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2018-08-16

俺が休日にしたアホなことども

1番→ テレビドラマを7話録画しといたやつを一気に見た。昼くらいからずっとテレビの前で( ^ω^)・・・ダラダラ。終わったのは9時近く。

_| ̄|○

2番 → 町中に出て行ってひたすら「はしご酒」。しかも、帰省する妻子を空港に見送って、一人で酒三昧。

これよりアホなことがあったら教えて。共有して笑いあおうぜ

2018-08-15

anond:20180815224800

わりと感覚的なところで違うらしいよ。

別にメートルも動くんじゃなくても、

ちょっとした身体の動きに視点が連動すると違和感が減るとかで。

あと、確かに映画テレビドラマ視点フリーだと演出が困ると思うけど、

コンサートスポーツ観戦だといろんな視点で見るよね。

野球左翼からしか観てはいけない」とか無いし。

で、AVはわりとそっち寄りのコンテンツっぽいところがあると思う。

2018-07-24

anond:20180724202915

30代半ばぐらいの派遣社員別に被害者じゃないんだよな。

あの頃ってテレビドラマハケンの品格」を放送して派遣スゲーって

空気を作ろうとしたり、ニュースでも「新しい働き方」「仕事よりプライベートを充実させる」とか

いい事言いまくってた時代で、それに踊らされた人が派遣になって、メイテックかに入ったんだよな。

2018-07-12

テレビドラマ映画限界

A君とBちゃんが一緒に歩いているところを目撃して、二人を恋仲と思っていたら、実は兄妹でした。

みたいなやつ。

実際は性別違っていても顔が似てるから、分かりそうなもんだよね。


なんてことを、ショッピングモール家族連れを見て思いました。

2018-07-08

70年代80年代90年代00年代 オカルトブーム年表

年代事象備考
60年代妖怪ブーム1968年からアニメゲゲゲの鬼太郎』開始)
ムー大陸1968年に『失われたムー大陸』が翻訳出版
ヒッピームーブメント
1970年ヒバゴン広島県比婆郡で目撃された猿人
1975年に終息宣言
1972年クッシー屈斜路湖で目撃された巨大生物
ネッシーに倣って命名
1973年書籍ノストラダムスの大予言五島勉
1973年小説日本沈没小松左京
終末ブーム
1973年UFOブーム矢追純一
70年代末まで
1973年漫画恐怖新聞つのだじろう
1975年まで連載
1973年漫画『うしろ百太郎つのだじろう
1976年まで連載
1973年テレビドラマ『すべって転んで』田辺聖子
ツチノコブーム
1973年漫画『幻の怪蛇バチヘビ』矢口高雄
ツチノコブーム
1974年映画エクソシスト
1974年ユリ・ゲラー来日矢追純一
超能力ブーム
超能力少年
1974年書籍『狐狗狸さんの秘密中岡俊哉
コックリさんブーム
1974年書籍『恐怖の心霊写真集』中岡俊哉
心霊写真・地縛霊
1976年オリバー君来日人間チンパンジー中間存在
1977年ニューネッシー漁船に引き上げられた謎の生物の死骸
ウバザメとされる
1978年映画未知との遭遇
1978年書籍ピラミッド・パワー中岡俊哉
もともと世界的なブーム
1978年テレビ番組川口浩探検隊シリーズUMAなどを探索する
1985年まで放送
1979年口裂け女
1979年雑誌ムー』創刊
1982年映画E.T.
1982年ミステリーサークル80年代話題
1990年には日本でも出現
91年にはいたずらと判明
1983年前世ブーム1983年 映画幻魔大戦
1986年 漫画ぼくの地球を守って
1984年統一教会霊感商法批判文藝春秋朝日ジャーナルなど
1985年書籍運命を読む六星占術入門』細木数子
1985年宜保愛子霊能者
80年代後半から90年代初頭
1993年大槻義彦などから批判
1985年小説帝都物語荒俣宏
1986年新興宗教幸福の科学設立
1987年新興宗教オウム真理教設立前身ヨガ教室1984年から
1987年ゲーム女神転生ナムコアトラス
1987年書籍大霊界 死んだらどうなる』丹波哲郎
1989年ツチノコ共和国建国奈良県吉野郡下北山村
1989年人面犬
1989年Mr.マリック超能力者風の演出バッシングを受ける
1990年漫画MMR マガジンミステリー調査班』石垣ゆうき
1999年まで連載
1990年テレビドラマ世にも奇妙な物語
1990年小説学校の怪談常光徹
学校の怪談ブーム
1995年映画化など
1991年チャネリング」が流行語大賞特別賞を受賞受賞者は『幸福の科学』の大川隆法
1992年と学会設立トンデモ本世界』発売は1995年
1993年書籍『理性のゆらぎ』青山圭秀
霊能者サイババ
1993年漫画地獄先生ぬ~べ~原作真倉翔
作画岡野剛
1999年まで連載
1994年海外ドラマX-ファイル
1995年地下鉄サリン事件
1995年アニメ新世紀エヴァンゲリオン
1996年書籍神々の指紋グラハム・ハンコック
超古代文明
1997年テレビ番組奇跡体験!アンビリーバボー一時期、心霊特集を組んでいた
1998年ビートたけしのTVタックル超常現象スペシャル大槻義彦
1998年映画『リング』
1999年ノストラダムス予言した年
1999年ライフスペースミイラ遺体事件
1999年法の華詐欺事件
2000年2ちゃんねる洒落怖スレ2003年 くねくね
2008年 八尺様
2001年テレビ番組『USO!?ジャパン2003年まで放送
2003年映画呪怨
2003年小説ダ・ヴィンチ・コードダン・ブラウン
2003年パナウェーブ研究所
2004年テレビ番組ズバリ言うわよ!細木数子
2008年まで放送
2005年テレビ番組オーラの泉スピリチュアルブーム
美輪明宏江原啓之
2009年まで放送
2006年書籍ハローバイバイ関暁夫都市伝説信じるか信じないかはあなた次第
2010年パワースポットブーム
2012年マヤ暦にもとづく人類滅亡予言
2013年ゲーム妖怪ウォッチ』


最近オカルトブームを振り返る人が多いけど、あまりに言っていることがあやふやなので、とりあえず調べられるだけ調べてみた。

しかし、こういうのはオウム記憶も朧げな俺よりも、当時のことを知ってる奴がきちんとまとめるべきだと思うんだよな。

2018-06-29

カッコイ文化音楽ファッション)が衰退した理由を考えるとそれが分かる

90年代にはオタクサブカルというトライブがあって、音楽CDバブル絶頂期でミュージシャンDJを目指す若者がたくさんいた。

ファッションモード系、ストリート系などが流行していた。デザイナーに憧れる若者は服飾系の専門学校に進学した。

00年代になってもデフレ不況少子化はとまらず。お金を持っている若者が減り、音楽ファッションを消費する若者が減った。

00年代前半にブロードバンドが普及してファイル共有ソフト国内外流行し、音楽ファイル違法にやり取りされた。そんな

時代iPodはうってつけだった。

CDの売上は落ち続けて、安定して売れるのは大物とアイドルだけになった。ベスト盤が売れたのも00年代だった。

ユニクロが人気になったのも00年代だった。フリースで人気になったユニクロだが、ファストファッションというカテゴリ

まれる前はダサいという扱いだったが、みんなが利用するようになって、そういう認識が徐々になくなっていった。

音楽ファッション国内市場が大きかったので、わざわざ海外進出をする必要がなかったのだ(海外人気で泊をつけようとすることはあったが)。

バブル崩壊後の90年代不景気時代ということになっているが、若者文化に限って言うとそれは正しくないことを理解する必要がある。

団塊ジュニア高校生大学生だった時代で、インターネットが普及する前だったので、旧メディアコンテンツがたくさん売れる時代だったのだ

漫画雑誌ゲームCD映画)。

お金を持った団塊ジュニア高校大学卒業してサブカルは衰退した。

そして、00年代オタク消費者として注目されるようになり、電車男テレビドラマ化、映画化されるなど、オタクブームになる。ニコニコ動画

サービスが開始したのは2006である

カッコイ文化サブカル)は雑誌インフルエンサーだったが、不景気が続き廃刊が相次いだ。カッコイ文化の再興のためには

お金を持った暇な若者が増える必要があるのだが、今の政治を見ていると、それを期待することは難しそうである

anond:20180629025439

2018-06-22

anond:20180622234622

字数制限あん!?ごめん無知だったわ続き!

あのとき誘拐犯を擁護して被害者売女扱いしたアカウントほんとめちゃくちゃあって「でもわかんないじゃーんひょっとしたらさーいやネタだってマジになんなよバーカバーカ顔真っ赤―しかし家帰ったら女の子が待ってるとか犯人勝ち組でしたなーあー俺も女の子保護”したいなー」みたいなの山のように見たからな。実写化でそんな意見が更に補強されたら、誘拐面白がってオッケー娯楽にしてオッケーみたいになったらたまったもんじゃねえわと思ったよ。

私は私の生きる現実の為にひとつ作品の首を絞めたがお前らも同罪だからな。逃げんじゃねぇぞ。

そんなことで大人が人の楽しみを、少年少女のためのフィクション作品を奪い取るようなことは、本来あってはいけないんだ。

いか現実がクソだからってフィクション作品が消される理由は無い。だから漫画連載自体は無くならないでほしいなと思う。

勝手だけど。

【まとめ】

・陰惨な作品も、アンモラル作品も、たくさんある。消させていいなんて思わないし、生みだすことも魅力に感じることも当然の権利

・展開するメディア漫画小説テレビドラマテレビアニメ映画などそれぞれ触れ、受け取るハードルの高さが違うのではないか

・こっちのメディアOKならこっちのメディアでもOKだよね、とは簡単にはならないと思う。

・歳くって経験値知識があるぶん嫌なことのフラッシュバックがきっついし、だからといって無視できない影響力があるとわかってるから行動する。楽しみにしてたファンは恨んでくれ。ごめん

というのが今回の騒動の一面ではあるよという話でした。4行になったわすまん。

しかアンビバレント文章である。長々とした文章をここまで読んでくれて本当にありがとう

幸色のワンルームって何がそんなに魅力で、何がそんなに問題なんだよ

これ「https://note.mu/amakara_no_tare/n/na4eb53fb6768」を受けて書きたいと思ったこ記事

自分は今回に関してはテレビ局に慎重に取り扱ってほしい旨をメールで送った、ドラマ実写化に関してのみ規制賛成派。

該当作品ツイッター投稿リアルタイムで見てて、その後ピクシブのぶんだけ読んだ。

ここまで前提。

幸色のワンルーム少女にとって魅力的なのは「性」の扱い方にもあるんじゃないか

クロスメディア展開がへたくそなのと制作側が色々甘く見てそうで怖い

■実写ドラマ反対したい理由は色々だけど、私個人に関しては”自分のため”だったと思う

の3本です。長い。一番最後に3行でまとめたから忙しい人はそれ読んでくれたら嬉しい。

幸色のワンルーム少女にとって魅力的なのは「性」の扱い方にもあるんじゃないか

幸色のワンルームは単なる誘拐の話ではなく、ただの男女の逃避行でもなく、

理不尽にただ蹲って耐えるしかなかった少女が守るべきもの(=居たいと思える居場所、人)をはじめて得て戦うことで少女から大人へと羽化する話であり、

リアルの男女の性に絶望した読者に対して「男と女ではなく、大人子供でもなく、ひとりとひとりの人間として関係性を結ぶ」という夢を与える物語

と捉えることができる。できるんですよ。傍から見たら犯罪だけど。

問題誘拐ストーカー設定なくてもこれを描けたことだけど、その設定のおかげで(いろんな意味で)バズってるから  うん…)

「男とか女とか性とか支配支配とかラベルだけの話ではなく、ぜんぶひっくるめて、私という人間あなたという人間の話であり、救いの話」というふうに見たとき

正直、読み口としては2000年代商業BLブロマンスに近いなと私は思った。

少女漫画系譜だ。

実際幸色のワンルームの幸とお兄さんの関係は決して恋愛感情だけにはとどまらないという風に描かれています

加害者被害者であり、無自覚的な搾取する側とされる側であり、姫と従僕であり、ナウシカ王蟲の幼生であり、友情であり、慈愛や同情であり、恋愛感情もうっすらあり、依存であり、共闘関係であり、勘違いであり、共犯者であり、そして全てを肯定し合う関係である

から人気が出た。

恋も愛もべたべたラベルが付いてひと山いくらで売られていることを、十代の少女たちはとっくに気づいている。そんなふうに安っぽくない、けれど十代少女たちに門戸を開いているフィクション作品をもとめている。それがどれだけ過去文学映画漫画でありふれてやりつくされてきたものだとしても、「いま」「ここ」で「私たちに対して」向けられている作品に惹かれて何がおかしいのだ。

たこれは重大なポイントだが、お兄さんは性のにおいがしない。

デフォルメされた世界で成人男性記号ほとんど持たない、いってしまえば無性の存在メンタル的にもそう。

その上、精神年齢少女とほぼ変わらないため、罪の意識を持った姿は読者にはどこか可哀想うつる過去の傷があるらしく年下の幸が守らねばと思うほどいたいけでたよりない。幸に都合の悪いこともしない。

けど、男。

という風にドリームカスタマイズされてるキャラ

「そんなやついねえよ」だ。だからこれはファンタジーだし理想たりえる。リアルと切り離せる免罪符でもある。

ひと山いくらラノベに出てくる都合のよいヒロインから性の匂いをひっぺがしたようなものだ。少女にとって男の性は不要もの、というか幼いころから自分を脅かしてきたものしかいから、無い方がいい。幸の安心できる居住空間提供する為にも。

からストーカー誘拐犯の男、というショッキングスキャンダラスな設定はあるものの、それは今やおにいさんと幸が法を犯したことをしても問題ないというハードル下げのための設定になり下がっており、基本「ある日突然(可愛くて自分が居ないと生きていけない(A))女の子が空から降ってきた」と同義なのだ。ぺらっぺらだが、それこそが求められている。「怖くないから」だ。

(A)には「やんごとない身分の」「血のつながらない妹/姉である」とか、あと「大量殺戮生体兵器の」とか「妖怪の」とか「暗殺者の」とか「殺人鬼の」とか「サイコパスの」とか入ったりする。よくあるやろ。そういうのを①男女逆にして②リアル現代の③クライムフィクションチューニングすると

ついこないだあった事件そっくりで笑えなくなる、みたいなの超あるあるなんすわ…

からまあ、あるある作品なのだ正直。

そんなもんがあるあるになる現実の方がクソというだけだ。



クロスメディア展開がへたくそなのと制作側が色々ガバガバで怖い

はいフィクションだし少女漫画だし、問題ねーじゃんと思うだろ?私も思う。お兄さんは捕まるか虐待親に突撃して共倒れして死んで美しい思い出になって欲しいけど(どうせやるなら徹底的に幸に都合よく退場して欲しい)。

これが少女漫画カテゴリで人気がある分には。

あと作者と制作側がゆるゆるかつタイミングが最悪でなければ。

ツイッターへの最初投稿とか現実事件に対してタイミングが最悪すぎる件に関してわざとかどうかはもう「関係ありません」で貫き通すだろうし実際分かんねえからいいわ…。マジでインスピレーションさえ受けてないとしてももう運が悪かったと思ってほしい。というか当時あれだけのトップニュースすらチェックしてなかったなら作者はうかつだし、チェックしてても特に何も考えず出したならそれはそれで大変アレなのでそれは怒られても仕方ないんじゃねーかと思う。

特に問題に思うのは、クロスメディアするとしたら慎重にやるべき題材だったということだ。

先生!」「PとJK」の実写化の時も同じこと思ったけど(あれも「少女漫画なら素敵だがリアルに考えるとわりとやばい案件)今回は格が違う。なんせ誘拐犯でストーカーだ。どれだけ気を使っても使いすぎるということは無いだろうに…と思う。

後ろめたさも、退廃的なことも、この作品の魅力と分かちがたく結びついている。伝え方を一つ間違えたら倫理観を疑われる作品なのは変わらないのだ。

このへんは制作側の、なかでもプロモーションの腕が必要作品だろうなと思う。

たとえば、この作品ギリギリまで性のにおいを消臭できているのは、絵柄の影響が大きい。デフォルメが強く、リアルさは無いティーン向けの絵。虐めのシーンにも性的ものは見受けられず変態教師とのバトルでさえ匂わせる程度だ。

性も犯罪も、それが主題ではないのだと、なによりも絵が主張している。

また、この作品家族で見てやいやい言いながら見るより、一人で集中して見たいものじゃないだろうか?ターゲット現在テレビを良く見る層と被っているか?いないんじゃないかティーン原作ファンがこの作品を見て語り合うなら、家族よりも、同性で趣味の合う友達とではないか

からメディア展開を思い切り間違えてる気がしてならないのだ。

テレビでやるならアニメ作品にすべきだったと思う。その人気に火を付けた一端でもあるキャッチーな絵柄を生かし、フィクションであることを最大限利用すればよかった。あくまでこれは夢物語で、リアルとは違うのだとアピールすればよかった。それでも非難は受けただろうが実写化よりはましだったはずだ。「誤解されやすいけど本来こういう話ですよ」と12話でも24話でもかけてやればよかった。

実写化したいなら、この退廃的な作品映画の方が合うだろうと思った。それに映画館でしか見れない、というフィルタリングは大きい。実写化することでどうしても露悪的に、生々しい匂いになる画面をテレビから無作為にまき散らすのではなく、納得して料金を払い席に着いた観客にだけ誠心誠意向き合う形をとれば良かった。観客を巻き込んで二人の世界に浸れる場所を作ればよかった。

広告展開で規制派の火に油を注ぐ可能性は大いにあっただろうが、中止よりはマシな結果になったんじゃないか

なんで再現が難しい絵柄を実写で、なんでナイーブかつ視聴者を選ぶであろう題材を全国放送の誰でも見れる割にメインターゲットを逃しまくるであろうテレビで、やろうとしたのだろう。やはりコスト問題だろうか。

プロデューサー編集部も何考えてたんだろうな。

いや本が売れたらいいなと思ってたんだろうけど炎上商法やった割にリターンがアレ過ぎない?そうでもない?わからんけど

正直、ドラマ制作側も作者の方も編集部も、「現実にある犯罪を扱った現代である」という認識が甘すぎたのではないかと思う。

それも、未成年被害者がいる事件を、「犯罪としてではなく救済として描く」というひねりを売りにした作品でだ。

カリオストロの城」でも撮っている感覚だったのかもしれない。モニタ解像度低いわ。

もしくは、とてもリアルだと思ったから実写にしよう!と思ったのかもしれない。

そのリアルさは虚構で夢でしかなく、それでいてとてもありふれた現実だ。

だって、実際の誘拐幼児への事案はひっきりなしに起こっていて(マジでひっきりなしに起こっている)。

ストーカー誘拐犯の脳内で、自分被害者と愛し合っていたという美しい物語が展開されているのは決して珍しくないのだから

その恐ろしさを無視して、リアルに寄せる実写化をするのは賛成できなかった。

苦言を呈す派に対して作者からコメントは「実際の事件とは切り離してみてください」これだけだ。たったこ一言で全て免罪されるなら表現の自由とはなんとも気楽で無責任ものではないですか。いや作品内で色々ファンタジー要素盛って免罪符切ってるしあれこれ言及するより作品に集中するのは良い手だと思うけど無責任だとは思うぞ。

だって「世の中いろんな人もいる」と、これが現実でもありえるかもね、とでも捉えられるコメントを付けて世に送り出したのは、他ならぬ作者自身なのだ

ドラマにしても、女優に「実際にこういうこともあるかもと思う」というコメントを、編集もせず流してしまった。(これで規制派の使命感に火を付けたようなものだと思っている)。制作側止めろよ…

現代クライムフィクション作品でこのコメントが出るときは「だから怖いなって思いました」くらいのことが続くはずが、「実際あったら素敵」と続いてしまうような。

作品のものというよりもその周りの倫理観ガバガバなのだ現実ガバガバ

そうでなくても今現在、長年沈黙されてきたハリウッドやら世界的に女優性的搾取告発が起きてて転換期で、それでも搾取する側の擁護をやめない(「いや、でも女性側も望んでたんじゃないか」みたいなのワイドショーで沢山見ましたね!)、日本テレビ業界をつい最近私たちは見せつけられているのだ。そもそもの信頼感が地に落ちている時に「地獄の真ん中で搾取されてるけど女の子ハッピーです」みたいな作品作ってもそりゃ倫理観が疑われるだろという話だ。

フィクションはいだって現実と地続きなのだ

不倫ドラマももちょっと気を使ってるんじゃないのかな。

■実写ドラマ反対したい理由は色々だけど、私個人に関しては”自分のため”だったと思う

お兄さんと幸の間にある感情はとても純粋もののように描かれる。

それは憂いを帯びて美しい。破滅に向かっているからだ。地獄の上にある安息からだ。あかるい太陽ではなく、暗闇の中の星。

薄汚く、ふたりを虐めるものばかりの世界でここだけは綺麗であるように感じる。実際そうだからなのだろう。未来なんて考えたくもないし過去の事は忘れたい。いまここにある、おにいさんと幸のあいだにある、形容しがたいなにか、それだけが全ての世界でいたい。

それは読者の心を掴むだろう。特に、十代の少女にとっては。

この作品メディア展開が一つ潰れることで、悲しく思うファンもいるだろうなと思う。恨まれるだろうなとも。

つーか私も十代の時に、リアルで起きた殺人事件(娘が父を鎌かなんかで…)をうけて「ひぐらしのなく頃に」のメインキャラが義父を鉈で殺す回の放送が見送られた時「いやリアルとの区別くらいついてますけども~~~~~????」って怒ってたよ。

でも今(アラサーだよ)、もし「新幹線で鉈をふるう殺人事件が起きたけど、犯人は実は悪い人ではなかった」みたいなフィクション作品テレビで予定されてるとしたら…今の私は、「それは見送った方が良いのではないか」と思う。

区別がつかないのは、つけられないのは、大人のほうなんだ。

大人になるにつれて、想像力は広がりだけではなくリアルさを増していった。経験知識が増えたからだ。

「これのせいでちいさい子供や、少年少女が酷い目にあうかもしれない」と思うと、耐えられなくなってくる。大人になれば強くなると思っていたのに、陰惨なフィクションも年々見れなくなっている。それは、年を重ねた分現実に起きる陰惨な事件を、それに対する酷い言説を、これまで見過ぎて、現実を見過ぎて、どうしても思い出すから、なんだか嫌になっちゃうからだと思う。大人になるにつれて、後からまれてくる子たちが傷つかない世界になればいいと、祈るようになってきたからだと思う。

フィクションなのに、現実被害に遭って泣いていた子や、かつて嫌な思いをしたとき自分を、思い出す。被害者の絞り出す様な言葉や、それに向けられた酷い言葉の数々を、理不尽を、やたらと思い出して、想像してしまって、苦しいときがある。

子供の時はフィクション作品メディアの力を舐めてたし、大人になればもっと区別がつくようになる、

なんならフィクションを見てリアルを思い出すなんてオタク失格だとすら思っていた。

でもそうじゃなかった。

倫理観スイッチ切って倫理観ゼロ作品を楽しむには、TPOがある程度大事だと知った。自分家族を亡くした直後に、家族を殺す話を楽しく読めないように。

倫理観ゼロ作品は、倫理観ゼロ現実世界では楽しめないと分かった。楽しめるならそれは娯楽である以上に、麻酔や薬であり、治療なのかもしれないと思った。生きるための救済。

作品の影響力を舐めたらダメだと思った。面倒なオタクである自分偶像フィクションに命を救われてなんとか生きてきた。

ならば人の命を奪う作品が無いなどとどうして言えるのか。

から今回の幸色のワンルームへの規制は、わたしは(あくまで私はな)、

これを見た「大人」がリアルに起きた事件や今までの経験フラッシュバックに耐えきれなくて「やめろ、せめて少女漫画カテゴリなかにいてくれ。そうでないなら無作為にまき散らす前に対策してくれ無作為にまき散らされて何が起こるか分かってんだおれはくわしいんだ(※嫌なことを沢山思い出しながら)」

って言ったんだと思う。

そういう側面は大いにあると思ってる。

「それでも僕はやってない。」が公開された以降から痴漢被害者への二次加害が酷くなったって話聞いてワァーってなった。

そんな変遷を見てきたら「こういう作品が公開されたら、また…」というフラバもそりゃ起きるよと思った。

直前に現実誘拐事件があり被害者バッシングを見てるんだから余計に「あれが、また…」ってなるよ。(だから本当にタイミングが悪すぎたんだよ…)

からといって作品自体消したいわけではなかった。

というかそれはダメだ。現実がこうだから配慮して作品自体消そうみたいなのは私が一番やりたくないことだった。だからゾーニングフィルタリング推進派なんだけどさ。

そしてゾーニングフィルタリングメディアの差でも実施できると思う。その作品に触れるまでのハードルの差があると考えているから。テレビ特にハードルが低い。例えば映画館での上映や本屋で棚が分けられパッキングされた単行本等とはそれだけでも違う。同列に語れないと思う。

からってガチガチにこの本は誰向け!この本はこの性別この年齢このカテゴリ!とかマジ誰もやりたくねーよ。なにそのディストピアだよ。

ネックは「現実事件に対する二次加害が野放しなこと」だから、ここがマシになれば結果的表現の自由も守られるんじゃねーかなと思うけどどうですかそのへん。

ほんとね現実クソだったよ。現実誘拐事件おこす犯人マジでクソだったし被害者に向ける目も相当クソ。二次加害を大量に見過ぎて本当にメンタル削れたし、なによりオタクリアル事件に対する大喜利に慣れ過ぎて、被害者がいるっつーのに自分も一瞬「あっそんなひどいことされてなかったのかも?」とか思ってしまったのがめちゃくちゃ自己嫌悪で死にたくなった(自分ネットアイドル二次オタクカルチャー10数年どっぷりなんですよ)。「そんなわけねーだろ」と思った。被害者の苦しみをも加害者のやったことも軽視出来るもんじゃない。絶対

この感覚のままでいるのはやばいと思った。でもこれは曲りなりにも女体持ちで嫌な思いも散々してきたから「そんなわけねーだろ」と思えた部分はあるだろうなってのもあるし、「そんなわけねー話」をいくらでも茶化せる人がいるのも知っていた。

誘拐ストーカー盗撮被害者叩きも遠い世界の人にとってはそれはファンタジーだろうしな。

でもファンタジーじゃねえんだよな。

私が生きていく現実に影響があるんなら、私は私のために戦わないといけないと思ったんだよ。

あのとき誘拐犯を擁護して被害者売女扱いしたアカウントほんとめちゃくちゃあって「で

2018-06-19

日曜日トーマス

もと南海電車からホームに降り立つと、千頭駅にはたくさんの親子連れがいた。

妻と、4歳の娘と、1歳の息子と、チケットがとれてから、楽しみにしていたトーマスに会える日だ。

子供だけではなく、大人が見ても、このトーマステレビから飛び出した等身大ヒーローだ。大きさだけのハリボテではない。ホンモノなのだ

トーマス種車はC11-227。かつてはテレビドラマや映画で大活躍裸の大将(雁之助の再放送)をよく追いかけていたのを覚えている。

正面にはトーマスの顔をつけ、ライトブルーに化粧をして、動輪までしっかりカラーリング

ベテラン子供の前で大活躍する姿をみて、Eテレ幼児番組みいつけた!ワンワンと中のチョーさんを思い出してしまった。

千頭駅では機回りをした後で転車台で方向転換。ちゃんと顔を新金谷方面に向けるためだ。周りには子供大人も集まっている。

転車台にのって、係員が人力で回すと、トーマス汽笛を鳴らしてアピールする。

ぐるぐるっと向きをかえ、止まるかと思ったら、あれあれ、まさかファイブフォーティ。魅せますトーマス。一回転半まわって転換完了

駅構内イベント会場に整備され、パーシー、ヒロに、方向転換を終えたトーマスが並ぶと、地方私鉄の構内とは思えない華やかさになった。

トーマス汽笛に合わせて、他の列車汽笛を鳴らす。効果音ではない。本物だ。

新金谷駅の売店で買ったお弁当をベンチで広げ、子供たちの声を聞きながらお昼ご飯を食べる。ホームに入る風は山岳ローカル駅の風だ。

ただ、駅全体に子供の声があふれている。混んではいるが、人道的な混み方だ。ちょっと並べば、トーマスの前で写真も撮れる。

ヒロの中の見学ができる。ミニSLやトロッコにも乗れる。

トーマスは発車直前まで写真撮影に応じている。煙突からは煙が出ている。発車が近くなると、黒い煙が増えてきた。

ゆっくりと動き出す姿を線路の高さで見送ることができる。

小型タンク機関車はいえ、1,600mmの動輪径は子供身長の倍。ホンモノのトーマスは、車輪の大きさも圧倒的だ。

みんなが並んでいるその前を再びゆっくり走り出し、再び客車に連結。

金谷行きのトーマス号が仕立てられると、いよいよ乗車だ。

鉄道界の老老介護最後尾の補機、電気機関車E10-2に感謝の黙礼をする。

そして、7輌の客車なかほどのスハフに乗り込む。

青いモケットのボックスシートに、トーマスのシートカバー。そして、所々にJNRマーク

娘は、窓が開く、扇風機があると大喜び。昔はみんなこれだったと喉まで出かかったが、トーマス号とは関係の無いこと。

トーマス号は近所の電車とは違うほどいいのだ。

千頭駅から新金谷駅まで1時間強。途中の鉄橋や通過駅ではみんなに手を振ってもらえる。

特急となっているが途中の駅に止まらないだけで、各駅停車電車と所要時間はほぼ一緒、のんびり走るのだ。

から、手を振ってくれる人の顔がよく見える。子供はもちろん、大人年寄りも、みんな笑顔だ。

レンズを構えたおじさんもお兄さんも、客車が通過するころにはシャッターチャンスはすぎたとみえニコニコしながら手を振る。

本命はこの後のC56-44かもしれないけど。

大井川にかかる鉄橋は見晴らしも良く、遠くから手を振る人もみえる。

吊り橋の上から手を振ってくれる人もいる。

河原キャンプから手を振ってくれる人もいる

茶畑のおばさんも手を休めて両手を振っている。

農道のおじさんも、軽トラから手を振る。

並行して走る国道473の車の中からも、バイクのお兄さんも。

新金谷駅に着くと、車両基地機関庫に入っていくトーマスみえた。

子供と近くまで歩いてみると、もと近鉄電車や他の蒸気機関車とならんで、トーマスみえた。

自然ではない。ホンモノのトーマスから、ホンモノの列車達と一緒に休むのだ。

自然子供と手を振って、家路についた。

2018-06-06

面倒くせえなぁ…

抗日ドラマはもはや「フィクション」で「パロディー」だ=中国報道

https://www.excite.co.jp/News/chn_soc/20171112/Searchina_20171112021.html

 中国では過去歴史を扱ったドラマが非常に多く放送されており、こうしたドラマの人気は高い。特に多く放送されているのは、中国共産党の存在意義正当化し、強調する意味もあると言われる「抗日ドラマ」だ。だが、近年は抗日ドラマはあまり現実離れした描写が多いため、中国国内でも「抗日神撃」と揶揄(やゆ)する声も少なくない。

 中国メディアの今日頭条は8日、「誇張された抗日ドラマはい終焉を迎えるのか」と疑問を投げかける記事掲載し、中国放送されている抗日ドラマの多くが「脚色され、事実と大きく異なっている」と指摘している。

 記事はまず、中国では抗日を題材にしたテレビドラマが非常に多く放送されているが、その質は「玉石混交」と言わざるを得ないと指摘。しかも内容は誇張されているケースが多く、歴史を忠実に描いていないことを伝え、歴史尊重せず、エンタメと化した抗日ドラマを通じて、多くの中国人は正確ではない歴史を植えつけられていることを指摘した。

 続けて、中国放送されている抗日ドラマはもともと抗日戦争が基になっているが、現在は内容が脚色されて時代錯誤武器が登場したり、侠客化されたりして、もはやフィクションドラマになっていると指摘し、破天荒描写が含まれ抗日ドラマは「抗日神劇」と揶揄されていることを嘆いた。

 中国には毎日のように抗日ドラマ放送されており、当然、中国の子どもたちの目にも触れることだろう。では、子どもたちはこのドラマを見た時に、戦争に対する嫌悪感を抱くだろうか。むしろパロディーとして楽しさすら感じてしまい、戦争残酷さや悲惨さに対する理解のない大人になってしまうのではないだろうか。(編集担当村山健二)

どんな荒唐無稽な設定にされていても日本人の多くは抗議してないのにね。

別に中国投資家投資を控えても、中国販売を止めてくれても何でもいいし、原作者アニメ製作者が損してもどうでもいいんだけど。この話題でドヤっている人たちは好きじゃない。

2018-06-05

anond:20180605182728

普通に評価良さげじゃない?

https://www.imdb.com/title/tt2930136/

レビュー自動翻訳

7/10

これは、近年日本で最も人気のあるテレビドラマと言われています10エピソードシリーズ全体を見た後、私はそれがなぜとても人気があるのか​​理解しています

一つは、日本の苦労している給料給​​付の男性が、自分が望むことを言いたいとは言いたいが、恐れている人を助ける。それは抑圧された声に役立ちます

第二に、日本バブル崩壊して以来、失業中の中小企業を大切にしています。彼らは、ナンバーゲームをしたり、資産蒸発させたりする代わりに、実際に商品生産する人々です。

急速に変化し、金融中心の社会では、Hanzawaは私たちがかつて失ったものを持ち帰ります

私はそれがファーストクラスだとは言わないが、それはとても価値のあるものだ。より多くの観察:

それは日本時代ドラマのようなものです。重要な人々はすべて行進して角を曲がり、その後将軍支部長です。その後、すべてのトリックと扱い、同盟者。それは、昔や今、日本中国でも同じです。

それは、ハンザワが自分の誇りを擁護しているサムライドラマのようなものでもあり、彼の将棋に対する忠誠ではなく、彼の父親人間哲学に対するものであり、バンクーバーにいなくても観客に魅力を感じさせる。

から下位の給料人には、生存のためだけに人生が苦しいというグループ圧力がたくさんあるようです。あなたは、他の妻と集まらなければならなかった妻のためにさえも、あなたがしていることや、あなたが言うことを細心の注意を払わなければなりません:彼らは調和して見えるという意味で多くの偽善がありますあなた尊厳と誇りで生き残りたいなら、あなたの達成感はもちろん厳しいでしょう。

ランキングは、会社と妻の間で非常に重要です。さまざまなルールや習慣に従うというプレッシャーがたくさんあります

したがって、コホートサポートは、このランキングシステムと戦わなければならないときに非常に強力です。

結婚仕事生活は非常に異なっているようです。男性は通常、家での仕事について話しません。カップルの間には多くの秘密(不必要もの)がたくさんあるように思われます。したがって、彼らは通気できず、多くの病気に発展する可能性があります泥棒はそのような愛する父親になることができます。したがって、日本では、パンの唯一の養育者であり、自宅でも通気することはできません。彼らが以前に死んだのも不思議ではない。

すべての妻(大和田を除く)は、夫が職場で何をしているのか分からなくても、非常に支持的で理解しています。彼らから学ぶべきことがたくさんあります

少なくともこのドラマでは、すべての行為は非常に役に立つものです。コホート間の協力を除いて、すべての行動が何か他のものと引き換えにあります。妻の花からプレゼントでさえ、彼の勤勉のための報酬のようなものでした。無条件の献身と愛はどこにありますか?

詐欺師1次元でもありません。私は彼らが物語もっと説得力のあるものにする一方で人間でもあると確信しています

ハンザワは対立しています。これは日本の伝統的なハーモニーの育成とはまったく反対です。多分日本の伝統に挑戦し、日本給料人の間で未達成の欲望をたくさん出すので、彼らは皆それを愛しています

スクリプトの面では、すべてのエピソードで新しい情報が少し驚いています。それは自然あなたの注意を引くサスペンス映画のように動作し、あなた放置できません。

日本人は長期的な関係を非常に重視しているようです。コホート大阪記者、敵。彼らは、彼らに邪悪で厄介な人々の良い思い出を持ち、それに応じて行動します。だから、それらを混乱させないでください!あなたが彼らに親切なら、彼らはあなたに親切であり、逆もまた同じです。その時点で私は似ています

誰もが転送を恐れているようだ。しかし、少なくともあなたはまだ給与計算の下にあり、多国籍企業では、外国人として働くことは特別手当を受け取り、あなたは遠隔地に移され、古代中国のように新しいことを学ばない限り、キャリア進歩はしごと見なされますしかし、多くの偉大な文献は、著者がこれらの遠隔地に移されたときに書かれました。

大沢演奏した香川照之は、ハンザと演奏した酒井正人に比べて優れた俳優です。彼らはKey of Life(2012)とその映画で一緒に仕事をしてきましたが、違いはさらにはっきりしていますhttp://www.imdb.com/title/tt2078599/reviews-1

8/10

誰が企業銀行口座振込がとても面白いかもしれないと思っていたでしょうか? Hanzawaと彼のローン部門は、数百万という総額のローンを承認するために、より高い価格取引されている。 あなたが何か怪しげなにおいをする前に、口座は破産し、経営幹部はハンザワに対してすべての責任を負わせる。 彼らが推測していないことの1つは、彼の執拗さ、お金を守るスキル、そして彼を追いかける暗い復讐です。 罠はどこからも発射されず、敵は邪悪狡猾なジャッカルのようなサークルです。 怒りを学ぶ - ハンザワとねじれ、それは二重の払い戻しだ! 殺人殺人もない - ヌードはありません。 格付けはアジア全域で崩壊する。 非常に中毒性が高い。

2018-04-20

一人で完結してしま

私は小説が好きで、常に何かしら読んでいます。今でこそ慣れて一人の世界を築き、記録も他人が見ない前提でつけていますが、文学にハマり始めの頃、人と感想を交換できないことを残念に思っていました。本好き界では「良い本はいつ読んでも良い」みたいなことがよく言われていて、これは本当にその通り。だから、皆自分がその時に好きそうな本を、時代・国・作家を問わず求めると、結果趣味バラけるわけです。読者が読むものが集中するとしたら、人気作家の新作とか、何かの受賞作とか、実写映画化したとか、そのくらいでしょう。「趣味読書です」「小説をよく読みます」という人と出会っても、会った時点で一緒のものを読んでいた、同じ作家ファンだった、なんてことを私は体験したことがありません。全員バラバラなのです。おすすめを聞いて相手の真似をして初めて、同じ作家作品のことが語れるようになるわけです。

そこをいくと、アニメテレビドラマファンてのは放送されたのを同時に見るし、漫画は多分連載や単行本発売のタイミングで読むだろうし、映画ファンも公開されたのを同時期に見るわけだから、一緒に見て感想を言い合う家族や友人がいなくても、ネット上で同志が見つけやすそうな所が羨ましい。実際はそこで積極的いかなければ親しくはなれないだろうけど、多くの人が同じアニメを一斉に見ていてハッシュタグ実況になってる状態はとても楽しそうに見えます

もっと言うと、スポーツゲームバーベキューでもコミケでも何でもいいですけど、人との交流・共有に重きを置く趣味に憧れます。私は仕事ありの生活リズム睡眠時間を優先するあまり時間の決まったお教室テニスダンスヨガとか)でお試し期間をこえて契約するに至らず、読書楽器ランニングなど、好きな時間に1人でやれる、自分に都合のいいことしか続けてこれませんでした。仕事している限りこの癖は今後も変わらないだろうし、変えようとも思っていませんが、やっぱり趣味友達は羨ましい。

2018-04-12

anond:20180412101957

今でこそ18禁漫画を描いていた人が芸風そのままに青年エロ漫画を描いて

それが結果的テレビドラマ化される現象すら認められるようになってるけど、

ほんの10年遡るだけで厳しい世界だったんだぞ。

なにしろチャンピオンREDいちご「程度のもの」が持てはやされていたりしたんだからな。

2018-04-04

anond:20180404144614

リンク貼ってやっただろ。見直せよ。

未来日記アニメまどマギ2011年だ。

LIAR GAME実写映画2010年に公開されてるし(テレビドラマ2007年2009年)、

カイジ実写映画2009年2011年に公開されて、GANTZ王様ゲーム実写映画2011年

ちなみにカイジ映画化は明らかにドラマLIAR GAMEがヒットしてからの流れ。

SAOが「デスゲーム」ってのもまたちょっと違うしな。

あれはたまたま同じ呼称になっただけで流れとしては別。

2018-03-30

anond:20180329221901

玉の大きさをどうこういうのは西洋文化だよ。

アメリカテレビドラマ見てるとすぐ玉に言及する。

まり俗説以上の何物でもない。

「ケツの穴が小さい」みたいなもんだね。

2018-03-29

anond:20180329175009

FF14とか去年からテレビドラマ効果で人増えてるし別に廃れたって感じはしない

ネットマジョリティ層の興味範囲から外れただけだったり

匿名の大型掲示板なんかは変な人が暴れるから敬遠されるようになってDiscordなんかで連絡取りながら内輪で遊ぶ人が増えてプレイヤーが外から観測されにくくなったとか

そういう要因のほうが大きい気がする

2018-03-25

いわゆるテレビアニメテレビドラマの「〇〇話切り」という観念

やるのは勝手だが、コンテンツ愛情も金払う意志も何もない馬鹿を露呈するだけなので、そういう意思表示は金輪際辞めていただきたい

そのアピールは誰に対してどういう得があるのか言えるんだったらやり続けてもいいが

2018-03-24

『幸色のワンルーム』が叩かれて悲しい思いをしている人へ

『幸色のワンルーム』という作品が、実写化を期に色々なバッシングを受けている。

というか、申し訳ないが私も言っている。

けれど、あの作品好きな人は嫌な気持ちになったり、

大人がくだらないことで誤解をして騒いでいるとうんざりしているのではないだろうか。

もし私が作品ファンならそうなる。

なので、私の考えることをいくつか書く。


『好きになっちゃいけない作品』はない

まず言わなくちゃいけないのは、

あなたがあの作品を好きなことを、咎め権利も、バカにする権利も誰にもない」ということだ。

ある作品を読んで、それが好きだと思う気持ちは最大限に尊重されなくてはならない。


誘拐家出も悪いことだから」叩かれるのか?

私はあの作品非難しているが、

それは「登場人物が悪いことをしているから」ではない。

登場人物が悪いことをしていたって面白い作品はたくさんある。

また、幸が自分意志であの部屋にとどまっていることも

彼女にとってあの部屋の外の人間こそが害悪であることも知っている。

誘拐事件を増やしそうだから」叩かれるのか?

あの作品を見て誘拐事件を起こすような人間いるかも、とも、私は思っていない。

誘拐事件を起こしそうな作品ならほかにたくさんある。

では、なぜ非難するのか。

それは、『幸色のワンルーム』が、バカ妄想とよく似てしまっているからだ。


現実フィクション混同するということ

『幸色のワンルーム』を非難する人に対して、

現実現実フィクションフィクション。なんで混同して叩くんだ、区別くらいつけろ、ばかばかしい」

という意見はたくさんあった。

実際その通りで、現実フィクション混同するのはバカのすることである

同様に、あの作品を読んで「女の子誘拐しようと思う男」もバカだろうし、

「知らない男のところに住もうと思う女の子」もバカであろう。

では、これはどうだろうか。

現実に起きたの事件被害者に向かって

「(『幸色のワンルーム』の幸みたいに)自分でお兄さんのところに住みたいって言ったんじゃないの?」

という奴がもしいたら。

そいつ現実フィクション区別のつかないバカではないだろうか?

そんなバカ、世の中にいるとは思いたくないが、いたのである現実に。それもたくさん。



朝霞市誘拐事件で起きたこ

朝霞市女子中学生が、大学生の男に2年間監禁されていた事件を覚えている人は多いと思う。

この、現実事件被害者について、

「じつはこの女の子自分から男のところに住みたいと言ったのではないか?」

「単に家出をして男と同棲していただけなんじゃないか?」

監禁されたなんていっているけど、喧嘩でもした腹いせに、男を悪者に仕立てあげてるだけじゃないか?」

という妄想を垂れ流す人間は、残念だが現実にたくさんいた。

実際の事件被害者家族のことを考えたら、とても口にはできない妄想だ。


彼らのなかには、「中学生くらいの女の子に好かれたいな」という願望がある人がいる。

また、何を見ても「男は悪くない、ずる賢い女にひどい目に遭わされただけ」と考えるクセがついている人もいる。

そして、実際の事件を見て、「もしかして自分の願望通りのことが現実に起きたんじゃないか」と期待し、妄想してしまう。

から監禁された女の子自分から男のところにとどまったことにしてしまうし、

必死で逃げ出したことを「喧嘩の腹いせに被害者ぶった」ことにしてしまう。

しかもそれを、ネット上でいってしまったのだ。

本人や本人の家族知人の目に入るかもしれない場所で。

2016年、『幸色のワンルーム』が発表される直前の話である


バカはいる。残念だけどいる。

もちろん、彼らは『幸色のワンルーム』を読んでこんな妄想をしたわけじゃない。

彼らは、彼ら自身妄想からこんな風に考えただけだ。

そして、現実事件を見て自分の願望を投影しただけだ。

だが、一人でもそんな妄想をして、それを他人にぶつけてしまバカが、

『幸色のワンルーム』を読んだらどう思うだろうか。

「やっぱり俺の思った通りだ。この漫画は女にうけてるじゃないか

 女は家出して、男のところに泊まるのに抵抗がないんだ」

と、「現実フィクション混同して」思いはしないだろうか?

そして、そうなりそうなバカがたくさんいることを、私たち朝霞事件で目の当たりにしたのだ。

バカは、いるのだ。残念だけど、現実に、厳然としているのだ。


バカに見つからないように」

私は、読者が『幸色のワンルーム』を好きなことは何ら問題ないと思っている。

最初に書いたように、好きなもの咎められる必要バカにされる必要もない。

だが、作者については、もう少し「バカに見つからないように」できなかったのか、と言いたい。

privetterを使うとか、注意書きをつけるとか、何か方法はあったはずじゃないのか。

私は、創作で「描いてはいけないこと」はないと思っている。

しかし、誰かを傷つけたり、バカ調子づかせてしまう恐れがあるのなら、

作品で傷つく人が増えるのを、できる限り防ごうと努力することは必要だと思う。

それは、バズらせるよりも大切なことではないだろうか。

実写化というだけでテレビドラマかどうかはまだわからないが、

もしテレビで放映するのなら、バカに見つかる可能性はぐっと上がる。

そのことを、そのバカによって誰かが傷つけられることを、真剣に考えた上でメディアミックスを進めているのだろうか。


私が作者や実写化スタッフに求めたいのはそういう配慮だ。

『幸色のワンルーム』という作品を、他人を傷つける道具にしてしまバカに、「見つからないように」する努力

そうして、きちんと「わかってる」人がこの作品を楽しめるようにしてほしい。

2018-03-14

顔のアップが苦手

最近スマートフォン動画テレビドラマとか)をよく見るが、CMである顔のアップが苦手なことに気づいた。

たとえば、iPhone XセルフィーZoffサングラス、モッチモチ最後ローラなど。

顔のアップのCM最近流行なのか?

いずれにしても過ぎ去るのを待つしかいか

2018-03-04

anond:20180304195456

映画」に限定する必要性を述べてください。

暗にテレビドラマアニメーション演劇など他のエンターテイメントを除外していますが、それは何故ですか。

ラブストーリーもの映画哲学ですが、ラブストーリーものドラマ哲学でないと考えている?

2018-02-28

anond:20180228225311

お前それ、ウィキペディア2010年代テレビドラマ一覧を見てから言ってんの?

お前その一覧の中でどれだけドラマ見てるの??

知的レベルが高い割には見識が狭いというか…

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