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2021-02-24

粘着目的とした粘着」をいい加減人類には卒業して欲しい

誰でもいいから叩きたい人「コイツは悪いやつだ!我々は長いストーキング活動によりコイツ些細な悪事をついに見つけたのだ!皆で叩こう!」

誰でもいいから叩きたい人たち「よくやった!実にいいストーキングだったぞ!!」

誰でもいいから叩きたい人たち「ストーキングなんて許せねえ!こいつらを叩くぞ!」

誰でもいいから叩きたい人たち「悪い人間批判する人間を叩くなんてきっと悪い奴らの仲間だ!叩こう!」

誰でもいいから叩きたい人たち「難癖をつけて人を叩いてるやつがいるぞ!叩いて改心させよう!」

誰でもいいから叩きたい人たち「改心させる手段に叩くのなんて無意味だ!暴力的な奴らをひとまず止めるために叩くぞ!」

誰でもいいから叩きたい人たち「叩かれる痛みを知らないからむやみに叩くんだ!痛みを教えてやれ!」

こういうの、ネットでよく見ませんか?

まあリアルでもめっちゃよく見るんすけど。

いい加減辞めませんか?

どう考えてもこれ全部「粘着目的とした粘着」でしかなくて、「正義」なんて誰にもありませんからね。

マジで

いい加減辞めませんか?

本当に。

具体例は出しませんよ。

だって具体例を出したら私がその対象を叩いてることになって、私もまた粘着目的とした粘着の仲間入りをしかねないですからね。

なぜかって?

そういうときに選ぶってことは、心のどこかで「せっかくだからコイツに矛先を向けとくか。前々からムカついてたし」って気持ちがあるわけですよ。

その気持ちがあっても、行動にさえ出さなきゃひとまず封印できるんです。

封印せずに表に出すと、そうして表に出したこと正当化するためにどんどん他の封印も解けてくわけです。

から私はなんの一例も出しません。

ヤングケアラーだった子の話

 新聞を読んでいたら、「ヤングケアラー支援の拡充」という国の施策についての記事が載っていて、私はかつて少しだけ知っていた女の子のことを思い出した。

 5年近く前、私は福祉関係仕事をしていた。専門は障害年金申請の補助。申請者は診断書の提出以外にも、障害を負うまで、負ってからの経緯を書いた申立書も年金機構に提出するのだが、これを一人ですらすらかける人はあまりいない。なので、ここを補助することが多かった。申立書は書き込みがしっかりしている方が、申請が通る確率が高かった。

 自分で言うのも何だが、わたしはこの補助が結構うまかった。子供の頃はどんな子でしたか学校では何に一番苦労していましたか先生はこの時なんて言っていました?なんて、とっ散らかりがちな申請者の人生を整理し、じゃあこう書いたらどうですか?だとか、ここはもっと強調しましょうとか、そう言う感じのコメントをつけると、小一時間もあれば書類は出来上がる。手帳等級に応じたが、まあまあの確率申請は通った。

 ある日、内部疾患を理由女性申請にやってきた。病名は覚えていないが、症状は障害手帳が出るか出ないかギリギリのところで、事実手帳はまだ申請中とのことだった。その場合は申立書でいか日常生活を送るのが困難かを書いて手帳がないことをカバーする形になる。この女性病気で一日20分くらいしか座っていられなかったし、病院に行くのも億劫がっていた。当然、書類作成にも人の何倍も時間がかかった。

 ある日、制服姿の高校生女の子がやってきた。あの申請者の女性の娘だった。彼女は愛想良く

「お母さんの代わりに書類を書きにきました」

と言った。申請書類の代筆はできないが、申立書は代筆可能だったので、私は深く考えず彼女に書いてもらうことにした。

 私と彼女は、年齢が10も離れていなかったこともあり、彼女は初めからリラックスした様子だった。彼女は私のことを「お姉さん」と呼んだ。母親病気の経過について、彼女が全て知っているわけではないこと、また、学校アルバイトの隙間の時間しか来れないこともあり、彼女は5、6度に分けて申立書を書きに来たと思う。

 複数回やって来るので、私たちは打ち解けた。彼女の丸っこいくせ字で書かれる母親物語は、なかなかに壮絶だった。

「まあでも、いいお母さんだよ。面白いし。弟もお母さんのこと好きだからね」

 彼女ニコニコしながらそんなことを言った。

「お姉さんは大学行った?」

 ある日、書類を書きながら、彼女は私にそう聞いてきた。

「うん、まあ行ったね」

「そっかあ。いいなあ、私はお母さんもこんなだし弟も小さいから、大学行けないんだ」

 聞くと、彼女高校2年生だった。近くで話を聞いていたらしく、上司がやって来て彼女奨学金生活保護の話をした。彼女はびっくりした顔をして、

「うちは私がアルバイトしてるから生活保護は貰えないんだと思っていた。それに、生活保護をもらってる人でも大学に行ってもいいの?」

と呟いた。

 上司はすぐさまケースワーカーに連絡をして、お母さんからケースワーカー電話をするように彼女に言いつけた。

「これでお母さんが年金を貰えばうちに余裕も出るし、生活保護を貰っても大学に行っていいなら、私も大学に行けるかもしれない」

 彼女は嬉しげだった。

 申立書が出来たので、申請書を作成してもらうべく女性本人の方を呼び出した。彼女めまいがするとこぼしながらも、申請書を書き上げた。

「そういえば、生活保護申請をして、もらえるようになりました。ありがとうございます。娘も、大学に行きたいって」

「連絡してくれたんですね。生活保護年金の併給の場合保護費の調整があるので、年金のことを先に言っておいて下さいね

「そうなんですか?その話はしていないや」

 女性は少し慌てた様子だった。

「そうしたら、調整が終わってから申請しましょうか」

「そうします。でも、本当によかった。私がこんなだから、娘は学校から帰って家事をして、アルバイトをして、弟の面倒を見て、夜は私のことをお風呂にも入れてくれるんですよ。負担だったと思う」

 あの屈託なく笑う18歳の女の子生活が予想以上にハードで、私は絶句した。

「でも、これであの子普通に過ごせる」

 その後、一週間経っても二週間経っても、それどころか一月経ってもあの女性は来なかった。診断書有効期限が切れそうなので、私は慌ててあの女性携帯電話電話をしたが不通だった。

 こちらとしても書類が宙ぶらりんになるのは困るので、ケースワーカーに連絡をした。彼はああ、あの人、というと大きくため息をついた。

「逃げちゃったんですよ。もう引っ越したので生活保護はいいです、って電話が来ておしまい音信不通です」

 私がギョッとしていると、彼は良くわかんないですが、と言いながら、

「こういう時ってだいたい男絡みだったりするんですよね。結婚していた時に住んでいたところにいるって話してたから、前の配偶者とよりを戻したのかも」

 私は息が詰まって口も聞けなかった。申立書に、彼女は前夫からひどい仕打ちにあったと書いていた。

「娘さんは?娘さんに連絡でもいいんですが」

 私の問いに、彼は首を振った。

「娘も一緒ですよ」

 彼は本当はこんな話しちゃいけないんですけどね、と呟いて、そのまま自席に戻っていった。

 あの頃、私はヤングケアラーなんて言葉は知らなかった。だけどあのアルバイト家事を懸命にこなす大学に行くのに憧れていた女の子は、まさにそれだった。もっとどうにかして、彼女を助けられなかっただろうか。彼女にごく普通女の子としての生活を送らせてあげられなかっただろうか。彼女大学に通わせてあげることはできなかっただろうか。あの子は今頃、大学卒業する年だ。

 

anond:20210224185301

なんで直接文句言わないで卒業するまで待ってから文句言ったの?素直に不思議

anond:20210223235037

よう俺だ!チャレンジした世界線増田だ!そうだね!どんな環境でも隣の芝は青く見えるもんだよ!増田には二つの選択肢しかいからどちらかで納得するしかないよ!

1.あと30年地方都市IT市場が今のまま維持されると盲信して労働人形になる

2.日本階級ポータビリティがまだあるうちに子供自分以上になれるように東京圏に挑戦する

20代後半でSIerからGitHubk8sなどは当たり前の環境転職して5年が経った。増田と違うのは、自分も妻も東京圏に住んでいた者という点にある。後述するがでかい違いとは思う。

生存バイアス自覚もあるが、個人技術を詰めていたので適応は早かったし(技術自体というよりは適切な情報ソースサーベイして自走する能力が一番大事だな)、勉強無駄にはならんかったよ。

そして、この年代(昭和 60-64 年生まれくらい)はリーマンショックの影響で市場にいる人材が薄いから、良い条件の働き口が割とあると思う。

しぬほど仕事があって、平均45時間残業して年収700万弱くらいだ、ベース給与はおそらく大して増田と変わんねえ。地方拠点仕事を作ってあげる仕事ときたまあって実体はわかるが、増田生活も悪かねえと思うぞ(ただし後述の取り、リスクはあるし増田の大切な人達に跳ね返る可能性もあるだろうな)

こちとらリモートフレックスを使って育児家事効率よくこなしながら、進捗の遅れは寝かしつけのあとにどうにかする日々だ。それでいて一日中車を運転したオフの夜中にコードも書いたり検証したりもすれば、面白そうな技術書や論文を漁りもする。

ここんとこは英語ができなきゃ話にならんくなってきて洋書読んだりもするな(まともな学会会議論文は当然英語前提)。オライリーの訳書のラグ2年弱の間に世界が変わっちまう。マジかよって感じ。世界が加速しているのか、日本が遅くなっているのか、はたまた色んな事情で訳書が遅くなっているのか、俺の認知が広がっただけなのか、或いはそれらすべてが原因か。

そんな状況になると外資が競合になってくる境界くらいにいることになるのだが、社会の分断の片鱗を程よく感じられるような位置だ。ここいらになると、周囲にいる人間国立大学CS修士博士とかが当たり前だ(体感半分くらい。そんでもって残りの半分はいいところのCS学士とか。こんなにCS専攻っていたんだな?)。

そいつらは帰国子女だったり東京圏中学受験して、英語は堪能、財テク節税に勤しみ、文化的資本も豊かで楽器を嗜めば運動も習慣化しているような人種だ。加えて技術への情熱半端ないときている。小さい頃から好きで、仕事というよりは趣味でやっている人だらけでもこの年収とかなもんで、余談だが「スクール卒業リモートワーク年収1000万!」みたいなコピーは儚き虚言だと断言できる。

そしてハイソサエティ人材達が順次GAFA(笑)(大体がeコマーのAなんだが)に転職するようなルート確立されつつある。日本やべー。(AZ障害を俺達が手先になって謝る状況を脱して謝らせる側に回りたい気持はわからなくもないがな!)

彼等とスタート位置が違うんだからどうしようもないと感じることは多々ある。公立中学校の話なんかすると作り話扱いもされる。そして更に言うと、海の向こうには、彼等も勝てないような人達大勢いる。大阪なおみ選手のような世界トップランカーにでもならない限りこれが続くんだろうな。

冒頭の話に戻るが、地方出身学生や中途の話を聞いていて、日本ITエンジニアについてもそうなんだが、子供教育に関しても東京にいないと話にならんとは感じる。

もう増田ひとりの物語じゃなく、増田子供物語という意味で、今から東京で挑戦することは選択肢もなくはないと思うぞ(SAPIXかに重課金するレベルまでやれとは言わん)。一番のハードルパートナーキャリアとは思うから、お互いが納得できるように人生を決めろ(育児丸投げとかありえんからな、ITエンジニアなら冗長化してみせろ)。あと単身赴任観測する限り破滅への道だ、それだけはやめとけ。

日本はやべーと思うが、それでもまだ欧米よかは格差は少なくて、上へのポータビリティもある。ただ、これからどんどん色々壊れていくだろうから、何かをやるなら早いに越したことはないと思う。おたくらのビジネスモデルはこの先30年持つか、俺は疑問視している。付加価値薄いって気付いてるっしょ。だから俺は転職したよ。

地方IT特にリモートワークの普及は地獄の窯の蓋みたいなもんで、逆に東京圏エンジニアに食われるんじゃねえか?北米と違って全都市JSTで高品質回線が全国に張り巡らされているんで、逆の立場だったら気楽でいられん。効率的なことが禁止された結果甘い汁を吸えている面はあると思っていて、それって焼き畑みたいな最終手段から、その先はないと思うぞ。

ちなみにだが、この話は俺にもブーメランになってくる話で(時差と日本語の難易度の高さと平均的な語学力の低さで、外資に食い尽くされずに守られてるな東京は)、東京圏キラキラケイITエンジニアやっていても選択肢は二つだ。

1.あと 30年東京圏IT市場が維持されると盲信して労働人形になる

2.階級ポータビリティが踏めるうちに子供自分以上になれるように海外に挑戦する

ということなんだが、コロナ次第だな。世界境界でもがきながら、日本治安労働法と医療制度年金制度(老齢年金も悲観するほどではないし障害年金と遺族年金が現状心強すぎる)を最大限利用するのもよし、海外に挑戦するのもよしだが(俺のパ―トナーは配偶者海外帯同休職一定期間できる)、状況を見極めながら俺の子供が俺以上になれるよう努力するお気持ちだ。東京圏にやってきた爺さんや、俺を大学に出してくれた親父以上のことをやらんとな(俺は所謂ファーストジェネレーションってやつだ)。

自分物語をほどほどに、子供達がワンチャン自分以上になってくれればそれでよくね?と思いつつある。子供アメリカ国籍選択できるようにしてあげられればよかったんだがそこまではできなかった。あとやってあげられることは、ワンチャン帰国子女にしてあげられるかくらいだ。

最後に。仮に俺達が無駄なことをやって虚無しか生まずにこれから30年過ごすとだな、子供達が過ごす未来がやべーんだわ。俺達が楽するほど、子供達が楽できなくなる可能性が高くなる。増田、わかるか?俺達が自己実現して目指す理想郷は、子供達に良い未来を作る。もっと効率的なことをやって、空いた時間で今困っている人達の働き口や、未来の子供達の食い扶持を作るような成果を出せ。もしも、無駄なことをやって、虚無を生んで、その割に好待遇を得ている状況という自覚がもしあったら(実際そうなのかは俺が決めることじゃない。案外いいことやってるかもしれんよな。)、それには抗ってくれ。

福岡教育大学の初等の副免について

ここでは、福岡教育大学初等教育教員養成課程(幼児教育選修は除く。以下、初等とします)の副免について、書いていきます

==== =====

福岡教育大学の初等は、小学校教員養成に重点を置いています

初等では、原則として、中学高校教員養成はしていませんので、注意をしてください。


中学高校先生になりたい人は、中等教育教員養成課程(以下、中等とします)に進学してください。

なお、初等に進学した後に、中等に転課程すること(課程を移籍すること)は、基本的にはおこなえません。

どこの大学でも、転課程はきわめて難しいと考えてください。


初等の学生は、小学校教員教育職員免許の取得を前提にしています

初等で得られる免許小学校一種)は、主免(しゅめん)といいます

主免とは、卒業時に主として取得する免許(必ず取得できる免許)のことです。

したがって、初等の学生小学校一種が主免になります

中等の場合、主免は、中学校・高等学校一種免となります


この主免以外に、他の授業を履修することにより、与えられる免許を、副免(ふくめん)といいます

まりオプションとして取得できるものが、副免です。

初等の学生は、幼稚園一種・二種)、中学校(一種・二種)、高校一種)が副免になります


これら副免は、福岡教育大学の初等では取ることが難しいです。


「初等に入ったけれど、中学高校免許も取って、中学高校)の先生になりたい」

という人は、残念ですが、それは諦めて、小学校先生になられることに専念してください。


福岡教育大学の初等は、小学校教員になる教育をしています

初等では、中学高校)の教員になる教育は、標準的提供していません。

中学高校先生になりたいのなら、中等に入るべきでした。

「それでも!どうしても!」というなら、他大学に入り直すか、一旦卒業した上で、働きながら通信制大学放送大学)に通って免許必要単位を修得する、ということしかありません。


福岡教育大学公式ホームページに「福岡教育大学で取得できる教員免許状について」(https://www.fukuoka-edu.ac.jp/files/bgeditor/other/H28menkyo.pdf)との文章が公開されています

これによると、初等では、小学校一種は主免です。

幼稚園中学高校免許は、

卒業要件を満たし、さらに所定の単位を修得することで取得も可能となる免許状(副免)」、「副免のうち、人数制限や修得する単位が多い等の理由により、特に取得が困難な免許状」とされています

この文言をよく理解してください。

「取得も可能」=取れるかもしれません、「特に取得が困難」=取るのはとても難しいです、ということです。


初等の学生が、副免で取得する講義などは、原則として中等の学生に向けて提供されている講義に、初等の学生が「参加させてもらう」ものです。

もし、その講義や演習などが、人数を制限する場合や受講制限がある場合は、中等の学生が優先されます

中等の学生に向けての授業なのですから、そこに「参加させてもらう」初等の学生立場が弱くなることは、おわかりいただけるでしょう。


初等の学生が、副免を取得したい場合は、まずは担任先生相談してください。

といっても、担任先生も、副免のことがよくわかっていない先生もいます

学生支援課の「学生なんでも相談窓口」(https://www.fukuoka-edu.ac.jp/data_ex/pdf1421305397_0.pdf)に相談することが、てっとりばやいです。

副免を取得したい学生は、希望する科目の「教科基礎学力テスト」を受験し、A・B・Cの判定のうち、B判定以上を取る必要があります

C判定(不合格)では、副免の授業の履修は認められません。

なお、この教科基礎学力テストは、不合格のC判定であっても、来年度も希望すれば受験できます

もし不合格であれば、それを謙虚に受け止めて、勉強し直して、再受験をするか、もしくは副免は諦めるか、という二つの選択肢になります


例年、教科基礎学力テストは5~6月に実施されます。2020年はコロナ禍のため、8月に実施されました。

日時や、テスト範囲などは、大学内の掲示板掲示されます

教科基礎学力テストの結果は、遅くても夏休み中には告知されます

B判定以上の学生は、後期から副免の授業の履修が可能になります

そのため、前期の期間か、夏休み期間にテスト実施され、結果も後期の授業が始まる前にはなされるはずです。


教科基礎学力テスト過去問は公開されていません。

テストでは、解答用紙とともに、問題用紙も回収されますから受験したことのある先輩に過去問を見せてもらうこともできません。

問題用紙の回収は、過去問を見ることができた人間が有利になる/見ることができなかった人間が不利になることを防ぐ、公平性を確保するためです。


出題範囲難易度は、教科によって変わります

高校入試の問題がそのまま出た、センター試験共通テスト)のレベルだった、国立大学二次試験レベルだった、など、さまざまな噂がありますが、出題範囲は示されるので、その範囲内の勉強をよくしておく必要があります

とりあえずは、高校での履修内容の範囲内で出題されるはずですから大学受験勉強と同じような勉強しておけば良いでしょう。


この教科基礎学力テストを課す目的は、中学高校)の基礎学力を備えているかをチェックするものです。

この基礎学力がなければ、副免の授業に出ても、単位の修得は難しいです。

教員から見れば、基礎学力のない初等の人間が、中等の授業に出てくると、レベルが保てず授業の運営に支障をきたします。

いくらやる気があったとしても、身につけておくべき基礎的な知識がないと、授業で先生の言っていることが理解できませんし、単位の修得は難しいです。


「やる気はあるが、学力の低い学生に、再教育をする必要がある」と主張する人がいます

しかし、高等教育機関である大学では、「中学高校の復習をしましょうね」という「復習の時間」はありません。

高等教育機関である以上、そのような「学び直し」の授業で単位を出すことは、制度的にも許されていません。

福岡教育大学Fランク大学ではありません。

そもそも、そんなに「やる気」があるのならば、学力が低いことはありえないはずです。

そんなに「学び直し」をしたいのであれば、自分で好きなだけ勉強すべきです。

それでも勉強ができるようにならないならば、予備校などに通うしかありません。

高等教育機関である大学に「学び直しの機会」を要求することは筋違いです。


福岡教育大学の初等の学生の特徴でもありますが、文系偏重しており、理系の分野は不得意のようです。

教科基礎学力テストでも、その傾向は明らかで、英語国語社会受験者数は例年、とても多いです。

受験者数が多いと、ライバルが多いということで、それだけC判定をもらう学生は多くなります

各教科ともに、合格者を百人単位で出すことはありません。

というのも、中等の学生向けの授業は、少人数を想定したものが多いため、そこに初等の人間が大挙して押し寄せると、中等の学生への教育の質が保証できなくなってしまう、との理由があります

たくさん受け入れてあげたいのはやまやまだが、合格者はなるべく少ないに越したことはない、と大学側は考えているようです。

先にも述べましたが、副免の授業は、中等の学生向けに設けられたものが多いので、そもそも初等の学生が授業に来ることを想定していません。

初等の学生が来たとしても「参加させてもうらう」という扱いになり、初等の学生が多くなってしまうと、中等の学生学習の機会を奪うことになるため、とても困ります

このようなことから合格者は、受験者の10%ほどの合格率の教科が多く、教科によって50%あたりのものもあるようです。

おおよそですが、教科基礎学力テストで7割あたりがボーダーラインで、8割以上取れていれば、ほぼ安心していられる、と言われていますが、これも受験者数や教科によりばらつきはあるようです。


狙い目の教科があります

理系の科目です。数学理科そもそも受験者数が少ないようですし、その割に合格率は高めのようです。

かにも、美術や保健体育、技術や家庭なども、合格率が高いようです。


小学校にも「教科担任制」が22年から導入されます北九州市では既に一部教科担任制が導入されています

小学校の教科担任制とは、小学校でも、高学年からは専門教科の先生が、その教科については教える、という制度のことです。

中学校の教科を思い出してください。中学校では、既に教科担任制ですよね。

中学校のように、小学校でも、高学年からは、教科の専門の先生がいて、その教科を教えるのです。

導入される科目は、算数理科英語、です。

これらの科目の中学高校の副免を持っていると、その教科の専門に強い先生として、小学校の中で教えることができるようになるでしょう。

また、採用する側も、算数理科英語の教科に強い先生は欲しいところです。

したがって、狙い目の科目は、算数理科英語になります

しかし、英語は、例年、副免の希望者がとても多いようですので、よほど英語の力に自信がないといけません。

ちなみに、英語で求められる学力は、英検二級レベルと考えられます英検二級は、高校卒業程度のレベルと言われているからです。

そう考えると、数学理科は、狙い目の科目になります


福岡教育大学の初等の学生で、副免を取りたい、という学生が多く、また副免に関して、学内外で、根拠のないデマが流れたりしたので、このような文章を書いてみました。


初等の学生は、小学校先生だけではなく、中学高校先生としても通用する、確かな学力を身につけてください。

そのために、よく勉強をしてください。しっかり勉強をし、学力を高めることが、あなたから教わる児童生徒のためになります

イスラム教国も韓国男優位国だけど韓国だけ少子化

イスラム教が激烈な男尊女卑子供が生まれ続けているので

日本イスラム教国のように男尊女卑にすれば少子化解決できると考えている人間がいるがそれは間違い。

韓国は凄まじい男尊女卑国で、結婚した女は共働きで夫と対等な金額を稼ぎながら家事育児をすべて負担する奴隷身分だし、

性犯罪もすさまじく、性犯罪被害に遭った女性ネット永久に吊るし上げられるなど女性嫌悪の酷い国。

なのに出生率世界最悪レベルに低い0.8。日本は1.3。

女を殴れば殴るほど子供が生まれるというシステムではない。

相関は教育費とのほうがある。韓国大学進学率が日本よりも高い。韓国70%、日本60%。

名大学を卒業して大手企業就職して高度な頭脳労働をしないと悲惨無職貧困暮らしになってしまうような、

社会の「高知能化」が進んでいると少子化する。女の殴られ度合いは関係がない。

韓国のような、女を殴りまくる学歴主義国・知能主義国では子供が生まれない。

社会を低知能化して、バカ、アホ、怠惰ゴミクズでも生きていけるようにすれば子供は生まれるだろう。

しかし低知能国になると、国際競争力を失い、貧しい国になるだろう。

中国吸収合併されて弾圧される少数民族になってしまうかもしれない。香港チベット他人事ではない。

子供の頃から働き続けて疲れた

小学3年生の頃から学校から帰ったら内職で電気部品の組み立てをしていた。部品家電などの内部の基板に取り付けるもので、細い銅線を樹脂製のソケットに挿入する作業だった。小さくて硬いものを触り続けるから指先が痛くなったものだ。部品大手家電メーカーに納入されていたらしいから、小学3年生の私が組み立てた部品がみんなのご家庭の冷蔵庫洗濯機に組み込まれていたかもしれない。

内職は地元公立高校卒業するまで約10年間続いた。

大学大阪大学へ行った。公立高校学習塾なし、両親高卒の私にしては偏差値が高い大学に入ることができた。受験料や入学金は手を付けずに貯めてあったお年玉や小遣いで支払った。

これで私は勝ち組人生好転する…と思ったが、増え続ける奨学金という名の借金プレッシャーに耐えかねて学部卒で就職した。

大阪大学大学院進学率が高く、工学系の学部では9割の学生大学院に進学する。大学院に進まないのは落ちこぼれか、営業職として就職する変わり者くらいだ。

私の職場大学院卒が当たり前なので、初対面の人からでさえ「えっ、いまどき学部卒なんですか?」と不審ものを見る目を向けられたことが何度かある。

ところで私が就職した年は民主党政権の超円高で景気が悪く、就活生の自殺社会問題になっていた。私の大学の知り合いにも、思い通りに就職できなくて音信不通になった子がいる。私は東京へと夜行バスで通ってなんとか仕事を見つけた。

大学卒業したらウン百万円の奨学金の返済が始まった。生活は苦しい。そういえば高校授業料地銀から借金していたから、その借金も返済していた。今の子たちは公立高校授業料無償だそうでうらやましい。

仕事は夜の22時まで働くことが最近多い。夜遅く仕事をしていると、子供時代の苦しい記憶がふっと頭に蘇る。ああ子供の頃も寝るまで働いていたな、とか、1日3食食べられない時期には空腹を我慢して寝ていたなとか、高3の文化祭では昼の弁当がないしパンを買うお金もないのでお腹が空いたたままうろついていたなとか…。

私は物心がついたのがひとより遅めで小学三年生の頃だった。だから記憶がある範囲内では、大学の4年間を除く人生はずっと働いている。

から普通の子供の経験をしていない。週刊少年ジャンプを読んだことがないし、テレビゲームしたこともない。最後旅行高校修学旅行だ。ポケモンを知らない。ドラえもんアニメを見たことがない。ショートケーキを食べたことがない。部活習い事をしていない。学校の授業以外で泳いだことがない。雪だるまを作ったことがない。

そうした経験がないまま仕事役割責任を負わされ、老人になるまで働き続けることが私の人生なのか。息苦しくい。どっと疲れる。

時間眠っても、甘いものや肉を食べても、働き続ける現実は変わらない。仕事が待っている。最近お腹調子が悪い。視力が下がった。仕事に追われて年齢を重ねるにつれだんだんと体が悪くなっていくのだろうか。

子供の頃から働いているからか、労働人生の単純な図式しか見えづらい。人生が狭く感じる。

さらジャンプを読んだりテレビゲームをしたりしても解決しないことは分かっている。したいとも思わない。

仕事連続で、疲れた。本当に疲れてきた。子供時代に働かずにすんだ人たちがうらやましい。

客観的に見ると私は子供ときから大人現在までずっと社会の駒だ。これが自分人生なのだという事実に気が滅入る。

疲れの正体は、長年にわたる連続した仕事であり、仕事以外の道がないことなんだと思う。

ウイグル職業訓練所はBBC調査が入ってる

ウイグル自治区にある「職業訓練所」に関して、中国政府許可を受けた取材に基づいた正式ドキュメンタリーです。

一部の人は、殺人を犯す前に、殺人をすることができるという兆候を示します。私たちは、犯罪を犯すまで待つべきでしょうか。未然に防ぐべきでしょうか。(ウイグル外交部

犯罪を犯しそうになったり、軽犯罪を犯した人たちを、法に従う市民として通常の社会に戻すのが私たち目的です(ウイグル宣伝部)

だいたい08:03くらいから。

https://www.youtube.com/watch?v=WmId2ZP3h0c

あとこういうのも

卒業後に仕事が見つけられるように、宗教過激思想を変えることを目標にしています

[インタビュアー:それは洗脳と呼ばれるものでは?]

完全に考えを変えようとしているわけではありません。過激思想を取り除くだけです。(訓練所講師

(全ての学生は週に1日家に帰ります、という話を聞いた後)

インタビュアー:八時に学生が家に帰るとのことでしたが、帰宅の様子はないですね。そもそも帰る準備をしている学生もいないようですが。

訓練所所長:一部の学生今日です。えー、どう言ったらいいんでしょうか。学生が帰る日もあるし、帰らない日もあります

インタビュアー:それはちょっとおかしいですね。先ほどのお話では、どの曜日にも帰る学生がいるとのことでしたが。

(案内役が校長を傍に読んで校長に伝える)

案内役:質問に答える前によく考える必要があります相手質問意図理解していますか?



個人的には、歌って踊るシーンが一番怖かった。顔にシワがあるようないい大人が、完璧に揃った北京語の歌とダンスを、腕組みした共産党幹部監視下で、外国人記者に向かって披露しているシーン。これを見せればうるさい欧米メディア自由楽しい学校だと信じるだろう、って本気で思っているから、あのダンス練習させたわけだよね。現実ホラー、怖すぎる。

人はなかなか変わらない

大学生だった頃、少ない友人とよく連んで話をした。

山岸仮名)は服が好きでおしゃれなやつだったが、社交性はなく引っ込み思案なところがあった。根本仮名)は世間ズレしたやつで、いつもほぼ同じ服を着ており遠くからすぐに見つけることができた。わたし大学に入ったことがゴールのようになっていて、目標を失ってふてくされていた。わたしたちは共通点があった、3人とも友達を作ることがおそろしく苦手だった。同じ学部の隅っこに追いやられた3人は、しょうがいか連携をした。

3人は部活サークル見学に行ったが入らず、授業以外の時間はいくらでも空いていた。概ねバイト時間を潰したが、それでも時間は余っていて、よく集まっては議論した。社会情勢のこと、株価のこと、単位の取れる講義のこと、世の中への不満、恋愛観、自分たちのあるべき姿。議論、といっても着地点のすり合わせは行わない。ただただ自分の思ったことを話し、時に反発し、たまに少しだけ納得した。大学の周りのほとんど何も無いような夜道を歩きながら、ああでもないこうでもないと話し続けた。おそらくお互い以外に話し相手がいなく、ある種の発散として議論は行われていた。

大学卒業タイミングにはズレがあったが、3人とも無事に卒業はした。山岸はちゃっかり銀行系、根本は働きたくないと言いながら派遣わたしは夢を追ってクリエイティブ系。同じ大学、同じ学部の吹き溜まりからでも進路は分かれるものである

わたしたちは生き方についてよく話した。無難に生きるか?趣味こそが人生なのか?何かを成し遂げることこそが生きる意味なのか?話しに話したが、3人の進路を見ると始めからあるべきようにあっただけ、3人とも議論の中で人生方向性が変わったことはなかったのだろう。

きっと、自分肯定したい、もしかしたら肯定してほしいと思って話していたのだ。変わらない自分、そうあるべき自分像を固定するために、言葉を並べてあるべき姿を描き続けたのだ。昼も夜も、何年間も、ずっと。

2021-02-23

anond:20210223094542

元増田大学なのに予備校みたいな名前駿河台大生だろ?

卒業したらもう来ることなんかないんだから気にスンナ

anond:20210223220719

あるいみ、Google問題じゃないが、国立大学で当たり前みたいな公務員を、契約で変えられるというのは、発想が面白い

学年で主席争いをしていて、学年3番ぐらいで卒業という人材を、派遣で変えようとして20人いてもまだ、足りないという状況を

実際に叩き出して、どう思うか?という

西野七瀬白石麻衣ぐらいなら、派遣でも変えられる

ましていわんや、たかみなときごろごろしている。

若造戯言だと気にかけないでほしい

コロナ禍になって初めて医者になった一人であり、その流行り病を診ていたものです。

正直もう臨床現場に対してうんざりしつつも二年間の初期研修だけは終わらせないといけないという義務感でのみ、今は仕事しています

一般の方からすると医者になればいいと思うでしょうが医学部大学6年間を卒業し、卒業試験国家試験の2つを合格して初めて医師免許がもらえます

またその後2年間は厚生労働省が定めた病院にて2年間の初期研修という見習い、みたいなのをやって初めて医者として自由に働くことができます

ストレートで行って初期研修が終わるのは26歳~であり今は私もも20台も後半であります。周囲の非医療職の同期はいろいろなプロジェクトに参加していたり、自分人生のために努力してます

そんな中で自分はあまりやりたいことがないためにくいっぱぐれの無い資格を取るために医師免許を取っただけであり、ただただ無味乾燥仕事をこなしているだけです。

学生時代医学という勉強は膨大なのですが、様々な科を満遍なく勉強することが実は好きだった私は「総合診療科」か「救急科」を志望していました。

それは大学の実習で田舎診療所で息が苦しい人から猫にかまれた人までよろず相談的に診ていた先生に憧れていました。

自分もそうなりたいと思いハードな初期研修先を選んだのですが、実際は夜通し来る不要不急の救急要請であったり、家族意思決定をしていないために98歳の余命いくばくもない人の心臓を夜通し押していたり

全く寝れないまま次の日の労働看護師さんに「指示がおそい」「使えない」と罵倒されていて、「こっちは昨日の朝7時から今まで働いてるんだけどもな」って思う日々でした。

そんな中コロナ患者も続々と受診されて感染防御をしながら日々重圧に耐えながら臨床をしていくことに疑問をもっていますワクチンの接種は進み始めていますが、第2第3のコロナ騒ぎが今後新たに出てくることは容易に想像できます

諸先輩方や同期はみんな真面目であり患者さんが良くなったことを心から喜んでいて、私にも「よかったね」と言ってくれますが私は「それが仕事なんだから当たり前でしょ」としか思えません。

三年目、後期研修にて自分のやりたい科を決める時期が一年目もそろそろ終わるにつれて来ていますが、正直患者さんを診る科や病棟のある科は自分を守れないと思っていて志望をしないことにしました。

周囲の環境は忙しい中で頑張る人が評価されるので、村八分にされる可能性が強くあまり大きく言えない状況です。

ハード研修先を選んだ自分が悪いのですが、一生懸命働いて少なくともほかの研修医よりかはスキルは得られたと思いますが「この仕事自分がしなくてもいい」と

思ってしまっているのは疲れて正常な判断が出来ないためなのでしょうか。よろず診療所で憧れていた先生も寝れない夜を何十年も過ごしてあの立ち位置になっていたと考えると私には無理だと思います

あと一年気が重いです

ここだけの話、あの人のスターが欲しくてはてブをやっている。

勝手ファンをやっているブクマカが一人いる。

いつも世の中をその文体気持ちよくぶった切ってくれる人だ。

あの人に比べればそこらのブクマカなんて比べ物にならない。

というかあいつらダボハゼダボハゼだ。

左右どっちも、政治思想に合わせたコメさえすれば、毎度おなじみの人から簡単スターがもらえる。

たぶんいちいち内容なんて見ちゃいないのだ。

しかし、容易くもらえるものに大した価値はない。

あの人はめったにスターを配らない。

全くやらないわけではないが、見る限りめちゃくちゃレアだ。

からこそ狙う価値がある。

一つでももらえたら、もうその時点でブクマカなんか卒業していい。

どういう基準で配ってくれるのかは全くわからないが、とにかく今日ブコメを書く。

anond:20210223180601

家父長制の問題だよ、十分な土地とか関係ない

家長が男だけで財産相続できるのが男だけなんだから女を育てる理由そもそもない

法の下の平等がなければ、そんな無意味存在学校に行かせるのも金がもったいなくなるから日本全体の教育水準も下がる

男は肉体労働ができるから殺されることはないけど、その変わり学校にはロク行かせてもらえない

中学卒業したら高校は無理。家をでたあと働きながら学校通ったり、新聞配達バイトをしながら中学校通うってのが実情。

現代人は親の愛とかなんだとかいうけど憲法法の下の平等があって財産保障されてるから成立するわけで、家父長制なんて人権侵害みたいな制度復活させたら昔と同じようになるよ。

anond:20210222162708

わい某国外大伊語専攻卒、英語ができないなら大人しく韓国語インドネシア語タイ語あたりにしとけと思

西洋史やりたいならスペイン語とかイタリア語でいいだろうけど、英文法でつまずくようならイタリア語文法でつまずく可能性高いんじゃないの。ラテン語イタリア語より文法複雑(というか覚えるのめんどい)よ

あとイタリア語卒業して社会で使ったことないから、単位趣味のためと割り切ってやりなはれ

祖父母を許せない

 虐待を受けていたわけではない。可愛がってもらっていたとも思う。金銭的な援助もあっただろう。それでも祖父母に対して嫌悪感しかない。

 友人を悪く言われたこと。

 中学生とき轢き逃げにあったが、軽傷だったこと、祖父母の顔見知りだったこから警察沙汰にしなかったこと。

 高校入試の朝、「お前なんかどうせ落ちる」と言われたこと。

 ホワイトボードの友人から中学卒業メッセージを消されたこと。

 働いていた業界不祥事ニュースになる度に小言を言われたこと。

 結婚の顔合わせの際、配偶者の勤務先を悪く言われたこと。

 他にもいろいろあったと思う。田舎育ちだからか、彼らの年代特有のものなのか、マウントをとられていたのだと思う。

 私は高校卒業後に家を出ており、結婚し、別の世帯として暮らしている。来夏子供も生まれる予定だ。彼らの理想の孫であれば、子供を連れて実家に顔を出すのだと思う。

 私が彼らと過ごした時間の多くは、私が子供で彼らが大人だった。今は私が大人になり、彼らは認知症の症状が出てきたり体も弱り、力関係は逆転している。もう彼らに従う必要もないのだ。

 次に会うのは彼らの葬式か、墓参りだと思う。

anond:20210223115342

教職取らずに卒業したことを後悔してたけど取らなくて良かったと諦めがついた。ありがとう

大学卒業できるかどうかわからないのによく就活できるな

卒論が書けなかったら卒業できない。卒論って4年生になればサラサラっと自動的に書けるようになるものじゃないだろう?

卒業証書を受け取ったら間違いなく卒業したといっていいが。

卒業する前提で内定をもらったのに卒業できませんでしたとなると約束を違えることになる。行けたら行くーとかい大阪人と違うんやぞ。

こんな賭けを日本大学生はみんなやってるんだよね。

anond:20201201184650

この増田の話、「自慢したい相手がいない」というところに集約されていて、私は地方暮らしを楽しめない人間ですという吐露東京age合理化してるだけなので皆さんもう解散するよろし。

東京圏(日常的に、山手線の駅まで概ね1時間で到達できる駅くらいの立地まで。概ね国道16号の内側)で生まれ育った人か、そうでないかで反応は大きく異なるのではないかと思う。大阪は住まったことがないのでわからないが概ね環状線内ということになるのだろうか。生まれてこの方自動車などが家にあったことがないというひとならそれがデフォルトから自動車生活の基盤に吸えるという発想自体そもそも無かろう。自動車があって当たり前というところで生まれ育った人ならばそれがデフォルトになるし、非都市部では車がないと著しく不便な生活を強いられることを知っている。以降、めんどくさいので車の不要大都市圏「東京」と一緒くたに呼ぶことにする。東京では「駅まで徒歩何分、そこから何分」の世界が非東京では「自宅から車で何分」という世界だ。別の国だ。だからこの増田東京という別の世界の別の国の別の国民の話である

人口6千人ほどの関東近辺に生まれ育った私は高円寺あたりのアパートに数年住んだがあそこは無理だった。狭い。部屋も道路土地も果ては人の心までも狭い。もっとも部屋が狭かったのは私が貧しかたかであるが。「老人と運転免許」の問題もつながるが、行きたいところに安価に短い時間で好きなときに行けるというのは極めて価値のある「自由である東京ではそれは主に公共交通でなされる。自家用車依存しているところは東京ではない。では駅からバスで十数分みたいなところはというと、そこはやはり東京都内にあっても東京ではない。ところでlibertyとfreedomの違いはあんまりないと言うが、ここで言う自由はたぶんlibertyのほうがしっくり来る自由である

東京では公共交通がないか極めて貧弱であるハイハイから二足歩行に移行してようやく人らしくなるように、徒歩と自転車のみから卒業自動車という二足歩行生活することが自立した人間の証明となる。車がないと人間ではないか自由がない。この増田は車持ってないし買うつもりもないという。人権を手に入れてないのだからそれは辛かろう。

東京最高っていう意見には郊外志向の私も賛同せざるを得ない。ADSL草分けである東京めたりっくもFTTHも、東京からだった。非東京に便利なものが来るのは常にあとだ。それがインフラともなればなおさらだ

といっても、私は根が田舎者なので土が見えない世界で暮らすのはつらい。将来的には郊外に移っていくことだろう。といっても、東京からちょっと行けば色んな所に行けると言っているように、私は「ちょっと行けば東京」という場所を選ぶだけの話だろう。電気都市ガス上下水道光ファイバーau携帯電波(ドコモ電波日本である限りどこでも入る。彼らのプライドである。)、あとTBSラジオがあればそれ以上は過剰な贅沢というものだ。5Gの電波・・・初めて聞いた頃はまた新技術かと思ったが知ってみればうわーこれ劣化PHSじゃんかと思ったから多分死にそうになる頃まではいらないだろう。この増田は人気(ひとけ)のないのがつらいという。人が作った色んなものがないのが寂しいという。私には東京は人気(ひとけ)が過剰である自然の作ったものが少ないのが寂しい。育ちによって培われた志向の違いとはこういうものである

根源的にはライナスの毛布問題である。慣れ親しんだボロ毛布、捨てられると思ってたけど実は捨てられなかったというだけの話。多くの人間はそんなもんなのだがこの増田東京にあるいろいろなものがそれであったということである

2021-02-22

未成年アイドル必要ない。

ジャニーズJr.とか、AKBとかハロプロ小中学生とかローカルアイドルとか。イメビに使われるジュニアアイドルも。

大人未成年アイドルを推す」という文化はなんの公益性もない。むしろ子供人生の決定権を破壊し、搾取する害悪ビジネスだ。

アイドルなんか18歳になって、成人してから始めればいい。18歳以下のアイドルが居なきゃならない理由は一つもない。

未成年アイドルなんてのは、未成年を使って稼ぎたい大人のために存在しているに過ぎない。それと、未成年の性を消費したい消費者のため。どちらにせよ大人の都合で子供を働かせる行為である

アイドルになりたい子もいる!というが、人前で歌って踊りたい子供がいるなら歌って踊る場を作ってやりゃいい。公民館で発表会でも開かせてやりゃいい。歌って踊りたい子供がそんなに沢山いるのなら、全国大会だって開けるだろう。

サッカー選手になりたい子どもは、金をもらって選手になったりしない。サッカークラブに入ってサッカーをして、ときどき大会にでる。将来的にはプロになるにしても、それは高校卒業してからのことだ。アイドルになりたい子どもそうすればいい。

プログラマーになりたい子どももいる!夢を叶えてあげたい!と言って子ども大人社会で働かせたらなんかしないだろう。別にアイドルになりたい子どもの夢を叶えてやる必要もない。子どもは守られるべき存在で、そのためには多少の制限が付き纏うのだ。それは仕方のないことで、大人はその理不尽必要性を子ども説明してやらなくてはならない。理不尽を解消するのは大人の役目ではない。理不尽存在意義を説明するのが大人の役目だ。

アイドル志望の子ももいるなどという輩は「子どもの夢」を口実に自分が得しようとしているだけだ。

アイドル夢を与える」などと未成年労働を援護する輩もいるが、このような抽象的な物言いで誤魔化すことを軽蔑せずにはいられない。「夢を与える」などと綺麗な言葉で飾っても、所詮それは自己利益(夢を与えられる)のために利用しているだけだ。「未成年アイドルはヌける」というのと何が違うのかという話でもあるし、そもそも夢を与えるものならなんでも肯定されるのかという話でもある。

ここまで搾取という単語を使わずに進めてきたが、やはり未成年アイドル大人の子どもへの搾取行為だと思う。子供の頃のアイドル活動の全てが全て悪い影響を与える訳ではないだろうが、それでも学習や心身の健康への悪影響を与えた例が多すぎる。

「有名グループセンターという重圧と多忙さで心身に不調をきたし、ステージ上で倒れるアイドル」「ストレスから過呼吸発作を起こすようになったアイドル」ようなストーリーを「真剣に取り組んできた証」などと美化する姿勢は、あまりにも醜悪であるブラック企業のそれと何が違うのかわからない。特に公共放送であるNHK紅白というNHKにとっても顔である番組内で『雇用した未成年を倒れるまで追い込んだ』AKS批判しないのが信じ難い。

書きたくもないが、ジャニー少年への性暴力ジュニアアイドルと呼ばれる子どもたちなんかは紛うことな搾取だろう。

ヘビーローテーション下着MVなど、10年前当時未成年自分は昼のニュースで知って正気を疑ったものだったが

 柏木MV撮影当時について「知らなかったんで…下着撮影って」とまさかの回答。撮影場所に行って初めて内容を聞かされ、「え、下着?」と戸惑いを隠せなかったという。状況は他のメンバーも同じで、「(全員忙しかったので、何も知らないまま)ギリギリで(撮影場所に)行って(対応した)」そうだ。

だそうだ。柏木由紀は当時19歳もしくは18歳だったろうが、もちろんもっと年下のメンバーもいた。未成年に事前説明もなしに下着撮影など異常ではないか撮影の準備を済ませて、拒否すれば大勢迷惑がかかると脅すような手口、近年問題視されるAV撮影のそれである下着撮影することがあることがあると契約時に説明があったとしても、相手未成年、断る権利を与えるべきであるし、考える時間を与えるべきである。それぐらい事前に通告すべきことではないのか。

 

未成年アイドルの諸問題は軽いものから重いものまで様々であるが、一括して未成年アイドル存在自体不要だと思う。

元増田より、古典を義務教育で扱う理由について

元増田です。はてなでは定期的に出る話題であり、この仕事をしていれば生徒に必ず聞かれることでもありますね。すでに質問増田氏への反応でかなりの部分が議論されていると思います国語先生ごとに考えが多少異なるとは思いますが、現場にいる者として、同じことを生徒に聞かれたと思って、自分なりに誠実にお答えしたいと思います

以下、常体で失礼。


・まず、この疑問への論点はたくさん含まれていると思う。自分なりに整理してみると

日本という国家義務教育で(貴重な時間を割いて、他の教育されない分野を差し置いて)古典を扱う理由教育制度論)

上記の上で、古典選択科目ではない(または高校教育現場で「選択させられている」)理由

学校における古典学習時間は適切な長さであるのか?

学校における古典学習内容は適切なものであるのか?

古典を学ぶことは何かの役に立つのか?(個人レベルでのメリットはあるのか?)

……などなど。


しかし、増田氏の質問古典は、なぜ義務教育の科目なの?」に対して、学習指導要領等を引き合いに出しながら上記のぜんぶに答えても増田氏は納得しないように思う。なぜかと言うと、それ以前の「義務教育(および後期中等教育)とはそもそも何か?」「義務教育に求められているもの本来どのようなものか?」という重要命題増田氏は考えていない(もしくは適切な答えを持っていない)と思えるからだ。


質問増田氏に足りていない視点は「教育とは多様性を前提にしている」ということだ。学校にはあらゆる子供が来る。子供たちは、あらゆる適性・資質長所性質個性能力を持って、学校へやってくる。その多様な子供たちに国から一律のシステムとして授けられるのが義務教育である

子供たちの多様性、というのは学校に勤務していると本当に感じるところであるが、それでなくても、皆さん小中学校にいたクラスメイト、同じ学校にいた児童生徒の「多様性」というものに思いをはせていただければある程度イメージできると思う。

この多様な子供たちに、一律に与える教育が「義務教育普通教育)」というものだ。これは「全国民共通の、一般的・基礎的な、職業的・専門的でない教育」を指す。この時点で、小中学校とは原理的に「個人個人資質能力に合わせた教育を行う」場ではないということが(その是非はともかく)わかると思う。程度の差はあれ、後期中等教育高校教育)も同じようなものである


・そして、ここで注意すべきポイントは「教育経済的効率という尺度はなじまない」ということである

これについて(はてなでは評判悪いが)内田樹がわかりやす説明しているので一部引用してみる。


教育アウトカム単位時間を区切って計ること(つまり効率」を論じること)には何の意味もない。教育を受けたその直後にきわだった成果を示す人もいるし、同じ教育を受けたのだが、その成果が現れたのが卒後50年してからという人もいる。死の床において来し方を振り返ってはじめて「私の人生がこのように豊かなものであったのは、小学校ときに受けた教育のおかげだ」ということに不意に気づくということだってある。 

(中略)

これほどに学びの機会が多様であるのは、「自分が何を学んだか」についての決定権が最終的には個人に属しているかである。同じ教師に同じ教科を同じ教室で学んでも、それによって震えるような感動を覚える生徒もいるし、何も感じない生徒もいる。そのときは何も感じなかったが、何年も経ってから電撃的にそのとき教師言葉意味がわかるということがある。人間はそのつどの成長レベルに従って、自分経験の全体を「私をこのようなものにならしめた要素の必然的連続」として再編集する。必ずそうする。過去出来事意味現在自分状態に基づいて、そのつど改訂されるのである

(中略)

自分が何を学んだかを決定するのは私自である。そして、「誰も同じその人から私と同じことを学ばなかった」という事実こそが私たちひとりひとりの代替不能性、唯一無二性、この世界に私が生まれなければならなかった当の理由形成している。

http://blog.tatsuru.com/2012/03/10_1013.html


そもそも、これだけ多様な生徒に対して同一の教育を与えるのならば、それは最大公約数的なものにならざるを得ない。けれど一方で、そういった最大公約数的なものをどれだけ集めても、一部の児童生徒にとって「役に立たないもの」は、多様性に対して共通教育提供する限り必然的に発生してしまう。そして、「~の勉強は役に立った」「~の勉強は役に立たなかった」という『後付けの、結果論的な』評価もまた、その生徒児童によって異なってくる。例えば元増田にとって数学は役だっても、国語教員の私の役にはあまり立っていない。逆も然りで、古典を学んで僕は役立っているが、元増田の役には立たなかったのかもしれない(けれど、今後の人生で役に立つ機会が訪れる可能性もゼロではないよね?)。「役に立った/立たなかった」という言葉は、それぞれの人生の差、多様性が生み出した、結果論的な、後付けの評価しかない。


・まとめると、その教育が役に立ったかどうかは、後付けでしか評価できないが、多様な生徒全員に「役立つ」教育はごく一部の基本的ものに限られる。よって、多様性を前提にした普通教育は「役に立つかどうか」を基準とすべきではない、という前提が、義務教育を考える際には必要である


・では上記を踏まえ、改めて、義務教育とは何か考えてみたい。おそらくたくさんの学者先生議論されていることだと思うけれど、自分なりの表現をさせていただければ「児童生徒たち(と国全体)への、将来のための、大規模な投資であると思う。(もちろん、これは上記の前提を踏まえた、ある種の比喩表現であることに注意していただきたい)


・前述の通り、ある生徒にとって何が「役に立つ」かは分からないし、卒業後であってもそれぞれの人生様相が変わればその評価も変わりうる。どの教科がいつどのような形でリターンとなるのか(または全くならないのか)わからない、ということだ。

言い換えれば、義務教育の内容選定にはあらかじめ「(ある生徒には)役に立たないかもしれないが、それでもやるべきなので、やる」という前提が入っているし、その前提があるために「全員の直接の役には立たなくても、間接的には多くの生徒の役に立つようになるといいな」という思想が入ってくる。また、「それを扱わないということは、全員に機会損失リスクを与える」という側面もある。

から、リターンがどれだけあるかわからないにせよ、限られたリソースの中で、できるだけ多くのリターンが生徒に(ひいては国全体に)返ってくるような投資を考える、という設計思想になってゆく。


・このような条件を満たす科目としては様々に考えられるが、特に古典思考根本たる母国語に密接に関わっているという点は大きいと思う。そして質問増田氏含め多くの増田議論で指摘してくれていたように、古典は以下のような理由上記の条件を多く満たしている。


・「自国の古の言葉から国民として学ぶべき」「愛国心の育成」(国家というアイデンティティ形成

・「文化の発展」のため(「春はあげぽよ」で笑いを一つ作るのも文化の発展の一つの形)

歌舞伎などの歴史ある文化和歌集などは誇れる文化である

人文学研究の基礎体力として(研究者は国家必要で、大学等で研究を進める際に古典ゼロからだと困る。)(たとえ研究しなくとも、国民知的レベルを上げられる。ちょっとググりたいとき学校で学んだ知識があると有用なことも多いし、知らないことは検索もできない)

学習すべき内容が時代によって大きく変わらない(日進月歩学習内容の変遷が激しい分野は義務教育には不適)

現代日本語に繋がる、語学学習として。(現代語をより豊かに用いるため)

・「故きを温ねて新しきを知る」、長年読み継がれてきたものを読む(教育において、精神論の何がいけないんだろう?)

古典籍という膨大な一次情報に各個人アクセスできる(源氏物語などに顕著だが、現代語訳がすべてのニュアンスを残せているわけではない。また、現代語訳のないマイナー古典籍が例えば古い災害の記録になっていることもある)

・「論理的な推測」を学べる(「~の気持ちを答えよ」問題はよく槍玉にあがるが、大抵は本文に論理的な推測の範囲で心情が書いてあるので、読解問題であるそもそも言語を扱うという行為じたい「論理的な推測」を行う行為なので、よほどひどいものでない限り、最近のものは全文をきちんと読めば適切な出題だと思う)

教養(あるいは常識)を学べる



・あとは、自分にとって古典がどのように「役に立つ」のか(あるいは現時点で役に立っていないのか)、各個人評価をそれぞれにすればいい。そして今度は、より大きな視点に立ったうえで、改めて教育の中の古典位置づけやあり方、内容を考え直すということを考えてしかるべき、そんな時代であると思う。もちろん、法律情報処理の勉強大事なのは言うまでもない(ただし、プログラミング教育導入される方向でどんどん進んでいるし、現行の公民分野にも法律はそれなりに入っているはず)。他にも様々なことが教育には要求されていると思うし、その中での取捨選択優先順位の付け方は、きっと社会全体でなされるべきなんだろう。けれど、それは「役に立つ」という価値観に縛られるべきではないということは強調しておきたい。

あえてここでポジショントークをするならば、古典学校で扱うべき理由は、先ほどの条件を満たしていることに加えて、「千年単位で変わらない本質的事柄」とは何かを生徒に示唆してくれ、時間的なスケール感の大きさに思いを馳せる時間を持てるという点だと思っている。(そう思って前の共通テスト古典分析を書いていました。授業でもよく言うんだけど、千年前に妻を亡くした人間が、現代人とおんなじようなこと考えてるって、結構安心しないですか?)


・これが生徒に対してなら、上記の話はやや難しく話が長すぎる。自分担任をした生徒(物事意味について考えようとする人物だった)には、例えばこう話したことがある。

「今あなた意味を感じていない世界史を、例えば学ばなかったとしましょう。(あなたにとって何が意味を持つのかは今の時点では分からないので、それもあなた自由ではあります。)そしてそのまま大人になります。その時、あなた世界史の知識を元とした発想やアイデアを失うだけでなく、その発想を失ったことそのものにさえ気づけないことになります。つまり自分可能性が狭まっていることにさえ気づけないでしょう。あなたなら、その怖さってわかるんじゃないですか」

(いちおう、この話をしたこの生徒は、世界史の勉強について、成績は別にしてもこの生徒なりに考えてくれたようではある。後から他の先生にこの言葉意味について話していたらしい。)

これが古典なら、別な増田が言っていたように「矛盾語源を知らない」ことの機会損失について話すことになるだろうか(矛盾故事は中一の教科書に載っている)


・おそらく質問増田氏にとって(多くの生徒と同じように)古典は役に立ちもしなければ面白くもない科目だったのだろうと思います自分はなるべく古典面白さやエッセンシャルな部分を伝えるべく授業で努力をしていますが、もちろんそうでない先生もいます。また、今回は触れなかったけれど「入試対策」という四文字が実際の古典学習に与える影響は計り知れず、本質から外れた苦行的な暗記学習パターン学習が強くなってしまっている現実には自分ジレンマを感じないわけではないです。古典という科目が抱えた問題点や古典嫌いを生むこの構造的な病理は、なかなかに根深ものがあるのもまた事実最初に挙げた①~④の論点あたりにはかなり課題もあるでしょう。

(少し話題はそれますが、前回の共通テストエントリを書いてから他教科の同僚と話していて至った結論は「共通テストはより学問エッセンシャルな部分に近づけられている」というものでした。大学入試が変われば高校進学校勉強も変わるので、これは良い兆しです。共通テストには今回のような学問エッセンスを込めた入試問題を作り続けていただきたいと思います。)


・ただ、今回の質問増田氏のような生徒に対して自分が感じるのは、もっと広い視野物事を見て欲しいという気持ちです。綺麗事かもしれないけれど、自分にとって意味がないものに見えても他人にとって意味があるものもあります。もしかしたら自分にとって後々意味が出てくるかもしれません。けれど、そのように意味をとらえなおすことができなければ、いつまでも古典仮想敵のままでしょう。国語教員である自分がどれだけ古典の魅力をここで語っても、それはやはりポジショントークに過ぎません。意味というのはやはり自分で見つけるものだし、見つからないことだって往々にあるでしょうから、それを受け入れることや合理化することだって大事な「勉強」です。

(今回の話題に関連して、最近読んだ本だと、SF作家森博嗣が出した「勉強価値」(幻冬舎新書)が、ツッコミどころも多いながら興味深かったのでオススメ。)

それに、自分にとって意味が無いと思っていたものがこんなに深く豊かな世界内包していたんだと気づければ、それは素敵なことです。少なくとも、それを認めることが多様性をはぐくむ態度であると思います


P.S.

これを読んでいる生徒の皆さんへ(元生徒さんでもいいです。笑)。


自分にとってイヤだったり不得意だったりしてもいいし、つまらないと感じることもいいです(わからない・つまらないは教育する側の問題なので、どんどん声をあげてください)。けれど、だからといって排除することは、自分可能性が消えるという別な問題を生みます自分がイヤだったものをイヤなまんまで自分の中に置いておくのもしんどいことだろうなと思うので、ちょっとだけ面白ものを紹介しておきます

からでも、古典に関する自分評価を変える機会になればいいなと思います。頼めそうなら、複数の生徒で担当先生もっと面白ものを扱ってもらえるようにお願いしてみるのもいいかも。先生は案外、そういう授業に飢えています


https://kawadeshobo-blog.tumblr.com/post/129340109097/町田康訳奇怪な鬼に瘤を除去される宇治拾遺物語より

↑これを読んで


https://www.koten.net/uji/gen/003/

https://www.koten.net/uji/yaku/003/

↑その後、これと見比べる。これだけでも立派な古典勉強です。

小学生のころ、何回席替えを繰り返してもなぜか近く(隣~後ろ)の席になる男の子がいた

特別仲がいいわけじゃなかったけど、なにせずっと席が近かったから、本当に若干だけ話をした。どんな話だったかはほぼ覚えてないけど、彼の主義主張自分はなぜ勉強が好きか、とかだったかなあ)を聞いて感銘を受けたことはまだ覚えている

ある年のバレンタイン、友人づてに彼からチョコレートをもらった

次の日の学校で彼にお礼を言いたかったけど、言えなかった。彼はずっと誰かと一緒にいたから。彼からは何も言われなかったから。勇気を出せないまま、お礼のひとつもできなかった

そしてそれなりに日々を過ごして、卒業して中学では一回もクラス一緒にならなくて、高校で分かれてそれきり

あの時お礼すら言えなかった弱さを未だに後悔している。それこそ友人づてだってよかったのに、なんで何も言えなかったんだろうか。むろん、私が弱かったから。物をもらっておいてスルーできるような失礼な奴だったからなんだけれども

彼は今何をしているのかなあ、とたびたび思う。元気かな。成人式で見られるかな?と思ったけど来てなかった気がした

頭の片隅ではもう二度と会わないんだろうなあとわかっているけれども、いつかどこかで会えたらなとつい思ってしま

もちろんお互いにあの頃のままじゃないし、きっと何もはじまらないのだけれど

アンジャッシュ渡部タレントにならなかった世界線

大学卒業して会社員となり結婚し2人くらいの子供を持ち、気のいい営業マンとして順調に出世グルメうんちく好きのスマートなおじさんって感じで、近所からは優しいパパとして評判、みたいな人生を送っていたんだろうな。

anond:20210222085453

早稲田卒業した後、医学部に入り直した人なんて殆どおらんやろ。

必読書コピペマジレスしてみる・日本文学

方針

森鴎外舞姫

留学先で女性妊娠させて見捨ててしまう話なので、近頃は評判が非常によろしくない。そのくせ、この文体のせいで美しいと感じてしま自分がいて、実はこれ、レトリック文体によって騙されることに注意しろっていう警告なんじゃないかって気もする。「自分おすすめ編」にも書くつもりなんだけど、ナボコフロリータ」もそういう自己正当化がとにかくうまい

余談だが、鴎外自身東洋人だったこともあり、留学先では写真を撮らせてくれと頼まれたことがあったという。それに対して、構わないけどもあなた写真も逆に撮らせてくれ、と言って、相手も満足させつつ日本人としての尊厳も守ったことがあって、これは割と好きなエピソードの一つ。まあ、漱石よりは世渡りうまいよな。

樋口一葉にごりえ

古風な文体挫折しかかるも何とか読破。これよりは幼馴染系の「たけくらべ」のほうが好きだったなあ。増田では古文いるかどうかで議論になったことがあったらしいが、古文がすらすら読めるほうがこういう趣味というか楽しみが増える気もするし、純粋実用面だけでいえば法律用語や古い公文書を読む必要がまだあるんじゃないのかな。

舞姫」の話の続きだけど、古典文学にもやっぱりクズエピソード結構あり、じゃあどれを教えてどれを教えないかは割と難しい。

泉鏡花高野聖

僧侶山間で美しい妖怪出会う話。文庫ちくま日本文学全集で読んだ。全集と銘打っているけど、このシリーズ日本の近現代文学作家ベスト盤みたいな感じで、チョイスはいいのだけれどときどき抄、つまりダイジェスト版みたいなのが紛れていて、コンプリートしようとは思わなかった。

話としては幻想的ですごく好き。幻想譚が好きな自分がどうして泉鏡花にどっぷりはまるまでいかなかったのかが不思議なほどだ。当時は、著名な作品をどんどん消化しようと思って乱読していたからかもしれない。そういう意味でも、課題図書読破することが自己目的化した読書には幾分害がある。

国木田独歩武蔵野

とても好き。小説が読めなくなったときには、文豪の書いたこうした随筆というか、風景描写の豊かな文章を読むことで、自分リズムを整えたくなる。外出の難しい昨今、こうして空想世界でだけでも豊かな自然のなかで過ごしたいものだ。五感が刺激される文章というのはなかなかない。

夏目漱石吾輩は猫である

我輩を吾輩に修正

ここ最近漱石の評判はあまりよろしくないと聞く。所詮は当時の欧米文学の輸入に過ぎないとか、結局は男社会文学だとか。言われてみれば確かにその通りなのだけれども、日本近代文学開拓者にそこまで求めちゃうのも酷でしょうと思わないでもないし、この作品からたったの十年で「明暗」にまでたどり着いたのだから、やっぱりすごい人ではないかと思う。五十になる前に亡くなったのが惜しまれる。

で、肝心の内容だが。基本的おっさんおっさんの家をたまり場にしてわいわいやる日常ものなので、当時の人にしか面白くないギャグを除けば、普通に笑える。最終回は突然後ろ向きになるが、もしかしたら漱石の本分はユーモアにあるのかもしれない。

余談だが漱石留学時代日記に付き合いのお茶会について「行カネバナラヌ。厭ダナー」とのコメントを残している。

島崎藤村破戒

素直に面白かった。若干のプロパガンダっぽさがなくはないが、読んだ当時は差別する側のねちっこさや意地の悪さが良く書けているように思われた。とはいえ、昨今は善意から来る差別についても考える時代であり、問題はより複雑になった。

被差別部落問題については気になっているのだがなかなか追えていない。日本史について読んでさまざまな地域実例について断片的にかじった程度だ。それでも、地域によって温度差やあったり、差別対象が全く異なっていたりすることがわかり、どこかで日本全体の実情について知りたく思っている。

田山花袋蒲団

女中の布団の残り香を嗅いで悶々とする話だってことは覚えているんだけれども、読んだときにはあまり印象に残らなかった。なぜだろう。自分が読んできた近代文学は、基本的ダメな奴がダメなままうだうだする話ばかりだったからかもしれない。その多くの一つとして処理してしまたか

で、自分が好きなのは飢え死にするほど悲惨じゃないくらいのダメさであり、親戚のちょっと困ったおじさんくらいのダメさなんだろうと思う。

有島武郎或る女

読んだことがない。ただ、ドナルド・キーンの「百代の過客〈続〉 日記に見る日本人」によればこんなことを書き残しているそうだ。「僕ハ是レカラ日記ハ僕ノ身ニ大事件ガ起ツタ時ノミ記ケルコトニ仕様ト思ツタガ、矢張夫レハ駄目な様デアル。日記ヲ記ケ慣レタ身ニハ日記ヲ一日惰ルコトハ一日ヲ全生涯カラ控除シタ様子ナ気ガスル。夫レ故是レカラ再ビ毎日日記ヲ始メ様ト思フ」(意訳。日記書かないとその日が無かったみたいで落ち着かない)。ここでツイッターに常駐している自分としては大いに共感したのである。そのうち読もう。

志賀直哉小僧の神様

読んだはずだが記憶にない。「暗夜行路」で娼婦の胸をもみながら「豊年だ! 豊年だ!」と叫ぶよくわからないシーンがあったが、そこばかり記憶に残っている。これを読んだ当時は、この小説のように自分がどれほど理想を抱いていたとしても、モテいからいつかソープランドに行くのだろうな、とぼんやり思ったことを覚えている。

ちなみに、自分が初めて関係を持った女性貧乳だった。だがそれがいい

お父さんとうまくいっていない人は子供の才能をつぶす話である清兵衛と瓢箪」が刺さるんじゃないかな。あとは少女誘拐視点の「児を盗む話」もよかった。

内田百閒『冥途・旅順入城式』

大学時代知り合った文学少女から薦められて読んだはずなのだが、覚えているのは「阿房列車」の何編かだけだ。それと、いつも金に困っていて給料を前借りしていて、そのことのまつわるドタバタを描いた作品日記もあって、そうした印象ばかり残っている。

関係ないけど就職活動中に、この文学少女から二次関数を教えてくれと言われ、片想いしていた自分はそのためだけに都内にまで足を延ばしたことがある。いいように使われていたなあ、自分あいつには二度と会いたくないが、元気にしているかどうかだけは気になる。

宮澤賢治銀河鉄道の夜

めんどくさいファンがいることで有名な作家全集には第三稿や第四原稿が収録されており、比較するのも楽しい。俺は〇〇は好きだが〇〇が好きだと言ってるやつは嫌いだ、の○○に入れたくなる作家の一人。○○には「ライ麦畑で捕まえて」「村上春樹」「新世紀エヴァンゲリオン」「東京事変」などが入る(註:この四つのものとその愛好家に対する歪んだ愛情から来る発言です。僕も全部好きです。すみません)。サブカル系にはこれがモチーフになっているものが数多くあり、その点では「不思議の国のアリス」と並ぶ。

思想に偏りはあるが、独特の言語感覚や観察眼は今でもすごく好きだ。余談だが新書の「童貞としての宮沢賢治」は面白い。

江戸川乱歩押絵と旅する男

知り合いにいつもぬいぐるみキーホルダーを持ち歩いてかわいがっていた男がいたが、それで本人が落ち着くのならいいと思う。不安の多い世の中で、人が何か具体的に触れるものにすがるってどういうことなんだろう、って、ってことをこの作品を思い出すといつも考える。どこで読んだか思い出せなかったが、これもちくま文庫全集でだった。

横光利一機械

狭いコミュニティの中でこじれていく人間関係の話ではあるけれども、新潮文庫場合表題作よりも他の話のほうが気に入った。印象に残っているのは十二人の旅芸人夜逃げする「時間」と、ナポレオンヨーロッパ征服に乗り出したのはタムシのせいだったという「ナポレオンと田虫」。

谷崎潤一郎春琴抄

実はこの作品は読めていない。谷崎作品は割と好きで、「痴人の愛」「刺青秘密」「猫と庄造と二人のおんな」「細雪」は読んだ。「痴人の愛」という美少女を育てようと思ったら逆に飼育される話は自分人生観に多大な影響を与えたし(例の文学少女気持ちをもてあそばれても怒らなくなってしまったのもこれが遠因だろう)、「細雪」はただ文章リズムにぷかぷかと浮くだけで心底気持ちがいい。ついでに、戦時中生活爆弾が実際に降ってくるまでは震災コロナでただよう自粛雰囲気そっくりだったこととよくわかる。

ところで、最近久しぶりに谷崎作品を読もうと思ったら、ヒロイン名前が母と同じだったのですっかり萎えしまった。というか、ここ最近趣味が「健全」になり始めていて、谷崎作品に魅力を感じられなくなっている。感覚がどんどん保守的になっていく。これはいかん。

夢野久作ドグラ・マグラ

ミステリ編参照。anond:20210215101500

川端康成雪国

高校生の頃に読んだのは確かに記憶に残っているのだけれど、高校生川端康成エロティシズムが理解できたかどうかはよくわからない。たぶんわかっていない。せいぜい伊豆の踊子の裸の少女を読んで、ロリコン発症させたことくらいだろう。

太宰治斜陽

太宰はいいぞ。自分は愛される値打ちがあるんだろうか、というテーマを本人の育った境遇パーソナリティの偏りや性的虐待疑惑に求める説は多いが、そういう心理普遍的ものでもあり、だから多感な時期に読むとわかったつもりになる。芸術に何歳までに読むべきという賞味期限原則としてないが、これもできるだけ若いうちに読んでおくといい。太宰の理解者ぶるつもりはないが。

もっとも、本ばかり読んで他の活動をないがしろにしていいものだとは全く思わない。あまりにもドマイナーな本を読んでマウンティングするくらいならバンジージャンプでもやったほうが話の種にもなるし人間的な厚みも出るというものだ。たぶん。

三島由紀夫仮面の告白

天才的。男性のあらゆる種類のコンプレックスとその拗らせ方を書かせたら彼の右に出るものは少なかろう。ただ、大学卒業してから突然読めなくなってしまった作家でもある。息苦しくなるまで端正に磨きこまれ文章のせいかもしれない。

武田泰淳ひかりごけ

極限状況下でのカニバリズムテーマにした小説なんだけれども、途中から戯曲になって、「食べちまう葬式ってえのは、あっかなあ」などとやけにのんびりした台詞が出てくるなんともユニーク小説。ただし、これは単なるブラックジョークではない。物語は序章、戯曲第一部、第二部と別れているのだけれども、その構成にきちんとした意味がある。

人類全体の原罪を問うようなラストは必見。あなたは、本当に人を食べたことがないと言えますか?

安部公房砂の女

祖父母の家から貰ってきた作品で、愛蔵版らしくカバーに入っていた。カフカにはまっていた時期だから楽しんだ。カフカ父親の影から逃れられない主人公とは別の種類の渦巻にとらわれてしまった主人公がだらだら、ぐだぐだしてしまうのだが、カフカ男性によって抑圧されているとしたら、こちらは女性に飲み込まれている文章だ。

大西巨人神聖喜劇

未読。不条理陸軍の中で、最強の記憶力を頼りにサバイブする話だと聞いて面白そうだと思い購入したのだが、ずっと積んだままだ。これに限らず、自分戦争もの小説漫画をあまり読んでない。戦争に関しては文学よりも歴史書からアプローチすることが多い。

これは自分の悪癖だが、戦争ものになると庶民よりも知識人にばかり感情移入してしまう。

大江健三郎万延元年のフットボール

大江健三郎は初期の作品をいくつかと、「燃え上がる緑の木」三部作を読んだきりで、どういう態度を取ればいいのかよくわかっていない作家の一人だ。狭い人間関係の中のいじめだとかそうした描写に病的に関心のあった時期に読んだせいで適切な評価ができていない。

燃え上がる緑の木」は新興宗教原子力発電といった(結果的には)非常に予言的であった作品であったが、癖が強くカトリック宗教教育を受けた自分であっても世界観に入り込むのに時間がかかった。「1Q84」よりもきつい。面白いが。

萩原朔太郎『月に吠える』

大学時代の友人に薦められて読んだ。「この家の主人は病気です」と、飢えて自分を食ってしまったタコの詩ばかりを覚えている。覚えているのはこれだけだが、この二つが読めたからいいか、と考えている。大体、詩集ってのはピンとくる表現ひとつでもあれば当たりなのだ。そして、それはあらゆる書物にも当てはまることである

福沢諭吉福翁自伝

祖父学生時代に送ってくれたのだけれども、ぱらぱらとしか読んでいない。

子供向けのものだった気もするし、近々原文にチャレンジするべきか。自助論西国立志編)なんかと合わせて、自己啓発書の歴史を知る意味でも興味深いかもしれない。

正岡子規歌よみに与ふる書

読もうと思って読めていないけれども、これまたドナルド・キーンの本で面白記述を見つけた。「墨汁一滴」の中に、つまらない俳句乱造しているやつの作品にはどうせ碌なもんなんてありゃしないんだから、そういう連中は糸瓜でも作ってるほうがマシだ、という趣旨のくだりがあるそうだ。創作する上でのこういう厳しさは、いい。

石川啄木時代閉塞の現状』

ローマ字日記しか読んだことがない。たぶん日本最初フィストファックが描写された文学かもしれない。春画はどうか知らないけど。

小林秀雄『様々なる意匠

詩集翻訳しか読んだことがない……。

坂口安吾堕落論

堕落と言いつつもある種の誠実さについて語った本だった気がするが、それよりも新潮文庫で同時に収録されていた、天智天皇天武天皇家系にまつわる謎についてのほうが印象に残っている。

哲学編に続く→anond:20210222080300

関係ないけど芥川が載ってないのは納得できないぞ。

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