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2017-12-11

昨日初めて新幹線グリーン車乗ったんだよ

人の金でだけど

30年の人生で初グリーン車


人の金でグリーン車乗っといてなんだけど

飛行機ビジネスクラスみたいに運賃跳ね上がるほど差額があるわけでもないから(ちなみに飛行機エコノミーしか乗ったことない)

靴脱げるのと全席にコンセントあるくらいで

特別乗り心地が違うわけでもないなーと思ってたわけ

で、人生グリーン車も堪能したし一眠りしようかなと背もたれを倒したとき

よく見ると背もたれを倒すレバー?が両方向(前後)に動くのを発見したのね

まさかと思って前方向にレバーを倒してみると

なんと…!背もたれによりかかったままシートが起き上がってくるではないか…!

しかもこのスムーズで静かな動きは電動ではない…!?

そして「リクライニングの調整を一切身体に力を入れずに行える」というのが思いの外快適…!

ついつい意味もなく背もたれを動かしたくなってしまう…!

これがグリーン車か…!

とすげー小さいことなんだけど

すごく「グリーン車感(リッチ感?)」があったので

かに言いたくてここに書いた

似非科学に関して青春時代の思い出を交えた個人的考察

 似非科学というのはいつの時代もなくならないものだ。パッと思いつく例だけでも、血液型性格診断ゲーム脳環境ホルモン水素水マイナスイオン、等々、枚挙に暇がない。多くはマスコミによって支持され、テレビ番組特集が組まれ、その科学的根拠あいまいにも拘らず世間に流布されて浸透する。テレビ番組などはあたかもその説を「検証」しているかのような映像を作り、怪しい肩書専門家コメントを添える。視聴者の多くはなんとなく「科学的に証明されている説なんだ」と信じ込み、疑問を持つことなく受け入れてしまう。一億総白痴化社会の完成である最近ネット上で多くの意見を比べて読むことができるので、情報収集能力の高い人たちはそこまで騙されやすくないとは思うが、未だテレビ新聞が主な情報源である人たちにとっては、上述の似非科学が今でも信じていることが多い。特に血液型性格診断などは、宗教のように信じ込んでしまっている人も相当数いるだろう。

 私も子供の頃はこれらの似非化学に騙されやす人間だった。最近ほとんど見ないが、昔はテレビが娯楽の中心だったこともあり、夕食時などはよく見ていたものである特に捏造問題で打ち切られた「発掘あるある大事典」などは、親が好きだったこともあって毎週見ていた。その中で血液型性格診断特集を何度か行っていたことは、今でも何となく覚えている。番組の中で「数名の幼稚園児を血液型別に分類してその行動を観察する」という検証が行われており、ものの見事にその血液型の特徴が行動として現れていた。見ていた私は「やっぱり血液型性格には関係があるんだなー」とぼんやりと納得していたが、今になって思い返してみれば数名の幼稚園児の行動で結論を出すのは早急すぎるし、番組が「○型かつ××な性格」の幼稚園児を数名集めることな造作もないことだし、そもそも集められた幼稚園児の血液型が本当に表示通りだと証明する根拠は何も無い。極めつけはあの「あるある」である。そういえば「あるある」マイナスイオン特集も何度かやっていた記憶がある。まあ、放送内容の真偽を検証するのは今となっては不可能に近いことだからやめておくにしても、心理学会において血液型性格判断の真偽は何度も検証されており、いずれも関連性を肯定するものがないことから、かの理論が出鱈目であることは疑いようがないだろう。

 しかし、科学価値は小指の爪の垢ほどもない血液型性格診断であるが、この似非化学が私に教えてくれたことが二つある。それは「人間客観的事実よりも自分が信じたいものを信じる」ということと「何かを信じ込んでいる人間を説得しようという試みは大抵徒労に終わる」ということだ。付け足すなら、当時私はまだ純粋ティーンエイジャーだったので、「大人は平気でうそをつく」ということも学んだと言えよう。

 私が初めて血液型性格診断反証する意見に触れたのは、中学二年生のことだったと記憶している。当時別段読書が好きでもない(むしろ嫌い)だった私が、たまたま休み時間図書館に立ち寄り、ふと目に留まった一冊の本を手に取ったのがきっかけだった。それは村上宣寛という方の著書『「心理テスト」はウソでした。受けたみんなが馬鹿を見た』(2005、日経ビジネス)という本である。新作であったこの本は本棚の上に表紙が見えるように立てられており、そのセンセーショナルタイトルに興味を惹かれたのを覚えている。

 10年以上前に読んだものであるためにうろ覚えな部分もあるが、本の内容は大きく2つに分かれていた。前半が血液型性格診断への反論、後半はまた別の心理テストへの反論が主であった(後半の内容は忘れた)。本文の中で、今日血液型性格診断の源流である能見正比古氏の著書をけちょんけちょんに貶し、また血液型性格診断のような「占い」を人に信じ込ませるための心理テクニックであるバーナム効果」についても詳しく説明があったと記憶している。

 当然、本の内容は著者の考えであり、本の内容が絶対的事実であるとは(今となっては)思わない。しかしこの本の内容は、血液型性格診断科学的根拠のある学説だと何となく思い込んでいた私にとっては、とても衝撃的な物であった。血液型性格診断のものというより、これまで固定観念的に信じ込んでいた常識が、脆くも崩れ去った瞬間で、まさしく目から鱗であった。活字嫌いな私が、数日図書館に通って本を読んだのは、(マンガ喫茶を除けば)後にも先にもこの時だけであろう。「借りて読めよ」と言われるかもしれないが、当時の学校図書館ルールで、新作は借りれなかったのである

 新しい知識を得たら人に言いふらしたくなるのが能のないアホウドリの常である。当時は全盛期こそ過ぎたものの、血液型性格診断世間一般根付いており、それを否定する論調は(少なくとも大手メディアでは)ほとんど存在していなかった。要するに「他の誰も知らないことを自分けが知っている」ような状況だったのだ。腕のケガだと偽って毎日手に包帯を巻いて通学していたリアル中二病の私にとって、これほどドヤれる材料は無い。とは言え、何の脈絡もなく血液型性格診断の話をするのも変である。友人との会話の中で血液型の話が出てくるのを待ち、出てきた瞬間にこれでもかと否定する。それによって「頭が良い奴」と思われて皆からちやほやされる。正に完璧計画だった。

 ところが、実際に反論してみたところ、いずれもあまり芳しくない結果に終わってしまった。どや顔血液型性格診断否定しても、「でも何となく合ってる気がするし…」と、決まって歯切れの悪い反応しか返って来ないのである挙句教師からも「屁理屈ばっかりこねるな」と言われる始末。今となってはどちらが屁理屈なんだと思わざるを得ないが、確かに思い返してみれば、血液型の話でわいわい盛り上がっている時に、キモいデブどや顔否定して来たら、場が白けてしまうのは明白だろう。要するに私の敗因は、イケメンではなかったこである

 冗談はさておくにしても、それ以降、私は血液型性格診断の話が出てきた時、余程仲の良い間柄でなければ、ニコニコして受け流すようにした。まさに2017年現在でも血液型性格診断肯定論者の方が言うところの、「否定する奴はモテない」という説を支持する対応であった。情けないとは思うが、当時ただでさえ友達が少なく、これ以上周りから孤立するようなことは避けたかった私を責めることなど出来るだろうか。ちなみに今は目上の人でなければそれとなく否定している。相変わらずチキンであった。まあ、事実事実として、TPOに合った会話合わせというのは必要だと思っている。

 そこで私が学んだことが、先の「人間客観的事実よりも自分が信じたいものを信じる」「何かを信じ込んでいる人間を説得しようという試みは大抵徒労に終わる」の二つだ。血液型性格診断を信じている人に、上述の心理学会の話や、バーナム効果の話をしても、決まって返ってくる言葉は「でも何となく当たってる気がする」「私の周りでは当たっている」と言ったものだ。査読のある学術誌に投稿された数千人規模の調査結果よりも、自分の身の周りの数名の事例を優先するのである。当然その事例には得てして強い確証バイアスが掛かっているのだが、本人はそれに気付くことができない。「客観的事実よりも自分が信じたいことを信じる」典型である

 これは、似非化学に限らず社会の中のあらゆる現象に対して言えることである。例えば昨今、「若者の○○離れ」という言葉をよく耳にする。○○の中には、テレビ新聞、車、バイク、酒、読書など、ありとあらゆるものが入り得る。そして、その原因は大抵若者帰着させることが多い。「最近の若者は人との関係希薄から酒を飲みながらのコミュニケーションをしないのだ」とか、「世間政治に対して無関心だからテレビ新聞を見ないのだ」とか、とりあえず若者悪者にするような結論が多いが、決して「社会の変化によってニーズも変容し、製品価値相対的に下がった、すなわち製品自体時代の変化に追いつけなくなったのだ」といったような、自らに責任帰着させることは決して言わない。やはり自分が信じたいことしか信じていないのである

 また、血液型性格診断を信じている人の共通点として、否定しようとすればするほど攻撃的になって反論するというものがある。先の中学生の時の教師がその典型例だろう。理論的な反論が出来なくなると「屁理屈をこねるな」と論点をずらして逃げるのである。「否定する奴はモテない」というのも同様で、血液型性格診断の真偽について反論しているのに、「モテるモテない」の話にすり替えさら相手を「お前は場の空気の読めないモテない人間だ」と罵倒しているのである。そうなってしまうと、もはや冷静な会話は成り立たない。こちらがいくら事実を述べても、返って来るのは罵倒だけであり、最終的に相手が逃げてしまうのである。そこに残るのは無駄時間の浪費と徒労感だけで、何ら生産性のない労力を費やされることになる。

 こちらもやはり社会全般で言えることだ。例えば「若者犯罪ゲームアニメによる影響だ」などの持論を展開する人に、「若年層の犯罪率は年々下がり続けており、反対にゲームアニメ市場は伸び続けている。」と反論しても、恐らくその後は謂れなき若者批判罵倒くらいしか返って来ないだろう。論理的反論を受け入れられない人間にとっては、実は事実などどうでも良く、会話を勝ち負けを決める手段としてしか考えていない。そして自分が負けるのが嫌だから最後子供のような罵倒に終始し、逃げてしまうのである。こういった手合いは、「自分の非を素直に認められない」ことも共通点と言えるだろう。人間であれば誰しも少なから負けず嫌いな側面は持っているが、この手の人間特にその傾向が強い(と何の統計的データもなく私の主観でそう思っている)。

 似非科学のような嘘を信じ込んでいる人は、宗教信者に近い。もちろん宗教否定している訳ではない。宗教というものは、「事実か否かを証明する術がない」にもかかわらず、「否定は許されない」というのが特徴である。これ自体別に悪いことではなく、「鰯の頭も信心から」と言うように、それを信じることによって本人の精神的支えとなるのであれば、それで良いと個人的には思っている。客観的証明できなかったとしても、個人の中で信じていれば問題はないのである。ただし行き過ぎると他者に対する不寛容に繋がり、戦争弾圧に容易に発展してしまうため、注意は必要である仏陀キリストと「顔を描いてはいけないあの人」の誰が一番偉いかというような論争は、決して行ってはならないのである(仏陀キリストが同じアパートの一室で生活しているマンガはあるが)。

 「宗教」と「似非科学」の明確な違いは、前者は「事実かどうかわからない(事実であることに重きを置いていない)」のに対し、後者はそれが「明確な嘘」だということである。明確な嘘を流布すれば、社会に対して損害が生まれる。血液型性格診断であれば、近年問題になっている「ブラハラ」なる差別を生じる。ゲーム脳であれば、本来何も悪くないゲーム会社風評被害を受ける。水素水であれば、医学的根拠のないただの水を健康に良いと信じ込んで高額な値段で買わされる消費者が現れる。そして、損をする人の裏側では、他者を騙して得をする悪人存在しているのである。大抵は嘘っぱちの本を書いた奴とその取り巻きだ。

 だからこそ似非化学は撲滅しなければならないし、似非化学の考案者やそれを流布するメディア批判されなければならない。日本表現の自由保障されているから何を言おうと自由であるが、それはあくま公序良俗に反しないことが前提であり、嘘によって不正利益を得るのは詐欺である表現に対して批判を行う自由もあるのだから客観的に見て明らかに事実と異なる論説に対しては、毅然とした態度で批判すべきである

 そして、一般消費者である我々は、常にその情報事実であるか否かを見極める努力が求められる。媒体を問わずメディアは平気で嘘をつく。他人に言われたままのことを信じる人間は、その情報が誤りであった場合他人責任を求めがちである。何が正しいか自分判断し、自分責任において選択する力こそが、情報化社会を生き抜くために必要スキルと言えるのではないだろうか。

 似非科学流行は、社会におけるメディアリテラシー成熟度合いの指標と言えるかもしれない。

郷土愛がわからない

日本海側の東北地方出身なんだが、地元に対する愛着がまるでない。大学進学を期に上京してから今に至るまで、戻りたいと思ったことはないし、たまに帰るだけでも億劫

雪が多いのも、多少不便なのも我慢はできる。でも、未来が無いことが確定している絶望感と、冠婚葬祭なんかのイベントの度に見せつけられる「女は奴隷として働き男は酒を飲むのが仕事」という価値観はどうしても耐えられない。

私の地元は、超高齢社会が進む日本未来の姿だと勝手に思っている。今は東京であの辛さから逃れられているけど、いつか日本からも逃げたくなる日の為に英語中国語勉強中だ。地元愛が無い奴は愛国心も無い。

人生で一回くらい両親を殴っておくべきだ/親なら一回は子供に殴られてやれ

成人の儀式で記念式典に出るのではなくて、理不尽暴力を持ってイニシエーションとする習慣は世界中にある。

日本では少子化も相まって過保護干渉問題となっているのであれば、せめてそれを断ち切ることを持って成人としてほしい。

幼いころから一緒に暮らして来た親が、絶対規範に見えたり、偉大に見えても殴れば痛がる普通の、そこらを歩いているオッサンおばさんと変わらないことを思い知るのは大事だ。

人を殴ったことがなければ、下手なパンチ自分も痛いのだと知ればいい。

親が死ぬかもしれないが、古来、成人の儀式は命を懸けていた。

親がいなければ誰も殴らずに済むのは利点でもある。

anond:20171211112744

俺も長男だけど、親の希望とか考えたこと一度もない。周りの希望も考えたことない。

親が嬉しそうにしてた新卒で入った有名企業はつまんないという理由で速攻辞めたし、結婚はしたけど子供は欲しいと思えないので作っていない。

地元に戻る気なんてサラサラ無いし、他人希望に従って日本にいる気も無い。

そういえば大学受験とき医学部がどうとかぼちぼち言われてた気がする。(入れたかどうかは別にして)全く何も耳に入ってなかったけど。

ベヨネッタ3をPS4で」とつぶやいたらDM罵倒された話

学生の時はゲームばっかりしてた。

しか会社に入ると時間がとれなくなった。当然ゲームやる時間はなくなり、起動すらしなくなった。

ただ「ゲームやりたい」という思いは心のどこかにあった。

ジレンマ

またやりたい。

また一日中テレビに張りつきたい。

最近になって少し余裕ができたので、週末の空き時間にまたゲームをやるようになった。

ここまでが前提の話。


さて。

タイトルにあるように嫌な目に遭った。

先日、ベヨネッタ3がNintendo Switchで開発中というニュースが流れた。

ベヨ1は何となくやったことがあった。

なんでスイッチ

どっちかって言ったらプレステ向きなゲームじゃないのか。ユーザー層もそうだろう。

買っただけであまり使っていないPS4があったので、

ツイッターで「ベヨネッタ3はなんでスイッチPS4で出たらいいのに」とつぶやいた。

すると知らんヤツからDMが来た。

支離滅裂DMだったが、要約すると「ベヨはPS4で出せないんだよ、バカ情弱」こんな感じ。

その後「ベヨネッタ PS4」で検索して調べてみたら

ベヨネッタ2は開発途中でセガ資金援助を中止して、支援先を探して任天堂にたどり着いたという過去があるらしい。

いや、知らんよ。ベヨ2があったのも知らんし。

制作側の都合を聞けば確かに不用意なつぶやきだった。

からと言って面識のないヤツに罵倒される覚えはない。ベヨのケースは常識か?どちらかと言ったら特殊だろ。

ベヨ2の時も「ベヨ2はなんでWiiUプレステで出せよ」という騒ぎになったんで、ベヨの熱烈ファンからしたら「またかよ」という気持ちなのかもしれん。

みんながみんなコアなファンじゃないんだって。昔やってたけどまた戻ってきたヤツだっているんだ、おれみたいに。

ツイッター見ると「ベヨネッタ3 PS4」でつぶやいたヤツを叩くお祭りみたいになっている。

DMを送ってきたヤツのような頭のネジがゆるんでるヤツばかりではない。

知らない人に教えてあげようと過去の経緯を改めて解説している人もいる。

余計なお世話だがまだ解説してくれる方がマシだろう。

プラチナゲームズ突撃したヤツならいざしらず、自分アカウントで願望をつぶやいているだけで他人がとやかく言うな。

言論統制か。

良い機会だからスイッチ買おうと思ったがやめた。胸くそ悪い。

anond:20171210154226

自分のことかと思うくらい、とても良くわかる。

20代、30代、40代と、他人の言うことを最優先にしてやってきた。

上司からも「お前はそういうやつだし、そういうところが良い」とまで言われ

自分ボスには向いていない、副委員長タイプだと思って、

言われたことはなんでもしてきた。

あの人に頼めばなんとかしてくれる、という地位を勝ち取った。

長男ということもあり、親の言うことをよく聞く子だった。

小さい頃に虐待されたような記憶はないが、いろいろ厳しかった。

高校は、地域では指折りの進学校に入ったので両親は喜んでくれた。

地元にいることが親孝行になると思って、地元起業就職した。

結婚も、考えてみれば親の希望を叶えるためにしたようなもの

八方美人であることは認める。八方美人であることが、自分の良さだと思っていた。

怒られることや拒否されることを極端に恐れ、飲み会でも自分意見はなるべく言わず

他人同調して場を盛り上げることは得意だ。

しかし、50歳を目前にした今、猛烈な後悔に襲われている。

きっかけは、高校同級生ミュージシャンとして成功している(ように見えること)。

ほんの短期間だけど自分も彼と一緒にやっていた。

田舎農家出身という点も彼との共通点だった。

しかし彼は自分の夢を追い、東京に出て勉強し、今の地位についた。

決して楽な仕事ではないだろうが、テレビで見かけることもあり、まぶしい。

かたや自分は、親や周囲の目を気にして地元に残り、

何もせず誰にも嫌われない人生を歩んできた。

誰かの反対を押し切って東京に出るなど夢にも考えられなかった。

農業から離れて「あの息子もやっぱりダメか」と言われることが耐えられなかった。

他人の目が人生のすべてになり、他人から見て立派であることが人生目標になった。

自分自身が何をしたかったのか、もう忘れた。

自分はいったい何なんだ。

かに人には嫌われていないが、それが何なのか。

自分自分を好きになっていないではないか

人生最後の日に向かうカウントダウンの音が聞こえるようになってきた今、

このまま何もしないで死んでいいのか。

今までは何もしないで死ぬのが自分人生だと思っていたけど

なんか違う気がしてきた。

だけどもう遅い。

独立開業しようにも、他人意見尊重して組んだ住宅ローンの残債が重すぎる。

貯金もないから今の会社をやめられない。

妻子を持つ身としては身動きが取れない。

このまま何もしないで終わる人生を望んでいたのに

何もしないで終わる人生が耐えられなくなってきた。

ふと、漫画の「君たちはどう生きるか」を読んだ。

人間はそういうふうにできている」とのこと。

もっと若い頃にそういう考えをして、自分をきちんと認めるような生き方をすべきだった。

もう50年近く、自分を殺して生きてきた。

何が何だかからない。

このまま気が狂いそうな後悔を抱えたまま死ぬのだろうか。

anond:20171210190440

そういえば、俺が大学に受かったときに、親父が今までに見せたことの無い笑顔でとびあがって喜んでたなぁ。今もその時を思い出して泣いてる。自分がした唯一の親孝行だったかもしれない。

最後の一文で救われた。

無関心ではなかったのだし、心底憎むべき対象でもないと思う。

WEB広告業界に入って感じたこと。

私はWEB広告が大嫌いでした。

特に興味もない広告時間通信量もかかるのが理不尽な気がして。

もちろん、広告収入によって運営されているサービスを利用しているので当たり前だということはわかってはいたのですが、個人的感情としては気持ちのいいものではありませんでした。

しかし、広告制作会社に勤め始めてから広告見方が変わり始めました。

WEB広告が表示されると、それを参考にしてみたり、他社はこういう風に広告を作っているのかと楽しんで見ている自分がいました。

嫌いだった広告を、半ば肯定的に見るようになったのです。

そして、それはとても危険なことでもあるなとも思います

自分ユーザー立場から離れ制作者側の目線に近づくことで、ユーザーにとっての利便性広告の見え方を意識しづらくなっているのではないかと思ったからです。

それは私がWEB広告が嫌いだった理由に直結しているのではないかと思います

効率や結果だけを求められ、ユーザーにとっての利益蔑ろにしがちな広告運用システムはどれだけの人を幸せにできているだろうかと、不安になります

広告業界以外にも言えることかと思いますが、目先の利益にとらわれて相手のことを鑑みない施策はお互いを疲弊させるだけだなあと、そんなことを感じました。

まず他人を救ってるわけ?

俺?

赤の他人なんか救わないけど?

どれだけ老人が前に居ても座席譲らないけど?

だってお前らも譲ってないじゃん

なんで誰も譲らないのに俺が譲らないといけないの?

しろ譲ってもらってる老人はなんか他人を助けてるの?

今まで助けてきたの?

老人になれば無条件で助けてくれると思ってんの?

何もしてこなかったのに?

助けて―助けて―

お前は自分より弱いやつを率先して助けてきたのか?

欲しい欲しいって与える側になったこあんのか?

飢えてるから助けられないー

みんな同じだっつーの

国も飢えに飢えてるのに政治家もお前もどっちも他人を助ける気ゼロ

そんな国はとっとと終わるべし

まず目の前の他人を助けろ

それをしないくせに他人に助けろとかおこがましいわ

告白

自分から告白して付き合ったことはあるんだけど、

かに告白された経験は生まれてこの方一度もない

まだ恋人でない関係から「好き」って言われるのってどういう感覚なんだろう。嬉しい?困惑

最近一目惚れされることが増えたが

それがきっかけで一目惚れしてきた男とその周りの男友達が仲違いしてしまうことが多い

周りの女友達相談たことがないのでわからないが、よくあることなのかな

M-1を語ることの気持ち悪さ

ワイドナショー古市(下の名前読めない&知らない)さんが「M-1はともかくM-1について語りたがる人が嫌いだから嫌い」とおっしゃってました。

なるほどと膝を叩いた。

詳しくは知らないですがM-1自体K-1などの格闘技パロディ的なネーミングですよね。笑点が焦点だか氷点だかの人気ドラマパロディといっしょで。

いつしか登場人物にはこういうドラマがあるからあそこでああいうことをいって審査員がこう答えたことに感動するというのは非常に格闘技、あるいはプロスポーツ競技と似通ったものがある。それをして「気持ち悪い」という感覚もわからなくはない。

そうなると古市さんはそういうことをずっと語り続けている「とくダネ!」の小倉智昭さん(彼も下の名前がわからないけど検索候補で出てきたのでこれだと思う)のことも嫌いということになるのか。オリンピックのたびに仕事半分遊び半分で現地リポーターをしてる彼を。

近年M-1においてもそのドラマ強化がちょっと鼻についてきているとも思う。とくに上沼恵美子さんの「愛のムチ」のくだり。

anond:20171211063322

結局証言者の数だから

そういう小細工で勝負したらいじめられっ子証言者の数でいじめっ子にされる

してない痴漢をやったことにされてガラスを割ったことにもされる

合法範囲内で勝負したらどうやったって負けるのがいじめられっ子

舐めた態度を取ったらスクーターで体当りしそうなオーラを放ってる生徒はイジメられない

映画オリエント急行殺人事件」を本編開始10分後から観る(観れない

連れが、映画館に遅れてきたのよ。

入場係のお兄さんにきいたら、思ったより予告の上映が短くて、入場した時点でもう本編開始から10分が経っていた。

映画の、しかミステリーもの作品の、アタマ部分10分間を観ないで途中から本編を鑑賞するのは、私の神経では無理だった。

実際はその10分間が、全体の内容に深く関係なくても(そもそも映画関係ないシーンなんてないと思ってるけど)、「最初10分でなにがあったんだろう」という気持ちが終始先行して、ぜったいに鑑賞の妨げになる。それも致命的な。

ということで、私は座席についたものの、スクリーン直視することができず、映画が終わるまでずっと目をつぶって鑑賞を拒否した。

気にせず作品を途中から最後まで観た連れは「面白かった」といっていたけど、私なら、最初10分を見逃して観た作品に正当な評価をつけることができない映画を作った人に失礼な気がすると感じて、もし今回のように鑑賞を拒否せず途中から観たとしても、「最初10分を観ない限り面白いかどうかを判断できない」というだろう。

まあ、連れとは長い付き合いということもあり、自分が遅れてきたことを謝るだけで、私のこのアスペ行為否定したりはしなかったが、冷静に考えたらこの鑑賞拒否行為はなかなか極端なことだったのではと今になって思う。

でも、はてなには私みたいな感性の人もけっこういるような気もする。

anond:20171211023957

テロを起こすかどうかは別として、ネット時代になってから弱者本音が支持されやすくなったとは思うよ。

ほんのちょっと前までは軍隊文化を引きずった社畜みたいな考え方がごく自然に受け入れられてたもん。

韓国の年齢差に応じたことばの使い分けの話とか聞くと異様なほどの儒教文化の浸透にドン引きするけど、

日本世界からそういう奇異の目で見られてたんじゃないかな。

なぜだろうか体が動かない

やらなければならないことがあるのに全く手につかず、朝になってしまう、

そんな生活をもう何十年も続けている。

高校大学とそういう鬱々とした悩み、間に合わない恐怖と付き合い、

そしてとうとう就職しても変わらず、延々この身体と心を苛む行動に悩んでいる。

大学まででもつらかったのだが会社員になってもから

例えば下痢を催すような身体に及ぶストレスにまで発展した。責任を鑑みれば当然だ。

それと、異常に仕事の速度が遅いのだ。単純作業ならまだしも、

例えば何かの企画を考えるだとか、アイディアを出すだとかそういうことに関して

本当に人より物事が出来上がらない。よその人間が一日で6つ考えるもの

自分が3日で2つしか考えつかないのだ。到底良い歳のオッサンがするそれではない。

様々な資料を当たってみたり思考法をインプットしてみたりもした。

だがそれで何かが良くなったということがない。

普段インプットが足りないのかもしれないが、人並みにはしているつもりだ。

インプットの質がよくないのかもしれないが

それを精査してくれる人間がいるわけでもない。

では手に付かない時間があるから遅いのだろうか?それもあるが

たまに全くすべてをシャットアウトしてある時間だけ仕事に取り組んだとしよう、

そこで単純に自分のペースが遅いということが分かる。

なので今こうして日曜提出であった仕事

やりもせずに眠れずにいることがとてもつらい。

やり始めても終わるだろうか?疑っても仕方がない、やるしかない。

だが出来ないのだ。何故だろうか?精神疾患だろうか?

病名がつくならついてほしいと思ったことが何度かある。礼を失した考えだ。

ときどき仕事をしていて物笑いのたねになるような、

指を指して陰で物言われる人間がいる。

多くはないが一つの職場に1人はいかいいかという、

仕事のできない人間というのがいる。それが私だ。

なぜ余裕をもって「普通に仕事をこなすことが出来ないのだろうか。

大した負荷のある仕事ではないのにそれが出来ないのだ。

よほど難しい仕事ならともかく。なぜだろうか。

とてもつらくてしかたがない。いつかよくなるとおもっているけれど。

三浦大知cry&fightは許せない

あん音楽的に意味のない、大事にされてないアカペラパートがあっていいのか。

「歌って踊れるんだぜすごいだろ!」って言うためだけの曲芸のためのアカペラ

ダンスの内容だってサビ部分とほとんどかわらない。

本当に意味がない。

こんな曲を歌ってるんだからやつもたいしたことがないと思ってしまう。

楽譜読んでればいいのかねぇって思う。

直ドリフターズのジャンヌ・ダルクみたいな感じで見ていられない。

完璧MayJと同じ香りがする。

まあ、最近はまだましになったかなと思うけどね。

anond:20171211012849

人の話を聞かない、無視する

まり、(わざと)間違ったことを言う

これは低能にもできる、煽り定番中の定番だな

なんせ低能基本的に間違ったこしか言わないからな

正しいことを言おうとしても無理だから

そんな低能煽りで顔真っ赤にしているようではまだまだ青い

anond:20171210154226

八方美人系衝突忌避真面目系クズなのですごいわかる。あるあるすぎる。家庭環境も近い。

ただ元増田と違うのは、承認欲求が強くて自分から首吊りにいってたことかな。

学級委員選ぶときとか、下むいて黙ってる奴ら見てるとだんだんムカついてきて周囲の焚き付けにも簡単に乗ってしまい「じゃあ…やります」とか言っちゃって。そういうので損ばかりだ。

大人になってからはそういうのに簡単に乗っからないように気をつけてるけど、断ると「お前やってくれると思ってたのになんでやらないんだよ」みたいな無言の圧力。知らねーよ。

あーあ。そこそこ有能ポジションを確保しつつ管理職にはならないでヒラの一番上に居座りたい。最速出世なんて望んでないのに。

豆苗暴力

わたしはなんか他より小さくて、他への働きかけもやっぱり少ないんだよな。それはもちろん思いやりとか倫理観とは全く違ったことなんだ。

暴力は、人が人に向けたら、それは人にとって良くない。だからわたしは小さくて良かったなと思う。

このまえ豆苗そだてて食べたんだけど、すごいぐんぐん育つのパンッとしたみずみずしいみどりいろで、親近感どころか尊敬さえして、はさみ入れるときなんかもう、せつなくなってしまって。けど、そのへんから、あ、わたしは、尊敬もしてたけど、おいしそうだとも思ってたんだなって、なんだか初恋みたいな気分になった。考えてみたら自発的植物そだてて食べるのはじめてだったんだよな。

で、おいしく食べました。

わたしは、それくらいやっぱり小さいんだよな。植物レベルもっと小さかったら、微生物に恋?みたいなことも考えうるよな。

肉…やっぱり、わたしたまたま小さかったから、よかったなーと思う。でももし、人を食べたら、ぜんぶ恋みたいになって、せつないけどおいしい!って気持ちになるのかな?

就職氷河期世代

自分1980年まれ就職氷河期世代だ。

就職活動は大変だったけど、なんとか就職はできた。

しかし、入った場所デスマーチだし、出るはずのボーナスが突然でなかったりと

兎に角酷いところだった。


結局、そこでは2年働いたけど、残っていたら大変なことになっていたと思う。


そこでの体験はとても苦々しいものだったけど、今思えば悪くない経験だった。

なにより、この経験会社は何もしてくれないし

自分のことを守れるのは自分だけということを身を持ってに知ることができたからだ。


自分にとって幸運だったのは、大学時代からインターネットを使っていて

いろんな情報アクセスできたことだった。

折しも金融ビッグバンで、ネット証券FX会社が出来て個人にも取引が解禁されつつあった。

自分会社以外から収入を得ることの重要性について転職したあたりから感じ初めていたので

この話を見たとき速攻飛びついた。


もちろん最初は損をした(笑)

スプレッドも広かったし、手数料も高く株式投資なんて

就職したての安月給の小僧がどうこうできるものではなかったのだ。

そして、自分FXに辿り着いた。


世間では博打などと言われているけど、

24時間眠らない公正な市場だ。

さら現在ビットコインのように流動性心配する必要もない。


その後は、いろいろな紆余曲折があったけど、10万で始めた口座は

追加金額も含めてだけど8桁を超えた。

万人にお勧めできる方法ではないけど、逆転を狙うなら投資するしかない。


就職氷河期世代正社員に無事なれた人もかなり不遇な目にあってる気がする。

昇進しても仕事が増えるだけで、給料があまり上がらないことに不満を感じている。

それだったら、副業したほうがいいよねという感じで大抵の人は株式FXをやっていると思う。


2000年代情報格差が凄い年代だった。

就職氷河期世代は、雇用冷遇され、さら情報格差でも大きく差がついた。

おそらくこれらの理由から就職氷河期世代が団結することはたぶん無理だと思う。

願わくば、早く投資重要性に気が付いて少額でもいいのでチャレンジしてくれることを祈るばかりだ。

2017-12-10

マルチミサイルがきらい

スプラトゥーン2の話

あのスペシャル、どの辺に技術必要なんだろう。

誰が打ってもそれなりに効果はあるけど、狙ったことができるかどうかはお祈りっていうところがとてもきらい。

なんかスプラトゥーン2スペシャルってそういうの多いですね。

アメフラシマルチミサイルが顕著ですけど。

そういうの、やられる側もやる側もつまんないと思うんですけどどうなんですかね。

練度がものを言うメインウェポンの応酬がもうちょっと見たいんですけど、使えば絶対にそれなりの効果があるならみんなスペシャルをためて使いますよねえ。

かに有効だけど、使った人がというより「このスペシャル強いなあ」という感想ばかりでてきます

「この人上手い!」って感想をもうちょっと抱けるようにしてほしいものです。

anond:20171210225445

泣いちゃったよ私 おっしゃれーな街中で電車の中で 顔をグッシャグシャにして

ここでナチュラルにクスっと笑ってしまった

なんだろうな

女が(いや多分男でもそうだけど)恋愛関係醜態晒したと自分で書いている文章を読むと、つい笑ってしま

前も「彼氏があまりにもエッチしてくれないので街でおっさんナンパしてセックスした。最悪だった」という文で大笑いしたことがある

これはあまり趣味が良くない気がする

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