はてなキーワード: 距離とは
常々、歳を重ねるとトイレで大をするたび肛門のセンサーが衰えたなって思う事があったのね。何かというと、自分が大を輩出した時に予想したサイズより明らかに大きなサイズのものが出てて、自分の肛門の感覚と実物のサイズの乖離が広がってると感じることが増えてきたのね。
そんで、こないだ道の駅で久しぶりに和式を使ったらさ、メチャクチャ肛門の感覚と出てきたもののサイズ感が一致してたのね。その原因を考えたんのね。
普段さ、洋式を使う事がほとんどなんだけど、奴らはその形状上、肛門からトイレの穴までの経路に、ちょっと傾斜がついてんのよね。だから重力に従いつつも出た物は滑らかにゆっくりと滑り下りていくし、そしてここが重要だけど、底の穴の奥にも先端を少しずつ折れながら沈んでいくから最終的に目視確認した時に目に触れる長さが短くて、奥に入って見えない部分の量が少ないのね。だから肛門の感覚ではかなりの大物なのに出てきたものは少ない(短い)と感じてしまう。
それに比べて和式はそもそも肛門と便器の距離が近いからすぐに出たものが折れてしまい、それが肛門に出た物の硬度粘度をダイレクトに伝えてかつ、重さも感じさせるのね。そして何より便器から便器の穴までのルートが水平なので水を流さない限りは出たものがすべて可視化された状態で視界に提供されるわけよ?
今日、ホント凄かった。ちょっとしたエンタメだった。私の腹の中にこれだけの物量が眠っていたなんて……この和式トイレの貧弱な水流で流れきるかな……って思った(便秘でもなく水分も程よくあったため、なんとか流れた)。
いやあ、あれを楽しむためだけに和式に入ってもいい。和式に入るために体重を落としてもいいと思った(そう、この痛む膝のためにも)。
https://anond.hatelabo.jp/20240425165849
生きづらい哀れなメス、年齢は1つ年上の30歳です。
中高女子校から共学の大学に進んだ時から人生が狂った気がしてる。
ちなみに私は「名だたる大企業に就職して、それなりに稼いでいる」はクリアしたけど一度も結婚してないです。
恋人ができたのも1度だけ。それ以降は本当に、男性から相手にされてない(性欲の解消相手とみなされるは除く)。毎日プレッシャーに押しつぶされそうになりながら、自分のためだけに働いている。
年収と預金残高は増えたけど使い道がなくはっきり言って持て余している。
幼い頃から自分の容姿が悪いことには気づいていた。両親は容姿が良く、姉や兄も美形だ。私だけが、両親や祖父母の顔のパーツで微妙なものだけを最悪の配置で受け継いでしまった(目だけは二重にしたけど浮いてて気持ち悪さが増した気がする)。
ちなみに美肌の家系なのになぜか自分だけ肌も汚い。食生活や化粧品にも気をつけ皮膚科に大金を払っても改善しなかった。
努力は、人並み以上にしてきたと思う。勉強もそうだし、就活、仕事、美容。心理学やコミュニケーション、恋愛に関する本も死ぬほど読んだ。でもモテない。
自分の生きづらさは自信のなさから来てるのは自覚していて、人から愛されたことがないのが根本原因だと思う(家族は除く)。
学歴や仕事の評価を得てプライドばかり高くなり、自己肯定感が育たなかった。
ないものねだりなんだろうけど、オス増田には親友がいていいな、あと一度は誰かの生涯の伴侶に選ばれたことも羨ましく思う。
私は友達はいるけど、親友はいない。複数人の集まりには呼ばれるけど、二人で遊ぶような子はいない。インスタを見てると、みんな結婚してても子供がいてもしょっちゅう会ってるように見える。結婚式に招かれて、ほかの友人が「あのふたりも色々あったけど、乗り越えられてよかったね」なんて泣いてるのを見ると、その「色々」の内容を自分が知らなすぎてさっと冷める。
増田の同僚の酒癖の悪い女の子は、きっとかわいいんだろうね。酔っ払ってたら介抱を口実にいちゃつきたくなるくらいには。
ブスはそんなことできないよ。ブスっておじさんみたいな扱いなんだよ。
おじさんが酔っ払った〜ってゼロ距離まで詰めてきても、苦笑いで逃げるし気持ち悪いし、ワンチャンなんて考えないよね?
学もあって、職もあって、顔の終わってないオス増田が需要ないとは思えない。
周りの友人達を見ていても「男は年収1000万ないと〜」なんて言う子はいないけどな。
マッチングアプリでモテてるっていうのがどういうことなのかわからないけど(モテてたらマッチングアプリやらないのでは?)、若くて「それなりの」女性からいいねをたくさんもらえるってこと?
私は学もある。職もあるし金もあるけど、顔が終わっているので恋愛市場では相手にされないよ。
ただこれは増田にも言えることだけど、お互い「自分にふさわしいと思える異性に」なんだろうね。誰でもいいわけじゃないんだよね?
わたしもマッチングアプリでは、60代実家ぐらしの男性からいいねが来たけど無理だったもん。不倫なりワンチャン狙いの性欲まるだしの誘いはあっても、私は性欲が強くないしそういう形で身体を利用されるとかえって傷ついてしまうので(オナホ扱いと思う)、オス増田のようにセフレがほしいとも思っていない。ちゃんと理解し合って愛されたいのに、それができない。
お互い結局、自己肯定感が低いのに自己評価が高くて「自分はもっと相手にされるべきなのに、なぜ!?(顔や金しか見ない異性が悪い)」と思っちゃうところが問題っぽいよね。
どうすればいいのかわからないけど、私はオス増田の幸福を祈ってるよ。セフレが本当にオス増田を救えるのかはわからないけど、気持ちが楽になるよう祈ってる。
完全に愚痴の話。
もともと⚪︎⚪︎省みたいなところにいたジイさんが俺の部署に再就職みたいな感じで入ってきた。まあ天下りだよね。
現場感の強い研究系の部署なので俺とそのジイさん含めた5人ぐらいのグループで野山にワサワサと入っていき、調査して帰ってくる
そんな感じだ。
歳の割に体力はあるし、そう言った場面では問題はなかったが致命的にウザい部分を持っていた。
素人相手ならなんとかなるがその分野のプロから聞くと「あーズレたこといってんなあ」って感じだし、専門家が目の前にいてもその人を差し置いて説明したがるからややこしい。
誰かが質問すると、我先に説明するんだがこちらからすると「この方、いまお前の横にいる専門家に質問したよね?なんでお前が割り込んできておまけにズレたこと説明してるの?」となる。
ここまではまあ個人的には(嫌だが)ある程度我慢できるが、俺的に我慢できないのがこのジジイが全くズレた回答をすることだ。
以前、ブース出店でこの人と学会に出たことがある。我々の展示物は「特殊なカメラとAI分析を組み合わせてこんな発見ができました」というもので、特殊なカメラは自社のもの、AI分析は別会社に頼んでやってもらった。
割と先進的な内容で、かなりの人が興味を持って聞いてきてくれた。その中で何人かは「御社は特殊なカメラの撮影だけでなくAI分析もできるんですか?」と聞いてきた。
当然、別会社がやっているので「弊社ではできないのですが、別会社が・・・」と答えるか「できます」と言ってその別会社に丸投げするべきだと思うのだがこの爺さんは
「簡単ですよ。AI分析というのはですね・・・」とAI分析の原理、手法について説明するのだ。なんでやねん。
お客さんが「いえ、御社自身はAI分析が・・・」と訂正して聞き返してもこのジジイから出る回答は「AI分析の原理」なのだ。明らかにお客さんがイラついてるのが伝わってきて俺自身は気が気でなかった。
そんなことが何度も何度も続いた。
他にも性能の良いミラーレスを仕事で購入したときの事で、望遠が効くもんだから新入社員と性能のスペックの話になった。
新入社員「すごいっすねぇ!何百メートルぐらいまで見れるんすかねぇ」
ジジイ「簡単ですよ。道路標識までの距離さえわかればあとは画素数の話なんでどうのこうの」
まずお前には聞いてないし、なんだその回答。そもそもどうやって道路標識までの距離測るんだ?レーザか?
とにかく話をぶった斬って自己完結して強制終了するもんだから、また話題を一から始めなきゃいけないしこのジジイまじでしんどいわ。
直近こじらせたきっかけは多分2つ。
2つめは飲み会の場で男も女も下心丸出しで異性にべたついているのを見て、なんかいろいろ気持ち悪く見えてしまったこと。
それぞれのきっかけと自分の精神状態、思考方法、思想、そういったものを絡めながら言語化していく。
大学来の親友が結婚した。彼がもうすぐ結婚するであろうことは、なんとなく察していた。
洗面所にはずっと歯ブラシが2本あったから、半同棲をしていたんだと思う。
そいつに彼女がいるかは聞いたことがなかった。そもそも自分は、友人に恋人がいるのか聞くことが割と苦手だ。
だから聞かなかったけど、長いこと付き合っている風だし、もうすぐ結婚すると思っていた。
先週あたりにその連絡がきた。普通に嬉しかったし、本当にめでたいことだと思った。
ただ、恋人がいない自分のことをやはりネガティブに捉えてしまう。「結婚」というワードは、いまだに自分に対して大けがを負わすらしい。
匿名で書き込んでいるから説明しておくと、私は一昨年末に離婚している。当時27歳だった。
1年保たずに空中分解した自身の情けなさに対して、当時は大いに病んだ。
そこから恋人はいない。結婚願望が自分の中にあるのかは正直分からない。
ただ自分があさましいというか、自分が叶えられなかった幸せを他者が、それも境遇が近いような人が掴もうとするその姿を、100%の祝福で見ることができない。
どうしても羨望とか嫉妬とか、そういう感情がコンタミする。それに端を発し、また自己否定のフェーズに入る。
我々はそれなりにいい大学を卒業した。もっとも自分は留年して学部卒、友人は修士卒なんだけど。
学歴至上主義を否定できない現代日本で、母校の新卒カードは結構な効力を持っていることを、今なら知っている。
ただ当時はすべてがアホらしかった。ガクチカとか資格とかTOEICとか。自分は専門を活かしつつ、会社の雰囲気が良い小企業に入社した。
社内環境には本当に不満はない。同世代の全国平均以上の給料ももらえているし、友人と飲みに行ったり遊びに行ったりするくらいの余裕はある。恵まれている自覚はある。
ただやはり、新卒カードを上手に切った同級生たちは、名だたる大企業に就職して、それなりに稼いでいる。
経済的に羨ましいとは思うが、努力した彼らとそうでない自分の差を無視し、一方的に羨望することはお門違いだと承知している。だから他人を呪ったりはしていない。
ただ、自分の生き方の下手さにほとほと愛想が尽きて泣きたくなる。
社会人になってからは、老後とかも見越した資産運用を始めたりしたが、学生の頃は本当に刹那的に生きていたと思う。その結果を今になってまざまざと見せつけられているに過ぎない。生きるのが下手くそすぎる。
昔からそうだ。
第一子として生まれて、親との喧嘩も何度もしてきた。言葉を文面通りしか捉えられないような節があることも自覚している。愛想のよい会話も苦手で、可愛げがないと何度言われたことか。
弟はそのあたり非常にうまくやっている。ユーモアで大人を笑わせ、親が望むような労いの言葉を見逃さずにかける。そういうのを見るたび、やるせなさが募る。
幸い、頭だけは良かった。特に、物事の法則性を見出す能力に優れていると思う。まあ、自分より優れた人間なんて掃いて捨てるほどいるんだけどさ。
だから勉強には困らなかった。自分の身の丈に合った環境に身を置くことが幸福につながると信じていたから、特に苦労しないで入れる高校や大学に進学した。
そこで出会う友人たちは、どことなく自分と同じところがあった。頭のデキとか、公立故の家庭環境とか。そんなに大差ない半生を送ってきたんだろうなって。
ただ、社会進出は孤独だ。それまでの半生の判決が下されるような感覚。
特に何もなさなかった自分と彼らの差は、いったいどこで決定的になったのだろう。
俺は知らなかったんだ。そんな判決が下る日が来るってことを。
頭がいい友人はみんな気が付いていた、早い奴は高校生のころから気付いていたと思う。そのあたりは、本当に馬鹿だなって今でも思う。
自分にもポテンシャルはあったはずなんだけど、どこで失ってしまったのか、または持っていると錯覚していただけなのか…。そんなことを考えて少し病んだ。
まあ、優秀な同級生と自分の対比はよくやってる内省のテーマだから、大きくこじらせることはないはずなんだけど。
続けて、先日の飲み会の話。
その飲み会には酒癖が悪い女の子が来ることになっていた。みんなそのことを知っている。
自分も飲み会の前までは、隣にその子が来てベタベタされたらラッキーくらいには正直思っていた。
案の定、男が寄って行った。男がトイレ等で席を立つたび、他の男が代わる代わるやって来た。
それが素直にきしょいと思った。彼らと同じことを考えていた自分もきしょいと思った。
どいつもこいつも、「自分は介抱しているだけで、下心なんてありませんよ」みたいな顔して近づいていく。なんかそれが無理だった。
もうおっぱい揉んだりキスしたりしろよ。その方が素直だよ。もっときしょいけど。
自分よりイケてない(と自分が勝手に思ってる)やつが、その子とイチャイチャしてるのを見て、なんか正解が分からなくなった。恋愛とか人生とか、そういうのの正解。
たまたま先日開いたまとめサイトで、「外国人は日本人の女をスケベだと認識している」というレスを読んだ。
この女もスケベか。じゃあこのスケベ女にも相手にされない俺はもう終わってますね??(謎理論)
自分は、女は淑やかであるべき、みたいな思想を持っている。割と封建的で昭和チックな価値観を持っていると自覚している。
だからこそだらしない女を見てるとウザイなと思う反面、「ヤレそう(ヤレない)」とも思うし、その自己矛盾も気持ち悪いし、そこに群がる男もきもい。
うーーーーーん、わからん。べつにその特定個人から好意を持たれたいわけじゃない。
他にも夫子持ちの既婚女性が叫んでたり、恋人がいる男女がなんか楽し気に盛り上がっている様を見ながら、理性とか本能ってなんだろう…と一人沈んでいた。
なんか矢印がいっぱい見えちゃって非常に疲れた。という話。
最近は金の事ばかり考えている。なぜか。
ならば自分はモテたいのか?自分の性欲を直視するのが気持ち悪くて、そのあたりは考えないようにしている。でもこれを直視しないといけない。
離婚してから性風俗以外で性行為をしていないが、セックスが普通に好きなので。
自分のセックスに対するコンプレックスもあるが、最終的にヤリたいに帰着する気がする。
恋人とか新婚夫婦って、ほぼ確実にセックスしてるじゃないですか。
死ぬほど羨ましい。そういう愛の確認がしたい。愛がなくてもいいけど。
「同棲してます」は、「昨日もセックスしました、今夜もします」にしか聞こえないし、
「結婚します」は、「今までいっぱいセックスしました」にしか聞こえないし、
頭おかしくなるって。いやもうなってる。なってるからこう聞こえてるんだって。
男子中学生も男子高校生も、ここまで人生観やライフステージや愛についての解像度は高くないと思う。
だからこの拗らせ方は、セックスにコンプレックスを持った哀れなオス特有のものでは。
「風俗行けや」と思われるかもしれないが、安い店はそれなりの嬢しかいないし、それなりに高い店は経済的に厳しい。
だからこそ、セフレを作って性的にも経済的にも得をしたいと考えてるんだけど、これは異常者の発想なのだろうか。
…言語化しなくても気が付いている自分の本心を直視するのが本当につらいんだ。なんやこのバケモン。
色々努力したつもりなんだ。
元嫁にはそういった「努力」が足りなかったから見放された節があることも分かっている。
そのへんの1000円カットから、カット&パーマで15000円する美容院に鞍替えした。
眉毛の処理は欠かさずするようになった。
爪磨きを買って爪を磨くようになった。
こういうのを当たり前にできる人もいるんだろうけど、自分はできていなかった。だから努力の一歩目を踏み出した。
ただまあモテない。顔が悪いか会話が壊滅的に下手か金がないか。まあ全部か。
マッチングアプリでモテてる男を見てみると、盛ってるのかどうか知らんが、同年齢の連中は軒並み年収1000万を超えている。勝てないって。
女さんサイドもなんでそんな男がアプリやってるのか考えろよ。よほどの異常者かヤリモクの二択だぞ。
ヤリたいなら知らん。マザーファ●カー。
…で、ごく平均的で顔にも金にも取り柄のない自分は、埋もれていくしかない。
正直この歳で彼氏がいない女は、別れた直後かよっぽどヤバい奴しかいない思っている。
からこそ、自分はよっぽどヤバい奴だという論が成立して萎える。
そしてそのヤバさを自覚できていないから、方向性の修正の仕様がない。
もしくは高望みしすぎか。
学もある。職もある。顔も終わってない(はず)。
ただこの普通過ぎる男でも、「つまらない」という理由で、加熱した恋愛市場では全く相手にされない。狂ってないか????
というか、自分のモテなさを棄却しようと色々論じてるのが情けなさすぎる。
なんのために「努力」してきたのかももう分からん。ぶつかりおじさんになった方が幸せまである。
弱者男性の言動や思想を追っているうちに、えっげつないエコーチェンバーを引き起こして、思想汚染されている自覚もあるが、生きづら過ぎる。
自分の性欲が本当にノイズでしょうがない。ヤリたいのにヤレない哀れなオスでいることが精神的にきつすぎる。
去勢したら楽になれるのか。ただ、生命活動の一端をそこで止めてしまうことのリスクがあまりにも大きいことも確かだろう。
なんかもう詰んでね?
書き方が悪かったせいで、自分と学友のBLを想起する人が少なからずいたため、該当箇所を修正しました。
ブクマコメントや言及の中で、特に結婚・離婚の話が薄いみたいに言われていたが、確かに離婚の話は自分のコンプレックスであって、それはそれで大いに病んでメンクリにも通った。
ただその話は今回の題意にはそぐわないと思っているし、破局原因をすべて言語化することを拒んでいる自分がいることも自覚している。
だから離婚の細かい話について、ここで掘り下げて共有するつもりはない。
勝手な推測でグチグチ言われるのは心地いいものではないが、それも匿名性のある意味よさだと思うので、やめてくれとも言わないけど。
それから、一部「本心が全然書かれていない」的な意見が散見された。
これが本当に分からない。自分でぐちゃぐちゃ書かれていることをなるべくゲロ吐いたつもりだったんだけど、本心ってなんだ。
自分軸で生きてるか他人軸で生きてるか的な論?かと考えたけど、そういう話?
そもそも人間は少なからず他人からの評価を優先して生きてるっぽいですよ(ソース:https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000011.000030921.html)
いくつもあった励ましとか、匿名性ゆえの叫びを評価してくれた人には改めて感謝を。
みんなの言語能力が高くてちょっとビビる。読書量の差を感じた。
でさ、この距離で真っ正面に座るか?
今も隣に見るからに弱そうな男が距離10センチで座ってきて(気持ち悪いから私がずれた)空いてるところ他にないのか見たら普通に空いてる。
隣に家庭持ちのしっかりした男性が座ってるから私の隣選んでるのでしょうね。女性はお前ら弱男の緩衝材じゃないんで男性の隣行ってもらえます?
数分前まで誰もいなかったのに、私が座ったら一人身の男が集まってきた。
目視できる限りでも5人。連れのいない男のみ。
2024年始まってから散々なんだが!!!!!!世界のこと許さないからなこのカス!!!!!
4月も終わるのでもういい加減立ち直りたいが、時間が経つと怒り以外にも寂しさ、悲しさ、いい思い出、憎めないことがぐちゃぐちゃに混ざりさらにカオスな心境になってきた。
渦中にいるときは全体像が把握できないし、何より感情も時間差で処理されるので後になっていろいろと噴出してくるのだ。
そして、ぽつぽつと人に話すと高確率で、文章に感情をまとめると整理されるという助言をもらうので散文を匿名ダイアリーに投げることで成仏を試みる。フィクションです。
知り合って3年、付き合って2年ちょい、1年半同棲していた彼氏から1月に別れを切り出されたことからすべては始まった。
その時になんて言われたのかを思い返してみよう。
「なんか、求めてるエネルギーと違うんだよね。違和感があるというか。。。。会話も出会った頃から弾まないんだよね。」
今まで、ちょいちょい「増田はおばあちゃんみたいだよね。本当におばあちゃんになったときどうなるの?木になるの?」
などと言われたことを思い出し、カスの元カレ(以下春日)が私の陰キャすぎるエネルギーに疑問を持っていたことを知る。
実際に私は友人付き合いが超限られていて、SNSも苦手でインドアなので図星ではあった。
ただ、私の陰キャ化が加速したのはこの1年のことである。特に2023年は諸々のストレスが重なり、精神的にセーフモードで超低空飛行していたのである。
元々、付き合った頃は逆だったのだ。私が春日と出会った頃、彼はまあまあ重めの鬱を患っていた。
コロナ禍を機に、不眠と身体の不調からずぶずぶと鬱に沈んでいき、大学も中退して家から出ることが怖くなりニートになっていた。
ちなみに補足情報として春日は外国人で、私は現在海外の修士課程に留学中の在外邦人である。紆余曲折あって音楽の趣味が合い意気投合したのが出会いだ。
慣れない異国のコロナ禍で不安な中、曲とも呼べない小さな音楽の断片を作って交換したり、好きなことを共有できる相手は私にとって貴重だった。お互いにまあまあ離れた別都市に住んでいたが、友人として気分転換によく春日の街に遊びに行くようになった。
春日の母と一緒に3人で初めてご飯を食べたとき、春日がいきなり号泣し始めて落ち着かせるために必死に彼の手を握っていたことを思い出す。突然号泣したり沈黙し、動けなくなることが多い状況だった。
春日はとても純粋で、鬱でも前向きに生きようと頑張っている姿を見て次第に応援したくなった。春日はとても美しい声を持っていて、時々歌ってくれることが私の心の浄化にもなっていた。ただ、それも不調により以前のようには歌えない状況だったので本人はとても落ち込んでいた。
私自身、現地語のみの授業を理解し、口頭試験を乗り越えていくことに心身を消耗していたが、なるべく春日が外に出るように引っ張り出したり、心に寄り添えるように丁寧なコミュニケーションを心掛けていた。春日は日本語が上手かったが、言語の壁も高かったので尚更慎重に進めた。Rei harakamiの命日に二人で登山して、山頂で終わりの季節を聴いて黙祷したりとか、今思えば二人とも変な奴だった。
そして、プロのカウンセラーの手を借りて春日は鬱を治療することになり、友人になって一年弱が経つころ、恋人として付き合うようになった。
付き合った当初もまだ鬱は強く残っており、春日に関しては特に自己防衛の機能が強く、何か一つ難しいことがあるとできない理由を無理やり探して諦めたり、衝動で物事を瞬時に決めて深く考えずに逃げるという癖が相まって、物事を継続したり、安定して物事を考えることが難しい様子だった。その中で、私が住んでる家から引っ越しを予定してると伝えると私の住んでる周辺の街に春日も住みたいと言い始めた。それもあって一緒に住もうということになったのである。その後も、具体的な計画が進むにつれ、「やっぱり僕には無理!」とか「やっぱり一緒に住もう!」と、決断が二転三転する春日に精神的に振り回されて疲弊したので、その癖を人と共同で何かを決めるときに持ち出すのはやめてくれとお願いした。
ただ、我々の家探しは困難を極めた。そもそも貸し手市場なのに加えて、正式な賃貸契約の場合はニート(実家が細い)&外国人留学生というコンビでは賃貸の審査を受けるという土俵にすら立つことが難しかった。とはいえ私の家の退去期限もあったので謎のモルドヴァ人のおばさんちの小さな一室をとりあえず借りて、極限の生活が始まった。
状況に反して春日はなぜかこの頃精神が強くなっており、審査に通るために黙々と職を探していた。私は定期試験を乗り越えることと賃貸の審査が通りやすくするための準備でいっぱいいっぱいだった。このモルドヴァのおばさんは一ミリも信用できず、家賃交渉で一悶着あったり大変だったが今では笑い話である。そして、春日は不動産の営業という職を見つけたことにより保証に通るようになり、四か月後、アクセスはあんまりよくないがこじんまりした1LDKに住むことに成功した。
その頃、湖畔に弾丸でキャンプに行ったのも良い思い出。4000円ほどの砂浜で使う用のテントとエアーマットレスだけ持って行ってのだが、初日の夜に土砂降りになってしまい、気が付いたらテントの中が湖みたいになっていた。水にマットレスだけプカプカと浮いてて二人で「ノアの箱舟じゃんwwwwww」とか言って馬鹿すぎて爆笑してたよな。そんな状態で7泊もした。
引っ越し後は、私は円安による金欠と奨学金が終了することに焦りを感じ、なにかWeb制作系で働けないか試行錯誤した。春日はニート生活から一転して、スーツを着て一日11時間勤務の社畜へと変化した。ただ、営業職は出来高制で精神的ダメージも大きく、彼は四カ月後に仕事を辞めた。
そうやって2022年は過ぎ、2023年には無職の春日と留年して金欠の外国人という最強の布陣が出来上がった。
一月頃、金欠、将来の不安、引っ越し一連の疲れがどっと出て私は精神を病み始めるが、打破するため近所のカフェでバイトを始めて安定した。一方春日は、営業職で受けた数々の否定の言葉に傷つき、癒しとして貯金を食いつぶしながらやってみたかったドラムを習い始める。
私のバイトは夜勤と早番が不規則に組まれるような状態で、現地語で早朝のラッシュを捌くことに必死だったのであんまり記憶がない。ただしばらくして、伝手でリモートでできる仕事を依頼されるようになり、そっちの方が興味のあるジャンルだったしガタガタな生活リズムを戻したくてバイトを辞めた。そして、春日は相変わらず週一の習い事以外は日本語の本を公園で読む生活をしていた。
卒業に必要な単位も取り終わったころ日本に3週間ほど二人で遊びに行った。春日は牛丼を大層気に入り、吉野家、すき屋、松屋を食べ比べたのちにすき屋の牛丼以外は認めない頑固さを持ち、片っ端からブックオフと古本市場をはしごし、コンビニはローソン以外には入らない外国人となった。日本にずっと行きたかった春日は終始目をキラキラさせていた。
日本から帰ってきたころ、私はリモートの仕事をしながら本業である芸術に関する活動に勤しんだ。おかげで賞を取りちょっとした催しに参加するなどのイベントが発生した。卒業論文にも取り掛かり始めたがその壁が高く、先行研究の論文と本を現地語で読むことで時間が過ぎていった。卒業後の進路や家族の問題、論文のプレッシャー、円安、制作意欲が低下していることなどのストレスが一気に重なり私の精神は下降し続けていた。
一方春日は、貯金が尽きて彼の母からの仕送りで生活するようになった。とはいえ、日本語能力試験一級に挑戦する目標を立て、ひたすらカフェで日本語の本を読んでいた。なにかバイトしたら?と聞くと、「うん、来月から探す~」と言い続けて2023年は終わった。やるやる詐欺を繰り返す春日にムカついていたが、本当に一級に合格したからえらいよね。
年末年始を彼の地元で過ごし、春日は自分の喉の調子がだいぶ改善したことに気付く。コロナ禍以前は弟の彼女とコンビを組んで路上パフォーマンスをしていたこともあり、再度コンビを組んで地下鉄で歌うと、これがまた投げ銭で儲かった。彼が好きなことでお金を稼げることを発見し私も大層喜んだ。しばらくは家を離れて実家で活動したら?と提案したのだ。
そうして二人で家に帰ってきた2024年一月、冒頭にあるようなことを切り出されたのである。
出会った頃元気がなかった春日の精神はだいぶ安定してきていたのに反して、私は在外年数が増えるにつれ外国人としての立場の弱さやストレス、現地人と対等な土俵に上るための終わりのない努力に疲れ果てていた。きっと、私が春日を家の外に引っ張り出したように、春日が今度は私の人生でつらい時期を支えてくれると期待していたのだ。
しかし現実は違った。もともとは陽キャの素質を持つ春日が好きなことを見つけて元気になったところで、陰キャで元気のない私はただの言葉の通じにくい異邦人のメンタルおばあちゃんでしかなかった。
春日は冒頭の言葉とともに特に話し合わずに足早に地元へ帰り、日銭を稼ぐことに集中した。私は論文に追われてしんどい時期に別れを切り出されたことが悲しくて、その理由も悲しくて、毎日を泣いて過ごした。日が経つにつれて春日がなんの相談もなく結論だけを私に話してすべてを放って逃げたことに怒りがこみ上げ、太宰治崩れのポエムみたいな謝罪文だけ投げてくることも火に油を注ぎ、一日でいいからこっちに帰ってきて話し合え!と伝えると、月末に一日だけこちらに帰ってきた。春日は二時間ほど私に謝り続け、どうしてもやり直したいと言い始めた。
私は春日に対して信頼を失っていたが、それらをゼロからまた積み上げるような努力を一緒にしてくれるならいいよ、と許してしまった。育ってきた背景も母国語、文化も違う二人が関係を健康に維持するにはお互いの努力が必要だ。自分ができることを相手ができないのは当たり前で、自分と違う文化を受け入えてその違いに尊敬を持つことが、同郷人同士以上に必要になる。
もちろん私にも落ち度はあった。私が学業と資金繰り、外国人としての滞在許可証の条件などに四苦八苦してるなか、二十代も半ばになって、苦労して一人で家計を支えている母の仕送りで日本語の本を読んで夜はボードゲームの集まりに参加する貴族のような毎日を送る春日にイライラしており、尊敬を持つことが難しく心の距離を置いていたのも事実である。相変わらずコロコロと判断を変えて振り回されるのも日常茶飯事で、この軽蔑的な感情を外に出さないようにしていたが、確実に伝わっていたに違いない。
そして再び春日は地元に二週間ほど帰り、その間我々はどうやって不安定な時期を乗り越えるのか取り決めを作ったりしていた。その後一週間ほどこちらに春日が帰ってきて、束の間の平和なひと時を過ごした。春日が地元に帰るタイミングで私も着いていって二週間ほど彼の実家で一緒に論文の現地語校正を進めることを決めていた。
そして一緒に帰った翌日、春日に再び「やっぱり波長が合わない。。。。僕はもっと明るくて、引っ張ってくれる人をパートナーにしたい」 「増田とはもう一緒に成長できないし、もう考えてることを伝える気が起きない」 「現地語のスラングを言い合って言語の差なく話したり、もっと協力し合えて一緒に音楽をしてくれる人と付き合いたい」などと散々なことを言われた。
そもそも私だって明るく居たいが、元気ないのは過去のてめえみたいな状況だからだよ。そもそも、外国人にネイティブと同じことを求めるな。私も毎回なんでお前の母国語で話し合いをしなきゃいけないんだって思ってるよ。それでも好きだからやり直したいって懇願してきた二週間前のお前何?蜃気楼?
矢継ぎ早に傷つく言葉を言われて、春日からきっと「こいつはいくら殴っても倒れないから大丈夫」と思われてるのかなとも思った。あのな、自国で家族に囲まれてぬくぬくしてるお前と違って、一度完全に倒れたら誰も私を助けてくれないの。この国に実家もないし親族もいない。ただの病んだアジア人としてさらに劣等感に埋もれて取り返しのつかないレベルに粉々になって、廃人になるだけ。
だから最後の気力だけで完全に折れないようにだけ耐えてんだよカスふざけんな。
というか、鬱を患ったならもうちょっと元気がない人の気持ちがわかって優しくなれるもんじゃないの?と疑問にも思った。しかし、春日の様子を見るに鬱の事実は元気になった今ではもう消し去りたい過去で、鬱の匂いがするものからは遠ざかりたいという心理なのかなと思った。腐ったりんごの隣に置くと、普通のりんごも腐るし困っちゃうよね、みたいな。
「友達としてならうまくやっていけるはず!」とも言われたが、私は春日にとって都合のいい存在で、不都合があると「物足りないなあ...」と切り捨てる程度の存在だったことに絶望した。
私は彼の調子が悪い時に自己肯定感を埋めるだけの存在だったのだ。そもそも、一月から振り回されて論文の進捗もギリギリで、ここでまた振り回されてボロボロになったことにより、私の三カ月間を返せ!!という怒りがこみ上げてきた。一日前に言ってくれたら、あんたの地元行きの電車に乗ってねえよボケナス。
あと、恐らく文化が違うからかもしれないが、彼は愛情表現が強いのだ。「愛してる」という言葉を挨拶のように言う。別れを切り出される数時間前まで「愛してる」と目を見て言われていたその温度差も日本人の私には理解不能で、サイコパスにしか思えなかった。
そこからは、今まで我慢していたいろんな感情が噴出。さらには希死念慮までが唐突に襲ってきて、居場所のない彼の実家で必死に感情を爆弾のように抱えた。
急いで変更した帰りの電車の日まで、知り合いの居ない彼の地元でひたすら論文を書くだけの時間の虚しさ。楽しそうに彼の弟の彼女と爆笑しながら帰宅して、何事もなかったように振る舞ってくる春日から逃げる場のない状況とその惨めさ。さらにムカつくのは私がなぜ傷ついているのか勘違いしているところ。
「ごめんね。。。もう別れることは変えられないから。。。」と言ってくるがオイコラ、全人類のクソ男に告ぐ。そこちゃうねんクソ。お前と別れることに悲しんでるんとちゃうねん。今までそれなりにお互いが人として大切な存在だったはずなのに相手の状況も顧みずに振り回してなんの責任もない別れの仕方をされたことで過去のあんたとの思い出も、私の存在もくそ薄っぺらいものになったことに悲しんでるんじゃボケ。ままごとしてたんとちゃうぞカス。この心境に共感するひとはSHISHAMOの「忘れてやるもんか」を聴くと少しすっきりすると思う。
家に帰ったあと、春日のSNSをすべてブロックした。それでも気になって覗いてしまうSNSでは初ライブもして音楽家としてどんどんバズって有名になっていく春日と弟の彼女が目に突き刺さってきた。それはそれは楽しそうに歌っていて、出会った当時の姿から比べると本当に幸せになってよかったね~と思う気持ちがまだ存在していることにホッとしたが、元カレのSNSを見るのは一種の自傷行為である。
一カ月間、必死に自分のやるべきことをして、フラッシュバックが来るときや寝るときには号泣するということを繰り返してきた。同棲していたので、家の契約とか置いていったものが山ほどあるのでどうしてもいつか顔を合わせなければいけない。あの、世の中の女性はこのような場合どのような顔をして会ってるんですか?
異国の地で一人で生きていくには私は弱く、二人で生きていくにも力及ばなかった。そしてつらい時期に、一番大切な人から浴びせられた性格を否定される言葉に一生懸命保っていた自尊心をもぎ取られ、それをまた家族も親友もいない異国で一人で泣きながら拾いなおしていくこの惨めさ。鬱の時期も愛してもらったお前には分らんよな。私だってつらい時期を耐えて、また心から笑って一緒に楽しく過ごしたかった。
私は無償の愛を持っていなかった。助けたから私も助けてほしかった。でも相手はそう思わなかったというただそれだけのことなのだ。フロムの「愛するということ」にもあるように愛することは技術であり、その修練が必要というのは本当で、意識と覚悟をもって愛すことは、感情とは違う部分も大幅に使う。ただ、お互いに技術がなかっただけなのだ。
この一連の出来事のおかげで今まで出会ったことのない感情たちに出会えたことはよかったと言えるだろう。希死念慮も今では優しい死神のようにぴったりと背後で見守っている。自己が消えそうなときは自己の存在を強烈にこの世に残そうとするのか、創作意欲が見事に回復したことも皮肉である。
また、時間が経つと不思議なことに、カオスな感情の中に謎のメタ認知的な視点が表れて、こうやって惨めに醜く足掻いてる自分も、中途半端な執着をもって繰り返し傷付く自分も、なんだか本当に子供すぎていじらしくて愛らしく思えてくる。感情爆発させてて最高に人間らしくていいじゃんって思えるのも、なんだか傷が少しずつ癒えてる気がする。
人に期待しすぎること自体、ただの我儘になってしまうこともある。どれだけ自分が惨めでかっこ悪くてしんどくても、まだ泣き喚けてるだけ健康で、とりあえず自分を裏切らないものを信じる訓練から始めるしかない。ペットや植物、筋トレ、美容、創作活動はいいぞ。
このニュースに関して
『京急運転士、保安装置に細工 「非常ブレーキかからないように」』
https://digital.asahi.com/articles/ASS4N4H4NS4NULOB00KM.html
『地元民だが、京急のブレーキ細工のニュースなんかおかしくない? 』
https://anond.hatelabo.jp/20240421174815
この細工をしたという保安装置はデッドマンと呼ばれる装置で、普段乗車中の急ブレーキとはちょっと違う。
デッドマンというのは、鉄道みたいに操作をしなくても勝手に進んでしまうような機械、特に無操作時間が長い機械に付ける装置で、その名の通り、操作者が死んだ場合に止める為のものだ。
んで、このデッドマン装置、運転者が死んだり居眠りしてない事を検出するための仕組みに二通りがある。
ブザーが鳴って1~2秒以内に確認ボタンを押さないと非常ブレーキがかかる。採用してるのは国鉄、JRなど。
放してしまうと非常ブレーキが掛かる。気絶したり居眠りしても足や指は掛かったままだが、指や足の力が抜ける。その時にはね戻されるくらいの力のバネを仕込んでおく。その為に結構身体的に負担が大きい(デスクワーク中に15kg程の重いペダルをずっと踏んでいないとパソコンがシャットダウンされると考えてみてくれ)。
身体の負担が大きいので細工してズルする者が後を絶たない。海外ではズルした状態で居眠りして大事故に至った例も。
今回の京急の場合は、操作レバーの裏に自転車のブレーキレバーみたいなのがある。これを駅に止まってる時以外ずっと握っていなければならない。
これをヘアゴムで縛って手を楽にしたというのが今回の事例。実際に運転士が気絶や居眠りした時にはブレーキが掛からないので危険というか、事故に至る可能性が高い。
静電容量を計測してブレーキに触っている事を検出する、というのが人には優しい設計だ。だが気絶や居眠りでも手は離れないので事故を防ぐ力が弱い。
身体負荷が高すぎてズルが横行すると意味がないし、そのせいで事故になる事もあり、例えばカナダの事故では重いペダル式を止めて定期的ブザー式にした方が良いとの事故調査結果が出ている(ヒントン列車衝突事故 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%B3%E5%88%97%E8%BB%8A%E8%A1%9D%E7%AA%81%E4%BA%8B%E6%95%85)
次に元増田が訴えている京急でガックンブレーキが多い理由だが、2019年の神奈川新町での踏切事故が原因だ。あの脱線して火まで出た大事故だ。
事故の主原因はトラックの立往生だが、業務上責任というのは相手方の責任が大きいから当方の責任が相殺されるってもんじゃない。で、この事故では京急と運転士にも責任があった。
踏切の手前には踏切がちゃんと作動している事を示す信号と、異常があった場合にそれを知らせる信号というのが設置されている。この設置場所は次の通りに決まっている。
路線ごとに最高速というのが決まっていて国交省に届け出されている。また場所ごとに制限速度がある。
この速度で走っていて、異常信号が発光しているのを見てブレーキを掛けたら止まれる距離に信号を付けることとなっている。
つまり、踏切の異常信号を見て非常ブレーキ掛けたら絶対に止まれるワケ。
でもこの異常信号機は歩行者の踏切突破でも作動する。踏切に赤外線のフォトトランジスタ装置があって、踏切作動中に何かが横切ると例の信号が発光するってわけ。
踏切突破する不届き歩行者は結構いるから、発光しても様子見て歩行者がそのまま渡り切ったら警笛だけ鳴らしてそのまま通過というのが常態化していた。
で、あの日も同様に異常信号が発光したのに直ぐに非常ブレーキを掛けなかった。どうやら様子を見たのでは。
でも信号がなかなか消えないので4秒遅れでブレーキを掛けた。現場手前はカーブになっていてカーブを恐らく100km/h近くで通過したら踏切を全部塞ぐトラックが見えた。もうこの時点では衝突は避けられず、まともにぶつかって脱線、電車の下敷きのトラックが炎上する大事故になった。
そこで国交省の手入れが入り、社内規定と慣行を見直して異常信号を確認したら例外なく非常ブレーキを掛けろ、と厳命されたはずだ。
だから急いでいて降りている踏切を突破する不届き物が居た場合、非常ブレーキで停車という過剰にも思える反応になった。
というわけで、デッドマン装置のズルと元増田が毎日食らってる急ブレーキは関係が無いし、あの大事故が引き金で踏切突破などで非常ブレーキが必須となった為なので我慢するしか無いのではないか?
せめてもっと緩いブレーキにしろ、と言いたいかも知れないが、「踏切異常信号視認でも通常ブレーキを使うのが慣例化していた」というのも指摘されてるので無理な話なのだ。
推しが整形した。
ある日、Xの界隈がざわついていた。
たしかに久しぶりに見る動画ではなんとなく前と顔が変わっているように見える。でもそれ以上にすごく痩せたように見えるし、メイクとか光の加減で顔が違って見えるなんてこと当たり前にあるし、思い違いかもしれない可能性がまだ少し残されていた。
そもそも最初のうちはそんなことを推しの名前出してSNSで開けっぴろげに言う奴への反感が大きくて、特に「前の方が好きだったのに」とか「◯◯顔変わってない?」とか言う奴の気が知れなかった。究極的に言えばことの真偽は本人にしか分からないことだし、わざわざ名前つきでSNSに載せるようなことでもない。整形自体が悪とは言わないけど、芸能人である以上「整形した」という評判はあまり良いイメージを持たれないことの方が多いし、下手すればアンチの格好の攻撃材料にすらなる。
そういう前提があるにも関わらず自分の好みと違うというだけで推しへのマイナスイメージを名前つきで撒き散らし注意されれば「気持ちを吐き出す場を奪わないで」と被害者ぶる。そういう奴を見て腸が煮えくり返る思いだった。少なくとも不特定多数の人間に見える場でそれを言うことの意味が分からない。下手をすれば推し本人が見るかもしれない場で、もう済んでしまって取り返しのつかないことを「前の方が好きだった」と自分の気持ちを押し付ける。
本当にオタクってやつは救いようのない生き物だ。推し活とは誰かを消費しながら楽しむ娯楽であることはどうあがいても否定できない。だからこそ一人一人の線引きが重要で、どこで何を言うか、そして何を言わないかが本当に重要だ。それはいくら金を積んでいようが推しのためにどれだけ貢献していようが関係なく誰もが平等にわきまえるべき線引きのはずだ。消費者だから金を出してるやつは何を言ってもいいと考えてるオタクが多すぎる。オタクが決定できるのはそれに金を出すか出さないかだけで、意見を言ってもいいのはそれが改善される余地があることだけだ。(もちろん改善できるからといって推しに痩せろとか整形しろとかそういうことを言ってもいい訳では無い。待遇改善とかの話だ)それ以外の愚痴なら表に見えないところで同好の士と存分に語り合えばいい。誰かを消費している以上、少なくともその誰かの不名誉になることだけはすべきでない。それがオタクとしての最低ラインだ。
とまあここまでグダグダ他のオタクについてさんざん説教して来たが、騒動から数日後、自分はどうなのかということを考えるようになる。
推しの整形自体はどうやら本当らしいことが後のコンテンツではっきりした。たしかに前とは顔が違う。個人の好みをここで書くことは避けるが、前とは顔が違うのだからどうあっても推しの顔に対する違和感は拭えない。違和感は見慣れないからであってしばらくしたら慣れて普通になるだろうと自分に言い聞かせることにした。だが、どうにも推しの新しい顔を見るとなんだか気分が沈む。かっこよくないとかかわいくないとかそういうことではなく、推しの顔が変わったという事実にそこはかとない悲しみを覚えるのだ。
整形自体は本人が納得していればそれでいいと思うし、それで本人がコンプレックスを解消して明るく生きられるのなら全く構わないと思う。事務所命令で整形させられるなんて話も聞くけど最終的に決断を下すのは推し本人である以上そこにオタクの意見が介入する余地はない。それらは大前提としてそれでも私の心境は複雑なものだった。
今の気持ちを紐解いてみると、あれだけ可愛いと伝えたのに届かなかったのか、という無力感がひとつ、整形などしなくても衣装とメイクの力でどんどんビジュアルを更新し続けていたのになぜ今更不可逆的な整形という手段を選んだのか、という整形という行為自体への忌避感、そして、今まで私の払った金がその行為へと(間接的にでも)使われたという憤り(そのままの推しが好きだから金を払ったわけであって推しの顔を変えるために金を払った訳ではない)の3つが大きな柱として存在しているようだった。
もちろんオタクに何を言われようが整形しようという決定を覆すほどの影響力がないのは重々承知しているし、勝手に理想を押し付けていたのはこちらだと言われればぐうの音も出ない。整形という行為自体のハードルや捉え方も個人や文化によって乖離があって当然だ。過去に金を払った云々もその分の金を払った時点で何かしらの対価を受け取っているはずで、その使い道に関してまで消費者が口を出すことは出来ないのは当然のことだということも分かる。
でも悲しい。見慣れた顔がいきなり知らない人になった。思い出の中にいる人物とは違う見た目の人がどうやら今の推しらしい。色々な気持ちを伝えて、それを受け取ってくれていたと思っていたのに繋がりが消えたようで悲しい。これは全部全部どうしようもない愚痴だ。他人には書くなと言っておいてお前はここに書いてるじゃないかと思われるかもしれないが裏で愚痴を言い合う友達がいないからここに書いているダブスタ野郎だ。
つくづく推し活向いてない。オタクも向いてない。推しのことが好きなのかどうかもなんだかよく分からなくなってきた。今すぐファンを辞めるかどうか判断するのはまだ早いと思うので、とりあえず少し推し活から距離を取って時間が経つのを待とうと思う。前の顔(嫌な言い方)のグッズはとりあえず目につかないところに片付けた。お気に入りのビジュのものも全部片付けた。推しを入れようと思って買ったトレカケースも新しいグッズが出るまでは寝かせておくことにする。新しい顔(なんかアンパンマンみたいな言い方だ)に慣れて、推しは推しだと開き直ることができたらその時に使うことにする。
ふと思ったんだが、推し活はテセウスの船に似ているのかもしれない。人間と人間である以上、推しもオタクも多かれ少なかれ変化していく。何をもって推すかというのも人によって千差万別で、いつ船を降りるかも自由だ。私がいつまでこの船に乗っていられるかは分からないが、推しが整形したオタクの独り言をここに残しておく。
最後に一つだけ、推しが誰か分かったとしても「これって◯◯ですか?」とかしょうもないことをコメントするな。XでRPして「◯◯?」とかも言うな。これ自体を黙ってRPしてもお前の推しが整形したのかと思われるからやめろ。よろしく。
素晴らしい絵と世界観を持つ作品群で、自分はその作品も作者さんもコミュニティも大好きだった。
そんなコミュニティから抜けたのは、きっかけは色々あるけど、作者さんが自分の意に添わぬファンを罵倒したりイエスマンばかりに耳を傾けるようになったことだ。
それは仕方がないことだが、そのジャンルを好む人々を罵倒したり人格を攻撃するようになっていった。
周りのファンも少しでも嫌いなジャンルにかかわっている人間は「頭がおかしい」「「怪物」とののしり、そうじゃないファンを攻撃し作者もそんなファンをほめるようになった。
正直居心地が悪くなっていき、距離を置くことにした。
常々作者さんは自浄作用を口にしていたが、ファンも作者さんをいさめるようなことはしなかった。
いや、いさめたファンもいたがやめることを宣言したりもはや何も言わなくなってしまった。
ただ傍観していた自分も何も言う資格はないのだが、あのコミュニティや作者さんが大きなトラブルに巻き込まれないことを祈る。
金曜日の夜にこんなことを描いてごめんなさい。
描いていたら楽になった。
読んでくれた人ありがとう。
素晴らしい絵と世界観を持つ作品群で、自分はその作品も作者さんもコミュニティも大好きだった。
そんなコミュニティから抜けたのは、きっかけは色々あるけど、作者さんが自分の意に添わぬファンを罵倒したりイエスマンばかりに耳を傾けるようになったことだ。
それは仕方がないことだが、そのジャンルを好む人々を罵倒したり人格を攻撃するようになっていった。
周りのファンも少しでも嫌いなジャンルにかかわっている人間は「頭がおかしい」「「怪物」とののしり、そうじゃないファンを攻撃し作者もそんなファンをほめるようになった。
正直居心地が悪くなっていき、距離を置くことにした。
常々作者さんは自浄作用を口にしていたが、ファンも作者さんをいさめるようなことはしなかった。
いや、いさめたファンもいたがやめることを宣言したりもはや何も言わなくなってしまった。
ただ傍観していた自分も何も言う資格はないのだが、あのコミュニティや作者さんが大きなトラブルに巻き込まれないことを祈る。
金曜日の夜にこんなことを描いてごめんなさい。
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そんなコミュニティから抜けたのは、きっかけは色々あるけど、作者さんが自分の意に添わぬファンを罵倒したりイエスマンばかりに耳を傾けるようになったことだ。
それは仕方がないことだが、そのジャンルを好む人々を罵倒したり人格を攻撃するようになっていった。
周りのファンも少しでも嫌いなジャンルにかかわっている人間は「頭がおかしい」「「怪物」とののしり、そうじゃないファンを攻撃し作者もそんなファンをほめるようになった。
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常々作者さんは自浄作用を口にしていたが、ファンも作者さんをいさめるようなことはしなかった。
いや、いさめたファンもいたがやめることを宣言したりもはや何も言わなくなってしまった。
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中韓の話題は日常生活で出ないから余程ヤバい奴が自分から話すケースしか起きないが
男女の話題は日常で出てくるから、そういう時にネットの思想に染まってるとつい俺(私)の意見を聞けモードになって熱心に話して
生きづらくなって
俺(私)が生きづらいのは女(男)のせい!と更に過激化
って流れが見えるわ
Xで、プラモデル界隈で上手い人とかフォローしてるけど、それどうやったらいいんですか?とか聞きにくい
なんか趣味系ってやりかた質問したらあとでめっちゃボロカス言われそうなイメージある
(聞く前に手を動かせ、聞いてくるなんて非常識だよ答えるやついねえのわかんねえかな、聞いたら答えが返ってくると思うなよバカ、タダで教えるほど人ができてないですw、などなど)
写真も好きでいろいろフォローしてるけど、写真界隈だとそうやって質問者をさらしあげてフォローの人たちがあざわらう図式はわりと見てきたのでなかなか怖い
身につけた技術を気軽に質問して誰が答えるかバーカ!って理屈もわかるといえばわかるので、オタクの人たちについてはそういう二面性と地雷性を持ってるので距離をとって眺めるのが一番いい
一番いいんだけどたまに時々どうやってるのか知りたい時がある
あと純粋に素晴らしいですと伝えたい時もあるけどビビっていいねボタン以上のことができない
まぁでもそういうもんか