はてなキーワード: であるとは
容姿を数値化して差別を可視化する、といった手順自体にモラルの問題があるので
すると、差別的な傾向があるかどうかはそれを公言しなければ問題にならない事が多いので、ある文脈では差別していない、という建付けで差別をすると得をする、というケースが増えそう
このとき、容姿が優れないことで損をする人にとって、建前上容姿による差別がない世界とある世界はどう違って見えるんだろうか
例えばお見合いで容姿を理由に断られるときに、差別的な人間から容姿が原因であると明言されるのと、差別的ではない人間から現在差別が許容されている要素、例えば性格の悪さなどを建前で伝えられるのとどちらが良い世界なんだろうか、といったことを考えている
記者会見で「マナーを守れ」というと、取材対象(今回はジャニーズ事務所)に対して手心を加えろという意味だと思って反発する人がいる。
マナーは同業に対してのものである。一社が質問時間を独占して、他社の機会を削るなということだ。
各社が少しずつ別の質問をすることで問いが多角的になり、視聴者の「知る権利」に資するということも(理想的には)ある。それが合同会見の意義だ。
単独で突っ込んだ追求がしたければ自分であらゆる機会を捉えて追っかければいい。取材ってそういうことだから。なんで合同会見の場でしかコンタクトできないかのような話になっているのか。
もとより記者会見の場は糾弾イベントではない。というのは「糾弾するな」ということではなく、当日その場で張り切ったって、ただのスタンドプレーにしかならないということだ。
「望月記者の人柄は信用ならないが、こういう時の鉄砲玉としては使える」
「事務所側のルール設定に従順に従っていても真実を暴くことは出来ない」
近年、文春が無双してるのは、いやらしいまでに外堀を埋めつつ戦略的に事実を小出しにする、スキャンダリズムの老舗ならではの老獪さによる。
較べて望月は【世の中で騒がれたことを後追いで騒ぐだけの素人】でしかない。
あれがもし毒にも薬にもなるトンパチな奴だったらジャニーの存命中に訴訟リスクもなんのそので追いかけ回していただろう。組織に属することの最大のメリットだ。
注意 性虐待に関連する記述があります。前回より多めです。フラッシュバック等がある人は注意してください。
甘えの再投稿。
思うところがあったので追加記事を投稿したが、びっくりするほど読まれなかった。それならそれでいいやと思っていたが、思うところ2が発生したため追記に加筆し再投稿を決めた。
感情に任せたいのであえて堅苦しい文体を取っ払う。めちゃくちゃな文章でいい。論点がぶれてもこの際どうでもいいわ。
俺はいま腹を立てている。元塾講師(とされているアカウント)が俺の大好きな児童向けアニメが好きで、当該アニメの入浴シーンを守る馬鹿げた署名なんかやってて、世間に「やっぱ表自は小児性愛者、犯罪者予備軍」なんて言われてることに。あんな奴と小児性愛以外の共通項があるなんて知りたくなかったよ。
難しいことはよくわからないけど、作品の対象年齢に応じてゾーニングは必要だと思っている。児童向け作品から性描写が淘汰されるのは必然だと思う。人権意識が高まる昨今、元被害者の視点ではようやく子供も一人の人間として扱われるようになってよかったと感じる。
いや、俺だって小児性愛者だから、そういうのに興奮しないわけじゃないよ。もう隠すのも面倒だからタイトル出しちゃうけど、幼少期観た大山ドラの「未来の街が危ない‼︎」でのび太が服を破られて全裸になるシーンが頭の中に焼きついて布団の中で何度脳内再生したかわからない。だけど近年リメイクされた同じ話では当然裸は隠されていた。少し寂しかったけどしょうがないんだよ、それは。
まあいいや。
俺の言う表現を許せってのは裸やちんぽを地上波で丸出しにするのを許容しろっつう話じゃないの。成人向けコンテンツとして出た幼児児童までブロックするのはやめてくれって話。いち小児性愛者個人の訴えに過ぎないから異議をとなえる人もいるかも知らないけど、そう思ってる。
もう最悪だよ。塾講師が小説なんか公開してたせいで創作にまで銃口向いてるじゃねえかよ。最悪。
ただ生きているだけで犯罪者予備軍扱いされるのにこれ以上首を絞めないでくれ。ふざけんなよ。
アングラで仲間を見つけられないのもこういうことが起きるからなんだよ。絶対「やってないだけの塾元講師」「元塾講師みたいな知り合いがいる奴」「エグい話を漏らす奴」が混ざってくるの。そんでドン引きする人はそっと去っていく。
もう免許証作ってくれよ無害な小児性愛者用の。何もしないから創作は許してくださいライセンスを。
こんなん書いたらまたぞろ「実在児童の被害には目を向けず自分のオカズの心配を…」とかなんとか言われるんだろうが、可哀想だと思ってるに決まってるでしょうが。そんな目に遭ったら他人を信用できなくなるよ。受験にも人生にも響くだろう。ここで俺が実際の被害に触れないのは、小児性愛者がこんな場所で児童を性的に消費するなと拳をかかげて演説ぶったところで説得力ないから。陰から静かに同情してる。
週刊誌にリークしたお仲間も行為のグロさに耐えられなくなったんじゃないの。知らんけど。
言いたいこと言ったので以下は再投稿前の誰にも読まれなかった追記です。
前回の下書きが完成して真っ先にしたことは、多数派に不快感を与えそうなワードを削ることだった。話の幅を狭めてでも、固有名詞と具体的な性被害、実際の事件を想起させる表現をなくした。
できるだけ多数派の繊細な部分を刺激しないよう気を遣った。思ったままに書けば、斜め読みで脊髄反射の罵詈雑言を浴びせられて終わる確信があったからだ。
拙い筆力をしぼって敵意を抱かれなさそうな表現を選んだ。
結果的に冗長な記事(この記事もきっとそうなる)になってしまったが、
・小児性犯罪者(チャイルドマレスター)への怒りを転嫁しないでほしい
この3点は伝わる形で表せたのではないかと思う。
が、問題はそこではなかった。読み手が文意を汲もうとしてくれるかは全く別の課題だった。
ただ意見を表明しただけで石を投げられる状況を被差別階級に準えている人がいて、それが実に言い得て妙で暗澹たる思いだった。
わりとムキになる性質の私は、追記でその全てにレスしそうになった。そういうことじゃないんです、と。
しかし、実行すれば被害者面をした異常者の逆ギレだと誹りを受けるのは想像に難くない。
治療しろ・嫌い・差別されても仕方ない・元ペドの知人は大人の女と結婚した・諦めろ・いつか飽きる・矯正できないのか・薬を飲め・首を吊れ・死ね・しね・しねよ……酷いもののうち、いくつかは削除されたようだ。
小児性愛者として名乗り出るのは内心の自由から外れている、だからお前は何も語るなという呆れた話も複数出ていた。
あげく「何が辛いのかわからない」
トラックバックとブックマークに並ぶ、理性を投げ捨てた暴言の数々、これが辛さだ。小児性愛者として生きるのは苦しいと吐露しただけで苛烈な攻撃を受ける。
「生まれてくるな」
小児性愛者も人間だ。好意、交わりたい欲求、実行してしまう衝動性はそれぞれ独立している。少なくとも私は自制できているし、実在児童を襲いたいとも思わない。
もちろん小児性愛者の一部に認知の歪んだ者がいることは否定しない。
では、児童への性加害者が多数属する異性愛者は、おしなべて反社会的なのだろうか。
繰り返すが、「無害な性的指向」の範囲を決定するのは多数派の胸三寸でしかない。多数派の暴力的感情論が少数派の階級を決定している。
ただ、すべての大人は、子を持つ人の警戒と不安を甘んじて受け入れる必要がある(いわれなき中傷は勘弁願いたいが)。
そして加害する大人は外面だけで選別するのが難しい。
セクシュアリティに関係なく下心を持って子供に接触する危険な輩はいるので、みだりに近付く人には注意するに越したことはない。
個人的体験談を語りたい。私に性加害したのは13歳年上の従兄弟だ。小学生の間はたびたび親戚の家に預けられていた。そこで何度も被害に遭った。加害者の従兄弟は現在成人の女性と子をもうけたのち離婚し、別の成人の女性と再婚しているらしい。アイツのせいで私はろくな性体験もないまま性器ヘルペスの保菌者となった。早く死ねばいいと思っている。
従兄弟のような少数の犯罪者が多数の被害者を生み、とばっちりのような形で属性ごと糾弾される苦悩は、小児性愛者でなくとも男性なら多少なりとも共感していただけるのではないか。
私は自分に性加害した人物と同じ括りで異常者扱いされるのは極めて不本意だ。
社会は小児性愛者を抑圧するより先に、小児性犯罪者(チャイルドマレスター)の概念の周知と対策について議論すべきではないか。
あなた方は先入観に基づく嫌悪にばかり注目して、問題の根を取り違えている。
気味悪がって疎外する前に、知ろうとしてほしい。
小児性犯罪者(チャイルドマレスター)とかいう一部の終わった連中が目立てば目立つほど、日陰で身を潜めている平凡な小児性愛者が割を食わされている。本当に勘弁してもらいたいのだ。
小児性愛者に限らず例え20代にせよある一定の年齢までしか愛せないというの、人間は絶対に歳をとるのに相手が老いたら性愛の対象じゃなくなるのが、自分の欲望ありきで相手を人間扱いしてないように思えてしまう。
「成長」を別の現象に置き換えれば理解してもらえるかもしれない。たとえば「5年付き合うと恋人の性別が変わる呪い」にかかったと想像してほしい。彼女が筋肉バキバキの髭達磨になる。彼氏が小柄で声の高い女性になる。それがきっかけで別れたとして、原因は果たして相手を人間扱いしていなかったからでしょうか、という話だ。
仮に心から好きになって成長したら(学年が変わったら?)好きじゃなくなるのってどういう感情なんだろうって。「◯年生? 無理」みたいなの。
小4以下と書いたのは二次性徴の兆候がある子が少ない時期だからであって、数字そのものにこだわりはない。見た目の問題なのだ。
俺はジブリでいうと宗介やマルクルのような子に特に魅力を感じるのだが、もし宗介が実年齢15歳だったとしても別に冷めはしない。
また、同じ当事者でも、好きになる「発育度合い」にはかなり個人差がある。思春期前期にこそ惹かれる人も少なくない印象だ。
性欲はあるが、並外れて強いわけではないと思う。私はあなた方と同様に自分を律せるので、実在児童を襲うことはない。
だけど性欲をゼロにもできない。だからせめて代替手段を奪わないでくれと繰り返しているのだ。なにも大手を振って通りを歩かせろというのではない。
自分でもわからない。根っからのペドが偶然被害に遭っただけかもしれないし。
純粋に、小児性愛であるという自覚をどう持ったかが知りたい。可愛いと感じる気持ちと性欲がどこでどう結びついたのか、そこにしか性欲が湧かないと自覚したのはいつなのかが気になる
本格的に目覚めた時期は中学生ぐらいだったが、それ以前から年下が好きなことには薄々気付いていた。
きっかけはネットで小さい子のスナップ写真やイラストを見てめちゃくちゃ可愛いくて興奮したことだと思う、たぶん。それからはネットで色々なものを漁った。
当時は規制が緩く、幼児も出演しているイメージビデオのシリーズ(※1)(※2)(※3)が普通に転がっていたりして、それを観る頃にはもうはっきりと「小さい子が好きだ」と自覚していた。
奇妙な話だが、私は児童そのものに惹かれると同時に、自分が児童になりたい気持ちが常にどこかにある。子供が可愛くて、もう自分がこれになってしまいたい。
小4ぐらいになって性的なことをしたいし、されたい。
なぜかこの願望は性虐待の記憶に干渉せず、虐待者への憎しみからは独立している。
※1 コンテンツが小児性愛を助長したという話ではない。遅かれ早かれ、どのみち私はこうなっていた。
※2 当記事は児童が出演する性的コンテンツを肯定するものではない。時代が時代だし私も幼かった。
※3 わかる人にはすぐわかるだろうがコメントに書かないように。
特に男性は肉欲と愛欲の距離が密接だから混同しがちだけど、誰かを愛してたり愛されたいんじゃなくて、一方的な欲望の捌け口にしているようにしているように見えるんだが…。異性愛でも同性愛でもそれはだめだよね?
愛し愛される関係には憧れる。しかしどうアプローチしたって、パワーバランスが極端に偏っている限り健全な関係は築けないし、相手の将来を思うと可哀想だ。だから何も望むべきではないと考えている。
口約束のみの交際なら、成長を待つまでもなく子供の気が変わって終わるだろう(※4)。
「シコるオカズが入手できない」ことを「生きるのが辛い」とまで言うのが理解できない。少なくとも、「パートナーとの関係を社会的に認めてもらえない」というLBGTの人の苦しみと同列に語れるものではないと思う。
「パートナーとの関係を社会的に認めてもらえないどころか、パートナーを作ることすら不可能でシコるオカズまでボコられる」という悩みはLGBTとは同列に語れないよな、確かに。
ゲイかつペドフィルかつ小児性被害経験者の俺としては、「ゲイはいいけどペドはダメ」という言説のあまりの多さに、己が分裂していくような思いがしますね。あーはいはい死ねばいいんでしょ、ぐらいの自棄さえ。
共感する。このコメントを読めただけで前回の増田を書いてよかったと思えた。
欧米なら2次表現も単純所持で刑事罰だったような?そういう意味では日本は大分恵まれてる?と思うが、何が生きるのは辛いんだろうか?
“欧米なら2次表現も単純所持で刑事罰だったような?”これが怖い。いつか欧米に右倣えで日本がそうなるかもしれないという不安が拭えない。
絵描きとtwitterの裁判記録はなかなかコンテンツ力高いと思う
私が描きました!いいえそれは私です!で裁判になったのがあるんだけど、
電子署名ってタイムスタンプも含まれるんだけど、「電子署名が本当に日時を証明してるか」について議論が進んでる
PCて時間変えられるじゃん?だからいつの発言かってのは簡単に捏造できるのね
だからタイムスタンプは自分のPCでないどこかのサーバーから拾ったタイムスタンプであるのが重要って話になってるのね
で、日本では電子署名のタイムスタンプに対して公的に責任を負う業務をやってる企業があるんだけど、
絵描きって法人各持たないフリーランスだからこういったtoBが拒否られるわけ、無職同等だから
そこで絵師はこれ使えないからそもそも妥当性を問うこと自体間違ってるよね?となった
一方絵師はそこで同じアルゴリズム使ってるOpen実装のPoC使ったら妥当だよね?ってことで
確かに業務の責任範囲が変わった所で認定事業者もOpen実装も
RFCに定義されたtsa使ってて第三者検討によって担保できるでしょとなったんだけど
原子時計の概念持ち出してこれと合ってるのはどうやって証明するんですかってなってる
どっかの得体のしれないサーバーから持ってきたタイムスタンプと認定事業者のタイムスタンプとどちらが証拠能力高いんですか?と
同じアルゴリズムなんだから証拠能力かんけーねーよという絵師と
法的妥当性を国が認めたものとそうでないものとの違いは何なんですかという被告と
オリコンとスポーツ新聞あたりはいまだにジャニーズ事務所の広報的メディアでしかないので、会見終わった後に井ノ原副社長のヨイショ記事を出したのもそのへんじゃないかな。
初回の会見より井ノ原副社長が話す場面が増えたこともあって印象を下げる発言が多かったなと自分も思った。拍手の場面はほんとにひどかった。
この会見は信頼が地に落ちた会社が今後の方針を示して、なんとか信頼回復をはかろうとするものであるのに、そのことをあんまり分かってないんじゃないかなとも思った。
タレントって「自分をよく見せる」ことをよくもわるくも「スキル」として身につけた人たちだから、そもそも役員にするなという話だと思うけど、会見で今後もタレントは続けると話していてびっくりした。彼はこれからもタレントとしての好感度を狡猾に利用し続けるんだろうか。
例の会見をみた。
あまりにも井ノ原氏(+東山氏)の言動と、それを賞賛するメディア、Twitter民が無理になってしまったので吐き出し。
全体的にトーンポリシング(議論の内容ではなく、口調を理由に議論を拒否すること)で、場を穏便に収めようとするのがメイン、性加害問題の重大性をわかっているとは思えなかった。
気になったこと①
「未成年の育成を続けること=過去の性加害の容認にならないか」という質問に対して、
え、そうですか?まじっすか?と答えたこと。
Twitterではこれは記者側が的外れとされていたが、問いかけ方がまずかっただけで本質的には聞くべきことである。
過去の性犯罪事実を重く受け止めるならば、そういった犯罪が起こった組織が継続して未成年のマネジメントをすることの重大さについて、本来自ら気付かなければいけないのであり、再発防止策は問われる前に具体的に説明をするべき。(ジャニー喜多川氏はもういない、だけでは不十分)
そこで、まじっすか?という茶化した風な返答が出てきてしまうこと自体、事の重大さを結局はわかっていないようにしか思えなかった。
新会社といっても第三者がトップになるわけでもなく、ほぼほぼジャニーズの社内風土、文化は持ち越される可能性が高い。犯罪に直結する性加害が起こるとまでは思わないが、ハラスメントがハラスメントと気づかれないような環境が継続するのではないだろうか。
気になったこと②
これが一番むかついた。
あと、子供が見ているのなら尚更、これは本当に大事なんだ、大人も感情的になってしまうような議題なんだと知ってもらわなければならない。
ルールを守った、お行儀のいい会見を見せることで得られるものってなんだろう
性加害をされても誰も声を荒げて怒ってはくれないというすりこみ?
他にも、
・そもそもジャニーズがやらかした側なのになんで一社一答ルールをを勝手に決めるんだよ、とか
・東山氏のセクハラしてない発言(セクハラにあたるかは被害者側の認識が重要)でたぶん過去に気づかずにセクハラしてきたんだろうなとか、
・随所で挟まれる答えられなくてごめんなさいね、みたいな井ノ原氏の態度がヘラヘラしている(私感だが) 、とか
が、外部に言われたのであろう
・補償会社とマネジメント会社の分離(分離しているとは思えないが)
(本当は補償以外の業務はせず、他社への移籍サポートに徹し、収入を得る活動はしないで欲しかったが…)
最低限のことはこなしていると思った。
それだけに、今日の会見で井ノ原氏、東山氏が表に出てきたことでいらぬ不快感を抱いてしまい、こんなブログを書くことに時間を割いていることがつらい。
答弁は弁護士がメインであればたぶんここまでカッカせず流せたのに…
井ノ原氏・東山氏両名とも、性加害を知らなかったのは建前だろうし、性加害の重大さが腹落ちしてないように見受けられるが、東山氏は答弁が下手すぎるため、的外れな返答ももうそういう人なんだと流せてしまった。
井ノ原氏は受け答えが上手いだけに、場を和ませようとしたり(この会見では和ませは不要だし場違い)、厳しい質問を遮って回答を被せ、場をコントロールしようとする意思が透けて見えるとグロテスクに感じてしまった。
白坂氏の質問のやりとりの中で「今後のあり方の話ではなく今まで〜」という発言に対して、「あり方っていうか〜」と被せ、全く質問者の意図していない話に持っていったやり方が華麗なので、是非見てほしい。
そして何より気持ち悪かったのが、ジャニーズ側の決めた一社一答ルールを守らない記者を下げ、井ノ原氏を持ち上げる記事やコメントが多いこと。
性被害の補償の説明をする会見なんだから、責任追及や再発防止についてきつめの質問する人が出てくるのは当然じゃないか?
権利関係やファイナンス関係の質問の方が建設的だという意見はわかるけど、ファンは加害者じゃないと認めてもらいたい質問者(何しにきたの?)が持ち上げられるのは何?この人の方がよほど場違い。
そのあと記者叩き、井ノ原擁護のネットニュースばかりが流れてくるのも気色悪い。(記者のパーソナリティは置いておいても、井ノ原氏擁護ばかりなのが違和感)
この会見を受けて起用再開するスポンサーがいるのか甚だ疑問。
アスミカケルを電子版ジャンプのバックナンバーにて読む。概ね1p毎に気付いた事などを書いていく。
とりあえずざっくりカラーの1p目(ジャンプ本誌3p目)。最初の「痛いのは嫌いだ」「苦しいのも嫌いだ」「強いから何だってんだ何の意味がある」「怖い…なのにどうして…」「戦わずにはいられない…!!」
この部分で恐らく作品テーマを開示している。要するに、不快さやデメリットを抱えると分かっていても「人が戦う理由は何か」が主題であると思われる。そのため、最初の掴みとして「殴られたり極められる人」を描き、「それでもなお血の滴る道を進む」という事を示唆している。
どうも火ノ丸相撲の人が描いてる漫画であるらしい。火ノ丸相撲もそうだが、格闘漫画それ自体が自分にとっては基本的に相性が良くない。ただし、これはリアルに起因するものなので無視しても良い。表紙については前述のページと同じく、一部を除いた全員が前方向を向く事で戦いにポジティブな要素を示唆しているものと思われる。
次。ジャンプ本誌26pより本編開始。ここで何気なくだが、やや不自然に明日見家の全員をネームプレートに示している。これは古くは沼駿先生の「左門くんはサモナー」に於いても使われた手法だが、「左門くんはサモナー」の場合は特定の意図を持って何度も示されている事に注意したい。ここでは現状、明日見家の全員を紹介する以上の意図は汲み取れない。
家長である祖父の獏は覇気がなく、物忘れ気味な事が示唆されている。また、リフォームをした事および、その前に配偶者(祖母)を亡くしている事も先のネームプレートから汲み取れることが分かる。ただし現状、そこまで読む必要はない。次のページでは息子たる和虎をリフォーム後に亡くしている事が分かる。恐らく獏はリフォーム後に忘れ癖が出ているものとも考えられる。
ここで出ている長女と次女らしき人物は羚と三羽か?最初は二兎だと思ったが、二兎が主人公であると思しき少年であった。兄は一狼。二狼でなくてよかった(良くない)。名前の由来は原則として動物に由来するものと考えられるが、祖父が夢を食べると言われる獏なのは意図してのことか。であるとするなら、他の名前にも意図があると考えて良いだろう。次。
二兎が一般的より冴えない、やや怖がりの高校生として描かれている。ここで最初のページに示されている恐いという部分が示されているため、キャラ付けとしては重要だが、演出として主人公への広い共感を呼ぶという感じはしない。次。
そこで友人が守ってくれたり、格闘技の道について示される。友人が最初は強い(主人公を護る勇気を示す)という点では鵺の陰陽師と同じくしているが、鵺の陰陽師よりは凡庸とした見せ方ではある。逆に言えば奇を衒っていないという事でもあるので、まあ王道と言えるが、王道なりの見せ方として絵力による演出がもう少し欲しいというのは読者として欲張りだろうか。次。
そこで主人公が機転を利かせて窮地を脱するという形でキャラを示す。これも基本的には読者に共感というよりは離れていく方向の形だが、前述の「怖くても戦う」という部分を見せるためにはギャップを作る必要が出てくる。しかし昨今の読者は言うなればせっかちなので、私も例に漏れず「ここで主人公が魅せる部分だろう」という感覚がある。
引き続き、格闘技への道を示すシーンが続く。ここでも主人公はひたすらに怖さを出す。しかしキャラ付けとして一貫しているといえば一貫しているが、ややくどさも出てくる。怖さばかりをピックアップするので、恐らく意図しての事だろうと思われるが、やや強すぎるのではないかとも思う。次。
まだ主人公の弱音は続くが、ここで漸く主人公の資質を見せるシーンが出る。ただしあくまで受け身である。これもスマートに避けるとかでなく受け身なのは、やはり痛みなどを受けるという部分が思想としてあるのだろう。その上でダメージ・コントロール技術としての受け身を出すのは理には適っているが、インパクトとしては地味だ。次。
主人公が最初に示した好みのヒロインを出すページ。ここでも格闘技。これで格闘漫画じゃなかったら何なのかとなる格闘押し。もう少し展開が早くても良い。体幹の概念を出すが、ここで問題は「体幹とは何か?」というのを主人公が知っている事。逆にいうと、ここで体幹について知らない読者に「体幹とは?」と疑問を持たせる効果はあるだろうが、やや濃ゆい。
そしてヒロインの置かれている立ち位置も出しつつ、先程に書いたMMAを出す。しかし主人公が覚えていない。作中時間が経っているのは分かるが、読者としては一瞬なので「…「MMA」って何だっけ…?」は、ややくどい気もする。が、このくどさは恐らく想定する読者層によるのだろう。要は、流れで適当に読んでる読者に向けて思い出させる効果を狙うものと考えられる。そして再びの一狼。次。
物忘れ気味な「じいちゃん」によるMMAの解説と、かつ祖父のギャップ提示。これにより確実なまでに明日見家が武術一家である事を示している。わざわざ道場を別個に建ててるのだから当然そうなる。しかし、そう汲み取れない、つまり格闘系の文脈に疎い読者には「急に謎の道場が!?」となりかねないコンテクストありきの部分なので、やや不親切か?次。
再び「じいちゃん」(獏)の物忘れと、残りの家族や更に家庭環境を明示。(羚以外)。手帳が重要なものだとも示す。次。
ようやく羚の名前が出る。個々の負い目を提示するシーン。回想に入る。次。
過去回想。まあ家庭環境という感じだ。再びの不穏さを提示しながら次。
イジりからイジメに。まあ主人公の情けなさを散々に提示しているのだが、それと対象的に友人とヒロインの格が上がる。次。
ヒロインの戦闘能力に対し、再び主人公の能力を示すシーン。基本的に技を受ける事が前提で話が進んでいく。ひたすらテーマに沿わせようとする意地は分かるが、ここまでくどいと自分としては結構と気になる。
ここで舞台装置だった不良についてはスルーされ、ヒロインの家がMMAなり格闘技関係の事務である事を示唆しながら次に。
MMAジムとヒロインの目的・目標開示。一応、不良にも逃げたというフォローが入る。ヒロインが主人公を見定めている事も暗に示唆しつつ、友人が前進。次。
兎にも角にも主人公の人柄を示しまくる。リアルでなら良いが、漫画なのでくどく感じる。説明は少なすぎても多すぎても良くないが、サラッと流して欲しいのが個人的な感覚。
戦うヒロインなので眼鏡を取るのは当たり前だが主人公が割りと欲求に素直である事も同時に示される。格闘技の説明が入ったため、とりあえず一旦ここから暫くは感想を書きながらでなく流し読みで良いと判断。
どうでもよいが、遠目にヒロインを見るとシルエットだけならワールドトリガーの宇佐美栞に似ている事に気付く。閑話休題。これらの説明類は、大なり小なり格闘技に対して事前知識があるか、興味が無いと頭に入らないのではないかと思う。
主人公の体験パート。「当て勘」など格闘技のワードが続く。この場合は「距離感や位置関係の把握など、空間把握と自身の身体把握ないし操作とがズレている」と考えれば良いが、兎にも角にも主人公の魅力が地味かつ描かれないのが続く。1話も中盤に差し掛かるが、これで大丈夫なのだろうか。次。
フォローとばかり「明日見」の武術について示唆しつつ、また回想と次ページで不穏な事が起きますよというコマを使う。濫用では?次。
不良の顔も三度まで。次。
ここで漸く主人公が「強さ」を示す。
まあ一線を超えるまで強さを示さないというのも良いのだが、良くも悪くもリアルの人間という感じで創作物としては何とも。
ワンピースの1話で言うならシャンクスが酒をぶっかけられるくらいのラフさと、銃を抜いてからの豹変という所に、ここまでページをかけるのか……という感想が強い。
良く言えば丁寧ではある。そして主人公が武術を活躍するのを示唆して次に。逆にいうと、こういう「丁寧だけど驚きが無い」というのが強い特徴に感じる。火ノ丸相撲は本誌かつ序盤しか読んでいないので記憶が薄いのだが、こういう作風なのだろうか?次。
戦闘シーン。組んで、回転させて壁に衝突させ、足を抜いて相手の力を利用して投げ飛ばす。簡単に言えばこれだけなのだが、こういう限られた空間でのストリートファイトは少しコマ割りと構図に工夫をして分かりやすくしていくと有り難いか。
あと「殺れ」はガチの古武術としての教えなら分からなくもないが、MMAメインなのと主人公のキャラには合わない。ここは「躊躇うな」とか「そのための備えをしろ」だけで止めても良いとは思う。次。
ここも戦闘シーンだが、やはり武闘経験がある前提での描写が目立つ。別に理として間違った事は書いてないし描いていないのだろうが……
こういう部分が多いのは、アスミカケル自体が格闘技経験者に向けた漫画なのだとして割り切った方が良いだろう。次。
組技系の格闘家としての主人公披露。当て勘のなさや受け身など攻撃を受ける前提の描写に納得はいくが、絵的に不良のほうが目立ってしまう演出。
ここは思い切って主人公を目立つよう分かりやすく上に描いても問題は無かったと思うが、何かしらの意図があるのだろうか。よく分からない。編集者が気付かない訳がないので、まあ何かしらの演出なのだろう。次。
ヒロインによる制止と事態の収束、および疑義の投げかけと解説。ここも最後のコマは示唆。……「丁寧といえば丁寧」。次。
最終的に格闘技について前向きにはなるという所で終了。
総評……非常に申し訳ないのだが、主人公が言うなれば「極力リスクを負わずに良い所だけ取っていく」という印象が強い。50点のために、解ける問題を解かないというのが事態を悪化させているまである。そこまで考えていないといえばそこまでだが、どちらにせよお調子者という感じで自分には理解し難い。
また、話運びや演出等については丁寧で王道チックだが、それ故に意外性が低く、かつ格闘技関連の説明や描写などが読者の格闘技についての知識や想像力に依存しているため、一話で読者をもぎとるには少し弱いところがあるのではと思わなくもない。それをスルーさせるだけの演出力がもう少し欲しいように思わなくもない。
どちからといえば(古い)マガジンとかチャンピオン向けの話を、あえてジャンプでやってる……という感覚が強く、火ノ丸相撲のように「相撲について分からない人でも付いていける」力があるかと言われると、少し怪しいところがあるのではないかと感じた……個人的な感覚だが、まあ格闘技経験者なら考えずに読めば気にならないのかもしれない。
主人公以外のキャラクターについては、良くも悪くも魅力的かというと何とも言い難い。ヒロイン自体は良い感じに読者を引っ張ってこれそうなキャラをしているが、同時に少しキワモノさも併せ持つ。こういったニッチだったり少々リアルな性格的要素を持ったキャラを扱う場合、週刊少年誌というより青年誌や月刊誌向きなのかもしれない感じはある。
概ねそんなところか。次話以降については、また時間のある時に読んで感想を書くかもしれないし、書かないかもしれない。ひとまず終了。
ネタバレしてる
映画を鑑賞したのはだいぶ前。原作者と監督のアフタートークがセットになってたやつ。
今は本編はDICE+というサイトでレンタル配信中らしい。トークはここから動画と書き起こしが読める。
https://diceplus.online/feature/94
映画見た後に原作小説読んだけどけっこ〜違うのね!ってなった。
原作は平山夢明『独白するユニバーサル横メルカトル』収録の短編小説「無垢の祈り」
とにかくインパクトが凄まじかった。虐待のシーンは全面的に恐ろしく、特に性的虐待のシーンは人形を使っているとはいえ気持ち悪い。曇りしかない世界には陰鬱な雰囲気が漂っていて、どこにも救いが見い出せない。音楽も雰囲気作りもクオリティが高く、90分があっと言う間だった。
スラッシャー映画における「殺人鬼」はある種のかっこよさを備えている。悪魔のいけにえのレザーフェイスしかり、エルム街の悪夢のフレディしかり。バッタバッタと人を殺していく様はワクワクとドキドキを呼び起こすし、時には「嫌いな奴を殺してくれる/自分を殺してくれる」存在として胸を躍らせることもある。
あらすじを読んだ時にはそういう文脈の、「殺人鬼に嫌いな奴を殺してほしい/自分が殺されたい」という祈りとそれが叶う展開を想像していた。ちなみにざっくり言うと映画の祈りは「自分を殺して欲しい」がメインで原作の祈りは「嫌いな奴を殺して欲しい」がメインだと思う。
でもこの映画には救いがなかった。最後の「殺してください」の絶叫、殺人鬼が握りしめる鉈から、画面に映されてはいないものの殺人鬼は少女を殺してあげたんだ、救いはあったんだ、と思いたくなる。だけど恐らくこの作品は時系列をごちゃまぜにしている。着けたり外したりする眼帯、西暦の違うラジオと謎の首吊り現場、すれ違う2人などを考えるに、祈りは届いていないし救いはなかった。
時系列はどう考えても良いと監督が言ったらしいが、恐らく殺人鬼に殺してもらえなかった主人公は犯罪者になって殺人鬼の死刑と同時に首吊り自殺?してると認識した。一度見ただけなので間違ってるかもだけど。ここらへんの徹底的な救いのなさが、原作と一番異なる部分だ。
なんとなくだけど、短編集の一連のテーマ、書かれているものは「グロテスクな閉鎖空間でうつくしく光る小さな何か」だと思った。
ざっくり言うと映画は児童虐待下にある少女の状況を深く掘り下げるのがメインで(もちろん暴力を受ける子供をただ写すだけではない前提で)、原作は酷い状況下にもどこかにある輝くもの(この場合は祈ることそのものや救いへの希望)を表現するのがメインなんじゃないか。
あと、映画で刑事役をした原作者が改変に積極的に見えた。刑事の台詞が原作とは正反対だから。原作の刑事は「ああいう人間は誰かがそばにいてやらなくちゃいけない。/本人も苦しんでいるはずだ」と言っているが、映画では「キチガイは早く捕まえないと繰り返す」である。
かなりニュアンスが違うし、刑事にとって殺人鬼が単なる悪なのか助けるべき者なのかは作品のテーマに大きく関わってくるはず。個人的には原作と映画でやろうとしていることが違う、のを原作者が分かっていて台詞を変えたと思う。
そもそも主人公(虐待といじめを受けてる少女)の性格や考え方からして違う。
原作は殺人鬼が喋るし救いとして機能してるし主人公も未来に希望を持っているけど、映画は殺人鬼に対する祈りを「嫌なやつを殺して欲しい」から「自分を殺して欲しい」に変えてる上に殺人鬼が救ってくれない、主人公も希望を持ってないので後味がキツくなったし「胸糞悪い」と言われているんだろう。
「救い」という意味では、例え原作で主人公がこの先幸せになれずに死んでも、人生の内に優しく手を差し伸べてくれた人は確かにいたんだ、ということが「救い」になる。トークショーでの原作者コメント「たった一人でも理解者がいれば」も合わせて考えるとおかしくない。
それに原作は、社会から排除され、必要とされてない者同士が互いを必要とすることによって生きる目的になる、そういう希望がある終わりだった。
原作ファンはこの映画版を見てどんな感想持ったのかすごく知りたい。
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離れて暮らしている家族の一人について、健在かどうかの動向を、SNSで確認している(向こうが実家に電話も手紙もあまりしないため、代わりに自分が動向を見て「元気にしているみたいだよ」と実家に教えてやるため)。
最近は、れいわ新選組のデモに参加したことをSNSに書き込んでいるのを見た。
……はあ(クソデカ溜息)。
ちなみに、町山智浩とか水道橋博士とかの言うことも有り難がっている。
若い頃、町山智浩の本をおすすめしたのは自分だから、少し責任を感じないわけでもない。しかし情報が少なかった昔ならまだしも、近年のボヘミアン・ラプソディその他に関して出鱈目なことばかり言い散らかしている町山智浩を見れば、オカシイと感じるものなのではないのか。おすすめした自分は、とっくの昔に町山智浩のことなんて見限っている。
なんで、こんな風になっちゃったかな。家族がカルトに引っ掛かると、こんな気持ちになるんだな。
思想信条の自由とか愚行権とかあるから、表立って止めろとは言わない(というか、止めろと言えば逆に火に油を注ぐことになりそう。そういうヤバさを、れいわ新選組の信奉者には感じる)けど、実家に迷惑や心配を掛けるようなことだけはないように気をつけて欲しいと願うのみである。
ジャニーズ事務所の会見。最前列の真ん中に座って、ずっと手を挙げ続けた私と望月さんを絶対に当てないことを事前に決めていたとしか思えない会見で、失望し、憤りを覚えました。井ノ原氏は「ルールを守って」と私に言い、隣の芸能レポーターたちは拍手していました。しかし、厳しい質問をするであろう私と望月さんを絶対に当てない、という八百長のような不正なルールを容認するわけにはいきません。
最初は当然質問が当たるだろうと思って、黙って手を挙げていました。が、ジャニーズ事務所と司会者側の最前列の私たちを当てないという意思が、会見が進むにつれて明白になりました。途中から、会場で声を上げざるを得ませんでした。
米国など主要国の普通の記者会見は最前列の人たちから順々に当たっていくのが常です。それは、私が出てきたトランプ大統領会見や、オバマ大統領会見でもそうですし、安倍元首相ら日本の会見もそうでした。芸能リポーターたちの芸能人の囲みの会見でも一番前にいる人たちがまず質問します。今回の会見は、芸能リポーターがタレントを二重か三重で囲んでいる会見で、その輪から遠く離れた部屋の向こう側にいる人をわざわざ探して当てているような、不自然極まりないものでした。
ジャニーズ事務所が今日行った会見https://youtube.com/live/jfMqNazPRuMは、こうした世界や日本の会見のルールとは全く違い、私たちArc Timesをとにかく当てない「八百長会見」でした。井ノ原氏は、「大人はルールを守って」という趣旨のことを言いました、しかし、そもそも八百長といっていい「ルール」を敷いていたジャニーズ事務所こそが、日本や世界の会見のルールを守っていないと思います。私はオバマ大統領会見やスペースXのイーロン・マスクCEOの会見など世界各地で信頼を得て質問してきましたし、「ルールを守れ」などと言われたことはありません。むしろ海外では、質問させるべきだ、と他の記者が加勢してくれるのが常です。
最前列にいる記者は質問するためにかなり早い時間に来て待っています。私たちは今日、受付の1時間以上前から並んで待って最前列に座りました。最前列は、記者の意欲の表れです。だから、トランプ大統領でも、イーロン・マスク氏でも、安倍元首相でも、近くにいる記者から質問を当てていました。その世界や日本の普通の会見と比べて、今日の会見は異常でした。あそこまで、私たちからの質問から逃げるジャニーズ事務所は、一体何を怖がっているのでしょうか。性加害問題で、説明責任を逃げずに果たすつもりはないのでしょうか。
驚いたのは、真面目に質問しようとする私たちに対する、テレビや新聞の大手メディアのスチールカメラマンやビデオカメラマンたち、芸能リポーターたちからのヤジでした。不正な「ルール」であってもジャニーズ事務所の意向に従え、と言う彼ら彼女らの忖度と共犯性が、ジャニー喜多川氏の性加害を50年にわたって続けさせてきた原動力であり、その共犯関係がいまも根強く続いていることを思い知りました。
カメラマンが私をヤジりながら、レンズを私に向けたので、私も彼らを動画におさめました。
多くのメディアが、私や望月さんを批判する記事を書くでしょう。私は彼らに問いたいと思います。あなたは、八百長を強要するルールを守れと言うのか。そして、あなたたちはジャニー喜多川氏の数十年に及ぶ性加害のなかで、何をしてきたのか。メディア人としての悔恨や怒り、責任感は全くないのか、と。
今日あったのは、1950年代から、少なくて数百人、2週間前に開いた補償窓口にすでに400人超が問い合わせていることを考えれば、おそらく数千人の子供たちへの性加害を容認してきた企業の記者会見です。これは、米国のジェフリー・エプスタイン事件やハービー・ワインスタイル事件よりおぞましい、戦後史に残る、世界でも最悪といっていい性加害事件です。
その場で、新社長や新副社長に説明責任を求める私たちの質問から、ジャニーズ事務所は徹底して逃げようとしました。東山氏は私の質問に少しだけ答えましたが、マイクを持った質問はさせてもらえませんでした。
そしてその状況を、社会の公器である、記者やカメラマンたちが、性加害問題を解明しようとは全くせずに、逃げるジャニーズ事務所に同調して私たちに匿名でヤジを浴びせ、ジャニーズ側に同調して拍手までしている。
今日の会見で性加害問題を数十年隠蔽してきたジャニーズ事務所の体質が全く変わっていないことが露呈しました。そして共犯であるテレビ・新聞が、追及しようとする記者たちに怒号を浴びせる、おぞましい姿を目の当たりにしました。
この問題は全く終わっておらず、むしろ解明が始まったばかりであり、ジャニーズ事務所やそれを取り巻くメディアが必死の隠蔽を続けようとしているのだ、ということを体感しました。それは多くの方に伝わったと思います。
https://x.com/ToshihikoOgata/status/1708775014458372199/
より。
広島サミットの「逃げるんですか」でも話題になったアークタイムズの尾形聡彦氏による投稿。
不正なルールのある会見だったと訴え、芸能界とマスメディアの体質についても問題提起している。
内容の真偽は現時点ではなんともいえない。
望月衣塑子氏の独善的な姿勢には度々問題を感じるが、オリコンが名指しの記事を即座に上げてネットで批判が盛り上がっている現状には疑問もある。
あなたはどう考えるだろうか?
「三体」のダメなところは智子の設定に集約されている。
智子というのは三体人が地球の技術的発展をかく乱するために送り込んだ陽子一つ分のコンピュータなのだが、これの製造過程の描写に素人でも一瞬で分かる大嘘が書いてある。
三体人は粒子の次元を操作することが可能らしく(この理論的根拠は全く描写がない)、次元の数を増やしたり減らしたりして、内部に回路を作る(劇中では核力を整形してエッチングするというような説明がある)が、2次元展開した陽子が三体世界を包み込んだとき、全体が鏡面になって惑星自体を映し出す場面がある。
自分は反射の核物理的な原理を詳しく知らない。おそらく電場や磁界が電磁波の進行方向を曲げるのだと思うが、陽子一つ分のエネルギーで惑星全体を映し出す電磁波を同時に偏光させることが出来るはずがない。一つ一つの光子のエネルギーに対応するだけの電場あるいば磁界を形作る必要があるが、もし出来るのだとしたら、それはエネルギー保存則に反している。六次元空間から三次元に投影された智子に国家元首が触れると「空気抵抗」を感じるが、これも同様の理由により間違っている。
明らかに劉慈欣は次元のコントロールによって空間と共にエネルギーの総量もコントロールされうるという混淆を侵している。この混淆を取り払ってみれば、そもそも陽子一つのエネルギーで計算機を構成するというのもまず不可能な相談であるということが分かる。核力によって形作られた回路には、電子の代わりに情報を媒介する何らかの量子が必要だが、必要とされる量子、あるいは回路を構成するエネルギーは軽く陽子一つ分を超えてしまうだろう。現代では情報を伝達するには相応のエネルギーが必要なことが分かっており、実験で確かめられてさえいる。
(ついでに言うと量子もつれによってスピン状態を検知して、智子をコントロールするという話も出てくるが、もちろんこれも間違っている。量子もつれによる同期は情報を伝達しないことが分かっているのだ。もしも情報を伝達するならそれは光速度不変則に反することになる)
この事実は本作が一見論理的に見えて、その実極度に倒錯的な性質を表している。なにしろ、質量の関係から智子(陽子一つ分)を送り込む必要性をあらかじめ説いたのは劉慈欣自身なのだ。質量の問題を回避するために作り出した智子の設定の方が盛大にエネルギー保存則を破っているというのは一体どんな種類の皮肉なのだろうか。無論劉自身がそのような皮肉を意図した形跡もなく、センスが悪いとか荒削りとかいうレベルをさらに下回っているとしか言いようがない。自分の課したルールを自分で破る作品に、まともな完成度を認めないのは、自分には正常な判断に思える。
この本の最大の皮肉は、馬鹿げているのに面白いジョークでもない物語が、英米SFがつまらなくなった状況(その他の国に面白い作品があるわけでもない)がゆえに耳目を集め、あまつさえ世界的なヒットになってしまったことではないか。このあたりが古いSFファンが見向きもせず(最もまともに作品を批評できる連中は残っていないのかもしれない)、根強く批判が消えない理由だと思うのだが。
これまで見る専だったが9月からそこそこ長文の嘘記事書いたらバカみたいにブクマ付いて笑った。それに味をしめて色々な設定で創作記事を書くと軒並み300〜500userからブクマが付いて、チョレ〜wってなった。総ブクマはたぶん3000くらい。
文体はもちろん、強調には山括弧やコロンを使い分けたり漢字を開いたり閉じたり三点リーダーの個数を変えたりなんなら中黒を使ったりして意図的にペルソナを分けてるからまず特定はできないと思う。
で俺は思った。時折1000ブクマを超えることもあるが、ホッテントリ入りしてるやつの多くは〜600ブクマくらいだ。アクティブなお客様ユーザーが600人くらいだとして、増田の供給側は果たして何人だ?と。あれも俺、これも俺ってことを考えると、たぶん伸びる記事を意図的に書く奴は20人もいない気がする。なんなら俺入れて5〜6人しかいないんじゃないか?
イーロン・マスクは何故ハードワークに身を投じるかというドキュメンタリーがそのまま答えだと思う
「俺以外の誰かが仕事を肩代わりしてくれるなら喜んで経営から降りるが、イーロン・マスク以外の経営者は俺の1%も仕事できない」(自分を三人称で語ってあたかも世間の総意であるように言う皮肉)
多くのユダヤ人が埋葬されている墓地に行って、「コロナワクチン接種者」の死体からBluetooth(ブルートゥース)でMACアドレスの電波が放出されているかを調べたところ、スマホ画面に次々とBluetooth(ブルートゥース)のMACアドレスが表示されました。
この墓地では、Bluetooth(ブルートゥース)でのMACアドレスの電波が、30件画面表示されました。これにより、30人が「生物兵器コロナワクチン」よって殺害されたという事が分かります。
「コロナワクチン接種者」の遺体は深さ3.9mのところに埋葬されていますので、Bluetooth(ブルートゥース)のマイクロ波が土を貫通する程の強力なものである事がわかります。
そもそも常に自国繁栄のために子供増やそうとする国家というもの自体が生命のありかたに反してるんだよ
種が危急存亡のときであれば産めよ増やせよになるのは自然だしその時に国家が国体を為しているなら意図も一致する
でも種が平和や自由を享受できるほど安定した環境を得られるようになればなるほど、国家のような自治組織の意義は逓減していく
元増田ではないがラグビーワールドカップ予選プールC、フィジーvsジョージアを見た。
どこにぶら下げるか迷ったがここで。
試合の感想ももちろんだけど、この試合はプールCの状況を知っておけばより楽しめる。
事前の評価の高かった順から、オーストラリア、ウェールズ、フィジー、ジョージア、ポルトガルだ。
ちなみにとあるブックメーカーの、プールCの一位通過予想オッズはオーストラリア(1.4倍)、ウェールズ(3.75倍)、フィジー(8.5倍)、ジョージア(67倍)、ポルトガル(501倍)となっていた。
だがフタを開けてみると、ウェールズが3連勝で決勝当確。オーストラリアがウェールズ、フィジーに連敗で予選敗退の危機と混沌とした情勢だ。
フィジーが勝てば2位通過濃厚でジョージアは予選落ち確定。ジョージアが勝てばオーストラリアが息を吹き替えし、この3ヵ国で最後の椅子を争うことになる。
元々世代交代に失敗した(と見なされて)火中の栗を拾いにいく形となった、元日本代表ヘッドコーチであるエディ(現オーストラリアヘッドコーチ)の心境はいかほどであろうか。
もともと日本と同格と目されていた両チームだが試合前は圧倒的にフィジー優勢と見られていたようだ。とあるブックメーカーのオッズはフィジー(1.06倍)、ジョージア(14.85)倍となっていた。ジョージアの勝率は1割に満たない、と評価されていたのだろう。
トンガ・サモアと並ぶアイランダー(南太平洋の島国)の一角だが、チームカラーは全く違う。
トンガ・サモアが圧倒的なフィジカルを前面に押し出したラグビーをするのに対し、フィジーの特徴は自由奔放な走りにある。
前に横に時には後ろにも走り、相手をかわし、倒れても柔らかいオフロードパスをどんどん繋いでいく。
スペースを自在に走り回るラグビーで7人制では世界に君臨しており、予測不能で単純に見ていて楽しいラグビーをするので大好きなチームだ。
弱点は規律・統率。海外でプレイする選手が多く、ワールドカップの時くらいしかベストメンバーが組めない都合上どうしても連携が疎かになっていた。ただ、近年はフィジー代表のクローンチーム「フィジアン・ドゥルア」をスーパーラグビーに送り込み、効果もでているようだ。
今大会でもウェールズと接戦を繰り広げ、オーストラリアには圧勝し、評価を上げ続けている。
しばらく前まではグルジアと呼ばれていた旧ソ連圏の国。レスリング、重量上げ、柔道なども盛んで日本に力士を送り込む(栃ノ心など)など力勝負なら負けない国だ。
ラグビーでもそのスタイルはパワーで押す、とにかく押す。スクラムで押し、モールで押し、個人でも押す。ボールを動かし走られて負けるのは仕方ないにしてもパワーだけでは負けないラグビーをするチームだった。
しかし、2019ワールドカップのときの増田の解説にもあるように、そこから脚も使う、パスも使うチームへの脱皮を図っているのがジョージアだ。
昨年ウェールズを破るなど一定の評価を得ていたが、大会では、オーストラリア敗れたのはさておき、プール最弱と目されていたポルトガルに引き分けるなどやや評価を落としている。
さて本題の試合内容に入る。
NHKの解説者も驚いていたが、ジョージアがパワー勝負を控えめに、パスを繋ぎ、走ってフィジーの穴を突いていく。
解説や我々ファンも驚いたがそれ以上に驚いたのがおそらくフィジーの選手たち。
事前にそういった想定をしていなかったのであろう、重量級の前進を止めるために構えていたフィジーは細かくパスを回すジョージアに全く対応できていなかった。
守備の隙間をつかれて前進される、フィジーの選手は当然背走しなければならない、だがジョージアの弾出しが早くそれを遅らせようとしてオフサイドポジションからプレーをしてしまう、と悪循環に陥ってしまっていた(ジョージアにすれば計画通り)。
結果、ジョージアはトライを取ることは出来なかった(※)ものの、ペナルティを犯したフィジーに対して着実にペナルティーゴールを決めて加点する。
ジョージアは守備も素晴らしかった。ウェールズを苦しめオーストラリアを引き裂いたフィジーのランやパスを完全に封じ込めた。
特に、リスクを取って高めにタックルし、腕とボールを抑え込むことでフィジー得意とするオフロードパスを出すことさえ許さなかったのは圧巻で、ジョージア選手たちの集中力と一歩目の出足の速さを物語っていた。
動揺のせいかフィジーはラインアウトも冴えない。まぁ圧勝したオーストラリア戦でも四苦八苦していたので単純に苦手なのかもしれない。
(※)前半、ジョージアがトライを決めたかに思われたがスローフォワード(パスを前に投げる反則)との判定であった。
NHKの解説者はスローフォワードではないと考えたようで「この判定は波紋を呼びそうです」とまで言った。
真横からの映像でなかったので私にはこれがスローフォワードだったのかどうかはわからないが、トライに直結するシーンなのでTMO(ビデオ判定)くらいはした方がよかったと思う。
ちなみにこの後、解説者は「ラグビーは前に走っているので、真横に投げても走って慣性で前に流れる分はスローフォワードではない(だから今回はスローフォワードではない)」と解説していたが、これは誤りではないだろうか。
私の感覚だと次のような感じだ。
・確かに多少前に流れる程度では流れを重視して細かく反則をとらないことが多い
・特にスピードと得点を重視するスーパーラグビーではトライシーンを含めて反則を取っていない
・ただし、原則としては反則で、特にワールドカップのトライシーンではかなり厳格に運用されている
まぁ経験者ではなく、テレビで見、たまにスタジアムにいく程度のファンの目線でしかないので有識者の解説を求む。
ジョージアの戦術ははっきりした。だが後半もこれを続けるのか、それとも往年のジョージアに戻るのか。そもそも前半から全力と思われるが体力は続くのか。
予想外の展開に動揺したと思われるフィジーはこれまでであればクールダウンは難しい。果たして落ち着けるのか。後半がスタートした。
ジョージアの戦術は変わらない。もちろんFWも使う、スクラムでも押すがしっかりパスも回し走りもする。この辺で気づいたがジョージアは極めてオーソドックスなラグビーを高レベルで実現しているようだ。
フィジーも戦術は変えない。だがハーフタイムを挟み落ち着けたのか一つ一つのプレーの精度が上がってきた。
ジョージアが走ってくることを前提に守備をするのでなかなかジョージアは前進ができない。
フィジー攻撃の際は、タックルを受けるときに芯を外し腕を自由にすることでオフロードパスが決まり始める。
こうなると自力で上回るチームに追われるチームは怖い。
後半ずっと攻められ続け結局2トライ2ゴール1ペナルティゴールを許し
このまま押し切られるかと思ったがまだまだ試合は終わらない。
ジョージアの体力が落ちる前にフィジーの出足が若干鈍くなってきた。
負ければ予選敗退がするジョージア、まだまだワールドカップは終わらないと気合の入り方が尋常ではない。
ペナルティゴールで3点を返し、5点差としてラストプレイとなった。
こうなると観客も逆転を期待する。元々前評判が低い方に味方することが多いラグビーの観客たち、ここぞとばかりに大声援でジョージアの後押しをする。
やはりパワー勝負ではなく走るジョージア。この直前にイエローカードで14人となったフィジーディフェンスの穴を突き前にでる。かなり前進したところでフィジーに捕まりそうになる。普通なら一度倒れて仕切り直しにするところ、ジョージアはなんと前方へキックでボールを転がした。フィジーの後方には誰もおらず、フィジー、ジョージア双方の競争で勝った方が勝利となる。
あと一歩、二歩程度の差でフィジーが追い付きボールを蹴り出してノーサイド、結果は
終わったあと、双方の選手たちがグラウンドに座り込んでしまった。激闘を物語るシーンだ。
素晴らしい試合を見たので吐き出したくて長文を書いてしまった。
結果はフィジーが予選通過をほぼ確定させ、ジョージアとその余波でオーストラリアが予選落ちする結果となった。
この試合はジョージアの可能性も、フィジーの成長も十分に感じることができた。伝統国以外の活躍は今後のラグビーの未来の光明ともなる。今後の両国に期待したい。
自己分析してみましたが
・女の人が巨乳
・精液が景気よくドバドバ出る
・しかし男がそれなりの年齢をしていると男の情けなさにイラついてしまう。よって男は低年齢である方が良い
参考にしてください
https://news.mynavi.jp/article/20230821-2751197/
どのような相手がカスハラをしてくるのかを調べたところ、81.1%が「男性」であることが明らかに。
年代では「50歳代」(40.6%)、「40歳代」(22.3%)、「60歳代」(17.2%)と、40歳代~60歳代が多い結果に。
カスハラの内容を聞いたところ、卸売・小売業(百貨店・スーパー・コンビニ)では半数以上が「執拗な(しつこい)言動」(55.6%)、「威圧的な言動(大声を出すなど)」(55.6%)、
「責任がないにも関わらず商品の交換や金品を要求」(51.9%)のカスハラを受けたことがあるよう。
交通インフラ業でも、半数以上が「執拗な(しつこい)言動」(50.0%)、「威圧的な言動(大声を出すなど)」(55.0%)のカスハラを受けたことがあると回答した。
んじゃないかな。某DevRelの話。
採用候補の顔写真が並んでて顔貌が整っている人のほうが印象が良いという画像をネットで見たことある人も多いと思うけど、ああいうのは大前提として現実に存在することを認めないといけない。(そんなものはクソだ変えていこうと言ったところであるものはある)
実際女性(男性)のほうが受けがいいという職種・業務は存在する。「新卒説明会は女性社員が進行したほうが受けがいい」「製造部門のインタビューは(珍しい)女性社員を起用して女性が活躍できる職場の印象を狙う」「男の営業職は1ヶ月に一回は髪切れ」「先輩に仕事の相談をしたら筋トレを勧められた」みたいな明文化されてない話は、結構共感が得られるのではないだろうか。
「『人を見た目や性別で判断するのは良くない』という現代の風潮を利用して反論を封じつつ、うまく美貌資産を利用できたらもうけもん」みたいな考え方は、美貌資産を持っている当人はもちろん否定しても、その周囲のメンバーはわざわざ否定もしないし賛同もしないしいちいち声に出して反論しないけど自分に関係ないからさっさと仕事すすめるために黙認しようくらいは思っているんじゃないかな。
おれは大企業のDevRelなんて職種がなにか知らないし今回のことで初めて知った程度の中小泡沫社員だけど、企業(と言ったら言い過ぎなので、企業内のグループ・チームメンバー)は美貌資産をうまく利用しても良いと思ってる一部の人と、それを黙認する大多数の社員で構成されてるんじゃないかな。
もちろんDevRelの人が顔貌関係なく優秀というのは関係なくね。そういうの関係なく、使えるものは使っていくのが企業だし、広報だと思っている。
社会人サークルなので、年代は幅広い。20〜40歳の男女である。
顔(口や鼻、頬)に触れたり、腕を組んだりするのである。
正直見苦しいは見苦しいのだが、まあ女→男であるし、被害を受けた男性メンバーからも不快という声はないので、これまで看過してきた。
そして最近。
飲み会の席で、とある男性メンバーから肩に触れられたり、話す距離が近すぎることがあった。不快であるから、幹部から何かしら注意をしてほしいとのこと。
それはいけない。いくらサークル活動とはいえど、セクハラはあってはならない。
当該の男性メンバーを呼び出し、個別に指導し、サークル規約に則って誓約書にサインを求めた。
今後このようなことが必ずないように。
誓約書の内容は、次があったらブラックリスト名簿に入れて、サークルとの関わりを断絶することを記している。
すると、当該の男性メンバーは、女性メンバーへの身体的接触があったこと自体は認めたものの、不服な部分があったらしい。
「アラサー女性の過激なセクハラがつね日頃看過されているのに、自分のことだけ指導されるのは不服。アラサー女性にも指導があるべき。」
幹部側としては、
「接触行為がセクハラであるか否かについては、セクハラを受けた本人がどう感じたかに依存する。アラサー女性の接触行為に関しては、被害の報告がないため、指導にあたらない。」
という回答を出した。
そんな会話をしながら、
アラサー女性の「セクハラになりうる接触行為」を看過している事自体が、「セクハラとなりうる行為」そのものを助長する環境の温床になってしまっているのかもしれないなあ…なんてことを思った。
また、サークル規約のブラックリストにかんするルールで、セクハラの扱いが、「された人がいやだったかどうか」というフワっとしたものであるのも、ちょっと良くないんかな…と思った。
「セクハラとなりうる行為」の具体的な内容は、アラサー女性の接触行為のほうがよほど悪質であるのは確かだな…と。
明確な悪意というか、害意がなかったのは、アラサー女性も、当該男性も、同じだと思うんだ。
酔っ払った席で行き過ぎてしまっただけ。
それとも、同意が無い接触行為に関しては、被害者の感情に寄ること無くすべからく平等に裁けるルールであるべきなのか?
難しいぜ。