はてなキーワード: ミュージックとは
お問いるジョージ-幼年時代の家への貢センターの"肉食無料と値の非暴力'
ジョージの最も有名なタレンズ. くことを期待もう 彼の幼年時代の家 とオーセンター"肉食無料と値の非暴力。"
"のうの国のハリソンを収録した初のソロアルバム'Wonderwall音楽が、日常生活とかけ離れたくベジタリアン,"ペタを書いた自分の サイト .
"ハリソン初のビートルズへのベジタリアンの後、多くのインド訪問、またたびに抱かれ、美徳の アヒムサ は、非暴力である中央三のインドの主要な宗教–ヒンドゥー教、仏教やジャイナ教,"書いたペタ副社長国際事務Poorva Joshipura.
"私たちは、かつ優しさを推進すべての生活を感じ人種を問わず、このャンするよう促す"という人が練習する非暴力の精進料理とハリソンされています。"
"ハリソンは言うにも跳ね返って肉を食べたの考えを殺害動物。 ...[I]tのない健全な自然になります。'"
して精進したのジョージの精神性. 顔と体重をしたに過ぎないのです。
DeepL
PETAは、ジョージの幼少期の家を「肉を使わない料理と非暴力の価値観」のトリビュートセンターにしようと考えていました。
ジョージは、最も有名なセレブリティ・ベジタリアンの一人となりました。そのため、PETAは彼の幼少期の家を買い取り、"肉を使わない食事と非暴力の価値観 "のためのトリビュートセンターにしたいと考えているほどです。
"このセンターは、ハリソンが最初のソロアルバム「ワンダーウォール・ミュージック」の一部を録音し、ベジタリアンになるきっかけを作った国を祝うことになる "とPETAはウェブサイトに書いています。
「ハリソンは、インドを何度も訪れた後、ビートルズのメンバーとして初めてベジタリアンになり、インドの3大宗教であるヒンドゥー教、仏教、ジャイナ教の中心であるアヒムサ(非暴力)の美徳を学び、受け入れました」と、PETAの国際問題担当副社長Poorva Joshipuraは書いています。
「そして、このトリビュートセンターは、より多くの人々に非暴力を実践してもらい、ハリソンが愛したベジタリアン料理を楽しんでもらうことになるでしょう。
"ハリソンはかつて、「肉を食べることに嫌悪感を抱いたのは、動物を殺すという発想だった。...(中略)健康的でもなく、自然なことでもない」。
これ MUSIC FLOWER だわ
半年ほど前に引っ越してきたマンションの上階住人の騒音が酷い。
朝は5時から、夜は22時過ぎかな。毎日毎日、地鳴りがするほどのテレビ、ラジオ、CDだか何かわからん妙な音楽。日中は宗教でもやってんのか?と思うような奇妙な音楽が流れてくる時もある。上階に上がってみたら、エレベーター降りる前から音が響いているほどだった。フルリモートだからダイレクトに騒音の被害を受けている。何度か管理会社にクレームをつけたが、親身になってくれるのは窓口の女性だけ。一緒に憤慨してくれるだけマシだが、注意に来たのはしょぼいジジイで何のやる気もない。「ご高齢の夫婦ですからね〜部屋中にスピーカーを置いていらして〜声かけはしましたのでよくなると思いますよ〜」というそばから爆音ミュージック。お前聞こえてねえわけねえだろ、怒鳴ってこいよ。「受託してるだけなんでね、騒音は民事なんで〜」ってニヤニヤしてんじゃねえよ。
聞けばメスの老人が認知症で、オスの老人の耳が遠いんだという。オスの方は「妻が認知症だから音量をあげてしまうことがある」と弁解していたそうだが、んなわけねえよ。普段から爆音なんだから、てめえが妻に責任押し付けてんだろ。そもそも認知症なら許すわけじゃねえからな。老人なんて生きてても何の価値もないんだから、静かに暮らせ。常識の範囲で暮らせ。部屋中にスピーカーを置く?まずおかしいだろそれが。おそらく上階には、クソキモジジイと可哀想なおばあさんが住んでいるんだな。おばあさんの方から死んだんじゃ爆音ジジイは引っ越さないだろう。爆音ジジイが死に、おばあさんは然るべき施設へ。それがいいな。よし、明日までに心臓麻痺で脳梗塞でもなんでもいいから、さっさと死んでくれ。以上、将来は絶対クソキモジジイになって周囲に不快感を与えたい。
地方のミニライブハウスで自腹切って演奏してるドマイナーなバンドマンでさえ、そんなドマイナーバンドの最底辺であるベース担当でさえ、わりと彼女がいるのである。
この際、トライアングルでもよい。
楽器が出来なければボーカルを担当して他のポジションを全員募集しろ。
思い出すと良い、今までおまえらの言葉が誰かを動かしたことがあったか?
言葉は無力とまで言わないが、世間には他人を動かしたい言葉が死ぬほど溢れている。
だがミュージックは違う。
言葉で伝わらないメッセージも、ミュージックに乗せればたちまち人々のハートにジャストイン。
干乾びたスポンジボブが水を吸収するようにね。
Official弱男dismとでも名乗って、女性への怨嗟を、社会へのヘイトを、メロディアスに歌い上げろ。
ミュージシャンは一発当てれば稼げる。
ヒット曲をものにすれば、使い切れないほどの大金がドバァッと入ってくるだけでなく、継続的に印税がチャリンチャリン入ってくる。
テレビのBGMで使われるたびに、誰かがカラオケで歌うたびに、お金がお金がお金ががぽがぽ。
君たちが今まで大嫌いだったジャスラックが、重ちーのハーベストのように小銭を広く徴収して君に還元してくれる。
作業に取りかかるのが難しい時は、以下のいくつかのアイデアが役立つかもしれません。
作業を小さなタスクに分割し、一つずつ取り組んでいくことで、大きな課題に立ち向かうよりも気持ちが楽になるかもしれません。
また、完了したタスクにチェックを入れることで、達成感を得ることができます。
作業を開始する前に、タイマーを設定して作業時間を決めることで、自分を切り替えることができます。
例えば、25分間の作業と5分間の休憩を交互に繰り返す「ポモドーロ・テクニック」を試してみるのも良いでしょう。
作業が進まないときは、場所を変えてみることで気分転換になることがあります。
自宅で作業している場合は、カフェや図書館などの場所に移動することができます。
作業に対する否定的な考え方を捨て、ポジティブな思考に切り替えることで、作業に対するモチベーションを高めることができます。
音楽を聴くことで、気分がリラックスし、集中力が高まることがあります。
例えば、集中力を高めるためのミュージックプレイリストがあるので、それを聴いてみるのも良いでしょう。
ので、感想を書き残す。
スネイルズハウスくん、DJ下手なんやね。ぶつ切り繋ぎ、アンセム連発、DJ歴半年の子かと思った。
いい曲かくし、remix上手いのにまさかmixが下手やとは意外だった。
モエショップ、好き。曲が好きなのが大きいけどBPM低めでノリやすいし、計算されたセトリに丁寧なmix、わかりやすい煽りで安心感があった。
ぴっこさん、やるやん。正直あんまり曲知らんというか、前にちょっと聞いてみた時は未来茶系サウンドの焼き直し感があって、またkawaii系のフォロワーか、もうおなか一杯やわと思ってたけど、生で通しで聞いてみたらええやんと思ったね。
あれだけ可愛いで埋め尽くすセトリ、エリアのテーマにぴったり合ってて仕事できるなと思った。
まあでも一番キてたのはkawaii系からハカハカの潰れたサウンドへの流れ。この日を通して一番トべるポイントだった。
ネコハカ、煽るのが上手い、安定感しかない。でも曲が全く刺さらんのよね、ごめんなさい。どうしてもギターが邪魔に聞こえる。
これは俺の好みの問題でしかないのでネコハカのお二人には何の非もないです。パフォーマンス力は文句なしのトップ。
norくん。客のレスがイマイチなことにキレて、音止めてやり直したところで、おいおいやってんねえ!となった。数十人規模の小さい箱ならよくやるけど、企業主催の公式のホールイベントであれやる度胸ない。さすがだわ。バカ広い会場でいつも通りのクラブのDJやってくれる安心感よな。
Yunomi大先生、コンテンポラリーアートっすか?
うごくちゃんのミニマルミュージック風remixからの枕もとにゴースト。
たぶん何か意味があるんだろうけどそれを読み解けるほどうごくちゃんのこと知らないんよね。
何年前だったか、京都の南座に🍵見に行ったら、デカマスクにデカグラサンの青髪の女性が歌ってて、そのときはへー、この人人気の配信者なんや、くらいにしか思わなかったけど、そのあと何年かして自ら命を絶ったってニュースを目にして、少し悲しくなった。そんなことを、思い出したわ。
そんなスタートだったからか、全体的に重く、悲しい雰囲気があったね。明るくキラキラした曲も素直に楽しめないというか。まあ夜の部のコンセプト的に間違ってはいないと思うけど。
それにしてもYunomi大先生はどこに向かってるんやろね。俺はまだフォローしてくつもりだが、ここ数年の転向以降ついてけないオタクも多いんじゃないか。
電音部史上最高やないか?昼の部の小道具大道具モリモリで視覚的にハラジュクをわからせにくるのよかったし、夜の部は夜の部で変化がわかりやすかった。照明、音響文句なし。
ライブパートで字幕が出てくるの、ありがたかったな。新曲でも言葉がスッと入ってきて、ミュージカルみたいに楽しめた。
そう、ミュージカルみたいに楽しめたのが大きい。
原作?の物語を舞台上で表現するっていう一本の筋が通ったことで、全体が一つにまとまってて、いい感じやった。
いままでの電音部のイベントって正直な話、いろんな界隈のオタクを集めてわーわー騒いでるだけっていう、なんかよくわからんもんやったけど、今回のは違ったね。
ようやくバンナムが電音部をやる意味が出てきたんやないかと思ったわ。
アニソンフェスみたいなもんは文脈を共有してるから成立してるわけで、アニメ化ゲーム化してない小説だけの電音部は文脈が薄すぎてなんかようわからんかった。
もちろんオタクが集まってわーわー騒ぐのも楽しいけど、そんなもんはバンナムがやるまでもなく、いろんなオーガナイザーが低コストでやってくれてるし、バンナム謹製のお高いチケットには見合わんのよな。
なんにせよ光明が見えてきた感あるし今後が楽しみやわ。
退場がはじまってから、席の近くに手紙が落ちていることに気付いた。
周りに残ってた人に聞いたが誰も心当たりがないらしく、隣に座ってた人かな?と思い急いで外に出て探したが見つからなかった。
最悪なことに、探してるうちに人の流れでスタッフがいない…というか誘導の警備員のようなひとしかいないところまで来てしまい、落とし物として預けることも出来なかった。
散々どう対処するべきか迷ったが、会社にあるまもるくん(機密文書をなんでも処理してくれるすごいやつ)に放り込むことにした。
数日前放り込んで、処理されたことが確認出来たので増田に書く。届いてくれ。
もしイベントで手紙を渡して、その相手に「手紙落としたんだよね~」と言われたら、渡した側でも貰った側でも悲しい気持ちになってつらいし、邪推しようと思えばいくらでも出来るから、本当に落としてたということを伝えたい。
勇気の必要なタイプの手紙だったとしたら、本当に、落とした人を見つけられなくてすみません…。
気まずくて手紙を落としたって嘘をついているわけではなく、ただ落としただけで、私も落ちていることに気付くのが遅かった。ごめん。
イベントは本当に良いものだったから、悲しい記憶とか感情が紐付かないでほしい。アイカツ!はキレイに終わったのだから、記憶もキレイに終わっていてほしい。
クラシックやジャズに興味がないという人も少なくはないでしょう。かなり初歩的な内容になりますが、編成について少しだけでも知れば解像度が上がるかもしれません。音楽は調和の芸術ですが、個々の音に分解して耳を傾けてみるのも楽しいのではないかと思います。
バッハやベートーヴェンなど、いわゆるクラシック音楽などの編成。映画音楽もこれが多いですね。弦、金管、木管、打楽器が編成の基本。
弦は小さい方からバイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス。
打楽器は……まあ、色々です。スネア、ティンパニ、シロフォン(木琴1)、マリンバ(木琴2)、グロッケン(鉄琴1)、ビブラフォン(鉄琴2)、…etc
ここぞという時に使う持ち替えの楽器というものもあります。フルートの人がピッコロ、トランペットの人がピッコロトランペット、オーボエの人がイングリッシュホルン、他にも色々。
小さい楽器ほど高い音が鳴り主旋律を担当し、大きくなるほど低い音になりリズム隊の担当になります。中間の楽器はそれぞれの橋渡しと言った所でしょう。
弦楽器は和音も出せますが、基本的にオーケストラで使う楽器は単音しか出せません。調和の音楽たる所以でしょう。
楽曲によってはハープやピアノ、その他おもしろ楽器(打楽器による担当が多い気がする)が入ったりもします。サックスは基本入らないのですが、新しめの曲だと使われる事もあります。
楽器ごとに1st、2st、3rd(、4th…)と担当が分かれます。部活などでは、基本上の学年(か実力者)ほど若い数字のパートを担当。ソロは基本1st、曲により2ndが担当。
数字が若いほど高い音を担当し、パート全体で和音を構成します。
ソロパートなど目立てる箇所もありますが、個は埋もれがちかもしれませんね。指揮者に束ねられ、各々が細かく決められた役割のもと調和を目指す編成なのでしょう。
余談ですが、指揮者ってただ棒を振り回しているだけではなくて、コンサート本番に向けて楽団の練習を仕上げる監督の役割も大きいんですよ。
・室内楽
「クラシック」で一括りにされがちですが、オーケストラ以外にも少人数の編成があります。オーケストラが大衆向けの音楽だとしたら、室内楽は音楽が貴族のものだった頃の編成と言えるでしょう。音楽家に演奏させたり、自分らで演奏したり。バッハやモーツァルトが得意とする所ですね。
二人ならデュオ、三人ならトリオ、四人ならカルテット、五人ならクインテット……
編成は色々です。
弦楽四重奏のパッヘルベルのカノンなんかは極めて有名ですね。エヴァの旧劇場版のエンディングで流れた時、感動しました。木管五重奏では、なぜか金管のホルンが入ったりもます。
少人数で個が立つ編成の分、ジャズにも近い側面があるかもしれませんね。
・ジャズ
現代のポップスやロックの原点である、偉大なブラック・ミュージック。
ルーツについては色々言われているようです。その一つに、スコット・ジョプリンに代表されるラグタイムというピアノの曲のジャンルがあります。彼の"The Entertainer"は誰しも一度は聴いたことがあるでしょう。"Bethena"もベンジャミン・バトンで重要なテーマ曲になっていました。
彼の曲を「クラシック」ではなく「ラグタイム」と言えると、ちょっとかっこいいかもしれませんね。
さて、ジャズの編成について。
トリオやカルテットなど、少人数でのセッションとビッグバンドに大別されます。
ドラムス、ウッドベース(オーケストラで使うコントラバスと同じものです。弓は使わずピッチカートだけで弾く場合が多いですね)、エレキベースなどのリズム楽器、トランペット、トロンボーン、アルトサックス、テナーサックスなどのメロディー楽器。あるいはボーカルも。ピアノとエレキギターは万能です。
それぞれから一つずつ以上選ぶのが基本です。ベーシックな編成としては、ドラムス、ベース、ピアノ/管楽器/ボーカルのトリオでしょうか。
しかしジャズは自由な音楽です。リズム隊のベースやドラムにもよくソロが与えられますし、何ならメロディを丸ごと担当する事だってあります。
変わり種でフルートやバスクラリネットという楽器なんかも使われたりします。
大きなクラリネットにサックスみたいなウツボカズラがついててかっこいいんですよこの楽器。ジャズの奏者ではエリック・ドルフィーが有名です。
色々な編成を聴いてジャズという音楽の懐の深さを感じるのもまた一興でしょう。
そして、ビッグバンドについて。ビッグバンドといえばグレン・ミラー。youtubeで色々聴けると思います。どれか一つくらいは耳に覚えがあるでしょう。『茶色の小瓶』や『アメリカン・パトロール』なんかが特に有名ですね。
編成としては、ブラスバンドに近いかもしれません。金管はトランペット、トロンボーン、木管はクラリネットとバリトン〜アルトサックス、リズム隊にピアノ、ベース、ドラムス。オーケストラ同様に、1st、2ndが割り振られます。
少人数でのセッションのライブ感に対して、比較的まとまりのあるサウンドと言いましょうか。予定調和的ではあるかもしれませんが、足並み揃った音の厚みや迫力はまた魅力的なものです。
偏見ですが、中高の吹奏楽部員上がりはビッグバンドかオーケストラに入りがちな気がします。
ジャズの魅力の一つに、キンキンと鳴り響く金管のハイトーンがあります。メイナードファーガソンや、エリック宮城なんかが有名どころでしょうか。「すごい!かっこいいなあ…」となるものですが、こればっかりは実際に自分で楽器をやってみないと凄さが中々分からないものでしょう。
余談ですが、ビッグバンドのトランペットは2ndがソロを吹く事も少なくありません。1stもハイノートで疲れているんでしょうかね。
ジャズにはフュージョンというジャンルもあり、T-SQUAREやウェザー・リポートなどが代表的でしょうか。今はあまり流行りではありませんでしたが、EWIやリリコンという電子管楽器が使われていました。ジャズがスノッブで肩肘張った音楽ジャンルに思われるかもしれませんが、案外ミーハーな所もあるかもしれませんよ。
・吹奏楽
日本の部活ではこれ。たまに間違えられますが、「ブラスバンド」はサックス+金管楽器(+パーカッション)の編成なので、実は異なるものです。サックスも金管楽器なんじゃないか?と思われるかもしれませんが、楽器の素材ではなく音の出し方による分類のため、木管楽器になります。
ブラスバンドにはスーザフォンやコルネット(ほぼトランペットです)、バリトンやアルトホルンなどマイナーな楽器が使われたりもます。
さて、本題の吹奏楽。
基本的にはオーケストラから弦楽器が丸ごと抜け落ち、管楽器にユーフォニアムとサックスが入ります。「吹奏」楽たる所以ですね。
管弦楽曲の吹奏楽編曲では、弦楽器が担っていた主旋律をクラリネットが代わりに担当している印象があります。しかし、弦と管ではやはり表現が異なります。特にピッチカートという弦を弾く演奏法は、管楽器でいくらスタッカートを強調した所で別なものです。にもかかわらず、指揮者に「ピッチカートっぽく弾いて」なんて無茶振りをされる光景はままあるような気がします。
中高生の部活で弦楽器を扱うのが難しい(幼い頃からやっていないと人前で演奏するレベルになるのは難しいという風潮?傾向?があります)という事情のもと、部活では管弦楽ではなく吹奏楽が多く採用されているのではないかと思います。
しかし、吹奏楽独自の編成を活かした曲があまり書かれておらず、オーケストラやジャズ、ポップスの吹奏楽版編曲が多く演奏されがちな気がします。それって別に吹奏楽編成でやる必要なくない?となってしまうので、吹奏楽らしさを活かした快活で明るいサウンドにしようとの苦心が見られますが、どうにもダサい方に転んでしまう印象を受けます。
悪口のようになってしまいましたが、吹奏楽にも独自の良さはあるはずです。コンクールでもよく使われる曲を作っている樽屋雅徳という方は、吹奏楽編成のための曲を書いているので、興味があればぜひ。
設定→アクセシビリティ→画面表示とテキストサイズ→コントラストを上げるをオンにする
他のアプリに影響させたくない場合、アクセシビリティの一番下にあるAppごとの設定から「ミュージック」に対して設定する
どこにも書いてないので英訳も載せておく
Go to Settings→Accessibility→Screen Display and Text Size→Turn on Increase Contrast
If you do not want other apps to be affected, go to the bottom of Accessibility and set the setting for "Music" from the settings for each app.
EXID(イーエックスアイディー、朝: 이엑스아이디)は、韓国のガールズグループである。2012年デビュー。グループ名は「EXCEED IN DREAMING (夢を越える)」から来ている。 前事務所との契約満了に伴い2019年以来休止状態となっていたが、2022年に10周年記念シングル"X"をリリースしグループ活動の継続を示した。日本での活動は2022年のファイナルツアーをもって終了したとしている。
エキシディ(Exidy)は、1974年から少なくとも1986年(Chillerがリリースされた年)のビデオゲームの初期に存在した、 アーケードゲーム最大手の企業のひとつである。
Exchangeable image file format(エクスチェンジャブル・イメージ・ファイル・フォーマット)は、富士フイルムが開発し、当時の日本電子工業振興協会 (JEIDA)で規格化された、写真用のメタデータを含む画像ファイルフォーマット。デジタルカメラの画像の保存に使われる。略称はExifで「エグジフ」(もしくは「イグジフ」)。
エクシーガ(EXIGA)は、SUBARU(旧・富士重工業)が製造・販売していた7人乗り乗用車である。生産はレガシィやインプレッサ同様、同社矢島工場(所在地:群馬県太田市庄屋町)。
Eximindsは、モスクワ出身のアレキサンダー・ジュコフ(Alexander Zhukov)と、ドミトリー・モンジコフ(Dmitry Momzikov)による音楽ユニット。世界のレコードレーベルで曲を使用される、トランス・ミュージック界の売れっ子プロデューサーである。
message@ware exire(メッセージ@ウェア・エクシーレ)は、NEC製のNTTドコモのDoPa無線機一体型携帯情報端末(PDA)である。
実存主義(じつぞんしゅぎ、英: existentialism、仏: existentialisme)とは、人民の実存を哲学の中心におく思想的立場、或いは本質存在(essentia)に対する現実存在(existentia)の優位を説く思想である。存在主義とも。
exist†trace(イグジスト・トレイス)は、日本のバンド。
日本では'76年に、フィレス・レーベルの作品がまとめて再発売されたことがありましたが、ボックス形式としては本邦初で、しかもCDのボックスとしては今回が世界初ということになります。また同時に、<ヒーズ・ア・レベル>という、関係者のインタビューを中心にした本が白夜書房から発売されます。それを読みながらこのBOXを聞きますと512倍楽しく聞けることを保証致します。
1958年、17才にして彼は”スター”でした。この後ポップスの歴史を彩ることになるクリスタルズやロネッツ、キャロル・キングやバリー・マン、ビーチ・ボーイズやビートルズの誰よりも先に<NO.1ヒット>を持っていた!、このことが良くも悪くもスペクターのその後の人生を決定づけたと思います。ポップス史上、#1ヒットを星の数ほど作り続けたリーバー&ストラーや、ジョージ・マーチンも、自らの#1ヒットはなく、このことが彼を単に<プロデューサー>の範疇では捉えられない最大の理由です。<彼を知ることは、彼を愛することだ>というデビュー曲の<彼>は、もちろんスペクター本人の意味で、そこには強引さ、傲慢さも感じられますが、実はそれが力強くもあり、<スターの要素>そのものだともいえます。彼の仕事ぶりを評して、全てを自分一色に染めてしまう、という批判をよく聞きますが、これはことの本質を理解してい居ない人の発言です。かれは<裏方>ではなく<スター>なのです!それを、アーティストの持ち味を引き出すのがプロデューサーの仕事だ、という常識的な意味で彼を捉えようとするから批判的になるのです。彼こそが<スター>で、誰が歌おうか演奏しようが、他の人は全て脇役なのです。単に映画監督と言う視点でヒッチコックを捉えるとおもしろい解釈は生まれない、というのにも似ています。(誰が主演でもヒッチの映画になります。黒沢さんもそうですね。)
デビュー・アルバム「TEDDY BEARS SING」のB-1「I DON'T NEED YOU ANYMORE」の<ステレオ・バージョン>はナント、リード・ボーカルの女の子の声が左で、真ん中がフィルのコーラス、しかも、ところどころリード・ボーカルの3倍くらいの大きさでコーラスが<邪魔をする>といってもいいほどの前代未聞のバランス!です。
デビュー前からしてこうなのですから、自己主張とかワガママなどという、なまやさしいことではないのです。
SCHOOLもの
のちにブラック・ミュージックにのめり込んでいった彼ですが、スタートは白人ポップスでした。まずは自らのヴォーカリスト、ギターリスト、および作曲家としての才能を試すところからはじめた、というところでしょうか。'50年代後半は、まだ黒人音楽は一般的ではありませんでしたが、若者の間では熱狂的な指示を得ていました。スペクターもいろいろな黒人アーティストを聞いていたようですが、こと自分のデビューに関しては、世間的に穏便な方法をとったところなど<奇[...]
また'50年代中期には「暴力教室」をはじめ「HIGHSCHOOL CONFIDENTIAL」など<怒れる若者>をテーマにした映画が続々と作られ、その代表としてJ・ディーンが登場し、代表作が「理由なき反抗」-REBEL WITHOUT A CAUSE -でした。このように、当時の若者のキー・ワードの一つは<REBEL>であり、「乱暴者」のマーロン・ブランドのような皮ジャン、サングラス、バイクというスタイルが流行しました。
彼のでデビュー・ソングはたしかに<学園もの>でしたが、それまでの、例えばドリス・デイの「先生のお気に入り」調のホンワカしたものではなく、女の子が自分の想いを直接的、また積極的に<ナゼわかってくれないの?>と切々と歌い上げるというのは冬至の若者のフィーリングにピッタシきたようです。実はこの手法、スペクター特有の<ソフィスティケーションの中の直接性>というもので、彼を理会する上で大事なことなのです。
ある程度、あるいはそれ以上の音楽の素養がなければミュージシャンや作曲家になれなかったジャズと違って、ギター1本あればだれでもロックンローラーになれる、というのがロックの時代でした。子供が技術を会得して成長し、大人の仲間入りをするのがジャズだとすると、ロックは、子供が子供のままで音楽ができるというのが特徴でした。ヒョットしたらオレにもなれるかもしれないと、多くのシロウトがわれもわれもと参加したことが、音楽の単純化に拍車をかけました。ジャズが豊満でふくよか、とすると、R&Rは骨と皮だけといえましょう。ジャズが大人の音楽で、背景はナイトクラブと女性とお酒が似合いましたが、子供の音楽として誕生したR&Rの背景に一番ピッタリだったのはナント、<ガレージ>でした。
麻雀同様4人(あるいは3人)いればすぐにできたのがR&Rの特徴でしたが、ニュー・ヨークのようにせまいところで大声を上げれば、お母さんに怒鳴られるだけですからストリートへ出るわけです。50'sのDoo Wapブームの背景は街角-ストリート・コーナーが似合ったわけです。
それにくらべて土地の広大な中西部や西海岸は車がなければ不便なので、当選、どこの家にもガレージがあり、ここが若者の格好の練習場所となりました(蛇足ですが、今の日本のロックのサウンドの背景は<貸しスタジオ>--密室--ではないでしょうか?)。さて、楽器は感覚でどうにか弾けますが、作曲というのは簡単そうでもやはり多少の音楽の素養は必要です。しかし、若者の、なんでもいいからR&Rをやりたい!という想いはこんなことではくじけません。骨と皮だけのロックを、さらに皮も捨てて骨だけにしたのです。それが<ギター・インストゥルメンタル>でした。これは、楽器を感覚的にかき鳴らすだけですから、とりあえずだれにでもできました。ジャズの単純化がロックとすれば、これはさらに、ロックの単純化で、その極致であったわけです。
これが<ガレージ・サウンド>の正体でしたが、この時代に呼応するかのように、新しく生まれた現象がありました。それは、録音機が少しずつ普及し始め、ガレージや居間などでの<ホーム・レコーディング>が行われるようになったことです。そして、デモ・テープのような、ある意味では乱暴
チャートに登場するようになり、まさに音楽の大衆化が、内容だけではなく、音質までにも及んだのです(エルビスもバディ・ホリーもデビュー曲は地方の、オヤジさんが社長、オカミさんが専務、というような町工場風のスタジオで録音したものです)。
それまでの録音は、演奏者と録音技師はガラスを隔てて別々の仕事場でした。技師が演奏者にマイクの使い方を指導することはあっても、演奏者の方が技師に注文をつけるというケースはめったにありませんでした。しかし、ホーム・レコーディング特有の、機械いじりの好きな少年の思い付きや、また機材不足からひねりだした斬新な工夫は、新しいサウンドの母体となるのです。
スペクターは、テディー・ベアーズの録音の時から、スタジオ内と調整室を行ったり来たりして、録音技師を困らせていたようですから、コダワリの姿勢は最初からのようです(口述しますが、後年よくいわれるワグナー好きやソウル・ミュージックの追求というのは、スターにありがちな<後付け>である、と私は考えています)。
このホーム・レコーディングが、実は<スペクター・サウンド>の根幹なのです!<BACK TO MONO>の意味もこのことなので、一つのかたまり、大人数、熱気、乱雑の中の整理、複雑の単純化、そして<ホーム>、これが彼の求めたものでした。かたまりは<MONO>、大人数はミュージシャンの数、熱は<ハル・ブレインのドラム>、整理は<J・ニッチェのアレンジ>、単純化は<L・レビンのミックス>、そしてホームは<西海岸>、これがスペクター・サウンドの中味の分析ですが、詳しくはこれも後述します。
この当時のロックンロール少年と同じく、スペクターもギター少年でした。本名のフィル・ハーヴェイとしてインスト・レコードも発表しています。また'58、'59年はインスト・ロックの当たり年で、チャンプ栖の「TEQUILA!」が#1になったり、B・ホリーのインスト版ともいえるファイヤーボールズ、リンク・レイ、そしてジョニーとハリケーンズ、サント&ジョニー、サンディー・ネルソン(「TO KNOW HIM~」のドラムはデビュー前の彼です)、そして極め付きはギター・インストの王者、デュアン・エディーの登場でした。
日本ではなぜか、ほとんど評価されませんでしたが、ギターリストとして一番の人気とヒットのあった人で、そのサウンドのユニークさとポップ・シーンへの影響は大きいものがありました。またイギリスでの人気は特に異常で、'60年の人気投票では1位でした(すごい!)。近年リバイバル・ヒットした「PETER GUN」などは後の<007シリーズ>や<バット・マン>のもとになったともいえますし、日本では未公開の映画「BECAUSE THEY'RE YOUNG」のテーマは、彼の"トワンギー・ギター"と流麗なストリングスとのコンビネーションは、すぐアル・カイオラが取り入れて「荒野の7人」となって登場、西部劇のインスト・テーマの基本形となりました。また「ビートルズがやってくる ヤァ!ヤァ!ヤァ!」のジョージ・マーチン楽団の「リンゴのテーマ」も、まさにD・エディーのマネジャー兼プロデューサーがレスター・シルで、テディー・ベアーズの録音の際、隣のスタジオで仕事をしていて知り合ったといわれ、この人と出会ってなければ<スペクター・サウンド>はこの世に存在しなかったといえるほど重大な出会いでした。
シルはこの時すでにスペクターがプロデューサー向きであることを見抜き、早速契約を結び、最初に買った曲のタイトルがナント「BE MY GIRL!」。
スペクターについては、まわりにいた人に才能があったので、本人にそう才能があったわけではない、という人もいますが、これは間違いです。確かにまわりにいた人々は有能でした。しかし、彼はプロデューサーとして一番重要な要素である<何をやりたいのか>ということが明確にありました。それは前にも述べましたがいろいろな意味での<直接性>というテーマを持っていたことです。これはもちろんR&Rのイディオム(佐野元春調)ですが、荒々しいサウンドの中の直接性より、スペクターがポップスに折り込んだ直接性の方がより<暴力的>ですらありました。
例えば、R&Rの時代になって<BE>という動詞で始まるビッグ・ヒットは「BE MY BABY」が第1号です(BE CAREFUL~などの慣用句を除く)。簡単なようですが、作る側にまわってみると、これが簡単に言い切れるものではないのです。まさにこれをスパッと言い切れるのが<スター>なのです。「TO KNOW HIM~」の断定と「BE」の命令。このシェイクスピア調の、時代がかったともいえる口調が、逆に新味を呼んだのではないでしょうか。この大時代的で、且つ直接的な手法は「I WANT TO HOLD YOUR HAND」(ユーモアの点ではJ&Pの方が数段上ですネ!)に共通したものを感じます。
シルと契約直後、スペクターはD・エディのセッションを見学しています。さっそく実地訓練をさせようというシルの計らいで、時は'59年の4月の後半でした。この年のエディーの最大のヒットは6月に発売された「FORTY MILES OF BAD ROAD」(9位)で、この曲はナント<ベース・ドラムだけをイントロでフィーチャーした、ポップス史上初のヒット曲>なのです。さて、ベース・ドラムのイントロといえば「BE MY BABY」ですが、この2曲の因果関係についての疑問を、10年ほど前の<ニュー・ミュージック・マガジン>で発表したことがありましたが、時期的にはこの推論が成り立つようです。が、モチロン、その因果については全く憶測の域は出ておりません。
エディーのスタジオは1トラックのテープ・レコーダーが1台しかないという粗末な設備ながら、そのエコーを駆使してのサウンド作りは、特に録音にはうるさかった若き日のスペクターには刺激的な体験だったと思われます。トワンギー・サウンドの秘密であった水道管やドラム缶をエコーに使用するという一風変わった手法は(そのためシルは何10個もドラム缶を買い、しかも一番響きのいい缶を探したといいます)スペクターが興味を持たなかったはずはありません。
そのような多彩な録音技術を駆使していた人は、D・エディー・サウンドの製作者<リー・ヘイズルウッド>でした(エンジニアはエディー・ブラケット)。ヘイズルウッドといえばナンシー・シナトラとのデュエットやアストロノーツの「太陽の彼方に」の作者として日本ではおなじみですが、エディーのプロデューサーとして最初に評価された人なのです。
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中したスペクターは、一瞬たりともヘイズルウッドの背後から離れなかった>と発言しています。
その後シルは、スペクターをプロデューサーにすべく、今度はニュー・ヨークのリーバー&ストラーのもとへ送り込みました。’60年代の代表的なコンビがレノン&マッカートニーとすれば、’50年代はリーバー&ストラーの時代で、ロック・ビジネスを目指す人々にとっての目標でした。スペクターの学校の先輩でもあった彼らのデビューに一役買っていたのが、これまたレスター・シルでした。シルがマネージャーをしていたコースターズをきっかけに、ドリフターズ、そしてエルビスへの曲提供やプロデュースを行い、初のR&Rにおける独立プロデューサーとしての地位を確立したのがこの二人なのです。
スペクターにとって、このニュー・ヨークでの修行時代の最大の収穫はベン・E・キングのヒット曲「SPANISH HARLEM」をJ・リーバーと共作できたことでしょう。これはR&Rビジネスへの切符を手に入れた、つまり、お墨付をもらったということ......って、最大の自信となったことは疑う余地はあり.....
ま.... ドリフターズの「THERE GOES MY BABY」...にストリングスをフィーチャーする手法を....ことも<スペクター・サウンド>への引金になったと、私は思います。その手法でプロデュースしたジーン・ピットニーの「EVERY BREATH I TAKE」は、全くドリフターズ調でしたが、すでに<スペクター・サウンド>は出来上がっていた、ともいえる、本家を凌ぐ作品でした。<ゴフィン&キング>との最初の作品でしたが、この日のセッションにはリーバー&ストラーをはじめ、B・バカラック、B・マン&C・ウェイル、アルドン出版社の代表のD・カーシュナーら、そうそうたる顔ぶれが集まったといいます。そしてこの作品が、ここに集まった全ての人にスペクターの印象を強く与えることとなり、一緒の仕事が始まるわけです。特にこの曲で印象深いのはドラムのフレーズですが、G・ゴフィンの証言によれば、フィルはドラマーのゲイリー・チェスターに指示をして、それが実に的確だった、ということです。
この修行時代にすでに、J・ニッチェやH・ブレインがいなくても、これだけのものを作っていたことは見落とせません。スペクター・サウンドを作ったのはやはり彼なのです。
この曲は残念ながら大ヒットにはなりませんでしたが、来たるべき<スペクターの時代>の幕開けを飾るにふさわしい素晴らしい曲でした。
また、この頃、レスター・シルとリー・ヘイズルウッドは共同活動を解消、スペクターは新たなパートナー、いわば後釜としてシルと関係を結び、それが二人の頭文字を合わせた<PHIL+LES>の誕生となりました(シルとヘイズルウッドのレーベル名は二人の息子の頭文字から<GREG+MARK>というものでした)。
26歳のフリーター
大学に友達がいないかつ寝坊で落単だらけだった。なんとか留年せずに卒業したが、4年時もフル授業かつ卒論で就活のための時間と心の余裕がなかった。就職先がないまま卒業して実家に帰り、現在は地元のスーパーで週5日バイトをしている。年収は手取り150万円。スマホ代約6,000円を払い、家に50,000円入れたら残りは70,000円ちょっと。アイコステリア(580円)を2日に一箱。電車で往復2000円、1時間半掛けて県庁所在地の歓楽街に向かい月2回の風俗(12000円、ホテルに3000円)。週に一回のラーメン。あとは仕事帰りにちょこちょこお菓子や飲み物、一番くじを買い、Appleミュージック(980円)と漫画サブスク(1500円)を払う。加えてTシャツや靴下を買い、床屋に行けば手元には殆ど残らない。
現在住んでいる地元は人口一万未満、バス廃止済、電車は上下2時間に一本なので免許を取らなければ親に乗せて貰わない限り何処にも行けない。出勤や外出は自転車。実家は畳2kの家に両親と住んでおり、子供部屋などないため親の外出などとタイミングが合わなければ自慰もできない。
精神的に惨めで地元の友達にすら会えない。金を貯めて免許を取り、独立し、まともな就職先を見つけたいという気持ちはあるが、日々の消費を我慢できず、結果として畳2k、エアコン無し、落下式便所、築80年のアヘン窟に閉じ込められている。最近では腰痛と膝痛が出てきてこの仕事すら続けられなくなりそうだが、治療代と嗜好や快楽の代金を天秤にかけて後者を選んでしまう。
心の余裕がなく視野狭窄に陥っているため、仕事にも金にも恋人にも恵まれ、視野の広い増田のみんなが俺の状態ならどのような行動や手段で今の生活から抜け出すか教えて欲しい。