はてなキーワード: スタイリッシュとは
アニメは近年とてもスタイリッシュになり、より万人に見られるようになった。
年齢が上の人は昔のアニメの方がという人もいると思うが、表現技術はアニメ畑の人たちが一生懸命耕した結果格段に向上しているように感じる。
しかし、その一方でスタイリッシュさが必須になったとも感じる。
ストーリーは入り組んだもの、作画は高精細、主題歌はおしゃれな人気バンド。
現代において「ダサい」というものはもうあまり許される余地はないように感じる。
勿論それは人間社会においてもそれは適応されており、要求される容姿はこの10年間でうなぎ上り、マルチタスク必須、長時間労働必須など世の中の「普通」の水準がどんどん向上している。
正直自分もZ世代に適応できるように頑張ってはいるけれど、要領や容姿のいい人にどれだけ努力しても置いて行かれる。勝てない。
そして昔の人と違って今の人は洗練されている人が多い。またそういう人たちは性格が良い人が多い。二重につらい。
自分のような人間は昭和では「宇宙」を求め、平成では「超能力」を求め、令和では「異世界」を求めていたけれど、この先どこに行きつくのだろうか。
スマホじゃなくてPCで遊んでるからスペック問題とかは無関係やで。
今はプレイヤーレベル上げてる最中や(メインストーリー解放条件にプレイヤーレベルがある)。
「興味があったら触ってみる価値はあるが興味がない人が触る価値まではない」って所やな。
特別目新しいシステムがあるって程じゃないし、ストーリーも凄い独特で面白いって訳じゃない。
今時のゲーム全体で見て上澄みに入れる部類ではあるけど、上澄みの中で比較したら底の方、つまりは「上の下」や。
一昔前は基本無料で遊べるのに「上の下」なんて凄いじゃないかー!みたいな感じだったけど、最近はそうでもないかんなー。
単にマネタイズの仕方が違うだけで基本無料だろうが買い切りだろうが同じ土壌で比較するべきみたいな風潮やとワシは思っとるからそこにピントは合わせたで。
まあ雰囲気ゲーみたいな所はあるわな。
アニメ調な3DCGで描かれた世界が全体的に可愛いとカッコイイを両立させててグッドや。
ムービーのクオリティは高いけど、ゆーてスマホの容量バンバン使って高品質なアニメ入れてるだけな気はするから特別評価する所かは微妙やんな。
lainとかテクノライズが好きな奴にオススメな雰囲気あるわな。
古い町並みと少し古いインターネット感の組み合わせにノスタルジーがあるわ。
カチャカチャターンでスーパーハカーが喧嘩して一般ネット民がIP抜かれてたりFBIに通報されたりしてるイメージがあった頃のインターネット感やわな。
今時の洗練され安全なインターネットではない空気が吸いたい人にオススメや。
回避反撃とか極限支援とかアレコレあるけど、要はパリィカウンター打ってりゃいいだけのアクションRPGなんよな。
Aボタン連打で通常攻撃→(敵が黄色く光ったらカウンターボタン・赤く光ったら回避ボタン)→ゲージ溜まったらBボタン→超必殺ゲージ溜まったらCボタン みたいな流れを延々とやるだけ。
この辺の味付けに「見切り」や「間合い」の要素がちゃんとあればいんだけど、このゲームはそういった「奥行き」部分がスッカスカなんよな。
キャラ色々育てて属性を組み合わせるとかはあるんだけど、それやってもアクション部分の単調さはあんま解決せんのよな。
判定残してダメージ喰らいながら同時攻撃させるか、あんま判定残さないようにして戦うかって切り替えぐらいは出来るけど、本質的な所のスタイリッシュさがかけとるのは同じやんな。
ぶっちゃけゲーム性自体は学マスやウマ娘の方が上やと思うで、まあそれ以外の大部分の日本製ソシャゲは同じレベルの単調なRPGやってるけどな。
全てのソシャゲが等しく抱える問題と言えばそうなんやが、このゲームはアクションRPGなんでしんどさが高いで。
とりあえず毎日素材周回ステージを4~5回ぐらい回ることになるけど、この間普通にアクションRPGやらされるで。
当たり前といえば当たり前だが、今時のゲームはスキップさせてくれるのも多いし、たとえばスタレだったらオート放置が出来るけどこのゲームは手作業や。
ステージクリアタイムボーナスがあるから片手でボタンポチポチもちょっとアレやしな。
新聞屋でスクラッチカード擦るとか、ビデオ屋でビデオ並べるとか、そういった要素も別に面白くないのに動きが要求されてちょっとしんどいな。
何がしんどいって、日課の素材周回を完全にサボると手持ちキャラが育たんからサブクエスト攻略で苦労することやな。
サブクエ攻略しないとプレイヤーレベルが上がらんからメインストーリー攻略できないので、結果として日々の素材周回は必須なんよな。
ホヨバゲー全体で言えることやしソシャゲ全体で言えることやな。
なんか知らんけど、パンツ結構見せてきたら腰クネクネさせたりするの、鬱陶しいからなくてよくねーかなと。
PCでプレイしてるから別にいいっちゃいんだが、それでも人に「このゲームを今遊んでるよ」とは言いにくいところがあるで。
しょーじき、2週間触ったら普通に飽きてきたわ。
1章は面白かったけど、2章ぐらいから少しずつ退屈な気持ちが増えてきたな。
素材周回のせいでやらされてる感が貯まるのがよくないな。
無課金だからガチャ引いてないってのもあるんだろうけど同じキャラ使ってひたすら同じような敵と戦闘するから味付けが全く変わらん。
ボンプちゃんや妹ちゃんが可愛いからストーリーモード進めるのは楽しいけどサブクエとかはやってもやっても同じことの繰り返しで退屈すぎるわ。
普通のRPGだったらレベルアップで新しいスキルを覚えたり特定の状態異常に対処したりでプレイフィールに変化が出てくるんだけどこれはそれが薄いのが良くない。
造作洗面台の話な
簡単に説明すると、壁埋め込み水栓はめちゃオシャレだけど、水漏れ時にメンテナンス代かかるから良くないよって話
でもね。メンテナンスって日々のメンテナンスにもコストかかるんだよ?
コーキングも汚れていくしね
水栓周りも通常の下から出るタイプだと、付け根部分が水浸しになって汚れが溜まるのは掃除している人からすれば常識で
壁付け水栓にしたい理由は、付け根に汚れが溜まらないからなのよ
それに気に入らないもののメンテは苦痛でも、気に入ったもののメンテは快感っていうのはコレクション系趣味が大好きな男性にも理解できるでしょ
オシャレ造作洗面台には、そうやって日々のメンテナンスコストを下げる役割があるんだよ
つまり修理で大きくお金を取られようとも、日々のメンテナンスの楽さを取ったというだけの話
日々のメンテナンスをやらない人にはわかんないんだろうけどね
あとさ。壁埋め込みが悪いっていうけど、トイレの水栓も壁埋め込みだし、洗濯機の水栓も壁埋め込みでしょうよ
メンテナンスや水漏れリスクを問うなら、なんでその二つは「見せる配管」じゃないんだよ
造作洗面台はカウンターにシンクを乗っけるタイプだと繋ぎ目にコーキングが入るのでメンテナンス性はいまいち
アイカ工業のスタイリッシュカウンターなら大理石を選んでも同価格帯でカウンターとシンクの一体型にできる
http://www.kurosakisangyo.co.jp/business/kensou/works/025/
https://www.mori-juken.jp/facemagazine/p13416/
水栓は壁付けだと高いので、タッチレス水栓で妥協するのがおすすめだ
日本の笑いがすごい!って言ってるけど、それは半分合ってて半分間違ってる。
そこは素直に、「彼らの笑いがすごい」とちゃんと評価しましょう。
お笑いに解説をつけるのは、手品の種を教えるみたいで白けることだなって思うけど、やっぱり「日本のお笑い」ではなくて「彼らのお笑い」がちゃんとすごかった解説はしたいなと思った。
・冒頭(つかみ)
見た目で笑っている感度が低い人も多いけど、「なんじゃこいつら。欧米人が見るアジア人っぽいステレオタイプで出てきて、結局出落ちだろ」というラインまで期待を下げることに成功している。
これが最近の日本の芸人が見せるような、少しスタイリッシュ感じではだめ。
それだとこれからやるネタの期待をいたずらに上げてしまうので笑いにならない。
「面白そうだけど見た目だけだよね」という低めのラインが、これから始めるネタに対する裏切りになっている。
簡単に書いてるけど、この先面白くないと成立しないある意味自信に満ちあふれて無いとできない戦略。
さらにそのうえで、「Tを探せ」という観客を巻き込む構成になっているのがポイント。
馬鹿っぽいやつらにバカにされたくないという人間心理を巧みに付いてる。
・1ネタ目MorningのT
ここで取れる笑いは小笑いでいい。勘がいい人は笑う。お笑いの閾値が高い人は逆に笑わない。でもそれでいい。
小難しい顔をしながら、彼らが何をやりたいのかを全員が理解するための大切な時間。
ウケを取るより大事。
ここですでに「お約束」まで持っていっている。
お笑いが気持ちいいのは裏切りの瞬間なのだけど、タイトルコールからTが出るまでの時間が1ネタ目より短く作られている。
Morning Tは、タイトルコールからTが現れるまで14秒だったのに対し、Baseball Tは、タイトルコールからわずか8秒でTが出現している。
ルール説明の役割をもつ1ネタ目を丁寧に説明するために時間を割いたということもあるが、2ネタ目は出現を早めることで、見ている側に対して「ちゃんと考えていれば予測できたお約束なのに舐めていたから見逃した」という悔しさを 植え付けることに成功している。
・3ネタ目TerryのT
舞台袖に立っているTerryを巻き込んだT。
ここでこれをもってきたのは正直すごい度胸だと思った。
ここまでに会場があったまってないとTerryのノリノリも寒いだけなので、もしかしたら会場のリアクション次第で順番を変えてたかもしれない。
登場からわずか1分15秒で、会場の熱気を察してアドリブ感(実際にはシナリオだとは思いつつ、そう感じさせない演技力は素直にスゴい)で笑いを取るのは正直相当に熟練の技と言わざるを得ない。
しかもTerryのダンスが、彼らよりスタイリッシュであることが更におもしろい。
これが計算だとは認めたくないのだけど、これが本当に計算だったとしたらチョコプラは自分が思っているより遥かに高いレベルのお笑いをやってるかもしれない。
・4ネタ目。ShoppingのT
おそらくもう彼らはここで勝ちを確信していたと思う。
でも、そんな感じを一切見せてないのはこれも彼らの熟がなせる技だと言わざるをえない。
ここでのTは、今までのTと同じように見せて、実はちょっと違う。
今まではいつTが出てくるのかが笑いのポイントだったのに対し、ここでは試着のサイズが明らかに間違っているというコント的要素で笑いを取っている。
この部分だけを切り取れば最初のつかみとしても狙いにいける笑いだったはずなのに、ここまでコント的要素を用いなかったのはこれもある意味でTに対するミスディレクションになっていて、観客がTを探しているなかで唐突に裏切られるような形でコントがぶち込まれる瞬間が相手の虚をつく笑いとして成功している。
要するに、この手前までのお膳立てで、観客はすでにT探しに夢中になっていた。
それなのに、彼らが持ってきた笑いのポイントはTではなく松尾のお腹だったということ。
これは笑うのよ。だって、そこに笑いが来るだなんて予想してなかったのだから。
シャツに片袖を通した時点で予測ができていて、少し手前で裏切られた分を帳消しにするような形で安心感あるTが来ることで、観客は「もう何も考えずに笑っていいんだ」というコンセンサスに包まれることになった。
難しい顔を維持しようとしていた審査員も、この時点で脱帽という感じで笑い始めていた。
そりゃそうだ。笑いを堪えるためにIQをフル回転して先を読んでいたのに、見事にすべて裏切られる形で、それでいてベタな笑いが突っ込まれてきたのだから、これを耐えられる人間がエンタメ業界にいる事自体が許されないという構造になっている。
笑うしかない。
・5ネタ目。TitanicのT
これもやはり、自信がないとできない。
ここまで来ると観客はすでにTを待っている状態になっている。
(なっている。だなんて軽率に書いているが、この短時間でそこまで観客を引っ張り上げたのはほかでもない彼らのお笑い的実力であって、日本のお笑いなら毎回こうなるかと言われればそれはNoだと言わざるを得ない。)
そこをあえて裏切らずに素直にTを出すことで、観客の期待感とネタのピークを一致させることに成功している。
これも、本当に一歩間違えるだけで全員が白けるだけの寒いネタにしかならないので、ここまでのお膳立てが完璧であったと認めざるを得ない。
それができているから観客の大半が結末を予測して、ローズとジャックの名前が出ただけで面白くなってしまっている。
史上空前の大ヒット映画の、更に誰もが知っているようなシーンをネタの最後に持ってくることで、全員が安心してTを発見できているからこそ、あの一体感が生まれている。
さらにもっと言えば、ここに来て彼らの怪しい風貌が実は裏切るかもしれないという絶妙な不安を演出していて、それでいて予想通りのTが出てきたからこそ、より一層強い安心感につながっているとも考えられる。
すごいのは、ここまでのたった2分40で、それらすべてをやってのけている点だ。
はじめに、ルールをしっかり説明して、想像より早くお約束を見せて、慣れ始めたころに裏切って、さらに視点とは違う部分で笑いを取って、最後はしっかり予想の範囲で、それでいて予想以上の見た目の面白さで笑いを取る。
この一連の流れを、たった3分未満でやり遂げている。
これは、「日本のお笑い」なんて乱暴な括りで語れることではなく、素直に彼らの実力がすごいとしか言いようがない現実である。
増田自信は正直チョコプラのことは嫌いだったけど、このネタは笑ってしまった。
嫌いだからこそ斜に構えて結末を予想してしまったことが、返って彼らのネタで笑うしかない理由になっていた。
まさにゴットタレントのステージが完全アウェーだということを理解していないと、こんな構成ができるとは思えない。そんなネタ構成だったのではないだろうか。
「大谷選手の活躍は日本人として誇りに思う」という表現にいつも疑問を感じていたが、チョコプラの今回の活躍を「日本のお笑いレベルの高さ」という論じ方をするのはどう考えても納得できない。
それはあくまで、「日本にも世界に誇れるハイレベルなコメディアンがいる」という事実でしかないだけで、大半の日本のお笑いは世界を相手にここまでのことができるわけがないというのが個人的な感想です。
安村さんもすごかったけど、正直今回のチョコプラはすごすぎた。
PC版がある"モバイルゲーム"なので余裕でオーバースペックだわ
俺はホヨバ信者なので原神スタレ崩壊3rdをやれば相乗効果でめちゃくちゃおいしいということしか言わん
まあ鳴潮も初日から欠かさずやってはいるがアンコちゃんが可愛いとしか言えん
ホヨバと比べたらキャラに愛着もたせるコンテンツ展開力が貧弱だなスタイリッシュアクションではあるけど
ただこのへんはゲームとして00年代10年代の大作オンラインゲームと比べたら比較にならんほどよくできてるわ
いや鳴潮は黒い砂漠やブレイドアンドソウルくらいの世代のやつをアニメ調にして一長一短にした感じもなくはないが
ちなみにブルプロは残念ながら4年前のベータ参加時点で見切った
ターン制RPGと舐められん中身になってるしピノコニー編はマジで良かった
いや原神もスメール以降は本編もキャラシナリオも出来がよくて映画みたいな余韻をよく感じたが
もしペルソナみたいなアバンギャルド?な作風が好みなら来月でるZZZを待つのもいい
このJapanese town walk ch【街を散歩】ってチャンネルは街歩きを謳っておいてその実は終始女子高生のケツを追いかけ回してる。
https://youtu.be/bEamoj6Eh2Y?si=swr-GTOx3bzqE9Qy
鎌倉は絶賛オーバーツーリズムでアジア系の外国人観光客が多く、鎌倉ではスラムダンクの影響で外国人旅行客による日本の女子高生のコスプレが流行っているらしいので、リアル女子高生以外も映っている可能性はあるが。。。
暇を持て余していたのでこの手の海外向け日本街歩き動画を色々と観察したところ、その殆どのサムネが女子高生であることに気づいた。
そしてこの手の動画で最も再生されているタイムスタンプを確認すると女子高生のケツであることにも気づいた。
リンク先のチャンネルのように終始ケツを追いかけ回すチャンネルは他に見つからなかったが、ノルマの様にどの街歩き動画にも女子高生のケツが登場するから驚いた。
この手の動画の需要や勘所が何処に設定されているのかを示唆している様に思うし、今の日本に興味関心を抱いている外国人男性が何を期待しているのかもまた想像してしまった。
最近の日本は買春目的の気味の悪い外国人のお祭り会場になりつつある気がするが、個人的には日本のJK文化の問題点を強く意識するきっかけになったなぁ。
ぶっちゃけ俺自身も学校制服系AVでも抜いてるわけだけど、この外人が日本の女子高生に強く性的関心を寄せている状況が気持ち悪すぎて困った。
なんか日本人がJKに性的関心を寄せるのも気持ち悪いのは理解しているんだけど、日本人はリアルDK時代のリアルJKとの接触を通しての性的関心だから、外人と比較した場合にJKの解像度は高いと思うんだよね。
一方で外人は学校制服系AVとかエロ同人エロゲエロアニメでJKの生態を学習したつもりになってる人が多そうで、円安で不良外国人が大量入国している現状は女子高生とそのご家族にとって危機的状況なのではないか?
日本のJK文化はスタイリッシュかつクールである側面(紺碧の夏空に制服JKみたいなやつ)もあるが、非常にエロティックでアンモラルな側面もあり、後者の問題点を改めて考えさせられました。でもこれからも学校制服系AVで抜きます。すみません。。。
https://anond.hatelabo.jp/20240609080227
https://web.archive.org/web/20170710060735/http://ashihara-hina.jugem.jp/?month=201205
「キミは、ハイ、コレ。」って渡されたので、多分漫画家つながり。
はるばる和歌山から参加した別の友人に、プレゼントしておきました。
ちなみに、一等賞は「生ハム脚ごと!!」だったのですよ~。
結婚パーティーはいつも、主催者の個性が感じられて楽しいです。
久々の友人にも会えて嬉しかった。ほんとにおめでとう~!
おめでたい続きで、お友達の作家さんが「講談社漫画賞」を受賞されまして。
字画多過ぎるかな?と、漫画賞名はずしたら、シンプル過ぎるプレートに
なっちゃいましたけど。まずはささやかに。祭りはこれからですよ!
ちなみに、テリーヌ専門のお店だったのです。
なんて色鮮やかで繊細な!女性で集うのに、ぴったりなお店でしたよ。
地味な生活に戻りまーす。
2
日記---
うちに、ニャンコが来ましたよー。
やたら懐っこくて、仔犬みたい。こんなもの??
グーグー寝ているよ。
肉球♡
どうでもいいけど、家の階段から軽く滑り落ちて、尾骶骨打ちました。(私が)
血出とるがな。こんなんばっかり。
2
日記---
最近、ライアン・ゴズリングが好き過ぎて、オロオロしながら
「ドライヴ」と「スーパー・チューズデー」をハシゴしてきましたよ。
下絵頑張るぜ!週間なのにな。
役によって、ものすごくカッコ良く見える時と、心底情けなくカッコ悪く見える時とが両方あって、
(旬のイケメンに対してなんだか失礼)、コロコロ全く別人に見えたりもして、
そこがスゴイな~って思うのですよ。好き。
単純に、出演作が軒並み好みだってのもあるんですけど。
生々しくて、ある意味とってもエグいんだけど、
尚更「キラキラした瞬間」が胸に焼きついて離れない。
同時に終わる恋なんてない、罪悪感と執着と惨めさと、愛着と嫌悪感。
古くて新しい、スタイリッシュでキッチュな、ちょっと不思議な映像美。
実は、血みどろ超苦手なので、ビクビクしながら薄目開けて観ましたよ~。
もう一度確認したいシーンが数ヵ所あるんだけど、多分もう観れない。。
精神的に痛いのは平気なんだけど、物理的に痛いのはイタイイタイ!
1
本・映画---
花とハーブの種をいっぱい買いました。
今からこれらを屋上の芝生の上に、てきとうにふり撒く(蒔く、じゃなく、撒く)
あとは勝手に逞しく、すくすく育ってくれたらいいのになあ~~~と
雑草が、すくすく育ってるので、ハーブだってすくすく育つ。。ハズ。
たぶん、頼めば芝生を張りかえて貰えると思うんだけど、
1
日記---
んもー頭からはなれなくってですねえ。。
私、洋楽疎いので、誰の曲だか分からんで。メモも取らずに帰って来ちゃって、
しまった~失敗した~~って思ってたんですが。
たまたま、レンタル借中の映画「Crazy,Stupid,Love」を観てたら、
barのシーンで聞き覚えのあるその曲が。。。!
Miike Snowの「ANIMAL(Mark Ronson Remix)」って曲でした。
これを聴いたら、あっという間にリゾート気分ですヨ!
おそらく私だけ。パブロフの犬的に。
当分ヘビロテだな~。
アーティスト名「Miike」は、三池崇史監督由来だそうですね。
三池監督と言えば、大森南朋出演「殺し屋イチ」ですよ。。(脱線)
映画「Crazy,~~~」も、キュートでみっともなくて愛しくて切なくて、大好き。
ちょっと出来過ぎなストーリー展開なんだけど、可愛いから無問題。
かわいい最強。
少年少女カップル?の、ラストシーンが、ちょっとたまんないです。
2
本・映画---
皆、元気かなあ?
表面的には、淡々としてたと思うけど。
自意識過剰だったんだろうな。
ほとんどそれで、カタがつくような。
今もまだ、残ってるとこあるけど。
餃子作ること。(食べるのにハマってるわけじゃない。)
市販の方が美味しくて、ムキ―!\(◎o◎)/!(負けず嫌い)
あとは、ライアン・ゴズリング。
写真上手になりたいなあ。
もっと美味しそうに撮ったり、綺麗に撮ったりしたい
「私たちは東京藝術大学に、イスラエルの国立美術学校、ベツァルエル美術デザインアカデミーとの国際交流協定の打ち切りを求めます。
イスラエルのベツァルエル美術デザインアカデミーは2023年10月9日、イスラエル軍がパレスチナ被占領地ガザ地区への侵攻に備える増派のため予備役36万人に大量動員をかけた際、軍服や装備品の大量不足を補う目的で、関係者の主導により臨時の縫製作業所を構内に設置。特に同月中旬からは朝8時から夜21時まで約80人のボランティアを働かせて、スタイリッシュかつ機能的な軍服や装備を生産していました。
美をジェノサイドに役立てる学術機関と国際交流を続けても害しかありません。実際このために、ノルウェーのベルゲン大学(2月)、オランダのハーグ王立美術学院(4月)および同国のアイントホーフェン・デザインアカデミー(5月)が、現時点までに提携解消または交流凍結を発表しています。このほか、米ニューヨーク州のクーパーユニオン美術デザイン学校、米ロードアイランド州のロードアイランドデザイン学校、米イリノイ州のシカゴ美術館付属美術大学、ドイツのベルリン芸術大学でも学生や卒業生から提携打ち切りを求める声が強まっており、時間が経つにつれて提携打ち切りはさらに広がる見込みです。
東京藝術大学は日本国における美術および音楽の最高学府として、イスラエル軍によるこの歴史的な戦争犯罪と人道に対する罪を前に決して沈黙したままでいることなく、これらを明確に非難する声明を出した上で、これらに加担したベツァルエル美術デザインアカデミーとの国際交流協定を速やかに打ち切ってください。」
ガザ大虐殺への加担を許さない東京藝術大学の在校生・卒業生および市民有志一同
EVに乗るとなぜバナナが食べたくなるのか、それは一つのミステリーだ。
静かで、しかもスムーズな乗り心地のEVは、どこか未来的な雰囲気を漂わせている。
そんな中で、プラスチックの香りと新車の匂いが混ざり合い、不思議とバナナの甘い香りを思い出させるんだ。
それに、EVを運転していると、エコな気分になるからか、自然と体に優しいものを求める心理が働くのかもしれない。
だから、EVに乗っていると無意識のうちにバナナを欲するんだろう。
EVの静かな走りと、黄色いバナナは、なんとなく未来的なビジョンを結びつける色だ。
それに、バナナは曲がっている。
EVの曲線的なデザインと、バナナの曲線は、どこかシンクロしているような気がする。
まるで、バナナがEVの曲線をなぞるように、手に取りたくなるのかもしれない。
そんな時、手軽に食べられるバナナは、最高のスナックになるんだ。
友達とEVでドライブに出かけた時、バナナはシェアしやすい食べ物だ。
だから、バナナはEVに乗る時の、コミュニケーションツールにもなるんだ。
EVに乗るときの静けさと、バナナのリラックス効果は、ドライブをより快適なものにする。
だから、EVに乗るとバナナが食べたくなるのは、自然なことなのかもしれない。
子供の頃、おやつにバナナを食べた記憶は、多くの人にとって懐かしいものだ。
EVの新しい体験と、バナナの懐かしい記憶は、不思議と心地よい組み合わせを生み出すんだ。
EVのユニークなデザインと、バナナのユニークな形は、どこかでマッチしているような気がする。
だから、EVに乗るとバナナが食べたくなるのは、デザインの親和性からくるのかもしれない。
それに、バナナは安い。
バナナはコストパフォーマンスが高く、EVの効率的なイメージに合っている。
だから、EVに乗るとバナナが食べたくなるのは、経済的な理由からかもしれない。
EVを運転すると、世界中どこでも行けるような自由な気分になる。
バナナは世界共通のスナックで、EVのグローバルなイメージにぴったりだ。
だから、EVに乗るとバナナが食べたくなるのは、世界観の拡がりを感じるからかもしれない。
だから、EVに乗るとバナナが食べたくなるのは、シンプルな美学からくるのかもしれない。
だから、EVに乗るとバナナが食べたくなるのは、健康への意識の高さからかもしれない。
だから、EVに乗るとバナナが食べたくなるのは、多様性を求める心理からかもしれない。
だから、EVに乗るとバナナが食べたくなるのは、全世代に共通する楽しさからかもしれない。
EVのアクセシビリティと、バナナの入手の容易さは、利便性で結ばれている。
だから、EVに乗るとバナナが食べたくなるのは、手軽さからくるのかもしれない。
EVの静かなパワーと、バナナのエネルギー補給は、ドライブをサポートする。
だから、EVに乗るとバナナが食べたくなるのは、エネルギーのシナジーからかもしれない。
それに、バナナは気分を明るくする。
だから、EVに乗るとバナナが食べたくなるのは、ポジティブな気持ちからかもしれない。
バナナはインスタ映えするし、EVのスタイリッシュなイメージと合う。
だから、EVに乗るとバナナが食べたくなるのは、SNS映えを意識すると当然だ。
そんな時、バナナを一本かじることで、ほんの少しの冒険を味わえるんだ。
「なぜバナナなの?」という疑問から、新しい会話が生まれることもある。
突然のバナナの皮で、ドライブ中の友達を驚かせることもできる。
EVの静かな室内で、バナナを食べるリズムは、まるで音楽のようだ。
バナナの皮で作るアートは、ドライブの思い出に残る一品になる。
「バナナは曲がっているけど、宇宙は曲がっているのか?」という深い問いかけをすることもできる。
EVでのドライブ中に、バナナを使ったゲームで盛り上がることもある。
バナナを半分こして食べることで、友達との絆を深めることができる。
EVでの旅にバナナを持っていくことで、何か新しいことが始まる予感がする。
バナナをゆっくり味わいながら、EVでの時間の流れを感じることができる。
バナナの味をじっくりと感じながら、自分自身について考える時間を持てる。
「なぜバナナがこんなにも多様なのか?」という疑問を解き明かす手がかりになる。
子供の頃に食べたバナナの味を思い出しながら、過去を振り返ることができる。
EVの快適な座席に座り、バナナを食べながら、現実から少し離れることができる。
バナナの形や色を見ながら、新しいアイデアを思いつくこともある。
バナナのシンプルな味わいから、人生の小さな幸せを見つけることができる。
バナナを分け合うことで、友達との小さないざこざを解決することができる。
バナナを食べていると、同じくバナナ好きな人と話が弾むこともある。
バナナを持っていると、なぜか安心してEVでのドライブができる。
バナナを食べながら、EVでのドライブを通じて、自然の美しさを感じることができる。
バナナの存在を通じて、生命の不思議や宇宙の広がりに思いを馳せることができる。
それに、バナナは時には新しい自分を発見するきっかけにもなる。
バナナを食べることで、新しい趣味や興味を見つけることができる。
バナナの一本一本が、EVでのドライブのように、人生の一歩一歩を表している。
バナナを食べながら、異なる国のバナナの食べ方を学ぶことができる。
バナナの持ち方や食べ方で、自分の個性を表現することができる。
バナナを食べることで、EVでの新しい旅に踏み出す勇気が湧く。
それに、バナナは時には人とのコミュニケーションを円滑にする。
バナナを食べることで、日常のルーチンから抜け出すきっかけになる。
それに、バナナは時には新しい自分を見つける旅にもなる。EVでのドライブは、日常からの小さな逃避行だ。バナナを片手に、新しい景色を眺めながら、自分でも知らなかった一面を発見するかもしれない。それに、バナナは時には心の栄養にもなる。EVの静かなエンジン音をBGMに、バナナの甘さが心に染み渡る。それに、バナナは時には冗談のネタにもなる。友達との会話の中で、「バナナは曲がっているけど、お前の道筋はどうなんだ?」なんて笑いを誘うこともできる。それに、バナナは時には旅の仲間にもなる。一人でのドライブが寂しい時、助手席に置いたバナナが、なんだか慰めてくれるような気がする。それに、バナナは時には思い出のアルバムにもなる。旅先で食べたバナナの味が、その場所の記憶とともに蘇る。それに、バナナは時には未来の夢を語る相手にもなる。EVでの静かな夜道を走りながら、バナナに向かって「いつかこうやって宇宙を旅するんだ」と夢を語る。それに、バナナは時には過去の懐かしい味にもなる。子供の頃に食べたバナナの味が、EVの新しいテクノロジーと融合して、新旧のハーモニーを奏でる。それに、バナナは時には自分を励ます言葉にもなる。ちょっとした失敗をした時、バナナを一口かじりながら「まあ、次があるさ」と自分を励ます。それに、バナナは時には旅のリズムを作る。EVの滑らかな加速と、バナナを食べるリズムが、まるでジャズのようにシンクロする。それに、バナナは時には新しい出発を告げるサインにもなる。バナナを食べ終わった瞬間、新しい何かが始まる予感がする。それに、バナナは時には自然との対話を促す。バナナの木が育つ熱帯の風を感じながら、EVでのドライブが自然との調和を教えてくれる。それに、バナナは時には人生の小さな発見をもたらす。バナナの中に隠れた種を見つけた時のように、EVでのドライブ中にも、予期せぬ発見がある。それに、バナナは時には新しい挑戦の象徴にもなる。バナナを食べながら、「次はどんなことに挑戦しようか」と考える。それに、バナナは時には人生の楽園を思い描くキャンバスにもなる。バナナのトロピカルな味が、EVでのドライブを南国のビーチへと連れて行ってくれる。それに、バナナは時には心のオアシスにもなる。疲れた時、バナナを食べることで、心にひと時の安らぎをもたらす。それに、バナナは時には新しい自分を受け入れる勇気をくれる。バナナの柔らかさが、変化を受け入れる柔軟性を教えてくれる。それに、バナナは時には人生の旅路における休息の時を与える。EVでの長いドライブの途中、バナナを食べることで、ほっと一息つける。それに、バナナは時には新しい友達を作るきっかけにもなる。公園でバナナを食べていると、同じくバナナを楽しむ人と友達になれるかもしれない。それに、バナナは時には人生のサプライズを運んでくる。バナナを食べていると、思いがけない幸せが訪れることもある。それに、バナナは時には新しい発見を促す探検家にもなる。バナナの味を追求することで、未知の食文化に足を踏み入れることができる。それに、バナナは時には人生の航海図を描く羅針盤にもなる。バナナを食べながら、EVでの次の目的地を決める。それに、バナナは時には心の平和を守る盾にもなる。バナナの甘さが、日々のストレスから心を守ってくれる。それに、バナナは時には新しい自分を育てる土壌にもなる。バナナを食べることで、新しい趣味や興味が芽生える。それに、バナナは時には人生の喜びを分かち合うための道具にもなる。バナナを人と共有することで、共感や喜びを感じることができる。それに、バナナは時には新しい冒険の始まりを告げる。EVでのドライブが終わり、バナナの最後の一口を食べると、次の冒険が待っているような気がする。それに、バナナは時には人生の旅路における忠実なコンパニオンにもなる。バナナと共に過ごす時間は、EVでのドライブをより豊かなものにしてくれる。それに、バナナは時には新しい自分を発見する旅の始まりにもなる。バナナを食べながら、EVでのドライブが新しい自分を見つける旅になる。それに、バナナは時には人生の旅路における快適な休憩所にもなる。バナナを食べることで、EVでの長いドライブの疲れを癒すことができる。それに、バナナは時には新しい自分を発見する旅の終わりにもなる。バナナの最後の一口を食べた時、EVでのドライブが終わり、新しい自分との出会いが待っている。それに、バナナは時には人生の旅路における楽しい仲間にもなる。バナナを食べながら、EVでのドライブが楽しい冒険になる。それに、バナナは時には新しい自分を
5期最終話の時点で原作小説を追い越したとのことなので、あの結末は原作とは異なるオリジナルである可能性がある。
私がまだ話を楽しめていたのは4期5話(第42話)までで、それ以降は登場人物やグループが一気に増えすぎてだんだんついていけなくなった。
話自体も4期6話(第43話)以降はひたすらモヤモヤさせられる展開で先が見えない。
カタルシスがようやく得られるのは5期最終話(第61話)。いくらなんでも話を長々と引っ張りすぎではないか。
それに加えて、話のスケールが無駄に大きいというか風呂敷をあまりに広げすぎてて今後が心配になった。
5期最終回に全てを詰め込みすぎた結果、回収されてない謎や伏線も多数で消化不良感が強い。
今回アマプラで視聴したが、字幕がついてるシーズンとついてないシーズンがあった。
登場人物たちのセリフは古風だったり文語体だったり、あまり日常生活では使わない語彙が多かったり、字幕なしだと登場人物が何を言っているのか分からないことが多く、それがストレスだった。
分からないところは流せばいいんだけど、分からないことを分からないまま放置して次に行くのが気持ち悪い。
ドストエフスキーの最後のセリフもほとんどの視聴者は理解できてないのでは。
1期からあまり面白くないと感じていて、でも5期最終話まで観たら評価が変わるかと期待したけど、残念ながら自分の場合は変わらなかった。
『結局、ちんこまんこの話だよな?』とか『厨二病ヤベー』みたいなのは気にならないのよな。むしろ、萌えや厨二設定は好きだし
整合性よりも、描きたいことだけ、やりたいことだけ、思う存分やったのが伝わってくるアニメだし、レイアウトも演出もキャラデザも音楽も非常に美しかった
ちんこまんこの萌えアニメかつシュールギャグアニメなので、近親相姦描写もスタイリッシュ脱衣も別に気にならなかったけど、
主人公のウテナが友人の姫宮アンシーの兄、暁生と交際はじめて、何故かアンシーには秘密にするのだけは、無しだったわ
さらに、暁生には婚約者がいて、ウテナはこの事実を知っているにも関わらず、暁生と肉体関係を続ける
もちろん、アンシーには内緒だ
この流れの後で、ウテナが、アンシーと暁生の関係についてなんか言ったり、『10年後も一緒に笑い合えたら良いね』って、
お前、マジで何言ってるんだ???????????????????って強烈な嫌悪感を子どもの頃に持ったの覚えている
どこの世界に友達の兄弟姉妹(フィアンセ有)と無言ファックするヤツを親友にするヤツがいるんだよ?
萌え優先で倫理観がトチ狂った世界なので(アンシーも兄貴とファックしてるしね)、フィアンセ有りの男、それも友達の兄貴とファックするまでは別に良いとするよ?
けど、『ボクは何にも縛られない』(キメポーズ)とかやるならともかく、『一緒に笑い合えたら』とか『君を守る』とか、お前ほんとさぁ・・・
もう中年になったので、子どもの頃と感じ方変わったかなぁ・・・って思って、久しぶりにウテナを観てみたが、
子どもの頃と同じく、マジで何言ってるんだ????お前???????としかならんかったわ
まぁ、整合性ではなく、萌えと描きたいとこだけ描いた結果だとは思うけど、あの後、ウテナがアンシーのために頑張るシーンの感動もアレのせいで半減だよなぁ
幼い頃に出会った王子様(実はアンシーの兄、暁生)にウテナは誘惑され、籠絡されていく・・・!が、やりたかったんだとしても、
アンシーの革命が物語の主題であるならば、ウテナと暁生のファック描写はどう考えても必要なかったよな?
そして、直接的なファック描写以上に、ウテナがアンシーに対して暁生との関係を秘密にする描写、ウテナが暁生の婚約者の存在を知っていることを示す描写、
ウテナが『好きになってはいけない人』と脚本に言わされるシーンは、マジで要らなかった
自分の兄弟姉妹(フィアンセ有り)と無言ファック(関係を秘密にする)、でも罪悪感はあるの🥺(チラッチラッ)ってやってるヤツが言う、
『一緒に笑い合えたらいいね』とか『君を守るよ』が心に響くバカがどこの世界にいるんだよ?
あれもひとつのフェチ(萌え) 描写よと言われたら、『まぁそうかな?』感あるけど、ここはフェチ(萌え)ではなく、テーマ優先して欲しかったよ
お嬢様ずんだもん叩きで叩いてた側がみーんなイモイモ言ってるけど、パッと見て「うわ!あの人おしゃれだな〜!自分のセンス光ってるな〜!」って人そんな見た事ない。
いたとしても紳士淑女が多い。(多分ご高齢の人は地味な色を着がちだからやたらスタイリッシュだと目立つってのもあるんだろうけど)
菜々緒が黒のロングドレス着てたら「おしゃれ」に見えない?でもそれは菜々緒の顔とスタイル由来じゃないの?
久本雅美がパッチワーク系のアウター着てたら「おしゃれ」か?あれはあの人のキャラあってこそじゃないのか?
おしゃれのジャンルも結構分類されていて、その中でみんな同じような格好するじゃん。ギャル、モード、スポーティ、地雷、原宿系、ロリィタ、ナチュラル、コンサバと様々あるけど「ああこういう感じだよね」があって別に個々人のセンスめっちゃ良い〜!とはならなくない?
自分が着ないジャンルの人見たら「着こなせてていいな、すごいな」とはなるかもしれないけど。私はDIESELとか着こなしてる細くてカッコイイお姉ちゃん見たら「おお〜!」って思うし。
axes叩き自体はかなり昔からある印象で、自分がずんだもんの子と同世代の時にはもう「この着方してる人はダサいよね」という言説があったよ。15年くらい前の話だけどその時点で、研究してケバくない化粧しろ、茶色の合皮はやめろ、髪を巻け、って言ってたわけで……。
でも中学生位の子がピーコート着るのも、180デニールのタイツ履くのもごく当たり前だと思うんだよね。
キラキラスタイリッシュファッションなの東京のトレンドに近い子ばかりだと思う。東京駅で修学旅行生見てると地方の子はみんな基本はダサいよ。制服でもそんだけ差があるんだから当然じゃないのかなあ。
田中みな実がaxes着てても同じような叩き方するの?
おしゃれってなにさ。
そりゃ新築の時はスタイリッシュでいいかもしれないけど、戸建てって修繕しながら30年40年と暮らすのに対して、家電の寿命ってせいぜい10年で10年もすると部品が廃盤になって修理もできない。
うちの実家はコンロ一体型のオーブンレンジがついてたけど、壊れて修理もできなくなった。一体型で全部機能がまとまっていた分、他の家電を置くスペースが全く用意されていなかったし、オーブンレンジだけを取り外すこともできなっかたので完全に無駄空間となり、リビングにIKEAで買ったステインレスの台を置いて、その上にオーブンレンジを置くこととなった。
スタイリッシュさの欠片もない。
後年、コンロが壊れて修理不能になってIHに切り替えたんだけど、コンロに比べて2周り程小さくなったので無駄空間ができた上、コンロを取り外した所は壁紙がないので、ホムセンで売ってるアルミの衝立で油ハネ対策をした超絶ださい空間となっている。
大型リフォームをする余裕があるならともかく、そうでないならビルトイン家電を使うより、家そのものには最低限の機能しか持たせず、広い空間を用意しておいて、その時々に必要な独立した家電を置く方がいいと思うんだけど、どうなんだろうね。
実家を出て一人暮らしをするために借りた初めての部屋に住み続けたんだけど
そのまま結婚して1回だけ転居してからマイホームを購入したのを少し後悔してる。
もっと色々な部屋に住んでおけばよかった。代々木上原とか代官山とか恵比寿とかそんな場所に住んでみたかった。
コンクリ打ちっぱなしのスタイリッシュな部屋とか、全面ガラス張りのオシャレなデザイナーズマンションとか憧れるよな。
レトロで昭和の雰囲気が残るビルなんだけど内装はリノベされてワンルームなのに20畳みたいなキモ物件に住みたかった。
ダンケルクに関しては事前情報を仕入れなかったのが裏目に出て、冒頭から完全に置いてけぼり状態だった。
まさかここまで「事前知識がある前提で観なければ理解不能な映画」をノーランが撮るとは思っていなかった。
3つの時系列が並行して絡みあいつつ進むという物語の構造や、意図的に分かりにくくしているのであろう演出などはいかにもノーラン的だが、この作品はTENETと違って理解できなくても楽しめるような作りにはなっていない。
フラストレーションが溜まる鬱々とした展開がひたすら続く。まるで映画「ミスト」のようだ。
カタルシス欲しさのあまり途中でそんなことを思ったが、PTSD野郎は戦争の負の側面の象徴なのだろうから、そんな展開には絶対にならないだろうことも感じていた。
ミストとは違い、カタルシスは終盤に作戦の成功という形でようやく得られる。微妙に暗雲も立ちこめた不安混じりの結末だ。
最後、チャーチルの演説が流れたことで私は「国威発揚映画かよ」とまで思ってしまった。戦争の悲惨さを描いているのは理解できたので戦争賛美とは受け取らなかったが、イギリス出身のノーランがイギリスのために作った映画であると感じた。
あまりのつまらなさに驚き、鑑賞後に解説サイトをいろいろ読んだ結果、自分が理解できていなかっただけということが理解できた。
私が歴史に無知すぎたのもあるが、スタイリッシュで高尚で難解なこの映画を初見で理解できた人はすごいと思う。
そして続けて観た「ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男」は、無知な人間でも楽しめるように作られているし、ちゃんとエンタメしてくれていて面白かった。
ラストのスタッフロールでチャーチルを演じた俳優がゲイリー・オールドマンだと知って目を疑った。役のために太ったのかと思ったら、どうやら特殊メイクらしい。
鬼気迫る迫力のある素晴らしい演技だった。
映画を観終わったあと、今まで一切興味を持っていなかった歴史に興味が湧いて、第一次世界大戦と第二次世界大戦について詳しく調べてみたくなった。
ふたつの映画を立て続けに観たことで、自分は俗なエンタメ映画が好きで、高尚な映画はあまり好みではない非インテリ層だという悲しい事実を再確認したのだった。