筆能力という「技術」であり、「作品」は依頼者の頭の中にある物を指すのだ。
さて、ここまでで絵は「技術」が求められ、小説は「作品」が求められている、というのは理解してもらえたと思う。
ここで一旦、生成AIの話に戻そう。
『現行の(少なくとも日本国の)著作権法は「作品」を保護してくれているから』に他ならない。
また一つ具体的な事例を挙げよう。
かつて、「ハリーポッター」シリーズを学習したAIにオリジナルの「ハリーポッター」シリーズの新作を書かせる。という試みが海外で行われたことがある。悪意ある第三者がこれと同じことをしたとしよう。
もしその第三者が「ハリーポッターシリーズの新作」と銘打ってソレを売り出せば、著作権法は容赦なくこの第三者を断罪する。
では、それを避けるためにキャラクターの名前をオリジナルに変え、タイトルもオリジナルのものに変えて販売したならどうか。
ソレは「よく似た別の作品」の一つになり下がるだけだ。
書いたのがAIであろうと、人間であろうと重要視されるのは「作品」だから、そこの模倣がされない限りは脅威になりえない。というのが小説界隈の人が意識的にしろ、無意識的にしろ生成AIに対して抱いている感情だろう。
むしろ、広く開かれて文化の発展に寄与するべき。というのが基本スタンスだ。
「技術」をお金にしている絵師界隈からすればたまったものではないだろうが、これが実情だ。
「技術」の保護に舵を切るなら、それは著作権法ではなく特許法の領分になるが、特許の理念は「知財でビジネスを支援すること」なので、おそらく企業と繋がりのないアマチュア絵師は生成AIユーザー以上に苦しむことになると思う。
これまでの話を統括すると
・現代の絵師は「技術」を求められ、肝心の「作品」は依頼者の頭の中にある。
・現行の著作権法はその「技術」を保護していないし、「技術」の保護はアマチュアに優しくない。
これから先、代筆家として誰かのために絵を描くという「技術」を売る領域は生成AIに食い荒らされるだろう。
そんな未来でも絵師として生き残りたいのなら、依頼者の頭の中にある「作品」ではなく、あなたの頭の中にある「作品」を生み出すことを考えるのが良いのではないか。
という話だ。
企業依頼でPRキャラを描くという現行の関係性から、企業が「自社製品をあなたのオリキャラに使わせてください」みたいな関係になるのが、そこそこいい感じの未来予想図だと思わないだろうか?
仮に企業がお金をケチって生成AIでそのオリキャラを勝手に使えば、容赦なく著作権法で断罪できる関係性になる。
(他に思いつくのは、大昔のゴッホだ、フェルメールだの時代のように一枚一枚の絵そのものを「作品」として『社会』に売りつけて生計を立てる道。あるいは自分自身を「作品」にしてパトロンから庇護を受けて好きに絵を描く道、あたりか。現代で言えば、前者は同人誌即売会でイラスト集を売っている人たちで、後者はお絵描き系配信者としてファンの投げ銭で生計を立てつつ、絵を描いている人達だろうか。)
逆に、このことに気づかず、「技術」を守ることに執心し続けると、どこかでとんでもないことになるのではないか。私はそう思っている。
絵師界隈で育った人達は気づいていないかもしれないが、小説家界隈で育った私から見て、あなた達が確立している「技術の体系化と共有」の文化は素晴らしいものなのだ。
YouTubeでは多くの絵師がプロアマ問わず、自らの技法を公開しているし、有償の場になれば更に本格的かつ専門的な技術を共有しあっている。
おそらく『社会』が絵師に「技術」を求めていたからこそ、惜しげもなく場と資産を提供していたことで出来あがった土壌だろう。
無数の技術が公開されているから、その中で自分好みのものを取捨選択し、組み合わせることで理想の個性を形成できる。
私のような「最初から絵のプロになる気が無い人間」にも成長の手順が提示されているのは、非情にありがたかった。
ここからは、若干小説界隈のネガティブな内容に触れるのだが、ご了承いただきたい。
(しかも生産性がない話なので、絵師界隈の方はここから先を無理に読む必要はない。
ただ、この先の話を読んでくれた絵師から、こういう界隈の中で私はどうやっていくと良いか、そういう意見を貰えたら嬉しい。)
例えば炎の熱さを表現するにあたり、絵ならば「暖色の与える印象の理論」だとか「ぼかしによる蜃気楼の技術」といったものがあり、ある程度体系化、共有された技術があるはずだ。
だが、小説家界隈ではそういった表現技術を「作家の個性」として、共有せずに個人のものへと抱え込む道に発展してきた。発展してしまった。
我々は百の作家がいれば、百人が別々の言葉で炎を描写し、実際にどれが最も読者に熱さを感じさせられる表現だったのかを検証しなかったのだ。
我々小説家は今日も、読者が本当に熱を感じてくれるのかわからずに炎を描いているし、可愛さがちゃんと伝わっているかわからずに美少女を描いている。
「技術」を体系化しなかった、というのはつまりこういうことだ。
では「技術」を語らない小説家界隈が新人達に何を語っているのか。
それは「作品の作り方」だ。
現在、小説家界隈で新人達に向けて語られているのはおおよそ上記の要素であり、それらをまとめると「作品の作り方」となると思う。
これもまた絵に例えるなら
「ラフ、下書き、清書の順番で書くと良い」とか、「線画と塗りは別レイヤーに分けたほうが良い」とか、そういうレベルの内容だと思ってくれていい。
それを十数年以上、場所を変え人を変えこんこんと語り続けている。
SNSで無数の新人作家たちに向けて情報発信をしている高名な小説家達も
「自分達が教えられるのはいわば『就活の履歴書の正しい書き方』だけだ。その内容は個々人で書くしかない」
みたいなことを常々言っている。
(で、まあ「特定の効果を与える技術」ではなく「作品を作品たらしめる作法」という名目なもんだから「not for me」の概念が適応されにくく、「正しい」「間違い」で定期的に燃えている。)
つまり、小説家界隈は「作品を完成させる」ことを教えることが主流であり、その質を技術によって高めることには非常に無頓着なのだ。
私の推測だが、これは絵とは逆方向の『社会』からの圧力と発展によるものだろう。
絵師には「技術」を求める以上、まぐれではダメだ。再現性がなければお金にはならない。
極論だが、出来が良ければまぐれでもお金にできる。そのまぐれの一つを拾い上げて市場に売り出せばいい。
だから『社会』はできるだけ多くの「作品」が出来上がる環境作りを自然と行ったのだろう。
「作家を作る」ことは頑張るが、「作家を育てる」ことはしない。
「プロになるつもりはないが、もっと上手くなりたい」という人間に対しても、絵師界隈の先達は「技術」を提供し、成長の道筋を照らしてくれる。
だが、小説家界隈では「プロになる気がないのなら、あなたの好きに書けばいい」の一言で終わる。
私のような無才な人間からすると、暗闇を手探りで歩くような感覚だった。
まあ、小説家界隈が無才に厳しいだけなら良いのだが、最近この界隈の「作品重視」の傾向が業界全体の問題として表面化してきているように思う。
その問題とは、端的に言うと「作品が増えすぎた」ということだ。
「小説家になろう」では毎年開かれているネット小説大賞という賞レースがある。
2013年に開かれた第一回では応募作は「1,135作品」だった。
これが五年後の第六回では応募作はほぼ10倍の「10,156作品」になった。
そして、今年の第十二回に応募された作品は「20,826作品」と、その数は恐るべきペースで増えている。
一般の新人賞公募と違って、小説投稿サイト主催の賞レースは過去に落選した作品も全て再応募する作者は少なくないからだ。なのでおそらく「作家」の増加数はこれほど極端ではないと思う。
だが、この仕組みと過去作を再応募し続ける風潮こそ、小説家界隈が「技術」を軽視していることの証左であり、問題の根源だ。
賞レースの選考員は一万以上の無数の石の中に隠れた玉を探すわけだが、さっきも言ったように、ネット小説の賞レースは過去に落選した作品も継続して応募されている。
つまり、玉と石の比率が一定ではない。拾い上げられた玉は減るが、石はそのまま翌年、また翌年と残り続ける。
そうなると、単純に選考員の負担が年々増えていくのは想像できるだろう。
ただでさえ、小説は受けての時間を奪う媒体だ。短編でも一作につき五分から十分。長編なら余裕で一作一時間を超える。
選考員を増やせば個人単位の負担は軽減されるだろう。だが、人を増やせば今度は運営の出資が増える。
必ずどこかしらが負担を負うことになる。
そして多分だが、小説家界隈……というかネット小説業界は、このリソースの限界をとうの昔に迎えてしまっている。
だが、玉探しに必要な労力は年々増え続けている。
ならば、別の所で手を抜いて調整するしかない。
連載継続するかどうか早めに決めよう。
といったふうに。
ざっくり言うと「プロ作家のサポートにかかる労力を削る道」も考えられる一つだ。
私の未来予測では、今後も出版社側の玉探しの労力は増加し続け、それと負の相関に基づいて出版社からプロ作家へのサポートの質は低下し続けるだろう。
作家が出版社を信頼しなくなれば、出版社は心置きなく作家を使い捨てられるようになる。
これを 『才能の狩猟社会』みたいなことを誰かが言っていた。希望の無い話だ。
「技術」を『個々人の個性』として体系化せず、共有しなかった小説家界隈。
「作品」を完成させることだけを重視し、質より量を推し進めた小説家界隈。
これはその一部で実現しつつある最悪の未来予想だ。
・自分:創作メイン、絵師未満くらいの人間。1ヶ月に2枚くらい描いて満足している。漫画は描かない。実は仕事でAIを使っている。
・友人:二次創作メイン絵師。きちんと計画的に動ける人。ちょっと真面目すぎるきらいがある。毎回二次創作オンリーイベントの度に50Pくらいの漫画本を出していて凄い。どんなXアカウントを作ってもフォロワーが5000人以上行く(流行ジャンルだと1万人以上行く)。生成AI反対派。
上記の友人とは学生の頃に知り合い、もう10年以上の仲になる。
昨今「生成AIアンチの絵師」が騒いでいる様がよく見られるが、友人もそのひとりだ。
反・生成AIの絵師たちへの想いを綴ったエントリーは他にもあるから、
自分はそれ以外の部分も含めて考えていること、を綴ろうと思う。
昨日、Xのあらゆるアカウントのメディア欄にある画像・動画をすべて削除したらしい。
自分と一緒に行ったコラボカフェでの写真やリクエストして描いてもらった絵なんかも、すべて。
思い出の中にはあっても、友人のXアカウントの記録の中には無くなってしまったらしい。
自分もたまに絵を描くし、トレパクしたものを自分が考えて描いたものとして世に出す人にはマイナスの感情を抱いている。
(トレースした、と明記するのはOKだと思う。長く美術部だったため、見て描く、トレースして描く、みたいなことは練習や実践問わず沢山やってきたからそれ自体には嫌悪感が全く無い。)
画像生成AIは他のAIと異なり「補助ツール」ではなく「完成品を出力するツール」といった扱いになってしまっていることから、トレパクのようなものだと捉え、嫌悪感を抱いている者も沢山いるのだろう。
特に二次創作絵師であれば「自分たちがグレーな範囲内の同人誌・無償ファンアートでスルーしてもらっているデータが、商用で使われたり、悪用されたりするかもしれない」と考え、それはマズイと感じ、そして最近の反AI活動に繋がってしまっている、という流れも理解はできる。
ただ、自分はもう出力されたものに関しては、「生成AIを使った人」自体に委ねるほかないと思っている。
ナイフだって、「果物を切る便利な道具」として使えば問題ないのだ。それを「人を無差別に切りつける道具」として使ってしまえば、一気に凶器になる。
人間は、全員が全員「いわゆる善」の行動だけをする機械にはなり得ない。だから、私は法の整備だとか、そっちのほうに考えをシフトしていったほうがよいと考えている。
そして上記の友人だが、もうAI自体に対してのアレルギーが凄い。
「神絵師と繋がったけど、翻訳アプリ(Papago)を使って韓国土産の翻訳をしている写真を載せてたからミュートした」
「(ChatGPTで会社の会議内容の要点をまとめた、と呟いていた別の友人に対してのリプライで)ChatGPTもAIだよ? なるべく使わないで?」
「よく考えたらCLIP STUDIO PAINTの補正機能もAIじゃね? と思ってOFFにした。不便だけど実力アップのためと思って頑張る」←もうアナログで描けば?と思ってしまった
などなど、もうリア垢のほうで連日そういったヘイトツイートをしている。ほとほと疲れた。
私は反応しないようにしている。友人がそういった呟きで浮上をしているとき、自分は他の人へのいいねだけはするが、呟かない。
そして別に今日からXの情報収集がなされるようになったのではなく、あくまで規約にも追加されただけだというのに、
今日の時点で画像を削除してない人は云々、なんて言い始めたので自分は今日何も呟けていない。
海外の広告系の仕事をしているのだが、まず翻訳の時点で会社が導入した翻訳AIを一次翻訳として活用し、ネイティブスピーカーがそれを整える形で文章を作っている。
広告の画像でも、レタッチやらトリミングやらをするのだが、その際にPhotoshopの自動生成機能を使うことがある。
あくまで補助ツールとして、道具として「人の生活を便利にするために」使えばいいとも思っている。
きっとこの話を友人にしたら、嫌悪感を抱かれるのだろう、ということはわかっている。
だから、何も言わない。
友人はXのアカウントもどうするか決めあぐねているらしい。
削除してしまうのだろうか。
メディア欄にはもう無いが、DM欄には「自分が疲れていたときや、誕生日に描いてくれた絵」などがまだ残っている。
友人がアカウントを消したら、そのやり取りも消えてしまうのだろう。
綴っていたら涙が出てきた。
素性を知らない絵師なら「残念だな……」くらいで終わるけれど、本当に大切な時間を過ごした人だから、涙が止まらない。
自分がアップロードした画像は、インターネット上に数多ある画像のうちの宇宙の塵にも等しいと思っているし、今更すぎるので消す気は全くないけれど、
昨今の流れによってきっと色んな人の「思い出」が記録上から消えてしまうのだろうね。
それがすごく悲しい。自分は自分の塵のような画像を消去することより、友人たちとの楽しかった日々を記録に残したい派だから。
それにしても、画像生成AI以外にも言及し始めてそれを活用している人に噛みつく友人を、どうすればいいのだろう。
どうしようもできないのはわかっているけれど。
そんなことを言ったら、インターネットの検索機能、計算機、車の自動運転や前の車との距離を測ってくれる検知機能、アレクサのような音声アシスタント、補正しながら撮ってくれるカメラアプリ、無人レジ、などなどあらゆるものを拒絶することになると思うのだが……
もう、山にこもって自給自足生活したらいいんじゃないかな、とすら思えてしまう。
なお友人には、数ヶ月後にある同人イベントで手伝いをしてくれない?(遠方なので宿泊込み)とも誘われた。
たまたま行きたいアーティストのライブと被っているため断ったが、宿泊をするくらいのイベントに誘われるくらいには、自分のことは好きだと思ってくれているのだろう。
だからこそ、自分が一方的に悲しんでいる、というのがまた悲しい。
以上。
世界自動車11社の決算分析 EVシフトで明暗 昇るテスラとBYD 沈む伝統メーカー
https://www.nikkei.com/telling/DGXZTS00012900T11C24A1000000/
ある街コンに参加した時の話。
友達に誘われて、気軽な感じで行ってみたんだけど、そこで会った女の子がすごかった。
最初は普通の会話から始まったんだけど、途中から「元カレがどれだけダメなやつだったか」とか「私、男運悪いんだよね」とかの話が延々と続く。
で、こっちが「じゃあ趣味とかは?」って話題変えようとしても、全く別の愚痴にシフトする。
さらに、「え、今まで付き合った人数?少なっ!」「私なんかもっと多いよ?」みたいに、微妙にマウント取り始めた。
極めつけは、「あ、私結構LINEブロックするから、気に食わなかったらすぐブロックするね!」って冗談ぽく言われたけど、冗談に聞こえなかった。
なんか色々察して、その場はなんとかやり過ごしたけど、帰り道、友達に「ごめん、あれは無理だわ」って即報告。
急な出張が決まって仕事も準備で忙しく早く帰れない夫を責めるLINEをアップした妻のポストが回ってきた
賛同するレスもとても多く、元旦那ともこんな感じだったなーと遠い目になった
元旦那も忙しい仕事・職種で、急にトラブルが発生して帰宅が深夜になったりとか
土日も客先に出張や出社しなければいけないとかあって、代休取れても疲れてるって寝てばかり
帰宅したら家事はしてるけど私からしたら手抜きで、それを怒ると帰りが終電だったから…とか
どうして自分は仕事も家庭も両立してるのに、お前は仕事だけしか出来ないのかってずっと思っていた
そんな生活が続いていたら、ある日元旦那は帰宅せず、そのまま帰らぬ人になった。自殺だった
義実家からもお前が元旦那を殺したって散々責められて、私自身も鬱になって仕事続けられなくなって実家に帰る羽目になった
今でもフルタイムでは働けず、何とかパートで家にいれる分や学費ぐらいは稼いでいる
そんな生活をしていて思うのは、仕事と家庭を両立と言っても所詮は両立出来るぐらいの
大体は定時か残業1h程度で帰れる仕事で、元旦那の半分ぐらいしか年収無かったけど
共働きで稼いで家庭を支えてるのに元旦那は仕事しかせずだらしない、仕事で息抜き出来て良いよね~って本気で思っていた
パートでも鬱病を抱えて仕事するのは大変で、責任もパートなりにあり(急にシフト空けたら他の人が困るとか)
とても息抜きでやれる様な事では無い。改めて気付かされた
今は両親が頑張ってくれているけど、父は腰を悪くして遂に長年嘱託で働いていた職場を今年いっぱいで退職する
これからは私が子供と自分と、そして今まで世話になった両親を支えなければいけないが、正直支えられる自信が無い
今思えば、自分が仕事を非正規にするか、一時的にせよ専業になるなどして、家庭優先にすればよかった
そういった案も元旦那から出ていたけど、家庭に押し込められる気がして全て突っぱねていた
お前がもっと稼がないのが悪いんだろ、なんて言葉もかけた様な気がする
実際は私の倍は稼いでいたし、ちゃんと役職にもついていたし、専業だって出来たハズなのに
今は結婚していた頃より、ずっと苦労しているし経済的にも精神的にも不安しかない
何よりも子供に父親のいない家庭で、苦労をかけるかもしれないのが一番不憫で辛い
本当に後悔している
[追記]
叱咤激励、優しいコメント、気遣ってくれる言葉、誠にありがとうございます
今の生活の事を気になさって下さる方が多いですが、現状は不安は大きいものの、何とかなっています
私の収入は、主に学費用の積立・子供にかかる費用・私自身の小遣い、貯金分です
実家は持ち家で、生活費等は全て両親に頼ってしまっているので…父が退職する以降は、シフトを増やすか、正社員を目指す必要があり
実は再就職活動もしているのですが、しかしアラフォー且つ子持ちの女性には中々仕事が見つからず、苦戦しています
まだまだ女性は働きづらい世の中だという事を改めて痛感しています
元旦那の、保険金はありましたが、諸々の清算で、殆ど残っていません
元旦那の友人に保険会社に勤めている人がおり、元旦那は生命保険に2つ入っていました
1つが独身時代に入った、元義両親受取で、もう1つが自分達の為のものでした
この事をマザコンと責めた事もあります。結局、受取人を変更させました
その矢先に、元旦那は……何であんな事を言ったのかと、後悔しています
それもあって「お前に(元旦那は)殺された!」と義両親に言われたのだと思います
遺書にも、仕事で疲れ、居場所も無く、逃げ場が…とも書かれていたので、義両親からしたら私が追い詰めた様に見えたのでしょう
実際そう思われても仕方ありません。ただただ、後悔しかありません
冷静になった今なら、当時の年収だと、私が350万~400万足らず、でした
子供もいたので、貯金も中々出来ず、元旦那は小遣い2万食費込みで頑張ってくれていましたが、全然貯まりませんでした
それもあって、つい元旦那を責める様な小言や罵声が、増えていました
死後、遺品整理をしていましたが、殆どが私の私物ばかりで…ストレスで買い物で発散していた様な状態でした
自分の収入の範囲内で賄えていると思っていたものは、大半が元旦那の優しさで出来ていました
その時、とてつもなく悲しくなり、葬儀でも出なかった涙が溢れ、号泣しました
私は本当に大切な人を追い詰めて、無くしてしまったのだと、後悔しました
再婚の話も、ちらほらありますが、子供は元旦那の事が大好きだったので、迷っています
私からしたら時短が多く、不満だらけで、よく文句を言ってしまっていましたが……
はあ?この記事、マジで頭悪すぎだろ。EVがオワコンだったはずなのに、なんでテスラとBYDが調子いいんだよ。おかしいだろ。
テスラとBYDが儲かってるからって、それが業界全体にとっていいことか?どこが明るいんだよ。
それに、「昇るテスラとBYD」って、まるで神様みたいに持ち上げやがって。
あのイーロン・マスクのテスラと、怪しい中国企業のBYDが「昇る」って、笑わせるなよ。
「沈む伝統メーカー」?いやいや、トヨタやVWが沈むわけねーだろ。
一時的な減益を「沈む」なんて大げさに表現すんな。何十年も業界をリードしてきたのに、そう簡単に沈むわけねーだろ。
てか、「昇る」と「沈む」で対比させ、「明暗」と「メーカー」で韻踏みたかっただけだろw
「生みの苦しみ」だって?甘えんなよ。EVシフトなんて、そもそも無理があるんだよ。コストが膨らむのは当たり前だろ。それを「苦しみ」なんて美化すんな。
結局、この記事はEV推進派の妄想を垂れ流してるだけじゃねーか。現実を見ろよ。
EVなんて、まだまだ問題だらけなんだよ。充電インフラも不十分だし、バッテリーの環境負荷も無視できねーだろ。
初投稿。友達なし、彼女なし、実家暮らしの限界童貞チー牛大学生が100日間オナ禁を達成したので、その感想を書く。
放課後、休日に一緒に遊ぶ友達がおらず、また彼女もいないため空虚な大学生活を送っていた。そんななか、一人で自室にこもってはオナニーを繰り返す毎日で、自己肯定感が下がっていくばかりだった。大学生活ではなにか有意義なことをしなければならないという義務感だけが強くあり、かといって何もできない板挟みの中で苦しんでいた。自分の中で、なにか変わるきっかけがほしいと思いオナ禁を決意した。
これはオナ禁に限らず、なにか習慣を身につけようと思ったら、記録をするのが最も強力であり、必要不可欠なことだと思った。
記録することによって、何もしなければ取り留めもなく過ぎていく日々を意味のあるものとして、積み上げる感覚を得ることができた。
禁欲アプリは巷にたくさん出回っているが、「禁欲スカイウォーカー」というアプリを使用した。
シンプルなデザインがわかりやすく、ネーミングと記録が上がるにつれてもらえる称号が気に入ってこれを使ったが、おすすめである。
リセットしたくなるときはたいてい暇で、自室の机の前で座ってネットサーフィンをしているときなので、なるべく暇をつくらないほうがいい。
どうやら一人でさみしく感じているときに、リセットしたい衝動に駆られるようである。
人とコミュニケーションをとると、性欲は治まるようなので、やはりぼっちには人との交流が不足していると感じた。
間違いなく、他の多くの人は成し遂げていないことを完遂できたという達成感と自信にはつながる。
ほかの大きなことに挑戦しようという気になる。
オナ禁を一度決め込むと、行動の選択肢からオナニーを消すことができるため、オナニーをするかどうか迷うということがなくなる。
これは非常に大きなメリットだと感じた。
それまではオナニーをするかどうか逡巡することに常に一定の脳のリソースを割いていたため、気持ちが楽になった。
また、オナニーをした後の罪悪感を感じずにすむということも大きかった。
巷で言われるような美肌効果は感じなかった。
依然としてニキビはできる。
感じなかった。彼女はまだいない。
はたして100日間オナ禁を続けることに意味はあるのかということは疑問ではあるが、少なくとも大きなことを成し遂げたという達成感と、
オナニーとの関わり方を一度見直すことができたという点では、決して無意味ではないと思う。
友達、彼女はできなかったが一種の諦観のようなものも芽生え、一人なら、一人でしかできないことを頑張ろうという方向に考え方もシフトした。(さみしさは克服できていないが)
これを読んだ皆さんのなかで、なにか変化がほしいけど機会がないという方は、100日と言わず一ヶ月、一週間でもオナ禁を試してもらうといいかもしれない。