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2018-08-20

自分オタクからプログラマーにならなければ駄目だったのに!

この増田は何を言っているのだろうか?

そう貴方が疑問に思うのも当然だ。

だって、長年ずっとこの気持ちを抱えながら同時に何を言っているのかと何度も問いかけた。

オタクプログラマーになるものなのだ

いつからそんな妄想に苛まれるようになったのか、その原点は既に定かではない。

振り返ると、今よりも20年近く前から自分オタクからプログラマーになるべきなのだ」と思い込んでいた気がする。

20年弱、その間に様々なことがあった。

大学受験勉強プログラマー勉強を両立させようとしてどっちつかずになり、最後はどちらも上手くやれない自分への苛立ちから現実逃避気味になりプログラム勉強と称してビデオゲームにのめり込んでいた。

自分学力で入れる大学の中からプログラマーになれるような学校を選ぼうとするも、両親はITなんてものブラックばかりだし、お前はただゲームネットが好きなだけの自分プログラミングが向いていると勘違いしているだけだと説得された。正しかった。今思えば。

それでも諦めきれ無かった自分プログラマーへの道が少しでも太く残るようにと電子系の学部に進むも、そこでやっていたのは電気工学の基礎ばかりでプログラミングなんてものに触れるのは卒業研究が始まってからだった。

卒業研究プログラミングが関与すると知ったときは、ようやく今まで少しずつ勉強したプログラム知識が生かされる瞬間だと興奮したが、膨れ上がった理想現実自分乖離に再び打ちのめされる日々が続いた。

その頃ちょうど続けていた就職活動では、プログラマーへの道を志す気持ちと、ブラック企業への恐れがぶつかりあって、情報を集めるだけ集めて結局どこにも応募しないままに時間が過ぎた。

高めすぎた理想現実、結局何も身に着けていなかった自分への絶望感、やる気を失い全く進んでいない卒業研究就職活動、全てが滅茶苦茶だった。

持て余された精神エネルギー自分への攻撃へと向かい自己嫌悪自己否定に全ての活力が使われていき、生活リズム脳みそも何もかもがボロボロになり、気づいたときには2年間引きこもって、そのまま大学をやめていた。

大学を辞めた自分に残ったのは6年の空白期間、折れ曲がりながらなおも成長を続ける野心(プライド)、壊れかけた心と脳、プログラミングスクールに3ヶ月通った人間と同程度でしかない知識、そんな自分を許せない自分自身。

それから人生はただダラダラと時間が流れていった。

もうプログラムなんて見たくもなかった。

それでも「自分オタクからプログラマーにならなければ駄目だったのに!」と叫ぶ自分が心の中にずっと住み着いていた。

自分自分を裏切らせるよう先導してきた憎むべき対象なのだから当然だ。

数年ほど引きこもり空白期間が10年前後にしながらも社会に戻ろうとした時、電気系の学校で3年生まではそこそこにマジメな学生をやっていたことはプラスとなった。

電気系の資格を取った上で面接に挑み、研究室での思い出や、プログラマーを目指してやっていた勉強のことを語りながら「心を入れ替えてこれからはがんばります」と語ると、意外とアッサリ就職は決まった。

そうして何だかんだで今は、それなりに普通に働けている。

一度メンタルを駄目にした影響か、今でも時折妙な頭痛がしたり、突然気分がどん底に下がっていくことはあるが、まあそれなりに働けている。

年代大学時代の同級生たちの平均と比べれば給料は安いが、実家に5万ほど入れて住まわせてもらう分には問題ない程度はもらえている。

そんな毎日を送りながら今も「自分オタクからプログラマーにならなければ駄目だったのに!」と叫び続ける自分が心の中にいる。

彼が言うには「自分のような人間IT業界に行けば才能が爆発して自分にずっと自信が持てるようになっていた。フリーランスとして今よりずっと自由の多い暮らしが出来て、今よりも給料はずっと多い。嫌な上司取引先にペコペコしなきゃいけない時でも技術力を背景に言い返すことだって出来たしだろうし、有名人としてロクロを回しながらインタビューにも答えられた」といった人生が待っていたらしい。

しかにその可能性はあっただろう。

でも可能性だけだ。

なんなら今やってる電気設備仕事だって、突然才能が爆発して技術力で殴ってなんでも思い通りに出来る人生が始まるかも知れないじゃないか

IT系に進んでいたら、あっさりブラック企業で心が壊れていたかも知れないじゃないか。(そもそも就活をしている段階で壊れていたり、既に壊れたあとだったのだからちょっと強い力がかかったらアッサリ砕け散っていただろう)

今の人生ベストじゃないのは知っている。

ベターと言えるのかすら怪しいのも分かる。

だけど最悪ではない。

それなりだ。

ハーゲンダッツを食えば美味いと思えるし、ゆゆ式を見れば楽しいと思える。

プライドをこじらせてイキるだけイキった挙げ句、周囲の人間に不満と不安を撒き散らした挙げ句自分までぶっ壊した奴の末路としては十分にハッピーエンドだ。

ソレだというのにいまでも「自分オタクからプログラマーにならなければ駄目だったのに!」と叫ぶ自分がいる。

どうにかしてくれ

anond:20180820202012

ありがとうございます

ついでに、おじいちゃんの話を良かったらどうぞ。

田舎に住んでいたとき(母の実家)母方のお祖父ちゃんが、

夏、網戸にして、蚊帳をつって家族で寝てる時に

夜、良い風が吹いてきて。

「あー涼しいなぁ、極楽極楽天国のあまり風や。」

言ってたそうです。

天国のあまり風って、きいたことないけど、時々夏の宵に、風が吹いて涼しい時。

天国のあまり風や」って思うんです。

余談失礼しましたm(__)m

彼のご実家挨拶へお伺いし、結婚の了承を頂いた。

窓の外から鳥のさえずりが聞こえる部屋に通された。風が心地いい。

私は緊張しているようなそうでないような不思議気持ちのまま終えたけど、彼の方が緊張しているようだった。

終ったあと彼が「これからもっと忙しくて大変だぞ」とボソッというから、私は「めんどくさ~い」と返しておいたけど、忙しくても大歓迎だ。

冷やし担々麺

自分が昔住んでいた街に、安くて速くて量が多い、店内は暗い感じのこじんまりとした中華料理屋があった。

自分最初訪問した時は流行ってるとはいい難い。主人が一人で捌ける量の常連がいるような店だ。

 

店主はメニュー開発が好きなのかいろんなメニューを季節限定提供していた。

その一つが冷やし担々麺だった。

その店は、細麺のちぢれ面に、濃厚なゴマダレと、ラー油。そして、麺の上にこんもりもられたキャベツの千切りと肉味噌といった感じの冷やし担々麺だった。

一人暮らしで、肉より野菜のほうがコスパが悪いことを知り、野菜ほとんど食べない自分にとって、まるでその冷やし担々麺は夏を健康的に乗り切るオアシスのようなものだった。

 

この店との出会いは、入社したての自分ランチに誘ってくれた社長が連れてきてくれた。社長もこのお店の常連だった。

ちょうど引っ越しをした場所から徒歩で2分、会社からは徒歩で10分というアクセスの良さで自分はよくこの店に通った。

顔も覚えられて、着席すると水を持ちながら「いつもので?」と聞いてくる。いつものというのは担々麺+ライスのセットだ。ここの担々麺は酢が聞いて一度食べたらやみつきだ。

 

冷やし担々麺は、自分が店主にポロっと言った話だった。

店主は、カウンター越しよく話しかけてくれた。自分ポロッと「最近名古屋の方では冷やし担々麺っていうのが人気らしいっすよ。一度食べてみたいっすわ~」と言ったことがきっかけで店主なりにいろいろなレシピをみたりして作ってくれたのだった。

店主はメニューに出す前に「つくってみたんだけど、どう?」と無料で一回食べさせてくれた。初めて食べたから他のと比べられないけどとても美味しかった。

特に野菜がたくさん乗ってヘルシーだった。これでライスとセットで600円なんだから信じられない。自分毎日のように冷やし担々麺を食べた。

 

その冷やし担々麺が夏の定番になって2年目だったか

メディア取材がきて、店は大繁盛、担々麺が美味しいお店と話題になった。自分も大繁盛して嬉しかったが、流石に平日に待機列に混ざるわけにもいかず、土日の人が収まってきた時にまだ昼を食べてなかったら行くぐらいになっていた。

それからどんどんと自分はその店に行かなくなった。店の雰囲気落ち着けなくなったからだ。

 

それから転職をし、社長に報告したら「最後に一回いっておくか!」とそのお店で送別会を開いてもらって、引っ越しをした。

今年の8月入った頃に店主が倒れた。そしてそのままお亡くなりになった。

社長からその報告を受けたとき、お世話になっていたか葬式ぐらいは…と思ったがやはり距離的に厳しいこと、お盆前の仕事の仕上げがあり行くのは難しかった。身内でもないか有給も取得しにくいし。

そして、このお盆実家に帰った帰りに、香典を渡して、仏壇を拝ませたもらった。

前の会社社長に連絡を取り、じゃぁ家まで車で送っていくよと送ってもらった。

店主の家に行くと奥さんがいて、香典を渡し、お店の方は、段々と人が増えていたので従業員を増やすために息子に戻ってきてもらい引き継いでいた、今はバイトを何人かいれていて営業はできるという事で営業はしていた。

お店の方に行くと前よりは落ち着いたものの、待機が2組ほどいるようだった。社長待機列はいった。

 

店内は息子さんと、女性店員一人が切り盛りしているようだった。

女性店員が注文を聞きに来る。社長はいつも担々麺ライスだ。

自分メニューをひと眺めして冷やし担々麺ライスを注文する。

5分も待たない内に運ばれてくる。提供スピードは相変わらずだ。その冷やし担々麺をみてびっくりした。

 

キャベツがのっていないのである

 

あれ?おかしいなって顔をしていると、社長は思い出したようにいった。

増田くん、よく店長野菜が高い高いって話してたよね。店長ね、増田くんが注文するとき、なんでも野菜多めにしてくれてたんだよ。俺も冷やし担々麺何回か食べたこと有るけどキャベツ盛りは増田くんの特別オプションだったんだ。」

 

その話を聞いた瞬間、涙がボロボロとでてきた。

遺影を見たとき、いっつも笑ってる店主の顔が見えたとき、その写真が動き出して「いつもので?」といってきそうだなと思ったが涙をこらえた。なんというか、実はどこかにいて、店主と社長がドッキリでもしかけてるんじゃないかって思ったぐらいだ。

社長のその話と、キャベツが盛られていない冷やし担々麺を見たとき、「あぁ、店主は本当に居なくなったんだな」って実感をした。

それをみた社長も泣いて、笑っていた。

キャベツの乗っていない冷やし担々麺の味は、全然からなかった。わからなかったけど、代わり映えしないようにおもえて安心する味だった。

 

無理言ってでも葬式に出ておけばよかった。

そんな後悔しても遅いんだけどね。

あぁ、せめて、店主に冷やし担々麺レシピ教えてもらえばよかったなぁ。エビチリ麻婆豆腐青菜炒め、いろんな中華料理レシピを教えてもらったんだけど、なんで冷やし担々麺ゴマダレは聞かなかったんだろうな。

子供はもう産まない。

20代前半で結婚し、現在20代後半、2児の母である

の子は少し大きくなり下の子の面倒見もよく、たくさん遊び、世話してくれる。

日々ちょっとしたお手伝いもしてくれて、3人目の育児は本当に楽だと思う。

夫も帰りは遅いけど、お風呂オムツ休日は上の子公園、よく手伝ってくれている。

だけど私は、3人目は産まない。

産もうと思えばまだあと10年は産めるだろう。

どこかの誰かが女はクリスマスケーキ羊水腐るだ散々脅してくれたおかげもあって、

20代半ばで2人の子に恵まれた。

近所のジジババ、親戚はみな同じように「次は3人目やね」と言う。

でも、私はもう産まない。

高校卒業後数年働いた会社は第二子妊娠と同時に辞めた。

第一出産フルタイムで働いたけど、

平日は少しの家事育児に追われ、休日はたまった家事育児毎日が終わった。

子供病気の時は休める日もあれば、

泣いている子を病児保育に後ろ髪引かれる思いで預けて仕事に向かう日もあった。

余裕がなくて子供を怒鳴ってしまう日も、一緒に泣いてしまう日もあった。

当時も夫は帰りが遅く、保育園の送り迎えも風呂ご飯掃除洗濯も独りでやった。

2人目でもこれを続ける自信はなかった。

結果、2人目は専業主婦をさせてもらっている。

専業主婦ラクだ。

保育園児2人、フルタイム実家の手伝いなし、に比べると、断然楽ちんである

これからもしばらくは専業主婦をさせてもらう予定だ。

だけど、絶対にもう産みたくない。

もううんざりなのだ

妊娠中はプールに行くな腹を出すなビキニを着るなという医学的根拠のないお説教も、

産後母乳を飲ませろ、酒を飲むな肉は食うな

ケーキチョコレートスナック菓子も一切食うな

1年くらい子供のために酒我慢するくらいできるだろという母乳信者も、

公共の場子供が少し泣いたからと周りに申し訳なく思っているアピールするのも、

ベビーカー子連れ邪魔だ畳んで抱っこしながら荷物を持てというムチャブリも、

赤子を電車バスに乗せるなという意見も、

少子化からもっと産めと言いながらも、産めば産むほど苦しくなる生活

しっかり勉強を見てあげて、いろいろな選択肢を与えてあげようと思っている娘が将来、

大学受験性別による差別を受けるかもしれない未来も。

もう、うんっざりだ。

女は何をどれだけ、何年我慢すれば良い?

何をどれだけ諦めて子育てしていればいい?

加齢による子供障害をなるべく減らすために、

産みたいのに産めない未来を防ぐために20代子供を産んだ。

気を付けていたけどできてしまった妊娠線、自由時間

最初職場仕事を続けることを諦めた。

1人目は母乳で育てるために妊娠期間含め3年近く禁酒した。

禁酒だけでなく食事もなるべく母乳に良いものにしようと気を付けた。

2人目はその反動からミルクで育てたかった。

近くの、大きくて安心して産むことのできる病院は激しく母乳推進で、

母乳の立ち上がりが遅く体重の増えない赤子に

母乳育児に一切こだわらないかミルクをどんどん飲ませたいという私を、

腫物に触るかのように扱い、母乳母乳母乳母乳洗脳しようとしてきた。

結局私の希望とは違う母乳育児が始まった。

これでまた妊娠中もあわせて2年の禁酒

私はお酒が好きだ。

美味しいものと一緒に晩酌するのが好きだ。

Hulu見ながら、お酒を飲むのが好きだ。

暑い日のビール寒い日のホットワイン、甘いお酒が大好きだ。

だけど、子供のためにと何年も飲まなかった。

どんな巨大掲示板にも書いてある。

子供のため」「親の資格がない」「子供がかわいそう」

母親を攻める言葉が並ぶ。

羊水検査をするのは?

飲酒や親の自由のためにミルクにするのは?

仕事のために保育園に預けるのは?

夫と出かけるために託児所に預けるのは?

子供とでかけないのは?

子供電車に乗せるのは?

子供ファミレス食事するのは?

どうしたらよい?

どうすれば満足なの?

子供何人も産んで専業主婦になることなフルタイムで働いて

子供病気の時は病児保育に預けて仕事迷惑かけるな?

だけど子供愛情不足を感じさせず将来税金納められるようにまっとうに育てろ?

スーパーマンかよ。

無理だよ無理。

あぁ。苦しい。

苦しいことばっかだな。

子供かわいいのに。

もしも子連れ迷惑に思われなかったら

もしももっと自由子育てできるなら

もしも教育費が安かったら、もう一人くらい産めたのに。

私、もう降りま~す。

2人の子育て頑張って、あとは次の世代に任せま~す。

少子化で、産まないのは罪のように感じてたけどもう2人産んだし、

もうこの試合から降りてもいいよね?

あとは次の世代に任せるわ。すまん。

不機嫌ならまだしもそれで物音を立てるやつ

一番嫌い。

不機嫌の原因もストレスの解消法もなく、嫌がらせ存在感を出すためにそんなことをしてると思うが、

より嫌われると思うよ。

実家の姉が未だにまさにこれなんだけど、

自分があのクソ狭い家に出るまでの18年、よくもったなあと思った。

事後なんだけど、こういう相手ってどう付き合ったらいいの?

関係を切るのが一番早いけど、でも一緒にいなきゃいけないって場合の時を教えてもらいたい。

自分は何度も考えてきたが、その行為自体は本人が考え方を変えない限り無理で、それを伝えてもうるさい言うばかりだし、結局始まりから終わりまでバカバカしくなって、生きてから死ぬまでお前のような人間時間を使うのがもったいないし、もう関わるようなマネはやめろと言って実家を出た。

上京したいけどしたくない

クソ田舎在住の私は都会にものすごい憧れがある。東京にいたら何年かかっても制覇できないほどたくさんの店があるんだろうな。毎日いろんなイベントがあって楽しいんだろうな。都内実家のある友達が本当に羨ましい。

かと言って家族は4人みんな仲良しだし、実家は一軒家で自分の部屋もある…田舎すぎること以外に不満は特にない。家族と離れるのも寂しい。地元にいるべきか…。住んでいる場所田舎でも都会に出やすければ良かったのだけど、めちゃくちゃ出にくい。遠い。超時間かかるし、行くバス電車の数も少ない。やっぱり上京したい。

だけど都会に住んで家賃払って生活費払って…なんてしていたらいつまで経っても貯金ができない気がする。多分、都会はお金があれば楽しいけどなければつまらないだろう。それなら地元で働きながらたまに遊びに行くくらいの付き合いが、私と東京はいいのだろうか…。

でも、だけどばかり考えて結局いつまでも地元から出られない…だめだな。

anond:20180820003107

だが俺の実家には金が無く、地元公立中学校に行く他に選択肢はなかった、、(完)

anond:20180820001153

いきなり重い球を投げてくるなw

実家もしょぼいし、俺自身家族の愛とかに向いた人間じゃないと思ってるから

2018-08-19

anond:20180819233701

藁人形ではないよ

現にあなた都内実家な時点で圧倒的有利だと主張されていたので

知的障害者に生まれるのと地方で健常者として生まれるのでは地方のほうが有利ですよねという反証をしているだけです

anond:20180819233142

実に知能が低いね

まあ正直キミに説いて聞かせる義理も無いのだけど、どこから説明したもの


まず、都内まれだと「地方から出てくる費用」がまずかからない、ということは理解できるかな

よっぽど実家との折り合いが悪いなどの例外的ケースは除くとして

anond:20180819232710

田舎出身障害者都内で1000万なんとか稼いでる俺から言わせてもらうと、実家都内って時点で超絶圧倒的に有利なのは間違いないと思うよ

どこが「逆差別」なのか詳しく聞きたいね

anond:20180819230829

しろ最近実家東京なら人生イージーモードだろみたいな逆差別トレンドになってきてるなあって感じる

別に都内だってタワマンに住んでる金持ちばかりでもないのに

2018-08-18

幼稚園夏休みなので嫁さんの実家で見てもらってる

嫁さんは共働きで、実家から出社という。久しぶりの独身ぽい生活。ただ凄く寂しい。離婚なんかしたら、これは結構つらそうだな、という事が分かった。

実家に帰っても、友達と会っても、仕事してても、その時はよくてもいまみたいに部屋に一人でいると孤独感に襲われて泣きそうになる。

近所で祭りでもやってるのか、賑やかな声が聞こえる、虚しい。

お父さん、インポかいね!

お父さんは身長のわりに短足だ。

私もそれを受け継いだ。

ダックスフントマンチカンなら可愛いのに

人間になると「短足wwww」ってなるのが解せぬ。

小学校高学年の頃、父親が歩く歩幅が大きかったため

「お父さん、一歩デカイネ!!」

とはしゃぐように言った。

お父さんは「インポデカ!?」っと聞き返してきた。

外だったけど、夜で人がいないのが救いだった。

「いや、一歩……歩幅……」

普通に返したけど、インポ意味は私も知っていた。

マセガキだったので、なぜか知っていた。

もしやあれはお父さんなりのギャグだったのか?

それとも私に対するセクハラだったのか?

相変わらずお父さんのことは好きだから関係ないけどね。

久々に実家に帰り父親を含めた家族旅行に来たため、ふと思い出した。






ちなみに、お父さんのはデカイ。

小学校高学年の時に見たけど

通常時がバイブ並みに大きかった。

うんこ漏らしたことがある。約一年間で二回も。

タイトルの通りであるうんこ漏らした時に増田に助けてもらったので恩返しという名の懺悔をする。

かに言わないとやってられない。増田なのでこの際包み隠さず書く。うんこ漏れたけど。

一回目。あれは七月の終わりごろ。

私は大学生で、確か期末テスト一週間前だった。

自宅から自転車で駅に向かい電車に乗り、電車を降りたらまた自転車に乗るという通学をしていたのだが、

何をどうやっても一限の始まりに間に合わず、間に合わない以上は出来るだけ急ぐのだが、腹の調子が悪い時はそれは地獄であった。

毎回うんこ漏れそうだなとか思いながら駅のホームの端にあるトイレに駆け込んだりしていたり一回民家に駆け込んだこともあったのだが、

七月のそのときは少し事情が違った。いやよく覚えていないのだが…

確か駅を出た時にはそんなに腹の調子は悪くなかったのだが駐輪場に移動してしばらくチャリを漕いでいたらヤバくなったような気がする。

駐輪場から大学まで微妙に遠く、大体十五分くらいかかるのだがうんこ漏れそうなときにそんな時間耐えられるわけがない。

悲しい。今思い出しても情けない。路上うんこ漏らす大学生自分がなろうとは。

うんこをどうやって処理したか微妙に覚えていないが、多分大学まで行ってトイレで処理したのだと思う。

何せ初めてうんこ漏らしたわけなのだから内心パニックである。もう本当にどうしたのやら。とりあえず「うんこ漏らした」とかでググったのはしばらく後だった。

うんこ漏らしたのはもう事後だからどうしようもないが問題講義である

さっさと帰れよウンコマン自分で思ったがそうはいかない。テストの予想問題の解答をやるとか何だとかで一限は出ないといけなかった。

おまけに二限は配られたプリントを回収しなければならなく、三限も何かあった。

から一限には出た。うんこ漏らしたけど普通に座席に座った。匂わないかハラハラしていたが今考えるとハラハラする以前に人間として大切何かを失っていたように思える。

何やら汁っぽいものズボンに染みていたはずだが念入りに拭いた(はずだ)し、ズボンの色は深い紺色でカモフラージュされたので結果的に妙な悪運を発揮したことになる。

パッと見ではわからないのだ。

ただうんこの処理やら何やらで入るのは遅くなったし板書の文字は見えないしで一限の講義はひたすら辛かった。

一限が終わって教室移動。一限は専門だったが二限以降は全学共通科目、つまり一般教養であり、比較的出席などは緩い。三限も同様。

二限の科目がまさにそうで、プリントは毎回配るが大部屋で出席確認はなし、テスト一発という今この状況ではとてもありがたい科目であった。

さっさとプリントをいただいた後コンビニに向かう。

パンツを買うのだ。

まずはパンツを替えたい。

猛烈にそう思っていた。

この時コンビニトイレが閉まっていたというのが妙に記憶に残っているがそこでパンツを替えたかったのだろうか…今となっては良く分からない

とりあえずコンビニトイレが閉まっていたので大学トイレに向かいパンツを替えた。

しか事態は深刻であるパンツを貫通して汁がズボンにまで到達しているのである。一限は仕方なく、本当に仕方なく席に座ったがこれ以上のうのうと講義を受けていられる気分ではない。

から帰った。三限は出なくても問題なさそうな感じだったので躊躇いはなかった。電車では立つと見られるかもしれなかったので座席に座った。もうマジで汚い。

私は実家から通っていたので、家事もそれなりに請け負う。テストが近いので早めに帰って風呂を洗うのは良くやっていた。

おまけに日中家族ほとんど出払っていて、居ても風呂からは遠い。

それらの事情を利用して、風呂場を洗うついでに、パンツズボンを洗った。ものすごく念入りにシャワーで流し石鹸で洗った。

パンツは捨てようにどこに捨ててもバイオテロなので洗うことにした。ズボンは直接うんこが付いたわけではなかったから捨てるわけにはいかなかった。

一応パンツズボン洗濯機に放り込んだ。うんこはきれいさっぱり流されて微粒子レベルしかないことは確認済みだったか大丈夫ということにした。

選択されたものを見ても綺麗になっていたので一応の解決はされた。

以上が一回目である。このときはもう二度とやらねえと思っていた。

二回目は年が明けた三月の初旬。浪人時代友達焼肉を誘われてそれを食いに行った帰りである

長期休暇で碌なものを食っていなかったからであろう、久々の肉は私の腸内環境を大幅に活発化させた。

私はあの日以来うんこ漏らしてもパンツビニール袋は持ち歩いておこうと思ってリュックに入れていたのだが、

この時は別のカバンで外出していた。

私はそれが悲劇に繋がるとは肉を焼いているときには予想だにしなかったであろう。

家の近くの駅から出た時であった。これはヤバイ確信する何かがあった。

とりあえずトイレを求めて駅近くの交番に行ってみたら警官はいなくて代わりに知らないおっさんに「ここトイレないよ!」と言われた。誰だったんだ。

そして急いで駐輪場に向かう途中で…

この時妙に冷めている自分がいた。「またかよ…」

ケツを浮かせながら家に帰る。幸いにもまた家族は出払っているらしく、風呂も洗ってなかった。おかしい帰ったのは十一時くらいだったが。

ともかくうんこを流してパンツズボンも洗って洗濯機へ放り込む。

二回目なので手慣れたものである。こんな汚い作業手慣れたくなかった。

うんこの処理をしているときうんこのかおりで小学生時代の最悪な思い出が蘇った。そう過去にもうんこの処理をやったことがあるなと。

あれは小学三年だか四年だかのこである掃除をしていたら学校トイレが詰まっていたのだ。

私は運悪くトイレ掃除の係だったのだが他にもう一人A君という男子が居た。

おぼろげな記憶ではA君は確かトイレが詰まっていた時にカッポンがないか和式便器に手を突っ込んで詰まりを取り除いていたような…

いや、よそう。こういうのは思い出してはいけない。最悪な思い出をこれ以上共有するべきではない。

初めての増田でこういう最悪な記事を書いた私が言うのもなんだが、今初めてうんこ漏らしてこれを見つけたあなた、少なくとも私よりはマシですよ。

とりあえずうんこ漏らしたらパンツ買って家に帰りましょう。それと捨てなくても洗えば使える。以上。

医学部受験4浪して失敗したけど、大学生活楽しんで就活成功した話

多浪失敗して、その後の話ってあまり語られていない気がするので、誰かの慰めにでもなればと思って投下。

高校時代

地方の2番手くらいの私立進学校で、勉強漬けの日々に飽きて学校の特進クラス底辺の成績でふらふら過ごしていた高校時代だった。

なりたい職業特になくて親が医者だったので、当然のように浪人した。

このとき学力センター試験で6割取れるくらいだった。

地頭は悪い方なので、これでも多少は勉強していた。

~1浪目~

1浪目は大手予備校の寮でぼっちで過ごした。

高校時代よりもはるかに多くの勉強量をこなした。

はじめての都会での一人暮らしだったので、適度に遊びもした。

この年の受験の結果は私立医学部を4校ほど受験して、1校だけ1次試験合格しかし、2次で落ちた。

センターは7割程度だった気がする。英語など科目によっては9割近い点数を取れたが、センター試験国語数学が苦手だった。

~2浪目~

2浪目、ここからが終わりの始まりだった。

1浪目に勉強して成績伸びたし、同じようにやってればいいと思っていた。

しかし、同じ寮で2年目となると、だらける日が増えた。

そんな中3浪の友達を作ってしまい、そいつと部屋で酒を飲んだりネットしたりする日々を過ごした。

当然受験は失敗。すべて不合格だった。成績も伸びなかった。

受験が終わる頃には、寮での浪人仲間は全員音信不通だった。

また、この時期に親との関係悪化して、実家に戻っていた期間に家出した。

~3浪目~

3浪目、家出から戻り、同じ予備校の別の寮に入った。

この頃から高校の友だちとも完全に連絡を断った。

1浪目のときのように、ぼっち勉強した。

各科目で成績が伸びたが、センター試験の点数は伸びなかったので、私立医学部だけに絞ることにした。

5校くらいは受けたが、全て不合格。ここでやめておけばよかった。

~4浪目~

4浪目、医学部受験専門の全寮制の小さい予備校に入った。

この頃から完全に受験勉強が嫌になっていて、最小の労力で日々をやり過ごすことしか考えていなかった。

親戚に5浪で私立医学部合格した人がいたので、いつかは受かるかもと思っていた。

この予備校は再受験多浪の人が多くいた。

自分はまだ若いほうだななんて思いながらも、22歳になっていて、高校同級生就職活動などしていたことに焦りを感じた。

予備校と寮のカリキュラムを最小の労力でやり過ごし、知識量だけは増えた。

英語生物社会はかなり点数が良かった。このとき身につけた英語力だけは後の大学生活でも役に立った。

しかし、相変わらずの地頭だったので、数学は伸び悩み私立医学部を数校受験してすべて失敗。

地方国立理系学部を前期に受験したところ、当たり前だが合格した。

遂に医学部受験を断念し、大学に進学することになった。

医師の父は納得していなかっただろうが、両親ともおめでとうと言ってくれた。

大学生活~

大学では部活サークルをやったり、同期よりも年が上なので学科長をやったりして充実した日々を過ごした。彼女普通に出来た。4人くらい付き合った。

大学3年の時にプログラミング出会ってコツコツ勉強して、都内上場してるいい感じのITベンチャー企業エンジニアとして普通に内定貰えた。

25歳とかで年齢制限がある会社もあるみたいだけど、就活中に年齢が問題になったことはなかった。

しか自分はずっと4浪ではなく、4年間フリーターをやっていたと言っていた。

このことを隠し続けてきたことだけは、心残りというか後ろめたい。

ポンコツクズ自分だけど、親が金出してくれたことだけが唯一の救いだった。。。

2018-08-17

ワイ34歳 実家の近所の幼稚園がそのまんまで驚く

裏庭の公園すら全く変わってなくて感動した

今どきの田舎でも終身雇用ってあるんやなって

anond:20180817153816

一度検討したことあるけど、家具備え付けで引っ越しが楽そうだからだよ

冷蔵庫電子レンジ洗濯機テレビとかは一人で使うと無駄が多いし

あと同じくらいの家賃ワンルーム一人暮らし部屋から比べると、小ぎれいな部屋が多いイメージ

実家から出たいけどまったくの一人暮らしは決心つかないって人にはちょうどいいと思う

おっさん増田たちはまだ気がついてないだろうけど

今の中高生ガラケー渡して実家電話かけろっつっても、

3割ぐらいの奴しかすんなり通話まで行かないからな。

過半数は発信まで出来ない。「電話アプリどっから出すんですか?」とかいう。

ちゃんと触ったことあるのがスマホだけだからさ。

で自宅の番号も知らなかったりする。

俺らが常識だと思ってきたものっていつの間にかすんなり廃れていくもんなんだよな。

朝見た夢

これからちまちま夢日記をつけていこうと思ってる

実家一時的に出て適当な安いホテル生活しているらしい

少女がやってきて抱いてほしいって言ってくるので

とりあえず耳を責めるとぴゃあぴゃあと可愛い声で鳴く

この先は今度ね、って言って追い出す

このままじゃだめだなって思ってホテルを引き払って会社に寝泊まりしに行く

少女としたくなかったので)

という夢だった(自分は女)

anond:20180817091711

知らんが、FTTHより安くてADSLより高速なケーブルテレビインターネッツ集合住宅かに配備されてるからちゃうかな?

大体J:COMのおかげや。

でも8割は謎やな。

ワイの実家一軒家やけど特にケーブルテレビとか入っておらんかったきに。(USENの光は入れた)

ありがとう

初めて彼氏実家にお泊りすることになった。

特にこれからの話は何もしていないが、私の母には挨拶済みなので、これでお互いの親に紹介された状態にはなる。

出会い合コンだった。終了後に向こうから連絡が来て会うことになったが、あまりにも印象が薄く、5対5の会だったにもかかわらず私は彼の顔を覚えていなかった。

駅で待ち合わせする時に顔が分からないとは口が裂けても言えないので、

「人が多すぎて見つけられないから服の色を教えて」

と言ってなんとか合流した。

私は病的に自分のことが嫌いだ。

嫌い過ぎて、たまに発作のように死んでしまいたい衝動に駆られる時もある。

父には物心ついた頃から容姿について色々と言われた。妹と比較してブス、ブスは髪を伸ばすな、頭が悪いから大人になってもどこにも雇ってもらえない、ニートになる前には死ね

そうやって言われ続けて育った私には自尊心のかけらもない。

男性にどれだけ褒められても嫌味か機嫌取りの嘘にしか聞こえなかった。不愉快だった。

人より小さな胸やガタイの良い上半身、"エラ"の大きさや足の短さ、二の腕の太さ、偏差値の低さ…

自分短所しか目が行かず、コンプレックスの塊。周りの人間に嫌われて当たり前だと思い込む。この闇で独りもがき続けるのが辛くて、早く死んで消えたかった。

そんな私にアタックしてきた彼を、とりあえずオッケーしたものの心の中では全く受け入れられなかった。

こんな自分を好きになったのが本当なら、趣味が悪すぎる。気持ち悪い。とりあえず彼女作りたかっただけなんじゃないか

(もし、私がここまで自分拒否する感覚が分からないという方がいたら、どうしても好きになれないものに置き換えて考えてみてほしい。たまにトイレに入った時に見つけてしまう前の人の流し損ねた排泄物みたいな。私は自分自身がそれと同じぐらい好きになれない。)

本当に失礼なのでこういう思いを当初抱いていたとは彼には今でも言えない。

何年も受け入れられないまま過ごしたせいで、遂に私は、彼は惰性で私と一緒にいるのだとまで被害妄想を抱くようになった。

それがきっかけで私が色々と彼を傷付けるようになり、一度別れたが、数日後すぐに彼の方からよりを戻したいと言ってくれた。

「○○(私)がいない生活が辛くてご飯が喉を通らず痩せた」

あんなことをされて、何で今でも好きなのか分からないけど、一緒にいるのは○○じゃないと嫌だと思った」

彼のこの言葉に衝撃を受けた。もしかしたら彼は本当に私の事を愛しているかもしれない。

涙が止まらなかった。

こんなに遠回りをして、あんなに彼を傷付けて、やっと他人からの愛を実感した。

そんな自分性質に心底腹が立って、悲しかったが、ちゃんと誰かに愛されるという安心が勝った。

彼は私のことを愛している。

私も彼のことを愛している。

それが分かったのは、彼と交際を始めて2年が経った頃だった。

4年前、顔が覚えられなかったなんて信じられないくらい、今ならどんなに遠くから彼が歩いて来ても見つけられる。

外に出るときには必ず手を繋ぐし、部屋の中では常にくっついている。

ここまで心地良い関係になれたのは彼だけだ。

家族も含め全ての人間から嫌われている気がするし、自分自分が大嫌いでずっと苦しかった。

そんな私を気長に愛してくれるあなた

私のわがままを髪を撫でながら笑って聞いてくれるあなた

私はまだ自分のことが一切愛せないし許せないけれど、あなたのことは愛おしくて仕方がないです。

これからもずっと一緒にいてください。

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