「製作」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 製作とは

2019-04-22

まじめな話、一年放送するアニメの数って多すぎないか

「薄利多売的に多くを作って多く売る!」とか「数打ちゃ当たる式に多く作ってヒットを狙う!」というよりは、少数精鋭的に「量より質!」で作り売っていったほうが製作からしても消費者からしてもいいと思うんだけど、それじゃいかんのか?

2019-04-20

anond:20190420081436

基本的には原作のままアニメ化して欲しいけど

漫画アニメだとテンポというか、間というかそういうリズムの作り方が違うから

セリフとかシーンとかそのまんまにしてもたぶん上手く行かないと思う。

その辺がアニメ化製作者の腕の見せ所なんじゃない?

アニメ製作者の矜持とは

http://www.fujitv.co.jp/muscat/20180392.html

ファンがこわくてセリフを変えられないのかと思ったらプロデューサー希望だったと。

このプロデューサーのやったことは結局、できのわるい原作者へのファンレターだったというだけで「作品」とも呼べないものに落ちている。

クリエイトした意味を問いたい。清々しいくらいにプライドがない。

批判が怖いだけじゃん。

おまけに尺都合で必要な「間」もなく、駆け足な話の流れ。

昔話ですが。

当時つるんでた知人(5歳くらい年上だったと思う)がスラダン大好きで。アニメ化して喜んで見てた。

自分原作は読んでてそこそこ(途中まで)面白いと思って読んでたかアニメも見始めた。

そしたらあれだよ、セリフとか原作なぞるだけ。

から正直に「そのまんますぎてつまんなくない?」と知人に訊いた。

彼女はまんがそのまんまがいい、原作が大好きだから原作に声がついてるのだけが見たい、といった。

自分20歳そこそこだったけど、この意見というか気持ちがなんかカルチャーショックだった。ヤック・デ・カルチャ。

原作がある場合は、そういう思いのファンも少なからずいるんだなと認識した。

それはそれとして。

アニメ製作者としてはどうなんだろなと思うわけ。

原作あれど、アニメ化するうえでは新しい作品を作るわけじゃん。クリエイターとしての挟持とか、原作超えたるわい!ていうような自負とか、ないんかい

大人の事情

知らねーよ。

いっそゴッドマーズぐらい突き抜けたらどうなんだいと思うわけ。

逆にね。

今、JOJO黄金の風アニメもやってるわけだけど。JOJOはあの原作に対してどうやってアニメ化するのかを一部からすごい試行錯誤してて、原作へのリスペクトもすごく感じるわけで、あれはある意味原作のまま」が昇華されてるなと思う。すごいと思う。

でもスラダンはどうなのよ。

人気だから視聴率とれるしアニメ化しよ。

そっか、リスペクトか、足りないのは。リスペクトが感じられないからつまんないのかな。

BANANA FISHはでも、原作好きな人たちが作ってるんだよね。でもつまんないんですがそれは。製作者の力量かね。

2019-04-19

評論家気取りのAmazonレビュー寒い

「こんなもの小説とはいえない」

「絵はまあ許容レベル

時間無駄製作者は本当にテストプレイしたのか?」

超超上から目線〜〜!!

とりあえず強い言葉で貶しておけばOKみたいなその感じ〜〜!

その人のほかのレビューも全部星1のオンパレード。あれがクソ、これがクソ、これもクソ、のクソまみれ。

自らクソコンテンツに吸い寄せられていってんの?もしくはクソだったものにだけレビュー寄せてんの???

お前がクソだって言ったコンテンツを俺は楽しんでるんだよばーーかばーか!!

架空タイトルを挙げると誰かが粗筋書くスレ

まだ5ちゃんねるが2.5倍されていなかったころ、こんなスレがよく経っていた

色んな人がタイトルをあげて、時には受け手に回って架空小説を、映画を、本を作っていく

突出した出来栄えのものは注目を浴びるし、ひねられて考えたものには舌を巻いて称賛される

今思えばクリエイターはおろか、ワナビですらない人がほとんどだっただろう。それでも、そこには創作があった。


昨今そういったスレは立たなくなったものの、多分完全に無くなったわけではない。

例えばTwitter能登たわし氏が製作している「ない本」も同じ系譜を汲んでいるのだろう。

最も画像から表題と粗筋をアウトプットし、体裁を整えたブックカバーにまで昇華させる技術力は遥かに氏の方が上だし完成度も高いけれど。

そういったものを作る人がいて、しかも幅広い人に興味を持ってもらえている。その事実だけでも十分である

まだ、この手の創作娯楽は死んではいないのだ。


願わくば、この源流はまだまだ続いてほしい。

欲をいえば、こういう娯楽に触れて、わたしの様に国語創作に興味を持つ人が一握りいてほしい。

かつて遊んでいたフィールドで、まだ遊ぶ人々が残り、あわよくば増えているのなら、物書きの端くれとしては至極重畳である

ケヴィン・ファイギさんすごすぎwwwwwwwwwwwww

ケヴィン・ファイギ (Kevin Feige, 1973年6月2日[1] - )は、アメリカ合衆国映画プロデューサーマーベルスタジオ製作社長である[2]。彼の映画世界興行収入の合計は83億ドルを超える[3]。プロデュース作品の全米生涯興行収入歴代1位であり、史上最も成功した映画プロデューサーである

マーベルユニバース英語版)に関する百科事典並の知識を買われ、ローレン・シュラー製作映画X-メン』(2000年)でアソシエイトプロデューサーに抜擢された[3]。それ以降、多くのマーベル原作映画に参加する。2007年マーベルスタジオ社長就任する[4]。2018年公開の『ブラックパンサー』で、プロデュース作品の全米累計興行収入スティーヴン・スピルバーグを抜いて歴代1位となった。

スピルバーグ抜くとかwwwwwwwwwwwww

2019-04-18

たつき教を完成させたのは2製作

多くの宗教迫害戦争歴史があるように、たつき教とて例外ではない。

教祖たつきの角川から迫害、暴徒と化すことを良しとしないたつきファンから迫害けもフレという題名サーバルちゃんかばちゃんまで2に奪われる2製作から弾圧

2vsケムリクサ戦争終盤の製作Twitterでどったんばったん大騒ぎは焼け野原に赤々と燃える戦火しか言いようがない。

かつてキリスト教徒迫害を受けながらも、なぜキリスト教徒であり続けたか?なぜ火炙りを前に信仰告白たか踏み絵拒否し、拷問に耐えてまで神を信じ続けたか

それは迫害されたからだ。

張り合う敵がいなければ張り合いようもない。強く否定されるほど、強く信じられるのだ。

ローマ大火がキリスト教歴史であるように、2大炎上たつき教の歴史である平成の大火を足掛かりとしてたつき教は大きく成長した。この宗教がこのままカルトと化すか、それは何より教祖であるたつきにかかっている。

2019-04-17

[]PS4 BEYOND TWO SOULS

デトロイトカムヒューまんつくった会社がヘビーレインの次に作ったゲーム

ヘビーレインよりはQTE少なかったしめんどい操作も少なくなってたのはよかった

ラジコン操作でもなくて普通にスティックキャラ動かせたし

でもなー・・・肝心のゲーム部分はストーリーキャラって点においてヘビーレインより劣化してたなあ

短編集なんだけど、普通にプレイすると時系列めちゃくちゃらしいから、最初から時系列順でプレイした

これバラバラプレイしたらめちゃくちゃすぎてストレスたまってたと思う

ヘビーレインに比べるとずいぶんスピリチュアル製作者がそっちのほうに傾倒しちゃったのかなあって

それだけだとイロモノゲームから、人気あるステルス要素とかミリタリー要素入れよう、とかしちゃったのかなあって

特典映像みたらビンゴでメインクエイターデビッドケイジが親しい人の死を経験したこときっかけになったとか言っててやっぱりなって感じ

そんな感じで全体的にまとまりがなくて微妙だった

アドベン茶0ーにステルス要素いらんわマジで

ろーぷれでもいらん

グラビティデイズとかジャッジ合図とかほんとステルス要素ゴミだったしこれもゴミだった

そういうのやりたかったらラスアスやるから

ラスアスも好きじゃないけどゲーム性って意味ではビヨンドよりは一貫性あってよかったよ

エンディング複数あってトロフィーもあと6割残ってるけど、シーンとかセリフ飛ばせなくて周回プレイ向いてないのにそんなのをクリア実績要素にいれんなと

マジでイライラする

苦痛すぎるから1集で終わり

デトロイトはほんとにおもろいのかと不安になる出来だわ

ラスト次回作におわせてるけど結局人気なくて売れなかったからなかったんやろーなーって思うし

この出来なら当たり前だわ

主人公っつかヒロインがしばしば山田涼介に見えた

特典映像デトロイトの原型っぽいPVがあった

なぜかヘビーレインの特典映像もあった

こっちはヘビーレインにも入ってたやつだけど、ヘビーレインに入ってたのは字幕なくて何いってるかわかんなかった

こっちは字幕あった

嘘松を使ってる人たち

嘘松を使っている人こそおそ松さんを見てほしい

1期1話ファンイメージが強すぎて「どうせ腐媚び」という風潮があるけれど、実際はモテないおっさんおっさんに向けて作ったおっさんアニメだよ

特に2期

あの女性人気を受けて、あえて1期の逆張りで作ったからこそ人気が落ちた(ように見える)んじゃないか

今言われている評価女性ファンのものが多いと思うからおっさんが見たらまた違う感想になると思うんだよなあ

2期1話女性ファンへの皮肉増し増しで、(商業的にはともかく)製作陣はもっとおっさんというかお笑いとして純粋に視聴する人たちに見てほしい気持ちがあるんだろうなと感じた

2期のおすすめは「キャンペーン発動!」「戦力外通告2017 クビを宣告された末っ子」「チョロ松事変」「深夜の日松屋

戦力外通告はわけわからんまま話が進むのが好き

今えいがやってるけどあれは映画ドラえもんみたいなやつで、テイストが違うから注意

anond:20190416172832

XP自作関係を知らなかったり

XP自作関係についてなんて誰も書いてなくて、

2001年発売のXP90年代後半にPC普及率を伸ばすのはタイムスリップしないと無理でしょ、

という話をしているんだが。

頭悪いのか?

吉里吉里吉里吉里2を一緒くたにしてたり

吉里吉里吉里吉里2の登場時期を分けてる記述に対してその反論マジで意味わからん

頭悪いのか?

ねとらじ知らんとかよくわかってないやつ

マジで知らんしな。

2007年時点で月間のリスナー数が10万人程度らしいし。

当時のはてなUUより小さいんじゃないの?

あと増田は都合よくスルーしてるけど、

アダルトゲーム市場が拡大したのはサターンで18推の販売が停止されたから」

の論拠が崩れてるのはデカいよね。

初っ端からこの程度の雑な認識で語ってるんだ、っていう。

元増田の主張を総合すると、

1996年SSで18推ゲームの発売が禁止されなかった反動エロゲ市場が拡大し、

2001年XP発売からPC価格が下がって1990年代後半に家庭に普及、

2000年から2005年ごろまでFlash動画ツクール流行ったのち、

1999年にほぼ同時に吉里吉里NScripterが登場したこときっかけに、

2005年から2006年にかけてノベルゲーム製作ブームが到来、

それにより2002年エロゲは最盛期を迎えたものの徐々に衰退、

2005年から新ジャンルSSブームなどに取って代わられるが、

2007年ニコ動が登場したことで完全にブームは終息した。

ということになるけど意味わかる?

新海誠製作 大成建設CM

https://www.youtube.com/watch?v=HQYQ3Me2KLw

大成建設さんの公式テレビCM。見た事あるはず。





海外で働く女性技術者

飲み会しか乾杯終わってから

「ごめんなさい。同級会はいけません」って

LINE一本でドタキャンするのをを推奨してるの??








シンガポールにいる時点で行けないのにわかってるのに

連絡遅すぎない?

「この地下鉄もいつか誰かの青春を乗せるから

じゃねーよ!!!予約した幹事の身にもなってみろ!

北海道からシンガポールまで会費取りに来いってか!!!

2019-04-16

anond:20190416163959

してないだろ。

オタクカルチャーが何を攻撃したって?ただあるだけ。楽しむものがいるだけ。他の合法なあらゆる趣味と同じ。

それに対する叩きは明確に製作者もファンも叩いてる。

女性差別論もそうだ。

犯罪者をどうしようが好きにしたらいいが、ただ平穏に生きてる無辜男性を平気で巻き込む。

どうやったって一緒にはなんねーよ。

2019-04-15

anond:20190415042641

当時のエロゲPCスペックボトルネックになっていたがために、その制約によって豊穣な世界を築けたという視点がかけているように思う。時代が進みフルカラームービーが誰のPCでもぬるぬる動くようになると、アニメとの競争さらされることになり、製作コストが上がり、破れたのだ。

anond:20190415042641

この系統話題を見るといつも思うのが「ノベルゲーム製作ブーム」という要素を無視しているということ

1996年セガサターンの18推ゲーム販売が終了すると、アダルトゲーム市場は一気に拡大する(これはサターン反動だと思ってる)

しかしながら当時の中高生セガサターンというエロ供給機を失い、登場まだまだ普及しきったとは言えなかった高価なPCを所有できるはずがなく、悶々とした日々を過ごすこととなる

2000年代へ入るとWindowsXPの登場やPC自作ブームBTO興隆によってPC低価格化が進行し、何処の家庭でもPCを所有することが珍しくはなくなってきていた

そして興るのはオタククリエティティの発露先としてのFlash動画ブームRPGツクール2000ブームである(RPGツクール2000現在販売されているほどのロングセラー)

特にFlash動画現在ではFlash黄金期と称されるほど大人コンテンツ上り詰め、日々新しい表現や試み、作品が生まれていた

しかしそんなFlash動画盛者必衰は避けられず徐々に人気が低下していった

そんな中で2つのソフトウェアがほぼ同時期に登場、それが吉里吉里2とNScripterである

それまで同人ベゲー(当時のノベゲーは美少女恋愛ADVゲームとほぼ同義)は吉里吉里2の前身である吉里吉里RPGツクールで無理矢理に実装するのが基本であり、この2つのベゲエンジンの登場はゲーム製作ジャンル界隈へ大歓迎された

Flash動画が低迷しオタククリエティティの発露先が失われつつあった

紙芝居などと揶揄されるが、そんな紙芝居を楽しんでいたのがFlash動画ブームだった

皆がPCを所有し、PCが安くなったからこそデジタルへ転身する絵師が多く現れ始めた

巷ではエロ原作アニメが大流行した

エロ供給機たるセガサターンを失った過去シナリオに熱いパッションを宿した

オタクは優れたノベゲエンジンを手に入れた

すべてが揃っていた、これは時代必然であった、ノベルゲーム製作ブームが到来する

ここまでの話が2000年から2005年までのもの

ここから約2年間ノベルゲーム製作ブームは続くが、やはり飽きは来るもので次第に衰退していった

ノベルゲーム製作ブームの代わりに登場するのが「新ジャンルSS」と「ねとらじ」であり、2006年末にニコニコ動画の登場、2007年ニコニコ動画βとなりMAD動画ブームが興ってオタククリエティティの発露先がニコニコ動画βとなっていく(ねとらじ民はニコ生が登場すると移住する)

から俺の結論として「エロゲ衰退の理由エロゲ作りに飽きてみんなニコ動を楽しむようになったから」だ

2019-04-11

anond:20190410235334

作品全体が好評価になるのを見越してこの手法をとったのでは。悪印象を挽回できるほど全体が良ければこの手法機能するわけですよね。

作品全体が好評価場合でも、「提示だけして居心地を悪く」せず、普通にテーマとして物語に組み込んで完成させたほうが、よほど影響が強くなるかと。

わざわざ提示だけして居心地を悪くする必要はないです。

この件については反証する方法があります制作サイドの人間の”動物ファースト”的でない行動・言動確認できたなら、作品善意を載せた可能性を否定できるでしょう。

商業作品として製作・発表されたもの商業目的じゃないと主張する場合商業目的じゃないと主張する側が証明をする必要があるでしょう。別に反証する必要特にないです。

「動くものは何でも襲ってくるぞ!」とゴリラが言っています。キュルルちゃん(とかばんさん)はボート上でそれに気づき、動かなかったんでしょう。

仮にそういうことなら、それを描く必要があるんですよ。

皆さん言ってらっしゃるセルリアンに、けしかける」ですが、けしかけたと取れるシーンは実はありませんよね。ホテルに飛び移るビーストを二人の力では止められないでしょう。探さなかったのはビーストボートまで跳躍できる膂力があったので、ホテルからも逃げられると踏んだのもあるのでは。

仮に、ビーストセルリアンのいた場所勝手についてきたというのなら、キュルルの決断・行動としてのドラマは無いですね。セルリアンがいる場所と知っててビーストを連れてきたのなら、それは、けしかけたのと同じです。いずれにせよ、それが示される必要があります

データを取ってはいないでしょう?... いえ、ご経験理由としているのはわかります

ええ、データとして客観的に立証したことではないので、私の意見として受け取っていただければ。とはいえ、「初見面白さがわからないものを何度も見返す人が少数派」というのは、視聴率やらソシャゲ離脱ポイントやらでデータは取られてると思いますよ。

ただただ悲しい派・このような扱いにした制作を許せない派 もいらっしゃいました。集計をとったわけではないので比率がどうかは不明です。「他のキャラなりに、うながさせるとか方法はいくらでもあるのです。」なるほど。カラカルに「ほら、この子にお礼言いなさいよ」とか言わせたら、確かに印象はずっと良くなりますね… ただ俺はキュルルちゃんの落下のためにああでなければの立場ですので。

わざわざキュルルちゃんに悪印象をつけるのは、悪手である、というのは、先に書いた通りです。

たとえばケムリクサで、わかば水槽転送されたり、橋のヌシに出くわしたり、多くのイベントは偶然じゃないですか。

いわゆるご都合ですね。ご都合を全く消すことはできなくても、気にならない範囲まで減らしたり、理由をつけたりすることはできます。それが脚本の腕ですね。

http://irodorich.com/archives/6780

わかばが、あそこにいた原因としては、こういう説があります。湖の水を根こそぎ吸い込んだのなら、種が出てくるのは必然でしょう。

いえもちろん、偶然によらないイベントを用意したり他の流れと同じ原因から始まる必然的結果にするのは不可能ではないでしょう。その意味リソースが潤沢にあれば、と申しました。

まぁそうですね。フィクションでない作品を目指したのでなくて、単に技量問題でしょう。ただドラマからご都合を排除するのは悪いことじゃないのですが、排除しようとした結果、ドラマが消化不良になったら、それは本末転倒というものです。制作者は「多少のご都合で盛り上がるよりも、ご都合をできる限り排除して、特に盛り上がらないドラマを作りたかった」のか、というと、私はそうでないと思います

売り言葉に買い言葉になってしまますが… けもフレ1の最終戦でのフレンズ同士の交流はそれほど高質でしたか主人公勢以外での話です。けもフレ2で多かったのはそちらなので。

けも1ラストフレンズセリフは、これまでのエピソードを想起させる形で、それぞれのフレンズが、それぞれの得意技を生かして戦うというもので、非常に高質でした。「交流」ということが、言葉を直接交わしてる会話を指すなら、少ないですね。ただ、けもフレ2の「交流」に私は意味や盛り上がりを特に感じませんでした。

オオミミギツネさんのシーンはそれに該当していますが、ギャグ的な魅せ方で俺は流されてしまいました。初見では。

「オオミミギツネさんのシーン」だけだと、ちょっとどこかわかりませんでした。ともあれ、のほほんとした交流シーンをやりたいなら、危機最中にやらなくてもよいでしょう。

最初からフレンズ」ですが、必ずしもそうだとは言い切れないと思いますジャングルでは及び腰だったし、荒野では面倒事に巻き込まれないように逃げようとしていました。当時基本的にはおうちを探すことを優先していました。その割に車掌ラッキーさんに振り返ってお礼を言ったり、リョコウバトに絵を描くために夜を徹したりします。まあ確かに「なんでこんなに気を使ってるのかわからない」的な描写があれば更に盛り上がったでしょうね...

フレンズに対する態度に大きな変化があるなら、変化した理由必要になりますよね。その理由は、「元々フレンズが好きだったことを思い出した」でも良いのですが、それならば、どういう理由過程で思い出したか、が必要になる。

微妙に変わってはいるというなら、「微妙だけどしっかり変化してる」ことを印象づけ、やっぱり、その理由過程を描く必要があります

厳密には一話の施設の様子などに、当時の様子が推理できる判断材料がありますが、概ねそうです。サンドスターコールドスリープさせる機能が描かれていないし、記憶を失っているのもフレンズ化と合致します。パークの客ならばパークの外におうちがあったんでしょう。

ミステリというのは謎が提示されて、その謎について事態が進展して、新たな手がかりが出たり、真相と思われるものが二転、三転するなどして、最後に謎が解けて(あるいは解ける以外の形で解消され)終わるわけです。けもフレ2の場合、冒頭の謎が、特にそのまま触れられず進展しないままずっと進みます最後カットで一応謎は解けますが、それは冒頭の時点で予測できた推理確認されただけです。それではミステリとしてはダメです。

2019-04-10

けもフレ製作陣へ誹謗中傷してる奴ら

スマイリーキクチ事件とか午前四時事件とかの顛末知らんのかな?

なんかもうインターネット探偵気取りが突っ走りすぎてて怖いわ

2019-04-09

anond:20190409232718

製作者の意図に従ってわざわざ苦しむとかMですね

イージーモードクリアした人は本当の意味でそのゲームを楽しんだことにならないけどいいの?

だって製作者の理想ノーマルなんだよ?

anond:20190409225955

クオリティが低いのって明らかに(優秀な)アニメーターの数のキャパ越えた制作本数から来てるだけでしょ

もしくは乱暴スケジュール管理作画監督乱立みたいな質の統一ができないことが原因なわけで、制作本数が減ることや製作期間が伸びることに関しては何の問題もないんじゃない

困るのはアニメに何の興味もないテレビ屋や投資家だけでしょ

でもお前ら、アニメ制作会社労働基準法に乗っ取ってさ

一作当たりの単価が高くなって、旨みがないビジネスになって

企業が軒並み撤退したりさ

製作期間も伸びて現行のエヴァすらぬるい待ちぼうけ食らったり

作画枚数やクオリティ劣化したり

ワンクール製作本数が極度に減りだしたら困るんだろ?

 

おまえらは今のペースのままアニメーターが食いつなげるとか

夢みたいなこと言ってるけどさ

結局のところ、ほとんどのアニメーター下請けな訳じゃん?

 

低賃金からこそ成り立ってたビジネス

何のノウハウもなしにいきなり高付加価値のモノになれると思ってるの?

自分の見たい、ジャンクフードアニメがぜんっぜん世に出回らなくなってもいいの?

付加価値商品絶対になれば当然、萌えアニメみたいなニッチかつ安物を好むセグメントは無視されて、

ディズニージブリライクな作品しか出されなくなるぞ?

 

 

 

 

もっと正直になれよ

「いや、アニメーター保護とかあれはフリだから ホント自分が消費するアニメの方が大事よ」

ってさ

GAFAを嫌いつつネット浸りになってる意識高い系みたいだぞ、おまえら

anond:20190408230305

人が動物の上に立つモチーフイルカアシカイエイヌが、けもフレ1以後の「人間がいなくなってる世界」でそれを強調されることが視聴者にとって不快で、それを書くなら悲劇性や罪悪感も書くべきだ、との主張でしたね。誤解していました。失礼しました。そうするとリョコウバトは構わないのでは。けもフレ1でもトキ絶滅していますが、人が上に立っているわけではないので問題ない。リョコウバトも同じ扱いでいいのではと思います

けもフレ2における、人間動物迷惑をかける点ですが、フウチョウたちが「確かにヒトのおかげで助かったケモノもいるが、ヒトが不用意に近づいたばかりに、迷惑するケモノもいたかもしれんぞ」と明確に問いかけてるんですよね。これに対するアンサーは必要であり「テーマとして昇華していない程度の示唆」で終わらせるのは無理があります

リョコウバトとトキ比較ですが、けもフレ1のトキ場合絶滅危惧動物であること、人間によって傷つけられたことに関する言及はないわけです。一方、リョコウバトの場合絶滅を暗示する演出がいくつもあり、先のフウチョウの問いかけもあったわけです。

イルカアシカについてですが、ネットを眺めた体感では、そこまで気にされてないように思うので、これが気になるのは俺自身問題であって、そこまで気にしなくても良いかもしれません。

ただし、フウチョウの問いかけにある通り、全体的に人間動物関係性の負の面に掘り下げるならば、イルカアシカも一緒に掘り下げたほうが脚本の完成度が上がるでしょう。

イエイヌについては、あれは監督交代のいざこざ抜きでも、居心地悪いかと。

詳しくないのですがハリウッドヒーロー物では技名宣言は少ないのではないでしょうか。国内で閉じるローカルルールに縛られずによりリアル表現模索したのでしょう。

マーベルやDC映画場合叫び声でパワーアップはしないわけですが、強敵との戦いをどう盛り上げるか、逆転を、どう印象づけるかの工夫がありますフレンズセルリアンとの戦いは、あまりそうした工夫がなく、盛り上がらなかったです。それなら誰かが「野生解放!」と叫んだほうがわかりやすいでしょう。

まあファンタジー蔑称ということもないのでしょうが、多くをノリで処理すべき寓話世界観というほどには、けもフレ2は堕していないと思います

まず私の立場は「多分、脚本の穴だろうが、寓話世界観と取れないこともない」というものです。ラストバトル前の葛藤(フウチョウ)と、ラストバトル勝利ギミックビースト)という重要な部分の両方が、ファンタジーな流れで解決されるので、その印象が非常に強いんですよ。

しかし、たつき監督けもフレ2をやっていたらそのカット問題にならないわけでしょう。監督が代わるごとに構図被りに難癖つけられるなら、正解は作らない一択ですよ。俺は野生解放こそ失念していましたが、かの名シーンの存在は覚えていて、でもその被りには気づきませんでした。観客が悪意を持ってアラ捜ししていることまで計算に入れて作っていかなきゃならないなら、アニメ制作者が家に帰らない期間は年単位で増えていくでしょう。観ると決めたら、ある程度製作者を信用することは視聴者側の責任だと考えています

点が三つあると人の顔に見える、と言う話がありますが、人間は、基本的意味のないところにも意味を捜す生き物です。現実には意味のないことは幾らでもあるのですが、作劇でそういう部分を作ると、視聴者は無理矢理意味を見いだそうとし、結果、制作者にとって不本意な受け取り方をされることがある。それを避けるためには、意味・印象が散漫なシーンを作らないことです。

結局、セルリアン型フレンズにあまり意味がなく、戦闘も盛り上がっていないのが、あら探しされやすい大きな原因だと思いますフレンズ型になった意味もさほどなく、あまり怖い印象もなく、なんとなく倒されていくという(このへんは脚本だけでなくアクションシーンの問題でもあります)。

けもフレ1の集合シーンは、ここからフレンズが、それぞれの個性を生かした連係攻撃を開始するわけです。例えば、それを踏まえて、セルリアンが巧みな連携を仕掛けてきて、「これまでのセルリアンと違う! なんて強いんだ!」とすれば、そこには一つ意味が生まれます

そういった点をクリアしても、ケチつけられる可能性は否定しません。結局、最終話評価は、それまでの1~11話の評価と切り離せないものですので。視聴者に信用されるために、制作者側は信用を積み重ねる必要がありますが、そこがうまくいってないわけです。

この先奇跡的にけもフレ2の人気が反転して評価が逆転したら繰り上がって「優しい世界」になるのでしょうか。だとすると「優しい世界」は「感じが良くて人気だった」くらいの概念になってしまうでしょう。

「優しい世界」に込める意味は、人それぞれで、深く考えてない人も多いでしょう。なので、最大公約数を取れば、まさしく「感じが良くて人気だった」くらいの意味になると思います批評として使うなら、定義必要になるでしょう。

私自身が「優しい世界」という言葉を使ったのは、「素直なキャラ面白いドラマを作ること」くらいの意味です。

けもフレ2でギスギスが解禁されたことで、G・ロードランナーやフウチョウ、イエイヌなど、けもフレ1に収まりきらなかっただろうフレンズへの間口が開かれました。

スギスした作品はギスギスした作品で楽しめる人も、癒やし系作品の続編として出されると「思ったのと違う」ってなりますよね。ラーメン屋いったらサンドイッチが出てきたみたいなもんで。ギスギスを狙ったのなら、作品の出来とは別にマーケティングミスです。そういうのは事前に告知して心の準備をさせるのが良いかと。

逆に言うと、ここまでギスギスな作品だと受け取られる、とは制作側は思ってなかったんでしょうね。

論理同意できません。自由意思はどちらの選択をとっても自由ときにのみ現れるものです。

そこはおっしゃるとおりですね。書いたことに矛盾があったので書き直します。

まず、1話からのヒキである、キュルルのおうちが、見付からなかったことに、消化不良があります。次に、キュルルが「おうち」を諦めるに至る過程曖昧なので、ドラマが盛り上がりません。

キュルルが「おうち」を捜す動機として、フウチョウに対して、「そこには、僕にとって大事な、なんかすごく大切なものがあった……気がする……」と言ってるんですよね。この「大事な大切なもの」が不明なまま、おうちより仲間と言われても、とってつけた感が出ます

それがパークのどこにもなく手がかりの絵も尽きて絶望したことが示されているので

何話か見返したのですが「キュルルの手がかりの絵が尽きた」ことが描かれたシーンが見当たりませんでした。教えていただけると幸いです。

でもそうするとセンちゃんアルマーさんを入れる尺がなくなりませんか。誤解させるための設定も用意しなくちゃならない。というかイエイヌちゃん完全に救われちゃってますよね。

思いつきプロットですので、詳細まで詰めてないのはご容赦ください。作劇において、尺やバランス問題は常につきまとうので、やりたいことの優先順位を決めて整理すれば良いかと。

優先すべきものイエイヌとキュルルの関係なら、他のキャラの出番を減らして調整しますよね。逆にカラカルとキュルルが仲直りして関係性を深めるほうがメインなら、プロットが重くなりやすイエイヌでなくて、別の困ったフレンズにしたほうが、すっきりするかもしれません。

キュルルちゃんホテルで海に落下させるためにイエイヌ回で下げたのではないでしょうか。落ちたときニコニコ動画では「ざまああwwww」が連発されましたが、あれは制作の狙いだったと考えています。そして必然的落下からのフウチョウ説教・海底火山紹介に自然につながります

通常、主人公とは「こいつがどうなるか見届けたい」と視聴者に思わせて、物語ドライブする存在です。そのためには視聴者を引きつける魅力が必要になります。魅力がないと、作品を見続けるモチベーションが湧かない=つまらないとなるわけです。魅力としては「いいやつ」から「かっこいい悪」「人間欠点があるが、どこか憎めないボンクラ」まで様々です。

さてキュルルは、別に「かっこいい悪」や「憎めないボンクラキャラではなく、概ね、フレンズを助ける心優しいキャラとして描かれてたわけで、それをこういう下げ方したら、キュルル自体の魅力が損なわれ、作品自体への評価が下がります。さすがに制作者が意図してそういう風には描かないと思います

キュルルが落っこちた回でニコ動アンケートちょっと上がったのは知ってますが、主人公がそこまで嫌われてる時点で、作品としては末期症状でしょう。

しろ話の流れのメインだったのは”スケッチブック最後のページの行方”だったと思います。すべてのドラマスケッチブックに沿って展開され、最後の絵は破られていたことは最初の話で既に明らかにされていて、ホテル海上で悩むキュルルちゃんは千切られたページの跡を見つめていました。

長い時を生きてミライさん時代からパークを見守ってきたイエイヌに対してキュルルちゃんが「おうちにお帰り」を言い、逆にイエイヌ彼女から送られた絵をみて(観念的に)おかえりを言うわけです(実際に口にはしてないけど、まあ立場的に)。キュルルちゃんはそのシーンを持って本当におうちに帰った、受け入れられた。それを最後のワンカットで示すのが強い、と思うのですがいかがでしょう。

この解釈は私が気づかなかったもので、なるほど、と、思いました。

ただ、「スケッチブック最後のページの行方」がメインだったとすると、エピローグ的な部分で登場しても、もうその時点では、セルリアンは倒され、キュルルのおうち探しも終わっており、ドラマとして盛り上がらないかと。

イエイヌの「おうちへおかえり」と、キュルルの「おかえり」を重ねて、メインテーマに結末をつけたいのであれば、もうちょっとそこに重点を置いた作劇にしないと視聴者に伝わらないと思います

一般的エンタメの作劇上のセオリー評価できないというのはわかりましたが、しかしそのセオリーに従わなければいけない強い理由があるのですか。

作品の出来、不出来は、究極的には個人の好みになります。その上で、「多くの人が好む/嫌う最大公約数」というものもあります。それをまとめたのが、エンタメセオリーと呼ばれるものです。

けもフレ2の一般的評価が低い論拠として、そうしたセオリーを守れてないから、という点を指摘しているわけです。

もちろん、セオリーをぶっちぎって、面白い作品はあります。私から見る範囲で、けもフレ2に、セオリー無視したが故に面白くなってる点は見当たりませんでした。ただこれは私の意見なので、「そうではない。ここが面白い」という意見は拝聴します。

2019-04-08

anond:20190408180028

人が動物の上に立つモチーフイルカアシカイエイヌが、けもフレ1以後の「人間がいなくなってる世界」でそれを強調されることが視聴者にとって不快で、それを書くなら悲劇性や罪悪感も書くべきだ、との主張でしたね。誤解していました。失礼しました。そうするとリョコウバトは構わないのでは。けもフレ1でもトキ絶滅していますが、人が上に立っているわけではないので問題ない。リョコウバトも同じ扱いでいいのではと思いますしかけもフレ1でカフェを訪れるフレンズは別の鳥でも良かったわけで、トキ選択されたのは何らかの意図があるでしょう。以前に書いたような「テーマとして昇華していない程度の示唆」でとどめても善いのではと思います不快になるまで強調されるならドラマに絡めて決着を付けるべきだということですね。ならばイルカアシカイエイヌでそこまで不快になるということ自体製作者の想定外なのではないでしょうか。俺もグロテスクさは感じましたが話が入ってこないほどは気にならなかったです。「そこに居心地の悪さを感じるのは当たり前」とおっしゃいましたが、監督交代のいざこざ抜きでもそう言えると断言できますか。

ヒーローがなんか技名叫んでパワーアップ」は、戦隊ものでもプリキュアでもアンパンマンでもあるので、そうそう引っかからない

これまでそういう表現が主流だったというだけです。戦闘ときに技名を叫ぶのはフィクション的です。攻撃タイミングがバレてしまうし、叫びに使うエネルギーを拳の乗せろよ、です。詳しくないのですがハリウッドヒーロー物では技名宣言は少ないのではないでしょうか。国内で閉じるローカルルールに縛られずによりリアル表現模索したのでしょう。「サーバルの目が光ると、ビーストも同じように目が光るカットがあるので、『同じ系統のパワー』に見えるんですよね。」とのことですが、同じ系統でよいと思います。常時強制的に野生部分が開放されているのがビーストだと俺は捉えてます

私の意見は「内面世界の外への進出自体は、多くの作品共通する、いわゆる「盛り上がる」部分です。ただ、その進出の仕方に、世界現実の仕組みに矛盾しない理屈がある場合と、理屈なしでイメージが直結する場合がある。ケムリクサは前者で、けもフレ2は、後者のように見えるという話です。

俺はケムリクサの最終話での細かいつじつま合わせに納得していません。「盛り上がり」とはリンが赤い木に対峙するシーンからですよね。ケムリクサでは草周りが特に緻密に組んであるので引っかかっているのかもしれませんが、矛盾していてノリで処理するの範疇に入っていますけもフレ2でのキュルルちゃん葛藤は「盛り上がる」部分ということでいいですね。とすると問題はフウチョウよりむしろ吹っ切れた後にタイミングよく飛んでくるビーストのような気がしますが… ただそこに至るまでに作品評価は決してしまっていたし、葛藤をフウチョウという便利な舞台装置で処理したところで全体がファンタジーということにはならないのでは。むしろケムリクサは柔軟性のあるギミックやしがらみのないプレーン舞台を用意していることで矛盾をでなくしているように思います。まあファンタジー蔑称ということもないのでしょうが、多くをノリで処理すべき寓話世界観というほどには、けもフレ2は堕していないと思います

1と2の共通するクライマックス部分で、似た構図の印象的なカットを出して、共通性を感じないわけがないです。そこは制作者は気づくべきです。

しかし、たつき監督けもフレ2をやっていたらそのカット問題にならないわけでしょう。監督が代わるごとに構図被りに難癖つけられるなら、正解は作らない一択ですよ。俺は野生解放こそ失念していましたが、かの名シーンの存在は覚えていて、でもその被りには気づきませんでした。観客が悪意を持ってアラ捜ししていることまで計算に入れて作っていかなきゃならないなら、アニメ制作者が家に帰らない期間は年単位で増えていくでしょう。観ると決めたら、ある程度製作者を信用することは視聴者側の責任だと考えています

視聴者視点では行動が横暴に見える」のであれば、それは「優しい世界」「癒やしとしての芸術表現」として失敗してるのではないかと思います。...(中略)...「優しい世界」というのは、面白かった作品への誉め言葉として使われているように思えます

この先奇跡的にけもフレ2の人気が反転して評価が逆転したら繰り上がって「優しい世界」になるのでしょうか。だとすると「優しい世界」は「感じが良くて人気だった」くらいの概念になってしまうでしょう。批評文脈でそのようなものを論じるのは意味がないのでは。作品制作において(俺は関係ないですが)、優しい世界を目指すというのは単に売れるよう頑張る以上のものであって、今のところは曖昧ですが、これから更に研究していく必要があるほど奥の深い領域だと考えていますけもフレ2でギスギスが解禁されたことで、G・ロードランナーやフウチョウ、イエイヌなど、けもフレ1に収まりきらなかっただろうフレンズへの間口が開かれました。そこはメリットだったのですが他方優しい世界性は減じてしまったということです。スピリットは二作品継承されましたが、休日リピートして癒やされるのはやっぱり一期ですよね。

話が前後して申し訳ないのですが、作劇論について…

ドラマとして盛り上がる重要ポイントで誤解を与えてはいけない

なるほどこれまで俺は不備を、設定の矛盾のようなものに絞っていましたが、重く捉えてらっしゃるのはプロット上の未消化や演出上の目論見の失敗、などですね。この方面は完全に素人なのですが、胸をお借りするつもりで議論に足を踏み込ませていただきます

「おうち探し」がテーマで、「仲間と一緒のここがおうちだった」に落とすためには、通常、「おうちは見つかったが、その上で、仲間と一緒にいることを選ぶ」というプロットします。そうしたほうが「自分意志で選んだ」感が出るからです。「おうち」が見付かったけど、廃墟だったとか、「おうち」側から同胞と認められなかったとかでショックを受けて、その後、決心するとかが基本パターンですね。そこが全くないので響かないんですよね。

論理同意できません。自由意思はどちらの選択をとっても自由ときにのみ現れるものです。事実上その選択しかないのにそれを選ぶのを決心するのは意思ではなくて屈服ですよ。敗北したのではなく自分で選んだと言い聞かせるために自分発破をかけているわけでしょう。けもフレ2のキュルルちゃんは諦める必要がないときに諦めの決断をしているので、そこに確かに彼女自由意志があると判るはずです。響くか響かないかは決意の重さを事前に示しているかでしょう。リリの「会えないのはもっと嫌だ!」は赤い木を生み出した(観念的な)責任彼女にあるし、あそこで「好きに生きて」などいわれて逃されて、わかりました楽しく生きますは納得感が全く無いので、戦線復帰が可能だとわかった時点で行動は一択なわけです。でもワカバとの日々でお化けになることを怖がったり、ワカバが倒れるのを心配したりしていたので、彼女自身が消えることの怖ろしさは十分に示されてる。それでも積極的に行くところに決意の強さが見て取れるわけですよね。キュルルちゃんはそれまで三人でおうちを探して旅をしてきて最後に、それがパークのどこにもなく手がかりの絵も尽きて絶望したことが示されているので、諦めるということがそれなりに重い決定であることは判っているわけです。それで充分だとは思いますが、まあ死ぬほどの重みではない。先々週にリリの決断をみているのでそこからすると見劣るのは否定できないです。

増田さんのプロット案は面白いですね… そっちのバリエーションも観たかたかも(実はプロの人なの?)。

最初イエイヌが、キュルルを、去って行った飼い主と完全に誤解している。キュルルや他のフレンズの助けで、イエイヌが元の飼い主のことをきちんと思い出す。その時、元の飼い主がイエイヌと別れた時に、安易に捨てたわけではなかったことがわかる。キュルルはイエイヌの寂しさを受け止めつつも、今の自分に出来ることはないので、別れる。一人のイエイヌの家に、他のフレンズが遊びに来る、などとします。

でもそうするとセンちゃんアルマーさんを入れる尺がなくなりませんか。誤解させるための設定も用意しなくちゃならない。というかイエイヌちゃん完全に救われちゃってますよね。このときのキュルルちゃんが横暴に見える、とまでは俺は思っていませんが、視聴者の多くはそう捉えたようです。おかしいと思わない人はサイコパスとまで言われていました。素人考えなんですけど、あそこでキュルルちゃんが(観点的な)非道を働いてしまうことには狙いがあったのではと思いますお話の上でキャラクターが何らかのミス悪事を働いて被害を作ってしまった場合、それに悪意がなくても、天災的な事故観念的な罰を受ける。視聴者の溜飲を下ろすためなのか、そういう処遇はよくあると思います。でないと消えざるを得なかったリリ・ワカバがただひたすら不遇ということになってしまう。キュルルちゃんホテルで海に落下させるためにイエイヌ回で下げたのではないでしょうか。落ちたときニコニコ動画では「ざまああwwww」が連発されましたが、あれは制作の狙いだったと考えています。そして必然的落下からのフウチョウ説教・海底火山紹介に自然につながります

肩すかしなのは、キュルルちゃん出自と、最終話に至るドラマキャラ動機等が、特に関連しなかったからです。キュルルちゃんがキュルルちゃん本人のフレンズで、疑似不老不死だったことを眼目とするなら、それが何かと絡む必要があります

キュルルちゃん疑似不老不死説は俺の自説で、そこまでの確証はないことは一応留意してください。むしろ話の流れのメインだったのは”スケッチブック最後のページの行方”だったと思います。すべてのドラマスケッチブックに沿って展開され、最後の絵は破られていたことは最初の話で既に明らかにされていて、ホテル海上で悩むキュルルちゃんは千切られたページの跡を見つめていました。長い時を生きてミライさん時代からパークを見守ってきたイエイヌに対してキュルルちゃんが「おうちにお帰り」を言い、逆にイエイヌ彼女から送られた絵をみて(観念的に)おかえりを言うわけです(実際に口にはしてないけど、まあ立場的に)。キュルルちゃんはそのシーンを持って本当におうちに帰った、受け入れられた。それを最後のワンカットで示すのが強い、と思うのですがいかがでしょう。

通常、作品における伏線・回収は、プロット重要なメインの部分についてやるものだと思います

一般的エンタメの作劇上のセオリー評価できないというのはわかりましたが、しかしそのセオリーに従わなければいけない強い理由があるのですか。不勉強ながら俺はそれを知らなかったし、多くのファンも同じではないでしょうか。視聴者には考察班的に楽しむ人もいるし、癒やし目的カジュアルに流し見る人もいるでしょう。教科書的な表現から逸脱することで芸術進歩してきたのではないですか。

anond:20190408024047

楽曲が力を持つかどうかって製作者が力を入れているかとは関係ないと思うが

アーカイブ ヘルプ
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん