はてなキーワード: 思想とは
事実として自分の母親が便器で、発達障害のせいで不登校になり女友達も彼女もできず、
・自分の主張を否定されると即発狂、同じ政党の支持者でも意見が食い違うとすぐ発狂
・選挙に行くことを進めるが、自分たちの気に入らない側に投票した奴らはクズ扱い
・似たような政党信者たちとキモい身内ノリ、意見が食い違うと即ブロックでサヨウナラ
・自分の支持政党と対立する政党を「絶対悪」として扱う事が信者と仲良くなるコツ
・政治に無関心な人間に対して身内で結託して自分たちへの入信を迫る
・個人の思想が無く、ただ教団内の凄そうな人が喋った言葉をひたすら他人に布教する
政治の話が嫌われているのは近年はずっとそうなんだけど、最近はどの政党も「狂信者的自警団」みたいな奴がすぐ発狂して暴れるから「政治の話題」自体がキチガイの遊び場になってるんだよな
大体絵も字も描けないし面白い創作もしないから中堅以下絵描きには疎まれている
心に余裕がある人は受け入れられるんだろう
とはいえコミュニケーション能力が高いだけなので、別にフォローしても何一つ面白くない
想像力もなく、考察も浅いし妄想も自分と彼氏の体験をベースにしたものを時々呟くくらい
特に神に作品を認められたい、思想の強い中堅絵描きのヘイトを買う
そのくせ中堅絵描きはこの手のレイヤーに感想をもらって浮かれてしまう。
褒めてくれただけにブロックもし辛くなる。
そして嫌いなはずの相手にもらった賞賛で喜ぶプライドのなさに落ち込む。
腐女子とはそういう生き物。
現在の日本では正論を言うと悪人を生成できないため悪人によって正論をいうことが禁止されているものと解するのが相当である。
すなわち、正論とは、日本人とは元々女性的でその本質はマンコであるとか、その悪質性は強い方向ではなく、弱くて醜い方向に
開花することがほとんどであるということ、また必ずしも、悪い日本人ばかりではないとか、昔から様々な人が居たという議論を正論と
いうものと解されるが、現在の日本国民の思想は要するに、日本人のマンコが悪でありそれがゆくゆくは凄まじいものになり、ある限度に
達した時点で悪人を生成するのに利用できるという思想によって支配されており、この思想に反する正論、すなわち、日本人は非常に弱い
柳原白蓮(1885年10月15日 - 1967年2月22日)、本名は燁子。
大正天皇の生母である柳原愛子の姪で、大正天皇の従妹にあたる。
1910年11月、上野精養軒で燁子と九州の炭鉱王・伊藤伝右衛門との見合いが行われた。
燁子は当日、それを見合いだとは知らされていなかった。
伝右衛門は50歳、親子ほどの年齢差・身分・教養ともあまりに不釣り合いであり、
地方の一介の炭鉱主が「皇室の藩塀」たる伯爵家から妻を娶るのは前代未聞のことで、「華族の令嬢が売物に出た」と話題になった。
異例の結婚に新聞では、柳原家への多額の結納金や媒介者への謝儀、宮内省への運動資金など莫大な金が動いたことが書き立てられた。
背景には貴族院議員である兄義光の選挙資金目的と、一代で成り上がった伝右衛門が後妻に名門華族の家柄を求めたことがあったと見られている。
翌1911年2月22日、日比谷大神宮で結婚式が行われ、帝国ホテルでは盛大な披露宴が行われた。
『東京日日新聞』では結婚式までの3日間にわたり、2人の細かい経歴などを書いた「燁子と伝ねむ」というタイトルの記事が連載され、“黄金結婚”と大いに祝福された。
燁子は遊廓に入り浸ることの多かった伝右衛門に病気をうつされ大きな屈辱となり、夫婦の間の亀裂は深まった。
そんな歪んだ結婚生活の懊悩・孤独を燁子はひたすら短歌に託し、雅号「白蓮」の名で、竹柏会の機関誌『心の花』に発表し続けた。
1917年暮れ、福岡鉱務署長・野田勇に炭鉱主から贈収賄が行われた疑いで大規模な検察の調査が入った「筑豊疑獄事件」が起こる。
1918年4月初頭、野田夫人の友人である燁子は贈賄側の証人として出廷した。
公の場に現れたことで話題となり、『大阪朝日新聞』は4月11日から「筑紫の女王燁子」というタイトルで10回にわたる連載記事を載せ、大きな反響を呼ぶ。
この連載記事がきっかけで「白蓮」が燁子であること、「筑紫の女王」という呼び方が全国的に知られるようになる。
1919年12月、戯曲『指鬘外道』を雑誌『解放』に発表する。
これが評判となって本にすることになり、打ち合わせのために1920年1月31日、『解放』の主筆で編集を行っていた宮崎龍介が別府の別荘を訪れる。
龍介は7歳年下の27歳、孫文を支援した宮崎滔天の長男で、東京帝国大学法科の3年に在籍しながら新人会を結成して労働運動に打ち込んでいた。
新人会の後ろ楯となったのが吉野作造ら学者による黎明会であり、『解放』はその機関誌であった。
両親共に筋金入りの社会運動家の血を引き、時代の先端を走る社会変革の夢を語る龍介は、燁子がそれまで出会ったことのない新鮮な思想の持ち主であった。
別府に2晩宿泊し、打ち合わせを終えて日豊本線に乗る龍介を、燁子は小倉まで見送った。
その後、事務的な手紙の中に日常の報告と恋文が混じる文通が始まる。
燁子の上京の機会は伝右衛門に同行する春秋2回で、京都などで限られる逢瀬の中、2人は頻繁な手紙のやり取りで仲を深めた。
やがて龍介の周囲で燁子との関係の噂が広まり、華族出身のブルジョワ夫人との恋愛遊戯など思想の敵として、
1921年1月に龍介は『解放』の編集から解任され、4月には新人会を除名された。このことは燁子の心を一層龍介に傾かせた。
燁子は秋の上京の際に家出を決行する準備のために、伝右衛門のお気に入りで博多花柳界で名高い芸妓であった舟子を、
自分の身代わりの人身御供として舟子を伝右衛門の妾にしたのである。
龍介は新人会時代の仲間である朝日新聞記者の早川二郎や赤松克麿らに相談して、燁子出奔の計画を練り、決行した。
1921年10月20日、伊藤伝右衛門は夫婦で滞在していた東京府日本橋の旅館「島屋」から、福岡へ帰るために車で東京駅へ向かい、
妻・燁子は親族を訪問する予定で東京に残り、伝右衛門を見送った。しかし、燁子はそのまま日本橋の旅館に戻らず、行方をくらませた。
22日、大阪朝日新聞朝刊社会面に「『筑紫の女王』伊藤燁子 愛人宮崎法学士と新生活?」と失踪の第一報が伝えられる。大阪朝日の単独スクープであった。
伝右衛門は福岡へ戻る途中で立ち寄った京都の宿「伊里」で、22日朝刊の報道を知って驚愕する。
その頃の燁子は東京府下中野の弁護士・山本安夫の元に、伊藤家から伴った女中と共に匿われていた。
山本は龍介の父・宮崎滔天の友人であり、子供の頃から親しい龍介に相談を受け、燁子の身柄を預かっていた。
22日夜、山本は新聞各社に燁子の居所を連絡し、記者が押し寄せて取材が行われ、23日朝刊には記者に対応する燁子の写真が掲載される。
朝日のスクープは、姦通罪を逃れるため、龍介が新人会の仲間で友人の赤松克麿や朝日新聞記者の早坂・中川らに相談し、
マスコミを利用して世論に訴え、人権問題として出奔を正当化するために仕掛けられたものだった。
女から男に宛てて、新聞という公器を使って縁切りの宣言を行うという前代未聞の出来事に対し社会的反響は大きく、
大阪朝日24日夕刊には、5百余通の投書が殺到した事が書かれ、世間を大いに揺るがす事件として受け止められた。
柳原家や燁子が身を寄せた山本家には多くの賛否の手紙の他、脅迫まがいのものも届いた。
10月24日に福岡に戻った伝右衛門は親族会議を開き、友人の炭鉱主らも同席する。そこで宮崎龍介・赤松克麿らの思想的背景が問題となる。
伝右衛門ら炭鉱主は当時頻発していた米騒動やストライキに神経をとがらせており、彼らによって労働争議の標的にされる恐れがあった。
また姦通罪で訴える事は、今上天皇の従妹である燁子を投獄する事でもあり、宮崎側に関与する事は避け、問題は柳原家と伊藤家の両家の間のみに絞られた。
11月1日夜、東京丸の内の日本工業倶楽部の一室に伊藤・柳原両家関係者が招集される。
この席で燁子を伊藤家から正式に離縁する事が決められ、伊藤家に残した燁子所有の調度品や衣類・宝石類を柳原家に託し、
燁子名義の土地・家屋・株券などは名義を変更して伊藤家に返還する事などが決められた。
11月2日、仲介役の奥平伯爵が築地精養軒で新聞通信社に燁子と伝右衛門の離縁を発表し、3日付の新聞に掲載される。
事件からわずか10日後、伊藤家側は極めて寛大な処置で迅速に身を引いた。
伝右衛門は一族に「末代まで一言の弁明も無用」と言い渡し、「上京して姦夫姦婦を二つに重ねて四つに叩き斬る」と息巻く地元の血気盛んな男達にも「手出しは許さん」と一喝した。
福岡天神町の銅御殿落成の翌日、11月27日に伝右衛門と燁子の離婚が成立する。
駆け落ち騒動の最中に生まれた長男・香織と共に宮崎家の人となった燁子は、それまで経験したことのない経済的困窮に直面する。
弁護士となっていた龍介は結核が再発して病床に伏し、宮崎家には父滔天が残した莫大な借金があった。
裁縫は得意であったが炊事洗濯は出来ない燁子に代わり、姑の槌子が家事と育児を引き受けた。
燁子は小説を執筆し、歌集も出版、色紙や講演の依頼も引き受け、龍介が動けなかった3年間は燁子の筆一本で家計を支えた。
この頃、吉原遊廓から脱出した花魁の森光子が宮崎家に駆け込んで助けを求めている。
その後も娼婦の救済活動は続けられ、1928年にも吉原から子持ちの娼妓が宮崎家に駆け込んでいる。
この活動は暴力団に狙われる危険なものであったが、燁子にはかつて伊藤家で舟子ら同性を
身代わりの人身御供にした罪の意識があり、娼婦の救済はその罪滅ぼしもあったと見られる。
1944年12月1日、早稲田大学政経学部在学中の長男が学徒出陣し、
翌1945年8月11日、所属していた陸軍・鹿児島県串木野市の基地が爆撃を受けて戦死した。
龍介の手厚い介護のもと、娘夫婦に見守られ歌を詠みつつ暮らした穏やかな晩年であった。
1967年2月22日、心臓衰弱のため西池袋の自宅で死去した。81歳没。戒名は妙光院心華白蓮大姉。
遺骨は長男と共に神奈川県相模原市石老山の顕鏡寺に納められた。
人が持つ何らかの環境問題に対する興味って1か0かじゃないんよ
ヴィーガンではないから環境問題にも全く興味がありませんってなる?ならないっしょ
大体の人間は1から0の間で現実的なラインを見定めて折り合いをつけて生きていくわけ
んで元増田で言いたかったのはどんなに叫んだところで人は変わらないし人間社会で生きていく上ではいろんな人と関わらざるを得ないんだから折り合いをつけていくべきなんじゃねーのってこと
そもそもフェミニズム思想を肯定している女性って、全女性の2割くらいしかいないんじゃないかと思う。
今週号の週刊少年ジャンプおよび週刊少年マガジンを読んで驚いた。
と言っても、読者のほとんどはそれが児童ポルノだと気づいていないかも知れない。
普段日本の漫画の表現の歪みを侃々諤々しているネットのリベラルですら同じである可能性が高い。
この「男児ポルノ」が今週号のマガジンとジャンプに同時に掲載されたのは示唆的だ。
何故なら、これこそ昨今のポリコレを求める声に日本の漫画編集部なりに答えた結果だと考えられるからだ。
今、少年漫画誌では女性の裸体は乳首ひとつ出せない状況に既になっている。
それは明らかに世間の性的表現の規制を求める声に答える形で起こった変化であり、日本の漫画業界は「怒られない本作り」を明確に指向している。
だからこそ、今回こういう形で「男(”LGBTQ”)ならいいんだろ」という歪んだ認識の片鱗が垣間見えたことは大きな問題を孕んでいる。
何よりの問題は、この歪んだ認識は「遅れた日本の漫画業界」に限った話ではない可能性が非常に高いことだ。
この「男児ポルノ」は、間違いなく表現の問題を普段声高に訴える「リベラル」「フェミニスト」方面からの叩きも弱くなるだろう。
むしろ、一切何の問題とも捉えられず、完全に無視される可能性が一番高い。
これらの中心層がフェミニストであり、北原みのりのような「男性の性的搾取はカウンターとして肯定される」という思想をそれが男児であろうと適用するだろうからだ。
これは、彼らが普段自分たちのモデルのようにうそぶく欧米の価値観とは実は全く違う。
「欧米では」児童ポルノの問題視に、それが男児であるか女児であるかを問わない。
ここで守られるべき弱者とされるのは児童なのであり、子供を守ることに性別は関係ないからだ。
今回両誌に掲載された男児の裸体は明らかに性的に強調されたもので、「欧米なら」児童ポルノと認識されることは間違いない。
しかし、日本においては、欧米のポリコレを理解しているつもりの層ですら、これをスルーする可能性が高い。
繰り返すが、これが欧米の厳しい基準では完全に「児童ポルノ」と認識されるレベルの性的表現であるにも関わらず、だ。
ひとつの問題が指摘されると、それを改めることが出来ないのみならず、歪んだ解釈であさっての方向に問題を悪化させる日本社会の悪弊に、またひとつとんでもない事例が生まれようとしているのを感じた。
さすがに何某のnote購読してただけで離婚は、100%あなたの有責になるだろうね
ま、そういう裏切りは小山のミソジニー思想を裏打ちする事になるけどね
女は薄情(笑)
「シャインマスカット」中国流出で損失100億円 農水省試算日本農業新聞
苗を正規購入していたら…
ブドウ「シャインマスカット」の中国への無断流出によって、品種育成者が得られるはずの許諾料換算で、少なくとも年間100億円の損失が発生しているとの試算を農水省がまとめた。中国の生産者が種苗を正規に購入し、現地で栽培されたと仮定して試算した。同省は、こうした品種流出による経済損失の防止へ、品種の育成者権を管理・保護する専門機関の設立を検討する。
開発者の艱難辛苦を考えると、しっかり許諾料は払うべきだが、
男性の生きづらさを「ジェンダー問題」として扱うことを真っ向から否定するフェミニストが相当数いるからだよ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/K_Kimura_Kobe/status/1528878957579599872
driving_hikkey その怒りの矛先を「富裕層」「権力層」に向けない限り、永遠にそいつらの養分のままなんだが、いつになったら気がつくのだろうかねえ。
フェミニスト(フェミニズムに賛同する人)の男性問題への反応は概ね、
・「ジェンダー」問題であることの否認(それは社会問題として対応されている)
に集約される。
はっきり言って無関心よりタチが悪い。
上記のいずれも「男性の生きづらさをジェンダー問題として扱うこと」
はてななんかだと、ある1つの事象に対して、上記の仮説を全部支持する人もいる。
「そんなの関係なく訴えればいいじゃん」って?
ちょっと考えてみて欲しい。
例えば強制わいせつが女性自身の罪とされる文化圏で被害を訴えることの難しさを想像すればわかるけど、
「問題を社会に訴える活動」と「その訴えを正当化(自分個人のせいではない)する思想」は不可分なんだよ。
フェミニスト達はその2つを頑張ってきたから、生きづらさを抱える女性が声を上げやすい環境がある。
それが「男性原罪論」みたいな世界観にも繋がっていると思うけど・・・
逆に男性学は、生きづらさを抱える当事者自身の属性「男性」が責任を抱える思想で、
フェミニズム的でなく、大多数のフェミニストが経験したことのない活動
のはずなんだよ。
フェミニズムを全肯定し、男女の非対称を絶対のものとして受け入れる思想を、
フェミニストが無邪気に賛美してるのをみるとグロテスクさを覚える。
「”フェミニストがやってきたみたいに”男性も声を上げて欲しい」って・・・おいおい。
むしろフェミニズムと非対称的で、「内省・自助努力」のケが強いから、結果として男性学からは社会的なアプローチが一切出てこないよね。
これらのことを踏まえると、フェミニストが男性問題についてやっていることはマジで
のどちらかしかない(いや、ほんとは静観してるだけの人もいるんだよね)。
繰り返すけど、単なる「無関心」よりタチが悪い。
自殺や労働や孤独まで、あらゆる男性問題を「男性性」の問題として、フェミニズムの文脈に取り込もうとしている。
じゃあどうすればいいか?
ジェンダー論の権威たるフェミニストのヒエラルキー下から脱した存在が必要だと思う。
そのためにまずは男性自身が問題意識を持たなければいけないってのもあなたと同様。
ただ、こういった現実を透明化して、「男性の欠陥」に全責任を押し付ける人は糾弾してかなきゃならない。
世俗権力とも戦う必要があるし、「男女平等」「ジェンダーフリー」を司っている道徳的権威とも戦わなくちゃならない。
フェミニストに論をぶつけるのは全く正当な振る舞い。
宗教的信念だろうとは思うよそりゃ
今のデファクトスタンダードであるところの人権思想にしたってもちろん例外ではない
西欧と関係ない中国やらイスラムやらインドやらがこの先覇権取ったら、特に意味もなく捨てられる程度のものでしかないし
山中恒だったっけか、妹尾河童に『戦中にんな開明的でリベラルな思想や暮らしができたわけがない!!オレなんかもっとアホバカだったぞ!!ウソつくな!!』てブ厚い本で難癖つけたの(苦笑)
俺には全くもって理解できないんだけどどういうこと?
言い方が乱暴すぎた。
理解は出来るんだが、その思考過程に強い異常さを感じるせいで「本当にこんな奴がいるのか?」と思ってしまう状態だ。
きっとこういう人は「反出生主義は異常者なので名前を付けるほどの存在」と「出生主義は普通の価値観なのであえて名前を付けるほどじゃない」と言いたいはず。
もっと踏み込むと「俺達普通の人が定義した一部のキチガイをくくる言葉としての反出生主義は名前を与えられた怪物として存在している」というのを言いつつ「出生主義と呼ばれるような存在は様々なレパートリーがありすぎてあえて名前でくくれない」みたいな感じだと思う。
つまりは「自分の立つポジションは当たり前すぎるのであえて名前はつけない」という価値観。
「宇宙人」という言葉を語る時に「宇宙に住む人」という意味でなく「地球以外に住む人」という感覚を使うので「地球人も宇宙人でしょ?」という表現を許せないというタイプ。
まあこういうタイプは実際にいるんだよね。
自分の思想や価値観に対する謎の確信を持ってしまっているタイプ。
「カレー味のウンコとウンコ味のカレーなら、カレー味のウンコを選ぶのが当たり前なのだから、ウンコ味のカレーを選ぶ人だけを「ウンコ味大好きマン」と呼ぶべきであって、カレー味のウンコを食べる側を「大腸菌モグモグマン」とか言わなくていいでしょ?」みたいな思想にすぐ走ってしまう人たちが。
これは実に危ないよ。
たとえばこういう人に戦争に対する是非について語らせるとすぐに「戦争は絶対に駄目だ!無防備こそ正しい!」とか「祖国を守るのが絶対に正しい!非国民は投獄すべきだ!」みたいな極論に向かってしまって議論が単なる極論同士の水掛け論になってしまう。