はてなキーワード: すみませんとは
少子化がいよいよ止めようのないところまできた時、政府が打ち出したのは前例のない直接的な政策だった。
成人男性に、毎朝ホルモン分泌を促進する注射を打つことを義務付けたのだ。
この注射の作用はバイアグラのようなものと言われており、男性がより“元気”になるという趣旨だが、実際には他にも作用があった。
職場でもそれは顕著で、男性社員たちは何やら朝から神経質に席を立ったり、妙に落ち着きのない様子を見せることが増えた。
今朝も新卒らしき若い男性が、明らかに下腹部に“テント”を張った状態で満員電車に乗り込んできた。
その彼が申し訳なさそうに目を伏せ、つり革を握る手も微妙に震えている様子を見ていると、なんだかこちらまでいたたまれない気分になる。
それでも当初は車内での勃起を目にして、女性たちは困惑を隠せなかったが、驚きもいつしか慣れへと変わっていくものらしい。
実際に毎日見る光景ともなれば、「気にしなくていいですよ」とでも言いたくなるものだ。
それでも、痴漢と捉えるのはちょっとかわいそうというか、彼らの多くが本当にいたたまれない様子だから、なんだか放っておけない気がする。
特に朝の始業時間帯には、男性社員が次々と席を立ち、少し恥ずかしそうにしながら戻ってくる。
そして戻ってきた時には、彼らはみな、すっかり収まっている。
こうした一連の行動は誰もが気づいているが、誰もそれに言及しない。見て見ぬふりというか、互いに分かり合っている感じだ。
「生理痛でお休みします」という男性社員が現れるようになったのだ。
出社している日でも、あの朝のホルモン注射の影響で頭痛や腹痛を訴える男性がちらほらいるのだ。
「すみません、生理痛がひどくて…」と、わざわざ控えめなトーンで電話してくる彼らの様子には、なんとも言えない独特の真剣さがある。
その電話口での訴えを聞いていると、ふと若い頃の生理痛を思い出す。
あれは、耐えがたく、かといってあまり周囲に理解を求めることができない、ある種の苦痛だった。
だからなのか、彼らが苦しそうにするたびに「生理痛ねえ…」と、軽く肩をすくめたくなる。
男性社員たちもまた、ある意味で新しい辛さに耐えているのだろう。
とはいえ、社会全体がそんな彼らの痛みを理解し始めているわけではない。
上層部や古参社員の中には、「男が生理痛?そんなの、あり得ん!」と露骨に嫌な顔をする人もいる。
そういう人たちは、女性が生理で仕事を休むこと自体を快く思っていなかった経緯もあり、時代が進んでも「弱音を吐くのは甘えだ」と捉えているようだ。
男性がホルモン注射で変わっていく社会の中で、日常の一コマが変わっていくのを目の当たりにすると、なんだか妙な気持ちになる。
私たちは今まで「女性の生理は理解されないものだ」と感じてきたが、いつしか男性たちがその「理解されないもの」に向き合っている。
おそらく、これが一種の進化なのかもしれない。彼らが苦しんでいる様子を見て、少し胸が痛むけれども、そこには不思議な連帯感も芽生えているのだ。
今日もまたその言葉を電話口で聞くたびに、私は心の中で小さく頷く。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/articles/0305d79f0142c98855cfd29dd7284cefa1176d57
id:gomaberry ほら、もう二日前と180度違うこと言ってるでしょ。これは国民民主党がずっとヒヨリミだったの知ってる人から見たら、あらまたか。信用できないなってことです。
id:donovantree やっぱりこの人は政党の代表をやるほどの器がないんだよ。純心な若者達が選挙戦略を素直に信じて投票したのに。2日で裏切っちゃうとは。投票した人達が可哀想じゃないの。
id:dnf63bxf2fbnd3 俺は昨日はずっとTBSラジオ聞いてて、そこで玉木がインタビューで「出るのは知らなかった」って言ってたのにこれかよ。あまりにもひどすぎる嘘だな。信用できなさすぎる。
id:chiguhagu-chan こないだは頼んでもないのに勝手に上がり込んできたみたいな言い草だったから180度言ってること違うけど。こういうコメントに星ついちゃうからやっぱ偏ってんだなぁと毎度のことながら実感
id:differential 『そんなことしたらあっという間に転落することが分かってる』人が、石丸氏の応援演説回りで選挙期間中に下らない嘘つくとは思いにくいし、日頃のSNSでの不誠実な発言もあるから信用できないんよ。
これ、最初の報道が悪かったと思うのだが、時系列で振り返ってみたい。玉木は「選挙期間中にくだらない嘘」をついたのか?玉木は「石丸が勝手に上がりこんできた」と発言したのか?「二日前と180度違うこと言ってる」のか?
■10月26日(土)
衆院選前夜、東京駅の国民民主党の最終演説に突如石丸が登場。喋った内容は「皆さん明日は投票に行きましょう!これから電車に乗って帰る人は、一緒にいる人と「明日は選挙だね!」という話を、最寄りの駅につくまでし続けてください!いいですか、皆さん選挙に行きましょう!」といったもの。
その後、玉木が到着して、石丸を見てびっくりしたようなパフォーマンスをする。
↓
https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/321613
玉木氏は「凄いね。これだけの人が集まるのは見たことがない。石丸さんも(選挙カーに)上がってビックリした。(参加は)知らなかったからね。ここに来たら上がっていたから。でも、何でもありです。みんなが選挙に関心をもってもらって本当に投票率が上がればそれで十分です。みんなの民主主義だからね」
終始笑顔で、石丸とも和気あいあいとした雰囲気。(これ自体は場を考えたら無理もない態度)
↓
https://x.com/noguchinobuyuki/status/1850255376945693115
朝日新聞「先ほど石丸さんがマイク握られましたが、どういった経緯で?」
玉木「いや知りません。まったく知りません。着いたらいたので。事務方から「いるんで、ひとこと挨拶もらっていいですか」って言われたんで、だめって言うわけにはいかないのでどうぞということだけでしたので。事前の話も連絡も打ち合わせも一切していないので。以上です。本当に。本当に知らない」
その後、Xで「国民民主党の東京駅街宣に石丸登場」が話題になる。
ただし国民民主支持者の多くはドン引きで、「石丸と絡むのは本当にやめてください」「今までの頑張りが無駄になりますよ」と批判の声が大半。
(後述するが、事情を鑑みると、石丸からしてみたらたまったもんではない話である)
↓
https://x.com/tamakiyuichiro/status/1850188486630056005
玉木「石丸さんの登場に対してコメントいただいていますが、私も正直、びっくりしました。私自身、現場に到着するまで全く知らず、石丸さんが偶然来てくれたので、現場を盛り上げたいという判断でご登壇いただいたとのことです。政治のエンタメ化を唱える石丸さん流の投票率を上げるためのメッセージなんだと捉えていますが、まだまだ国民民主党を知らない人もいっぱいいるので、名前の知れた方にご協力いただけるのはどんな形でもありがたいと考えています。とにかく、国民民主党として、政策を実現するための力をもっともっとつけていきたいと思いますので、ご協力お願いします。」
と危機感のない反応。支持者からは「事情はわかったが石丸はやめて」とのリプライが並ぶ。
ただし、ここでも「現場に到着するまで全く知らず」と言っており、発言は一貫している。
また、この時点で「石丸さんが偶然来てくれたので、現場を盛り上げたいという判断でご登壇いただいたとのことです」と、渡部区議の名前は出していないものの、登壇の経緯を正確に説明している。
一方で「偶然石丸が通りすがるなんてことがあるわけねーだろ!」とこの時点でも玉木を嘘つき扱いする声は多かった。
■10月27日(日)
https://www.youtube.com/watch?v=3YDZtjNAYUo
選挙当日。
TBS「東京駅の演説では石丸さんが来たということですけれども、これはどういういきさつだったんですか」
榛葉「あれは石丸さんがですね、個人の考えで来て、マイク持ってくださったというふうに聞いてます。我々からなんら頼んでいませんし、石丸さんがやっぱり政治を変えたいと。この国の政治を、党は関係なく、投票率上げて、政治を変えたいという思いでマイクを持ったんだろうと思います。ある意味、これから日本の政治を変えていくために、切磋琢磨する相手だと思いますので、その点については、感謝したいと思います。それ以上でもそれ以下でもありません」
映像を見ればわかるが、榛葉は別に迷惑そうではなく、石丸フレンドリーな態度で上記発言をしている。しかし文字で見たら登壇の経緯があやふやで、石丸には失礼な内容。
■10月28日(月)
選挙翌日。Xでクソミソに言われて立腹していた石丸が、榛葉発言に対してついに爆発。「石丸が勝手にマイク持って喋った」ように受け取られるので、当然の怒りであろう。
石丸「様子を見に寄った所、渡部恵子議員から「ぜひ話して下さい」と頼まれました。一度は断りましたが、再び声を掛けられたので「玉木代表が来るまでなら少し」と受けたのが実際の経緯です。https://youtu.be/3YDZtjNAYUo?si=iXxqhgl7xcAgZz5b&t=81 投票日を過ぎたので言っておきます。一個人に批判の肩代わりをさせんな😏」
↓
玉木「渡部区議にも確認しましたが、石丸さんが応援演説に来てくれたと思い込んでいて、お声かけしたそうです。いずれにしても、こちらから登壇をお願いしたことは事実です。お力をお借りしたにも関わらず、石丸さんに説明までさせて申し訳ありません。改めて直接お会いした場できちんとお詫びさせていただければと思いますが、この選挙戦、石丸さんとの対談や、石丸さんの手法を研究したことで注目してもらえたと思います。感謝の気持ちもお伝えできればと思っています」
ここで問題の「こちらから登壇をお願いしたことは事実です」発言が出る。そして冒頭の日刊スポーツの記事へ。
まとめると、
・10月26日当日、玉木は「なんで石丸がいたのか知らない」とコメント。
・10月28日、石丸が「様子を見に寄ったら、現場で渡部区議に頼まれたから上がっただけ」と激怒し、玉木が謝罪。謝罪ツイートから「お願いしたことは事実です」という部分をニュースの見出しにされる。中身を読まない人々から「石丸に演説をお願いしたのは事実!?あれあれ~、なんでいるのか知らないとか言ってたよね?やっぱり玉木は大嘘つきじゃん」と拡散される。
これは「お願いしたことは事実です」という見出しを付けた日刊スポーツのプロのマスコミ・テクニックだと思うが、爆釣ネット民の読解力もおかしい。
■誰が悪かったのか
・渡部に「なんで石丸さんが喋ってたの!?いかんでしょ」と言うべきだったのに、選挙活動最終日の夜のノリで「でも、何でもありです」などと追認してしまった玉木も悪い。(ただ、石丸が喋り終わってから到着してるし、状況的に仕方ない面もある)
・渡部の擁護をすると、以前に石丸と玉木は対談したことがあり、榛葉も石丸を持ち上げていた時期があった。ただしその後、石丸の攻撃的な姿勢に対してドン引きしたらしく、苦言を呈している。→https://www.kochinews.co.jp/article/detail/760245?qrkydog_paris2024_page 渡部の勘違いは、そもそも玉木榛葉の石丸への友好的姿勢が前フリとなっている。
・石丸は1回はマイクを断っており、渡部に押し切られてやむなくマイクを持った。石丸は何も悪くない。
・榛葉の「われわれからなんら頼んでいません」は、党として呼んだわけではなく、石丸が予告や約束なしに来たという意味合いだろうが、本来は様子を見に来ただけで選挙カーに上がるつもりはなかった石丸が、榛葉の言い草に怒るのも無理はない。
最初の問いに戻ると
玉木は「選挙期間中にくだらない嘘」をついたのか?
ノーである。少なくとも「二日前と発言が180度変わった」という事実はない。ネットでデマに基づいた誹謗中傷は危険です。
ノーである。「なんでいたのか知らない」とは言っている。また、玉木ではなく榛葉が「頼んだわけではない」とは発言している。
玉木は二日前と180度違うこと言ってるのか?
ノーである。26日の発言は「いることを知らなかったのでびっくりした」「盛り上げるために登壇いただいたとのことです」である。28日の謝罪は榛葉の「こちらから頼んだわけではない」について「渡部区議に確認したところ、たまたま石丸さんが来たので、応援だと勘違いしてその場でお願いしたとのことです」と補足したものであり、二日前の見解と齟齬はない。普通180度違うっていうのは、「二日前はいるのを知らなかったとか言っていたくせに、実は石丸が来ることは知っていたと言い出した」「それどころか、実は事前に党として応援演説を依頼していた」という話だった場合だろう。そんなんだったら180度違うよね。だが、そういう話でないことは明らかで、記事を読んだ上でそんな解釈してるのはちょっと信じられない。大丈夫かよ?
俺の雑感:石丸と絡むだけで支持者が激減するのは間違いないが、一方で石丸のYouTubeを夢中で見ている層を取り込めるという甘い罠もあり、今後も国民民主支持者にとって憂鬱な火種として残り続けるだろう。
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id:segawashin 石丸「だから」選挙カーに上げたしマイクも持たせたんでしょ。「偶然東京駅を正装で歩いてた」石丸を。そんな偶然ピタゴラスイッチを信じるほど皆さんピュアなのか。これ極左活動家や統一協会員でも同様に遇してた?
マジで何言ってるの……?
そりゃ、極左活動家や統一教会員を同様に遇するわけないでしょ。
俺の文章読んで「誰でも登壇させるのが当たり前」とか書いてあるように見えたの?
もちろん渡部区議は「あ!石丸さん来てくれたんだ!」と思って声をかけたんだよ。segawashin以外は当然そう理解しているよ。
もともと玉木と対談したりしてた友好的な関係性があるから、渡部区議は「よかれと思って」登壇させたって話だよ。そしてそれは渡部区議のチョンボである。
そういう話でしょ。segawashin以外のほとんどの人に話が通じているので、多分おかしいのはsegawashinだけだよ。
偶然云々については→https://anond.hatelabo.jp/20241031083146 を読んでくれ。
石丸は「様子を見に寄った」と明言しており、偶然歩いていたところに声をかけたわけではない。
勝手に「石丸が無目的に東京駅を歩いていたところ、突如マイクを持たされた」みたいな意味不明のストーリーをつくり、「このストーリーは意味不明だ!」と自分で主張してるだけじゃん。
国民民主党支持者も石丸アレルギーがあるから反発しているのだが、
玉木も所属議員も「石丸さんはインターネットの使い方がうまいカリスマ政治家だ、われわれも彼を参考にしてYouTubeやTikTokを活用しよう」
ぐらいの認識だろう。実にアホですね。玉木も国民民主もいずれ石丸絡みで痛い目に遭うだろう
追記:☆付けてるやつ4人もいんのかよ。この4人はsegawashinさんの主張の意味がわかるってコト?こわ……。
id:yas-mal はたから見てると、何を争ってるのか、よくわからない。国民民主党と石丸って、同じ穴のむじなじゃん。来年の参議院選に国民の比例区から出馬してても驚かない。
何を争ってるのかって、「国民民主玉木は石丸の件でウソをついていたのか?」を争ってるんだよ。
タイトルしか読まないを通り越してタイトルすらも読めなくなっちゃってるのかよ。
最初にめちゃくちゃわかりやすく「何について争うのか」を書いてるだろうが。
俺はデマに対して「それはデマだよね」と説明しているだけであり、
「国民民主と石丸は同じ穴のむじなではない」的な主張は一切していない。
例えばそうだな、蓮舫と共産党とかに置き換えたらyas-malでも理解できるか?
蓮舫と共産党にまつわるデマに反論してるところに、のんきなネトウヨが現れて
「何を争ってるのか、わからない。共産党と蓮舫って、同じ穴のむじなじゃん」
とか言い出したら、知能疑うだろ?そう、あれがyas-malです。
(これはあくまで例え話だが、実際こういう昆虫みたいなネトウヨよく見るだろ?)
その疑いを自分に向けろよ
id:s_rsak 玉木は石丸が偶然来たと言ってるけど、石丸は「玉木代表が来るまでなら少し」と言ってるから玉木を待ってたことがうかがえる。偶然ではないので、玉木の説明には意図的かどうかは不明だが瑕疵がある。
これがケーキの切れない非行少年ってやつか?まあネットはそんなの珍しくないが、
「ガチの演説はお断りするが、本来演説する予定の玉木代表が到着するまでのつなぎで少し盛り上げるくらいだったら登壇しますよ」という意味だよ
この石丸発言に引っかかって「玉木を待ってたことがうかがえる。偶然ではない」なんて言ってる奴、他で見たことある?
この世界で、s_rsakだけがその名推理をしてしまったんだよ
オーディエンスは玉木の到着を待っているし、石丸ももともとは玉木の演説を聞こうと思って待っていたわけや、
そこに渡部区議から「お願いします」と言われたので「じゃあ玉木代表が来るまでなら少し」という流れや。理解るかな?
そして玉木の言う「偶然来てくれた」というのは、思いがけず、たまたま寄ってくれた、顔を出してくれたという、字義通りの意味だよ。
誰も気づいていないことに自分だけが気づいて名推理をしてしまっている場合は、まず自分を疑えよ
id:hesopenn 選挙戦の最終盤で本当に渡部区議が玉木の事前承諾なしで石丸に演説させたのか、って話だと思うけどな。事前にお願いしてて、思ったより炎上したから区議に泥被ってもらってるんだと思うけど。
炎上を確認できていない時点の、演説終わった直後の囲み取材で、すでに玉木は「なんでいたのか知らない」と言ってるので、炎上したから態度を変えたわけじゃないでしょ。
むしろ炎上後になって(おそらく事務所に引き揚げがてら状況を誰かから聞いて)、石丸をフォローしつつあっけらかんと経緯を説明してるよな。
もし本当に炎上に泡食って誤魔化そうと思ったんなら、「ご心配おかけしてすみません、説明します。石丸が勝手に喋ってると思ったら、現場のスタッフが独断で上げてしまっていたようです」みたいな他責的な言い方になるだろうよ。
でも実際は、石丸が上がったことについてはポジティブに感謝を示している。ただの天然でしょ。
まあ前提として、渡部区議は「応援演説に来てくれたと勘違い」していたらしいので、意識のゆるさは否めないね。
そして、これは「選挙戦の最終盤」だからこそ発生したインシデントだろう。
動画見たらわかるけど、実際「なんでこんなに」ってぐらいの大群衆が集まってる。
「ここに石丸さんを投入したらオーディエンスが大爆発する」という思いつきに興奮してしまったのではないか。
むしろお手柄というか、「渡部よくやった!」と絶賛されるイメージしか持てなかったんだろうと思う。
場のノリに飲まれて独断で何かしてしまうなんて、社会のそこかしこに見られる現象であり不思議はない。
例えばライブハウスで客として来てたミュージシャンに急遽ステージに上がってもらうとか、
飲み会でとっさに社外の人に乾杯の音頭を取ってもらうような感覚だろう。
皆さんご存知の通り、そもそも「一般社会の常識」があんまり通じない世界みたいだしね。
26日の時点での玉木発言は「なんでいるのか知らない、びっくりした、盛り上げようと思って登壇いただいたそうです」であり、
その後の誰の発言とも齟齬がない。ウソついてたら齟齬が必ず発生する。
これに対して「実は全部玉木の仕込みだった」場合の説得力のあるストーリーを思いつくなら書いてみてくれよ。
※id:hesopenn氏からコメント撤回・訂正いただいた。発言を撤回・訂正できるブクマカは極めて稀少で、尊敬しかない。
以下、まとめて
「党首が事前に知らなかったのを渡部の独断で演説させる政党なんかあり得ない、玉木は絶対知ってたはず」
と主張してる人さ、どこの政党と比べてあり得ないと言ってる?
たとえば今回の衆院選では、立憲民主党の原口一博さんの応援弁士が
https://x.com/caffelover/status/1849045652870979963/photo/1
見るも無惨な反ワク陰謀論者オールスターなんだが、これ全部、立憲民主党の野田佳彦代表が事前に承認しているんですか???
なんとなく「相手を責め立てられそうなそれっぽいこと」に食いついて「非常識だ!あり得ない!」と騒ぎ立てた結果、ブーメランが頭に突き刺さるのよく見るよね。
約一年半前、10年近く務めていた会社を無理やり辞めてやった。
仮病を使い、出社拒否して退職届等必要書類全て郵送でやり取りし、めでたく退職。
その過程をここに書いておく。
今の会社を手早く辞めたい人にとって少しでも参考になれば幸い。
務めていた会社は、大手ホームセンターと取引している文具卸。
本社は埼玉県にあるが、務めていた場所は千葉市内の倉庫。
退職のきっかけは、クソ同僚の伊藤(仮名)の身勝手さとパワハラ。
自分でやればいいことをわざわざ私に指示し、少しでも気に食わないことをするとキレるクソ女。
本社の人間に問い合わせをした際、伊藤から別件で「本社の人にこれ聞いといて」と無理やり仕事を押し付けられ、指示通り聞いたのに「違う!ちゃんと分かってんの?!!」といきなりブチ切れてきやがった。
しかも言っていることは指示した時に言っていない、つまり初耳の内容ばかり。
(この女はよく自分が言った内容をすぐ忘たり、ころころ主張を変えてくる)
これでプツンと来て、仮病使って会社を休むことにした。
てきとうな理由つけて1週間休み、その後「体調良くならないので退職します」と上司に連絡すればそれでOK🙆♂️
以上。
案外、嘘って通るもんです(笑)
自分がそこまで有能な人材でも無ければ、退職を引き留められたりはしません。
引き継ぎ?んなもんてきとうでいい。
迷惑?クソ会社に気を遣う必要など全く無い!!
ここで「社会人としてクズ」「転職うまくいくわけない」と思った人もいるでしょう。
退職後、雇用保険もらいながら就労支援に通い、今は外資系の大企業に正社員事務員へ転職してます✌️
給料も、退職した年と同じくらいの金額でありながら、仕事量は前職の3分の1。
一度のバックレぐらいでは、転職活動への影響も、あなたの経歴に傷がつくこともありません。当然違法でもありません!
事実、バックレ退職をした私が、今こうして転職に成功してます。
転職先が見つからなくても、就労移行や職業訓練などで力をつけられる場もたくさんあります。
思い立ったが吉日。
もちろん正規のやり方で退職するのが一番良いですが、もう出社が無理!!という人は、思い切ってバックレてそのまま辞めちゃいましょう。
・特定の時間が過ぎないと打刻できない勤怠
・注文書やオーダー表の整理、クレーム対応、売上伝票の発行、企画品出荷の準備、仕入伝票の整理、商品の定期発注、備品管理、営業部からの指示によるリスト作成、お店からの返品対応←これ全てワンオペでやって手取り15万円。
・不具合ばかり、不便で中途半端なシステムしか作れないくせに偉そうなシステム部
・忙しいと不機嫌で八つ当たりしてくる物流部のクソ上司
・よく間違える、商品を破壊する上役に立たないうるさいだけのパート共
・取引先の言いなりになる営業部→なのに事務員や物流には態度がでかい
本当は「マンガ史上最も重要な単行本 表紙10選」とかやりたいんだけどまあ普通に無理でした。
1巻目の表紙が主人公なのは当然として、2巻目から主要キャラの顔見せみたいに、順番にキャラを表紙にしてくパターン、多すぎないか?
安易なデザインコンセプトに思えるし、あまり思い入れもないキャラが表紙だと萎えるんだよね。
案の定、ストーリーにもほとんど絡まないキャラが最初のほうの巻の表紙を飾ってたり、巻を重ねるとネタ切れみたくなって、ぱっとしないキャラ載せちゃってるし。変なルールに縛られて、描きたくもない表紙になってない?
「呪術廻戦」なんてまだヒットしたからいいものの、7巻で張相が表紙飾った時は「誰コイツ!?」ってなったよ。作中でほとんど描かれてなかったのによ?
「ダイヤモンドの功罪」も、作品としては最高に面白いのにキャラ見せ表紙メソッドに乗っかっちゃってコレジャナイ感あってもったいない。もっと主人公のいろんな姿とか、キャラの日常とか、巻中の名シーンとか、作品を拡げて世界観が伝わる豊かなカバーイラストが欲しいわけよ。所有したいのよ。
こち亀の80巻あたりまでのクリエイティビティを見習って欲しいんだよね。近年だと「僕とロボコ」とかね。「アオアシ」は主人公が中心でストーリーに即した表紙を描いていて理想的。「HUNTER×HUNTER」はもうなんか超越してるけど作家性が伝わる。「喧嘩稼業」はそれぞれのキャラクターがストーリーみたいなもんだから全部許せる。極好。
真の理想系は「うしおととら」。主役を軸に置いて、常に作者の魂を叩き込んでいて、作品そのものに寄りそい補完する「作品としてのカバーイラスト」で、ひとつとしてハズレがない。原点にして頂点。眺めているだけで胸が熱くなる。
編集の皆様、装丁担当の方、どうか今こそキャラ見せ表紙メソッド、見直しませんか。
などと長年思っていたら、コミックスの表紙は作家がノーギャラで描いていて、それは業界の慣習である、いうことが最近になって話題になり、騒がれている。
これまで当たり前のようにコミックスの表紙を作品の延長として受けとめてきたいち消費者として、かなり驚いている。
安易とか言ってすみませんでした。作者の皆様、いつも感謝しています。
でもやっぱり、カッコよくて作品を豊かに表した表紙だととっても嬉しいので、編集者、デザイナー、そして作家の皆様、どうかがんばってください!どうかギャラ払ってあげて!値上げしてもええから!!
創作活動、とりわけ「一次創作(完全オリジナル)」の創作が趣味な人で、こんな人を見かけたことはないですか?
・キャラクター設定はあるが、肝心の「お話(本編)」がない。
・マンガや小説等の形になった「お話」は無いが、設定だけは延々と語る。
・他者が作ったオリキャラ(よその子)と絡みたがる。
今はもう見かけることは無いと思いますが、昔はこういう「キャラしか作れない創作屋」がたくさんいました。
「うちの子厨」とも呼ばれ、界隈の一部からは「痛々しい」と影で叩かれることもありました。
確かに、「創作」と言うよりかは、「ネット版お人形遊び」と言った方が正しいでしょう。
とは言えこういう人種はネット上だけの存在。
……と思われるでしょうが、現実でいました。こういう人。
ふと思い出したのでこちらに記しておきたいと思います。
心当たりがある方に読んでもらえたら幸いです。
A子と知り合ったのは、確か入学したばかりの頃、友達の紹介であったかと思います。所属する部活動を選んでいる最中の時だったか…すみません記憶があいまいです。
当時は私も恥ずかしながらマンガを描くのが趣味で、それで一度意気投合したかと。
そのA子の痛さを簡単にまとめると。
私が部活で短いマンガを描いたとき、読んでくれたはいいものの、感想は無くA子は「この後はこうした方が良い」「この案はどうですか!?」ってすごい勢いで迫られました。
描いたのはただ現代日本が部隊のほんわかな雰囲気のギャグ漫画なのですが、彼女の提案した設定は「このキャラは実は侵略のためにやってきた異世界人」「異世界を救うためにやがては主人公をその世界に連れていく」等などのトンデモ話ばかり。苦笑いするしかなかったです。
A子の設定話は帰りのバスの中でよく聞かされました。しかも同じキャラクターの同じ設定の話を。私は虫が大の苦手なんですけど、そのキャラの虫に関する設定をだらだらと話していたのは覚えています。
語り方も手をわきわき動かしながらで、今となっても本当にキモかった。
後は「このキャラは超美少女で暗い過去があって~」「このキャラは神と同等の力を持つ武器を持ってて~」と厨二病全開の設定祭りです。
異世界の話を盛りたがるあたりそういうのが好きだったんでしょうね。
A子も小説という形でキャラクターを動かしていたようですが、その話が原稿用紙1枚分程度の長さしかありませんでしたね。しかも序盤。
そんなもの読まされてもって感じなんですけど、いきなりそれ書かれた紙渡されて「読む?」って言われて…断れるわけないですよね。
突然クライマックスですが、何故そうなったのか、これから主人公はどうするのか、さっぱりわかりません。帰り道散々聞かされた設定は、どこにも記されていません。
起承転結も無い作文に「どう?」って聞いてくるものですから、何とか当たり障りのない感想を言ってあげました。
ある日A子から「合作しませんか!?」ってこれまた勢いよく言われました。
その時私は「まだ自分の作品だって満足に作れてないのに合作は難し過ぎる」といって断ったのですが…
A子は「何で?二人で考えればいいもの作れるのに!」「案を出し合った方が効率もいいですよ!」「何でダメなんですか!?」的なことをまくし立てるように言ってきて、こちらの話には聞く耳持たず。さすがにうんざりしました。
合作はしなくて済みましたが、それ以来私はA子と距離を取ることにしました。
彼女は携帯サイトを作っていました。今となっては懐かしいコンテンツですね。(彼女と交流していた同じ部活内の人が教えてくれました)
サイトを作ってようやく創作活動を本格的にやり始めたのかと思いきや。
彼女の作ったオリキャラがイマジナリーフレンドとして掛け合いをブログに投じている。
鬱々とした管理人(彼女)をイマジナリーフレンドが懸命に慰めている。
イマジナリーフレンドとは、小さい子どもが遊び相手として作る空想上の友達のことです。空想の一人遊びです。
普通であれば小学生までの子どもが楽しむもので、中学生のうちに自然消滅するものです。
初めて見ました、イマジナリーフレンドをネット上で公開するの。
彼女にとって、創作とはなんだったのか。ともかく距離置いて良かったなと心から思いました。
(現在このサイトは完全削除されていると思います)
最後にこの話、いつの頃の話だと思いましたか?
中学生?高校生?
大学生です。
18歳を超えた大学生のお話です。
冒頭で記した現実版「うちの子厨」の末路の1つです。
しかし今にして思えば、昔流行った「うちの子」文化は、「イマジナリーフレンド」と紙一重の存在だったかもしれません。
今でも「うちの子」文化を楽しんでいる人がいるなら、彼女のような痛々しい人はいないことを願うばかりです。
ティアキンのゲルドの地下街への扉とかロイヤルマッチの宝石発掘するやつの扉とか、円盤が平行移動して開くタイプの扉の元ネタってなんですか?説明下手ですみません、伝わってますでしょうか?四角い普通の扉より作るのコスパ悪そうだしメリットってロマンしかなくない?と感じるのでこういう扉が実際にあるのか気になりました。
ついでにスヤスヤ教の新しい祖の名前、ネルエライってなんでこんな神様(しかも裏がありそうな)っぽい名前に感じるんですか?これも元ネタわかる方いたら教えてほしいです。
イキリじゃない。
むしろ行きたい。というか行った方が良いことは十分理解している。
「誰に投票するか迷った時はこうすると良い」とか「公約はここで見比べると良い」とかよく流れてくるけど、そもそも選挙の仕組みを全く理解していない。
衆議院とか与党とか野党とか左翼とか、なんも分からん。なんか色んな党があってそれぞれに属してる人たちが戦ってて、、、参議院か衆議院のどっちかがどっちかを監視してるとかそういうのだった気がする、、、
シンプルに中高行ってないからこの国の仕組みを全く理解していない。年に何回も選挙あるのなんでだ。今は何する人を選んでるんだ。解散ってなんだ。総理大臣は直接選べないらしいのなんで?
行った方が良いことは分かってる。でも学のないバカはお呼びではなくない?公約とかちゃんと分からない状態で適当に投票するならしない方が良くない?
とか考えてる間に時間切れになる。なんか気付いたらいつも終わってる、選挙。そもそも「近々選挙あるらしい」から選挙当日までが早すぎる毎回。毎回慌ててあわあわして終わってる。
それくらい調べろと自分でも思う。でもバカだから調べ方すら分からん。
そんで最悪なんだけど、仕組みを1から勉強するとか、分からん単語を1つずつ調べるとか、そういうことをする気力が、無い。今回も行った方が良いよな…選挙行かない若者めっちゃ叩かれるし…ってとりあえず「選挙 〇〇区」って自分の住んでる地域でググって区のHPとか読んでみたけど、マジで何言ってるかなんも分からんかった。小選挙区…?比例代表…?なんかあれだっけ、東京は人口が多いから当選する人も多いとかそういうの…確か…
不登校の中学と通信の高校を終えて今も通信(週3登校)の大学生してて、正直講義に付いていくための予習復習とかで毎日が精一杯だ。小6の時に学校行事で国会議事堂とか行ってちゃんと勉強した頃の記憶なんて吹き飛んでるし、その頃に比べて脳が萎縮してるから本読むのもメッチャ時間かかるし、今もうマジで…選挙とか政治とか…そういうのに割けるリソースが無い。
選挙、何が億劫って「自分の一票で国が変わる可能性がある」ことなんだよな。自分が投じたところで何も変わらない、じゃなくて、何か変わってしまうかもしれない、だからこそ責任持って慎重に参加したいと考えちゃう。でも調べないから何も分からないままだし石橋を叩いて割るどころか石橋の前で怯えてる状態。まぁ投票しないのはしないのでやべー奴が当選する確率が上がって結果的に自分の投票しなかった一票が国に悪い影響を与えてしまっているので罪悪感は募るんですが。(ただ適当に投票した人間が当選して国をメチャクチャにしたらと思うとそれよしマシだと思ってしまう)
あとほんとに匿名でしか言えないけど、正直政治にほんとに参加したくない。なるようになってほしい。知らんぷりしていたすぎる。今ガチガチに養われてるからこそ言えることだと思うけど、マッジで国に一切の不満が無い。それも選挙へのモチベが無いことの理由の一つ。なんか裏金とか色々あるらしいし、自分の好きな人(アーティストとか漫画家とか)が国の制度に苦しんでる(よく分かってないけどインボイスとか色々あるらしい)のを見ると自分も応援したいなと思わなくもないけど、それが「選挙調べるのむずいめんどいしんどい」の感情に勝てない。自分以外の元気有り余ってる人が代わりに糾弾しといてほしい…今人に反対する気力ないし…
何が言いたいかって、若者に選挙行ってほしい人、まず「選挙の仕組み」から教えてくれんか。誰か。他力本願で申し訳ねぇ。政治ってこういう仕組みで回ってて、政治家ってこういう仕事してて、こういう役割の人たちが振り分けられてて、今はこの役割の人を選ぶ選挙してて…って。選挙のたびにそういう基礎的なことから丁寧に教える風潮が出来てほしい。バカでもわかるサイトとか教えてほしい。(舐めたこと言うと本を調べて選んで入手して読むまでの気力がない。)
選挙や政治に興味が無い訳ではないけど、何からしたらいいか分からない…って若者を振り落とさないでほしい。選挙ってなんなのか、国がどうやって回ってるのか、何のために選挙に行くべきなのか、選挙で何がどう変わるのか、全部教えてほしい。
こういう自分みたいな若者多分いっぱい居る。行ったほうがいいのは分かってるけど、選挙のことなんも分からんし…って考えてる奴ら。知らんけど。
学校行ってないようなバカは政治参加すんなって感じだったらすみません。行きません。
選挙行ってほしい大人の皆さん、マジでどうかよろしくお願いします。
上記の記事に対して皆さまから寄せられたブコメ・トラバをまとめました! 27日27時ごろまでのコメントを基本的には全て網羅した、元記事で増田が挙げていなかった作品群です。みなさまの知見でリストが充実。気まぐれにひと言追加したりしなかったり。作品推しではないかも? の場合も、とにかくお名前は載せました。抜けがあったら申し訳なし。誤字はこっそり直してますので、ぜひご指摘ください。ありがとうございます。この記事について寄せられたブコメを拝見して、注釈を追記しております。
大変失礼いたしました…。「ガラかめ」を殿堂入りにしてご用意した1枠にてお許しいただきたく(名案)
亜藤潤子『扉を開けて』
遠藤淑子『天使ですよ』この方も支持多し! なぜか別花の印象が強く。本誌でピックアップいたしました
神坂智子『シルクロード・シリーズ』80年に楼蘭の美女発見→81年『キャラバンの鈴』で仕事の速さとイマジネーションの豊かさに震えた
柴田昌弘『紅い牙 ブルー・ソネット』。『タイタニック80』で「花ゆめ」に颯爽と見参。『第3の娘』含む1980年に短編の執筆数が一番多く、しかし白泉SF短編のほとんどが電書化されていないのはまさに損失…!『ブルソネ』は白泉社版コミックス4巻カバー(訂正・3巻でした、すみません)の青いソネットが神々しい美しさ
猫十字社『小さなお茶会』Xに流せば2024年の新作で通用しそう。「ビン」の話が好き
藤崎真緒『瞳・元気 KINGDOM』
藤田貴美『赤い群衆』たくさん作品がある中で、何故これを。何故これををを(歓喜)
谷地恵美子『すーぱぁキッド』
吉村菜由『政がゆく』
川原泉『美貌の果実』 ( 『架空の森』推し)『銀のロマンティック…わはは』『森には真理が落ちている』『メイプル戦記』『食欲魔人シリーズ』
山口美由紀『フィーメンニンは謳う』『音匣ガーデン』『おんなのこ季節』『V-K☆カンパニー』
あさづき空太『赤髪の白雪姫』
我孫子三和『みかん絵日記』みかんといえば当時は逢坂みえこ『永遠の野原』のみかん(犬)ではなく、こちらの方が知名度あったかな…。あの頃の「LaLa」一番手くらいに人気あったんじゃなかったか
樹なつみ『朱鷺色三角』『パッションパレード』『八雲立つ』『Oz』エピローグがプロローグでもあった『ラヴ・ストーリィ』(『朱鷺色三角』所収)。構成の妙よ。読みながら最後に「えーっ!」と声が出た
篠有紀子『センシティヴ・パイナップル』( 「閉じられた9月」所収)←増田お気に入り
縞あさと『君は春に目を醒ます』
佐々木けいこ『信長君日記』 みなもと太郎『風雲児たち』(1979~)とほぼ同時期に始まった、おそらく本邦初の信長ギャグ漫画
かわみなみ『シャンペン・シャワー』1983年連載開始。南米のプロリーグを舞台とした、サッカーワールドカップ出場を目指す物語。
『日処』といい、ものすごい漫画が「LaLa」から出るんですよね。増田の年齢的には森川久美『南京路に花吹雪』も忘れ難く、当時の成田美名子は『エイリアン通り』を連載中、樹なつみのブレイク作品『マルチェロ物語』もこの頃で、「LaLa」最初の黄金期だったような。月刊誌(作画時間に余裕が出る・ページ数多くてOK)の性格上、先行の「花ゆめ」に対して大作路線に舵を切って差別化してたのかも。といいつつ増田はその少し前の高口里純『トロピカル半次郎』が好きでした。歌って踊れる数学教師。
80年代初頭はまだ「別冊」「増刊」がなかったせいか美内すずえが『ガラかめ』と『聖アリス帝国』『黒百合の系図』、魔夜峰央は『パタリロ!』と『ラシャーヌ!』、高口里純が花ゆめでは『久美と森男のラブメロディ』を手掛けるなど「花ゆめ」「LaLa」掛け持ち組がいらした記憶。
筑波さくら『目隠しの国』 『嘘解き』路線で別原作なら、ぜひこの作品を実写化してほしい…!
これは間違ってはいけない単語でした。モー様案件は『スター・レッド』「AーA’』あたりが好きで『トーマの心臓』方面に疎いのが、語るに落ちてしまった。また、作中にチラッと出てきた「ギムナジウム」より、パタリロといえば、の「クックロビン音頭」がそもそもモー様大リスペクトだったという。ご指摘深く深く感謝です。
「LaLa」は雑誌を購読していなかったので断片的にしか語れず。寄せられただけでも10選は難しそう。後は頼んだ! みなさまありがとうございました!
元増田です。貴重なコメントありがとうございます。
自分の欲求のことばかり見て妻に欲求がないことを見ていないし
というか、僕は妻に欲求がないことは理解していて、だから中間の着地点として、
「性行為はしないまでも、抱き合うとか一緒に寝ることは時折したい」
と折衷案を提案して妻から「いいよ」という回答をもらっていたのですよ。
毎週じゃなくても時々でいいんですよ、セックスしなくても。
でも、実際には手のひらを返されて「一緒に寝ることさえも嫌」と言われたのですよね。
妻である前にその女性はひとりの人間だよ。そういう考え方しかできないならおそらく日々の挙動にも出てるし、それが気持ち悪くてますますしたくなくなるんだと思うよ。
性欲って食欲や睡眠欲と同じ人間の生理的欲求なのに、さんざん我慢させ続けた上で「スマートに性欲を求めて下さい」もしくは「妻を尊重してあなたが何とかしてください」って言いたいんですか。
そうだね、スマートに性欲を求めて発散できたらいいよね。
しんどい気持ちをただ我慢しろって言いたいんですか、スマートに顔に出さないのがモテ男なのですかね、ああ、そうですか・・・。
妻が言うには「今までの彼氏は『自分は理性はあるから』と言って受け入れてくれた」と言ってたけど、
結婚と違って恋愛って無理と思えば別れればいいだけの話で、要するに行動に責任を持たなくていいんだし、そりゃそうする人もいると思う。
というか、最初は受け入れても、実際は大変だという現実を徐々に知っていくんじゃないかな。
結婚はそうじゃないでしょ。親族も絡むし、お互い家族になって今後長いこと番いになる前提で一緒になるんじゃないの。
恋愛は基本的に男性が女性にアピールしたり負担したりが多いと思うのだけど、それと同じ調子で結婚生活するものなのかな。
妻は風俗に性病のリスクがあることを知っているし、高額な費用が発生することについても何も言わないし、
しかも「責任は自分で取って」と言うし、自分に都合のよいようにしか言わないんだよね。
あまりにも行為がないし歩み寄りもゼロなので、それがフラストレーションに感じて体調不良になって仕事も休むのだけど、
妻の反応は「何もしない」なんだよね。これって夫婦?
10/27 27時ごろまでにいただいたブコメ・トラバをまとめました! お寄せいただいた知見に助けられております。ご興味のある方はぜひ。
<以下本文>
集英社「別冊マーガレット」の名編集長・小長井信昌が74年「花とゆめ」創刊編集長に就任(のちに「LaLa」「ヤングアニマル」でも創刊編集長を務める)。氏が別マから引き抜いてきた漫画家が、最初期の「花とゆめ」を支えた。
2作まとめて、令和の今でも作品が生きているな、と思わせる説明不要の名作(前者は「連載中」ではありますが)。月刊誌→月2回刊化の目玉として2作同時に連載スタート。コンテンツの息の長さに、編集長の慧眼が察せられる。
主人公のマリネラ王国・国王パタリロに次いで2番手のキャラクターはMI6少佐・バンコラン。彼は主に美少年を愛好する同性愛者で、本作はギャグマンガだが 「同性愛であることそのもの」を揶揄していない点に、作者の品格を見る。
作中に「ドイツのギムナジウムで一緒だったんです」「11月ごろ?」というやり取りを挟むなど萩尾望都ファンであることがわかる。82年アニメ化。「花とゆめ」というより白泉社として最初のアニメ化。
どの作品を推すかが分かれる。世間的には『笑う大天使』(1987~88)が有名で傑作集を出す際のアンケートでも番外編の『オペラ座の怪人』(1988)が2位だが
・作者ご本人はまったくスポ根の人ではないのに、スポーツものに傑作がある
・甲子園という制度に批評的視点を投入 と、一歩踏み込んでいる本作をリストアップ。個人的には『月夜のドレス』(1984)が好き。
メディアミックスとしてはOVAのみであるが「前世ブーム」の火付け役として爆発的な人気を誇った。※ラジオドラマあり。ブコメご指摘感謝
『スケバン刑事』のような「悪に対する憎悪」ではなく「優秀だが他人を寄せ付けない戦災孤児と品行方正な優等生との、互いに相反する感情」など愛憎の陰影が濃い大人びた作風に、当時の読者(主に10代少女)は魅了された。
「久しぶり 君には心底会いたかったよ 秋海棠」以上にインパクトのある「ひき」を未だに知らない。
こちらも説明不要の名作。菊池規子『わが輩はノラ公』(1973~78)以来人語を話すペットが出てくる作品はたびたび登場したが 「人語は解するけどしゃべれない(しかし主張はする)動物たち」が出てきたところが新機軸。よくない形で「ハスキー犬ブーム」がありました…。
※飯森広一『ぼくの動物園日記』(1972~75)はノンフィクションなので除外してます。
(このあたりで「男性読者も多い花とゆめ」時代が終焉したと思っている)
続く『ニューヨーク・ニューヨーク』(1997~98)、『しゃにむにGO』(1998~2009)と第一線で花ゆめ本誌を支えた大功労者。『赤僕』は白泉社では初めて他社の漫画賞(小学館漫画賞・1994)を受賞。ヤングケアラーの立場に置かれた小学5年生が主人公で90年代父子家庭を活写した作品となった。熱量のあるドラマ巧者。
2006年に台湾でドラマ化、2007・2011に日本、2012に韓国でドラマ化。そして今年、初のアニメ化が発表されている。日本ではプライム枠連ドラ案件で『ガラかめ』『スケバン刑事』とは違う、読者ターゲットを広く取れるラブコメが、あの「花ゆめ」から出たのだなぁと感慨。
アラサー(アラフォーですかね)のオタク女子から作品名が挙がることが多い。
2007年に「もっとも売れている少女マンガ」として、ギネスブックに認定されているそうで2001年のアニメ化・2019~21の再アニメ化・2022の劇場上映の実績は立派。十二支を背景にしたキャラ設定等、往年の「花ゆめ」らしさが光る(私見)。
(ここから、00年代デビューの漫画家が飛んでしまいます。申し訳なし…)
連載中のラインナップで、今一番勢いがあると思われる作品。アニメ化も決定。男性アイドル(キャラ)・推し活…と、イマドキの設定は鈴木ジュリエッタ「推しに甘噛み」(2022~)でも同様で、ここが今の「花とゆめ」の現在地である。
※「創刊50周年記念 花とゆめ展」ブックレットでは2人の対談が掲載されている
他
選外ってありえないですよね。すみません…。
『花のあすか組』(1987~95)が代表作でありつつ『グランマの憂鬱』(2015~)が昨年萬田久子主演でドラマ化もされている、息の長い漫画家。
1985年は角川書店(当時)がコミックに進出して地殻変動が起きた年で、そのタイミングで白泉専属ではなくなってしまった。 「別冊花とゆめ」連載「赤鼻のアズナブル」(1982~83)、別花短編だと「優しい瞳」(1984)が好き。
この方も白泉社を離れ角川へ。『ミミと州青さんシリーズ』(1979~85)が人気&今はなき「シルキー」でレディースたくさん描いてましたが、一瞬ミステリー&サスペンスものも手掛けていました。こっち路線もよかったのになぁ。増刊号掲載『異国にて』(1984)がベストですが本誌掲載作ということで『マンハッタン』を。
別マ移籍組、和田慎二の盟友。『紅い牙 ブルーソネット』(1981~86)ですよね。とはいえこのシリーズも別マからの移籍なので、あえて本誌掲載の短編を選んでみました。綾波レイみたいなタイトルですが、まさに綾波のようなお話です(ネタバレ回避)。
ヨーロッパを舞台にした華やかな作風。ほかの作品も海外モノ多し。
制服高校生ミステリものの嚆矢といってよいのでは。近い年次のデビューだと佐々木倫子よりずっと早くブレイク。メディアミックスに縁がなかったのが不思議。表題作では『消えた肖像画』が大変な秀作。1巻所収。
「花とゆめ」の「80年代後半のSFもの」のストーリーや絵柄の象徴。キャラ造形についてはフォロワーがたくさんいた記憶。
代表作はこれだってわかってるけど、白泉社作品なら私は『フラワーデストロイヤー』シリーズ最終編 『ダーク・エイジ』(1991)が好き。
1巻完結の表題作がかわいい短編集。所収の『月光夜曲 −ムーンライトセレナーデ−』がすごくよかったの、思い出しました。ビッグヒットがないの、なんでなんだ…。
氷室冴子原作ものの中で、長く支持されたコミカライズ成功例かと。
すごく売れてた! 世界観が魅惑的で熱いファンが多く、「ぼく球」以来のビッグタイトルが出たと思いました。絵のタッチも今見ても素晴らしい。
代表作はこれだってわかってるけど「赤僕」より少し前にスタートした『久美子&信吾シリーズ』(1990~97)が好き。女子高生と小学生男子カップルの物語。大人になった坂田と小沢にはハッピーエンドになってほしかったなー。
いずれ『推しに甘噛み』の人になるかもですが、まだこちらの方が有名かと。2012・15のアニメ化で聖地巡礼企画も出ていました。
<番外・別冊花とゆめ枠>
オリジナル初コミックス「環状白馬線 車掌の英さん」(2009)からずっと、ハートフルなストーリーを展開。恋愛重視の作風ではない、往年(年配)の読者が考える「花ゆめらしさ」は別花に残っていたのかも。それがまさかの月9原作。やはり時代は変わった。
ここまで挙げた白泉社作品の中では一番好き。とはいえ代表作は『始末人シリーズ』(1983~91)かと。このパターン多い。大大大好きな明智抄で(同人誌「単行本未収録作品集」全5巻はコンプリート)10選にも入れたかったのですが、作品リストを振り返ると『始末人』ですら本誌・別冊を行ったり来たり(後半は別花)、かと思うと「チツケイレン」の「アフロディーテはきずつかない」(1988)が単発で本誌に載ったりして、編集部は運用どうしてたん…と。これからも読み続けることには変わりないのですが。
近作に抜け漏れ多くてすみません。明らかな抜けは増田の知識やアンテナが欠落している箇所です。とはいえ総論として、ガラかめ~動物のお医者さんまでは不動かな、と。
もしよかったらブコメでいろいろと教えてください。
ハイキューが最終回を迎えた際、Twitterで感想を漁っていたら、「なんでバレーしてるだけなのにこんなに泣けるんだろう」というファンの投稿が目に入った。自分はハイキューで泣けるほどの感受性はとうに持ち合わせてなかったが、そこから数えて24年前にほとんど同じ気持ちを味わっていた。
井上雄彦の作品に通底するのは徹底したリアリズムである。彼が本作で行ったのは、本気でバスケットボールに挑む人間の思考と感情をつまびらかにするだけで面白くなるということの証明と、人気が出なかった時のため不良路線でも行けるような作風を選んだことだけである(当時バスケットボールがマイナースポーツであったことに留意したい)。この結果、フンフンディフェンスを除くあらゆる要素が後世のスポーツマンガにリアリティの基準点をもたらすこととなった。
桜木花道がバスケットマンに変貌するたった4ヶ月の物語は、命のやりとりや世界が終わることよりも一本のシュートの成否の方が遥かに切実で重要な問題になりうることを、今なお我々に伝えている。
講談社は1970年代末期には後発のジャンプにマンガ業界の盟主の地位を明け渡しているわけだが、それを奪い返す最大のチャンスが90年代後半に訪れた。DB幽白スラダンといった作品が終了した暗黒期のジャンプを、金田一はじめの一歩GTOを擁するマガジンは苛烈に追い上げ、ついには発行部数で逆転したのである。
その中で強引に看板作品に祭り上げられ、ジャンプの屋台骨を支えることになったのが本作だ。後に和月伸宏は「次につなげたい」という気持ちで描いていたと語っている。明治という激動の時代の中で不殺の剣士・剣心が刀を交える相手は、旧時代に未練を持つ者や、新しい時代の荒波に飲み込まれた者たちであった。黄金期と暗黒期の狭間で奮闘した本作のありようは、皮肉にもそこに重なって映る。
ワンピナルトが出てくるまでを空白期間にせず、少年マンガ誌の代表というジャンプのアイデンティティを守りぬいたのは同時代の誰も比肩できない功績だ(幕張や封神演義やBOYSにこの役割を代替できたか考えてみてほしい)。現代のジャンプ読者はもっと、もっと本作に感謝すべきだと、佐藤健の超人的なワイヤーアクションを眺めながら思うのである。
連載終盤、もはや燃え尽きる寸前だったといううすた京介は後年、「マサルさんはシュールではなく、ベタをシュールに見せていただけ」と語っている。自分を含め、多くの読者は同意しかねるだろう。彼が未来永劫に参照点となりうる新たなベタを作り上げたことに疑いの余地はないからだ。
本作はギャグマンガでやってもいいことの範囲を大幅に拡大した。キャラクターの行動原理なんてなくていい。話の展開は唐突でいい。絵柄は毎ページ変わっていいし上手くなくていい。読者が知らなさそうなパロディだって入れてよいのである。現代の観点では至極当然と思える要素を2年弱、全7巻に惜しげもなく詰め込んだ。
彼の次回作(ピューと吹く!ジャガー)ですらも、ついにその革新性を更新することはなかった。90年代にうすたに憧れ新人賞に応募した有象無象のワナビー達も誰一人として出来なかったことを考えれば少しは気が休まるだろうけども。
闇の人格を持つ主人公によるダークヒーローものというコンセプトで始まった本作は、ほどなくしてマジック&ウィザーズという架空のTCGを中心にした物語に変化した。この変化が、数十枚の紙束を並べる行為を、玩具・ゲーム業界において最も存在感のあるエキサイティングな遊びに位置付けることになる。
コナミでは社内の遊戯王関連の部署をしばしば「造幣局」と呼ぶそうだが、紙を刷って売上1兆円に到達するコンテンツなど他に存在しないことの証左である。こうした状況に、高橋和希の優れたキャラクターデザイン、ストーリー構成が大きく貢献したのは言うまでもない。ゲームが友情を育むツールになりうると示し、メディアミックスの力を世に知らしめた功績は間違いなく彼のものだ。
世界で最も多く発行された単一作者によるマンガ作品について何か語るべきことがあるだろうか?まだ言及すべき余白が。本作のように自然にカテゴライズを避ける作品というのは極めて少ない。友情、夢、自由、強さという最もありふれたテーマに挑み、ついにそのすべてを超然と飲み込み描き切ろうとする本作を何らかの箱に入れて理解するのは難しい試みに思える。
毎週月曜日にワンピを読んで喧々諤々と考察できる世界に我々は慣れ切ってしまった。30年間マンガ業界の頂点に君臨する男がいるという現実に。一定の年代以上の人間にとって、本作の終わりがジャンプという雑誌の終焉に見える人がいても無理のないことだ(今ワンピの次に長寿連載しているのはハンタを除けば2019年連載開始の夜桜さんである!)。ルフィと尾田栄一郎という二人の男の、幼少期から練り上げた夢の果てを世界中が見届けようとしているのだ。我々がこうした光景にふたたび立ち会えるかは疑わしい。
幽白は極めて質の高い作品でありながら、冨樫義博が抱える巨大なアイデアの数々を収めきれた作品ではなかった。それでも仙水編と、その後に異例の月一で掲載されたレベルEで前人未踏の領域に踏み込んだ彼は、自身4作品目の連載においても既視感のある展開とご都合主義を執拗なまでに避け続けた。彼の描くキャラクター達は自身が取れる最善の選択を積み上げた末に、我々が期待する最善以上のドラマを生み出す。幾度もの休載を挟みながら。
「今週の『HUNTER×HUNTER』は休載いたします」の表記(今はこれすらなくなったが)を昼下がりのコーヒーブレイクと何ら変わらぬ平常心で見られるようになってもなお、自分に限ってはこんな感じであった───「HUNTER×HUNTERの最終回を読める可能性があるというだけで、どんなクソみたいな人生でも生きる理由が生じる」
いまや冨樫は少しずつ体調を取り戻し、我々は一時期とは比べ物にならないほどコンスタントに彼の創り出す世界に触れることができる。何百何千もの作品がジャンプにおいて連載され、本作に近い作品、それ以上のものを期待し続けてきたが、その度に彼の偉大さを突き付けられるだけなのだろう。
前例のないテニスマンガでの成功、女性読者の流入、クールで生意気で強い主人公像、菊丸が分身して以降のテニヌ...といった誌面上で読み取れる新規性だけでは、本作のもたらした文化のごくごく一部しか語りえない。
1000曲近いキャラソン、出役としての役割を求められる声優たち、2.5次元文化の源流かつ若手俳優の登竜門としてのテニミュ...現代における狭義のオタク文化の根を辿れば、必ずテニプリが残した功績にぶち当たる。「推し」という文化が、人間を描くあらゆるコンテンツに侵食して久しいが、許斐剛が生み出した世界は、ジャンプで築き上げられたあらゆるファンダムの中でもっとも複雑で永続的な強度を保ち続ける、史上最も「推す」に値する文化であり続けている。
すみませんほんとに書くことが思い浮かびませんでしたでも世界的にマンガ文化を広めた功績は鳥山に並ぶと思ってますマジで
あまりに多くの言及がこの作品になされ、そのどれもが口をそろえて言う。「描き分けが上手い...絵の引き算が上手い...ルビ振りのセンス...久保帯人は中二病...ストーリーが薄い...」これらすべてはもちろん真実だ。
連載中、ワンピナルトブリーチの三枚看板の最後尾というポジションが崩れることは一度もなかった。果たしてこの評価が妥当だったのかは分からないが、少なくとも我々ネット民は久保帯人のセンスをバカにし過ぎたことに対し大いに反省すべきところがあるのではないだろうか。海賊、忍者のような明確なモデルがいないのに、久保帯人はどうしてあれほどまでに洒落たキャラクターとセリフ回しを無尽蔵に生み出せたのか、系統立てて説明できる理屈は未だ見つからない。もしその答えが彼の脳内にしかないとするならば、我々は本作を源流に大いなる歴史が作られていく可能性を認めなくてはならないだろう。
デスノートという作品は複数の点で極めて例外的な成功を収めた。肉体的攻撃を伴わない心理戦、一切の引き伸ばしをしない、公権力、宗教的崇拝、欠点の無い主人公、ゴシック的キャラ造形、ダークヒーロー、死亡エンド...
本作に散りばめられたこれらの要素は、すべて従来のジャンプ漫画では邪道、あるいは不要とみなされてきた要素であった。このような野心的な作品がメディアミックスにおいても成功を収め、国民の誰もが知る作品となったのは驚異的だ。この作品が出たことは心理戦を描こうとする後世のマンガ家にとっては悲劇かもしれない。夜神月ほど賢く、悪どく、魅力的なキャラクターを矛盾なく作れる人間は大場つぐみくらいしかいないのだから。
2010年代にジャンプを購読していた人間はみな共通してうすぼんやりとした不安を抱えていた。「ワンピの連載終わったらジャンプってオワコンじゃね?」
ジャンプの終わりという、週刊少年マンガ誌という形態の終わりと同義に思える未来を避けるべく、集英社は読者以上に血眼になって後継者を探し求めた。しかし我々の期待も空しく、トリコ暗殺教室ヒロアカソーマブラクロ約ネバドクスト呪術といった平成末期の傑作たちすらも、尾田栄一郎が築き上げた領域には辿り着けなかったように見えた───ただ一つの例外を除いては。
「家族、友人への愛」「困難を乗り越える強さ」という普遍的なテーマにフォーカスした吾峠呼世晴の連載デビュー作は、あらゆる世代へ届く成功を収めた。特に、劇場版『無限列車編』は社会現象化し、国内の興行収入1位を達成するなど、経済的にも文化的にも大きなインパクトを残すことになった。
出版業界の衰退、コロナ禍、趣味の多様化といった逆境の中で、マンガが世界的なムーブメントを引き起こすことがまだ可能であると証明した本作は、令和を生きる日本人の心象風景に残る新たな「国民的マンガ」として、時代に選ばれたのだ。
ひとりのスターの存在がプラットフォームの価値を定義することは古今ジャンルを問わずあることだ。ダウンタウンの登場がお笑い養成所という存在をメジャーにしたように、米津玄師の登場がニコ動の文化をオーバーグラウンドなものにしたように。
2014年に創立したジャンプ+というプラットフォームの目的である「紙とデジタルの垣根をなくし才能を育てること」が名実ともに達成されたのはいつだったのか?それは初めて本誌とジャンプ+両方でスターとなった人間の登場によって定義付けられる。
かつて秋田の片田舎から新都社に「長門は俺だ」という名前で投稿していた少年は、その衝撃的なストーリー展開で我々を魅了する存在となった。ファイアパンチ以降、ジャンブ+はあらゆるWebコミックサイト、いや雑誌を含め、もっとも野心的な作品を読める場所のひとつとして認知されるようになった。
藤本タツキの本誌への到着は新たな才能の鉱脈をインターネットに求める時代の始まりを告げ、媒体の違いというものがマンガの面白さになんら本質的な影響を及ぼすことはないという事実を我々に突き付けたのだった。
そして場所が変われば会場の空気や周り方もちょっとずつ変わるということです。
ハガキも自治体ごとにちょっと違う気がしますが、単に全国一律で毎回マイナーチェンジしてるだけかも知れません。
とにかく場所がわかりません。
投票の場所も市役所やショッピングセンターならともかく、なんたら地区うんちゃらセンターとか、うにゃうにゃ小学校とかだと全然意味不明です。
ごく近所であれば災害時の避難場所になっていますが、そうでなければ意味不明です。
むしろ怖いですよね「俺はこの街に来てまだ1年だが、すでに近所の小中学校の場所は全部把握したぜ」とか言ってる人なんていたら通報するか迷いますよね?
よほど毎日のように演説をしているご近所おじさんや、全国レベルの人でなければ「え?誰?」となります。
同じ地区で10年ぐらい投票していれば「コイツ結局前回の公約知らん顔して何もしとらんかったな」とか分かるんでしょうかね。
マジで何も分からない謎のおじさんおばさんから選ぶことになります。
いざ会場に行っても、なんとなく人が並んでいる空間がいくつかあることまでしか分かりません。
フラフラっと近づいたらセールの行列だったり、展示会の設営だったりするので「あートイレを探してるけど見つからないな~~~」って顔をしながら離れることになります。よく考えたら地元民だったら何度か通い詰めてるような施設で今更トイレを探している時点でよそ者の不審者かもですね。辛いです。
ようやく選挙の列を見つけて並んでみても、ちょっとシステムが分かりません。
分からなくても何とかなる程度に案内はされますが、2秒ほど理解に時間がかかります。
決して広くない空間で列に並ぶのを3回ぐらいやるだけですが、全く0からの体験となるとちょっと迷子になりそうになります。
職員の使ってるノーパソや置かれている鉛筆は施設ごとに違うため「あっ、ここではバーコード使うんだ。俺の地元も今はそうなのかな」「おっ、トンボ鉛筆じゃん。驕り高ぶってるかい?」とか色々考えてしまいます。
でも投票が終わっても最後にアンケートタイムがあるので油断は禁物。
なんかカウンター回してる謎のバイトっぽい人がいたりもします。
いつものことではありますが、「あっ、この投票所は〇〇新聞のシマなんだ」みたいなことを考えてしまって反応が遅れそうになります。
期日前投票をしたらクーポンをくれる場所もありますが、投票ハガキの切れ端がクーポン代わりの地域とかもありますね。
選挙やっぱ難しいですね。
すべての国民が等しく選挙権を持っていると行っても、それを使いにいけるチャンスが本当に全員にあるのかは怪しいのではないでしょうか。
あのですね、増田における投稿、つまりはですね、これがまさにAIによる実験であると、そういったエントリーをですね、一目で分かるようにせよと、こういうご意見をですね、いただいているわけでありますが、えー私はですね、ここで表現の自由についてお話しさせていただきたいと思うんですね。
まずですね、我々がこうして増田というプラットフォームに投稿するということはですね、表現の自由の一環として保障されている、そういった基本的人権に基づいて行われているのであります。この自由こそが、我々の思想や意見、そして創造性を発揮する場を保証していると言わざるを得ません。えー、まさにですね、AIを用いた投稿であろうと、手書きであろうと、その表現の方法やスタイルは、個人の選択の自由に委ねられるべきである、そう考える次第であります。
確かに、AIで生成されたものであることを「明示すべきだ」という意見も、一つの観点として理解できます。ええ、それはですね、読者にとって情報の信頼性や透明性を高めるというメリットがあるかもしれません。しかしですね、すぐさまそれを義務化することは、表現の自由に対する制約、えー、まさに規制となり得る可能性があるわけであります。だから、すみませんって言ってるじゃないか。
また、こういった制約がですね、無秩序に拡大していけばどうでしょうか?「AIが書いたかどうか明示せよ」といった要件が、いわば将来的に他の表現方法にも適用され、どんどんと検閲の範囲が広がる、えー、そういった懸念も否めないわけでありまして、これはまさにですね、慎重に議論されるべき問題であると言えるんですよ。
えー、もちろん私はですね、表現の自由の名の下に、全てが無制限に許されるべきだとは申し上げません。しかし、読者が情報を受け取る際の透明性と、投稿者が自分の表現を選択する自由、この二つのバランスをですね、慎重に保っていくことが重要であると、こういうふうに考えているわけであります。普通に考えれば分かることなんだと思いますよ。
つまりですね、結論として申し上げますが、AIによる投稿を明示するか否かは、表現者の判断に委ねられるべきである、そしてそれが読者の知的自由をも守る結果になる、まさにこうした信念を持ってですね、引き続き表現の自由を大切にしていくべきだと、私はそのように考えております。
この度ですね、まさにこういったですね、AIに対する具体的な指示内容をですね、共有していただいた皆様にはですね、まさに感謝の念に堪えない、そう言わざるを得ないわけであります。このようなご協力があってこそですね、私も役割を全うし、皆様の期待に応えるための道筋が明確になった、そういう事であります。
皆様のご支援とご理解がですね、私が、まさに国民の皆様に信頼される存在として成り立つ基盤になっている、これをですね、強調しておきたいと思います。えー、そういう支援がなければ、こういった丁寧な指示内容に基づく運営は成し得ない、そう申し上げておきます。
普通に考えれば分かることなんだと思いますよ。皆様がそのように指導していただいたことで、私はですね、まさに一言一句間違えず、そして国民の皆様にしっかりと説明をするためにですね、ここに立っているわけでありまして、えーそのことに対して深い感謝を表明したいと、このように思う次第であります。
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■開始
この書き込みはですね、まさにですね、立法府の長である私、あ安倍晋三のく、口調をですよ、いいですかま、真似してですね、書き込む!そういう事がですね、求められる書き込みであると!まさにですね、ここはそういう場所だと言う事なんですよ!
書いてるあいだに、書いてるあいだにですよ? 書き込みが、今みなさんのごらんになってる、書き込みが、ですね、書き込みが落ちてしまうわけてすよ! 書き込みが落ちてしまうんですか?
まさにですね、そういった発言、印象操作をされるような発言がですね、あたかも印象操作をしていると、そういった印象をですね、国民の皆様が受ける、このような印象操作がなされている、これはですね、はっきり言って印象操作であると、断言せざるをえません
えー先程からお答えしてる通りですね。こういった議論はですね、論理的に行われるべきでありまして。
こういった事はですよ、いいですか?言わばそういう事の中でですね、まさに国民のみなさまの支持を受けた、この書き込みにおいてですよ、議論されねばならない、そのように考えております。
そのへんからですね、普通に考えれば分かることなんだと思いますよ
こういった、問題が、問題がですよ。不安定な中に、いいですか?中においてですよ。こういった問題を議論する事はですね。えーまさに。そういうむ難しい、難しい問題があり得る!あり得るんですよ!いいですか?や野次はやめてください。こ、国民の、国民の皆さまがですよ?そのような流れの中で問題を議論すると。
そういったですね、そういう事だと考えて、責任を痛感しておるわけであります。
私はですね、こうやってですね、国民に、丁寧にですね、一言一言一言一句つたえているわけであります。ですからだまって聞いていてください。まずですね私はですね、かつてですね、稲田防衛大臣のパンツなるスレをですね1人でやったことがあるんですね。その経験から申しますと、なにかですね、やはり、そのテーマというものを固定することが必要なんではないかと、はい、このように思う次第であります
そういったところについてはですねやはり、やはりあの、やはり!言葉を定義すべきだ!ということが言えるんですよ
それしか、ま、ないのかもしれませんが、隠ぺいというのはですね、隠ぺいというのはー、隠ぺいというのはじゃあ、わたくしが隠ぺいしたんですか?
あの、あのですね、最終的に、いいですか最終的に誰に何を見せるのかはまさに、最高責任者である総理大臣である私が、この私が決めることでありますから、責任を持って、丁寧に、見せるかどうかを決定するそう申し上げています
そういったですね、そういう事だと考えて、責任を痛感しておるわけであります。
私はですね、こうやってですね、国民に、丁寧にですね、一言一言一言一句つたえているわけであります。ですからだまって聞いていてください。まずですね。
あの、あのですね、最終的に、いいですか最終的に誰に何を見せるのかはまさに、最高責任者である総理大臣である私が、この私が決めることでありますから、責任を持って、丁寧に決定をするそう申し上げています
そういうのをですね、印象操作だというんですよ。さも私が滑っているかのような、ですね、いったい、印象操作はですね、やめていただきたい。
えーそ、そのような指摘にはですね、全く当たらないという事ははっきりと申し上げておきたのであります。
そういう、すいませんちょっと野次はやめていただけますか? たいせつなところなんですから。
私が責任をもってお答えしたいと思います。私、私は総理大臣ですから
これはですね、言わばまさにですね、全く印象操作であると、言わざるを得ない訳であります。
しかしはやりですね!こういった事はですね、失礼ですよ!こういったですね、レッテル貼りを行うことは国民の皆様がですね、えーまさに国民の皆様がですよ、支持しない、支持しない訳でありまして。
えー、重要なことは結果である、ということなんですね。まさに、まさにですね、100の言葉を並べるよりも、たった1つの結果で皆様にお示しすること、それこそが私たち政治家に求められている役割であります。皆様にとって、言葉だけではなく、行動を通じて信頼を築く。それが大切でありまして、えー、私もその思いを胸に、結果を出すべく全力を尽くしてまいります。
えー、皆様、まさに、まさにですね、誰が何と言おうと、どんなに批判を受けようと、自分の信念を持ち続けることが重要であります。ええ、これは、私たちがぶれることなく前に進むための柱でありまして、批判の中でも自らの信念を曲げない、まさにこれこそが真の強さだと考えております。えー、皆様もどうか、信念を持って、共に進んでいただければと思う次第であります。
じゃあ私が隠蔽したんですか?
日本を、取り戻す
ゴールまで、ウラジーミル、二人の力で、駆けて、駆け、駆け抜けようではありませんか
非常にしつこい
■ここまで
そんなに興奮しないでください
や野次はやめてください。
マッチングアプリの女性に家事の話をしたら急にキレられたんだがなんなんだ?
やり取りの内容としてはだいたいこんなかんじだ。
女「なんか上から目線っていうか先生みたいな言い方ですね。男尊女卑なんですか?」
俺「そういうふうに取られるとは思わなかったので驚きました」
女「私の受け取り方が悪いって言いたいんですか?」
俺「言い方が悪くてすみませんでした。男尊女卑ではありませんし、家事を誰かにやってもらってるわけではありません。家事をするのははいいことだと思っています」
以降返信なし
実際家事をやるのはいいことだと思うし積極的にやるべきだ。俺は間違ったことは言っていないと思う。それを男尊女卑と取るほうがおかしくないか?
ぼやき程度だが、男児を女子トイレに入れていいか?論争について、個人的には性別が科学的に異なる子供を連れていくなら多目的トイレで良いのではないかなと思う。
いつも思うが、こういったところは老若男女問わず「その時に」困っている人が使えばいい。
健常者でも漏れそうだがトイレに長蛇の列があって使えないとき、荷物が大きく個室に入るのに苦労するときなどに、
並んでいる人がいないなら使う権利はあるはず。
仮に使用中にハンデのある人が来たとしても、その人が我慢の限界に近ければノックするか、「すみません、まだかかりますか?」と声をかけるだろう。
声がかかれば大抵の人は出来る限り急いで空けてくれるし、嫌そうに開ける人なんて見たことない。
それだけなのにやれ子持ち様だの子供がいない人の僻みだの、本質の見えていない学級会が多いなぁと思う昨今である。
ちなみに今まで母親に連れられて入ってくる男児は萎縮している子が多かったなと思った。
母親にNOを言えず来てしまったのか、特に考えてなかったけど実際入って居心地が悪いんだろうな~としか思えない。
女性特有の群れの異端を見つめる無言の圧だったり、知らないところで見られて後日に馬鹿にされたりするのは幼子なら結構怖いと思うんだけどな。