はてなキーワード: 一般とは
https://note.com/sguion/n/n860e3a9fc517?magazine_key=ma5a05bbbea4e
「一方で、KDDIエボルバはSDGsに取り組んでいるようで、HPにも「女性活躍推進、(略)推進すると共に、健康経営に取り組んでいます」とあります。
この中にある「女性」とは誰をさしているのか。少なくとも不幸にも更年期による体調不良を患った40代、50代の女性はこの中にはいないように思われます。」
まあこれってKDDIだけじゃなくて世間一般、特にフェミニストもそうだよね
10代20代の若い女性、その中でも男の性欲の対象になり若くして妊娠出産するような女性しか「女性」とみなしていないのではないかと思われる事が多い
診療報酬に関して圧力をかけてる日本医師会が開業医のための集団だからだよ。利権よ。利権。
元増田の言ってることは全て正しい。
大病院に多数の医師を配置した方が科同士の連携も上手くいくし、設備投資も集中的にできるからメリットしか無い
待ち時間が長くなるとか言ってる奴いるけど、その分大病院とその窓口増やせばいいだけよ。
というか一般診療所が多すぎんのよ。日本という国は。10万ってコンビニとかより圧倒的に多いからね。海外見てもここまで一般診療所の数が多い国って日本だけだから。
開業医の利権ばっかり守ってきたから開業医の数も海外に比べて異常に多い。
勤務医の平均年収が1000万弱なのに対して開業医の平均年収って3000万近いんよ。
だから風邪とかの大した病気でもない症状で気軽に病院行って診察と称してアホみたいに高い点数をシジババからとって稼いでる開業医ばっかいるんだよ。
大した設備も持たない診療所ばっかだからコロナん時もアメリカの10分の1の感染者しかいないのに医療崩壊が起きそうになる。日本の医療ってレベルめっちゃ低いからな。もっと頑張ってる勤務医の待遇を上げるべきだよ。
俺が言いたかったのは「女性器をちゃんと描いててエロがない漫画はどこにも居場所がない」ってことだぞ
中出しシーンあっても性器が白海苔で全く見せなくしてるのは成人指定ないライトなエロ漫画にいくらでもあるだろ
んでもって成人指定ある漫画はなぜかぜっったいに性交シーンがある。続き物でも毎話しつこいぐらいに。
女性器は描きたいけど(この時点で一般向けでは描けなくなる)性交を描きたいわけじゃな(そしてこの時点でエロ漫画雑誌からも追放される)いという漫画家に居場所がないってことなんだよ。
俺性交は食傷気味でたまには女性器をまじまじ眺めて抜きたいんだよ。性交優位だとそのシーンをむりやりぶっこむという制約のもとストーリーが雑になりがちになるきらいもあるだろうしな
俺は昭和天皇に絶対的に帰依していたから勉強して東大に行っただけ、 平成に入ってからの国家の計画には何も
参与していない。
現在の日本では正論を言うと悪人を生成できないため悪人によって正論をいうことが禁止されているものと解するのが相当である。
すなわち、正論とは、日本人とは元々女性的でその本質はマンコであるとか、その悪質性は強い方向ではなく、弱くて醜い方向に
開花することがほとんどであるということ、また必ずしも、悪い日本人ばかりではないとか、昔から様々な人が居たという議論を正論と
いうものと解されるが、現在の日本国民の思想は要するに、日本人のマンコが悪でありそれがゆくゆくは凄まじいものになり、ある限度に
達した時点で悪人を生成するのに利用できるという思想によって支配されており、この思想に反する正論、すなわち、日本人は非常に弱い
札幌地下鉄の専用席に座っていた自衛官がそれを注意してきた高校生に暴行したニュースがあったんだが
ただその前の高校生の行動は正しいと持ち上げる風潮には賛同できない
もしこれが高校生側が席を譲って欲しいとのやり取りならば
ただただ可愛そうとしか言いようがないけど、
協力依頼として指摘や注意するにしてもそれは駅員や車掌等の役割であって
気持ち的に該当しない人が座ってほしくないと
注意したくなる心意はわかるけれど
気持ち的に正しくて被害者側だからといって注意行動に正当性が生まれるわけじゃない
専用席には健常者は座ってはいけないとか存在しないルールを叫ぶ人もいるし
私は異なる考えを持っている。
尊厳の考え方は、クラス全員の男にヌード写真が出回るのと、クラス全員が彼女の裸を妄想して自慰するのは、実質的には変わらない、とすると思う。
https://anond.hatelabo.jp/20220525213803
電車の中で、隣に座った女性と肌を触れ合いを、後で振り返って楽しむのは… よくないと思う。
あなたの自制心や理性を疑ってるわけではないんだ。相手に下心を気取られないように細心の注意を払い、それは成功するだろう。
だから隣の女性は、「この男性は性的に消費する意図で触れ合いを記憶しているんだろうな」と想像する。肩が触れたたくさんの男たちの中には、確率的に理性の箍が緩いケモノもいるはずだ。女たちは常に威迫されながら、脅威に怯えて生きている。
性的まなざしを向け、一般女性を性的消費するのを是としている現代日本では、生きづらさは女性性にビルトインされている。男たち全員が「一般女性をオカズに妄想したりはしないよ」って言い続ける必要がある。不文律を破って威迫行為をした人を咎める必要がある。さもなくば理不尽な性の不平等は消えないよ。
モザイクを掛けずに販売するのが規制されてるのは、わいせつ罪のため。
管理売春や派遣法?の有害業務だっけ、そういうのはあるが、一般に性行為を契約してビデオに収めるのは規制されてない。
今回の立法で、許可を与えることになっちゃうのではと危惧されたけど、うまく回避された。
法律というのは決まっていることが社会を安定させる機能自体が重要なので、その実定法学自体の論証とかテクニック、トリックなどは全て
数学的に構成されることが望ましいとされ、特に昭和30年代の学問が盛んだったときは、数学者が問題を解くにあたり、定理を編み出してから解くように
反面で、法律というのは、人間的な判断であるので、数学的に確立された実定法学の理論体系のテクニックや制度のトリックと裁判とは別である
裁判官が判決文を論理的に構成しないといけないのは数学的な安定性を確保するためであって、その一般概念の枠内で、
人間がある目的を達成しようとするときにする判断行為を法律家は、実定法学の理論によってしなければいけないというだけのことである
想像してねぇよ
なんで人前に出る仕事でもキャバ嬢みたいな仕事でもねぇのに肌が綺麗な必要があるんだよ
しかも全社員に求めているならきっっしょと思いつつも社風で片付くけど
逆張りしてフツーの面接やインターンではあり得ない格好のやつ(短パンとかビーサン)も採用するんだと
マジできっっっっっしょ
必要がないことを求める・内輪ノリをかましていて世間一般から音速で遠ざかっていても
多様性とか誰もが自由な服装ができることを強く打ちだしていればいいけどもちろんそんなことねぇから
女子アナにそんなもん求められてなくね?
えっ?
・・・・・えっ?🤯
テレビに出る時は男でも化粧するの当たり前だしなあ
面接って書いてあるだろ😒
『男でも普段から化粧しても良いじゃないか』と積極的に誰も好きな格好が自由に出来るようメッセージを打ち出している会社ならともかく
そーじゃねーんだよな、"面接の時だけ" わざわざそういう子を選んでる
で、一貫して見目が良い子だけとってりゃキャバ嬢とか雇用しているみたいなノリの会社なのかと思うけど、
逆に一般の会社でも見ないような無頓着な人も大物()とかやって採るそうな
きっっっっっっしょ
この文章は、セクハラ行為を批判し、根絶するために記しています。
昨今の日本の実写映画業界では、監督・プロデューサー・男優たちによる性的加害行為・物理的暴力行為・ハラスメント等が露見・報道されることが続いていますが、そんな中で新たな動きがありました。映画評論家である町山智浩が、自身の行なった『とされる』セクハラ行為について、Twitter上で『反省』または『謝罪』らしきものを表明したのです。
態々『とされる』・『反省』・『謝罪』と二重カギ括弧で囲んで書いたのには、もちろん理由が有ります。町山智浩は、件のセクハラ行為について「話を盛っていた。現実で行為に及んだわけではない」と釈明しているからです。
仮に百歩ゆずって「現実に行なった行為ではない」という釈明内容が本当であったとしても、町山智浩が後輩男性の元・配偶者(現在は既に離婚成立済み)のバストサイズという肉体的な特徴を公然とあげつらったこと、しかも、自分(町山智浩)は彼女の肉体を弄んだことがあるという内容を、笑いながら面白おかしく語ったことは事実です。そして、その町山智浩の語った行為そのものが、紛れもなくセクハラ行為です。
一般企業・地方自治体・教育機関などの職場においてセクハラ防止・根絶の研修を受けた経験が有る人ならば、私の言うことを容易に理解できるでしょう。あなたの会社で上司が「経理の○○君の奥さん、胸が大きくてさ。○○君が『揉んでいいですよ』て言うから、オレは揉ませてもらったよw」などと笑いながら話している場面を想像してみて下さい。如何に気持ち悪いか実感できるでしょう。こんな言動は、言っている内容が想像上のことであったとしても、セクハラ行為以外の何ものでもありません。後輩の配偶者に対して性的欲望を向けていることを、堂々と公言する気持ち悪さは、筆舌に尽くしがたいものがあります。
ちなみに言っておきますが、問題の町山智浩のセクハラ自慢話のインタビューが行われたのは、2011年のことです。昭和の話、20世紀の話ではありません。町山智浩のインタビューと同じ頃には既に「セクハラ行為は良くないことだ。止めるべき」という研修を受けていたという人も少なくなかったでしょう(私個人の体験で言えば、そのような研修を受けていました)。
セクハラ自慢話についての町山智浩の言い訳を読んだ時、私は「小山田圭吾が『雑誌QuickJapan上でイジメについて面白おかしく語ったのは、盛っていた。あれは事実ではない』と言い訳したのと瓜二つだな」と強く思いました。小山田圭吾と彼のファンや関係者も、東京五輪という機会によって国際社会にイジメ自慢話が知れ渡り、サブカル系業界人という威光が通用しない場で批判に曝されて初めて、謝罪を述べたのです。
町山智浩も同じです。木下ほうか、榊英雄、園子温etc.のニュースの影響で、マニアックな映画ファン・信者ではない人々も、日本の実写映画業界のスキャンダル関連情報に注目するようになり、このため町山智浩のセクハラ自慢話のインタビューも多くの一般人が知るところとなりました。そういった一般人にはサブカル系業界人としての威光も通用しないので、町山智浩は仕方なく形式的に『反省』や『謝罪』を述べたのに過ぎません。『映画秘宝』の読者やサブカルウォッチャー等にしか情報を知られていなかった状態が続いていたとしたら、これまでと同様に批判の声など無視していたであろうことは想像に難くありません。
支持者集団の内部にいる時には、自分が他人にした悪い行いを鼻高々に自慢していたのが、集団外部の一般社会にまで知れ渡ると、急に自慢を止めて「語ったことは事実ではない。誤解を招いた」と釈明して取り繕おうとする行動様式は、自民党や維新の会などの政治家たちの専売特許かと思っていましたが、町山智浩らサブカル系業界人たちも見倣っているようですね。
それにしても、町山智浩のTwitter上で述べた『反省と謝罪』を読んで、ほとほと呆れたのは「『後輩男性』たちには謝罪しました」と書いていたことです。謝罪ならば、町山智浩が「性的欲望を向けた相手」である「セクハラの被害者となった女性」が先に来るべきでしょう。この期に及んでも町山智浩は、ホモソーシャル的で男尊女卑的なサブカル系ムラ社会の序列を優先して、セクハラ行為の被害者を軽視するつもりなのでしょうか。救いようのない愚かさです。
なお、園子温のスキャンダルが表面化した途端に町山智浩は「自分(町山智浩)は、2006年以降、園子温とは会っていない」と、2006年以降も交流が有ったのにも関わらず、いけしゃあしゃあと嘘をつきました。そんな嘘つきの町山智浩が「セクハラ行為は実行していません」と言い訳したとしても、どれほどの人が信用するでしょうか。
たぶん、次に町山智浩は「自分が批判されるのは当然だが、話を持ち出されると被害者が傷つくので、これ以上、同じ話を持ち出すのは止めろ」と、加害者であるにも関わらず「自分(町山智浩)は被害者の心情に寄り添っている」とアピールする作戦をとるのではないでしょうか。
今回は以上です。
でもはてなブログでAVレビューとかエロ漫画とかえろげーのレビューやってる人いない?いそうじゃない?いないのか?ほんとに???
仕方がないから増田で聞くけど、一般向け漫画に出てくるスケベなキャラクターを教えてほしい。たとえばドラゴンボールの亀仙人、らんま1/2の八宝斎、ゴールデンカムイのチンポ先生など。
そりゃそいつらの叩いてる「君を守るおじさん」と、君の言ってる素朴な交際相手への言葉のあやでのセリフは全く別物だからな
正直まだ才能として自慢できるほどの物じゃないが、明らかに昔よりは伸びやすくなった。
なんだろう……ブコメに書き込む人間の価値観を理解した上で、そこから手慣れで打つ言葉から少し離れた物を書けるようになったのが結果につながっているのだろうか。
知能が高くなったとしてやることが増田なのか?
俺は100文字じゃなくて500文字や1000文字で文章を書くほうが好きらしい。
はてブが合わなくなったのは、俺が言いたいことを言うにはコメント欄が狭すぎたからなのか?
これは割りと正解に近づいている気がする。
どちらかというと100文字に収められる内容で議論ごっこをしようとした結果として起こる「早すぎる一般化」や「無駄な主語の大きさ」「決めつけ口調」「論拠を述べない言い切り」「解像度を極端に下げた世界観」などが肌にあっていない感じがある。
ただ、そういった「100文字が上限の世界」に長く暮らしていくと段々と世界が単純化され最後には「敵か味方かの世界」に堕ちてしまうのは事実なんじゃなかろうか。
自分はそのヤンキーじみた極めて広がりのない世界観が好きじゃなくて、それに自分がなりたくもないしそうなっている人にも近寄りたくない……この仮説はだいぶ近いような……。
なんだろうな……そう考えると100文字制限のはてブって自分にとって最悪で、連ツイや長文が出来る他のSNSと比べて圧倒的に相性が悪い気がしてきた……。
それでもはてなを今まで使ってきたのは「言いたいことが長いならブログでまとめて投げあおうじゃねえか」な文化があった頃の名残を引きずっているとかなんだろうか。
互助会の跋扈と怪しいセミナーの誕生とかではてなブログは滅んでしまったが、アレとはてなブックマークは切ってはいけない関係だったんじゃないだろうか。
とりあえず互助会文化に対してもうちょっとまともな整備を出来なかったはてな運営が悪いってことで……いやどう考えても互助会が悪いな……いやそもそも100文字上限がデフォなのがやっぱ無理があって……
刑事事件が発生した場合の処理は、 一般に巡査などがやることになっているが、警察組織のボスは巡査ではなく、署長や警察幹部である。しかし今の延岡警察署では、その幹部が全く機能していない。 従って警察が動いているということが
失当である。また、刑事事件の処理は、公務員が、法律の規定をテクニカルに用いつつ処理するが、法律の規定を
機械的に運用しただけで正義を実現することはできないので、機械的なテクニックだけでなく、刑事訴訟法に規定されている
適正な処理になるのである。刑事事件について警察官だけに任せると間違ったことになるため、検察官には起訴裁量権が与えられている。しかし、ある市民が刑事事件を起こした
場合に対処に当たるのは警察官であり、警察官はたいてい、機械的に連行し取調室で調書を作り、検察に押送する場合には警察署の留置施設に一晩泊まらせるという
非常に妥当性のない処理をする。留置施設で一日我慢すれば検察にいくことになるが検察は一般に起訴する。
これらの経緯から我が国の警察検察裁判所は、最悪と言われている。なぜなら、法律に規定されたものについての適正な運用などするつもりがないからである。
別に性癖が一般だろうが、年齢がかさんでくると、最終的にはセックスすら面倒になる。
彼女をディズニーランドでもてなすようにセックスしろ。相手の喜ぶことが第一。自分が積極的に気持ちよくなるセックスしてる男とは、セックスが下手くそであることを意味する。
この件に関して世論は納得しており、「ドワンゴなら安心」という意見も散見されるが、私は喉に小骨が刺さったような感覚が抜けない。
大筋は私もいいと思っている。
・ドワンゴと「ゆっくり」の大元ネタである東方シリーズ作者のZUN氏はコミュニケーションを取っており、二次創作的な著作権の観点からはこの対応に問題はない。
・「『ゆっくり』関連用語の商標出願」は棄却されることが前提であり、その筋で有効な手段ではある。
・「実用上」どこかの企業なり個人が独占防止のために商標を持っておくことは確かに有効ではある。
「ゆっくり」は確かに東方シリーズの二次創作であり、ZUN氏の寛容さを前提にした文化ではある。
同様に、ドワンゴが提供するニコニコ動画を下地にした動画文化がなければ、「ゆっくり」はここまで発展しなかった。
しかし、「ゆっくり」動画を作り、視聴してきた数多のオタクたちも同時にいたからこそ、「ゆっくり」は育てられたのではないか?
「ゆっくり騒動」と比較して並べられるギコ猫や電車男のような2ちゃんねる発のコンテンツも、著作権に寛容な環境と、ユーザーが育て上げてきたものである。
いちユーザーの視点から見て、「ゆっくり」とは誰かが作り上げたものでなく、みんなで育て上げていったものであって、
誰かがその権利を持つことは、その権利の主張や使用料の発生がなくとも、私は頷けない。
https://kai-you.net/article/83717
ドワンゴは
「『ゆっくり茶番劇』は動画のジャンルやカテゴリー、動画の内容を示す表示として広く一般に使用されている文字列であるという認識であり、特定の企業や個人が独占すべき文字列ではない」
と説明しているが、「『ゆっくり』関連用語の商標出願」はしている。
これは単に矛盾している。
また、ドワンゴという企業体が存続できなくなった時の商標をどうするかについても説明されていない。
よって、ドワンゴの
「『ゆっくり』関連の文字列について、ドワンゴは将来にわたって一切の権利行使をしないことを約束する」
も、ドワンゴという企業体が吸収・合併・解散したのちに存続するかどうか、誰に権利が委譲されるのかという保証がない。
ギコ猫騒動の顛末として、2ちゃんねる運営であるひろゆき氏がギコ猫を始めとしたAAを商標出願しなかったように、今回もいちいち出願する必要はない。
なぜなら、「ゆっくり」にまつわるこのような騒動が実績として生まれた時点で、今後商標出願を通すこと、ひいては出すことも難しくなるはずだから。
「『ゆっくり』関連用語の商標出願」は棄却されることが前提であるものの、このデモンストレーションには実質的に意味がないと考える。
確かにドワンゴという企業はニコニコ動画という形で「ゆっくり」文化に貢献しているわけだが、その実は「営利企業」である。
ギコ猫騒動を通してタカラ、エイベックスなどといった営利企業の横暴に怒りを燃やしてきたにも関わらず、
「これまで文化に貢献してきたから」という理由で、今回はいち営利企業に全幅の信頼を寄せて商標権を任せよう、という思考は私には信じられない。
こんなやり方はいち企業の権威的なやり方にすぎない。オタクの文化は原理的に突き詰めてオタクたちの手に委ねられるべきだと考える。
なんなら、「ドワンゴが商標登録するなら、模倣犯は全部ドワンゴが倒してくれるからいいや」くらいに思ってるんじゃないか?と思う。
自分の手で戦えよ。