はてなキーワード: フジとは
松ちゃんが自主的にメディアの仕事を休んでから10カ月、文春への訴訟取り下げというターニングポイントでTV復帰?という記事もちらほら、デスクの方やら、こたつの中からやら出てきて、色々好き勝手言われている。芸能人って大変☆
自主休業以前に出演していた主な番組から「復帰するとしたらどれからか」を予想してみた。しかし本当に売れっ子だったんだな。忘れてる番組もあるかもしれないがご容赦。
本増田はかつてダウンタウンが好きだった、そしてどんどん好きじゃなくなっていった増田である。
今回予想をつけてみた感想は「復帰できそうな番組もあるけど、それは番組自体が終わっても平気そう」 「中堅・若手で代替できそう」である。
年が明けたら休業2周り目になる。そして改変キャストはまぁ半年前には大枠は決まってるだろうと思うと。この年末年始~春まででTV番組からは姿を消すことも有り得るかもね。まぁお金は山ほど持ってるし、配信とか舞台復帰とか色々やれることはあるだろうし、まぁTV復帰するにしても「どんな顔で何を話すつもりなんだろう(呆)」という顔で見ることは許してほしい。
世界の「クレイジー」を見に行く旅人にフォーカスした旅番組。番組サイトでは松本の写真が使用されているしクレジットも残っている。制作サイドは復帰させたいんだろうなという感じ。個人的には、この番組はやらせで1×付いてることと、そもそもあまりMCとしての松ちゃんの適性がないと思ってたので制作サイドが松ちゃんにこだわってるのが意外。
貧困と犯罪、商業化と自然破壊といった社会的に複雑な背景があるテーマの時のコメントがとにかく95%は的外れ、かつ面白くないと思っていたのでちょっと不思議なのだが、まぁそういう主旨(番組の尺稼ぐためにはヤラセもするし、複雑な背景も雑に無神経に松ちゃんにまとめてもらえばキャッチーに加工できるっしょ!的な?)なら、早く復帰してほしいでしょうね制作サイドは。
非人道的な企画で炎上したり、考えさせられるドキュメンタリーとして面白い企画になったりと毀誉褒貶な番組。Webサイトはそもそもほとんど情報がないのだがメインビジュアルもタイトルもダウンタウンだし、今のところ損切り気配はサイトからは伝わってこないしプロデューサーが松本信者かつ割とアレなタイプの人なので復帰させたいと思ってそうではある。
番組自体はダウンタウン、特に松ちゃん不在でも普通に進行できている(むしろハマタ不在の方がこの番組は成立しにくそう)。もともと炎上番組なのでスポンサーダメージも少なそう。ただし番組における松ちゃんの役割は「頭おかしいスタッフの企画に常識人風のチャチャ入れする係」なので、色々グレーなものを背負ってしまった彼がその役割を厚顔に全うできる気はあんまりしない笑
増田はこの番組は見ていないので分からないのだが、番組自体はMCハマタがいれば特に問題なく進行してそう。タレントをずらっと並べてエピソードトーク&ハマタさんがたまに突っ込み入れるだけなので元々松ちゃんは「欠くべからざるパーツ」ではない。関西の局は「色々あった吉本芸人」に優しい気がするしシレっと復帰できるんちゃう?知らんけど。
と思って番組サイトを見たらクレジットが「ダウンタウン 浜田雅功」になってたのでちょっと笑った。
観測気球的なネット記事が一番最初にあがったのがナイトスクープだったのはすごく意外。そもそも新局長は増田の周囲にいるナイトスクープをこよなく愛する関西人たちからとても不評だった。増田は都民なのでいまいち分からないのだが、関西地方で生れ育ち東京で暮らしている人にとってMXTVで見るナイトスクープは一番故郷の風が感じられる番組で、松ちゃんは何かちゃうねんということらしい。増田も「ないわー」と思っていたが、松ちゃんが局長やりたがってたのを知ってたのと、まぁM-1の件があるから「局長やりたいねん」って言われたらABCは断れないよな~王様キャスティング~と思っていた。
ネットの反応をこたつからお届けするFLASHの記事が出てしまったことで、逆にABCは、ナイトスクープだけじゃなく年末のドル箱M-1についても『今後の松本の出演の可能性について「現時点では未定です」と回答(日刊スポーツ)』せざるを得なくなり、タイミング的にはもうとっくにM-1の審査員のオファーは終わってるだろうな…などと併せて想像すると、ちょっと物悲しい。
かれこれも20年ぐらい見なくなって久しいので分からないし、「まだ終わってなかったんだ」という驚きもあるが、日曜の深夜枠で続いていた。番組サイトを見たところ先週の企画が「東京23区まっちゃんの店完全制覇!現在空前のまっちゃん不足に陥っているガキの使いが「まっちゃん」と名の付く店を巡ってまっちゃんを補給する!」だったので笑った。ここでも観測気球企画を当ててきてたんだろうと思うとうすら寒いけどなぁ…。
ガキの使いは1980年代後半から続く老舗番組だし一時は日テレの年越しも任されていた番組なので、ここから復帰が一番順当だと思う。日曜の深夜枠なので目立たないし。逆にここ以外に出て来ないでくれると八方丸く収まる感じもある。
この番組は「タモリにおけるタモリ倶楽部のような番組を作りたい」という趣旨で企画された番組らしい。本家の方(タモリ倶楽部)が終わった中で、どこまで引っ張れるかというのはあるかもね。
「ワイドナショー、でまーす」とXでポストし、結局出なかったことでおなじみのワイドナショー。局にも迷惑かけただろうし、扱うテーマが芸能スキャンダルだったりなので、一番ない選択肢だろうなーと思いつつ番組サイトを見たらもう東野が一人で邪悪な表情を浮かべていた。番組説明も『東野幸治と豪華芸能人が送るワイドショー』となっている。
ちなみにフジテレビは、自主休業前のレギュラー番組「まつもtoなかい」 「人志松本の酒のツマミになる話」2つをいち早く看板を掛け変えて存続させている模様。ワイドナショー→東野、まつもtoなかい→中居、酒のツマミ→千鳥・かまいたち?って感じみたい。3番組ともハナから見てなかったから趨勢が全然分からん。
時期的には今、代わりの審査員を抑えられてなかったら難しいだろう。1席を空白にしておいて世評を見ながら、とかも有り得るかと思ったが、審査員は奇数と決めているようなので、まぁ難しいよね。ナイトスクープのこたつ記事の余波でなおさら難しい局面。
個人的には「芸人の後輩を女衒として使役していた人」は、若手芸人の芸をうんぬん判断できる立場なのか」という批判はしておきたい、パワハラになりやすい構図だから。
2024は松本不在で終わった。03飯塚が審査コメントのことで小さいボヤを起こしていたが(お前の好みで審査するな的な)その後特に延焼している様子がないので、このまま行けそう。上沼恵美子もお前の好み知らんわと炎上してたが、まぁM-1と比べると影響の小さい賞レースでもあるのが幸いしたか。
ただ、審査員に松本不在でも割と何とかなったという前例にもなってしまったか。個人的には、むしろキングオブコントの松ちゃんの選評はアウトオブデイト感あるなと思っていたのでこのまま無しで言ってほしいと願っている。
そもそも松ちゃん実はそんなにコント上手くないかもしれない(映画がコケたのも同じ脳というか…)。発想はあっても構築ができないというか。なのでキングオブコントの選評は的外れになる時がある。
自主休業のあおりを一番受けたのがこの番組なのではないか。24年2月の特番には博多大吉が急にブッキングされたという話もあった。後輩も大変だ。松本不在のチェアマンはバカリズム。
次回予定は不明。可能性があるとしたら来年1、2月あたりか?Wikipediaによると年2ペースだったものが2022年から年1ペースになっているので、制作コストなども大変なんだろうな感もちらほら感じられる。
個人的には、そもそもチェアマン自体が不要だなと思っているのだが、大喜利得意勢は3~40代の芸人に山ほどいるのでキャストを若返させるチャンスだと思う。ギャラがすごそうなチェアマン(おまけに回答も微滑りしてる)は損切りして、何かよー分からん秘密酒場みたいな金のかかるセットも辞めて、頻度を上げてほしい大喜利大好き増田です。
見たことないので分からん。新作は自主休業前から作られてないようなので、このまま新作無しでいくのかもしれないし、TV復帰が思うようにならないならこっちで復帰はあるかもね。
電波使用料が高いとかではなくてインフラ整備に金がかかりすぎる
Starlink契約したら月7000円でどこでもインターネットに繋がる時代なのに
離島まで電波運んで放送維持するとかコスト高すぎてやってられん
朝から晩まで穴を空けるわけにいかないから何かしらコンテンツで埋めないといけないけど
埋まるわけないから再放送だらけだけどそうすると誰も見ないからスポンサー付かないし悪循環
そのくせ視聴者が多いゴールデン枠に複数コンテンツ用意できなくて稼ぎ時に稼げない
ゴリゴリにターゲッティングされたコンテンツしか作らせて貰えない
広告代理店がスポンサー様から頂いたターゲットに合わせたコンテンツ作りしか許可してもらえなくて
しかもその企画書を映像会社に発注するだけでテレビ局は何も価値を生んでないし
想定した視聴率以上も以下も出ないので発展していく未来が全く見えない
映像会社もYoutubeの方が単価も良いし好きに作れるからテレビ側のコンテンツなんてあんまり作りたがらないし
ミヤネや辛坊が当たったせいでワイドショーの司会者が花形扱いだし
なんなら彼らが毒舌を吐きやすいためのネタしかワイドショーでは扱わない
当たり障りのない楽しいネタだと毒舌が活きてこないから少しぐらい怪しいネタでも叩けるネタを扱う
あれと同じことを斎藤でも松本でもやったし、次のネタを見つけたらみんな飛びつくと思う
予算もないし自由度も少ないからコンテンツの内容やワイドショーのネタなんて全然ファクトチェックしてない
しかもコメントもらいに行くときは台本決まってるからそれ以外のこと言われてもカットだし
最近はそういうのがSNSでバラされてるからそもそもコメント貰わない
専門家に先に意見を聞いて「何も問題無い」ってなったらそもそもワイドショーで叩けなくてお蔵入りになるだけなんだよね
まぁその順番が来たっていうだけ
Youtubeはテレビを叩いて「オールドメディアは嘘をついている!」って感じでPVを稼ぐ
陰謀論とかそういうの一切無くて、ただただ上記のような状況で何も考えずにやってるだけ
まぁそろそろ終わるだろうね、この業界
本当のオールタイムは選べなかったため平成に絞って俺もやる。テレビドラマは消えものでアーカイブされにくいジャンルで、時代をここ35年に絞ってみても網羅できないという問題はある。そのため、俺の観ていない重要作の話をどんどんしてほしい。1脚本家1作品に絞った。俺はテレビドラマは脚本家のものだと思っている。
トレンディドラマの代表作の1つにして、トレンディドラマの終末期の傑作。フジ「月9」枠の代表作でもある。「東京では誰もがラブストーリーの主人公になる」をキャッチコピーに掲げ、等身大の若者たちの姿を描き出した。2010年以降の坂元裕二の影響なども考えランクイン。
こちらもトレンディドラマの終末期の傑作であり、お世辞にも男前とは言えない武田鉄矢の叫びは、"トレンディ"の終わりを印象付けた。TBS『高校教師』でも、好きな野島作品に入れ替えてもらって構わない。90年代には確かに野島伸司の時代があった。
田村正和亡き今も、再放送され、パロディされ、やたら話題になる三谷幸喜のコメディ。ホームドラマや恋愛ドラマなど、会話による人間関係の機微などを守備範囲にしていたテレビドラマが、ストーリーのダイナミズムによる面白さにシフトしていったのは、アメリカのコメディから影響を受けた三谷幸喜の功績がある。個人的には『王様のレストラン』のほうが好み。
他のタイトルに合わせて脚本家をクレジットしたが、今作を選出したのは何といっても堤幸彦の出世作ということにすぎる。『ケイゾク』『池袋ウエストゲートパーク』につながる斬新な演出は一時代を築いた。「土曜グランド劇場」に旧ジャニーズの若手が主演していくのもこの頃からで、後の『透明人間』『ごくせん』『マイ☆ボス マイ☆ヒーロー』などにつながっていく。
「テレビドラマ」というフォーマットを映画館に拡張した功罪ある作品。テレビドラマのメディアミックスの先駆けといえ、映画館はこれ以降テレビ局製作の作品であふれることとなった。『踊る大捜査線 THE MOVIE』は未だに実写の日本映画の歴代興行収入1位に燦然と輝いている。今秋新作が公開された。
21世紀最初の朝ドラ。シリーズ化され、現在も再放送されている。『ちゅらさん』が描いた疑似家族によるホームドラマはその後も『すいか』『11人もいる!』『逃げ恥』『カルテット』と平成ドラマの1つのパターンとなった。岡田惠和の功績は膨大な作品数の作品を書いていることで、彼がいなければこの時代のテレビドラマシーンは空洞化していたかもしれない。
クドカンは物語自体の面白さに注目されがちだが、彼の功績は、若者たちがダラダラ話すという「日常ドラマ」を描いて見せたことにある。彼の脚本は、小ネタやギャグがストーリーに連結してゆく。木更津という周縁の田舎の共同体の風景がドラマになるということは革命的出来事だった。大きな物語を失った後のゼロ年代的転換。
遊川が成し得た功績は『女王の教室』の真夜(天海祐希)のような強い、誇張されたキャラクターによるドラマを成立させたこと。それは後の『家政婦のミタ』の大ヒットにもつながった。彼の過剰な演出は賛否が分かれるが、常に時代と向きあい続けるための一つの方法論なのかもしれない。
2000年代後半に停滞していた朝ドラの復権は間違いなくこのドラマからで、この作品がなければ『あまちゃん』ブームもその後の『ごちそうさん』や『あさが来た』『ひよっこ』などの良作、令和の『カムカムエブリバディ』のヒットも存在していなかったと過言しておきたい。そういう意味でハッシュタグなどでのTwitterなどの賑わいにも一役買っている。朝ドラの復権は同時にその後のNHKドラマの復権を意味していた。
TBSドラマの復権ということでいうと後述の『JIN-仁-』を挙げてもよいのだが、その後池井戸潤ドラマの隆盛という意味でも半沢直樹を。いうまでもなく『VIVANT』へと繋がる日曜劇場の系譜である。主演の堺雅人は『リーガル・ハイ』や『真田丸』という傑作でも存在感を示した。
本当は問答無用に最重要作として今作を挙げたかったのだけど、視聴率や知名度を考えて日和ってしまった。今作は『ちゅらさん』で描かれた疑似家族によるドラマ、『木更津キャッツアイ』で書かれた日常のやり取りのドラマを深化させた。そこに大島弓子的ファンタジーをブレンドさせ、ドラマが物語る対象を変えてしまった傑作。
90年代と10年代の坂元裕二を別人とするなら10選にねじ込んでしまいたい。10年代の坂元裕二作品は、テレビドラマが扱えるダイアローグのレベルを一段上へと引き上げた。10話における瑛太と風間俊介の会話は他に代わるもののない名シーンだと思う。現在のドラマシーンは、坂元裕二のフォロワーで溢れている。
これだけトレンディドラマの話をしているのに、鎌田敏夫の名を漏らしてしまい、それは平成以前になってしまうので、それ以降から一作挙げるなら『29歳のクリスマス』を強く推したい。元祖『9ボーダー』。取り巻く環境は変わっても、年齢を巡る憂いは不変のものなんだと。
坂元裕二と並び、この時代の天才をもう1人挙げるなら、野沢尚を挙げてしまおう。野沢の深いキャラクター造形はその後の作品に影響を与えた。彼が存在し続けたら、この選も変わっていただろう。またキムタクドラマも1本を挙げていないというのも偏っている。それだけこの時代の彼の存在は異常だったのだ。挙げるならこの作品を挙げたい。
あるいは今作か。トレンディドラマと2000年代の間には間違いなく北川悦吏子の時代があった。北川悦吏子は近作が色々言われることもあるが、それは(例えばミスチルがそうであるように)強烈に時代と寝た人物にだけ得られる特権だ。そのため、俺は何があっても今後北川悦吏子を擁護し続けていきたいと思う。
この10選からは確実に存在していた深夜ドラマの文脈がごっそりと抜け落ちている。『孤独のグルメ』や『おっさんずラブ』に繋がっていくような深夜ドラマの系譜。『時効警察』はシティーボーイズの放送作家三木聡の最高傑作である。近年では主演だったオダギリジョーが謎の力でそのパロディをNHKドラマ⇒映画化までさせているが、盛大にスベっている。
一部では「朝ドラ史上最高傑作」の呼び声もある今作。戦争もの・女の一代記としての朝ドラ。岸和田の街に生まれ、生きて、老いて、死んでいく強いヒロイン。渡辺あやは強烈な作家性を朝ドラにおいて発揮させ、それはこれ以降の朝ドラの指針が転換される契機にもなったのかもしれない。(だからこそ『純と愛』などが生まれてしまったとも言える)
坂元裕二、岡田惠和、宮藤官九郎、遊川和彦、木皿泉、渡辺あやらの作品を挙げておいて、森下佳子の名前を出さないわけにはいかない。構成力という点で彼女の右に出る者はいないのではないだろうか。森下佳子の手にかかれば、物語における伏線は人生の因果に映り、プロットは運命へと変貌する。TBSドラマの復権のきっかけとしても、今作を挙げておきたい。
野木亜紀子を10選から漏らしてしまったのは痛恨の極みであるが、令和の選が今後もし出来るなら1番に入る人であるのでご容赦いただきたい。社会的テーマをポップにテレビドラマの次元で取り扱い、ヒットさせてしまったのは見事。野木亜紀子はもともと原作ものの実写化の手腕に定評があったが、『アンナチュラル』『MIU』とオリジナル作品もヒットさせている。
https://x.com/88mamirin88/status/1851234181218779370?s=46
まず真偽の証拠が無いのに炎上した人間に対して第三者がコイツに昔イジメられてたって言えば元々叩かれてるから何しても良いと大衆は判断しているのが異常。
次に、仮に本当に同じ大学で接点があったとしても一方的に「イジメられてた」と発信すれば思考停止で擁護するの止めろよ。
イジメられてたって言うとおそらくXのアホどもは集団で囲んで暴行を加えられているを想像しているんだろうけど、そうとも限らないだろ。
例えばコイツが空気読まずグループ内で気まずい雰囲気にしてたからアナウンサーがそれを注意した事を根に持ってイジメられてたと誇張している可能性も考えられないか?
前者も後者も完全な妄想なのに何故かイジメられてたと言うと前者を想像して擁護する。
イジメられっ子営業で食ってたジャンポケ斉藤がクズ人間だった事でイジメられる人間は相応の人間性だというの学んだはずでは?
Twitter(X)でもいいけど、TLの雰囲気を悪くしたくないからとりあえずここに吐き出しておく。お披露目から二晩三晩経っても、脳内から感情が消えなくて生活に支障が出だしたので供養の意味も込めてる。割と感情のままに書き殴ったから乱筆乱文。
先に本旨を要約すると、私はポジティブな感情からネガティブな感情に変化し、今は少しずつ前向きになってきている。
雑な言い方をすると、呪術オタが雑考察してフジを腫れ物扱いして燃やしてんのがキツすぎ。作者よりも呪術オタの挙動がフジファンの傷を抉ってる。でもだんだん立ち直ってはきてるしついでにお願いがあるよ。ということ。
【↓↓↓↓↓以下約5,500字↓↓↓↓↓】
8/25の夜、配信でじゅじゅフェスを観ていて、最後に巻頭カラー絵のお披露目があった。人生の半分をフジファブリックにどっぷり浸かって生きた私は、ひと目でアルバム『CHRONICLE』を模していると気付いた。
結論から言うと、好きなバンドと好きな作品が思わぬ形でコラボしたことに驚きと歓喜が止まらなかった。
そのときの感情をTwitterの本垢(フジファブリックはじめ音楽と日常メインにつぶやく)に突発的に書きなぐって投稿した。ひと目見て気付いたこと、そして作者も私の好きなバンドのファンであることが伝わってきたことなど。
そして、呪術廻戦にハマってから作った、漫画アニメだけをつぶやいたり、ファンアートにいいねしたりするアカウントで、ファンたちの感想(じゅじゅフェス)を拾っていった。
そこで私はショックを受けた。呪術廻戦ファンの間でイラストに対して「正気を疑う」「倫理観ない」「不謹慎」「バンドのファンや遺族に失礼」などの言葉が並んでいたからだった。
さらにはひと目見て「犬がいる!かわいい!」と好意的に受け取っていたアカウント主すらも「オマージュ元を知って地獄に落とされた」という主旨の投稿をしていた。
このショックを言語化するのに時間がかかって、友達の力も借りながら受け止めて今に至る。
正直に言うと、これらの呪術廻戦ファンの声を受けて、私は ①悲しみ ②怒り を感じている。
そして今は、これらを踏まえて ③祈り に近い感情も浮かんでいる。
①悲しみ に関して
私の人生をかけて愛したバンドとアルバムの名を用いて作者にヘイトを向けている投稿が散見されること。
フジファブリックという文字、志村正彦の人生の結集といえるアルバム『CHRONICLE』の文字と、「吐きそう」「気持ち悪い」「正気を疑う」「地獄に落とされた」「倫理観おかしい」という強い批判、もとい軽蔑の言葉が並んでいること自体が悲しくて悲しくてたまらない。
彼らにはもっと前向きで明るい言葉が似合うのに。「変態的かつ普遍的な美しさ」「クセになるサウンド」「新境地」「世代を越えて愛される」など、フジファブリックを応援してきたファンやメディアは素敵な言葉を紡いできた。
作者に批判の言葉を向けさえすれ、誰かを不快にさせる行為や言動は行為者の一面に過ぎず、行為者そのものの価値観や人間性を否定するものではないと私は思う。
そして私は同時に五条悟オタでもあり、作中で亡くなったことに悲しんだ経験もある。
ちょうどその話が掲載されてから1年弱経とうとしていることも思い出し、その当時は私の落ち込んでいる様子を見かねた友達や同僚が励ましてくれた。一方で、デリカシーなく「死んじゃったねw」と心のヒビを直接割る言葉をかけてきた人にも遭遇した。
このようなことを、五条悟を愛する人なら、少なからず経験したのではないだろうか。
同じように、五条悟を愛するがあまり、フジファブリックファンの心に残る微かな傷を、その強い言葉でほじくり返しているかもしれないことは考えられないだろうか。
作者はこういうことも勘定に入れて、「諸々の意味を込めて」とあえて濁したコメントしたのではなかろうかと私は思う。
6年半も続く大作を描き上げるにあたって、これだけ出版業界の不況の中、掲載誌の売上を落とさぬよう、耐え難いプレッシャーや責任を感じながら物語を続けていく自身を、軸となるフロントマンを喪って再始動した経歴をもち、過酷なプレッシャーの中それでいて15年も走り続けたバンドと重ねたのかもしれない。
②怒り に関して
こっちのほうがショックの中に占める割合が大きい。
前述した強い軽蔑の言葉にフジファブリックを並べてほしくないという怒りは先立つ。
次に、メンバーのパーソナルな情報が、漫画のファンによる考察(という体裁の下衆の勘繰りと言いたいくらい)の道具として利用されたことに怒りを感じている。
ご存知の通り、志村正彦は2009年12月24日に29歳という若さで突然この世を去った。これは揺るぎない事実である。
しかし本来、生年月日と同じように命日も非常にデリケートな個人情報である。彼がミュージシャンとして世に出ることがなければ、近親者は知れども、世界中の誰もが知り得なかっただろう。
対して創作物の登場人物はどうだろうか。物語において読者は、登場人物の動きを第三者的に、いわば神視点で見守ることができる。キャラクター同士の内緒話だって筒抜けだ。そうした舞台上の人物たちと観客とはいわゆる“恋愛テクニック”のように「秘密の共有」ができる。この恋愛にも似た興奮を私たち読者は楽しんでいる節があると思っている。
フジファブリックはバンドという周縁はコンテンツだとしても、メンバーは実在の人物であるがために、当然プライバシーを尊重されるべきである。実際、ファンやインタビュアーはメンバーの私生活に関して踏み入ったり聞き出そうとしたりしない。
命日や享年というデリケートな情報を持ち出して、その事実を安易に繋げたうえに、尾鰭をつけてありもしないストーリーを勝手に繋げていく行為が、私には他人の家に土足で上がりこむ行為に見えてならない。
曲がりなりにもオタクなら、プライバシー情報とコンテンツたらしめるものを分けて考えてほしい。
例えば、2つの事実にA、B、C、Dの4つの共通点があるとして、AとBとを繋げば万人が心地よく終われるものを、いくら線で結べるからといって、CとDを繋いで、恣意的なストーリーを生み出されては、どちらの側も良い気持ちはしないだろう。
だから、「この位置に五条悟が配置されているから…」「バンドは存続しているから五条悟は死から復活する」など、死去の事実からの逃避や不確かな根拠を並べ立てられるのは、両者のファンとして理解に苦しむ。
Twitter(X)では常日頃からしょーもない話題が炎上しているが、よくある例として「これでは〇〇が可哀想」という構造をしているものがある。
こんな親に育てられて可哀想、こんな飼い主に育てられて可哀想、こんな環境に放り込まれるなんて可哀想…など枚挙に暇がない。
それと同列で、当人の感情を勝手に想像してバンドのファンや家族に対して「嫌がっている」「失礼だ」とレッテルを貼る行為はそれ自体が失礼に値するように思える。
私自身、人生の半分といえど他と比べるとまだまだファン歴は浅いものだと自覚しているが、
曲がりなりにも十数年応援してきた身としては、苦しみや悲しみを押してまで志村正彦の全てを提供してくださっている志村家と地元有志の皆様には感謝してもしきれない。どんなに苦しもうとも、それ以上に彼の生きた証を残したいという使命のもとご尽力くださっている姿を見れば、どんな形であれ、一人でも多くの人に彼の存在が知られることは彼らへの報いではなかろうかと私は考えている。
だからこそ、彼を取り巻く話題は明るいものであってほしいし、そうなるよう関係者もファンも努力している。
それを、「ファンではないけど」「バンドは存じ上げなかったけど」と枕詞を載せて外野から関係者ヅラして物申していることが腹立たしくて仕方ない。許可取り云々の話ではない。無知蒙昧を晒し、それがフジファブリック関係者に届くことこそ最大の無礼ではないのか。
あとイチャモンついでに、現体制の3人のメンバーを「残りのメンバー」って言ってるのは何なんだ。3人は残りものなんかじゃない。言葉尻を捉えるようだが、夫を亡くした妻を未亡人と呼ぶような気味悪さが残る。甚だ不快だ。
個人的に言い得て妙だと思ったのが、志村時代をリアルタイムで知っている先輩ファンの「ファンでもない奴らが騒いでいる」「不謹慎厨じゃねーか!」という発言だった。正直この発言のお陰で少し溜飲が下がった。
フジファブリックはメンバーも関係者もファンも優しい人ばかりだから、強い言葉に対して萎縮する(私もその内の一人)のではと思っていたが、ファンコミュニティで軽蔑ではない言葉で真っ当に怒りを表出できる人の存在に救われた。持つべきものは信頼の置ける先輩ファン。
もちろん、一連の話題にモヤモヤが抑えきれず、私が呆れた呪術廻戦オタクのように作者や作品への痛烈な批判を長文で述べた先輩ファンもいた。
奇しくもこれの執筆最中に更新され、何周も読んだが、確かに納得できる内容で、その視点も勿論いちファンとして持ち合わせている自分を認識できた。
あらゆる表現物すべてにおいて、意味や意図が付随する。それら全てを拾ったとして、特に何を取捨選択するか、とりわけ「何を言わないでおくか」も巷で話題の“教養”とやらに含まれるのではないだろうか(一つ留意しておきたいのが、表現の意図として無意識に語られるもの、特に特定の属性への偏見や差別に関しては無視してはならない)。
少し脱線するが、ネットで語られるような“教養”と“雑学”はしばしば混同されているように感じる。いたずらに知識量を増やし自己のための娯楽として完結するものではなく、悲劇の再来の抑止や自分自身や後進の未来と社会を豊かにするために、蓄えた知識の中から取捨選択し、それらを原動力として行動することを教養と私は呼びたい。
③祈り に関して
簡潔に言えば、こんな言いがかりやイチャモンをつけている暇があったら、問答無用にフジファブリックを聴いてください!ということ。
件の『CHRONICLE』でいえば、志村くんの犬(モジャっていいます)だけが正面を向いていて、それ以外の総くんダイちゃんかとをさんの犬は横を向いています。
対して、巻頭カラー絵は、五条悟と虎杖悠仁の犬が正面を向いています。
この背景には、『CHRONICLE』まで(厳密には志村Vo.時代最後のアルバム『MUSIC』まで)のフジファブリックは、明確に「リーダー志村正彦」という線引きがあって、いわばフジファブリックという物語の主人公をずっと務めてきた事実があります。
そしてリーダー亡き後、3人がパワーバランスを強化しながら調和させ、いわば三位一体の形でそれぞれが主人公になって物語を作っていきました。
これを踏まえて考えてみるとどうでしょう?
映画化も決定した懐玉・玉折編で主人公だった五条悟、そして本編で主人公の虎杖悠仁、両者は同格に物語の主人公であることが示唆されるでしょう。
さらに、アルバムがスウェーデンでメンバーが寝食を共にして制作されたこともあり、寮生活を送る4人とレコーディングに勤しむ4人の仲睦まじさを重ねることができます(詳しくはアルバム同梱のDVDにドキュメンタリー映像が収録されています)。
また、10thシングル及び3rdアルバム収録の「若者のすべて」が現在進行形で大ヒットしたこともあり、そこだけを世間一般に切り取られがちという煮え切らなさをファンは常々抱えています。「五条悟?イケメンだから人気なんでしょ?」にも通ずる消化不良です。
フジファンなら同意してくれるかもしれませんが、志村正彦は変態で捻くれていて一途でお茶目で繊細で孤独な男なんです。
暇つぶしに花屋の女性店員とデートする妄想をしたり(花屋の娘)、酒の力を借りないと甘えられなかったり(ロマネ)、海辺で泣いている女性をお嬢さんと呼ぶ気障ったらしさがあったり(NAGISAにて)、自分を獣に喩えて思いっきり飛び出す大胆さがあったり(モノノケハカランダ)、
それなのに、否定される事が怖かったり(バウムクーヘン)、大切な人を亡くして何年経っても忘れないと覚悟を決められるのに(黒服の人)、相手は自分のことをすぐに忘れてしまうと悩んだり(クロニクル)、そんな卑屈な考えをを誰かに否定してもらいたがったかと思えば(エイプリル)、君がいなくても元気でいられると強がるふりして泣いちゃったり(Bye Bye)、非常に魅力的な人物です。
そんな男の姿も、たった一人の大切な人に素直になれなくて、だけども本当はすごく寂しかった不器用な男の姿も、どこか似ている気がするんです。
ちなみに私の見解としては、志村正彦は相当なハジケリストです。
北欧の熊と太極拳使いの髭面の男性を戦わせたり(熊の惑星)、踊ろうぜと誘っておきながら黙れと言ったり(TAIFU)、走る足音がドラえもんやタラちゃんの比ではない異音だったり(銀河)、かなり尖ってます。
このハジケリズムは3人にも受け継がれ、サルバドール・ダリが発起人となってタコスパーティーをうやむやに開催したり(アンダルシア)、言い間違いから曲を生み出したり(東京)しています。
最後に、現体制の3人のメンバーは言わずもがな、たくさんの名曲を生み出し、私たちを慈しみ寄り添ってくれています。
ツアーラストや周年のホールでも、招待されたフェスのアリーナでも、地方の観客がすし詰めになるような小さいライブハウスでも、必ず「僕たちは誰かの居場所になりたい」「今フジファブリックでい続けられるのは皆さんのお陰」と伝えてくださってます。
Twitterにも書いたのですが、私の本心は、「どんな形であれメンバーが生み出した楽曲を愛してもらいたいし、バンドと共に豊かな人生を送ってほしい。生きていようが亡くなっていようが、その人が存在した事実、バンドの曲が生まれた事実、楽曲が様々な人の人生に関わった事実は消えないので、悲しみも抱えつつ前を向いて生きていく糧になってほしい」ということです。
フジファブリックのお陰で人生が豊かになって、呪術廻戦に生き様を教わったオタクの感想でした。
P.S.それっぽいキーワードを検索したら筆者を特定しやすいように書いたつもりです。もしそれっぽいな〜というアカウントを見つけたら、私事ですが現在就活中ですので、オススメのホワイト企業を教えてください✌️