はてなキーワード: 3月とは
勤務していた仙台市の飲食店にナメクジが大量にいると、虚偽内容を交流サイト(SNS)に投稿したとして、偽計業務妨害などの罪に問われた元従業員円谷晴臣被告(25)に、仙台地裁(須田雄一裁判官)は24日、懲役1年(求刑懲役1年6月)の判決を言い渡した。
https://news.yahoo.co.jp/articles/e0b83e22468ebad4ea9cde542ff683fc1c5e2912
家庭環境が相当悪く、寮制高校行くも退学して王将に流れ着いたそうだが、そこを弁護士が熱くアピールするも特に同情は買えなかったか
父子家庭だったという被告人、父親からは日常的に暴力を振るわれていたと語る。小学生のころのある記憶が印象に残っているという。
「父親と全財産を使って旅行に出かけたことがありましたが、後々で心中を図ろうとしていたと聞きました。富士急ハイランドに行こうといわれていましたが、実際は富士の樹海に行こうとしていたとのことでした」
さらに被告人は、「まともな教育を受けておらず、歯を磨くこともお風呂に入ることもわからなかった」と話す。中学校にあがる直前の2011年3月には東日本大震災で被災、一度は祖母の住む家へ逃れられたものの、15歳のころに父親が再婚。再婚した女性は、ある新興宗教の熱心な信者で、早朝に起きてお経を唱えさせられたという。
司法は衝動犯には甘いが、長期間ネットで悪質デマを流していたタイプには厳しいのか
店が不潔だったのは完全に嘘なわけではなく、一部は本当だったが誇張がひどかったせいで罪になった
誇張が酷いなりに公益性のための告発だと言い張ればいいところを、私怨でやったと自白しちゃったのもいかん
被告人は以前から労働環境や店長への不満が溜まっていたところ、店長から勤務態度を注意され、憤慨して退職することに。そして同店舗へ復讐するために誇張して偽った内容をTwitterに投稿し、炎上させて業務を妨害させようと考えたという。
トランスジェンダー女性が米女子ツアー予選会に挑戦中 275名の女子選手が反対署名で論争へ
デビットソンは生まれた時は男性ながら、性別適合手術を受け、現在は女性として生きている。幼少の頃から自分が男性であることに疑問を感じていたのだという。
大学では当初、男子ゴルファーとしてプレーしていたが、15年からホルモン治療を開始。21年にツアー等が求めている出術を受けた。フロリダのミニツアー(NXXT)では女子ゴルファーとして過去に3勝を挙げているが、今年3月にトランスジェンダーの出場が禁止された
https://news.yahoo.co.jp/articles/6549eb236007a4a78ade957599cd243328b0bc23
どうせ「コミックジャンボ」って知らない人も多いと思うので冒頭で説明しておく。
1988年4月(号)から2002年12月(号)まで存在していた月刊誌。月刊誌といっても中綴じで、まあ典型的なコンビニエロマンガ誌。存在と言ってもこの時期に発刊、休刊したわけではなく、1988年3月号まではコミックJUMBO、2003年1月号からはCOMICジャンボという名称で存在している。ただまあ名称変更の前後で少し編集方針が変わっているらしいので前後誌は今回対象にしない。発行は桃園書房。
で、まあエロマンガ誌なので大抵の作品は読み切りor単話。そんなわけで紹介するのは重要なマンガ、というよりはマンガ家ということになる。ここは了承してほしい。
河本ひろし「表紙」
たぶん「コミックジャンボ」で画像検索すると画質がみんな似ていることに気がつくと思う。これは、コミックLOの表紙をずっとたかみちが担当しているように、コミックジャンボの表紙はずっと河本ひろしが担当していたから。おそらく自分より少し若い人はこの絵柄に馴染みがある人もいるかもしれない。この後彼はボンボンあたりの児童誌で活躍しているので。ただ、エロマンガ誌でありながら表紙がせいぜい控えめなパンチラくらいしかない絵は慣れていない若者がレジに持ち込むための言い訳として非常にありがたかった。下手したら裏表紙のダイヤルQ2広告のほうがエロかったかもしれない絵なので(コミックジャンボの裏表紙にダイヤルQ2広告があったかははっきりとは覚えていない。他の雑誌と混同しているかもしれない)。
時々掲載されているマンガの作風も巨乳前提にしつつコメディタッチが多くて読みやすかった。
こちらも河本ひろし同様、児童誌でも活躍している。ただこちらは児童誌が先、というか、ゲームのコミカライズで知られているかもしれない。一言で言って「みなづき由宇」と同一人物である。画風も巨乳前提ながら読みやすい。ちなみに星里もちるはものたりぬのアシスタントをしていたことがある。
正直、この人はコミックジャンボが主戦場ではなかったはず。それ以外の雑誌や単行本で見ることのほうが多かった。少女マンガと思えるくらいの目の中の星が特徴的な人で、さらに彼を特徴づけていたのが「エロは和姦しか描かない」ということだった。しかもコメディ的に逃げるのではなく徹底して和姦ということは実は当時けっこう特筆すべき特徴だったのだ。コミックジャンボ時期の絵はけっこうデッサンが崩れている(それはそれで味がある)のだけど、現在のサイトを見るとかなり整っていて、続けるということの大事さを感じさせる。
有間しのぶでも西村しのぶでもない。たぶん男性。モデル体型のスラッとした女性を描く特徴のあるマンガ家で、リアルさはないのだけど周辺掲載の巨乳マンガのためにむしろリアルに見えるという特徴があった。表題作は高校の新聞部を舞台にした♂️1vs♀️2(or3)のエロコメで、エロシーンを除けば当時のラブコメとそれほど違いがないが、そのために「ラブコメにありそうでないこんな描写が」という意味で役に立った。「てぃーんず・パラダイス」そのものはKindle Unlimitedで全て読むことが可能だが、何らかの事情で再構成+タイトル変更されているので追いかけるのが難しい。「はいすくーる・スキャンダル」「てぃーんず・パラダイス」「あいつとスキャンダル」「放課後ランデブー」と読むと連載順に読める。なお作品は大人気だったので続編として登場人物を社会人にした「ぼくのアイジン」も連載された。これもKindle Unlimitedに収録されている。
超巨乳で有名な人。あまりに巨乳のデフォルメが過ぎてむしろエロくないという画風かもしれないがやってることはエロである。おそらくコミックジャンボの方向性を最もわかっていた作家で、アニメ風のオタク絵でやることはちゃんとやるという展開は安心して使えた。おそらくコミックジャンボで掲載していたのが一番長い人。
かつて「サルでも描けるまんが教室」で「男向けのエロコメは回転寿司だ」と喝破されていたが、おそらく表題作がこの言葉が念頭にあったかもしれないくらいに内容を表している。とは言えエロいものはエロい。ただ色シーンに少し前の劇画での描き方の残滓が見えるところを見ると、この雑誌はエロ劇画誌とエロマンガ誌の橋渡しをしたと言えるのかもしれない。
てらおかみちお
陰影の少ない画風で、無理やり例えるなら浦沢直樹をわたせせいぞう風に描いた感じ。古く見えるかもしれないが、バブルな80年代後半にはこういう画風が一番オシャレだった。そういう意味では外せない人。
「うるふ・たろう」と読む。画風としてはよく言えば当時の主流、わるく言えばありがちな絵で、ただ大事なのはそういうありがちな絵で他誌にはない絡みが描かれるのがコミックジャンボの醍醐味であったということだ。本人はバイク趣味があって、レーサータイプのバイクを持ってよく夜中にツーリングしていたということを近況報告で描いていたが、今から思うとあれは宮崎勤のあれから来るオタクバッシングからの逃避行動だったのかもしれない。
しのざき嶺「NIGHTMARE」
いちおう画風(特にデフォルメ時)としてはジャンボにありがちではあるのだけれど、ストーリーの陰惨さでは最もコミックジャンボ向きでない作家。表題作は逆恨みから始まる強姦からスタートする作品で、この後誘拐監禁、ピアッシング、奴隷契約、野外露出に強制排泄、肛姦、獣姦、近親相姦、多人数プレイとSM雑誌にありがちなプレイをひと通り全てこなすというおすすめしないマンガ。作者はこのあとそっち系の雑誌でいくつも同系統、もしくはさらに発展した作品を描いている。そもそもこの連載も途中で他誌に移籍している。
夫婦での共同ペンネーム。夫のほうはあさいもとゆき、と言えば思い出す人もいるかもしれない。「スパルタンXの24周目では助けられる役のシルヴィアが襲ってくる」という情報をマンガに描いた人だ。コロコロコミックでの連載のあと、共同名義にしてエロ進出した。正直、今回これを書くにあたって今年妻のほうが交通事故で亡くなったことを思い出さずにはいられない。Lovin’youはマンガ図書館Zで無料で見られるのでそっちを見てほしい。
去年9月→ワイ:体調くっそ悪くて心療内科通えんからなんとかして
去年11月→役所:協議の結果、まず病院行ってもろて ワイ:それができたら苦労しねぇ!
今年2月→福祉事務所:今にも死にそうな顔してるやん?話聞こか?
今年3月→福祉事務所:うちが車出すでー。それで病院に診断書描いて貰ってタクシー使えるようにして貰いましょー。
今年4月→病院:ほならタクシー使えるように役所に手紙出しときますわ
今年6月→役所:めんごめんご、処理忘れてたわ。今からやるんでもうちょい待ってな。
今日→役所:ごめん。病院から診断書期限半年で切れてたわ。前任の引き継ぎもなかったんでまた一から協議するわ。結果?2~3ヶ月後かな?そこから病院に照会して、結果を協議するわ。ただ病院にちゃんと通院してからの話な?結果は通院できてから半年先かな?それまでは適当になんとかして。車出しくれる知人くらいいるっしょ?
ノルウェイの森がキモいとか嫌いだったとかコンプラの欠片もないとか色々言われている(私はノルウェイの森に関しては学生時代に映画を観てヒロイン役の水原希子が「もう二度と演技の仕事はやりたくない」みたいなコメントをしていたことしか覚えていない)。
そういう意見に対する反応の中に「コンプラ違反のキモい小説が禁止されるようになったら小説は終わりだ」みたいなものがあった。
それを見て、以前に恩師と話したことを思い出したので、何となく回想する。ただ、記憶が曖昧な部分も多いので、架空の話と思ってもらったほうがいいかもしれない。
恩師(A先生とする)は文学が専門の大学教員で、ゼミでお世話になった。私はリアルに留年するレベルで卒論に手こずったのだが、A先生は急かすこともなく私が自分なりに納得できるものを書き上げるまで待ってくれた。私がA先生を恩師と呼ぶのは、その「恩義」によるところが大きい。
昨年の5月、久しぶりにA先生を訪ねた。先生はその年の3月に大学を早期退職していたので、会ったのは駅の近くのルノアールだった。
挨拶やら近況報告やらを経て、話題はA先生が定年を待たずに大学を去ったことに移った。先生は退職理由について「学内の過剰な『コンプラ・ポリコレ』意識に窮屈さを感じた」というようなことを話した。
私は少し身構えた。当時の私(今もだが)はどちらかといえば「コンプラ・ポリコレ重視派」というか、フェミニズムに共感したり、不公正に違和感を抱くことは大切だと思ったりする人間だった。Twitter(現X)のおすすめタブも、かなりリベラル寄りに構築されている。だから、尊敬するA先生がいわゆるポリコレアンチだとしたらちょっと嫌だなぁ困るなぁ、と思ったのだ。
私はA先生の話をもっと聴くことにした。先生の言葉をどうにか納得できる形で解釈するための材料が欲しかった。
A先生は、最近の学内には過剰な(と先生が感じる)ほどの「配慮」を求める空気がある、と言った。例えば、講義の中で残酷と思われる映像を扱う時に、事前に警告して「苦手な人は見なくていいですよ」と言わなければいけないのだという。
そのような「配慮」は、私も見たことがある。以前、NHKの地上波ドラマで、作中に出てくるセンシティブな要素(性的描写、暴力、自傷行為など)について冒頭で警告していた。ある種のネタバレとも言えるのだが、人によってはフラッシュバックを起こしかねない描写に警告を入れるのは「正しい」ように思われた。
「大学サイドはクレームを恐れている。事なかれ主義的に先回りして、学生を傷つける可能性の芽を片っ端から摘んでいる。それは学問を教える場としてあるべき姿だろうか? 人間が学び成長する契機の一つは『ショックを受けること』だ。本来人間には、ショッキングな経験を咀嚼し消化することで新たな知見や価値観を得る力がある。『コンプラ』に基づいた『配慮』によって学生たちをショックから『守る』ことは、彼らの『ショックを消化する力』を信頼していないということではないか?」
といった内容を、A先生は語った。確かに、誰でも見る可能性がある地上波ドラマと違い、大学の講義を受けに来るのは一定以上のリテラシーを持った一定以上の年齢の学生に限られる。「後から訴えられるリスクを避けるため」という理由だけで、彼らの「ショックを受ける権利(≒成長する権利)」を奪うのは、学問の場の在り方としておかしいと言えるかもしれない。
また、A先生は「今これを読んでいるのだけど」と、明治時代の私小説(確か森鷗外)を見せてくれた。詳しいあらすじは忘れてしまったが、端的に言ってクズな男の話だった。
「この話は、『ポリコレ』としては全く『正しくない』。だが、そういう『正しくなさ』を持っているのが人間ではないのか。そして、人間の正しくなくて醜くてクズな部分をも描くことができるのが文学(≒フィクション)ではないのか。『ポリコレ的に正しい』文学しか認めないというのは、非常に危ういことだ」
と、A先生は語った。これはまさに今回の村上春樹作品の「正しくなさ」論争に重なる話だろう。
「ポリコレ」つまり「ポリティカル・コレクトネス」とは本来「政治的な正しさ」を意味する言葉だった。ゆえに、配慮の対象となるのはあくまで現実社会を生きる人々であったはずだ。にもかかわらず、今ではフィクションの評価軸として「ポリコレ」が使われており、なおかつ「ポリコレ的に正しくない」作品は非難の対象となっている。
だが、A先生の専門である(そして私が多少なりとも学んだ)文学という分野において、フィクションを「ポリコレ的に正しいか否か」で評価することはある意味で危険視されている。文学にとって「多様性」は命だ。文学は唯一絶対の「真理」を信じない。なので、「ポリティカル・コレクトネスはどんな時も決して譲るべきではない」という立場とは、そもそも相性が悪いのだ。さらに、先ほどの先生の言葉の通り、文学は「正しくないもの」の居場所でもある。フィクションには、現実社会では犯罪になるような行為も差別的とされる感情も受け入れる余地がある。もちろん、受け手がそのようなフィクションに触れて「キモい」「傷ついた」「作り手の人格を疑う」などの反応を返すことは当然ありうるし、(特に商業的な作品では)作り手がそういった反応を回避するためにコンプラやポリコレを意識することも普通にあるだろう。だが、「正しくない」フィクションを一律に禁じ、「正しい」フィクションだけが存在を許される事態は、少なくとも文学畑の人間からすれば「あってはならない」ことなのだ。
1時間少々をルノアールで過ごし、私とA先生は再会の約束をした後、駅で別れた。電車の中で、私はずっと先生との会話を反芻していた。今思えば、私はまさに先生の発言に「ショックを受け」、それを咀嚼し消化しようとしていたのだろう(この投稿自体がその行為の一環といえるかもしれない)。
最後に、フィクションが受け手を傷つけることについて、思うことを書いておく。
私は昔から小説や漫画など色々なものを読んできたが、その中でショックを受けたり傷ついたりしたことも少なくない。今でも覚えているのは、小学生の時に読んだ児童書で、登場人物がクラスメイトのことを「グループ渡り鳥」とバカにしている描写だ。当時の私は特定のグループに所属していなかったので、「私は『グループ渡り鳥』なんだ、良くない状態なんだ」と思い込み、自己肯定感が下がっていった気がする。
それでも、私の基本的なスタンスは「傷つくのは受け手の事情」だ。明らかな悪意に基づくものならともかく、一般的なフィクションに触れて傷ついたとしても、それは「自分の傷つきやすい部分に当たった」に過ぎない。「勝手に傷つくお前が悪い」とは言わないが、少なくとも「人を傷つける作品が悪い」とはならないと思っている。そもそも、誰も傷つけないフィクションなんて、誰も感動させないフィクションと同義ではないのか。
以上、長々と書き連ねたが、今言えるのは、私が恩師にまた会える日を楽しみにしているということくらいだ。そしてその時には、また色々な話がしたいものだ。
がんだった。
長く病みつつも7月まで働いていたが、8月には歩けなくなり、10月には入院もした。
父は家で過ごしたいと言って、自宅介護が始まった。
余命宣告は年内もつかどうか、だったが、3月の誕生日も越えて、4月に父は身罷った。
深夜だった。
訪問看護師さんに連絡し、看護師さんから主治医に連絡してもらい、主治医から死亡診断書を受け取って、
深夜に叩き起こされただろうに嫌な顔ひとつせず、頑張りましたね、と父を労うように支度してくれた。
死に化粧だけはどうしても苦手で……お嬢さんが手伝ってくれないだろうか、と申し訳無さそうにいうので、
わたしは死んだ父の顔に化粧水を塗り、乳液を塗り、下地を塗ってファンデーションを塗った。
チークをほんのりいれると、寝ているだけのように見えた。
火葬場が混んでいるそうで、葬儀までに予想外に間が空いたのだった。
父に遺産はなく、借金のほうが多そうだったので、相続放棄もしなければいけなかった。
引き出したら相続を承認したことになるので、父の口座にあるお金はもう使えない。
両親は同居してはいるが離婚済みで、色々あって元サヤに戻ってはいたが籍は戻していなく、当面の相続人は私だけだった。
役所へ行って、年金事務所に行って、法テラスに行って、信用情報機関へ負債の照会に行って、
火葬を済ませて、相続放棄の手続をして、親類に連絡をして、父名義の各種契約の終了をして、
相続人でない母がこのままこの家に住み続けられるような手続きもだ。
会社を休んだ数日でしなきゃいけないことが多すぎた。
父が本籍を居住地に移しておいてくれたことを感謝した。出身地が他県なので、そのままだったら戸籍類の取り寄せだけでえらい目に合うところだった。
今は全国から取得できるようになったんだっけ?今後手続きする方が少しでも楽できるといい。
余命宣告されてから探して相談しておいた葬儀屋さんにお願いした。多分すごく安く済んだ部類なんだろうが、相場がまったくわからない。
お金がないのでずっとどきどきしていた。払えてよかった。
親の死に目に金をけちるなんてと悲しく思う心もありつつ、この先暮らしていくだけの資金だって必要だった。
火葬場へ遺体を持ち込むための自家用車と、火葬日まで遺体を安置できる場所があればもっと安く済むんだろうか。
DIY葬したよという方がいたら聞いてみたい。
もう数年経つけど、未だにお父さんどうして死んじゃったんだよと寂しく思う。
こういうのは順番だから、いつかはお別れがくるのだとわかっていても、なんでだよ、と思う気持ちが消えない。
最晩年の寝たきりの頃でなく、元気だった頃の父にまた会いたい。
今でも家を訪ねれば居そうなのに、もうどこにもいないことが寂しい。
お父さんの作った唐揚げが食べたい。
百合が好きなので、なんだか評判のいい漫画『熱帯魚は雪に焦がれる』を読んでみた。
結果として、2巻か3巻の途中で投げ出してしまった。
理由としては第一に、あまり面白くなかったから。第二に、読んでいてだんだん腹が立ってきたからだ。
腹が立った理由は「水族館部」の描写だ。結論から先に言うと、水族館部という珍しい部活をとり上げた理由が「なんかエモいから」でしかないと感じてしまった。
この作品は、主人公が田舎の高校に入学し、気になる先輩が所属する「水族館部」に入ることにして、その先輩と徐々に関係を深め合う、そんな物語である。
この水族館部というのは愛媛県の長浜高校に実在する部活動で、作者も現地へ取材に赴き、実質的に作品の舞台にしたようだ。
まず、水槽が多すぎる。
実際の水族館部もこれぐらい水槽があるのかもしれない。ただ、長浜高校水族館部の部員数は全校生徒の半分以上を占め、2024年3月時点で68人いる(https://www.asahi.com/sp/articles/ASS2W4TLBS2RPTLC011.html#:~:text=%E6%B0%B4%E6%97%8F%E9%A4%A8%E9%83%A8%E3%81%AE%E9%83%A8%E5%93%A1%E3%81%AF,%E5%A4%9A%E3%81%8F%E3%81%AE%E5%AE%A2%E3%81%8C%E8%A8%AA%E3%82%8C%E3%82%8B%E3%80%82)。
全国募集で部員数が増える前でも、数十人は下らなかっただろう。
しかし、『熱帯魚は雪に焦がれる』の設定ではなんと部員数は2人。主人公が入部する前は1人だったのだ。
水生生物を飼ったことがないと想像しづらいかもしれないが、水槽の管理はなかなか大変だ。
生体の老廃物や排泄物、食べかすなどで水が汚れるのでフィルター(濾過機)を常時回すのだが、どうしても濾過・分解しきれない物質が増えていくため、定期的に水を換えなければいけない。そしてフィルターも掃除しなければ目詰まりしてしまう。さらに水槽のガラス部分に藻や苔のようなものが付くので、こそぎ落とさなければならない。また、海水水槽の場合は析出した塩を取り除かなければいけない。水温の管理も必要だし、当然、生き物に関する知識を身に付けなければそうした調整もできない。
こうした作業を、数十個の水槽に対して2人で対応していくのは極めて困難だ。
百歩譲って、大量の水槽を2人で頑張って管理していたとしよう。しかしそうなると今度は、ストーリーとの整合性がつかなくなる。
この作品は主人公ら2人の仲良くなりたい、でも臆病になってしまう、みたいな繊細な心の動きを描いている。が、2人で何十個もの水槽を管理し、あるいは重い水槽を一緒に持って動かし、生物や水槽管理の知識を教え合い、なんてしていたら心の距離が縮まらないわけがない。ましてや、話しかけようかどうしようだの誘おうかどうしようだのでうじうじする距離感ではなくなる。距離感が近付いた結果仲良くなるか仲が悪くなるかは人それぞれだが、距離感が近付かないということはあり得ないのだ。少人数の部活動というのはそういうものだ。
また、登場人物の水族館部および水生生物へのスタンスも気になる。はっきり言って、2人とも生き物にあまり興味がなさそうなのだ。
主人公は生き物どころか水族館部にあまり興味がないけど流れで入部しているし、先輩も水族館部にいる理由を聞かれて「子どもの頃からそれが当たり前だったから」みたいなことしか言わない。途中で顧問の先生=先輩の父親も出てくるが、その人もちょろっと話を展開させる要因なだけで、生き物への愛情とかは語らない。(なんなら、作者も生き物のディテールや知識は細かく書き込んでおらず、好きではあってもめちゃくちゃ好きというわけではないのだろう。)
水生生物好きとしては「じゃあ誰がこの子(生き物)たちを好きなんだよ!?」と言いたくなる。別にこれが放課後に駄弁るだけのボドゲ部とかだったらボドゲに愛情がなくても構わないのだが、水族館部というのは一応命を預かっているのだ。色々と心配になる。
それでも水族館部の活動を通して、生き物への解像度とか、「生」というものへの関心とか、生きるって何なんだろうとか、そういうことに思いを馳せながら2人の関係にも有機的に絡み合ってくるのかなと思ったら、全然話に絡んでこない。岩陰から出てこないサンショウウオを「自分に似てる」と勝手に自己投影するぐらいである。そして、お互いにどきまぎしながら日々を過ごす傍らで、なんか水族館部の活動もしているっぽいぐらいである。本当に傍らである。
少し話は逸れるが、先輩が部活をやってる理由が想像以上にぼんやりしているのは悪い意味でリアルだと感じた。卒業した先輩の意思を継ぐためとか、水族館部を途絶えさせないためとか、過疎化していく地域のためとか、部員が1人になっても意地で続けていたとか、ベタながら物語映えしそうな理由はいくらでも思いつくのに、そうしたエクスキューズが特にないのだ。まあぶっちゃけ高校生なんてぼんやり生きているのが普通ではあるのだが、学校行事として開館日を設定して、他部の生徒にも協力してもらってまで水族館の地域開放を成立させているような状況でこのぼんやり具合はうそ寒さすら感じる。
ここまで長々と語ってきたが、この作品の水族館部描写の問題点は「リアリティのなさ」とその背景に見え隠れする「リスペクトの希薄さ」に集約できそうだ。
漫画のリアリティで言うと、別に幽☆遊☆白書を読んで「死んだ人間が生き返るわけないだろ!」とか言わないし、NARUTOを読んで「実際の歴史上の忍者と違う!」とか言う人もいない。では『熱帯魚は雪に焦がれる』のリアリティのなさは、なぜ問題なのか。
創作のために多少手を加えたり省略したりするのは許されるかもしれない。しかし、この作品では生き物を扱う苦労を無視してしまっている。こうした過度な美化は、現実の存在をただ作品を飾り付けるためだけに利用してしまっている表象ではないだろうか。
これがボドゲ部や手芸部ならいい。真剣な手芸部もあれば、放課後女子会のような手芸部もあるだろう。他の部活だってそうだ。
手芸部でもなんでもよさそうな内容を、ただ画的にエモいからということで日本で唯一の水族館部に設定してしまうのは厳しいものがある。
水族館デートというのはさまざまな作品で描かれてきた。現実のデートでも定番スポットだし、漫画やアニメ、ドラマで描写するにしても水槽が鮮やかで、でも館内は暗くて、なんかエモい。水族館を訪れる人はそれで十分だと思うし、水族館職員の奮闘に思いを馳せる必要はない。
しかしこの作品では、その水族館を「内部化」することでエモさを恒常的に発生させていて、一方でその現実的な苦労を描いていない。それが「いいとこ取り」で「表面的」にしか思えない描写に繋がっているのだと思う。
以上、水生生物が好きでもないと半分以上理解できない内容ではあると思うが、『熱帯魚は雪に焦がれる』に感じた違和感を記した次第である。
なお、論評するなら最終巻まで読んでからにしろと言われそうな気もするが、連載形式の漫画にそれをする必要性はないと思っている。
どこ大かは身バレが怖いのでぼかしておく。
男手ひとつで育ててくれた父親は、地元のバカ高を出た後高卒枠で今の職場に入ったとずっと言っていた。
そこまで家計に余裕があるわけではなく、質素倹約に勤める日々。ボロアパートで二人暮らしの生活だった。親戚付き合いは一切なく、親戚の話をしようとすると不機嫌になるため、俺は祖父母に会ったことすらない。幼少期は片親でそれなりに寂しい思いもしたが、それでも大学まで学校にも通えていたし部活もできていたので、父との暮らしに大きな不満はなかった。
父はベビースモーカーで趣味はパチンコと競馬だ。普通のどこにでもいる、いや普通よりは若干だらしないオヤジだ。俺が高校に受かった時も、大学に受かった時も、俺の息子とは思えねぇくらい賢いなと素で驚いていたので、この事実を知った時には心底驚いた。
因みに本人からではない。
ついでに、高校もかなりの難関校を出ていることも知った。
この日が巡る度、毎年思い出す。
しんどかったな~って笑
ハッシュタグの飛び交う中、嬉しいのに純粋に120%この日を喜べない思いを消化し、きちんと喜べる日にしようとこの日記を書きました。
そもそも何故なにわ男子の結成日が『6日』なのかと言うと、Duet、POTATO、Wink UPの所謂『3誌』の発売日だからである。
なにわ男子の結成は上記3誌で発表された為、発売日の2018年10月6日と相成った。
どこのユニットもほぼそうだと思うが、結成日と言いつつ正確には結成『発表』日である。
早売りの情報が流れて来たり、見ない様に流れて来ない様にしたりの毎月であるが、この日この情報を見なかった関ジュオタクはいないと思う。
メンバーは西畑大吾、大西流星、道枝駿佑、高橋恭平、長尾謙杜、藤原丈一郎、大橋和也。
今と同じ7人である。
メンバーが発表されたことで、この短文の情報がありとあらゆる関ジュのオタクに混乱をもたらせてしまった。
·MAINで活動していたのは西畑大吾、向井康二、大西流星、室龍太の4人だったのに4人中2人の名前が無い。
年齢的にオタクも焦っていたと思うので、下から下克上を起こされ、省かれた様な空気が流れた。
·藤原丈一郎·大橋和也の公式ユニット加入も、Funky8と言う屋良朝幸くんの作ってくれたユニットの事実上自然解散を思い知らされない訳にはいかなかった。
『リューン』の時に丈ちゃんが言っていた『3列目の逆襲』が本格的に始まったのである。
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正門良規·小島健(もんビバ)
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※西村拓哉·大西風雅·嶋﨑斗亜·岡﨑彪太郎·當間琉巧(ちび5)
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※藤原丈一郎·大橋和也·林真鳥·古謝那伊留·朝田淳弥·今江大地·末澤誠也·草間リチャード敬太
⬇️
他
※は場合によって入れ替わっていた様に思う。
此処のもんビバを飛び越えてしまったことにより、もんビバ担にも衝撃が走った。
こじけんは兎も角、この年はれんれんのデビュー年でもあり、当時の関ジュからするとユニットもないのに『デビュー』なんて言葉が思いついている訳もなく、同期の正門くんも『早くデビューしてほしい』どころか『やめないで』と言った不安が気持ちが何処と無く漂っている時期であった。
そんなこんなで、なにわ男子と言うたった7人のユニットが結成されたことにより、ほぼ関ジュのオタク全員をゆるがす大事件となってしまった。
当時私は関ジュ担のTwitterに住んでいたが、あの日の凍った空気は忘れられない。
(今後の自担が何も見えていない中でとてもじゃないけど『おめでとう』等言える心境ではない)
(そんな空気の中でとてもじゃないけど喜べない)
私は当時からなにわ男子のメンバーの担当であったが、例に漏れず誰からも『おめでとう』とは言ってもらえなかったし、自分自身も何も発信出来る空気感ではなかった。
(兄組の担当さんはまた違ったのかもしれない)
色々書いたが空気的にはやはり『康二くんは?』と言うみんなの思いが1番強かった様に思う。
そんな一夜にして訪れた問題の数々をオタクが解決出来る訳も無く、私達にはその時『Fall in Love』と言う梅芸公演が迫っており、常に目の前に見えていながらその問題は一旦見ない、と言った本当に無理矢理な方法で終わった。
勿論なにわ男子に入る入らないで関ジュオタク同士がお互いを好きになる訳でも嫌いになる訳でもなく、複雑なその問題は受け止めつつ華麗にスルーする運びとなった。
関西Jr.のバリバリサウンド、略して関バリと言うラジオ番組は当時藤原丈一郎·大橋和也·正門良規·高橋恭平の4人がレギュラーメンバーとして放送されていた。
丈くんの面白さ、正門くんのフォロー、橋橋のおバカ加減が絶妙なバランスで、この中に担当がいない私も当時は毎週楽しみに聴いていた。
メンバーを見てお分かりのことと思うが、4人中3人がなにわ男子となった。
生放送だったので同じ時間軸で進んでおり、なにわ男子が結成されて初めての放送を固唾を飲んで聞いていた。
挨拶は変わらず、『関西ジャニーズJr.の藤原丈一郎』『大橋和也』『正門良規』『高橋恭平です!』で始まった。
ユニット名を名乗らないどころか、その日の放送ではなにわ男子が結成された話は1mmも出なかった。
こんな大きなニュース近年の彼等に無かった筈なのに。
彼等もまたオタクと同じ様に、『なにわ男子を一旦スルー』することを、なにわ男子も、なにわ男子以外も、選択していた。
彼等もきっと、苦しんでいた。
私は、『あの大らかそうな正門くんでもこんな空気になってしまうのか』とことの重大さを改めて思い知ることとなった。
一方で、その頃丈くんは『タイヨウのうた』と言うふぉ~ゆ~辰巳くん主演の舞台にも出演していた。
当時なにわ男子は勿論関ジュも今みたいな爆発的人気はなかった為、この舞台も当日券で、大阪の初日を観劇することが出来た。
そこには、最後のカーテンコールで『なにわ男子の藤原丈一郎です。』と挨拶をする丈くんがいた。
『僕、今初めてお客様の前で『なにわ男子』って言いました』と嬉しそうに言っていた。
関西ジャニーズJr.が他に誰もいないこの空間で、初めて丈くんは何にもとらわれず自由に『なにわ男子』を出すことが出来ていた。
話は戻るが、SNSでの反応が芸能人に届かない時代でもなく、恐らくなにわ男子自身が1番反対されている空気感を感じ取っていた(SNSでは応援より批判の声が常に大きいしね)。
それが梅芸初日に立ってみて『応援されていることが分かって安心した』と言う様な彼等の当時の発言に繋がっていたと思う。
梅芸が終わり、クリパが終わり、序列が変わったことをオタクは口に出さずに徐々に受け入れて行くしかなかった。
そんな時にまたしても大事件が勃発する。
私は入っていなかったが、同日に3公演もあり、それぞれを観ていたオタク達10人近くと夜に打ち上げと言う名の新年会をすることになっていた。
終演後、出て来たオタク達は精神状態がかなりボロボロであった。
ROTでも取り上げられているし、素顔4でも発売されたが、公演があんな状況であった。
マイドリでみんなが泣いている。
今迄ああ言う時の関ジュは誰かが辞める時であり、『この人が辞める訳では無いと思う』『こっちかなぁ?』『何だったんだろう?』と解散する迄ひたすら答えの出ない議論が繰り広げられた。
康二くんのSnowMan加入は彼に残された最後のチャンスであったことは誰の目にも明らかであり、喜ばない人はいなかった半面、あんなに関西を愛して来た彼が何故東ジュにならないといけないのか。
そんな中、希望が見え始めたのが『Lilかんさい』の結成である。
私はユニットが『なにわ男子』だけでなくなったことに心底安堵した。
元々『ちび5』として非公認ながら5人でいることが多かった為、こちらは誰も増えず欠けず、すんなり受け入れられた様に思う。
そして『Aぇ!group』の結成。
Funky6の行方が知れない中での末澤·草間、そして間にいたもんビバの活動が保証されたことで、なにわ男子担的にも自担の長年のツレが多いユニットであり、『良かったね』と言う雰囲気であった。
立て続けのユニット結成であり、非加入組担にも既に『関ジュは変わってしまった。仕方がない』と言う空気も流れていた。
こうして、『一方的に叩かれ続けたなにわ男子』はこの辺でふんわりと歴史を閉じることとなる。
その後、龍太くんも俳優専業となり、真鳥くんも振付師への転向、朝田くんは3月の春松竹で退所と、徐々にみんなの道が決まって行った。
夏の8·8で、康二くんは加入から7ヶ月でデビュー組への階段を昇ることが決まり、同じく夏にAぇ!groupはなにわ男子より先に単独関西ツアーを回ることになった。
叩かれたのは何だったのか。
Aぇが出来たことによりこれで叩かれなくて済む、と言う安堵感と、モヤッと感と。
そこから何年も経ち、なにわ男子が出来てからのファン、デビューしてからのファンがもりもり増え、何のしがらみもなく純粋に喜ぶ人が沢山増えた。
10月6日は、私にこの1年弱の色々な感情を思い出させる日にちなのであった。
ぼんやりリベラルみたいな雰囲気だったブクマカ数人が暇空の台頭あたりから急激に表自ウヨ化してナニカと戦い始めてそのまま帰ってこなかったのはなかなか衝撃だった。
2024/08/21
こういうブコメを2023/09/08から慣れた感じではてブをし始めた人がつけていたんだけど
どう見ても2023年の9月以前からはてブを利用してた人だよねコレ
そうでもなけりゃ暇空が台頭する前からぼんやりリベラルだった人達なんてはてブに入り浸ってないと知らない事情を言える訳もない
(2022年9月には暇空・colabo関係ははてなでは知れ渡っていました)
何らかの理由で以前から使っていたアカウントを使わず新しいアカウントを使うようになったか
もしくは以前から使っていたアカウントと今のアカウントを同時に使ってるかのどっちな訳だ
一時期kincity氏が複数アカウントを使ってた頃は別のブクマカ達からは批判されて
kincity氏とそれの複垢っぽいアカウント達は2021年の3月始め辺りに全部活動が止まっていた。運営に停められたのだろうか?
「なーに、円谷にだってできたんだ。俺にできないはずはない」
猪熊がそう言ったのは、自殺する2週間ほど前だ。円谷とは、64年東京オリンピックのマラソン銅メダリストの円谷幸吉のこと。68年1月にカミソリで首の頚動脈を切って自殺していた。
その後の猪熊は、東京・世田谷の自宅に会社の側近を泊まらせ、連夜「自殺合宿」をした。あるときは脇差しの代わりに靴ベラを手に、鏡を前に首を突いて頚動脈を切る練習を繰り返す。顧問弁護士に遺書を書き、宅配便で送る用意をした。
当初は自宅で命を絶つはずだったが、結局は会社の社長室を死に場所として選んだ。それというのも自殺すれば近所迷惑になるし、土地の価格も下落すると考えたからだ。
www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/276222/2
私を見て少し微笑んだように見えた次の瞬間、猪熊は「今ならできる!」という低い叫び声とともに机上の脇差を取り上げ一気に首に突き込んだ。
www.amazon.co.jp/-/en/%E4%BA%95%E4%B8%8A-%E6%96%8C-ebook/dp/B00C36ZNRY
1月9日に、円谷は自衛隊体育学校宿舎の自室にて、両刃のカミソリで頚動脈を切って死亡しているところを発見された[94]。死亡推定時間は前日の午後11時だった[94]。27歳没。
ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%86%E8%B0%B7%E5%B9%B8%E5%90%89
明治天皇の崩御に伴い、殉死した乃木希典大将の切腹は、相当に凄いものでした。以下、乃木大将の検死記録から推定される切腹の状況です。
「日本軍刀によって、まず十文字に割腹し、妻・静子が自害する様子を見た後、軍刀の柄を膝下に立て、剣先を前頸部に当てて、気道、食道、総頸動静脈、迷走神経および第三頸椎左横突起を刺したままうつ伏せになり、即時に絶命」
つまり、介錯人がいないので軍刀を膝に立ててあごの下に切っ先を持ってきて、そのまま首の部分を突き刺した訳です。それも「まず腹を十文字に切ってから」です。へたな江戸時代の武士よりも遥かに壮絶な切腹ですが、腹を十文字に切った時点で「相当な重症状態」ですので、さらにそこから首を刺したというのは、物凄い気力であると言えます。
太平洋戦争で「特攻の父」と言われた大西瀧治郎中将はポツダム宣言受諾のご聖断が下り、8月15日の玉音放送を聞いた翌8月16日に切腹をしました。
大西瀧治郎中将は青年達を特攻攻撃に送り出す際に「最後は必ず、俺も行くからな」と常々言っていたのですが、その最後の機会は訪れることなく終戦となってしまったのです。大西中将の切腹は予想されたことでしたが、その切腹は大変なことになったようです。
まず軍刀で腹を十文字に切り裂き、頸と胸を刺したのですが、まだ死ねず、遂に官舎の使用人に発見され、多田武雄次官が軍医を連れて前田副官、児玉誉士夫、熱海にいた矢次一夫まで駆けつけてきてしまったのです。
彼は軍医に「生きるようにはしてくれるな」と言い、さらに児玉誉士夫がいることに気づくと、「貴様がくれた刀が切れぬばかりにまた会えた。全てはその遺書に書いてある。厚木の小園に軽挙妄動は慎めと大西が言っていたと伝えてくれ」と言いました。
児玉が "自分も自決する" と言うと、「馬鹿もん、貴様が死んで糞の役に立つか。若いもんは生きるんだよ。生きて新しい日本を作れ」と言って延命処置を拒み、夕刻になって死亡しました。
sengoku-his.com/1959
腹を十文字に切り裂きましたが、まだ死ねません。次に首筋の頸動脈に短刀をあて、ぐっと切り裂きました。すると、血しぶきが溢れるように出てきて、辺り一帯は血の海になりました。阿南大将の意識はそこで途絶えます。義弟の竹下中佐が顔に耳を近づけると、まだ僅かに息があり、介錯として短刀を反対側の頸部にあて深く刺し、絶命させました。
sengoku-his.com/1959
万場世志冶
割腹の上頚動脈を左右から切り、失血死していたという。学生服姿であった。享年22。
ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%87%E5%A0%B4%E4%B8%96%E5%BF%97%E5%86%B6
2012年2月6日午前1時25分頃、齊藤の妻が「夫が暴れている」と119番通報。齊藤は自宅で暴れるなどしたのちに、カッターナイフを持って自宅東側を流れる栗山川に身投げし、父親からの制止を振り切り、カッターナイフで自らの首を何度も切り付けた。病院に搬送されたが、午前4時5分、死亡が確認された。死因は失血か低体温症と見られる[6][7][8]。
ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BD%8A%E8%97%A4%E9%9A%86_(%E6%94%BF%E6%B2%BB%E5%AE%B6)#cite_note-%E5%8D%83%E8%91%89%E6%97%A5%E5%A0%B1-6
ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%91%E4%B8%8A%E7%9F%A5%E8%A1%8C
1975年に武蔵野市の自宅で日本刀により頸動脈を切り自殺を遂げた。
ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%91%E4%B8%8A%E4%B8%80%E9%83%8E
学習院を中心とする赤化事件に連座し検挙された公爵・岩倉具榮氏令妹、靖子さん(22)は、その後転向を誓って保釈となり出所。渋谷区鉢山町10の公爵邸にあってひたすら裁きの日を待っていた。ところが、22日の予審終結前日の21日午前6時10分ごろ、突然階下8畳の靖子さんの室から異様なうめき声が漏れるので、次室で食事中の母堂櫻子さんが入ってみると、靖子さんは寝床の中で鋭利な西洋剃刀を左手に持ち、右頸部の動脈を掻き切り、鮮血に染まって苦悶しているので、驚いた母堂は家令を呼ぶとともに直ちに渋谷区猿楽町43、主治医岡田仁吉氏を招き、さらに知己の赤十字病院の吉本清太郎博士に急報。応急手当を施したが、そのかいなく、母堂の手に抱かれながら、間もなく絶命した。
bunshun.jp/articles/-/42366?page=4
ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A9%E5%80%89%E9%9D%96%E5%AD%90
ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E5%9F%8E%E5%9C%AD%E6%AC%A1
9月30日、岩淵は先祖代々の墓所に逃げ込み、恨みはすべて晴らしたとして、取材に来ていた新聞記者や知人の前で村人の用意した毒入りの最中を食べ、剃刀で喉を切って自殺した[3]。なお、岩淵は死亡の2日前である1926年9月28日の時点ですでに自殺を決意していたらしいが、28日は酒を飲んでいるうちに眠ってしまい、翌29日に首吊りや頚動脈を切るなどしたが、元々体を鍛えていたことから死に切れなかったと言う[4]。
ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AC%BC%E7%86%8A%E4%BA%8B%E4%BB%B6#cite_note-4
そして午前9時20分ごろ、自宅の応接間(十二畳の部屋)で所持していた刃渡り八寸(約24cm)の短刀で善次郎を刺殺した。しかし、家政婦が警察に通報している間に朝日はその場で所持していた剃刀で咽喉部を切り自殺を遂げた。享年31。朝日は生涯独身だった。
ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E6%97%A5%E5%B9%B3%E5%90%BE
。1908年(明治41年)6月15日未明、文学的行きづまりにより剃刀で喉を切って自殺した。
ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E4%B8%8A%E7%9C%89%E5%B1%B1
1908年(明治41年)7月17日早朝、自宅の寝室で血まみれになって死亡しているのを発見される。検視の結果、短刀で喉を掻き切ったあと、刃に付いた血を指で拭い、鞘に納めてから絶命したと判明した。遺書はなかったが、この年の3月頃から卒中を患っていたため、病気を苦にしての自殺と推定された。享年67。墓所は青山霊園2-イ11-36。
ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%97%E8%83%BD%E9%96%A2%E5%9B%9B%E9%83%8E
畠山勇子
勇子は京都で様々な寺を人力車で回った後、5月20日の午後7時過ぎ、「露国御官吏様」「日本政府様」「政府御中様」と書かれた嘆願書を京都府庁に投じ、府庁前で死後見苦しからぬようにと両足を手拭で括って、剃刀で咽喉と胸部を深く切って自殺を図った。しかしすぐには死ぬことができず、すぐに病院に運ばれて治療が施されたが、気管に達するほどの傷の深さゆえ出血多量で絶命した
ja.wikipedia.org/wiki/%E7%95%A0%E5%B1%B1%E5%8B%87%E5%AD%90
1889年(明治22年)10月18日、外務省からの帰路にあった大隈に、彼の乗る馬車へ爆弾を投げつけた。爆弾は馬車の中に入り、大隈の足元で爆発した[3]。来島はその場で短刀で喉を突き自害した
ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%A5%E5%B3%B6%E6%81%92%E5%96%9C
蛮社の獄のあと薬品で顔を変え長く追手を逃れていたが捕縛される。その際に応戦、喉を突いて自害したとされるが、踏み込んだ幾人もの役人に殴打されたことで死亡したとする説がある。
ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E9%87%8E%E9%95%B7%E8%8B%B1
延宝8年(1680年)5月、第4代将軍・徳川家綱死去の報を聞き、配流先の徳島にて鋏で喉を突き自殺した。
ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%80%E7%94%B0%E6%AD%A3%E4%BF%A1
昨年12月8日朝、石川県金沢市の石川護国神社で、22歳の金沢大生が切腹自決した。彼は北海道出身で金沢市に住む大学4年生、Sさんであった。警察が調べたところ、腹部と首に深い刺し傷があり、近くにはナイフと透明のビニールシートにくるまれた日章旗があった。
ritouki-aichi.com/vot/%E3%80%90%E7%94%A3%E7%B5%8C%E8%A8%98%E4%BA%8B%E3%80%91%E5%88%87%E8%85%B9%E3%81%97%E3%81%9F%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E7%94%9F/20121230
まいばすけっとの牛乳買ったらWAONポイントがもらえるキャンペーン、
3月に5000円当たってて、へー当たるもんなんだなあと思ったら今回は8000円当たってた。
いや、当たりすぎじゃないか?
うち、週に1リットルパックを3本買うだけだぞ。
この程度でこんな当たるもんなの?
LINKL PLANET(リンクルプラネット)、通称リンプラ、というバンダイ発のプラモアイドルがいる。
一般的な知名度は皆無だろう。バンダイ系の新作プラモの宣伝動画とかバンダイ系のアニメのエンディング曲とかで歌っているから、
ガンプラ作ったりする人ならどこかで目にしたり耳にしたりしている。地上波の歌番組とかは呼ばれないレベル。
俺はファンというほどでは無いと思うがどうしてもプラモ作っているとバンナム系のSNS経由とかで目に入るから、何となく気にはなる感じ。
とはいっても、コンサート系とか行ったことが無いし、CDとかグッズとかも買ったことが無い。曲名も浮かばないし、フルネームも覚えていないぐらい。
さて、第一期生が2022年3月から5人で活動していたんだが、それから9か月の間に6曲出したものの大して売れなかったせいか、
2022年12月には第二期生が4人入った(途中で1人卒業したから今は3人)。その4人が入ったと同時に、第一期生は中心の位置を取られておまけみたいな扱いになった。
ルックス的にも、第二期生がよりアイドル寄りであり、まぁ売れるためのテコ入れってやつだろう。ビジネスあるあるだが、一期生の扱いの酷さにはあからさますぎて笑った。
2023年は、プラモ系番組のレギュラー出演や、イナズマロックフェスとかにも出ていたが、特にグループとしても跳ねなかった。
そんな微妙な感じだったんだけれど、下積みでファンが少しは出来たのか、2024年3月20日にはメジャーデビューを果たした。
だが、相変わらず特に曲が人気になることも無く、跳ねる気配が無いからなのか、ついに今夏からは『人生下剋上オーディション』という名前の
三期生募集を兼ねた従来メンバーの首宣告イベントが始まった。これはなかなかアイドルの歴史でもない趣向だったと思う。
三期生が入る代わりに、従来メンバーの誰かが首になるわけである。
ここまで読んだ人は勘づくことができたとおもうが、首になったのは結局1期生の5人中3人だった。
運営的にはおそらく一期生を全員首にしようと考えていたと思うが、まぁ古参ファンも煩そうだし残したんだろうと推測している。
そんなわけで、三期生が新たに4人入ることになった。ルックス的にはちょっと乃木坂とかにいてもおかしくない感じの人路線になっている気がする。
一期生が2人、二期生が3人、三期生が4人の計9人のグループである。ちなみに昨日発表されたプレスを見たら顔とか分かるよ。
https://bandai-hobby.net/site/plamogirlsproject/news_82.html
今回の発表でXを見る限り、古参ファンはちょっと憤慨していたりした。そりゃそうだ。最初からいた1期生中5人中3人がいなくなったんだからw
だが、少数の古参ファンを大事にするより、これからの多くのファンを獲得するほうがビジネス的には正しいだろうってのは分かる
2021年01月 国民の7割がワクチンを接種すれば集団免疫ができてコロナ禍が終わります
2021年02月 2回接種することで抗体の値が高くなり強い免疫が得られます
2021年05月 ワクチンは発症を予防しますが感染予防効果は不明です
2021年06月 接種が進んでいたイスラエルやイギリスで感染が拡大しています
2021年06月 ワクチンでは集団免疫はできないことがわかりました
2021年07月 ワクチンに金属片が混入していましたが問題ありません
2021年07月 ワクチンを接種してから半年が経過すると効果が落ちることがわかりました
2021年12月 重大な副反応として心筋炎が起きることがわかりました
2022年01月 2回接種済みでも感染するのでワクチンパスポートは中止します
2022年04月 ワクチンの有効期限が当初の半年から1年に延びました 油性マジックで期限を書き換えれば延長完了です
2022年08月 接種日不明の接種者を未接種者に加えてましたが指摘されたので感染者の接種履歴の公表を終了します
2022年09月 感染者数で日本が10週連続で世界最多となりました
2023年08月 コロナ対策分科会が廃止になり尾身茂は会長を退任しました
2023年12月 ワクチン推進グループのこびナビが解散しました
2024年01月 ワクチン接種健康被害を国に救済を求める人が1万90人に達しました
2024年03月 健康被害給付予算が前年比110倍になりました
2024年03月 ワクチン死亡一時金が4420万から700万円と減額し初期の1/6になりました
2018年 フランス行く(留学) 三月 八月カンボジア行ってビジネス展開 カンボジアはうまくいかない
2019年度6月22日から天の声聴こえ地元の美術予備校と高校の不登校向け学習支援室に入る(統合失調症のさきがけ)
東京の美術予備校、2020年度4月〜すぐ病んで行かなくなり七月八月強制送還、十月予備校前で救急車呼ぶなど迷惑千万 十月〜十二月入院
Fラン福祉大学 2021年度 前期のみ通うが休学し退学 病んでる。編集者から原稿依頼きて原稿書くが界隈から反応なし、悪いから(笑)(病んでるな〜…病んでるな)
東京の美術予備校(Aとする)オンライン 2022年度春〜出禁(都合よく多分カモにされたんだ。馬鹿だったな。わたしの成績は底辺に近かったずっと。最高で二票しか入らんかった。三浪になのに)学研は全然講義に参加していなかった。うどん屋バイトも入れるが3、4、5、6の四ヶ月で十万しか稼げず。ずーっと怒られてた、ずーっと病んでる。死にたい。
小学生のままで時間止まっている。ま、じ、で。小学生が働いてるみたい。まじでなんで生きてるん?
別の東京の美術予備校(これをBとする)、2022年度夏期講習より参加。目をつけられて9月に出禁(病んでるから?笑)「だれがみるの?こんな絵」と笑われる。これが現実。有名な画家先生から
東京のマンションでじっとする、ネットを見て病むをくりかえしている。あんなに応援してもらったけど藝大受験のプレッシャーはわたしには険しかった。いくつかの店を出禁にされる(居酒屋、ホテル)
地元の塾 2024年度 4、5月のみ通いあとはサボる。ふわふわしていて覚束無い。
七月八月自殺未遂。
九月三十日短歌の賞に間に合わず自殺未遂。ぱっくりと手首切る。常に自殺したい。
過ぎたことはすぐに忘れる。ただのかまちょのメンタルヘラった女、それが私
自爆テロっぽい 特級呪物すぎる
ぐだ〜〜〜って病気と向かい合いながら病んでる。私本当になんで生きてるんだろう(笑)アハハ
アハ、疲れたな
結婚できないよ多分。派遣のバイトもうまくできないし死にたいな〜死にたい
ずーっと逃げてるし、うまく行かないと思うとすぐたたかわず逃げるし、基本的に逃げて逃げて逃げて逃げつづけてちょっとだけがんばると糖質発動ってどゆこと。
まじで社会の澱やんね
今日、マイナカード再交付を受け取り、ICチップが不良だったカードと交換してきた。
申請して実質2ヶ月かかった。
保険証と統合後にICチップ不良起きると色々と詰むよなーという感想。
今年6月初旬にコロナで病院行った際にマイナカードが読み込めず。後日、判明するのだがICチップ不良だった。当然調剤薬局でも読み取れず。
どちらも、マイナカードでの保険証は諦めて通常の保険証出した。財布に入れてあって助かった。高熱でしんどい時に出直すとかになってたら、やばかった。
コロナ後ネットで調べたり、窓口への電話相談して、8月初旬に役所にカードの確認に行った。
役所の読み取り機で確認した結果ICチップが不良との事だった。
ちなみに、今年の年明けには確定申告でマイナカード利用してて、子どもの分はスマホの認証ですぐ読み取るのに、自分のマイナカードは2〜3回に1回しか読み取らず角度とか試行錯誤して読み取らせててなんかおかしいなとは思ってた。
今年3月頃に、マイナカード交付から5年目の電子証明書の更新で役所行った時も、リーダーにセットした際に1回目は読み取らずに置き直したら読み取ってて、この段階でもおかしかったんだよな。
昨年以前とかもスマホの読み取りたまに失敗してて、個別のマイナカードの問題と思わず、マイナカードが全体的に読取りづらいクソ仕様なのかと思って、スマホケース外して読み取ったり工夫してた。
保険廃止しマイナカード一本化後にICチップ不良起きたらどうすればよいのか?という疑問は大きく、今日受取の際に確認した。
窓口の担当に文句言っても解決しない事は分かっているが、窓口で問題認知とその事例の掌握をしてエスカレーションされないと意思決定層に問題が起きてる事が認知すらされないからしょうがない。
再発行まで最短で1ヶ月半掛かるのに、ICチップ不良起きたら、保険証利用や確定申告はどうすれば良いのか?
別の方(上役?)が出てきて説明も有ったが、
・既に同様の事例、ICチップ不良が本自治体内の住民でも複数例起きている
・国に確認はしているが、現段階では国からどういう対応をするべきかの指示や見解は出ていない
・確定申告での利用について申告時に発覚したら確かにマイナポータルでの申告は間に合わないかもしれないが、代わりに紙でも申告はできるが、保険証利用時に発覚して保険証利用出来なかった場合には原則論では一旦自己負担での対応にならざるを得ないかもしれない。
・国にも確認して、11月の広報では対応方法を案内できる様に努めたい。おそくとも12月の広報、これだと12月2日からの移行には間に合ってないですが、それでもそこまでには案内出来るようにつとめたい。
https://anond.hatelabo.jp/20221222025722
>余談:磁気不良というけれど
>カードの製造を急ぎすぎているせいか、非接触ICカードリーダで読めないカードが多い印象です。
上記増田の内容だけど、確かに私も最初の電話相談窓口の人に磁気不良というワードで話をされたし、今日の応対してくれた役所の人の話からすると、ICチップ不良は少なくない件数起きてるんだろうなー、と
◼︎今思う事
国会議員さんへ
質問主意書でマイナカードにおけるICチップ不良など、本人の責に寄らない再発行の事例件数を年間累計数で確認してくれないですか?
あと、保険証のマイナ"一本化"後に病気で受診しようとしたタイミングでICチップ不良が発覚した場合の対象方法の通達内容も確認して欲しい。
私はマイナカードでいろんなデータ連携して便利に活用していけば良い派だけども、マイナカード自体が物理的に一定数の不良品を交付してしまっている実態があるのだから、エラー対応方法についてはシステム側や対応フローとしてきちんと考えておくべきだと思う。
0.01%でも1万人でしょ
コロナとかインフルで高熱な中の受診時に、マイナカード読み取れないから自己負担ねって、自費診療で診察費とゾコーバとかタミフルの薬代も払うの結構しんどいと思う。
「避難所」という名前でネカマして暇アノンの姫をやって貢がれていた。NHKに情報流出された人
正体が割れる前から画力が高く、colaboを風刺するイラストを大量に描き暇空にも気に入られ寵愛されていた
垣鍔は「カルピス」という名前で以前からフェミ叩きをして仁藤夢乃の容姿を下品にいじったりしていた
垣鍔=カルピスが判明してから、アンチ暇空らは「垣鍔垣鍔垣鍔カルピス」などと名乗っていたが、片倉はそのネタをよくわかっていなかった
「垣鍔って奴がアンチ集団のリーダーらしいな?」などと触れてしまい、暇空に放逐された
片倉は画業をほぼ引退して現在は介護士をやっており、福祉業界の人であるため暇空のcolaboへの主張が色々おかしいことに気づいてはいたが、
画業から撤退してしまったことや、妻に逃げられたことなどの鬱屈を晴らすためにはアンフェ活動をやるのが一番だったらしく、おかしい点に目をつぶっていた
追放された上、「介護士とか尻拭き係の負け犬」「半年以上新作出せなかったらもう作家じゃない」と痛罵され、反転してカルピス軍団入りした
女性向けホラー雑誌で人気を集めた作家だったが、2019年を最後に単行本を出せておらず、その作品も打ち切りによる不本意な終わり方で鬱屈を晴らすためアンフェ活動にのめり込んでいた
高頻度でフェミ叩きをして暇空をフォローしcolabo追求をしていたが、2023年3月に漫画家の篠房六郎の「いまだに暇空を支持していることが世間的にどう見られるかわかった方がいい」発言の後でフォロー解除
篠房は暇アノンに叩かれ炎上したが、この発言を期に暇空界隈に触れなくなったクリエイターは実際多く、三家本はその一人である
三家本は女性人気が高かっただけに、アンフェ活動からの暇アノン化にショックを受けたファンたちが「暇空はこれこれこうでヤバイよ」と説得してブロックされていた
それらの説得を三家本は中傷と受け取っており、「暇空なんか支持してないのに中傷された」と嘆いている
東大卒元経産省官僚で現在は餃子屋オーナーとかeスポーツ関係とかやってる人
熱心な暇アノンでありcolabo編だけでなく堀口編もディープに追っていた
都知事選でも暇空を応援し投票、本気で暇空都知事が生まれるつもりだったのに落選で急激に冷める
「百合子や蓮舫と戦えるレベルに行けないどころか反ワク陰謀論者以下とかショボすぎる」と述べ、暇空と大喧嘩しブロックされる
行政訴訟ではワンチャンあるかもしれないと期待は寄せているようだが、暇空や暇アノンのことを「陰謀論を信じるバカ」と認定し触れなくなる
都知事選で暇空支持を表明し、埼玉県民なので投票権はないが都内在住の知人友人に暇空に投票するよう呼びかけていた
colaboのことを名指しで血税を吸うバックに闇組織がいる悪の集団だと批難した
二児の母だが夫と不仲であり、「刺したいがこらえた」と書き込むなど鬱屈としていた心境が暇空信仰のきっかけか
遠巻きに暇空を追っていたが、都知事になるほどの人であるなら信仰を告白してもいいと考えたのか、暇空をフォロー開始
しかし暇空の書き込みがダイレクトに1日300-500件ほど流れてくるようになるとキツくなったらしく、暇空をミュートにしたと発言
ソース : 「GIGAZINE」2024/9/8投稿記事「2024年秋開始の新作アニメ一覧」
https://gigazine.net/news/20240908-anime-2024autumn/
・声優総数:704名(延べ人数)(7~9月期:484名 約45%増)
・ここには2024年10~12月期の出演作品数が3作品以上の63名を出演回数で降順記載
キャスト名 | 2024年10~12月 | 7~9月 | 4~6月 | 1~3月 | 10~12月 | 7~9月 | 4~6月 | 1~3月 | 10~12月 | 7~9月 | 4~6月 | 1~3月 | 10~12月 |
ファイルーズあい | 8 | 2 | 6 | 2 | 5 | 1 | 3 | 2 | 2 | 1 | 2 | 1 | 2 |
杉田智和 | 7 | 3 | 5 | 3 | 5 | 3 | 4 | 9 | 7 | 2 | 1 | 2 | 4 |
悠木碧 | 7 | 2 | 3 | 3 | 3 | 1 | 2 | 6 | 4 | 2 | 1 | 4 | 3 |
津田健次郎 | 7 | 5 | 2 | 3 | 3 | 1 | 2 | 2 | 6 | 1 | 5 | 2 | 2 |
日笠陽子 | 6 | 3 | 2 | 3 | 8 | 3 | 2 | 5 | 2 | 5 | 3 | 4 | 1 |
内田雄馬 | 6 | 4 | 2 | 2 | 3 | 2 | 6 | 1 | 4 | 3 | 2 | 4 | 1 |
石川界人 | 6 | 2 | 3 | 1 | 5 | 3 | 1 | 6 | 2 | 0 | 2 | 4 | 2 |
中村悠一 | 6 | 2 | 4 | 1 | 5 | 1 | 4 | 3 | 3 | 1 | 0 | 2 | 2 |
日野聡 | 6 | 1 | 2 | 0 | 2 | 1 | 3 | 1 | 1 | 4 | 2 | 3 | 3 |
東山奈央 | 5 | 4 | 4 | 3 | 3 | 2 | 2 | 3 | 3 | 6 | 2 | 3 | 2 |
村瀬歩 | 5 | 1 | 3 | 1 | 6 | 2 | 3 | 3 | 3 | 2 | 0 | 5 | 3 |
内山昂輝 | 5 | 3 | 2 | 1 | 3 | 1 | 3 | 5 | 5 | 3 | 2 | 1 | 3 |
逢坂良太 | 5 | 1 | 5 | 2 | 4 | 1 | 2 | 2 | 3 | 3 | 1 | 1 | 1 |
武内駿輔 | 5 | 0 | 4 | 3 | 3 | 1 | 2 | 6 | 2 | 0 | 1 | 0 | 2 |
河西健吾 | 5 | 2 | 5 | 1 | 5 | 0 | 3 | 2 | 0 | 1 | 0 | 1 | 1 |
神谷浩史 | 5 | 1 | 1 | 3 | 2 | 2 | 0 | 1 | 2 | 1 | 0 | 1 | 2 |
梅原裕一郎 | 4 | 2 | 2 | 3 | 7 | 3 | 3 | 8 | 6 | 3 | 2 | 3 | 1 |
松岡禎丞 | 4 | 1 | 3 | 0 | 9 | 4 | 4 | 6 | 6 | 3 | 3 | 2 | 1 |
島﨑信長 | 4 | 0 | 4 | 7 | 2 | 2 | 2 | 4 | 4 | 0 | 3 | 0 | 5 |
八代拓 | 4 | 1 | 1 | 4 | 4 | 3 | 5 | 2 | 5 | 2 | 3 | 1 | 1 |
佐倉綾音 | 4 | 3 | 2 | 3 | 7 | 2 | 0 | 2 | 3 | 2 | 4 | 1 | 1 |
花守ゆみり | 4 | 1 | 3 | 2 | 1 | 3 | 2 | 7 | 1 | 1 | 2 | 2 | 2 |
大塚明夫 | 4 | 0 | 4 | 3 | 3 | 3 | 1 | 3 | 2 | 0 | 2 | 2 | 3 |
鈴木崚汰 | 4 | 1 | 1 | 4 | 1 | 0 | 2 | 1 | 3 | 2 | 1 | 2 | 2 |
小林千晃 | 4 | 0 | 2 | 4 | 3 | 0 | 3 | 2 | 1 | 3 | 2 | 0 | 0 |
天﨑滉平 | 4 | 4 | 1 | 1 | 2 | 0 | 1 | 2 | 1 | 1 | 0 | 2 | 1 |
関智一 | 4 | 3 | 1 | 1 | 2 | 2 | 0 | 3 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 |
石谷春貴 | 4 | 0 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 |
赤﨑千夏 | 4 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 |
戸谷菊之介 | 4 | 1 | 1 | 0 | 2 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 |
高橋李依 | 3 | 3 | 5 | 6 | 3 | 3 | 5 | 4 | 3 | 4 | 3 | 3 | 2 |
福山潤 | 3 | 4 | 1 | 7 | 3 | 5 | 3 | 5 | 6 | 2 | 2 | 0 | 2 |
鬼頭明里 | 3 | 1 | 7 | 5 | 2 | 0 | 7 | 5 | 1 | 3 | 4 | 3 | 1 |
斉藤壮馬 | 3 | 4 | 3 | 4 | 3 | 2 | 1 | 3 | 5 | 3 | 1 | 5 | 3 |
榎木淳弥 | 3 | 3 | 2 | 0 | 7 | 4 | 3 | 3 | 1 | 1 | 3 | 3 | 2 |
諏訪部順一 | 3 | 1 | 2 | 3 | 4 | 0 | 4 | 2 | 4 | 2 | 3 | 3 | 3 |
小野賢章 | 3 | 2 | 3 | 1 | 5 | 1 | 3 | 4 | 2 | 2 | 4 | 1 | 2 |
花澤香菜 | 3 | 3 | 5 | 2 | 2 | 4 | 4 | 4 | 4 | 2 | 4 | 1 | 4 |
岡本信彦 | 3 | 3 | 2 | 5 | 2 | 3 | 6 | 1 | 2 | 2 | 2 | 2 | 0 |
興津和幸 | 3 | 0 | 5 | 1 | 4 | 3 | 1 | 3 | 3 | 4 | 2 | 2 | 1 |
山下大輝 | 3 | 1 | 6 | 2 | 3 | 2 | 4 | 1 | 3 | 2 | 1 | 0 | 2 |
小野大輔 | 3 | 5 | 1 | 1 | 5 | 2 | 1 | 6 | 1 | 1 | 0 | 2 | 2 |
楠木ともり | 3 | 0 | 1 | 1 | 5 | 2 | 1 | 6 | 3 | 2 | 2 | 0 | 2 |
小松未可子 | 3 | 0 | 2 | 2 | 0 | 3 | 1 | 4 | 2 | 5 | 2 | 2 | 2 |
白石晴香 | 3 | 1 | 2 | 2 | 0 | 2 | 3 | 3 | 5 | 0 | 0 | 3 | 1 |
千葉翔也 | 3 | 1 | 1 | 1 | 4 | 3 | 1 | 2 | 3 | 1 | 1 | 1 | 3 |
安元洋貴 | 3 | 3 | 1 | 0 | 2 | 2 | 1 | 2 | 3 | 2 | 2 | 2 | 2 |
子安武人 | 3 | 2 | 0 | 1 | 3 | 3 | 1 | 2 | 4 | 3 | 1 | 1 | 0 |
三木眞一郎 | 3 | 3 | 2 | 2 | 2 | 0 | 3 | 1 | 3 | 1 | 1 | 2 | 0 |
石田彰 | 3 | 0 | 0 | 1 | 1 | 2 | 3 | 4 | 2 | 1 | 0 | 3 | 3 |
堀江瞬 | 3 | 0 | 0 | 3 | 3 | 1 | 1 | 3 | 2 | 2 | 1 | 1 | 2 |
土岐隼一 | 3 | 1 | 1 | 3 | 2 | 0 | 3 | 3 | 0 | 3 | 1 | 0 | 2 |
千本木彩花 | 3 | 1 | 2 | 2 | 0 | 0 | 2 | 3 | 1 | 2 | 1 | 1 | 0 |
東地宏樹 | 3 | 1 | 3 | 1 | 2 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 2 |
梅田修一朗 | 3 | 3 | 2 | 2 | 0 | 0 | 1 | 2 | 1 | 0 | 2 | 0 | 0 |
安済知佳 | 3 | 3 | 2 | 0 | 3 | 1 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 2 |
田村ゆかり | 3 | 0 | 2 | 1 | 0 | 0 | 4 | 1 | 1 | 0 | 0 | 1 | 1 |
橘龍丸 | 3 | 0 | 3 | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | 0 |
水樹奈々 | 3 | 0 | 2 | 1 | 1 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 |
梶原岳人 | 3 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | 1 | 1 | 2 | 0 | 0 | 1 |
石毛翔弥 | 3 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 |
菱川花菜 | 3 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
植田佳奈 | 3 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |