はてなキーワード: 正当化とは
この人は多分将来子ども産むと思う。
今産まない選択をすることと、生涯産まない選択をすることと、もう産めない体になってからそのことを正当化することと、産まない理由の説明をされる方のバックボーンってまぁいろいろあると思う。
世の中BBAには厳しいから、それを実感するころに、旧に世の中が楽しくなくなって出産を選択する女性もものすごく多い。
別に考えが変わろうがなんだろうが、どうでもいいし、その時その時時で自分自体変わっていくものなので、別にとやかく言う話でもないと思うが。
まぁ、一つ上げるなら、至って普通の、ありきたりの、よく見かける内容でしかないなーというところ。
よくある話で、つまりは芯のない話。
少子化はまず1番最初にくるのが国民の政治責任の問題ということだよ?大きいもんの責任とは???学校行ったことない?人間社会初めて?
大原則の話をするけどね、「政策失敗の責任」は、国の統治権を持つ人、国について最終的な決定をする最高権力を有する人、つまり「国民」にある。
ガレソが拡散してたから読んだけど、全て他人のせいにして自己正当化してるだけのクソみたいな文章。黙って1人で生きてりゃいいのに、よっぽど生きることに引け目を感じてるんだろうなぁ。
誰だって産まなかった人生と産んだ人生とを比べようもないのにな。死ぬ瞬間に社会のせいにしないで後悔しないならとしか。空気読んで少子化になってるのはそうかもしれないが、実際子供作ってみるとこんなに楽しい事は無いんだけどな
これって酸っぱい葡萄(自己の能力の低さを正当化や擁護するために、対象を貶めたり、価値の無いものだと主張する負け惜しみ)であることを論理的に否定できないから黙るんだよね?わかるわ。ワイも酸葡萄食べてる
本当にいいと思ってるなら黙って堂々としてろよ
90年代から現代まで少子化対策について政府内でどういうふうに話し合っていたのか知っているのであれば、この論はありだけど、知らずにただただ言ってるだけならば、それこそ大きいもんの責任にして自分を正当化しているだけの話。
産まなくて良かった!
産んで良かった!
みたいに、自分の人生の選択を正当化するために、他人をバカするのが基本になってる気がしてる。
オタク女界隈で社会的にその表現がどうなのよ?という話になった時に「なんであれを受け入れるの?声をあげないの?」問題にぶち当たるわけなんですけどその描写にまつわる問題が理解出来ていないという訳でなく、私が脛にデケー傷を抱えてるからに他ならず「描写の社会的な正しくなさ」を発信する時に私はいつも「自分自身の社会的な正しくなさ」にのたうち回っているうちに発言するタイミングと言葉を見失っているからです。
どういうことだよって言うとつまり、私はニ次元的なフィクションにおいて「チャイルドマレスター的な想像」を好んでいるオタクなわけですよ。
「未成年の少年」のニ次元キャラクターをバリバリに性的に搾取しているんですね。見た目が大人っぽいから大丈夫でしょなんて言い訳効きません。私は彼らが未成年であるという設定から生まれる状況に興奮しますし彼らが未成年であるということは彼らを構成する大事な部分と私は捉えています。
あまつさえその年齢の彼らの性的なフィクションを制作しているのですからどう考えてもニ次元に対して私は性倒錯者で小児性愛者と言えるでしょう。その上私は自身がヘテロセクシャルの女性であるにも関わらず同性愛者のセックスを想像して創作する搾取者でもあります(もちろん私は私の空想の中では自分を彼らと同い年の少女だったり建物の壁だったりと想像しますがそれでも現実の私は一介の成人女性であることは変わりません)
この事実は私に社会的正しさを口にする瞬間のジレンマを発生させます。
私は私自身が楽しく創作物を楽しむ時に自身の正しくなさに積極的に目をつぶっていますから、創作物の正しく無さに言及する時にその自身の正しくなさとも向き合わなければいけないし向き合っても正当化できるところなど1ミリも無いわけでそうなるとそんな創作物を愛好するのやめなよというとこにしか答えはなくなってしまうわけです。
罪のない者だけが石を投げなさいと別に誰に言われた訳でもないのに頭の中でそんな声がしたような気がします。
子供に対する性暴力、同性愛者に対する差別、トランスジェンダリズムへの無理解そういったものはあってはならないものと考えていますし現実ではそういった自体が発生すれば改善しろと働きかけていくべきと考えています(現に署名などは行っています)(しかし書きながらこの文面の言い訳めいた様本当に醜いなと我ながら引いた)
しかしこと二次元、漫画や小説のフィクションの中になると私は自身の暴力性を隠せないようなものを愛好し楽しむのです。そしてその描写の正しくなさを理解はしているので喜びと同時にこれは大丈夫なのだろうかと不安も抱えているのです。
時折ジョジョ4部における吉良吉影の人を殺さずにはいられないが静かに暮らしたいという自分勝手さに同調しそうになります。
私は彼を悪辣な人物だとよく理解しているし唾棄すべき人物だとは思いますが彼の望んでいるものは今私が望んでいるものなのかもしれないと。
まあその辺結局自分の中で乗り越え解決すべきところが見つからぬまま今を生きているのです。
しかし人間という生き物これでいいやと思って悩むのをやめてしまうのが1番正しくない生き方だと思うので変わっていく社会と社会的正しさの中で悩み正しさを模索して生きることだけが正しくない生き物である私の唯一の正しさであると信じて生きていくしかないのでしょう。
※どうでもいいような良くないようなそもそもこの文面を書こうと思った元々の話というか、今月プライド月間があってBLに関わる人は声あげてみたいな話が流れてくるのを見て、BLを愛好するヘテロセクシャル女性である私が「同性愛者もすべからく法律によって結婚が出来るようになった方がいい」を主張するまでは良いことだと考えるのですが「私はあなた達を理解し同調し連帯します」まで寄っていくとどう感じられるものなのかということはずっと悩んでいて「そうしてほしい」と望む当事者もいれば「寄ってくんなセクハラだぞ」と思う当事者もいるでしょうBLを愛好するヘテロ女性に対して嫌悪感抱く当事者はいて当然でしょうしそういった方から見ればもし自分がそういった理解者然とした態度をとる姿は家出女児に「危ないねウチくる?」ていう児童に性的悪戯を加えようとする輩のように見えているのでは無いかとずっと考えているのです。私は私の持つ私には分からない暴力性が怖い。
うわ出たよ、
他国の生産性を理解したこともないのにスラムツーリズム的な流れるような他国ディスwウエメセの日本全肯定日本正当化教w日本ナルシズムw
日本にしか四季がないんだっけ?親切で?日本に差別はなくて?(アイヌはもう日本からいなくなったし、在特会は不正団体!)軍隊はアジア解放のために戦い日本軍はアジア諸国から感謝されてるんだっけ?
キツすぎる
ワイへの返答として間違ってませんか?日本人は「クレーマー気質」ではありません。底辺にクレームをつけるつけないの点でもありません
クレームの量だけならなんなら少ないでしょう
ワイが言ってるのは、非合理的で感情過多なだけの「アホなクレームしかつけない」アホな民族という点です
底辺が賢くないといいますが、実際にその賢くない底辺とバカにする人たちと関わったことはあるのでしょうか?
格差のほとんどは、土地の豊かさや資源の豊かさに由来する争い(過去の負の歴史)からきています。
日本はめっちゃ資源に恵まれてるわけでもない傾斜のひどい微妙な島国で、船で行くのは面倒だし、胡椒や金がとれるわけでもないし、国民は小さくて力も弱いので労働力には向かないし占領するメリットもないので放置されてきただけです
彼氏のことが大好きで彼氏の元カノのことが大嫌いだから元カノのTwitter(削除済みも含む)もInstagram(3垢)もnoteもぜんぶ特定してきた。何のためかわからない。いつも胸のあたりが冷えるだけでいい気はしない。
彼女のはてなブログを見つけた。7年前元カノたちが付き合い始めたころの記事が残っていて「早く会って激しいエッチがしたいです」で締められていた。一応他の記事も読みはしたが、それを見たあとなんだか急に冷めてしまった。
見た目がかわいくて、仕事もできて、簡単に浮気できる程度にモテる彼女。
自分が元カノより優れているところなんて一つもなくて彼氏が自分と付き合う理由がわからないと思っていた。自分でわざわざ調べておいて本気で元カノとの差に落ち込んで、彼氏に何度もぶつけていた。彼氏はなだめて、少し怒って、不機嫌になる。「信用してないんだね」とよく言われた。信用って何、全部事実だよ。証拠はネトストでいくらでも集めてきた。恋人同士の「信用」がわからない自分は、不安の正当化に完璧で到底敵わない元カノが必要だった。
ただそれも崩れてしまった。どうやっても「激しいエッチがしたい」ブログを載せる元カノを神格化できなかった。余計なことを書いた元カノのせいで散々だ。ネトストする熱意はもうない。結局自分の手で美化された元カノ像が崩れてつまんねー女になったことが嫌なだけかもしれない。元カノに恋でもしていたんだろうか?残念ながら理想の彼女はいなくなってしまった。同時に元カノと付き合っていた当時の彼氏にも冷めてしまった。彼女の話をしているツイートや二人のリプを見ていても普通に若くて痛いカップルにしか見えなくなった。一々傷付いていたのはなんだったのだろう。
色々考えたところでネトストは暇つぶしだったわけで、新しいことを知る楽しさもそこから受けるショックもなければつまらないだけだ。もっと面白い恋愛がしたかったな。
オレは論理的で合理的だから「お気持ち」なんかに振り回されないぜ。
じゃあ当然ニヒリストなんですよね?って思う。
不快を避け快楽を得るための経済的に充実した生活を求めて金稼ぎのスキルを磨くだなんて、そんな「お気持ち」ベースの無駄な事はしませんよね?って。
死ぬ理由もないけど、生きる理由もないですよね?そこからどうやって「お気持ち」抜きで合理的な生き方をするんですか?
意味を問うのを止め、欲の炎を吹き消して悟りでも開いたら確かに合理的と言えなくもないかもしれない。
でもそんなんしてないっしょ。
社会に資本主義経済という舞台があるのは事実だけど、そこにコミットすべきだというのは規範の話。
「である」からといって一義的に「そうあるべき」という話にはならない。
社会を維持するのは大人の義務?なんで維持しなきゃならんの?「論理」だけで正当化するのは難しい。
個々の生存と幸福追求の場を守るため?なんで幸福なんか追求すんの?
生物は生存して種の保存をしていくものだから?優秀な子孫を残すべき?
確かに今までそうしてきたけど、これからもそうしていく「べき」という意見の正当性はどこから湧いた?
規範が無からポップする事はないし、理詰めで言えば存在しないものをあると言い張るなら、それは「論理的」な人が大嫌いな宗教ですよねって。
全ての規範の土台は快不快であって、土台が無ければ論理を積み上げていく事は出来ない。
論理的「だけ」で言ったら人間なんかいてもいなくてもどっちだっていいんで。
殴ったって盗んだって殺したって、不快が蔓延するという点を除けば何の問題もない。
ニヒリズムというと脊髄反射で厨二かよと思う人もいるけれど、自然科学が台頭して宗教が相対化されて以来、誰だって最低限心にニヒリズムの影くらいはあると思う。
自覚的であれ無自覚であれニヒリズムを土台(?)にして、そこから刹那主義や実存主義や消極的ニヒリズム、あるいは宗教(人権思想や生命の尊厳だって立派で有益な宗教ですよね)への回帰なんかを選び取ってる。
「お気持ち」に従ってね。
私は大い感情論者だし、生きるとは自分の納得を追い求める事だと信じて疑わない。
そのための近道をする道具として論理を使う事はあっても、どこまでいってもそれは道具で感情に先んじるものではないと思う。
人は理屈でカレーを好きになるのではなくまず先に好き嫌いがあって、そこから遡及的に論理的な分析が始まる。
カレーとはかくある理由で美味しく、あなたが嫌いなのはそれを理解していないからだ。
「本物」を食べれば分かる、とか山岡士郎みてーな事言う奴がホラ食え、ウマいだろ?と強要したらどれほどグロテスクか。
結局は感情論だよね、という話に対する極端な反論として「感情論がイイなら人殺しをしたいって感情もオマエは受け入れるんだよな?」
みたいな話はありがちだけど、それもまた論理や規範、道徳と言うよりは快不快の均衡の話だよねって思う。
殺したいと殺されたくないは等しく無意味で対等なので、まあ多数決的に殺されたくないが優先される。
大抵の人は殺したいより殺されたくないに天秤が傾くんで。
まあ私は別に殺したくても、実行したっていいと思うけどね。突っぱねられて終わりなんで。
その考えは尊重するけど、そこから出力された刃が自分に向けられたら当然抵抗する。
他者の考えを尊重する事と、それが自分の領域に入ってきた時に突っぱねる事は全く矛盾しないんで。対等であるが故の衝突。
アフリカで何万人が死んでますって情報を聞いてもほーんとしか思わんけど、目の前で人が死ぬ所みたら素朴にイヤな気持ちにはなるだろうと思う。
そこには単純な損得勘定で片付けられない道徳や規範について何かのヒントがあるかもしれないけど、何であれ突き詰めれば快不快の問題に収束する。
自然科学的な事実でなく規範を論じるなら、快不快からは逃れられない。
イヤ利他的な行いをする人間だっているだろ、人間快不快だけで動いてない、という反論もあるかもしれない。
主体的に他者へ奉仕するにしたって、その行いが自身の中で快楽を生む、あるいは少しのコストを払ってより大きな快楽を得られるからそうしてるんじゃないって思う。
それは別に偽善でもなんでもないけど、自身の快楽を求めるために働きかける先が自分が他人かの違いでしかないんじゃない。
規範について、例えば今は結果の平等より機会の平等の方が強めに支持されてる。
じゃあその機会の平等の実践として、等しく分け与えるべきか?持たざるものにより多くを再分配すべきか?
後者は甘え、世の中弱肉強食「であるべき」なんだから努力で補え、なんてのはネトウヨにありがちな言い草だと思う。
さりとて前者が「正答」だと決めたらその時点で宗教になってしまう。
元より答えなんてないんだから「合理的に考えて」、なんてカッコつけない方が良いと思う。
私はこっちだと思います、こうこうこういう論理的な理由もありますが、根っこの部分の判断としては私の心がそう囁くからです。
って言った方が誠実だと思う。
論理的に正答が導かれるのなら、道程は違えどちゃんと学べば全員が同じ結論に辿り着くはず。
でもそうはならないはず。
こういう話をすると文章読めない人が素朴な相対主義だ!拗らせ冷笑野郎だ!死ね!ってお門違いな説教をされるんですけど。
私自身はこの話を通じて所詮は「お気持ち」だよねとは言うが、それがダメだなんて一言も言ってない。
むしろそれに自覚的である事が誠実なんじゃない?的な放言をしてるんで。悪しからず。
悪いが誤読してると思う。
これめちゃめちゃ繰り返してる奴ら居るが、
明らかに描かれてる「尾行して、追い越す」描写をなんで見落とすのかわからん。
あと元増田で指摘されてる「ターゲットの尾行してたから同僚の不倫も目撃したんだろ」もスルーしてるし。
・ぶつかったあとでスマホが落ちて割れている。そんなに都合よくスマホが落ちるか。落ちてスマホが割れるか。落ちて割れなかったケースは省略されているとも取れるが、それなら主人公はしょっちゅう(ほとんど毎日のように)ぶつかり行為をやっているということになる。警察にも逮捕されずそんな行為がずっと続くものか。
主人公は「歩きスマホをしている女性」(=落ち度のある女性)のみを狙っており、本人的にぶつかり行為を自己正当化できる余地を残している。
相手が前を見ていないからだ、というのはレスバでも主張している。
割れたスマホは「(自分が悪い癖に)権利ばかり主張する女」の象徴であり、レスバ場面につながる。
・ぶつかって女性が落としたスマホを主人公が持っている。これは強盗でありぶつかりとは(漫画のテーマ的にも)意味が違うのではないか。
ここからずーっと「割れたスマホは女の象徴である」だけで終わる。
というかあのグニャグニャに歪んだ喋るスマホをなんで実際に持ち帰ったと思った???
・主人公が女性が落としたスマホをわざわざ拾って集めることに意味がない。ぶつかって落としたスマホをコレクションするという趣味があるようにも思えない。
・事件的にもぶつかりと強盗ではレベルが違う。なぜ警察沙汰にならないのか。舞台は都会であり、周りに人がまったくいないような田舎ではない。こんな犯罪を繰り返すのは難しいのではないか。
・そもそも落として割れたスマホを拾って逃げるようなシーンがない。そういうシーンが省略されているにしても、自分からぶつかっておいて逃げるような行為はぶつかりおじさんの行動原理とあっていないのではないか。
ここまで全部それ。
割れたスマホは主人公にとっての「女」で、スマホ落下から部屋に帰ってからのスマホとの会話は心象風景である。
・主人公は電車内では痴漢に間違われないように手をあげているような人間で、内心の善悪はともかくとして慎重な性格をしている。ぶつかりシーンが現実だとしたらやたらと大胆というかキャラが違わないか。
「痴漢に間違われないように手を上げている」は微妙なとこじゃないかな…
仮にそうだとしても、前述の通り男は「歩きスマホをしている女」のみにターゲットを定めており、
仮に抗議されてもお前が悪いと言えるようなエクスキューズを確保している。
やたら大胆、という評価には当たらないだろう。
(個人的には、主人公は「歩きスマホをしている女からぶつかられた」という自己正当化のためのストーリーを自分でも半ば信じているんじゃないかと思う。
自分の悪事を自分で引き受けることができないほど小心な人物ではないか。
根拠としては、父が死んだあと、暴言に対して明確な自責の表現がないこと。
むしろそこから逃げるように「これからは残業できます」とまるで軛から逃れたかのような物言いをしている。
慎重かといえば、職場で同僚を「あの女」と呼んだり、発作的に父に暴言をぶつけたり、残業の法規制を無視しようとしたりとあまりそうは思えない)
若いから色々気になるんだろうけど、年取りゃ「誰に何を言われても関係ない!これが"俺、私の生き方"」って防衛機制?(知らん)かなにかが働いて、惨めな自分を勝手に正当化していくから。安心しな。
とDVを何の臆面もなく正当化されると、そのうちああ俺が悪いんだから、我慢するしかないかと思うようになってきてる自分自身が怖い
人生半世紀弱生きてきたけど、当然の様に何の躊躇もなく人を蹴ったり殴ったりする人間に会ったのは妻だけだわ
多分頭おかしくなって来てるんだろうけど離婚しようとすると発狂して更に攻撃されるから怖い
躊躇無く顔や後頭部の打撃と、場合によっては包丁まで持ち出すか、俺には絶対無理だわ
DV振るっても絶対に謝らないし、その癖フェミ臭いネットの記事読んでは「これだから男は、女性は差別されている!」
一体どういう心理してるのか……
でも妻みたいな女は日本には腐る程いるんだろうな
本当に怒らなければならないことも時にはあるだろう。
しかし日常生活においては青筋を立てて怒らなければならないようなことは滅多にない。
もしどうしても怒りをあらわにしなければならないときがあるとしても、それは自分より強い相手に限りなさい。
自分より弱い人間、弱い立場の人間に対して激しい感情をぶつけてはならない。
もしあなたがそれをするなら、あなたは自分より弱いと思っている人間よりも弱い。
赤子のように感情をむき出しにするのは弱者の特権。強者はそれをする必要がない。
些細なことに怒りを感じてしまったときは自らの未熟を恥じて怒りを飲み込む努力をしなさい。
怒りを吐き出せなかったストレスはあなたを一時的に苛立たせるかもしれないが、
人目も気にせず怒り散らしたことをずっと後悔し続けるよりはるかに良い。
あなたは日常茶飯の事に怒りをあらわにしない人間でありなさい。
普通では到底かなわないような相手に立ち向かわなければならないときにだけ怒りなさい。
自らの稚拙な怒りを正当化するために理屈をこねるのはやめなさい。
つまらない人の言うことや態度のために腹を立てさせられるのならば、
私は平常心を失わないと常々肝に銘じておきなさい。
最近のネットでは、差別という言葉があまりにも使われすぎて、本当に問題視されるべき差別がどんなものなのか、どんどんあいまいになっているように見える。
差別というものを考えるときに重要な要素は、「代えが効くかどうか」だ。
簡単な例で言うなら、トイレが男女で分かれている場合、男性は女性用トイレに入ることは許されないが、男性用トイレを使用するという代替手段があるため、差別とは言えない。
同様に、通勤電車の車両が女性専用車両とそれ以外に分かれている場合も、(障害のない)男性が女性専用車両に入ることはできないが、それ以外の車両に入るという代替手段により、電車に乗って移動するというサービスは問題なく受けられるため、差別ではない。
(ただし、例えば女性専用電車のようなものが現れて、男女で到着時間に差が生じるようなことがあれば、これは男女で受けられるサービスに差異が生じることとなり、差別となる可能性が高い)
ところで、ゲームセンターをよく利用する人ならご存じのことと思うが、ゲームセンターやデパートなどにあるプリクラコーナーには入り口にたいていこんな警告文が書かれている。
つまり、女性が含まれるグループであればプリクラコーナーを利用することができるが、男性しかいない場合は利用できない。
プリクラで遊ぶというサービスを受けるための、代替手段はあるだろうか?
女性を呼ぶというのは、代替手段にはならない。それができる人は限られているし、できたとしてもすぐに呼べるわけではない。
男性も利用できるコーナーがあれば代替手段となりうるが、そのようなものは見たことがない。
つまり、男性のみのグループにとって、今プリクラコーナーを利用するための代替手段はなく、これは明確に差別となる。
しかし、SNSなどを見てみても、あまりこれを問題視している人は見られない。
おそらくプリクラに興味のない、または女性と一緒に遊ぶものと考えている男性が多いのと、女性が安全にプリクラを楽しむためには必要なことだと考えている人が多いためだろう。
だが、こういった影響範囲の小さな差別こそ、見逃すべきではないと思う。
なぜなら、これが「弱者を守るため」という名目で行われており、そのために多くの人に受け入れられているためだ。
近年は、「弱者を守るため」という名目で行われる差別は見逃され、差別としての扱いすら受けないことが一般になっているため、放置していると今後このような差別はどんどん増えていってもおかしくない。
TwitterなどのSNSを見ると、女性が多く使う場所に男性がいるだけでも気持ち悪いだの、犯罪者扱いだの、排除してほしいだの、そういった扱いをした書き込みが増えている。
これに反発すれば、「そういう場所に行きたいなんて、下心があるに違いない」と返されて、差別を正当化されるだけだ。
なぜなら、「弱者を守るため」に必要と判断された差別は正当化されているためだ。
言い方を変えれば、「弱者を守るため」という名目さえあれば、差別し放題な世の中になってしまっている。
更に悪いことに近年は自分はこれが嫌だ、傷つく、被害者だと主張したとき、主張した側が「弱者」であり、同情されるべき存在であれば、その主張が受け入れられてしまうことが多い。
逆に、「強者」の嫌だ、傷つく、という主張は受け入れられない。
有名な例だと、最近女性用のトイレに男性が入って利用していることが主にTwitterなどで大きく問題視されているが、
逆に男性用トイレに女性が入って利用する例は昔から多くあり、それを嫌がる人もかなり大勢いたのに、何年もまったく問題視されてこなかったという話がある。
(男性用トイレを利用して通報なり逮捕なりされた女性の例はついぞ聞いたことがない)
そして、「弱者」の主張をもとに行われる差別は正当化されてしまう。
系のイベントがあった。
んで、まあ応援してるコンテンツだからってオタク達が買ってたんだけど、メルカリ転売されてるのを見かけた。
Twitterに転売ヤーいるじゃーんwってスクショ上げたあと、一番高い金額提示してたアカウント見たらフォロワーだった。
好きなコンテンツで転売やるやついるんだ………ってショックもあったんだけど、なにより身近に転売やるやつ居たの初めてだったから、本人に転売してるか聞いてみた。
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フォロワーにリプ。無反応なのでブロ解
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DMが届く
本人いわく
「メルカリで高額転売を防いで、適切価格で取引されるように相場コントロールするために出品した」
「転売防ぎのための出品であって儲けるためではない」
という旨だった
正直話にならないなって感じた。
各店舗で片手で数えるくらいしか存在しないクリアファイルを、1000円超える価格で出して適正価格ですはギャグなのかな?
俺は転売防ぎのための正義の出品者だ!!って言うなら何故スクショ投稿後アカウント変更したの?
確かに400円くらいの利益なんだろうけど、利益は300円以下だから転売ではありません!って言われて絶句した。
その300円のラインは誰が決めたの?もしかして、自分で決めちゃった感じ???
自身を正当化する発言しか飛んでこなかったのでお互いの為に今後関わらないで下さいって言って終わったんだけども
ぶっちゃけTCGとかもまあ転売に限りなく近い形で儲けてる人間もいるから転売する奴らも人間だと思ってた。少なくとも話の通じるね
ただ実際話してみたら
自分の行為を正当化して、周りに迷惑かけながら小銭稼ぎしてる精神年齢1桁のニンゲンモドキ
そりゃ嫌われるよ