はてなキーワード: 夫婦とは
丸の内のケーキ屋で並んでた時、順番が近かった金持ちそうな夫婦と少し話してたんだけど、奥さんがファストファッションのパーカーを着た家族を見て「あんな服着て恥ずかしくないのかしら?」みたいな事言って来たんだよな
夫婦別姓の話しになるといつも思う。
夫婦は別々でも結局子供はどちらかの姓になり、やっぱり見た目として子供と同じ姓のほうになんとなくグルーピングしちゃうし、子供と別姓でもいいと思う男女もそんなに多くないんじゃないかと。夫婦の姓をどっちかに寄せることにしたら子供も自動でそっちになるけど、相手の姓になるのは嫌という譲歩ができない夫婦が子供の姓を「ゆずる」ことがスムーズにできないことは少なくは無いだろう。みんなはそんなこと無いと言いまくるだろうけど実際は絶対ぽろぽろでてくる。人間だもの。賢くないもん。しかも成人の二人の問題から子供を巻き込んだ3人の問題になる。
このように夫婦だけは真ん中にしても、最後は子供がどっちか左右に振れてしまう。
チンコとはみなさんご存知の通り、男性の股間中央部に鎮座している。
けど、実生活のチンポは左右どちらかに偏っている。二股の下着のどちらかにチンポを差し入れないといけない。
チンポは中央に居ない。どこかの部族のコテカでもつけない限りは。
そして男性は永遠にこの中途半端に座りが悪い、中央からずれたチンポのポジションに悩んでいるのである。
朝起きたとき。椅子に座ったとき。町を歩いているとき。リラックスしているとき。眠る前。
男はなんとなくチンポのポジションに違和感を抱き、それとなくチンポジを修正するんだ。
物事を割り続けても中央などない。ぜったいどちらかに傾けなければならないときがある。
チンポジのように居心地が悪いことになるときはあるんだ。あるんだよ。
どうかチンポジを直視してほしい。君たちはちゃんと最後の始末を考えているか?コテカをつけるような強制的な解決に持ち込もうとしていないか?
ときには立ち止まり、視点を下に向けてみて欲しい。羅針盤がどちらを向いているか。この状態は快適か。理想だけでは割りきれない切実な問題がそこにはあるんだ。
選択的夫婦別姓制度が実現して、別姓を選択した夫婦がいたとして、子供の姓はほとんどの場合は夫の姓を選ぶと予想している。
珍しく妻の姓の子供がいると、「●●ちゃんは奥様の姓なんですね。奥様のご実家の跡取りになるんですか?」
「夫婦別姓は達成しましたが、子供の姓は90%以上が夫の姓なのが実態です。これは子供は父親の所有物であるという『家長』意識によるものです。この意識を改革するために子供の姓は夫・妻どちらの物でもない『新姓』とすべきです」
と主張する新たな社会運動が起こるかもしれない。
モンスターハンターのベータテストが開始されたついでに経過報告を
うちの子供は何に毒されたのか、「自己責任」とさえ言えばどんな無駄遣いや自堕落も先延ばしにできると考えている節があったので、買い換え不可の結論は当時の自分の判断が招いたこと、その責任は自分自身にあると言ったのだが、まあ納得はしてないだろうな
夫婦同姓はクソめんどくさい
夫婦別姓が実現した直後は今まで抑圧を感じていた人たちの意見が強く主張されて、その通りになるかもしれない。
でもそのうち揺り戻しが起きて、夫の姓を選択したことを批判してはいけない、どちらの姓を選んでも個人の自由という風潮に収まる気がする。
これは現在において夫が妻の姓になったとしても、変わってるとは思われても(ほとんどの場合は)批判はされないのと同じイメージ。
しかしながら親子関係が劣悪、などの理由がなければ女性が自分のルーツを捨ててまで夫の姓になることは激減するものと予想する。
夫婦は別姓が当然で夫の姓に変更する人は珍しいという風潮になるが、それはそれで特に困ることはないだろうと思う。
ちなみに既婚の40代男が書いている。
「名前の一部を変えさせることはアイデンティティを剥奪する行為だ。これは人権問題なのだ」を武器に選択的夫婦別姓を推したいなら、家族の絆が云々と言う反対派に対しては、「名前の一部を一体化させることで家の一員となる、なんて意味の『絆』なんてクソ喰らえだ」と返す方が筋が良いんじゃなかろうか。
名前が家族の絆に影響しない、と言ってしまうと名付けの力を軽視することになる。
名付けの力は大きいよ。
そもそも、絆というか身内意識に姓は影響するでしょう、どうしても。
夫婦愛・親子愛がそんなもので変わらないというのには賛成するけど、やっぱり結婚は家と家の付き合いだから。
家に入った、家に迎え入れた、という意識は生まれるでしょう。(当事者がそうじゃなくても、その親世代は特に)
そんなイエ制度に反発して、一人の人間と一人の人間が結婚するのだ、っていう個人主義の広がりが今の選択的夫婦別姓議論じゃないだろうか。