はてなキーワード: 文章とは
https://note.com/yomooog/n/ndf5d122eaa1d
文章は上手いし、内容も良いと思う、ただ申し訳ないがめっちゃモヤッとする。
何がというと、るろ剣をはじめて読んだだけならいいんだけど、この人、BLEACHも初めて読んでたし、HUNTER×HUNTERも初めて読んでた、まどマギも初めて見てた…
この人ゲーム誌とかでライターしてるというのを見ると、エンタメ関係者なら(特にクリエイターではなくライター・編集などの二次関係者なら)これらの作品なんて見てて当たり前じゃないの…?と思ってしまう。
1作品だけくらいならいいんだけど、これだけ多くの名作に触れてないというのは正直ちょっとその業界の人間としてはインプット足りなさすぎでは…?とモヤッとする。
オタクらしい文章でオタク文化圏の作品を初視聴で語るのは悪くはないんだけど、これだけ見てない作品が出てくると肝心の本人の中身がオタクじゃない感じがしてしまって、なんというかオタクの皮を被った別業態の人みたいな不気味な感じがする。
若いのかな、でもこれだけネットミームにも関わる作品を見てないというのは若さじゃ片付けられない気もする。
もうちょっと言っちゃうとオタクがこれだけの名作たちを知らないといったら先に恥じるという面があると思うんだけどそこら辺が全く無くて(まぁこれは人によるだろうけど)なんかそこら辺もオタクっぽくない。
モヤッとする。
誤り
麻薬単一条約によって、「Ⅰ(乱用のおそれがあり、悪影響を及ぼす物質)」と「Ⅳ(特に危険で医療用途がない物質)」のカテゴリが設定され、大麻は両方に登録されていた
しかし、この分類に科学的根拠がなかったことから、2020年にIVからの除外を採択
出典: WHOによる薬用大麻の初の科学的評価:世界的な悪戦苦闘から患者への影響まで (一般社団法人日本臨床カンナビノイド学会)
薬物使用者が死刑になったり、収監時に離脱支援を行わない、先住民の伝統的薬物使用の制限などは重大な人権侵害であるという声明
「薬物使用を犯罪ではなく支援するように」という話はそれだけ薬物使用からの離脱には大きな労力が必要で、依存性への警鐘を鳴らしている
出典: https://www.ohchr.org/en/press-releases/2023/06/un-experts-call-end-global-war-drugs
大麻は依存性のある薬物であることは間違いなく、逮捕によって依存から脱却はできないので支援するべき、という話を曲解しています
最近、大した地獄でもないのにあまりにも悲観的かつ自分を卑下するような内容の文章を見ることが増えた。
え?どう考えてもこっちのほうが取り返しつかないレベルの地獄だぞ?と思いながら毎回読んでる。
英語なんて嫌いだ。
こんなクソ言語なんて絶対に勉強しないと心に誓った記憶がある。
せっかくだから書かせてくれ。
真似したい人は真似してくれ。
俺もお前も凡人だ。焦らずコツコツやればいい。
不合格になってもいい。だが「なにがだめだったのか?」は分析しよう。
点数が上がればそれでいい。
ちなみに俺は英作文と文章読解で点数を稼いだ。
単語帳
英単語帳は好きなのを選べ。
選べないならとりあえず次の3種類から選べばいい。
単語帳の使い方
俺は分解して小冊子として携帯していた。
レンチンすればあっさりとれる。
やけどには気を付けて欲しい。
俺はやけどした。
毎日やろう。できない?そんなはずはない。
1日1分でもいい。
きたない?じゃあ瞑想すればいい。
ちなみに瞑想はmeditationだ。準1級の単語だから覚えるといい。
発音(RとL)
Rが難しい?Lが難しい?
先ずはLだ。
舌先を前歯の裏につけろ。そして離せ。このとき息を吐け。
モンローになれ。セクシーに言え。あえげ。
息を吐きながら言うから音が高くなるはずだ。
R?LじゃなきゃRだろ。
「あざーした」とか「ドァシャーリヤース」とかだ。
大したことじゃない。口を動かさず舌だけ動かして発音した結果、そうなっただけだ。
唇をほとんど動かさずに話すと「There is」は「ゼアリズ」になるし「Twenty two」は「トウェニートゥー」になる。
マジメにハキハキ話そうとしないこと。それがコツだ。
ここまで書いて満足したから消える。じゃあな。
rcloneインストール+settingsする気力あれば、onedrive経由でファイルひきわたし簡単にできる。
あとはgitかな?やることリストのテキストファイルがリポジトリにある。それをローカルに移植してtodotxtで編集したり閲覧したりすれば、このパソコンでやることが把握できる。
vi すでに導入してあるはずだから文章もかける。組版したいときは、pandoc + miktex導入しないとならない。後者は、インストーラーがラズパイのためのは、ないから、ドッカか。
久しぶりに長く話す機会をもらう。事前に話したい話題を頭の中で整理している自分が微笑ましかった。やはり好きだと思う。でも、欲しいではない、気がする。欲しい方面の欲望を他の矛先に向ける方法を最近発見したためか。それもまあなかなか醜い妄想習慣なのだが。単純に喜んでほしい、楽しそうにしていてほしい、何が元通りなのかは分かっていないけど元通りの彼女に近づいてほしい。心底そう思うのだ。心底、つまり心の底にはその思いがあって、そこに張られた水が少し濁ることもあるし、たまに腐臭を発するかもしれない。性欲支配欲嫉妬虚栄etc。でも底にあるものは変わらない。この人は幸せにならないといけない人なのだ。過去の俺は「可能性」がなくなるとスッと冷める人間だった。彼女に対してもそうなるのだろうと思っていた。だからこそこんな醜い自分を曝け出す愚かしい文章を書いて、自分の気持ちを記録していたのだ。でもどうだろう。これはもしかしたら永続的なのかもしれないという微かな光を感じもするのだ。同時に「いや冷めるでしょ」と思う自分もいるが。今はその光を信じつつ、できる限りの後押しをしたい。来月はもしかしたら二度会えるかもしれないと今は浮き立って、そんな決意をしたりしている
記法を駆使して色々やりまくって「おまwww全然初めてじゃないだろwww」って言わせるネタにしようとしたんだが、結構面倒くさい割には0ブクマで終わりそうな気配も凄かったので辞めた。
ガチ初心者向けに一応教えておくと「*」を使って出来る見出し記法
それと「-」と「+」を使って出来る箇条書きだけ覚えておけば増田を書くのに必要な全てはマスター出来る。
URLのタイトルを記載するとか、AAをキレイに描けるようにするとか、グラフや表を作ったりもあるけど、変にゴチャゴチャ使ってもブログやnoteでやれってなるだけなので、上3つの記法で完結する内容に絞った方がいい。
なんとなくこの業界に関わってきたので、どうして日本でこんなにiPhoneが支持されるようになったのか、ちょっと書いてみたいと思う。ちなみに俺は今は亡きS社(今は完全に消滅して、かつての本社は市役所になっている)でPHS(みんな覚えてる?)の開発に携わったのが最初。その後は出向で三浦半島の先の方で怒りのデスロードみたいな経験をしたり転職して某関西のメーカーでAndroidやったり。当時一緒にやってた人たちの一部は京セラに行ったけど、大体はどこに行ったか知らない。とにかく日本の一大産業であった携帯電話や基地局の生産や開発に一通り関わってきて、その衰退とともに生きてきました。
で、よく知られているように日本の携帯電話は1999年のiモードの導入から劇的に進歩し、ネットが見れるだけでなく、カメラも付きラジオも聞け非接触決済もできて音楽を聞いてテレビまで見れて、もちろん防水でアプリまで動かすことができた。カッチリ作られた二つ折りやスライド機構は触ってるだけで楽しかったし、こんな携帯は日本メーカー以外どこも作れなかった。
まあそれがガラパゴスと言われて後々の衰退につながるんだけど、実際はドコモはガラパゴスを良しとしてなくて、iモードを普及させようとして海外の携帯キャリアにガンガン出資していたし(その大半が失敗して莫大な損失が生じた)、ドコモの進出と同時に日本メーカーは高機能な携帯を世界に売り込もうとした。でも結局どれもうまく行かなかった。なんとか海外に地盤を築いていたのはソニー・エリクソンと三洋くらいで、三洋はアメリカのスプリントにCDMA携帯を輸出してそこそこのシェアを取っていた。ライヴァルであるモトローラとかサムスンの携帯を買って研究していたのが懐かしい。
後にAndroidやiPhoneがすごい勢いでエコシステムを世界に広げていくのを見ると、どうしてiモードにはそれができなかったのかなと思ったりする。まあでも日本メーカーの小さな筐体にぎっちりと機能の詰まった携帯は、個人的にはサイバーでありジョリーグッドで今でも好きなのだが、海外ではいまいち受けなかったし、ドコモにおんぶにだっこで儲けていたNECやらパナやら富士通は、お付き合い程度にしか海外進出をする気もなかったようだ。
当時すでにスマートフォンは海外ではそこそこ普及しており、SymbianとかPocketPCとかBlackBerryなんかの端末は結構海外のビジネスマンは使っていた。しかし日本ではいわゆる「ガラケー」のデキが良すぎてほとんど普及せず。シャープがWindowsCEを積んだW-ZERO3を出してたくらい(持ってた)。
で、2010年(追記:2008年の間違いだった、申し訳ない)ついにiPhoneが日本で発売。もちろん俺は買った。当時ソフトバンクの独占発売だった。よく知られているように、当時の論調は「iPhoneより日本のガラケーの方がずっと高機能」で、こんなものは驚異にはならないという話だった。確かにiPhoneはすぐに電池が切れるし、FeliCaも防水もワンセグもなし。文章のコピペもできないダメケータイだった。実のところ俺自身も使ってみて、こんなダサいものが日本の携帯に勝てるもんかと思った。しかしソフトバンクがiPhoneの未来イメージとシンプルで安い料金プランでガンガン攻めてきて、auやdocomoは対応せざるを得なかった。
まもなくシャープや富士通東芝、ソニー、NECなどが次々とAndroidスマホ発売。このあたりの大混乱の思い出はブコメでもよく見るけど、未だにどうしてこうなったんだと思わざるを得ない体たらくだった。iPhoneに対抗するためにキャリアがワンセグやFeliCaの搭載を求めたために、開発は難航。第一Androidの開発をしたことがある人なんていなかったし、そもそもスマホなんて作ったことなかったのだった。納期に間に合わせるためにやっつけて作ったソフトは不具合連発。一体何であんなもんを作ったのか未だにわからない、メガネケヱスと言われて1円でばらまかれたシャープの端末、まともに動いた時間のほうが少ないと言われたレグザフォン、ホッカイロスマホと言われ東京湾に在庫が沈められたと噂されたアローズ。この頃俺は端末の開発からは遠ざかっていたけど、何人が死んでるんだろうと思うくらい現場は悲惨だったようだ。
それでも各社はなんとしてでもiPhoneに抗おうと必死だったようだ。AndroidとiOSはほぼ同時期に出てきているんだけど、端末開発では若干iOSが先んじたが、実際のところ世界ではスマホのシェアはあっという間にAndroidがiPhoneを抜き去っている。しかし日本のAndroid勢はソニーエリクソンを除けば総崩れで、iPhoneを扱うソフトバンクへの流出が止まらない。まずauがiPhone4を扱うことに。docomoは当初ツートップ戦略というサムスンとソニーのスマホで推す作戦に出たが、それによってパナやNECといった古くから携帯を作ってきたメーカーが脱落。その後2013年にAppleに屈した。その契約は屈辱的な内容だったらしく、日経は「不平等条約」と書いた。専用の売り場を設けたりといったよく知られている事に加えて、一説によると販売する端末の3~4割がiPhoneでなければならないとか、iPhoneのために莫大な広告宣伝費を負担するなどである。未だに日本ではiPhoneが発売されるとauやdocomoがiPhoneのCMを流すが、あれにはAppleは1銭も出していない。全部キャリアの持ち出しである。彼らの強欲なやり方を告発した、「アップル帝国の正体」という本が出たのもこの頃だ。
結局の所キャリア各社はこの契約を履行するために、iPhone用のお得な料金プランや分割購入プランを作り、窓口でも積極的に売り込んだ。初期のAndroidスマホのできの悪さを見聞きしてきた人たちは一斉に乗り換えていった。キャリアはいままで苦楽をともにしてきた日本メーカーをあっさりと見捨ててAppleを推しまくった。この頃はAndroidの開発もこなれてきて割とマシなスマホを日本メーカーも作れるようになってきたが、もうキャリアも消費者も見向きもしなかったのだ。実際iPhoneは使いやすかったし、膨大なCMと提灯記事とキャリアショップのど真ん中で扱われたことで、もうスマホを買うことはiPhoneを買うことと同じくなっていく。
もうこうなるとiPhoneなしでは全くキャリア戦略は成り立たない。今に至るまでAppleと契約した屈辱的な関係を捨てることはできず、結局の所3キャリアはAppleの言いなりになって莫大な国富を貢ぎ続けた。まあ彼らのやり方がうまかったといえばそうなんだが、こんな事になってしまった国は日本くらいで、いまやアメリカをもしのぎ世界で最もiOSのシェアの高い国である。他の国ではiPhoneは一部の富裕層の持ち物であり、安くて高性能なAndroidスマホがとっくに主流になっている。iPhoneはそのCPUを除けばもうすでにイノベーションからは周回遅れであり、中国メーカーの作るAndroidがいまや先端を突っ走っているが、日本ではなぜか多くの人がiPhoneを最先端で最高性能と信じ続けた。
結果として、この給料のまるで上がらない国で、値段が上がり続けるiPhoneは売れ続け、日経が「最新のiPhoneは日本人平均給与の6割」という記事を書くまでになった。まあ別に何を買おうと勝手なのだけど、貧困女子といったタイトルがつく報道でカップラーメンをすすっている人が持っているスマホが、10万円近いiPhoneだったりするどこか歪んだ社会になってしまった。最近も同僚から「家族みんなでiPhoneを買い換えるので40万かかる」との嘆きを聴いた。OPPOあたりにしとけば全員分買っても10万で済みそうなのだが、その選択肢は彼らにはない。
とにかく日本のキャリアは総務省の顔色を伺いながらiPhoneを売るだけのAppleのポチになってしまった。auもdocomoも傲慢な連中だったが(もっと言えばNECもパナもry)、Appleはそれに輪をかけて傲慢でクズな会社である。彼らが電気電子産業が壊滅した焼け野原の日本から、ケツの毛一本までも利益をむしり取っていく現状は悲劇としか言いようがない。一社が支配的な力を持つ市場はろくなことにならないという証左であろうが、もっともそのクソに完膚なきまでに負けたのも我々である。ほんとすみません。
俺は岐阜のS社の研究所と虎ノ門のDDIポケットの本社を往復してた時代から、百花繚乱のごとく日本の携帯が咲き乱れた黄金期を生きて、それらが全部Appleになぎ倒されていく歴史の中に身を置き、どうしてこうなってしまったのか、どこでどうしたら良かったのかと今も思う。しばらくはiPhoneに使われる部品も日本製が多かったが、今や台湾や韓国にも負けてしまった。スマホのCPUを作れたのはルネサスだけでそれも一世代で消滅。メモリも液晶もだめになって、今やNANDとMLCCくらいか。最終製品を失った日本にもう一度半導体をと言っても虚しく響く。
なんとなくこの業界に関わってきたので、どうして日本でこんなにiPhoneが支持されるようになったのか、ちょっと書いてみたいと思う。ちなみに俺は今は亡きS社(今は完全に消滅して、かつての本社は市役所になっている)でPHS(みんな覚えてる?)の開発に携わったのが最初。その後は出向で三浦半島の先の方で怒りのデスロードみたいな経験をしたり転職して某関西のメーカーでAndroidやったり。当時一緒にやってた人たちの一部は京セラに行ったけど、大体はどこに行ったか知らない。とにかく日本の一大産業であった携帯電話や基地局の生産や開発に一通り関わってきて、その衰退とともに生きてきました。
で、よく知られているように日本の携帯電話は1999年のiモードの導入から劇的に進歩し、ネットが見れるだけでなく、カメラも付きラジオも聞け非接触決済もできて音楽を聞いてテレビまで見れて、もちろん防水でアプリまで動かすことができた。カッチリ作られた二つ折りやスライド機構は触ってるだけで楽しかったし、こんな携帯は日本メーカー以外どこも作れなかった。
まあそれがガラパゴスと言われて後々の衰退につながるんだけど、実際はドコモはガラパゴスを良しとしてなくて、iモードを普及させようとして海外の携帯キャリアにガンガン出資していたし(その大半が失敗して莫大な損失が生じた)、ドコモの進出と同時に日本メーカーは高機能な携帯を世界に売り込もうとした。でも結局どれもうまく行かなかった。なんとか海外に地盤を築いていたのはソニー・エリクソンと三洋くらいで、三洋はアメリカのスプリントにCDMA携帯を輸出してそこそこのシェアを取っていた。ライヴァルであるモトローラとかサムスンの携帯を買って研究していたのが懐かしい。
後にAndroidやiPhoneがすごい勢いでエコシステムを世界に広げていくのを見ると、どうしてiモードにはそれができなかったのかなと思ったりする。まあでも日本メーカーの小さな筐体にぎっちりと機能の詰まった携帯は、個人的にはサイバーでありジョリーグッドで今でも好きなのだが、海外ではいまいち受けなかったし、ドコモにおんぶにだっこで儲けていたNECやらパナやら富士通は、お付き合い程度にしか海外進出をする気もなかったようだ。
当時すでにスマートフォンは海外ではそこそこ普及しており、SymbianとかPocketPCとかBlackBerryなんかの端末は結構海外のビジネスマンは使っていた。しかし日本ではいわゆる「ガラケー」のデキが良すぎてほとんど普及せず。シャープがWindowsCEを積んだW-ZERO3を出してたくらい(持ってた)。
で、2010年(追記:2008年の間違いだった、申し訳ない)ついにiPhoneが日本で発売。もちろん俺は買った。当時ソフトバンクの独占発売だった。よく知られているように、当時の論調は「iPhoneより日本のガラケーの方がずっと高機能」で、こんなものは驚異にはならないという話だった。確かにiPhoneはすぐに電池が切れるし、FeliCaも防水もワンセグもなし。文章のコピペもできないダメケータイだった。実のところ俺自身も使ってみて、こんなダサいものが日本の携帯に勝てるもんかと思った。しかしソフトバンクがiPhoneの未来イメージとシンプルで安い料金プランでガンガン攻めてきて、auやdocomoは対応せざるを得なかった。
まもなくシャープや富士通東芝、ソニー、NECなどが次々とAndroidスマホ発売。このあたりの大混乱の思い出はブコメでもよく見るけど、未だにどうしてこうなったんだと思わざるを得ない体たらくだった。iPhoneに対抗するためにキャリアがワンセグやFeliCaの搭載を求めたために、開発は難航。第一Androidの開発をしたことがある人なんていなかったし、そもそもスマホなんて作ったことなかったのだった。納期に間に合わせるためにやっつけて作ったソフトは不具合連発。一体何であんなもんを作ったのか未だにわからない、メガネケヱスと言われて1円でばらまかれたシャープの端末、まともに動いた時間のほうが少ないと言われたレグザフォン、ホッカイロスマホと言われ東京湾に在庫が沈められたと噂されたアローズ。この頃俺は端末の開発からは遠ざかっていたけど、何人が死んでるんだろうと思うくらい現場は悲惨だったようだ。
それでも各社はなんとしてでもiPhoneに抗おうと必死だったようだ。AndroidとiOSはほぼ同時期に出てきているんだけど、端末開発では若干iOSが先んじたが、実際のところ世界ではスマホのシェアはあっという間にAndroidがiPhoneを抜き去っている。しかし日本のAndroid勢はソニーエリクソンを除けば総崩れで、iPhoneを扱うソフトバンクへの流出が止まらない。まずauがiPhone4を扱うことに。docomoは当初ツートップ戦略というサムスンとソニーのスマホで推す作戦に出たが、それによってパナやNECといった古くから携帯を作ってきたメーカーが脱落。その後2013年にAppleに屈した。その契約は屈辱的な内容だったらしく、日経は「不平等条約」と書いた。専用の売り場を設けたりといったよく知られている事に加えて、一説によると販売する端末の3~4割がiPhoneでなければならないとか、iPhoneのために莫大な広告宣伝費を負担するなどである。未だに日本ではiPhoneが発売されるとauやdocomoがiPhoneのCMを流すが、あれにはAppleは1銭も出していない。全部キャリアの持ち出しである。彼らの強欲なやり方を告発した、「アップル帝国の正体」という本が出たのもこの頃だ。
結局の所キャリア各社はこの契約を履行するために、iPhone用のお得な料金プランや分割購入プランを作り、窓口でも積極的に売り込んだ。初期のAndroidスマホのできの悪さを見聞きしてきた人たちは一斉に乗り換えていった。キャリアはいままで苦楽をともにしてきた日本メーカーをあっさりと見捨ててAppleを推しまくった。この頃はAndroidの開発もこなれてきて割とマシなスマホを日本メーカーも作れるようになってきたが、もうキャリアも消費者も見向きもしなかったのだ。実際iPhoneは使いやすかったし、膨大なCMと提灯記事とキャリアショップのど真ん中で扱われたことで、もうスマホを買うことはiPhoneを買うことと同じくなっていく。
もうこうなるとiPhoneなしでは全くキャリア戦略は成り立たない。今に至るまでAppleと契約した屈辱的な関係を捨てることはできず、結局の所3キャリアはAppleの言いなりになって莫大な国富を貢ぎ続けた。まあ彼らのやり方がうまかったといえばそうなんだが、こんな事になってしまった国は日本くらいで、いまやアメリカをもしのぎ世界で最もiOSのシェアの高い国である。他の国ではiPhoneは一部の富裕層の持ち物であり、安くて高性能なAndroidスマホがとっくに主流になっている。iPhoneはそのCPUを除けばもうすでにイノベーションからは周回遅れであり、中国メーカーの作るAndroidがいまや先端を突っ走っているが、日本ではなぜか多くの人がiPhoneを最先端で最高性能と信じ続けた。
結果として、この給料のまるで上がらない国で、値段が上がり続けるiPhoneは売れ続け、日経が「最新のiPhoneは日本人平均給与の6割」という記事を書くまでになった。まあ別に何を買おうと勝手なのだけど、貧困女子といったタイトルがつく報道でカップラーメンをすすっている人が持っているスマホが、10万円近いiPhoneだったりするどこか歪んだ社会になってしまった。最近も同僚から「家族みんなでiPhoneを買い換えるので40万かかる」との嘆きを聴いた。OPPOあたりにしとけば全員分買っても10万で済みそうなのだが、その選択肢は彼らにはない。
とにかく日本のキャリアは総務省の顔色を伺いながらiPhoneを売るだけのAppleのポチになってしまった。auもdocomoも傲慢な連中だったが(もっと言えばNECもパナもry)、Appleはそれに輪をかけて傲慢でクズな会社である。彼らが電気電子産業が壊滅した焼け野原の日本から、ケツの毛一本までも利益をむしり取っていく現状は悲劇としか言いようがない。一社が支配的な力を持つ市場はろくなことにならないという証左であろうが、もっともそのクソに完膚なきまでに負けたのも我々である。ほんとすみません。
俺は岐阜のS社の研究所と虎ノ門のDDIポケットの本社を往復してた時代から、百花繚乱のごとく日本の携帯が咲き乱れた黄金期を生きて、それらが全部Appleになぎ倒されていく歴史の中に身を置き、どうしてこうなってしまったのか、どこでどうしたら良かったのかと今も思う。しばらくはiPhoneに使われる部品も日本製が多かったが、今や台湾や韓国にも負けてしまった。スマホのCPUを作れたのはルネサスだけでそれも一世代で消滅。メモリも液晶もだめになって、今やNANDとMLCCくらいか。最終製品を失った日本にもう一度半導体をと言っても虚しく響く。
リベラルやフェミニストが唾吐きながら大声で罵倒してきそくな文章だなあ
俺も理解出来る部分はあるが「そもそも困窮タイプの弱者男性やオタクは経済的にもリベラルで利益は得られないであろう」という前提がある
何も無いんだ本当に支持する理由が
「布団の中から蜂起せよ」「トランスジェンダー問題」を例に挙げてた呟きを見かけたけど、私もその2冊は持ってて言ってること何となくわかるな〜って思った。
どちらも文章詰め詰め系だったけど、トランスジェンダー問題は割とすんなり読めて布団の〜はかなり苦労した。内容は興味深いのになんでこんなに読めないんだろう?って思ったけど、その呟き主もおっしゃってたように、「布団の〜」は中身の装丁(という言葉が正しいのかわからないけど)が読みづらくさせているなと思った。
まず全体的に上部に印刷が寄っていてなんか目が滑る。段落の先頭に目線を送ると本の向こう側の景色が見えてしまって、本に集中していた意識が途切れちゃってすごく気が散る。
自分は本の世界に集中しているのに文章を追うごとに向こうの景色がチラつくんだよね。寝ながら読めば天井の電気が目に入るし、電車で読めば目の前に立つ人の足が見える。見えた瞬間に本の世界から切り離されて、そこからまた本に集中するのになかなか時間がかかっちゃう。そうするともういいや、と本を閉じてしまう。
単純にページのまとまりが真ん中に置かれてないのが落ち着かなくて、そもそも集中力を高めるのに苦労してるのもあるかも。
フォントも作者さんの文章の印象には合っているけど、詰め詰め文章を読みやすいフォントかというとそこは疑問。漢字とひらがなの濃淡が出て、これも気が散る。
あと章の途中でいくつかある、下の余白に挿絵が挟まるページ。あれ上の文章の最後の文字と挿絵の距離が近すぎて挿絵によっては文字が挿絵に被っているようにしか見えなくて、この数ページに関しては本当に乱丁かと思ってしまった。
私は正直あの余白なしの距離感に整っていない居心地の悪い気持ち悪さを感じてしまったんだけど、その気持ち悪さというのは装丁の整った一般流通している本を難なく読める=読みづらいものがあるという世界を幸運にも知らずに生きてきたある意味での強者だから感じるものであり、あれは「あえて」組まれた装丁なのかな、とも思ってた。
でも元の呟き主さんのツリーを見て、これ確かに読みづらかったよね…と思えた。それまでの勝手に考えすぎてたのかもしれないけどね。
私は紙書籍で買ったけど、電子書籍だとどんなふうなのかな。可読性が調整できるようなつくりになっているといいなと思う。内容は本当に良かったから。
https://lgbtetc.jp/wp/wp-content/uploads/2022/04/lgbtq-media-gudeline-2nd-edit-1.pdf
「体の性」は必ずしも正確ではなく、生まれたときに医師や助産師等が判断し、そして法的・社会的に「割り当てられる」
という捉え方がより適切です
医学的性別を医者が恣意的に張るレッテルかなんかと思ってるんか?
医学的な性別、身体的な性差というのは、単に外性器だけでなく、全身の細胞一つ一つの染色体、遺伝子のレベルの差であって、
内臓形成もホルモン分泌も違うし、体格、骨格、筋肉にも大きな差が生まれるってことなんやで
記録用に使ってたfilmarksに感想を書くようになった。一口コメントから始めて長々と書くことも増えてきたけど、文章をディスクリプション、解釈、感想の三つに分けるとして、おれの「感想」部分は「好きだった」くらいしか言ってないような気がする。
ここの流れが分かりやすくまとまってる感じがした。全体的にこういう雰囲気が特徴的、印象的だった。あのキャラクター達の関係性はこんな風だった。このキャラクターはこんな象徴を背負っていそうだ。通底してこんなテーマを感じた、と単なる事実やその解釈をつらつら書いた挙げ句「そこが好きだった」で終わり。あとはどこそこが「かっこよかった」くらい。
他の映画を持ち出した例えも割と多い。あそこがあれっぽくて「かっこよかった」とか。そういう楽しみ方も結構大きいかもしれない。
たまに自分の根源的な価値観に近しい部分の琴線に触れると、あのテーマに対してこういう描き方をしているのが好きだった。自分がこう思っていた事を改めて確認した/こんな側面もあるのかもしれないと思った、とかクドクド書いてる事もある。それはもはや解釈を超えて全体的に感想と言えるかもしれない。
まあ無限にある要素の中から特定の部分に目が行ったというだけでも、そこには自分の感性というか琴線のようなものがある程度は反映されてるかもしれない。でも大体観客が注目するのって似たような部分だしな。
おれの感想はここが、ここがという「点」ばかりを見ている感じもする。例えば芯となるテーマについて、それをより効果的に印象づけるシーンや制作の背景、実際の社会情勢を関連づけながらいかに良かった/イマイチだったか書ける人っていうのは、点ではない全体的な見方が出来るんだろうなって思う。
そういう感想を読んでこじつけじみてるな、とかメタ情報に引っ張られ過ぎじゃない?とか思う事もあるけれど、少し憧れがある。
己の感性に耳を傾けるばかり鑑賞に限界を感じ始めたら、そういう教養主義的な鑑賞をするのもありかもしれないなって思った。今よりもっと点が繋がって見えるかもしれない。でも今はあまり肩肘張らず、素朴に楽しみながら自分の好きなものを確かめたい気持ちの方が強いかもしれない。
長いので要約したよ
この文章は、歯の悩みや過去の歯医者体験について述べられています。主に歯の不安や黄ばみ、歯磨きの苦手意識に焦点を当て、過去の歯医者での経験が歯医者嫌いに繋がったことが明らかにされています。しかし、最終的に新しい歯医者での治療がポジティブな変化をもたらし、歯の状態が改善されたことが述べられています。
おばちゃんさ
っていうのは女子の中の上澄みか?
別にそんなことねえだろ
ブスといじめられることはなく、可愛い女の子のグループでつるみ、運動も勉強もそこそこできて、中学になったら何人かの男子に告白されてそのうちのイケてる子と付き合う
ブスの話ではないけど上澄みでもないそこそこレベルの話をしている
そしたら必死に勉強したのにマーチにしか入れず、就職には失敗して叔父の会社で年収600万で働く弱者男性にならないですんだのに
March入れる程度の家庭と知能ではありコネ入社のツテもある経営者一族子息だよこいつ
再提出
23歳でほぼ天涯孤独っていう人間、どのくらいいるんだろうか。
多ければ多いほどこれが普通で、当たり前ということになる気がする。まぁ間違っても自分だけではないと思うし、それならまあギリギリ普通にカウントしてもいいのかな。当たり前ではないだろうけど。
16で母が逝った。悲しむ暇なんてなかった。
母の元同僚の方などに手伝ってもらい、高校も少しだけ休んで、処理をした。
祖母は生きていたので、祖母と書類上の親子になった。馬は合わなかったが、未成年の間に肉親が完全に居なくならなかったという点では非常に感謝している。それに、高校に寮があったのも幸いだった。
しかし合わないものは合わず、高校卒業と同時に就職して逃げ出した。
祖母の距離感の押し付けが苦しくて、せっかくの休暇で消耗するのが嫌だと、実家に関する全部に対して見ないふりをしているうちに祖母がとうとう認知症になった。
地域の支援センターみたいな所から連絡が来て、デイサービスで支援してくれていると言われた。
会いに行った祖母は酷く痩せていたし認知症の症状はありありと見て取れたが、うまく悲しむことができなかった。少し罪悪感があったのを覚えている。
その時支援センターの人から、連絡の取れる親族は自分しかいないからと終身型老人ホームの選定についての話をされた。
まぁ曲がりなりにも就職まで世話になったし、自分がやるべき事だろうと思って仕事の合間を縫って探していた。
同時期に3時間程しか眠れなくなり、病休を取る事になった。休みつつも探していかなければ、と遅々としたものながらも自分にできることをやっていたつもりだった。
支援センターの方から連絡があり、今まで音信不通だった叔父と唐突に連絡が取れたため叔父が全ての処理を行ったと連絡が来た。
自分は叔父の連絡先も知らないし、祖母は恐らく携帯電話を充電していないため、この時自分は明確に「1人になってしまった」と思った。
自分はどこで間違えたのだろうか。
自分がもっとしっかりした人間に育っていればこんな背景関係なく、普通に過ごせていたのだろうか。
自分が発達グレーでなければ、もう少し周囲に助けを求めるのが上手かっただろうか。
自分がもっと自分のことを好きであれば、何か変わっただろうか。
親がいない人なんて他にもいる。
実家がないも同然の人なんて他にもいる。
発達グレーゾーンで苦しんでいる人なんて他にもいる。
自己肯定感が低い人なんて他にもいる。
全部自分だけじゃない。
その人たちだって生きている。
悲しみや苦しみのキャパシティは人それぞれだと言うが、自分は遥かに人より弱いのだと思う。世界で1番心が弱いんじゃないかとさえ思う。だから自分はダメなのだ。こんなになってまで、未だに交友関係の続いている相手が少しでも悲しむから、怒るからという理由で死ぬこともできない。
この文章自体、言い訳と自己保身のために書いているようなものだ。誰にでも訪れる可能性のある苦しみを「でも」「だって」に使いたいだけだ。そうしないと耐えられないくらい弱いから。
どれだけ仲のいい友人だろうと、どれだけ頼れる上司だろうと、結局のところ何の拘束力もない他人だ。本当に困って思い悩んだ時に相談する相手は、今はもう居ない母以外思いつかない。そんな無責任な甘え方をしていいのは、母しか思いつかない。それにしたって母にとっては傍迷惑な話だろうけど。
その割に一丁前に寂しいという気持ちだけあるから笑ってしまう。自分自身のことはもうどうでもよくなったはずなのに、人と話して、遊んで、必死に明るく楽しい自分でいることに執着している。
JR名古屋駅のことだけど、いつ見ても有人窓口にサラリーマン風のスーツ男が10人くらい並んでるよね。
自動券売機に不慣れな老人や子供だったら有人窓口に並ぶのはわかるよ。
でもなんでサラリーマン風の男が並んでるの?
ICカード持ってなくて普段電車使わなくても、自動券売機の使い方くらいわかるでしょ。
東京や大阪へ行くにしても、新幹線の自動券売機がずらっと置いてあるからそこで買えばいいのに。
俺は名古屋⇔豊橋を往復したかったから、豊橋往復切符を買おうとしたよ。
https://railway.jr-central.co.jp/tickets/toyohashi-round/index.html
上記WEBページの販売箇所に「きっぷうりば」またはJR東海ツアーズの窓口と書いてあったから、とりあえずJR東海ツアーズの窓口に並ぼうとしたらそこでも10人近く並んでいたよ。
行列に並びたくなかったから自動券売機で豊橋往復切符を買ったよ。
自動券売機で探しても分からなかったら行列に並ぼうと考えてたけど杞憂だったよ。
それとも、探したけどわからなかったから有人窓口にならんでるの?
それとも、俺が知らないだけで、名鉄とか近鉄とか他の私鉄と乗継ぐ切符とかも取り扱ってるの?
はたまた、ホテルの予約とか観光地の案内とか、コンシェルジュサービスも有人窓口で扱ってるの?
わからない。
工場労働者の俺なんかより遥かに稼いでいて、学歴もあって知識も深くて計算能力も高いはずなのに。
俺なんかよりも遥かに時間単価が高いはずなのに、時間の使い方に無頓着なのはなんで?
ちなみに俺は豊橋駅からJR飯田線に乗り換えて某駅に行って、紅葉狩りと低山登山を楽しんだよ。
豊橋駅での有人窓口はどうだったかというと、豊橋から行くときは急いでいたから見ていない。
豊橋駅に帰ってからは、電車待ちで暇だったから改札近くで有人窓口を見てたけど、そこでもスーツ男が行列を形成していたよ。
スーツ男が行列を形成するのは名古屋駅限定じゃなかったんだね。
名古屋以上に鉄道網が発達している東京や大阪では、仕事のできるサラリーマンは有人窓口なんか使わずに、ICカードやスマホを駆使してスマートに改札を乗りこなしていることだろうけど、まさかね?
ちなみに、名古屋⇔豊橋の往復だけど、JRよりも名鉄の方が安いことがこの文章を書く際にいろいろ調べてる時にわかったよ。
なごや特割2平日・なごや特割2土休日|でんしゃ旅・おトクなきっぷ|名古屋鉄道
https://www.meitetsu.co.jp/plan/discount/1268869_8040.html
名古屋からJR飯田線の駅に行くから、経由する豊橋駅までもJRを使うのが当然だと思い込んでいたよ。
名古屋からJR飯田線の某駅への切符を直接買うよりも、JR東海の豊橋往復切符を買った方がお得だと気づいたのは良かったんだけどね。
もう少し調査を広げて、名鉄のWEBページでもお得な切符を調べてみればよかったよ。
でも、こんなことはJRの有人窓口で教えてくれるはずはないよね。
「それなら名鉄の方がお得ですよ」って答えてくれるのかな?
そんなわけないよね。
それにしても、わからない。