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はてなキーワード: 金字塔とは

2021-05-08

[]金字塔

文字通り、漢の「」に似た形をしたのことを指し、とどのつまりピラミッドのこと。

転じて、長く残り続ける実績のことを「金字塔を打ちたてる」という。

この「たてる」に当てはめる漢字は、由来が建造物なので「建てる」と書くか、慣用表現の文脈に基づいて「立てる」でもいいらしい。

2021-05-03

「失敗の本質」を読んであとに、日本コロナ対策を見ると失望しか

失敗の本質日本軍組織論研究 (中公文庫) 文庫 – 1991/8/1

戸部 良一 (著), 寺本 義也 (著), 鎌田 伸一 (著), 杉之尾 孝生 (著), 村井 友秀 (著), 野中 郁次郎 (著)

敗戦の原因は何か? 今次の日本軍戦略組織面の研究に新しい光を当て、日本企業組織に貴重な示唆を与える書。ノモンハン事件ミッドウェー作戦ガダルカナル作戦インパール作戦レイテ沖海戦沖縄戦という大東亜戦争における6つの作戦の失敗の原因を掘り下げ、構造問題と結びつけた日本組織論金字塔

何もかわってないと失望ばかりしていては何も解決しないので、どうすればいいのかを考えたい

といっても自分が読んだのはこっちのほうです

「超」入門 失敗の本質 日本軍現代日本共通する23組織ジレンマ 単行本 – 2012/4/6

鈴木 博毅 (著)

失敗1 曖昧戦略

戦略を決める

まずはこれ。

戦略の失敗は戦術では取り返せません

どうやってコロナ収束させるのかのグランドデザイン必要

といっても、そんなのワクチンしかないよね

まりワクチンいかに早く全国民に接種させるか

これを最高の優先度にして全ての計画を立てる

まあ、オリンピックとの優先度をどうするのか、これを決めて宣言することが大事だよね



っていうか、これだけだよね

やるのって

2021-04-21

ウマで今更「スマホゲーなのにちゃんと遊べる!」と言われても……

個人的備忘録もかねてここ10年ぐらいの「(少なくとも一時期は)ゲームとして成立してた基本無料スマホゲー」の中で抑えておきたいものを整理してみる。

2011年 おさわり探偵 なめこ栽培キット

盆栽ゲーの完成形。今や「コツコツ育てるゲーム」という意味で使われる「盆栽」という単語だが、なめこに比べればどこが盆栽なのかと言いたくなる。

放置してなめこを育てて集めるというただそれだけのゲーム

ゲームとして成立しているのかと言われれれば「ガチャで引いたカードデカ数字が書いてあるかどうかを比べるだけより1000倍ゲームである」と声を大にしていいたい。

2012年 クラッシュ・オブ・クラン

通称クラクラAIの行動を読んでハックするという遊びはまさにゲームのもの

結局は金を積んだやつが強いのは事実だが、強くなるための片輪としてプレイヤーが工夫をこらす余地があるのは極めてゲームゲームしている。

2012年 パズル&ドラゴンズ

ガチャゲーとしての要素も強いがそれはまずパズルゲーム攻略するのが大前提

e-sportsとしての側面もあり圧倒的にゲームである

2013年 モンスターストライク

パズドラライバルみたいな立ち位置だが、より間口が広くガチャから引いたキャラ個性も出しやすく作られている。

でもゲーム性が簡単になるとガチャ重要度が高まるから相対的パズドラよりゲーム度下がってね?とは思うがバシーンよりは100000000000倍マシ。

2013年 Ingress

位置ゲーム金字塔

増田話題駅メモや、ポケモンGO作品の中で最も純粋位置情報ゲームをしていた作品

やることはシンプルに「日々の生活の中でスタンプラリーしまくる」というだけなのだが、そこに工夫やプレイヤー個性が出る時点でガチャゲーより100000倍ゲームである

2013年 ラブライブ! スクールアイドルフェスティバル

アイドルシャンシャンするゲーム

音ゲーなんだからそりゃあゲームだろ。

眺めてるだけじゃ駄目だもんな。

2013年 魔法使いと黒猫のウィズ

スマホクイズゲーム自体QMAスマホ版が先んじていたのに、なんかやる気がない作りで勝手に忘れ去られこっちが残った悲しみ。

ぶっちゃけカード数字重要ガチャバシーンな所はあるのだが、そうはいってもクイズが出来なきゃバシーンもクソもないのでクイズゲー以外の何物でもない。

2013年(2015年) 千年戦争アイギス

ブラウザ版が出て2年してスマホ版が登場。

タワーディフェンスゲームはコレ以前からあったし、R-18要素ありのブラゲーもあったのだが、ガチャバシーンじゃなくゲームとして成立しているR-18ゲーはアイギス辺りから

でもアイギスがあったDMMでも本格的に遊べるR-18ゲーは似た路線ガーディアンミストレス(ガーミス)ぐらいだったような気がする。

ちなみにガーミスっていうのは「AV女優×ドット絵の新鮮な世界観で織り成す究極のハーレム堪能型本格エロタワーディフェンスが登場!」という紹介文から分かる通り、コスプレAV女優ドット絵にしたキャラリアルタイム操作して戦うタワーディフェンス風面クリアRTSなんだけど、コスプレAV女優を駒にするというシステム衣装替えという形でゲームに落とし込んだことで、ガチャゲーが抱えがちな属性相性や射程距離が単なる持ち物検査で終わりがちな部分が戦略性として機能していて、衣装替え中や必殺技発動時の無敵を上手く活かしたり、近接キャラ交戦状態にすることで相手タゲを1キャラに固定して時間稼ぎやタコ殴りをしたりするといった様々な戦略を練ることが出来て、ガチャ要素のあるゲームの中では圧倒的な「択」の多さを誇るまさに本格的エロタワーディフェンスゲームだったんだけど、そういうゴチャゴチャしたゲームが好きなオタクに限って二次元オタクロリコンが多いもんだからゲーム性的にメインターゲットになりうる層三次元グロから敬遠されがちだったり、逆にAV女優に釣られたプレイヤーがゴチャゴチャしているからと避けていったり、難易度上昇(特に反射能力を持ったギリメカラ的な敵がキツかった)でプレイヤー疲弊していったりと、ユーザーが離れる要素も多くていまいちマイナーなんだけど、スマホゲーやブラウザゲーの中ではまさにトップクラスと言っていいゲーム性を誇る作品が何故か三次元コスプレAV女優というややニッチジャンルから飛んできたことも含めて「超ヤバイゲーム」なんだよな。

2014年 白猫プロジェクト

リアル法廷バトルゲーム

まあ色々アレだけどスマホアクションRPGとしては人気でるのに必要な所は踏んでる。

でもガチャ重要度は高いのでゲーム性そんなでもない気もするが、バシーンバシーンでは流石にないよね。

2014年 パワプロアプリ

ゲーム性的にウマの前世。コレ以上の言葉は要らないと思う。

2016年 シャドウバース

本格スマホカードバトルを名乗るように、スマホで本格的なカードバトルが出来る時代が来たことを業界に突きつけている。

そこはHearthstoneじゃね?思うだろうが(でも俺ならShadow Eraの名前を挙げるね(ドヤァ)、PCプレイする前提で本格DCGをやるのと、スマホをメインにして本格DCGをやるのとでは客層に対するアプローチが違うと思うのでこっちで。

いやマジでWoWとかやってた超熟成古参オタクTCG投げるのと、神バハやグラブルやってるような連中にTCG投げるのは商業的には限りなくて似て非なるものだと思うよ。

かにレアカードはクッソ強いんだが、ガチャから出たカード数字がそのままぶつかりあうだけのガチャゲーに比べるとゲーム度は天文学的数字となる。

2016年 予言者育成学園 Fortune Tellers Academy

クイズゲーとトトカルチョの間の子で、未来出来事を当てるという行為ポイントを競う。

スマホで出来るけど本格的に遊べて運の要素が絡むという非常にナイスアイディア!だとは思うんだが……いまいちビジュアル面がパッとしなかった。

つうかバトル要素いらねーだろ面倒なだけだぞっていう……いやでもマジで貧弱ゴミスマホでも遊べるゲームを成立させるアイディアとしては正しかったのに色々惜しかった勿体なかった。

2017年 荒野行動

ススススススススマホFPSwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwがオンラインで出来る時代なんだから凄いな(老人感

すまん。

10年振り返るといったんだが、ここ5年ぐらいでグラフィック以外で圧倒的にゲーム性が進化したと思えるのがいまいちない。

アクションRPGMMOは確かにパワーアップしてきてるんだが、でも結局は初期のアクションRPGからゲームとしての部分で大きな変化があったようには思えないんだよな。

もしかしてスマホゲーは長い袋小路突入している?

2021-03-04

エヴァは25年の月日に潰された

1月22日、娘の前でエヴァ一挙放送の「破」を見ていた。

エヴァについて色々質問してくる娘に答える。昔流行ったアニメであること。今も作られ続けていて、今度ようやく完結すること。画面の中で動くキャラ名前兵器のこと。あれこれと説明していく私の横で、娘は一言こう言った。

面白い?」

私は答えられなかった。あらためて新劇場版を前にして、序を見ても、破を見ても、浮かんでくるのは「懐かしい」「キャラかわいい」という感想だけで、「やっぱり面白いな」という感覚が私の中になかったのだ。1995年テレビ版と2007年の序を観た時には確実に心にあったものが、今はすっかり抜け落ちていた。

一体私は、あのアニメの何を楽しんでいたのだろうか?

1995年当時、エヴァ社会的にヒットした理由は「新奇性」なのだと思っている。暗い世界観、謎に満ちたストーリーコンプレックスを抱えたキャラクター、迫力の戦闘シーン、人間ドラマ、そして何より「空気感」。

後世に残る大ヒットをかまし作品は、往々にしてその時代の空気感を反映している。エヴァというものは今までに無かったもので、そこに震災やらオウムやら世紀末やらといった「世相」が絡まっていた。1995年に生きた人間しか分かり得ない何かがあって、でもそれは2021年からは振り返れない何かであって、その熱量が本物だったから、エヴァ時代を超えるアニメになったのだと思う。

当時小学生だった私は、エヴァの裏にある複雑なストーリー理解していなかったが、「何か凄い」という感覚だけは頭の中にずっと走っていた。それは私よりずっとずっと大人の人も同じ感覚だったのだろう。「〇〇みたいなアニメ」という枠で語れない、それが新世紀エヴァンゲリオンであった。

新奇性がそこにあった。時代先駆者となれたからこそ、25年も続くアニメリーズが作られ続けたのだ。

しかし、今は違う。エヴァンゲリオンフォロワーは世の中に多く溢れかえり、設定も、キャラクターも、その後に続くフォロワー達の中に埋もれていった。アニメ表現自由になるにつれて、「エヴァっぽさ」は1995年という文脈から独立して一人歩きを始め、当時の世の中を取り巻いていた空気は、25年の歳月の中で霧散していた。

スペースオペラ金字塔を打ち立てたスターウォーズが、新三部作で散々な評価を受けたように、またオープンワールドの先駆けたるシェンムーが、20年の時を経てリリースされた3で大ゴケしたように、時代先駆者は、往々にしてその後のフォロワーから突き上げあい自分立ち位置時代性を見誤る。オリジナルからブラッシュアップを得たフォロワー達は、技術進歩と数の恩恵を受け、先駆者時代遅れへと追いやっていく。

それでも、先駆者は死なない。死ぬのは2番手以降の粗製品だ。一番乗りにはブランドと、話題性と、そして神話があるのだ。

その神話エヴァにおいては非常に重かった。定期的(と言えるか微妙な間隔)に公式から供給がある。あのころファンは存命で、まだ強い熱量を持っている。そして何より、エヴァはまだ完結していないのだ。

しかし、序からでさえ14年経った。もう時代遅れなのではないだろうか。2021年空気感を捉え、エヴァを完結へと導くには、あまりに長すぎる時が経ってしまったのではないだろうか。私は一挙放送でそう感じてしまったのだ。

それは私が大人になったからなのかもしれない。色々な作品を観てきたうちに、珍しさも目新しさも感じなくなり、エヴァのものへの興奮が薄れてきたからかもしれない。

隣に座っていた娘におそるおそる聞いて見た。「エヴァ面白いと思う?」

「うん、面白いよ、きれいですごいし」

私が子どもときに抱いた感想と同じであった。娘は娘で、エヴァを「なんかすごい」ものだと思っている。

子ども面白さに敏感だ。面白いものを前にしているときは、外から分かるぐらいはっきりと目がキラキラする。しかし、画面の前に座っていた娘の目は、Youtubeを見ているいつものときとあまり変わらなかった。

娘は派手なシーンでよく「すごい」と言う。それは恐らくアクション映画を観る感覚であり、一瞬一瞬のパーツの面白さを味わっているのだろう。TwitterTikTok動画のようなインスタント面白さが、ハイテンポで繰り返される、その状態をすごいと表しているのだと思う。

「〇〇とどっちが面白い?」口にしかけた言葉はすんでのところで飲み込んだ。

Twitter散見された感想も、ほとんどはキャラクターへの感情だけであり、ストーリーや、世界観や、その他色んな「エヴァらしさ」に触れている人はあまりいなかった。ハッシュタグを追って見ても、あのころを懐かしむ意見ばかりで、新たにエヴァ世界に参入してきた人は見かけなかった。

もう、そこには「新奇性」は無いのだ。世界観も、メカニックも、専門用語の羅列によるバトルシーンも。何なら綾波アスカといったキャラクターすら、無数のフォロワー達によって「よくあるもの」となっていた。新世から20年経ち、時代エヴァを完全に置き去りにしていた。

でも、エヴァはまだ死んでいない。新劇場版4部作、中でもアニメと大きく異なる3、4作品目、ここにまだエヴァが残されている。エヴァらしさのほとんどは時代によって風化したが、まだ、一番大きなものが残っており、ファンもそれを強く求めていた。

そして、その期待を受けて出来上がったのが他ならぬ「エヴァQ」であったのだ。

私は、エヴァQは残された「エヴァらしさ」を極限まで追求した結果生まれものだと思っている。その純化した素材は、考えられる限り最悪の料理を作り出したわけだが。

その「エヴァらしさ」とは何か?それは「意味不明さ」である

何も描かれていない背景の下でぐりぐり動くメカ声優と口調以外に面影のないキャラクター、そして「難解」というよりも「支離滅裂」なストーリー最先端だったアニメ表現は当たり前のものとなり、1995年空気感どころか、2012年当時の空気感すら作れていなかった。

エヴァとは何か?メカか、キャラか、ストーリーか?

制作者が出した答えは「意味不明さ」であった。

Qを観て、私は思ってしまった。目の前で繰り広げられる群像劇の一つひとつが、キャラクターの心情を深掘りするのではなく、制作者の考えたオ○ニーを少年少女に代弁させているだけのような気がしてしまったのだ。ただただ意味の無いセリフが飛ぶ奇妙な寸劇を眺めて、言い知れぬ不快感を覚えてしまったのだ。17年の集大成が結局ただのキャラ萌えであり、もうエヴァはとっくに時代に耐えられないのだと、そう感じてしまったのだ。

だけど、エヴァがどこかに向かって逸れていくのは、きっと仕方がないことだ。エンディングをぶん投げてから25年、今さらシンジ君がサードインパクトを止めて世界を救いました」では、ファンが許さない。時代が進むにつれエヴァは古くなっていき、それに反比例するようにハードルは上がっていく。

もう一度エヴァが築き上げたものを再構築し、あの熱狂を甦らせようと、制作者はエヴァらしさを突き詰め続けた。ただ、その先に、未来が無かっただけなのだ


一体私は、このアニメの何を楽しんでいたのだろうか?


3月8日、いよいよ新劇場版最終作が公開される。私も娘を連れずに観に行くつもりだ。

しかし、正直きちんと完結するとは思えない。毎週更新され続けたテレビアニメ版ですらまとめきれなかったのだ。たった4作で綺麗に締められるわけがない。

ただもし完結することがあったなら、ファンがかける言葉はきっと、「面白かった」や「つまらなかった」よりも、「完結おめでとう、お疲れ様なのだと思う。それはまるで野球選手引退試合のように、時代と戦い続けた者を称え、時代に敗れた者を見送る、そんな言葉がたくさん注がれるのだと、私は強く思っている。

anond:20210304144014

JRAで299連敗という金字塔を打ち立てた木幡初也騎手応援してあげて欲しい

2021-02-22

魔術士オーフェン雑語り

今、テレビアニメ放送中の魔術士オーフェンはぐれ旅の原作小説について、雑に語ろうと思う。ネタバレ満載原作4部まで話すので、ネタバレ苦手な人は回れ右

回ったかドリルで穴あけ殺す勢いで回ったな?じゃあ、話す。

魔術士オーフェンというシリーズ90年代ファンタジーラノベ金字塔と言われている。私は98年くらいかオーフェンを読んでいるが、確かにあの頃にとても売れていた。いわゆる夢と冒険ファンタジー的な売り文句だったと思うが、今思うとほぼ全ての読者がこの物語本質を誤解していたから売れていたのだと思う。

私もオーフェンを夢と冒険ファンタジーだと思っていた。が、当時巷に溢れていた物語とは何かが違うとも思っていた。その時にはただの予感でしかなかったが、あれから20年以上経った今になって、それはようやく確信となった。魔術士オーフェンという物語は夢と冒険ファンタジーではない。人間倫理についての思考実験だったのだ。

まず、第一である西部編。これは罪と償いについての物語である。一巻でチャイルドマンを殺したアザリーが、その罪を償うために何が出来るのかを模索したのが第一部だ。

先に言っておくと、作者の秋田禎信氏は殺人という罪を否定しているが、それを人間絶対的な汚点とは見做していないと考えられる。なぜそう思うのかというと、第一部では主人公も含めて殺人者が登場するが、彼らに物語の神の立場で罰を与えてはいいかであるしかし、安易な赦しも与えていない。彼らが殺人であるという事実に直面させ、その上で彼らの生き方を描いている。これについては同作者のエンジェルハウリングにも同様の特徴がある。

そして第一部では、アザリーチャイルドマンへの償いを通じて、この世界秘密が語られる。この秘密の明かし方は非常にドラマティックに演出され、私は陶酔すらした。

この演出の妙があまりにも素晴らしかったので、私も含めて多くの読者はこの物語を夢と冒険ファンタジーだと誤解したのだと思う。精緻に設定された世界を楽しむ物語なのだと。

しかし違った。作者は世界を描くということに、もっと自覚的であった。その自覚が存分に描かれるのが第二部、東部である

東部編は西部編で明かされた世界秘密、滅びに晒されている世界を6種のドラゴン種族の長たちだけで守っているという事実に対して、そのために現れる世界の歪みと、その世界の在り方をどう捉えるのかということを克明に描いていく。これもまた、倫理的な話である

最終的に、オーフェンにはその歪みを好きなように書き換える機会が与えられた。歪みを正す機会ではない。好きなように書き換える機会である

この時の彼は神にも等しい魔王の力を持っており、ドラゴン種族の守りをより完璧にすることも、自身ドラゴン種族の代わりに世界守護者になることも、好きに選べた。

しかし、オーフェンはごく僅かな人々が世界を守るという在り方を否定した。世界が滅ぶことによって死ぬかもしれないというリスクは全ての人で平等に背負うべきだという道を選んだ。そして、ドラゴン種族の守りを消し去ったのである

例えば、これをかつての王制になぞらえることも出来ると思う。王制と言えば王権による暴力ばかりが注目されがちだが、政治という大きなものをひと握りの人間押し付け装置でもあった。これをドラゴン種族の長達による世界の守りと同等の問題だと見做すことは出来るだろう。

そうした世界の在り方を認めてよいのか?という問題に否という答えを出したのが第二部であった。

そして語られない第三部は飛ばし、第四部の話をしよう。

四部では、力と人間の極限を描く。力の強大化が行き着く先はどこか。人間が強大化する力を持ったとき、いつまで人間と呼べる存在でいられるのか。そうした問題を扱う。

オーフェンが第二部のクライマックスで手に入れた魔王の力はそれから20年経ってもまだ彼の中に残っていた。しかし、オーフェンはその力を振るえば自分人間はいられなくなると考え、その力を自らの自制心だけで抑え続けてきた。オーフェンドラゴン種族の守りを消し去ったことが原因で遭遇することになった神人災害でどれだけの人が死のうとも、それらを全て蘇らせることが出来るのに、だ。

この、とても人間とは思えない自制心故に人間でいられるという二律背反を背負ったオーフェンと、それを生み出した作者の秋田禎信氏に深く敬服の念を抱く。

集中力が途切れたのでこの辺で。とにかく、魔術士オーフェンシリーズ倫理観を問う話だと思う。

2021-02-10

没後100周年のサン=サーンス10曲聴こう

anond:20210210062305

・どういう人?

フランスまれ(1835-1921。七月王政第一次大戦後)。小さいころ神童で、ピアノオルガンも超一流で教養もあったすごい人。旅行も好きだった。オペラバレエ合唱曲、あとは超絶技巧ものみたいな総合芸術流行ってたフランスで、交響曲とかソナタみたいな堅苦しいジャンルフランス人が書くならどうすればいいか模範を見せた。意識的に「フランス音楽」を作り上げた功績は大きいけど、長生きしすぎた(あと口が悪かった)せいで晩年時代遅れ扱いを受けた。

普通に有名な5曲

交響曲第3番「オルガン付」

代表作。交響曲かいドイツ語圏名産の重苦しい形式を、華、明快、節度大事フランス流の美学で仕立て直した金字塔。近いコンセプトのピアノ協奏曲第4番、ヴァイオリンソナタ第1番を聴いてみると、編成に合わせてどう曲想を変えてるかも楽しめる。

www.youtube.com/watch?v=eTsbgDBC4_k

ピアノ協奏曲第2番

サン=サーンスといえば協奏曲ヴァイオリン協奏曲第3番とかチェロ協奏曲第1番も名作だけど、この曲は重厚な第1楽章、軽くて無邪気な第2楽章情熱的な第3楽章とそれぞれ対照的雰囲気が一度に楽しめる。

https://www.youtube.com/watch?v=tk_eqKUjDXE&list=OLAK5uy_kFlhz7yMPIyXhc1pQ-5NDDtQL0XezyFz8

交響詩「死の舞踏

若いころのサン=サーンスは「現代音楽家」で、古典大事にもするけれど、形式の堅苦しさから脱出しようとした。交響詩は当時最新鋭のジャンルで、死神ヴァイオリンとか、ガイコツを描写する木琴とか、ちょっと品のない表現もたくさん使って悪夢的な情景を表現しようとした意欲作。「オンファールの糸車」「アルジェリア組曲」もおすすめ

www.youtube.com/watch?v=k1s28gmLicc

動物の謝肉祭

本人は発表を嫌がったっていうのもわかるけど、言いたいことを短く言い切る発想力と技術、やっぱりサン=サーンスからこそ書けた作品だと思う。神秘的な「水族館」と馬鹿騒ぎの「化石」が個人的ハイライト

www.youtube.com/watch?v=7SjagpXeNhM

オペラサムソンとデリラ

サン=サーンスの堅いところと砕けたところが両方いい感じに出たオペラ。全部聴くと長い(でもオペラとしては短め)からオリエントっぽさ満点の「バッカナール」が入ってて最後も派手な第3幕をとりあえず聴くといいと思う。異国趣味だとピアノ協奏曲第5番「エジプト風」の第2楽章とか、本人なりになんとか日本っぽさを出そうとがんばった「黄色王女」も面白い

www.youtube.com/watch?v=GNa8HOMcDvk

・そんなに有名じゃない(好きな人はたぶん知ってる)5曲

ヴァイオリン協奏曲第1番

20代半ば、1860年ぐらいはサン=サーンス最初に輝きはじめた時期だと思う。自分はこの曲が一番好きだけど、序奏とロンド・カプリチオーソ、ピアノ協奏曲第1番、交響曲第2番、チェロピアノのための組曲 作品16、冒険心と若々しい覇気を感じる秀作ばかり。

https://www.youtube.com/watch?v=J34_SiyzsUw&list=OLAK5uy_nfoGOwtSlxkICv6SpIOPGmTsLh7soAVnU

チェロソナタ第1番

ドイツっぽいド根性ベートーヴェンとかブラームスとかワーグナーとかそういうやつ)はサン=サーンスの持ち味とは違うけど、この曲は珍しくベートーヴェンっぽい激しさ、硬質なかっこよさが味わえる。普仏戦争ドイツに負けて、自分たちのとこでも交響曲とかソナタとか作ってやろうと奮起した時期の曲だからだろうか。いわゆる「精神性」「深み」みたいなのは、「糸杉」作品156とかクラリネットソナタの第3楽章かにある。

https://www.youtube.com/watch?v=AU2Eq1jKJGE&list=OLAK5uy_najeRAiKZJwnS2_n9wzLaYdgzMiOZ1RtY

スケルツォ 作品87

ピアノ名人だったかピアノソロの曲もたくさんあるけど、楽器が身近すぎたからか良くも悪くも一瞬のひらめきで書いてて、波長が合わないといまいちアガらない。むしろ2台ピアノのほうが頭を悩ませながら作ったみたいな感じがあって工夫を楽しめる曲が揃ってる。この曲は優雅ワルツが軸なんだけど、ちょっと気を抜くと不穏な世界があるみたいな前衛的なシュールさもあって面白い

www.youtube.com/watch?v=wNc7UNFcPMA

詩人ミューズ 作品132

オルガン付」で一度総決算して一息ついたあとの60代(20世紀に入る前後)は完成した作曲技術をつぎこんだ、地味だけど傑作の森だと思う。ヴァイオリンソナタ第2番、チェロ協奏曲第2番、弦楽四重奏曲第1番とかを経てこの曲はヴァイオリンチェロの二重協奏曲。どこをとってもいい音楽を聴いてるなあと思う。

www.youtube.com/watch?v=wDT21gGt9FQ

オーボエソナタ

そして死んだその年の曲。年をとって無邪気になるというか、どっか遠いとこを見るようになる作曲はいろいろいるけど、86の爺さんはやっぱり格が違う。もう思い残すことはなさそうな感じ。クラリネットソナタファゴットソナタと合わせて三部作からそっちもぜひ聴いてほしい。

www.youtube.com/watch?v=xudGml9nOO4

2020-12-10

鬼滅の刃特許発明における新規性のおはなし

(一部ネタバレを含みますので鬼滅の刃を全巻読んでない人はご注意ください)

特許発明における新規性とは?

特許発明」という言葉を聞いて、これまで世界になかった人類にとって役立つ発明

認識している人もいるかもしれません。

そもそも特許とは、新しいものであること(新規性)、容易に考え出すことができないこと(進歩性)を

成立要件としています

  

それでは新規性はいったい何でしょうか?

文献や学会発表テレビインターネットなど、公に情報を開示されたことが過去にある内容を、

特許世界では「公知である」と表現します。

そして特許における新規性とは「公知ではない」ことを指します。

  

では公知である2つの要素を組み合わせたとき、それは新規性と呼ぶのでしょうか。

  

例えば「CDプレイヤー」という製品が公知であったとします。さらに「ラジオ」という製品

カセットレコーダープレイヤー」という製品があったとしましょう。

  

貴方がこれらを組み合わせてCDラジオカセットも聞けて、カセットには録音まで付いた

CDラジカセ」を発明したとします。

  

さて「CDラジカセ」は新規性があるでしょうか?

  

…もし「CDラジカセ」という概念説明している「単一情報源」が特許出願した時点でこの世に存在していないなら、

特許世界では新規性はあると判断されます

  

既存のものを全部乗せしただけにも関わらず、特許の成立要件の一つは認められてしまうのです…

  

漫画における新規性

さて、話を漫画世界に持っていきましょう。

わたし漫画においても上記に述べた新規性概念通用すると思っています

  

今まさに大流行している「鬼滅の刃」ですが、部分的類似した要素を持つ漫画を挙げることができます

(挙げた作品オリジナルだ、という主張ではありません)

  

鬼によって妹以外家族が全員殺され、鬼への復讐を誓う

巨人によって家族全員が殺され、巨人への復讐を誓う(進撃の巨人

  

妹が鬼になってしまい、鬼から人間に戻すため兄妹で旅立つ

→弟が鋼の鎧になって肉体を失い、肉体を取り戻すため兄弟で旅立つ(鋼の錬金術師

  

列車移動中に敵の固有能力攻撃を受けるも危機脱出して走る列車で敵を撃破

列車移動中に敵の固有能力攻撃を受けるも危機脱出して走る列車で敵を撃破ジョジョ5部)

  

「始まりの呼吸の剣士」縁壱の記憶が炭治郎に流れ込み物語の始まりを知り強くなる

→「最初の『しろがね』」白銀記憶が勝に流れ込み物語の始まりを知り強くなる(からくりサーカス)

  

鬼殺隊→護廷十三隊、柱→護廷十三隊隊長BLEACH) 

  

他、思いつく限り挙げていけばキリがありません。

  

こういった過去漫画でも使用された「おいしい」部分を組み合わせたことは、

今の鬼滅の刃のヒットに大きく寄与していると考えています

  

しかし、これをもって「鬼滅の刃は〇〇のパクリ」などと安易罵倒することは果たして正しいのでしょうか?

  

公知のものを組み合わせる価値

特許の話に戻ると、もう一つ重要な成立要件として「容易に考え出すことができないこと」、

まり進歩性が必要と述べました。

  

既存のものを組み合わせることは「容易に考え出すことができないこと」でしょうか?

  

先述のCDラジカセを例にとりましょう。

CDラジカセ進歩性を「CDラジオカセットも聞けて、カセットは録音もできる」という主張だけでは

進歩性を認められるのは難しいかもしれません。

CDラジカセ発明したことで新しい価値が生み出されていないと成立しないのです。

 

それではCDラジカセ進歩性をどう主張すればよいのか?

 

あくまで例えばですが「これまではレンタルで聞いて返してただけのCDから好きな音楽カセット

高音質で移せるようになった」と主張すれば、それは新しい価値と呼べるのではないでしょうか。

  

CDラジカセは内的にCD部分とカセットの録音部分が接続されており、

スピーカー越しの録音や別機器同士を有線接続する必要がないのです。

これは即ち、良い音質での手間のかからないダビングを可能します。

  

単純に別々に機器を持っているだけでは達成されない効用が得られるということになります

  

漫画進歩

再び漫画の話に戻ると、これはあらゆる名作漫画において近いことが

言えるのではないでしょうか。

  

鬼滅の刃と同じくジャンプに連載されていたSLAM DUNKは、

言わずと知れたバスケット漫画金字塔です。

  

しかし、SLAM DUNKですら、初期の頃はバスケットボールの部分が受けなかった時に備えて、

ヤンキー漫画コメディ漫画の要素を積極的に取り入れていたように思えます

この部分はSLAM DUNKより2年前に連載が始まった「今日から俺は!」と類似した要素を持っていました。

  

主人公 桜木花道春子さんに一目ぼれし彼女に振り向いてもらうため、という不純な動機バスケットを始めます

最初は余裕をブッコいていた花道ですが、バスケの難しさ・楽しさを徐々に知っていき、

不真面目で不純だった花道が真のバスケットマンへと成長していく姿に心打たれた人も多いでしょう。

  

それに呼応して、作風も初期のヤンキーコメディタッチから終盤のバスケットボールで真摯に戦う漫画へと

変化していく様子が見て取れると思います

  

SLAM DUNK進歩性とは、ヤンキーコメディ要素を組み合わせ、それを徐々に薄まらせていったことが、

結果的花道の成長とシンクロした、という主張をしてもいいのではないでしょうか。

  

鬼滅の刃主人公性格価値観などが大きく読者に受け入れられた作品だと思うのですが、

作品との類似要素が主人公を形作るために大きく貢献したからこそ、現在の大ヒットにつながっているのかな、と思いました。

2020-12-05

[]

マンガ倉庫にいってきた

PS4VITA3DSざっとみる

ランキング1位がFF7リメイクだった

海賊無双4がでててもう4もでてるのかと驚く

VITAは1いがイース8だった2k円

真田丸が1kだったけどやるならps4でやりたいかパス

マイクラめっちゃあまってた

3DSゼルダ無双1.5kだった

ちょっと興味あるけど調べるとあんま評判よくないんだよなうーん

ポケモンがたくさんあったけど興味ない

アダルトコーナーへ

エロゲーざっとミル

ランスクエストが2980円

スイートナイツがポップにレアゲー!ってかいてあったけど馬鹿言うな

だいぶ前だけどアリスの館456にプレミアソフト!とかポップつけて3kくらいで売ってた糞店だからなあ

ざっとみてめぼしいものないなとおもたら、最後まさか伏兵

エロゲDVD付録でついてるメガストアテックジャイアンが大量にあった

たぶん60冊くらい

ラインナップみた

背表紙に収録作かいてある有能な雑誌だわ

目についたので覚えてるのは、

ライアーのインガノックNTRゲーの金字塔TRUEBLUE、DARKBLUE、はっぽうびじん原画のやたら評判がいい低価格ゲーなんとか迷宮みたいなの、VIPERシリーズ4つはいってるの(駿河屋買い取り価格1200円でなぜか高かった)、ジブリール1,2、群青の空をこえて、フォークロアジャム(冴えカノの丸戸史明がてがけたオカルトエロゲ)、とらは1-3、魔法少女アイ2,3、夜勤病棟1、姦染2,3、カナリア+青カナリアカナリア茶(bambooゲー好きだから迷ったけどガマンした)、

抜きゲーは興味ないから知らない&見てない

最初全部買っちまおうかと思ったけどまずやんねーだろうしかなり迷ってガマンした

すでにインストールされてるのすらプレイしてねーしなあ・・・

帰りにダイレックスコスモス寄った

もやし2袋だけ買った

ドラッグストアで半額のをいろいろかった

あーやっぱ気になる明日カナリアだけ買いに行こう

2020-11-19

競馬の頂上決戦の上手いたとえが見つからない件

来週の話なのだが、日本競馬史上、おそらく最初最後の頂上決戦が行われる。

「頂上」決戦というのは、3頭のとんでもなく強い馬が、初めて対戦するからだ。まずはその馬たちを紹介しよう。

アーモンドアイ:2018年牝馬3冠馬G1を8回勝つという、ディープインパクトテイエムオペラオーですらなしえなかった金字塔を打ち立てたとんでもない馬。この馬と同世代牝馬は不運であったが、その馬たちも後にG1を勝ちまくっている。これが引退レース騎手ルメール

コントレイル2020年牡馬3冠馬。まだ負けたことがない。菊花賞では直線で初めて他馬に並ばれるが、並ばれども絶対に抜かせないオーラを感じさせた。騎手福永

デアリングタクト2020年牝馬3冠馬。まだ負けたことがない。どんな馬場レースになっても圧倒的な力を見せつける姿は、2年前のアーモンドアイを彷彿とさせる。騎手松山

という感じで、日本競馬を3年間牛耳って、未だ衰えのない(先日、天皇賞というG1を勝った)アーモンドアイに、2頭の若き無敗馬がチャレンジするというストーリー

本題はここからなのだが、これを例えようとすると、なかなかうまい例が見当たらないのだ。日本競馬界においてはトップホースや無敗馬が激突するということはあまりなく、過去レースでは例えられない(無敗トウカイテイオーVS古馬チャンピオンメジロマックイーンという30年ぐらい前のレースはあったが)。

いわゆる「ぼくのかんがえた最強レース」が実現した例であり、なかなか現実世界で例えるのは難しいかもしれないなと思っている。馬場VS猪木が近いかもしれないが。

架空世界だと「ラオウvs範馬勇次郎」あたりの、単体の作品を超えた中二病的な発想になるだろうか。

話がとっちらかってしまったが、はてなーの皆さんならこの夢の対決をどう例えるのか、意見を聞いてみたくて投稿してみた。

2020-09-28

anond:20200928165419

ところが他に行き場もないしあいつら棺桶いくまでこの場所であと20年はやるんだよなぁ

連中は老化で脳が萎縮してきてるからさら次世代メディアへ移行することはできないし、

しかもこんな連中が乗り込んできたらばっちいし野蛮なオジサンなんてグロースさせたいメディアを滅ぼす北の蛮族なみの最低最悪の劣悪エンガチョからできれば他メディア運営もこのままここに居て欲しいと思ってるだろうし

それでも広告でペイしてるのか知らんけどはてブもあと10年は存在するやろしな

日本SNS恥部として半世紀の歴史金字塔を建てるのさ。

200年後に全件解析とかして日本ダメにした人たちの社会考察資料として使われると思うよ

彼らの本望だね

2020-09-15

表現の自由戦士だがRIP JKローリングはやり過ぎだと思う。フェミニスト人達、手を組まないか

J.K.ローリング探偵小説シリーズの新作『Troubled Blood』で、事件犯人キャラクターとして「女性殺害するために女装をして犯罪を繰り返すシスジェンダー異性愛者)の男性連続殺人犯」を登場させたことが話題になり、

「#RIPJKRowling(J.K.ローリングよ安らかに眠れ」)」というハッシュタグツイッタートレンド入りしたらしい。

 

J.K.ローリングは以前からTERF(トランス排除的ラディカルフミニスト)として批判されていて、今回の件があったわけだが、

これ受けて女性フェミニスト人達はどう思っているのだろうか?

私はその小説を読んでいないのでニュース情報しか手がかりは無いが、「これでアウトなの?」と思った人も居るのでは?

件のニュースブコメでも見たが、性別を誤認させるトリックはよくある。ネタバレになるので言えないが、かの叙述トリック金字塔や、確か金田一少年の事件簿にもそんなエピソードがあったはずだ(便座の蓋を上げてた事で男だと見破られた、とかだった筈)

そういうものを書く自由もないのか、普段TERFとして批判されているから?しかも「RIP」だなんて、菊の花を置いて暗に「死ね」と言ういじめのようじゃないか

そう思う人も居るのではないだろうか?

 

私は表現の自由戦士として、当然J.K.ローリング氏の表現の自由を支持する。

そしてツイッター上での運動彼女表現の自由侵害する不当な運動だと思う。

ならば、これを機に表現の自由戦士と(一部の)女性フェミニストは手に手を取り合えるのではないか

一部、表現の自由よりもTERF叩き女性叩きを優先させてしまっている表現の自由戦士たちが居るのは残念な事だが、

もし女性フェミニスト達と和解できるなら考えを改める者も出てくるかもしれない。なにしろ、私達は実の所、あなた達が怖いのだ。

どう怖いか、それはあなた達が今感じている恐怖と非常に似ている。「こんな事もアウトなのか」「これも差別だと言われるのか」「差別だと思われたらこんな仕打ち正当化されるのか」「あれも批判されるかもしれない」「これからもっと厳しい基準批判されるかもしれない」

その恐怖の中で、表現は委縮せざるを得ない。J.K.ローリング氏もこれから執筆活動に支障を来すかも知れない。

そういう事は不当だ。表現の自由は守られなければならない。「ツイッター上の運動一般人の行いだから表現の自由侵害には当たらない」なんて、彼女が実際に陥っている危機無視している。

そう、思う人も居るのではないか、なら、

一緒に表現の自由擁護しよう。

2020-08-20

試しに好き長文書いてみる

anond:20200819195721

 これ書いた人。せっかくヨルシカのただ君に晴れを好きと言ったので、好き長文も書いてみる。

 私の年代ギター伴奏バンドサウンドボーカル曲作ろうとしたら、カッコいいリフを作るところから始まると思う。リフ一発で黙らせる強さが欲しい。米津玄師のLOSERなんて、それこそ現代的でリフがかっこよくて歌謡曲要素もありながら韻踏みのラップ要素も違和感なく突っ込んでポンキッキーズオマージュまで入れるように肩の力の抜きかたまで分かってる、老練な作曲家が「今の時代ならコレっしょ」と作るような曲を体現したような曲だ。サビのとこのクッソかっこいいマイナーメジャーの転調の話とかもしたいが、主題じゃないので割愛

 この曲の良いところは、歌詞と声だ。suisの声の良さはもはや全国6兆人のsuisファンが語り尽くしてるからいいだろう。歌詞だ。全体としては「あの夏」の君の思い出を思い返している曲だ。「夏日 乾いた雲 山桜桃梅 錆びた標識」の名詞を紡いでいく歌詞なんかはボサノヴァ金字塔アントニオ・カルロス・ジョビン三月の水を彷彿とさせる。この時点で美しい、美しかった光景を書こうとしている意思は伝わってくる。「絶えず君のいこふ 記憶に夏野の石一つ」の、文学性とオリジナリティを損なわない程度の引用とか、凄く綺麗でうまいと思う。

 そして曲名にもなっている「ただ君に晴れ」だ。実は曲中では1回しか出てこない。そして、その周りの詩だけ読むと、「ただ君に晴れ」は「ただ君と晴れの日だけが思い出にある」という意味しか読み解けないようになっている。しかし、全体を通して曲を聞くとこの「ただ君に晴れ」は、「君にただ晴れの日があらんことを」という祈りしか聞こえなくなってくるのだ。どちらも、極限まで短くすると「ただ君に晴れ」の6文字になる。どちらが正しいか?はPVに書いてある。後者だ。願わくばPVにすら書かずに、誰にも真実を明かさないのに、誰もが後者と受け取るような芸術を見せてほしかった。ちなみに言っておくと、Youtube英語版タイトルが「Just a sunny day for you」になっているが、これは間違い。作者公式英語タイトルは「Cloudless」。快晴である。このダブルミーニングなのに誰もが真意を読み取ることになる、それこそYoutube翻訳した人が真意翻訳をできるくらいには、エモが過ぎる曲なのだ。他の歌詞は、いかにも内省的な、語彙貧弱な私が言ってしまえば陰キャじみた独りよがり歌詞なのだが、「ただ君に晴れの日があらんことを」という真摯祈りだけは恐ろしく真摯に聞こえるのだ。祈りというのは恐ろしくも、人が生きゆく、死にゆく際に最後に残るものだ。「幸あれ」という祈りは、般若心経の頃から連綿と続く歌の真意の1つである。人に、自分に祈るということこそ、音楽の、詩の、本質かもしれない。

 ここまで読んでくれてありがとうございます。どうか皆々様に幸あれ。そして私の嫌いな者たち、最近やたら暑いですね。どうか晴れの日のあらんことを。


好きでも十分長文書けたわ。嫌いでも好きでも長文書けるんだから私すごい。

2020-08-19

おっさん若者に送るおすすめ映画4選

金曜ロードショーで『バック・トゥ・ザ・フューチャー』見て「なにこれ面白いじゃん!」と思った人は是非これも見て欲しい。

と言っても『ショーシャンクの空』とか『ニューシネマパラダイス』みたいなのじゃなくてもっとベタなやつね。

題名は聞いたことあるし、なんかの元ネタらしいぐらいは知ってるみたいなやつ。


ロッキー

あーあれだろ、最後エイドリア〜ンて叫ぶやつ。階段登ってガッツポーズだろ、生卵丸呑み。悪いけどボクシングとか興味ないし。

脚本スタローンてマジかよ。なんか実は性格も悪いらしいよね。だいたいあの脳筋男に文章なんて書けんの?

まあそう思うかもしれないけど、まだ売れない役者だった頃のスタローンは、少なくともこの時は奇跡のように素晴らしい脚本を書き上げたんだよ。

それに『ロッキー』のテーマボクシングじゃない。冴えない生活を送る無名の男が一つのチャンスをきっかけに立ちあがろうとする姿。

まさかスタローンに泣かされるなんて思わないだろう?まあ見てみなよ。


ダイハード

2以降はクソ。1だけ見ればOK

エンターテイメントとしてはまさにパーフェクト。アクション映画金字塔

あちこちに散りばめられた伏線が見事に回収されていくさまにゾクゾクする。

ブルース・ウィリス演じる主人公黒人警官友情とか、いかにも良きハリウッド映画って感じだよね。

これを見れば、なぜあの太ったハゲ男が『アルマゲドン』で地球運命を託されたのかわかる。


男はつらいよ

あれだろ、じいちゃんばあちゃんが良くみてたやつ。下町だろ、人情だろ、マドンナだろ。昭和の話だよな。

まあそれはそうなんだけど。

これを見れば、なぜ今だに「寅さん世界に憧れて日本に来た」という外国人が時々いるのかわかる。

昭和下町人情溢れる、いかにもありそうでどこにもないユートピア物語。男はつらいね


『ブロジェクトA』

あー、あのジャッキー・チェンセーラーアクションするやつだよね。コメデイでしょ。この撮影で大怪我したんだっけ。

それはそうなんだけど。それ以上何が要るっていうんだよ。

他は見なくてもせめてこれだけは見て欲しい。見ないと人生損してるよ。

映画の素晴らしさ、映画愛の全てが詰まっている。

これを見れば出川哲朗がなぜ内村光良チェンと呼ぶのかがわかるよ。

見た目が似てるとかものまねをしてたとかもあるんだろうけど、それはやっぱり出川内村に対する敬意の現れなんだよね。


ところで『ショーシャンクの空』って見たことないんだけどそんなに面白いの?

それじゃ、さよならさよならさよなら

2020-07-21

書いたな、俺の前で、アクタージュの話を!

anond:20200715160608

まりはそういうことなんだが、アクタージュ好きなんよ。私はね。

ちょっと前にチェンソーマンおよび藤本タツキ激推しお気持ち文書いたんだけど、この増田に対してあのレベル激推し文が書けるほどのバックボーンが私にはない。ただアクタージュってワードに反応して語りたく成った迷惑早口キモオタだ。許せ。

漫画マニアなら、演劇漫画と言えば大御所大御所金字塔金字塔ガラスの仮面が思いつくだろう。累も大好きだけど、あれは演劇主体かと聞かれたら微妙なところだ。アクタージュの凄さ面白さは、ガラスの仮面を下敷きにしながらきっちり少年漫画に落とし込む上手さ、現代性の取り入れ方だ。演劇なんてジャンプっぽくない題材で、どうやって少年漫画に落とし込むか?という方向性に疑問が行くだろう。しかし、違うのだ。元々のガラスの仮面、このガラスの仮面こそが、極めて少年漫画的で、かつ化け物じみた少女漫画なのだ

ガラスの仮面において、しばしば主人公マヤ狂気性がクローズアップされる。どれだけ弱めても「狂気」だ。少女漫画はえてして、人間関係のドロドロを誇張含めて描きがちであるガラスの仮面ファンも、アンチも、なんとなく読んだことがある人も、「こいつはヤバい」と思っただろう有名エピソードとして「泥まんじゅう」がある。ネタバレは出来るだけ避けるが、この狂気性はどうしても伝えたい。ガラスの仮面をこれから読む人でネタバレが気になる人はさよならだ。まあ流石に居ないだろ。

基本的には、マヤは「月影先生や速水の寵愛を受け、美味しいところを持っていく」役柄で、作中でもきちんと周りから指摘され、嫉妬される。なろう系のように「さすマヤ状態にはならない。それこそ、ほぼ殺人未遂の石(本物)を舞台上で投げつけられたりする。まんじゅう泥団子すり替えられたりする。さすがのマヤも手が止まる。だが、「おらぁトキだ!」と、マヤが演じるトキになりきって、泥まんじゅうを満面の笑みで食ってしまうのだ。もはや「さすマヤである。あまりにも強烈過ぎる自己否定だ。彼女マヤではなく、あの瞬間、間違いなくトキだったのだ。マヤは、自らがマヤであること、演技力がある人間であること、紫のバラの人に憧れを抱く人間であることなど、そんなアイデンティティほとんど執着がないのだ。劇中で自分ではない何かに成った自分こそが彼女アイデンティティなのだ物語に没入していなければ「なんだこいつ」だし、没入してても「狂気」だ。「演劇をやりたい」という極めて明確な目標を元に、自分すらも捨て去る。演劇主体として見ればとても少年漫画的であり、生き様としてみれば少女漫画エッセンスがこれでもかと濃縮されている。不朽の名作だ。

さて、アクタージュの話だ。主人公の夜凪景は、いわゆる演目になりきる憑依型のアクターだ。まんまマヤであるさらライバルキャラの百城千代子もほぼ亜弓である。そして主人公演劇界に引っ張り上げた演出家には、いつかやりたい「幻の演目」……当然ながら「ガラスの仮面」への類似性への指摘されるし、あの名作と比較してどんな差別化をしてくれるのか、と比較される読み方をされていたと思う。ガラスの仮面を読んだことがない人も、ガラスの仮面ファンにも、ちゃん面白いと思ってもらわなければ連載は続かない。

アクタージュは、必ず「この人はなぜこうなったか」「なぜそれができるか」「なぜそうするか」が描写される。つまり描写される演技には必ず「アクター個人としての」アイデンティティが関わってくるように描かれている。ガラスの仮面のあまりにも強烈過ぎる自己否定など、微塵もない。この一点こそ、マヤと夜凪の、ガラスの仮面アクタージュの決定的に違うところだ。ガラスの仮面ファンもニッコリ。

そしてもう一つ大きな違い、「個と組織」の違いだと考えている。ガラスの仮面は圧倒的に「個」だ。読めば分かるが、ガラスの仮面組織組織の強みを生かしたシーンが実は少ない。組織の良くない、ドロドロしたところの描写のほうが多いくらいだろう。マヤ理解である月影先生劇団主催ではあったものの、強烈な周りに理解されない天才、「個」だ。速水さんも明確な「個」である。強烈な個がぶつかり合う様でガラスの仮面は成り立っている。

アクタージュは、組織的なものちゃん組織として役割を担っている。それだけだと、ただ主人公ライバル活躍するだけの漫画かと思ってしまうが、きちんと「組織」が役柄をもっているため、組織の存続に関する視点が本筋に関わっていく。商業的な視点も取り入れながら、きちんと少年漫画をやっている。実に現代的な視点であり、ガラスの仮面リバイバルとしても十分に面白作品となっている。ガラスの仮面知らない人もニッコリ。

強烈過ぎる自己否定からくる演技への執着、それによって誰にでもなる、なってしまガラス「仮面」マヤ、時には暴走するが、自らのバックボーンを捨てることなリアル演出する「アクター」ジュの夜凪。対比として美しいって書いてて思った。

どっちかのファンでもどっちも知らない人でも、片方読めば楽しめるし、両方読めば4倍楽しめる。1+1で2じゃないぞ、2の2乗で4倍だ4倍。読んでくれ、特にガラスの仮面

2020-07-04

anond:20200704124559

愛人云々はどうでもいいけど、島耕作読んでると日本サラリーマン全体が勝ち筋が見えなくなってるのはかなりヤバいと感じる。

元々島耕作は、日本男性サラリーマンの願望充足させることで人気が出た漫画

仕事ができて、女にモテて、若い愛人作って、権力者にも気に入られて、仕事プライベートも充実したサラリーマン描写が売りだ

で、女にモテての部分はともかく、仕事ができて。の部分にはモデルがある。

初期は作者の弘兼のサラリーマンとして働いた経験から、後には世の中の仕事がうまくいってるサラリーマン経営者取材して、

その体験漫画に反映することでリアリティを作り出してきた。

しかし、日本バブル崩壊し、長期的なデフレによる失われた20年に突入したあたりから

徐々に仕事による成功描写が怪しくなってくる。日本経済全体が失速しているからだ。

誰も勝てなくなってきたので、成功しているサラリーマン絶対数が減っていき、

リアルでの成功体験漫画描写トレースするという手段が徐々に無効化されているのだ。

他人リアル体験談が使えないので、漫画家の想像力に頼るしかない。

しかし、一個人想像力などたかが知れている。

その結果、生み出されたメソッドが女とセックスしてたらなんか仕事もうまくいっちゃった。という定型パターンだ。

島耕作が段々セックスファンタジー化していったのは、そういった理由だ。

もし日本が早期にデフレ処理に成功し、景気低迷がここまで長期化しなかったら、

島耕作ももっとリアル日本サラリーマンの真に迫ったサラリーマン漫画金字塔になっていたものと思われる。

2020-04-28

エロ絵でコンドーム散乱してるやつ

あれ凄いよな。超律儀な男じゃん。

コンドーム1ダースくらい使って、全部結んであったりするだろ。

普通無理じゃね?お前A型の極みかよ。そもそも12回もできねぇ、という野暮は言わないとしても、出す、モノを抜く、ゴム外す、結ぶ、次のコンドームの封切る、着けるってことを11回やるわけだろ?

それ想像して笑っちまって抜けねぇ。

イラストだとケダモノのように犯してるように見えるけど、実際は外して結んでつけるという作業ちゃんとやってるわけだよな。

その間女の子どうしてるんだろ。

「あー…もう疲れたわ…」って絶対なるだろ。でもやっぱり男がまた挿入してきたらイラストみたいな感じにアンアンちゃうわけで。ものすごい演技力じゃね?淫乱とか堕ちとかそういうんじゃなくて、普通に冷静でかつノリのいい理想女の子だろこれ。

描いた人の意図としては「理性を失うくらいのセックス」なはずなのに、同じイラストの中に「二人が真顔に戻る瞬間が11回もある」ことを内包してるわけだよ。これ凄くね?

コトが終わった後のその二人の会話が気になる。絶対内心で「いやーキツいわぁ」ってなってるって。でもそれ言うと相手の頑張りに水さしちゃうから、ウェヒヒとか笑ってごまかすしかないわけだろ。

和んじまって抜けねぇ!

しかも、クッソ汚いオッサンでもたまに全結びのA型の鑑がいる。下品で臭くて男の俺でもマジ勘弁なオッサンでもちゃんと結んでるんだよ。

これは快挙だろ。いや、何が快挙なのか意味分からんが、見てるこっちとしてはさ。そういう気持ちがしてくるだろ。

しかも結んだコンドームがプリップリなのも気になるんだよ。

なんか…あのゴム厚くね?

つーことは、すげぇ激しくセックスをする性豪と見せかけて、早漏防止の極厚コンドーム使用しているという推測が成り立つわけだよな。

女の子をほしいままに蹂躙する!!!

という絵面に反して、「極厚コンドーム自分のコンディションを調整する男」という妙に冷静な視点が加わるわけだよ。

A型金字塔だよ。お前がナンバーワンだ。

以上のことから使用済みコンドームが散乱しているタイプエロ絵の男は

・数回~十数回も訪れる『沈黙時間』に屈することな行為を行い続けられる鋼の精神力

・「もういいだろ…」という空気ものともせず行為を行い続けられる不屈の精神力

・きっちりと全結びをしていく巌のごとき精神力

早漏という己の弱点を認識し、テクノロジー解決していこうとする柔軟な対応

を兼ね備えた存在ということになる。

女性視点で見るとすげー迷惑だなこれ…。

疲れてんだから早く終わらせろよとか思ってる間も男はしっかりと極厚コンドームを結んでいるわけだよ。

辛いわ…。

もう俺、コンドーム全結びタイプエロ絵じゃ抜けないわ…。

昔はあんなに好きだったのにな…。

2020-04-10

もってけ!セーラーふくに感動した

俺はもってけ!セーラーふくが聴けない。イントロはまあなんとかいけるが「いーかげんにシナサイ」でダメになる。恥ずかしいのだ。なんというか2007年の"萌え"がガッっと懐に飛び掛かってくる。俺の心はまだそれを受け止められない。電波曲は嫌いじゃないしむしろ好きなんだが、どうしてももってけ!セーラーふくという電波曲の金字塔を前にすると照れが生まれしまう。

で、

なぜ俺がもってけ!セーラーふくに感動したかというと、月ノ美兎がこの曲の歌詞うろ覚えで紙に書いたものツイッターにあげていたのをふと思い出して、さっき歌詞検索してみたからだ。

すごいね畑亜貴天才と言われている所以再確認した。他の畑亜貴作詞の曲も聞くけど、ちょっとこの曲は段違いだ。

一番すごいと思ったのは多分Cメロにあたるところの「うんだかだーうんだかだーうにゃうにゃはれってほれってひれんひらー」だ。

それまでに散々荒唐無稽な、いや実際には女子高生の"萌え"を表した言葉を紡いできているんだけど、ぱっと見何が何だか歌詞を書いていきながら、この「うんだかだーうんだかだーうにゃうにゃはれってほれってひれんひらー」であぁこの曲は、この歌詞はもうすぐ終わるんだなということがわかる。いやそれまでの英語歌詞あっての「うんだかだー」ではあるんだけど。

畑亜貴はすごい。

俺がもってけ!セーラーふくが聴けるようになるまで、もう少しかもしれない。

2019-12-27

独断偏見で選ぶ2010年代ベストアニメ10

2010年代が終わるわけだが、2010年代アニメベスト10独断偏見で決めてみたくなった。ので増田に放流。

見てない作品は語れないので見た作品だけ挙げる。見た作品の数が少なくラインナップが偏っている結果チョイスが偏った点については先に謝っておく。また、順番は順位ではなく放映順である

魔法少女まどか☆マギカ』(2011年

長いゼロ年代の終わりを飾るというか10年代の始まりを告げるというか、とにかくエポックメイキング作品だった。紛れもなく一時代を画すアニメであり、こんなに議論が盛り上がって人々の印象に残ったのってマジでエヴァ以来なのではという衝撃があった。

Fate/Zero』(2011/2012年

2010年代にはFate/stay night [Unlimited Blade Works](2014/2015年)とFate/stay night [Heaven's Feel]』(2017, 2019年)がアニメ化され、さらにはFGOや『Fate/Apocrypha』に『ロード・エルメロイII世の事件簿』もアニメになり、いずれも素晴らしい出来だっただけにどれを入れようかすごい迷ったのだけれど、Fateシリーズに新しい客層を開拓したという点でZero存在感がなんだかんだで大きいかなと。切嗣重要台詞微妙原作改変でそれはどうなのかと思わなくもなかったがラストの桜ちゃん原作ではなくボツになった原案通りに作ってくれて素晴らしかったですね。人間オルガンちゃん再現されなかったのは残念だけど仕方ない。Heaven's Feelも本当に素晴らしかった……。何も言うことはない。俺たちの見たかった最高の桜ルートだ……。2010年代Fateアニメ化で盛り上がった10年だったと回顧できるだろう。セイバールートも作り直して。

おおかみこどもの雨と雪』(2012年

一作くらいは細田守を入れておいてもいいんじゃないかと思って挙げてみた。細田守はてなでは評判が微妙だが普通に『おおかみこども』は良い作品だと思うんだ。純粋家族愛物語として見ると違和感とかも出るのかもしれないけど、歪められた関係性も理想化された田舎も、すべては花の回想をもとにして雪が語ったことであって、花というある意味信頼できない語り手を通して見た世界なんだよね。加えて言うなら、花が雪より雨を構っていることに批判的な意見も多々見られ、それは雪から見ればそうなのだろうし実際にきょうだいより構われなかった思い出を持つ人にとっては良い気持ちはしないのだろうけれど、でも完璧人間でないと母親になってはならないか、といったら違うわけでしょう。母親欠点を持つひとりの人間だし、それでも母親なのだ、という話だと思いますよあれは。それらの偏愛や歪んだ世界像を卓越した映像美でくるんで提示してくるところに、細田守が色んなひとの神経をざわつかせる理由みたいなものがあるんじゃないのかな。

サカサマのパテマ』(2013年

アニメ映画を1つだけ挙げろ、と言われたらこれを推す。名作名作アンド名作。何を語ってもネタバレになりそうなので最高のSFアニメ映画だという当たり障りのないことしか言えない。ボーイミーツガールSFの傑作。いいから何も言わずに見やがれください。

SHIROBAKO』(2014/2015年

単純なアニメ業界楽屋ネタに留まら人間ドラマとしてしっかり作り込んでいてくれて良い作品だった。23話はみゃーもりにつられて泣いちゃうでしょ……。5人の歩く道は凸凹していて、正解はわからずに手探りで進んでいくしかなく、それでもアニメに関わりたいという意志を持って進んでいけば夢に手が届く。そういう話の筋としてはありふれた成長譚を細やかな人物造形と堅実な脚本で良いアニメにしてくれていた。「万策尽きたー!」「どんどんドーナツどーんといこう!」などのフレーズも印象に残る。ただアニメというフィルターを通してもなおアニメ業界ブラックさが滲み出ており「これは美談にしてはいけないやつでは」みたいな感もあって、アニメの放映スケジュールが狂うことがあちこちで頻発しているのを放映予定の変更とかで視聴者目線でも感じ取れるだけに複雑な気分である

放課後のプレアデス』(2015年

紛れもないジュヴナイルSFアニメの傑作。可愛らしい格好をした魔法少女たちが土星の輪に突入するとか太陽系外縁部を探査するとかブラックホールを反転させるとかのハードSF冒険を繰り広げるギャップがすごいし、荒唐無稽ファンタジイとリアル宇宙描写を融合させた映像美はアニメからこそ実現できるものだろう。ちょっと宇宙が出てくる魔法少女ものだと思って見始めたわけだけど土星の輪に穴を開けてエンジンを探し始めた辺りでガチSFをやろうとしてるんだと理解したし実際かなりSFだった。降着円盤温度まで考察されてるのすごくない……? そして根底には傷つきやすい繊細な心と他者を思いやる優しさが流れていて、映像の美しさと相まってリリカルさに心が洗われるような気持ちになる。放映終了後の喪失感は半端なかった。『サカサマのパテマ』と並ぶ2010年代SFアニメ金字塔ですわ。これが星雲賞を獲るべきだったのでは。

プリンセス・プリンシパル』(2017年

アクションのキレの良さ、百合描写の濃密さ、黒星紅白キャラの可愛さ、音楽テンポの良さ、細部の丁寧さ、どこをとっても娯楽アニメとして超一級の出来だったと言うほかない。特に5話の剣戟シーンはここ十年で一番の殺陣だと思う。梶浦由記オサレ音楽BGM美少女たちが流れるような作画チャンバラするの控えめに言って最高としか言えない。また「神は細部に宿る」を地で行くような作品であり、アンジェプリンセス手紙の遣り取りとか、脱出用の荷物に書かれた文字とか、さり気ない描写ひとつひとつに込められた情報量が半端なく、それによって世界観と百合に奥行きを持たせることに成功していた。アンプリ、いいよね……。劇場版むっちゃ楽しみ。

宇宙よりも遠い場所』(2018年

素晴らしい作品だった。2018年TVアニメ豊作の年でありゾンビランドサガ』『SSSS.GRIDMAN』などオリジナルの良作が次々と放映されたわけだが、なかでも別格だと思うのが『よりもい』。毎話毎話が最終回のごとき余韻を残し話ごとのメリハリも利いていて軽くシネマっすねという感じだったし、「先に行けって言われて先に行く薄情にはなりたくない!」「友達ってたぶんひらがな1文字だ!」などの印象に残る名台詞の数々は記憶に焼き付いて離れない。花田! 神回しか作れずに恥ずかしくないのか? 視聴者を泣かせて食うメシは美味いか? なかでも特筆すべきは12話で、まさか受信メールフォルダを映し出した画面に泣かされるなんて思ってもみなかったアニメ史に刻まれる名シーンですわ。

さよならの朝に約束の花をかざろう』(2018年

岡田麿里が本気を出してファンタジイをやったらなんかすごいのが出力されてきた。失ったものいつまでも抱いてしま妄執とか、恋と愛の区別あやふやになって煮えたぎる思いとか、無理やり連れ出されて見せられた世界の美しさとか、そういったドロドロした感情を叩き込んだ闇鍋から人は互いに織り上げあう物語であるというテーマを掬い上げて観客の前にどーんと呈示してくる素晴らしい映画作品。ただただ名作と言うほかない。15歳しか離れていない不老の種族美少女なお母さんに育てられたいだけの人生だった……

『天気の子』(2019年

君の名は。2016年)で俺たちの新海が一気に一般人にも知られるアニメ監督にのし上がってしまい、遠くに行っちゃったんだな……とゼロ年代に魂を囚われたオタクたちが訳知り顔でホロリとしていたところに投げ込まれた傑作。いや~原作PC版のクライマックスを忠実に再現してくれてましたね! 私は原作だと夏美ルートが好きで、彼女が晴れ渡った青空を見て浮かべる笑顔の爽やかさと、その青空意味を後続のルートで種明かしされて味わうことになる切なさがめちゃくちゃ印象に残ってるんですよね。でもやっぱりあの長編エロゲから1ルートを取り出して劇場アニメにするとなったら陽菜ルートになるのも納得がいくわけで(甲高い早口

……という感想を諸人こぞりて口にしはじめる辺り、完全にゼロ年代エロゲだったテン年代最後の年にゼロ年代を煮詰めたような要素てんこ盛りの作品を公開してしかもそこにセカイ系を力強く肯定するオチをつけるわけですよ。ゼロ年代の亡霊が昇華された感があり、なんというか新海誠すげえわ、一生ついてくわ。

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