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はてなキーワード: 長門とは

2018-06-08

ハルヒ長門が今の日本と同期したら

シナがーチョンガーと言い出すのかね

2018-05-20

坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」とはちょっと違う

中学同級生涼宮ハルヒが大好きで、しょっちゅう大声で『長門!俺だ!結婚してくれ!!』って叫ぶ奴で、

 そいつのせいでクラスの中で『涼宮ハルヒ好き=やばいオタク』となり、自分も観てるとは言えなかった。」

というツイートを見た。

自分も似たような経験がある。

大学研究室配属後に具体的な研究テーマを決めるミーティング時、

自分はある技術Xについてやってみたいと言ったら、教授や先輩たちに微妙空気が流れた。

候補としてはいいね」みたいな感じで流されて、正式決定は後日となった。

ミーティング後ある先輩曰く、

技術Xは、研究室に来なくなったが未だにこの研究室に在籍している幽霊留年生が扱ってた(形式上、今でも扱っている)もの

 うちの研究室じゃ、印象悪い」

とのことだった。

坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」とはちょっと違う。

何ていうんだろこういうの。

そして理不尽だ。

その留年性のせいで研究室では腫れもの扱い。

技術Xは何も悪くないのに。

2018-04-16

anond:20180416171204

↓これだよな




「ふーん、で、君は涼宮ハルヒキャラで誰が好きなの?」

「オウフwwwいわゆるストレート質問キタコレですねwww

おっとっとwww拙者『キタコレ』などとついネット用語がwww

まあ拙者の場合ハルヒ好きとは言っても、いわゆるラノベとしてのハルヒでなく

メタSF作品として見ているちょっと変わり者ですのでwwwダン・シモンズの影響がですねwwww

ドプフォwwwついマニアック知識が出てしまいましたwwwいや失敬失敬www

まあ萌えメタファーとしての長門純粋によく書けてるなと賞賛できますがwww

私みたいに一歩引いた見方をするとですねwwwポストエヴァメタファーと

商業主義キッチュさを引き継いだキャラとしてのですねwww

朝比奈みくる文学性はですねwwww

フォカヌポウwww拙者これではまるでオタクみたいwww

拙者はオタクではござらんのでwwwコポォ

2018-02-16

アズレンって10から先どうなんの?

太平洋戦争史実視点で行けば、1943年の中盤くらいまでがアメリカにとっての峠みたいなもんで、そっから先は物量攻勢によってどんどんワンサイドゲーム化。

そしてアズレンの10章は1943年7月コロンバンガラ島沖海戦モチーフ

から史実だとこの先どんどんアメリカ側は苦しい戦いじゃなくなるわけで、それ踏まえて海域難易度はどうなることやら。

そうは言っても、1944年マリアナレイテは超絶キツくなるだろう。

でもその先考えると…やっぱり坊ノ岬沖海戦大和で締める感じ?

それとも台湾での金剛長門追撃とか、果ては呉での榛名伊勢日向・青葉・大淀フルボッコまでやる?

2018-02-06

艦これ演習の相手についての雑感

2018-02-02

このすばにすらフェミ方面から言いがかりがくると考えると

ちょっと恐ろしいことになるのではないか

例えばスニーカー文庫の先輩ハルヒでさえ、長門男根存在であるキョンの言うことを何でも聞く抑圧的存在にされてしまいそうだ。

ストライクウィッチーズなんかも、女性最前線に出させる作品として問題とされそう。

あなおそろしや

2017-11-28

『嫁』という言葉は『女性を家に縛り付ける時代のものだ』という話があって

anond:20171128231843

オタク界隈だと嫁の方が一般的かな、という既婚者男性です。嫁って書いちゃいますね。

これについては嫁さんと結婚初期に相談してて

私「お互いなんて外でなんて言ったらいいんですかね?」

嫁「というと?」

私「いや、◯◯さんの事。私の妻?かな、嫁? 連れ合いとか... パートナーとか。奥さんとか、あと刑事コロンボっぽく、カミさんが、っていうのもいいかも」

嫁「うーん... 妻ですかね? 硬い感じしますかね?」

私「するかな、するね。あと淫靡な感じがする... 団地妻連想する...かな。 女性は知らないかw。私も見たことはないんだけど。私は... 嫁かな。ネットでさ『長門俺の嫁』みたいに言ってるの良いというか、カジュアル愛情表現が増えてて、そういうの良いなと思う。好きの表現は多い方がいい」

嫁「ただ嫁って漢字は『家にいる女』って書くんですよ。昔の表現な気もしますね」

私「うん、そういう批判があるのは知ってる。でも私は別に家に縛り付けてないでしょう?先週も君の友達と出かけてたし」

嫁「ですよねw」

私「そういう言葉狩りして、幸せが増えるなら良い。狩っても。でも、この場合、増えるのかな。それさ『家が不幸だから問題になるんだよね」「それ解決しないと言葉を狩っても幸せにはならない」

嫁「確かにそうですね」

私「なら、僕はこの家を幸せにしたいと思ってる」(後ろから優しく抱きしめる)

事前に脳内シミュレーションを繰り返し、穏やかな陽気の休日に実行した。それ以来、嫁で通してる。

2017-10-29

いまさらハルヒ見てるんだけど、百合なの?

これって、長門ちゃんもみくるちゃんもハルヒのことが好きなの?

百合なの?

好きでもないのになんでハルヒに尽くしてるの?

今見てるはしか記憶が飛んで行くメメントモリ状態なので、定かじゃないけど、性感帯の触り合いと女性器の舐め合いはしてたよね? してたか? いや、してたよ。多分してた、オセロって性行為隠喩だし。

大好きラブユー愛してるなの?

いまこれ、平野綾すももももももキャラソンネタのつもりだけど、

平野綾じゃなくて鹿野優以キャラソンだっけ?

もうわかんないかスイーツ魔法歌うか

はーあ、なんでエマージェンシー売れないんだろうな

エマージェンシーより、スターダストボーイズの方が売れたら、まじで小野坂さんキレるよな

あっ話戻すけど、ハルヒエンジェルビーツって似てるね、どっちが先? どっちか先かなんて知りたくないので、だーまえを讃えようぜ。

だーまえを讃えるには何を歌えばいいんだろう、LittleBraverでいい? うん、LittleBraverだな。LittleBraverは名曲だもんな。

エンジェルビーツ3stで関根が歌うところマジ感動したよな。

よおし、今からエンジェルビーツの好きなキャラランキングを発表します。

一位関根

二位入江

……うん?

関根って阿澄佳奈入江阿澄佳奈

あれそもそも阿澄佳奈と誰だっけ?

阿澄佳奈相方……

もこたん……

ヤマノススメ……

ははーん、青木佑磨だな。

いやまてよ、アトミックモンキーには青木とつく声優が山ほどいるから、勘違いしているかもしれない。

よおし、まずは、歌わせればいいだっけ?

えーっと、それぞれ

かぜのさかなのうた」

スカイクラッドの観測者」

アナルアナアナ

が得意なんだよな。

は? ポアロ代表曲アナルアナアナに決まってんだろ!!!!!

福部さんの小野坂さんのモノマネが聞ける貴重な楽曲やぞ!

はあああああああああああああ。

で、どんな曲やっけ?

えーっと、いろんなキャラのいろんなお話しが出る歌……

くーらいやつだとーか。

あれの「あかほり作品より軽く」って師匠に向ける言葉じゃないよな。


最初に戻すけど、最初ってどこだよ、ハルヒ百合って話か

百合っていいよねえ

百合を見てるときだけ心が落ち着く

もっと百合百合してるの見ていたい

なんか、ヨコハマ買い出し紀行みたいなタイトルアニメいまやってるじゃん。

いや、やってないけど、汲み取れよ!

俺の! 気持ちを! 汲み取れ!

いか、あれだ、女の子が旅するやつ!!!

あれ!!!!!

もちづきともみがキスしてるシーンをエロエロえろえろえろで書いてたアニメ

うん?

違う違う、それがヨコハマ買い出し紀行

あれ? 川上とも子が歌って、広橋涼左手を罰するといったのに、落ちが左手オナニーすると新鮮でいいって話はARIA

いや、それは生徒会役員共か。

あーーーーー。

頭が緩くなくってきたあ。

頭が緩くなるとアイマスのことを考える癖があるので、流れ、

いや、この話終始流れとかないけど、

無視して、アイマスの話します。

佐藤心ってアイドルいるでしょ?

あの人可愛すぎない?

このあいだの、ほらおっぱい小さいアイドルけが出てくる漫画あるでしょ。

あれに出てきたじゃないですか。

かわいいよねー。

あっオチはないので各位よろよろー。

2017-10-23

マイティとか言われるけど

多分海戦ゲーではお馴染みなんだろうし、最近だとアズールレーンや戦艦少女重要度が高い艦として登場する、イギリス巡洋戦艦フッド

なんか、世界的な立ち位置では長門並に持ち上げられてるらしいけどなんで?

俺の知識ではビスマルクに瞬殺された史実だけで有名になったようにしか見えないんだけど。

日本戦艦勢よりは仕事してたっぽいのは認めるが、ビスマルク級ドイッチュラント級に比べるとどうなんだろう。

それにWW2における戦艦の殊勲艦はウォースパイト、空母だったらエンタープライズって結論出てたろと思うし。

2017-10-16

anond:20171016202632

クソクエスト初代筆頭じゃないか。荒潮改二、長門改二とサラトガ改二のクエストがそれを上回ったけど。

2017-09-25

涼宮ハルヒ」が永遠の憧れであること

涼宮ハルヒの憂鬱」と言えば、2000年代代表するライトノベルの筆頭だ。当時読者であった私はインターネット環境を持っていなかったので、そのオタク熱狂ぶりを確かに知っているわけではないが、今もtwitterなどでハルヒの話をしていると、他のオタクが「懐かしいなあ」と言って話に乗ってくれたりする。彼ら、彼女らの大半は長門が好きだ。私も自分が男だったら長門みたいな女の子がきっとタイプだったと思う。

私は普段SFを読まないし、こんがらがった話は苦手なので、正直ハルヒシリーズ世界観伏線を真面目に考察することはできない。それでも「涼宮ハルヒシリーズ」が今でも一番好きなライトノベルだ。それはひとえに涼宮ハルヒのことが好きで、彼女が羨ましいと本気で妬んでいたかである萌えキャラクター観点から言えば、みくるちゃんや長門に軍配が上がると思っているけれど、涼宮ハルヒは私の中で、嫁にしたい女の子ではなくまさに「私がなりたい理想女の子」だった。

ハルヒシリーズ出会ったときの私は学校に馴染めていないオタクだった。教室すみっこで一人でライトノベルを読んでいる自分を、気持ち悪いことに、突飛さでクラスから浮いていた涼宮ハルヒと重ねていたのだと思う。ハルヒ以降もそこそこの数のライトノベルを読んだけれど、ヒロイン自己投影するというのは後にも先にもこれっきりだ。

ハルヒは私と違って顔がかわいいし、胸があるし、声も平野綾だが、私とハルヒの決定的に違うところはやはり「神様かそうじゃないかである涼宮ハルヒは、「涼宮ハルヒシリーズ」において間違いなく世界の中心だ。あのライトノベル中の人物たちは皆、ハルヒに振り回され、ハルヒのために行動している。ハルヒシリーズキョン一人称視点で書かれているので、当然一番わかりやすいのはキョンの心情だが、彼は何だかんだと文句を言いながらハルヒ暴挙に振り回されることを是としている。私はハルヒが心底羨ましかった。自分が好き勝手に振り回したってめったなことじゃ怒らないキョン自分気持ち無意識に暴れ出したら何より優先して閉鎖空間へ向かう古泉自分一挙一動にいちいち慌てるかわいいみくるちゃん。

今の私はハルヒシリーズを読んでいたときより、年齢的にも年をとったし、精神的にも少しだけ大人に近づいたとは思う。人に合わせなきゃいけない場面が生活の上で本当にたくさんあることも分かる。話せる人がクラスに誰一人としていなかった時代に比べれば、少ないながらも友人がいて恵まれている。当時はとにかく手の付けようがないメンヘラだったが、今は折り合いをつけられていると思うしゴリラメンタルとも言われる。

それでも時々「涼宮ハルヒ」が、ハルヒに憧れていた私が、今も確かに私を見つめていると感じる。

2017-09-16

https://anond.hatelabo.jp/20170915163929

元増田だけど、一応酒匂秘書艦での建造報告があることはあるんだが、余りに報告数が少なすぎて信頼度が非常に低い。

まあ仮に酒匂で建造可能だったとしても、酒匂の入手難易度考えたら結構鬼畜だわな。

他に、エビデンス皆無なので全く信用に値しないが、クロスロード繋がりでPrinz Eugenや長門でも可能という説もあり、酒匂と合わせてもし本当なら、まあいいかという話にはなるのかな。

そうは言っても、クロスロード組で最も入手しやすいのが長門であることを踏まえると、彼女らで建造可能だったとしても、依然難易度は高めという。


ここの運営って、最初提督からチヤホヤというか、かなり好意的に見られていたし、彼らの態度もそれなりに紳士的()に見えていた。

でも結局のところ、彼らもまた凡百のネトゲ運営よろしく最初から偽善的な未来のクソ運営」でしかなくて、現在はただのクソ運営になったわけで、

おいデブ、お前本当は史実準拠ガチ海洋戦略シミュレーションやりたいから、企画通すためだけに萌え要素の皮を被せたんだろ、それが偶々当たったからって調子乗ってんじゃねーぞ

という感じだわ。


てか日本ゲーム運営って、任天堂みたいな超上澄みを除いてどれもこれも似たような集金マシーンと化している現在最近中韓と比べたら中韓以下だと思わされる。

艦これだって中国戦艦少女アズールレーンと比べてゲームとして、果たしてどこまで優れているのかどうか(やったことないからわからないけど)。

2017-09-06

イベ終わったので総括してみた

http://anond.hatelabo.jp/20170506031453

↑の元増田です。


予定通り、オール丙で進めた夏イベが終わった。

今回、他の全てを差し置いて最優先だったRoma・朝霜は無事入手。

残りの期間は他のドロップの掘りに充てるとして…その前に2015夏以来のイベの感想を書いてみる。

少なくとも丙は難易度詐欺

今回、難易度の星の数が、E-6は2015夏E-7と同等の15、E-7に至っては16となり、歴代最高難度になったのはご存知の通り。

そしてそれまで最難とされた2015夏E-7は、丙ですら信じがたい難しさで、かくいう自分攻略中、一時的に燃料と弾薬自然回復上限を下回るという、丙らしからぬギリギリ状態に追い込まれた。

したがって今でも「零時迷子」と揶揄されるほど悪名高いのも頷けるし、もし今後のイベントが丙でもこれだけ難しいと、正直言って攻略不可能だと、当時は思わされたものだ。

というか、いつの間にかそこまで全提督にやり込みを強いるゲームに変貌したのか…と大いにショックを受け、ほどなくゲームから離脱することになった。「ぶっちゃけ、付き合い切れない」ということである


そして今回の難易度設定である

正直、一昨年の夏イベに照らし合わせるなら、丙であってもE-6だけで資材3万、E-7だったら5万くらい吹き飛ぶだろうと予測した。つまり全くクリアできる気がしていなかったし、「ふざけんじゃねーぞ」と大いに憤慨させられた。

しかし…確かにストレートで瞬殺にはならなかったというか、沼りかけた局面はあったものの、一昨年のそれと比べたら「楽勝」に含まれる程度の労力でクリアできてしまった。

といっても、離脱当時と比べて別にウチの艦娘たちが何か変わったわけではない。長門・鈴熊・鬼怒・駆逐数隻が改二になり、鹿島瑞穂がやってきて、五航戦装甲空母に化けた程度の変化は「強くなった」に含まれないだろう。

大きな違いは基地航空隊の有無と、32・33号電探を各3個から各7個にほぼ倍増させた程度だが、そんなの艦隊連合艦隊になった時点で帳消しなわけで。

というわけで、見出しにある疑問が湧いてきたわけだ。もし違うというなら、15夏イベE-7の難易度設定だけが壮絶に狂っていたというか、超絶クソだったということか。

ともかく終わってみれば、乙で挑戦する選択はあったかもしれない。

あ、レベリングと装備改修が死ぬほど嫌いな時点で甲を選ぶことは今後も絶対ないけどな!

輸送ゲージは安直な追加仕様

幸いというか、今回初体験輸送護衛部隊での出撃は、E-6のギミック解除のための1回だけで済んだ。

ちなみに輸送護衛部隊は、本隊こそ資材消費は軽いものの、道中・ボスマス共に支援必須になるため、トータルでの消費は水上打撃部隊空母機動部隊よりも多分重い。

そこにきて輸送ゲージだけど、これもう明らかにドラム缶有効活用から安直に決めたとしか思えないんだわ。

そんなことのためだけに、攻略無駄にしょっぱくするんじゃねーよというのが感想

基地航空隊安直な追加仕様

からさ、育成が安定するとボーキが余り始めるからって、別にイベで吸い上げなくてもいいだろって話。

おかげで敵さんまで連合艦隊になったじゃねーか。基地航空隊初体験だったけど、結構うんざりさせられた。

しかしたら敵艦で連合艦隊組ませたいという思惑と一致したのかもしれないが、それが結局のところ、今回のE-7甲をあれだけ難しくした元凶になってんだろーが。

ジャンプ黄金パターンじゃあるまいし、敵の強化と仕様追加のいたちごっこを際限なくやったら、ユーザが離れるだけじゃねーの?

まあ、何か新要素の一つもなければ飽きられるというのもあるんだろうけど、当初のシンプル仕様に惹かれてゲーム始めた人間からしたら迷惑


あとwiki基地航空隊のページだけど、初心者向けの説明として、ただ使ってみるだけなら

  1. 基地航空隊クリックします。
  2. スロット陸攻をセットします。
  3. 木札をクリックして出撃にします。
  4. 艦隊を出撃させたら、派遣したいマスを2回クリックします。
  5. 緑のボタンクリックして準備完了

程度の説明で事足りるんだから書けよって思う。

それすらないとか、誰も使えねーよ。

しつこいけど信濃マダー?

信濃実装されたら、育ちきったところで今度こそ本当に提督引退するつもりなので、さっさと実装してくれ。

あとエンタープライズな。

2017-09-05

嘘松とは言うけど

あの作品おかし信者トラブルや嘘はおそ松さんが始まる前から問題になってたので

松というと「綾波長門パクリ」感がある

あのチケット真実がどうかは知らぬ

2017-09-03

日本アゲアゲが恥ずかしいケース(海軍編)

数年前に流行り、今も続いている艦これのお陰で、日本海軍軍艦が一部で話題になった。

確かに日本海軍世界3大海軍に成長したわけだし、艦にも技術面・戦略面で色々野心的な試みが散見される。


しかし、である

「それで、実際その艦達はどれだけ役に立ったの?」と訊かれると、世界屈指レベルで凄いのはいない」と言わざるをえないのだ。

嘘だと思うなら、艦これ中華パクリゲーとして出発し、今やタバコに対する電子タバコくらいのポジション確立した、戦艦少女wikiでも読んでみるといい。

で、そんなヒマすらない人のために書くと、以下のようになる。


まず大型艦というくくりでのみならず、普通の人にとって軍艦の筆頭として思い浮かぶ戦艦だけど、ビスマルク級ドイッチュラント級フッドクイーンエリザベス級といった欧州勢存在感が輝きまくっている。

次点アイオワ級ノースカロライナ級といったアメリカ艦が来る感じ。

金剛型飛行場を艦砲射撃したけどあっさり復旧された、霧島ワシントンと夜戦で戦って結局沈められた、以外になんかあったっけ?

大和型…と書いて「無駄に温存された挙句ワンサイドゲームで沈められたデカい艦」と読むんだっけ?

長門日本の象徴という名の引きこもりだって同じ象徴艦でも七つの海を行幸し、海戦で華々しく(?)散ったマイティフッドと比べたら格が違いすぎでしょ。


戦艦と並ぶもう一方の大型艦で、事実上現代海戦王者として君臨する空母は、これはもう完全にアメリカ一人勝ち

だってニミッツ級エセックス級比肩する空母なんてある?

赤城加賀蒼龍飛龍は、結局ミッドウェーで「大正義ヨークタウン級に沈められたことが一番大きな記録になってしまっている。

翔鶴型は「数の暴力には勝てなかったよ…」を戦歴証明しただけ。結局太平洋戦争MVP瑞鶴じゃなくてビッグEだったわけだし。


最後中小艦艇だけど、これまたアメリカフレッチャー級タイコンデロガ級だけでお腹いっぱいという現実

特型陽炎型?雪風みたいなごく僅かな艦を除いて次々戦没したよね。

その他、世界最強と言われ、夜戦がお家芸だった日本軽巡駆逐も、レーダーを用いた遠隔攻撃潜水艦の群狼戦術艦載機空襲の前に全て敗退。

悲しい話です。


というわけで、軍艦日本アゲアゲ結構難しい。

少なくとも戦歴で自慢すると墓穴掘ることになると思う。

未だに「日本スゲー」系番組で取り上げられていないのが救いではある。

2017-08-13

私と艦隊これくしょん

始めたのは13年の冬。

サービス開始から半年弱だろうか。

妻が身ごもり、仕事が少し落ち着き、格安win8タブレットが普及し始めた頃だった。

アーリーアダプターを中心に秋イベの地獄絵図は大いに盛り上がり、そのビックウェーブクラスタが近い人々を遍く飲み込み、また揺るがした。

ソシャゲやブラゲと言った類は未経験。冬イベが簡単と見聞きしても、出来ることはイオナを使って2-4(序盤~中盤の山場)を突破するのが精々だったか

2-4を突破すると、いよいよ脳筋ではクリアが難しくなる。

戦艦空母を育てるだけではそもそもルートが開けない。

調べれば調べるだけ出てくる熱量を持った情報にほだされ、私はどっぷりと嵌っていった。

レベリングに勤しむ毎日駆逐軽巡を潜水狩りで育てていく。

遠征のためのキラ付も覚えた。

所謂主力級キャラクターの平均lvが50を超えたころ、初めてのイベントがやってきた。

記憶曖昧なまま書いているが、イベント前後して、エクストラオペレーションEO)が開放され、利根筑摩神通が改二になった頃だ。

公式Twitterイベントが告知され、私は初めての備蓄に挑んだ。

キラ付け、遠征キラ付け、遠征ネットに出回る戸愚呂提督言葉を胸に、準備に勤しんだ。

ここであ号を達成する術を覚えた。

潜水艦絶対数が足りなかったので、ろ号を達成したのはもう少しあとだったろうか。

そうこうして挑んだ初めてのイベント

最高戦力はlv70~強、主力がlv60~といった所だった気がする。

ボス離島棲鬼、苦戦はしたものの無事クリアにたどり着けた。

あの時の充足感は物凄かった。

もともとゲームは好きで、格闘ゲームからRPGアクションネトゲまでそこそこに楽しんでいた。

しかし、対人要素がなく、明確にクリアできたか出来ていないかでここまでやりごたえを感じることが出来たのはそう無かった様に思う。

実際、この頃にはゲーム艦これしかやっていなかったように思う。

以降、次のイベントを見据えた行動が増え、EOクリアによる勲章集め、レベリング、資材備蓄を並行して行っていった。

しかし、この時点で唯一触れていないゲームシステムがあった。

大型艦建造である

大型艦建造は多分なコストと引き換えに一定確率大和大鳳と言ったレアかつ強力な艦娘が手に入るチャンスを得られるのだ。

だがその頃の私は、大和を手に入れるコストで他の艦娘を育成したほうが良いと判断し、大型艦建造には触れないでいたのである

しかし、間もなく夏を迎えようとした6月頃だろうか、運営Twitter大和型二番艦武蔵を大型艦建造に追加する旨のアナウンスを行った。

私は常々武蔵が欲しいと思っていて、どんな形であれ、開放されれば何としてでも手に入れようと思っていた。

待ち望んでいた私は、メンテナンス終了後に即大型艦建造童貞を捨てた。

開発資材と資材をつぎ込み、所謂ガチャに類するものを回すこと6回。女神は舞い降りた。

悠然たる姿、少し低く落ち着いた声、そして圧倒的な装甲と火力。正しく私が望んでいた武蔵のものであった。キャラクター属性てんこ盛りだった。

幸い大型艦建造が6回で終わったため、資材への影響は大きくなかった。

後は夏イベに向けて備蓄武蔵の育成を並行するだけだ。

そして迎えた14年夏イベント。AL/MI作戦連合艦隊システム悪名高き御札システムが導入されたイベントである

私の提督レベル103になっていた。

結論から言うと、クリアできた。

クリアできたが、クリアするまでゲーム真剣に向き合いすぎて睡眠不足に陥り、私はめでたく父親になった。長期休暇は一瞬で過ぎ去っていった。休みなのに仕事より消耗した。

そしてその頃気づくのである

自分クリアできているところで苦しんでいる人が想像以上に多いことに。

私も相当ドツボにハマっているため偉そうなことは何一つ言えないのだが、ゲームを開始して半年、少なくともゲームローンチしてから半年ビハインドは感じなくなっていた。

それから海域任務イベントクリアすることが当たり前になっていった。

勲章システム難易度任意選択システム)が導入されれば、全てを甲でクリアすることが当然と考え(別に誰かを煽るわけではなく、SNS投稿するわけでなく)、時折ランカーを目指したりもした。

改修工厰が導入され、新たな任務が導入され、様々なシステムが追加されていった。それらを調べ、理解したつもりだった。

イベントが迫る度に備蓄を急ぎ、そしてクリアする。

自己顕示欲を満たすため、演習艦としてドロップ艦を揃えるくらいはした。

そんな私に転機が訪れた。

2016年イベントである

このイベントの最大の目玉はクリア報酬としてアメリカ戦アイオワが手に入る事だった。

何としても手に入れたい、当然難易度は甲だ。そう思って私はイベントに臨んだ。

ステージは全7面、順調に進んでいたが、最終面になってその時は訪れた。新システムであった基地航空隊が全く機能しないのである

(これはゲームを知っている人向けの補足になるが、バグ不具合に起因するものではなく、所謂ダメージ乱数で全く良い結果を引けなかった)

そこから地獄だった。

記念すべき3周年の大規模総力戦イベントを前に、資源はみるみる減っていった。あと一発が出れば、あと一発が出れば、と言う気持ちが強まっていき、そして考えてはいけない事が頭をよぎる。

"これはアタリを引くパチンコと一緒だ" "3回に1回の確率成功するガチャを5回通すだけだ" "基地航空隊連合艦隊システムガチャを引く回数が増えた、冗長になった"そんな思いが頭を占めていった。

なんて事は無い、結局私は確率に溺れていて、自分の実力はあくまでも運が良かっただけなのだと否応なしに目の前に押し付けられつつあった。

20万以上あった資源が底を尽きかけていた。一度冷静になろうと思い、1週間備蓄に励み、燃料は10万近く回復させることが出来た。

時間ではなく気力がなくなりつつあったが、それでも最後10万、吐き出してやろうと思った。

いよいよボスを追い詰め、大淀が連撃で仕留める(そんな記憶がある)、その筈だった。

大淀は連撃を出さなかったのだ。夜戦で一発、パスっと攻撃ミスってくれた。

その瞬間、私の中で、2年間柱にしていた何かが折れた。クリアして当たり前という前提は崩れ去った。

仕事もぼちぼちうまくやり、育児も並の父親くらいには出来ていて、ゲームも充実できている自分ワークライフバランスの組み立て方が上手、そんなちっぽけな優越感が全てぶっ飛んだ。

燃料残り2万。難易度を最低の丙に変更し、ボス撃破アイオワを手に入れた。

初めて甲勲章を取り逃した。気持ち灰色を通し越して真っ黒に近かった。

そこからイベントが甲で挑みさえすれ、堀り(新キャラ探しガチャの様なもの)もせず、淡々としたものになった。

ただ、良いかいか勲章は16春イベ以外は全て取ることができてはいた。

一方でモチベーションは上がらず、またじわりと仕事が忙しくなりつつあった。

メンテの度に任務が追加され、こなし、イベントに挑む。

この頃には義務感で艦これに臨んでいた。

アホかもしれないが、育てたキャラクターと別れるのが辛いのだ。

そのうち、私はゴールを探し始めた。このゲームにはサービス終了まで恐らくゴールはないだろう、それなら自分でゴールを描き、それを達成したら満足して引退しよう。

私は描いたゴールは以下である

提督レベル120

北上加賀武蔵陸奥レベルカンスト

だ。

幸いにして提督レベルは間もなく120になった。

そして17年の春先、北上レベルカンストした。

あと3人のレベリングが終われば引退できる。

もはや義務になった艦これ仕事よりも遥かに大きな心理的負担になっていた。

16年には家族がもうひとり増えている。

仕事育児もパツパツになり、艦これに割く時間仕事が終わり、風呂に入り、リラックスして寝付く前の僅かな時間が中心となりつつあった。

リラックスできる時間もっとストレスになりつつあった。

ここでひとつ補足となるが、金銭的な意味艦これは本当にお財布に優しいゲームだ。

この時点で3年程度プレイして、プレイ時間はゆうに1000時間を超えるだろうが、課金額は恐らく5万弱、どう多く見積もっても7万もいっていないはずだ。

言い換えればこのゲーム時間を食いさえすれば課金のウェイトは低いゲームデザインになっている。

友人たちがパズドラグラブル1月でウン万溶かしたと聞いた時はゾッとしてしまったことが少なからずある。

そして176月頃だろうか。由良改二が実装された頃、私は艦これログインしなくなった。

長門も鬼怒も、近代化改修が終わっていない。

未消化の任務は5ページを超えていた。

私の艦これは終わった。

艦これChromeで、ウェブブラウズFirefoxで。私はChromeを起動することが無くなった。

タスクバーに並ぶChromeアイコンを見るだけで、プライムビデオおすすめ艦これアニメが並ぶだけで後ろめたい気持ちになった。

公式twitterフォロー解除しきれずにいた。

自分性格の面倒臭さが嫌になった。

なんでゲームを辞めただけでなにか後ろ暗い気持ちにならなくちゃいけないのか。

北上加賀は生きていない。

そんなことを思いながら、艦これを忘れようと努めていた。努めているうちは駄目なのかもしれない、とも思っていた。

178月

奇しくも、自分引退する切掛となった16年春以来の大規模イベントが始まった。

twitterホットワードには昔ほどではないが、艦これ関連のワードが並んだ。

今持っている甲勲章は9。

16年春の勲章を取り返したい。

そして勲章10個並べてから引退しよう、もし今回全力でイベントに挑んで、それでも駄目ならそれもまた引退理由になる。

備蓄資材を吐き出してしまおう。

そう、一昨日の夜思った。

一ヶ月半ぶりのログインゲームなのに緊張している自分馬鹿みたいだった。

lvカンスト寸前の武蔵加賀が演習メンバーとして待機していた。

運営twitter確認したところ、lvキャップが開放され、北上カンスト状態から開場されてしまったようだ)

運営がこのゲームをどうしたいのか。

キャラクターゲームとしてはこれ以上無い成功を収めている。事実、この夏のコミケでもやや減少傾向にあるが、膨大な数の艦これ同人誌販売されている。

恐らくはジャンルとしてトップクラスを維持しているだろう。

その本家本元のゲームがどうなっていくのか、それを見極めてやる。

自分所属するクラスタで、艦これを今もプレイしているのは私だけになった。

今一度、やれるだけやってみよう。

一番興奮した、AL/MI作戦BGMを流しながら。

本当に辞める人は、こんなとこにこんな長文を書きはしないだろう。

もう一度、自分が育てに育てたキャラクターイライラするゲームに挑んでみよう。

最後

やめるならかってにやめろ、こういうことを書くな、と言う人には申し訳ない。

まだやめてないので許して欲しい。

そしてもうひとつ、私の周辺だけでなく、全体としてアクティブユーザーは減りつつあるように思う。

勢いは緩やかに削がれつつある気がする。これはデータではなく、長年のプレーヤー感覚としてだ。

攻略を求める声や掲示板での盛り上がりから感覚として認識しているものだ。

このゲームは答えの記載がない、そして御札システムがあるかぎり、あまり多くのファジーを許さない。

プレイヤーの純減はそのまま難易度の直結につながりかねない。

このあたりも、今回本当に引退するかどうかと合わせて、見極めていきたいと思う。

2017-07-17

艦コレの影響

旅行をした。大和長門雪風時雨赤城などの戦艦模型を見ると艦娘に見えて仕方なかった。萌え効果おそるべし。

流石に回天はいないんだっけ

キャラクタールーツ

キャラクタールーツを探る研究をしてみたい。

ハルヒ長門エヴァ綾波で、綾波の元は筋少の何処へでも行ける切手で、何処へでも行ける切手の元は少女椿みどりちゃん(と言われている)

個人的にはストリートファイター豪鬼系(登場時期的には刃牙範馬勇次郎キャラ可能性)ルーツをたどりたい。

豪鬼キャラで浮かぶのは

刃牙範馬勇次郎(初期以降)

Fateヘラクロス

焔の眼のクロ

他になにか豪鬼キャラとかルーツとかありそうかな

2017-07-03

https://anond.hatelabo.jp/20170703102921

運営頭湧いてるレベルの改二クエストって長門のぐらいで、後はそこまでエンドコンテンツみたいなのは少ない。

三川ルートが半固定な上、重巡まみれ編成になるから、大した難易度じゃないだろ。

ただ、比叡霧島暁型3長良でやる5−1水上突入は改二とか関係ないクエストだがキチガイだと思う。そもそも羅針盤が7割逸れる上に駆逐3だからなアレ。ほぼ渦潮踏まされるし。

再開2か月後の愚痴

https://anond.hatelabo.jp/20170528012818

さて、GWで再開した艦これで、またしても文句を言いたくなったので書き捨てておく。

エアプでとやかく言うのはフェアじゃないけど、それなりに身銭切ってやり込んだ文句は好きに書かせてもらう。


あっという間の2か月だったが、その間に五航戦長門鈴谷と改二にしたところでとうとう勲章が残り2個になってしまった。

そこに来て、昨日鬼怒が演習あと1回で改二改造レベルという所まで到達してしまい、急激にやる気を失いつつある。


艦これ問題点元増田に書いたとおりだが、更に言うなら


どの艦種も万遍なく育てないと、攻略難易度が跳ね上がる


というのを付け加えたい。

MAPルート固定に伴う艦種縛りに、出撃可能艦種制限任務における艦縛りとある現状、好きな艦種だけ育てていると攻略が極めて困難ないし不可能になる。

この場合、育成とは各艦種で強い子をピックアップし、最低でも改二レベルまで育て、関連任務クリアすることを意味する。

そこに来て昨今の改二改造に要求される高レベル、ありゃ一体なんなんだ。

駆逐艦でも大抵Lv70以上、中大艦種だと更に上のレベル要求されるとか、大して興味のない艦種でそこまでのレベリングを強いられるのは苦痛しかない。

改造後の任務も大概エグい。

たとえば空母任務悪名高い二航戦リランカ任務五航戦カタパルト任務自分は航空主兵提督空母スキーだったからやり通せたけど、特に二航戦リランカなんて、好きじゃなかったら絶対投げ出していたと思う。

実際、例の新編三川艦隊5-1任務(元々は鳥海改二のための任務)はクリアできていないし(そして無情にも基地航空隊開放のための一連の任務に組み入れられてしまった)。

更に駆逐艦の改二ラッシュとか、とても手が回らない。いい加減にしろと言いたい。

悪いけど、こちとら

「元々この艦種全然興味なかったけど、○○を改二まで上げる過程で、彼女セリフwikiでその艦の歴史を知り、今では好きになりました。より楽しく遊べるようになりました」

とか本気で思うほど殊勝な人間じゃないし、そういう提督はいっぱいいると思う。

まあアクティブユーザ繋ぎ止めるためとか牧場防止とか色々事情はあるんだろうけど、その結果、今の艦これ


×「育成キャラゲー

○「育成キャラゲーの皮を被った戦略シミュレーション崩れ


という感じである


あと、信濃実装は一体いつ来るんでしょうか?

この運営ツイートから3年半以上経っているのは公然の秘密ですか?

提督になるのをやめた回答者かいらっしゃるんですが(多分こういう人は1人2人じゃないと思う)、もったいない話です。

それとも自分のように信濃育てたらあとは消化試合みたく考えている提督への牽制でしょうか?

2017-06-05

続・山川出版日本史の何がすごいのか、さっぱり分からない

http://anond.hatelabo.jp/20170604204919

これの続き。(文字数制限にひっかかったので分割します)

  

三省堂日本史B 改訂版』(日B 015)

1183(寿永2)年、義仲軍は京都に入り、食糧不足もあって狼藉を続けた。京都にとどまった後白河法皇後鳥羽天皇即位させ、寿永二年の宣旨頼朝東国での支配権を認めるとともに、義仲軍の乱暴ぶりを口実にして頼朝上京要請するなど、政治力の強化につとめた。しかし、頼朝東国支配を固めるために鎌倉を動かず、かわりに弟の範頼・義経上京し、1184(元暦元)年、二人は義仲を打ち破った。

義仲が京都乱暴狼藉を働いたという記述があるのは、意外にもこの教科書だけでした。

兵糧不足のまま進撃して首都占領しても、どうせ軍規が乱れて略奪しまくるぞというのは、日中戦争における南京事件南京大虐殺)のことを言いたいのかなと思いましたが、それは深読みのしすぎかもしれませんね。どうなんでしょう?

  

また、これは下記の引用部分になりますが、頼朝が初めて上京したタイミングがいつだったかを明記しているのは、この教科書だけだと思います

(この点はとりわけ山川の『詳説日本史』が最悪です。頼朝西国での平家追討の仕事をすべて弟の範頼・義経らにやらせ自分はその間ずっと鎌倉にひきこもって地盤を固めていたという基本的事項すらも把握できない書き方がされているんです。)

頼朝挙兵以来、北条氏三浦氏などの東国武士たちと主従関係を結んで、彼らを御家人として組織した。そして1180(治承4)年、御家人の統率と軍事警察担当する侍所を設けて、有力御家人和田義盛別当長官)に据えた。さらに1184(元暦元)年、一般政務をつかさどる公文所(のち政所)と問注所を開設し、実務に優れた下級官人らを側近にして職務を分担させるなど、支配機構の整備を進めた。

頼朝後白河法皇要請を受け、範頼と義経平家追討を命じ、1185(文治元)年、長門壇ノ浦平氏を滅亡させた。後白河法皇頼朝権力拡大を恐れて義経を重用し、頼朝の追討を命じたが失敗した。逆に頼朝は、親鎌倉派の公卿九条兼実藤原兼実)らを朝廷重要政務担当する議奏につかせ、反鎌倉派の貴族追放し、義経の捜索を名目に国ごとに地頭を置くことを認めさせた。さらに1189(文治5)年、頼朝義経をかくまったことを口実に藤原秀衡の子の泰衡を攻め、奥州藤原氏を滅ぼした。こうして頼朝東国西国の多数の武士御家人として組織しながら、主に東国支配確立していった。

1190(建久元)年、頼朝挙兵後はじめて京都に入り、右近大将に任命され、後白河法皇没後の1192(建久3)年には、法皇の反対で就任できなかった征夷大将軍に任命され、名実ともに鎌倉幕府が成立した。」

当然ながら『詳説日本史』にも、侍所政所問注所地頭というキーワードは出てきますしかし、治承・寿永の乱とは別項に記述されているため、時系列が分かりづらくなっています

それに比べて、この教科書歴史の流れの中にキーワードを配置しています。だから時系列に即してこれらの言葉意味理解することができるはずです。

  

結びが「名実ともに鎌倉幕府が成立した」という記述になっているのも、味わい深いです。

鎌倉幕府の成立が何年かという論争を垣間見ることができます名目的には1192年に幕府が成立したと言えるが、実質的にはそれ以前から幕府政治機構ができあがっていたというニュアンスを含ませているのでしょう。

  

  

  

あとは、上記引用中の「義経の捜索を名目に国ごとに地頭を置くことを認めさせた」という記述が最高にクールです。

一般には1185年、義経の捜索を名目にして守護地頭が設置されたとされていますし、国ごとに置かれた役職地頭ではなく守護だと暗記している人が多いんじゃないでしょうか?

例えば山川の『詳説日本史』はそうなっています。それによると、頼朝は1185年に「諸国には守護を、荘園公領には地頭を任命する権利」を獲得したとされています守護は「おもに東国出身の有力御家人から選ばれて「原則として各国に一人ずつ」任命され、「大犯三箇条などの職務を任とし」て国内御家人を指揮統率し、とくに東国では在庁官人支配することで「地方行政官としての役割も果たし」ました。いっぽう、地頭は「御家人のなかから任命され、任務年貢徴収・納入と土地官吏および治安維持」です。「頼朝は主人として御家人に対し、おもに地頭に任命することによって先祖伝来の所領の支配保障したり(本領安堵)、新たな領地を与えたりした(新恩給与)」わけですが、このことが御恩と奉公関係となって封建制度の基礎となりました。

  

ところが、三省堂の『日本史B 改訂版』(日B 015)によると、ここの説明がこれとまったく異なります。私が先に引用した項では、1185年の出来事として守護の設置には言及せず、地頭の設置だけが記述されていますしかもその"地頭"は国ごとに置かれたものだとされているのです。

私は最初にこれを読んだとき、わけがからなくて混乱しました。それでがんばって自力で調べてみて(独学なので苦労したナァ)ようやく理解できたのですが、1185年の文治の勅許守護地頭が置かれたとする『吾妻鏡』の記述には疑いがあり、実はこれがかつて学者の間でも論争になったテーマだったらしいのです。

1960年石母田正が新説を発表したのですが、おおざっぱに言うと、新説では、この時点で置かれたもの守護地頭ではなく、地頭(国地頭)だったとしています。それはわれわれが普通一般に知っている地頭(荘郷地頭)とは異なり、一国を統括する強大な権限を持つ存在です。この国地頭はすぐに廃止され消滅しましたが、守護前身となりました。

三省堂教科書は、次項でそのことが説明されています頼朝がはじめは国ごとに"地頭"を派遣して荘園国衙領のいずれからも兵糧米を徴収させていたこと、そのやり方がひどすぎたから反発を招いて、以後は"地頭"に代わるものとして守護を置いた、という記述になっています。またこれに続いて、頼朝は「荘郷地頭と呼ばれる地頭を任命し」、平氏没官領や謀反人の所領跡で「年貢公事徴収治安維持に当たらせた」としています

このように、三省堂教科書では、「国地頭」と「荘郷地頭」をはっきりと区別しているのです。

  

実教出版もこの新説を採用していますこちらも合わせて読んでおくと、国地頭のことが大変よく分かります東京出版は本文の記述が旧説に拠っていますけど、欄外では国地頭が惣追捕使とならび、守護前身として存在していた話をちょこっと説明しています。これらの教科書は「国地頭」論争の成果を取り入れており、学問的に誠実だと思います

それに対して山川の『詳説日本史』は旧説を採用し、1185年に守護地頭の設置が認められたとする断定的な記述になっています。これが他の教科書とのあいだに無用矛盾を生じさせているのです。私と同じようにこの点につまづいて、困惑してしまった高校生が少なからずいるんじゃないでしょうか。

  

なお、山川参考書『詳説日本史研究』にもこの新説の紹介はありません。同社『日本史B用語集』には「国地頭」という用語掲載されていて、そこでは一応説明がされているんですが、あたかも国地頭が荘郷地頭前身だったと思わせるような記述です。

地頭(じとう)⑪:1185年、頼朝要請後白河法皇諸国公領荘園地頭を設置することを認めた。当初は1国単位荘園公領支配する国地頭を設置したが、まもなく平家一族の所領として没収された平家没官領と謀反人跡地に限定した荘郷地頭となった。しかし、公家寺社の強い反対で、一時縮小、承久の乱後に全国化した。任務土地管理年貢・兵糧米の徴収治安維持など。

地頭⑤ 荘郷地頭

  

山川出版日本史B用語集』より

ですが三省堂実教出版東京書籍教科書によると、国地頭はむしろ守護へと発展的解消を遂げたという記述なんですから、『日本史B用語集』のこの説明とはやはり若干の矛盾が生じています

「国地頭」を教科書に載せている上記の主要3社の文脈に従うなら、この用語独立の項目として取り扱うか、せめて「地頭」の項目じゃなく「守護」の項目にいれて取り扱うべきじゃないでしょうか。

  

(追記 これはインターネット上の情報なので私は未確認ですが、現在は『詳説日本史』にも国地頭掲載されているそうです。近年改訂されたんでしょうか。

予防線として言っておくと、私は高校日本史Bを履修しなかったし、大学歴史学勉強したわけではありません。高校時代文転して受験するかと生半可に考えていて(結局やめたけどね)、興味本位教科書を読んでみただけの素人です。

さいしょの方でも書いたとおり最新版教科書を持ってません。はてブでバズっていてびっくりしましたが、このエントリ専門家レベルのものとして受けとるのは、恥ずかしいのでやめてください。

再追記。id:HRYKtbykさん、確認をしてくださり感謝。)

  

  

  

(追記2

複数教科書を読み比べすることで、『詳説日本史』を読むだけでは見えないポイントが浮かび上がってきます

『詳説日本史』では、前九年合戦後三年合戦のところで、「これらの戦いを通じて源氏東国武士団との主従関係を強め、武家棟梁としての地位を固めていった」とあります。これが後の頼朝挙兵につながるわけですが、それは時代を経てからのことだから教科書のページが離れすぎていて、この関連が把握しづらくなっています

ここで例えば山川出版社新日本史B 改訂版』(日B 018)のような他の教科書と読み比べてみると、『詳説日本史』がこの簡潔な一文を通して伝えたかったことを理解することができるのです。(上述参照)

  

つぎは例えば、貫高制・石高制を見てみましょう。

『詳説日本史』によると、戦国大名性格は次のように説明されています戦国大名は「新たに征服した土地などで検地をしばしばおこなっ」て、それにより「農民に対する直接支配」を強化しました。そして国人地侍を取り込むため、貫高制を導入しました。これは戦国大名が彼らを「貫高という基準統一的に把握」して軍役を課す制度でした。それでここからすこし時代下り、別のページで豊臣秀吉太閤検地説明しています太閤検地により石高制が確立しました。それは「荘園制のもとで一つの土地に何人もの権利が重なりあっていた状態を整理」し、「一地一作人」を原則とするものです。農民は「自分田畑所有権を法的に認められることになった」わけです。

このような記述だけでも表層的な理解はできると思いますが、実教出版日本史B 新訂版』(日B 014)は、貫高制について「荘園の複雑な土地制度は貫高に組み込まれ大名統一的な国内政治を推進」するものとしています。『詳説日本史』ではせいぜい石高制と荘園制の関係しかからないでしょうが、本書はこのように貫高制と荘園制の関係を明示しているのです。

この視点を最もわかりやす記述しているのが、三省堂日本史B 改訂版』(日B 015)です。本書は貫高制、石高制、荘園制の全部を一つの項目に入れて記述しています。それによると、秀吉太閤検地を行い、「戦国大名の貫高制にかわって、それを発展させて全国に広げた石高制」を導入、その結果「荘園制を完全に崩壊させ」ました。このポイントを把握しておけば、中世から近世への社会の変化を、土地一元的支配確立荘園制の衰退・消滅という視点で見ることができます。本書の特徴は、貫高制・石高制をともにこの視点から語っていることと、しかもそれが荘園制を「完全に崩壊させ」たと言い切っていることです。

ちなみに、東京書籍日本史B』(日B 004)では、石高制を「近世封建制体制原理」と書いています。これがまったく新しい制度であることを強調しつつ、近世という言葉を使ってその射程を江戸時代にまで広げているのです。)

2017-06-04

山川出版日本史の何がすごいのか、さっぱり分からない

山川出版の日本史いかに凄いかについて情熱的に説明する」

http://blog.tinect.jp/?p=40198

はてなブックマークの人気記事だったので開いてみたのですが、驚くほど中身のない記事でした。

これ、おっさん居酒屋でしゃべっているレベルですよね??

『詳説日本史』を引用するなり参照するなりして、具体的にどこがどうすごいかを語ってほしかったです。

僕も10代の頃はあれが本当に理解できなかった。けど今ならああい教科書が作り続けられる理由がよくわかる。物事を語るにあたって、中立を維持しようとするとなると、事実しか語れなくなるのである

ストーリーというものは、基本的には何らかの価値観を元に構築されるものである日本民族いかに優れているかという視点で歴史を分析すると、それは右翼的な記述にならざるをえないし、平等であろうとすれば、それは左翼的価値観を元に記述せざるをえなくなる。

客観的な記述がされている、左右に偏向していない、中立だからすごいゾ、という感想には呆れ果てました。

いったい全体、どこが情熱的ですか? 教科書を読み返さず、いい加減な記憶をもとに語っても、多分これくらいのことは言えると思います。 

  

クソ記事を読んでしまい、あんまりにもムシャクシャしたので、私が自分で『詳説日本史』を引っ張りだしてきて調べました。

例えば「源平の騒乱」という項目は、次のように記述されています

平清盛後白河法皇幽閉し、1180年に孫の安徳天皇を位につけると、地方の武士団中央貴族・大寺院のなかには、平氏の専制政治に対する不満がうずまき始めた。この情勢を見た後白河法皇皇子以仁王と、畿内に基盤を持つ源氏源頼政は、平氏打倒の兵をあげ、挙兵を呼びかける王の命令(令旨)は諸国の武士に伝えられた。

これに応じて、園城寺(三井寺)や興福寺などの僧兵が立ち上がり、ついで伊豆に流されていた源頼朝信濃の木曾谷にいた源義仲をはじめ、各地の武士団挙兵して、ついに内乱全国的に広がり、5年にわたって騒乱が続いた(治承・寿永の乱)。

平氏は都は福原(現・神戸市)へと移したが、まもなく京都にもどし、畿内を中心とする支配を固めてこれらの組織に対抗した。

しかし、畿内西国を中心とする養和の飢饉や、清盛の死などで平家の基盤は弱体化し、1183年(寿永2)年、平氏北陸で義仲に敗北すると、安徳天皇を報じて西国都落ちした。やがて、頼朝の命を受けた弟の源範頼義経らの軍に攻められ、ついに1185年に長門の壇の浦で滅亡した。

この一連の内乱の行末に大きな影響をおよぼしたのは地方の武士団の動きで、彼らは国司荘園領主に対抗して新たに所領の支配権を強化・拡大しようとつとめ、その政治体制を求めていた。

ここには明らかに編者の歴史観と、因果関係説明が詰め込まれています

  

まず、平清盛後白河天皇幽閉したこと、安徳天皇即位させたことは、この教科書では「平氏の専制政治」と評されています

当時の人たちがそう感じていたのか、それとも教科書の編者がこの評価を下しているのか、どちらなのか判然としませんけど、ともかく本書はこの評価にもとづいて記述がされています

  

次に、この「平氏の専制政治」が地方の武士団中央貴族・大寺院の不満につながって、 以仁王源頼政はそういう情勢を見たので挙兵したと書かれています

これはまさしく因果関係に言及しているわけです。

  

このように、教科書は単なる事実の羅列ではありません。歴史に対する評価因果関係がしっかりと述べられているのです。

そこにどういう学問的な裏付けがあるか、歴史学に無知な私はよく知らないです。あのブログ記事ではそのへんの話を説明していると思ったのですけど、まったくの期待外れでしたね。

  

なお、この教科書とおなじ編者がつくった参考書『詳説日本史研究』(山川出版社)によると、次のように説明されています

治承・寿永の乱は、一般には源氏平氏の戦いといわれている。しか歴史学的にみた場合、この全国的な動乱を単に源氏平氏勢力争いとみるのは正しい理解ではない。以仁王挙兵以降、軍事行動を起こすものが相次いだ。美濃近江河内源氏若狭越前加賀の在庁官人、豪族では伊予の河野氏・肥後の菊池氏である。彼らはあくまでも平氏の施政に反発したのであって、はじめから源氏、とくに源頼朝に味方したわけではない。彼らの背後には在地領主層があり、在地領主たちは自己の要求を実現するために各地で立ち上がったのである

彼らの動向をまとめあげ、武家棟梁となる機会は頼朝以外の人、例えば源義仲源行家、あるいは平宗盛にも与えられていた。頼朝が内乱に終息をもたらし得たのは、彼こそが在地領主層の要望に最もよく答えたからである。この意味で幕府の成立は、時代の画期ととらえることができる。

教科書である『詳説日本史』では、これがたった一文にまとめられているのです。

この一連の内乱の行末に大きな影響をおよぼしたのは地方の武士団の動きで、彼らは国司荘園領主に対抗して新たに所領の支配権を強化・拡大しようとつとめ、その政治体制を求めていた。

こういう史観が妥当なのかというのは、私にはちょっと分からないんですが、この点を強烈にプッシュしているのが『詳説日本史』の特徴と言えるでしょう。

他の教科書を読んでみても、三省堂の『日本史B 改訂版』(日B 015)を除き、この史観はあまりプッシュされていないと感じました。

  

【参考文献】

山川出版社『詳説日本史』(日B 001)

山川出版社『高校日本史 改訂版』(日B 017)

山川出版社新日本史B 改訂版』(日B 018)

東京書籍日本史B』(日B 004)

三省堂日本史B 改訂版』(日B 015)

実教出版日本史B 新訂版』(日B 014)

桐原書店新日本史B』(日B 011)

(このエントリは上記7冊を参照しています。いずれも平成22年ごろ購入。)

  

  

  

余談:教科書の読み比べ

  

山川出版社新日本史B 改訂版』(日B 018)

伊豆に流されていた源義朝の子・源頼朝も、妻・北条政子の父北条時政とともに挙兵して南関東を掌握し、10月には源氏根拠地鎌倉に入った。頼朝は父祖以来の結びつきを背景に、三浦千葉上総氏などの有力な東国武士主従関係を結んで御家人とし

頼朝の挙兵が、東国武士との「父祖以来の結びつき」を背景にしていたものだったということは、他の教科書ではなかなか分からないと思います

三浦千葉上総という武士名前が沢山出てくるのもおもしろいですね。(三浦氏名前が出てくる教科書は多いですが、それはこの時点ではなく幕府成立後、十三人の合議制か、宝治合戦ときに唐突に登場します。)

[寿永二年十月宣旨から義仲滅亡までの]この間、鎌倉の頼朝は没収した平氏の所領(平氏没官領)を法皇より与えられ、経済基盤を固めていった。また御家人を統制する侍所を設置し、その長官である別当には和田義盛を任命した。これに加えて、行政裁判制度を整えるための公文所(のちに政所)・問注所がおかれ、その長官にはそれぞれ京から招かれた朝廷の役人である大江広元三善康信就任した。前後して、義経軍らは一の谷・屋島平氏を追い、1185(文治元)年に壇ノ浦平氏を滅ぼした。

[]は引用者註。

この教科書の特徴は、幕府の政治機構の形成過程を、治承・寿永の乱の進行に併記していることです。

鎌倉幕府の成立が1192年(いいくに)なのか、1185年(いいはこ)なのかという論争は、世間でよく知られているぐらい有名になりました。どちらが正しいかは諸説あるとしても、ただ一つ言えることは、どこかの時点でいきなり幕府が完成したというわけではありません。治承・寿永の乱が続いていた期間に、徐々に幕府の政治機構が形成されたのです。この教科書はその史観が反映されています

  

  

  

桐原書店新日本史B』(日B 011)

北条時政の援助によって挙兵した頼朝は、東国武士たちに支持されて、富士川の戦い平氏を破ったが、その後は鎌倉にとどまって、東国地盤を固めることに専念した。これに対して平清盛は一時、都を福原神戸市)に移して態勢を立てなおそうとしたが、まもなく京都に戻り、1181(養和元)年に病死した。一方、義仲は1183(寿永2)年、北陸方面から急進撃して、平氏一門を京都から追い出した。しかし、義仲は後白河法皇対立したので、法皇は同年、頼朝に東海東山両道(東国)の支配権を認め、義仲追討を命じた。頼朝は弟の範頼・義経らを上京させて、義仲を討たせた。範頼・義経さら平氏追討に向かい、1185(文治元)年、長門壇ノ浦平氏一門を滅ぼした。

この教科書歴史用語の詰めこみを回避しているようで、内容は簡単、文章としても平易です。

上記引用でも分かるとおり、「頼朝に東海東山両道(東国)の支配権を認め」という記述があるくせに、寿永二年十月宣旨というキーワードがありません。治承・寿永の乱、一の谷、屋島の戦いなどは年表に記載されていますが、本文中に記載なし。養和の飢饉、平氏都落ち安徳天皇を伴ったことも言及なし。

というわけで受験生には不向きですが、他の教科書にはない特色もあります

  

鎌倉将軍に尽くして家人となった武士のことを、鎌倉御家人といった。鎌倉御家人になる目的は、将軍面接して(見参)、先祖伝来の所領を承認してもらい(本領安堵)、さらに勲功のあった者は新たな所領を恩賞としてうける(新恩給与)ことにあった。

教科書の中では唯一、桐原書店けが「見参」を掲載しています。これは鎌倉幕府の権威の構造がどういったものであったかを知るための手がかりになるかも。

(他の教科書ではこの用語がないどころか、「将軍面接して」という説明も省かれています

  

["新恩給与"についての註]

土地のものよりも土地に対する一定の支配権と、それにともなう収益権を与えられるのが普通で、そのおもなものが地頭職であった。

これは「職の体系」のことを言っています。他の教科書とは違って、地頭をあえて「地頭職」と見なす視点を紹介し、その意味するところを簡潔に説明しているのがすごい!

所有権が重層的に重なりあっていたというのは、中世土地支配構造を知るうえで一番大切なポイントだと思います

なお、山川出版の『日本史B用語集』には「職の体系」という用語は不掲載で、かわりに「職」の項でそれを説明しています

職(しき)②:一般に職務に伴う土地からの収益とその職務自体を指す。荘園場合、有力者への寄進が何回も積み重なり、下記のような複雑な職の改装秩序を生じた。

本家職①、領家職②、預所職②、下司職②、荘官職①

  

[引用者註:丸の数字はこの用語を掲載している教科書の数]

山川出版『日本史B用語集』より

この説明は悪くないと思いますが、桐原書店は「土地のものよりも土地に対する一定の支配権と、それにともなう収益権」のことと明記しているので、その方が的確です。

しかも、いかんせん、『日本史B用語集』は「職」の用語説明を「院政期の社会文化」のページに掲載しているので、これと鎌倉時代の地頭職との関連が全然分からないです。そして「鎌倉幕府の成立」のページにある「地頭職」の用語説明は、次のようになっています

地頭職(じとうしき)⑤:職とは役職に伴う権益意味。地頭職は御家人が地頭に任命されて認められた兵糧米の徴収や免田(給田)経営などの権利

  

山川出版『日本史B用語集』より

これは間違っていませんけど、この説明を読んで、重層的な土地支配構造があったことを理解できますか? 絶対に不可能ですよね?

せめて「職」「地頭職」という用語同士を紐付けて相互参照させてほしいです。ふざけんなってかんじです。

  

さて、桐原書店教科書に話をもどすと、欄外にこういう豆知識も載っています

幕府とは、近衛府の唐名であるが、転じて近衛大将の居館のことをいった。のちには近衛大将とは関係なく、武家政権意味する語となった。頼朝は1190年に上洛し、右近大将に任ぜられたが、まもなく辞任した。

[ふたつの源頼朝像]

Aについては南北朝時代武将とする説もあり(伝・藤原隆信筆,京都神護寺蔵)、Bも注目されるようになった(山梨甲斐善光寺蔵)。

とてもユニークですね。受験には使えないかもしれませんが、知っておいて損はないです。

  

  

  

東京書籍日本史B』(日B 004)

養和は平氏政権が用いた年号で、これを認めない頼朝の支配する関東では、ひきつづき治承の年号が用いられた。

網野善彦著作『東と西の語る日本の歴史』に、たしかこの話があったと思います

他の教科書には載ってませんが、ピンポイント東大入試に出題されました。

  

源氏鎌倉の関係は、源頼信のころに源氏氏神となった石清水八幡宮を、前九年合戦の際、子の頼義が相模国由比郷に勘請して鶴岡若宮八幡宮前身)を建設したことから始まった。鎌倉は前面に海をもち、三方を山にかこまれた要害の地で、切通によって外部と結ばれていた。

鎌倉という土地をこれだけ情熱的に語っているのは、東京書籍教科書だけです。

上記引用とはまた別に、「コラム 武家の都鎌倉経済流通」というのも掲載されています

東大入試では、「院政時代から鎌倉時代にかけての京都と鎌倉都市の発展」について論述させる問題が出されたことがありますが(1990年)、この教科書はその答案を書くうえで非常に役立つものだと思います

  

  

  

山川出版社『高校日本史 改訂版』(日B 017)

こののち、後白河法皇義経を重んじ、頼朝追討の命令を下したが、これに失敗すると、頼朝はその責任を追及し、逆に義経追討の命令を得た。さらに頼朝は義経をかくまっていた奥州藤原氏を滅ぼそうと朝廷に追討の命令希望したが、法皇がそれを拒否すると、1189(文治5)年に頼朝は追討の命令を待たず、大軍をもって奥州藤原氏を滅ぼした。ここに全国を平定し、その後、法皇死後の1192(建久3)年に頼朝は念願の征夷大将軍に任じられた。

頼朝の悪人っぷりがこれでもか!?というぐらい強調されています

あいつは自分の野望を実現するため、ときには法皇に逆らって圧力をかけたり、朝廷命令無視して独断専行する奴だった、ということを言いたげな記述です。

  

それはともかく、奥州藤原氏を守ろうとした法皇朝廷側と、それを潰そうとした頼朝の厳しい対立がわかるのは、この教科書だけでしょうね。

両者のぴりぴりした緊張関係が伝わってきます

関西にある政権東北地方を使って、関東独立の動きを牽制するというのは、日本の歴史において繰り返し出てくるパターンなので、この視点を漏らさず記述しているところはアッパレ

  

  

  

実教出版日本史B 新訂版』(日B 014)

平氏安徳天皇を奉じて西国に落ちていったが、後白河法皇は京都にとどまり、新たに後鳥羽天皇をたてて政権を維持した。法皇は義仲には平家追討を命じるいっぽう、頼朝には上京をうながして、京都の義仲に対抗させ、武士たちをたがいに牽制させて政局の主導権をにぎろうとした。しかし頼朝は、東国の安定に意をそそいでみずからは鎌倉を動かず、弟の範頼・義経を上京させて、1184(元暦元)年、義仲を討たせ、源氏一族の長となった。ついで義経らは、その当時勢力回復して都にせまっていた平氏を一の谷・屋島などの合戦でやぶり、さらに翌1185(文治元)年にはこれを長門壇ノ浦に追いつめて滅亡させた。

この時代に2人の天皇が同時に存在していたとする視点を取り入れているのがナイス

都落ちした平氏はそのままあっけなく滅んだわけじゃなくて、京都にいる天皇とは違う天皇を奉じて勢力を盛り返していたのです。

どちらの天皇が正統かというのは、つまるところ結果論にすぎません。この教科書はそんな歴史観に基づいて書かれています

  

ちなみに、この教科書の編者は、大半が関西教育機関に属する人たちみたいです。後白河法皇平氏を主軸にした書き方は、編者の関西びいきが反映した結果なんでしょうか。(笑)

例えば奥州合戦について、「奥州進撃のために頼朝は東国だけでなく西国武士もひとまず鎌倉に動員し、これを機会に国ごとに御家人組織の整備をいっそうすすめた」とありますさら西国御家人東国御家人とどう違うかを説明しているのもおもしろく、この教科書関西中心っぽい史観は独特です。

  

  

  

三省堂日本史B 改訂版』(日B 015)

  

……って、おい!? 増田がここで文章を掲載できなくなったんだが??

せっかくこの先が本番なのに、文字数の上限なのだろうか。

つづき→http://anond.hatelabo.jp/20170605001028

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