はてなキーワード: プロットとは
志倉千代丸がいろいろ面白いことを書いてた。ジャニーズの中から誰を宛てるかについてはテレビ局にすら権限はないらしい
https://www.famitsu.com/news/amp/202305/18303061.php
彼とのメールのやり取りは楽しく、僕も必死に実写向きのプロット提案をするなど、協力できる全ての時間をそれだけに注いでいた。事件はとある日の、とあるメールの一文にあった。「キャスティングの件、主人公の岡部倫太郎役につきましては、ジャニーズでお願いします」そう。忘れもしない。こうして世界線はー
分岐した。
正直違う。理不尽だと最初は思った。ジャニーズには好きなタレントも多い。でも、作品との相性は別だ。悩みに悩んだ上で、僕が出した結論は「それでもやろう!」だった。ただしこちらから条件として、僕の中で唯一キャラクターの再現性が見えた「長瀬智也さんで」とお願いしたのだ。彼なら出来る。そう信じられたからだ。
結論を書く。
条件をクリアしたと思っていた僕が甘かった。「長瀬さんではダメ。それを決める権限については申し訳ないがこちらには無い」と。こうしてこの物語は終わる。
「それでは全て白紙でお願いします。勉強になりました。ありがとうございます。」
この一言で。
前情報は劇場でやってた特報のみ。そこから得た印象としては「岡田麿里が脚本監督やるらしい」ってことと「なんか陰鬱な感じのパッとしなさそうな謎映画だな」ってことだった。
なぜ見に行くことにしたのかと言えば、「岡田麿里の新作だから」だ。特段岡田麿里が好きなわけではないが、true tearsやとらドラ、あの花は面白かったし、花咲くいろは、凪あす、ここさけ等々なんだかんだ岡田麿里が絡む作品を見ていたので、とりあえずいってみるかという感じで行った。
で、結論から言うとこの映画は怪作だった。今年一番の怪作といえば『君たちはどう生きるか』だが、この作品も引けを取らないように思う。
以下その理由をのべる。
丁寧な作画でよく動く。思いのほかアクションシーンがたくさんあってどれもしっかり動いている。近年流行りのフォトリアルな背景ともよくマッチしていて美しい。めちゃくちゃ金かかってそう。
ちょっとネタバレになるが、つまりこれはたくさん伏線が張られていて後で回収されたり、作品世界における重要な真実(=設定)が後々になるまで隠されているタイプの物語ということだ。頭の弱い人だと序盤の地味なくだりで脱落する。
これぞ岡田節なのだろう。キショかったり、意味不明だったり、一周回って笑えてくる、関係性、セリフ、展開がこれでもかと突き付けられる。ぜひ高校生カップルにデートムービーとして見に行って欲しい。
これはつまりマーケティングの問題だと思うのだが、この映画を誰に向けて、どう売りたかったのかがよくわからない。
上で書いたようにこの映画はとてもお金がかかっている(ように見える)。その割には話が複雑でエンタメ性が低いためマスウケを狙っているようには思えない。
そしてオタクウケを狙っている感じでもない。キャラデザが地味でパッとしないので若い子の興味は引かないだろう。
また、ファミリーやカップルが見るような映画でもない。だってあの怒涛の岡田節なのだから。
実際、平日夜の回にいたのはくたびれたオジサンと自分の2人だけだった。
この映画が売れ線狙いのエンタメ作品じゃなかったとして、じゃあ何をテーマにしたどういうジャンルの映画にしたかったのかがわからない。
これも少しネタバレになるが、中盤から終盤にかけてプロットツイストが畳みかけてくるのでストーリーはわりと面白い。しかし世界観とキャラ設定が複雑で感情移入できない。
一応泣きどころのようなシーンも用意されているのだが、複雑な設定と岡田節がノイズとなって感情移入するのが難しい。
男と女。親と子。生きるとは何か。色んなテーマやメタファーがあるので考察するのは楽しいかもしれない。
でも単一の解釈が可能なほどの一貫したメッセージ性はないように感じた。逆に言えば人によって着目する点が変わりうるので色んな批評ができそう。
ChatGptに直接小説を考えさせるのは難しそうなので、まず小説内で起きる事件を考えてもらうことにした
『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』で、もしハリーが三年生の時に人狼に変身したルーピン教授に噛まれて人狼になってしまった場合、何が起きると思いますか。実際の小説の展開と異なる展開を10個挙げてください。
もしハリーが三年生の時に人狼に噛まれて人狼になってしまった場合、『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』の物語は大きく異なる展開を迎えるでしょう。以下に、その異なる展開を10個挙げてみましょう。
1.ハリーの秘密の保持: ハリーはルーピン教授から噛まれたことを秘密にし、仲間たちにも言えない状況になる。彼はアズカバンの囚人が逃げ出し、ホグワーツに迫る恐怖に立ち向かわなければならない。
2.ダンブルドアの厳格な監視: ホグワーツ校長ダンブルドアは、ハリーの状況を知っていると仮定し、彼を厳格に監視し、彼が人狼に変身しないように配慮する。ハリーの日常生活に大きな制約が課せられる。
3.ハリーの夜間の隔離: 満月の夜、ハリーは特別な部屋に隔離され、安全に変身を過ごす。この期間中、ハリーは魔法学習や友達との交流を制限される。
4.ハリーとルーピンの絆: ルーピン教授はハリーの状況を理解し、彼に人狼としての生活を教え、支えるようになる。ハリーとルーピンの絆は深まり、彼の人狼の姿を受け入れる大切な存在となる。
5.スネイプの複雑な感情: スネイプ教授はルーピン教授の秘密を知っており、その秘密を利用してハリーに圧力をかける。しかし、同時にスネイプはハリーを人狼に変えたルーピンへの複雑な感情を抱くことになる。
6.ハリーの戦闘力の向上: ハリーは人狼としての能力を発展させ、自衛のために闇の魔法と戦う術を習得する。彼は新たな力を手に入れ、ヴォルデモートに立ち向かう強い味方となる。
7.ホグワーツの安全: ハリーの人狼化によるリスクを考慮し、ホグワーツの安全策が強化される。厳格なセキュリティが導入され、生徒たちの安全が確保されるための措置が講じられる。
8.ハリーの友達の支持: ハリーの友達であるハーマイオニーとロンは、彼を支え、彼の秘密を守ることに決意する。彼らは困難な状況に立ち向かい、友情がより強化される。
9.新たな教訓: ハリーは自身の人狼としての経験から、違う視点で差別や偏見についての教訓を学ぶ。彼は他者を受け入れ、共感する力を養う。
10.ハリーの使命の変化: ハリーの人狼化は、彼の使命に新たな要素をもたらす。彼は魔法界での偏見と戦い、人狼の権利を守るために立ち上がることを決意する。
5.のこじらせスネイプ先生見てみたい。
・私自身が現実から離れた職業、立場、人間関係になりきるパターン(以下、なりきりパターン)
・私の考えと無関係な他人の主張が勝手に流れてくるパターン(他人パターン)
いずれのパターンも歩いている最中や電車でぼうっとしているとき、入浴中などにいつの間にか始まっている。
なりきりパターンについて。
現実と全く無関係な空想がいつの間にか始まり、没入してしまう。
空想の例。
・天文学者、兼、物理学者になっていて、宇宙の端っこを手で触るとどんな手触りになるか思考実験したり同僚に議論をふっかけたりする。
・建築デザイナーになっていて、オフィスビルについ独りよがりなデザインを実施したら、使い勝手が悪くなってしまい、施主や利用者から怒られる。
・いつの間にか種田山頭火になっていて「分け入っても分け入っても青い山」 という自由律俳句を推敲しながら山道を散歩していると、本当に一面の森の中に迷い込んでしまい、怖くなる。
私は平凡なオフィスワーカーなので上記の職業とは無縁だが、何故か、気がついたら没入してしまっている。
没入している間は、空想に入り込んでしまっていること自体に気がつかない。
空想の例。
・独立して活動可能な軍隊を持たず都心の空域制限をかけられているばかりか首都を含む全国各地に米軍基地が存在する現状は、米国の属国である。速やかに核武装して相互破壊確証を確立することにより対等な同盟を結び、対等な協力関係において中国からの侵略に備えるべきである。
・稀にだが、勝手に作曲が始まることもある。音楽ジャンルはボサノヴァが多い。
特徴として、他人パターンでは、流れてくる主張に対して無意識的に反論を開始してしまう。反論は私自身の考えになっている。
例えば、皇居の京都市移転については警備体制をどう確立するのかとか、京都は空港が遠いので公務において不便ではないかとか。
こうした空想が勝手に始まる、という話を人にしたところ、驚かれた。
その人は、現実の仕事や生活に思いを巡らすことはあっても、現実と無関係な空想が勝手に始まることはないらしい。
歩きながらや電車で立っているときにも空想が始まるので眠ってはいないと思うのだが。
私の頭がおかしくなっている可能性を考えたが、以下の根拠から、正常だと判断している。
・現実の仕事では、係長補佐のポジションで可もなく不可もない人事評価を得ており、小規模プロジェクトのリーダーや新人の教育係を任されている。この事実から、少なくとも上司からは普通の人間だと認識されている
・同僚は最低限修士号を持っていて、博士号所持者、東大卒、華麗な職歴の人間も多く、日本の平均よりは頭の切れる者が多い環境だが、私が特別下に見られている感じはしない(私自身は部の約100名中おそらく最低レベルの経歴だが…)
・既婚なので、配偶者からは、少なくとも結婚した時点では致命的な問題はないと認識されている
・以前最大で月間200時間の残業を経験しており(註:過労死認定ラインは100時間ないし80時間)、希死念慮が生じたことさえあったことは気になるが、現在はそこまでの負担は感じていない。そもそも学生時代からこうした空想は始まっていた。
・以前発達障害を疑ったときに知能検査を受けたが、問題なし。WAIS IIIで全検査IQ130、言語性IQ135、動作性IQ125。他に性格検査のようなものも受けたがそちらも問題なし。
ちょっとひけらかすような説明も入ってしまったが、以上の根拠から、私の頭がおかしいわけではない。
現実の仕事や生活のことばかり考えて息苦しくならないのだろうか?
また、毎回意識的に考えごとを始めるとしたら、そのたびに「考えごとを始めよう」という意志をもって考え始めるのだと思うが、毎日色々なことを考える中で、都度都度、意志をもって考えはじめるのは、疲れないのだろうか。
■ 追記(2023/09/07)
返信・はてブのコメントを頂いたので、主要なものを抽出のうえ、私からのリアクションを追記する。
私自身は空想癖で困ってはいないが、同じことで悩んでいる方の参考になる可能性があるので、情報共有として……。
(虐待や近親者の死といった高ストレスに晒された経験はないか? ストレスへの防衛反応として空想癖にはまっているのではないか)
一日三食食べられない時期があり、公立高校の学費すら捻出できない程度に、実家はお金がなかった。大学時代は奨学金とアルバイトで学費・生活費の全てを賄っていたが、積み重なっていく借入額を見て、返済が常に不安だった。当時、また卒業してから数年間も、学費不足で大学を除籍される悪夢をよく見ていた。貧乏は日本中にたくさんいるので客観的には大した悪条件でないが、当時の私にとっては人生上の最大の問題だった。
(自分も空想癖がある。しかし日常生活、社会生活に支障なければ問題なし)
私も同意見。私が病気ではないかと心配くださる方もいたが、生活に支障はないので、解決すべき問題だとは捉えていない。
以前小説で小金を稼いだことがある。しかし漫画も小説も競争が激しく、生き残れるのは本当に僅かな人たちだけなので、職業にするのはおすすめしない。
私の場合プロットをまとまるだけで数ヶ月かかるがそれでも編集会議を通過できるとは限らず、そのうえ1〜2年かけてようやく一冊書いても、経済的に報われる可能性は低い。
家庭や本業(会社員)がある状況で、それらを少なからず犠牲にしてまでやりたいことではないと思ったので今は書いていない。趣味で別ジャンルの創作はしているが。
(他人の主張が勝手に流れ込んでくるのは統合失調症ではないか)
私は社交性が低く、感情的に淡々としており、猜疑心が強い方なので、統合失調症的な傾向があることは否定しない。
しかし取引先とのコミュニケーションや、日々の会議のファシリテーション、特許のような論理性を要求される文書の理解ができていることから、病気ではなくあくまで個人の気質・性格の範疇と捉えている。
他人の主張が流れ込んでくる件については、その折々で議論されている時事問題に関した主張が流れ込んでくるケースが多いことから、どこかで見聞きした他人の主張を頭の中で勝手に反芻しているものと解釈している。というか、今、そう思った。現に最近はビッグモーター社や世界の景気減速といったトピックが多い
私の診断結果ではADHDの傾向は全く無かった。ASDの傾向はややあった。それでも発達障害といえるレベルでは全くなく、個人の性格の範疇とのことだったが。
「正義を取り戻せ」:テトリスに関する本の著者が映画の製作者を訴えた
ファルゾナ・シリンベク
ジャーナリストで作家のダニエル・アッカーマンは、テトリスの映画製作において自身の作品『テトリス・エフェクト:世界を魅了したゲーム』をコピーしたとして、Apple TV+とテトリス・カンパニーを訴えている。ソ連のパズルとその世界的ライセンスをめぐる陰謀についての本が 2016 年に出版されました。アッカーマンによれば、同年に出版物をゲーム会社に送ったが、その作品を自身の映画のベースとして使用することを禁じられたという。筆者によると、テトリス社の代表者はこう語る。興味を持ったプロデューサーらにこの物語の脚色を思いとどまらせ、2017年に彼ら自身が彼の知らないうちに脚色作業を開始した。
ジャーナリストで作家のダニエル・アッカーマン氏は、Apple TV+ストリーミングサービス用のテトリスの脚本を開発したノア・ピンク氏、同映画を共同製作したレオニード・ブラヴァトニク氏のアクセス・インダストリーズ社、およびAIプロダクション。さらに、リストにはFBコミッショニング、マーヴ・スタジオ、テトリスの権利を所有するテトリス・ホールディングとそのトップのマヤ・ロジャースも含まれている。
原告によると、Apple TV+ は、映画「テトリス」を作成する際に、原告の作品「テトリス エフェクト: 世界に催眠をかけたゲーム」(「テトリス エフェクト: 世界に催眠をかけたゲーム」) をコピーしました。ソビエトの人気ビデオ ゲームとその世界的ライセンスをめぐる陰謀に特化した本が 2016 年に出版されました。ロイター通信によると、同年、アッカーマン氏はこの出版物をテトリス・カンパニーに送ったが、返答として「違法行為を控えることについて厳しい言葉で書かれた手紙」を受け取った、つまり、自分で出版した場合は有罪になるという脅しだったという。映画やテレビ製品。さらに同社は、この物語に興味を持ったプロデューサーらにその映画化を思いとどまらせたと言われている。それにも関わらず、著者は次のように指摘しています。
「(訴訟の)目的は、正義を回復し、法的にこの種の敬意と評価を受ける権利のある人物の仕事、勤勉、財産に対する敬意と公正な扱いを確保することである」と同庁はアッカーマン氏の弁護士ケビン・ランドー氏の言葉を引用している。と言うように。
訴状によると、上記の人物および団体は、著作権侵害、アッカーマンの知的財産の違法使用、不正競争、および作者が他の潜在的なパートナーとのビジネス関係を確立することを妨げた罪で告発されている。声明によると、Apple TV + は「本から多くの特定の断片や出来事を寛大に借用した」ため、このテープは「(本と)ほぼすべての重要な点で似ています。」被告は、出版物の複製、複製、頒布、およびそれに基づくプロジェクトの準備を行うことができます。
たとえばアッカーマンは、この絵は第 13 章「Tetris Takes Las Vegas」(「テトリスがラスベガスを征服する」)と呼ばれる出来事から始まると主張している。その中で筆者はソ連と日本のゲームの類似点について語っている。さらに、荒川実氏(任天堂オブアメリカの創設者)がハンク・ロジャースにテトリスを紹介するシーンは、秘策第16章を引用していると文書には記されている。アッカーマン氏によると、荒川氏はめったにインタビューに応じないが、同社の元社長は荒川氏とロジャース氏の関係や関連する出来事について話を聞いたという。この声明には、テープ内の出版物の断片を借用したことを示す合計 22 点が含まれています。
文書によると、アッカーマンは2014年4月に「政治的陰謀を伴う冷戦スリラー」の制作を開始し、アレクセイ・パジトノフ、ハンク・ロジャース、マヤ・ロジャース、荒川実、ハワード・リンカーンらと個人的に会話し、ビデオインタビューを録画した――その結果、最終的には彼らは作品と映画のヒーローのプロトタイプになりました。裁判所に提出された資料には、文学プロセスのその他の詳細が記載されています。
文書によると、アッカーマンは2014年4月に「政治的陰謀を伴う冷戦スリラー」の制作を開始し、アレクセイ・パジトノフ、ハンク・ロジャース、マヤ・ロジャース、荒川実、ハワード・リンカーンらと個人的に会話し、ビデオインタビューを録画した――その結果、最終的には彼らは作品と映画のヒーローのプロトタイプになりました。裁判所に提出された資料には、文学プロセスのその他の詳細が記載されています。
この映画は、3月15日にテキサス州オースティンで開催されたサウス・バイ・サウスウエスト映画祭で初めて上映された。このプロットは、ソ連のプログラマー、アレクセイ・パジトノフ(ニキータ・エフレモフ)が作成したユニークなゲームをポータブルコンソールに組み込むことを計画している起業家のハンク・ロジャース(タロン・エガートン)を中心に展開します。しかし、主人公はテトリスの権利を手に入れるために多くの困難に直面します。
エフレモフの他に、オレグ・シュテファンコ、ソフィア・レベデワ、イーゴリ・グラブゾフ、ドミトリー・シャラコイス、イリーナ・カラチェワといったロシアの俳優が主演した。
批評家たちは、ダイナミックなプロット、よく書かれたキャラクター、「勝利の」結末、そして演技を指摘して、「テトリス」を好意的に受け入れた。
「テトリス ゲームの誕生の歴史を、ペースが速く、魅力的にフィクション化した解釈を見ていると、ある時点で、ビデオ ゲームについての映画を見ていることを忘れてしまいます。熱狂的なカーチェイス、ドタバタ交渉シーン、そして世界中の 1980 年代の会議室のツアーにより、『テトリス』は単なる伝記映画以上のものになっている」とロヴィア・ガハルキはハリウッド・レポーターに書いた。
ウェブサイト Rotten Tomatoes では、このテープは 82% の「新鮮さ」を獲得し、視聴者からの評価は 87% でした。
ChatGPTを活用して金儲けをするためには、創造的な方法でその能力を活かすことが重要です。
以下にいくつかの具体的なアイデアを示しますが、これらはあくまで参考です。
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これらのアイデアは一例であり、ChatGPTを活用して新たなビジネスアイデアを生み出すことが可能です。
ただし、他のビジネスと同様に、需要や競合状況、マーケティング戦略などを適切に考慮してビジネスプランを構築することが重要です。
オタクに限らず推し活する人でも呼び方はなんでもいいんだけど、そういう人たちは多少なりとも自分の関心ごとについて熱心に調べようとするものだと思う。
でもまずそうするとたとえば世の中にはどんな漫画が既に出ているのかとかを調べるということに時間が費やされる割合が多くなってしまって、コンテンツそのものを楽しむという肝心な事が出来にくくなるものなのではないか。
つまりコンテンツに癒しを得るよりも、むしろコンテンツを得るための情報処理に疲弊させられるようになってしまっているものなのではないのか。こういう題材の作品はあるかな?こんなテーマの作品はあるだろうか、と面白い作品を追求するというテーゼのもと次々と考え事が沸いて、いろいろ調べて、しかも大した収穫がなかったりもすることも多い。
さらにそうやって調べて得た情報に比例してその何かしらを忘れるリスクも多くなっていく。
頭の中でふと漫画の紹介文が思い浮かんでこれどこで読んだっけと調べずにはいられない。調べなきゃ調べないでもやもやするわけで負のジレンマに陥っているわけだ。
そもそもオタクなら自分の関心ごとで忘れた情報があったら取り戻そうと思うものだろう。
過程を楽しむなどという言葉もあるが、たとえば漫画だと同じような絵柄ばっか並んでいて最初のうちは理想的な容姿のキャラを見る行為に眼福感を感じているかもしれないが惰性化してくればそのなかで特にきらりと光る画風(+プロット)の漫画を見つけるためだけの無味乾燥な作業に感じるようになっていってる人も多いと思う。この界隈はなかなか新鮮味を得られない程度には同じような絵柄が蔓延している。
こういう具合なのでテレビとかで推し活と言って溌剌としてる素人を見ると衝撃を受ける。むしろ人生の大部分で頭が情報オーバーフローを起こしたストレスフルな時間を強いられるわけだから、たとえ甘露のような物語を楽しむ時間が少しはあったとしても、日常的にはむしろ慢性的なストレスで陰鬱なオーラを放っているものだと思う。覚醒剤患者の普段を想像すればわかりやすいといっても誇張にはならないと私は思う。
一体この人たちはそういうカルチャーを目一杯楽しむうえで必ず立ちはだかるであろう情報処理とどう共存しているのだろいか。
テレビだから取材するとき陰の部分が滲み出ている発言はカットされているだけかもしれないが、いかんせんわたしにはオタクに聞き込み調査するための接点もコミュ力も度胸もない。
有象無象には興味がなくて、これと決めた手で数えられる程度の人や作品について深く追求したり解釈したりするタイプのオタクっていると思うんだけどそういう人は比較的この手の雑事やそれによるストレスに煩わされることが少ないのかなとは想像できる。声優オタやガンダムオタなんかそんな感じだろうと思う。
彼らは既に発掘済みの好きな声優に絞って公式アカウントから情報を得てちらっと出演する声を楽しんだり限られたアニメ作品を鑑賞するのが喜びであって、彼らの情報処理という過程の中には「有象無象の興味が湧かないもの」に関わる時間が少ない。また頭に自ずとたまっていく情報もはっきり好きなものに限られているので忘れるリスクも低いのだろう。要するに純粋にコンテンツの消費に費やす癒しの時間が彼らには多いのだ。
有象無象にも面白いものがあるかもしれないから一応確認しておこうと思わずにはいられない強迫症気味オタクならそうはならないはずなのだが、そういう人は割合少ないということなのだろうか。オタクと強迫症って結構密接な因果関係で結びついてそうな気もするんだけど。
最近ヤフオクで手描きの絵を売るという謎の界隈を見つけたがあの界隈はpixivとかのアカウントを持ってないというか自己紹介に書いてない人が多くてアカウント名も英字の並びの覚えにくいものだけど、その絵は好みとして捨てきれないって感じでまた似たようなアカウント名と絵柄の記憶が頭に溜まって、しかもそのアカウント名と微妙に異なる絵柄の紐付けがいつのまにかこんがらがったりしてストレスフルなんじゃ。
でもなによりも不思議なのはそうやって情報処理や単に記憶を思い出すために時間を割く時間が多くなって実質表面的な知識やそれすらあまり得ることがないような生活になってそうなものなのに巷のオタクどもはちゃんと造詣が深いというレベルで自分の好きなことに対して確固たる体系的な知見を持ってることなんだよなあ。情報処理とかの時間はそういう機会を奪うというか足を引っ張りそうなものに思えるんだがね
dorawiiより
「ストーリー」が不評ということになってるけど、これはストーリーじゃないよな悪い点。
シーンとシーンの繋ぎというか……抑揚というか……。
プロットの見せ方? そういうのが悪い。
情熱大陸でさあ、吉田が「ジェットコースターのようなゲーム体験」ってしきりに言ってたんだよね。
うん、まさにそれが実現していているよ。
狙い通りだ。
それが悪い。
ジェットコースターのようなとは、いざこうして実現してみると、乗ってるやつが否応なく振り回される、という意味であった。それは、主人公クライブが翻弄される、クライブの意思が関係しないし、介入できないという意味だった。
普通のゲームならね、まず敵の砦に攻め込むじゃん、ボス倒すじゃん。一回帰って宿屋おやすみフェーズ入るのよ。それからボスがまだ生きてること判明して、もう一回行かなきゃ!行くぞみんな(←これが意思)!ってなるわけ。
でもこれは「ジェットコースターみたいなゲーム体験」だから、おやすみフェーズ飛ばした。
するとどうなるか。急に否応なく主人公が巻き込まらでボス戦する。結果的に主人公の意思がない。
いやマジで、吉田だって最初にこれ意図なしでやったら、そんなこと分かったんじゃないか。「ジェットコースターみたいなゲーム体験」どうやら問題があるぞ、って。
前提として俺の感想は非常に好意的だ。そういう意味では、バッキバキの同業者目線での批判を期待していた人たちにはごめんな。
俺の非常に好意的な感想は、しがないプロデューサーのはしくれの俺に、「吉田プロデューサーとFF16が世界での戦い方を示してくれたこと」ことに尽きる。
そして俺がこれを書こうと思い立ったのは、それなりにレビューや感想合戦が一段落して、
を参考までに、みんなに個人的な感想として伝えられればと思ったからだ。
例えば映画でいってもそうだが、宮崎駿の作品や新海誠の映画作品も邦画じゃAAA級だが、ハリウッドの制作予算に比べれば全然大したことないんだ。「君たちはどう生きるか」が3000万ドル~7000万ドル(あくまで噂)、すずめの戸締まりが1800万ドルって言われてるが、スパイダーマンスパイダーバースは9000万ドル(アクロスザ・スパイダーバースは1億ドルだってよ)、アナ雪は1.5億ドルだそうだ。
正確な数字かはさておき、どう楽観的に見積もってもハリウッド超大作のそれには敵わないんだよ。
FFはみんなが比較に出す洋ゲーのAAAと比べれば開発予算に限界がある。
だからFFはAA級みたいなもんだ。Aが一個足んないんだよ。(ちなみにAAA級の定義は正確には存在しない。AA級っていうのも存在しない。けど大体、意味、わかるだろ?)
AAA級とAA級でなにが違うか?開発予算が違うんだよ。開発予算が違うとなにが変わるか?できることに限りがあるんだよ。
たとえばよく言うゲーマーたちの指摘には、以下のようなものがある。
もちろん正しい意見もあるとは思う。
けど例えば、上でもあげたけど「アナ雪」ってテーマソングの「Let it go」あがったタイミングでプロットを大転換してるんだぜ。エルサはアナと姉妹でもないし、王家でもないし、純粋な悪役だったって話だ。
この大転換は結果として大成功だったわけだが、おそらくこのレベルの変更はそれまで進めていたあらゆる製作に影響を及ぼしたはずだ。具体的には製作途中のものを捨てたり、考え直すための制作期間の延長だ。これ、制作費(必要予算)増えるんだよ。
AAA級は天才たちが七転八倒して作ってるんだ。AA級のFFはそれをしてないわけじゃない。それを許される回数が限られてるんだよ。
これは大筋はゲームメディアなんかが大筋語ってくれてる内容と沿うんだけど、まぁ聞いてくれよ。
俺たちはもうAA国なんだ。AAA国みたいに何でもかんでもぶちこんで、やりたいこと全部やるってのは無理なんだよ。(もちろんAAA国やAAAタイトルが全部やれてるってわけじゃないんだが、相対的な話だ)
AAA級タイトルに慣れた、舌の肥えた俺たちはAAA級と比較してあれが足りないこれが足りないって言うけど、無理なんだよ。
だけど俺はそんな批判をやめろと言ってるわけじゃない。
もっと生産的な考え方をしようぜ、そしたら俺たち日本人のためになるし得だよって話だ。
それは「この要素を弱めて、この要素を足す」だ。これなら開発費(必要予算)は増えない。
その点でいうと、FF16は限られた予算の中で、どこでならAAA級に匹敵する作品を作れるか?について考えに考え抜いたパッケージングをしていると思う。
吉田プロデューサーは天才アーティストではないかもしれないが、天才プロデューサーであると思う。
彼は重圧の中でその取捨選択を、自分の意思を中心に、それをやり遂げた。
このあたりはストーリーと戦闘システムへのフォーカスだが、そのへんはもうほかにもいっぱい語られてるからここでは言及するのやめるわ。
これも実は大きな誤解があると思う。
エルデンリングのざっと調べても開発費は分からなかったが、少なくとも過去作からモーションを使いまわしてるだの、グラフィックはAAA級と比較して見劣りするだの言われてるよな?
それはそうだと思う。そこで開発費の圧縮をしてるってことも事実だと思う。
でも問題はそれじゃない。エルデンリングは過去作を通じて積み上げてきた「魅力的な特徴」がゲームシステムの中心にあるんだよ。
方やFF16はみんなが言ってる通り「FFはおわった」「FFブランドなんてもう存在しない」とか言ってるじゃん。FFがこれまで積み上げてきた資産ってむしろそれしかないだろw
FF15のオープンワールドは世界に通用する資産か?当時からそんな評価じゃなかったろ。
FF15の戦闘システムは世界に通用する資産か?当時からそんな評価じゃなかったろ。
FF15のレベルデザインはフロムゲーのように緻密なデザインだったか?当時からそんな評価じゃなかったろ。
FF16はFF14で積み上げてきた資産(でもMMOだから流用できる資産は直接的じゃなかったはずだ)と、FFという今となっては影の落ちたブランドに基づいて、むしろ日本が誇る「漫画」と「特撮」のゲーム産業とは違う強みを強引に(したたかに)輸入して生み出された日本の元気玉の一つなんだよ。
これは完全に蛇足だけど、ストーリーの締め方に納得いってない人にネタバレすると、FF16はFF1のストーリーのオマージュと対比構造で成り立っている。
だからストーリーに納得いってない人も残念だがこればっかりは受け入れるしかない。
その上で期待していいことが一つある。
吉田プロデューサーは、スクエニはFFを現代において「語り直した」そして戦闘システムとストーリーという新しい武器(最強とは言わんが、AAA級に挑戦するキーアイテムだろ)を手に入れた。
君たちはどう生きるかのストーリーが難解だとか、伏線が回収されないとか言われているが、ストーリーのプロットはすっごく単純。という意味では、着ぐるみを着てるエヴァなんかよりわかりやすい。
要はこういうこと
・現実世界は戦争もあるし泥臭い人間関係もあるしすごく醜い。とにかく汚い。妹と結婚するお父さんも嫌だと思っている。
・まひとは理想世界に引き込まれて、そこで自分の理想とする母と冒険する
・叔父さんは、つまり、エンターテイメントにおける先人たちの叡智の象徴
・君も一緒に理想世界を作らないか?と言われ、自分の心は醜いのでできません。と言って世界を崩壊させる
・醜い物をそのまま受け入れて、この世界をありのままに受けいれて生きていくことを、まひとは決める
あまりにも単純すぎて何も皮をかぶってない。宮崎駿の原液と言われるのもそれが理由。これがエンターテイメントなのかと言われたらよくわからん。ストーリーを楽しむというより、宮崎駿の美術館を楽しむと思った方が良い。
宮崎駿は夏目漱石の草枕が好きと言っていて、それも頷ける。草枕もストーリーはないし、感情移入するところがない。むしろそれをあえて避けている。君たちはどう生きるかは意図的に、宮崎駿は誰にも感情移入しないように作っていると思う。細かな辻褄を指摘する人もいると思うけど、そこが主眼じゃない映画。
所々美しい、ジブリらしい映像はあったし、自分はそれだけで十分だった。誰かに感情移入して、泣いたり喜んだり苦しんだりするのは疲れたし、こういう表現はありだと思う。これがエンタメかは別として。
一回観ただけなので、細かいところ間違ってたらごめんなさい。ようするに君たちはどう生きるかを読めと言われている気がするので、みんなで読もう!
ウルトラマンシリーズ最新作、宇ルトラマンブレーザーがついに始まって、早速第一話を視聴したので、感想を書いてみる。
冒頭からこれまでのシリーズとは明らかに違う空気感でスタートし、夜のビル街を舞台にした怪獣と防衛部隊との攻防戦が描かれる。
そしてピンチになった人類の前に、未知の巨人が出現し、怪獣を倒して空に帰っていく。
ここまでのシチュエーション、いわば怪獣映画のクライマックス部分を取り出して、ナレーションなしで叩きつけてくるというのは多分これまでのTVシリーズではやった事がなかった。でも、これはほんの一年くらい前に見た覚えがある。シン・ウルトラマンの最初のパート、ネロンガ戦と同じ構成なんだ。
だからこれは、TV版スタッフから、シン・ウルトラマンに対するアンサーなんじゃないかと思っている。TVシリーズだってやれるぞ、という。
そして、ただの焼き直しにはなってないところがいいところだ。ネロンガ戦でプロット上のアラになってるところを丁寧に潰していってる。
「上」の意向に縛られてあっという間に手詰まりになってしまった禍特対に比べて、命令違反にならない範囲で自分達に有利な状況を作り出そうとするゲント隊長ははるかにプロっぽい。また、唐突に子供を助けに(ヘルメットも被らずに)飛び出していく神永に対して、いろいろな手段をシミュレーションした上で、自分が向かう事が最善と判断して「俺が行く」とやるところなんかもそうだ。