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2017-08-24

高齢出産顛末

あくま自分のケースな

俺:30歳 東京

実家東京から時間地方

父が60、母が40の時に俺が生まれ

子供の頃、父と出かけると「おじいちゃんと一緒でいいわね」と言われたりした

授業参観に来た親たちと並ぶと、母はやはり歳を食って見えた

当時はすこし思うところはあったけど、今となってはそんなのは何とも思ってない

問題はここから

現状

父 : 現在90、老後資金が尽きて下流老人へ(諸事情年金はほぼ無い)

母 : 現在70、早くも認知症発症

いまは実家に両親2人、なんとか自活できている

しかし母のこともあり、父の年齢もあり、長くて数年、場合によっては明日からでも立ち行かなくなるだろう

はっきりとは言われてないが、実家に帰ってこいムードを作られてる

両親の介護と、生活費のために

俺は田舎が嫌いで東京に出てきた人間

何者にもなれてはいないが、ようやく仕事面では自己実現ができつつある

そんな中地元に帰るという事は、少なくとも今の「俺」という人間死ぬ

両親の老い介護

誰しもいつかは通る道だとは思う

が、それを30そこそこで背負わされるのは正直きつい

一般的な年齢の両親からまれてきた場合介護問題に直面するのは40代中盤以降だろうか

それなりに上手く生きてきた人なら、それを受け入れられる体制も整いつつあるだろう

けど俺の場合はそれが「今」来た

体制的にも、金銭的にも、それを背負える状況にはない

また仮に、全く予定はないのだけど、

結婚しようと思った人が居た場合、俺の両親はどのように映るだろう

彼女未満の人が一応いるが、そのあたりのことは一切話していない

30そこそこの歳で相手の親が認知症だと聞いて、身構えない人はいるだろうか

40すぎて子供がほしいと願うのは構わない

しかしその子がいくつかのライブイベントを迎える時、自分は何歳なのかは考えて欲しい

その時に果たして自分は我が子の足かせにならないかという事を含めて

2017-08-23

色々思い出せない

子供の頃の事がよく思い出せない。

高校進学で地元を離れて以来、あまり帰っていない。どんな友達と遊んでいただとか、担任先生名前だとか、何年何組だったとか、すっぽり記憶から抜けている。

そんな調子同窓会にも出たことはない。成人式最後だったと思う。

他の人はしっかり覚えてるんだろうか。

2017-08-22

都会はすげーよな

なんか店は遅くまでやってるし、バスは次々くるし、電車なんか夜中まで走ってるし、終電逃しても泊まるとこあるし、もちろん人はうじゃうじゃいて、本屋はでかくて地元じゃ置いてないような本も手に取れて、やりたいな、見たいな、行きたいなってことは何でもあってすぐ出来るような気がするよ、欲しいものも実際に見られてさ、だってZOZOTOWNで買う服が試着できるんだぜ、すごくね、駅前じゃ路上ライブとかやってるの、まじかって思うよね、ドラマかよ

打ち上げ花火ネタバレ

ストーリーがわかりにくいし、ネット上で酷評されているのもわからなくないけど、個人的にはこう解釈ながら見たらめっちゃ楽しめた。

以下、ネタバレ








全ては走馬灯

冒頭の主役二人が水着を着て水の中に沈んでいくシーン。

以降の本編とは完全に世界線が切れていて、宙に浮いている。ラスト水着姿でプールで泳いでいたのは、岩井俊二版のドラマの方だし。

家出か、心中か、駆落ちか。

この「心中」にも見える描写がもともとの世界線で、この映画自体が死の間際に二人が見ている走馬灯世界、「もしも」の世界なんじゃないかとも思える。

もしも玉=ソウルジェムグリーフシード

まどマギの新房監督が手掛けているんだし、こう解釈してもおかしくはないと思う。

海で死んでいるなずなの父親の手に握られていたシーンからして、誰かが死ぬときに「もしも玉」が生み出され、世界をやり直すような、いわば魔女化させる力が生まれる…のかもしれない。

海の上を電車が走った後、もともと乗ってきた駅に戻ってきて、電柱をはじめとした世界が歪んでいたシーンは明らかにまどマギ魔女世界のものイヌカレー演出?)。

隣の駅にたどり着くことはなく延々と地元に閉じ込められてしまうのは子どもの行動範囲限界ともいえるし、魔女世界再現にも見える。

なずなが魔女

じゃあ、もしも玉=ソウルジェムグリーフシード)を作り出した魔女は…って考えると、なずななんだろうな。

最後になずなが消える際の「次はまたどんな世界で会えるかな?」というセリフは、「またこの1日を一緒にやり直そうね」という魔女からの愛のささやきであり、もはやホラー

引っ越したくないなずなが生み出した「もしも」の世界に典道は囚われてしまい、夏休みが終わっても学校に来ることもなく、典道はなずなと一緒に延々と1日を繰り返している。

…というのが、この短期間に2回も見た自分なりの解釈。この背景を想像しながら、二人の会話を聴いていると、なかなか面白い

最初に見たときはなんとなくまどマギっぽさは感じられたぐらいだけど、見直したらガチだった。

まぁ、わかりにくいよね。

2017-08-21

https://anond.hatelabo.jp/20170821134628

ごめん見分けがつくというよりなんとなく安い服の総称みたいな感じで使っちゃった。

あの手の高校生くらいが使う店っておばさんも御用達だったりするんだよね安くて地元にあるから

https://anond.hatelabo.jp/20170821130531

うちの地元では、式の費用は昔から新郎家が出すものとされているが。

新婦の方は嫁入り道具で格好をつける形。

そのあたりは地域差があるだろ。

同人活動世界と繋がる唯一の方法だった話

もうすぐ30になる。

子供の頃から本や漫画が好きで、気がついたら中学高校では友達と絵を描き合って楽しんでた。

田舎高校生だったかコミケへの憧れが異常に強くて、大学秋葉原コミケに近い都内を選んだ。

大学でいわゆる漫研のようなサークルに入り、同人活動を始めた。

そこからはずっと同人活動が全てで。

友達は少なく、知人は全てイベント経由の人、恋人同人関係の知人から

イベントで本を出すために仕事をして。

自分表現できる場所同人誌の中だけだと、本当にタイトル通り、自分が周囲と繋がるには同人活動しかないと思っていた。

部数や数字で見えるものに悩んだり焦ったりしても、自分にはこれしかいからと続けてきた。

でも、最近転勤で地元に戻り地域活動を手伝うようになって、同人から足が遠のき始めた。

同人やってなくても、私が絵を描けなくても、飲みに誘ってくれる知人がいる。遊びに行く友達がいる。

Twitterも辞め、Pixivも辞めた。

未練も全くなく、今は好きなゲームや本を、地域活動や他の趣味の傍ら楽しんでいる。

二次創作一次創作もしていないけど、何も作り出していないことに焦りは無い。

あんなに同人活動固執していたのはなんだったんだろう。

承認欲求を満たす方法分散しただけ、それだけなんだろうか。

2017-08-20

https://anond.hatelabo.jp/20170820163320

地元商売してきました

→別の土地に逃げません(逃げられません)

→信用してください。

というロジックです。

2017-08-19

下関国際の野球部を見て思い出すこと

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170812-00000006-nkgendai-base

甲子園初出場を果たすも文武両道否定して前時代的な指導で物議を醸した下関国際だが、自分はこの高校を見て真っ先に「駆けろ!大空」を思い出した。

20年位前のコロコロコミックで連載されていた野球漫画なのだが、漫画こちらで読めるので、興味があったら読んでみるといい。

https://www.mangaz.com/book/detail/44691

下関国際が駆けろ!大空に似てると思うところとオススメポイントを書く。

不良たちが甲子園を目指す先駆的なストーリー

「不良たちが一丸となって甲子園を目指す」と聞くと、まっさきにRookiesが出てくると思うが、Rookiesの連載開始は1998年、駆けろ!大空の連載開始は1996年である自分はこういう「マイナーだけどジャンルの中では一番最初にやってる」みたいな作品にすごく弱い。もしそういう作品を好むなら、それだけでも読む価値はあるだろう。

(ちなみにこの漫画野球部甲子園2回戦で負けてる)

偏差値36の底辺高校

調べてみたが、この学校偏差値は36で非常に低い数字だ。所謂進学校と呼ばれる高校はだいたい偏差値60以上で、偏差値36といえば下から数えたほうが早い。自分地元高校比較してみれば、偏差値36がどれだけ低いかより実感できるだろう。

実際にニュース記事などを漁ると、授業妨害はちょいちょいあるし部室は落書きだらけだしでいろいろ問題のある高校だなというのはなんとなく分かる。

https://www.minkou.jp/hischool/school/review/2311/rd_276472/

http://www.asahi.com/koshien/88/chihou/yamaguchi/news/TKY200607110194.html

翻って「駆けろ!大空」の舞台となる博愛高校だが、授業中に校舎内でバイクを乗り回し尾崎豊よろしく窓ガラスを割って回る不良とか、落書きだらけの部室とかが出てきて、今で言うところの教育困難校っぽい感じが冒頭の随所で描写されていた。

偏差値が低いからって実情はそんなに悪くないっていうのはもちろんあるが、少なくとも自分はこういう学校には行きたくない

テニスの王子様に先駆けたエクストリームスポーツ

メンバーが一通り揃ったところで他校と練習試合をしようとするも不良だらけの学校からどこも取り合ってくれない。そんななか、練習試合を買って出た高校練習試合をすることになったが、こいつらがやばい

こいつらも不良なのだけれど、デッドボールは当たり前、バントすると見せかけてキャッチャー顔面バットを当てるわ、ピッチャー肩にバットを放り投げるわで、終盤はメンバーのほぼ全員が立ってるのもやっとという惨状になる。

「9回までもったのはこいつらが初めてだぜ…」とか相手高校モブがぼやいてたけど、そういうスポーツじゃねえからこれ!

この、「相手を先に倒したほうが勝ち」みたいな風潮、今のテニプリなら当たり前だけど、それを20年前に先駆けたこの作品はマジすごいと思う。

個人的に好きなところ

終盤、地区予選でライバル校と戦うのだけれど、7回まで0-0だったのにメンバーの一人のエラーで失点してしまう(待ちガイルvs待ちガイルソニックブームをガードしてしまった感じ)

重要タイミングで致命的なエラーをやっちゃってすごく落ち込んでるところに、「お前にしては上出来だ、これで俺の逆転ホーマーが際立つ」「何言ってんだ、こいつは俺のために見せ場を用意してくれたんだ!」ってうまくフォローしあってるところがすごく好き。

不良に限らず、基本的世間落ちこぼれが何者かになろうと何かをめざすストーリーってなんだかすごく良いって思う。個人的には高校野球自体そんなに好きじゃなくてなんで野球部ってみんな坊主なの?とかなんでかき氷禁止なの?とかなんでスマホ禁止なの?とかいろいろ突っ込みたいところはあるし、こんな練習じゃ絶対死人が出るだろうって思うし、生存バイアスに満ち満ちているけど、やっぱり人間って何かそういうサクセスストーリーのようなものが1つでもあればいいんじゃないかなって思うんだ。

2017-08-18

エンジニアになり損なったうつ病

20代前半、休学中、プログラマ都内ベンチャー企業インターンで働く、いまはReact専業のフロントエンドエンジニア。もともとはサーバーサイドエンジニアだったが日本フロントエンド事情は予想外にレベルが低かった。そのために参入障壁が低く、しかしその割に給与が良いので思い切って転向した。

キャリア形成という意味では無問題に進んだというよりプラスに働いただろう。外人ばかりのチームに最初は戸惑いを感じていたが英語でのコミュニケーションにも慣れ、自分でもこの決断に正しさを感じている。いや、いたはずだった。

1年近くの歳月がたって、何も出来なくなった。うつ病の再発だ。突然の出来事というわけでもなく、ただただ諦観けが波のように押し寄せてくる。最初仕事中の傾眠、次は職場での嘔吐。いまはリモートワークを中心に働いているが、朝も夜も熱にうなされているように体がだるく意識が正常を保たない。

おかしな夢を見ているだけだと思いたい。

自分が3年以上うつ病なのも、パニック障害持ちなのも、睡眠障害があるのも、仕事ができなかったり、不可思議ないらだちで何もできなくなるのも、全てが夢ならいい。

期限限界まで休学をはさみ、秋から復学という段になっていよいよと日常生活を送るのすら困難になってきた。食事への意欲の減退もプログラミングへのモチベーションの低下もこのごろは著しく、何をやっても自分ダメだという自己肯定感の著しい低下を感じている。

入院して良くなるならそこに力を注ぐのも悪くないだろう。しかし本当にうまく行くのだろうか。投薬治療では何も良くならなかった。

キャンパスの中で動けなくなり、自己喪失したまま雨に打たれながら多量のSSRIを飲み、死ぬ気で家に帰ったあの日大学へ通うのを諦めたあの日から何か変わったのだろう。

昨日、地元の小さなメンタルクリニックから都内大手大学病院に転院した。医師との一時間近い面談の結果、近々入院して脳に電気けいれん療法を施すのが良いだろうという結論になった。統合失調症ではないという医師見解けが救いだが、きっと怖いのだと思う。脳に電流を流すという行為への言い得ない恐怖。記憶が飛ぶかもしれないという避け得ないリスクと、そうと知った上でそれを飲まざるを得ない窮地、怒りと悲しみが複雑なキルトパッチのように編み込まれ感情を抱えている。

生き残る手立ては他にない。エンジニアとしての腕や力量、情熱、そんなものは病の前には塵のようなものしかない。人間は突然死ぬし、生きるのは難しい。

各位、強く生きて下さい。

妻と551

関西出身の妻と関西に住んでいる。

結婚するまで知らなかったんだけど、こちらには551ゴーゴーイチ)っていう有名な肉まんがあるのね。一度ふらっと気がむいて買って帰ったら、見るなり「ゴーゴーイチが、あるとき〜! わっはっはっはー!」とか言いだして、突然テンションが上がってた。そういうテレビCMがあるらしい。なにそれ、と言うと「え、知らんの?」となぜか嬉しそう。その後も551を買ったり貰ったりするたびに寸劇をやるのがかわいい

551関西人ソウルフードらしく、うちの実家帰省するときおみやげ! と言って持っていったんだけど、こちらの地元では展開してないので両親は当然知らず、うけてなかった。そのギャップかわいい

https://anond.hatelabo.jp/20170818131328

リー将軍地元への愛着義理南軍総大将を引き受けたものの、個人的意見としては南部政府理念奴隷制度には反対だったんよ。性格も温和、集権制よりも分権制を嗜好する人だったらしい

そのへんをすっとばして、南部将軍だったというだけで白人至上主義者たちが持ち上げ始めたので、そんな雑な扱いするなら、もう象徴としての看板は下ろそうか、という雰囲気になっていたという話があるみたい

白人至上主義問題の像の人物西郷隆盛みたいな感じ?

ニュースを見た時は撤去すればいいのにと思ったが

結果として負けたとはい地元出身英雄の像なら確かに反対意見が出るのもわかる

大学選ぶときに「くらきまいいるか立命館」ってのを割りとほんきで考えてた時期があった

でも計算したら自分入学と同時に卒業するらしいことがわかって一気に冷めた

でも推薦で入れるってのはかなり魅力的に感じた

結局滑り止めの私立地元を受けた

うーん私立合格発表まったく記憶にない・・・一応受かったはずだけどやっぱ国公立受かったインパクトのほうが強かったせいか

昔、連れ込んだJDの脇に毛が生えてた

彼氏に振られたからってヤケになって俺んちに転がり込んできた女子大生がいた。ヤケクソでセックスしようとしていた。まぁ、俺も男だし美味しくいただこうかと思ったが、ふとした瞬間に奴の脇が見えた。なんと毛がボウボウだった。あいつ、いざセックスになって脱いだ時、どうするつもりだったのだろうか。顔は某モデルにそっくりで手足も長くスタイル抜群。でもその脇毛で一気に萎えセックスしなかった。あいつは不思議に思っただろうな。とっくの昔に地元に帰って結婚して幸せにやってるみたい。よかったな。

2017-08-16

妊娠したらつわり病気コンボで思った以上に辛い

https://anond.hatelabo.jp/20170816125019

増田なんだけど、現状把握メンタル落ち着けるために、今日までの経緯を書き残しておきたいと思う。

まず前提として、増田統合失調症である発症した時と比べてすごく良くなっているが、再発防止のためにセロクエルを主剤としてその他いくつかの薬を飲んでいる。そして、81kgの肥満でもある。

で、妊娠した。そうしたら5wくらいかつわり結構ひどくて、水を飲んでも吐くような日もあり点滴をしてもらうなどしてきた。けれども食べることがちょっと辛くて、妊娠前81kgあった体重が13wの今は74kg台にまで減っている。いい感じにダイエット成功していると思いたい数字だけど、ちょっとばかり不安

また、メンタルを患っており肥満でもあるハイリスク自分でもわかっているので、産科精神科もある大きな総合病院産婦人科にお世話になることにした。

そして、11wの検診の血液検査血糖値が引っかかり、12wの時点で血糖値の推移の検査もしたところ、妊娠糖尿病だと診断された。糖尿の専門医による詳しい診察は二週間後。そんなに大きく基準オーバーした値ではないので、それまでは食事制限をせず、つわりでも食べられるものを食べてくれ、との話だった。

そのことをメンタルの方の主治医に話すと、困ったなあという反応。聞いてみたら、セロクエル糖尿病の人には禁忌の薬らしい。でも、セロクエルにたどり着くまで相当色々試行錯誤した経緯と、血糖値基準値をそう大きくオーバーしているわけではないと言うことで、まだしばらくセロクエルを使うことにした。

それに加えて、血糖値の推移の検査をした日辺りから喉が痛む風邪をひいた。でも産科でお世話になっている総合病院に連絡したら風邪くらいなら他で受けてくれ、と言われたので、地元内科先生に診てもらって、トラネキサム酸を処方してもらった。一時は良くなったのだけれどぶり返してしまい、それからはトラネキサム酸が効かない。風邪を引き始めてから5日経っても治らない。夜中になっても喉の痛みと咳でろくに寝られない上に、私の咳で夫も寝られず寝不足自分だけじゃなくて夫にも迷惑をかけてしまい辛い。多分風邪が長引いているのは、つわりでろくにものが食べられなくて体力が落ちてるからだと思う。

からまた内科にかかろうとしたが、今週いっぱいその内科お盆休み。仕方がないので再び総合病院に連絡し、今週の月曜日産婦人科先生風邪を見てもらえることになった。そうしたらPLなんとかという粉薬と咳止めをもらい、木曜日になっても治らなかったらまた連絡してくれ、と言われた。

が、今日になって赤い糸みたいなものが模様のように入った痰が出て、咳をしてもお腹や胸が痛むようになってきて、これはまずいのではと午前中に総合病院に連絡。そうしたらなんとか明日呼吸器内科に予約を入れてもらえたが、それでも喉が痛いままなのは当然変わらないので辛い。この時点で上の増田を書いた。

辛いので横になっていたのだけれど、午後になってから左腕がピリピリと痺れ始める。ナニコレと思いつつ様子を見てたら右腕も痺れ始め、怖いので総合病院に連絡したいが今でも相当横紙破りな診察をしてもらっているのにまた迷惑をかけるのも気が引けて、まずは#7119に連絡することにした。

電話で問診を受け、妊婦であることも統合失調症があることも妊娠糖尿病であることも話し、そうしたらなるべく早く病院にかかれ、もし足まで痺れてきたら救急車を呼んでもいい、と言われた。

なのでその結果を持って再びかかりつけの産科のある総合病院に連絡。そうしたら、産科先生に診てもらえることになり病院に向かった。向かっている途中、足まで痺れてきて本格的に不安になる。

産科先生に今までの経緯を話し、最初に痺れ始めた左腕は手首にとても違和感を感じるくらいになっているということや、足も痺れてきて、特に右足首の痺れが強いことを伝える。

だが、痺れは息のしすぎで出ているものではないだろうか?と言われ、喉については明日の呼吸器内科で詳しく診てもらってくれ、という話で、この二つの症状については処置検査特に何もなしだった。でも、お腹赤ちゃんについてはちゃんと診てくれて、心拍もはっきりしているし元気だと言われ、そして帰された。

で、今また部屋で安静にしているのだが、手足の痺れは相変わらず、今こうしてキーボードを打っていても違和感は拭えない。

夫には会社から早めに帰ってきてもらったが、夫は手足の痺れについても、医者が何もしなかったのなら大丈夫なのだろう、というように鷹揚に構えている。

でも私は大変不安である

だって喉が痛いのは変わらないし咳だって出るしなぜか手足は痺れている。病院でもあまりちゃんと診てもらえなかった。後から調べたら糖尿で手足が痺れるとあるのに産科先生はその点にすら言及しなかったし。

なので不安不安定で泣き出したりし始めているが夫は持ち帰りの仕事で忙しく話を聞いてもらいづらいので、最初にも書いたが自分を落ち着かせるためにこの増田を書いた。

書いているうちに涙は止まったが、やはり不安は尽きない。

こんな状況でも元気でいてくれる赤ちゃんに励まされるが、しかしこうやって書き連ねてみると本当に大丈夫なのか色々と心配になるレベル

しかしながら、この乱文をここまでお読みいただいた皆様に感謝します。

僕と認知症祖母

地元に帰ると基本的祖母に会いに行く。

しかし住んでるのは、家は家でも老人ホームだ。

僕は老人ホームに行くのが嫌いだ。

正確に言えば、『認知症の進んだ祖母のいる老人ホーム』に行くのが。

今年で96歳。

あと1年半ほど生きていれば、大正昭和平成、そしてその次と、4つの時代を生きていることになる。

10年前までは普通に一人暮らしをしていたけれど、ある日偶然足を骨折してしまった。

年のせいでなかなか回復せず、やっと治った頃には筋肉の方が衰え、どんどん動けなくなった。

これじゃ一人暮らしはもう無理だということで親戚の家に移ることになった。

最終的に、介護する余裕のある伯母(祖母からすりゃ娘)の家に住むことになり、割と裕福な家庭だったので段差を無くしたり手すりをつけたりするようなリフォームなどもしていた。

しかし伯父と伯母も70過ぎで、どちらかと言うとそろそろ介護される側だ。

だんだん余裕がなくなり、近くにある老人ホームに移ることとなった。

それ以前にもデイケアでお世話になっていた所なので安心ではあった。

しか他人ばかりの、自分で好きに出来ない施設に送られるというのはどうにもモヤモヤするものがあった。どうにもできなかったけど。

1年ほどは普通に過ごしていた。

でも、老人ホームに入り2年目になったあたりでボケ始めた。



確か大学2年生の夏休みだろうか。

車椅子にこそ座っているが、至って元気そうな姿を見て安心した覚えがある。

僕の顔も名前も覚えていた。

でも、ちょっと舌が回っていないようだったし、母と祖母の2人にしかからないような話をしていた様子だったので、僕は横で微笑むしかなかった。

祖母はしきりに

『伯母夫婦が私の貯金勝手に使っている』

という旨の話をしていた。

僕は

『世話をしていたとはいえ、勝手に使うのはなあ』

と、少し伯母夫婦に不信感を覚えた。

僕はバカだった。

足腰以外は至って健康だと思っていた祖母は、既にボケていたのだった。

だって、2人にしかからない話をしていたのではなく、優しく話を合わせていただけでしかなかった。


次の帰省で会いに行った時、

残念ながら症状は進行していた。

僕の顔を見て、

『〇〇かい?(別の孫の名前)』と言った。

正直、親戚の家に移った8年程前から半年に1度ほどしか会っていないし、仕方の無いことだと思った。

この辺りからは杖を使って歩くこともダメになっていた。

車椅子から職員に肩を抱えられベッドに移る姿は悲しいものだった。

この時は、話している途中で僕のことを思い出したようで、すると

タンスにお菓子仕舞ってあるから出そうね』と言って立ち上がろうとして、隣にいた職員に止められていた。何度も。

もちろんタンスにお菓子などない。

その時、祖母の頭の中では、自分はまだ自由に動けて、僕はまだ小学生くらいの小さい子供だったのかもしれない。

切なくて涙がこぼれた。

感動映画とか、ドラマとか、漫画とかを読んでも基本泣かない人間なのにだ。




そして今回。

まり帰省出来る金がなく、1年ぶりの帰省となってしまった。

僕は大学卒業して社会人になった。

祖母の中では僕がどう映っているかからないが。

もう、祖母が僕のことは露ほども覚えていないことを覚悟して向かった。

顔を合わせると、

『どちらさまですか』と言われた。

娘と孫だ。

前までは名前を言えばなんとか思い出せていた。

しかダメだった。

僕はむしろスッキリしたのかもしれない。

その後も、ずっと祖母は見知らぬ人間と話すように、敬語を使い続けた。

しかし、途中から

『見覚えのある方ですね。どこでお会いしましたっけ?』と繰り返すようになった。

中途半端希望的な言葉を言われ、ここまでこらえていた涙が出てきた。



すこし話はズレるが、

僕は日本一泣ける歌はPV込みで

ミドリカワ書房の『恍惚の人』だと思っている。

僕の祖母もこの歌の歌詞みたいに、

一番関わりのある(面会に来る)伯母の名前だけを覚えている。

でも、自分の娘だということはよく分かっていない。


僕はこれからも、祖母と顔を合わせるたびに泣いてしまうだろう。

そして、きっと祖母が死んだときは、それほど泣かないのだと思う。

理由は、はっきりと言うのはあまりに非倫理的であるように思われるので

心のうちにとどめておきたい。匿名であってもだ。

親孝行 したいときには 親はなし」

こんな言葉があるけれど、今では亡くなるのではなく、

無くなってしまうのだ。記憶が。思い出が。

寿命は延びたかもしれないけど、やはり五体満足である期間は短い。

子供の作文の締めくくりみたいになるけど、

やはり親も先は長くないし、出来ることは今のうちにしなきゃいけないなと思った。

https://anond.hatelabo.jp/20170816012916

不良は最初体制に反抗するけど

次第に周囲の大人から文字通りの鉄拳制裁食らって

最後は両親にカンシャ&地元で土方、ウヨ拗らせて街宣車ってパターンじゃね?

 

一生で必ず思想が反転する稀有人種

2017-08-15

じいちゃんが話してくれた特別じゃない戦争の話

じいちゃんに聞いた戦争体験話。特別感動的でもないし、奇跡的でもない。

だけどもうじいちゃんは死んだので俺しか知らない話になっている。だからここに残す。

* * *

小学生の頃、寝る前とかにじいちゃんに

怖い話をして」

とねだると必ず戦争の話になった。

子どもの俺は口裂け女とか人面犬の話がして欲しいのに、じいちゃんは必ず戦争の話をした。

話は大体決まっていて、「船の甲板にいて戦闘機が襲ってきたら跳弾が危ないから伏せろ」だとか「射撃台が打たれるからちかづくな」というような使いようのないTipsだった。

子どもながらにじいちゃんは歳だから気の利いた怪談話とかを知らないんだなと渋々聞いていた。

* * *

俺が社会人になって家を出て数年したある日、じいちゃんから突然電話がかかってきた。

なんと田舎から出て来て、一人暮らしの俺の家の前まで来ていた。

平日だったので仕事中だったが早退してじいちゃんに会った。

じいちゃんは俺の家に上がるわけでも、観光をしたいというわけでもないというので、仕方なく一緒に近所の喫茶店に行った。

適当世間話をした後、なんとなくじいちゃんに戦争の話を聞いてみた。俺が大人になって戦争の話を聞くのはこれが初めてだった。

聞くと、じいちゃんは当時18歳で西日本の港の練習艦に乗っていたそうだ。

そして、練習艦での日々を教えてくれた。

なんでも戦争末期には毎日のように戦闘機が飛んで来て襲われていた。そこで辛かったのが迎撃するための射撃手を決める方法

戦闘になれば射撃手は最初に狙われるためほぼ確実に死ぬので誰もやりたくない。しかし上官が当日の射撃手を募れば率先して手を上げなければ気絶するまで殴られる。

死ぬのがわかっていても手を上げなくてはならない。選ばれた戦友は必ず死ぬという毎日が本当に辛かったそうだ。

じいちゃんは運がいいことに声がでかいために伝令係に選ばれることが多く、射撃手には選ばれなかったらしい。運がいいと思いつつ、相当なうしろめたさがあったと言っていた。

最終的に練習艦は港で撃沈され、泳いで陸まで逃げて生き延びた。

じいちゃんの声がもう少し小さかったら俺は生まれてなかったかもしれないかと思うと当時の人の命の儚さ、不安定さのようなものを感じた。

最後に俺が練習艦はい艦船に乗ってたなんてすごいねというと、じいちゃんの目つきが変わってこう言った

「違う。わしが練習艦に乗っとったんは落ちこぼれだったからだ。学校で頭が良くて成績のいい奴らは先に選抜されて大和武蔵に乗ってみーんな死んだ。わしより優秀な奴らみんな笑顔で『さよなら』と言って死んでいったんじゃ。だからわしはあれから一度もさよならと言ったことはない。さよならなんて言ったらいかん。」

* * *

別にその日は戦争の話をしにきたわけじゃないだろうけど、俺はじいちゃんにとって戦争がどういうもので、「怖い話をして」というとなぜ戦争の話をするのか少しでもわかってよかったなと思った。

じいちゃんは、その後ガンが見つかり、突然の訪問の日から半年以内にあっさりと死んでしまった。ガンは告知しなかったそうだが、じいちゃんなりに残りの時間は感じていたのだと思う。

もうじいちゃんが死んでから何年も経つ。

他の戦争体験の話に比べたら大した話じゃないけど、俺のじいちゃんの話をなんとなく世の中に流しておきたかったので書いた。

おしまい


追記:たくさん読んでくれて嬉しいです。ブコメで指摘があるように一人称は「わし」と言っていなかった。じいちゃんの一人称は「わっち」だったのだけどこれは地元言葉なので書き換えました。

インターネットエモ文

初めてインターネットに触れたのは小3の時でした。地元児童館インターネットに繋がって自由に使えるパソコンがあり、年上の人たちからフラッシュを教えてもらって見ていました。らさいととか。当時はGBA全盛期でプロアクションリプレイとか流行ってたし面白い環境だったと思う。今思えばあのころからそういう系(プログラミングとか)に全振りしておけばよかったと思う。

中学に上がって引っ越しをして、ハンゲームニコ動字幕.inメイプルとかに嵌り始める。ハンゲではメルアド変更でアバター抜かれる詐欺(?)にも会ったし、メイプルでは・・・お察しください。悪い経験ではなかった。いい経験ではないけど。

当時2ちゃんねる存在は知っていたけど検索してもNHK教育についてしか出てこなかった。それに関してはラッキーだった。知ってたら絶対中卒ヒキニート一直線になってた。今もその方向に行きそうなのは変わらないのがなんともいえない。

中高一貫だったのでオタクもいっぱいいたし、当時はニコ動の勢いがすごかったのもあってオタク文化的なものは楽しめた。けどラノベだけは今も無理。文体が無理。

中高の間ではツイッター自分の中では大きかった。マイナー音楽が好きで、当時自分の周りにそういったもの好きな人間がいなかったので、遠い土地のそういった人たちを知れたり、音楽を通じたサブカル文化ちょっとかじることができた。それもあって今自分オタクでもなければサブカルでもない、ド級陰キャみたいな感じである。○○大の闇みたいな存在です。友達学内はいない(何故か彼女はいます

ツイッター恩恵がもう一つある。当時自分が大好きだったバンド地元拠点活動していて、バンドメンバーの方とツイッターを通じて会うことができた。(自分は男で、バンドメンバーの方も男です 念のため)そのバンドライブを初めて見た時に次いで、今のところ自分人生ハイライトです。いわゆる地方文化を作ろうとしている人たちで、もし30になってまともに生活できてたら自分も参加したいと思う。地元はいいぞ。

んな感じでインターネットを使ってきたわけです。そんな中で今のインターネッに思う事を一つだけ。憎悪が多すぎる。そういう意味ツイッターの一部は最悪。雑多な中にあるわくわく感がすべて失せてしまった。

ニコニコ見てみてください。BB合作を作る人々はもうどこかへ行ってしまった。

社会法律利益構造インターネットフィットさせることを覚えて、それをそっくりそのまま受け入れさせることで時間金銭を得ようとする仕組みが多すぎる。アフィ、NAVERまとめユーチューバーひろゆきの「うそを~」は本当に同意するしかないなと。ひろゆき信者無能感がすごい(自分無能であることはここでは棚に上げさせてください)から正直あまり同意はしたくないが金言だと思う。今やその嘘を見破るための真実さえわからないんだけど。

文化としてのインターネットはもはや残りカスしかないのではと思うこともある。淫夢とか完全なネタ切れでしょ。多分もうこのレベルの大きなインターネットミームは生まれないと予想していますユーザー側の社会的な余裕もないし、社会的な断絶が起きすぎている。

ギークハウス関連とかは恐らくインターネットという文脈根本にない。フランス哲学者サロンとか昭和文化人交流とかああいう奴を現代に引っ張ってきたときインターネット属性としてあるだけだという印象。

もはや凡人にはインターネット現実社会における不満からユーザー搾取する事がメインになっていると思う。実は前からそうだったのかもしれない。いろいろ見るようになって初めて気づいたのかもしれない。分断を超えてコミュニケーションが取れるいくつかサービスを除いて。

いい加減インターネット卒業しなきゃ でも今更抜け方がわからないよ 人生の半分以上ここで過ごしてと人生観を身につけてしまったので。 

お 鈴

仏壇に置いてある鈴のことをお鈴って呼ぶことを最近教えてもらったのだが、これは地域風習によって違うかもしれないが、仏様に線香をあげるとき私の地元ではまず線香をあげて、お鈴を鳴らして、拝むのが普通となっている。

だがこのお盆の時期、色々な人の拝み方を見たが、このお鈴の鳴らし方には人それぞれクセが出ていたのが興味深かった。

私の場合は「チーン…(音が小さくなるまで待つ)

…チーン」と2回鳴らすのだが、中には「チーン(間髪入れずにもう一回)チーン!!」という人や「チーン…」と1回だけ鳴らす人や、「チチチーン!!!」とすごい速さで3回鳴らす人や「チーン…(ピタッと音が止む)」と自分鈴の音を手で止める人がいたりと、狭い田舎でもこんなにもバリエーションがあるんだなぁ、とちょっと驚いてしまった。

正しい鳴らし方が存在するのか、それとも地域性があるものなのかわからないが、少なくとも私の地域では人それぞれに鳴らし方の違いがあることがわかった。

ここで質問

Q.あなたお鈴はどうチーンチーンする?

[]このあたりの観光事情

さな船着き場のような場所で、こんな掲示を見かけた。

……この渡し船は犬車「アーサー号」に代わる交通手段を設けるべく、地元漁師副業として始まった。

現在の道が開通してから観光利用がメインとなったが、客足の減少のため1992年に惜しまれつつも廃止

最後の1便はファンが1万円という高値で乗船したという。

皮肉なことにアーサー号は現在も存続している。



「犬車」の写真らしきものも貼ってあったが、山道で犬が3匹、大八車みたいなのを引いていた。

自分の夢ながらツッコミどころが多すぎる。続いてんのかよアーサー号。

方言の良さ

地方大学学生、都会から来た大学の同期が今住んでる土地馬鹿にしている。

毎朝電車での地元学生がどんなしょーもない話をしているかを自慢げに話す。

その時の口調がこの土地方言に似せて来て無性に腹が立つ。

語尾だけそれっぽくてもイントネーションはほぼ標準語から妙に「コレジャナイ」感が漂う。本人も自覚してるのか微妙イントネーションを変えてくるが馬鹿にしているようで腹が立ってくる。

だがしかし自分も言い返せない。

地元民だからばあちゃんはその言葉を喋っている。でも母親標準語を話すから標準語しか喋れない。

エセ関西弁を使われる関西人気持ち何となく理解できた。そして純粋方言を話す若者ってすげえなと。

2017-08-14

刀鍛冶修行が無給で叩かれてるが

あれと直接関わりがある話じゃないんだが、地元ローカルニュースでやってた離島鍛冶屋さんの話が思い浮かんだ

その人は離島暮らして行く上で地元の役に立つ仕事がしたいという思いから農具や調理器具の修理もできる刃物鍛冶を目指したそうだ

その為に他県の鍛冶職人弟子入りをお願いしたそうなんだが、最初弟子は取らないと断られたそうだ

それでも諦めずに何度も頼み込んで弟子入りを許して貰って数年修行させて貰った

その間は当然の如く無給

でも技術が未熟な内は材料ダメにしてしまう事も多いし儲かる商売でもないからそれは当然とその人はインタビューで語っていた

修行を経て地元の島に戻ったその人は自分鍛冶屋を開いて今日地元の人の為に鉄を打っている

って感じの内容だった

ローカルニュース特集コーナーで尺も10分程度だったからこれだけで全てが分かるはずもない

ただ無給の修行技術を身につけなければ自分鍛冶屋を開くまでには至らなかったというのは確かだと思う

師匠側の職人にしても無償労働の対価として無償教育差し出している

この点でまともな社員教育もしないブラック企業やりがい搾取とは異なっていると思う

無給の修行に数年耐えてでも技術を身につけようとする物好きでないと身につかない技術というものはある

それに価値を見出すか否かが重要で結局は個人問題になるのではないだろうか

美人が多い都道府県ランキング

僕は旅行趣味なんだけど、その土地ごとの美人の多さに明らかな差を感じたかランキング形式にして見たよ。

ランク外でもいっぱい行ったけど、あんまり覚えてないから印象的だった10都道府県で相対順位を考えたよ。

10位 : 愛知県名古屋

こってりな感じギャルが沢山いる印象。なんか濃ゆくて恐そうなお姉さんがいっぱい。

9位 : 三重県

基本的若い子が少ない気がする。感じの良いおばあちゃんたちの街、それが三重

8位 : 大阪府

名古屋上位互換という印象。ギャル好きは大阪いかも。僕はそんなにギャルきじゃないからこの順位に。

7位 : 長野県

芋クサイ学生ヤンママたちで構成されている印象。宝石の原石みたいなのは稀にいる。

6位 : 新潟県

何年か住んでたんだけど、学生はまだ垢抜けない感じだけど、25歳くらいの女性は割りかし美人が多かったような気がする。

5位 : 富山県

ここも基本的田舎っぽさ漂う女性が多いけど、美人が多かった印象。あと方言かわいい

4位 : 京都府

大阪の横なのにバカっぽいギャルが少なくてびっくり。ただ、観光客なのか地元民なのかよく分かんないけど、一定の品の良さは保たれてる気がした。

3位 : 沖縄県

目鼻立ちがくっきりしてて、琉球美人だな〜って印象。太ってなければ大体が美人寄り。ただ肌が白い人はほぼいない。

2位 : 神奈川横浜

何年か住んでるけど、全体的に美人が多い印象。学生から50代くらいまで満遍なく美人が多い。住んでるとき幸せでした。

1位 : 福岡県博多

街を歩いてるのは美人か、若くはやかましい中国人韓国人のどっちかって感じ。道ゆく女性の7割は美人といっても過言ではない、と思う。またいつか行きたいな〜。

以上、僕の好み主観バリバリランキングでした〜因みに新潟以北は言ってないので東北美人とか道産子美人はわかりません!

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