はてなキーワード: 言葉とは
「私増田」さん、丁寧なお返事どうもありがとうございます。
おっしゃるとおり言葉に依るコミュニケーションはそれぞれの背景や知識、経験等により、受け止め方が違ってしまう可能性がありたいへんむずかしいものですね。
元増田さんの話でいえば、親戚の人たちにまごころをもって真意を伝えてもなお非難し続けられるようであれば、ひとまず少し距離をおいてさらさらと流れるように自分の人生を生きるようにすればいいのかなとわたしは思いました。相手の方に善悪のラベル貼りをせず、「ご親戚の方々の態度・考えを尊重されて、無理矢理にでも納得させるようなことはおやめなさい」ということですね。自分の考えこそ正しい、何がなんでも理解させたい(理解してほしい)、相手は間違っている、となるとそれは煩悩・執着となり自分自身の苦しみの元になるのかなと思いました。わかりあえない方がいても、それをそのままあるがままに受け止めるという感じでしょうか…。
「去る者は追わず、来る者は拒まず」というのは今まで冷たいような気がしていましたが、懐深い優しさなのかもしれないと、「私増田」さんの書いてくれたものを読んで思いました。関係ないわたしにまで時間をかけてつきあってくださってありがとうございました。お話できてよかったです。
平義久っていうもう亡くなってしまった作曲家がね「調性音楽のオーケストレーションは必ずやらせる、これがないと絶対に先に進めませんので」って。
この言葉は今でも私に突き刺さる。
つまり、伝統芸術をすべて知っていなければ、その先など作れないということだ。
ところが、オタク文化の享受者に伝統芸術をすべて知っているものは少ない。
(追記)
敵視してるのは当たり前だろう。ペリーヌ物語でどんだけサッソーネ楽団の音を丸パクリしてるんだよ!あんなもんしってりゃすぐわかるっつーの!クラシック嫌いでアルゼンチンタンゴが好きなんだろなってわかるわい!
1970年代、日本は本当に貧しく、教養層は少なかった。まだ娯楽は酒と煙草と風俗とパチンコくらい。
それがオタク文化の源流ね。
ツイッターで自分とは全く関わりのない界隈を見るのがマイブームなのだが、すごい集団を見つけたので記録しておこうと思う。
彼女たちは「頂き女子」と自称している。何を頂くのかというとお金である。いわゆる若さと愛嬌を切り売りしてお金に代えるタイプの女性かと思ったが、彼女たちの活動はそのイメージから想像できる範囲をかなり逸脱している。
やり方はこうだ。まず出会い系アプリやサイトを利用して、男性(彼女らは「おぢ」と呼んでいる)に近づく。彼女たちが狙うのは、20代の美しい女性と付き合える可能性が限りなく低いであろう男性だ。
次にその男性を本気にさせるため、自分が相手のことを好いていると認識させるようなメッセージを送る。女性経験の少なそうな男性を狙っているため、中にはすっかり騙されてしまう男性もいる。
そして、本気になった相手の男性に、自分が借金を抱え、返済で追い詰められているように匂わせる。この頃になると相手は彼女のことを好きになっており、本気で将来を考えてすらいるため、解決してあげたくてついお金を払ってしまうのだ。頂き女子は、男性を騙して、文字通りお金を「頂く」のである。
すごい手法だ。
個人的な意見としては、(18歳以上であることを前提に)風俗やパパ活に関しては自己責任で問題は無いと思っている。少なくとも本人たちの間ではギブアンドテイクが成り立っているからだ。
だが、頂き女子は違う。彼女らは明らかに、嘘をついて男性から金銭を騙し取っている。法律には明るくないので間違っているかもしれないが、これは立派な詐欺行為にあたるのではないだろうか。
「頂く」という言葉で言い換えることで行為をマイルド化し、同じ行為を行っているもの同士で連帯することで罪悪感を低減させているらしいのも恐怖心を煽る。
ちなみに頂くお金は男性1人あたり10万~200万以上らしいので、まず間違いなく脱税もしていると思う。
頂き女子界隈を観察していると、ホストに嵌っている女性が多かった。ホストは客の女性に対して疑似恋愛を仕掛け、他の客やホストとの対立を煽ることで高い酒をどんどんと開けさせる。頂き女子もまた、ホスト相手に貢いでいるのである。
ホストと客の関係は、少なからず頂き女子と男性の関係と一致する。ホストに嵌り、振り回される立場を知っている女性だからこそ、効果的な騙し方を心得ているのかもしれない。
初投稿。暇だから書き殴ります。私の母親は楽しい人です。身内の贔屓目かも知れませんが、少なくとも私は私の母親以上に面白い生き物に出会えた試しがありません。
まず前提として私は母親に一切の畏敬を抱いていません。いかにも実母に対して好意的なタイトルを銘打っておきながら、その中身は身内の恥を晒すような代物です。
タイトルから家族の暖かい日常話を期待して来てくれた方には申し訳ありません。他人の家の不幸自慢に耐性のない方は、気分を害する前に引き返すことをお勧めします。
私の父親を「人でなし」だとすると、母親は「ロクでなし」という言葉を体現した人物だと思っています。どちらにも共通する部分として「幼稚」というものが挙げられます。そんな両親の間に産まれた私も高が知れたもので、その品性はこのような人目に触れる場所に褒められない文章を投下している時点でお察しです。
結婚の動機は母親によると「他に好きな人がいたから」というもので、それだけを聞くと要領を得ないものですが、さらに詳しく問い質していくと、やはりどうにも意図を掴みかねる答えが返ってきました。
どうやら「別の男に近付くために結婚までして子供を産んだ」という、なんだそれはと呆れ返るような真相です。ちなみに父親は祖父母の財産目当てでした。
結局この話のオチは「夫の暴力に耐えかねて離婚。目当ての男には逃げられた」という三流喜劇も甚だしいものになりました。なにより面白いのは多感な幼少期の私に「お前は道具として産み落とされたんだよ。お前の父親なんて愛したことがない」と正面から説明していたことです。おかげで物心着く頃には母親の大体の人間性が把握できていました。まさしくロクでなしです。
実は私には姉がいます。これまた手放しに性格が良いとは言えない姉です。それでも人並みの優しさと常識を兼ね備えた、あの両親からしたら鳶が鷹を産んだような奇跡の子供です。そして、母親のことをこの上なく軽蔑しています。
というのも姉は母親の第二の被害者(第一は祖父母、第三は私自身です)と称しても過言ではないのです。
前述の通り、姉は手放しに性格が良いとは言えません。それこそ小学生時代は男勝りに無鉄砲で図々しく、なにより神経が丸太のように図太い子供でした。端的に言いますと、愛想がないのです。家から閉め出された日には本当に家出をしようとしたほどです。
そうなると母親には面白いはずもなく、離婚してから三人暮らしを始めると、やはり予想通りと言うべきか、姉が怒られない日が珍しいほどでした。中には八つ当たりのような理由のものも少なくありません。叱る前に怒るという部分に母親、それ以前に「大人としての適性」が伺い知れます。
なにより記憶に鮮烈なのは、子供二人に酒のお使いを押しつけた挙げ句、買えなかった旨を報告され乱心し、姉に痛烈なビンタを喰らわせた事件です。怒っていいのか笑っていいのか分からない、そんな気分を低学年にして初めて味わいました。
とはいえ子供は養われる身。それも咎める大人のいない三人暮らしでは、母親の気分を害する行為は禁止という暗黙のルールが敷かれていたのです。私としては母親の不機嫌は大抵姉が吸収してくれるわけで、そこまで不自由な気分はしていなかったのですが。
祖父が逝去すると祖母との四人暮らしが始まりました。そしてこの祖母こそが母親の最大の被害者です。あの「怪物」を育て上げた手腕にブリーダーとしての才能を匂わせる祖母ですが、その生涯には怪物の息子である私でも同情を禁じ得ません。
まず家賃の半分以上を祖母が年金で負担。さらには家事の担当も祖母。既に身体にガタが来ているというのに、まるで休まる暇もありません。
そして肝心の母親はと言えば、子育てさえ自分の親に丸投げして自堕落な実家生活。祖母の苦言も馬耳東風。終いには「仕事もしてない子供に家事をやらせろ」と責任転嫁。学校から帰宅して自分の家事を最低限こなしていた私たちに、自分の家事さえ人任せな大人が偉そうに命令するのです。
甘える対象が近くにできた母親はロクでなしからクズへと退化していきました。時に祖母と母親は殴り合いの喧嘩まで発展し、何度か警察沙汰さえ引き起こしましたが、それでも母親は成長することはありませんでした。
出会いに失敗、仕事に失敗、金銭に失敗。往々にして失敗とは本人の選択ミスが招くものであり、失態を省みて自己改善に努める能力は現代社会人に必須とされるものですが、当然ながら私の母親にそんな殊勝な精神性は宿っていません。
どこで最悪の出会いをしてきたのか、ある日母親は帰宅するなり、とんでもないことを口走り始めました。
「実は私の人生は悪意によって歪められたものであり、それは前世において私の大成功を妬んだ存在、今世における実の母親の仕業である。数年前にゴホンゾサマの像を返却した事実がその証拠だ」
私は感動しました。その日までテレビの中でしか実在しないと思っていた出来事が、目の前で起きたのです。まさか、実の母親がカルト集団の仲間入りを果たすとは!
やはり逃げ道としての宗教は人間を腐らせるものに違いありません。その日以来母親は事ある毎に祖母に恨み言を吐きかけるようになりました。全て根拠も論拠もない妄想の垂れ流しであり、こちらの話には聞く耳も持ちません。もはや自分に言い聞かせているかのような修羅の勢いでした。
定年を迎えてまで馬車馬の如く働かされ、自分の貯金を浪費されるばかりか、元凶に罵詈雑言を浴びせられる祖母。二人の殴り合いの頻度は一週間に一度というハイペースに至りました。私たち姉弟は巻き込まれる度に仲裁を試み、時に身内を警察に通報するという地獄を繰り返していました。今思い返してもあの頃ほど充実した毎日は生涯訪れないだろうと確信しています。
これらが既に三、四年前の話であり、今は他の事もあって最盛期より随分と落ち着いています。私の母親の笑い話はこの他にも枚挙に暇はありませんが、全てを羅列するとなると労力も文字数も計り知れません。流石に飽きてきたので今回はここまでとさせていただきます。
今回は休日の時間潰しにと思いついて執筆させていただきました。少しだけでも楽しんでいただけたでしょうか? 人の不幸自慢を楽しめたなら世の中の大抵のことは楽しめることでしょう。羨ましい限りです。
さて長々と書き連ねてしまいましたが前述してある通り、こんなものは「不幸自慢」の範疇に収まるような些事です。どこの家庭も抱えている多様な問題の一例にすぎません。
中には育ててさえもらえなかった、食事すら自分で用意した、という方もいるかも知れません。それらを比較してどちらが可哀想、という話も私にはとてもできません。
ただ最近の世の中は便利なもので、腹の内に抱えた宛のない不満を吐き出す場所が用意されているものです。例えば、こことか。
なんでこうなったんだろうなあ。
昔は普通に楽しかったって今も思うし、それが続いて欲しかったけどまあそうはならなかった。
向こうの心身的な調子の問題もあるみたいだからしばらく会ってなくて、その間どうしてるのか気になってた。SNS垢知ってるからチェックしたりしてた。それで向こうはSNS上の付き合いの方を重視してるんだなって思った。そういえば食事とか行ったときリプ返延々としてたこともあったけど、あれなんか嫌な感じしたなあとか思い出してた。
それである日向こうから会えないかっていう連絡が来て、SNS上のやり取りから察するに結婚の報告だとすぐにピンときた。晩御飯合わせで待ち合わせた。
会って最初に話されたのが、なんで1年弱会わなかったかっていう理由が、私のLINEの送り方の問題だったっていうこと。体を気遣う言葉なしにいきなり用件に入ってたのがよくなかったって。めんどくせーやつだなって思ったらしい。でも私もこれ聞いてめんどくせーやつだなって思った。このへんのこと聞きながらご飯食べてたけど本当に美味しくなかった。いや普段は普通に美味しく食べてたメニューだったけどこのときは味がしなくてただひたすら口に運んでた。長年の付き合いならもっとわかってくれると思ってたとか言われたけど、そんなテレパシーない。
そこから結婚するっていう報告とそこに至るまでの話。別に聞いてないけど結婚への価値観などの話。まあSNS上のやり取りで知ってたし、そこは普通におめでとうの気持ちがあった。だから後日御祝儀も送った。1ヶ月経ったけど内祝いどころか、届いたっていう連絡すらない。郵便事故の可能性も考えたけど、向こうの家族に確認したところ、ちゃんと届いてるということは確認できた。結婚の条件に一般常識があることを挙げてたのに、一般常識ってなに?
美味しくない晩御飯食べながら、なんで久々に会って楽しいはずなのにこんな楽しくないんだろうって思ってた。説教ぽくて、人と対等がいいって言ってるそばから上から話してて、前からこんな人だっけ?って疑問だった。まあ人は変わるってことか。そして隣にいてくれる人がいるならそれでいいよな。私はもう一緒に楽しく過ごすのは無理っぽい。
お互いそう思ったんだと思う。距離置こうって連絡が来て、すぐさま肯定の返事を返した。私の知らないところで達者にやってくれ、って思いながら連絡先消した。20年弱ありがとうございました。さよなら。今回のことは話の種になったと思います。
大学で初めて出来た彼も神戸の人で、二人とも神戸の街が好きだった。
正月は一緒に帰省してお互いの家に挨拶にいったり、お互いのお気に入りの場所を回ったりしていた。
全く電話が繋がらなくて不安だったけど、2日経ってようやく向こうからかかってきて家族も家も無事なことを確認した。彼の家も無事だった。
テレビからは大好きだった街や建物が破壊されてる映像が流れてくる。
怖かった。
亡くなってたら悲しいし、もし無事でも家が壊れてたら、なんて言えばいいのかとか、よくわからない事を考えてた。
高校時代毎日遊んでた友達もいたのに、安否を確認するのがとにかく怖かった。
彼とはその年のうちに別れた。
少し冷静になると、今度は罪悪感が生まれてくる。
なんで友達に連絡しなかったのかとか、帰れるタイミングでも帰らなかったのかとか、自己中な考え方にうんざりした。
謎の後ろめたさで神戸に帰れなくなった。
東京で被災者が集まるセラピーみたいなのがあったので行ってみた。
私は罪悪感について話した。
家族を亡くした人、仕事をなくした人、大事な場所が壊された人、子供を連れて引っ越してきたら子共がいじめにあったこと、色んな話を聞いた。
気が楽になったわけではないけど、みんなで乗り越えましょうという言葉に奮い立たせれたのを覚えている。
心がよじれて、押し潰されそうになる。
先に言っておく、自分の人生がうまく行ってない訳ではない。むしろ、客観的にも自分の人生は運良くうまくいってる。
地方に住む親兄弟とも仲が良いし、結婚もして家族4人で不自由なく生活している。東京の大企業に勤め、仕事もそこそこでき、新聞、海外の雑誌、テレビで取材をされたこともある。30歳で23区内の持ち家に住んでいる。学歴の面で困ったことはない。年収も同じ年齢では上位1%に入る。学校に通っていた頃は異性にも少しはモテたし、初体験も高校生だった。学級委員もやっていた。学校も毎日楽しかった。
だが。だけれど。満たされなかった。
満たされたことが無かった。
本当は羨ましい、なんて言葉ではない。
それが欲しくて、奪いたくて、それが情けなくて仕方ない。
それらを全てを忘れたくて酒を飲んだときでさえ、
出てくる言葉は恨み、ねたみ、つらみ、だ。
論理的に考えても、このネガティブな気持ちを拭うことはできない。なぜなら、それらを手にしてもまた新しいものが妬ましくなるだけだから。
隣の芝生が青く見え、それを実際に手に入れても、そのまた隣の家のレンガ造りがどうしようもなく美しく見えるだけだ。
虚しい気持ちが常に心を満たしてる。
しかも年齢を重ねるごとにどんどん強くなっている。
え、ちょっと待って、とこぼしがちなオタクには敏捷性が足りない。
agilityにもステータスを振るのだ。
オタクというのは、目まぐるしく変遷していく最先端のモードを常に追いかけ追いつき時に追い越す、「やっと時代が追いついてきた」と嘯けるくらいでないといかん。それくらいの渇望、ハングリーさを満たすには、agiは必須なのだ。
何でもアーリーアダプティングしていくために必要なのは、アジリティ、身軽さだけではない。偏狭に囚われないだけの器量、dexterityも必要だ。
さもなくば、いずれ置いていかれ、「ちょっと待って」が増えていき、ついには完全についていけなくなり、言葉も発せなくなり、ダークサイドに堕ちて、世界を破壊する狂人と成り果ててしまうのだ。
そうはなりたくなかろう?
ではステータス画面を開け。
https://togetter.com/li/1651789
「SLVの単語をLv10ぐらいまで覚えろ」とか「真面目に英語勉強してない人だったら無理」とか「努力積んだ後でないと無理だ」的コメントやら「「週四時間やる程度で覚えるわけがない」とかいうコメで「たいした努力しないで期待する奴は心折れて結構。努力できる俺を俺は誇る」「ものをよく知ってる俺は俺を誇る」という感じ。
そんなのばっかじゃないけど、ネガティブな感情を込めたコメントは目立つよね。
「SLV単語 Lv10」ってこんな感じ。
https://natively.fun/english/vocabulary/svl-trustworthy/
よく言われることだが英会話はやっぱり目的と環境があると続けやすくなる。
「海外のスポーツチャンネルや料理チャンネルをヒアリングできるようになりたい」
「コロナがおさまった後で外国人観光客に道を聞かれたらスマートに答えたい」
「海外旅行に行った時にレストランの予約や路線バスをサクッと使いたい」
なんてところだ。
個人的な勉強を「業務外の余計なこと」と思われない環境があるのは安心して勉強できる。
そうでなくても一緒に勉強してる人がいれば折れづらくなると思う。
ブコメに「美男美女なら必死に頑張る」というのがあって下世話にみえるけど、それも有効じゃないかな?
でも会話で気持ちいいのは「盛り上がる」ことなので、講師の先生の趣味に自分と共通のものがあったらその先生のクラスはとってみたくなる。
日本だと「アニメ・マンガ」「ゲーム」はキラーコンテンツだと思う。そっち好きで日本人と話したい人は結構いる。
よく「フィリピン人の英会話は英米人より鈍ってるんじゃないか」とか「恥ずかしいジャパニーズイングリッシュ」なんて言葉が飛び交うけど、世界中で英語を話してる人のうち、多分半分以上は英米人じゃないぞ。
それに香港でイギリス人に話しかけたけど、むしろイギリス人のほうが辿々しい英語でも汲んで聞いてくれた印象あったな、だから欧米人相手に話すのに憧れてても大丈夫だよ。
アメリカやヨーロッパのカンファレンスに登壇してなめられない英語話そうなんて思ってなければさ。
そもそもスズキの社長なんてすげ〜ジャパニーズイングリッシュで堂々と話してるじゃん。
英語力
さて問題の英語力だが、自分はレベル低い公立中高で英語の点数は全然平均以下だった。
でもやれてる。
最低限の準備として、3ヶ月ほど1日5分「観光客に話したい英語フレーズ」の文章を口に出して読んだ。
文法なんて理解してなかったが、英単語を口に出す習慣をつけたかった。
これが案外有効だった。
いざ英会話を始めると、文法を理解してないのでヒアリングを失うことは度々あるが、向こうも金もらってる講師なので、I don't know what you are saying.っていえば噛み砕いて単純な単語で話してくれる。片言日本語なら話せる人すらいる。
勉強法
勉強法っていうか準備だ。
1回のコマは25分。
25分を困惑の沈黙で埋めたくなければ、20分はカンペを読めばいいのだ。
レアジョブなら問答のテキストは受講者に事前に公開されている。
そしてそのカンペを
・DeepL
・みらい翻訳
DeepLとみらい翻訳がもっとも口語的な翻訳になるけど、Google翻訳はスペルミスをFIXしてくれるので、3つ利用した方がいい。
これで日本語の文章が変でなかったら、違和感ある英語でも少なくとも意味は通じる。
で、カンペ英語→機械日本語 をまた 機械日本語→機械英語 に再翻訳する。
それで見比べると、どこを直せばちゃんと通じる英語になるのかわかる。
そうして手間と心を込めてカンペを作る。
意味ないじゃんというなかれ、カンペ作りが立派な勉強になっている。
そしてフリー質問がきたら、カンペを必死につぎはぎして乗り切る。
講師はいつでも乗り換えられるので、必死のつぎはぎも、別の講師相手に既にやったことがあるなら白々しくなくもっと上手にできる。
それでもやっぱりカンペがちゃんとしすぎて講師が自分をもっとできると誤解して複雑に話し始めちゃうことがあるけど、それで曖昧な笑顔で返してもノープロブレム。
日本人相手の会話でもそんなに盛り上がってるか?英語でも日本語でも一緒だよ。
頻度
理想は毎日なんだろうな、でも自分は準備が必要なんでできて週3。
時間は買い物ネットスーパーにしたり、掃除をロボット掃除機にしたりして捻出してる。
コロナの家時間が長くなったんで、むしろやることあってよかった。
友達も産休や育児中だったり、「家庭があるのに飲みに誘いたがるタイプだから声かけづらいな」とか思ってて、一人時間がなかかった。
当座の時間的ゴールは今年の6月くらいを想像して、もうちょっとカンペ読む時間が短くなって、予習なしでアドリブ会話できるようになればいいかなーくらいを見てる。
まあそんな感じ。
発達障害の人間が言いそうなありきたりなことしか言わないけどマジで普通の人間になりたい。
っていうか普通の人間になるために23年間ずっとずっと頑張ってきた。で、24年目にばっきん折れて、そっから学生という名のニートしてる。
ありがちすぎる。馬鹿か。
もう私が発達障害なので幼稚園の時点で分かっていた。教室にいる時間より脱走してウロウロしてる時間の方が長かった。
はい、あるある。教室に1人はいただろ、座ってられないクソガキが。そいつが私だ。勿論親は白い目で見られる。可哀想以外の言葉がない。私だったら絶対ぶん投げてる。
しかし母はぶん投げない。偉すぎる。
母が偉すぎるので私は小学校も特別教室じゃなくて普通学級に通えるぐらいには人間の形にしてもらえた。
忘れ物、もちろん母が10回確認してくる。10回確認されたら8回目ぐらいで何とかなる。それは何とかなったとは言わねえよ。
テスト。勉強だけはできるが、もちろんケアレスミスがヤバい。3回解きなおしてた。なにせ時間だけは死ぬほど余る。
人間関係。ヤバい。何がヤバいか私には分からないが母はものすごい頻度で学校に呼び出されてた。
どうしようもないガキの親、どんなクソ親かと思って呼び出してみたら普通の人間が出てくるから先生も驚いただろうな。
実際私と同程度の問題児の親は、子供にピアス開けたり子供を金髪にしたり学校からの呼び出しバックレたり子供のおもちゃ酔っ払ってドブに捨てたりご飯作らなかったり育児放棄してたり、ヤバいのしかいなかった。
いや、産んで愛して生存させてるだけで100点だと私は思うけどね?世間はそうは言わない。
まあ最初は親に憤っていた担任も、1年終わる頃にはお母さんも苦労されますねまで折れてるのが毎年恒例だった。
そんなどうしようもないガキだった私も、周りの大人のおかげで人間のふりがちょっとずつ上手になって高校を出る頃には……なんて美談はない。
朝起きる、時間を守る、期限を守る、約束を守る。その他色々。死ぬほど苦痛だった。苦痛に耐える力が多少上がっただけだ。ストレスで高校3年間で5回ぐらいしか生理来なかったけど。
生理が止まるまで頑張っても、部屋片づけられないとか起きれないとか時間守れないとかそういうの全部努力不足で片付けられる。そうか、まだ足りないのか。
じゃあもっと頑張るしかない。私が普通じゃないのは努力が足りないからなんだ。
はい、この流れどっかで100回読んだわ。思春期過ぎてメンヘラ堕ちする発達障害。ありがちすぎる。
大学は発達障害の掃き溜めと名高い工学部に進学した。女で工学部なら学校推薦で大手企業に入れるだろうと思った。
逆に、人間性を見るような面接をされてしまうと絶対落ちる自信しかなかったので。
普通のサラリーマンになるにはシステマティックな採用をしてる古いメーカーに肩書で潜り込むしかない。
そこで女が少ないのを利用して手堅い理系男子を捕まえて結婚して大手企業の手厚い育児支援を受けながら働くんだ。
そこまでやればきっと私はどこから見たって普通の人間の型を踏襲してるって言えるはず。
大学では普通の人間になるためにめちゃくちゃ頑張った。オタク趣味も全て封印して告白してきた好きでもないけど普通っぽい男と付き合って、普通っぽい男に惚れたら普通になれると信じて好きになる努力をして、普通に遅刻癖や汚部屋をだらしないと糾弾されまくって、飲み会では美味しくないビールをいつか美味しいと感じるって言葉を信じて毎回飲み干して、たまに吐いて、興味もないファッション誌を購読して、好きでもない流行りの服を着て、好きでもない工学を学んで、好きでもない研究をして、嫌いなことをすればするほど、人間に近づいていく気がして嬉しかった。
ほらまたどっかで100回聞いたような話をする。うるせえ女の愚痴なんてだいたい100回聞いたような話だろ。
で、その夢がそろそろ叶おうという就活の目前で私は突然全てが嫌になり全てをぶん投げたため大学院を留年した。
馬鹿か。ぶん投げるならもっと早い段階でぶん投げておけ。23でやっていいことじゃないぞ反抗期。自分探しなんざ学部1年の夏休みに北海道で済ませておけ馬鹿が。
まあぶん投げたところで、1年までならセーフだろうという浅ましさである。全てを捨てられないところが本当に凡夫のそれだ。そしてまあ1年が経ったわけだ。
もう一回、レールに戻って、毎日普通の人間になるために努力する日々を送るための段取りは整っている。
教務課に、学校推薦を下さいって言うだけで私は普通のサラリーマンになれる。
私が23年間頑張って普通の人間になるために敷いてきたレールに、戻るべきか否か。
ですよね。
明らかに自分に対して何らかのトラウマを抱えている人物がいるんだがどうしたらいい?
原因は毎日、彼女の改善点を指摘したことにあると思うのだが。自分は、声も大きいし、言葉も強めな方だと思う。でも必要なことであったし、怒るより叱る寄りの対応を自分はしてきたと思う。公衆の面前で声を荒げたことは反省しているけど
以前より彼女は笑顔がなくなってきたなとは思う。正直なところ、今のビクビクした雰囲気では信頼関係も何もない。彼女は先輩だからやりにくい。
どうしたらいいのだろうか。
つい「ジュースなのに、ニンニクの味がする~」って口にしてしまい、周りの人に怪訝な顔をされてしまう。まあ、そんなの当たり前だもんね。
でもなんか、ジンジャーエールって、甘いものにニンニクを入れるっていう組み合わせが意外すぎて、飲むたびに素朴な感想が漏れてしまうんだよな。
特に本格的なやつを飲むと、本当に生のニンニクを擦ったような味がするからたまらない。言っちゃダメだとわかっていながら、そんな馬鹿みたいな言葉が出てしまう。
ジンジャーエールが大好きで、飲むときには特定のメーカーを選んで飲むくらいだが、どうしてもその悪い癖が治らない。恥ずかしさを取るか美味しさを取るか、いつもひとりで悩んでいる。
もうすぐ29歳になる童貞です。吐き出させてください。
お互いを深く知るためのコミュニケーションなのに、会話そのものが目標になってしまっていて、気を遣っているつもりでも、結局は自分が傷つかないように、当たり障りのない、面白みもない会話しかできない。年頃の男なら知っていて当然の知識も、できて当然の振る舞いもできない。料理の美味しいお店も休日の人気スポットも知らない。好きなものはあっても、他人と比べて低俗だと思われるのが怖くて、その良さを語るほどの知識も語彙力もない。
「自分は女性との付き合いが下手だから、こんな自分では相手を楽しませられない」と勝手に諦めて、結局失礼な態度を取っていることに気がつけない。
「自分に興味があるなら向こうから色々聞いてくるはずだ」と自意識過剰になりながら、自分からは決してそのようなアクションは起こせない。
悪い印象を与えたくなくて、相手を喜ばせる言動よりも自分が安堵するための言動しかできない。一歩踏み込んだ質問をすべきなのに、「相手が不快な気持ちにならないかな」などと無駄な心配をしているようで、そんな質問をする自分が気持ち悪がられないかと考えているにすぎない。
こんな拗らせ方をしていても、それを矯正しようとすらできない。
そのくせプライドだけはやたらと高くて、相手の些細なミスや性格の不一致に憤りを覚えたり、冗長なLINEのやりとりにウンザリしたとしても、それを指摘する勇気はない。
自分がまともな恋愛もできない欠陥人物だと評価されるのが怖くて、古くからの友人にも職場の同僚にも、自分が童貞であることを打ち明けられない。
セックスやエロには憧れを抱くくせに、嫌悪感と虚無感とプライドが邪魔をして風俗店に行くこともできない。
身だしなみに気を遣っているようで、トレンドの服を買うほどの自信も意欲もない。
そしてなによりも、「自分はそこまで悪くはないよなあ」などと根拠のない自信に自惚れ、自分の異常な欠陥を直視できていない。
さぞ日常生活もコミュニケーションが取れないのかと思うだろうが、消防士として勤めている都合上、職場内での会話も、一般市民の方々と会話をする機会も多い。
特に救急隊員として出動した際は傷病者の怪我や病気の状態を訪ねたり、病院に着くまでの間に世間話をしたりもする。
傷病者の不安を和らげようと、柔らかい言葉と表現を使い、時には冗談も織り交ぜる。
職場内では、人それぞれの性格や雰囲気を見て、冗談と真面目を使い分けて話すことができているつもりではある。
これらはあくまでも仕事をこなすために必要な所作で、深く踏み込むつもりがないからできる、一種の演技・役割のようなものだと思っている。
本来の自分はこんなに明るくないし、冗談も言わないし、理解力のある人間ではないと自覚している。
上辺だけでもいいからそのコミュニケーション能力を使えばいいだろう、と思うだろうが、それができないからこんな酷いことになってしまったのである。
更に言えば、消防士であることを鼻にかけて、自慢気に誇っているのも非常に良くない。
僕は自分がコミュニケーション能力のある人間のように振る舞うくせに、コミュニケーションが取れないと嘆く、ペラッペラで芯のない大根役者なのだ。
コミュニケーションを取るうえで多少の齟齬はあって当然だし、相手に不快感を与えないような言葉を選んだり、悪いところよりも良いところを探すのが当たり前であるのに、僕はその当たり前が、女性相手にはできない。
凝り固まった固定観念、一方では高くもう一方では低い極端な自己評価、周囲の人間を心の底から信頼できない疑心暗鬼。
恥を捨てて素直に話すだけでいいのに、それができない。
関わった人を傷つけ、不快な思いをさせるだけ。
いつかは一歩踏み出せると信じ、誰かが手を引いてくれるのを足踏みしながら待っているだけのクズ。
それでも、なんとか変わりたいとは思っている。
思っているだけ。
無理だろうけど。
🐈そうにゃん?
酷い言葉については
実際は増田ニャンがそう思ってるなら
しょうがない。
だったら無理ニャンよ。
自我の強い親に育てられたのと、一人っ子なので、どの辺で不満を言えばいいのか
判らないまま、
親にはとことん尽したよ。お礼も言われた。
お人よし過ぎるとも言われた。
お互いに我慢しないでいいのがいいニャね。
スタイルとかは好みの範疇だし、好きじゃないなら無理することないニャ。
まぁそんな感じ。
世帯年収1000万ぐらいだと税金が高くてお金がたまらないみたいな話をネットの記事で見て、
ケチな自分とはギャップがあるなと思ったので事例の一つと思って書き殴りの自分語り。
自慢っぽくみえることもあるんだろうなと思うので先に謝っとく、すまん。
ベンチャー企業でマネジメントをやっていて年収は多少ブレはあるけど約1400万。
1000万超えとるやないかと言われるかもしれないけど、生活については1000万の時代と変わらないので目をつぶってくれ。
奨学金とかは借りずに学費と一人暮らしの生活費を出してもらって大学まで卒業させてもらった、親には感謝している。
子供は私立には多分通わせない、というかケチだから通わせるという発想が今はない。
住居は都内の分譲マンション(山手線の駅に徒歩10分ぐらいの中古で築10年ぐらいの2LDK)を35年ローンで購入、支払いの残りは約4000万。
車は持ってない。
車は嫌いではないし、欲しいと思わないこともないけど、乗る時間とか用途を考えたらタクシーの方がコスパが良い。
とはいえタクシーも使わない、近場なら徒歩か自転車が主な移動手段。遠いなら電車。
子供がまだ小さいことや投資がほどほどに順調なこともあり、ここ数年は毎年500-600万ぐらい資産が増えてる。
楽天経済圏で生きるようにしていて贅沢はあんまりしない生き方をしてるつもり。
ちなみに楽天の回し者ではない、さらに言えばどちらかというと楽天好きじゃないし、ネットでの買い物はAmazonの割合が高い。
(書いといてなんだけど、もしかして楽天経済圏で生きていないのかもしれない…)
食費は4人で約月6万ぐらい。
服は基本ユニクロ、靴とかアウターとかカバンとかそういうのは多少お金を出してほどほどのものを買う。
本に使うお金は新卒の時からあんまり変わってない月1-2万ぐらい。
年収あがったのは本のおかげだと思うし、最高の自己投資だと思ってる。
買うのは自己啓発っぽいものやら仕事に関わる勉強のための本がメイン。
家電は時間効率が上がるものはちょっと高いものを買うようになった。
年収上がって一番贅沢してるなと思うのは電気代、昔は夏だろうが冬だろうがエアコンをなるべく使わなかったけど
最近は新型コロナウイルスのこともあって気にせず使うようにしている(若干胸が痛いが、子供のためと思うことにすることで年々痛みは減ってきてる)。
なんのためにお金を貯めているのかっていうと、将来の不安とか色々あるけど
一番は最もお金がかかる住居を気にしないで住むように購入したいと思っていたから。
だからマンションの残りローンをその他の資産が超えたときはとても感慨深い気持ちになった。
それを達成した今、目標は都内に一軒家を購入することに更新した。
子供がもう少し大きくなってきたら勉強とか習い事とかでお金かかるんだろう、あんまり考えたくない。
色々つらつらと書いて発散してしまったけど、このエントリで主張したいことはサラリーマンで徐々に年収が上がってきた人間の経験として
・年収600万ぐらいあれば都内でも贅沢しなければお金は結構貯められると思う(自分は年収600万ぐらいの時に独身だったのもあって貯金1000万ぐらいは貯めてた)
・周りで近しい年収帯で貯金できてない人は年収上がったタイミングで生活グレードを明らかに上げているので当然だと思う(車保有したり、家賃上げたり、明らかに服装が派手になるとか)
・税金が上がって搾取対象にされていると感じているし、優遇措置が縮小されたり無くなったりすることに対しては思うところがある
ちなみに、お金を貯められない人を別に馬鹿にしたりはしていない、というかむしろ憧れの対象だし、自分よりも経済を回しているというところで良い国民だと思う。
ただ派手に生活していてお金を貯められないって言っている人は自分の生活について客観性がないなと思って不思議に思って見てる。
なんだかとりとめのない文章になってすいません、最後まで読んでくれた人ありがとう。
反応くれた皆様ありがとうございます。
2回目の増田で多少反応がもらえて嬉しい。
(1回目はコメなし)
何故こんな日記を書いたかなんだけど、おそらく民放テレビ番組でIT企業役員と芸人を兼業している海外出身の男性芸能人の紀行トーク番組を見たからだと思う。
彼の堅実な考え方とか自由への考え方とかにものすごく共感したのと、最近目にした年収1000万の人の生活のニュースのギャップに思うところがあり急に書きたくなったんだろう。
見ていない人はわからないかもしれないが、彼の言っている自由というのはお金を貯めることでお金に追われることなく自由を手に入れるという意味だと解釈している。
多分年下だけど素直に憧れる。
コメントもらったので勝手に返信させてください(←これちょっとやってみたかった!)
電気ガスは自由化がきた時に営業電話かかってきた他の会社を使っているから楽天外。
通信は無料につられて楽天モバイル。でも通信悪いから無料期間終わったら別のに変えると思う。
普段使いのクレカも楽天。クレカ出すのちょっと恥ずかしいけど、最近はスマホ決済とかがほとんどだから、スマホのsuicaへのチャージとECサイトでの買い物がほとんどです。
匿名の洗礼を初めて浴びた気持ちだが、どんな形であれ関心持ってもらえたのは嬉しい。
端的に言いたい主張をまとめてくれているコメ。これを長い言葉で薄めたのが上の文章。
ただ一つ言わせてくれ、
俺 の 年 収 は 1 4 0 0 万 だ。
読んだことあるかも。
ところでこのコメントってテンプレ的なやつ?考えた人のユーモアセンスがすごい。使ってみたくなるね。
そうだね、その通りだ。
新卒時代はケチの最高潮の時代で、会社にアルミホイル巻いたおにぎりと自宅で入れたお茶持っていって飲んでたよ。自費の飲み会も一切参加しなかったし。しかも実家に寄生してたから初年度で確か200万ぐらい貯めた。
後出しですまんけど、年収600万時代の貯金1000万には、小学生時代のお年玉から学生時代のバイト代も含んでいる。
コメント主も自分で書いてるし、他の人も返答コメントしてくれているけど、ローンは今変動だと低金利だしローンには控除もあるから早く返すと損する計算。
お金の価値は変動するリスクがあるから投資をしてリスク分散しておいた方が良いと思っている。外貨も欲しい。
もし金利ががっつり上がった時は繰り上げ返済するかもしれない。
パッと浮かぶのは乾燥機付き洗濯機、冷蔵庫、自動掃除機、自動調理器、食洗機、全自動コーヒーメーカーとか。ありがちでつまんなくてごめん。
家事が時短されるものはネットのレビュー見まくるとか周りに持っている人いたらヒアリングしまくって購入して使い倒す。冷蔵庫は時短?って思うかもしれないけど肉をちょっと凍らせて日持させるタイプの物を購入した、結果買い物の頻度が下がっているので時短になっている。
東京での生活は楽しかったし、友達も多く出来た(恋人はできなかった)ので、東京を離れるなんて事は、ほとんど考えた事もなかった。
このまま東京で一生暮らして行くんだろうな、と漠然と思っていた。
だから家業を手伝う為に帰ってきてほしいと父親に言われたときは、本当に悩んだ。
というか嫌で嫌で仕方なかった。
新幹線を乗り間違え、途中の駅で本来の新幹線が来るのを待っていたときだ。
真っ青な空と、その下に真緑の山並みが見えていた。
何てことはない風景だった。
それを見たとき「うわぁ、空が広い」と思った。
その気持ちが物凄く新鮮だった。
東京で暮らしている人には、この「空が広い」という意味がわからない人もいるかもしれないけど、そこに見える空と山は本当に広く、新鮮に心に響いた。
東京で暮らす事を当たり前だと思っていた気持ちが、一瞬にして切り替わった。
「憑き物が落ちる」という言葉があるが、まさにそういう事なんだろうと今になって思う。
それまでの自分は、東京という呪縛に囚われていたのだと思う。それが故郷の風景を見た事で解けた。自然に故郷に帰ろうと思えたのだ。
東京ではできなかった恋人ができ、結婚をした。田舎に暮らす事で不便に思う事もほとんどなく、むしろ東京では出来ない趣味や遊びもあり、それが楽しい。
多分幸せに暮らせているのだと思う。
東京に住む事がマストのように語られる事も少なくないネット界隈だし、自分も元々は田舎で育った田舎者だからこそというのはあるのだと思うが、なんとなく今これを書いてみんなに読んでもらいたいと思いました。