はてなキーワード: アーケードとは
【out】
●スト4:単発ヒットの価値がないコンボゲーなのに目押し必須はゲームとしてゴミすぎるし、格ゲープロがはじまったのはスパ4だし、無印は全然プレイされておらずAEまでアケがなくてブレイブルーの後手後手、アメリカや日本の一部の層が過剰にウメハラを神格化した結果流行ってるように見せかけてただけでAEが出てからもインカムはブレイブルーと鉄拳に負けっぱなしだった 反面教師としてなら歴史に残るレベルのクソゲー
●スト6:持て囃されてるトレモの機能やバトルハブなどはギルティギアシリーズからのパクリ、アーケードのコマンド簡易選択はBBCS2が先、ワールドツアーは激闘パワーモデラーが先、最初からゲージMAXはDNFが先、ゲームとして目新しさが世間の印象ほどなく、待ちゲーも脱却できておらず柔道や垂直や下がって中足や10F技など運ゲー要素も強い インフルエンサーを起用したプロモーションだけでもってるだけ
【in】
●美少女戦士セーラームーンS 場外乱闘!? 主役争奪戦 :世間でスト6のモダンすげーと騒がれてるそのコマンド簡易選択が選べるシステムの初出、余談だが格ゲーにおいてモダンという言葉はアークのパチが定義した「クラシック格ゲーとモダン格ゲー」が先
●メルティブラッドアクトカデンツァ:同人格ゲーのアーケード移植の初で、同人や現在のインディーズの規模感の展望に強い影響を与えている
●ARMS:ラグい環境への答えをTPS視点と腕を伸ばして戦うという表現で、自然に受け入れられるレベルで出した重要作品であるほか、それまではどんなに早くても10秒以上は待っていたのが当たり前だったランダムマッチングをランクマ続行を押下した瞬間に次の相手にマッチングする0秒マッチングを実現した格ゲーのみならずゲーム全体の歴史に残るレベルの特異点、スマブラより前にEVOJAPANのメイントーナメントに専用機を貸与するという前例を作ったのもこのタイトル
前にもこういうゲームの激臭10選あってそれ書いた奴と同じ奴か知らんけど
大体ゲームでこれ系の大げさな話をするのって40代以上、それもゼロ年代以降のゲームをろくにやってない老害ばっかりなのなんで?
やらないくせによくゼロ年代以降のゲームを腐したり神格化したりよくできるよね
漫画、特にジャンプの話題でもそうだけど40代以上って自分の少年時代が絶対だと思い込んで他の世代のことを知らないくせにやたらと大きく見せてマウント取る特性があるよな
はい今更ですよね。今更なんですけど書いてて楽しくなっちゃったのでアップします。流石にシリーズ1作縛りとかは無理だったので自由に選ばせてもらいましたが「ゲーム史への影響」という視点強めです。
言わずとしれた格闘ゲームというゲームジャンルを確立した始祖と言うべきタイトル。
稼働当初は「画面の大部分を占める大きいキャラ」「1キャラが持つ技数の多さ」「演出やBGM、SEの気持ちよさ」など一人用の良質アクションゲームとして受け入れられていたが、
筐体2台を使った対面式の「対人対戦」という発明により、ゲームセンターの商売そのものを変貌させるに至る程のインパクトを与えた。(なお対戦が流行り初めた当初は1台の筐体を2人で使うプレイが主流ではあった)
翌年にはスーパーファミコン版が発売され、こちらも大ヒット。ゲームセンターに行かないユーザー層も巻き込み一大ムーブメントとなった。
海賊版の出現やそれに対抗する形での細かいバージョンアップ版の発売、アニメ映画のヒットやメーカー主導での国技館での全国大会など、ゲーム内容外の部分でも注目点は数え切れない。
超必殺技、画面拡縮、挑発、ストーリー演出など数々の新規システムを採用し、格闘ゲームの進化に大きく寄与した記念碑タイトルと言わざるを得ない。
これと翌年の「餓狼伝説SPECIAL」のヒットによりSNKはカプコンと並ぶ格闘ゲームメーカーとしての地位を確立した。
MVS筐体無償貸し出しというシステムは街のあらゆる場所にゲームを行う場所を増やす事に成功し、ゲーム文化の広がりという面ではカプコンに勝るとも劣らない影響を与えている。
知名度と歴史上の重要性の割に、シリーズが3作しか出ておらず、キャラ性やストーリー展開はKOFシリーズにほぼ吸収されているという点も特徴的。
現在新作制作中との発表があり「詳しい人」を求人していたが果たして…
https://news.yahoo.co.jp/articles/113169dfb59a2f6339be424e51fd288c0ca0bae0
このゲーム自体はゲームセンターでも大きくヒットしたというわけではなく、格闘ゲームブームから生まれた数多のタイトルひとつではあるが、重要なのがこのタイトルがスト2の著作権を侵害したとして販売差し止めの裁判が行われたという点である。
裁判は和解が成立したが、粗製乱造に近かった格闘ゲームブーム、ひいてはゲーム業界そのもののあり方に一石を投じる裁判であったことは間違いない。
なお「ファイターズヒストリーダイナマイト(MVS)」や「溝口危機一髪(SFC)」など続編は普通に販売され、KOFMIへの溝口のゲスト出演などゲーム自体はそれほど黒歴史というほどの扱いにはなっていない。
この裁判に関しては元カプコンの岡本吉起氏による証言動画もあり、(動画内に氏の明確な事実誤認などもあるものの)格ゲー史を知るうえでの重要な証言であることは間違いないので一度視聴してみると良いと思います。
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=c-b5ce0LZ7w
3Dポリゴンによるなめらかな動きで衝撃をもたらした初代バーチャファイターは驚きを持って迎えられたものの、対戦ツールとしての盛り上がりはあくまで都心を中心とした局地的なものであった。
だが、テクスチャーマッピングによるキャラ造形の革新的進化に加え、ゲーム性も大きく向上したこのタイトルは社会現象とも言える衝撃をゲームファンのみならず数多の若者にもたらす事となる。
ゲームセンター間の対抗戦、遠征や「鉄人」に代表される有名プレイヤーの出現、TVメディアを巻き込んだ全国大会など、残した伝説は数しれず、現在のプロ格闘ゲームシーンの礎となったタイトルとも言える。
格ゲー衰退論を声高に主張する格ゲーおじの「格ゲー全盛期」はだいたいこの頃の熱狂的なムーブメントを想像して発せられることが多いが、近年スト6の記録的なヒットで衰退論もだいぶ鳴りを潜めたような気がする。
バーチャファイターを発端とする3D格闘ゲームの後追いからスタートした鉄拳シリーズは、PS互換基板という利点を活かし、「アーケード→家庭用移植」のスパンを繰り返しシリーズとして成長していったが
この3はアーケード版と遜色ないプレイ感に加え、家庭用の追加部分の量が圧倒的であり、明確に「家庭用とアーケードのクオリティの逆転現象」が発生したタイトルである。
当然ネット対戦もないこの時代、対戦の主戦場は未だアーケードではあったが、「ヴァンパイアハンター(SS)」など家庭用とアーケードと家庭用の垣根が明確になくなってきた時代であった。
シリーズ初、軸移動を基本システムに据え、2D格闘との差別化(共通の縦軸移動システム自体は「バーチャファイター3」が先駆)や対戦ツールとしての成熟が成された点も見逃せない。
鉄拳シリーズはその後も展開を続け、今や「最も長く続くビデオゲームの物語」とギネス認定されるほどの長寿タイトルに成長する。
渡辺製作所(現フランスパン)がwindows向けに作成した同人格闘ゲーム。
「あすか120%」シリーズのゲームシステムを下敷きとし、To HeartなどReaf作品のヒロインを戦わせる格闘ゲームとして頒布された。
同人作品のクオリティラインを大きく引き上げ、当時の若者の「PCでアクションゲームを遊ぶ」という意識を改革するまで至ったタイトルであり、同人ゲーム、ひいてはPCゲームのあり方を大きく変貌させた1作と言っても良い。
このゲームでwindowsやDirectXの知識を得た人も多いのではなかろうか。
アークシステムワークスが開発した初代「GILTY GEAR」はあくまでプレイステーション向けの家庭用格闘ゲームであり、電撃PS誌を中心とした局地的な盛り上がりをするにとどまっていたが、
続編であるこのタイトルはNAOMI基板による高画質の2Dキャラによるグラフィックが当時軍を抜いたレベルであり、ハイスピードな展開と自由度の高い操作性で大ヒット。所謂「コンボゲー」というジャンルに大きな影響を与えた。
アークシステムワークスはこのタイトルのヒットを期に「ブレイブルーシリーズ」などのオリジナルタイトル、加えて「ドラゴンボールファイターズ」「P4U」「グランブルーファンタジーVS」といった高クオリティ版権ゲームで存在感を出すメーカーへと成長していく。
「北斗の拳」や「戦国BASARA」だってアークシステムワークス開発である。
特筆すべきは専用カードとVF.NETを使用した個人成績記録のシステムを初めて格闘ゲームに採用したタイトルという点(アーケードの個人記録システム自体は「ダービーオーナーズクラブ」が既に存在している)
個人成績が明確に開示されてしまうこのシステムは功罪両面で様々な影響を与えたが、
勝率の表示により「当て投げ禁止」や「特定キャラ禁止」といった各店舗ごとのローカルルールや暗黙の了解といったものが払拭され「格ゲーはバーリ・トゥード(何でも有り)」という風潮が決定的となった事は特筆に値する。
しかし書いてて思ったがバーチャはいくつゲーム史に影響を与えたシステムの先駆があるんだよ…
つい先程バーチャ新作開発中との情報がポロっと出たわけだが、こちらもどうなることやら
https://automaton-media.com/articles/newsjp/sega-virtua-fighter-20241107-317120/
ディンプス制作。格闘ゲームいうジャンル自体が下火になってきていた頃に満を持して投下されたタイトル。
ストリートファイターⅡ初期12人が最初から全て居るなど原点回帰の気風も強く、実際「久々にストリートファイターの新作が出て知ってるキャラもたくさん居るから試しにやってみよう」という新規、復帰プレイヤーはかなり多かったが
それらを雑にレバーぐるぐるするザンギエフ(通称グルザン)が滅したという悲しい歴史がある。
この辺のくだりは「どぐらのクソキャラ列伝 スト4ザンギエフ回」で面白おかしく説明してくれているのでぜひ視聴してみていただきたい。
https://www.youtube.com/watch?v=G3VnYzTDGSM
このタイトルを堺に「格闘ゲームのプロゲーマー」という存在が現れ初め、家庭用通信対戦環境の整備、大会と配信文化との融合といった現在の格闘ゲームシーンに重要なパーツが確立されていくという点でも特筆すべきタイトル。
現在進行系でストリーマーや他ジャンルのゲーマーなども巻き込み、新規ユーザーを現在も増やし続けている、格ゲー界についに現れた希望の星。
あらゆるランク帯にて適切なランクマッチ(ランク詐欺が少なく対戦相手もすぐ見つかるの意)が一年以上成立している、という格ゲー史上かつてない偉業が達成されている。
この勢いはいつまで続くのか、他のタイトルはこの流れに乗れるのか、など今もって最注目タイトルである事は疑いようがない。
餓狼伝説SPECIAL(1993):龍虎の拳とどちらをいれるか最後まで迷った。対戦ゲームとしてヒットとしてSNKの立場を盤石にしたという視点ではこちらのほうが上。現在も活発な対戦コミュニティが存在する現役ゲーム。
ドラゴンボールZ 超武闘伝(1993) :版権キャラゲーと格闘ゲームの相性は抜群という事実を知らしめた格ゲー黎明期の傑作タイトル。今日に至るまであらゆる版権のスピンオフタイトルとして格ゲーというジャンルが選ばれ続けている
サムライスピリッツ(1993):ゲームもさることながら、その世界観とキャラクターで漫画界を初めとした創作面に与えた影響が大きいタイトル。
THE KING OF FIGHTERS シリーズ:意外と10選にいれる事ができなかったが、格ゲー界での存在感は格別。夏の風物詩として新作が毎年ゲームセンターを盛り上げた時代もあったのだ。
X-MEN VS ストリートファイター(1996):1画面内に収まらない大ジャンプや画面全体を覆う技エフェクト、空中コンボ(エリアルレイブ)といったシステムが特徴的なX-MENシリーズとストリートファイターキャラのコラボが与えた衝撃は当時物凄いものがあった。即死10割上等なのは事実なのではあるが、当時はそれはそれでみんな受け入れて楽しんでいた。(それはそれとして10割決めて台パンはされた)
ストリートファイターⅢ 3rd STRIKE(1997):レッツゴージャスティーンでおなじみ。格闘ゲームブームが下火になっていた時代にゲームセンターを長く支えたタイトルであり、プレイヤーの引き止めという点においても語るべきところが多い。長年やり込んだ上級者同士の対戦は芸術的すらある。
任天堂オールスター!大乱闘スマッシュブラザーズ(1999):スマブラが格ゲーかどうかは未だ論争の種ではあるが、対戦文化の視点では外すことができないであろう。特に2作目のDXと最新作のSPECIALが格ゲー史的視点においては重要。
CAPCOM VS SNK 2(2001):カプコンとSNKのクロスオーバー作品の最高傑作。現役プレイヤーも多く、来年最新のオンライン対戦環境が構築される予定であり、注目度の高いタイトル。ところでカードファイターズ2のSwitch移植まだですか?
モータルコンバット/キラーインスティンクト:海外の格ゲー史を語る上では欠かせないタイトルであり現在も最新タイトルが遊ばれている重要作品ではあるが、残念ながら自分が語れるだけの知識を持ち合わせていない。GAME PASSでKIが遊べるなど昔に比べればプレイ環境は向上している
anond:20241103145536 を書いた増田だ。
実は増田は匿名ダイアリーに投稿するのが初めてで、記事を公開すると文字数制限を超えた文章が消えてしまう(?)挙動を知らず、記事公開後に選外タイトルを半分くらい編集して消している。が、コメントでサターンユーザーだった各位から、増田が消してしまった選外タイトルにも言及があり、大変嬉しかったので解説を追加で書かせて欲しい。
この指摘は正直わからんでもないし、全てのゲームがそこに集まっていたプレステ史だったら『リッジ』『鉄拳』シリーズを入れなくても成立するかも知れない。が、やはりセガサターンはセガのアーケード稼働人気タイトルを独占供給できてナンボ(それでも負けたハード)なところがあり、バーチャを家で遊びたくてお年玉で買った増田としても外せないのである。
10選の方は時系列で並べたが、こっちは言及されていて「ですよねぇ!!」となった順に書いて行く。
音だけで遊ぶアドベンチャー。飯野賢治氏の作家性を象徴する作品であり、増田も最高傑作であると考えている。話題性で『エネミー・ゼロ』の方を10選に入れたが、こっちの方が好きだという人の意見はよくわかる。この作品には必ず「ゲームと呼べるのか?」問題が付きまとうので、扱いが難しい。
しかし当時アクセシビリティなんて考えが浸透していなかった時代に、トレンディドラマの人脈を呼んできてこんな作品をリリースしてしまうのは本当にすごいのだ。本作のファンで脚本を担当した坂元裕二氏のインタビューを未読の人はぜひ読んで欲しい。
宇宙世紀の一年戦争を舞台に、歴史のifを体験できる戦略シミュレーションゲーム。増田は後からリリースされたドリキャスの完全版みたいなやつをこってり遊んで、そっちのイメージが強かったからサターンのタイトルという認識が薄かったかも知れない。完全に忘れていてコメントで気付いた。
今にして思うと、横シューティングだった『機動戦士ガンダム』や『外伝I・II・III』の3部作など、バンダイはマルチタイトルでなくサターン用に凝ったタイトルを出してくれていた気がする。セガサミーではなくセガバンダイになった歴史のifを見たかったな(きっと別の負けハードを出していたと思う)。
カプコンが『ファイナルファイト』で確立したベルトスクロールアクションに本宮ひろ志の濃い顔をした武将たちを主役に据えた作品。ボーナスステージは何故か早食い対決するぞ。
かなり名作だと思うがプレステとマルチタイトルのため選外となった。
メガドラ『アドバンスド大戦略』のパワーアップ版。という事くらいしか知らず、実は増田は先行するメガドラ版ともども履修していないため解説できることが無い。すまん。
8つの国から選び、大陸統一を目指すシミュレーションゲーム。『半熟英雄』シリーズっぽいところがある。戦闘は100vs100の兵士をサターンの2D拡大縮小機能をフルに使っていて迫力があった。増田には『大戦略』系のリアル志向のシミュレーションは難しく、こういうファンタジー世界観でやや簡略化されたシステムの方が好きだったこともあり、続編ともどもかなり遊び込んだ。
セガはメガドラにも『バハムート戦記』という、これ系の名作を残しているぞ。
「THOR2」として言及されていたのは恐らくこれで、メガドラの『ストーリーオブトア』の続編。いわゆる2Dゼルダの流れを汲むアクションPRGで、かなり謎解きが面白かった。
そしてBGMも古代祐三氏の会社で開発されたタイトルだけあってすごくかっこいい。たのむ、権利上の問題を解消してNintendo Musicでこれらの名曲を配信してくれセガ。
サターン初期はまだレーティングシステムが整備されておらず、最初に発売された『スーチーパイスペシャル』には乳首がない。そして『スーチーパイRemix(1995年)』以降の作品は「X指定」レーティングに指定され、乳首券が発行されたぞ。これはテストに出る。
記憶が合っているか念のために調べたら、この両タイトルをセットにした『アイドル雀士スーチーパイ Special + Remix サターントリビュート』なるタイトルがSwitchに移植されているらしいぞ……。どういうことだってばよ。
2足歩行ロボットで指定されたミッションをクリアしていく3Dシューティング。コメントにある通りまだ『アーマードコア』 が無かった時代にリアルな戦場と兵器をテーマにしていたのはエポックメイキングだったと言える。あと裏設定がむちゃくちゃ沢山あって、サターン専門誌で何故か連載解説記事があった。ゲームアーツはセガハードにとってセカンドパーティーに近い扱われ方で、10選に入れた『グランディア』の時もそうだけど優遇されていた気がする。
増田は1996年前後はゲーセンで『バーチャロン』の対戦に熱中していて、こういう渋い感じのミッションクリア型ゲームの面白さを理解できたのは、もっと後であった。
ネオジオ以外のハードに初移植された人気2D対戦格闘ゲーム。しかも専用ROMカートリッジを引っ提げて発売され、そのキャラ選択から対戦開始までの爆速ロード時間は、金持ちの家の子どもが持ってるネオジオROM版(爆速だが高い)とネオジオCD版(ロードがクソ長い)しか知らなかった当時のゲーセン少年たちには衝撃を与えた。
これは確かにサターン史を語る上で重要タイトルではあると思う。ただ増田は専用ROMカートリッジも拡張RAMカートリッジも、パワーメモリーのセーブデータを道連れにされたトラウマがあり、あまりいい思い出がない。
それぞれサターンに移植された『バーチャ2』『ファイティングバイパーズ』のキャラをクロスオーバーさせ、さらに何故か『バーチャコップ2』のキャラが『バーチャ3』のキャラの技を使い格闘システムにも『バーチャ3』の「避け」を家庭用に先行実装するという、何でもありのお祭りタイトル。『デイトナUSA』の車も戦うぞ。何を言っているのかわからねーと思うが増田もわからない。お祭りなんだから、『ファイティングバイパーズ』ゲストキャラだったペプシマン、こっちにも出せばよかったのにね。
元記事の選外タイトルにも入れていなかったのだが、コメントで思い出が蘇り嬉しくなった。『スマブラ』を一大お祭りシリーズに育て上げた任天堂と、『ファイターズメガミックス』一発屋のセガ。そういうとこだぞ。
https://anond.hatelabo.jp/20241106140729
音楽ゲームの波に乗って、ポップン版も独断と偏見で書いてみた。一応曲の良さだけでなく、ポップン史的に重要な曲って軸で選んだ。
現在収録曲数は1000曲超え、現在26周年のKONAMI製アーケード音楽ゲームポップンミュージック
初期ポップンを代表する人気曲。ポップン6の人気投票では4位を獲得した。その際1〜3位ももちろんいい曲ではあるが、とかくキャラ人気が高い曲だったのもあって、実際曲だけでいうならこの曲が1番人気だったのでは…という意見も見たことがある。(諸説)
7ではLONG版がプレイできるようになった。ピチカートファイブを想起させる渋谷系の楽曲で、明るい曲調と言葉遊びのような歌詞、そしてボーカル杉本清隆のハニーボイスが魅力的な曲だ。
杉本清隆は初代からボーカル歌唱という形で参加しており、6ではサウンドディレクターも務めていた初期ポップンを支えていたコンポーザーの1人である。
初代の参加曲「ポップス/I REALLY WANT TO HURT YOU」もまたポップンの代表曲として、今でもKAC(公式大会)の表彰などで流れている。
6を最後に退社、個人の音楽活動に集中する形になったものの、その後もたまに曲を提供してくれる
近年だと公式大会で決勝初出・かつパーカッシヴシリーズの続編曲ということで速度変化が大変なことになっている「西馬込交通曲」、ソフトロックの続編曲として発表された「le mal du pays, numéro 1」が収録されている(ポップン25 peace)
ポップン6は様々な要素が従来から変化したシリーズである。サウンドディレクターの変更(5で務めていた杉本清隆が抜け、同職だったwacが1人で担う形に)、メインデザイナーの変更(犬千代、P-CATがチームから抜け、shio中心の体制に)、版権曲の収録、キャラアニメがドットから現在のようなアニメーションになったなど……。
そんな折、突如現れたのがこの曲である。
それまでのポップンではあまりなかった力強い日本語ラップ曲。そして途中で高速になる独特の譜面。
この曲の公式コメントで「この曲に美味しいところを持ってかれちまうであろうことも。…大体当たったよね?」とあったことから当時の人気が窺える。
キャラクターのサムライ男性キャラの六も高い人気を誇っている。ちなみに現在公式大会で11連覇している選手もこのキャラを愛用している。
作曲者のDes-Row自体は5から曲提供していたが、この曲で一気に人気に火がつき、さまざまな名義でpeaceの頃まで楽曲提供をし続けていた。
ヒップロックシリーズはその後もコンスタントに(3の倍数がつくナンバリング)続編曲が作られた。
当時のポップンに少なかった力強い男性ボーカル・少し大人びた歌詞に当時女性を中心に凄まじい人気があったらしい。
また、キャラクターの狼男・アッシュも人気が高かった。ドラムの彼とベースのスマイル、ボーカルのユーリというキャラ、彼らの組んでいる「Deuil」というバンドは当時の女子ポッパーの心を大いに掴んだ。その人気からか、25 peaceでは、「Deuil」として数少ない書き下ろしキャラアニメ枠として新曲を引っ提げた。
新堂曲に関してはどれをピックアップするか悩んだが、多分氏の曲の中でも人気が高い、8でライブバージョンも収録されたということも加味してこの曲を選出。
その後もポップン11に至るまで曲提供をし続けていたが、諸般の事情(詳しくは検索)でポップン12では彼の曲は全削除、ポップンから姿を消すことになった。
その後、ポップン17、ポップン24では氏の曲をオマージュした楽曲が作られた。(24に関しては担当キャラもアッシュ)
beatmaniaの生みの親にしてポップンミュージックの名付け親、南雲玲生作曲。ちなみに前述のポップス
/I REALLY WANT TO HURT YOUの作曲者でもある。
透明感のある女性ボーカルと、アンニュイな曲調は人気が高く、ポップン9ではロング譜面が作られた。
この曲はキャラクターも特徴的である。ポップン7では、キャラクター数名の名前を公募で決めるという試み「PaPa*MaMa 7」を行なっていた。
この曲の担当キャラは「かごめ」という名前に決定し、影のある少女という属性も相まって大変人気のあるキャラとなった。
ポップンでは10のお星様にお願い、20のみんなでつくろう ポップン20などさまざまな形でユーザー公募のイベントを行うが、ポップン7のイベントはそのはしりと言える。
氏の楽曲は退社後のゴタゴタで多くの曲が削除されてしまったが、こちらの曲は運良く削除を免れ、今もプレイ可能だ。
版権曲に関しては初見の人がプレイすることが多いということで低難易度の譜面が作られることが多かった。
ポップで可愛い風体のポップンに収録された筋肉少女帯。同じアーティストの「日本印度化計画」と共に8に収録された。
レベルは最高難易度級、おどろおどろしい歌詞と、ノーツが微妙にずれて非常に押しにくい譜面、おまけの辛判定とまさに(当時のレベルなら)トラウマ級の譜面。
キャラアニメのミミは、本来可愛らしいキャラのはずなのだがこの曲では怪しい雰囲気の絵柄になってしまっている。キャラ説明文を見ると「不思議な夢」ということらしい…。
長らく収録されていたが、版権曲の定めか、ポップン21にてついに削除されてしまった。
ポップンで1番有名な曲。
作曲はbeatmaniaやギタドラでヒット曲を生み出していたTOMOSUKE、作詞はポップン12で雫というヒット曲を出したあさきというBEMANI的には豪華なメンツ。和風ロックなこの曲は大ヒットし、ポップンは知らないけどこの曲は知っている、なんて人もいるくらいだ。他機種にも移植されまくり、ひなビタもカバーしている。近年だとVtuberもカバーしたりしており、人気の高さが窺える。
16では初のAC出身最高難易度43・トイコンテンポラリーという曲が作られ、その譜面の超密度部分は「わけのわからないもの」と恐れられた。
ピアノの濁流がノーツとなったその譜面は「どうしようもないもの」と呼ばれる。スタッフはそんなに難しくないと思ったらしく、レベルは最高難易度一個下の42に設定されていたのもユーザーを恐怖に陥れた。
その反省か、次のポップン18のボス曲(ふること)は譜面難易度が大幅に下げられた。
その結果、当時の音ゲー板では「ポップンはガチ機種じゃないからこれくらいでいい」派vs「トイコンサイレント並みの譜面をよこせ」派で論争が起きていたのを見かけた。
KONAMI公式大会9thKACではポップン14からのボス曲(+J-テクノ)がメドレーとなったPopperz Chronicleという曲がお披露目され、ランカー達を驚かせた。
前述でポップン公募企画の話をしたが、こちらの楽曲は「みんなでつくって20」という企画でボーカル募集をしたものである。
可愛らしく元気な曲調とボーカル、そして何より乙女がいきすぎてストーカーの域に入っているようなキャラ、かおりんが当時話題となっていた。
みんつく20で募集したボーカルはその後も今に至るまでBEMANIに参加してくれているのだが、特にこちらのNU-KOの躍進は凄まじい。
ポップン以外にもオトカドールというACでは全曲のボーカリストを担当、BEMANIのプロリーグでは監督や解説を担当するなど、様々な形で関わっている。近年では声優としてもデビューしている。
昔のポップンはスタッフコメントや質問コーナー等の影響でスタッフとユーザーの距離が近かったゲームであり、まさにポップンだからこそ生まれた曲といえる。
また、作曲のPONは16よりポップンスタッフとなり、おそらく今も主要なサウンドディレクターとしてポップンを支えている。BST騒動以降、スタッフの詳細が隠されてしまったため憶測となってしまうが…。
当時「つぎドカ!」というBEMANI作曲家4人が4機種に1曲ずつ曲を提供し、選曲回数を競うという企画があった。
その中でポップン出身のPONの曲が見事1位を獲得したという曲である。
経緯的にポップン史10選に入れていいのか?と今気付いたが気にしない。
曲はストレートに熱く、少年漫画のOPのような曲。この時期のPONは作曲スピードがとても早く、サウンドディレクターとなった22、ラピストリアでも多数の曲を書き下ろしていた。
また、このつぎドカの曲を担当した4人のキャラ(烈・風雅・鈴花・氷海)はそれまでポップンにいない毛色だったこともあってか人気が高かった。
その結果、ポップン22 ラピストリアのストーリーでは主役級に抜擢される。
ラピストリアは等身高めな絵柄に改変(メインデザイナーもshio→ちっひに変更)、インスト曲の減少とキャラに沿ったボーカル曲の増加、濃いストーリー、ジャンル名の廃止……etcなどポップンのテコ入れと言わんばかりに様々な変化を取り入れた作品。
つぎドカのキャラ4人は、そのラピストリアの変化を象徴するキャラ達と言える。
ちなみにラピストリアの画風(通称ラピス絵)は、現在ではpeaceでは従来のデフォルメ(+厚塗りにした感じ)に戻っている。
こちらはポップン史に大きな影響…という感じではないが〆にふさわしい感じだったので載っけた。
20周年記念ということで、初代より参加していたsana、杉本清隆がボーカルを務め、23くらいまで長らくポップンに関わっていたwacが作曲をしている。こちらの名義も初期の楽曲と同じものが使われている。(メンバーは多少異なる様)また、初代ポップンのBGMが引用されている。
サントラのスタッフ欄はそれまでポップンに関わっていたアーティストやキャラ(!)がクレジットされており、往年のプレイヤーにはグッと来るものとなっている。
peaceの時のポップンには末期感が漂っていた。前作のうさ猫の途中からポップンの最大の特徴とも言えるキャラアニメの書き下ろしがなくなり、次作として発表された「peace」というサブタイトルは、ポップンのスタッフロールの最後によく使われる言葉だった。
稼働前に公式が25のサブタイトル案として出した中にも「climax」「ありがとう」があり、本当に最終作だったのではないか…?と考えるプレイヤーも多かった。
歌詞には「さよならさえも言えないのなら 今その分の思いを込めて歌うんだ」とあり、スタッフからユーザーへの、いつか来る別れのメッセージが込められている。
リフレクビートの様に、実質サ終だが別れの機会を逃してしまった機種があるからこそ、歌という形でさよならを託したのかもしれない。
peaceに関しては、絵柄の回帰、昔の楽曲のオマージュ曲や、人気曲の追加譜面、そして新たな難易度UPPERなどを追加したことで好評な作品となった。
peaceはレッスンやベビーメタルの追加譜面も話題になっていたので本来ならそっちを入れるべきかもしれない。
また、新たなポップンとしてスライダーを追加、ボタンサイズを縮小などされて開発されていた新筐体「NEW pop'n music Welcome to Wonderland!」がおそらく既存プレイヤーから不評+コロナ禍でお蔵入りしたことで、現在に至るまでさよならすることなく無事に続くこととなった。
ポップン初期〜中期を凄まじい曲数と幅広いジャンルで、サウンドディレクターとしてもポップンを支えていた村井聖夜による楽曲。
特にこの曲は初音ミクもまだ開発されていない頃に、PCに歌わせた革新的な曲である。
ボーカリスト、そしてキャラの「Alt」はポップンユーザーの中では人気があったが、他機種においては数年後にjubeatに収録された「隅田川夏恋歌」にて大きな注目を浴びることになる。
可愛らしい曲調と、ロリ天使がおむつを履いているという、絵柄がデフォルメだから可愛く見えるものの、なかなかすごいキャラデザのポエットは人気を博し、その後のシリーズでも新曲・新アニメが作られていった。
特にパーキッツの作曲の方は、ブタパンチなどの名義でパーキッツの可愛い楽曲とは裏腹にハードでちょっとイロモノっぽい曲を収録していくのであった……。
パーキッツに関してはどの曲を入れたらいいかも悩んでしまった…。順当に入れるなら初代かなあ。個人的にはウィッシュが好き。
あとはDJ YOSHITAKAの曲も入れようかと悩んだ。でも他機種に沢山代表曲あるからいいか。
一応最新作まで低頻度なもののプレイしているのだが、昔の曲多めになってしまった。
ただ、ネットの評判やポップンのリアルイベントの開催状況等を見る感じおそらくブームだったのが1〜8、14〜15だったので、その辺に偏るのはさもありなんかも。
ふしぎなくすりは本当に忘れてた…
でも人気と外に与えた影響を考慮するなら絶対に入れるべきだった。と言うわけで書いてみた
撫子ロックにポップンで1番有名な曲と書いたが、こちらも同等レベルで有名な曲。
作曲者の上野圭市は主に弐寺で独特な作風の曲を提供しており、前作の16からポップンにも提供を始めた。
こちらの曲についても「ふしぎなくすり飲まされて、渋谷で海を見ちゃったの」という歌詞からお分かりになる様に、なかなかの電波曲である。曲調も相まって大変中毒性が高い。
そんなネタ度の高い歌詞は、曲が出た2009年頃はまだまだ勢いのあったニコニコ動画で大ヒットした。
この曲を使った手描きMAD「ふしぎなくすり のまされて」シリーズはブームを起こし、色んなジャンルで作られたのだった。
こちらのMADで知名度をあげたため、ポップン初出ということを知らない人も多いかもしれない。
上野氏はその後も参加し、peaceでは続編曲とも言える「いつまでやったって、別にいいじゃない!?」を提供。ポップンはいつまでやったっていいんだ。
セガサターンは、セガから発売され「32bit次世代ゲーム戦争」に参戦していたゲームハードの一つである。ソニーの初代プレイステーションを始め、多くのゲームハードと覇権を競った。稼働時期はおよそ1994年11月~2000年12月で、1998年11月にはセガサターンの次となるドリームキャストが発売され、以降は発売タイトルも下火となっている。
選定レギュレーションとしては、ドリームキャスト発売前後までに登場したタイトルであることを重視、またこの時代から徐々に増えたプレイステーションや3DOなどでも同一タイトルをリリースする「マルチタイトル」は選外とした。
セガサターンといえば豊富なアーケードゲームタイトルを持つセガの移植作が家庭で遊べることが強みの一つであり、本作は光線銃型コントローラー「バーチャガン」も同時発売され、ゲームセンターと同等の遊びを家庭に持ち込んだ。
3Dゲーム黎明期当時のセガは『バーチャ○○○』といった名前で複数の作品をリリースしており、『バーチャコップ』はカメラのズームイン・ズームアウトを多用した緊張と緩和の演出や、コンボ的な爽快感など、後の大ヒットタイトル『THE HOUSE OF THE DEAD』シリーズにも繋がるガンシューティング史の重要作品である。
ゲームセンターで社会現象にまでなっていたお化けタイトルで、かつセガサターンのプラットフォーム初となったミリオンセラータイトルであることから選定。ハードローンチタイトルの初代『バーチャファイター』も当然ながら重要タイトルであるが、8,800円と高額(本作は6,800円)だったこと、ライバルだったプレイステーションを上回るハード普及台数に貢献した(この時期だけであり、すぐひっくり返されている)ことから、『バーチャファイター2』の方を選出した。
セガサターンのスペックは、当時のアーケードタイトルで主力だったMODEL2基板を採用された3D作品を移植するには性能不足が否めず、完全移植とならずナーフされがちで、本作も例外ではない。また、初代『バーチャファイター』と同時発売されていた周辺機器バーチャスティックもお世辞にも操作感が優れているとは言えず、1996年にアストロシティー筐体を再現した後期バーチャスティックや豪華版バーチャスティックプロ登場まで、レバー派は耐えることとなる。
体感筐体で人気を博した『セガラリーチャンピオンシップ』の移植タイトル。『バーチャ2』と同じく、3D表現をナーフされての移植ではあったが再現度はかなり高く、先行して移植された『デイトナUSA』と同時発売された周辺機器レーシングコントローラーにも対応していた。
とにかく1995年の年末商戦は次世代ゲーム戦争が佳境を迎えており、同時期に『真・女神転生デビルサマナー』など他メーカーによる良タイトル供給もあったが、セガからは特に気合の入ったタイトルが多かったと言える。
2D対戦格闘ゲーム『ヴァンパイア』シリーズ2作目。セガサターン後期には拡張RAMカートリッジを活用し、アニメーションパターンを削らず高い移植度を誇る2D対戦格闘ゲームが多く発売されたが、本作はハード発売1年ちょっとにして、拡張RAMカートリッジを頼らずとも高い移植を実現しており、当時多くのハードに移植タイトルを供給していたカプコンの技術力がよく分かる作品である。
セガサターンには『KOF』シリーズや『ストZERO』シリーズなど、高い移植度を誇った2D格闘ゲーム作品が多くリリースされたが、本作はコンボや起き攻めなど、後の2D対戦格闘ゲームにも続いて行く要素が入っていることから選定した。セガサターン標準のコントローラーであるサターンパッドは6ボタン式で、カプコンの格闘ゲームと相性がよかった点も特筆しておきたい。
高いスプライト処理機能を持ち、多くの秀作2Dシューティングゲームが移植されたセガサターンであるが、3Dシューティングゲームの傑作『パンツァードラグーン』シリーズからも挙げておきたい。少年がドラゴンの背に乗って終末文明を駆ける世界観も印象的で、とくに本作『ツヴァイ』では子供ドラゴンの愛らしい形態をテレビCMを見た人も多かったのではないだろうか。
高い威力を誇るロックオンレーザーを使って攻略するシステム面では、同時期にタイトーから発売されていた『レイヤーセクション』(『レイストーム』)の影響も感じられる。シリーズは『AZEL -パンツァードラグーンRPG-』を最後に長く沈黙を続けることとなり、次に挙げる『NiGHTS』シリーズと共に、オリジナルIP作品を育成するのが下手なセガというイメージが定着することとなる。
セガサターンは前後となる世代のセガハードであるメガドライブやドリームキャストと比べ『ソニック』シリーズ供給があまり目立たないハードであった。しかしながら、ソニックチームから完全新作としてリリースされた『NiGHTS』は国内外から高い評価を得る。日本国内においては廉価版「白サターン」に特別ステージを遊べる『クリスマスナイツ』が同梱され、売上以上に多くの人が触った作品である。
ゲーム性は同時期に発売された『マリオ64』のような自由度が高い完全3Dアクションには遠く及ばない、3D風の空間を決められたルートで飛び回りハイスコアを狙う、レーシングゲームやシューティングゲームに近いものとなっており『ソニック』にも通じる爽快感があり、マルチコントローラー(通称マルコン)での操作が気持ち良い。『バーニングレンジャー』と並び、ソニックチームからリリースされたセガサターンの重要タイトル。
ホンダからセガに移った当時の副社長・入交昭一郎氏(通称イリさん)が、ゲームプロデューサーの広井王子氏を口説き落としてキャラゲーの制作を依頼して生まれた、セガの家庭用ゲーム機を代表するシリーズ。戦隊モノやTVアニメを意識した演出や、一度聴いたら忘れられない『ゲキテイ』など、1作目にして完成度が高い。
キャラクター原案に『ああっ女神さまっ』藤島康介氏、シナリオに『爆れつハンター』『セイバーマリオネット』あかほりさとる氏を迎え、多くのアニメ音楽を手掛ける田中公平氏に作曲を依頼する座組で制作された。スチームパンクな世界観でシミュレーションRPGと恋愛ゲームを融合させ、高い人気を誇った楽曲とキャラクターを活用した「歌謡ショウ」も多くの公演が開催され、今で言うところの「中の人」によるライブをさせる興行形態に先鞭をつけた重要作品。
3Dアドベンチャーゲーム『Dの食卓』で時代の寵児となった飯野賢治氏が手掛けたSFアクションゲーム。プレイステーションを代表するシリーズとなった『バイオハザード』の影響を感じさせるゲーム性で、初見殺し要素が多く『デスクリムゾン』ほどではないがクソゲー評価もそれなりにある。
そんな本作であるが、ゲーム史を語る上で欠かせないのは、元々プレイステーションで発売を予定していたにも関わらずソニー主催の「プレイステーションエキスポ」でセガサターン移籍をイリさんのビデオメッセージと共に大々的に発表するという、センセーショナルな告知手法が採られたことにある。未発売となった『300万本RPG』ともども、未だに語り草となる飯野賢治氏の破天荒な行動を象徴する1本として選出した。
プラットフォームとしてのセガサターンを語る上で外せないのが独自レーティングシステムの存在で、「18歳以上推奨」「18歳未満販売禁止」といったカテゴリで販売されたタイトルがあったことだ。むふふな脱衣シーンがナーフ移植されがちな脱衣麻雀タイトルも乳首券発行で完全移植された上に、いわゆる成人向け美少女ゲーム、平たく言ってしまえば「えっちなゲーム」が移植されて遊べる家庭用ゲーム機だったのだ。このレーティングシステムの存在によって、それまでアンダーグラウンドで傍流な存在だったPC向け美少女ゲームの名作群が、メインストリームと言える家庭用ゲーム機に移植が実現しより多くのユーザーに「発見」されたのは、日本のゲーム史においても重要な出来事だったと言える。
『EVE burst error』は令和になっても続編が制作される『EVE』シリーズの1作目で、2人の探偵役の視点を切り替えながら(セガサターンではCD-ROMを入れ替えながら)謎解きの進行するアドベンチャーゲームであり、ゲームデザイナー菅野ひろゆき氏を代表する作品の一つ。他にも『同級生』『下級生』『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO』など、豪華な声という付加価値を付けてセガサターンに移植された名作タイトルは幾つもあり、このカテゴリからの選出作品は遊んだ人の思い入れに応じて読み替えて欲しい。また、次世代ゲーム戦争においてプレイステーションの優位が確定してからは、『To Heart』のようにエロ要素を完全排除してセガサターンではなくプレイステーションに移植されるタイトルがあったことも記しておきたい。
スーパーファミコンを代表するRPGシリーズの最新作『ファイナルファンタージ7』がプレイステーションへの独占供給が発表され、お通夜状態だったセガサターン陣営にとって希望の星とされ並々ならぬ期待を背負って発売されたオリジナルRPG。当時のサターン専門誌でも毎号のように特集記事が組まれていた。
スチームパンク世界で冒険家を夢見る少年ジャスティンの成長を描いた「王道中の王道」で、仲間との出会いと別れが感動を呼ぶストーリーや、攻撃側有利な戦闘システムも人気を博した。売上で『ファイナルファンタージ7』には遠く及ばなかったものの、RPGが弱いと言われ続けたセガサターンの中でも(プロモーション主導とはいえ)強い存在感があったこと、ドリームキャストなどに続編が供給されたことを考慮し選出。
2Dゼルダ『神々のトライフォース』にインスパイアされたアクションRPGの名作。
どちらも時代を代表するタイトルだがマルチタイトルのため選外。コナミはこの時代からマルチタイトルが多い。
弾幕シューティングとして重要なタイトルかつ良移植だったが、マルチタイトルだった気がするため選外。
個人的にはとても思い入れがあるが、セガのアーケードタイトル移植には重要作品が多くて選び切れない。ツインスティックを5,800円で家庭用ゲーム機の周辺機器として発売するなんて頭イカレてるよね~(褒めてる)。
サウンドノベルの超名作。10選に入れるか最後まで悩んだが、アドベンチャーゲームでは、レーティングシステムによって移植実現した美少女ゲームから1作を選んだ方が妥当と判断し選外に。
雑に言うとダビスタのサッカークラブ経営版。2作目めっちゃ遊んだ。
マジック・ザ・ギャザリング+モノポリー+いただきストリート。任天堂ハードの携帯機と相性がよく今ではすっかりそちらのイメージが強い。
マルチタイトルであること、バーチャ2のインパクトには負けることから選外。おっぱい。
ボイスイベントが入ったことからロボットアニメ作品をクロスオーバーさせるスパロボシリーズに新しい価値を持ち込んだ重要な作品に位置付けられるが、完結編の敵雑魚インフレがバランス崩壊気味だったため選外。プレステから始まったスパロボαの方がシリーズ全体としては重要と言えそう。
むちゃくちゃ好きだがマニアック過ぎると判断し選外。異世界おじさんが選んだら10選に入ってた。
むちゃくちゃ好きだがマニアック過ぎると判断し選外その2。トレジャーの作品にはこういうものが多い。
○選シリーズも下火になってきたところで投下するよ。
元ネタ1:
https://anond.hatelabo.jp/20241012181121
元ネタ2:
https://anond.hatelabo.jp/20241026213447
最初はファミコンだけで10選を作ろうとしたけど、方針を変えた。なぜならファミコンの初期にはアーケードからの移植作が多く、それらはどちらかというとアーケード作品として評価すべきだからだ。
ついでに他のハードも含め、80年代以前のコンピュータゲームすべての中から選出することにした。なおシリーズ物は一作のみとする。ゲーム史のカンブリア紀におけるレジェンド級の作品を見て行こう。
(追記)
コメントでの指摘を受け、ポートピアのジャンルをグラフィックアドベンチャーに修正。
アメリカのアタリ社が開発し、世界で初めて商業的に大ヒットをしたゲーム。コンピュータゲームが一大産業として成立する道を開拓し、これをきっかけとしてアメリカでアタリの時代が花開くことになる。
日本では翌年にタイトーとセガがポンのコピー品を作り、これが日本初のゲームとなった。
アタリのヒット作第二弾。いわゆるブロック崩し。これのリメイク版にあたるのがアルカノイドで、現代に至るまで古典的なゲームの一つとして知られている。
日本ではタイトーとナムコが正規のライセンスを持って生産していたが、それ以外にも日本の多数のメーカーがこれを模倣したようなゲームを作り、のちに日本のゲーム産業が花開くきっかけとなった。
いまでは有名なメーカーが、正規のライセンスもなしにコピー品を作っていたという、大らかな時代でもあった。後にタイトーが、これをもとにスペースインベーダーを作ることになる。
初の日本のメーカーによるオリジナルの大ヒット作であり、日本で初めて社会現象を巻き起こしたゲーム。それまでゲームに縁のなかった日本のお茶の間にまで、コンピュータゲームを知らしめた作品。
日本のアーケード史上最大のヒット作といわれ、喫茶店やスナックのテーブルがこのゲームのテーブル型筐体に置き換えられるほどだったという。
数が減るごとに動きが速くなる敵、敵がこちらを攻撃してくる緊張感、たまに出現して撃ち落とすとボーナスの入るUFOなどアドレナリンの分泌を促す仕掛けが満載で、ゲームの面白さの本質が詰まっている。
単独のゲームソフトではないが、シリーズまとめてランクインとする。
初の大ヒットした携帯ゲーム機で、特に低年齢層を中心に爆発的にヒットした。当時のゲームセンターは不良の溜まり場で子供には出入りしにくく、据え置きの家庭用ゲーム機もあったが値段が高く、
そんな中で比較的安く買えてどこでも手軽に遊べるゲーム&ウオッチは子供向けのゲーム機としてうってつけであった。
横井軍平の代表作の一つであり、シャープと提携して電卓の技術で作られた玩具。この横井軍平とシャープのタッグは、のちにゲームボーイを生み出すことになる。
ナムコの躍進のきっかけとなった作品にして、日本のアーケードの大ヒット作第二弾。
敵の種類ごとに異なる思考アルゴリズム、敵との強弱関係を逆転させるパワーエサ、緊張を緩めるコーヒーブレイクなどゲームを飽きさせない工夫が随所に施され、その工夫の数々は多くのクリエイターに影響を与えた。
日本のみならずアメリカでも大ヒットを飛ばし、日本のゲームが世界で通用することを知らしめた。80年代のゲームの中心地がアメリカから日本に移っていく、その象徴となる作品。
ウルティマと共に、すべてのコンピュータRPGの始祖と言っていい作品。もともと机上で行われていたTRPGであるD&Dをコンピュータ上に移植するというアプローチで生まれた、他のゲームとはだいぶ出自の異なる作品。
ゲームシステムの多くはD&Dに由来しているが、移動画面と戦闘画面の切り替えによって進めるゲーム進行、コマンドを選ぶことで進める戦闘システムなどコンピュータRPGの基本的なシステムが完成されており、
ウルティマと共に、後のドラクエやFFに大きな影響を与えた。堀井雄二も坂口博信もこのゲームをやり込んだという。
スペースインベーダー、ギャラガと続くシューティングゲームの系譜を完成させた作品。これ以降に出たすべての縦シューは、このゲームの子孫である。
また初めて隠れキャラを採用した作品として知られ、ゲームにおける「隠し要素」の祖ともいえる。
グレーのグラデーションで描かれた光沢のある敵のデザイン、航空写真のような森、海、道の風景は、真っ黒な背景に簡素なグラフィックのゲームが多かった時代に圧倒的なクオリティを誇っていた。
何度でも繰り返し遊びたくなる仕掛け、背景の物語の神秘性と相まって、多くの人を熱狂させた。
説明不要、宮本茂の生み出したゲーム黎明期の最高傑作の一つである。
その画期性はググればいくらでも出てくるのだが、改めて分析しても同時代の中で突出した存在である。
どこまでも広がる世界の解放感、至るところに隠されたアイテムやボーナスステージ、操作に習熟するごとに感じられる上達の喜び、初心者が楽しみながら悔しがりながら上達できるレベルデザイン、
どこを取ってもオーパーツのようなゲームであり、いまだにゲームの古典的教科書の一つである。
アーケードからの移植作が多かった時代に、この作品は「ファミコンでしか遊べない大ヒット作」であり、これ以降ゲームの主戦場はアーケードから家庭内に移ることになる。(ゲームセンターに風営法が適用されたことも影響している。)
ウィザードリィやウルティマを元に、日本人にはとっつきにくかったRPGを日本人向けに大幅にアレンジして生まれた作品。
これ以前にも日本のメーカーからRPGはいくらか出されていたが、ドラクエの爆発的ヒットを元に、日本独自のRPG=JRPGの市場が開拓されることになる。
とっつきにくい要素を排除するために、元のTRPGにあったリアリティを大きく削ぎ落したりしているため、当時のTRPG界隈などからは批判も受けたようであるが、そうでもしなければこのゲームが国民的作品になることはなかっただろう。
反面、そのあまりにも日本向けに特化しすぎたアレンジが仇となり、海外展開にはあまり成功していない。
ドラクエが生み出した(時におかしな)JRPGの「定番」「お約束」は数知れない。その影響はゲームだけに留まらず、西洋ファンタジーを題材とした漫画やラノベ等にもおよび、今日に至るまでその影響を与え続けている。
宮本茂の最高傑作第二弾。スーパーマリオとはまた違った方向性で世界の広さを表現した、知恵と工夫と探索のゲーム。
このシリーズは極めて神がかったバランスの上に成り立っており、簡単に模倣できる作品ではないため、直接のフォロワーとなる作品はあまり現れてはいない。
しかしゼルダシリーズの魂とでも呼ぶべき、閃きと発見の楽しさは形を変えて多くのゲームに受け継がれている。それはダンジョンの中のちょっとしたパズルや謎解きだったり、アイテムの入手によって切り拓く道だったりするだろう。
近年のインディーズ市場において、ゼルダシリーズから影響を受けたようなゲームが多数見られることからもその影響力の大きさが伺える。
◆◆◆
以上、10選終わり。
以降は選外となった作品。
世界初のコンピュータゲームと呼ばれるものの一つ。オシロスコープとアナログ機器で作られたゲームであり、正確にはコンピュータゲームと言えるのかも分からない。
研究所の見学者に大評判だったが、その後忘れ去られ、後のゲームには影響を与えていないという。時代を先取りしすぎた作品。
学生サークルが開発し、商業的に成功した作品。いわば同人ゲームの草分けのようなものである点に着目したい。アマチュアが作ったゲームで初めてヒットした作品といっていいのではないか。
ローグライクと呼ばれるジャンルの始祖となった作品。D&Dから影響を受けて作られた探索ゲームであり、実はウィザードリィ、ウルティマよりも古く、最古のコンピュータRPGの一つに数えてもいいかもしれない。
コンピュータRPGの始祖の一つで、ウィザードリィと共に後のドラクエやFFに大きな影響を与えた。2D見下ろし型のフィールドマップは、このゲームが元祖である。
正直10選に入れたかったが、宮本茂多すぎやろと思って外すことにした。
宮本茂の初のヒット作にして、後に世界的大スターとなるマリオのデビュー作。コンパクトな画面に詰め込まれたジャンプアクションで、後のスーパーマリオにつながるようなアイディアが、すでに多数詰め込まれている。
グラフィックアドベンチャーの傑作で、堀井雄二の原点。原作はPC版だが、どちらかというとファミコン版の方に着目したい。
コマンドを選んで進めるというファミコン版のスタイルはドラクエの原点ともいえ、このゲームの開発で得た知見はドラクエの開発に大いに影響したことだろう。
最も知られているのはゲームボーイ版だが、最初に作ったのは旧ソ連の科学者である。
ゲームボーイ版の方は「ゲームボーイ史上、もっとも重要なゲーム10選」に選出されているのでこちらはあえて原作をチョイス。純粋なパズルでこれだけ人を没頭させるものは他にないだろう。
光栄の歴史シミュレーションゲーム。この2年前に「信長の野望」が発売されており、歴史シミュレーションゲームとして最初にヒットしたのはそちらであるが、俺は三國志の方を評価したい。
これは歴史のifを楽しむゲームであり、人材登用のシステムによって史実では敵だった人物を部下にするなどして、夢のドリームチームを組むという楽しみ方ができる。
歴史を題材としたゲームでありながら歴史を大胆に改変してもいいという発想が大きな魅力につながり、こうした発想は現在の歴史物のゲームにも影響を与えている。
世界初の体感型ゲームにして、セガの体感ゲームシリーズ第一弾。バイク型の筐体にまたがり、身体を傾けて操作するバイクレースゲーム。
ゲームの主戦場がアーケードからファミコンに移る中で、そのアーケードでしか実現不可能な臨場感が注目された。こうした大規模なギミックは、後にアーケードが復権する鍵の一つとなる。
ドラクエ以前の日本のRPGで大きくヒットした作品。日本のPCゲームで最も売れた作品とされ、ファミコンともアーケードとも異なるPCゲーム市場を先導した。
コナミを代表するシリーズの一つとなった作品。任天堂のメトロイドと合わせ、メトロイドヴァニアと呼ばれるジャンルを形成しフォロワーが多数現れている影響力を評価したい。
セガの体感ゲームシリーズの一つで、リアル系ドライブゲームの元祖。車を運転すること自体の楽しさに焦点を当てたゲームで、ドライブの楽しさが存分に盛り込まれている。
スクウェアの本領が発揮されるのは90年代だと思うのでここに入れるかも迷ったが、初代が売れなければスクウェアが潰れていた、という点で重要な作品。
いろいろ忙しくて乗り遅れたのですが余裕ができたので書いてみる。
発明初期のライセンスの諸々は省略で、あくまでプロダクトとしての10選とします。
元ネタはこの辺。
https://anond.hatelabo.jp/20241012181121
現在のテトリスの基礎となる設置移動と緩急をつけて上昇する難易度が絶妙であり、
初心者からスコアのカウンターストップを目指す上級者まで楽しめる形となっている。
アーケードゲームの流行と併せ、当時の日本のテトリスブームはここから始まることとなった。
当時のゲームボーイにおける通信対戦機能を広めることになったエポックメイキングな作品。
横井軍平氏がプロデューサーを務め、通信対戦モードの導入はもちろんのこと、
当時のコンシューマのテトリス作品の中では非常に快適な操作性であったこともあり大ヒットを記録した。
「ハート」レベルは令和の現代でも通用する高難易度。現在はSwitchでの移植により遊ぶことができる。
海外版のファミコンであるNES(Nintendo Entertainment System)のテトリス。
ファミコン版はBPSから出ているが、こちらは任天堂から発売しており、ファミコン版とは操作性を含め全く別物となっている。
ゲームボーイ版に近い快適な操作性であり、またレベルアップについてもゲームボーイテトリスと同様に難易度上昇は非常に高速。
スコアのカウンターストップについては超高難易度であり、MAXOUTと呼ばれ多くのプレーヤーの最終目標となっていた。
10年ほど前からこのゲームの世界大会が開催されており、テトリスの権利元の協力もあり毎年の大きなイベントとなっている。
通常では人力では操作できないスピードに到達するためプレイに限界があるのだが、近年操作方法を工夫することにより超高速状態でもプレイをする方法が発明され、現在も世界大会のレベルが年々上昇している。
2024年1月に通常プレイを約1時間続けることによりクラッシュすることに成功したことが世界的なニュースになる等、テトリス史の中で最も重要なテトリスの一つであることは間違いないだろう。
キーホルダーサイズの小型の液晶のおもちゃ。テトリスを中心としたブロックゲームで遊ぶことができる。
入手性の高さ、そして小型のガジェットの手軽さから学生を中心に一大ブームとなった。
訴訟問題となった「テトリン55」を始めとしてほとんどが非ライセンス品であった。
その後ライセンス品としてはテトリスJr.という名前で発売された。
この時のキーホルダー型ゲームのブームはその後1997年のたまごっちに受け継がれていった。
競技向けに最適化された高難易度テトリスで、近代では一般的となった「出現後即接着(20G)」のシステムを初めて本格的に組み込んだ作品である。
続編である「Tetris: The Absolute – The Grand Master 2(とアップデート版のPLUS)」、「Tetris: The Grand Master 3 – Terror Instinct」とともに
長い時を経てようやく初代TGMとTAPの移植が行われ、今はSwitchで遊ぶことができる。
最新作である4については何度か発表と中止を繰り返しているが、2024年にテトリスのライセンスの取得をしたことをアリカが発表しており期待が高まっている。
携帯電話のアプリとして公開されたテトリス。アプリは買い切りが基本のため、十数種類の異なるバージョンが存在していた。
当時は物理キーの十字キーの中心に決定ボタンがある携帯電話がほとんどであり、その操作方法に最適化されたテトリスとなっている。
シリーズを通しておそらく遊んだことのある延べ人数としては日本最大なのではないかと考えている。
そのうちの一つであるTETRIS DIAMONDはSwitchに移植されたため遊ぶことが可能。
ワールドルールというテトリスの新仕様(ここにはT-Spinも含まれる)を盛り込んだ作品の中で一番普及に貢献したソフトであると思われる。
各種任天堂ゲームやキャラクターを活かしたステージやモードであることに加え、
システム上も新しい概念であるワールドルールをうまく昇華させたゲームバランスは見事というほかない。
そして世界中の人々と対戦が出来るネット対戦や、相手がソフト未所持でも最大10人まで対戦できるワイヤレス機能など、
3800円とは思えないボリュームがすばらしかった。宇多田ヒカル氏がエンドレスをカンストまで遊んだという逸話も。
特にネット対戦においては、近年の対戦テトリスにおける戦法はこのゲームで開発されてきたものであり、
テトリスの対戦を普及させた作品としては歴史上もっとも重要な作品であると考えている。
セガがテトリスのライセンスを取得し、ぷよぷよとの2in1として発表された作品。
ぷよぷよとテトリスの異種間対戦が売りであったが、対戦のバランスは初級者戦~中上級者戦に至るまで基本的にテトリス有利なバランスとなっていた。
理由としては、セガはコンパイル開発時代を含めぷよぷよ通ルールとしては長年の研究を経て高度化された対戦が繰り広げられていた一方、
相対してテトリスの対戦に関する知見に乏しかったのではないかと推測される。
次回作のぷよぷよテトリス2も含め、長期間にわたり日本のコンシューマのテトリスのデファクトスタンダードとして運用されてきたソフトであるため、
ゲームクリエイターとして有名な水口哲也氏がプロデューサーを務めた新時代のテトリス。
音楽と映像とゲームの融合が特徴の水口氏の作品の例に漏れず、このテトリスもステージ毎のビジュアルとサウンドの没入感が素晴らしく、各所から高い評価を受けている。特にVR機器との親和性が高く、VRでのプレイを推す人も数多い。
没入感を重視するためゲームとしては難易度を低く設定されており、文字通り誰でも遊ぶことが可能な作りになっているが、
それ以外の需要に応えていないわけではなく、各種対戦や高難易度モードも用意されている。
特に高難易度モードについては近代のテトリスの中で1、2を争うほどの難しさであり、完全クリア者は数えるほどしか存在しない。
続編であるテトリスエフェクトコネクテッドでは、先に述べたNESテトリスを再現したモードが追加しており、日本のテトリスプレーヤーにとって最も容易なNESテトリスの練習方法であった。
(なお、今年末に日本のSwitchオンラインでもNESテトリスが遊べるようになる模様)
テトリスにバトロワ系の要素を盛り込んだ作品。単純に既存の対戦テトリスのシステムを99人戦に拡張したのではなく、
独自のシステムを数多く盛り込む事で実力差がある人同士での対戦でも簡単にはやられないようになっている。
これによりバトロワ系のゲームを知らない初心者でも十分楽しめる作品となっている。
任天堂のサブスクシステムを登録している人にとっては実質無料で遊べることが大きく、テトリス単体でのソロプレイ機能も含めて非常に大きな人気を博した。
既にリリースから5年が経過しているが、現在もなお遊ばれている作品であり、2024年におけるテトリスの代表的な作品であることは間違いないであろう。
ゲームを楽しむことこそが至高の行い。ストレス解消や自己表現、仲間との絆を深める手段としてゲームを重んじる。
人生においてもゲームと同じように、失敗したらもう一度やり直すことができる。リセットボタンを押してもいいんだ、諦めるな。
課金も時にはよし。でも、無課金の道を歩む者たちには尊敬を。どんなプレイスタイルも平等に尊重されるべき。
RPG、アクション、パズル、シューティングなど、どのジャンルも一つの世界観を築くものであり、それぞれに楽しみがある。
年に数回、全国の信者が集まり、最新のゲームをプレイしたり、昔懐かしい名作に浸るイベントが開かれる。もちろん、賞品が豪華なトーナメントもあり!
毎週末には「聖なる配信タイム」があり、みんなで推しのゲーム配信を見ながらチャットで盛り上がる。ゲーム実況者たちは「教の声」として、信者たちの楽しみをリードする。
特定の日に開催されるイベントで、歴代の強ボスに挑戦するマラソン。協力して倒すもよし、ソロで挑むもよし。
オンラインでみんなが一緒に集まり、協力ゲームや対戦ゲームを楽しむ集まり。新しい仲間ができる場でもあり、ギルドやクランの結成も推奨される。
毎朝、神聖なるゲーム機(ハードウェア)に電源を入れること。これが一日を始める「お祈り」とされる。
ゲームのストーリーをクリアした後にエンディングをみんなで見て、感想を語り合う。エンディングを迎えた者には「クリアの証」が授けられる。
夜更かししてでも大きなクエストやダンジョンに挑む行為は、聖なるチャレンジとされる。寝落ちしても笑って許される文化がある。
ゲーム教の聖地として、巨大なアーケード施設があり、レトロゲームから最新VRまであらゆるゲームがプレイできる。24時間営業で、朝まで対戦イベントやマルチプレイが楽しめる。
重要な決断をしたいときや、人生の節目に「セーブ」したいと感じるときに訪れる神殿。セーブの儀式を行うと、気持ちがリセットされ、新たなステージに進む準備ができると言われている。
あらゆるジャンルの攻略法や、ゲームの心構えがまとめられた書物。大切なのは勝つことだけじゃなく、楽しむこと。ミスしたときの笑い方や、仲間と協力するコツなど、人生の教えにも通じる。
あえてフラグを立てる、もしくは避けるための知恵が詰まった書。ゲームだけでなく、日常生活でも「フラグ」を見抜く目を養える。
ゲーム教のコミュニティのまとめ役。みんなが楽しくゲームできるようにイベントを企画したり、困った人がいたら手助けする。時にはギルドのボス戦で指揮を執ることも!
運試しの達人。年に数回、みんなで集まってガチャイベントをする時、ガチャ司祭が儀式を取り仕切る。引きの強さでみんなの尊敬を集めるが、逆に大ハズレを引いてもネタにされて愛される存在。
何かに挑戦して失敗したときに祝う日。失敗も経験の一つと考え、その日をお祝いすることで「リトライする勇気」を育む。
誕生日や、新しいことにチャレンジした日を「レベルアップ」として祝う。みんなで経験値(XP)を積んでいることを称え合う日。
アーケード商店街を昼飯買いがてら母と犬と散歩していたら、店、客、爺、犬、俺、母みたいな配置で並走する変な爺さんがいた
割と行列客の近くを歩いていたので、わざわざ犬と行列の客の狭い間を縫うように歩くので「なんだこの爺さん」と思っていたら、おもむろに某とんかつチェーンの前で足を止めた
その店は豚汁とかのレトルト商品を歩道側にはみ出す形の棚に配置してあるのだが、一部商品はカウンターからは絶妙に死角になっており、盗まれちゃいそうだなぁなんて思いながら犬と一緒にその爺さんを真横で見ていた
爺さんはいかにもといった風体で、スラックスに薄汚れた上着、しわしわのシャツと生活苦しいんだろうな、万引きでもするんかなと感じさせるには十分な見た目をしていた
そんな爺さんが棚の商品を物色し、豚汁のレトルトを一揉みし、周囲をきょろきょろ見回した後(当然真横で俺と犬はガン見している)、おぼつかない手つきでパッと上着のポケットにしまい反対方向に立ち去ってしまった
俺も咄嗟の事で「おい爺さんダメだよ!」って大声をあげてしまい、周りの人達が何事かとこちらを見てきてちょっと恥ずかしかった
爺さんは足早に去ろうとするので犬を母に預けて追いかけた
所詮爺さん、そんなまごまごしてても10mくらいしか進んでおらずすぐに追いつきそして肩に手をかけた
うわ肩ほっそ、そしてなんか生暖かくてやだなとかしょうもない事を考えてしまったが、とりあえず「取ったでしょ?出して?」とだけなんとか絞り出して、豚汁を無事取り換えした
妙に手馴れているのでこの爺さんさては常習犯だなと思ったが、その風体やがりがりの肩の触感を思い出し悲しくなったのと、昼飯さっさと食べたかったし、豚汁を取り返したのでまぁいっかと思い爺さんを解放してしまった
豚汁を棚に戻して、事態が呑み込めずアワアワしている母を回収し、相手がもうちょい若かったり反抗してきたら警察に突き出したかもなぁとか、何とも言えない気持ちになりながら帰宅した
犬はその間ずっと楽しそうに散歩していた
オチは無い
昨日でプリパラが10周年ということなので、ちょっと思い出話。
『プリパラ』はアーケードで稼働していた着せ替えを楽しむリズムゲーム。
一度遊ぶと長細いカードがその場で印刷させて排出され、着せ替えのコーデのためのカードと、コーデを着用したアバター(マイキャラ)が表示されたカード(トモチケ)の2枚に分割できるようになっている。
このトモチケの方はゲーム中に使用すると、そのアバターがリズムゲームのメンバーとして呼び出せるという機能があった。トモチケを使わなくても、メンバーは呼べるけどランダムだし、スコアは低くなる。
だから可能であればトモチケからメンバーを呼び出す方がよいし、ライブによってはコーデを合わせた方が見栄えもよくなる。
トモチケを手に入れるにはどうすれば良いのかというと、他の遊んでいる人に声をかけて貰う、もしくは交換するしか方法がなかったりする。でも、この微妙な不便さと、リアルにコミュニケーションを強いられるシステム、そしてゲームを介して、ある意味同じ目標があるから、意外と声をかける心理的ハードルが低いということもあって、みんな結構躊躇せず、知らない人でも声を掛け合ってた。
俺は長年ゲーセンに通ってたけども、あそこまで見知らぬ人とコミュニケーションを取りまくったゲームはプリパラ以外なかったな。競合していたアイカツも、トレードの持ちかけで話すことはあっても、どうしてもそれ以上の話は出てこない。それにトレードだと集めきったら終わりだけど、トモチケは集めきるという考えがないからいくらあっても良かったし。
稼働末期はゲーセンもこのシステムのことを理解していたようでトモチケ交換ボードみたいなものを用意してくれて、人を介さなくても他の人のトモチケを手に入れることができたけど、やっぱりそれはちょっと違うんだよ、と心のどこかで思っていた。あと、稼働末期はトモチケが大量に発行できるようになり、トモチケ交換ボードにだだあまりしていたのも見ていて悲しいものがある。
稼働当初はトモチケは1プレイで1回しか入手できなかったから需要と供給が絶妙に噛み合っていたというのも良かったんだけどね。
このトモチケシステムは、アイカツも続編でパクったけどほとんど有効活用されないまま終わってしまった(アイドルカードのシステムを覚えている人はどれくらいいるんだ……)。プリパラの続編、『プリチャン』ではトモチケシステムは続行していたけども、前述のトモチケ交換ボードを公式で作っちゃったから、リアルで交換するという文化がほとんど消滅してしまっていたのが辛かった。さらにその続編の『プリマジ』では、トモチケに該当するシステムが初期のころは実装されず、途中から実装されたものの1回の排出でコーデをもらうかトモチケをもらうかの二者択一になってしまったから、わざわざトモチケを排出する人がいなくてシステムとしては死んでしまっている。
あと、プリパラはリズムゲームであるものの、いかにキャラを可愛くコーデしてライブを楽しむかということに重点が置かれていたので、基本的には殺伐としておらず、コミュニケーションも取りやすかったというのも良かった。ツイッターなんでも、このコーデが可愛いとか、俺のマイキャラは可愛いだろとか、そんな話ばっかりだったな。
そんなわけでこのゲームがきっかけで知り合った友人は多く、このゲームきっかけで結婚した人もいたりしたし、本当に凄いゲームだったよ。
プリパラは今ではスマホ用のアプリであり、たまに遊んではいるけど、何をするにもスマホ内で完結してしまうから、やっぱりあれは何か違う。
プレイヤー間のコミュニケーションを促進するツールであり、各々が自らのマイキャラやコーデを自慢しあう、あの空気こそがプリパラの最大の面白さだったと思う。
と俺達は乗り込み、ガンダム動物園の前にヤバそうな中学生がウッキウッキとたむろしているのを見て
と俺達は別の場所へと移った。
その時始めた友人の1人はアーケードに通い詰めてクリアし「リッチャンハカワイイデスヨ」が口癖のバケモノになった。
それ以外の俺達は少しやってアイマスに飽きたのだが、家庭用が出たことでクリアしたのが1人、ソイツは「小鳥さんをババァと言ってる奴、お前既にタマ姉より年上だから」というわけのわからない理論を駆使してプロデュース可能になるべきであると力説するモンスターになった。
アイマスをやると頭がおかしくなって怪物になるのではと訝しんでいた俺達だったが結局モバマスもちょっとやったしデレマスもちょっとやった。
そして2024年、俺は学園アイドルマスターをちょっとやっていた。
ちょっとしかやってなかったのでついさっきようやくA+エンドを見た。
A+エンド、なんかちょっとうまぴょいっぽいアレ、それを見終えた後、俺の中でなにか長い旅が終わった気がしたんだよな。
スタッフロールって要するにカーテンコールみたいなもんだから、その劇の最初から最後まで参加した人間としてそれを浴びないと分からない熱があるんだと思うんだよな。
ニコニコでアイマスの動画はいくつもみたし、アイマスのソシャゲもそれなりにやってたけど、ちゃんと最後まで来たことなかったなと改めて思った。
プロデュースをちゃんと一つ終わらせたあとの行き場を失ったような感覚。
打ち上がったあとの花火の欠片がヒュルヒュルと情けなくしおれて地面に吸い込まれていくような状態。
やっと味わえたぜ。
長かったぜ。
学マスが始まって1週間でここまで行った人もいるんだろうな。
ゲームが上手くて凄いな。
俺は15年以上かかったぜ。
ニコニコ動画や日記サイトでアイマスの存在を知り、実際にゲーセンで遊び、小鳥さんをババァと呼び、小鳥さんがババァなら俺はヒイジジイだろって年齢になり、ウサミンよりも多分年上になって、そしてようやくアイマスをクリアした。
ひぐらしはリアルタイムでプレイして「おめぇ、戦略、戦術・・・」の所でブチギレそうになりながらクリアして掲示板に行ったら凄いことになってるのを見て逆に冷静になった。
東方は永夜抄辺りから入ってちょっと逆流して地霊殿ぐらいまでクリアした。
月姫はリメイクのCMを見た時は超盛り上がったんだが、なんかこう俺の中での月齢(バイオリズム)が型月と噛み合うタイミングがなかなか来ないので歌月十夜のリメイクが来てから一気にやろうかなと思っている。
俺の中の平成はもうすぐ終わる。
エヴァも終わったし、ガルパンも・・・多分そのうち終わるし、歌月十夜がリメイクされた月姫やるし、長い長い平成だった。
令和を5年以上やってようやく終わりに向かっている。
https://anond.hatelabo.jp/20230921234841
上記の記事で、年寄りなのでこのゲームの音楽は分からん、等と書いている人がたくさんいて、
ゲーム体験も世代によって大きな差があるよなぁ、と改めて思ったので、
各世代がこれまでの人生でどんなゲーム遍歴を辿って来たのか、おおまかにまとめてみたよ。
ここで想定しているのは、社会人になったらゲームを卒業してしまうような、比較的ライトな層の遍歴だ。
40歳にも50歳にもなっても遊び続けている層のことはあまり想定していない。
俺自身はこの中では比較的上の年代なので、20世紀のことは割と分かるが、21世紀に入ってからのトレンドはそれほど詳しくない。
特に00年以降に生まれた層が辿って来た経歴については、俺とは世代が大きく違うので解像度が低く、間違えている部分も多いと思う。
あれが入っていないとかこれは間違っているとかあると思うが、容赦されたし。
生年 | 78 | 79 | 80 | 81 | 82 | 83 | 84 | 85 | 86 | 87 | 88 | 89 | 90 | 91 | 92 | 93 | 94 | 95 | 96 | 97 | 98 | 99 | 00 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
55年 | インベーダー | → | パックマン | ウィザードリィ | → | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - |
60年 | インベーダー | → | パックマン | ウィザードリィ | → | ゼビウス | → | ザナドゥ | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - |
65年 | - | - | パックマン | カセットビジョン | → | ゼビウス | → | マリオ1 | ドラクエ1 | FC中期 | → | → | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - |
70年 | - | - | ゲーム&ウォッチ | カセットビジョン | → | FC初期 | → | マリオ1 | ドラクエ1 | FC中期 | → | → | SFC初期 | スト2 | 格ゲーブーム | → | - | - | - | - | - | - | - |
75年 | - | - | - | - | - | FC初期 | → | マリオ1 | ドラクエ1 | FC中期 | → | → | SFC初期 | スト2 | 格ゲーブーム | → | PS初期 | → | → | FF7 | - | - | - |
80年 | - | - | - | - | - | - | - | - | - | FC中期 | → | → | SFC初期 | → | マリオカート | → | PS初期 | → | → | FF7 | → | → | PS2初期 |
85年 | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | マリオカート | → | PS初期 | → | ポケモン | FF7 | → | スマブラ | PS2初期 |
90年 | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | ポケモン | → | → | スマブラ | → |
20世紀のゲームは、コンシューマ機とアーケードが中心の世界となる。
ゲームの対象年齢や、ハードを買える財力、ゲームセンターに通える年齢かどうか、等も考慮してまとめたものだ。
生年 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
55年 | - | - | - | - | 脳トレ | → | - | - | - | - | - | - | - | - | - | ポケモンGO | → | → | → | → | → | → | → |
60年 | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | ポケモンGO | → | → | → | → | → | → | → |
65年 | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - |
70年 | - | - | - | - | - | 子供と | → | → | → | → | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - |
75年 | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | 子供と | → | → | → | → | - | - | - | - | - | - | - | - |
80年 | PS2 | → | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | 子供と | → | → | → | → | - | - | - |
85年 | PS2 | → | → | フリーゲーム流行 | → | → | → | ゲーム実況流行 | → | → | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | 子供と | → | → |
90年 | GC | → | → | フリーゲーム流行 | → | → | → | ゲーム実況流行 | → | → | → | パズドラ | モンスト | → | FGO | → | - | - | - | - | - | - | - |
95年 | GC | → | → | ニンテンドーDS | → | Wii | → | ゲーム実況流行 | → | → | → | パズドラ | モンスト | → | FGO | → | Switch | Vtuberによる実況 | → | - | - | - | - |
00年 | - | - | - | - | - | Wii | → | → | → | → | → | マイクラ | → | → | → | → | Switch | Vtuberによる実況 | → | 原神 | ウマ娘 | → | → |
05年 | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | マイクラ | → | → | → | → | Switch | Vtuberによる実況 | → | 原神 | ウマ娘 | → | → |
10年 | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | Switch | Vtuberによる実況 | → | → | → | → | → |
15年 | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | - | Switch | → |
21世紀に入ってからはゲームの世界が広がり過ぎて、とても全部をまとめ切ることはできない。
特に00年代はインターネットに文化の中心がシフトした時期で、ゲームそれ自体よりもネット上でのムーブメントが話題の中心となる。
そんな中で、高齢者における流行や家族でゲームを遊ぶといった動きも出てきて、そういった観点も盛り込んでみた。
ティーポット@減税会
@libre_y0ssy
ちょっと真面目な話をすると、宿泊税って小さく見える人もいるかもしれないけど、これは役所が権限を拡大する自動装置であって、目的なんて後からつけるということの一形態なんですよね。
最も悲惨な例が先の大戦。聞かれるたびに戦争目的が代わっていった。
草香(くさか)潤一@みやぎ減税会
@kusaka_j1
仙台市の宿泊税導入、最後の検討会議事録で岩松委員(岩松旅館経営者@作並温泉)の発言です。的を射ていると思います↓
3,621 件の表示
https://x.com/kusaka_j1/status/1794257945389395969
ティーポット@減税会
@libre_y0ssy
この発言はすごく重いですね。ちゃんと記憶しておかないといけませんね。議員さんに話をする時も紹介してみます。
https://x.com/libre_y0ssy/status/1794258531379777710
草香(くさか)潤一@みやぎ減税会
@kusaka_j1
宮城県と仙台市で税収を分け合う算段をしています。今後県議会や市議会がどうするのか…できるだけ調べたいと思います。私はこの岩松さんと面識ありませんが、高校の同級生なのです。接点取ってみたいなと思います。
今日が最後だということを先ほど聞って驚いている。あと5~6回やれば0円にできると期待して今日も臨んだが、残念ながら今日が最後という事である。事務局にも後でも構わないのでお答えいただきたいのが、第7回までは300円に徹していたのが、なぜ第8回で200円になったのか、理由がわかりません。それから入湯税の使途明細についても、前回吉田会長から「岩松さんが胸をはって徴収できるような資料を準備していただくようにお願いしたい」とお話いただいたが、何ら説明や資料はいただいていない。
さて、トラウマが非常にある。2011年の4月上旬、作並温泉旅館組合の森脇組合長他数名で、仙台市所本庁舎裏の水道局レベル内の経済局長をお訪ねした。
松島町にならって、入湯税の当分の間の免除をお願いしたいと申し上げたが、「経済局の手を離れており税務当局の問題なので、自分たちには何もできない」との答えだった。
その間、私たちは暖房も切って震えながら作業して、お客様がお出になったときだけ暖房をつけるようにしてやっていたのに、経済局はぬくぬくと暖房がガンガン効いており、職員がパソコンでグラフを一生懸命作っていた。我々は死ぬ覚悟で訪ねていったがそういう状態であった。
宿泊事業者を徴収義務者とする新税が導入されれば、そしてそれが定着すれば、同じような扱いになるのではないか。文化観光局は知りませんが、税務当局だからそちらにいってくれとなってしまうのではないか。
使い道に関しても、入湯税もそうだが、どんどん拡大解釈され、すなわち、交流人口拡大のため、来仙者の利便向上のため、といったように曖昧になって、旧来の観光地の振興という事からどんどん離れていくでしょう。
例えば、旧商店街のアーケードを造り替えようとか、国分町交番に隣接した公園のトイレの改修工事をしようとか、そういったことに使われてしまうのです。我々のところには一切こない。選挙人の多い地域のバックアップに費やすだけで、我々のような過疎地は取り残されて、雲霧消散となって、不公平に扱われてしまうのではないか。
加えて、観光公害も無く、従前の年間15億円の観光費を検証もしない中、インバウンドも含めてあるが、それ入湯税の総括もない中、新しい税の導入は時期尚早であり、全く反対である。記載のてある施策も非常に抽象的で全く具体的なものは見えない。こんな様なやり取りの中で、新税がごり押しするのでは無く、奈良時代から脈々と湯治文化をつないで来た先人たちに大変申し訳なく、私が絶対反対だと表明してきたことを含めの議事録、並びに市政だよりに記載してほしい。私はこれを冥途の土産として持ってまいりたい。
このような目的がはっきりせず、なんの働きも実績もなく存在する異議が全くない社会活動家とかいう連中だけがもうかる税金を公明党と創価学会はたくさん作っています。