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はてなキーワード: 過激とは

2019-01-23

anond:20190123131350

なんか勘違いしてるだろ。風営法業態規制であって、本の中身には言及してない。

国の法律で決められてる「わいせつ物」は性器に消しが入ってるかどうかだけで内容は一切関係ない。

条例出版社自主規制で、過激な物は一般向けと売り場をわけなければいけないと決まっている。

で、快楽天などの分けなくていいエロ本基本的に和姦オンリー特殊プレイなし。

2019-01-22

anond:20190122124655

キモい女好きのオッさんと過激な女権主義フェミニストの利害が一致し、こういう時は一緒に女の子カキコを持ち上げる

腐女子カースト底辺同士のマウント合戦~」のこと 2

前回(https://anond.hatelabo.jp/20190122051523)の続きです。

6.欠落は誰にでもある

さまざまな理由から、化粧が出来ない、してくれる協力者もいないという人達に私は会ってきました。

病気怪我治療中の人、あるいは治らない障害を抱えている人が居ました。症状が出ないように薬を飲んでいて、副作用がひどいと教えてくれた人も居ます

発達障害からの注意欠陥、嗅覚・触覚過敏、どれほど頑張っても自分では時間管理ができない人、神経麻痺で手が震えてしまう人、不安障害や、醜形恐怖のために鏡で自分の顔が見られない人も居ました。先天性もあれば事故による後天性もあります

一見しただけではわからない、介助者もいない軽度の人ほど、偏見に晒されてつらい感情を秘めていました。「就活の時期はとても苦しかった」と胸の内を話してくれた人もいました。

それらは対話しなければわかりません。

生きるだけで精一杯の彼女達を外見で判断することは、とても残酷なことだと思いました。

初対面の人へ否応なしに恐怖を抱く人もいます彼女達はあまりにも傷ついてるのです。だけど彼女達も同じもの好きな人なら、親身になって耳を傾けてくれるなら、素直に明るく話せる『普通の』人達でした。

彼女あるいは彼らが、趣味を楽しむことを、ドレスコードもないイベントへ素顔と普段着で行くことを、そのために外出することを、誰が止めて良いでしょうか。

作中では、腐女子の一人のバイセクシャル発言を、言い訳と切って捨てるページもありました。

腐女子仲間の交流という非日常でならカミングアウト出来る人達もいるのです。クエスチョニング(自分性的嗜好がわからない人)も居ます

女性の体で生まれ性自認男性トランスジェンダーであれば、彼もまた女性らしい化粧をひどく嫌がるでしょう。

男性の体で性自認女性の人は、きれいな化粧をしたい彼女自身の願望を世間から嘲笑われて、ひどく悔しがることでしょう。

私自身が、長い間クエスチョニングの状態で、もしかしたら今もそうかもしれません。「雌雄何方でもない究極生命になりたい」などと本気で考えた頃もあります。そうしたキャラクターに憧れたことも。それを中二病黒歴史と切って捨てる気はありません。

その頃に考えた数々の想像は、今の作品作りに役立っています。何がどう人生関係するのかはわからないですし、簡単嘲笑材料にしてはいけません。

そして、結婚して子供もつ腐女子人達カーストの上位に位置すると作品内ではほのめかされていました。

独身の私には、既婚者のまま交友関係を続けてくれる腐女子が幾人かいますが、本人達の多くは決してそんなことを思っていません。

切り詰められた趣味時間一生懸命やりくりしています子供たちが幼く、預けられる人が居なければ、イベントに出ることもできません。離婚経験している人も居ます子供を産めない体の人も居ます彼女達の苦悩を「自虐に見せかけた自慢」などと断定することはできません。

外見に気を使えない分、時間が限られている分、彼女達は会場で迷惑をかけないよう礼儀正しくいようと努力しています

作家さんに送る差し入れを考えたり、相手不快にならないような感想手紙を丁寧に考えてくれます他人の悪意に敏感で、日々変化する対人マナーを注意深く観察しています

賢明な彼あるいは彼女達は、自分がなにか悪いことをしたら、自分を容易く卑下すれば、自分と同じ属性の誰かが心無い偏見を向けられると知っているのです。

自分を奮い立たせなければ、読みたい本を手に入れられないのです。彼女達にとってもイベント会場はまさしく「戦場」なのです。

主人公自身我慢して「普通」を演じてるからといって、どうして不特定多数にもそれを押し付けて、勝手審査してしまうのでしょうか。

腐女子として知り合ったのに、そこでしかできない話があるのに、なぜ、妹や会社の同僚にもできる彼氏の「恋バナ」を主人公はその中でしたいのでしょうか?

誰しもに欠落がありますいくら擬態を頑張っても、つつけば粗が見えることを知っています

見下す主人公よりも、その嘲笑われた「誰か」に共感して悲しみ、怒るのです。これは腐女子一般人も変わりありません。

ここまでくれば主人公の『欠落』は明確に見えてきます恋愛パートナーの有無や、化粧や顔の出来などとは関係のないものです。

物語としては、この欠落を彼女尊敬する『神』の作品で、あるいは腐女子の友人達との交流で埋める方向に少しでも向くと思わせられれば、得る物はあったであろうに、エッセイ漫画として面白くなるであろうに、無視したまま化粧と服装だけに固執し、自分以外の他人嘲笑し苛つきだけ表現して、何処かで見たような「あるある」ネタとしても使い古された、見慣れたエピソードで彩られた孤独な「自分語り」に、なぜ終始してしまうのでしょう?

主人公が妹との会話で傷つくシーンがありますが、それもどこか核心からずれています

描こうと思えばいくらでも描けて、周り込めばそれだけ「面白い」題材になるはずのこの欠落を、なぜ無視して、このように雑に扱ってしまったのでしょう。

作者自身結論が出ていないから?

であれば、必要なのは時間です。自分他人を見つめなければ、表面的な出来事自分内面を掘るだけでページが終わってしまます

結論が出ていてもページ内に収める技術問題

であれば、そのような『制限』を外すべきだったのです。悪意を放り投げてしまうより、収拾可能になるまで、試し読みの範囲伏線を詰めて描くべきだったのです。

そのほうがずっと「面白く」「続きが気になって」読んでもらえるはずです。

その柔軟さと判断力が編集者に無かったとなれば、漫画面白くできなかったのは作者だけの責任には留まりません。

私はそう考えます

7.SNS媒体での発表のリスクについて

ツイッター年齢制限がありません。誰でも登録できます

ツイッター機能として、登録者の興味のある事柄から自発的検索しなくても、プロモーションフォロワーいいねがTLに流れることがあります

日夜ツイッターではプロアマチュアを問わず真の意味で赤裸々な「漫画」が、作り手の欲望善意によって公開されております

読み手は気軽にそれらを楽しむことができます。なんの警戒心もなく、それを読めるのです。

まりツイッターを利用している未成年の、思春期の「腐女子」あるいは「腐男子」達も、この「腐女子カースト」という作品を目にした可能性が高いと言うことです。

今この文書を読んでいるあなたは、どう感じるでしょうか。

腐女子は皆が皆、18禁作品をたしなむ訳ではありません。未成年で、好奇心不安を抱えたまま腐女子世界に飛び込んだばかりの人達現実世界では未来ある学生達がそこにいるのです。

悪意に慣れていない少年少女も当然いますもっと幼くて、ただ漫画というだけで熱心に読む子も居ます。今は内容がわからなくても必ず影響は残ります。『顔芸』と呼ばれる大ゴマをつかって笑わせることは、どんな幼い子供にも通用します。

子供達に対し、自由想像世界に生きる存在であったはずの腐女子達の中に「カースト」が存在するなどと言い含め、ある嗜好を持つだけで現実では最下層の証明になるのだという差別意識を植え付けて、その子たちの無意識に色眼鏡を与え、自尊心を摘み取ってしまっていいのでしょうか。

自分もどうしようもない存在から笑って許して欲しい、などと言う虫のいいお願いを「いい大人」が子供果たしてできるでしょうか?

それとも子供達も自分と同じ目に遭いつらい人生を歩めと言うのでしょうか?

あの時から今もなお続く炎上は、腐女子ひいてはオタク達の怒りでありながら、撒かれた毒を浄化しようという一心不乱の活動でもあるのです。

それが見えない露悪的な人達はこの騒動冷笑しています。私はそれを、昔の自分のように恥じています

これについては個人の快不快に留まる問題ではありません。会社ではなく、一個人があのような悪意を撒いたとしても、彼らは同じように行動するでしょう。

わずかな露悪的な読者層を取り入れるために社会倫理無視して行動したのであれば、そうした会社に集まるのは、いっそう露悪的で短命な漫画ばかりとなってしまうでしょう。

8.倫理と信頼と商売関係

このような感想になってしまいましたが、改めて、私は自由創造性というもの尊重したい側です。

同時に面白くないと思ったもの面白くない、酷いと思えるものを酷い、ノットフォーミー(自分向けではない)な作品はそうだと言える自由もまた有ってほしいと思います

商業作品においてもアマチュアであってもそれはかわりません。ただひとつ願うのは、描き手と読み手企業購入者、互いが互いに優しい形でそれが実現することです。

作品の話になりますが。

今回の騒動を見ていた時に同レーベルの「こじらせブスの処方箋~見た目を気にして病気になりました~」という醜形恐怖を描くエッセイ作品と作者が気になり、こちらは購入しました。

内容は「腐女子カースト」よりも読めました。やりようによっては幾らでも面白くなる題材だと思いました。たった一冊の本では描き切れないはずなのに、始まりから消化不良のまま、読み終わってしまいました。なぜ充分に生かせず、彼女は次々と過激タイトルの新連載に移ってしまったのでしょうか。彼女無料公開している作品を見ていましたが、やはりどこか無理におどけている様な、抑圧されているような、物足りなさを感じてしまいました。

他の主力作品ヘテロ恋愛や性事情を題材にしたものや実録系が多いようです。WEB雑誌系のスポンサー出会い系美容系で占められていることと関係しているのでしょうか。それらへ興味が向くように迎合した作品作りをすることも、おそらく企業戦略としては正しいのでしょう。

しか果たしてそれは、自由創造性でしょうか?

自尊心の低い女性や、夢を求めて来た外国人や、年齢や身体のどうしようもない特徴で偏見に晒された、「世間ちょっとずれた」弱い立場の人々を集めて「見下す対象」を作り抑圧することが、今のレーベルでの狙いなのでしょうか?

そうではないとする証拠が、今回の騒動の中にあったでしょうか?

今連載されている作品達に、作家達に、充分に示せているでしょうか。

そうした雑誌ジャンル伝統的にあることを私は知っています

会社の内部事情について、私は一切知り得ません。

善悪を私が断じることはできません。ユーザー文句をいう事は出来ますが、断罪するわけではありません。

誰かの表現を止めることはできません。

一度出した表現は別の表現で塗り替えることしかできないのです。

多くの人にとって良くなければ、出資するほどではないと思われれば、自然と読者は離れていき、伝統はそこで終わるだけです。


9.おわりに

今回の感想を書く上で、障害者や、性的マイノリティについて書かなければならなくなりました。

それらを教えてくれた人々は、私の大事な読者達です。

私はかつて、仕事をやめたのと同時に、しばらく普通でいることを休もうと思いたちました。世間や周りに合わせようと無理をするのをやめて、家に籠りました。趣味漫画を描くうちに、私は作品を通じてツイッターで人と繋がりました。

読者のフォロワーの一人が、家庭の事で「爆発」し鍵垢で叫んでいた所に遭遇しました。私はその言葉を丁寧に読みました。

私が知り得る知識を総動員して、望んだ人生が歩めない悲しみを、それを他人から非難される恐怖と怒りを一生懸命想像しました。私は彼女問題提起を注意深く見定めようとしました。

リプライではなく空リプで、一緒になって怒り、一緒に笑い飛ばしました。それは一時のSNS上のやりとりでしかないし、実際に顔を合わせる間柄ではないですが、今でも彼女との交友は続いています

上下はありません。私の意見押し付けたわけではありません。

私と彼女は、対等な互いの読者として、信頼する友人として存在しているのです。

彼女理解を諦めて無視したなら、きっとこうはなりませんでした。

信頼関係の構築に大事なのは性格ではありません。ただ己を一度引っ込めて、わからないなら真摯に聴き、調べ、深く考えた上で言葉を使うことが大事だと私は気付きました。彼女が暴れすぎて収拾がつかなくなるほど傷つかないように、考えて行動することでした。

それは自分作品を作る時と同じでした。二次創作で『推し』を見つめて、彼あるいは彼女がどう行動するか考える時と同じでした。

彼女達の苦悩の間に、それでも己自身肯定する言葉があると、パートナー子供を心から愛している気配を見つけられると、私は安心できました。

他人の心の傷を全て想像出来るわけではありません。自分の心の傷に触れられることがあれば、動揺してひどい言葉を投げかけることもありました。ブロックされることもありました。しかしそれは、多くの人がそうなのです。ぶつかり合うことも距離を置くことも恐れてはいけません。本当に知りたいと思うなら、何度でも内省し正しい目で観察すべきなのです。

彼や彼女達が教えてくれた人生エピソードを、私はそのまま作品に描く気にはなれません。自分自身人生すらも。

作品には力があります祈りにも呪いにもなり得ます他人自分幸せにさせられるし、同時に破滅させられます。それほど重く、他人が口出ししてはいけない価値観が誰しもにあるのです。

一度発表したもの簡単に無かったことになりません。丁寧に積み重ねた善意よりも、悪意の一撃の方が取り返しがつかないこともあるのです。

それから私は、世間からちょっとずれた自分感性を、注意深く噛み砕いて、善か悪かも断定しないように、フィクションに載せて描き続けました。自分が好きな作品がどうして好きなのか、どう世間と噛み合わないのか、深く深く悩み、考えました。それを読んだ人達の中に、共感して会いに来てくれた人が何人も居ました。ゆっくり時間をかけてですが、心から対話をすることが出来ました。

世間からちょっとずれた人々にも悲しみがあります。楽しみがあります。それを見下して、ただの自虐的な見世物にして終わってはいけません。

良き人生として昇華すべきなのです。自分自身のために。

漫画を描いている人々、漫画マネジメントする人々、今まさに伸び悩んでいる方に、今一度向き合って頂きたいのです。

「本当に長く愛される作品」というものは何か。

説教ではありません。私自身がまさに悩んでいたから、これからも悩み続けるだろうからこそ、一緒に考えてほしいという願いです。

ただ楽しいから、ただ涙が止まらいから書くというだけでも充分良いのです。書き上げてから、少しだけ手を止めて、考えてほしいのです。一時の利益のために道を見失わないために。


ここまで読んで頂き、ありがとうございました。

ハンドルネームペンネームも、いくらでも変えられる世界です。それは責任放棄することと一緒ではありません。

今回は匿名での投稿ですが、私は私の思ったことをできるかぎり真摯に見つめ、影響を考え、投稿に至りました。それが少しでも伝われば幸いです。

私の活動がいつか誰かの人生と交わることもあるでしょう。

その時には、互いに今より優しくなれていると良いなあと、願っております



追記

これを書いている間に、『COMIC維新りあら』公式ツイッターからお詫び文が出ました。

配信停止までやる必要はなかったかと思いましたが、仕方のない判断かもしれません。

また一冊の本が燃やされたと感じました。

腐女子カースト底辺同士のマウント合戦~」のこと 1

1.はじめに

(前のエントリを削除して分割します。ご了承ください)

私は漫画を描きます

BLではないですが、好きな作品ファンアート二次創作)も描きます

友人には腐女子の方も、そうでない女オタクの方も居ます腐男子も男オタクも居ます。どちらの性別にも属さない方も。即売会にもほそぼそとスペース参加しております

今回において「腐女子カースト底辺同士のマウント合戦~(COMIC維新りあら)」という漫画作品脅迫的な批判をするつもりはありません。法律条例抵触するかどうかを語りはしません。ただ少し倫理的に問うことは一つ二つあります

また、各配信サイト無料試し読みで設定された話数が、出版責任者が「つかみ」と判断した範囲とみなし、その中で感じた所感だけにとどめることを事前に断っておきます

匿名場所にこうして文書を上げるのも、私自身の「顔」や「作品」や交友関係などのプライベートを見たがる人達に対する、防衛だと了承していただければ幸いです。いかなる名品名作であっても、つつけば必ず「粗」が見つかり賛否がわかれる物だと私は考えております。私は自分作品を愛していますが、悪意をいちいち気にしてしまう繊細さも自覚しておりますし、大事な友人達迷惑はかけられません。

なのでこの文書は、ある漫画書きの、ごく個人的感想として見て頂ければと思います

誰にでもわかるようにと書いた結果長くなってしまいましたが、よろしければお付き合いください。

=====

2.前提として物語作法戦略について知り得ること

まず私は、自由創造性、表現というもの尊重したい人です。

同時に読者は面白くないと思ったもの面白くない、酷いと思えるものを酷い、ノットフォーミー(自分向けではない)な作品はそうだと言える自由も有ってほしいと思います。彼らの感想もまた創造性を持つ表現行為からです。

そして作品流行することによって起こる「意見封殺」と文化の断絶は、人々の自由に害を与え、文化を停滞させるものであるため、避けるべきだと思っています

この文章は、それが起こってほしくないがために出す私の意見なのです。

以下の諸々の前提について、あなた再確認する必要がないと思ったなら3.まで飛ばしてください。


今やWEBでの作品公開は、電子化された過去の名作や現代の人気作と同じ土俵で戦うことになるため、無料公開しても「時間電池もったいない」と思われては不利です。戦略的に失敗に陥りやすいです。時事ネタについても個人の公開速度には叶いません。

ただただ露悪的な本はただただ露悪的で、熱心ではない、無駄お金を出したくないライト層だけに消費されて消えていきます私自身がそれを好んで読み、染まっていた時期が長らくあったために、それらの寿命が如何に短いのかをよく知っております

外側に居ても内側に居ても不明瞭です。

その文化の多様さや精神性、変容の歴史を、長く迫害を受け分化してきた巨大宗教のようなものだと今の私は捉えております

そうした点と、物語を見る目が肥えていることも含めて、漫画で描くには「気を付けるべき題材」であると考えています

 

今回の作品腐女子カースト」にはエッセイというジャンルが振り当てられています

もしも仮にあなたが「作品ジャンルが実録エッセイなら、ヤマ・オチ意味のない物語でも成立するのだ」と考えているのであれば、それは読者への甘え、ひいては全てのエッセイ作家への侮辱となることでしょう。

そのように考えて行動した時のリスクを、自身のために想像しなくてはいけません。

エッセイとは自らを省みる内観であり、自らの魅力でもって読者を個人的生活に惹き込むものです。『私小説』『ドキュメンタリー』『ノンフィクション』に連なる伝統的なジャンルです。

そこに登場人物を増やすのであれば、名前を出さな通りすがりの人であっても、存在しない架空人物であっても、最大限に配慮しなければなりません。

エッセイ漫画は「画力が伴わずとも描ける」としばしば思われていますが、それ以外の部分での構成力と魅力を問われるものなのです。

エッセイからと言って、醜い本音を受け入れてもらえると思ってはいけません。空費させてはいけません。

エッセイからこそ『第一話』の初対面で『印象良く』見えるように、深く考えなければ、思った通りに読んでもらえないのです。

それは化粧にも似ています。化粧に作法手順があるように、漫画第一話にも作法があるのです。

 

現実とずれた部分、主人公の欠落した部分、作者個人主観があるなら、それもまた、納得を得て面白くするために、最初のフックの時点で、注意深く描写するべきなのです。

共感できる相手だけを狙って描くのも間違いではありませんが、共感できない者でも楽しめる工夫、そして+αで得る物が無ければ、買って読むまでもない孤独見世物的な内容になってしまます結果的に長続きはしません。

誰もが作品アップロードできる現代では、心の底から叫びを見つめ続けた尖った『自主制作作品』が作者本人の手によってすぐに届けられるのです。それと競争することを考えても、エッセイますます難しいジャンルになっています

 

足すべき部分は足し、引くべき部分は引かなければなりません。本当に面白漫画はたったの1コマでも、読者を満足させるのです。

技巧や経験とは必ずしも正比例しません。作家が描くべき時に描いた時に輝くのです。

面白くないと感じながら、面白くないと言われながら描くのはとてもつらいことです。それは作家がするべき我慢ではありません。感覚麻痺してしまます

最初から捨てるつもりの名義だったとしても、それを描いたという傷は全人類記憶喪失でもしないかぎり一生描いた本人に残ります

本当に面白作品で、届くべき人の所に届けば、口コミで売れていくという強みが電子書籍にはあります

そのためには、読者の目を甘く見てはいけませんし、読者の声を額面通りに受け取らないように注意すべきです。

作品作家自由であるためには、正しい戦略を立てなければ、生き残ることは難しいのです。


3.率直なる感想は『想像力の狭さ』

作品内の第一話、即売会イベントへ向かう電車内で、ノーメイク女性二人連れに主人公が心の中でツッコむシーンがあります

この時の主人公の思慮の浅さは、エッセイ漫画としても致命的ではないでしょうか。

表情や服装から即売会という目的地を同じにしていると確信しているからこそ、ノーメイク女性を「同志だ」と確信して、その気を抜いた姿と能天気な様子に、イベントへ向けて気合いを入れて来た主人公は憤慨しているのかもしれません。

しかし、続くコマはただただ妄想の中で、相手が言いそうな言葉言い訳だと否定し、持論を展開するだけで、相手のことを考えていません。

取材力想像力ともに範囲が充分でありません。狭いのです。自分の中で完結してしまっています

たとえば化粧を禁止されている、お小遣いギリギリ学生かも知れない。

遠征電車高速バスが遅延して時間がなかったのかもしれない。

身バレ可能性があり、恥を忍んで素顔に近い顔で来たのかもしれない。

経済的に苦しくて、自分に合う化粧品ファッション出会えずにいるかもしれない。

家庭事情経済事情もさまざまです。また、障害を持つ場合もあります

化粧をしない理由はそれぞれです。

それぞれが努力によって対策可能だったとしても、皆がそれを完璧にこなせる訳ではありません。

私が考え過ぎで、素顔で出歩くことに特に理由がない人もいるでしょう。普段から化粧をする必要がない仕事に就いているのかもしれない。それを「ろくでもない仕事」だと考えることは職業差別です。

しかしたら彼女達は「ノーメイクで行く」という行動と、互いの美醜を互いにイジらないという暗黙の了解によって、目に見えない友情を確かめあっているのかもしれません。私はそれを尊いと感じます。決して馬鹿にはできません。その感情に、外見も性別関係ありません。

素顔で出歩く女性を、腐女子というだけで見下してしまうのであれば、もしも、彼女達が会場前の駅に降りず、手前で降りたなら、あるいは過ぎ去ったならどう感じたでしょうか?

腐女子について話すためにここまで考えなければならない理由がわかるでしょうか?

「格好がバラバラ集団がいたら高確率腐女子」という有名なネット上の言説があります。これはオタバレの指摘でありながら、腐女子文化を捉えることができる好ましい例なのです。

化粧やお洒落のものが大好きで趣味とする女性は居ます。それと同じくらい、化粧とお洒落をしない、できない女性は決して珍しくありません。この二者は普段生活では交わらない存在です。それでありながら、ただ「腐女子」「オタク」「アマチュア作家であるというだけで、同じものが好きというだけで、SNS作品を通して同志となり話し合えるのです。

本当に「腐女子カースト」は存在するのでしょうか。色眼鏡をずらして、少し観察すればわかることです。実際に腐女子の集まりを見て、外見の美しい人にそうでない人が付き従ってるように見えましたか

なぜ、かような形で消化してしまったのでしょうか? なんのフォローもなく、嘲笑して終わってしまったのでしょうか?

私は想像力が狭いまま物を作り続ける人間に対して「そのままでは続けられないよ」と教える以上のことはできません。

想像力を鍛えるには『違う価値観』と対話インプットしなくてはなりません。他人との会話でもいいです。怖いなら文学でも好きな漫画でも、アニメドラマ映画音楽。なんでもいいです。時間がある時に良質だと思う作品に、幾度も視点を変えて触れてみてください。でなければ、他人を知ることが出来ず、それゆえに自分を正しく見つめることも出来ず、自分だけの世界に閉じこもってしまます

インプットをしないまま作品を描けば、描くほどに、ただ自らが傷つき続けることになるからです。

4.最低限の礼儀って、何ですか?

また作者は最低限の身嗜みを礼儀と捉えているようですが、その最低限ライン上記理由で人それぞれだと想像できなければなりません。好みの服装もそれぞれ、地域文化仕事もそれぞれです。

主人公が綺麗でかわいいと感じた『神』の多くも、自分や買いに来た人の姿を気にしていません。コスプレイヤーだってキャラに入っていない時の自分の姿は出来れば注目されたくないのです。懸命に作って共感を求めた作品ではなく、日常の延長で作った「最低限の礼儀」の姿を褒められても、彼女達は嬉しくありません。そこがそういう場だからです。

腐女子オタクが「恥ずかしい趣味だ」という感覚最近では少なくなってきています

オタク向けのイベントに行くなら、張り切ってグッズを身に纏って「オタクの姿」をすべきだと判断する人もきっといるでしょう。それもやはりその人なりの身嗜みなのです。

またイベント外なら、服装の奇抜さだけでオタクかどうかを判断する材料にはなりません。ゴス原宿系等、日ごろから周りに迎合しない、自分自身を出したお洒落を好む人々が存在します。似合うか似合わないか他人判断基準で彼らは服を選びません。オタク文化と重なる部分も多いですが、その文化オタクと一括りにするのは、私は違うと思っています

そもそも即売会は『交流』のためのものです。街の本屋さんとは違います。売り手と買い手の信頼で構成された、本来技術の見本市なのです。この辺りは運営委員会ガイドラインなどにも書いてある範囲でしょう。

会場において相手の姿を気にする時間はありません。イベント会場はまさしく「戦場」なのです。時には顔すらも覚えておりません(これまで自分のスペースに来てくれてる方、すみません)人気壁サークルでなくとも、友人に頼んで売り子を立てる作家さんも居られます

時間が限られているのに、車の試乗会で車を見に来たのに、同時にディーラーの外見をいちいち品定めしてチェックしますか?

自社のために技術を持つ小さな会社契約したあとで、社長ブログに自慢が書いてあっただけで「そういえばあの社長不細工だったな、嫁さんも不細工だろう」などと、いちいち思うのですか?

それらを書いた冊子を、彼らの職種を冠したタイトルで売ったらどうなるでしょうか。

まさにそれこそ、礼儀を欠いた行動ではないでしょうか。

表現自由の下であっても、不快になった当事者には怒る権利があります

ここまでの説明によって第一話のあの一連の流れが如何に的の外れた低俗な「笑い」であるか、理解できたでしょうか。

ありとあらゆる多様な価値基準無視して、己が良しとするものだけに迎合する。そこを頂点に据えて妄想の中でカースト構成する。

腐女子を冠して発表するには、あまりにも浅く、無防備なのです。

5.悪意の扱いについて

そして、何分の一か、ほんの一部だけ、この作品主人公のように他人を品定めししま人間も、腐女子は間口が広いがゆえに存在しているのです。

主人公と同じ悪意を秘めた女性達は、この作品を読めば共感するでしょう。

ひっそりと楽しんでいた人もいたのかもしれません。

しかし、この「腐女子カースト底辺同士のマウント合戦~」はつい最近無料公開分がツイッター投稿されました。現在アカウントごと消滅しております

範囲の誰もが評論できる場所に出してしまえば、本を共有してしまえば、彼女達の罪悪感を無理矢理抉り出すだけの結果になってしまます

安易な形で発表し、コントロール不可能批判を浴びたことによって、彼女達は愛想笑いを続けて、怒れる友人と一緒になって作品を叩かなければいけません。作中で一般人擬態する主人公のように、怒れる腐女子としてその社会の中で信頼を維持しなければなりません。腐女子という世界の中にカースト存在しなくても、社会存在しています愚痴垢や捨て垢で陰口を叩いて共感しあうのとは全く違います

そうして作品を叩くうちに作者を、版元を本当に憎悪していくか、あるいは交友関係を切って何もかも忘れてしまうというような極端な行動しか取れなくなります

彼女達をますます孤独にしてしまったのです。

作品は、発表の仕方まで気を使わなくてはいけません。これもまた貴重な顧客を失う『失敗』なのです。

この主人公のように、見た印象だけで人を判断して遠ざけて来た記憶が、私にもあります作家デビューした相手嫉妬したこともありました。自分と交わらない人間人生を、いかに踏みにじってきたのか。それを考えるたびに私は後悔と反省を繰り返しています

つづきます。(https://anond.hatelabo.jp/20190122052653

2019-01-21

anond:20190121111557

まあそんなのは大前提なんだけどね。

ネットでは過激な言い逃げにリスクがないから、議論に向いてない。

2019-01-18

anond:20190118122547

>というか女の方が過激であからさまなので

はいソースは。

anond:20190118120629

収奪を行うのは女も同じ、というか女の方が過激であからさまなので、収奪イコール暴力イコール男性性という君の前提からしておかしいとしか言いようがない

2019-01-17

左翼アルファたちの承認欲求日本を生きにくい国にしている。

左翼言動がどんどん尖鋭化していくのは、時の政府貶める発言をするとRTが伸びたり仲間からブコメがついたりして称賛を浴びるからどんどんエスカレートしていくというのが原因なんだが、Twitterアルファたちの発言過激になっていくのも同じ原因な気がする。企業貶める発言経営者スキャンダル面白おかしく囃し立て、決算書を見てはボロカスに言う。他者面白おかし馬鹿にするほどに発言は注目を集め拡散していく。他者を腐すことで承認欲求が満たされていく。こき下ろすネタネット上に無限に転がっている。毎日のようにTwitter他者を貶め腐し馬鹿にして笑いものにする。

この人のツイート好きだったんだけど、最近はなんかもう他人悪口しか言うてない。

https://twitter.com/t_taniyan

なんか寂しい。

2019-01-12

胸糞悪いもの読みたがり

胸糞悪いものに惹かれる。

何故なのか自分でもわからない。胸糞悪いようなものを見て、もっとやれと思うわけはないし、許せないという正義感が沸き起こるわけでもないし、だからなにかを発言するわけでもない。ただ、そういう類のものを目にしたとき、「うわ、ひどいな(怖いな)」と思うだけ。至極フラットに。もしかすると、このフラット原始的感情になれる感じを求めているのかもしれない。

北九州事件ルイ17世Wikipedia、嫌な話のコピペみたいなネット上のコンテンツとか、鬱漫画映画と呼ばれるもののもろもろとか、フィクション/ノンフィクションの別なく、そういうものを見たくなる日がある。こういうものを見ると落ち込む。でもわざわざ好んで見ている。それで、うわぁと思っている。

こういう人間にとって、いま話題になっているNGT事件、言っちゃなんだが最高にネットを読み漁る甲斐がある。最低だ。

加害者憶測される人物炎上しているが、そこになんのコメントも残すわけでもない。推測されている事件の経緯も胸糞悪くて、炎上してる人のコメント欄も胸糞悪くて、それをこまめにただ読むだけ。そして、嫌だなというフラット感情享受している。

もうやめたい。自分みたいに臭い屁をわざわざ嗅ぐのをじわっと楽しんでいるような人間は、フィクションだけを消費するべきだ。そう、もうこれは消費なんじゃないのかと思うんだよ。

正義感に駆られて、怒って、加害者容疑者過激コメントぶつけてる奴の方がまだマシなんじゃないのか。

胸糞悪いものを消費する自分も胸糞悪い。最悪だ。でも、自ら戦う土俵に上がる必要のまったくない「うわぁ」ってドン引き気持ちって、どうしてこんなに平らなんだ。

からない。

anond:20190112022752

過激な反応は釣りから無視した方が良いよ。

批判には役に立つアドバイスが含まれていることもあるけど、役に立たないものは完全に無視した方が良い。

応援する。

2019-01-11

平成31年(た)第1号再審請求事件 東京地方裁判所

主    文

本件につき再審を開始する。

理    由

1 事案の概要

 本件は、平成20年11月に、インターネットはてなダイアリー等で「文科省局長である金森越哉等を順次自宅で殺害する」云々と書き込んだ件で、申立人が脅迫罪逮捕され、平成21年3月26日に、懲役2年、執行猶予3年の判決を言い渡されたが、本件確定判決については、申立人が述べる諸般の事情から刑訴法435条6号にいう無罪を言い渡すべき新証拠があるので、再審を開始すべきとして、再審請求をしているものである

2 検察官意見

ア 検察官意見聴取したところ、本件は、社会通念上、インターネット電子掲示板掲示された立派な脅迫文言であって、この程度の形式を有する文言記載した以上、被害者が恐怖感を感じるであろうことは犯人は容易に推測がつくものであり、被告人も、取調べで犯行を認めて、公判廷でも反省しており、有罪判決が出る外形的事実は十分に整っている。被害者被害供述をしている調書も整っており、しかも、文言形式から受ける印象は極めて過激で、被害者も、この書き込みにより、著しい恐怖感を覚えたと供述しており、懲役2年を言い渡すに値すると信じられるだけの諸般の外形的なものが揃っている。他面、申立人がいうところの事情は、司法機関には理解できないことであって、捨象すべきである。生々しい刑事司法を展開していた昭和時代であればともかくとしても、平成20年時点での我が国の完成した社会通念からすれば、これだけの形式的なものが揃っている本件に関しては、これを覆すのは困難であり、右形式的な書類等を全て覆すに足りるだけの形式的な証拠を、申立人は何ら提出していない。したがって、形式的に動いている現在刑事司法においては、形式的な書類等は鉄壁犯罪証拠であって、これを虚偽とすることは困難であり、本件再審請求は通らず、棄却さるべきものである

イ 仮に、本件書き込み形式的なもので、実態上は犯罪構成しないとしても、被告人ブログに書き込んだ文章や、2ちゃんねるでの書き込みは、実質において、極めて反国家的であって、文科省教育刑事司法が腐れていると言うなど、関係機関侮辱しているところ甚だしい。したがって、申立人は、脅迫行為を行ったわけではないが、国家に対する諸般の反抗的文章を書き、国家敵対したとして、これを刑事司法私刑に処する意味で、本件を脅迫罪として作り上げ、懲役2年に処しても、平成20年当時の実質法には違反しない。それに、本件に関しては、執行猶予があることが最初から決まっており、申立人は反省形式を整えれば刑務所にいくという致命的なことは免れえたのであるから、今回の刑事処分が、形式的な行為に対して刑罰を下すという残酷行為であるというのは当たらない。

ウ 仮に本件について実質的理由があるとすると、検察においては、本件ブログ記載書き込みは、従前より申立人がブログ2ちゃんねるに書いてきた反国家的な文章投稿による怒りが頂点に達した結果、記載に及んだものであり、その量も膨大であって、脅迫行為として採用するに足りると判断するから実質的な面を見ても、本件を脅迫行為としても何ら問題はないし、懲役2年の刑も相当である

エ 何よりも、現在刑事司法犯罪行為があったかどうかについて、外形的事実からしか判断しないという姿勢は一貫しており、申立人は、本件刑事手続きにおいて揃えられた形式的な証拠を全て覆すだけの形式的な証拠を用意できていないし、現在日本刑事司法実質的正義はないから、仮に申立人が本件再審請求で、実はこうだった、ということを陳述したとしても、裁判所検察は、実質はどうでもよく、形式しか見ないから、本件再審請求が通ることはありえない。

オ よって、本件につき無罪を言い渡す新証拠はないから、本件再審請求棄却すべきである

3 申立人の意見の要旨

申立人が、本件行為脅迫罪に当たらないとする事情は、以下のとおりである

ア そもそも刑法222条が罰するとしている脅迫行為とは、その当時の社会実態被害者心理状態加害者意図狙いなどを総合考慮して、実質的被害者生命財産が損なわれるのではないかという著しい恐怖感を与えるような行為であって、この行為が行われたと認定するためには、犯人にそのような生々しい意図があるということと、犯人がした行為が、被害者をして生命財産が損なわれるのではないかという著しい困惑感を覚えさせる必要がある。この程度に至らない行為は、単なる形式的なもの些末なものであって、いちいち刑法処罰し、まして懲役刑など選択する必要性もないのであって、また、脅迫行為は、必ずしも、日時や場所記載の上、氏名をあげて殺害するといった文言によらずとも、例えば、それ相当の具体的関係を持つ者が、すれ違いざまに何かを呟くなど危害を加える旨の言動をしてそれによって被害者が恐怖を覚えても成立するし、一般には意味が分かりにくいような文字ないし絵、暗号でも、加害者被害者住宅や部屋に、被害者危害を加えられると察知してしまうようなもの差し入れ場合にも成立するし、要するに、脅迫罪の成立は、形式文言記載したこと要件なのではなく、文言記載した場合には、その文言記載したこと加害者に真に生々しい犯意があって、しかも、その文言を閲読した被害者が真に生々しい恐怖感を覚えなければ、実生活上は意味のないものであって一々脅迫罪の成立を見ないし、外形的なものがなくても、当事者間だけで通じるような言動暗号の表示、一定空気を醸成すること等、諸般の無形的な行動があってそれが実質的個人生命財産身体安全を脅かす場合は、特に整った外形が無くても脅迫行為に当たることは言うまでもない。

イ これを本件についてみると、結論から言えば、ブログにおける書き込み自体からは、通常人感覚からして、特に何の恐怖感も感じない。関係証拠などを総合すると、「殺害する」云々の周辺には、大量の記事が書かれてあって、平成20年当時にこのようなブログ文章を書くような者が持論を展開しているようにしかみえないし、「殺害する」云々は、脅迫をする趣旨ではなく、強がっているか、もしくは、面白いからたまたま書いてみただけのようにしか見えず、金森越哉という者に対して、生々しい恐怖感を与えようという意思が感じられない。また、2ちゃんねるに書きなぐっているところの脅迫文言も、便所の落書きスレッドを盛り上げるためのジョークしか見えず、とうてい真剣脅迫行為には見えないし、スレッドを全体としてみると、むしろこのような文言を書き込んだのをいいことに、2ちゃんねらーがこのような形式文言を書いた者を脅迫犯に仕立て上げようとしているようにしかみえない。このようなことをしている2ちゃんねらーは、国家関係者とみられ、この点を見ても、刑事司法形式的に動こうとしているという悪意が執拗に感じ取られ、検察官がいうところの、形式的に脅迫の外形があるから処罰に値するという見解は、極めて悪質である

ウ そもそも平成20年11月時点で、申立人が本件文言を書いたのは、小学校時代学校いじめられていたことを思い出し、その真犯人文科省である抽象的に思念して、文科省HPアクセスして、幹部として氏名が列記されていたページを開いてその氏名をコピーアンドペーストして貼り付けただけか、金森越哉については、具体的な当人を申立人が知っていたわけではなく、たまたまHP局長名が金森氏だったので、文科省というところにいるその名前の者がボスであると思料して、ブログでその名前を出したまでのことで、申立人は金森氏が勤務する霞ヶ関に、当時一度も立ち寄ったり、用事で近づいた形跡もないこと、「自宅で順次殺害する」などと言っただけで、申立人は金森氏その他の自宅場所など知りもせず、殺害に用いる凶器なども何ら準備しておらず、結局は、ブログ文科省等を抽象的に批判するだけで、その中でたまたま気が強くなって、このような文言を書いて恰好をつけてみたにとどまるものであり、申立人は平成20年当時、ひきこもりニートであって交友関係も何もなく、パソコンで自堕落に遊んでいた若者にすぎず、金森氏等本人などとは面会すらしたこともなく、書き込みである文京区本駒込の自宅と、金森氏等が勤務する霞ヶ関までかなりの距離があること、申立人は、結局書いただけであって、これにより被害者が生々しい恐怖感情を覚えるであろうとは思いもしなかったこと、申立人はそもそも東大合格するような大人しくて真面目な人間であり、しか東大法学部の先輩である金森氏に対して、一般世間で行われているような卑劣で生々しい脅迫行為をする性格動機も具備していなかったことを考えると、本件書き込みは、人をして自己生命財産身体が害されるのではないかという生々しい恐怖感を与えるような具体的行為とは認められない。

エ この点について、検察官は、本件は、2008年11月までの過去幾多に渡るブログ2ちゃんねるでの、国家に対する不平不満、批判などがエスカレートし、その怒りが極まった結果としての書き込みであり、その本気度が高いなどといった実質的理由を主張する反面で、起訴した理由形式的なものであり、申立人が刑事処分を受けるべきは、実質的理由もあるが、申立人が調書に署名押印し、公判犯行を認め反省しているといった外形的事実鉄壁のものであって、こちらの理由により本件再審請求は通らないなどという、支離滅裂な主張をしている。

オ これについて検討するに、検察が言う形式理由については、刑法趣旨が、虚構犯罪に対して刑罰を与え場合により刑務所労役をさせるところにあるものでないことは明らかであるから、全く理由がない。また、検察が主張する実質的理由についてであるが、本件は、国家文科省に対する批判文章がかねてより蓄積し、その憎悪クライマックスに達した結果、遂に国家幹部に対して脅迫行為に及ぶに到達したものである、などというが、検察の都合のいい誤信であり、実態に合っていない。

カ 本件の一件記録にある犯罪証拠であるが、これを一瞥しても形式的なものであって何ら生々しい恐怖感を覚えるものではないし、書き込み当時の社会情勢を考えると、なお、本件のような書き込み被害者が真に恐怖を覚えたとは考えられないし、被害供述は虚偽の可能性もある。仮に恐怖を覚えたとしても、平成20年時点での社会情勢を考えて、いまどきこのような形で人を脅迫する者はいいから、書き込み者においては単に形式的にした書き込み社会の中に紛れ込んでこれを閲読した者の内面において恐怖が発生しただけであって、書き込みをした者本人の内心には、かような形式書き込みで、名前の具体の者に対して一般社会実施されているような卑劣で生々しく狡猾な意思をもってその生命身体財産に害を加えんとし、法で処罰するに値するだけの高度に悪質な故意があったとは、本件書き込み者の人生の経緯や性格書き込み当時に置かれていた社会立場被害者との関係総合考慮しても、とうてい認められない。そもそも、申立人は社会的交友がないニートであって、名前を挙げた者と現実具体的な交渉関係を持たないような人間であるばかりか、性格としても男性的なところがほとんどなく女々しい者であって逮捕されるまでには他人と喋ることもできないような引っ込み思案の性格であって、さらに交友関係は一切ないどころか、暴力団関係者とも付き合いがあるわけではなく、まして殺害に用いる凶器など購入もしていないし、当時の状況に鑑みて、名前を挙げた者の自宅を把握しているわけがないのであるから、本件書き込みを実行に移す意思など毫もなかったと考えられ、結局において本件は、社会にありがちの文言で本人が強がりを見せただけの言葉社会内に紛れ、被害者被害を受けると誤信したか、あるいは誤信もせず、ウソであると分かった上で虚偽の被害供述をした可能性が極めて高い。仮に、名前をあげられた東大大学教授女性の者や、女性最高裁判事が恐怖を覚えたと誤信したことは分からないではないが、少なくとも文科省で長年人生経験し、あるいは精神が屈強で本件文言ときに恐怖を覚えるとは思われない東大男性教授等が恐怖を覚えたとはにわかに措信し難いのである。また、一般世間では、より巧妙な手口で、人を脅迫する者が増えていることは、現在実質的社会通念であって、むしろこのような文言を書くことで脅迫する者は、絶滅しているほか、2ちゃんねる電子掲示板ではなく、便所の落書きであることは、一件記録2ちゃんねる書き込みを総覧すれば容易に看取しうるところであって、これを電子掲示板などと見るのは、抽象的観察に過ぎるものがあって是認できない。以上を総合すると、検察官が主張するような、実質的理由、すなわち、本件が、被害者に対し、生々しい恐怖感を与える、生々しい脅迫故意を伴う行為であるから、2年間の懲役に送り込むに値するほどの凶悪行為だ、などという意見は、全くの絵空事であって、無内容にも程があり刑事処分の体をなしていない。検察官は、これが失当であることをあえて知りながら、本件再審請求が通らないのは、一件記録形式的印象から受ける証拠を覆すだけの、テクニカル技術的な証拠を、申立人が何ら提出していないから、再審は通らないという卑劣な主張に力点があるので、以下これについて検討する。

キ 検察官は、警察官調書で犯行を認めて反省し、サインをしており、検面調書でも同様の供述をしてサインして、調書の外形が出来上がっている上に、公判でも、裁判官に対し、反省の弁を述べているのであるから、申立人が犯行を認めたのは間違いなく、右のように書面や反省の弁を揃えた以上は、現在刑事司法では、判断は覆らないのであって、いくら申し開きをしても無駄である、などと考えているが、平成20年警察体制は申立人のような2ちゃんねるで遊んでいた者に対しては形式的で暴力的な態度で取り調べをしており、申立人の主張は一切採用せず、警察検察官は、取調べにおいて、「犯行を認める文章捜査官に作成させること」「サインをすること」の2点をさせれば、「執行猶予は間違いない」もしくは「少なくとも何度も取調べに呼ばれることなく、早く釈放される」などといって被疑者射幸心につけこみ、捜査官が勝手に作文して作っているだけであるのが実態であって、この観点から一件記録の調書をみると、なるほどいかにも捜査官が適当作成した定型文章であって、当時、引っ込み思案で大人しく、日本語もまともにしゃべられない申立人が実際に言ったことをそのまま書いたとは思われないものであって、全く具体性がなく、こんなもの被疑者真意からそのまま供述したと見る方が、不自然である。従って、仮に署名押印のある、犯行を認めたかのような調書であったとしても、全体としては「作らせれば早く出られる

お絵描きコンプレックス

匿名ダイアリー初心者なので、不備があったらごめんなさいと初めに言っておきます

私は小さなからお絵描きが大好きだった。筋金入りのオタクであり、家庭もオタクとして受け入れてくれたので、好き放題お絵描きしていた。私は発達障害なんだけど、星のカービィが大好きで、ずっとカービィカービィに出てくるアドレーヌリボンちゃんチュチュを描いてた。後に知ったが発達障害あるあるとのことでビックリした。

幼稚園小学校低学年あたり。私は誰かと遊ぶよりお絵描きを選んでいた。同じようにお絵描きを一緒にするクラスメイトがいたので、その子達と教室でひっそり、時には熱の篭った語り合いをしたりと、オタクながらそういう楽しみがあった。まぁオタクだとバカにされいじめられてたけど、それでも漫画が大好きで、お絵描きが好きだった。それだけで生きてた。ゲームして、お絵描きして、本読んで、漫画読んで、おやつ食って、寝てた。我ながら、マイペース過ぎると思うが、幼い頃の私にとってそれが当たり前だった。

お絵描きをしていて、20数年間、一度も褒められたことはない。これは誇張でも何でもなく、本当に誰からも褒められたこと、上手だね、と言われたことが、これっぽっちもない。親からも「あんたは絵の才能ないよ」と言われるほど、絵の才能というものは無かった。

褒められないのに描き続けるって、すごいと思う。幼い頃の私は自我が余り芽生えていなかったせいか他人賞賛に気を取られることがそこまで無かった。ていうか、褒められたことがなかったので、そういうもんだと思ってた。その頃の私は、とにかく、絵を描くことが大好きだった。お話を考えるのが好きだったので、将来は漫画家になるんだと勝手に決めていた。

私の同じクラスに、とても絵が上手い子がいた。

イラストオタク的なことを踏まえても、クラスから「上手いね」とワラワラ集まってくるほど、上手だった。その子と私はそんなに仲良くなかったけど、親同士が仲がよかったため自然距離が縮まっていった。そうなると、自然な流れでお絵描き仲間になる。

私はその子が好きだった。イラストも上手だし、性格大人びていて、何事もスマートに済ませるタイプだった。ドン臭くてオタクいじめられがちな私とは全く違う子だった。

大好きだった。けれど、ドン臭い私だけど、直接面と向かって比較されるのは、流石に堪えるものがあった。

悔しくて夜は泣いてた。私は私の絵が好きだったから。絵を描くのが好きだったから。好きでやってんのに、勝手にその世界に踏み込んできて「あなたの絵はあの子に比べてあんまり上手くないね」と値踏みしてくる。その無神経さに、私はだんだんコンプレックスというものを覚えるようになった。

傷付くだけでは癪なので、バカの一つ覚えみたいに描いていたスタイルを変えた。絵柄を研究したのだ。当時大流行りだったありなっちには絶大な影響を受けたし、他にも「こういう目の描き方はどうだろう」とか「もっと手や足のバランスを考えなくちゃ」とか、おバカなりにも頑張ったのだ。もがいたのだ。私の世界を踏みにじられないように。

私の努力は余り実らなかった。まず第一声が「絵柄が変わりすぎて、変だ」と言われたこと。その時は、その言葉が重すぎて、自分の絵柄ってなんだろう、ていうか褒めたこひとつもないくせに絵柄がどうとか今更なんなんだ、と思った。

一番心に残っていることは、まだ幼稚園とか保育園あがりの下級生に言われたこと。

の子供たちは件の絵の上手い子のイラストを見て「この人!すごい!じょうず!きれい!」とはしゃいでいた。その次に、私の絵を見て「この人の絵は好きじゃない」と、ハッキリと、何の悪意もなく、見ず知らずの私の絵に向かって、そう言ったのだ。私はそれをドアの向こうで聞いてしまったのだ。

あ、私、絵が下手なんだ。

ハッキリと理解出来たのは、多分、その時が初めてだったと思う。

同時に、やんわりとだけど「絵が下手ということは、他人不快感を与える」ということが心にずっしりのしかかってきた。

の子に対するコンプレックスは、結局消えることがなかった。拗らせまくった私はその子イラストをパクっちゃうようになった。上記バックボーンを読み解けばお分かり頂けるだろうと信じる。ただ教師からすれば、私は他人の絵やアイディアを盗む問題児だった。何度も注意された。他のクラスメイトたちの前で注意されたので、ビックリするくらいの速さで「記事主(私です)は絵が下手だからパクってる最低のやつだ」と情報が出回った。つまり子供ながらに、こいつはコンプレックスに溺れてる奴なんだ、ということが知れ渡ってしまったのだ。その通りなんだから、私は何も言わなかった。口数は減り、絵を描くことへのコンプレックスや、その子に対するコンプレックスはどんどん膨らんでいった。

話はトンと変わる。

私はそんな小学校生活が嫌すぎて、私立中学へ進学した。心機一転し、お絵描き仲間もいたので、アホみたいにずっとオタク話をしつつ絵を描いて手紙交換してた。相変わらず褒められることは特になかったけど、絵を描く楽しさは少し取り戻せた。

進路を決めるとき、なぜだか分からないけど、当たり前のように美大進学をする流れになった。オタクだし、いつも落書きしてるし、じゃあ美大でしょ?みたいなノリでみんな美大進学を決めていた。

私は、その"ノリ"に、ある種の嫌悪感を覚えた。

だって、誰からも褒められたことの無い人が、なんでその手の専門分野にノコノコと踏み込めるの?コンプレックスが心の底で燻っていたんだと思う。私は絵が下手だ。好きだけど、下手なんだ。いくら勉強しても、努力しても、ダメなもんは、ダメなんだ……。

「いつも絵かいてるなら任せてもいいよね?」と勝手に頼まれ文化祭の表紙絵。部活のチラシ。頑張って描いた。オタクっぽさを抑えたつもりで、なおかつ、見栄えするように色んなイラスト雑誌を参考にして、描いた。「オタクっぽくないやつってお願いしたんですけどね」「え?マジでこれ、人前に出すの?」どれもこれも、散々言われて、却下された。ねぇそれ、寝ないで描いたんだけど。下手なのは分かってる。でも、そんな一蹴されてもね、私は、どうしたらいいんだろうね。そんな言葉を言うくらいなら頼まないでよ。好きで下手なんじゃないんだよ。好きで描いてんの。何時間も構図考えて装飾も書き込んで細いペンガリガリ描いたの。わかんないよね、だってあなた達はジャッジする側の人だから。絵が下手だと、気持ち悪いと、判断を下すのは、至って簡単ことなんだ。

学生なんだから仕方ないよ、と、思った方もいるでしょう。子供だし言葉選びが出来ない面もあったと思うし、私自身好かれてるわけじゃなかったのかもしれない。

3年ほど前だろうか、私はあるジャンルにおいてとても活発に活動していた。

学生の頃の対人関係は断ち切って、趣味に打ち込んでいた。その一環で、少しだけだがイラストを描いていた。ほんの少しだし、やっぱり評価はなかった。でもそのジャンルで、初めて、褒められることがあった。初めてだった。そのおかげで私は一次創作が大好きになったし、今でも感謝している。だからイラストよりも他のことで満たされていた。とても幸せな日々だった。充実していたし、ここにいていいんだ、と思えた。

そのジャンルで、とても過激な人がいた。ビックリするほど過激だった。言いたい放題言いまくり形容し難いがともかく人格に異常があるんじゃないか?ということが多々あり、私は彼女と険悪であった。というか私が一方的に嫌っていた。その人は要するに絵描きで他のジャンルでも活躍している方だった。

私がその方を嫌っているということが知れ渡った途端、数人が「ブログ主は、絵が描けないからね」「絵が描けないからって、嫉妬丸出しで恥ずかしい」と言っている、ということを、人づてに耳にした。その悪口を言っている人達は、普段、私と懇意にしている人達だった。

サーっと血の気が引いて、ガラガラと積み重なっていたものが崩れていった。どうやって辿り着いたかからないが、病院に行き、過呼吸を起こし泣き崩れた。あまり覚えてないが、安定剤を投与され、しばらく横になっていたのはうっすら覚えている。

まだ言われるんだ。

いつまでもイラストが下手だって、描けない人間なんだってカテゴライズされるんだ。

気持ち悪いとか不快とか怒ったとか、そういうのは、あまりなかった。

カテゴライズされることは、子供からとかそういうわけじゃなくて、大人になっても、こびりついてくるものなんだ。イラストを描ける、描けない。上手い、下手。こんなことで、人間仕分けるんだ。ニコニコ笑って遊んでても、心のどこかで「こいつは絵が下手だから」こうやって思ってんだ。

ぶん殴られた気分だった。ゴルフクラブフルスイングされたくらい、衝撃だった。結論から言うと、絵が描けなくなった。絵だけじゃない。創作物全般が、だめになった。絵描きさんが、怖くなった。

たまに見かける、絵師絵師だけでしか交流しないという愚痴。私は愚痴すら出てこない。そういうもんだろ?ってもう決めつけてるから技術を持った者同士が仲良くなるのは当然のことだし。ただ上記のことで分かったのは絵師同士でも裏側ではバチバチ険悪な場合があるってこと。あと、私の子供の頃みたいにコンプリスペクトが混ざりあってごちゃごちゃになって結果絵柄やストーリーはてには日常生活までパクっちゃう人もいること。悪意があるにしろないにしろ、そういう人々も、結構いた。

なんで私が突然こんな自分語りを始めたかというと、おそらく5年振りくらいにペンタブに触ったからなんです。結論から言うと、楽しかった。ここ数ヶ月スケッチブックに絵を描いてたんだけど、やはりコンプレックスが強すぎて画像載せても消してしまってた。界隈にはイラスト激ウマ人間ゴロゴロいるし、比較されたくない一心だった。

余りデジタルは触ったことなく、ペンタブもホコリ被ってたけど、手探りでペンタブを弄ってたら、楽しかった。語彙力皆無で申し訳ないんだけど、楽しかったの。お腹も空かなかったくらい、熱中した。もちろん下手くそなので評価とかはない。でも楽しい自分なりに上手く出来たんじゃな〜い?みたいな自己肯定感が生まれた。

お絵描きへのコンプレックスは消えることないと思う。でも、やっぱり私はお絵描きが好きなんだ。誰から評価されないけど、私は私の絵が好きだ。下手だなって思うけど、自分なりに上手く描けたなってとき、それは宝物になるよ。ぜったいに。

anond:20190111000439

もっと過激大統領が現れるか、将軍さまの領地になっているだろうけどな…

政治茶番、深遠に仕組まれ既定路線じゃないの?

2019-01-10

イケハヤブラック企業経営者化してんの

フェミニスト過激な事言って男嫌悪生み出してるのとそっくりだよな

木乃伊取りが木乃伊になるっつうか 

 

 

 

から君たち男も、ツイッターでウダウダ言って

あんブラック企業追い詰めてやんなよ?

働く場所が無くなったら、君らニートだぞ

少しは経営者感謝しな

WEB広告のガイドラインを調べてみる

WEB広告、その悪質な表示方法過激表現から嫌われがち。

おそらくテレビCMや街に貼られたポスターには厳密な決まり事があると思われる。

そもそもWEB広告にはそういった表示方法表現の決まりごとを定めたガイドラインって無いのかしら?と思って軽く調べてみた。

インターネット広告倫理綱領及び掲載基準ガイドラインhttp://www.jiaa.org/download/JIAA_rinrikoryo_keisaikijyun.pdf

ガイドラインは、本協会がこれらの必要性認識し、インターネット広告健全

な発展のため、インターネット広告倫理綱領を制定し、さらに、その趣旨に基づき、

協会参加各社が広告掲載基準策定する際に参考となる業界標準の指針を定

めるものである

とあるので、会員社一覧(http://www.jiaa.org/about/memberlist.html)にある271社はこのガイドラインに基づき広告制作掲載を行っていると思われるが、このガイドラインは指針として定められたもので、参加各社が独自に定める広告掲載基準が優先されるとのこと。

ユーザーとして気になるのは「誤操作を期待する悪質な表示方法規制はあるのか」「過剰な性表現はどこからがアウト・セーフライン」か、なのでそれらしい所を抜粋する。

(7) 反社会的広告排除

以下のような反社会的広告掲載すべきではない。

反社会的勢力 13によるもの

犯罪肯定したり、美化したりするもの

・ 性に関する表現露骨もの

醜悪、残虐な表現不快感を与えるもの

消費者等を騙したり、脅したり、欺もうしたり、惑わせたり、不安にさせたり 14

するもの

他者一方的攻撃したり、差別したり、嘲笑するようなもの

とある

具体的なバナー例が挙げられず申し訳ないのだが、

■読者を増やすためだと言えど…電子コミック過激バナー広告について議論http://otakei.otakuma.net/archives/2017012801.html

上記のように「エロ」「グロショッキングなシーンを切り取った漫画バナーもたくさんある。

性に関する表現露骨もの醜悪、残虐な表現不快感を与えるもの、には当たらないのだろうか。

2014年記事だがこんなのもある。

スマホの「エロ広告」はなぜ許されている?(https://lmedia.jp/2014/10/09/57020/

結局法律規制出来るものでもないし、各事業者団体広告掲載サイト自主規制に頼るしか無いらしい。

美少女キャラが胸をさらけ出し惚けた顔で「はやくきてっ…♡」とか言ってようが、

伏せ字で「ブスのま○○に…?!」の見出しとともにセックスしてようが、クリックする人が居て、その広告一定の効果がある以上規制はされないんだろうなあと思う。

「誤操作を期待する悪質な表示方法規制はあるのか」については、特にガイドラインに書かれてなかった。

ただ、Googleポリシー違反を報告することが出来る。

・ページに広告クリック誘導する内容が含まれている。

・ページに暴力的コンテンツが含まれている。

・ページに危険または中傷的なコンテンツが含まれている。

・ページにコンテンツと見分けにくい広告が含まれている。

・ページが大量の未承諾メール宣伝されている。

ユーザーパソコンに無断でソフトウェアインストールされる。

・ページが他の点で AdSense プログラム ポリシー違反している。

・ページに成人向けまたはポルノ コンテンツが含まれている。

・ページが著作権保護された第三者コンテンツ無許可配信している。

・このウェブサイトは、情報の開示およびパーソナライズド広告Cookie使用に対するエンドユーザーから同意の取得(法律義務付けられている場合)に関して、GoogleEU ユーザー同意ポリシーを満たしていません

おそらくポリシー違反していれば配信停止なり何らかの処置があると思われる。

「ページに広告クリック誘導する内容が含まれている。」とあるので、誤タップを狙って画面上から降りてくる、閉じるボタンを押そうとすると間違ってクリックしてしま場合は報告出来るはず。

Google広告以外にも、

各社広告バナー右上なり左上のinfoマーククリックすると「広告に関するご意見・ご感想フォーム」に遷移出来るものが多い。(無いものもある!)

広告の表示方法不適切」「広告画像文言不適切」などの選択項目が用意されているがあまり期待しないほうがいいと思う。

バナー配信広告掲載の際に何らかの審査があるはずで、配信されているバナー媒体審査を通ってるんだよね。

そのインターネット広告会社がそれで問題ないって倫理観だからしゃーない。

過激広告の報告・規制機能していない以上、ユーザーとして出来るのはアドブロックを入れることぐらいなんだけど、

倫理的に正しく運用されている広告まで完全にシャットアウトしてしまうのはコンテンツタダ乗りになるんじゃないか?という気持ちもありつつ、まあWEB広告が正しく運用されればアドブロック入れないしねっていう。

テレビCMのように数多くの人の目に触れるものでも無ければ、ポスターのように公共の場不特定多数の目に触れるものじゃなかったんだろうけど、これだけインターネットスマートフォンが普及して来た今、もう看過出来ないと思う。

各社の自浄に期待したいところだけど、

アドブロックを入れるだけじゃなくって消費者積極的に声を上げて気づいてもらうしか無いのかなあと思ったりした。

anond:20190110155707

そういう場合もあるだろうけど

FBでもやべー奴はやべーし、顔を突き合わせた場の方が過激なことを言う人もいるしケースバイケースでしょう

anond:20190110141038

お伺いしますがあなたMtFトランスの方ですか?

議論関係ない質問には答えません。

不勉強ながら自分MtFトランスを名乗りつつそこまで過激な主張をなさる方を存じ上げません。

自分元増田言及した、典型的な「無知偏見にまみれたMtFトランス」という虚像の流布に感じますが。

えーと、自分の主張のどこが「過激」で「無知偏見にまみれて」るんですか?自己紹介ですか?

ただ当たり前に風呂に入る。この目的のどこが人を怖がらせる意志なんですか?

anond:20190110140216

お伺いしますがあなたMtFトランスの方ですか?

そうでない場合MtFトランスの方は本当にあなたが思うように考えているとお考えですか?

不勉強ながら自分MtFトランスを名乗りつつそこまで過激な主張をなさる方を存じ上げません。

自分元増田言及した、典型的な「無知偏見にまみれたMtFトランス」という虚像の流布に感じますが。

anond:20190110132851

それ結局トランス側がおとなしくしている限りはしょうがいから許容しますよってだけの話であって

ゲイパレードしてるLGBTに向かって「ああやって公共の場で騒いだりしなけりゃ嫌ったりしないのに」って言ってるのと大して変わらないと思うんだけど

だいたい、社会運動なんてものは得てして既存社会秩序に対してラディカルな形を取るものであって、そういう過激運動だって自分関係いからって今までずっと許容してきたんじゃないんですかねえ、クソフェミの皆さんは?

新聞に投書したら知らない婆ちゃんに合わされそうになった話

中学時代新聞に投書した。

普段老害丸出しのうるさいジジイ読者ばかりの投書欄が週に一度だけ小学生から高校生の投書のみ掲載する日があり、

ある日暇潰しで読んでたら俺と同じ中2の投書で「ぼくは、お米が好きです。お米は日本人の誇りだと思います」なんていう誰でも書ける幼稚でアホみたいな作文が乗っており

このレベル掲載されるなら俺も楽勝だろう、と掲載されたら貰える図書カード3000円目当てに送った。

もともと深夜の芸人ラジオ雑誌読者投稿大喜利コーナーで度々採用されていたので、こういうのは採用される自信があった。

俺は、それが学生時代青春と言い切れるほどお笑いが好きで、小学生の頃から爆笑オンエアバトルを毎週チェックして漫才コント落語にのめり込んでいたのだが

小学校時代めちゃイケワンコーナーしりとり侍」での、しりとりに失敗すると袋叩きにされるという演出批判され放送中止になるという出来事があり、

それを元に「俺はお笑いが好きだが、これは暴力であって笑いではない」みたいなことを国語の作文の授業で書いたら

矢鱈と先生にウケがよく、プリントアウトされ全校生徒に配られ、それをもとに議論するみたいな特別授業までやらされて、「大人が求める文章」というのもなんとなくわかっていた。

で、小学校の時に書いた「お笑いは好きだがバラエティーの暴力描写ダメだ」的な内容を中2なりにリライトしたものを投書したら見事に採用され、俺の投書が朝刊に掲載された日、学校に行くと国語先生担任が滅茶苦茶テンションあがっておりべた褒めされた。

自宅にも、普段滅多に合わない色んな親戚から電話が次々かかってきては褒められた。

大人子供に書いてほしい文章」というツボを見事に捉えた。

数日後、新聞から待ちに待った図書カードと共に編集部による俺の投書への評が届き、

「きみの観察眼は見事だ、思い起こせば今のテレビお笑いがこうなったのはタモリが登場してからであり~」で始まる、終始タモリdisをしている謎の内容で

「いやいや、確かにタモリもドッキリ特番の司会やってたみたいだけど、バラエティー番組を過激にしたのはどちらかって言えばたけしでしょ」と、編集部オッサンはどこかズレていると思った。

そんな俺の周りでの新聞投書フィーバーが過ぎ去った数週間後、自宅に新聞から電話があり俺と話がしたいと言ってるとかで、何事かと電話に出てみると

「あるお婆ちゃんの読者から問い合わせがあって、戦争とき友達漫才をやって周りを明るくしていたらしいんだ。お笑いも好きだし、ぜひきみと合ってその話をしたいと言っている。その様子を記事にしたい」

えー!無理無理無理!!知らない婆ちゃん戦争の話聞かされるとか無理!絶対寝る!1ミリも興味ねえ!拷問

いや、そりゃ戦争の話聞いた感想書けって言われたら、大人が望む文章は書けますよ。

でも投書と違って、行っても何も貰えないっていうし、何が悲しくてただただ知らないババア戦争の話聞かされなきゃならんのだ。俺はボランティアじゃねえぞ!新聞に俺の写真が載るのも御免だ!

そんな何の魅力もない誘い話、乗るわけないじゃない。電話の向こうの記者はえらく食い下がったけど、とにかく断った。

後日また新聞社より電話があり、「実はそのお婆ちゃん20歳の孫がいて、最近漫才師としてデビューしたらしいんだ。そのお孫さんときみとで、漫才をしてほしいらしいんだ。その様子を記事にしたい」

いやいやいや!この前の話より更に地獄度が増している!

知らない婆ちゃん戦争話聞かされて、デビュー間もない若手芸人だという孫と、どうせウケる訳もない寒い漫才させられて、何の報酬もない割に俺の労力がえぐい

だいいち、俺中2だぞ。相手二十歳だぞ。そんな知らんガキと漫才しろだなんて、向こうも困るだろ!芸人とはいえ、知らん兄ちゃんと急に対面させられても何喋っていいかわかんねえし!

無茶振りがすぎる。

もちろんお断りし、記者も食い下がったが長い押し問答の末ようやく記者も諦め、そこから電話が来ることはなかった。

どんだけ記事ネタ不足だったんだ。

まあ、日々平凡に暮らす中高生諸君にとって、急に大人たちから褒められる新聞投書は面白いのでオススメしたい、と言いたいところなのだ

今の時代そもそも新聞とってる家庭がないもんな~。

ネット文章書けるような学生学生に限らずみんなもね!)は、何かしら投稿すると良いことはあるし面白いからやってみると良いよ~。

2019-01-09

海外デモ見て「日本人大人しい」という人

ハンガリーデモ1万人ぐらいしかいねーじゃん。日本沖縄集会安保の時の国会デモは少なめに数えても3万人いたらしいじゃん。主催者発表ではもっと多かったらしいが。

フランスデモだって火炎瓶投げたり店を襲撃してるのは僅かで殆ど普通デモ

もっと過激にやれ!とか言って煽ってる奴らはただ暴れてみたいだけのやつだろ。渋谷ハロウィン事件に苦言を呈してるけど実は羨ましいと思ってるだろ。

安保闘争とか成田空港反対運動見て憧れちゃったのかな?「暴力必要」とかイキってる弱そうな中核派同類かな?

暴力煽ってる左派の人たちは実際何かあったら火炎瓶投げるのか?

「よくやった」とかいってツイッター投稿するだけじゃダメだぞ?指揮官気取り、記録者気取りはダメだぞ?

お前も戦うんだよ!!!

2019-01-06

anond:20190106041457

バッジだと逆上して嫌がらせする人とか出てこないのかね。

デザインもっと過激でもよさそう。

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