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はてなキーワード: であるとは

2018-10-18

ピンふり偉人名言

まだノベライズ買ってない(そのうち買う)からしかしたらそちらにはきちんと収録されているのかもしれない(ノベライズ担当原作者令丈ヒロ子は内容を大幅に変えてしまったと脚本吉田玲子に謝ったらしいので入ってないかもしれない)が、みんなピンふりピンふり言う割に名言ネットに残していない。名言好きっていう属性は事前告知チラシにもピンふりのプロフィールとして載っているが映画若おかみは小学生!」でピンふりは4つしか偉人名言を喋っていない。

「私はこの社会に いやこの宇宙に衝撃を与えたいの」by スティーブ・ジョブズ

「習わしは万物の王」 byロトドス

「我の心に聞くな 心に教えろ」by トルストイ

「夢見ることができれば、それは実現できる」by ウォルト・ディズニー

この中で世の中(≒ネット)にある言葉そのままなのは一番最後ディズニーのものだけである。ヘロトドスのものは若干言い回しが違う。トルストイはこの名言のものがあまり広まっていない(≒検索しても見つからない)。スティーブ・ジョブズ名言も前半はジョブ自身が言ってるわけではなさそうだ。ただそれだけに、ピンふり本人は自分言葉を言いながら偉人名言を思い出しているのではないかとも思われる。ちなみに4つの名言のうちヘロトドスを除く3つまでがおっこに対して使われた言葉であり、もてなしに行くおっこを送った際に励ましに使ったディズニーのものを除く2つは学校教室で話している言葉である。「わたし普通ってものに埋もれたくない」と言って「時と場所にふさわしい衣装」なるもの否定した割にはTPOには敏感とも言える。なお「普通」という言葉に関しては関峰子もまた「普通なんて曖昧ものさしでお客様を計ってはいけない」と否定している。花の湯温泉でおかみとして働くには「普通」に反するこだわりは必須のものなのだろう。

anond:20181018131354

でも別にヒロイン日本人にはなってなくない?

スコットランド人であることはそのままだったよね?

朝ドラの「まんぷく」の主人公日本出身になってんの?

インスタントラーメン開発した安藤百福って台湾出身の人だよね?

途中で日本国籍取得したか日本人だけど。


Twitter検索したらなんかドラマ中で一切台湾人であることに触れてないように見えるけどこれどうなってんの?

あとで「実は彼は台湾人であった」とかで結婚のあたりでドラマチックに展開するとかいうならまぁわからんでもないが。

虐めに関する意見ダウンタウン松っちゃんが叩かれてるようだけど

内容云々よりか、叩く人間情報番組というものを、そもそもまったく理解していないよね。

叩く人々はニュース番組などにおける、コメンテーターが何の為に居るのか知っているのだろうか。

あの人たちの役目は単に、ニュースの詳細を解説することじゃない。

解説をするなら専門家を呼べばいいだけの話だから

ではどうして、コメンテーターなるもの存在するのか?

それは、一面的見方排除するために居るのであって、ニュースを見る人々へ多面的にも物事を考えることを促し、熟考してもらうために存在している。

故に本来コメンテーターとは一種天邪鬼役割必然的に背負う必要があって、朝のニュースや昼のワイドショーにおいて、世間一般の声と同様のことを意見しそれで満足しているコメンテーターなどこそ、本来役割果たしていないのであり、存在価値は皆無。己の保身に走って、叩かれ炎上することを恐れて月並みのことを言い、市民感情を我が物顔で代弁する。そんな奴は糞だ。

思考における余裕とゆとりを持たないことは洗脳されていることに変わりなく、自分と違う考えや世間意見との相違には「はいあなたは異常です」なんていう社会ディストピアといって齟齬はない。

例の自殺に関しての、被害者を攻め立てるようも聞こえる松っちゃんの論説は、なるほどなかなか刺激的ではある。

しかしそこには確かに真理性が感じられるし、寧ろ頭の回転がよい彼ならば、このようなことを言って「批判され、炎上するだろうな」ということがわからないはずもなく、当然それがわかった上での発言であるように感じる。

すると炎上も恐れず忌憚なき意見を発したその姿勢こそ、咎めるべきではなく褒めるべきでは?

情報はすぐさま拡散し広まること火の如し。そんな世においては、公の場での発言こそより慎重に成らざるを得ない。

かといって保守的なことばかりを言っては意味がない。

その微妙な按配をつく、実に的確な発言だったように思えるのだけどなあ。

いい加減テキストエディタプログラムを書く悪習はやめた方が良い

今はコードを書く苦労がIDE支援によって軽減されている。

MS製のVisual Studio Codeを使えば、MS言語TypeScriptも苦労せずに済む。

 

http://www.atmarkit.co.jp/news/200711/07/techday.html

Emacsは30年前には、すばらしいものだった。しかし、Emacs消滅すべき。現在Emacsが30年前のものと似ているのを見るのは、何だか寂しい」。

Javaの生みの親であるジェームスゴスリング氏は、UNIX上で標準的に用いられてきたテキストエディタEmacs開発者としても知られている。

ゴスリング氏は最近コンパイラや開発環境進化について触れ、「もうテキストエディタを使ってはいけない。NetBeansを使ってほしい」と語りかけた。

viIDEがない環境での緊急手段

 

anond:20181018101849

anond:20181018111901

こんにちは日本語警察です。

うまい」(旨し(古語))は、「甘い」を語源とする一般的食べ物の「良い味」を意味する言葉で、「うまい」というのは特に下品言葉でもなければ失礼でもありません。本来現代でも普通に使われて良い言葉です。

対して、古語「美し(よし)」を語源とする女房言葉だった(「よし」→「いし」に、美化語である「お」が付いた)「おいしい」は、その発生から女性使用して上品に感じさせる言葉」としての歴史をもっています。年配の方の一部では、女性語と受け取る人もいます

まり女性による「うまい」の使用がやや乱暴に感じられるのは、一般的に用いられる女性語としての「おいしい」をあえて選ばなかった、という言外の意味が生じるように受け止められるからでしょう。一方で、「おいしい」を女性語と感じない(単なる「ちょっと丁寧な言葉」と思う)人が増えた結果、「どうして女性が使うと下品に聞こえるのか」が分からなくなった、というのが今回の文脈ではないでしょうか。

なお、明治文豪等は、そもそも食べ物の味について云々すること自体をケシカランことと思っていた節もあるようですが、それを表現する際には、地の文男性語としてはおおむね「うまい」が選ばれていたようです。その後の用例をみると、明治末ごろから大正にかけて、女性作家児童文学作家などの文章普通に「おいしい」が用いられるようになっており、その辺り(時代場所から男女問わず用いられる今日の「おいしい」の用法が広まったのではないかと推測されます昭和に入ると、特にカジュアル口語表現において、男性場合も「おいしい」を使う例が増えているようですね。そこでは「うまい」はやや古風な表現という受け取られ方をしているようで面白いです。

anond:20181017114836

キャラクター化と既存キャラ女体化は違う

そもそも擬人化刀剣乱舞艦隊これくしょん偉人キャラクターであるFGO手塚キャラ美少女化を並べちゃだめじゃない?

ブラックジャックという設定の確立しているひとつキャラクターを、その設定を無視して美少女にされてるからいい顔ができないんだよ

原作へのリスペクトが足りない」っていうのはBJならBJになぜツギがあるのかっていうのを踏まえてないってこと

これを手塚プロがGO出したっていうのも信じたくない話であるけど、まだ詳細の設定が明らかになってないからただの設定無視女体化じゃないことを祈ってる

岡口Jの分限は残念でもないし当然

東京高裁岡口基一裁判官について最高裁戒告分限処分を下したことについて,法曹界からは岡口氏を擁護する言説ばかり喧伝されているので若干のコメントを。

彼の擁護者らは,裁判官自身表現の自由無くして市民表現の自由を守れるのか云々などといった声を上げる者がいるけれども,もしかかる主張が,裁判官特殊地位に鑑みて裁判官私的表現の自由一般市民のそれよりも強く保障されなければならない,という意味だとすれば,全くの失当である裁判官表現行為について,憲法保障する表現の自由によって保護されるべきであることは言うまでもないが,裁判官はその職責上,品位を保持し国民の信頼を得ることが何よりも求められており,その職責の点から私的行為についても一定節度あるいは限度があるというべきであり,その意味では,裁判官身分との関係では裁判官私的表現の自由一般市民のそれよりも制約されると解さなければならない。

要するに,表現の自由と言ったところで,およそどのような表現を行うことも自由であるかというと,そんなことはない。

たとえばもし仮に,現役裁判官が,Web週刊ポストの「都内の人気公立小学校 小渕優子の息子のクラス学級崩壊」という記事リンクとともに,

小渕優子の息子が一番暴れてたりして(^_^)

http://www.news-postseven.com/archives/20180309_658021.html

8:15 AM - 9 Mar 2018

Twitterに投稿した想像してみてほしい。上記ツイートは,公人でもない一人の児童について,それが政治家の子であるというだけで,個人特定して揶揄するものであり,憲法禁止する門地に基づく差別表現である。仮にこのようなツイートを現役裁判官投稿したならば,裁判官人権感覚ひいては司法制度に対する国民の信頼が害される。これが戒告で済めばむしろいくらいである。

このように,裁判官ツイートには一定節度限界がある。彼の支持者らは,この前提から争うような主張を繰り返すのであるが,全くの失当である

以上を前提に検討するに,本件で問題とされたツイートは下記の通り。

公園放置されていた犬を保護し育てていたら,3か月くらい経って,もとの飼い主が名乗り出てきて,「返して下さい」

え?あなた?この犬を捨てたんでしょ? 3か月も放置しておきながら・・

裁判の結果は・・

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180517-

なお,「裁判の結果は」元の飼い主である原告の勝訴である

通常の理解力を有する一般人上記ツイートを見たときに,「岡口氏は原告請求が不当だと思っているな」という感想を抱く者が,10人中1人もいないと,言えるであろうか。

岡口氏は,上記ツイートは単に両当事者の主張を要約したに過ぎない,リンク先に対する予告編でありリンク先を読めば原告勝訴とわかる,すぐに消したか問題ない,自分裁判官であるとは明示していない,等と反論している。

しかし,原告の主張については「返して下さい」と鉤括弧を付けているのに対し,岡口氏が言うところの「被告の主張」には鉤括弧がなく,むしろ情感を込めた独自表現になっている。

(鉤括弧がなくても自身見解ではない,との言い訳をするためであろうか,岡口氏はしばしば,彼の好みに適う他人表現を,引用であることを明示せずにTwitterFacebook投稿する。)

このツイートを見たときに,「え?あなた?この犬を捨てたんでしょ? 3か月も放置しておきながら・・」という表現が岡口氏の意見であるとの印象を持つ人がいたとしよう。岡口氏や彼の支持者らは,そのような理解をした人は知能が劣るかあるいは精神異常者であると言うのだろうか。

もしそうでないとすれば,上記ツイートは,相当数の一般市民に対して「高裁裁判官から見ておかしな主張をする原告がいる」との印象を与えるものであることを認めなければならない。リンク先まで読めば,高裁判事である岡口氏が地裁判決をも批判しているとの印象を抱くであろう。

本件ツイート上記欠陥は,岡口氏やその支持者が大量の紙幅を費やして弁明したからといって治癒されるものではない。むしろ説明に大量の紙幅を要していること自体が,本件ツイートの欠陥を如実に示している。

そして,一般人ツイッター閲覧・利用方法を前提とした評価は,ツイートスクリーンショットのみから判断可能できるから最高裁としては,それ以上の事実関係に関する資料の提出を求めて審理を継続する必要は無いであろう。なお,分限裁判性質上,職権探知主義妥当するものと思われるが,岡口氏の本件に関する近時の言動や,情状資料としてのその他の事情収集されなかったのは,むしろ幸運ですらある。たとえば岡口氏がChange.orgでの署名集めを試みたがごときは,あたか裁判官署名証拠価値を高く評価するかのごとく受け取られかねない(署名基本的多数決原理であって,司法と相容れない)。署名目標である100人に達せず,証拠提出しなかったのは,国民司法に対する誤解が未然に防がれた点で幸運であった。

なお彼の支持者らは,本件の分限裁判結論をもって裁判官表現活動が萎縮する等と声高に叫ぶ。

しかし,そのような宣伝活動はあたかも本件分限裁判裁判官表現活動を厳しく制限たかの如き誤解を広めるものであって,却って裁判官表現活動を萎縮させること大である

彼の支持者らこそ,決定書の末尾2段落音読してほしい。

5 ちなみに,現役裁判官が,ツイッターにせよ何にせよ,SNSその他の表現手段によってその思うところを表現することは,憲法保障する表現の自由によって保護されるべきであることは,いうまでもない。しかしながら,裁判官はその職責上,品位を保持し,裁判については公正中立立場で臨むことなどによって,国民の信頼を得ることが何よりも求められている。本件のように,裁判官であることが広く知られている状況の下で表現行為を行う場合には,そのような国民の信頼を損なうものとならないよう,その内容,表現選択において,取り分け自己を律するべきであると考える。

 そして,そのような意味での一定節度あるいは限度というものはあるものの,裁判官も,一国民として自由表現を行うということ自体制限されていないのであるから,本件のような事例によって一国民としての裁判官の発信が無用に萎縮することのないように,念のため申し添える次第である

  平成30年10月17日

    最高裁判所大法廷

ママ達のカースト

子供が出来て保育園に預けるようになってからママ達のカーストが出来た。

ざっくりいうとイケてるママ達は大きい公園でたむろして他のママ批判をしたりするようになり、他のママ達はイケてるママに脅えるようになった。

イケてるママの一員が私のパート先にいるけど、イケてるママ達の一員という謎の自信かどうかは分からないがとにかく偉そうで嫌われている。

私のママ友のママ友はそのイケてるママ達のグループにいいように使われているらしく、結局大人になっても学校と同じような関係性になるんかい辟易としている。

動物である以上仕方ないことなのか。

なんにせよ謎な集団なので関わりたくない。

まあ都会じゃないし、狭めの地域だし尚更なのかな。

大都会ではこういうママ達のカースト無さそうに見えるけど、どうなんだろう?

anond:20181018093634

極論厨。

元増田は「この程度の改変は他でもやっているだろう」=「この程度の改変ならば許されて然るべきだろう」と言っているのであって、

「あらゆる改変は許されるべきである」と言っているわけではない。

ビ・ハイ社長清水有高って誰かに似てる

パワハラ殺人したとして訴え起こされてるビ・ハイ社長清水有高の

twitter垢(https://twitter.com/monthlymansatsu)見てたら

「あれ?これすっごい誰かに似てるな誰だろう」って思って昨晩悩んだんだけど

今朝起きたらわかって。



でもその似てる人は誰かを傷つけたわけではないか

長年悪質に人を搾取し死に追いやったと訴えられてる人に「似ている」っていうのはちょっと申し訳ないので

からこうやってネット井戸である増田に書くんだけど。


意識の高い寝言の連打、自分大好き、虚栄心が強い、そして何より顔。

Tehuさんじゃん、これ。


ただアレと比べるとTehuさんの善良さや育ちの良さが分かるっていうか

Tehuさんがあんなに豊でない育ちで自己顕示欲以外の渇望も強いとアレになるのかなって感じ。

女子高生社長といい、当人結構アレでも育ちが充たされてると本当に下品なとこまでは行かないのかなって。

やっぱ親が太いって強いわ。(凡庸感想で終わる)

anond:20181018091736

それもかなわないような窮迫の事態

であるかどうかについて認識差異があるとあとで揉めるから、本当に窮迫の事態なのかその場で議論して合意形成するべき。

anond:20181017185657

その友人は「丼物」が男性社会において最適化された食のありようだと考えているのかもしれない。

だって丼物って、その形態どんぶりを手に持って掻き込むように食べるファストフードから一般的に体格の劣る女性の手では、どんぶりを持ち上げるのも辛いし食べにくい。口のサイズ的にもつらい。結果として、男性なら一口にほおばって食べられるご飯の上の具をちまちま小分けしたりかぶりついてかみ切ったりする見苦しい食事行動を強いられ、また、持ち上げられないどんぶりテーブルに置いたまま犬のように食べる屈辱的な姿勢強要されることにもなる。このような丼物が安価で広く提供されており、これを避けると自社近くでの食事選択肢が大きく減るのは、男性原理社会の表れである

その友人が男性女性か分からないが、その人が「女性丼物を食べている光景が許せない」のは、このような屈辱的な状況を女性に強いている社会への憤りである可能性はないだろうか?

…とまあ、無理矢理擁護するとしたらこういう方向かな、という練習

anond:20181018020544

いまの世の中では「皆」という言葉を発するとすぐに「皆って誰だよ」とか「多数派専制」とか言い出すのが出てくるが、社会生活を営む以上皆がどう思っているかというのは重要なこと。

「皆」が本当に皆なら重要なことでしょう。

ところで性嫌悪お気持ち規制派が「皆」であるというエビデンスはあるんですか?国民投票でもやったの?



そして「皆」がどう思ってるかが重要なのであれば、「皆」がいらないと判断した人間属性社会から排除しても構わないってことか。

人権とはなんだったのか

anond:20181018082326

ああそれは確かにそうだな。不用意なこと言った。

じゃあ、女性は男の三歩後ろ、とか?

要するに「常識を守れ」は保守思想であって、リベラル否定であるということ。

表現の自由戦士と戦う上では、そりゃあ保守思想から行ったら楽だけど、ほかのフェミニズムリベラル部分が丸ごと失われてしまう。

(ほらね、現にもうそういうレスがついた)

anond:20181018081613

女体化男性だったものが変化して女性になる過程を言うんだよ。

同人界隈だと、それは「TS」で、

女体化は「元は男性キャラ先天的女性である別のキャラとして描く」と言う意味で使われる方が多いよ

anond:20181018073515

買い物時の移動距離、すなわち交通費が同じであるならば、その考えは妥当

[]鷲尾英一郎衆院議員中原八一支援へ(新潟市長選)

10月18日新潟日報朝刊より。

「国政のような与野党対決を持ち込むべきではない」という理由

衆院内閣不信任決議に反対するなど、与党行きの方向性示唆されており、本件で確定事項となったと見て良いだろう。

民進党右派と見て良かった鷲尾議員強硬反共であるが、この選挙では無碍に扱われているという向きもある(ツイッター等をチェックしても小柳聡をいやいや応援している感じ)。

与野党対決のかたちであるが、共産党色がそれほど強いように思えない。情のある旧民進党陣営の動揺が懸念される(新潟2区に含まれ西蒲区の重川隆広県議中原ではなく吉田支持)。

訴えの中心は少子高齢化中心部活性化対策などである

岡口裁判官擁護する人へ

普通の人が「法律」に対して抱くイメージは矛(ほこ)ではなく盾(たて)だろう。

法律とは悪者から自分を守ってくれるための盾であると。

岡口裁判官もそう思っているのだろうか。

岡口裁判官擁護する気になれない人は、法律を盾として信頼している人なのだと思う。

岡口裁判官ツイートによって傷ついた人を岡口裁判官から守ってほしいというのが、岡口批判派の願いである。

一方で岡口裁判官擁護する人々は、法律を矛として使っているのではなかろうか。

本来人権平等は〈悪〉から人を守るための盾であって、矛としてむやみやたらに流用されるべきではない。

岡口裁判官擁護できない人は、彼らにとっての「自由」が、その盾としての機能を逸脱していると感じているのではなかろうか。

anond:20181014094842

許されない集団犯罪であると同時に、警察マスコミ不祥事であると考える。

なおその後は、同規模の犯罪は許していないし、ドイツ治安崩壊してもいない。移民治安悪化の要因となっていることは確かだが、一般フランスイタリアに比べてドイツ治安はよい。


凶悪犯罪は許されず、その防止に行政は手を尽くさなければならないという前提の上で誤解を恐れずいえば、犯罪の防止は必ずしも国家至上命題ではない。もし犯罪防止のためにあらゆる犠牲肯定されるのなら、日本技術力なら国民全員をICタグGPS管理することが可能で、確実な犯人逮捕犯罪抑止に貢献するだろう。もちろん日本国民治安を重視して移民を受け入れない選択をするのは自由であり先住民権利であるが、事件が起きたからといって経済や人道(あるいは世界への自国の貢献のアピール)を重視したドイツ判断安直馬鹿にできるものではない。

anond:20181018024458

いくら額に汗してもお前は「働かざる者」だけどね、ホワイトカラーである限り

好きなジャンルの中に苦手なキャラができてしまった

題名のとおり、長年追いかけてきた大好きなジャンルの中に苦手なキャラができてしまった。

あえて作品名は出さないけれど、わかる人には一瞬でわかってしまうと思う。詮索はやめてほしい。

そのキャラは、新アプリサービス開始に伴い実装された。

結構長く続いているジャンルなのに、このタイミングで新キャラ?と不思議にも思ったが、まあ、既存ユーザーだけでなく、新規ユーザーも取り込んでいくためには必要戦略だろうと解釈した。

元々が大きなジャンルであるために、今更入りづらいという意見も多々見かけるし、結果この新キャラの追加はジャンルの発展に大きく影響を与えたと思う。

当初はその新キャラについても可愛いなくらいの感想しか抱いていなかった。し、自分には元々好きな子がいたからそれだけで満足だったし、わざわざ新キャラの掘り下げもしなかった。

しかも、元々あったポチゲーとその新アプリで、キャラストの内容に食い違いがあったから、新アプリのイベストもメインストも全て読み飛ばしていた。

これが苦手になってしまきっかけの一つでもあったと思う。

ある日、新しい形式イベントの開催が発表された。

それは、運営が用意したストーリーと役に、既存キャラ達の中からピッタリの子を選んで投票して役を争うという形式のものだ。

その中に、あった。

まさに自分の好きなキャラのために用意されたといっても過言ではない程の、ぴったりとか適役とかそんな陳腐言葉では片付けられない程の役があったのだ。

私はもちろん、その役を絶対に取ってやると思ったし、そのためにできる努力は全部した。

学校勉強だってアルバイトだってそっちのけで、今まで以上にのめり込んで投票権を集めた。

実はこのイベント、どのキャラファンがどの役を狙っているのか分かった段階で、またはその役にはそのキャラしか合わないだろうという意見が多くあった時点で、ほとんどそのキャラ当選は決まったようなものなのだ

ファンは全力で役を取りに行くし、それ以外の人たちもその子がその役をやるところが見たいから。

今までもそうだったのだ。「役を譲る」という風潮が、少なからずこのゲームにはあった。

しかし、今回はそこが盲点になった。

結果として、その役は取れなかった。

まさか絶対に取れると思っていた役に割り込んでくるなんて。

当時は「なんで?」という感情しかかばなかった。

私の好きなキャラには、何年間もかけて積み上げてきた歴史があるのだ。

その歴史が、今回のこの役を絶対に取れと言い聞かせてくる。

キャラが、この役をやりたいという声が聞こえてくる。

そのために、この役を諦めた子もいた。

それなのに。

それなのに。

ぽっと出の、1年間も存在していないキャラにその座を奪われようとしている。

そんなことが許されるはずがないのだ。だって私たちは、絶対にこの役を取らなければいけないのだから。それは絶対だ。絶対で、必然で、宿命なのだ

それなのに役は取れなかった。

自分のやってきたことに後悔はない。やれるだけのことは出来たと思う。周りの知り合いもみんな、全力を尽くしていた。

結局は、「向こうの方が人気だった」。ただそれだけなのだけど。

たかが人気なだけで、あの役を取られてしまったのだ。

私達は全得票数殆どをその役につぎ込んでいたのに。

向こうは全部の役の上位10位に食い込みながら、この役を奪った。

どうしてこの役でなければならなかったのか?

もっと他にもたくさんの選択肢があったのに…

あん付け焼刃の設定だけで…

付け焼刃の設定というのも、私が新アプリにおけるキャラクター展開に全くついていけていなかったので、もしかしたら本当はそういった話があったのかもしれないが。

それに私は声優言動から発展させたネタが嫌いだし、それをキャラクターに反映されるのも大嫌いだ。公式ネタとは到底思えないし認めることもできない。

今でも結果発表の瞬間を思い出すと視界が歪む。

差をつけて奪われた1位の称号

自分が全てをかけてつぎ込んだ投票数の何千倍、何億倍にも見える相手得票数

あれ以来、そのキャラが苦手で苦手で仕方なくなった。

キャラ自体は全く悪くないのだ。全て私のわがままだ。それでも、どうしても好きになれなかった。

ライブの時にも、そのキャラの出番がきた時には席を立ってしまった。そんな自分が嫌で嫌で仕方なかった。

自らの中で生まれしまった確執のせいで、たかが2次元キャラクターの顔すら見られなくなってしまった。こんなの普通じゃない

今回この文章を書くきっかけになったのは、役を争ったイベントの開催日程が明らかになったこと。ライブの再上映が決まったことにある。

ここまで書いたらもう、ジャンルも好きなキャラも苦手なキャラも知れてしまったようなものだが、ここはネットルールに従って最後まで伏せることにする。

ライブの再上映には、参加する。

イベントにも、参加することに決めた。

これを機に、自分の中にあるモヤモヤ払拭したいのだ。

これからジャンルに関わっていくために。

これからも好きでいるために。

私の好きなキャラからあんなにも見事に奪い取った役なのだから最後まで鮮やかに演じ切らなければ許さない。

学校ってなんで批判しかされないんだろうか

ふと思っただけなんですけど、ネット見てると"学校"ってボロクソ言われすぎだと感じるんですよ。

授業だめ、教師だめ、組織としてだめ、そんな話ばかり。確かにそれらが実在するのは本当だと思う。

自分経験したことあるし。

からといって塾や予備校のほうが断然マシというのもちょっと違うと思うんだよな。

そもそも学校と塾予備校性格が違うものだし。大学研究機関の側面が強いので置いておくとして、小中高は知識を得るためだけの場所ではなくて、人間としての在り方を試行錯誤するための場所なんじゃないですかね。

多種多様人間が一堂に会して、体当たりでぶつかって、ある程度の失敗が許されるのって、小中学生までじゃないですか。

そこで失敗することで、ひとつひとつ精神的な発達をしていくんだと思う。

もちろん、度を越した言動児童生徒がしたときには教師指導する必要があると思う。

その部分に関して言えば、大抵の塾や予備校では指導されないですよね。

あと、小中学校までは義務教育で、高校義務教育ではない。すなわち、中学校卒業した段階で社会人とも言えると思ってて。

からこそ、中学卒業するまでにはある程度の人間ができているような、学校はそんなふうな教育をする場であるんじゃないんですかね。

もちろん家庭がするべきこともあるが、例えば集団としてどうするべきかだとか、教科の枠には収まらない教養的なものだとか、そんなものを学んでいく場なんじゃないですかね。

言いたいことこんがらがってきたが、要は学校というものが余りにもボロクソに言われすぎだと感じるから、少しくらいは擁護する意見だってあっていいんじゃないの、という話でした。

友情努力勝利

ドラゴンボール最終回を看取ることなく他誌派に転向した私にとって、ジャンプの三大要素は「正義超能力勝利」であり「打ち切り・引き延ばし・闘技場」である

そんな私にとってジャンプマンガ努力とは超能力必殺技とか)を身につけている理由説明したものにすぎず、努力意外の魅力的な理由があればそれで代替可能であったりするし、そもそも作品なりキャラなりにその不足を補って余りある魅力があればそんなもの不要だったりする。「努力していると言えば努力してるけど、それが作品の魅力に貢献してるかと言われると……」という人気漫画は多い。

「その意味で言えば強豪校になるというのは立派な超能力だろ」と言われるかも知れないが、主人公特権的な才能を与えずちゃん友情努力勝利作品を引っ張ったジャンプの人気漫画ちばあきおキャプテンぐらいだと私は思う。

異論しか認めない。

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