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はてなキーワード: 制作とは

2019-02-18

anond:20190218184339

え、じゃあアプリけもフレファンアニメ版第一期を「アプリと違う」だけでくそみそに貶していいの?

もともと、けもフレは「原作動物」と言って二次創作許可するくらい統制が緩く、制作者に任せて自由に作らせるコンテンツなわけで、「第1期と同じように作れ」というほうがけもフレらしくないよね。

正直に言えばいいじゃん、けもフレが好きなんじゃなくてたつきが好きだっただけなんでしょ?

ケムリクサにお帰り。

anond:20190218115920

うそう。

ユーザースコアはかなり高い。

imdbでも7.6でロッテトマトは93%がlikeだったかな?

評論家スコアアクション物としてみればまぁそこそこで60点(最初はかなり低かったけど、あとからだいぶ上がってきた)


ネックなのはやはり制作費がなぁ。

銃夢ギリギリ赤かな~

米国の週末興行1位スタートで、国際的興行収入も悪くない。

ただ、制作費1.7億ドルはやっぱ高すぎるなぁ。

サイバーパンクでこの費用はやりすぎ。

2019-02-17

anond:20190217110401

からすまんけど

角川は具体的な事は何も言わないからわかんないけど

昨年のブロッキング案件みてても、コンテンツ制作者(権利者)とコンテンツ消費者を明確に分けたいって意志を感じるんだよね

二次創作みたい権利曖昧なのは権利者が許す範囲コンテンツ消費者がやるもので、コンテンツ消費者自分と神の違いを常に認識してるべきと

そこへ、コンテンツ制作者が権利がまさにありそうな人が、コンテンツ消費者と変わらないことをされるとコンテンツガバナンスが効かないと

製作者は権利者側ではあるけど、ちゃんと神のように振る舞い、一般人とは異なると

あくまで、高度な技術をもったアマチュアなのかプロなのかわからなくなるようなやり方をしたくないと

でも、それって角川みたいなコンテンツ大企業からすれば、当然そうなるだろうけど

小さい制作会社や才能ある人は、自分たちの中に才能ある人がいてその人を上手に使って大きくなりたいと思ったら

同じやり方してたら、大きくなれるチャンスを逃しちゃうかもしれないんで、無茶をした方法を選びがちになる

そういう衝突だったんじゃないか

2の5話で、あえて、前作のオリキャラがでてきたのは、権利があるのは角川だという意思表示にも思えるんだな

コンテンツガバナンスを明確にして、コンテンツ権利者が、神が誰なのかをはっきりさせるためとも

2019-02-16

バミューダトライアングル ~カラフルパストラーレ~の物理化学

バミューダトライアングル ~カラフルパストラーレ~(以下バミューダ)というアニメ放送中だ.元ネタがいろいろあるらしいが,知らなくても楽しめる.私は楽しめている.とても良い日常系アニメであるし,物理化学的な示唆にも富んでいる.

一方で,一般視聴者の評評価は必ずしも良くはない.理由として,絵がさほど美麗でないことと,ある描写が多くの人に受け入れられないことが挙げられる.

バミューダは,人魚少女田舎の町で様々な経験を通して成長をしていく物語だ.登場人物人魚であるから舞台は海中だ.

ところが,バミューダは,舞台が海中であるにもかかわらず,水が登場する.海中でお茶を飲んだり,風呂に入ったり,水槽を構築してアクアリウムをおっぱじめたりする.お茶からは湯気が立ち上る.海中であるにもかかわらず液体を扱う様は,我々の一般常識からは非常に奇妙な描写に映る.

この描写があるため「制作陣はこんな矛盾にも気づかないのか」「ヤバすぎる」「幼稚園からやりなおせ」という声は根強い.しかしながら,海中の水はしつこいほどに頻繁に登場する.何人ものプロフェッショナル長期間仕事として向き合った結果作り上げられた作品に,そのようなミスが致命的なミスがいくつも残されているとは考えにくい.海中で水のように振る舞う物質は,制作からの何らかのメッセージであると考えるのが自然である

そこで,物理化学的な視点からバミューダに現れる「海水中の水」について考察することとした.

  

海水が水である場合

人魚という,人間常識から考えれば非科学的な存在が登場する本作である海水と思われている物質地球海水と同じ成分ではない可能性は十分に考えられる.しかし,ここでは海水として描写されている流体が地球海水類似した成分(無機塩類の水溶液)だったとしよう.

海水中で水のように振る舞うための条件を以下に示す.

 a,海水に溶解しない

 b,海水よりも比重が大きい

 c,透明であり,海水屈折率が異なる

 d,粘度が十分に低い

これらを満たす物質は無数にある.

1,ハロゲン化アルキル

サスペンス映画で大活躍するクロロホルムは水にほとんど溶解しない.また,密度は1.48g/cm3であり,海水に対して沈む.透明であるし,海水屈折率が異なるし,粘度も極めて低い.したがって,クロロホルム海水中で水のように振る舞うことは十分に考えられる.親しみやすクロロホルムを例に出したが,クロロホルムアナログである四塩化炭素ジクロロメタンも同様に振る舞うだろう.他にも,ハロゲン化されたアルカン(炭化水素)は水よりも比重が重い場合が多いので,同様に振る舞うだろう.地上では常温で気体になる物質であっても,海中では水圧の影響を受けて液相を保つ場合が考えられる.多くのハロゲン化されたアルカンは水よりも比重が大きいため,a-cの条件を満たす可能性は十分に考えられる.また,湯気に関しては,高温のハロゲン化アルキルが海水に溶解する際の濃度変化による屈折率の変化だと考えることができる.

2,イオン液体

イオン液体は常温で液体の塩(エン)である.水やエタノールガソリンのような通常の液体は電荷(静電気のようなもの)を持たない分子から構成されるが,塩(エン)であるイオン液体はそうではない.塩(エン)は,分子ではなく,分子プラス電荷(静電気のようなもの)をもった陽イオンと,マイナス電荷を持った陰イオンから構成される物質だ.親しみのある塩の例として,塩化ナトリウム水酸化ナトリウム重曹などがある.このような身の回りの塩は,プラスマイナス電荷がお互いに強く引っ張り合うため,どれも融点が数百度と高い.100年前までは,塩(エン)は常温では個体であると考えられていた.一方で近年注目されているイオン液体と呼ばれる物質は,塩であるにもかかわらず室温で液体である蒸発しない,燃えにくい,電気伝導度が高い等の特異的な物性を示すため,バッテリーなどへの応用が期待されている.

イオン液体の多くは水よりも比重が大きい.また,アルキル基が長い,電荷が非局在化されいるなどの理由から疎水性が高い一部のイオン液体は極めて水に溶けにくい.塩濃度が高い海中ではなおさら水に溶けないだろう.

 

海水が水ではない場合

液体を見ると水だと思ってしまうのは,人間特有固定観念だ.人魚が登場する世界では,そのような固定観念は完全に排除する必要がある.そこで,海水だと思っていた物質が,実は海水ではない流体であった場合を考えよう.

1,海水メタンであった場合

気圧の関係からメタンが液体として存在する惑星は多い.メタンは燃焼してしまうと考える人は多いが,大気酸素を含む惑星はそれほど多くない.生命の星である地球はともかく,多くの惑星で,大気の主成分は二酸化炭素メタン水素ヘリウム等の単純な物質であるバミューダ舞台もそのような惑星かもしれない.メタンの海を有していれば,メタンに溶解しない水はまさしく水のように振る舞うだろう.また,メタンと混和しない有機溶媒は無数に存在する.海がメタンで,海の中の水がそのような有機溶媒である可能性も指摘できる.

2.海水石油様の物質であった場合

バミューダ惑星大気圧が1気圧前後だったとしても,有機物の海が存在する可能性は十分にある.例えば,地球においても石油は液体として存在する.海が石油のような炭化水素構成されていたとすれば,メタン場合と同様に,海水の中の水の存在説明できる.その場合,5話で登場した海中で降る雨の存在説明することができる.また,ひじきを干す描写は,ひじき中の水分を石油様の物質拡散させていると解釈することができる.

以上の考察から,「海中なのに水が登場するのはおかしい」という指摘は,人間世界固定観念に囚われた視野の狭い発想であるといえる.作品理解観点からバミューダ惑星地球とは異なる環境天体である可能性を視野に入れることは極めて重要である(実際,あの星は地球ではないらしい.元ネタを知らないのでわからない)

バミューダトライアングルカラフルパストラーレ~は,dアニメストア等で配信である.今期で一番おもしろいので,是非視聴しよう.

百合ジャンル歴史現在 前

 本稿では、BL/やおいと比べ論じられることの少なかった「GL/百合ジャンル確立歴史と、その現状について考察する。

 はじめに、「百合」というマンガアニメにおけるジャンルを示す言葉概要説明する。「百合」とは主に、女性同士の恋愛と、それに満たない関係性も含めて描いた作品ジャンルを指す。川崎によれば、定説として語源ゲイ雑誌薔薇族」に由来する。男性同性愛を指す「薔薇族」と対になるよう、女性同性愛者を「百合族」と呼称した「百合族の部屋」というコーナーが1976年から不定期連載されるようになったのが始まりであるとされる(川崎2014:44)。当時はレズビアンを指す用語だったが、徐々にサブカルチャーに輸入され女性同性愛を扱った作品群を呼称する言葉に変化していった。

 まず、日本での「百合」のマンガジャンルとしての成立について述べる。そもそも大正ごろの日本においてマンガとしての形態以外で女性同性愛テーマにした創作物としては、性描写過激男性向けポルノか、少女向けの小説に二分されていた。特に女学生同士の姉妹関係エス」をテーマにした少女小説金字塔として、「花物語」(1925)などが代表される。しかし、大正時代少女文化として流行した「エス」の概念現代の「百合概念とは違い、上田は「自覚的女性を愛することを選択したというよりは、良妻賢母になるための安全なる予行演習という側面もあった」と述べている。(上田 2014:192)

マンガが発展し、女性同士の関係性を主題とした最も初期の連載作品1970年代ごろから山岸涼子「白い部屋のふたり」(1971)、池田理代子おにいさまへ…」(1974)、「ベルサイユのばら」(1972-73)のオスカルロザリーなどにみられはじめる。これらは、「24年組」に代表される少年愛テーマとしたマンガと同時発生的に少女マンガ誌に掲載されたものだ。藤本は、このころの百合マンガの大きな特徴として

 ①対照的な二人の容姿(中性的・くっきりとした美人可憐少女イメージ)

 ②演劇モチーフ(宝塚歌劇の影響)

 ③悲劇的なストーリー(少年愛を扱う作品対照的同性愛による葛藤描写)

を挙げている(藤本 2014:101)。これらの特徴は、1970年代女性の抱えていた抑圧感を反映していたものなのではないかと考えられる。女性作家による「少年愛」が現実の抑圧から解放として、性的未分化存在(少女)の何物にも縛られない感情の動きを描写したものなら、このころの「少女愛」はそれと対照的に、抑圧からの逃避としての悲劇的な結末が設定されることが多かったのではないだろうか。表現手法舞台設定は耽美幻想的でありながらも、当時の日本での女性のおかれる立場に忠実な閉塞感が描写されたものだと考えられる。また、この時代百合マンガ少年愛ほどの大きなムーブメントには発展せず、作品数も多くはなかったため、自然消滅的に衰退していった。

 しかし、1990年代同人誌文化の発達に伴い、百合ジャンルも急速にその勢いを復活させる。

まず、「美少女戦士セーラームーン」(1992-97)によって、女児向けマンガにおける戦う美少女という概念ジェンダー論的な観点においての大きな転換点となる。異性愛的な要素が物語の中心に関与していたにもかかわらず、同人イベントではセーラー戦士同士のカップリングを描いた作品が爆発的なブームとなった。その理由として考えられるのは、消費される客体としてではなく主体としての戦う美少女像が確立されたことではないだろうか。これにより、百合的な描写70年代における悲劇的な結末に向かう物語ではなく、少女が二人で主体的に幸せを獲得していく過程が重視されるようになっていったと推測できる。

そして、物語の中の関係から百合文脈を汲み取っていた時代から、前提として百合のもの主題においた作品も増加していく。代表的なものとして、「少女革命ウテナ」(1996-98)がある。この作品は、古典的少女マンガシンデレラストーリーを基盤に「王子様」と「お姫様」を少女同士に置き換えてなぞりつつ、70年代百合作品に見られた演劇的なモチーフや学園モノ、男装美少女といった設定を取り入れ、また絵柄としても耽美で繊細なものであったが、これらは意図して行われたパロディ化された演出だった。ストーリーの結末も、最終的には二人が離れ離れになる点は悲劇的にも取れるが、その後ヒロインたちの再会が示唆されている。アライによると、「王子様」と「お姫様」が結ばれてハッピーエンド、という構造少女同士で反復するだけではなく、最終的にヒロインたちは「王子様」と「お姫様構造破壊し、自身覚醒させ歩き出すことで、社会的女性規範を打ち砕くことができるのだ。(アライ 2015:57)それこそが「世界革命する力」であり、この結末によって投げかけられたのは、異性愛規範や家父長制へのアンチテーゼと、黒人女性解放運動日本女性ウーマンリブ運動などの背景を踏まえた社会的メッセージだった。

これらの2作品によって、社会的な動きと呼応した百合マンガの潮流が形作られはじめる。「セーラームーン」も「ウテナ」も少女マンガ誌に掲載されており、本来ターゲット層は10代の少女対象にしていたと考えられるが、ここでのプラトニック少女たちの絆がオタク層にも受け入れられ、恋愛的な文脈解釈した成年層による二次創作が爆発的に流行する。これと同時に一次創作オリジナル同人誌においても、「百合」という概念が定着しはじめ、少女同士の恋愛主題にした作品がみられるようになる。

 そして2000年代に入ると、マンガジャンルとしての百合を専門に掲載した「百合姉妹」(2003-2005)が発刊される。その後、「コミック百合姫」(2005-)に統合され、現在刊行中。専門誌の発刊は大きなジャンルの発達の手掛かりとなり、この雑誌に連載されていた作品アニメ化や二次創作流行によって、「百合」というジャンルがはっきりと定義されはじめ、広く認知されるようになっていく。しかし、その定義に関して「男性が主要人物として登場し、恋愛関係に介入する」「性的関係が生じた場合百合ではなくポルノ」などといったさまざまな議論が巻き起こったのもこの時期である

また同時期に、「神無月の巫女」(2004-05)や「舞-HIME-」(2004-05)などの少年誌で連載される百合作品が登場する。これらの作品は、少女マンガ作品よりも直接的な同性間の恋愛としての描写性的表現が強く押し出されていた。ここから現代男性向けと女性向けの要素を同時に内包した現代百合マンガ形態確立しはじめたといえる。2007年には、前述した「コミック百合姫」の姉妹紙として一迅社からコミック百合姫S」と「コミック百合姫Wildrose」が発刊。「S」は本誌よりソフトで繊細な関係性の百合を扱い、なもりゆるゆり」(2008-)が代表するような「日常系百合」の流れを作った。一方「Wildrose」は、それまで成人向けポルノとしての過度な性描写忌避されがちだった(厳密な定義での「百合」ではないとされる議論があった)当時の風潮の中、直接的な性描写掲載した作品を扱う専門誌として独立した挑戦的な試みだった。

 ここで、2008年に行われた「コミック百合姫」の読者アンケートを参照してみる。2008年7月号時点の『コミック百合姫』読者の男女比は男性27%、女性73%であるのに対し、『コミック百合姫S』の方は男性62%、女性38%となっている。つまり現在統合された「コミック百合姫」の購買層は、この男女比を単純に平均すると男女差はほぼ半々で、やや女性読者のほうが多いということになる。ここでは百合マンガの購読層を性別と消費の形態に4つに分類して考察した。

①「傍観」型女性

 女性購読層において基本的には、社会的比率を前提にすると異性愛女性のほうが多いと考えられる。彼女たちは少女同士の関係性に、「現実における異性愛ジェンダーロールによる苦痛から隔絶された「非現実的な同性間による越境快楽」を心の拠り所として愛好するのではないだろうか。なおこれについては、やおいBL ジャンルを愛好する女性においてもほぼ同じ理論適用できる層が存在すると思われる。

②「投影」型女性

 百合というジャンル性質上、他の恋愛形態をメインとしたジャンルよりもレズビアンバイセクシャルを自認する女性が購読層に多い傾向にあることは考慮するべきである彼女たちは、異性愛女性が「少女マンガにおけるロマンティクラブ」を夢見るのと同じように、自身性的指向に一致した自己投影先として「百合マンガにおけるロマンティクラブ」を享受していると考えられる。

③「傍観」型男性

 百合自分投影先の存在しないストーリーを消費するものとして受け取っている購買層。①「傍観」型女性とほぼ同じ論拠が適用できると考えられる。

④「投影」型男性

 百合マンガ登場人物自己投影する男性は、ジェンダーロールから解放と、女性との恋愛の疑似体験を同時に達成できる。この購読層の性的指向に関しては、社会的比率として異性愛男性が多いと思われるが、異性愛コンテンツNL)ではなく百合GL)を愛好する彼らに関しては、③「傍観」型男性よりさらに複雑な感情ルーツを持っていると考えられる。また、TS願望を持つ男性MtFとは区別する)や、同性愛男性共感を持って少女同士の関係性を愛好する例も、この枠にひとまず収めることとする。

⑤「乱入」型男性

 特に男性向けの性的描写の含まれ百合マンガ等においては、その世界の中に没入し登場人物の中に「混ざりたい」という観点で消費する層も存在する。これは上記の4つの例と異なり、少女同士の関係性ではなく「(男を知らない、穢れのない存在として描写される)レズビアンである少女を自らの男性性によって屈服させたい」というマウンティングによる性的欲望や、男性主人公やその代わりとなる女性キャラクター存在しない「ハーレムもの」といった受け止め方に由来するものと思われる。ただし、これらの男性百合ジャンルファンから忌避される傾向にあり、特に近年の百合主題とした作品においては減少している。

これらのファンがそれぞれ百合というジャンル定義について議論を重ね、各需要を満たすような創作物制作していったことにより、百合ジャンルが発展していった時期だった。

次に、2010年代百合文化を振り返る。このころに代表的な作品として挙げられるのはテレビアニメ魔法少女まどか☆マギカ」(2011)だろう。この作品は、「セーラームーン」にルーツもつ戦闘美少女系譜を受け継ぎながら、現代調に前提として百合意識して構成された作品ひとつで、魔法少女同士のカップリングを扱う二次創作が爆発的に流行した。

 また、少女マンガ誌において百合を扱った作品が満を持して再び登場する。70年代以降、異性間のラブストーリー(NL)に偏っていた少女誌において約30年ぶりに百合が復活した形で、「野ばらの森の乙女たち」(2011)や「ブルーフレンド」(2010―2011)が連載された。これらの作品は、少女漫画特有の筆致でありながらも明確な少女同士の恋愛関係としての描写があり、また両作品とも70年代のような悲劇的なラストを迎えることはない。少女向けの要素として、学園設定や疑似姉妹などの設定は残されているものの、これらは批判的なパロディというよりも前時代少女誌における百合作品に対する敬意からくるオマージュ解釈するほうがふさわしいだろう。これは近年において少年誌よりもジェンダーロールの強固だった少女誌界隈に百合ジャンルブームの波及がみられた、極めて注目すべき例である

<続きと参考文献リストこちら>

https://anond.hatelabo.jp/20190216025236

2019-02-15

けもフレの民は響鬼路線変更問題真相を教訓とすべき

はやけもフレオタ達はけもフレ2に関わる人間すべてを狩猟対象としているが、

ここで古のオタクが思い出すのは仮面ライダー響鬼路線問題である

響鬼平成ライダー第一である仮面ライダークウガの生みの親、高寺プロデューサーが指揮を取り

斬新かつ人の温かみを感じる作風から支持されていたシリーズだったが、

それが放送途中で高寺Pが急遽降板

白倉プロデューサー脚本井上敏樹といういつもの座組に変更され、

作風も大きく変わり、自然を主な舞台としていたのが街中に変わり、

ドラマより戦闘シーンが増え、嫌味な新キャラが投入された。

この路線変更に前期の作風に惹かれていたオタは激昂。

公式ブログスタッフキャストへの誹謗中傷が書き込まれけ、各所掲示板は荒れに荒れた。

その中でも白倉Pと井上敏樹は最大の戦犯とされ、これ以降長い間アンチやり玉に挙げられ続けるのだった。

しかし、この騒動には一つのオチがある。

時が経ち、当時口を開く事のなかった当事者たちから書籍ラジオなどで様々な証言が出てくると

実は当時悪の権化とばかりに叩かれた井上敏樹こそが最も前期の作風を守ろうとした当事者であり、

「高寺の作品には高寺がいなきゃだめだ」とまで言い、上層部に対して抗戦していたことが判明したのだ。

それでも仕事である以上断るわけに行かず、なるべく前期に近づけようと苦心したが、

逼迫したスケジュールの中では自分作風に近づけざるを得なかったのである

降板となった高寺Pも汚れ仕事と分かりながら引き受けてくれた井上に強い感謝の念を抱き、涙を流すほどだった。

結局の所、制作側の事情なんて外野視聴者には何が本当かわからない。

響鬼だっていろいろと証言は出てきたものの、そもそもなぜ高寺Pが降ろされたのかはっきりした理由はわかっていない。

作品への批判自由にすればいいと思うが、

下衆の勘繰りに基づくスタッフキャストへの度を越した誹謗中傷がそれで許されるわけではない。

あるいは、自分たちが守っているつもりのたつき監督福原Pも、それによって心を痛めているかもしれない。

繰り返しになるが、制作の裏側は視聴者には見えないことが多い。

もし嫌わなくていい人を嫌っていたとしたら、それは本当に悲しいことだ。

どうか、同じような過ちを繰り返さないでほしい。

anond:20190215125057

音楽映像はひとまとまりパッケージとして売り出されてて、経済的被害がある程度想定できたか特別違法化されたのよ。

仮に違法性認識があったとしても文章などの一部をスクショ取っただけで被害が生じる?

一度発表した物の利用法は、制作だって自由にしていいわけじゃないよ。

やっぱり女て仕事の上ではクソだわ

子供習い事が年長で一旦終了とのことで

卒アルのようなものを作ることになった。

仕事としては15名分写真を募って写真集にしてくれるサービスのとこ出して終了。写真の配置はデザイナーやってる旦那がいるとのことでうまくまとめてくれるらしい。


しかし誰も中心となってやろうとしてくれるお母さんがいない。

まあ言ってもそんなに仕事ないよということで気弱そうなAさんがリーダーをかってくれた。サブリーダーにうちの妻。

とにかくちゃっちゃっと決めればいいことを決められない。

連絡にLINEグループラインを作るってだけに1週間以上かかった。

そして使い方が下手。こういうのは「連絡専用なので返信不要です」とか最初に言っとくもんだが、ちょっと投稿したら「ありがとー」とか返事が返ってきたり、関係ない雑談が始まったり

とにかく「こうします!」という提案を出す人がいなく、なんとなくふわっとした感じで決まっていく。

そんな感じでなかなか進まないか写真をまとめてくれるデザイナー旦那さんが「早くしてくれないと間に合わないんですが!」とちょっとキレてくれてなんとか進んだ。

妻は妻で「なかなか決まらない」てブーブーいうくせに自分で声をあげようとはせず愚痴だけを自分にいう。正直うっとおしい。もうやめてくれ。お前制作進行みたいな仕事昔してたやんけ。やろうと思えばできるくせに。

自分がやれば1週間で終わるやろな、てことを3ヶ月以上かけてる。ほんまクソや。

2019-02-13

プログラミングスクール情弱ビジネス

ついにエンジニアとは関係ない趣味Twitterアカウント

プログラミングスクールに通うとか言い出す子が出てきた

ちなみに彼女バンド活動しながらフリーターやってる

正直「やめた方がいいよ」って言いたいけど

本人がやりたいって思ってるなら他人がどうこう言うのは違うから何も言えないけど

それでもプログラミングスクールが乱立してそれに通ってる人みてるとつらいよね

どれくらいひどいかっていうとHTMLCSS覚えればフリーランスになれると思ってるようで

さらに「差別化」でデザインWordPressマスターすればかなり稼げるらしい

たぶんそのスクール簡単LP制作を教えてできた気にさせてるんだろうね

良心的なところはRails簡単アプリを作らせるみたいだけど

それでも基本的なところも理解させないでやっぱりできた気にだけさせるんだろうね

教えてる人も一線で働いてる人は講師にはならないだろうからレベル低いだろうし

そんな状態だとフリーランスどころか何とか就職しても現場についていけるのは

たぶん10人に1人いればってかんじだろうね

経験的に職業訓練あがりの人はできない人多かったし)

知らない人からしたらちゃんとしたカリキュラムなのか判断できないし

普通エンジニアはそういうプログラミングスクールレビューとかしないか

こういう情弱ビジネスがのさばっていくんだよ

この記事が巡り巡って彼女の目に入ればいいなと思いながら

twitterでFAKKUのおま国について流れてたので…

FAKKUに限らず日本産の各種エロコンテンツ無修正海外向け販売はいくつかされている

エロゲ、エロソシャゲエロマンガ、エロ同人等がJASTUSA、MangaGamer、nutaku、FAKKU、future-digi、艶書堂、2d-market他のパブリッシャーから海外向けに販売されている

共通するのはいわゆる「おま国(お前の国にはうってやらん)」対応日本産コンテンツにもかかわらず日本国内から購入ができない、ということだ(※1、※2)

これは映画ゲームなどでのおま国リージョンロックの原因である商業的な理由だけではなく日本法律的問題も関わっている

https://ja.wikibooks.org/wiki/%E5%88%91%E6%B3%95%E7%AC%AC175%E6%9D%A1

刑法175条の判例によって海外向け販売については違法行為に当たらない、という判決がある

これを利用して海外会社無修正版を販売させればいいんじゃね?と考えたやつがい

北米版 Trample on "Schatten!!" というタイトル2011年ごろにweb上で無修正日本語版を海外在住の日本話者向けという触れ込みで販売したそうだ

結果は

http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/473/083473_hanrei.pdf

このとおり

結論から言うと制作等一部を日本国内で行い日本国内から購入できる状態販売することは刑法1条1項から国内犯として処罰できる(※3)、と判断され御用となった

この判例から日本向けに販売すると作者やメーカーが御用になるという事になってしまった

このために上に上げた各種パブリッシャーおま国対応を取るのである

なおFAKKUに日本からアクセスするとHTTPステータスコード451を返してくる

このステータスコードはUnavailable For Legal Reasons、「法的理由により取得不能」を意味しており日本刑法175条関連の問題暗喩しているのだろう

※1: nutakuに関しては過去にはDMM(今FANZA)にリダイレクトしていたがDMM由来のタイトルが減り海外タイトルが増えた結果、日本由来のタイトルのみ日本からアクセスだと非表示及びアクセス不可にして海外タイトルに関しては通常にアクセスできるようになっている

※2: 2d-marketに関しては初期の頃は国内から普通に購入できていたが現在はできないようになっている

※3: つまり海外在住の人間海外からやる分には全く日本の法的に問題はないので海外同人サークルがpatreongumroad無修正版の同人誌頒布してるのを時々見られる

2019-02-11

けもフレ2にハマれない

けもフレ2のほうがCGが良くなっているとか、けもフレ2を叩いている人はたつき監督降板報復で言っているだけだ、とか世間では言うのだが、純粋に楽しめない。ワクワクしない。

たつき監督の件は確かに残念な話だったが、けもフレは好きなの作品なので、制作陣が変わっても楽しみだった。

でもいざ見てみると、いつも途中で寝てしまう。

仕事終わりで疲れていても、ワクワクする作品ならむしろ目が覚める。寝られなくなる。

途中で寝てしまうので、また翌日最初から見るのだが、また寝てしまう。

いつまで経っても話が進まない。だんだん辛くなってきたので、最近はもう諦めようかと思っている。

やっぱり作画は可愛く思えない

専門的なことはよくわからないので、CGが良くなったと言われても良くわからないのだが、少なくとも全然可愛く思えないのは確か。

1よりロボットっぽく見えるのは私だけなのだろうか。

ストーリーにハマれない

1の続編なので、2番煎じっぽくなってしまったり、マンネリっぽくなってしまうのは重々承知なのだが、それでも全然面白くない。ハマれない。

可愛く見えないせいか、新キャライマイチ魅力を感じない。キャラ薄くない?って感じもするのだが。

トキさんやアルパカさんのような個性的キャラもっともっと見たいのに。

最近動物園ともコラボしてたりするので、このまま人気が出て国民アニメになれば良いなあと思っていたが、このまま廃れてしまったら非常に残念だなあ、と思った。

なに枠なのかよくわからないタレント

ビートたけしとか所ジョージとか、ビジュアルも話も別に面白くないのによくテレビに出演してるタレントってなんなんですかね?

特に和田アキ子

追記

あいうの出さなければ、制作費はうくし、それで綺麗どころ座らせとくか、若手の落語家にでも喋らせれば、YouTubeなんかより面白番組作れるっしよ。

2019-02-10

anond:20190210214158

ちんこちんこちんこ!」 vs 「ペニスペニスペニス!」

だと、ちんこ!の方が節操が無いと思うんだよ。

何となく売れそうなジャンルの気配はわかる。

だが大衆が求めてるのはちんこなのかペニスなのかを見極めるのは難しい。

増田節操なくなってきてるって感じたのであれば、それは制作側が進化成功した証だよ。

ドイツFateラブライブの新作映画を見た

ドイツでも日本深夜アニメ公式配信はあるのだが、新作アニメ映画を見るのは通常困難である

しかし年に一度ドイツおよびオーストリアの各都市日本の新作アニメ映画ドイツ字幕付きで上映するAKIBA PASS FESTIVALというイベントが開催されており、そこで「ラブライブ!サンシャイン!!The School Idol Movie Over the Rainbow」と「Fate/stay night Heaven's Feel II. lost butterfly」を鑑賞することができた。

https://akibapassfestival.de/


以下はニュルンベルク会場の様子(他の開催地ベルリンドルトムントフランクフルトハンブルクケルンライプチヒミュンヘン、パシング、シュトゥットガルトウィーン)。


会場の雰囲気: ニュルンベルク場合は15シアターくらいある大きな映画館の2シアターが貸し切られ、1日アニメが上映される。普通映画上映とそれほど変わったことはなく、一日券の販売アニメグッズの売店があるくらい。会場によっては制作スタッフ等のゲストが来て質問会みたいなのがあるらしい。たまに気合入れてコスプレとかしてきている人もいる。


上映前: 日本と同様映画の前の宣伝映像は長い。ドイツアニメイベント宣伝日本アニメ配信関連会社のほか、アトラスコーエーシュタゲ等のゲーム宣伝がいくつかあった。


映画について(軽いネタバレもあるので注意)


ラブライブサンシャイン


人の入り: ざっと数えたところ70~80人くらい、割と空いてる。アイドルアニメはやはりヨーロッパでは受けが微妙かも。でも中にはグッズを付けていたり結構ファンもいる模様。女性も少なくとも2割くらいはいる。


盛り上がったところ: ドイツ映画鑑賞は笑ったりちょっと歓声を上げるくらいは許容。ライブパートは静か(集中して聞いていたのかもしれないが日本語の歌なのできついかもしれない)。女の子たちがコミカルな動きを見せるところはかなり盛り上がっていたように感じた。


笑いが起きたところ: 最初の追いかけっこパート。お尋ね者ポスター。月ちゃんフィレンツェのお屋敷マリ母に恭しく退出を促すポーズをしたところ。



Fate/stay night


人の入り: 200人を超えるくらい。満員ではないが混んでる。3部作の第2部にあたる映画であるが第1部は去年上映された。


全体の雰囲気: バトルシーンのクオリティが高く緊迫した場面が多かったためか会場全体を息を呑む場面が多かった。エロいシーンは若干の反応あり。


笑いが起きたところ: 士郎と桜がいちゃついてる食卓の向かいライダーが座ってたシーン、そのすぐ後のナイフフォークを出されるシーン。


喝采が起きたところ: 間桐慎二が死んだところ。


少しがっかりたかもしれないところ: 続編の公開が2020年春予定。ドイツで見れるのはおそらく2年後。

コードギアス 復活のルルーシュ

※本文には「コードギアス 復活のルルーシュ」のネタバレを含む。

10年前のR2放送物語が終盤に差し掛かり最終回というもの意識した時、本当に比喩ではなく毎週の楽しみであり、

生き甲斐だったコードギアスが終わるという切なさを感じつつ、その分素晴らしいものをみれるのではないか

という期待感もあった。

早くこの物語の結末を知りたい、観たいという気持ちと、

この素晴らしい物語が終わってほしくないという気持ちが重なる、そんな期間だった。

  

最終回放送された西暦2008年9月28日

ルルーシュスザクと行った本当のゼロレクイエムナナリーフレイヤでやろうとしていたこ

この二つの類似性に打ち震え、あの悲しい最後のシーンはルルーシュスザクナナリー物語を終わらせるにふさわしい、

素晴らしいもので、それまで見てきたどんな作品最終回よりも美しいと思った。

  

それまでの話数は放送後何度も見返したが、

R2最終回は、その後しばらく見返すことができなかった。

私にとって不可逆で不可侵の素晴らしい思い出だった。

      

最終回放送から8年後、西暦2016年にそのコードギアスが、ルルーシュが復活するとの特報が出る。

    

思い返せば亡国のアキトシリーズの放映や、パチンコ化などのメディアミックス情報は、

アニメ放送後も途切れることはなく、コードギアスは死なないコンテンツになったのだと気付くべきだったのかもしれない。

    

情報は少しずつ鮮明になり、総集編としての劇場版3部作が放映されたのちに

完全新作エピソード劇場で公開すると発表がある。

    

総集編はテレビシリーズとの小さな、だが物語に大きく影響を

与える変更点を加えつつ次々と公開していく。

  

そしてルルーシュが死んでから10年がったった昨日、西暦2019年2月9日平成最後の冬に

コードギアス 復活のルルーシュ」が公開された。

  

タイトルからして復活である

ルルーシュは死んだのに。

美しく、そして気高く世界から憎しみを無くすために文字通り命をかけた主人公

もういないはずで、それでも世界は続いていたのに。

  

復活

  

実は復活と銘打ってはいるが、概念的なことだけで

肉体が蘇るわけではないよ。

ルルーシュがいない世界必死に、彼が求めた願いを実現するために

戦う残された者たちが一生懸命戦う。そんな物語だよ。

それでもよかったのではないかと考えた。

  

だがし復活したのだ、

嘘つきのルルーシュは大切な約束を守るために。

  

復活してルルーシュは、まぎれもなくルルーシュだった。

味方が、特にナナリーピンチの時には全身全霊をもって、

策を練り、有無を言わせぬ迫力で味方を鼓舞し、指示を出す。

  

私が10年前に美しいと感じたルルーシュがそこにはいた。

あれがルルーシュだということに異論を唱えるファンはいないだろう。

それほどまでに素晴らしくルルーシュだった。

  

そして、物語はこれもまたまぎれもなくコードギアスであった。

国の陰謀、計略する首謀者、そこかしこに仕掛けられた罠、

激しく火花を散らし戦闘するナイトメアフレーム

世界の理を変えてしまうほどの強大な力、ギアス

  

コードギアスという作品に込められているものすべてが

詰め込まれており、それでいて色褪せない、新鮮さも感じることのできる、素晴らしいストーリだった。

  

この作品コードギアスであることに間違いはないが、

賛否両論あるということも間違いないのである

  

  

論点は一つ、ルルーシュの復活である

  

  

コードギアスという作品ルルーシュの死をもって

完結した作品であるはずという思いが強い人が多いのではないか

実際私もそうであったからこそこの「復活」にずっと懐疑的

感情を抱いていた。

  

だけれども、観て、楽しんでしまうのだ。

どんなに抗おうとしていたとしても、

観終わった後に私がどんな感想を抱こうが、

劇場で金を払ってみたという事実があるのならば、

コンテンツとして、興行としては大成功だ。

それは全くもって否定できない。

10年前に完結した物語の続きなんてみたいに決まっている。

観ないわけにはいかない。

  

観終わった後、自分感想賛否両論のどちらかなのか

すぐに決めることはできなかった。

この「復活」はあまりにも消化に時間がかかると感じた。

少しでもこの胸のつかえがとれないか

「復活」に関する評価感想ネットであさっていたところ、

監督インタビュータイトルに「批判覚悟制作に踏み切った」とあった。

  

この文言に納得しかかった自分もいたが、

冷静になってみればそれはそうだろうという感想だ。

物語を美しく終わらせるのではなく、

死なないコンテンツとして継続し続け、興行として成功する。

素晴らしいことだが、コードギアスというコンテンツを死んだと

解釈する私の様な人間から批判が出るのは覚悟していただかなくてはならないだろう。

  

10年の歳月コンテンツ評価に対する指標も変えた。

もはや視聴率はその指標としての能力を失い、

配信ツールの普及はいわゆる円盤の売り上げを

抑制するものになった。

  

からネット感想が正しいというつもりはないが、

例えばツイッター等のより個人、とりわけ趣味嗜好を

把握しやすSNSにはおおむね好意的にこの「復活」を

とらえている人が多いように感じる。

  

また、劇場でも終幕後に涙を流し、

良かったと感想を漏らす人も多くいた。

  

これだけでもこの興行成功であったと言えるであろうし、

どんなに賛否両論意見が出たとしても、「賛」の意見が出続ける限り

今後も興行収入を伸ばし続けるであろう。

  

否定というものさらなる否定を己に

向けられる覚悟がないといけない。

ルルーシュ言葉を借りるのであれば

「撃っていいのは撃たれる覚悟がある奴だけ」だ。

より情報を発信した個人特定されやすいこの環境では、

批判否定という行為は行いにくいだろう。

  

しかし、「復活」でルルーシュはこのセリフ否定するかのような言動を行う。

  

C.C.と同じ、撃たれてもその命を失うことがない

L.L.にはその覚悟がない。

いや、人ならざる力を持ち、さらには死すらも乗り換えたもの

人とは違う理で生きている。その悲しさを物語っているのかもしれない。

  

思えば10年前は視聴率を上げるために放映時に見る、

円盤を購入するという行為に我々は「支援」という意識を持って行っていたと思う。

  

大量のコンテンツであふれかえる世界から

自分の「好き」を少しでも延命させるために。

  

それはコンテンツというものが、傲慢かもしれないが

我々の支援なしには生き続けることができないと、

その支援が乏しく、延命繁栄をすることができずに死んでいったコンテンツ

観ていたからこそ、そうした感情が行動させていたのではないか

  

私が「復活」を劇場で鑑賞した際に

最も涙腺を刺激されたのは、お調子者だが愛されキャラ

本作でも重要役割を担う「玉城真一郎」のクレジットを見た時だ。

  

ご存知の方もいると思うが、「玉城真一郎」をTVシリーズで演じていた、

田中一成」さんは、西暦2016年に亡くなった。

  

もちろん総集編の劇場版で「玉城真一郎」を演じた演者の方の演技は

素晴らしく、引けをとっているだとか、優劣があるといいたいのではない。

  

私は「田中一成」さんの訃報を聞いたときしかった。

その悲しさは、当然のことながら亡くなった人はもう「復活」しない

ことを理解していたかである

  

10年の歳月があれば、悲しい別れを経験する人も多いだろう。

実際私もそうだった。こんなことを書くと現実フィクション理解していないと

否定されそうではあるのだが、私が10年前に愛した「コードギアス」には

壮大で近未来的なSFとしての要素もありながら、リアリティがあったのだ。

ルルーシュが何度もシャーリーギアスをかけようとしても、

にゆ人間を救うことはできない。そんな現実を突きつけられるような、悲しい物語だったのだ。

  

からこそ私たち最終話ゼロの剣に貫かれたルルーシュを見たとき

そこにリアリティを、死んだ人間は蘇らないという現実フィクション

コードギアスの中に見出し、涙したのではなかったのだろうか。

  

もしこれらを強引に、好意的解釈するとすれば、

私は10年前の最終話ルルーシュの死によって完結した素晴らしい物語

味わうことができたこと。

そして感情胃もたれしそうなほど甘い、

デザートのような続編を味わえたと、いうところだろうか。

  

それならば、一度飲み込んでしまったものは、咀嚼して

何とか消化吸収に努めないといけないのだろうか。

  

私がどれほど批判否定インターネットの海に

吐き出したところで、何にもならないのだから

  

批判覚悟で」

  

私の批判という弾丸は、放ったところで制作側には届かない。

コードギアス」というコンテンツは「復活」したルルーシュ

同じく「死なない」コンテンツに「復活」した。

  

私の撃つ弾丸は、もうルルーシュを殺せない。

  

2019-02-09

anond:20190208154907

プレミアムへの差別化が「機能の追加」ではなく、一般会員への「機能制限である点。

無料体制YouTubeは「どうぞご覧ください(ただし広告は見てもらいます)」なのに対して、ニコ動は「月額料金支払わない? あなたは下級民です」であり、ときには「お帰りください」である

動画作成者の囲い込みが下手

ニコ動はいろいろな有名投稿主や生主運営に囲われ、「公式化」させられる。ニコ動の「主」という存在、その存在への感覚は「Tuber」とは異なり、そもそもニコ動の成立過程からアマチュアっぽさ」が求められる。「公式化」はそれを無価値にさせるものであり、奴隷化陳腐化に映ってしまいがち。

公式生放送TV

公式生放送テーブルに組まれて定期的に配信されるため、TVと同等の配信形式となっている。これが「生放送をオンタイムで見られる」というメリットより、「気が向いたときに見られるというネット性をわざわざ損なわされている」というデメリットに感じられる。人気の生放送では一般会員が蹴り出される「下級民扱い」とのコンボ効果的にはたらいている。

ガラパゴス化

日本独自サービスであることがメリットであると感じられるより、「日本のものしかない」というデメリットに感じられてしまう。また「動画投稿サービスとしての合理性」より、「独自性」や「サイト運営会社の存続」が主点に置かれた「ガラパゴス化」された仕様により、動画制作者が疲弊する。

バラマキ

一般会員でもニコ広告の配布など、「ニコ動の反映に貢献しろ」という本営からのお達しが定期的にあり、公式化への加担を強調される。

・金払いが悪い

ニコ動動画制作者へのサポートがなっていないため、仕事として収入を考えるとYouTubeに流れてしまう。

もともと俺はゲーム実況系の動画をメインで見てるんだけど、いわゆるeSports系のゲームタイトルに手を出すと生放送Twitchに流れがち。Twitchの「お前日本人?ふーん」感と日本コミュニティ英語ネイティブコミュニティより活発でないというデメリットより、ニコ動の「さびれ」感のデメリットのほうがずっと大きく感じられて、昔馴染みの配信者がきまぐれにニコ生するときに行くくらいになってしまった。まあ俺はおっさんなので「新しい配信者」を探す気力には乏しくなってきたが、それでもニコ生の配信者を新しく開拓しようという気概はもはやゼロと言って等しい。

ニコ生では「枠」として30分制限をずっとしてて、それを解消するのも遅かったね。

かいところでは、アプリ連携や有料アニメなどの「付加価値」に重きを置く形態が「昔は違法アニメアップロードサイトだったくせに」という意識拍車をかけるのもある。おっさんからね。

もはや「ニコ生」「ニコ動」というブランド名田舎臭さ、泥臭さが漂うようになってしまった。もちろんTuberはTuberで地獄でもあるんだろうけどさ。Googleシンプルなんだよ。そこをつらまえると「ニコニコ日本企業として判断の遅さ、付加価値への信仰を捨てられない時代遅れサービス」としてのシャッター街のような侘しさすら感じさせる。

俺はゆっくり実況も好きで、SCP解説系とかは未だに見てるけどね。専ブラで見るのが好きなので、今はMnMnってヤツ使ったり。

動画見る上で俺は「川上量生がどうこう」みたいに運営者を追ったりしないのでよくわからんが、体制変えない限り「二流感」はそうそ払拭できないだろうな、って思う。

2019-02-08

国連子ども権利委員会で起こった虚偽答弁について

厚労官僚の島氏 国連児相被害隠蔽の虚偽答弁

1月16日午後に開催された国連子ども権利委員会において日本児童相談所(以下、児相と略記)による様々な逸脱行為に対しての問題提起がなされた。これまでも

1)司法判断も親の同意もない児相の職権による強制一時保護

2)児相による一方的な親子の面会禁止処分、そして

3)一時保護から施設入所期間に渡る保護単価による経済的インセンティブ

4)一時保護による虐待処理数ノルマ問題など

問題視されていたが、それらの諸問題について国連によってグギをさされた形だ。

これに対する日本政府代表からの答弁は翌日17日午前の会議に持ち越された。

答弁に応じたのは厚生労働省子ども家庭局家庭福祉児童福祉専門官の島玲志(しま れいじ)氏。

島氏は日本児相による子供強制的な社会的養護に関して

子供と親の両者の意見を聞き、子供と親の意見と違う場合家裁判断

するのだと述べた。それについて関係者

「親と子供意見を聞いて判断した事例が少なくとも日本に何例かは存在していると言いたいのか。それが理想だと言いたいのか。もはや、この答弁の意味が分からない。詭弁だ」と呆れ顔。

また予算問題に関しては、「児相管轄地域人口規模で予算が定められており、保護児童の人数によって決まるのではない」

「ただし、児童養護施設里親へは児童1人当たりで予算が決まり直接支給される」

児相一時保護所に子供を入れる金銭インセンティブ否定したとも取れる回答をした。

これに不信を抱いた会場参加者がこの点を問いただした所、

児相収容した保護所の児童1人当たりの「保護単価」の存在を認めた上で

それは児童養護施設里親「等」の予算に含まれものとして説明したと釈明。

どうやら、答弁の前半では児相管轄地域人口規模で(定員)予算が定められており、保護児童の人数(を好きなだけ集めたその人数)によって決まるのではないと定員問題を斜めにはぐらかし、後半で施設やら里親やら何やら「等」に実は保護所も入っているとして、聞く人によって2つの意味を持つ官僚答弁なのだと言いたいようだ。

しかし、これでは児相管轄する厚労省が一番触れられたくない所はここですと吐露しているも同様であり、

虚偽答弁と揶揄されても仕方がない。国がこれ以上、国際社会児童行政に関わる暗部を隠し通すのは困難だろう。

ここは国民のために間違いを認め、経済的インセンティブに基づく強制保護理不尽な親子の面会拒否を即刻中止し、国連の子もの権利条約違反状態を解消するべきである

そして本当に子供の命が危ない深刻事例を漏れ無くケアするため定員に余裕を持たせて務める事こそ真の急務なのではないだろうか。

また、定員に空きがあることを容認する組織体制作りも不可欠であろう。

今期のアニメ実験的すぎない?

実験1 Vtuberアニメにできるのか

 

実験2 売れたアニメ制作を変えて行けるか

 

実験3 売れた監督オリジナルやらせたら行けるか

 

実験4 50年前の原作でも深夜アニメ行けるはず

 

実験5 3D2D混ぜても大丈夫だろ

 

あとなに

2019-02-07

BSプレミアムドキュメンタリー

BSNHK総合教育制作され放送された過去数十年間のドキュメンタリー

テーマリクエストに沿って構成して再放送する「プレミアムカフェ」という枠があるんだけど

始めから終わりまで流れも登場する人の言葉ほとんど暗記してるくらい好きなドキュメントがいくつかあって

それが放送されるときは毎回録画しては飽きずに見てしま

自分の中ではその内容のあれこれを事細かに覚えていてもいつも新鮮で身近に感じるんだけど

実際には制作放送年が2002年とか2007年とかもうかなり古くて

自分もそれは歳をとるわけだなと思うと同時にそのドキュメンタリーの中に

自分が観る度に何度もずっと同じ姿のまま登場する人達は今どうしてるのかなと考える

数日や数か月や数年をカメラに切り取られてその動いているところが鮮明に写ってる

海外のどこかで暮らしてるその人たちがいまどうしてるだろうとかまだ生きてるだろうかと考える

年配の人はもう亡くなっているだろうなとかあの若いカップルは今は結婚したろうかそれとも別れただろうか、

ともあれ二人ともあの広大な国のどこかの町で元気に生きているだろうかと考える

名前のはっきりわかっている人はたまに思い出したように検索してみたりして

生きてHPフェイスブックをやっていると知り合いでもないのになんとなくほっとしたりとかもする

絶対生身のまま会うこともなければネット上ですら言葉も交わさな人達だし

こっちが一方的にそのときのその人を何回も再生してるだけなんだけどときどきものすごく気にしてる

たまたま見ることができただけのその人の人生の一部を共有してる気分になって

こうやって撮られていないだけで同じようにどこかでなにかあれこれやってる人たちが

世界中にどんだけいるんだよと思って世界広すぎるだろって途方もない気持ちになる

NHK、たまにかつて撮った人たちのその後を追いかける番組でも作ってくれればいいなと思う

作品の善し悪しだけでなく制作過程にまで文句をつけるイキリオタクが大嫌い

制作過程文句を言うならおまえが金集めておまえが企画して制作指揮とれや。

2019-02-05

anond:20190205070002

(3)

そして今度は2005年5月に「第二次惑星開発委員会」と銘打って再び「善良な市民」の名でサイト運営を開始します。宇野さんはどうやら東京移住したようです。旧・惑星開発委員会にもあったクロスレビューに加え、テーマについて語り合う惑星座談会機動戦士Zガンダムを全話振り返る機動戦士Ζガンダム回顧録などがメインコンテンツです。メンバー宇野さんがネット面白い文章を書く人に声をかけて集めたそうです。

旧・惑星委員会との変化はメンバーだけでなく善良な市民キャラクター設定微妙に変わってます。旧での苛烈作品批判は軟化し、良いところはきちんと誉めるようになり、下の世代の目を意識しているのか啓蒙的な要素が増えています。また旧ではパロディ範囲内だった評論を真面目にやろうとしている印象を受けます

そして、「宇野常寛」の名前ライター活動を開始します。この頃の宇野さんは「宇野常寛」と「善良な市民」を分けて使っており、「宇野常寛」での仕事掲示板で「ぬるい」「何で毒舌キャラで行かないんだ?」と言われており、ライターとして真っ当に仕事をこなすのが「宇野常寛」、毒舌キャラ評論を展開するのが「善良な市民」と使い分けようとしてたのでは、と推測できます

2005年12月には今や数千部の部数を誇ると噂されている「PLANETS」の第一号をコミックマーケットにて販売

2006年4月にははてな界隈オフ会に飛び入りで参加しています。その時の宇野さんの様子をid:laisoさんはこのようにブログで書いています

しきりにオタっぽい仕草をする失敗した高橋克典みたいなひとで、

芝居がかったライトノベルキャラのようなことを素で喋る。

善良な市民という人はしょっちゅうこっちをチラ見してきて超絶うざかった。

「見んなって」というと「見てないよ。それは君がこっちを見てるから――」と

返してくるのでなるほど、それはそれでそれはそれだと思って、

自意識バトルを常に仕掛けてくるのだなと思った。

宇野さんは高橋克典似のイケメンかつ知性溢れる聡明人間のようです。

2006年4月さらサイゾーインタビュー記事担当したという告知をし(活字媒体での仕事を発表したのはこれが初めて)、2006年7月には「PLANETS」第二号の告知がされます。この号から正式に「宇野常寛」名義になり、東浩紀原稿依頼をして断られたりしています

ちなみにその当時の「宇野常寛」の知名度はこんなもの

168 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2006/06/26(月) 10:44:41 ID:4MUYMtgg

宇野常寛 の検索結果のうち 日本語のページ 約 32 件

・・・

この時期、某掲示板での宇野さんへの評価は「ある程度良い大学学生オタク批判してたのは小気味良かったが、売れないサブカルライター必死オタク批判してるのは見てて痛々しい」といった調子です。また「この仕事量で食べていけるのかな?」と心配する声もあがります。PLANETS第二号の白倉プロデューサーへのインタビュー特撮界隈で話題になるもこんな書き込みが。

802名無しより愛をこめて [sage] :2006/08/14(月) 12:21:50 ID:FJc6m3X80

>800

お前の読む労力なんざ知らん。まあインタビュは8Pしかないけど(しかメールインタビュだ)

けど言った手前とりあえずガンダム云々について(ID違うのは気にしないで)

インタビュア:現在本誌でも特集しているTBS竹田Pの手がけるアニメーションでは作品に明確なアンチグローバリズムメッセージが盛り込まれています。同じアンチグローバリズム立場から、娯楽番組制作するという立場で、竹田Pと白倉Pは共通しているはずですが「竹田アニメ」のような直接的なメッセージを「白倉ライダー」はほとんど発することはありません。これはプロデューサーとしてのスタンスの違いなのでしょうか?それともアンチグローバリズム観の違いでしょうか?

白倉:グローバリズムかいう耳障りのいい言葉を創出して価値観押し付けるのには反対です。価値観思想信条は個々人がみずから経験を通じてそれぞれ獲得していくものであって、誰かから押し付けられるのでは宗教と変わりありませんただ、番組メッセージを盛り込むなどというのも、同じく、公共的な番組私物化する行為だと思います

なんか一時が万事この調子サブカルから平成ライダー語ろうとする同人誌側と>サブカルとかまったく意識してない白倉

とで齟齬があって凄く微妙(白倉が種とかハガレンとか見てるとは思えないし)

まあ上の文からでも白倉Pの番組観はちょっと見えるけどこういうのは今までも散々言ってるし

白倉Pに対して特定作品に関してでないインタビュは貴重だから期待してたんで余計にガッカリ

切通理作井上インタビュくらい相手発言を引き出してくれるのはないもの

808名無しより愛をこめて [sage] :2006/08/14(月) 23:26:32 ID:nAGLeJSg0

なんかギャグみたいなすれ違いだなw

管理職として実務に携わっている会社人とサブカルライターとの違いが

痛いほど伝わってきて、イタイ

現状を憂えた宇野さんの熱意はなかなか動物化したオタクには伝わらないようです。

そして、2006年9月に「惑星開発委員会善良な市民宇野)氏を批判する」と題した文章アップロードされます。書いたのは転叫院さん(id:tenkyoin)。第二次惑星開発委員会の中核メンバーで、ウェブ上やPLANETS誌上で宇野さんと対談をしています。お互い、一目置きあっている「盟友」って感じだったのですが……。

惑星開発委員会批判している対象への批判があまりレベルの低いものであったから,私は惑星開発委員会に関わった.だが,いまや,惑星開発委員会への批判があまりに低レベルだと感じる.だから惑星開発委員会へのまっとうな反論を書きたいと思った.

そして、宇野さんへの批判を展開し、最後にこう締めます

これから惑星開発という立場を離れてレビュー等を書く,一人の書き手に戻ろうと思う.

以後、転叫院さんはメンバーから外れ、自身ウェブサイト「惑星開発委員会の善良な市民(宇野)氏を分析する」「ゼロ年代の想像力」に対する批判者のためのメモ書き」惑星開発委員会宇野常寛氏を批判する 2007」と、度々宇野さんの批判を展開しています。転叫院さんの契機が何だったのか、本当のところはわかりません。友達大事しましょうね、宇野さん。

2019-02-04

anond:20190204030314

少し前のソシャゲ界隈がこんなかんじだった

エンジニア出身創業者ゲーム制作に専念したいか

コンサルとかVCから経営スペシャリストを呼ぶといつのまにか乗っ取られていた

創業者離脱して別会社を立ち上げて細々とやってるが

やはり苦しくなって大手資本いれたりな

ロフト広告10年前のものらしい

https://headlines.yahoo.co.jp/cm/main?d=20190204-00000002-jct-soci

これ、調べたら分かるんだけど、メインビジュアルの「女子がならんで『親友』を装ってるけど背中側では足の引っ張り合い」は、イラストレーターさんが約10年前に制作した作品の焼き直し。ほぼ同じ構図の絵があります

企画者がそれを知っていて「これいいですね!オシャレ!このイラストを全員同じ格好で描き直して!」って発注したんだと思う。

から価値観10年前なのは当たり前。

イラストレーターさん側も「ええ…古いのに…」って思ってた可能性はあるかもしれないですね。

しかに、一昔前はこういうの良くあった。ウケてた。でも今は違う。

10年前の感性アップデートできてなかった責任者の失態でしょう。

という指摘を見つけた。

これは、このイラストレーターファンにとっては周知の事実なんだろうか?

通りで古臭いと思った。

ロフト広告と言ったら結構大きな仕事だろうし、そこでレーター自ら10年前の焼き直しなんて手抜き仕事をするとは思えないか

ロフト側の指定だったんだろう。

何で10年前のものを今更持ち出しても良いと思ったんだろう。

ズッ友」などの言葉遣いも古臭いけど、これもイラストレーターではなくロフト側がつけたんだろうか。

こんなに時代に合わせるセンスがない人でも、ロフトという大企業広告担当出来るのか…

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