はてなキーワード: 卒業とは
https://togetter.com/li/2064492
たまたまふらっと寄ったネカフェで自分の席に行こうとしたらアフロ田中シリーズが目の前にずらっと並んでて、「この作者どんだけアフロこすんねん」って思ったのが最初。
なんかよくわからんけど右から左にかけて田中くんが成長している様を眺めていた。
ちょっと気になったからウィキペで調べたら結構長いこと続いている漫画で映画化ドラマ化もされている結構有名な作品だったことを知った。タイトルだけ見たら80年代後半の学園わちゃわちゃ漫画みたいなノリだけど連載自体は21世紀から始まっていることを知って驚いた。
後になって「誰も消防車を呼んでいないのである」の元ネタがこの漫画のシリーズであることを知った。
ウィキペでうっすらと高校卒業したり就職したり放浪の旅に出たり結婚したり子供が生まれたりしていることを知った。
そしてとうとうさっき、ついに田中くんはマイホームを購入することをtogetterで知った。
手取り年収350万だから、ボーナス込みで額面で大体550-600くらいだろうか。野原ひろしとあんまり変わらんな。というかクレヨンしんちゃんだか島耕作だかをなぞっていってるような形になっていた。
ボーナス払いとか昇給とかをまるで考慮していない絶望具合が、絶賛衰退中のジャップランドのthis is 世相って感じで哀愁が漂っていた。
当方、30代既婚子あり男。世間で「男女の友情は成り立つのか」や「ぬいペニ」、「性欲由来の優しさ」などに関する議論を見るたびに「みんな暇だなー」と思う。もれなく暇なので自分語りをする。
友人関係の数だけ、その数の関係性がある。セックスの「ある」「なし」みたいな0か100、白か黒のような議論をしても意味がない。全てはグラデーションだ。また、男女の友情=セックスしない、も極論だと思う。私からするとセフレも一つの友人関係だ(注:私にセフレはいない)。セックスをすると友人関係以上のものを片方が期待してしまい、関係性の期待値や距離感に差が生じ、結果的にうまくいかなくなるだけで、セックスがあっても友人関係が成立する場合もあるだろう。以下、私の女性の友人3人との関係性を考えてみた。
同じ会社に入社したことで仲良くなり、考え方や趣味も重なる部分があった。よく一緒にランチしたし、二人きりで旅行したこともあるが、当然なにもない。ただし、就職するまでの環境があまりに異なるからか、めっちゃ仲良しという感じにはなれなかった。Aが転職したことでやや疎遠になる。年に1度連絡するくらいの距離感。昨今、コロナも落ち着いてきたので、今度食事に行く約束をしている。
友人Bとは入学時から今でも仲が良い。なんでも相談できるしとても信頼しているが、「超仲良し」「親友」枠には入らない。Bは社交的で年上や年下、性別関係なく色んな人と別け隔てなく仲良く出来るため、Bから見ても私はただの友人の一人だろう。友人C(後述)とのグループLINEは活発に動いており、Cなどを交え年に1回以上は会う関係性だが、1対1で会ったのは卒業後だと多分1回、個別に連絡することも稀だ。
高校時代から面識はあったが偶然同じ大学・学部に進学したことで仲良くなった。考え方や趣味などが合うため、男女関係なく一番の友人でだと思っている(Cがどう思っているかは不明だが数少ない親しい友人ポジションぽい)。卒業以降もCと二人きりで会うことは年1回以上あり、コロナ禍でもお互いに「会おう」と思い実際に会っていた。LINEしていなくても、ふと「元気かな〜」と思う。この前も会って美味しい料理を食べお酒を飲みながら語り合った。
友人関係の濃さでいえばC>>>B>Aとなる。
ここで、性欲を交えるとどうなるか考察してみる。前提として、私は友人A、B、Cと仲良くなる段階ですでに交際相手がおり、健全な関係しか無いため妄想になる。また、私は異性における大事なポイントは見た目よりも圧倒的に中身だ(一目惚れをしたことがない)。それらを踏まえ、自分と友人、双方に交際相手がいなかった場合、セックスしたいと思うのはC>>>B>Aだろう。友人関係の濃さと同じだ。
A・Bとは自分としてはやや距離を感じることや価値観の相違などあり、双方に交際相手がいなくても、めっちゃお酒を飲んで理性を飛ばし、誰でもいいから抱きたいみたいなモードにならないと抱けない。ただし、双方ともに異性として見ていないため、結局はワンナイトすらないだろう。
Cとは双方交際相手なしかつ合意があれば普通にセックスできる(自分は)。それは、Cと長らく親しく、価値観が近いだけでなく、双方に異性としての条件を高いレベルでクリアしているからでは?と感じる。双方言語化しないが、お互いに友人としても異性としても惹かれ合う部分がある。しかし、お互いに理性があり、片方がそのような行動を起こすことでこの関係性が壊れるかもしれないこともわかっている。異性として見ないほうが長期的に見て望ましい関係性であることが明確だからこそ、そのような振る舞いをし、長らく親しい友人関係が続いているのだと思う。なお、違う時期に違う関係性で出会っていたら、違う結末だったかもなぁ、と思うことも正直ある。
…などと無駄に妄想を長々と語ってしまった。異性の友情関係の深さは、趣味や価値観だけでなく、双方が異性としてもある程度許容していないと深まらないのでは?というn=1の男性側の意見として読み流してもらいたい。
運営してるブログで書こうかと思ったが、なんかそんな気分になれないので、こっちに投下する。
身バレはないと思うが、内容が内容なので、もしかしたら消すかも。
本編は以下より
↓
そのLINEというのが、「真実はここにある」系のツイートと動画、実弟はその内容も大変満足にしているようで、(^_^)の絵文字まで交えてくる。(実弟は所謂「目覚めてる人」カテゴリー)
とりあえず、この日は「ありがとう」スタンプでちょろまかしたのだが。
こうしたことは一度や二度ではない。実弟の思考を否定っぽいことを言おうものならこちらの言い分は全てなかったかのようにねじ伏せられ、自分の言いたいことだけを高らかに主張し、勝手に気分よくなってほう。言われた方は疲弊し、涙し、何も手がつかなくなるほど精気を吸われたようになってしまう。
こういうことは何度もあった。
その後にガラケーの電源を切ったり、固定電話の線を抜いたこと。
目の前でまくし立てられた時は(この件は私にも否があったが)過呼吸がひどすぎて救急車を呼ばれそうになる程になったこともあった。
実弟は自分が主張したいと思ったら止められないようで、本人がしゃべり切った後、気買われた方の疲弊した様子や泣き疲れた顔を見て、自分のやったことの酷さにうろたえ、謝るのである。これも毎度のこと。もうたくさんだ。
こちらが電話に出ないようにしている時は、過去では長文メール、今なら長文LINEを送られりつけてきてうんざりするのだが、削除にしまえばそれで済む。まだ辛うじてこちらでコントロールできるのだ。
ただ、実弟は文章よりしゃべりで自分の思考を伝えたいタイプらしく、長々と話さないと気が済まないことの方が多い。
子どもの頃からその傾向があったが、高校卒業してからはより輪にかけて酷くなった。
そうして過去の事例に倣うかの如く、今朝、わざわざLINE電話してきた。
前日までの全7件のLINEに既読がついたことを見てのことだろうと思う。
開口早々、冗長で自信たっぷりに「知らないヤツはバカ」と言わんばかりの雰囲気でまくし立てる。「真実」の動画の内容の受け売りが止まらない。(自分自身が動画解析やら翻訳したわけではない。完全に動画やツイートを鵜呑みにしている)
こちらにも事情があるのに、嬉々と「真実」を語り、「真実」を知らないものを見下し、わざわざ「真実」を教えてやっているとばかりに言い放つ。「真実」を報じないマスコミはダメだとこき下ろす(マスコミについては私もアテにはしてないけど)。
ゴキゲンな実弟とは裏腹に、何とかやり過ごして聞いていたものの、聞いてられなくなった。
私の気持ち悪さはMAXになり、手が震え出し、受け答えする声も震え出して、完全に緊張の糸が切れてしまった。
ものの5分程度の通話だったが、電話を切ってからスマホを持つ手だけでなく、全身が震え出した。震えが止まるまで10分位かかった。
即実弟のLINE通知をOFFにした。バッジが出るのは仕方ないが、都度ピロンペロン言うよりマシだ。
そして、「もうこういう話は聞けない。ごめんなさい。」と一言だけ送っておいた。
お昼前になってスマホを見たら、2件のバッジが付いていた。案の定実弟からだった。
長押しで確認したらやっぱり長文だったので、既読をつけることはしなかった。
お陰で朝からずっと気分が悪い。
お昼、憔悴した私を見たリモートワークの旦那さんがプリンを買ってきてくれた。少しだけ元気出た。
……はずだったが、夕方になりもう一件バッジが増えていた。恐る恐る確認すると、
うんざりだ。話はしないと言ったのに。
ただでさえ実家がらみでしんどい思いしたので、もう疎遠でいたい。関わりたくない。
妻と出会って9年、結婚して3年。妻がアイドルにハマり出してから2年。
30歳を目前にした今、友達が欲しいと凄く感じる。
以前は休日のはほとんどを妻と一緒に出かけたりしていたので何ら不自由を感じることはなかったし、年に数回学生時代の友達と会うくらいの関係性はあった。だけれど、アイドルにハマり出してからはアイドル友達を多く作って休日は出かけるようになり。いきなり休日に何もすることがない日が多く続き「自分には友達がいない」という事実に気がつき悲しい気持ちになる。
学生時代の友達は元カノとの共通の友達が多く。元カノとはあまりいい関係で別れられなかったので、僕が連絡を取らなくなってからの数年間は元カノ含めたメンバーでBBQやスキーをするようになりそのままグループに定着してる。というのを親友から聞いた。数人はいまだによく誘ってくれるけど、僕の仕事は激務でどうしても日程が合わなくて全然会えていない。
多分、それは建前で学生時代の僕はめんどくさいやつだったんだろうなと思う。学生時代が充実していなかったか?と言われるとそうではないのだれど、それは周りの気遣いが多かったのかなと思う。多少は大人になったと自負しているんだけど、それを思っている痛さみたいなのが30歳目前に感じているのが終わってるなとも思う。
高校卒業後は専門学校に進み、大学生がやるようなことを経験せずに社会に出たので、若い人や大学時代の友達と親交がある周りの人やさっき書いたようなBBQやスキーとかの話を聞いたり見たりするとと羨ましく思う。この若さへのコンプレックス見たいなものと元々持ち合わせてるめんどくさい性格のせいで自分1人で過ごすことも誰かに声をかけることもできずに足を引っ張っていっていると思う。
多趣味だけど冷めやすいタイプなので趣味らしいものも特になくどこかのコミュニティに所属しようにも所属したいコンテンツがない。
今はとりあえ1人で出来る趣味をたくさん試しているがやっぱり1人はどこか味気ない。結局妻に依存していたのだなと気付かされる。
親や教師がモテることを求めない(特に母親は息子を非モテの方向に仕向けたがる)のでこんなモンスターが生まれる。非モテの男同士でわちゃわちゃしても楽しい学校生活送れちゃうからね。中学や高校でカップルのみ参加可能な卒業パーティーとかを学校が主催して、必死こかせてパートナーを作らせるべき
30代後半の既婚。子供は2人。小柄でイケメンでもなく、コミュ力がある訳でもなく小中高大と非モテ。社会人になってから初めて出来た彼女とすぐに結婚した。
妻には結婚前も今も不満は一切ないが(むしろ結婚してくれてありがとうございます位の気持ち)、第一子が生まれた20代終わり頃に取り返しのつかない虚しさを抱えた。せめて娘が将来自慢できるようなカッコいい父親になろうと筋トレ、歯列矯正、脱毛を始めた。人生で初めて床屋スポーツ刈りを卒業し美容院でミディアムヘアになったのもこの頃。
見た目を変えたら意図せず職場や居酒屋での女性からの印象が良くなり、こっちから挨拶や世間話が出来るようになっただけで新卒の女の子と不倫が出来た。それ以来、入院した病院の看護師、娘の幼稚園の先生、マッチングアプリで知り合った会社員の女性と継続的に肉体関係を持つことに成功した。仕事や家のことなど時間的な問題もあるため今はそのうちの1人だけと関係を継続している。
家庭外での女性関係が上手くいけばいく程夫婦関係は冷めていった。そのうち離婚して家庭崩壊するだろう。それでも別に構わないと思ってるので、やっぱり非モテは病気。冷え切った家庭で育つ子供が可哀想なので、高校生の時に制服着て手繋いで町を歩いたり、大学生の時にアパートでセックスしまくったりしなかった俺みたいな奴は結婚すべきじゃないと思う。
結婚するならCだな。
日本は30年後に自動車業界が衰退したら外貨獲得手段がほぼなくなるから40年後くらいには信じられないレベルで貧しくなるし、子供は日本語を第一言語にすることになり男尊女卑を身に付けてガラパゴス奴隷に育つので海外進出も難しい
外交官なんか辞めさせて卒業後ビザでそのまま働いて永住資格を経て、英語を第一言語にしてどこの国にでも住む場所を選べるように子供を育てるのが最適解
見てるだけで運気下がりまくるよ!一刻も早く卒業しよう
> そんなに働けない?世界はこの基準でエリートが仕事を仕切ってるのに低レベルじゃ勝負の土俵にすらあがれないよ。
> 夫が協力しない?そんなカスを結婚するなよカスとしかいいようがない。
同感だが世間的にパワーエリートって言われてるのも割とどうしようもないけどな
ジェンダーギャップと唱えている人らの大半がExcel・Word・電話応対出来るレベルでキャリアガーとか言ってるのと同じく、
エリートって言葉使う人が指しているのって、たいてい組織名だったり・職業名だったり・学歴だったりするからな
ハードワークを余裕でこなし平日においても家庭のお仕事もソツ無くこなし、
休日はトライアスロンの大会目指してたり・社会活動してるが、気がついたらどこぞの企業の役員に収まったり・起業したり、
・・・そんな誰もがイメージするようなエリートもちゃんと大企業・大組織にいるにはいるがこんなん1%もおらんぞ
『Excel・Word・電話応対出来る・有名大学卒業しているから英語は多少出来る』以上でも以下でもないスキルの事務屋を
派遣・契約・障がい者雇用ではなく、一般枠の正規社員・正規公務員でまだまだぜんせん抱えてるし(自称その一例らしい→anond:20230130083306)
日本の大規模組織は無限に偉い人がいて不可避な残業があるのでその影響受けてないのってまずそういうポジションだぞ
まぁまぁ残業があるところの所属でも『家事の後にコツコツ勉強して国家資格・ベンダー資格取りました!』ってドヤ顔でSNSでアピールしてたりする
この人のお仕事が講師業ならばともかく、Excel・Word・電話応対出来る並にでっていう
上2つよりは企業の経営や組織運営を左右するポジションでも外部委託でまったく問題無さそうな仕事している人はぜんぜんいるし、
まぁ、なにをエリートと言ってるかはわからないけど、とりあえずアホみたいに残業がある職場のやつは、割とどこでも家のこと出来てないぞ。世界中な
学び直しなんてやらせるくらいならほぼ全員に理系教育に注力させろ、カスって思う。
卒業して事務職しかできないんじゃ、学生時代何やってたん?状態でこれから職を失う未来しかないことぐらい始めからわかるだろうに。
年々AO入試の割合が高くなっているけれど、一般入試よりもAO入試合格者の方が意欲が高いと言われている
https://www.asahi.com/edua/article/14540038
逆に言うと、一般入試合格者は大学受験がゴールになっている(人が少なからずいる)ため、入学後の意欲が低い
仮面浪人でもないのに大学入学後も入試問題を解いてみたり、下手するとおっさんになってもまだ入試問題を解いてあれこれ文句を言っている
そんな人は極端だけど、有名大学や大学院まで進学した人材がくすぶってると考える人は多く、それもまた大学受験がゴールだと考えていると言える
多くの人は大学での専攻や卒論のテーマを直接仕事に活かしていないと実感しているだろう
ということは、いい大学や大学院を卒業すること(ほぼほぼイコール入学すること)が仕事が出来る人材と考えているわけではない
それなのに、いい大学や大学院を卒業したけど派遣だとかパートをやっている人を有能な人材、埋もれた人材だと考える
それは大学受験がゴールだと考えているからだろう、恐らく無自覚に
さらに言えば、あの大学を出ているだけあって地頭がいいとか、あの大学を出ているのに使えないとか、そんなことも考える
大学受験がゴールになっているから、労働者それぞれの強みを使って強みを伸ばしてお金を稼ぐことを、つまりリスキリングみたいなものを否定する
けれどもお上から言われれば「勉強しろってうるさいからやる気なくなった!」みたいな中学生のようになってしまう
はてブの好きな話題の一つに、進学校は勉強することを茶化さないみたいな話題がある
一方でスキルアップをサポートする社風はあまり話題にならない、たまに話題になるけど
鈴木は陣営外の人にも話が通じる右翼として有名だったが、実は朝まで生テレビの成立に大きな関りがある。鈴木が居なければあの番組は無かったんである。
また風桶式に鈴木が居ねばネットの団塊叩きも無かったんである。ちょっと説明しようと思う。
鈴木の親は民族主義新興宗教の「生長の家」の熱心な信者だった。その為大学時代は六本木にあった生長の家道場の寮に住み込みんで大学に通うと共に国粋宗教活動と学生運動に身を投じ、全共闘の左翼学生と殴りあいをしていた。最近話題の宗教二世だったのだな。
この道場は乃木坂の緑の中にあった。https://goo.gl/maps/tv9eakNek34ZLQXU6
今では生長の家の3代目がエコロジー志向になったので建物も塀も取り払われて開放的な森として一般にも開放されているが、一昔前は周囲の階段が「おばけ階段」と呼ばれるほど鬱蒼とした場所だった。
日本会議の中核メンバーも多くここに入寮しており実はこの寮は戦後の右翼運動の胎盤みたいな場所なんである。安倍政権で日本会議が急接近した事で政治にも影響を与えた。米議会は安倍政権と日本会議の関係を問題視していたのでこの寮の輩出者も分析把握されているかも知れない。
この敷地内には日本教文社という出版社もあってこれは生長の家の教祖谷口雅春の著書を出版して思想と教義を広める為に設立された出版社だ。しかしフロイトの『精神分析入門』や『夢判断』、ユングの選集などをいち早く出版するなど、実は学術分野でも存在感を示してきた社でもあった。
余談だが防衛庁(当時)の庁舎は2000年まで六本木にあり(現ミッドタウン)、更に60年代まで門が開いていたので近所の人は庁舎内の売店で買い物をしていたそうである。六本木、赤坂の物価より安い上に生長の家道場と防衛庁庁舎は目と鼻の先だったので鈴木も利用して安いパンツ等の購入に重宝していた。
ところがある日、左翼学生による防衛庁突入事件があり、それ以来門は閉められ部外者が売店を使用することは出来なくなった。
六本木交差点の先や青山まで行ってハイソ価格のパンツを買うしかなくなってしまった為に怒り沸騰、全共闘と衝突した際には「お前らのせいでパンツが安く買えなくなっただろ!」と叫んで相手を殴っていたとの事である。相手も何を言われているのか不明だったろう、と鈴木は述懐していた。まー、面白おかしく話を盛ったんだろうけど。
1970年に三島由紀夫の市谷駐屯地東部方面総監部占拠と割腹自殺事件が起きて世間を揺るがしたが、三島の介錯、つまり斬首をしたのが森田必勝。森田もまた割腹し介錯された。この森田必勝は鈴木の後輩で、思想的に鈴木の影響を強く受けていたという。
この為に鈴木は強く動揺、やがて右翼として生きる事を決意する事になる。やがて勤めていたサンケイ新聞も退職してしまう。(デモでの狼藉で解雇されたとの話)
鈴木はこの事をずっと気にしていて十字架を背負っているかの如くだったが、2000年頃になると「森田氏」と敬称を付けて呼ぶようになった。十字架を下したのかもしれない。
余談だが、小泉政権時代に男性か女性か判らんと評判になった井脇ノブ子という政治家が居たが、彼女は学生時代、右翼学生運動のマドンナで、ドラクロワの『民衆を導く自由の女神』の様に数万の男塾みたいな学生の先頭に立ち、当時新右翼学生運動のプリンス的立場だった森田との交際の噂もあったとの事である。
1977年google:image:『おまえらがかわいいけんなぐるんや!』は井脇31歳の時の刊行だが表紙写真の井脇は暴力教師だかダチョウ倶楽部上島だか素人には見分けがつかない。
鈴木らは「新右翼」であり、これは全共闘などが含まれる新左翼に対抗する為に生まれ、政治権力に癒着した旧右翼らと違う軸を志向した。そもそも対抗する相手の新左翼自体が、日本共産党が暴力路線を放棄する事に反発して生まれたもので、要するに暴力vs.暴力。
最初から硬派なバンカラと軍国路線で、彼らが卒業して政治結社を結成するようになると国防色(カーキ)の街宣車を使うようになった。これが80年頃になると威圧感を与える黒塗り街宣車と旭日旗、日章旗、軍歌を流すというスタイルが定着した。
鈴木が代表を務める一水会も黒塗り街宣車で軍歌を流して通行人を威圧して居たが、やがて鈴木はこのスタイルは良くないと考え出す。こんなスタイルでは話を聞いてくれる人が居ない。
という事で今の機動隊バスのような爽やかなブルーに塗り直して大音量の軍歌も怒鳴り声も止めた。これは今で言うとテニスサークルヤクザとか好青年暴走族みたいな強烈なミスマッチである。(考えれば機動隊バスが国防色止めたのも同じ動機だ)
すると傍目には社会党などの街宣車に見えるから、すれ違う右翼街宣車に怒鳴られる事もあったそうである。「あー、てめえらふざけんじゃねえぞおいゴラ!」「あ、一水会さんでしたかどうもすいませんでした」って事が度々あったそうだ。
ただ、話を聞いて貰えないスタイルが流行したのは大人の事情もある。威圧感があって相手が震えあがるというのは、例えば企業相手の抗議に行くときは相手が折れてやり易い訳だ。
更に活動費というのは支持者の寄付と機関紙の購買費で稼ぐのだが、相手が折れた先に機関紙の購買も持ち掛ければ受諾されやすい。そこで心付けを渡してくる相手もいる。
するとシノギの手段としてヤクザが参入してくるようになる。民事介入暴力だ。ヤクザは元々旧右翼と不可分だったが、それが新右翼のスタイルを模倣して参入するわけ。威圧感を高める為に街宣車もカーキや灰色じゃなくて黒塗りの方がいいし、車格も小さいライトバン等より大型のワゴンやバスの方がいい。こういうのを警察用語で右翼標榜暴力団という。当時沢山いたヤクザが参入する事で「業界」のパイも大きくなった。
鈴木はこういう威圧じゃなくて議論や対話を好むスタイルだったので、敵のはずの新左翼側とも交流があり、新左翼出版社から自書を出版して居たりもした。それで「一般人の方も向いている面白右翼」という評判が高くなっていた。
そこで1985か86年に全共闘上がりの活動家と鈴木含む新右翼の大討論会というのを開催する事になった。司会はあの田原総一朗である。
この当時は全共闘とか学生運動というのは完全に過去のものになっていて嫌悪さえされていた。流行っていた思想はポストモダンで、モダンの内容も踏まえずに言葉の戯れを繰り出すのが流行していた。これは凄惨な内ゲバを繰り返して自滅したのに青臭い異議申し立てさえすればよいという立場で「議論」の場に居座っていた学生運動的なものに参加したくない、そうではないものが新しい価値ある態度なんだという、以前の政治的なものへの強い忌避、反感がベースにあった。あの田中康夫も事あるごとに全共闘残滓の異議申し立て的態度や代ゼミ講師的ノリをコキ下していた(湾岸戦争で日本が参戦を求められた事に衝撃を受け転向)。
そんな時代背景では政治議論なんてものはカビが生えた扱いで部外者には面白い訳がない。
そう思われていたのに、いざ討論会をやってみたら部外者にもかなりウケがいい。やってる方も面白い。
それでこれはいけるぞと踏んだ田原総一朗がテレ朝に持ち込んだ企画が朝生だったんである。
当時、エロ一本鎗だった深夜放送枠でフジTVが色々実験的な番組を放送し始め、その深夜枠のいい加減さも相俟って好事家的視聴者層にウケていた。そこにCNNの放送権をゲットして社会路線で行きたかったテレ朝が乗ったのだろう。
こういう経緯だから最初の頃の朝生は体制派vs.反体制派orリベラルという構図が鮮明だ。田原は最近「朝生は最早保守だ左翼だという時代ではないというのが朝生を始めた動機だ」みたいな事あちこちで言ってるんだが、この経緯を見ればこれが嘘って事は判るだろう。ボケちゃってるんじゃないの?討論なんてウケない時代に「激突全共闘と新右翼」討論会の成功で行けると踏んだのが朝生なのだから。
そしてこの討論会は鈴木の左右を超えた交流と議論好きの人格が無ければあり得ず、田原も来なかった筈なのだから、鈴木の存在が朝生を産んだと言って差し支えないんである。
こういう風に鈴木の活動と波及した社会現象は停滞して煙たがられていた政治議論を活性化した。すると全共闘上がりの人士らは元気になって「異議申し立てが必要だ」「もう一度騒いでもいいだろ」と言うようになった。これらを受けて刊行されたのが1994年の『全共闘白書』である。
この動きに対し、同世代の松原隆一郎が文藝春秋社の雑誌『諸君!』で批判を加える。更にこれを受けて諸君!誌では「うるさいばかりで無責任 上と下からぶっ叩け全共闘世代」という特集を組んで、その名の通りに上の世代と若手の執筆者が全共闘叩きをする記事を寄せた。
つまりはこれがネットで長年繰り返された団塊批判の始まりなのだ。この全共闘的振舞いへの批判から団塊Jr.世代(増田もそう)の日本を支配するオヤジ世代へのルサンチマンと甘えが被さり、「団塊世代」全体を叩くという風にスライドしてきたのである。そこでは例えばいい年になっても漫画を読んでるというスタイルを確立したのが団塊だ(劇画市場の成立)とか子供部屋が個室とか結婚は好きな相手とすれば良いしなくても良いという常識とか若者向け流行歌の市場とか個人のプライバシーとか時給制アルバイトとかが団塊世代がわがままをしたせいで出来たって事にも向き合わないで済んだ。
些か「風が吹けば桶屋が儲かる」的だが、鈴木の活動が無かったら全共闘上がりが活性化して『全共闘白書』が刊行されることも、それに対して下の世代が反発する事も無かったのである。そしてそれがネット民の甘えを吸収して団塊叩きに変化する事になったのだ。
最後に現在も統一教会との関係で取り沙汰される朝日新聞襲撃殺人事件の赤報隊に関して。
1990年代に新右翼を名乗る男の脅迫で柳美里のサイン会が中止されるという事件が起きた。鈴木はSPA!誌に連載を持っていてそれを批判したところその男が抗議してきた。その中で男が赤報隊の名を語った為、鈴木は「赤報隊とは面識がある、名前を騙ったお前を赤報隊は必ず殺すだろう」と伝え、懺悔の言葉を引き出す事に成功し、それを連載記事に書いた。
すると、直ぐに警察が何らかの容疑で令状を取り事務所を捜索して書類の類を皆押収してしまったのである。赤報隊の情報を得る為の別件事件だ。これに鈴木は怒って赤報隊の情報は二度と官憲に提供しないと書いてそれきりになってしまった。
結局赤報隊と鈴木の面識が脅迫犯へのブラフだったのか真実だったのかは不明なんである。
ヤクザの根絶やしを目的とする暴対法が施行される事になった時、任侠右翼とも付き合いがある野村秋介に鈴木はヤクザの人権を守れデモに参加しようと強く誘われたが、鈴木は「イヤですよヤクザなんて」と気乗りがしなかったが、野村は親分肌なので断れない。仕方なしに参加したら呉智英らに「アウトローの人権とは笑止」などと言われてしまった。
いや知らんて…
というか関西と言っても広すぎて情報格差がありすぎる気はしてるんだが、どの県にいた場合でも沖縄やら青森やらよりだいぶ恵まれてるやろ
東京に比して差が大きいみたいなのはまぁあるんやろうけど東京就職したいのにmarch調べんのも体力がいるとか言われたらそりゃそうやね来世では体力つけてね(ニッコリ)としかいえんぞ
あとこれいうのも失礼かもしれんけどぶっちゃけ関関同立とmarchって大差ないやろ
marchなんて卒業してもしょせんmarchやろって感じだし、なんでそんなにmarch教えてくれんかったことに固執してるんや…
考えてみた。思い付き羅列。
企業側がこれくらいしっかりやらないと安心して利用しないだろうなと。マッチングアプリじゃなくてちゃんとした紹介所レベルだな。ちなワイ、シングルマザーのITおばさん。件のアプリは適当な情報で会員登録して触ったけど、微妙。だいたいなんで20代前半の男とかおるんだよ、ホストか結婚詐欺だろ。とくにシングルマザーの世帯年収中央値が200万ちょいなんだから、心細くて必死だろうよ、そういうのに漬け込む奴はたくさんいるだろ。あとおおよその地域で子供の学区特定余裕なんだから危ないわ。アプリも子供の顔写真を載せるときは気をけてね!的な軽い注意文言で済ますなや。あほか
「好きな子と恋愛」よりとりあえず相手見つけて真人間になりたい欲求が強かった。アメリカの高校の卒業パーティーとか大学のパーティーだとパートナーいない奴は参加できないらしいし、周りからどう見られるかって自分の気持ち以上に重要だと思うよ。
バカスカ産みまくってた時代なんて女は朝から晩までこき使われてましたよ
高校卒業して腰掛仕事で働きながら旦那を見つけて、結婚出産育児した専業主婦の結果が少子化な
結局はみんな子供なんて欲しくないし産みたくないんだよ
仕方がなく産んでただけ
だいたい出産と育児と労働、全部盛りの人生をやらせようとすることが無理なんだよね。
女がやりたいって言いだしたことだけど、女の言葉を真に受けるとか愚の骨頂。アホ。
飴を与えて「子供産め」って言うこと聞かせようとしてるけど、与えすぎでぶくぶく太って身動き取れなくなってるのが現代。
きちんと鞭も与えて、出産と育児に女を専念させることこそ、本当の少子化対策。
高校卒業して腰掛仕事で働きながら旦那を見つけて、結婚出産育児。
っぱこれよ。「昭和」だけどね。
覚悟持って一生全力で労働しますって女にはちゃんと出世の道も用意するべきだと思うけど、
そうするとみんなとりあえずで一生労働します宣言しちゃうんだよね。
そうすると今みたいにすべてが中途半端な女ばかりになるのよ。
「出産、大変そうだから嫌。育児、大変そうだから嫌。労働、大変そうだから嫌。」
そんで流されるままにたらたら雑に労働して、いつの間にか独身低年収おばさんの爆誕。
あーあ
それって戦後の人口政策かなんかで作られた刷り込みなんじゃねーかな?
江戸時代とかは家業は血が繋がってなくても継がせてたし、俺なんかは自分のDNAが入ってる子供でも他人じゃね?って思ってしまう。
最近祖父母が立て続けに無くなって臨終に立ち会ったりしたけど、共通の遺伝子は持ってるんだろうけど
嫁の父親と母親は今郊外で二人暮らししてるんだけど、完全に子供とは別の家庭というか世界になってる感じなんだよね。
核家族化してるからなのかな?そりゃ結婚後に両親と同居でもしてたら大家族的な、同じDNAを保持する一族、〇〇家、みたいな感情が湧くのかもしれないけど、
別々に住んで別々の人生を送って別々の楽しさ、苦しさ、悲しさを経験していると、親と子とはいえ他人より思い出が多い存在、って感覚になってくる。
DNAを残すのが本能なんだとしたら、人はみんな自分のクローンを残したいと思うかっていうと、思わないよね?
仮に自分と同一の遺伝子を持つ自分の赤ちゃんクローンができた時、そこに何等かの特別な感情って湧いてくるもんなの?
だから自分のDNAを引き継いでる子供の存在って、実績解除のトロフィーみたいなもんなのかなと最近思ってる。
子供は成人して大学卒業したあたりで独り立ちしていくものだし、子供には子供の人生があり、親には親の人生がある。
うちの家庭が特殊なのかな?
もしかしたら子供を所有物として認識してる人はそういうDNAの連鎖とかが重要に思えてくるんだろうか。
俺の感覚って異常かね?
私の名前は川崎浩二である。 赤ちゃんのときは、マンコで、性狂いで、相当酷かった。もし自分のことをブサイクだと思っていなければ、沸教大にいくこともなかったと思う。
私が大学にいた時代は昭和55年、学歴競争の真っただ中だった。だから、コンプレックスがなかったといえばうそになる。
どのみちわたしは、昔からいたただの貧乏人である。平成6年頃、高千穂小学校に赴任した際に、当時からかなりきつい児童はいたと思う。しかしそういうきつい児童が卒業後にどうなったかは
分からない。 元々日本人はそういう方向にいかないので、かなり女性的で残酷な性遊びをする。 その域を出るようなことはおそらくないのではないかと思う。