「アルバイト」を含む日記 RSS

はてなキーワード: アルバイトとは

2023-06-09

働くのに向いてない

会社上司の心ない言葉で泣いてしまって早退。

ストレス耐性がなくきつい言い方をされてしまうとすぐ泣いてしまう。

泣くだけじゃなく体調も崩しやすい。

仕事ミスが多いのでよく叱られる。マルチタスクも苦手。

今の仕事責任のある仕事から、常にストレス過多の状態で働いてる。適応障害になったから辞める予定。

 

普通フルタイム労働ができる気がしない。

今の仕事年収250万の契約社員だし、これより負荷のかからない仕事となると年収200万のアルバイトとか?

考えなくて済む仕事、言われたことだけをやる業務がいい。

勉強なんてしたくない。向上心を持ちたくない。

はあ、死にたいな。

2023-06-08

自分名義の口座への入出金をする経験年齢

マイナンバーの公金受取口座が家族名義になっていた件が話題になっているけど、

自分名義の口座に、窓口またはATM(今時はネットバンキングもある?)で、入出金や振込をする経験って、

みんな、何歳くらいで経験するものなんだろう?

ちなみに自分大学進学で仕送り学費のやりとりをしたのが最初

それまでは、いわゆるお年玉用の口座があったけど親管理だった。

#別に使い込まれたりと言うことはなく、きちんと全額残ってた。

高校アルバイトしたりするとそのとき最初になる人も多いのかなあ。

2023-06-07

anond:20230607104849

いじめ友達のいないことなど、少しばかりでしょうが増田さんと私には似ているところがあったので参考になるか分かりませんが私の人生を語らせてください。

---

私は小さな田舎の村に生まれました。

幼稚園時代のことはあまり覚えていませんが中のいい友人が1人おりましたので子供らしい時間を過ごせていたと思います

よく「◯◯ちゃん結婚する」などと友人と言い合っていたのを今でも覚えています

小学校はその友人とは別の学校になります

親が教育指導に熱心なタイプだったため、小学校での学業成績は悪くありませんでした。

1~3年生ぐらいは平和に暮らせていたと思いますしかし、仲のいい友人というのはおりませんでした。

4年生ぐらいになると、粗暴な子供達がクラス内で権力を効かせるようになってきており、身体が細く運動神経に恵まれなかった私はいじめのターゲットとなってしまいました。

教室に入ると、クラスメイトが声を揃えて私をバカにする歌を歌いだしたりするのは本当に屈辱でした。

小学校5年生ぐらいではあまり屈辱に耐えきれず、いじめを行っていた、粗暴な子供グループの中でも最上位に属しているクラスメイトを殴って階段から突き落としたことがあります

幸い(私の心情としては幸いというべきではないのですが…)、突き落としたクラスメイトに大きな怪我はなくそ問題学校内で内々にもみ消されることとなります

その後、クラスメイト全員から嘲笑は無くなったもの階段から突き落とした子供のいるグループから執拗リンチを受けることになります

学校先生については、私は全く信用していなかったので相談することはありませんでしたし、親にはいじめられていることが申し訳なくて相談することが出来ませんでした。

卒業するまでは本当に地獄のような日々でした。

中学校時代小学生のころにいじめを行っていたグループ地域の不良グループ暴走族のようなものだと思う)に取り込まれていって学校内では特定の誰かをターゲットにした目立ったいじめを行うのではなく、

自分たち以外のグループおもちゃのように見立てているようで、彼らの気分で暴力などをふるっていました。

小学校の頃と比べると比較的穏やかに過ごせるようになりました。

穏やかではありましたが彼らの遊びの中で彼らがおもちゃと思っているクラスメイト同士に殴り合いをさせる遊びがあり、これは今でも到底許しがたいものだと記憶しています

私はそのターゲットに選ばれてしまったとき、嫌いでもない人間を殴るぐらいならと不良グループの1人に殴りかかったところ返りうちにあい、その後地域の不良グループも含められた集団からリンチを受けました。

幸い(私の心情としては幸いというべきではないのですが…)、このリンチ継続するものではなく一度限りで終わりました。

さすがにこのとき怪我で親にも学校のことがバレたのですが、親は「生きていればいいから無茶はしないで」と泣きながら言われたのは今でもとても胸に残っています

当時の私としては彼らの言いなりになるぐらいなら死んだほうがましだと考えていましたが、親となった今ならあのとき言葉意味が分かる気がします。

私の地域では高校の進学は、不良、就職、進学組にキレイに分かれる風習があり中学までの不良は殆どが不良の行く高校へと進学していきました。

勿論、不良の中でも就職、進学組の高校に進むものもいましたが、これまでの仲間を失ったかれらはとても大人しいものでした。

さて、私は親の教育方針もあって進学組の高校に進むことになります

高校に入って驚いたことは、皆非常に穏やかな人間だったということです、私にとってはその光景が異常なように移りました。

これまでは、いじめなり、不良グループに目を付けられないように怯えながら暮らしていました、高校ではそれがないのです!

友達は相変わらずおりませんので、体育の授業では誰ともペアを組むことが出来なかったり、偶数でちょうどペアを組む相手はなんだか気まずそうな雰囲気を出しておりました。

(それでも露骨に嫌な顔はしませんので、悪い人間ではないのです)

学校先生も非常に親切で、あまりものんびり過ごしている私にも根気を持って指導してくださり、このときに親以外の大人でも信用出来る人間はいるのだなと認識を改めました。

私はこの暮らしの中で安穏と日々を過ごしてしまい、学業を疎かにしてしまたことであまり良い成績ではありませんでした。

大学の進学は希望した大学には入学出来ず滑り止めで受けた大学入学することになります

学生時代、やはり友達はおりませんでした。

アルバイト短期のものを数ヶ月おきにこなす程度で余暇を多く持て余していました。

幸いにも住居のそば図書館があったこから学生時代余暇は本を読むことに費やしていました。

友達がいないとせっかくよんだ本の感想を誰に共有することも出来ずもどかしい思いを抱えますので、当時の携帯電話(いわゆるガラケー)で読書した感想などを適当サイトにつらつらと書いてはアップロードしていました。

(当時の携帯電はが文字を打ち込むために同じ物理ボタンを数回押さなければならないのですが、文章入力するためにボタンを押しすぎたおかげか殆のボタンにはヒビが入ったり欠けたりしていました。)

友達がおりませんので就職活動のための情報というのが自分の元には全く集まりませんから大学卒業後は就職すること叶わず派遣労働者として過ごすことになります

この時期からようやく手元にある程度の資金が貯まるようになり念願のPCを自宅に導入することが出来るようになりました。

PCが手に入ると友達がいなくても情報を手に入れることが出来るようになったため、就職に関する様々な情報を得られるようになります

第二新卒というもの存在を知り、卒業後すぐに就職出来なくてもまだチャンスはあるのだと知ることが出来ました。

そこから就職に向けて情報を集め、必要知識を得るために自習を行い、なんとか正社員として就職することに成功します。

最初会社就職のための対策をして臨んだため面接時のコミュニケーション能力の高さを評価されてしまいました。

本来、私は友達のいない人間なので日常コミュニケーション能力は皆無に等しいのです。

私の本性を知った会社は私を試用期間中能力が至らなかったということで解雇します。

非常に落ち込みはしたのですが、業務内容自体は私の適正に合っていたようで(勿論、就職活動時に自分の適正を考えて合いそうな業界を選んだというのはあるのですが)、

解雇されはするもの取引先の会社にツテを作ってもらいそこに入社することになりました。

次の会社でも業務内容自体は同じでそれをこなす能力自体評価していただけましたが、そこから出世していくにはコミュニケーション能力必要だと常々言われておりました。

私としては業務能力を持って勝負していきたいと考えており、せっかくのツテを作ってもらった中で申し訳無さもあるのですが次の会社転職することを決めました。

このようなコミュニケーション能力の無い人間がツテもなく転職出来る会社社会的にもまっとうな会社ではないのですが、それは反面、私の人間性も無視してくれるということです。

次の会社は非常に労働時間が長く、業務量が異常に多かったのですが、それを求めて入ったということもあり、この頃の私は仕事が楽しくて仕方がありませんでした。

同僚も私のように何らかの欠陥がある人間が多く所属しており、私のコミュニケーション能力というのを咎められることがなかったのも良かったと思っております

(尤も、私のいない場所で私に対するかなりの誹謗中傷があったらしいのですが…)

業務能力や馬車馬のように働くことを評価して頂いたのか、幹部候補としての待遇を打診されました。

しかし、社会的には悪影響をあたえるような会社でしたのでその中で幹部になることに後ろめたさがあり転職することになります

この会社で得た経験がこの次の転職に活きており、簡単転職することが出来ました。

次の会社では私のコミュニケーションに関するコンプレックスを取り払ってくれる上司出会います

彼はコミュニケーションのことを「業務遂行するために最善の状況を作るのがコミュニケーションであり、日曜日バーベキューに行って楽しむものではない」という信条を持っており、

この考え方のお陰で、人と仲のよい距離をわざわざ作る必要などないのだいう自信を持つことが出来るようになりました。

もともと、知識仕入れた上で自身がどのように振る舞えば効果が高いのか?というのを考えて行動するタイプでしたので、上司の言う考え方は私の考え方に非常に相性が良かったのです。

知識仕入れや引き出しというのは大学時代に大量の読書を行ったことで下地が出来上がっていたというのもあります

自信を持てば人生は上手く回るもので、今では自分感性に合う伴侶を得て、子供にも恵まれ、大きなストレスもなく平均的な収入を得られる仕事に就けています

最初仕事解雇されたとき人生は積んだのだろうと絶望したものですが、時代の背景や運の要素もあったかもしれませんが、何とかなるものです。

---

さて、長々と書きましたが大学生活を楽しむためのコツでしたね?

私の場合は本を読むことが大学生活の楽しみでした、それは自分人生好転させる材料の1つにもなりました。

読書は1億円の投資などとも言われますが、本を読む、つまり知る、考える楽しさを知ることは人生を上手く過ごす方法の1つなのかもしれません。

anond:20230604202825

現物見てないのに適当なこと言うけど、日曜大工のノリでうまいこと「工夫」すれば、アルバイトを雇わなくても自動で押し込めるようになったりしないんかな?

2023-06-06

50代独り身おじさんの自分語り

大学卒業就職に失敗。アルバイトから物流会社に勤務するも辛すぎて数ヶ月で退職しそこから10年以上引きこもり

母が職場で倒れたことをきっかけに介護施設就職し、数年経って介護福祉士となった。それからしばらくして転職現在も勤務する私立病院事務職に就いた。この時41歳。

そこで知り合ったのが妻。

同い年でバツイチ看護師自分も向こうも職場で同僚との人付き合いが殆どなかったが、何故か挨拶する様になって会話するようになって付き合い始めた。女性交際したことは40年以上生きてて一度もなかったが、その歳だったからか初デートでも初セックスでも一切緊張しなかった。

約2年交際してから結婚。お互い歳で向こうは既に子宮全摘してるってこともあり子なし夫婦。最初は母と3人で住んでいたが間もなく亡くなったため以後は二人きりの生活になった。ご飯食べて、仕事行って、ご飯食べて、各々本読んだりテレビ観たりして、2日か3日おきくらいにセックスして、休みの日には道の駅に行くか近所を散歩するような生活をしていた。

結婚して一年半で妻の病気骨盤に再発。医師から抗がん剤放射線で進行を抑えられるレベルって言われたけど、結局そこから1年持たずに妻は亡くなった。

それから50歳の誕生日を一人で迎え今に至る。

結局自分は独りで死ぬことになったし当然後始末とかで誰かに迷惑をかけてしまう。傍から見たら孤独で不幸な人生に見えるだろうけど「自分人生は不幸だったか?」って言われたらそうは思えないんだよね。30半ばで社会人になってから妻が亡くなるまでの10年とちょっとの間に一生分の生きがいのような物を味わった気がする。テレビの前に置いてある等々力渓谷で妻と母と3人で撮った写真とかを見てたまに寂しくなるときあるけど「孤独」な気持ちにはならない。

なんで突然こんなこと書きたくなったのかわからないけど、明日も一日頑張るか。

20代である。こどもはいらない。

20代である。こどもはいらない。

自分再生産する気になれないのと、

こんな社会に生まれ人間がすべてかわいそうだから

小学生の時からふんわり死にたく、それは猛烈な希死念慮というより無言の絶望だった。

小中高まで勉強で苦しむことは全然なかった。

運動はできなかったけどそれでいじめられたり致命的なほどではなかった。

容姿もよくはなかったし好きな人からはたくさん振られたけど彼氏が全くできないほど悪くはなかった。

友達全然いる。

でもずっと人との距離感がつかめない。詰めすぎらしい。心の壁がない。

アルバイト先で身に着けたソーシャルスキルトレーニングで何とかたくさん

是正っぽいことはしてみたけどいつも何かが間違っている気がする。

「なんでそんなことまで聞くの?」「考えすぎだよ」と言われる

グループ化するときにうまく加われない

集団友達が誘われている中自分は誘われない

どうしても少しずつ人の気持ちが分からない

「だからそうじゃなくてさ…」と友達が黙る。

私は「説明してくれれば理解するためにきちんと傾聴するから、話してもらえないだろうか」と伝える。

(私だったら相手がわからなそうなことは説明する。)

でも友達からは、「言葉にできるようなものじゃない。」「説明してもわかるようなものではない」と

言う。

それに対して「説明責任放棄だ!」と怒れるほど子供でもない。

理解のある母(父は暴力的な人ではなかったがそれ以上の言及は避ける)

・悪くない頭と学歴(誇れるほど素晴らしいかは人による)

東京に余裕で出られる首都圏実家

・安定した仕事

・とても貧困層と言えない収入

そんなんで一体何が苦しいんだ甘えんな早く子供を産めよと言われるだろうか。

でも私はずっと死にたく、死にたい自分再生産する気にはならず、自分遺伝子が繋がっていない子どもにせよこんな社会に産み落とされたらかわいそうだと思う。

例えば地方国立大学出身文学を愛するつつましやかな男性会社に入り、

「早く営業成績上げろよ、データバーチャルの席巻にいち早く追いついて金を得て勝ち組にならなきゃダメなんだよ」と言われることと近いんじゃないかと思う。

そんなこと、自分性格に合わなくない?そんなことしたい?

たとえそれが資本主義社会のため、日本社会のため、会社のためになったとしても、

それらに貢献することは自分にとって一体どんなインセンティブがあるの?

そんなに人が減って困るならマジではやく人間工場生産を導入した方がいいと思う。

個人責任にしないで。

出産育児が全て個人単位、家庭単位でなされて、その責任当人たちが追わなきゃいけないシステム自体が明らかに間違っている。

それで子育て層と独身層が互いをけなしあうなんてあまりにもナンセンスだ。

各家庭で育てさせるから育てるインセンティブがない人間たちが出産をやめるんだよ。

そんなに人が減って困るなら早く人工子宮を導入して大規模な保育施設教育施設で一斉に育てよう。

まだ人工子宮ができないなら身体リスクに見合った高い給与と心身の安全保障を十分に確保して、それでもまだ人権を損なうことを反省して人工子宮のか開発を急ぎながら妊娠だけを仕事とする女性を作ろう。

そして全成人国民から納税させた卵子精子ランダムで掛け合わせて人工妊娠してもらって生産して生産数も国の求める数で調整しよう。

虐待毒親も親ガチャ教育格差も各家庭での子育てが終了すればなくなる。

自殺する分増やすこともできる。

それではだめなんだろうか。

東大生はイジってもらわないと会話ができない

 

私は東大生であるが、『東大生なのにこんなことができません!』のような自虐のかたちをとった回りくどい自慢が死ぬほど嫌いなので、努めてそうならないように、東大生であること自体ストレートな自慢として割り切ってお話しする。

そもそも東大生である」という絶対的価値を前にして、自尊心の足りていない馬鹿共が東大生欠点を探すことで優位に立とうとする捻くれた根性問題があるのであって、こうした人々に対してはもっと努力しとけバカが、と全ての東大生が思っているのでご容赦願いたい。

 

 

先日、知人に誘われて新しいコミュニティ所属する機会があった。趣味の集まりのようなもので、メンバーは決して大学生ばかりという訳ではなく、社会人が大半を占めるコミュニティである。こういう状況に置かれると、東大生は決まって一つの問題を抱える。

どのタイミング東大生であることをカミングアウトするか、である

 

今回の場合、私をコミュニティに誘ってくれた先輩(非東大卒)がおり、私のことをメンバーに紹介してくれる流れだった。

コミュニティ共通趣味話題から入り、私が大学生なんです、という話までした段階で、先輩がすかさず「こいつ東大生なんですよ」と先にカミングアウトした。そして先輩は相手の反応を待たずに「こいつ天才なんで、マジで話通じないですよw」と続けた。

私はこれを受けて、「なんて事言うんすか!w」「そんなコトないですからね」というように反応した。

 

このように他人が先に行ってくれるカミングアウトとイジりを、私はとても助かる、と感じる。

この場合は先輩の驚くべき気遣い能力に支えられている部分が大きい。

 

 

別の例を挙げる。

私は大学の近くで接客業アルバイトをしている。その職場大学生が多く、シフトの多くは2人体制であり、客が来ない暇な時間などは初対面の相方であってもよく話す人が多い。

先日も初対面の大学生相方になり、しばらく他愛のない話をしていたが、成り行きで相手大学名探りを開始した。多少はぐらかしたものの、大学生ですか?→何年生ですか?→大学この辺ですか?のデスコンボを喰らい、やむなく東大カミングアウトした。

 

読者の方々は飛び抜けた経歴などお持ちでない方が多いか経験がないだろうが、相手想像力範疇を越える経歴であるカミングアウトした時、相手はびっくりしてお世辞しか言わなくなる。すると当然、自分に残された道は謙遜のほかにないのである

大抵の東大生は、謙遜レパートリー複数用意している。ギリギリ合格しただけとか、『東大王』の面々とは比較にならないとか、そんな具合である

しかいくら手の込んだ謙遜カードを切ろうが、相手にとっては「いやでも東大はすごいですよ」が最適解のままなのだ

 

こうなるとしばらくお世辞と謙遜ループから抜け出せない。しかもこの謙遜というのが非常に繊細で、「東大なんて大したことないですよ」なんて言おうものなら相手大学を地に堕とすことになるからとても気を遣う。

 

 

1つ目の趣味コミュニティの例では、先輩が相手より先に「東大生の扱い方」を示してくれたことで、私は「お世辞を言わなきゃいけない相手から「(もちろんネタで)イジってもいい相手」になることができた。

もちろんここからお世辞ルートに入ることも十分にあり得るが、少なくともバイトの例よりはだいぶマシである

 

東大生にとってこうしたコミュニケーションが面倒な理由として、アイデンティティに占める「東大生」の部分が非常に大きいことが挙げられる。これは大学生一般に言えることだが、大学生大学名を明かさずに自己開示することは不可能に近い。

学部しろサークルしろ大学名抜きにして話は広がらないのだ。

東大生は、その大学名が無限謙遜編への片道切符なのだからどうしようもない。

 

つまるところ、大学生の最も一般的な会話のツールとしての「大学どこ?」を自分から訊くことができないし、相手に訊かれたらお世辞がほぼ確定するしで、初対面の会話がかなりのストレスになるのである

 

ここまで読んでいただいた上で、こうしたストレスへの対処も予防も存在しないと考えている。まして東大生にお世辞以外の話を振ってほしいとか、相手立場を考えて話題選択をしてほしいとかそういったことは期待していない。

 

ただひとつだけ、凡人は才能ある者と会話するだけでストレスを与えているということを心に留めていただきたい。

皆さんを不快気持ちにさせることで、ストレス解消の糧とさせていただきます。

2023-06-05

【いつまで被害者のつもり?】だから被害者繊細チンピラ

https://www.nhk.or.jp/minplus/0026/topic091.html

社会に出るために 努力してきた2年間

(葵さん 仮名20歳

「どれだけ努力しても がんばっても、性暴力被害者である自分はこの社会に受け入れてもらえないのではないかと感じています。性被害に遭った方々は、どうやって生きているんでしょうか?」

感じているだけでお前が逃げているだけ。

自分で考えろよ。

後ろに人が立つことが怖くて、病院までの移動中も駅のエスカレーターに乗れず常に階段使用電車ではほかの客から距離をとり、立ったままじっと身を固めて耐えていました。被害を思い出してしまうため、半年以上、教科書を開いて勉強することもできなかったそうです。

教科書フラッシュバック?性その時点で普通ではない。

社会から受け入れるの無理でしょ。

.ここからクズ

「なぜ、高校中退したんですか?」

そう思った葵さんは、高校教員から被害に遭ったということを話しました。

その瞬間、面接の場は沈黙。盛り上がっていた空気が、凍りつくように一気に変わったことを感じたと言います

葵さんは深く落ち込みました。面接官の反応によって「自分社会に受け入れられていないんだ」と突きつけられたようで、心が重く沈みました。

普通にわけわからん。こんなバカを気にする必要は全くない。

こんなのでいちいち騒いで普通生活はない

自分可哀想とか思うな。単に使えないやつ

何気なく体に触れることが、職場を円滑にまわす“コミュニケーション”とされる。異議を唱えれば、不利益を被る。性被害に遭ったと話せば、聞いた人に悪い印象を抱かせる。こんな社会で、どうやって生きていけばよいのか。葵さんは問いかます

うるさいわ。だったら会社に来るな。さっさと訴えろよ。でなきゃ嘘つきだ。

こういうばかなことをいうから引くんでしょ。

私もアルバイト先の上司から2人で食事に誘われて、全然行きたくなかったんですが仕事がなくなるよりは…と思って行きました。でも、なぜあきらめて我慢しなければならないのかとも思います

断れよ。あと奢ってもらってセクハラかよ。

これまで取材班は、葵さんと同じような苦悩を抱えながら一日一日を生き延びているという方々に出会ってきました。それを取材者の私たち一方的に伝えるだけではなく、皆さんがやってきたことや悩みとの向き合い方などを共有することで、苦しむ誰かが“この社会を生きていこう”と思える力になるのではないかと考えました。

まさにWokeですね。受信料無駄

単なるクレーマーから行きづらい。当然でしょう。共有するバカはおらんわ。

被害者棒を振り回すほどお金を稼ぐんか?

稼げないならクビ。しょせんバイトでしょ。何様のつもりだ。

田舎高校に通っていた頃の思い出


昔のことに整理がついた。いつもお世話になっているはてなで語りたい。

ちょっと長くなるけどごめん。ピュア気持ちが赤裸々に表現されているなんてことはないので安心してほしい。若かりし頃の日記を見ながら書いている。

かつては花の高校生だった。今はすっかりアラサーが身に付いている。

地元の小中学校卒業してからは、家からキロほど離れた高校に通っていた。進学理由は、そう、友達三人がその高校を志望していたから。制服もかわいかった。だから私も志望した。今思えばその程度の理由だけど、自分には大事なことだった。

偏差値が高い学校ではなくて、みんな専門学校かに行く感じの、ごく平凡な高校だった。同じクラス大学に進んだ子は5人もいない。そんな中で、晴れて高校生になった私は、コンビニアルバイトに挑戦することにした。同じクラス女子アルバイトをしている子は少なかった。早く大人になりたかったのもある。

七月の始めだった。近所のセブンイレブンに応募した。夏は暑くて元気が出ないから嫌いで、新しいことを始めたくはなかった。けど、上の友達の一人がどうしても同じお店がいい!! というので、一緒に挑んでみることにした。

60才ほどのお爺さんがオーナーで、二人一緒に面接を受けたのを憶えている。パイプ椅子に座って面接を受けた。それで、志望動機を聞かれて、私は「社会勉強したいです」と言った。お小遣いが欲しかったのが本当だけど、別に嘘はついていない。

友達のMちゃんは、「タウンページを見て応募しました!!」と言っていた。「タウンワークのこと?」とオーナーに問い返されて、隣の部屋の大学生達が大笑いしていた。ほかにも同じくらいの時期にアルバイトで入った子達がいた。



八月頃だった。働いていて、ある男性に気が付いたのは。

その人は、がっしりした体形で、作業服を着ていた。あまり汚れはない。夏頃は薄い緑の作業服で、冬になると白い作業服の下からワイシャツネクタイが覗いていた(作業服の下にワイシャツを着ている人がいるよね。わかるかな…? 建設コンサルタントみたいな)。黒いカバンを持っていて、手のひら大のキイロイトリストラップひとつ付いていた。

ある時だった。その人のレジを受けたのが何度目かの時だ。私がいるレジの前に来た時、「こんにちは」と声をかけてきた。その時、私はどうすればいいかからなかった。ひとまず「こんにちは」と返して、何点かの食料品バーコードを読み取っていった。

レジ袋を渡す際、少しだけ手が触れた。変な感じがして手を引っ込めた。

その後も、その人は週に1,2回は私のいるレジに来た。その度に、「こんにちは」や「こんばんは」と挨拶をする。私は黙ってることにしていた。挨拶は返さない。マニュアルにないのもあるけど、なんだか変な感じがした。

ほかのアルバイトの子は、みんな「落ち着いてる」とか「男らしい」とか言っていて、でも私にはわからなかった。嫌な人じゃないとは思っていた。

その人のことをMちゃんに話してみた。すると、Mちゃんも同じように挨拶されているとのこと。そういう人みたいだった。彼女は、ちゃんと男の人に挨拶を返していた。何度か見たことがある。Mちゃんと一緒のシフトになることは珍しかったけど、作業服男性(当時の苗字を取ってKさんにする)に「こんにちは」と挨拶されると、「こんにちはー!!」と元気に返していた。

Mちゃんは人気があった。はつらつとしたキャラクターの子だった。30才になった今でもかわいい。異性にモテる子で、小柄で明るくて元気だった。不細工ではない。本当にいい子だった。



八月の終わり頃だった。生まれて初めて美容院に行った。当時実家には、両親と私と弟がいたんだけど、毎回千円カットだった。弟はスポーツ刈りで、私は簡単なボブカットだった。Mちゃん小学校の時から美容院に連れて行ってもらっていて、うらやましいと思っていた。

で、私も晴れて、初めてもらったお給料美容院に行ってみた。当時の私は物を知らない子だった。美容院にかかる料金も知らなかった。恥ずかしくて友達に聞くこともできなかった……。

入口では綺麗な人がこっちに来て、「初めてですか?」と聞かれた。緊張しながら「カットお願いします。ブローなしで」と言った。Mちゃん受け売りだった。「シャンプーしますか?」と問い返されたので、「お願いします」と伝えた。

こうして私は、まるで違う人になったみたいなショートヘアを手に入れた。料金はシャンプー込みで五千円だった。

それで、次の土曜の昼にコンビニレジをしているとKさんがやってきた。彼の順番がくると、「ん!?」という声が店内に響いた(はずだ。さすがに記憶あいまい)。ちょっとびっくりした。

増田さん、髪切った?」

どうしようかと思った。まだ、親以外の誰からコメントをもらっていない。なんだか怖くなって、「はい……切りました」って小さい声で答えた。そうしたら、

「似合ってるね!!」

と、Kさんは言うのだ。自信満々の目つきで。

あの頃は、Kさん特殊な人だと思っていた。まだ16年しか生きてなかったけど、彼のような人を見たことはなかった。でもその時、理由がわかった気がした。彼を特殊だと感じた理由が。

瞳だ。力強かった。当時、私と同じクラス男子はもちろん、周りの大人や、教師でさえあんな瞳の人はいなかった。Kさん目力ダントツだった。

ありがとうございます…」

途切れ途切れだったと思う。恥ずかしいけど、嬉しかった。レジの中で私は小さくなっていた。心臓の音が大きくなってきて、震える手でKさんが選んだ商品を読み込んでいた。お釣りを返す時に、緊張のあまり10円玉を床に落としてしまった。急いで拾って、拭くのも忘れて返した。



土日のどちらかで、Kさん接客をすることが多かった。

別に、その人に会うためでは全くない。そんなことは全然ない。ただ、雇用契約書を交わす時のオーナーとの約束で、「平日は2日と、土日のどちらかにシフトに入る。お盆正月シフトに入る。試験間中休み」という約束を守っていただけ。

月に何度か、Kさんは話しかけてきた。他愛のない話で、10秒くらいで終わる。ほかの話しかけてくる男の人と違って、こちらが返しやすい問いかけや、共感を呼びかける言葉が多かった(雨が多いね、名札が曲がってる、ゴキブリ死体が落ちてる、会計金額が2000円ぴったりとか)。

和やかな日々が続いていた。学校勉強は難しくなかった。偏差値が高くないところだった。風紀が乱れているとか、そういうことはなかったけど。制服を着崩す人は少ないし、部活動をやってる人もたくさんいた。女の子可愛い、ということで有名な広島県東部公立高校だった。思い出話が多くなってごめん。こんな時しか話せる機会がないので許してほしい。

その年の冬だった。放課後にMちゃんから相談を受けた。夕日が教室を照らしている時間帯で、ほんのりとまぶしかった。Mちゃんと一緒にやっている文化部活動が終わった後だった。彼女自分の机に座っていて、私は自分椅子をそこに移動させていた。

Mちゃんカバンの中から取り出したのは、手紙だった。薄い青色封筒だったと記憶している。小さい便せん2枚に渡って手紙が添えられていた。

「これ、あの人からもらった」

とMちゃんが言った。Kさんのことだ。話を聞くと、一昨日の夜にKさんコンビニに買い物に来て、帰り際にMちゃんに渡したという。それで、Mちゃんは受け取った。

もやもやとしていた。何かが燃える感じが、ぶすぶすと胸の奥から込み上げてくる。あの時、私の表情は歪んでいたかもしれない。へんな感情だった。心臓から血管へと、血液が流れ出ている感じがわかって、心臓から流れ出たその血が体の中を巡っていった。そういう感覚があった。

増田さん。これどうすればいい?」

「あー、はいはい。うん。すごいね。知らんよ。好きにすれば」

気持ち言葉で表すとこうなった。

そのまま席を立って、教室を出て、靴箱まで下りるところの階段で涙が込み上げてきた。別にKさんのことが好きなわけじゃなかった。当時、私に「付き合ってよ」と告白してくる男子もいた。Kさんはただのお客さんだった。何の感情もない。本当だ。

今思うと、わかる。女として負けたのだ。Mちゃんに。だから気分がもやもやした。当時は「女としての負け」という考え方はなかった。でも、心の中で感じていたのは、まさにそれだった。

コンビニを休むようになった。それまでは試験間中しか休んでなかったけど、行く気がしなくなっていた。休んでいる間は、別に普通だった。学校は楽しかったし、部活は週に二回しかなかったし、それ以外の日はまっすぐ家に帰っていたし、稼いで貯めたお金好きな音楽漫画雑誌に使っていた。

美容院には通い続けていた。三ヶ月に一度。何度もお風呂で髪を洗っていると、セットしてもらった髪がシワシワになる。そうなったら行くことにしていた。周りのおしゃれな子に合わせて、大人の女性が読むような本も買った。



高二の梅雨時だった。Mちゃんコンビニを辞めると聞いたのは。マクドで、同じ中学出身のみんなで騒いでいる時にMちゃんがそんなことを言った。別に理由はないらしい。

そんなことはないはずだ。だって、冬頃からMちゃんは太りだしていた。以前はスラっとしてこぢんまりしていたのに、今ではすっかり丸くなっていた。お腹が出ていて、制服を着ていても目立つ。以前はハムスターだったのに、今はチンチラだった。

Mちゃんが「オーナーが困ってるよ」と私に言った。ほかにも欠員が出て苦しいらしい。もう何ヶ月も休んだし、そろそろ出てみることにした。

Kさんは、やっぱり週に何度か来店していた。冷凍食品ホットスナック炭酸水ビールを買っていく。最初は「久しぶりだね」と聞いてきたので、「はいお久しぶりです!」と作り笑いを返した。

昨年入った高校生は、みんな辞めていた。先輩の大学生やパートさんに聞いてみたけど、そんなものらしい。オーナーは「働くという行為に耐性がつく子が少ない」「もっと楽なアルバイトを探す子も多い」と愚痴をこぼしていた。

それからKさんと話す頻度が増えていった。前よりも話すのが楽しくなっていた。Mちゃんが辞めて気分が楽になったのも正直ある。

その夏だった。一度、ファッションカラーというのをしてみたかった。夏休み限定で。完全に金髪にするんじゃなくて、線状にスッと部分的に染めるのをしてみたかった。

馴染みになった美容院に行って、当時流行っていたロングヘアの横髪の方に金色ラインを入れるのをやってもらった。後ろの毛先もちょっと染めた。

次の日、コンビニレジを受けているとKさんが入ってきた。土曜日で、ジーンズTシャツラフな格好だった気がする。

増田さん、今日どうしたの。金色じゃん」

はい。変えました」

「うん、うん。変わってるね」

「どーですか?」

「似合ってるね!」

この時、息がしにくくなって、左手を前に出して2,3回すばやく振った。小さい声で会計金額を告げて、お札を受け取って釣銭を取ろうとしたところで、また落としてしまった。お釣りを拾う時、休日だったので当たり前だけど、Kさんカバンを持ってないことに気が付いた。キイロイトリ(リラックマ…)のストラップを思い浮かべて彼の前に立った。

Mちゃん気持ちがわかったかもしれなかった。何も言わずにお釣りを返した。Kさんはほんのり笑っていた。2023年の今と違ってマスクをしていない。朗らかな笑顔だった。懐かしい。

でも、怖い時もあった。同じ年のことだったけど、私は中年のお客さんに怒られていた。声が聞き取りにくくて、タバコ選びに二度も失敗したからだ。Kさんレジの三番目に並ぼうとしていた。

ずっと怒られ続けていて、ようやく終わるかと思ったけど、やっぱりまだ続いていた。すると、Kさんが割って入ってきた。「すいません。あと二名ほど並んでるんですが」とフォローしてくれた。

でも、その中年のお客さんはキレてしまった。「兄さんは関係なかろうが。おい!!」とヒートアップしてた。「関係あるでしょ」とKさんが返していた。

かに店員もいなくて、話のやり合い(ほとんど平行線)が続いている中、いきなりだった。Kさんが「あぁ!!?」と怒鳴ったのだ。彼はおじさんにこんなことを言っていた。

「さっきからお前、つまらんことをグチグチグチグチと……俺はのう、お前に手を出そうとするんを、ずっと我慢しとるんやぞ!!」

「……兄さん警察呼ぶよ」

「呼べ!!」

「……」

おじさんが退散すると、Kさんバツが悪そうにしていた。ほかの子応援に来たので、私は向こうのレジに行った。



もうすぐ高3になる頃だった。変化があったのは。

Kさん手紙をもらった。夜9時くらいで、お客さんもほかの店員も誰もいなかった。会計を終えた後で、「増田さん、増田さん」と声をかけてきて、カバンの中から手紙を取り出した。

何も言わずに受け取って、家に帰って読んでみた。以下内容。

増田さんはよく動いていてすごいと思う

・どんな人なのか知りたい、食事に行きたい

・今年中に引っ越すのでその前に

・興味があるならメールがほしい

・興味がない場合は返信はいらない

当時は彼氏がいた。初めての彼氏だった。同じ学校で、お調子タイプ男子だった。

そこまで好きではなかったけど、告白されて悪い気はしなかったし、嫌な人でもないから付き合っていた。クラスの中でも悪い立ち位置の子じゃなかったのもある。

ある夜、その彼氏Kさんとを心の中で比べてみた。別に、どちらがいいとか結論は出なかった。いや、見た目も中味もKさん圧勝なんだけど、今の彼を嫌いにはなれなかった。それで、交際中の人がいる以上は、Kさんに何も答えない方がいいなって思った。

もし仮にKさんと会ってみて、一緒にご飯を食べて、もし仮に告白とかされて、付き合いはじめたとしても・・・・・・すぐにフラれるだろうなって、ベッドの中で思った。

Kさん雰囲気が優しそうで、見た目も悪くない人だった。ほかのアルバイトの子も皆格好いいって言ってた。自分相手にされない、付き合ってもすぐに幻滅されると思った。



高3に上がってからも、これまでどおりKさんとの関係が続いた。私のいるレジに並んで、たまに会話をする。天気の話が多かった。あとは、私のメイクとか、髪型とかが変わった時は気づいてくれた。ほかのお客さんがいない時に限って会話をしていた(迷惑になるから?)。

当時、高校を出た後の進路は美容専門学校を考えていた。そこまで大した志じゃない。高校入学した頃は、見た目が『じゃが芋』だった私も、メイクファッションを覚えてだいぶましになっていた。『メインクーン』になっていた。

自分でいうのはどうかと思うけど、本当に私は変わったのだ。高1の時の写真と高3の時の写真を比べると、じゃが芋から進化した存在になっていた。別人みたいだった。

その年の秋になると、第一志望の専門学校に入るために、コンビニの隣にある地域集会所で毎日勉強していた。いつも親が仕事帰りに迎えにきてくれる。当然Kさんと会うことはできず、悶々とした気分になった。

入学試験ちょっと前だった。集会所を出て、お腹がすいていてコンビニに何かを買いに行こうとしていた。すると、ちょうどKさんがお店から出てきたところだった。自転車に乗ろうとしていて、コンビニ駐車場に入った私を呼び止めた。

お疲れ様です」と声をかけてきて、私も「お疲れ様です」と返した。「今日寒いね」には、「本当寒いですね」と返した。「元気そうでよかった」には、「はいめっちゃ元気です!」と返した。泣きそうだった。嬉しかった。

その時、Kさんが「増田さん。俺、今日最後なんだ」と手短かに言った。「今週末に引っ越す。今日コンビニ最後から。じゃあ、元気で」と、Kさん自転車に乗った。

私が「こちらこそ、ありがとうございました」って言うと、「増田さんはい社会人になると思う。もし、大人になってどこかで会うことがあったら何か奢る。約束な」って、自転車に乗って私の家とは反対方向に駆けていった。



あれから十年以上が経った。今は結婚二年目で、生活に慣れてきた頃だ。子どもはまだいない。そろそろ社会人として復帰しようかと考えている。コンビニで働こうか、それとも昔いた会社契約社員ポジションを探そうか思案している。

実は、あの別れの日から数年後にKさんに会うことがあった。当時の私は、美容専門学校卒業した後、都会の方で美容とは関係のない仕事に就いていた。求人情報誌への掲載営業で、とある喫茶店に出入りしてたんだけど、ある日そこでKさんサンドイッチを食べているのを見た。その時は、作業服じゃなくてスーツだった。後日聞いたところだと、会社からの出向で政令指定都市に赴任しているとのこと。

お久しぶりです。元気でした?」と声をかけてみたけど、Kさんちょっと悩んだ様子だった。かくいう私もメイクが濃すぎたし、髪も長くなっていたから、気づくのに時間がかかったみたいだ。向こうも驚いてたっけ。やっぱり優しそうな雰囲気で、笑顔がまぶしかった。あの日約束どおり、後日ご飯をおごってもらった。

この日記を書こうと思ったきっかけは、早朝に旦那を送り出した後で、昔の自分を思い出したからだ。玄関で、旦那カバンに付いているぬいぐるみストラップを眺めていて、思うところがあった。

とりとめのない内容だったけど、以上になる。最後まで読んでくれた方がいたらうれしいな。

anond:20230605163314

関係ない話で恐縮です。

ドン・キホーテの苦手なところ

 ・店の中がごちゃごちゃしてて、探し物が有る時は探しづらい

 ・その商品お買い得なのかそうではないのか分かりづらい(値段の表示の仕方!?

 ・生鮮食料品が置いて有る処では、生鮮食料品の鮮度が低く見える

 ・レジクレカで決済してから、「袋要りますか?」って聞いてきやがって、袋の購入が面倒

  (レジアルバイト教育ちゃんしろよ!)

そんなわけで行かなくなりました。

2023-06-04

工場労働体験

私は最近食品工場アルバイトをしていた。

生活費を稼ぐためである

そこはパン粉を作る工場であった。

パン粉とは揚げ物に使われる調理具材で、

とんかつコロッケなどの衣を作るために使用される。

パン粉を作るためには、まずパンを焼かねばならない。

小麦粉に水を加え、よくかき混ぜてパン生地を作る。

その生地適当な大きさに切り分け、オーブンで焼くと、パンができる。

これを一晩寝かせる。

翌日、乾燥したパンを細かく砕いて、パン粉を作る。



その工場で私が担当した仕事は、実に不可解なものであった。

上述した工程は、ほとんどすべて機械が行う。

生地を練るのも機械だし、生地を分割するのも機械生地を焼くのも機械自動的にやってくれる。

人間が行うことは、異なる機械の間をつないだり、機械の世話をしたりすることである

私の仕事は、機械からあふれた生地を押し戻すことであった。

というのも、この工場機械生地サイズが合っていない。

生地を練る機械は大きめの生地を作れるのだが、

それを受け入れる側の機械は小さい生地しか対応していない。

まり機械よりも生地のほうが大きいので、生地があふれてしまう。

それを押し込むのが私の仕事であった。



なぜ機械を買い替えないのか。

なぜサイズの合わない機械を使い続けるのか。

なぜ私は賽の河原で石積みをするような、こんな不毛仕事をしなければならないのか。

そもそも、この作業仕事と呼んでよいのだろうか。

私は悩んだ。

そして、あることに気が付いた。

そう、金がないのだ。

この会社には、新しい機械を買う金がない。

から、古くなった機械をだましだまし使い続けているのだ。

こんなことをしていては、生産性の向上など夢のまた夢だ。

政府財政政策生産性を向上させようとしているが、まったくの見当はずれである

必要なのは新しい機械だ。



考えてみれば、日本経済は30年以上不況が続いているのだから

日本中の中小企業設備投資お金を使えなかったわけだ。

ゆえに、この工場と同じような状況が日本中の工場で起きているはずである

であれば、投資必要である

日本中の製造業生産ラインをいっぺんに新しいものに取り換える。

それだけで製造業は復活するし、日本経済も上向くだろう。

そのために、政府は金を集めねばならない。

いま日本には金がないので、海外から集める必要がある。

海外投資家と日本企業マッチングするような窓口を用意し、

投資あっせんするなど、政府主導で製造業の復活を進めねばならない。

製造業経済の基本であるから、これを活性化させることが急務である



経済を動かしているのは金ではない。

人間仕事である

経済学者は金ばかり気にして現場を見ていない。

それでは何も分からないのだ。

そして、本当の問題人間にある。

日本労働者は勤勉だが、やる気がない。

与えられた仕事はまじめにやるが、よりよい仕事をしようという向上心がない。

仕事効率を上げたり、商品品質を上げれば、売り上げが上がり、給料も上がる。

そのために絶えず工夫を続ける。

それが正しい経済活動である

だが、いまの日本人はすべてを諦めている。

明日今日よりもよくなると信じていない。




我々は労働者意識を変えねばならない。

自分労働環境自分で作るのだ、という意識を持たねばならない。

自分給料自分努力で上げるのだ、という気概を持たねばならない。

それができない限り、日本経済沈没し続けるだろう。

日本人に必要もの信仰である

明日を信じることである

2023-06-03

夢で久しぶりにブチぎれた ~日本国語教育はクソ編~

模試の結果が帰ってきた夢を見た

国語の採点結果があまりにもひどくてブチ切れた

用紙1枚分の長文を書いていたがページの端までかかるバツがつけられていて部分点もゼロ

それに対して「そんなわけないだろ!」と採点用紙を破いたところで目が覚めた

起きた後もイライラが残りすぎて体調悪い

から国語の採点には不満が多い、特にセンター国語

例えば「昨日両親が死んでしまった。しか今日道端でカエルが死んでいた。悲しい」という文章があるとする

普通なら「あぁ、両親が死んで悲しい気持ちなんだな」と想像するが、

センターでは「今現在悲しいと言っているので、悲しい理由は死んでいたカエルを見たことが原因。死んだ親と照らし合わせてる」みたいな選択肢が正解になる

当然いや知らんし、カエル死体の話はどうでもよくてメイントピックは両親の死と悲しいことだろうとなる

でもセンター国語では文章中で無駄文字などなく、両親の死もカエルの死も等しく平等になる

そのため今日見たカエルの死が相手のメイントピックになってしま

こんなアスペ御用達試験では平均点が5割になっても仕方がない

普通コミュニケーション能力から逸脱した能力を図っていることは自明




それと高校生の間半年ごとにやらされてた作文力テスト?みたいな謎のテスト

少子化は何が原因?」、「環境問題はどう対策したほうがいい?」といった感じの社会テーマから選んで作文するのだが、

テスト形式で与えられるため調べたりすることができない

そのため必然的に少ない知識をもとに感想を織り交ぜて作文するしかない

採点結果はたしか八角形のレーダーチャートで帰ってくるが、毎回俺のは小ぶりな七角形だった

かけた頂点は根拠という採点項目だ

全体的に小ぶりというのも結構効いたが、根拠が欠けていると言われて毎回イライラしていた

そもそもテーマに対して何も調べずにかけというのが現実から乖離している、何も調べずに書けるほうがかっこいいということなんだろうか

卒論でそんなことしたら間違いなく落第だけどな、採点官は大学生アルバイトとかだったんだろう

結局俺は高2から根拠だけ満点のレーダーチャートを目指して知っていることを連呼するという形をとった

しか根拠の項目が高くなることはなかった

こんな感じで受験期の国語でいい思い出は全くないが、今じゃコミュニケーションで苦労することな日常生活を送れている

国語という科目はくそ

Twitterで呟いてる塾長は大半がクソ。大学生アルバイトに求めすぎ。そのくせ賃金も安い。まじでびっくりする。感覚がずれてるし、周りで誰も注意してくれないんだろうな。

飲食チェーン店で働いていた頃の思い出


ちょっと話してみたい。昔の話だ。

若い頃、都内繁華街にある飲食チェーンで店長職を務めていた。今はもう会社を辞めて実家に帰り、細々と親の仕事を手伝ってる。農業を営んでるから食料品という意味では繋がってる。

あの頃はまだ30代半ばで、男が乗っている時期だった。心も体も無理がきいて、若者の考えもなんとか理解できて。懐かしいなぁ。今では50代が近づきつつある。

守秘義務とか一応あるから、どこの飲食チェーンかは言わない。読んでるうちにわかるかもしれないが。できればそっとしておいてほしい。

何の話をしようか迷ったが、『人』の話がいいだろう。何人かに絞って話がしたい。皆、よくも悪くも思い入れがある。三人だけ挙げよう。



1人目 スダ君

 もちろん仮名だ。雰囲気で名付けている。背は低めだったかな。危なっかしいけど、素直な子だった。だが、ある事件を機に店を辞めてしまった。

 大学二年生で、MARCHクラス大学に通っていた。やんごとなき方々が通いそうな大学名だった。私は専門学校出なので、大学生と聞いただけで眩しい感じがした。

 彼は夕方~夜のメンバーだった。クローズまで残ることもあった。ところで、ある従業員I氏との折り合いが悪く、さらにスダ君が好きだった女子店員TさんがI氏と交際していることもあってか、勤務中に不安定な感じになることがあった。若さというものだ。

 閉店作業中にI氏と諍いになることがあったらしい。マネージャークラスアルバイト従業員場合、連絡日誌を付けるのだが、そういう報告をみかけた。

 実際、迷ったものだ。I氏は当時、二十代前半のフリーターで、付き合っていたTさん大学四年生だった。I氏はほかの女子アルバイトにも手を出していた。時には、新人クルーを無理やり自分ビッグスクーターに載せて、当店の近くにあるラブホテル直行することもあった。

相関図

I氏 ⇔ Tさん ← スダ君

ほかの女子数人(身体目的)

 当時は2000年代の半ばだった。男のそういう行為甲斐性のひとつとされた時代だ。迷惑行為ではあったが、相当の戦力だったため目を瞑らざるを得なかった。

 ある年の秋、閉店数時間前だった。いつもだと、店の目の前にある事務所シフトを作ることが多いのだが、この日ばかりは実店舗で指揮を取っていた。どんな時間帯にもインして、店舗運営状況を確かめねば……という意識もあったが、正直この日は気分だった。

 夜9時頃、スダ君がお店にインしてきた。この日は3時間半のシフトだ。だが、様子がおかしい。足早にタイムカードを切ったかと思うと、店の奥にあるシンクに手をかけてうずくまるように立っていた。

 ほかのアルバイトも「様子がおかしいのでは?」と察していた。私は、スダ君と仲のいい大学ふたり事情聴くように指示した。こういう時はこれでいい。私が聞いても真実を答える保証はない。聞き取りするとしたら彼らの後だ。

 大学ふたりが聞き取ったところによると、スダ君が事務所に入った時、こんなことがあったらしい。

事務所の休憩室で、I氏とTさんが半裸でセックスをしていた

・運悪く、スダ君が入ってきた音に気が付かずに目撃することとなった

過去にもスダ君の目線からみてそうなのでは、と思うことがあった

 これには悩んだ。どう対処すればいいのか。店を預かる者としては判断に迷うところだ。というのも、I氏もTさんも、はっきりいって当店の最高戦力(I氏はマネージャークラスTさん接客専門職クラス)であり、辞めてもらっては困る。困るのだ。ただでさえ人手不足なのに。

 本来免職処分とすべきだ。事務所本来目的以外に使うな、とは言わない。待機時間学校での課題を片付けたり、シフトを上がった後にお喋りをするとか、そういう使い方をしてもいい。少しくらいは。

 ただ、過去においては、休憩室で飲み会を催していたクルー3名をまとめて免職処分したことがある。線引きが難しい。

 結局、I氏もTさんも当店に残すことにした。I氏は「次やったら辞めさすぞ」と何度もクギを差したうえで、出勤停止処分とした。Tさんは、大学卒業まで残り数か月だったのもあり、比較的温情のある処分をした。※思惑までは書かない。自分なりにバランスを取ったつもりだ。

 スダ君には、「人生いろいろあるけど挫けてはいけない」「あなたはひたむきだから。きっと報われる時がくる」など精一杯フォローしたものの、冬になるまでには店を辞めて、同系列チェーン店移籍した。確か、そこの店長から電話があって、「面接に来たけど、彼どんな子?」と聞かれたから、「ひたむきでいい子です。ちょっと心が弱いところもありますね。でも、戦力になりますよ」と答えた。今でいうリファラル採用だった。

 それから一年後、あの時スダ君から聞き取りをしてくれた大学から連絡があった。スダ君が、移籍した先の系列店でマネージャークラスランクアップしたという。私もその店に行ってみたところ、確かにスダ君がいた。社員と同じ服装でキビキビと働いていた。あの頃とは雰囲気が違う。人間として成長したのだ。

 それからすぐ、私も遠方の店に異動になってしまって、スダ君を見ることはなくなった。今はどんな人間に成長しているのだろう。いい男になっているだろうか。そんな未来を願っている。



2人目 フナモトさん

 この子は、いわゆるプレーヤータイプ極致だった。ほかの繁盛店から移籍してきた子で、クルーとしての実力は折り紙付きだった。POSでの接客もキビキビとこなすし、サービスレベルは最低限以上だし、料理を作るオペレーション作業も人並み以上にできた。

 どんな分野でもマルチ活躍できる子だった……ただし、現場作業に限っての話ではあるが。残念ながら、性格であるとか、人格であるとか、気質であるとか、そういうところに問題のある子だった。

 話は逸れるが、圧倒的美人だった。街を歩いていたら男は皆振り返るし、雑誌モデルをしていたとして不思議ではない。そういうルックスの子だった。

 ただやはり、性格に難があった。気に入らないクルー雑談を振られても冷たい態度を取ったり、無視することがあった。相手のことをミカンの皮くらいにしか思っていないのだ。

 ある時だったか、フナモトさんの接客現場でこんなことがあった(※当時は、女子厨房に入る子は極端に少なかった)。母親子どもふたりレジに並んでいて、子どもおもちゃ付きセットの説明を求めた。店内のカウンター横には、おもちゃの反則セットが豪勢に飾ってあった。※フナモトさんmaidになる。

 だが、彼女は冷たい様子で「ポケモンです。種類はこちから」とメニューを指さすだけだった。そのお子さんが十秒ほど迷っていたところ、フナモトさんがローファーの先でコーヒーシロップストローが入ったラックを何度も蹴り飛ばすのが見えた。

 またある時などは、夜の店内におばあさんがテイクアウトの注文後、「お水を持ち帰りでくれませんか」と言ってきた。フナモトさんはマニュアルどおり「お水は持ち帰りができません」(※衛生管理上の問題。お客の家で水が品質劣化した場合など)と答えたところ、おばあさんは「車にいる孫が薬を飲むので……水がほしいんです」とのこと。

 さて、こういう時はどうすべきか。一応、会社マニュアルには、接客については「ルールに準じつつも、自分らしい接客スタイルを求めてください。お客様のためになる接客を。迷った時はマネージャーに指示を仰ぎましょう」といったことが書いてある。

 フナモトさんはおばあさんに告げた。「その子カウンターまで来るなら用意できます」と。なるほど、機転が利いている。おばあさんが了承したところ、フナモトさんが水を用意してカウンターの前にいるおばあさんに水を届けた。

 しかし、おばあさんは水を取って、そのまま車に戻ろうとしたのだ。フナモトさんが一瞬早かった。おばあさんの二の腕を掴んで、水泥棒をガードしたのだ。

船「ダメっていいましたよね!?」

婆「いいでしょ。やめて!」

船「ダメって言ったよな、おい!?」

婆「ちょっと!」

船「おい!! ……お廻りさん呼びましょーか?」

婆「……」

 さすがに堪忍したのか、おばあさんは諦めて外の渋谷通りに留めてあった車に歩いていった。私はその様子を観ていたけど、どっちもどっちだと感じた。フナモトさんはお客様ファーストではなかったし、おばあさんにしてもジュースを買えばよかっただけのことだ。別に水でなくてもよかった。

 私だったら、「本来は衛生管理上の問題があり認められませんが、今回はお薬の事情があるということで持ち帰りを認めます」と言っていただろう。マニュアルに反する行為ではあるが、これなら上の人間が観ていたとしても申し開きできる。

 三つ目になるが、フナモトさんが専門学校卒業する半年前のことだ。店内のポジションを替わりたいという要望があった。弊社では、漢字表記だと接客専門職とでもいうべきランクがあり、それに選ばれるとお洒落制服を着ることができる。昔懐かしい、アンナミラーズ制服ちょっと似ている。

 だが、それはフナモトさんのわがままに過ぎなかった。本人から理由を聞いたところ、「可愛い制服から最後に着てから卒店したい」とのことだった。当然却下したのだが、それに激昂したフナモトさんは「だったら店を辞めます!!」と宣言して、マネージャールームパイプ椅子を立った。そのまま事務所を出て行き、二度と連絡してくることはなかった。残りのシフトはバックれてしまった……。

 約二週間後、別の系列から「フナモトさんという子が面接に来ているけど、どんな子ですか?」という問い合わせがあった。ちょっと迷った挙句に、こんなことを答えたかな。

「一本筋が通った子です。いい方に働くこともあれば、そうでないこともあります

 と告げた。嘘は言っていない。確かに嫌な別れ方はしたけれども、かつての仲間だ。応援はしたい。少なくとも、ほかの店への移籍妨害したくない。

 人格者じみたことを書いたけれども、保身のためでもあった。フナモトさんとは過去に二度、ホテルに行ったことがある。お店の公式飲み会があると、私はいつも若い子だけの方がいいだろうと思って(一万円を置いて)早めに帰るのだが、その時は最後の方まで残っていた。

 宴も酣(takenawa)ということになって、二次会に行こうと幹事が言い出した後で、フナモトさんと帰り道が一緒になり、いろいろ話すうちに飲み直そうということになった。私はまだ三十代だったので、いろいろと抑えることができなかった。

 フナモトさんの見た目はクールビューティといったところだが、いざ一緒に寝てみると情熱的なところがあった。やはり、体のいろいろな部分が柔らかかったのを憶えている。そういう体験が二度あった。

 それで、上の段で電話を受けた時は、フナモトさんが暴走したらよくないことになるのでは……!? という懸念があった。そうはならなくてよかった。

 思い返すと、これも懐かしい記憶だ。あの子は今も元気にしているだろうか。健やかであってほしい。



3人目 ワタベくん

 この子も鮮烈だった。当時は大学生。独得な雰囲気の子で、普段はボーっとしているかと思えば、厨房でのオペレーション中は熱気に満ち満ちていた。閉店時のクローズ作業も抜群に早かった。

 難点があるとすれば、マイペースなところや、人を怒らせる発言をするところや、常識のなさだった。ある時などは、冗談だと信じたかったが、早朝の開店作業中に「今日気合いを入れるためにビールを飲んできました!!」と宣言していた。

 今でいうところの、発達障害というやつだと思う。そうでないならパーソナリティ障害か。医師ではないので判断はできないが。

 さて、そのワタベ君だが、大学三年生のある時に「マネージャーになりたい」と言ってきた(※説明が遅れたが、正社員仕事をするアルバイトをいう)。確かに作業能力的には余裕でマネージャークラスだった。しかし、彼の発達障害的な言動は、他のアルバイト仲間の間では賛否両論だった。マイルールに対して過剰適応なところがあり、それが特に若い高校生クルーとの間に軋轢を生んでいた。

 当時のマネージャー全員に賛否を聞いたところ、半々ということになった。これは低い数値だ。普通は八割以上が賛成する。そして、ワタベ君本人に対して「貴君の意に添いかねる」という意思を告げたところ、なんと……彼は弾けた。バックレたのだ。

 フナモトさんと違って、自分シフトちゃんと消化していったが、店長である私に何も告げずに店を辞めた。ほかのアルバイト仲間には辞めることを伝えていたらしい。なんということでしょう……(劇的ビフォーアフター)。

 でも、これでよかったのだ。こういう極端な行動を取る人間管理者として相応しくない。彼がマネージャーになっていたとして、またどこかで軋轢を生んで誰かが店から消えてしまうような、そういう事態になっていたに違いない。

 それから、約七ヶ月が経った頃だった。なんと、ワタベ君がお店に戻りたいという(ほかのマネージャーから聞いた)。なんでも、そのマネージャーにワタベ君が電話をかけて「就職活動が終わったので店に戻りたい」という旨を伝えたらしい。

 これは、社会人でいうところの根回しに相当する行為だ。ワタベ君は成長したかもしれなかった。直球ストレートではなく、カーブを覚えた的な意味で。ワタベ君やるなぁ……。

 実際、この時期はとんでもない忙しさだった。スタッフの頭数があまりに少なく、基準に達していない人でも雇わざるを得ず、それがまた現在クルーとの摩擦を生むという悪循環だった。さすがの私も、相当な日数出勤することになった。時間外手当はゼロだった。名ばかり管理職というやつだ。

 話が逸れた。数日後、ワタベ君とマネージャールーム面談をしたところ、次のような意見があった。

・もうマネージャーになりたいとは思わない

・これまでは申し訳なかった

・週に四日以上必ずシフトに入る

 まあ、バックレではあるが、これからちゃんとするならいいだろうということで、ワタベ君を再雇用することにした。

 しかし、私が人を見る目がないのは皆様すでにお分かりのとおりだ。本当に見る目がない。この会社でも、最終的にはエリアマネージャー部長級)までは行けたのだが、そこでさらに上のクラス人達と揉めごと(本部クラスセクハラ関係)を起こしてしまい、最終的には理不尽降格処分店長に戻れ!!)を突きつけられ、会社を辞めることにした。

 さて。ワタベ君は普段はマジメだった。しかし、稀に凶悪な面を見せることがあった。ある日の早朝、お店の目の前に食品資材を搬入するトラックが停まっていた。ワタベ君は、せかせかと動いてトラックドライバーと協力し、荷台から野菜ジュースコーラシロップタンクPotatoを下ろし、店内に運んでいた。

 だがある時、見てしまった。トラックドライバーの目を盗んで、ワタベ君が野菜ジュースが50本ほど入ったビニル巻きの段ボールを――丸ごと盗んでいるのを。一瞬の早業だった。私でなければ見逃していたね。※一応、どうやって盗んだのかは伏せる。同様の行為を防ぐため。

 その時ほど、自らの人を見る目のなさを恨んだことはない。ワタベ君はすでに雇用三ヶ月目だったし、彼がいなければ深夜と早朝のシフトが回らない。困った事態だった。当時の私には、見て見ぬ振りしかできなかった。

 それから、ワタベ君は大学卒業まで店に在籍した。発達障害はやはりそのままで、ほかのアルバイト仲間との小競り合いが度々起こった。実は、ある時期から人手不足は解消していて、別にワタベ君には辞めてもらってもよくなっていた。クビにしようかと思ったことがある。しかし、性格や人柄が悪いとしか思えない彼が、多くのスタッフから嫌われながらも、一部のスタッフには懐かれているという現象を目の当たりにして思い留まった。

 なぜ、そんな判断をしたのか? 彼は本当に悪どい人間なのか、と思ったのもあるが――今風の言葉でいえば「多様性」だ。彼は確かに社会人以前に人として未熟なところが多くあった。だがしかし、一部の得意分野においては紛れもなく輝いていた。だったら、嫌なところには目を瞑ろう。それが当時の私の判断だった。

 風の噂だと、新卒時点での彼は、都内の某区役所地方公務員としてのキャリアスタートしたらしい。東京まれ東京育ちだから、やはり地元が一番ということだろう。彼も、元気でやっているといいのだが。



以上で終わりになる。

当時を振り返ってみて、間違いだったと思われる行動は多々ある。どれだけ後悔しても足りない。でも、それも人間だ。迷いながら進んでいくしかない。

ところで、満たされない心というのは、すごく大切だと思う。当時も今も、満足できる仕事をこなすというのは、とてもとても遠いことだと錯覚していた。

成長していくためには、これまでの自分を一人ずつ殺害していく必要があるのだと30代の頃は思っていた。朝が来るから起きるのです、みたいな当たり前のことだと思っていたけど、違うんだな。

人生が満たされなくても、自分自分なのだ理屈も何もない。ただ、それだけだ。だから店長として飲食チェーンで働いていた頃の失敗だらけの自分も、今では受け入れられる。そういう情けない私まで含めて私なのだ再確認できてよかった。

ここまで読んでくれてありがとう増田の皆さまの幸福を祈ってる。もし希望があれば、時間を空けて続きを書いてみたい。

2023-06-02

マイナンバー運用のクソなところを理解してほしい

政府はてなーマイナンバー安心安全便利、万が一漏れてもなんにも問題いからどんどんつかってね♡

政府から事業者へのお達し:マイナンバー関連は超絶重要個人情報なので特級呪物並の厳重さ※で扱うこと!扱い間違えたら刑事罰からな!!

※曰く

マイナンバーを扱うPCは人から見えない角や密室に置くこと。

マイナンバー関連書類を持ち歩く際はツーマンセルで鍵の付いた保管グッズで持ち歩こと。

マイナンバーが保管されている可能性がある媒体は金庫に入れる、鍵の付いた部屋に置く、未使用時は電源をシャットダウンしておくこと。

マイナンバーを扱う可能性がある社員パートアルバイトなど問わず)には研修実施いかマイナンバー危険ものであるか周知させる事。

マイナンバーを扱うPCは覗き見防止シートを常に貼り付けて業務遂行する事。

マイナンバー許可を得ないでゲットしたら犯罪からね♪(落とし物とか監視カメラとかどうすんだ?

その他多数!!!

anond:20230531223314

雑誌出版広告収入モデルで儲かってた1980~90年代がむしろ特例

当時と同じ感覚で維持できるわけはない

当方元増田と逆に単行本仕事書き下ろし歴史雑学系)がメインで

一冊の仕事に数ヶ月かかる方が気が楽だが

ここ2、3年の原稿料単価の下落は劇的だ

同じ分量書いても10年前の6~7割しかギャラが入らない

カメラマンわず良いカメラも使わず編集者みずからスマホ撮影も多い

かといってWebメディア校閲責任感が低そうで信用できない

紙の出版ならこんな間違い途中で誰か絶対気づく記事もよく目にする

AI普及の初期から言われていたことだが

文章書く仕事でも一部にはなかなか機械化しにくい分野もある

スポーツライターなんかはいい例だと思う

喋るのは苦手な選手内面とか上手に言語化できてる人も多い

でも今後は紙の本の市場需要自体が小さくなるのは必然だろな

うちの近所の大型書店セルフレジを導入したが

キャッシュレス専用なので誰も並んでないwww

今や紙の本は年寄りしか買わんのだ

もう自分より若手の商売候補が入って来ないのは気が楽だが

逆にいうと俺は70代になっても学生アルバイトみたいな

インタビュー記事構成とかやることになるのか……

――まあこれも写真植字が普及して鉛活字職人が消え

DTPが普及して写真植字職人が消えたようにくり返されてきた道だ

2023-05-31

anond:20230529200331

https://maamaa-create.com/how-to-make-plot/

ログラインではなさそうだが)

恋人を亡くした科学者は、タイムイムマシンを完成させ、亡き恋人を助けるために過去を改編しようとする。『タイムマシン

かしこくなりたいと願うIQの低い青年は、開発されたばかりの脳手術の話を聞き、かしこくなるために被験者になることを決意する。『アルジャーノンに花束を

自分の夢を持たない少女は、カルタ好きの少年出会いカルタ世界一になることを夢見るようになる。『ちはやふる

頭脳明晰高校生は、不思議ノートを拾い、ノートの力で犯罪者のいない新世界をつくろうとする。『デスノート

・家庭を顧みない仕事人間の男は、妻に逃げられ、仕方なく息子の面倒を見るハメになる。『クレイマー、クレイマー

・腕利きの交渉人は、濡れ衣を着せられ、真犯人を捕まえるためにやむをえず立てこもり事件を起こす。『交渉人

・豪華客船乗客たちは、突然の大津波に襲われ、転覆してしまった船の中から脱出しようとする。『ポセイドン・アドベンチャー

・都会育ちの女子高生は、母が恋人夜逃げしてしまったせいで、田舎祖母旅館アルバイト仲居として働くことになってしまう。『花咲くいろは

亡父に相続税がかかるほどの資産があった

家族2人はそれぞれ10万円ほどで税理士を頼んで申告し、婆娘は自分で申告した

娘は立木価額まで計算したが、税金は約10円安く済んだ

娘は土地面積を税務署基準にしたが、税理士法務局基準にしたからだ

 

でも婆娘は個人事業上手くいってないし、裁判など争っても、介護寄与料も認められない可能性濃厚

大学学費は親から貰ったが、服はろくに買って貰えずにきたし、生活に困ってコンビニアルバイト生活保護になるだろう

女は目に見えないスラム街に住んでいる

2023-05-30

強い言葉を使う人に嫌悪感を感じる。

気持ちは伝わっても意味が伝わりづらいと思ってしまう。

・ 一生幸せします!→どう幸せにするの?

・止まない雨はない!→一過性ものとして、現状はどうするの?我慢

日本語は「愛」で始まり、「恩」で終わる。日本語凄さに気づこう!→愛国心とか他人を思いやる言葉を使う的なこと?別の意図があるの?

会社の一員であることを自覚して行動すべし!的な張り紙アルバイトしている普通学生なら当たり前の認識。それでこの掲示の発端は何?何かトラブルがあったの?

トイレはきれいに、トイレの神様が見ていますシンプルに清掃の人が大変だから座って用を足せ、的なのでよくないか

・「馬鹿」「アホ」など誰かを罵倒する言葉→それでその人にどうしてほしかったの?

プライベートならまだしも仕事問題がおきてこのパターンになると収拾がつかなくて嫌になる。

自分なりの予想はできるけど、その結論に至った貴方なりの理由とか考え方が知りたくて「具体的な話はどう?」「つまり何がいいたいの?」と深掘りするとだいたい変な間が生まれる。

揚げ足取りで煽っているように思われるのか、日本語理解できない人と認識されたのか、怒りを買って変人扱いされるまである

それ以上の会話ができないので結局、行動や具体案がないままで進展or解決はしていないまま終わってしまう。

2023-05-29

まれ関係なく名門校に行ける欧米が本当にうらやましい

海外発!Breaking News】「私は刑務所で生まれた」18歳女性、今秋から全額支給奨学金で名門ハーバード大学へ(米)

https://japan.techinsight.jp/2023/05/ac05282016.html

オーロラスカイカストナーさん(Aurora Sky Castner)は18年前、米テキサス州ガルベストン郡の刑務所収監されていた母親から誕生し、生まれてすぐに父親に引き取られた。

双極性障害を抱えていた父親に育てられたオーロラさんは、シングルファーザー家庭で決して裕福とは言えず、同州モンゴメリー郡内で引っ越しを繰り返したが、幼い頃から成績は常にA(日本の5段階評価の5)で読書が大好きだった。

欧米では刑務所で産まれ児童が、この状況からハーバード大学まで進学できる。

日本では同じことができるだろうか?

社会保障の貧弱な、日本刑務所で産まれた子はいいとこ生活保護を受けながらアルバイト生活ではないか

かろうじて通信制高校までは行けるかもしれないが、大学進学は周囲の大人が阻もうとしてくる。

弱者”になりたい

友人が、精神科受診するそうだ。

Twitterで日々病みツイをする様子を見ていたから、素直に良かった、と思った。同時に、ずるい、羨ましいとも思ったけど。

現代弱者に優しくなったと思う。パワハラセクハラ鬱病ADHD、LGBTQ。平等の名のもとに、マイノリティーは保護される。みんな尊重すべき個性から

そういう“弱者”になってしまえたら、どんなに気持ちが楽だろうと思う。こんなこと言うと「当事者は苦しんでる」って言われるだろうけど、私だって苦しんでる。多分みんな苦しんでる。増税に次ぐ増税と、少子高齢化と、どこを見てもゴミメディアと、変革の進む現実が辛い。

労働基準法を誤魔化しながら最低賃金で働いて、娯楽の溢れかえった令和の世でネットサーフィンして睡眠時間を溶かす。友人と会って、交友関係キープ、重たすぎない愚痴を吐く。たまに実家に帰る。なにかするには体力が足りない。私は意識高くはなれない。

ここがド田舎からそう思うのだろうか。田舎から出なかったのは私の意思だし、“普通”でありたいってのも私の意思だ。

だって、都会は物価がクソ高い。私は長女で下に兄弟が2人いる。あいつら、田舎のアホ私立高校に行ってアホ私立大学に行った。2人にかかってる金額と、自分奨学金とか考えたら都会に出てやって行ける気がしなかった。それに、都会は青天井すぎる。田舎なら、国公立大学卒はまあまあそこそこだ。ここの人達日東駒専MARCH関関同立早慶の違いが分からない。私が都会に出たところで、結局ここと同じような生活をするなら、自分より成功したものが目に入らない方がいい。ここなら、私を過剰評価してくれるし。

その分、田舎ではやはり“普通”な方がいい。元気がいい方がいい。挨拶ができて、天気の話ができて、髪色は落ち着いていて、精神疾患がない方がいい。どこでもそうか。けど、田舎の方がそうだ。

言っとくけど現代配慮平等に入り込んできてるから田舎からといって価値観昭和な訳じゃない。変な人がいるのはどこでも同じだ。けど、“普通”じゃないと体面が悪い。都会は個で生きていけるけど、田舎は仲がいい。近所だとか、子どもが同学年だったとか、パートアルバイトだとか、親戚だとか。その繋がりがずっと続くから、だから田舎は噂が広まるんだよ。そして、本人の知らないところで、デリカシーのない人が相談事の形で噂を広める。みんな、可哀想だねってそれだけだけど。

下の兄弟は2人とも不登校で、弟はアスペルガーだ。母親は2人の子育てに関して鬱の傾向が確実にあったし、父親ほとんど関与しなかった。私が中学の時にはもうそうなってた。自分ヤングケアラーだとは思わなかったし、今でも思ってない。けど、学校から帰って家事をした。高校大学公立に行って、扶養ギリギリバイトして、自動車学校学生ローンを組んだ。良い娘であろうとした。

その反面、弟はゲーム課金で何十万も使ったし(さすがに怒られていた)、妹は実家暮らしてるのに母親とすら会話しないらしい。

時々、真っ当に生きるのが苦しくなる。でも、私が真っ当に、“普通”に生きないと母親の子育ては全部失敗だ。ダイバーシティだっけ、多様性大事から2人は失敗じゃないのかな?けど、2人とも自立して生きて行けてないかダメでしょ。

普通のレールに乗るのは大変だけど、世間普通じゃない方を支援してる。“平等”になるように。

私の言ってることって、「女は泣けばいいよな」みたいな僻みと同レベルだって分かってる。けど、本当に辛い人となんちゃってみたいな人が混じっているのが許せない。私も明日から7歳を自認して、ピーマン食べるだけで褒められたい。

こんなに悩むなら、田舎には不必要好奇心も、働くのに邪魔な豊かな感受性も要らなかった。まあ、いつか綺麗に削れて削ぎ落とせるんだろうけど。

自分語りだったけど、多分みんなもそうだよね。

一緒に歯車になって、心殺して普通に生きていこうね。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん