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はてなキーワード: 下品とは

2018-12-12

Amazonプライムふざけんなよオイ

何を見ようとしても最初松本ひとしのCM流れるんだけど何これ

下品でウザくてOFFにしたいんだけどどうすればいいの、サポート電話して相手が泣くまで怒鳴ればいいのか?

anond:20181211221333

江戸幕府外交方針は、麺類の話とは関係性が少ないと思います

ラーメンを音を立てて食べるなと言うのは、西洋文化に合わせればいいという感覚を感じるのです。

中国韓国では犬を食べますが、欧米人の前では隠そうなんていう意見もあるそうです。(日本人馬肉を食べるというと、韓国人はかなり不快に感じるようです)

それぞれの自国文化大事にしてほしいなあ、と僕などは思うのですが。

他国文化を無条件に否定するかつての欧米人のような感覚こそが、野蛮なのだと思います

中国では食器を手に持って食べるのは下品なのだとか。でも、日本ではご飯茶碗を手に持って食べるのが普通ですよね。

イモムシを食べる民族もいるようですが、日本人からするとかなり違和感があるのではないかと思います

でも、エビカニも、イモムシと同じ節足動物です。

他国文化で素晴らしいものがあれば取り入れるのはいい。だけど、無条件でなんでも取り入れるのは、その文化の取り入れ元(欧米など)からバカにされるだけです。

2018-12-11

anond:20181211122520

人前で裸になるのは下品同性愛悪徳、などといった道徳?は幕末あたりから西洋人に半ば強制されてきました。

江戸時代までの日本人は裸に対しても同性愛に対してもおらかだったようです。

麺類をすすって食べるのが下品だというのも、元々は西洋人道徳だったのではないかと思います

科学技術では、西欧は優れていましたが、全てにおいて正しかったとは言えないと思います

また、一部のヨーロッパアメリカでは、裸のタブー同性愛に対する差別も、克服されつつあるようです。

僕は、蕎麦屋ですすって食べることができず、一生懸命蕎麦を打っている職人申し訳なく思っています

すすって食べるのが正しい作法だと思うからです。

また、「タンポポ」伊丹十三監督)という映画では、レストラン先生日本人)が生徒にスパゲッティをすすらずに食べろと教えているそばで、イタリア人?がすすって食べているという場面がありました。

現代の街中は音であふれています麺類をすする音くらい、気にせず、自分食事を楽しみませんか?

2018-12-10

ちあきなおみ喝采』の歌詞が嫌いだ

表題の通りだ。俺は昭和60年まれだが、この歌詞を尊んだ昭和人の感性がわからない(あえて術語をでかくするぞ)。

嫌いな理由を端的に述べると2つある。

まず、情景が飛び過ぎなのだ

そして、飛び飛びのシーンそれぞれが象徴的でゴテゴテと飾り立てられている点だ。

一番の歌詞

3つの空間がある。順に見て行くと、

A ステージで歌っている語り手に訃報が届く。

B 訃報の主が語り手を故郷? の駅で引きとめようとした3年前

C 故郷? での教会での葬儀の場面

ついでに二番の歌詞

D 教会白壁

E 故郷? 駅の待合室で、自分のヒットソング聴く

F 舞台でいつものヒットソングを歌う語り手

こう見ると、舞台立ては「都会のステージ――駅――教会――教会――駅――ステージ」と整っているように見えるが、実のところバラバラである

時の操作がめちゃくちゃなのだ

まずAが地味におかしい。

恋の歌歌う私に黒い縁取りの訃報が届くのだ。

冷静に考えるとステージ去ってから訃報を目にするのだろうけど、見かけ上ステージで歌っている語り手に郵便屋が届けたように書かれている。

それだけAの時点で時系列の運びが性急なのだ

そしてB。

Aがおかしいのにいきなり「あれは3年前」とか言い出す。

そしてC

いきなり時が戻り、そして故郷に帰って葬式に出ている。

空間バキバキになっていることが解るだろう。

そして良いシーンをこれでもかこれでもかと持ってくる。「ほれほれ良いシーンどんどん行くよー」的な過剰包装的な過度の装飾。


C-Dへの情景の経過はやや丁寧だ。昼下がりから夕方葬儀が行なわれたのだろう。

そしてE。

駅に戻ってきたのは解るのだが、対称となるべきBの位置と異なる。

B動き始めた汽車に一人飛び乗った:ホームでの出来事だろ

E暗い待合室

Eはラストへの布石になるし、一人になったことを示していて叮嚀な箇所もあるが、しかしどうも空間がずれている。


こんな感じで、情景が性急に飛びすぎな印象を強く受ける。

そして、それがさもありがたそうに語られ唄われる。今でも「昭和名曲」としてありがたがられる。でもそれは虚仮だと思う。

なんつーか、下品表現なんだけど、昭和にわか成金にわか教養人、にわか中流家庭に向けられた、安っぽい感動への舞台立てだなと思うのだ。

いかにも「名曲」のような装いをしているのだがその歌詞は人の死と愛を浅薄かつ性急にそろえただけのものだ。

こうした「インスタントな大作」感が気に食わないということだ。

このあともう少しすると、例えば米米CLUB浪漫飛行』みたいな具体性がほとんど何もない抽象的な歌詞流行る。

こうした傾向は、『喝采』に限らない具体的な情景描写稚拙さ、あるいは陳腐化の反動ではないかと思っている。

2018-12-09

上沼恵美子って上品なとこあるけど、最近下品なおばさんとしか思われてないの?

2018-12-08

申し上げます。申し上げます旦那さま。あの人は、酷い。酷い。はい。厭な奴です。悪い人です。ああ。我慢ならない。生かして置けねえ。はいはい。落ちついて申し上げます。あの人を、生かして置いてはなりません。世の中の仇です。はい、何もかも、すっかり、全部、申し上げます。私は、あの人の居所を知っています。すぐに御案内申します。ずたずたに切りさいなんで、殺して下さい。あの人は、私の師です。主です。けれども私と同じ年です。三十四であります。私は、あの人よりたった二月おそく生れただけなのです。たいした違いが無い筈だ。人と人との間に、そんなにひどい差別は無い筈だ。それなのに私はきょう迄あの人に、どれほど意地悪くこき使われて来たことか。どんなに嘲弄されて来たことか。ああ、もう、いやだ。堪えられるところ迄は、堪えて来たのだ。怒る時に怒らなければ、人間甲斐がありません。私は今まであの人を、どんなにこっそり庇ってあげたか。誰も、ご存じ無いのです。あの人ご自身だって、それに気がついていないのだ。いや、あの人は知っているのだ。ちゃんと知っています。知っているからこそ、尚更あの人は私を意地悪く軽蔑するのだ。あの人は傲慢だ。私から大きに世話を受けているので、それがご自身に口惜しいのだ。あの人は、阿呆なくらいに自惚れ屋だ。私などから世話を受けている、ということを、何かご自身の、ひどい引目ででもあるかのように思い込んでいなさるのです。あの人は、なんでもご自身で出来るかのように、ひとから見られたくてたまらないのだ。ばかな話だ。世の中はそんなものじゃ無いんだ。この世に暮して行くからには、どうしても誰かに、ぺこぺこ頭を下げなければいけないのだし、そうして歩一歩、苦労して人を抑えてゆくより他に仕様がないのだ。あの人に一体、何が出来ましょう。なんにも出来やしないのです。私から見れば青二才だ。私がもし居らなかったらあの人は、もう、とうの昔、あの無能でとんまの弟子たちと、どこかの野原でのたれ死していたに違いない。「狐には穴あり、鳥には塒、されども人の子には枕するところ無し」それ、それ、それだ。ちゃんと白状していやがるのだ。ペテロに何が出来ますか。ヤコブヨハネアンデレトマス、痴の集り、ぞろぞろあの人について歩いて、脊筋が寒くなるような、甘ったるいお世辞を申し、天国だなんて馬鹿たことを夢中で信じて熱狂し、その天国が近づいたなら、あいつらみんな右大臣左大臣にでもなるつもりなのか、馬鹿な奴らだ。その日のパンにも困っていて、私がやりくりしてあげないことには、みんな飢え死してしまうだけじゃないのか。私はあの人に説教させ、群集からこっそり賽銭を巻き上げ、また、村の物持ちから供物を取り立て、宿舎の世話から日常衣食の購求まで、煩をいとわず、してあげていたのに、あの人はもとより弟子馬鹿どもまで、私に一言のお礼も言わない。お礼を言わぬどころか、あの人は、私のこんな隠れた日々の苦労をも知らぬ振りして、いつでも大変な贅沢を言い、五つのパンと魚が二つ在るきりの時でさえ、目前の大群集みなに食物を与えよ、などと無理難題を言いつけなさって、私は陰で実に苦しいやり繰りをして、どうやら、その命じられた食いものを、まあ、買い調えることが出来るのです。謂わば、私はあの人の奇蹟の手伝いを、危い手品助手を、これまで幾度となく勤めて来たのだ。私はこう見えても、決して吝嗇の男じゃ無い。それどころか私は、よっぽど高い趣味家なのです。私はあの人を、美しい人だと思っている。私から見れば、子供のように慾が無く、私が日々のパンを得るために、お金をせっせと貯めたっても、すぐにそれを一厘残さず、むだな事に使わせてしまって。けれども私は、それを恨みに思いません。あの人は美しい人なのだ。私は、もともと貧しい商人ではありますが、それでも精神家というもの理解していると思っています。だから、あの人が、私の辛苦して貯めて置いた粒々の小金を、どんなに馬鹿らしくむだ使いしても、私は、なんとも思いません。思いませんけれども、それならば、たまには私にも、優しい言葉の一つ位は掛けてくれてもよさそうなのに、あの人は、いつでも私に意地悪くしむけるのです。一度、あの人が、春の海辺をぶらぶら歩きながら、ふと、私の名を呼び、「おまえにも、お世話になるね。おまえの寂しさは、わかっている。けれども、そんなにいつも不機嫌な顔をしていては、いけない。寂しいときに、寂しそうな面容をするのは、それは偽善者のすることなのだ。寂しさを人にわかって貰おうとして、ことさらに顔色を変えて見せているだけなのだまことに神を信じているならば、おまえは、寂しい時でも素知らぬ振りして顔を綺麗に洗い、頭に膏を塗り、微笑んでいなさるがよい。わからいかね。寂しさを、人にわかって貰わなくても、どこか眼に見えないところにいるお前の誠の父だけが、わかっていて下さったなら、それでよいではないか。そうではないかね。寂しさは、誰にだって在るのだよ」そうおっしゃってくれて、私はそれを聞いてなぜだか声出して泣きたくなり、いいえ、私は天の父にわかって戴かなくても、また世間の者に知られなくても、ただ、あなたお一人さえ、おわかりになっていて下さったら、それでもう、よいのです。私はあなたを愛しています。ほかの弟子たちが、どんなに深くあなたを愛していたって、それとは較べものにならないほどに愛しています。誰よりも愛していますペテロヤコブたちは、ただ、あなたについて歩いて、何かいいこともあるかと、そればかりを考えているのです。けれども、私だけは知っていますあなたについて歩いたって、なんの得するところも無いということを知っています。それでいながら、私はあなたから離れることが出来ません。どうしたのでしょう。あなたが此の世にいなくなったら、私もすぐに死にます。生きていることが出来ません。私には、いつでも一人でこっそり考えていることが在るんです。それはあなたが、くだらない弟子たち全部から離れて、また天の父の御教えとやらを説かれることもお止しになり、つつましい民のひとりとして、お母のマリヤ様と、私と、それだけで静かな一生を、永く暮して行くことであります。私の村には、まだ私の小さい家が残って在ります。年老いた父も母も居ります。ずいぶん広い桃畠もあります。春、いまごろは、桃の花が咲いて見事であります。一生、安楽にお暮しできます。私がいつでもお傍について、御奉公申し上げたく思います。よい奥さまをおもらいなさいまし。そう私が言ったら、あの人は、薄くお笑いになり、「ペテロシモン漁人だ。美しい桃の畠も無い。ヤコブヨハネも赤貧の漁人だ。あのひとたちには、そんな、一生を安楽に暮せるような土地が、どこにも無いのだ」と低く独りごとのように呟いて、また海辺を静かに歩きつづけたのでしたが、後にもさきにも、あの人と、しんみりお話できたのは、そのとき一度だけで、あとは、決して私に打ち解けて下さったことが無かった。私はあの人を愛している。あの人が死ねば、私も一緒に死ぬのだ。あの人は、誰のものでもない。私のものだ。あの人を他人に手渡すくらいなら、手渡すまえに、私はあの人を殺してあげる。父を捨て、母を捨て、生れた土地を捨てて、私はきょう迄、あの人について歩いて来たのだ。私は天国を信じない。神も信じない。あの人の復活も信じない。なんであの人が、イスラエルの王なものか。馬鹿弟子どもは、あの人を神の御子だと信じていて、そうして神の国福音かいものを、あの人から伝え聞いては、浅間しくも、欣喜雀躍している。今にがっかりするのが、私にはわかっています。おのれを高うする者は卑うせられ、おのれを卑うする者は高うせられると、あの人は約束なさったが、世の中、そんなに甘くいってたまるものか。あの人は嘘つきだ。言うこと言うこと、一から十まで出鱈目だ。私はてんで信じていない。けれども私は、あの人の美しさだけは信じている。あん美しい人はこの世に無い。私はあの人の美しさを、純粋に愛している。それだけだ。私は、なんの報酬も考えていない。あの人について歩いて、やがて天国が近づき、その時こそは、あっぱ右大臣左大臣になってやろうなどと、そんなさもしい根性は持っていない。私は、ただ、あの人から離れたくないのだ。ただ、あの人の傍にいて、あの人の声を聞き、あの人の姿を眺めて居ればそれでよいのだ。そうして、出来ればあの人に説教などを止してもらい、私とたった二人きりで一生永く生きていてもらいたいのだ。あああ、そうなったら! 私はどんなに仕合せだろう。私は今の、此の、現世の喜びだけを信じる。次の世の審判など、私は少しも怖れていない。あの人は、私の此の無報酬の、純粋愛情を、どうして受け取って下さらぬのか。ああ、あの人を殺して下さい。旦那さま。私はあの人の居所を知って居ります。御案内申し上げます。あの人は私を賤しめ、憎悪して居ります。私は、きらわれて居ります。私はあの人や、弟子たちのパンのお世話を申し、日日の飢渇から救ってあげているのに、どうして私を、あんなに意地悪く軽蔑するのでしょう。お聞き下さい。六日まえのことでした。あの人はベタニヤのシモンの家で食事をなさっていたとき、あの村のマルタ奴の妹のマリヤが、ナルドの香油を一ぱい満たして在る石膏の壺をかかえて饗宴の室にこっそり這入って来て、だしぬけに、その油をあの人の頭にざぶと注いで御足まで濡らしてしまって、それでも、その失礼を詫びるどころか、落ちついてしゃがみ、マリヤ自身の髪の毛で、あの人の濡れた両足をていねいに拭ってあげて、香油匂いが室に立ちこもり、まことに異様な風景でありましたので、私は、なんだか無性に腹が立って来て、失礼なことをするな! と、その妹娘に怒鳴ってやりました。これ、このようにお着物が濡れてしまったではないか、それに、こんな高価な油をぶちまけてしまって、もったいないと思わないか、なんというお前は馬鹿な奴だ。これだけの油だったら、三百デナリもするではないか、この油を売って、三百デナリ儲けて、その金をば貧乏人に施してやったら、どんなに貧乏人が喜ぶか知れない。無駄なことをしては困るね、と私は、さんざ叱ってやりました。すると、あの人は、私のほうを屹っと見て、「この女を叱ってはいけない。この女のひとは、大変いいことをしてくれたのだ。貧しい人にお金を施すのは、おまえたちには、これからあとあと、いくらでも出来ることではないか。私には、もう施しが出来なくなっているのだ。そのわけは言うまい。この女のひとだけは知っている。この女が私のからだに香油を注いだのは、私の葬いの備えをしてくれたのだ。おまえたちも覚えて置くがよい。全世界、どこの土地でも、私の短い一生を言い伝えられる処には、必ず、この女の今日仕草も記念として語り伝えられるであろう」そう言い結んだ時に、あの人の青白い頬は幾分、上気して赤くなっていました。私は、あの人の言葉を信じません。れいに依って大袈裟なお芝居であると思い、平気で聞き流すことが出来ましたが、それよりも、その時、あの人の声に、また、あの人の瞳の色に、いままで嘗つて無かった程の異様なものが感じられ、私は瞬時戸惑いして、更にあの人の幽かに赤らんだ頬と、うすく涙に潤んでいる瞳とを、つくづく見直し、はッと思い当ることがありました。ああ、いまわしい、口に出すさえ無念至極のことであります。あの人は、こんな貧しい百姓女に恋、では無いが、まさか、そんな事は絶対に無いのですが、でも、危い、それに似たあやしい感情を抱いたのではないか? あの人ともあろうものが。あんな無智な百姓女ふぜいに、そよとでも特殊な愛を感じたとあれば、それは、なんという失態。取りかえしの出来ぬ大醜聞。私は、ひとの恥辱となるような感情を嗅ぎわけるのが、生れつき巧みな男であります自分でもそれを下品嗅覚だと思い、いやでありますが、ちらと一目見ただけで、人の弱点を、あやまたず見届けてしまう鋭敏の才能を持って居ります。あの人が、たとえ微弱にでも、あの無学の百姓女に、特別感情を動かしたということは、やっぱり間違いありません。私の眼には狂いが無い筈だ。たしかにそうだ。ああ、我慢ならない。堪忍ならない。私は、あの人も、こんな体たらくでは、もはや駄目だと思いました。醜態の極だと思いました。あの人はこれまで、どんなに女に好かれても、いつでも美しく、水のように静かであった。いささかも取り乱すことが無かったのだ。ヤキがまわった。だらしが無え。あの人だってまだ若いのだし、それは無理もないと言えるかも知れぬけれど、そんなら私だって同じ年だ。しかも、あの人より二月おそく生れているのだ。若さに変りは無い筈だ。それでも私は堪えている。あの人ひとりに心を捧げ、これ迄どんな女にも心を動かしたことは無いのだ。マルタの妹のマリヤは、姉のマルタが骨組頑丈で牛のように大きく、気象も荒く、どたばた立ち働くのだけが取柄で、なんの見どころも無い百姓女でありますが、あれは違って骨も細く、皮膚は透きとおる程の青白さで、手足もふっくらして小さく、湖水のように深く澄んだ大きい眼が、いつも夢みるように、うっとり遠くを眺めていて、あの村では皆、不思議がっているほどの気高い娘でありました。私だって思っていたのだ。町へ出たとき、何か白絹でも、こっそり買って来てやろうと思っていたのだ。ああ、もう、わからなくなりました。私は何を言っているのだ。そうだ、私は口惜しいのです。なんのわけだか、わからない。地団駄踏むほど無念なのです。あの人が若いなら、私だって若い。私は才能ある、家も畠もある立派な青年です。それでも私は、あの人のために私の特権全部を捨てて来たのです。だまされた。あの人は、嘘つきだ。旦那さま。あの人は、私の女をとったのだ。いや、ちがった! あの女が、私からあの人を奪ったのだ。ああ、それもちがう。私の言うことは、みんな出鱈目だ。一言も信じないで下さい。わからなくなりました。ごめん下さいまし。ついつい根も葉も無いことを申しました。そんな浅墓な事実なぞ、みじんも無いのです。醜いことを口走りました。だけれども、私は、口惜しいのです。胸を掻きむしりたいほど、口惜しかったのです。なんのわけだか、わかりませぬ。ああ、ジェラシィというのは、なんてやりきれない悪徳だ。私がこんなに、命を捨てるほどの思いであの人を慕い、きょうまでつき随って来たのに、私には一つの優しい言葉も下さらず、かえってあんな賤しい百姓女の身の上を、御頬を染めて迄かばっておやりなさった。ああ、やっぱり、あの人はだらしない。ヤキがまわった。もう、あの人には見込みがない。凡夫だ。ただの人だ。死んだって惜しくはない。そう思ったら私は、ふいと恐ろしいことを考えるようになりました。悪魔に魅こまれたのかも知れませぬ。そのとき以来、あの人を、いっそ私の手で殺してあげようと思いました。いずれは殺されるお方にちがいない。またあの人だって、無理に自分を殺させるように仕向けているみたいな様子が、ちらちら見える。私の手で殺してあげる。他人の手で殺させたくはない。あの人を殺して私も死ぬ旦那さま、泣いたりしてお恥ずかしゅう思いますはい、もう泣きませぬ。はいはい。落ちついて申し上げます。そのあくる日、私たちは愈愈あこがれのエルサレムに向い、出発いたしました。大群集、老いも若きも、あの人のあとにつき従い、やがて、エルサレムの宮が間近になったころ、あの人は、一匹の老いぼれた驢馬を道ばたで見つけて、微笑してそれに打ち乗り、これこそは、「シオンの娘よ、懼るな、視よ、なんじの王は驢馬の子に乗りて来り給う」と予言されてある通りの形なのだと、弟子たちに晴れがましい顔をして教えましたが、私ひとりは、なんだか浮かぬ気持でありました。なんという、あわれな姿であったでしょう。待ちに待った過越の祭エルサレム宮に乗り込む、これが、あのダビデの御子の姿であったのか。あの人の一生の念願とした晴れの姿は、この老いぼれた驢馬に跨り、とぼとぼ進むあわれな景観であったのか。私には、もはや、憐憫以外のものは感じられなくなりました。実に悲惨な、愚かしい茶番狂言を見ているような気がして、ああ、もう、この人も落目だ。一日生き延びれば、生き延びただけ、あさはかな醜態さらすだけだ。花は、しぼまぬうちこそ、花である。美しい間に、剪らなければならぬ。あの人を、一ばん愛しているのは私だ。どのように人からまれてもいい。一日も早くあの人を殺してあげなければならぬと、私は、いよいよ此のつらい決心を固めるだけでありました。群集は、刻一刻とその数を増し、あの人の通る道々に、赤、青、黄、色とりどりの彼等の着物をほうり投げ、あるいは棕櫚の枝を伐って、その行く道に敷きつめてあげて、歓呼にどよめき迎えるのでした。かつ前にゆき、あとに従い、右から、左から、まつわりつくようにして果ては大浪の如く、驢馬とあの人をゆさぶり、ゆさぶり、「ダビデの子にホサナ、讃むべきかな、主の御名によりて来る者、いと高き処にて、ホサナ」と熱狂して口々に歌うのでした。ペテロヨハネバルトロマイ、そのほか全部の弟子共は、ばかなやつ、すでに天国を目のまえに見たかのように、まるで凱旋将軍につき従っているかのように、有頂天歓喜で互いに抱き合い、涙に濡れた接吻を交し、一徹者のペテロなど、ヨハネを抱きかかえたまま、わあわあ大声で嬉し泣きに泣き崩れていました。その有様を見ているうちに、さすがに私も、この弟子たちと一緒に艱難を冒して布教に歩いて来た、その忍苦困窮の日々を思い出し、不覚にも、目がしらが熱くなって来ました。かくしてあの人は宮に入り、驢馬から降りて、何思ったか、縄を拾い之を振りまわし、宮の境内の、両替する者の台やら、鳩売る者の腰掛けやらを打ち倒し、また、売り物に出ている牛、羊をも、その縄の鞭でもって全部、宮から追い出して、境内にいる大勢商人たちに向い、「おまえたち、みな出て失せろ、私の父の家を、商いの家にしてはならぬ」と甲高い声で怒鳴るのでした。あの優しいお方が、こんな酔っぱらいのような、つまら乱暴を働くとは、どうしても少し気がふれているとしか、私には思われませんでした。傍の人もみな驚いて、これはどうしたことですか、とあの人に訊ねると、あの人の息せき切って答えるには、「おまえたち、この宮をこわしてしまえ、私は三日の間に、また建て直してあげるから」ということだったので、さすが愚直の弟子たちも、あまり無鉄砲なその言葉には、信じかねて、ぽかんとしてしまいました。けれども私は知っていました。所詮はあの人の、幼い強がりにちがいない。あの人の信仰とやらでもって、万事成らざるは無しという気概のほどを、人々に見せたかったのに違いないのです。それにしても、縄の鞭を振りあげて、無力な商人を追い廻したりなんかして、なんて、まあ、けちな強がりなんでしょう。あなたに出来る精一ぱいの反抗は、たったそれだけなのですか、鳩売りの腰掛けを蹴散らすだけのことなのですか、と私は憫笑しておたずねしてみたいとさえ思いました。もはやこの人は駄目なのです。破れかぶれなのです。自重自愛を忘れてしまった。自分の力では、この上もう何も出来ぬということを此の頃そろそろ知り始めた様子ゆえ、あまりボロの出ぬうちに、わざと祭司長に捕えられ、この世からさらばしたくなって来たのでありましょう。私は、それを思った時、はっきりあの人を諦めることが出来ました。そうして、あんな気取り屋の坊ちゃんを、これまで一途に愛して来た私自身の愚かさをも、容易に笑うことが出来ました。やがてあの人は宮に集る大群の民を前にして、これまで述べた言葉のうちで一ばんひどい、無礼傲慢暴言を、滅茶苦茶に、わめき散らしてしまったのです。左様、たしかに、やけくそです。私はその姿を薄汚くさえ思いました。殺されたがって、うずうずしていやがる。「禍害なるかな、偽善なる学者パリサイ人よ、汝らは酒杯と皿との外を潔くす、然れども内は貪慾と放縦とにて満つるなり。禍害なるかな、偽善なる学者パリサイ人よ、汝らは白く塗りたる墓に似たり、外は美しく見ゆれども、内は死人の骨とさまざまの穢とに満つ。斯のごとく汝らも外は正しく見ゆれども、内は偽善不法とにて満つるなり。蛇よ、蝮の裔よ、なんじら争で、ゲヘナ刑罰を避け得んや。ああエルサレムエルサレム予言者たちを殺し、遣されたる人々を石にて撃つ者よ、牝鶏のその雛を翼の下に集むるごとく、我なんじの子らを集めんと為しこと幾度ぞや、然れど、汝らは好まざりき」馬鹿なことです。噴飯ものだ。口真似するのさえ、いまわしい。たいへんな事を言う奴だ。あの人は、狂ったのです。まだそのほかに、饑饉があるの、地震が起るの、星は空より堕ち、月は光を放たず、地に満つ人の死骸のまわりに、それをついばむ鷲が集るの、人はそのとき哀哭、切歯することがあろうだの、実に、とんでも無い暴言を口から出まかせに言い放ったのです。なんという思慮のないことを、言うのでしょう。思い上りも甚しい。ばかだ。身のほど知らぬ。いい気なものだ。もはや、あの人の罪は、まぬかれぬ。必ず十字架。それにきまった。祭司長や民の長老たちが、大祭司カヤパの中庭にこっそり集って、あの人を殺すことを決議したとか、私はそれを、きのう町の物売りから聞きました。もし群集の目前であの人を捕えたならば、あるいは群集が暴動を起すかも知れないから、あの人と弟子たちとだけの居るところを見つけて役所に知らせてくれた者には銀三十を与えるということをも、耳にしました。もはや猶予の時ではない。あの人は、どうせ死ぬのだ。ほかの人の手で、下役たちに引き渡すよりは、私が、それを為そう。きょうまで私の、あの人に捧げた一すじなる愛情の、これが最後挨拶だ。私の義務です。私があの人を売ってやる。つらい立場だ。誰がこの私のひたむきの愛の行為を、正当に理解してくれることか。いや、誰に理解されなくてもいいのだ。私の愛は純粋の愛だ。人に理解してもらう為の愛では無い。そんなさもしい愛では無いのだ。私は永遠に、人の憎しみを買うだろう。けれども、この純粋の愛の貪慾のまえには、どんな刑罰も、どんな地獄業火問題でない。私は私の生き方を生き抜く。身震いするほどに固く決意しました。私は、ひそかによき折を、うかがっていたのであります。いよいよ、お祭りの当日になりました。私たち師弟十三人は丘の上の古い料理屋の、薄暗い二階座敷を借りてお祭り宴会を開くことにいたしました。みんな食卓に着いて、いざお祭りの夕餐を始めようとしたとき、あの人は、つと立ち上り、黙って上衣を脱いだので、私たちは一体なにをお始めなさるのだろうと不審に思って見ているうちに、あの人は卓の上の水甕を手にとり、その水甕の水を、部屋の隅に在った小さい盥に注ぎ入れ、それから純白の手巾をご自身の腰にまとい、盥の水で弟子たちの足を順々に洗って下さったのであります弟子たちには、その理由がわからず、度を失って、うろうろするばかりでありましたけれど、私には何やら、あの人の秘めた思いがわかるような気持でありました。あの人は、寂しいのだ。極度に気が弱って、いまは、無智な頑迷弟子たちにさえ縋りつきたい気持になっているのにちがいない。可哀想に。あの人は自分の逃れ難い運命を知っていたのだ。その有様を見ているうちに、私は、突然、強力な嗚咽が喉につき上げて来るのを覚えた。矢庭にあの人を抱きしめ、共に泣きたく思いました。おう可哀想に、あなたを罪してなるものか。あなたは、いつでも優しかった。あなたは、いつでも正しかった。あなたは、いつでも貧しい者の味方だった。そうしてあなたは、いつでも光るばかりに美しかった。あなたは、まさしく神の御子だ。私はそれを知っていますおゆるし下さい。私はあなたを売ろうとして此の二、三日、機会をねらっていたのです。もう今はいやだ。あなたを売るなんて、なんという私は無法なことを考えていたのでしょう。御安心なさいまし。もう今からは、五百の役人、千の兵隊が来たとても、あなたおからだに指一本ふれさせることは無い。あなたは、いま、つけねらわれているのです。危い。いますぐ、ここから逃げましょう。ペテロも来い、ヤコブも来い、ヨハネも来い、みんな来い。われらの優しい主を護り、一生永く暮して行こう、と心の底からの愛の言葉が、口に出しては言えなかったけれど、胸に沸きかえって居りました。きょうまで感じたことの無かった一種崇高な霊感に打たれ、熱いお詫びの涙が気持よく頬を伝って流れて、やがてあの人は私の足をも静

anond:20181207120017

二番煎じ

日本テレビは本当に終わってる

私今までの経験からして多分酔ったらヤレるブスで、山崎ケイの言うところのちょうどいいブスに該当すると思うんですけど、ちょうどいいブスを目指せ!というテレビ文言を見て本当に苦しくなった

ブスを自称するのは別に良いし自分のことはブスだと自覚してるけど、他人に言われるのとは違う。生まれ持ったどうしようもないもので、他人バカにするのは本当に下品で、想像力に欠けた人間ではないですか?ブスやハゲって言葉を使う人間が大嫌い。それなのに、今の時代こんなタイトルのこんな内容の番組を堂々と公共電波で流すのは、ちょっと信じられなくてびっくりした、というかドン引いた

日本テレビ本当に終わってる

2018-12-07

芸能人の起源=河原者=乞食

自分を切り売りして稼ぐ下品な連中やねw

バラエティー番組なんて、自分が取り組むべき人生課題がない暇人=アホが見るものでしょw

結論芸人には死あるのみ

2018-12-06

男が上方婚しない理由

自分よりも経済力が上の女に対して、男側が委縮してしまったらそもそも子供を作れないじゃん。

おまけに男が上方婚場合は、自分よりも年上女の場合が多い。

「こんな女じゃ起たねえよ」と男に思われた以上は、その夫婦子供を作れなくなる(下品申し訳ない)。

女は下方婚しないとよく批判されるが、男だって上方婚はしない、というより出来ない。

上方婚したいという男に聞きたいのだが、自分よりも経済力のある強い女に欲情できるか?

しかも年上や不細工な女を性的対象として見れるのか?

Eテレに癒される

若いころは楽しめてた民放バラエティに飽き飽きしてしまった

で、なんとなくEテレをつけっぱなしにしてたら癒されていく気がした

別に真剣に見ているわけではなく、他の作業しながらバックグラウンドで垂れ流してるだけなんだけど

基本的下品な要素がないので心の安定剤としての効果が高く感じた

おれも年をとったんだな

2018-12-05

東京人間は冷たいというステレオタイプに怒る東京人を見たときに思

うこと。分かりますよ?自分地元自分を含むそこに住んでる人間性格を決めつけられたら嫌ですよね。東京に馴染めない田舎者嫉妬とか言いたくなるのも分かりますよ。

でもその東京メディアの中で地方がどれだけステレオタイプオリエンタリズム丸出しに日々描かれ消費されているか考えたことありますか?日本の主要メディアは全て東京に集中してます

ドラマ等でさっきまで標準語喋ってたキャラ下品な事やがめついことを言うときだけ関西弁になったり、滑稽な田舎者表現する時に東北弁になったり、ヤクザキャラ広島弁もしくは関西弁でしゃべってたりという表現はとても多いです。

これらの描写は何十年も東京メディアが娯楽として発信してきたものです。あなたたちは自分地元文化をそういう消費のされ方をしたことがありますか?それはこれらの方言のように頻繁にありましたか

そもそも東京メディアは何故お笑い芸人という笑われる役割だけは方言で喋ることを認めてるんですか?メディアの発信力の非対称性だとかこういう事を考えたことありますか?

2018-12-04

から彼氏ができないのでは?

どうしてこんなに常識がなくてマナーもない人間がいるのかとイライラする。

いや、なぜこんな人間と同じ場にいなきゃいけないのか、と自分の現状にもイライラする。

同僚じゃなければ一緒に時間を共にしたくないし本当に下品。悪い言葉だが、育ちが悪いとはこのことを言うのだな。底辺のお育ち。

イライラして揚げ足をとりにいっている自覚はある。

恋人いるか否かが人生全てではない。それに全ての人がそのような欲求を持っているわけではないと分かっている。が、そう思ってしまう。

本人だけではどうしようもない問題=言い返せない問題、だからこそこういう叩きかたをしてしまうのだろう。悪いな。

ただこのようなお育ちで30過ぎてしまえば、親からの注意はまず望めない(親にその意思がない)だろうし、友達も注意しないだろう。

孤独なまま、指摘されぬまま人生を続けるのであろう。

歳をとればマナーのなさは、見るに耐えがたさを増していくだろうし、それは彼女孤独を加速させるだろうな。

そう思って私は溜飲を下げる。

2018-12-03

anond:20181203015818

ガチってガチンコってことだよね

ガチンコ恋勢っていうと下品に聞こえるよね

からガチって言わない方がいい

なんか下品

2018-12-02

フランスの燃料税増税(ガソリン税UP)と、日本マスコミ報道地方未来について

偏向報道印象操作、時には捏造だらけの日本テレビではパリ市民が転倒した自動車悪魔のような顔で何回も蹴りまくったり、暴徒が自動車意図的に爆発炎上させているような光景が詳しく流れるようなことはないでしょう。

言論の自由を盾に、実質的罰則ほとんど無いに等しいので日本マスゴミ真実国民に伝えようとしない。

なので私たち積極的ネット活用して国内外情報能動的に収集する必要がある。特に統計大事です。

そういう意味においても、テレビなんて捨ててネット一本のほうがよっぽど効率的に"正しく詳しい情報"を収集できる時代になったのは確かですね。

日本マスコミフランスイタリアのこういった暴力的なシーンをあまり報道しないのは、パリのこんな様子をテレビで何回も流されたら、フランスブランドという"虚像"で商売している人らが困るというのもありますが。

フランス日本原発事故後に下品皮肉記事を讃えたり守ったりするような国なのですから日本だってフランスに遠慮することなんてないのにね。

フランスメディアイスラム教を痛烈に皮肉るが、ユダヤ教キリスト教には大甘という"自称""言論の自由"を掲げながら実際はフランス人の根底にある差別意識が表に出ているだけというのが滑稽です。

ただ、今回、フランスが推進している燃料税増税ガソリン税増税日本も見習うべきであるとも感じます

地方の足が~」と反論する人がいますが、地方交通歴史直視すれば、マイカー依存こそがバス鉄道などの公共交通を殺した事実がそこにはあり、自動車への課税強化でマイカー離れを薦めれば自然バス鉄道の利用が増えて増便で便利になり、高齢者クルマなしでも暮らせる地域づくりの実現可能性が高まるのですからね。

2018-11-30

anond:20181130221250

すごくわかります。わかるんですけど、私は上の世界を目の当たりにする前に、同じランクの人と結婚しなきゃ行けなかったんだと思います。今は同じランク下品に見えて、自分下品なのに、つらいです

anond:20181130220553

同等の人と結婚がいいの、本当にそうだと思うんです。話も合わないだろうなと思うし。

でも、こういう世界を見てしまったら、今まで好きになれたタイプの男の人が何か下品みえしまって。身の程を知りたいです。

腐女子浮気

何となく気づいたというか、よく考えなくてもそうやん、とおもったが、

総受け嗜好の腐女子自身倫理観念が緩い。

作品と本人を同一視するのはよくないといわれるし、なによりブーメランなので考えるのを合えてやめていたが、でもやはりそうだ。

下品エロ漫画かけるタイプキャバ嬢率が高いしなあ。

男性向けレベルエロ漫画を描く人はメンタル不安定パターン編集者はまあ狙うだろうなと思ってみてる

2018-11-28

anond:20181128171515

ケツとかお下品です!

しりって言ってくださいね!!

2018-11-26

美男高校地球防衛部かいコンテンツ

2014年10月 新人男性声優をメインに据えたアニメとして制作発表

2015年1月 アニメ第1期放送 円盤全巻平均6500枚

2015年5月 ライブ開催

2015年8月 2期制作決定発表

2016年7月 アニメ第2期放送 円盤全巻平均4200枚

2016年11月 ライブ開催

円盤の売上も落ちたし展開のネタが尽きてきた感じがでてきて、そろそろこのコンテンツは畳まれるのかなあという空気ファンの間に漂う

2017年3月 OVA制作CG LIVE開催発表

2017年5月7月 CG LIVEが月1で開催される

新規展開でファン大はしゃぎ、と思ったら

2017年8月 OVA期間限定劇場公開

↑これが時間の半分くらいが総集編で話が薄く、ファンの間で物議

2017年11月 ファイナルイベント開催告知

2018年元旦 キャラ総入れ替えの新シリーズ制作発表

正月からこの発表でファンの中でも賛否分かれる

2018年2月 旧シリーズファイナルイベント開催

2018年4月 新シリーズ放送 円盤全巻平均1000枚を切る

2018年7月 旧シリーズキャラのグッズ発売発表

ファイナルを強調して終了させた旧シリーズキャラ再利用する公式

2018年11月 新シリーズライブ開催

2018年11月 スタッフが同じ全く別のオリジナルアニメ制作発表

2015年から2017年半ばまで本当に楽しませてもらったコンテンツがたったの1年でここまでガタガタになっていくとは思わなかった

2期が発表されたとき・その2期のあとそろそろ展開は終わりかなと思ってたのにOVACG LIVEが発表されたときは泣くほど嬉しかったしずっとこのコンテンツについていきたいと思った

だけどやっぱり結局アニメ面白くないとダメ

シリーズOVAのできもよくなかったけどまさかシリーズ円盤売上がこんなに落ちぶれるとは

オタク相手声優が投げキスする会なんて下品イベント参加権を円盤特典につけてたけどアニメの質が低いとこうなっちゃうよね

別のオリジナルアニメ制作も決定したし新シリーズの2期もないだろう

しっかし新シリーズのこの実績でよく同じスタッフの別アニメ作るの許したなポニーキャニオン

それにいちばんびっくりだよ

2018-11-25

anond:20181125143009

でも一般的には、ブクマ乞食は悪みたなかんじだし

ブクマしてなんて下品だよ

恥ずかしくて言えないよ……

2018-11-24

ふと選挙行けいけ勢へのイライラが貯まった

選挙行かないとか何考えてんだバカとかみたいに思うまま圧力をかける

→言われた方は不快になる以外の感想をもたないと思うけど

 言ってる側の信条としては100正しいことを言ってる訳だから嘘はないのは

 主張するという点では正しい気がする

 

選挙行かないということは政治文句を言う権利がないぞ

→これはなんの根拠もない上にどっかで耳に入った言葉

 そのまま喚いてるだけという点で下品にも程がある

 

白票でもいいから行くことが大事

白票が増えればその分を掴もうと政治家が目を向けてくれるから

 無意味ではないみたいなのが理由らしいが、これについてはその考えから自体甘ったれなわけで

 そんなんでよく他人様に選挙行けとか言えるな~っと不思議

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