はてなキーワード: 教育とは
自民嫌い、維新大嫌い、立民も推したいけど推せないムーヴかましすぎ、国民も自民の補完勢力だし、公明はスキャンダルが少なくて政治家の教育がしっかりしているところだけは推せるが軽減税率と創価学会が嫌なので論外、共産はガバナンスがヤベェ、どこにも入れたくねぇ、って感じ
みたいなこと言うやつよくいるけど、いいかげんお前らの代表立てたら?
永久にヤダヤダ言ってるだけで満足?
同じく垂れ流してみる。
投票は大体行ってる
テレビはあまり見ない Youtubeもあまり見ない Xは時々見るがROM専
ゴリゴリのはてな村の村民なので、自民嫌い、維新大嫌い、立民も推したいけど推せないムーヴかましすぎ、国民も自民の補完勢力だし、公明はスキャンダルが少なくて政治家の教育がしっかりしているところだけは推せるが軽減税率と創価学会が嫌なので論外、共産はガバナンスがヤベェ、どこにも入れたくねぇ、って感じです。
政治については国民の平均より関心は高い方ですが、政治的な活動に参加したことはありませんし、真剣に考えるだけの一票の重みもないと思うので、選挙は行くものの割と毎回適当に投票してます。
前回は、うちわ会食騒動井戸県政の後継人(自民系?、おじいさん)と斎藤知事(維新系、若い人)で正直どちらも入れたくなかったのですが、迷った末に斎藤知事に投票した気がします。
公益通報潰しを一番問題視した。だから斎藤以外に入れようと思った。
稲村さんのことはよく知らないが、自民でも維新でもない有力な人が立候補してくれるなんて願ってもないことだと思った。清水何で立候補しとんねん。やめろや。
おねだりや、パワハラに関しては事実だとしたら悪いことだとは思うが、正直、同程度のパワハラ野郎なんて組織の上の方に立つ奴なら履いて捨てるほどいるレベルではないのか?と思った。
「自分で調べた結果、齊藤知事に投票した!」と誇らしげに言う知り合いが何人かいた。
斎藤支持者は、ストーリーが魅力的なので「全てはウソだったんです!真実はこうなんです!」と周りに広めるモチベーションがあるが、
稲村支持者は、支持をしていても、それを広めるモチベーションのある人は少なかったのではなかろうか。
私も家族以外誰とも選挙の話をせずに、淡々と投票したのみであった。
プライバシーを暴露されそうになったことを苦にして自殺、というストーリーが正しかったとしても、
それが即「パワハラはなかった」という証拠になるわけではない。
県民局長の自殺原因と、パワハラの有無は別問題として考えるべき。
でもあの音声データは衝撃的だったかも…マスコミがだんまりなところも含めて。
にしても故人って中傷しても罪に問われないのかな?、故人に対しては中傷し放題なんですね。
まさに死人に口なし。どんだけ辛くても死んだらあかんわ。
ありとあらゆるところに自分の顔載せすぎやねん!どんだけ自分の顔好きやねん?ナルシストすぎやろ!!!
兵庫県に住んでる限り、齊藤知事の顔写真からは絶対に逃れられへんようになってもたわ!!
シュッとしてて政治家の中ではやっぱり見てくれはええ方やと思うけどなぁ!!にしてもナルシストすぎるで。
全会一致ってよっぽどじゃないか?
県議会議員なんてたくさんいるのに、
自民も維新も立民も公明も共産も(いるのか知らんけど)全員不信任なんて、あり得る???
何で百条委員会終わってから選挙せーへんかったん??誰か知っとぉ~????
今の20代の男って物心ついた時から「隣の女体に性欲を向けるな」を相当徹底されて生きてきたわけでしょ
「性欲はリアル女性で発散したら犯罪で、ネット上などにあるコンテンツで発散するもの」って、性欲が湧き始めたころからそうやって綿密に教育されてるわけだ
でも彼女出来たらいきなり今まで犯罪扱いされていたもので性欲発散するのが当たり前の常識で、それをしないと相手にも失礼だよみたいなこと言われて
そんで「AVとか同人誌とかとは違うんだね」って感想を述べたら、「AVや同人誌がファンタジーと理解できてないジャッポスwww」みたいな声にさらされるわけだ
本当に今の若い男たちはかわいそうだよ
「フェミニズム(男/女=平等)」も、反権威主義的な「ネットde真実(マスコミ/匿名情報=平等)」も、
そのどちらも、社会を構成する市民が「民主主義下」で教育を受けて育ち「平等主義を内面化した人々」
だからこそ、発生する。平等主義(≒民主主義)の帰結である「反・格差(=金持ちを引きずり降ろせ!)」は、
簡単に「反・権威(=上から目線で正義を語るやつを引きずり降ろせ!)」に転化する。というより同じものだ。
より正確にいうならば、「〈反・格差〉を煽動する人間が〈権威〉になる社会」が民主主義(言論の自由がある社会)なのだ。
「反・格差」は絶対的に正しいが、「反・権威」は絶対的な誤りであるという風には、人間は都合よく切り替えられない。
人はそれを「ダブスタ(ダブルスタンダード)」と呼び、嫌悪する。
「共産国家(独裁政権)」と「秘密警察(監視と密告)」が絶対に切り離せないワンセットのように、
近頃、オールドメディアとネットにおける情報性について取り沙汰されている。
マスコミの偏向報道は事実として連綿と繰り広げられてきたわけだが、
では逆にネットで正しい情報が得られるかといえば、甚だ疑問だと思う。
例えばオールドメディアが受動的な情報発信であるのに対して、ネットであれば自分から能動的に情報を取得しにいくため、そこで真偽を見極められるという意見はあると思う。
だが、実際には検索エンジンにはアルゴリズムというものが存在し、検索にヒットしやすい情報とそうでない情報が存在する。
それこそ、このアルゴリズムを逆手にとれば、目立たせたい情報だけが検索されるようにすることもできるし、それらはお金を使って操作することもできる。
SNSや動画サービスに関しても同様で、おすすめ表示などはアルゴリズムによって決定されるし、情報を配信する側もよりPVが得られやすい情報に偏りやすい。
そうなると、正しい情報がPVが得られにくいものだった場合に、やはり埋もれてしまい探すことが難しくなってしまう。
ネットで「正しい情報」を得た、とおっしゃっている方々のどれくらいの割合が、この状況を知った上で情報を得ているのだろうか。
おそらくは、99%の人が、そこまで考えずに目に触れた情報だけを拾っているのではないかと思われる。
そうなれば、情報を広く集める上でのリテラシーが欠如している状態だと思う。
民主主義が正しく履行されるためには、下記のような条件が整っている必要がある。
有権者が正しい判断を下すためには、次の条件が整っている必要があります:
有権者が情報を正しく理解し評価する能力を持つことも重要です。
またリテラシーが欠如している状況が続けばどのような結果を招くかというと、このようになる。
これは、まさに今回の兵庫県知事選挙の結果だと言えると思う。
単純な例であれば、宝くじが当たらないと会社が潰れて首を吊る、みたいな人(所得が1億円以上なら1、そうでなければ0という効用関数)であれば、当選賞金1億円の宝くじを買うのは合理的。
・一発逆転を狙っている
の前者は不要で、後者だけで宝くじを買う合理的な理由になるし、後者が即負け組や愚か者だというわけではない。
とはいえ。
教育という収益率がクソ高い投資があるにもかかわらず宝くじを買うのは、教育の効果がクソ低い愚か者かノーチャンスの負け組かなのだろう。
大手企業のエリート社員なんて普通に地方支店のアルバイトやパートと関わるし
公務員のエリート集団は金持ちってわけじゃないから普通に同窓会が縦の旅行になる
高校になるとある程度は階層化されるけれど進学校とそれ以外ぐらいの階層で
大手企業創業者の富裕層貴族エリートグループにもなると縦の旅行はしないだろうが
そういうグループは昔から縦の旅行なんてしてないしする必要もない
の言葉そのまんまで底辺社会を体験しなくても数字で理解できればそれでいい
彼らは知的活動に専念する余り知的行動こそが美しく正義であるという宗教に取り憑かれているから
だから感情的・本能的な行動をする集団に対して知的であるように呼びかけるし、そうであってもらわないとリベラルそのものが成立しない
一家の大黒柱を父親が担い、一家の無賃労働すべてを母親が担うという役割分担で人口が増えた
→母親が夫の分だけじゃなく、成人した息子や娘の分の無賃家事労働を担った。また、住宅費生活費も大黒柱の父親が担い続けるケースが増えた
→息子や娘は生活能力がないまま稼ぎを全額お小遣いにして、イケメンや美少女などの推しにつぎ込んだ
→孫世代が消失し、App StoreやGoogle Playが潤った
こどおじ/こどおばは、家事労働を母親に頼り、生活コストを父親に頼り続けたから、育休を取らないし高い給料も求めないという、格安で使い勝手の良い労働者として資本家層・株主層に好まれた。
子持ちが住宅・車・教育費等を使うのに比べて、独身者の娯楽(イケメンや美少女のコンテンツやグッズ)は原価が比較にならないほど激安なので利益率が高いビジネスでもある。
資本家層が性的願望系のデジタルコンテンツを積極消費して資産形成をせず、育休も取らず高賃金も求めない便利労働者としてこどおじ/こどおばを回した結果、人口減少して円の価値が低下という流れなんじゃないだろうか。
デジタル異性コンテンツオタクのこどおじ/こどおばって、資本家にとって非常にお得な存在だろ。特に30%のプラットフォーム手数料を課すApp StoreやGoogle Play、中韓美少女ガチャゲーなどの外資にとってウハウハだ。
母親を家政婦にして父親をATMにして、ひたすらシリコンバレーと中国韓国に定期送金しながら、女叩き男叩き毒親叩きと被害者面だけを繰り返している本当にしょうもない生物。
インテリ層の良くない部分が出ているので、あえて名指しで批判する。
シロクマ先生の書き方は良くないです。今すぐに謝罪して記載を改めるべきです。どんな人間も馬鹿にされたことは敏感に感じ取ります。
もしも本当に、心の底から馬鹿にするつもりも嘲るつもりも無かったのであれば、全ての比喩表現を直接的な表現に改めて、その上でどのように受け取られる可能性があるか考えてみてください。
シロクマ先生の以下の記事は、齋藤知事のパワハラと全く同じです。
ビバ! デモクラシー!
https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20241119/1732024800
斎藤氏はパワハラ疑惑を巡る認識を問われると、「よい県政をしていきたいという中で業務上の指導や注意を厳しくしたことはあった。これがハラスメントに当たるかは第三者委員会などで審議されることになる」と語った。
小学生を含めて(個人的な感覚では、不満を表明できるのは小学三年生前後)、悪意には非常に敏感です。どのような言葉遣いであっても馬鹿にされたかどうかは瞬時に理解します。
「インターネットで民主主義が加速して良かったですね」という「良かったですね」という物言いは、対象を嘲る言い方です。自覚が無いのであれば今すぐに改めるべきです。
以下、具体的に指摘します。
「今回の選挙は、民主主義を正しく反映したと言えるのではないだろうか」という書き方ではいけなかったでしょうか。
なぜ、「民主主義が三度の飯より好きな人には」と、民主主義を好ましいと思う人を「三度の飯より好きな人"には"」という表現にして限定しましたか?
今回の選挙結果を、揶揄する意図が無いのであれば即刻改めるべき表現です。
他の支持者との一体感を体験しやすい仕組みのおかげで、「いいね」や「シェア」ぐらいでも推し活気分や選挙活動気分を味わえたりする。
「自分は、いいねやシェアボタンを押す行為は、選挙活動とは言えないと思う」と書き方ではいけなかったでしょうか?
なぜ、「推し活気分や選挙活動気分を味わえたり」という、自身で「参入する敷居がものすごく低い」と書いているにもかかわらず、「気分」や「味わえる」という表現にしましたか?
他人の選挙についての関わり方を見下すつもりが無いのであれば即刻改めるべき表現です。
SNSや動画にじかにコメントする、という方法もある。なにもコメントが秀逸である必要はない。凡庸なコメントでも、論理的に破綻したコメントでも、事実関係の怪しいコメントでも、別に構わない。支持する人への応援コメントでも、敵対者への批判や非難のコメントでも、数多く集まりさえすれば強力なコメントたり得る。どんなにしょうもないコメントでも、200も300も連なれば有意味だ。誰が言ったかや何を言ったかだけでなく、何人が言ったかも重要であることを、いまどきのネットユーザーが知らないわけがない。
「どんなコメントであっても、200も300も連なれば有意味になってしまう。論理的に破綻したコメントでも、事実関係の怪しいコメントでも、いまどきのネットユーザーにとっては、何人が言ったかが重要になってしまう。私はそれを好ましいとは思わない」と言う書き方ではいけませんか?
どのようなコメントであっても数が連なれば有意味になることが好ましくない、もしくは危険だと思うのであれば、そう表現すべきではありませんか?
なぜ、「事実関係の怪しいコメントでも、別に構わない」と許容したのにもかかわらず、「どんなにしょうもないコメントでも、200も300も連なれば有意味だ」として、自分と同じコメントをする人が200や300ある人たちを「しょうもない」と馬鹿にしたのですか?
他人のコメントの書き方を馬鹿にする意図が無いのであれば、即刻改めるべき表現です。
それらは従来型のマスメディアが機能した帰結でなく、双方向メディアとしてのインターネットが普及し、猛威をふるった結果として起こった。だからインターネットがテレビになったというのは不十分な表現で、テレビを超えた、いや、テレビ以外の何かとしてはびこるようになった、と表現すべきだったと思う。
「それらは従来型のマスメディアが機能した帰結では無く、双方向メディアとしてのインターネットが機能した結果として起こった。だからインターネットがテレビになったというのは不十分な表現で、テレビを超えた、いや、テレビ以外の何かとなった」という書き方ではいけませんか?
もしくは「双方向メディアとしてのインターネットは、従来型のマスメディアの機能とは異なり、より積極的に他人に干渉するようになった」というような書き方ではいけませんか?
従来型のマスメディアを超えることによるなにがしかに危機感を覚える、好ましく思えないのであれば、それを直接表現すべきではありませんか?
「猛威をふるった」や「はびこるようになった」という書き方に、従来型のマスメディアよりも双方向メディアとしてのインターネットを貶める意図が無いのであれば、即刻改めるべき表現です。
特にこの表現は顕著なので注記しますが、「ならばマスメディアが猛威をふるいはびこっていた従来よりも良くなったでは無いか」と返答されるとは、本当に思いませんでしたか?
その返答に対して「マスメディアの方が優れていた」以外の回答を持っていますか?もしも持っていないのであれば、それは双方向メディアとしてのインターネットを見下した表現です。
「投票率が上がり、選挙活動への参加が増えたことは良いことだ」と言う書き方ではいけませんか?
馬鹿にする意図が無いのであれば「良かったですね」という表現は即刻改めるべきです。
単独の文言では無く、前後の文脈から、この文章を読み取った相手が「投票や選挙活動への参加を馬鹿にされた」と受け取らないと、本当に信じていますか?
「なるほど、コイツはインターネットで情報収集したり、いいねで応援したり、コメントを書いたり、自分で考えて投票した俺を、子ども扱いしているんだな」と受け取られる可能性が無いと思っていますか?
真摯に相手の人格を尊重してなおその表現しか出てこないのであれば、おどけた調子の文章を書くのは止め、少なくとも真面目な話題ではビジネス文書のように書くべきだと思います。
インターネットも含めた諸々をとおして、投票所により多くの人が足を運んだこと、より多くの人が選挙活動に参加したことだ。それって民主主義にとって基本的で必要不可欠なことでしょう?
段落内のおそらく骨子の部分である、この部分はとても良い書き方をしているだけに残念でなりません。
民主主義はタテマエとしてずっと、全員参加を謳っていたし、少なくとも欧米ではだいたいうまくいっていた。 まれに、チョビ髭の伍長のような人物を輩出するとしても、だ。
その前段の、民主主義論に関する部分は私自身の主義主張とは異なるが、それは捉え方の違いだろうと思う。
(「"良い民意"が"悪い民意"に変わってしまうとしたら、民主主義は壊れるのがお似合いではないだろうか」というのは、どのように書き換えてもアリストクラティア(優秀者支配制)を意味すると思うが、そこは民主主義の捉え方の違いだろう)
「民主主義は、時としてヒトラーのような独裁者を生み出すとしても、全員参加が理念であった」という書き方ではいけませんか?
前段の主張も含めて、文脈からは「民主主義とは、建前としては全員参加だが、本音ではバカは参加しないものとして上手く回っていた。バカが参加して壊れるのは制度の限界だ」としか読み取れません。
それ以外の意図を持つ文章として文脈を構成しているのであれば、全面的に書き直すべきです。おちゃらけた書き方をしようとするあまり、文脈上そう受け取る人がいても非難できないと思います。これよりのちの文章を読む限りではこの読み方をして欲しいと想定するしかないです。
(また、ヒトラーの例えを出しておいて「マスメディアという制御弁が民主主義政体を安定させる効果があったのは、たぶんそうだろう」と書く意図は量りかねます。ナチ党の躍進にラジオが大きな役割を果たしたことには一定の了解があるはずです)
いまどきの民主主義の理念を作り上げた人というと、ロックやルソーやジェファーソンといった近世~近代の思想家を思い出す。ところが彼らが生きていた時、末端の大衆にまで選挙権が行き渡り、末端の大衆の選択までもが民意にフィードバックされる民主主義を想像するのは難しかったのではないか。たとえば、民主主義の始祖たちの眼中に、立花氏がバカと呼んだ人々はどこまで含まれていただろうか?
少なくとも、ジェファーソンの名前を出して合衆国独立宣言で最も有名な一節である "We hold these truths to be self-evident, that all men are created equal,"を無視するのは看過できません。
このall men (すべての人々)に、大衆(シロクマ先生の言うところの「末端の大衆」)が含まれていないと推測するのは侮辱でしょう。もしもよく知らないのであれば名前をあげるべきではありません。
トーマス・ジェファーソンが、いかにマスメディアに悩まされていたか("nothing can now be believed which is seen in a newspaper. truth itself becomes suspicious by being put into that polluted vehicle")を知らずとも、
ほんの少しでも興味があれば、ジョン・ロックが人はみな生まれながらにして公平であるが、そのままでは不都合なので、人の承認のもと政府を作るであるとか、ジャン=ジャック・ルソーが間接民主制すら否定していたことなど、見聞きしたことがあるはずです。
彼らが、貴族や選良市民のみを対象として考えていただろう、末端の大衆(シロクマ先生が想定するのが、教育を受けていない人、政治に詳しくない人だとすると、当時の農民や奴隷、犯罪者等)は考えていなかっただろうと想定して枕詞に使うのは、不適切です。
(その後の段落は、シロクマ先生の想像や思いが書かれているので、別に問題は無いと思います)
個別の選挙結果が未来の制度設計の材料になっていくのも、民主主義のいいところだ。亀のようにゆっくりと、しかし着実に。ただし、こうした民主主義のドタバタを、ほくそ笑みながら眺めている国もあるだろう。未来が明るいといいですね。
この段落でも、その前段の、民主主義論に関する部分は私自身の主義主張とは異なるが、シロクマ先生の考え方を述べている部分なので良いと思う。
ただし、文脈上「全員参加という民主主義の建前を維持したまま、インターネットが深く介在する場合には"悪い民意"を取り除き、"良い民意"を選び取れる制度設計を、末端の大衆ではない我々が行うべきである」としか読み取れませんが、そういう主張でないとすれば記載を改めるべきです。
(私はそれをアリストクラティア(優秀者支配制)だと思いますし、良くないものだと思いますが、主義主張の違いなのでそれについて表明することは良いことだと思います)
「ただし、制度設計が改善される前の現在の良くない状態を、他国が狙っているかもしれない。改めるべき点は早急に改めるべきだろう」と言う書き方ではいけませんか?
「ほくそ笑みながら眺めている国もあるだろう」というのは、陰謀論と何が違いますか?何を意図して記載したのでしょうか。
「未来が明るいといいですね。」というのは、皮肉では無く本心からそう思っているのだとすれば、記載を即刻改めるべきです。
また皮肉を書いたつもりであれば、誰を皮肉ったのでしょうか?今回の選挙に参加した誰を馬鹿にする意図をもって表現されましたか?
シロクマ先生の「インターネットで民主主義が加速して良かったですね」という記事は、全体としては皮肉めいた、兵庫県知事選挙の結果を受けての現行の民主主義制度への感想でしょう。
これを、面白おかしいものとして読む人がいることは否定しません。(私もホットエントリーにあがってきたので読みました)
パワハラをする側にとって、されたものが右往左往したり泣いたり病んだり職を辞するのを見て愉快だと思うのと同じだという指摘です。
齋藤知事は、「よい県政をしていきたいという中で業務上の指導や注意を厳しくした」と表現しています。
前知事時代のパワハラを問題視した人は、この「業務上の指導や注意」の「やり方」を問題視したはずです。性根や意図、背景では無く、手法に問題があったのだと認識しているはずです。
愛があろうが、心の底から相手のことを思っていようが、パワーハラスメントに該当すれば、それはやはりパワーハラスメントなのだというのが、これからの社会での共通認識で合って欲しいと、自分は思います。
その意味で、シロクマ先生の「インターネットで民主主義が加速して良かったですね」という記事は、インターネットを利用して投票先を決定した人をバカだと呼び、彼らを選挙から排除すべきである、そうしなければ民主主義は壊れる、利するのは他国だ、という記事になっています。
そういう意味で書いたつもりでないのであれば、そう読み取れるようにおちゃらけた書き方をするべきではありません。すぐに改めてください。
(バカだと呼んだのは立花氏であるとか、選挙から排除すべきとは書いていないという、言葉遊びをするべきではありません。本当にその意図が無いのであれば比喩や暗喩の使い方が致命的に間違っています)
もっと言えば、記事全体が記事中に貼られた立花氏と同じことを言っており、そこから一歩も外に出ていません。
制度設計で排除すべきでは無いかと暗に書いている分、また「ほくそ笑みながら眺めている国もあるだろう」と記載している分、なお悪いと考えます。それは選良主義や陰謀論と具体的に何が違いますか?
そして、バカや犬や猫と同じと言われた側とすれば、率直にそう表明する立花氏に好感を持ち、シロクマ先生に嫌悪感を持つと思います。率直さは美徳であり、当てこすりは悪癖です。
なぜならば、立花氏は返す刀で「バカじゃ無くなればいい、キミはいまバカじゃ無くなった、立派な選挙民になったんだよ!」と導くからです。
シロクマ先生が、「自分はマスメディアが一定正しいものだと思っている。それを大きく超える力をインターネットが持つと証明されてしまったようで怖い。こんな選挙結果になると思わなかった」と思うのであれば、そう表現してください。
投票に行った国民を「お前らにはどうせこうやって書けばわからないだろう」という書き方で馬鹿にするのは即刻止めてください。
その積み重ねが、インテリ層への嫌悪に繋がり、わかりやすく自分を肯定してくれる者への同調に繋がります。
よい県政になりさえすればパワハラが許されるわけでは無いのと同じで、民主主義の問題だと思う点や選挙への在り方を指摘するのに他者を馬鹿にして良いわけではありません。
別に何を面白がろうが自由だけど、二言目には自浄作用が無いだの、パワハラは現代にはそぐわないだの言っておいて、中身が正しけりゃ表現は些末な問題と言う立場をとるなよ。
読み取り方の問題じゃないし、皮肉だから何しても許されるとか無いの。そういう表現は、お前らがバカにしているネットde真実と1ミリも変わらねえよ。
兵庫県民、大学ホニャ回生(ひみつ♡)、応援政党無し、tiktokやってない(陰キャだから)、有権者になってから毎回選挙に行ってる(←誰も褒めてくれないけど偉すぎ)、の書く兵庫県知事選感想。
項目は4つ。トピック3つとまとめ1つ。
ネットもテレビもN国の立花代表を功労者として引き合いに出してるんだけど、ちょっとそれは違うと思う。このままでは兵庫県民と今回の知事選が誤解される。それは困るので、書いた。
※あくまでも「私」の「感想」。県民の総意だと思わないでください。
※全ての項目に「少なくとも私はそうだった」という但し書きをつけてください。
まずこれ。
テレビやネットでは、「N国立花が斎藤元知事を応援したから通った」とか「斎藤元知事は自陣営と、N国立花、実質二人分の選挙活動を行ったことになる」とか色々言われているが、これは本当に関係ない。少なくとも私にとっては。
↑
これしかないやろ。
あるいは
↑
これ。
私は運悪く、N国立花が斎藤元知事の応援をしながら選挙カーで爆走する-最高の瞬間-を目撃できなかった。爆走していたかどうかは知らない。
さらに、N国立花は何か動画とかツイートとかでも斎藤元知事を応援していたらしいけど、全く目に入ってこなかった(たまたま本当に全然見る機会がなかった)。唯一見たのは候補者ポスター。
こんな調子なので、N国立花代表のことは本当に印象に残っていない。
だから、斎藤元知事に一票を投じた人が、みんなN国立花を意識していたと思わないでほしい。あと、そういう報道をしないでほしい。せっかく自分で考えたのに、勝手に決めつけないでよ。
てか選挙候補者の看板がめっちゃ無駄になったの許せん。設置代は県民の税金から出てるんで本当に最悪。
てゆか、あーしがなんか良い感じに絵とか描いとくし、しばらく看板置きっぱで良いよ笑(陽気なギャルの物真似)
最初、「斎藤知事がパワハラした」と言う情報がまわってきた。そういう告発をした人がいたって報道を見た。
告発した人が本当にパワハラに苦しんでいたのか、斎藤元知事を陥れたかっただけなのかはわからない。それを明らかにするための場が設けられたような気がするが、結局は白黒はっきりつかないまま、情報が錯綜しまくった状態で選挙になった(いや結論出る前に選挙すなよ、と思う)。
斎藤元知事はパワハラ容疑者だけど、容疑が確定したわけではない。結論は出ていないし、人の証言しか証拠がなくて、データや物的証拠がないから根拠が弱い。
証言できる人は亡くなってしまったし、亡くなった人の他に、表立って被害を訴える人は誰もいなかった。皆がパワハラに悩まされていたのなら、署名活動とか集団訴訟とかがありそうなものだと思うが、そう言うのも全くないから(それが悪いってわけではない)、パワハラの根拠はどんどん薄れて行くような感じだった。
今になって、死んだ職員は実は不倫していたとか、自殺には他の理由があったとか、かと思えばそれは全部デマだとか、いやいやそれこそ真実だとか、情報が錯綜しまくっているが、そんなのは関係ない。
「斎藤元知事はパワハラをしたかも(根拠弱め)」という事実だけがあって、それは最初からずっと変わらない。
結論が出る前に選挙されて、こっちもどうしたら良いかわからず、困った。
パワハラと同時におねだり疑惑でも物議を醸していたけど、なめんな、前任者は車をおねだりしている疑惑が浮上していたんだぜ。兵庫県めちゃくちゃで草。
②で言った通り、斎藤元知事がパワハラ加害者と断定される前に選挙になったから、彼は「パワハラをしたかも(根拠弱め)」の人として出馬していた。
もしパワハラがあったんなら、そんな人に政治を担ってもらうのは嫌だし、他の人に票を入れよう。
もしパワハラがなかったんなら、実績もあるし、斎藤さんに票を入れよう。
↑
何がしたいの? 批判?
自分に票を入れてほしいなら、自分の政策に関する主張をすればいいのに、他の候補者は「斎藤元知事を県知事にするわけにはいかない」「あんな人は県知事には向いていないと思う」みたいなネガキャンを全面に出して選挙活動をしていた。
いや、あなたが県知事になったら県に何をしてくれるのか、その辺をもっとちゃんと教えて欲しかったんですけど……何してくれるか曖昧な人に票は入れられない。肝心な時に人の足を引っ張るような、誰でも言えるようなことを言っている人のことは信頼できない。
パワハラニュースが出た時点で斎藤元知事への支持はガクンと下がってるんだから、ほっとけばよかったのに。
他の人、悪口言ってる時間があるなら自己アピールに励んで欲しかった。ネガキャンって本当逆効果っスよね。
22人の現職市長が稲村元尼崎市長を応援したことに関しては、もう全く意味がわからない。
選挙中に、まだ白黒はっきりついてないトラブルに対して「斎藤元知事は県知事になる資格がない」だの何だの、結構なことを言って他の候補者側につくなんて。イメージダウンでしかない。
そんなわけで
・アピールポイントがよくわからない、斎藤元知事批判色の強い他候補
・なぜかいるN国立花代表(「私には票を入れないで!」という旨の主張をして斎藤元知事を応援している)
・他の人(印象ゼロ)
ネットではなんか色々な情報が飛び交っていたみたいだけど、私は一切見てない(見ないようにしてた)ので、あんまり影響を受けていない。
斎藤元知事批判じゃなくて、普通に公約の話で他の候補者が盛り上がっていたら、結果は変わっていたと思う。
④最終的に:何だったんだ今回の選挙
パワハラがあったのかなかったのか、百条委員会はどうしたとか、選挙やるより先に白黒はっきりした方が良かったんじゃねとか、N国立花代表はガチで何したかったんだとか、色々考える。
知事にパワハラ疑惑が浮上して、辞めさせられて、パワハラがあったのか確定しないまま選挙になって、知事が再選した。
この選挙にかかった全ての時間とお金が、本当に、無駄。ガチ無駄。県民はよくわかんないまま振り回されて、疲れた。
兵庫県民はプロパガンダに踊らされた、ネットの情報を鵜呑みにした、N国立花代表の後押しで斎藤元知事が再当選を果たした……云々……
↑
いやめちゃくちゃ言ってて草
有権者として真面目に考えたつもりで投票したのにな。親に向かって何だその憶測は。こんなこと言われたら本当にがっかりして、投票へのモチベが、下が、り……
てか20代の人間が1人投票行こうが行かまいが、選挙結果なんて変わりゃしないし、投票行ったら行ったでなんかテレビに文句言われるし最悪。
褒めてくれないとイヤッ! ふざけるな、お姫様だぞ、こっちは(投票に行くお姫様という意味)(お姫様自認のある異常成人)。
再選を果たした斎藤知事にはきちんと県政を行なっていただきたいと思うし、同時に、百条委員会には白黒はっきりつけていただきたいとも思う。
パワハラはあったのかなかったのか(あったならきちんと裁いてほしい、なかったなら関係者は信頼回復に尽力してほしい)、選挙前に大勢で斎藤知事を罷免したみたいになってるけどその辺ギスギスしないのか、県知事に関わらず、県政に関わる全ての人は、県民に対して誠実でいてもらいたいし……
あと、「自分はネットとかあんま見てないから情報操作の影響はあんまり受けてないと思う云々」と言ったけど、そんなわけないと思うので、多分私も何かしらの誰かの意見に影響されている部分があって、それに気づいてないだけなんでしょうね(真の自己決定など存在しない)。
播磨の姫君ワイを褒めてくださった方、ありがとう。匿名ダイアリー初めたばっかりでお返事の仕方がわからないので、ここでお返事いたします。堪忍ね。
あと証拠は出せないけどガチで20代学生です。老けた文章ですみません、ごめんあそばせ。
知恵袋と5ちゃんレベルの暴言が多くて涙が出てくるね。政治のプロでもない、ただの若者が書いたチラ裏文章にボロカス言える人すごい。
パワハラを許容しているわけがない。パワハラがあったとされる場面の前後の文脈が曖昧なまま、当事者でもないのに断定できないって話。
パワハラがあったのかなかったのか判断して結果報告してくれるはずの機関が結論を出す前に、選挙が始まっちゃったからダメなんよ。
「パワハラの有無は調査中です!」の現職知事が混ざってる、よくわかんない選挙になっちゃったんだって。
・斎藤知事→最近まで知事やってた人、政策とか実績とかのアピール多め(定番の選挙活動をしてた)
・他の候補者→知らない人、政策や実績のアピールよりもパワハラ批判を優先したため個人の印象が薄い
基本これ!!!
仮にN国立花代表がいなくても、私は斎藤知事に入れてたんじゃないかと思う。
だってパワハラがあったって決めるのは私じゃないし、それを決める機関から結論が出てこないんだし、とりあえず具体的なことを言ってる人に票を入れようと思うのはしょーがないんと違いますか?
→そんなことは言ってません。百条委員会から結論が出てないから、パワハラがあった、ともなかった、とも言えないの!!!!!!
→話が飛躍してる……なんでそんなこと言うの?
そもそもなんで調査中の段階で選挙してしまったんですか〜!!!
あったのかなかったのかハッキリしてから選挙になってたら、こんなに混乱することもなかったのに!! チクショ〜、プリンセスだぞこっちは!!
政治の話したら思想強いと思われる現代社会、ツイッターとかnoteとかを意識したエンジョイ系文体でカジュアルに選挙の感想を書いたら「文章が寒い」と言われて泣いた。
「──」についてはしょーがねーだろ、平成育ちはみんな罫線好きなんだから(クソデカ主語)
⑦さらに追伸 21日1時ごろ
ネットとテレビと、今更ながら色々調べてみた。情報は思ったより錯綜していて、これもうわかんねえな。
コメント? で「N国立花代表を意識していなくても、彼の流した噂やパフォーマンスの影響を下流で受けていた可能性がある」と言う旨の指摘を受けた。
N国立花代表の選挙活動を生で見ることはなかったけれど、彼がネットを使って「斎藤元知事のことを応援しよう」みたいなムーブメントを起こしていて、その雰囲気が兵庫県民に伝播したとして、私にもその余波はあったかもしれないが……もしそうだとしても、自覚がないから確かめようがない。怖くなってきたぜ。
ただ、私は今回の選挙に関連するネット上の話題にはほとんど触れないようにしていたことは念押しして言っておく。だからこそ取りこぼした情報は沢山あることも、言っておく。
斎藤元知事のことは信用していない。人柄なんてわかるわけない。私は彼に会ったことがないし、友達でも親戚でもない。手放しで彼を是とすることはできないし、悪人だと決めつけることもできない。
メディアが彼をバッシングしていたことについては、「ニュース番組、他にネタないんか?」とは思えど、知事に同情することはなかった。
でも、私以外の人、特に高齢の方は同情票があったかもしれない。YouTubeとか見て「真実()」を知っちゃったタイプの有権者は同情票多いと思う。自分の年代には、あんまりそう言う人はいなかった印象だけど。
N国立花代表が出てきたあたりで「は?」とは思った。なぜいる。
勝ち馬に乗って、後で「自分の応援があったから斎藤元知事は再当選した」ってフォロワーに言えるから? それとも何か妙な繋がりがあるから? あるいは、ただの冷やかし?
なんとなく、斎藤元知事が知事になってから学校が綺麗になったと言う話を兄弟から聞いていた。県の税収も上がったという、本人の政策アピールを信じた。だから票を入れた。
もしも、
もしくは
このどっちかが選挙前、選挙期間中に起きていたら、斎藤元知事以外の候補者に票を入れていた。でもそうはならなかったので、結果、斎藤元知事に票を入れた。消去法といってしまえば、そう。
斎藤元知事以外のことも、斎藤元知事と同じくらい信用していない。彼を糾弾する人は大勢いたが(22人の現役市長など)、彼らだってどんな人かわからないので、手放しで信用できないのは同じ。
県知事に相応しくない、と言って斎藤元知事を批判した人が、市長に相応しい人なのかもわからないわけだし。とにかく全員どんなやつかもわからないんだから、誰の味方にもなれない。
斎藤知事が無実だと決めつけて擁護するのは危険だと思うし、かと言って彼が悪人だと決めつけて罵ることもできない、とも思う。立場が近いわけでもないのに同情するのもよくわからないし。
知事選について誰かと話し合いをしたかったけど、大抵の場合、斎藤知事擁護派も斎藤知事許さない派も言葉が強くて、話すのにエネルギーを使う。中立気取ってる私みたいなイキリを集めて議論したいのに、どっちかに偏った言葉強めの人しか出てこないから会話にならない。
色んな情報が出てくるけど、どれも信用できない。
で調べてみると、擁護派とアンチが真っ向から対立する論を展開していて、全員自分の言ってる事の方が正しいと思っているから、どっちが本当のことを言っているのかわからない(「営業しています!」「閉業しています!」の例の画像)。
人間不信なるって。勘弁して。
とにかく本当に何も信用できない中での意味不明トンチキ選挙だった。オールドメディアが、SNSが、情報媒体が、とかではなく、マジのガチにどいつもこいつも信用できない。なんで全員擁護過激派か過激アンチかのどっちかなんだ。
私は斎藤知事を擁護することも批判することもできないまま一票を投じた。今は信用すべき第三者機関、百条委員会が結果を出すのを待っている。早く教えてほしい。結果次第では、また選挙になるし。あんまり県民の税金を無駄に使わないでほしいけど。
もう二度とこのタイプの選挙が起きないことを願う。面倒くさい。
何やっても、どっちかのサポーターを敵に回すことになるし。選挙ってそう言うもんなの? わかんないっす、プリンセスだぞ、こっちは。
褒められるためにやってるわけじゃないんで……参政権の行使なんで……
大事な権利だぞ、放棄するわけないだろ。これからも一票投じてきますよ。そうしろと教育されているぜ。
とりあえず今後も県政を注視しておく。
本当に20代学生なんだけど、なんか文章が(特に冒頭の「ひみつ♡」のキショさに言及されてる)20代っぽくないってめちゃくちゃ言われてて草。選挙どうこうじゃなく普通に最悪だが?
正直、若者と弱者を追い詰めすぎたのかもしれない。教育に力を入れていれば、ネットリテラシーを啓蒙していれば、子供の面倒を見る経済的余裕と時間的余裕を親に与えていれば、教師がホワイトな仕事であれば。「今の若者は大人しいから」「逃げ切れるから」という年寄りの思考が、闇バイトだの選挙だので最悪な形で返ってきた。自分達から見放しといて、将来国に貢献してもらおうなんて都合がよすぎる。よく考えれば当然の結果なのに、あまりにも馬鹿だった。
23歳で一人暮らししてる社会人2年目なんだけど、実家に置いてきた15歳の妹がいる。
妹は高1の代。だが中学卒業後に高校へは進学しなかったストレート中卒。
ほぼ毎日部屋に引きこもっていて、ゲーム・動画・インスタ・漫画に浸り、たまに大好きな地雷系のファッションやメイクをしたりしている。
彼女は小6頃から不登校気味で、中2からは完全に学校に行かなくなった。中2から中3にかけての登校日数は驚異の0日。
いじめに遭ったりとかは別になくて、本人曰く『モチベが無かったし担任が変わって迎えに来てもらえなくなったから』行かなくなったらしい。
私も似た感じだったけど無事社会人になれたので割と楽観的に見ていたのだが、
妹を取り巻く環境について考えた結果、もしかしてヤバいでは?と感じ始めた。
まず、うちの妹は、頑張れない・考えることが苦手・めちゃくちゃ繊細な子である。例をあげると、
・不登校中にこれで勉強してみてねと渡されたタブレットには一切触れないまま卒業
・自分が行きたい!と言ってチケットを取ったアイドルのライブのため遠征するのに、家を出る1時間前になっても全く準備が出来ていなかった
・外に出るときはマスク必須。外食は絶対に拒否。知らない人とは話せない。バスや電車などの公共交通機関は絶対NG
どこに行くにも車が必須で、大型商業施設や大学などのある市街地まではバスで2時間。
これだけでバイトや進学のハードルがグンと上がり、恐らく妹が外に出ない理由もこれがでかい。
そしてこれが一番、うちの親(母子家庭なので母親)が毒親であること。
つい先月も酔って暴れて警察沙汰になり、妹が児相に保護されました(が、当の妹は自分の部屋に帰りたいからと家に帰った)。
母は自身が中卒だからか勉学の重要性は全く認識していなくて、私も学業に関する話をされた記憶は全くない。妹に対してもそんなスタンス。
妹の父親から養育費は貰っているので、妹が欲しがるもの(ゲームやアニメのグッズや漫画や服など)は買い与える。
で、『こんだけ買い与えてやったんだからお前は私の機嫌を損ねるな!!』と定期的にヒステリーを起こす。そんな親です。
妹からも定期的に『お母さん暴れてるんだけど』『お母さんがまた男連れてきた』といったLINEが来る。その都度迎えに行きたいのですが、夜中の片道1時間半…。
私としては、妹にそろそろ現状のヤバさ、このままではそのヤバい母親と共倒れになることに気づいて貰いたいし教育の機会も得て欲しい。
ただ、妹としては、好きなものを買い揃えてもらった部屋でボーッと好きなことだけしている状態が心地よくて、母のヒステリーはたまにある厄災として耐えればよしという認識。
救いたいというと大仰な言い方だけど、絶対に現状のままではよくない未来しか見えないから、妹には変わってほしい。
まぁそういう話を妹ともした結果、『高校はちょっと興味あるかな』って感じだったので通信制高校のオープンキャンパスに連れて行く予定を立てた。
貧困家庭でも、ちゃんとやれば教育が受けられるような制度はたくさんあるんだけど
いや、当たり前じゃなくてね?
また、前提条件として、
だから、雑に「民間企業なら当然」とか「公務員だから当然」なんて言うのは似非なのか、少なくともきちんと社内・庁内のコンプライアンス関係の教育を受けた人は言わない。
はOKだが
とか、公務員はもちろん、一般企業でもよほどのワンマン企業でもありえないよ。
ただ、このような話をちゃんと理解して何が問題なのかを理解している人が少なすぎるし、説明できる人は選挙期間中は活動を自粛してしまったりで、理解されないままこんな雑な事態になってる気がする。
リストの中には、村上春樹『海辺のカフカ』、真島ヒロ『FAIRY TAIL』、ジョージ・R・R・マーティン『ゲーム・オブ・スローンズ』なども含まれ、ホラー作家のスティーブン・キングの著作にいたっては70冊近くが入っている。
日本でも東京都の「不健全図書」指定問題でも保守が推進、リベラルが反対というフロリダ州と同じ構図であったが、ここまで過激ではなかった。ただ指定された書籍をAmazonが自主規制対象とし、文字通りの禁書扱いとなってしまったことで表現の自由の観点から少し違った展開となっているのはご存知の通り。
ある国に、三匹の豚が住んでいた。その豚たちは、ただの豚ではなく、政治家だった。名前はそれぞれ、トント、ブタオ、ポポロ。彼らは選挙のたびに国民の前に現れ、立派なスローガンと約束を掲げては、票を集める名人だった。
トントは「経済発展を第一に!」と叫び、金の匂いがする政策ばかりを打ち出していた。彼の夢は、大企業が儲かる世界を作ることだった。選挙戦ではいつも、豪華なスーツと巧妙な演説で注目を集めた。
ブタオは「平等な社会を作る!」と主張していた。彼は、すべての国民に同じチャンスを与えることを約束し、社会福祉や教育の充実を訴えていた。彼の演説は情熱的で、貧困層や労働者階級に人気があった。
ポポロは「環境を守る!」と掲げ、再生可能エネルギーや自然保護を最優先にした政策を打ち出していた。彼の言葉には未来のビジョンがあり、特に若者たちの支持を集めていた。
選挙戦は激しさを増し、三匹の豚は国民の期待を一手に背負っていた。しかし、誰もが気づいていたことが一つあった。それは、どの豚も自分の政策を実現するためには、国の予算をどう使うかという問題に直面していたことだ。豚たちは、必要な資金をどこから引っ張ってくるのか、そこの詳細には一切触れようとしなかった。
トントは「経済を最優先し、企業を支援すれば、税収が増え、国民全体が豊かになる!」と言った。
ブタオは「平等な社会を作るためには、まず富の再分配が必要だ。そして、そのためには富裕層から税金をしっかり取る!」と語った。
ポポロは「環境を守り、未来を考える社会にするために、今すぐにでも脱炭素化を進め、持続可能なエネルギーを確保しよう!」と訴えた。
そして、投票が終わり、結果が発表された。驚くべきことに、三匹の豚は全員が当選した。
国民は喜んでいたが、三匹の豚たちの顔には満足の表情はなかった。彼らはそれぞれの立場で、自分の公約を守るためにどうするかを悩んでいた。
トントは経済成長を実現したいが、環境保護や社会福祉にお金を回す余裕はない。ブタオは平等を掲げながらも、大企業への課税強化が経済に悪影響を与えるかもしれないと心配していた。ポポロは環境問題に取り組みたいが、そのためには国の資源を大規模に動かさなければならず、他の政策が犠牲になりかねないと感じていた。
結局、三匹の豚は、それぞれが掲げた理想の政策を実現することができなかった。彼らの約束は次々と後回しにされ、時にはお互いの政策を否定し合うことになった。結局、国民の期待は裏切られ、豚たちは何も成し遂げることなく、次の選挙を迎えることになった。
そして、国民は次の選挙に向けてまた新たな豚を選び、豚たちは再び国民の期待を背負って選挙戦に臨むのだった。
だが、誰もが気づいていた。三匹の豚がどんなに立派なスローガンを掲げても、最終的にその政策が実現することはなかった。そして、その事実こそが、政治の世界の常であり、国民が学ばなければならない唯一の教訓であった。