はてなキーワード: 宇多田ヒカルとは
その始まりがいつだったのか増田にはよくわからないが、少なくともスマホがある程度普及してからで、かつ初めは海外から始まった文化だったと思う。
いつからか個人で撮影したライブの様子がTwitterに、YouTubeにアップロードされるようになって、行ってないライブの様子を見られるようになった。
それはライブ体験をいつでも反芻することができるいい側面もあると思うが、やっぱり悪い側面が目立つよなという気が最近している。
かくいう増田もそのうちの一人であり、撮影可のライブで、好きな曲が演奏された時に、スマホを掲げカメラを演者に向けるときもあった。
ただ最近はめっきりやらない。なぜか。
単純に、何のためにライブに来てるのかが分からなくなったというか、手段と目的が逆転しているような気がしてならなくなったのと、演者へのリスペクトが足らないと思うようになったから。
昨日7月24日、増田は宇多田ヒカルのライブに行った。さいたまスーパーアリーナ公演の1日目だ。
さいたまスーパーアリーナの4階席で、肉眼では正直宇多田ヒカル本人のことは米粒程度にしか見えない。けれどもそれでもよかった。
個人的には宇多田ヒカル自体、アイドルみたいにビジュアルや踊りが武器ではなく、その力強く伸びのある歌声が最大の持ち味なわけだから
遠く離れていようとも、歌声が届いてくれればいいと思っている。
実際にライブはすごく見ごたえがあり、セットリストの並び順もこれまでの歌手人生を辿るような並びで、音源以上に力のある歌声を聴くことができた2時間半だった。
かなりの倍率の抽選で、しかもそれなりのチケット代だったが、むしろお安く感じられるほどに価値のあるライブだったと増田は思っている。
ただ1点、本人もライブの冒頭・曲と曲の合間の小休憩の際に、スマホの撮影に関する話題を何度も取り上げたのが気になった。
「撮影するのは大丈夫だけど、高く掲げすぎるなどの周りの迷惑にならないように」 「撮ってる人が多いと、盛り上がってるのか、楽しんでくれているのか(自分・バンドメンバーが)不安になる」
内容はおぼろげだが、こういう話を何度かしたのは記憶にある。
さらに言うと、有名な曲の最中の1番のサビ手前か2番のBメロからサビへの移行直前か、これも定かな記憶ではないが、「スマホ置いて楽しもうよ!」といった発言をしたのも覚えている。
こういった話を演者本人の口から直接聞くのは楽しみにしていた自分としてもとてもつらい。況や本人をや。
6年ぶりの大規模なコンサートで、折角来てくれる観客のためにもいいものにしようと、曲順や演出を考えているのに、観客の側がそれでどうすんのよと増田は思うわけです。
いつの間にか記録することが手段から目的にすり替わっているようであり、宇多田ヒカルのライブ映像をダシにSNSでインプ稼ぎ・承認されようとしているんじゃないの?
さっきスタッフのTwitter公式垢からも、とうとうSNS投稿に関する注意の投稿があった。
宇多田ヒカル本人はきっと善意で、スマホでの撮影を可としてくれていると思うが、今回の件もあって、そのうち撮影自体も禁止になるんじゃないかと思う。
個人的にはもうどのアーティストもライブの撮影は全面禁止にしたほうがいいと考えてる。
撮影している本人たちは、撮影しながら楽しめてるって言うんだろうけど、内心「アーティストがちゃんと画角に収まってるか」「音源・演出が漏らさず撮れているか」気になってしょうがないんじゃないかと思う。増田が何度か撮っていたときは自分がそうだった。記録映像として残すのに、観たまま聴いたままがそのままスマホに収まっているかが心のどこかで引っかかっていた。
楽しんでる風を装うことはできると思うけど、ブレた映像とか残したくないから動きも最小限になるだろうし。それって本当に心から楽しめてるんだろうか。
昨日のライブで前の列にいたカップルはスマホの撮影なんかしないで頭ブンブン振ってノリノリで楽しんでた。
宇多田純子 : 昭和30年代の女性不遇の時代に恨みをため、圭子の夢は夜にひらくという名言が平成時代に華々しく陸続し、娘の宇多田ヒカルの活躍に引き継がれたため、
娘の活躍にて一発あると思っていたが、平成25年8月22日に自殺。当時、黒羽刑務所10工場の食堂では、12時の昼食時にNHKニュースで流れた際、
受刑者全体に激震が走り、昼休みの間もその話題で持ち切りだったが、刑務官の長谷川は、静かにしろ、黙って食えと制止し、森脇は丸めて投げた。両刑務官とも
栃木県の不良や族の男だったため、藤圭子に興味がなかったからだと思われるが、受刑者のかなりの部分に衝撃があった。ただし、長谷川と仲の良い古儀や、3班の
受刑者がどう感じたかまでは確認していない。2班の一部の受刑者を中心に激震が走った。※ なお、宇多田ヒカルは母親の自殺について具体的理由を明らかにしていない
平成11年4月13日 延岡西高校入学式。 第1学年主任、 英語科、 井上修二。
平成14年 里見拓士が北予備でファジー数学を教えていた。 当時の大志寮の寮長は、 高橋虎雄。
平成15年3月10日 永山悟が東大理科一類後期試験に合格した。
平成17年 東京都北区駒込の以下の小さいスタジオ出入りしていた。 https://www.google.com/maps/@35.7373641,139.7501617,3a,75y,131.96h,95.39t/data=!3m8!1e1!3m6!1snsqRi0nokMrcC4TrjcD_xQ!2e0!5s20091101T000000!6shttps:%2F%2Fstreetviewpixels-pa.googleapis.com%2Fv1%2Fthumbnail%3Fpanoid%3DnsqRi0nokMrcC4TrjcD_xQ%26cb_client%3Dmaps_sv.share%26w%3D900%26h%3D600%26yaw%3D131.96370538686978%26pitch%3D-5.38725407618584%26thumbfov%3D90!7i13312!8i6656?coh=205410&entry=ttu
平成18年9月21日 20日の選挙で安倍晋三が総理大臣に就任
平成18年9月24日6時 増田開始 最初の書き込み 例 絶対に許さないよ、 おげれつ
平成19年11月17日 裁判所書記官、巡査などが、増田の期待の星、MONO君登場、などと書き込みをしていた。
平成20年6月8日より少し前 熊谷の息子が秋葉原で暴れていて女の子に下半身開陳させるなどしていたら、歩行者天国にトラックが突っ込んできて、賛同者の高齢者等が下敷きに
なった。
平成20年11月17日、18日 別所で厚生労働省元次官が殺害される。
平成23年10月23日午前11時9分 志村署の村田が戸田橋の下で発狂
平成24年8月27日 消防署の消防士がバクサイに女の子のわいせつな画像を貼り付けた。
平成25年1月 須佐由子がFacebookに、ハッピー、と書き込む。
平成25年2月10日 朝日新聞で、船田=クラーセン=さやかが、生活が出来ないと発狂するようになった。
平成25年6月19日 黒羽刑務所で森脇の手下の連行係の刑務官で立花高志に似ている奴が、平気で怒るからな、と言った。
平成25年10月5日 山口県の美祢社会復帰センター近くで、桜坂やっくんが自殺。
平成25年12月31日 NHK、紅白歌合戦で、司会の田森が、スタジオを見て、生きているようにみえますね~、という発言をしてしまった。
でも「処女マリア」ってエグすぎだろ。お古じゃだめか。男性目線やな。
「広末涼子」
「いや、特には」
風俗で1万円払うと、若くて可愛い女の子が、裸でサービスしてくれる。
裸でサービスが全てではないけれど、
「えー、私全然可愛くないですよー。全然もてないし。可愛かったら雑誌の表紙に出てますって。
まあ可愛いとは言われるけど、言われるだけ。スカウトとかされたことないし。
お金持ちのイケメンが私を取り合ったりしないと可愛くても意味がない。なるほどー。
私を可愛いと言ってくれるお兄さんはどうしてくれるんですか?
お気にになりました。
可愛くてもつまんないとか頭悪い女の子もいて、要領悪いとか、可愛いだけじゃなかった。
私もかっこいい男がつまらない女と遊んでると「なんで?」と思う。せめて釣り合う相手にしてよとか。
「私、今度結婚するんですけど、結婚してからも同じようにつきあってほしいんです」
結婚してからも年に1回~2回会って、お茶してからホテルでせっくすした。
3年が過ぎた頃、一緒にお風呂に入ってる時に、「こんな関係のままじゃいけないと思うんです」と言われた。
「結婚してて、でもこうして会ってること?」「はい」。彼女は体操座りしてた。
もう会えないのかと思って、思いっきりせっくすしてみた。ああん、激しいと言われたり。
服を着て「もう会わないようにするんですか?」「増田さんはどうしたいんですか?」
「会いたい。もっと会いたいかも」「私もですよ」。抱き合ってまた服を脱いでしまった。
さまざまなA子さんが声をあげている。
一度きりの夜にひどい扱いをされた女もいるだろうけど
長いつきあいで好きあっていた女もいるだろう。
われながらA子さん予備軍だなと思う。
私はだから、いま世をにぎわせているA子さんから目を離せない。
返事がこないなと思うとき。
私はA子さんとして「あなた」に語りかけている。
こんなことを思うのはもちろん、A子さんが「あなた」を愛しているからである。
だから私は、A子さんになる分水嶺は、愛なんじゃないかと思ったりする。
もちろん「業界有名人に選ばれている特別なワタシ」という承認欲求も絡んでいる。
でも、好きじゃなければ、こんなメガンテはできないんじゃないだろうか。
みんなに必要とされる君を癒せるたった一人になりたくて
少し我慢し過ぎたな
渋谷区で生まれて、大学の時に4年間だけ地方都市に住んでたけど、
ひい爺ちゃんの代から東京なので、まあ江戸っ子と言っても遜色ないかなと思う。
やたらと敵視してる人がいて、東京育ちの人間からするとマジで意味がわからない。
恵まれてると言われれば、そうだと思うけど、それは地方だっていい所あるんじゃないの?知らないけど。
んで、本当に東京で生まれ育った人間について、書いてある文章少ないなと思ったので、ちょっと実情を書いてみる。
・オタク仲間がたくさんできる
思春期が90年代〜2000年代くらいだったのだけど、明らかにオタク系の友達が沢山いた。
新宿の西スポのヴァンパイアハンターの大会とか出て、梅原にボコボコにされたり、
秋葉のイエサブでMtGの中古カード買い漁ったり、国府田マリ子のラジオの公開収録行ったりと、
コミケに初めて参加したのも16の時で、中学校の時の同級生の女子がレッツ&ゴーのコスプレしてたのに出会ったりしてた。
押切先生のハイスコアガールの世界観はかなりリアルで(可愛い女の子は出てこないけど)、
ゲーセンに居た夜職の兄さんに誘われて行ったのが初めてだったと思う。
ちょうどR&B全盛期の時代で、宇多田ヒカルがAutomaticをクラブに歌いにきてたり、
ダンスバトルみたいなのもよく見に行った。
当時は無茶苦茶緩くて高校生でも、なんか適当な偽造IDとか作ってもらって、それで入ってた。
高校生男子に色々と教えたい大人達がたくさんいて、とてもみんな優しくてアットホーム。
週4〜5でクラブに行ってた時もあった。行きつけのクラブは店員も友達になったりしてたので、
自分はTCG大好き格ゲー大好きのオタク少年だったが、クラブに行くときはコンタクトに変えて
ダボっとしたKANIを着込んで、武装してた。上京したての女子大生をナンパして、
初めての彼女を作ったのもこの頃だった。
・東京のコミュニティはすぐに生まれる。そして、すぐになくなる。
東京で生まれるコミュニティは、基本的に新規参加者へ寛容である。
地縁や血縁を軸としたコミュニティではないので、基本的に同じ興味対象があれば、誰でもウエルカム。
逆に来なくなっても、別にそれはそれ。誰も追いかけてはこない。
なんなら、突然コミュニティ自体が簡単に霧散するなんてこともよくある。
とにかく、こういった人の集まりが無限に生まれて、どんどん消滅する。
自分を振り返ってみても3年くらいで周りの友達関係は一掃する。
ただそれでも、その中で特に仲の良かった人とかは、コミュニティがなくなっても
普通に友達として繋がったりしてて、それで人間関係が残っていったりする。
逆に自分と繋がってない人に対しては、全く興味を持たない。
隣が誰住んでるのかも知らないし、参加しなければ近所のコミュニティなども全く知らない。
人はたくさんいるけど認識しなければ風景と同じで、お互いにそういう感じで過ごしている。
逆説的に、人を認識しないので人との繋がりが少なくて快適なのだ。
総じて、東京の良さは何かにハマった時のコンテンツの距離が近いこと。
ポケモンセンターでバイトしたりしたこともあったけど、中の人との距離感近いのも東京の特徴だと思う。
あとは、周りが放っておいてくれる。勉強しろとか言うのは、親と学校の先生くらいで、
それ以外の大人や世間は、ほとんど自分に対して興味を持っていない。
おかげで、ファッションがどうであれ、趣味がどうであれ、自由に自分のやりたいことにハマれる。
そしてハマった先には、もっとハマってる先輩方がいて、受け入れてもらえることが多いような気がする。
自分はオタク系の趣味とクラブという趣味2つの全く異なる趣味にハマったけど、
こんなことを許容してくれたのは、東京という土地だからのように思う。
多分、美術マニアでも、ラーメンマニアでも、フィギュアマニアでも、
なんでも受け入れてくれる懐の広さが、この街の良さだ。
『だってこいつ、俺の幼馴染だもん!』
『えぇ〜〜〜っ!?』
増「……まぁ人も多そうだし、映画館で観るのはやめとこうかな!」
増「たまには帰ってこいって言われたから帰省したけど、どこもかしこも歌番組ばっかりだし実家じゃチャンネル権は無いし、ここは地獄だぜ!YouTube観たい!!」
司会者『それでは次は、皆さんご存知の、今話題の世界的歌姫が!なんと!スタジオに来てくれていま〜す!』
増「え?そんな盛り上がるような世界的歌姫?マドンナ?レディーガガ??宇多田ヒカル???誰かなぁ」
MMDウタ『みんなー!ウタだよー』
??「増田くん……忘れちゃったの?」
???「ワンピースが人気になったのも……日本の音楽市場が盛り上がったのも……全部……世界的歌姫のウタちゃんがいたからじゃないか……!」
増「……!!!!」
司会者『きゃーウタちゃ〜ん!私、ずっと会いたかったんですぅ♡』
ウタ『えへへーありがとー!じゃあ歌うねー!』
ここからリアルタイム3Dではなく中継風になったり、色々と小賢しい工夫を凝らしながらも各番組共通して(Adoではなく)ウタを「世界的歌姫としての地位を既に確立している存在」として扱うため、
増田はまるで月島さんが来た時の一護みたいな気持ちを味わうことができたのだった。
二度と味わわせるな。