はてなキーワード: マンガとは
ゲーム市場の予想分析レポートを読むといいが、中期的な予想では、市場全体の成長は鈍化するものの、サブスクリプションに移行しつつ伸びていく。
しかし、既存のゲーム専用機市場は鈍化してくと言うのがだいたいの分析による予想で、そう言う市場はだんだんと収益性が落ちていく。
一方で、市場の安定的な成長拡大と高収益製を維持出来るのがIP商売なので、ソニーは高額で成熟したIPの買収に力を入れており、KADOKAWAなどのマンガアニメに限らず、音楽で原盤権を購入したり、映画会社の買収に名乗りを上げたりしている。
この辺りの事情はソニーの買収戦略について解説している記事があるから探して読んでみてくれ。例えばこれとか読めばだいぶ理解は進む
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC293TB0Z20C24A7000000/
十時社長は「ソニーが注力するエンタメ分野はマクロ経済の変動の影響を受けにくい」と話す。作品を中心としたM&A戦略は、外部環境の変化に影響されにくい収益構造につながる。十時社長は会見の場で自らに言い聞かせるように「環境変化への強靱(きょうじん)性を高めていく。真価が問われる局面に立つ」と語った。
https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2411/19/news149.html
フロムソフトウエアとは、アーマードコアで有名なゲーム会社だそうで、KADOKAWAの連結子会社なのだそう。
さらにゲームのパブリッシャーとしてはバンナムと組むことが多いそうで、そこも心配の種っぽい。既にソニーコンピュータエンタテインメントの資本が入ってるが
ただ、ソニーグループがIP買ってるのはプレステがもう長く無さそうってのがあるから、わざわざ金の卵を産むガチョウを締め付けたりしないんじゃねーかな。心配はわかる。
角川学芸出版とは、俳句や古典文学関係の書籍などを出版している出版社で、昔は独立した会社だったが、今は角川のブランドになっている模様。
特に、俳句などで文化的な役割が強いが、どう見ても儲かってるわけがない分野でありどうなっとんのやと言う事で心配しているっぽい。
ただ、既に俳句や短歌については角川文化財団と言う非営利団体に移っていいる模様。残っている部分はなかなかおもしろそうな本を出しているし大丈夫じゃねーかなって思った。心配はわかる。
N高とは、角川グループが出資している角川ドワンゴ学園が運営する広域通信制の高校で、学校法人である。
ITを駆使した独自のカリキュラムが好評で、3万人を超える生徒数を誇り、中央大学並み。また出版芸術企業とIT企業が関わっているだけあってプログラミングなどの授業や芸術系の授業など多彩な課外授業も特徴。
ただ、実はN/S/R高校って授業料とか安い割に、既に独立してやっていけるだけの経営体力があるっぽいし(ソニーが切る事は考えにくい気がするけど)仮に繋がり切れてもやっていけるんじゃ。心配はわかる。
角川は当たり前だけれど出版社を祖業とするところで、特にエンターテイメントに強い。ライトノベルでは国内最強で、外国語に翻訳されるなど多数である。
ジャンプやマガジンといった王道系というより、ちょっとサブカル入ったカルチャーが強い。
ただ、単純に売上とうとうでみると、グループとしては既に純粋に出版の売上比率は低いが、稼いでいるIPはそもそも出版事業から育て上げたものが多いのでこのエコシステムを毀損するわけない気がするけど、心配はわかる。
KADOKAWAは色々なIPを創出していて、色々なところと付き合っているが、古くからはバンダイナムコグループと付き合いが深い。
ガンダムやアイマスと言ったバンナムのIPをKADOKAWAが売る事もあるし、ソードアートオンラインなどのコンテンツをゲームにしたりと、相互関係にある。
ただ、ソニーも日本のコンテンツ業界で長年商売している。外国での買収ならともかく、独占して潰すのではなく、制作委員会方式でIPを創出するやり方を変えるとは思えないけど、心配はわかる。
KADOKAWAにはBook☆Walkerという電子書籍ストアがあり、ソニーグループもReader Storeという電子書籍ストアを運営するブックリスタという会社がある。
どちらもわりと老舗で、色々な事をやっているのだが、ここが合併するのかと言う期待らしい。
実はこの2社、電子書籍ストアを運営する小売だけではなくて、電子書籍卸売り会社としても機能している会社で、合併するのは良さそうな気がするが
たぶん企業としての合併はねえんじゃねえかな。と言うのは、BookWalker社はKADOKAWAの完全子会社だが、ブックリスタは色々な会社の合弁企業で、電子書籍のインフラを提供する会社としての性質が強いから、直接特定の出版社の色が付くな嫌うんじゃないか。
ただ、BookWalkerかブックリスタの本棚連携とかは実現するかもしらねーなって思う。
まぁこれは確定的なんじゃないっすかね。ブランドは残ると思われるけど、わざわざ切り離して売るほどでもないし。
しらんけど
昨日コミティアがあってさ、友人は初参加で自分は10回目くらい。
友人は恥ずかしいのもあって特にSNSで宣伝もしてなかった。自分はもっとたくさんの人に見てもらいたいからSNSで何回も宣伝した。
自分はこんなにSNSで宣伝してやっと20部ちょっと。初参加なんて一部しか売れなかった。
フォロワーの数がすべてではないと思っているが、俺にはフォロワーが数千いて、その中でわざわざ買ってくれる人が20人ちょっと。SNSで宣伝して相互がお付き合いで買ってくれるみたいなこともあるので、作品の内容だけに惚れて買ってくれた人は片手くらいしかいない。5人いたらいいくらいだろう。
友人は現地で惚れてくれた人が10人もいた。それだけ素晴らしかったんだろう。
それと同時に自分は何だったんだろうと思うようになってしまった。
いつも試行錯誤して、勉強して、どうやったら売れるか考えても、何となく参加した友人に抜かれている。
友人のことをバカにしているわけじゃない。あいつは何百ページも書いていた。映画もたくさん見て、講座も受けて、批評までできちまう。
でも俺だって頑張って何本も短編を書いているけど売れる部数はいつもこのくらいだ。たくさんの講座や作品を見ているのにいつも売れる部数はだいだいこのくらいだ。出張マンガ編集部に行って悪いところを改善し、また改めて見てもらって伸ばしていっているはずなのに、売れる部数は変わらない。
何千、いやもう何百万となる絵を描いてきても友人には勝てなかったということだ。
俺の時間はいったい何だったんだろう。この何十年という積み重ねは、無意味だったのかなと思ってしまう。
俺の作品を買ってくれた方には申し訳ない。感想をくれた方にはもっと申し訳ない。こんなネガティブな感情になってしまって。買ってくれたのに。でも、こんな親友とまで思っていた友人があっさり抜かしてくると、何とも言えない。涙が出てくるんだ。だからこの日記を書いている。
友人に負けたとか思う自分も嫌だ。友人はすごいのに、自分には見えない努力をしていたんだろう。わかっているのに、それを妬んでいるのが嫌だ。
最近、4B運動という韓国発のフェミニズム運動が話題になっているが、その派生として『6B4T運動』があり、それには性的描写・ミソジニーへの反発を理由とする反オタクの要素が含まれている。
6B4T運動が日本を含む世界中に広まったら、オタク系のアニメ・マンガ・ゲーム・キャラクターやそれに関係するクリエイターへのバッシングが大々的に行われる事態が毎日のように起きるであろう。
バッシングにあった作品の非公開化・表現の修正のみならず、同人誌即売会などのオタクイベントの開催にも影響が出るかもしれない。
クリエイターは生成AIと同様のスタンスで6B4Tなどの反オタク運動に対する姿勢を明確にし対応すべきだ。特に萌え絵やその絵師(男女問わず)・制作企業はバッシングの標的にされやすいだろうから、何かあったら謝罪の有無問わず表現の意図の説明や反論できるように準備しておくべき。
表自の間で支持される傾向にある無視という有耶無耶な対応をしても、反オタク運動は加速し最終的に無視対応が無駄になり自身やオタク文化全体に悪影響を及ぼすであろう。
無視という対応ではなく、多くのクリエイターが無視ではなく見解を出すなどのアクションをとることによって、反オタク運動に立ち向かったり向き合ったりしたという証を残すことができる。
漫画のネームって実際は絵コンテとか下書きと呼ぶ方がふさわしいよなと常々思う
なぜネームと呼ぶんだ
とりあえずwikipedia見るか……
語源は英単語「name」の「指定する」と言う意味で、写植の書体やQ数を指定するために、台詞を事前に抜き出しておく必要があったところから。つまり、個々の台詞に対して書体やQ数の指定をする作業が本来の「ネーム」であり、そこから台詞そのものをネームと呼ぶようになり、ネーム作業の効率化のために事前に用意するようになったコマ割りしたものにラフな構図や台詞だけを描いたものまでもがネームと呼ばれるようになっていったのである。[要出典]
[要出典]か……
マンガの「ネーム」はいつから描くようになったのか? - Togetter [トゥギャッター]
先人のまとめがあった
1969年頃、「若草」で知り合った年上の漫画家志望者たち(担当さん付いてる)は、いつも編集部にネームを持って行ってました。当時の少女雑誌編集部はどこもそうだったかと。私は70年(中学生です)に別マ編集長に「次はネームで持ってきて」と言われました。
『石ノ森章太郎のマンガ家入門』(1965年)にもストーリーマンガを描く準備として、プロット→シノプシス→コンストラクションときて、コンテ(今でいうネームに相当)を作りましょうと書かれてますね。「物語の細部をかきこみ、コマわりまで完全にしましょう」「めんどうなようですが、この段どりが、もっとも重要なのです」
昔だとやっぱりコンテって呼ぶケースもあったんだな
用例として信頼できそうなのはここらへんか
本来のネームである「個々の台詞に対して書体やQ数の指定をする作業」は今もやっているのかな
詳しくない
死んだ概念かもしれない
複数人で分担するからこそ指定する必要があり、ひとりで作業が完結するならネーム(真)指定は必要ない
デザイナーとかが活躍する業界の仕事とか業務の流れを全くイメージできない 門外漢すぎる
生きている概念だとしてもネームとはもう呼ばないのかもしれないな
こういう「よく考えると何故そう呼んでいるかわけわからん名前」の語源を調べるの大好き
second(秒)とか なんで2ndが時間の単位やねん、みたいな
おわり 日記
好きな漫画は色々あるんだが、どうも最初から最後まで通して面白いと思った事がない
ハンターハンターなら選挙あたりから、あっ、ダレてきたな、と思い何となく自分の中でトーンダウンしてしまう
ゴールデンカムイなら白石奪還くらい、ワールドトリガーならアフト侵攻くらい、呪術なら渋谷で宿儺が暴れるとこくらい、薬屋のひとりごとなら錫でどーのこーのくらい
マンガやアニメ見てて、「あれ、このキャラ日本人じゃなくね?」って思ったことない?
金髪碧眼、鼻高くて彫り深い顔。おいおい、俺ら日本人が作ったはずの作品だよな?でも見た目はどう見ても欧米系。これ、どの作品でも結構ありがちなんだよな。
たとえばさ、ナルトとか進撃の巨人、BLEACH、ジョジョ、超人気作品だよね。でも、登場人物の見た目を冷静に見ると、これ日本人?ってなること多いよな。ナルトなんて忍者の話なのに金髪で青い目だぞ。進撃の巨人のミカサも「アジア系」設定なのに顔立ち欧米風すぎて笑えるわ。リアル日本人なら黒髪にアジアっぽい顔立ちでも十分カッコいいと思うんだけどさ。
で、気づいたんだけど、これ日本人だけじゃなく、海外の人も同じこと言ってんだよな。「なんで日本のアニメキャラは白人みたいなんだ?」って。それってもう、日本人自身が「白人らしい見た目=美しい」って無意識に思い込んでるんじゃね?
ここで一つ考えてみようぜ。なんで俺ら日本人、こんなに「白人っぽさ」に憧れるんだ?
戦後からずっとアメリカ文化に触れてきたってのがでかいと思う。映画、音楽、ファッション、全部が西洋風だったし、それが「オシャレ」とか「カッコいい」って刷り込まれてきたんだよな。
さらに、マンガやアニメも「欧米でウケること」を狙ってる節がある。結局、欧米市場で売れるためには、「彼らに親しみのある見た目」に寄せた方がウケがいい。だから、キャラデザインも必然的に白人っぽくなっちゃうんだろうな。
でもさ、これって日本人らしさを削ってまでやることか?俺らの文化を発信するはずのマンガやアニメが、結局は欧米の影響を受けた「白人っぽい作品」になっちゃったら、それもう日本の作品って言えるのかな。
俺らが求めてるのって、本当に「白人っぽいキャラ」だけなのかな?
たとえば黒髪で切れ長の目、ちょっと控えめな見た目でも、内面がめっちゃ熱いキャラとか出てきたら、それってすごく共感できると思うんだよな。だって、日本人としてのリアルな感覚に近いからさ。
それに、海外の人も意外とそういうキャラ好きだったりするんだよ。「日本らしいキャラ」に憧れる海外ファンも多いし、むしろそういうキャラを見たいと思ってる人もいるんじゃない?だから、もっと日本独自の美意識を取り入れたデザインが増えてもいいと思うんだよな。
最近は多様性が注目される時代だから、マンガやアニメのキャラクターももっといろんな見た目があっていいと思う。もちろん、白人っぽいキャラがいてもいいけど、そこに日本人らしいキャラや他の文化を反映したキャラが加わると、もっと魅力的になるんじゃないか?
結局のところ、日本のマンガやアニメって、日本人が作ってるからこその「特別さ」があるはずだよな。その特別さを活かして、日本人らしいキャラクターやストーリーをもっと大事にしていけば、世界中のファンも「これが日本の作品だ!」って感動してくれると思うんだよ。
どうだ、俺らもそういう未来を期待しようぜ!
気になったので調べた。
ワンダーフェスティバルの個人ディーラー数は前回で約2千、年2回だから年間4千ぐらい
コミックマーケットのサークル数 前回は約2万4千、年2回だから年間5万ぐらい
これで前者が作品事前提出して監修を受け後者がその習慣がないというのはどういうことなんだろうなあ。
ワンダーフェスティバルはアイテムひとつ当たりの単価が高いのと出展側一件当たりのアイテム数が少ないことによってなんとか監修が成立してるってことなのかな。「許可できないものの判断が迅速にできる」とかあるのかな。「このキャラクターがこのポーズでこの指の角度になるのはダメ」レベルでは監修しないとか。「xxの立体化は不可」とか「xxがyyしているところはダメ」とかもう一瞬でわかるみたいな。
コミックマーケットで辞書みたいなマンガ持ってこられて「当日版権お願いします」って言われてもチェック無理だろとか。
監修がないことによってコミケは当日朝まで本を作成できるしアホほどアイテム数のあるバッジ屋さんごっこみたいなサークルが成立できたりしているという文化的な違いもあるしなー。