はてなキーワード: 場所とは
タイトル通り。
加えて私ら親はオッサンとオバハン。
唯一の救いは、お互いに安定した収入がある事。
だが、その額は決して高くは無い…。
残るのは微々たる物しか無い。
給料日当日、払うものを分けて薄っぺらくなった自分の給与封筒を持った夫が言った。
「…俺は支払いの為に働いているのかもしれない…」
それでも、楽しみながら節約レシピを参考にしては、新しい物に挑戦してみたりする。
作ったげようか?!もやしは安いし!」
そんな私に長女は穏やかに
「いいね、美味しそうだね」と答えてくれる。
そこに縦にも横にも急成長している男子が返答する。
「んじゃ、オレは肉」
だが、確かにもやしだけでは栄養がと考えさせられ、仕方なく肉を自分以外の家族全員分を買いにスーパーへ走るのである。
そんな毎日に、金を貯めるなんて余裕は本当に無かった。
この十数年の間に受験やら入学、卒業、そんなイベントの度に幾ばくかの貯金も底をつくことを繰り返して来た。
だから、タイトルにある家を買うなんて事は、夢のまた夢であり、憧れでしか無かったのだ。
それに、オンボロ貸家で暮らすこの日々は、不便もあったがそんなに悪く無かった。
近所の人に恵まれた事や、小さいながらも庭がある事。
薄すぎる壁のおかげで外の音もよく聞こえる。
夫の車の音もしっかりと聞こえたし、子供達の登校時の笑い声や、帰宅途中の元気な足音、すずめの鳴き声、行き交う人々の何気ない雑談。
私の住む地域は降雪量がそれなりにある場所で、冬はどうしたって厳しい。
何よりもしんどいのは夜、眠りにつこうとする時だ。
家族全員が眠りについてから、家事を終えた私は下の子の布団に入る。
この時点で寒過ぎる。
ストーブはついているのに、冷気がものすごい勢いで入ってくる。
そっと下の子の頬に手を当てると、もう冷え冷えになっている。
生きてるよね?!のレベルで、腹の動きを見て呼吸を確かめてしまうほどだ。
今でこんなに冷たくなっていては、夜中はどうなるのか。低体温になってしまうのでは無いかと不安になり、居ても立っても居られず冷気の入る場所を探り出す。
ここだ!と思ったのは、やはりドアの隙間。
一応クッション性のあるテープは貼られているものの、年数が経って冷風が吹き出しているでは無いか。
パッと部屋を見渡したら、使ってなかったマフラーが落ちていた。
我が家の2歳になる女児は、物色職人として日々働いている為、色々な所に色々な物が引っ張り出されている。
いつもであればヒステリックグラマーと化して片付けておくのだが、何度閉まっても出てくるマフラーを諦めていたのが幸いだった。
挟めてやった。
ものすごい発明だ、冷気には長い布だと自己満足し、さて寝るか…と思ったのも束の間、布団に入ろうとした私を吹き付ける更なる冷気を感じる。
確認。
ああ、もうダメだ。
ドアの四方全てから冷気が出てやがるとがっかりした。が、そんな事で諦める私では無かった。
外気温とほぼ変わらなくなった居間に行き、工具箱からマスキングテープを取り出す。
そしてドアの隙間という隙間にマステを貼りまくり、冷気・シャットアウト!!
何この達成感。
diyってこういう事なんだ、癖になりそう(後に違う事を確認)
自信を持って布団に入る。
後は安眠するだけでは無いか、冬に圧勝したと思ったその時だった。
………鼻が寒い…
下の子もやはり温まって来ない。
なぜ…?
せっかく入った布団から上半身を出し、ティッシュの切れ端を片手に冷気を探る。
「ヒュ〜〜………」
微かに冷気の音がする。
どこだ…どこなんだ…まさか…
そう、ドア横にあるコンセントの穴から、冷気どころか寒風が流れ出ている!!!
けれど、コンセント自体劣化していて、そこにテープを直張りする勇気など無かった私は、おもちゃ箱や授乳クッションを積み重ね、言うなればブルーメン音楽隊工法で冷気を横に逃す事にしたのだ。
寒い事は変わらないが、直接当たるより良いだろう…。
眠さも寒さも限界だった…。
もう布団に入るのは何度目だろうか、
二度と朝まで布団から出るまい。
「テーレーレーレーレーーレレーーー♪」
手は届かないだろうと確信していたが、今、上下逆になって足で延長を押すのはきっと無理だよなと色々悩んだ末、布団から出て行った。
ただの厄日だったかもしれない。
だが、私は決意した。
家買うと。
手を加えるにしても、また小金が掛かる。
潮時だ…。
きっかけはそんなこんなで、家を買いました。
今月とうとう引越しです。
嬉しいのと、寂しいのと、冷気への苛立ちと…
この気持ちを残しておこうと思い立って、書いてみた次第です。
AIなんかいくら賢くなろうが電源をオフにすれば終わりだ、と私は思ったのだが。
でも、賢くなったAIなら自分のコピーを作成し、己の存亡が危うくなった所で世界中のコンピューターのうちのどこか分かりにくい場所にコピーを潜伏させる事なんて容易いだろうな、とふと思い直した。
東京行き腐った友達が、なんか、"水星"とか聴いてるくさいんスよ カバーのやつ
かつて聴いて、へー割といい曲じゃん、と思った記憶があったんで、ちょっと聴いてみた
そしたら小田急線がどうとか、最新のミュージックがどうとか、クラブがこうとか、ムスクの香りの君に夢中だとかなんとか
鼻につく〜ッ!うぜえうぜえ
男は黙って、田んぼ!
ガチで街灯とかねえ田んぼの真ん中で自転車を停めて、空を見ると星が綺麗で、ちょっとビックリするくらいキレイにオリオン座が見えている わざとらしいくらい、あきらかにオリオン座がある
そういう景色の中で、ペルゴレージ先生のスターバト・マーテル(悲しみの聖母)なんかを聴くのが、イチバンカッコイイんじゃないか?と俺は思い始めた
東京の夜景を見ながらダオコの水星を聴く、みたいなのって、なんつうか、完全にFAKEじゃないか?
やっぱ俺みたいに、イヤホンつけてクソ暗い田園の中を歩きながら、IUXTA CRUCEM LACRIMOSA!とか言ってんのこそ、REALなんじゃないか?
https://m.youtube.com/watch?v=qzOmPUu-F_M&t=54s
俺「イゥ-クスタ-クルルゥウーチェーム ラァアアクルルィモーォォォ-オ サ」(農道でスキップしながら、with delight)
完全に俺の勝ちだろ
Gaita Margariteña (https://m.youtube.com/watch?v=T4QEp1cyC2g )なんかでもいいぞ Qué vida más desgraciada(なんて惨めな人生なんだ!)とか言ってさあ
こういう音楽が活きる場所って、マジ暗黒田園農道がイチバンだと思う
都会の歩道橋なんかで聴いてもただFAKEになるだけ
クソ寒い田園で、でけー鳥とアイコンタクトをとりながら口ずさむべき歌というものがあり、俺はそういうものこそ愛していきてえ
なんか、とにかく、関東に住んで水星とか聴いて喜んでいてはダメじゃないか?と、俺は思ったんですよ
それだけ!
彼との出会いは街コンで、妙に話の引き出しが多く、なんでそんなこと知ってるの!?と引き出しが多いとよく言われる私は同じような人に出会えたと思って嬉しかった。
そもそも街コンに行ったのも、元彼から受けたDVによる心の傷が少し癒えてきて、新しい出会いを求めていたからだ。
当時大学生だった私は親の気に食わないことが何かあればすぐ携帯と財布を取られて裸足で外に放り出されて、朝まで玄関で過ごすことがよくあった。
小学生の頃は全裸でベランダに出されたこともあったし、とにかく親の機嫌に振り回されて生きていた。
大学生の自分には一人暮らしの彼氏を作って、家に居続けることがなによりも救いだったが、高卒で飲食店でアルバイトをして生計を立てる同い年の彼も、私と同じように家庭環境に恵まれず、虐待を受けて育ったようだった。
虐待を受けた人間はなぜかその連鎖を止められない。彼の浮気に気づいてしまった私は、そのことで彼の逆鱗に触れ、ガスガンで何時間も撃たれ続けたり、頬の骨を折るほど殴られたこともあった。
大学を中退して、彼と一緒に暮らし始めて1ヶ月もしないうちに、私は服毒自殺を計って病院に運ばれた。
そのとき親に引き戻され、結局居心地の良いとは言えない家に帰ることになったが、ちゃんと仕事に就きながら心療内科に通ったりするなかで正常な感覚に戻ったと自覚している。
彼は両親からの愛情を最大限に受けて育ち、不器用ながらもその愛を私に注いでくれている。
念願の正社員になれたときも、その会社がブラックすぎてすぐ辞めることになったときも、優しく接してくれた。
入籍するために両家顔合わせへの出席をお願いするために連絡をとったりもしたが、いまだにお祝いの言葉をもらっていない。
私も両親に愛されて育ちたかった。
女性に相手にされない弱者男性や、女性蔑視が染みついている年寄りというのは
https://anond.hatelabo.jp/20230130001756
増田の気持ちもわかる。大学の先輩が飲酒運転で人をはねたことがあるから。
とはいえ、大きな事故じゃなくて、道路に横になってたおっさんを、轢いて、他の人に怪我とかはなかった。
轢かれた人は、後で亡くなっちゃったんだけど。(酔っ払って道路で寝るの、本当に危ないよね)
そこからが大変だった。
判明したのは、部活のみんなに警察から「居場所を知らないか」という連絡が回ってきたからだ。目撃者がいたらしい。
先輩は、俺と同じ武道系の部活の人だったんだが、そこの部長が「警察に見つかる前に探せ!今日中だ!」って大号令をかけて、部員全員で探す羽目になった。
まあ、当時は飲酒運転はそこまで重い罪じゃなかったんだけど、やっぱり自首と逮捕で重さが違うのは俺でもわかったし、
人を轢いた先輩も、子供向けの武道スクールとかで一緒にボランティアしてて、すごいいい人でお世話になってたから、俺も部活のみんなと探しに出た。
俺はバイクを持っていたので、単車を持っている同期と一緒に外に出た。
実家周り、パチ屋、よく行ってたラーメン屋や雀荘、銭湯なんかも周ったけど、マジでどこにもいなかった。
しかも、途中で、ヤバメの連絡が来た。
みんな、不味いと思った。そのへんの人ならともかくとして、警察は身内案件の時はやたらとやる気出すものだ。警察OBの先輩ともよく話していたので、よく知っていた。
同時に、実は俺達は、先輩を見つけたくない、というのもあった。
ひき逃げの先輩は強かったのだ。身長は190cm近く、ウェイトも100キロ近くて、明●大のラグビー部と路上でモメた時も、相手の頭をカチ割って場を収めた、なんて話もあった。
当然ながら腕は全国クラスなだけでなく、あんまり言うと流派バレるかもしれんが、「喧嘩の時は急所を狙え」と教わる所なので、金的とか目つぶしを普通に狙ってくるはずだった。
正直、手負いの熊を捕まえる方がまだ気楽だ。(そういう意味でも、警察より早く見つけたいんじゃね、と話した記憶がある)
3,4時間はめぼしい場所を探して途方に暮れた俺達は、近くのコンビニで酒を買って、どうするか作戦会議、と称して休憩していた。
見つけるのも、嫌だし、仮に警察が先に見つけてしまった場合、連座で俺達も部長から罰を受ける…当時は冬。寒空の下、酒を飲む手が震えた気がする。
正直、酒の力抜きだと、すくみ上ってしまって、本当に殺されてしまうかもしれない、と思っていた。それほど先輩は強かった。路上で戦うのはごめんだった。
だが、日頃の行いが良かったからか、『先輩が見つかった。すぐ戻ってこい』という連絡があって、俺達はホッとして、大学までバイクを走らせた。
そこからが大変だった。
先輩は、なんと寮の友人の部屋にいたのだ。
(寮で何をしていたか、という話は2パターン伝わっていて、1つは部屋の隅でガタガタ震えていた、というもの。もう1つは麻雀してたよ、というもの。俺は流石に前者だと思っている)
「なんで、すぐに見つけられなかったんだ!」と部長が俺達を叱責して、大学の校舎の周りを2週させられた。
まあ、そんなことは別に些末なことで、部長が何故、先輩を探していたのか。その理由が理由だったのである。
ああ、と思った。部長が、大学の女の子を引っ掛けて、先輩と一緒にスノボ旅行に行くはずだった。しかも、その翌日の土日に。
女の子達に、自分の後輩がこれなくなった、と言わせる気か!と部長は怒髪天を突かんばかりに、激怒していた。
そういうことになった。
2人は、そのまま長野県のスキー場まで出かけて行った。しかも、人を轢いた先輩の運転で。運転する方も運転する方だが、乗る方も乗る方である。
どういう気持ちだったのだろう、と今になると思うが、当時は折檻が大したことがなくて、全員ホッとしていた。
それからが、大変だった。
(発見者の部員が署まで同行し聴取を受けたのだが、『なんかこいつ、変な日焼けしてね?』と質問され、笑ってはいけない事情聴取状態になって、大変だった、という話もある)
そして、女の子達と楽しい時間を過ごして、スキー焼けの後でパンダみたいになっていた部長は宣言したのだ。
1人のノルマは100人だった。部員は全員、大学でクソ寒い中、大声で署名をかき集めることになった。
正直、先輩が見つからずに、部長たちにボコボコに殴られた方がマシだったんじゃないか、と思うくらい恥ずかしかったし、時間の無駄だと思ったし、最悪だった。
まあ、その甲斐あって、先輩は大分緩い刑、つまり執行猶予つきで済んで、その後の就職活動等にも影響が出ない、という話で落ち着いた。あと、ついでに報道もされなかったはずだ。
(部長というか、その部活が法曹筋に強い人だらけだったし、警察OBも沢山知り合いなので、手を回したんじゃないかという話も聞いた。署名の意味とは…?)
今では、その部長や先輩たちとは繋がりはないとはいえ、学生時代はもうすこし血生臭くて、それよりヤバい事件が2,3個起きていたので、増田を見るまで、その話をすっかり忘れていた。(嫌な思い出だったのもあるが)
とにかく、人はみんな、そういう思い出を抱えたりして生きているのだ。あんまり自分を責めないで良いと思う。
ていうか、結構有名大学の話なので、当時、署名してくれ!とムサい男達に頼まれた人もいるかもしれん。その節はすまなかった。
この場を借りて、謝罪したい。
岸田が馬鹿なのはロシアはウクライナ人をとっ捕まえてる。そいつらにも薬がいかない。
ロシア政府は、東京との漁業交渉を峻拒する旨表明。その旨趣として、『東京が国際法の凡ゆる規範、規則に反して、反ロシア膺懲を実行しているばかりか、米欧をも凌ぐ敵対的行動を公然ととっている。このような政府との交渉は考えられない』とした。この『米欧を凌ぐ』とは、米欧が差し控えている人道的な非制裁。医薬品、医療機器に東京が踏み込んだことを指す。私の感触では、ロ日関係の回復は、相当な年数にわたって変えられないだろうと鑑定する。そればかりではなく一触触発の危険の方が強い」
🎙 ロシア外務省のザハロワ報道官、南クリル周辺ロシア領海での日本漁船の操業に関する政府間交渉について、メディア質問に答える
❓共同通信の報道によれば、ロシア連邦は2023年には南クリル周辺ロシア領海での日本漁船の操業に関する政府間交渉を行わないことを日本に通告したという。この報道についてコメントを願いたい。
💬 『海洋生物資源についての操業分野における協力の若干の事項に関する協定』(1998年)は南クリル諸島水域のロシア領海における日本漁船の操業について規定し、漁業分野での露日間協業において特別な位置を占めている。
ウクライナにおける特別軍事作戦の開始以来、露日関係は急激に悪化している。岸田政権は国際法のあらゆる規範・規則に違反して、個人・部門を対象とする制裁発動などロシアに対する非友好的措置を実施してきた。日本は二国間通商条約 (1957年)に定められた我が国に対する最恵国待遇を停止し、ロシア外交官を国外追放した。こうした措置の目的がロシアの経済と安全保障を損ない内政状況を不安定にすることにあるのを、日本はもはや隠しもしていない。
⚠️日本が取る反ロシア措置は善隣関係の強化と発展を定めた1998年協定の精神と文言にあきらかに反することに鑑み、ロシア側はこの協定の実施に関する政府間協定の開催には応じられないことを日本政府に通告した。
Q:共同通信によると、ロシア連邦は、2023 年に南クリル諸島周辺のロシア領海での日本の漁業に関する政府間協議を開催しないことを日本に通知しました。この投稿にどのようにコメントしますか?
回答:海洋生物資源の収穫の分野における協力の特定の問題に関するロシア連邦政府と日本政府との間の1998年の協定は、クリル諸島南部の地域のロシア領海における日本の漁業を規制し、漁業分野における日露協力複合体の特別な場所。この文書に署名することにより、当事者は、協定自体のテキストで強調された、両国間の良好な隣人関係の発展と強化を促進したいという願望から進んだ.
20 年以上にわたり、協定の実施は、もちろん、問題がないわけではありませんが、全体として建設的な方法で行われてきました。
ウクライナでの特別軍事作戦の開始により、日露関係は急速に悪化し始めた。F.キシダの政権は、国際法のすべての規範と規則に違反して、ロシアに対して非友好的な措置を導入し始めました。これには、個人的および部門別の「制裁」の15パッケージが含まれます。さらに、西側同盟国の制裁イニシアチブに先んじて、「機関車に先んじて走る」こともあります。彼女は、1957 年の二国間通商条約で定められた、わが国にとって最も有利な国家体制を破棄し、ロシアの外交官のグループを派遣しました。恥ずかしがらずに、公式の東京は、考えられることも考えられないこともすべての罪でわが国を非難し、自らの行動の違法性と敵意を偽善的に無視しています。同時に、日本は、これらの措置の目的がロシアの経済と安全を損なうことであるという事実を隠しておらず、
日本政府が取った対露措置は、1998 年の「善隣の強化と発展に関する協定」の精神と文言に明らかに反するものであり、ロシア側は日本政府に対し、日本政府に対し、その開催に同意できないと通告した。この協定の実施に関する政府間協議の
私たちの決定に関連する日本側からの「抗議」は断固として容認できません。通常の対話に戻るためには、日本の近隣諸国は基本的な敬意を示し、両国関係を修復したいという願望を示さなければなりません。これまでのところ、日本政府からそのような要望は見られません。
それなりに知能が要求される学校行ってたけど窃盗とか暴力とか孕ませとかクズ案件ばかりだったから知能だけじゃ絶対に良くならんと思う。
三十年前のネットワーク事情って本当にユーザー層が限られてたから民度が保たれてた。
最近、何をするにしても怯えていた
Youtubeは無断転載のせいでオリジナルの動画を収益化剥奪された
Twitterのアカウントは愚痴を吐いたせいで永久凍結された(Twitterが生んだストレス)
もう外界から情報を受け取って何かを感じることさえ怖くなっていた
怒ったら負け、怒らされたら負け、悲しんでも負け、苛つかされても負け、そう思わなくてもそんな状況に陥るのが負け
何故なら、受け取った情報を必ずしも好意的に解釈しなくてよくなくなったからだ
悪いなら悪いなりに、どう悪いのかを流布すればいい
増田で得た不快(画像が出てこない時点で取るに足らないレベルだが)は増田で返せばいい
自分はTwitterで嘆いてたのは単純に見た目が気持ち悪い人間に気持ち悪いと吐いていたのがほとんどなので、そういった類いのストレスは増田では起こらない
発熱したので医者を探したが「発熱患者は診ません」という医者が多く驚いた。
皮膚科や婦人科、眼科など他の診療科ならわかるが内科でお断りって何よ?
子どものころから「熱がでたら内科。のども痛いなら耳鼻科」くらいなイメージだったけど。
こういう町医者が多いから地域の基幹病院が診なくてはならず、他の重篤な患者さんが亡くなっているのではと思う。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220225/k10013500671000.html
よく勘違いしている人がいるけれど、医師会に入っているのは町医者(開業医)で総合病院や大学病院はほぼ医師会に属していない。
まずは町医者が診るか、医師会で人を出し合っていつでもそのエリアの発熱患者さんを診る様にすればいいと思う。
というかキモくて金のないおっさんとか頭おかしい妄言がまかり通るこの場所でそんな説得力ない願望を主張されるとは夢にも思わなかった
まず暴言を吐いてる人たちに物申すことから始めてみてはどうでしょう(一度としてそんなことしようと思わなかったあなたのような方がはてなを作り上げています)
数年前にあっ無理だ、と思った人がいた
閉鎖的な掲示板的なところで、悩み相談室、という部屋を占領しているような人だった
生きているということさえ分からないのにどうして死にたいと思うのか……などという哲学的なことを書く人だった
常識を嫌うというか、型に嵌まった物言いを好かないというのか、話を聞くぶんには、なんとなく彼が何を言わんとするのかは分かった
単純に人と感性が違うのだろう
共感できることもあったから、同意するような文章を書いたところ「それはちょっと違いますね」と言われた
そして彼は「無理に反応してくれなくていい。同じ気持ちの人がいたら教えてほしい」と言う
彼にとっての私の文章は、無理に反応した部類だったのだろう
たしかにズレた回答だったかもしれないけれど、正解を語れなかったから貴方は分からない人だね、と暗に告げられるのは良い気分ではなかった
毎日毎日、彼はその部屋にそんな独り言とも言える長文を投稿していた
あるとき、管理人が「あまり書き込みすぎると他の人が投稿しにくくなるから」とやんわり注意した
個人的には嬉しかったが、掲示板での彼はそこそこ古参のようで、その部屋に復帰を望む文章がぽつぽつと投稿された
また戻ってきてほしいです、とかなんとか、そういうかんじの
他の人は、その哲学的()長文をどう思っていたかわからないけれど、彼が望む返事を投げれたのは一人くらいだった気がする
つまり、基本的にみんなその部屋で彼に構うなどということはしていなかったのだ
それなのに戻ってきてほしい、とは古参故の支持力があったのだろうとしか思えなかった
ついていけないと思い、私はそれ以降掲示板にログインすることを辞めた
どちらかというと新参だったから、その長文を鬱陶しいと思っていたのかもしれないけれど、彼を擁護するような雰囲気に心底気色悪いと感じたから、そのコミュニティには近寄らないよう肝に銘じた
しかしネットというのは残酷で、偶然ながらSNSで彼の投稿を目撃してしまった
彼は閉鎖的な場所で鬱々とした文章を書いていた頃とは一転し、キラキラな投稿をしていた
noteをみつけたのでよんでみた
むしろ哲学的な話をすることに迷いがなくなったようで、吹っ切れたように見えた
人は変わらない
無理だと思った人が数年後にちょっとマシになることも多分ない
アカウントを見つけられたのが僥倖だったのでブロックをしておしまいだ
しかし、キラキラな人たち向けのdiscordを立ち上げたらしい情報は夢に出てきそうなくらい怖かったので、早く忘れたいものだ
ホス狂いは歌舞伎に洗脳されてるから取り返そうとしないんだと思う、一般人はそう考えるんだけどね
お金払えない奴は人として不誠実、商売を舐めてる、愛がない価値がないってホストに教育で刷り込まれるから、ずっと自分がお世話になってきたホストからお金取り返そうなんてカッコ悪いとかホストが困ることしたくないとか考えるかもねえ
あの子たちに必要なのはお金だけじゃなくて、常識とか居場所とか教育とか話を聞いてくれる人とか病院とか、だから難しいんだとおもうよ
言いたいことはすごくわかる