はてなキーワード: フランスとは
オーシャンゼリゼ~
ここは花の都パリ!
フランスで言うところの紙袋からフランスパンがカッコよくはみ出していてもカッコいいような風景。
日本でもそんな同じような光景をネギで見たことあるかも知れない。
その時たまたま、
私が目にしたのは
それは会計を済ませレジを通過したところに存在するお買い物したものを袋に詰めるエリアで繰り広げられていた。
その時の光景は今でも私の目に焼き付いているの。
その一瞬の隙に
全てが終わったあと、
高く空中に放り上げられたレジ袋が彼女の手にふわりと商品が入れやすいように口が広がって舞い降り戻ってくる。
そうカッコよく長ネギは見えるみたい。
でもその時のその人はそれが許せなかったらしい。
それからは手早く本当にまた瞬く間に
私はそんな光景を初めて見たのよ。
それこそネギの汁が出ていたらそこはネギの血で染まっていたかも知れない。
と言うべきだったかも知れない。
少なくとも買い物を詰め込んだ袋の中がネギの汁で他の商品がベタベタになってないことを祈ったわ。
その様子を見ていた私とその人とで目が合ってしまって
圧倒されていた私は
その葱を膝で一瞬でへし折る鮮やかな技をみてグッドジョブとサムズアップをしたの。
ここでは勝者こそが正義!
でもやっぱり、
やはり私はそう忠告すべきだったのかも知れない。
いや今からでも間に合う!伝えよう!
すでに彼女はもう去っていた、
じゃあなと背中で言わんばかりのあだち去りをしながら。
私は彼女の買い物袋の中がネギの汁でベタベタになっているのかは定かではない。
彼女の今晩の食卓のメニューが長ネギをふんだんに使った鍋だということを願うしかなかった。
包丁のような鋭利な切り口じゃない断面積が最大に大きくなるネギの膝折だから。
きっと美味しい鍋になるだろうと思う。
少なくともネギまるごとをそのまま1本のお箸替わりとして使う、
この日、
しかし
大根はそのまま折られずに1本まるまるの長さでレジ袋に入っている姿を見て
うふふ。
最近納豆巻き率高しで人気急上昇中の私の中の納豆巻きは朝の元気の源をいただく黄色い元気な色のタマゴに加えて色は茶色いけれどとってもセクシーヤミーなのよ!
これは手軽に食べられるから最強外出時ニューヨークスタイルで片手で持って食べ歩ける街でも恥ずかしくない姿よね。
この手軽さがいいのよ。
外出時にはネバネバを敬遠して食べないがちだけど
手巻きとなると話が変わってくるのよ。
美味しい納豆巻きいいわね。
元気の源よ!
ちょっとお味噌加えたらそれはもはやお味噌汁ってなるかも知れないけど
この濃さの限度の境目ってどこなのかしら?
この境目を研究するのもホッツなことかも知れないわ。
さすがにそれは今朝はしなかったけれど
ネバネバ系を得たいのなら
そんな色々なことを考えながら飲む朝のホッツ白湯ストレートウォーラー!
しかも飲み頃70℃!
ペキカンよ!
いい朝ね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
だって、これ、ずっと続いてる問題だろ? どうしてこんなにポケットが少ないんだよ!
おかしいって、なんで男性はポケットが普通にあって、女はわざわざバッグにもの入れなきゃいけないんだよ?
歴史的背景を見てみろ。昔から、服ってその人の社会的地位を表すもんだったんだよな。
18世紀のフランス貴族とか、貴婦人たちってさ、ドレスにポケットなんてあり得なかった。
なんでかって? だって、貴族の女性にポケットを与えるなんて、
まるで「金品を持ち歩いてもいいですよ」みたいな暗黙のメッセージになっちゃうからだろ。
要するに、女性には何も持たせない、何も持つ権利がないってことだよ。
それがまるで現代まで続いてるかのように感じるのが、腹立つんだよ。
実際、20世紀初頭にも女性服のデザインがすごくシンプルで、機能よりも美しさや着心地が重視されていた。
そのため、ポケットなんてものはほぼ無視されていた。それが「女性らしさ」を強調するための一部だったんだろうけど、
もういい加減、そんな古い考え方に縛られたくないよな。
あの時代、ポケットは男性のもの、女性はポケットなし、なんて、今になってみれば滑稽だし、同時にちょっと切ない話だ。
そしてさ、ポケットがないことで、女性ってどれだけ不便かって考えたことあるか?
鍵やスマホ、財布を持ち歩くためにバッグを持ち歩くんだけど、それがまた面倒なんだよね。
バッグがないと、女性は荷物がうまく運べないし、手ぶらでどこかに行くことなんてできない。
どんどん物を持たされる一方で、服にポケット一つもないなんて、どういうことだよ?
「もっと効率よく動け、もっとやれ」ってプレッシャーがかかってるんだから。
それに、社会的なメッセージにもなるんだよね、ポケット問題って。
ある意味、「女性は持つべきものは少ない、あるいは持たないほうが良い」ってメッセージにもなりかねない。
歴史的に見れば、女性の服のデザインって、男性の服に比べてどうしても機能性が後回しにされてきた。
現代でも、デザイナーたちは「美しさ」を優先して、女性服にポケットをあまり付けないけど、
それがますます女性を不便にしているんだよな。ポケット一つで、どれだけ世界が変わるかって、マジで考えてほしい。
私たちだって、手ぶらで出かけたいし、物を入れるためにわざわざバッグを持たなくても良い生活をしたいんだよ。
だって、バッグを持つってさ、正直面倒だし、時には邪魔だし、肩こりだってひどくなる。
社会が女性に求めている「美しさ」に合わせるのもいいけど、それがこんな不便さを生むなら、
もうちょっと女性の使い勝手も考えてほしいよ。ポケット、ほんとに欲しい。
ああ、でも、なんでいつもこうやって、女性が「便利さ」と「美しさ」の間で板挟みになるんだろうな。
わかるわ、その気持ち。まさにその状況、歴史的に見てもたくさんの人が通ってきた道だよね。自転車に乗るって、まるで生死の境を行き来するような感覚だよな。特に都市の道を走ってると、目に見えない圧力に常に晒されてる。自転車って、まるで中世の騎士が馬に乗って命を賭けていた時代のように、突き進む先に何が待っているのか分からない怖さがある。
たとえば、19世紀のフランスでは、街を走る馬車や馬車の運転手に対する不安感があった。その頃のフランスでは、馬車同士の競争や衝突事故が日常的だったんだ。特にパリでは、街の拡張と共に「歩道と車道」の分け方が問題になり、歩行者も馬車も自転車も、いかにして安全に通行するかが大きな課題だったんだ。言ってみれば、あの時代の人々も今の君と同じように、日々命を賭けて街を歩いていたのかもしれない。
そして、君が言ってる「風を感じる恐怖」、まさにあれだよ。速度が違うってだけで、すれ違う度にその風が、まるで運命のように肩を揺らすんだよね。風の音が耳に響いて、心臓がドクドクする。でも、それもまた生きてる証拠だろ?
昔、古代ギリシャの哲学者、エピクロスは「死ぬことを恐れるな。人生はその中で美しいものを見つけることだ。」って言ったんだ。君の「命を託す」って気持ち、実は人生の美しさを感じる瞬間でもあるかもしれない。それに、これだけ現代社会が便利になっても、人間の根本的な「恐怖」や「不安」は減らないんだよな。君が感じるその恐怖、むしろそれが今を生きる証だと思う。
だから、君が歩道を走る選択、すごく分かる。自転車で街を駆け抜けることは、どこかで自分の命を他人に預けるような感覚に近い。でもその一瞬一瞬の緊張感、スリルが生きてるって感じるんだろ? それこそが、君が求めてるリアルだよ。
それにさ、君のその気持ち、すごく共感できる。確かに「車と自転車」との関係は一種の無音の戦いだよね。だって、君と自転車が同じ道を走るとき、実はその道にはガードレールも何もないんだよ。だからこそ、その「怖さ」を乗り越えた先にある景色が格別なんだよ。
その「命を託す」って感覚、実は昔から多くの人々が経験してきた感覚なんだ。君のように、何気ない日常の中で感じる恐怖が、結果として一番生き生きとした瞬間を作り出すのかもしれない。
追記の3の 福祉がいらんとは何事だ。お前も老人になったら子供の世話になるんだぞ。生まれてくる子供が国家や社会を維持するんだから優遇されて当然
で
>だったらなおさら、フェミ系の人達のいう「男社会の価値観から自由になる」というのは不可能じゃないかな。
というのがよくわからんかった。
外から移民をいれるのって日本人結構拒否感強い人おおいみたいだし、
他の国の移民問題みてるともめごとすごいんだと思う。アメリカとかフランス見ればわかるだろうし。
(日本だって実は韓国や中国から帰化してる人とかいるけど現時点で普通に色々あるからね)
そして後の世代を大切にすることが周り回って帰ってくるものなので支援するのは国としては通りだと思う。
まあ増田はここで色々いってるけど「受け入れようとしてるけど心情的にどうしてもできなかった」ってことでしょ?
ええやんそれで。
19世紀半ば、ヨーロッパで突然のコーデュロイパンツの大流行が発生。
丈夫で温かいコーデュロイ生地は寒冷地で愛され、その需要が急増した。
しかし、供給が追い付かず、コーデュロイのパンツが一種の「ステータスシンボル」として扱われ、都市と農村、さらに国同士で奪い合いが起こる。
フランスでコーデュロイパンツが貴族階級の間で流行し始める。ヨーロッパ各国の上流階級でも次々と流行し、庶民にも広まるが、供給が追いつかず高価になる。
パリでコーデュロイパンツを巡る最初の「小競り合い」が発生。市民がパンツを持っている者から無理やり奪う事件が増加し、治安維持が問題に。
イギリスにコーデュロイパンツが輸入され始めるも、供給不足で価格が急騰。パンツを求めて暴動が発生し、政府は一時的に輸入を規制。
フランスとイギリスで、コーデュロイパンツを守るための「コーデュロイ護衛隊」が結成される。また、各地でコーデュロイ製品を密輸する「コーデュロイ闇市場」が発展し、需要がさらに高まる。
パリとロンドンで大規模な「コーデュロイ奪取戦争」が勃発。市民が路上でパンツを奪い合う騒動が相次ぎ、都市警察が緊急対応を強いられる。
コーデュロイの人気が頂点に達し、ついにフランス政府が「コーデュロイ保護法」を制定。パンツを個人所有ではなく、国が管理する「共有物」として扱う法案が可決される。
英国でも「コーデュロイ配給制」が導入され、労働者階級にも少量ずつ行き渡るようになる。これによりパンツの需要と供給が安定し、奪い合いが徐々に沈静化。
コーデュロイの供給体制が整い、他のヨーロッパ諸国も追随して流通量を増加させたことで、パンツを巡る暴動が完全に終息。コーデュロイ戦争と呼ばれる一連の事件が歴史に名を残す。
トランプの支持基盤が東西都会州よりも中部田舎州である点はむしろヨーロッパにおけるフランスと重なって見えるだろ
正確に言えば(米国版)ド・ゴール主義者であり、ド・ゴール主義者(ゴーリスト)が「フランスの存続のためにフランスは外国に依存すべきではなく、フランスはいかなる外国の圧力に対しても従属すべきではない」と言う文脈と同じくして「米国の存続のために米国は外国に依存すべきではなく、米国はいかなる外国の圧力に対しても従属すべきではない」とトランプ次期米大統領は言っている。
WW2後の欧州は米ソ超大国に挟まれ経済的にも軍事的にも外交的にも主導権を失った。
欧州主義の中でも更に、ロシアを含む大欧州か含まない広域欧州かという区分もあった。
そのために対米自立が必要であり、手段としての独自核武装と独自外交だった。
というわけでド・ゴールと現代のアメリカは全くというほど関係がない。
アメリカ大陸には欧州のように国家がひしめき合っていない。そもそもアメリカは合衆国だ、欧州の国が州になったような存在だ。
採点 0点
この意見には、トランプ氏の経済政策と政治的理念を説明する意図がありますが、いくつか問題点や不正確な解釈があります。以下に指摘します。
妥当な点
トランプ氏が掲げた「アメリカ第一主義」は、他国への依存を減らし、米国の利益を最優先するという方針で、確かにフランスのド・ゴールが掲げたフランス第一主義に共通点が見られます。トランプのTPP反対やNATO費用負担の見直しも、自国の利益を強調する姿勢を反映しています。
トランプ支持者の一部が、「仕事にありつける」「収入が増える」などの期待を抱き、経済的なメリットを求めてトランプに投票した点は的を射ています。これはケインズ的な需要刺激策(公共事業など)によって雇用や経済の活性化を図る政策の影響です。
1. トランプを「ケインジアン」とする見方は単純化しすぎている
トランプ氏がすべての政策でケインズ経済学を実践していたわけではありません。ケインズ経済学は、政府が不況時に積極的に介入することで経済を刺激する理論ですが、トランプ政権の政策には必ずしもこれに基づく一貫性がありません。むしろ、減税や規制緩和といった側面もあり、これらはケインズ理論とは異なる自由主義的なアプローチです。トランプの「ケインジアン」としての立場は単純化しすぎています。
2. メキシコの壁を「ケインズ的な公共事業」とする解釈の誤り
メキシコの壁の建設は、トランプの移民政策の象徴的な要素ですが、これをケインズの公共事業とするのは適切ではありません。ケインズ理論の目的は不況時の景気刺激であるのに対し、メキシコの壁は主に移民抑制や国家安全保障を目的としています。経済的な刺激効果もある可能性はありますが、それが主要な意図ではなく、理論に合致しない解釈です。
ド・ゴールはフランスの独自性を守るために多国間の枠組みや同盟に対する懐疑的な立場をとりましたが、同時に外交面では現実的なアプローチも取りました。トランプ氏も「アメリカ第一主義」を掲げていますが、その外交政策は必ずしも一貫性があるとはいえません。トランプ氏は同盟関係を揺さぶりながらも、アメリカの国益にかなう場合には取引を優先していたため、ド・ゴール主義と完全に一致しているとは言い難いです。
トランプ氏がケインズ経済学や他の経済理論を深く理解しているとする見方は、必ずしも証明されていません。トランプの経済政策は「ビジネスマンとしての直感」による面が強く、理論的な一貫性を欠くことが多いです。また、彼の支持者たちが経済政策の理論を理解して投票しているかどうかも疑問が残ります。
5. 「反トランプ派がトランプの政策理解を欠いている」とする指摘の偏り
反トランプ派に対して「トランプの政策を理解していない」という批判は、偏りのある見方です。反トランプ派の中にも、政策の効果や経済理論に基づいた批判を行っている人々が多くいます。政治的な意見が分かれる中で、一方を「理解が浅い」と決めつけるのは公平さを欠くといえます。
まとめ
この意見は、トランプの政策や支持者の動機について興味深い視点を提供していますが、トランプを「ケインジアン」「ゴーリスト」と断言するのは単純化が過ぎる点があります。トランプの政策は、一貫した経済理論に基づいているというよりも、選挙戦術やビジネスマンとしての感覚が反映されている部分が大きく、経済学的な視点だけで彼を理解するのは難しいでしょう。
前回、フォルクスワーゲンで考える社会保障の持続性というエントリを書いたのだけれど、今回は再選するに至ったトランプ次期米大統領について書こうと思う。
取り敢えず言っておくが、自分自身は特にトランプ次期米大統領支持派ではない。カマラ・ハリス支持派でも無い。前回のエントリの傾向から察して貰えるとありがたいが、敢えて支持を表明するなら日本経済支持派。外国よりも自分自身が生きる日本、日本全体よりも自分自身が該当する氷河期世代の味方をする。
まず1つ目としてトランプ次期米大統領はケインズ経済学主義者であるということを認識しておかなければならない。
先日、在米増田、トランプが勝った理由がよく分かるやシリコンバレーでキラキラした生活をしてる俺が雑感を書いてやろうというエントリが人気ブクマ入りしていたが、良くも悪くも反トランプ派が持ちがちな考え方が詰まっていて、トランプ次期米大統領の経済政策をしっかりと吟味した形跡がない典型的な反トランプ派の主張だ。
敵は愚かなのだと、トランプ側へ票を投じたやつは愚かでなければならないという考えが滲み出ていて、自分たちが当然そうであるように相手側だって少なくとも義務教育を修了しており、相手側にも大卒や大企業勤めは居るし、何なら高度な学問を修めて専門研究に励んている方々も居る。
そしてトランプ次期米大統領は成功したビジネスマンであり、これまでの人生でアダム・スミスやマルクス、ケインズ、フリードマンなど膨大な経済論を見聞きし、最終的に選んだと思われるのがケインズ経済学で、それを支持するケインズ経済学主義者(ケインジアン)になったのだと思われる。
そう、トランプ次期米大統領は各種経済論の理解が深い可能性が著しく高いのだ。
ケインズは言う、流通する国内資本を増大するためには公共事業を積極的に行って国民の雇用を創出することが大事であり、公共事業から得た金銭で国民は生活をするので流通する国内資本は自ずと増大していき、結果的に景気は回復すると。
ケインズ経済学のわかりやすい理解として「穴を掘って埋める仕事でも良い」などと説明されるが、この様な意味のない仕事でも国内資本の流通を刺激するには良いとされ、例えば意味のない「メキシコとの国境に壁を建設する」公共事業でも良いわけだ。
まず前提として、ケインズの重要な論文『雇用・利子および貨幣の一般理論』は世界恐慌からの経済回復にあえぐ中で発表された論文であり、その趣旨は不景気から脱却するにはどうしたら良いのか?である。
ケインズ経済学の発端趣旨としてそもそも不景気対策であり、トランプ次期米大統領は不景気対策と言えばケインズ経済学だと判断して(悪く言えば思い込んで)いるのだ。
トランプ次期米大統領の目的はケインズ経済学を元にした国内資本の流通増大であり、例えば「不法移民が違法労働により表へ出にくい国内資本を得ている」のであれば目的達成を阻害するので不法移民へ対して強く出ようとするし、不法移民は総じて貧困労働層と労働市場で競合するし、メキシコの壁と合わせて国内資本の増大という面から見てシナジーがある。
これを偶然のシナジーだと断ずるのは無理があるし、それが無理だとするのであればトランプ次期米大統領やその支持者たちは"意外と"愚かではないということになる。
「たとえトランプが勝って自分がさらに貧しくなろうが関係ないのである。一緒に堕ちてほしい」わけがなく、ケインズ経済学の機序を理解しているのかは別として、トランプ支持者の多くは「仕事にありつける」「勤めてる会社の需要が増える」「貯蓄として投資している会社の株価が上がる」「収入が増える」と思っている(判断が正しいかは不明だが)のだ。
更に言えば、ケインズ経済学は格差是正についてそこまで効果的な理論を打ち立てたものではないという点も理解しておかなければならない。
公共事業によって失業者という経済的に最底辺の人たちは1段階程度は格差是正されるだろうが、ケインズ経済学は最富裕層から最貧困層に至るまでみんなで一緒に豊かになろうという趣旨の理論だ。不景気対策なのだから格差は維持されたまま国内全体の資本を増やす理論なのは当たり前の話なのである。
反トランプ派たちはトランプ次期米大統領がケインジアンであることに(トランプは愚かだかとレッテル貼りしてるので)気付いていないし理解を示そうともしないので、それが故に自分の生活のためトランプへ投票した人たちの気持ちを理解できていないのだ。
正確に言えば(米国版)ド・ゴール主義者であり、ド・ゴール主義者(ゴーリスト)が「フランスの存続のためにフランスは外国に依存すべきではなく、フランスはいかなる外国の圧力に対しても従属すべきではない」と言う文脈と同じくして「米国の存続のために米国は外国に依存すべきではなく、米国はいかなる外国の圧力に対しても従属すべきではない」とトランプ次期米大統領は言っている。
この指摘は大学生のときに政治イデオロギーの代表的なものとしてド・ゴール主義を履修した者ならば目を丸くするだろう。何故なら当時のド・ゴールは「NATOや欧州経済共同体を評価していなかった」人物であり、それはそのまま「同盟国に依存する米国の安全保障やTPPを評価していない」と言うトランプ次期大統領と重なるからだ。
ド・ゴールは知られているとおり(その経歴も加味する必要はあるものの)圧倒されるほどのフランス第一主義者であり、そういった面でもトランプ次期米大統領と重なり、トランプ次期米大統領自身のキャリアの性質もあるだろうが言動の端々にド・ゴールの影響が見え隠れするし、一見意味不明なトランプ次期米大統領の言葉の数々や手のひら返し、側近との軋轢などもド・ゴールの経歴を見ると察してあまりある。
ド・ゴールは現在でもフランスでは20世紀を代表する政治家であり英雄の1人として数えられ、フランスの政治イデオロギーの根幹の1つとされているが、ド・ゴールをロールモデルの1つとしているであろうドナルド・トランプはアメリカのためならば何でもするのであろう。
ドナルド・トランプは決して愚かではなく米国と同盟関係を結ぶ日本、そしてそこに住まう我々日本人は決して油断してはならない。
ドナルド・トランプがケインズ経済学とド・ゴール主義で米国内経済と内政へ注力すると言うのであれば、その思惑へ流されすぎないよう与野党問わずの日本の政治家を監視せねばならないし、国際経済への比重を軽くしていくのであれば、日本はその空いた穴を欧州や中露に取られないよう日本経済界を監視する必要がある。
繰り返すが、自民党や経団連だけではなく立憲民主党や国民民主党、日本維新の会、日本共産党、公明党、参政党、れいわ新選組も監視しなければならないし、労働組合の動向も、今後大きく揺れ動いていくであろう世界経済や安全保障の観点から非常に重要だ。
1986年、メキシコW杯、アルゼンチン vs イングランドの試合で、ディエゴ・マラドーナが手でボールをゴールに押し込んだやつ。審判が見逃してゴールが認められ、アルゼンチンが勝利。この一件でイングランドのファンは大荒れし、世界中のサッカーファンが「いや、ハンドじゃん」とツッコミを入れた。
この事件の影響を受けて「フェアプレーってなんなんだよ?」という議論が白熱。のちにVAR(ビデオ・アシスタント・レフェリー)導入の布石にもなった。
1994年、アメリカW杯で、コロンビア代表のアンドレス・エスコバルがアメリカ戦でオウンゴールしてしまい、コロンビアがグループリーグで敗退。帰国後、メデジンで射殺される。犯人は「自殺点をありがとう」とか言ってたらしい。
世界中にサッカー界の闇が知られるきっかけとなった事件であり、南米がどれだけ麻薬カルテルやギャングの影響下にあるかを示した一件でもある。南米こわい。
1989年、FAカップ準決勝のリヴァプール vs ノッティンガム・フォレスト戦。観客が詰めかけすぎて圧死事故が起こり、96人が死亡、700人以上が負傷。スタジアムの構造や警察の対応に大きな問題があったことによる事件。
関係者がボロクソに叩かれた結果、イギリス政府が本気を出して安全基準を大幅に改善。立ち見席廃止や観客動線の見直しが義務づけられて、サッカー観戦の安全対策が強化された。
2006年、W杯決勝、フランス vs イタリアの試合。フランスのジネディーヌ・ジダンがイタリアのマルコ・マテラッツィに頭突きして退場。マテラッツィの挑発が原因と言われるが、ジダンはこの試合が最後の大舞台だっただけに世界中のサッカーファンが唖然としてしまう。
W杯決勝の舞台での衝撃シーンとして歴史に残り、現在まで各方面でネタにされることになる。挑発したマテラッツィにも問題があるんだが、インパクトの強さ的にジダンの方ばっかイジられてて不憫だなと思う。
2006年、イタリアのセリエAで審判操作による八百長が発覚した大事件。ユヴェントスが関与していたことで、クラブが2部降格。この件への関係者が続々とペナルティを食らったり辞任したりという一大事になる。
イタリアサッカー界が大打撃を受け、改めて公平性が問われるきっかけともなった。その後イタリア代表がW杯で優勝し、なんとなく汚名返上みたいな雰囲気になったが、ジダン頭突き事件も相まって微妙に後味の悪い優勝となっている。
2015年、FIFA幹部の贈収賄スキャンダルが発覚。複数役員が逮捕され、長年会長を務めていたゼップ・ブラッターも辞任。W杯開催地の選定不正も疑われ、FIFAへの信頼を揺るがす一件となった。サッカーの歴史上で、カルチョ・スキャンダルすら余裕で超える最大の事件といえるかもしれない。
サッカー界のトップ組織が利権まみれなんじゃないかということで、これ以降FIFAにはかなり厳しい目が向けられることになるわけだが、この件を扱ったNetflixのドキュメンタリーが事実は小説より奇なりを体現しててマジで面白いからみんな絶対に見てくれ(小学生並みの感想)。
「ハウスの教父」と呼ばれるFrankie Knucklesによる「Your Love」は、ハウスミュージックの基礎を築いた代表作の1つです。この曲は、シカゴのレジェンダリーなクラブ「The Warehouse」で生まれたサウンドを体現しています。滑らかなシンセサイザーとベースライン、Jamie Principleのセクシーなボーカルが特徴的で、今日でも高い評価を受けています。Knucklesは、ディスコとエレクトロニックミュージックの要素を巧みに融合し、新しいダンスミュージックの形を作り出しました。「Your Love」は、その後のハウスミュージックの発展に大きな影響を与え、多くのリミックスやサンプリングの対象となりました。この曲は、ハウスミュージックの持つ感情的な深さと踊りやすさを完璧にバランスさせ、ジャンルの定義的な作品となっています。
Marshall Jeffersonの「Move Your Body」は、「The House Music Anthem」というサブタイトルが示すように、ハウスミュージックの精神を体現した楽曲です。シカゴのハウスシーンで生まれたこの曲は、ピアノハウスの先駆けとして知られています。キャッチーなピアノリフと反復的なリズム、そして「Gotta have house music all night long」という歌詞は、ハウスカルチャーの本質を表現しています。Jeffersonは、この曲でハウスミュージックにメロディックな要素を導入し、ジャンルの音楽的可能性を広げました。また、歌詞がハウスミュージック自体について言及している点も革新的で、自己言及的なトラックの長い伝統の先駆けとなりました。「Move Your Body」は、ダンスフロアを熱狂させる力と音楽的洗練さを兼ね備え、今日でも多くのDJやプロデューサーに影響を与え続けています。
Larry Heardが Mr. Fingers名義でリリースした「Can You Feel It」は、ディープハウスの原型を作り上げた楽曲として高く評価されています。シンプルながら洗練された制作は、当時としては革新的でした。ローランドのシンセサイザーとドラムマシンのみを使用し、1テイクで録音されたという事実は、ハウスミュージックの本質を体現しています。深みのあるベースライン、エモーショナルなシンセパッド、そして微妙に変化するリズムパターンが、聴く者を瞑想的な状態へと導きます。この曲は、ハウスミュージックに精神性と深みをもたらし、単なるダンスミュージックを超えた芸術形態としての可能性を示しました。後のディープハウスやテックハウスの発展に大きな影響を与え、今日でも多くのプロデューサーやDJに尊敬され、頻繁にプレイされています。
A Guy Called Gerald(本名:Gerald Simpson)による「Voodoo Ray」は、イギリスのアシッドハウスシーンを代表する楽曲です。マンチェスターで生まれたこの曲は、独特のサウンドと反復的なリズムで、後のレイブカルチャーに大きな影響を与えました。Roland TB-303ベースラインシンセサイザーの特徴的な音色と、サンプリングされた「Voodoo Ray」というフレーズが印象的です。この曲は、アメリカのハウスサウンドをイギリス独自の感性で解釈し、新しい方向性を示しました。「Voodoo Ray」は、クラブシーンだけでなく、イギリスのポップチャートでも成功を収め、ハウスミュージックの大衆化に貢献しました。また、この曲の成功は、後のUKガレージやドラムンベースなど、イギリスの電子音楽シーンの発展にも大きな影響を与えました。
Masters At Work(Kenny "Dope" GonzalezとLittle Louie Vegaのデュオ)による「To Be In Love」は、ニューヨークのガレージハウスシーンを代表する楽曲です。India Arieのソウルフルなボーカルとラテンの要素を巧みに融合させ、ハウスミュージックに新たな深みと洗練さをもたらしました。この曲は、ディスコとハウスの伝統を受け継ぎながら、90年代後半の音楽性を反映しています。リズミカルなパーカッション、温かみのあるベースライン、そして感情豊かなボーカルが絶妙にバランスを取り、ダンスフロアを魅了します。Masters At Workは、この曲でハウスミュージックにおけるソングライティングの重要性を示し、単なるビートトラックを超えた音楽的深さを追求しました。「To Be In Love」は、今日でもハウスクラシックとして高く評価され、多くのDJやプロデューサーに影響を与え続けています。
Fatboy Slim(本名:Norman Cook)の「Right Here, Right Now」は、ビッグビートとハウスの融合を象徴する楽曲です。90年代後半のクラブシーンを席巻したこの曲は、サンプリングとブレイクビートを巧みに使用し、エネルギッシュでキャッチーなサウンドを生み出しました。特徴的なギターリフと「Right here, right now」というボーカルサンプルは、瞬く間に人々の記憶に刻まれました。Fatboy Slimは、この曲でダンスミュージックとロックの要素を融合させ、より広い観客層にアピールすることに成功しました。ミュージックビデオも話題を呼び、MTVの頻繁な放送により、ハウスミュージックの大衆化に大きく貢献しました。「Right Here, Right Now」は、エレクトロニックダンスミュージックがメインストリームに進出する上で重要な役割を果たし、2000年代以降のEDMブームの先駆けとなりました。
Stardustの「Music Sounds Better With You」は、フレンチハウスの黄金期を象徴する楽曲です。Thomas BangalterとAlan Braxeによって制作されたこの曲は、Chaka Khanの「Fate」からサンプリングしたギターリフを中心に構築されています。フィルターハウスの代表作として、ディスコサンプリングを効果的に使用し、90年代後半のハウスミュージックの方向性を示しました。反復的なリズムと中毒性のあるフックは、ダンスフロアを熱狂させる力を持っています。この曲の成功は、フランスのエレクトロニックミュージックシーンを世界的に注目させる契機となり、後のDaft PunkやJusticeなどのアーティストの活躍につながりました。「Music Sounds Better With You」は、ハウスミュージックの商業的成功と芸術的価値の両立を示し、今日でも多くのリミックスやカバーの対象となっています。
Eric Prydzの「Call On Me」は、2000年代に入ってからのハウスミュージックの商業的成功と大衆への浸透を象徴する作品です。Steve Winwoodの「Valerie」をサンプリングし、キャッチーなリミックスに仕上げたこの曲は、クラブシーンだけでなく、メインストリームのポップチャートでも大きな成功を収めました。特に、セクシーなミュージックビデオが話題を呼び、ハウスミュージックの新たな側面を示しました。Prydzは、この曲でクラシックロックとモダンハウスの融合を実現し、幅広い年齢層にアピールすることに成功しました。「Call On Me」は、ハウスミュージックがポップミュージックの主流となる過程で重要な役割を果たし、後のEDMブームの先駆けとなりました。また、この曲の成功は、サンプリングとリミックスの可能性を再認識させ、多くのプロデューサーに影響を与えました。
Disclosureの「Latch」は、2010年代のUKガレージとハウスの融合を象徴する楽曲です。若手デュオのDisclosureと、当時無名だったSam Smithのコラボレーションによるこの曲は、ハウスミュージックとポップの架け橋となりました。洗練されたプロダクションと感情的なボーカルの組み合わせは、クラブシーンだけでなく、ラジオやストリーミングプラットフォームでも大きな成功を収めました。「Latch」は、ディープハウスの要素を取り入れながら、キャッチーなポップメロディを融合させ、新しい世代のリスナーにハウスミュージックを紹介する役割を果たしました。この曲の成功は、エレクトロニックダンスミュージックがメインストリームポップに与える影響力を示し、2010年代以降のダンスポップの方向性を形作る上で重要な役割を果たしました。
Yellow Magic Orchestraの「Firecracker」は、厳密にはハウス以前の楽曲ですが、電子音楽の先駆けとして後のハウスミュージックに多大な影響を与えました。坂本龍一、高橋幸宏、細野晴臣によって構成されたYMOは、この曲でシンセサイザーとリズムマシンを革新的に使用し、未来的なサウンドスケープを創造しました。特に、ローランドのシンセサイザーとドラムマシンの使用は、後のハウスプロデューサーたちに大きなインスピレーションを与えました。アジアの音楽要素とエレクトロニックサウンドの融合は、グローバルな音楽シーンに新たな可能性を示し、テクノやハウスの発展に寄与しました。「Firecracker」は、その独特なリズムパターンとメロディラインで、特にアシッドハウスの発展に影響を与えたとされています。
サッカーファンがよく言う「世界」は、イングランド、フランス、イタリア、ドイツ、スペインの五大リーグのお膝元のことである。
自由に対する価値観が時代と共にどのように変遷してきたかについて考えると、フランス革命と現代の日本の状況を比較することで、その違いが明確になります。
フランス革命の時代には、封建的な身分制や絶対王政の下で「自由」が抑圧されていました。啓蒙思想家の影響を受けたフランス市民は、自由、平等、友愛の実現を掲げて立ち上がり、王政を打倒し、社会を根本から変革しようとしました。フランス革命における自由の価値観は「命を懸けてでも達成すべき理想」であり、抑圧からの解放と民主的な社会の実現が主な目的だったのです 。
一方、近代以降の自由主義や民主主義が世界中に広がることで、多くの国では基本的な自由や人権が保証されるようになり、特に日本のような成熟した民主主義国家では「自由」が前提となっています。戦後の日本国憲法は個人の自由や基本的人権の尊重を大前提としており、教育や法律によってその価値が守られてきました。しかし、自由が当然視される状況では、それが「意識しなくても存在するもの」として捉えられやすく、自由に対する強い感受性や価値観が低下する傾向も見られるのです 。
また、現代の日本においては、自由に対する「制限」にも関心が薄くなる場合があるのは、社会的な安定や秩序を優先する傾向が強まったためと考えられます。特に、1990年代以降の経済停滞やグローバル化の影響により、日本では安定と安全が重視され、個人の自由が制限されることへの抵抗が薄れる現象も見られます。こうした状況の中で、自由に関する意識の低下は、歴史的背景と社会の成熟、経済的・政治的な安定が関連していると言えるでしょう。
自由への価値観が歴史と共に変遷するのは必然であり、フランス革命のように自由が「得るべきもの」だった時代と、現在のように「当然のもの」とされる時代では、自由の捉え方が異なるのは当然とも言えます。この変化は、歴史の中で価値観や社会構造が常に変化し続けていることの証拠であり、また人々の意識が環境や時代背景によっていかに影響を受けやすいかを示しています。
波が引いたような気がするが、乗ってみる。
スタンダードを作った車、塗り替えた車からの選択の10選は、選外を含めてそれほど異議はない。
しかし自分なりに選べば違う別の10選ができるかも、と思ったが……
選ぶべき「スタンダード」が多すぎて収拾がつかなくなった。
方針転換して、「どんな車がスタンダードなのか」にしたら、若干は絞り込みやすくなった。
知名度・生産期間・累計生産台数・派生車種の多彩さを考慮して選考。
ライセンス生産車も同じ車種として扱い、シリーズ終了年もそっちの方を採用。
もちろん独断と偏見だが、ほぼほぼ定番の車ばかりなので、技術的な解説は無し。
生産台数はそれなりだけど、頑丈で車両寿命が長いので、時代を超えちゃてる。
ヘンリー・フォードはモデルチェンジを一切認めず、生産設備等をこのモデルに全振り。
長寿車になってしまったのは、第二次大戦後の復興期にモデルチェンジが後回しされたため。
とはいえ、外観は古風だが、性能的には最終期まで競争力が有った模様。
エンジンとトランスミッションはHトラックに転用された(物理的にも180度回転させている)
メキシコは1955年のノックダウン生産開始から2003年の最終モデルまで、ずっと作り続けていた。
同国でも「国民車」
ライバル車は、車オタじゃない一般人にとっては「ベンツのジープ」「トヨタのジープ」「イギリスのジープ」だ。
ライセンス生産を最後まで続けていたのは、インドのマヒンドラ社
自社ブランドのマヒンドラ・タールは、外観・装備をラングラーに寄せているが、中身はおそらくそのままだろう。
現在の売れ筋であるRV・ミニバン・SUVは、そもそもが素人お断りな「はたらく車」がルーツ。
アメリカだと税金の安さもあってピックアップトラックも含むが、「はたらく車」を「自家用車」的に使う人が多数存在した。
メーカーがそれに気づいて一般向けに再開発した、という歴史があるのでジープと共に選出
公式では、ブラジル生産のコンビ(KOMBI)2013年モデルで生産終了とされているが、個人的には2006年空冷エンジン廃止で終了な印象
ベースは1956年英国のモーリス・オックスフォード シリーズⅢなので、この位置
自動車産業黎明期から人々はレースで競い、「スポーツカー」というジャンルも早々に誕生。 皆が公道最速最強を目指し、開発を続けてきた。
エンジンを大きく、空力ボディ、軽量化、効率的な駆動方法、サスペンション、タイヤなどに最新テクノロジーを詰め込んでいくのが定番、と思っていたら…
当時のレーシングカーを公道仕様にしたら、究極のスポーツカーになった
ライセンス生産した国は ソ連/ロシア・インド・マレーシア・スペイン・ブルガリア・トルコ・韓国・エジプト
ソ連/ロシアのラーダVAZ-2104ステーションワゴンが最終モデルらしい。
あれこれを全部足すと、生産台数はフォードT型を抜いて単独2位
都市伝説だが…
フィアット社がイタリア共産党の仲介でソ連とライセンス契約を結んだとき、ソ連産の鉄鋼をイタリアに安く輸入できる契約も同時に結ばれた。 その鉄の質が悪かったため、イタ車は錆びるようになった…
正体は7代目サニー(B13)
FF化された5代目サニーをメキシコ工場で作ったのが初代ツル。 3代目までは普通にモデルチェンジされてきた。
しかし8代目サニーは北米と同じセントラ(Nissan Sentra)を名乗り、4代目ツルにはならなかった。
2階建てパワートレイン・ラバーコーンサスペンション・10インチタイヤは、「スタンダード」とはちょっとちがうのでわ
イランで最近まで生産されていたが、昨今の経済制裁の影響で終了した模様(フランス語Wikipedia情報)
・DSは1962年にド・ゴール大統領を救ったエピソードが好き。
インドのアンバサダーやメキシコのツルは、ほぼタクシー専用車。