はてなキーワード: アルバイトとは
大手企業のエリート社員なんて普通に地方支店のアルバイトやパートと関わるし
公務員のエリート集団は金持ちってわけじゃないから普通に同窓会が縦の旅行になる
高校になるとある程度は階層化されるけれど進学校とそれ以外ぐらいの階層で
大手企業創業者の富裕層貴族エリートグループにもなると縦の旅行はしないだろうが
そういうグループは昔から縦の旅行なんてしてないしする必要もない
の言葉そのまんまで底辺社会を体験しなくても数字で理解できればそれでいい
彼らは知的活動に専念する余り知的行動こそが美しく正義であるという宗教に取り憑かれているから
だから感情的・本能的な行動をする集団に対して知的であるように呼びかけるし、そうであってもらわないとリベラルそのものが成立しない
もうおばさんと言われる年齢だ。職場で働いている中で悩みがある。将来のことだ。このままずっと、これでいいのか不安でしょうがない。
十年くらい、関西にある地元の市役所で臨時職員(※今は会計年度任用職員)として採用されて、働き続けてきた。
部署の異動は一度だけ。最初は水道の庶務の仕事だった。今の部署はさすがに言えない。ごめん。
会計年度任用職員、略称としては会任なんだけど、それになってからは異動がない。臨時職員がアルバイト・パートだとすると、会任は契約社員の位置づけである。
ずっと同じ部署にいても、民間みたいに正社員転換しないといけないルールはないらしい。長い人だと、地籍調査とか用地取得の部署で、正規じゃないのに15年以上働いてる人もいる。
私の人生の何がつらいのか、書き綴ろうとしたけどまとまらない。何がどう辛いのか、自分でわからないところがある。しいていうと、恋愛とか、結婚だろうか。世の中の一般の女性にとって大事なことだ。
私は女らしくないし、あまり可愛くもないし、なんならハムスターとか、チンチラに生まれたかった。あの子達の世界にもブサイクはいるのかもしれないけど、人間目線だとみんなカワイイ。
不安はたくさんあるけど、ここでは一つだけに絞って話をする。
不安の全体だと、恋愛や結婚もそうだし、生活のこともあるし、やや遠くで暮らしてる親のこととか、相続とか、自分の健康のこともある。
けど、一番は恋愛とか、結婚のことだ。アラフォーになったばかりだけど、正直結婚は難しいと思う。本当にそう思う。
私と同期で、約十年前に入庁した臨時職員の子達は、全員が自分の道を見つけている。適当な男性とくっついて離職した子もいれば、普通に転職した子もいれば、市役所から直接スカウトを受けて、コネ採用みたいな恰好で、公開競争試験じゃなくて個別試験をセッティングしてもらって、裏口のような形で正規職員になった子もいる。みんな、ちゃんとした理由があった。
入庁当時の私は、25才だった。美容の専門学校を卒業したけど、リーマンショックの関係で職が少なくて、フリーターを転々として、生活が貧しくて毎日泣きそうで、そんな私を最後に拾ってくれたのが生まれ故郷の市役所だった。
月給は額面13万円+残業代で、ボーナスは当然ゼロ。病気・傷病休暇もない。有給は年に5日だけ。私も皆も、風邪・インフルエンザでも普通に出勤していた。こんな私が働けるのはここしかなかった。
数年前に会任制度がスタートしてからは、ボーナスが年間二か月分出るようになって、まともに貯金ができるようになった。今でもこの職場に感謝してる。
話がまとまらなくなる前に、恋愛とか結婚の不安のことを話したい。わかりにくいところがあったらコメントとかで教えてほしい。できるだけ答えるので。
20代後半の頃は、結婚できるのかなって勝手に思っていた。男性の人が話しかけてくれるし、アプローチがあったし、同じ職場の人にデートに誘われたこともある。交際経験もあるけど、そんなには続かなかった。
しだいに焦ってはきたけど、私が三十路になる年のことだった。水道の部署から現在の部署に移ったばかりのことだ。この職場に、いいなって思える男の人(A君)がいた。私と同い年で、小学校・中学校が一緒だった。
当時の私は、残業や休日出勤が多い部署で、毎日地道に仕事をがんばっていた。イベントで使う資機材をまとめたり、パンフレットを作ったり、式典会場の準備をしたり、てんてこ舞いの日々だった。
私は当時、その男の人A君と一緒のペアになって仕事をしていた。心の距離が段々近づいていって、仕事帰りにラーメンをおごってもらったり、イベント帰りに家に送ってもらったり、辛い時に慰めてくれたりした。優しい人だった。
以上を一年目とすると、二年目にそれは起こった。
新卒で入庁してきた子がいた。大卒の子だった。おそらく22才のはずだ。この地域にある名門企業の代表者と同じ苗字だった。この子はSさん。年代は違うけど、私やA君と同じ焼酎学校の出身だった。
直属の上司である係長(※蛇足だけど係長も学校が同じ。Sさんとは出身高校も一緒)からは、「Sさんは大学出たばかりで、最初は全然慣れないだろうからフォローしてあげて」と言われていた。そうしてあげるのが先輩としての正しい道だと思ってたけど、後日別の意味で否定された。
Sさんは、仕事ができる子だった。難しい言葉を使うと、利発な子だった。都会じゃなくて、地元にある大学出身の子。別に、京都大学とか大阪大学とか、そういうレベルの大学出じゃない。
けど、頭の回転とか、コミュニケーションとか、気遣いとか、嫌いな相手とも表面上仲良くするとか、そういうのができる子だった。
あれは今でも覚えてる。私とペアになってたA君だけど、Sさんを目で追ってるのがわかった。
関係ある仕事でも、関係ない仕事でも一緒に話をしようとするし、Sさんと話してる最中は、私の時と比べて笑顔だった。
反面、私と一緒にいることは少なくなった。一緒にご飯を食べることはなくなったし、一緒の車に乗せてくれることもなくなった。同じ仕事をして、彼を補助する仕事は変わらなかったけど。
Sさんは人懐っこいとか、そこまでではないけど、皆とよく一緒に話していた記憶がある。若い子らしくて、さわやかな印象だった。よく笑っていた。ブサイクな方ではないと思う。
結局、A君はみんなが見てる時でも、Sさんに対して恋愛的にがっつく……は言い過ぎだけど、熱烈に会話をするようになってた。「あれはひどい、やばい」という次元だった。
上司である係長に「あれはよくないです!」と進言したこともあった。けど、係長も、そんな2人をむしろほほえましい感じで、ノホホンとした眼差しを送っていた。「増田ちゃん。あんなのイチイチ止めてたら、日本の少子化待ったなしだよ~」だって……。
その係長だって、Sさんには甘々だった。この部署の中では、Sさんは新卒とは思えないほどスキルがあったとは思うよ?私なんかとは別格の。係長は、そんなSさんを散々利用していた。
本来はベテラン職員がやる仕事まで、入庁一年目であるSさんに割り振っていた。イベントだって、ほとんど休みなくSさんを休日出勤させていた。
「こんなのおかしい。職場って恋愛する場所じゃないよ」、て言いたかった。なんでそんなに、Sさんばっかり使い倒すの。私だっているじゃん。私の給料、Sさんと同じくらいなの知ってるよね。私に休日出勤の仕事を割り振ってよ、残業代欲しいよと思っていた。そんなもやもやが一年以上、ずっと続いた。
※Sさんのことたくさん書いてるけど、彼女はもう職場にいない。A君も。
在籍中だったら、公共の場所にこんなことは書けないし、書かない。
さらに、その次の年度だった。
季節は春を過ぎたくらい。Sさんが朝礼の時、皆の前に出てきて、「私。今月結婚します。仕事にはもちろん支障ないので、これからもよろしく~」と皆の前で告げた。
A君の顔を見ると、茫然としていた。生気が抜けた表情だった。残念、みたいな表情を通り越した顔( ;∀;)だった。
ざまあみろ、ていう薄汚い感情が自分の中にあった。でも、ここは職場だから。そういう思いを出す場ではないから、と自分に言い聞かせた。
Sさんの結婚相手は、やっぱりというか、地元の名士の苗字だった。京都~和歌山の人なら、聞いたことがあるかもしれない。CLAMPの漫画に出てくるような、鳥系の氏だ。
入庁して二年目で、結婚かぁ……私が入庁して二年目の頃は、そんなこと考える余裕はなかった。恋愛のアプローチがあっても、応えるだけの生活の余裕がなかった。貧しかった。
月給13万円台で、京都市内での一人暮らしは不可能に近かった。実家を頼ろうにも、父母にそんな余力がないのは明らか。私は学生向けのボロアパートに住んでいた。
私が好きな少年漫画で、「ドン詰まり」という表現が出てきたのを思い出した。本当にこのドン詰まり、という状況だった。若い頃の私は。
でも、Sさんは違う。私と違って余裕がある。実家は太いし、皆から人気はあるし、私みたいな隠キャラとはわけが違った。生まれた瞬間からして違う。
それから今に至るまでの私は、ずっと同じような縮小再生産だった。
[仕事]…一般事務と、イベントのお手伝いの仕事。正規職員登用の声がかかる気配なし
[生活]…近所のスーパーで夜に割引食材を買う。奇跡が起こると、6.6割引になってることがある
[趣味]…たまにアニメ漫画・小説を読むくらい。作品イベントに行けるだけの余力なし
最後にSさんと会ったのは、同じ年だった。Sさんが妊娠後、もうすぐ育児休業で職場からいなくなるタイミング。
うちの部署のイベント大成功のお祝いで、みんなで夏にバーベキューをすることになった。係長が、お手頃な値段でたくさん食べられるというお店(というか山の中……畜産農家の圃場内だった)を紹介してくれた。私の少ない給料でも全然参加できる料金だった。そこにSさんも参加していた。
バーベキューだけど、みんなイベントの疲れを癒すというか、ねぎらうというか、和やかな雰囲気だった。広い車庫ガレージの中での立食形式のBBQだった。
私はやっぱり隠キャラで、食べたり飲んだりはしてたけど、会場の設営とか片付けとか、飲み物の氷の準備とか、お肉を焼いたりしていた。誰かが焼酎の水割りとかハイボールで使う氷を取りに来る時、その人の背後に付いて、「氷入れますよ」という案内をしていた。※「増田ちゃん、暗殺者かよ~」とツッコまれた
あとは、ほかの人のところを巡って、コップが空いてたら飲み物を注いだりした。そこまで飲み食いはしなかった。お肉とオニギリは本当においしかった。本物の食肉卸だった。限られたお客さんにだけBBQパーティのサービスをしてるとのこと。
その日も、Sさんはみんなに人気があった。焼肉と野菜を食べてお酒を飲みながら、ガレージ内でおしゃべりをしていた。ずっと。そんな時に私は、Sさん~~職場友達の話に聞き耳を立てることがあった。
こんなことを、話していた。
(早く結婚できてよかったねと言われて)
「えー。運がよかったんです。親の紹介で、京都御所の建物の中まで入れる限定の行事があって、そこで知り合って」
(仕事ができるねと言われて)
(育児休業どれくらいするの、と聞かれて)
「係長からは上限の3年まで取っとけって言われたけど、自分は1年半で十分です」
(Sさんが羨ましいと言われて)
「幸運があったので。ありがたく、この環境はもらっておきたいですけど、でも別に、ここまで恵まれてなくても、私は幸せになれるように頑張ったんじゃないかな」
嫌な感情が湧いた。
彼女は、Sさんは、私にはないもの、絶対に手に入れることができないものを持っていて、それが才能とか、環境とか、そういうのじゃないって、自分の力だって。絶対にそう思っている。
そういうのがムカつくって、あの時の自分は思った。ガレージの中で涙が出そうになった。焼肉の煙が目に入ったのもあるけど。自分はこんなに苦しいのに、Sさんは自分が恵まれた環境にいることに気が付いてるフリをして、実際には気が付いてない。
Sさんと自分との間には埋められない溝がある。でも、この時、こんなに人生で初めて、悔しい思い、誰かを憎んだのは初めてだった。
Sさんとその友達の空いたコップを見つけた時、「Sさん、何飲んでるの?」と聞いてみた。
すると、「あ~、じゃあ。私は焼酎の水割りにします。あそこの奥にあるやつで、焼酎少なめがいいです」とのこと。Sさんの職場友達は、「ありがとう。私はカルピスでいいです。お願いします!」と言った。
あそこの奥にあるやつ……その焼酎は、ガレージの奥のテーブルにあった。卓上の保冷ケースの陰に隠れていた。獺祭の高いやつだ。私も焼酎が好きだけど、こんなに高いのは飲んだことがない。
保冷ケースの裏で、私は焼酎を少し注いでから、テーブルの真下にあった開封済の農薬袋を見つけた。右手で、農薬の粉瘤を二掴み手に取って、Sさんが飲むはずの焼酎のコップにそれを入れた。
水じゃなくて炭酸水を入れて、攪拌用の割りばしでかき混ぜて、ニオイを嗅いでみると、何も感じなかった。味見した感想も焼酎のソーダ割りだった。カルピスは急いで作った。
「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」「流産しろ」
何度、心の中で叫んだかわからない。気持ちを止めることができなかった。
あなたはだって、ここまでずっと人生幸せだったじゃん。不幸もないと、おかしいよ。
「人生には不幸があった方が幸せになれるよって、そっちの方がいいよ」って、この時思っていた。
2人のところに飲み物を持って行って、「暑いし氷溶けるし、早く飲んだ方がいいよ」と伝えた。
2人とも会釈だけして、Sさんが獺祭のソーダ割りを飲んでいた。こんな会話が聞こえた。
「え~、これ炭酸割じゃん!」
10分くらい経って、Sさんが別の男性に「獺祭おいしい、おかわりほしいです~」とねだっているのが見えた。
翌週、Sさんが職場にこなくなった。「体調不良です」と係長が上司に報告していた。
産休予定だったので、早めに開始することになった。それからまた日常が戻った。私の仕事内容は、今後もずっと変わることはないと思う。定年までずっと、いやきっとそうなんだと思う。
昇給だって、年に三千円だけ。しかも一定のところまで行ったら頭打ち。「こんなのっておかしい」と思うけど、ルールだから従うしかない。正規職員と違って身分保障がないのに、今までクビになってないだけ「ありがたい」と思わなきゃいけない。
今年に入って、育児休業中のSさんがベビーカーに子どもを乗せて職場に来た。みんな、生まれたばかりの赤ちゃんを間近で見ようと寄っていた。私もそうだった。
後ろの方には係長も来ていた。Sさんがいなくなったせいか、仕事量の負担が大きくて元気がなさそう。
Sさんに、ほかの皆と一緒に「元気に生まれてよかったね!」と伝えると、Sさんは幸せそうだった。でも、なにか違う気がした。
この、赤ちゃんを職場に連れてくるシチュエーションは、私が子どもの時も、学生の時も、社会人になってからも、何度もあった。その時、新しいお母さんは、みんな誇らしげな表情をしていた。安心がまざったような。
でも、Sさんの表情は悲しそうだった。もしかして辛いことがあったのかな。だったら、それでよかったのかもしれない。無事出産できたのはいいことだけど、人生にはつらさも必要だと思うから。
同じ職場の仲間として、Sさんが職場復帰する時が来たら、これまでと同じように一緒に仕事ができたらと思う。私は貧しい生活だけど、それを受け入れることができている。ここまで達観できるようになった。これも成長だ。これから人生どうなるかもわからないし、不安もあるけど。
「30年に及ぶ不況。そこにコロナで物価高という日本の状況ですね。これによって高齢者の5人に1人が貧困で、一人暮らし女性の4人に1人が貧困、そしてひとり親世帯の2つに1つが貧困」
日本は不況、コロナ、物価高の3重苦で、貧困が広がっているという説明だ。党首討論でも同じセリフを言っていたように思う。
日本に貧困が広がってるってマ?そんな感じはしないけど、そんなに日本やばいの?
食べるものもなくて、道端で暮らしている…貧困というとそんな生活をイメージするが、れいわ新選組の言っている貧困は相対的貧困のことだ。
相対的貧困とは「等価可処分所得の中央値の半分」に満たない人のこと。
ややこしい言葉が並んでいるが、所得の多い人、少ない人をずらーっと並べて、その真ん中が中央値だ。それの半分に満たない人のことを相対的貧困と呼ぶ。
「2021(令和3)年の貧困線(等価可処分所得の中央値の半分)は127万円」
https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/k-tyosa/k-tyosa22/dl/14.pdf
まあ、ざっくりいうと手取りが約130万円以下で生活をしている人のことだ。
ん?手取りが130万円以下?
よく学生のアルバイトが103万円の壁を超えないように就業調整をするというが、そんな学生アルバイトと同じくらいしか稼げてない人が実は滅茶苦茶多いの??
最低賃金で全国最安は秋田県の951円だ。手取り130万円稼ぐのに必要な額面はざっくり160万円。
では貧困にならないようにするにはどのくらい働けばいいのか計算してみよう。
たったの211日アルバイトをするだけで貧困から脱出できるということになる。年間休日154日だぜ??
ちなみに2024年9月のアルバイトの有効求人倍率は1.19倍で、仕事がないということでもない。
普通に働けば貧困にならないことがわかった。貧困なのは「働かない」か「働けない」のどちらかということになるだろう。
単身世帯の65歳以上の女性44%、男性30%が貧困だ。65歳未満と比べて圧倒的に貧困率が高い。
それはなぜかと言うと、年金だけで生活しているからだろう。年金の受給額は人によって違うが基礎年金だけだと78万円くらい、パートとかだと厚生年金も若干あって100万円くらい。
高齢者の持ち家率は80%以上だそうから、家賃もかからず、生活費と言えば食費、水道光熱費、医療費だけで、100万円以下でも暮らしてい行けるのだろう。
つまり高齢化社会になればなるほど、日本の貧困化は進んでいく。
貧困率を下げる方法は年金受給額を増やすのが最も手っ取り早い。あるいは所得の中央値を引き下げる(日本全体を不景気にしていく)のも貧困対策に有効だ。
書いていて馬鹿らしくなる。そんなことをしていったい誰が幸せになるのか。
(もし日本の貧困率を押し上げているのが高齢者なら)貧困率対策など不要だ。
確かに2021年の20-64歳までの単身世帯の貧困率は23.9%だ。
ただれいわ新選組の言うように30年の不況でコロナで物価高だから貧困率が悪化しているわけではない。
なぜなら2018年の貧困率は24.5%で、むしろ最近になって貧困率は下がっている。
とはいえ、一人暮らし女性がなぜ24%も貧困なのかはよくわからない。
ひとり親世帯の約46%が貧困だ。これは働けない子供を抱えているからだ。
子どもがいると、就労時間に制約が生じるから十分な所得を得られない。それだけでなく、世帯数が増えるから可処分所得も下がり貧困に近づくことになる。
少しややこしいが、「貧困線とは、等価可処分所得(世帯の可処分所得(収入から税金・社会 保険料等を除いたいわゆる手取り収入)を世帯人員の平方根で割って調整 した所得)の中央値の半分の額」となっている。
手取り180万円、母親と子供1人の2人暮らしの場合、180万円÷√2=約127万円が可処分所得になる。
まあ要するに子供の数が増えるほど、可処分所得は下がっていき、貧困に近づいていく。
これに関しては確かに貧困と言えるかもしれない。だが必要なのは消費税廃止や季節ごとの給付金か?
それよりも本来子どもを養うはずの父親が養育費を払わないことが問題の本質なのではないか。であれば養育費を国が立て替えて、国が父親に請求をする、などと言った根本原因の解決を図るべきなのではないか。
相対的貧困は貧困における一つの指標ではあるが、実態が見えない。たとえば
・貯金300万くらいあるので、1年だけ無職を楽しみます→貧困
・月8万しか年金もらえないけど、持ち家で食費・水道光熱費しかかからないので、月4万円で楽しく暮らしています→貧困
逆に月7000ドル(約100万円)以上稼いでいるけど、インフレが酷くて、家賃と食費で6000ドル以上かかりますみたいな海外で起きてそうなケースは相対的貧困ではないが、生活はかなり苦しいはずだ。
相対的貧困だけでは、その人の生活実態は見えてこない。ゆえにこの指標をもとに政策を決めるのは難しいと感じた。
れいわ新選組の経済対策といえば消費税廃止だ。消費税をすることで消費を促し経済を活性化させていくという論理なのだが、そんなことをしても日本の貧困率を引き下げることは難しいだろう。
なぜなら高い貧困率の原因はおそらく不況ではないからだ。高齢化社会こそ真の原因ではないか。
ただ消費税廃止は生活コストを引き下げるので、高齢者にとっては生活しやすい社会になるだろう。
というかれいわ新選組の消費税廃止、季節ごとの給付、年金底上げって全部高齢者向けの政策なんじゃ…。若者に人気の政党かと思っていたので、ここが意外でした。
※私自身はれいわ新選組の支持者でもアンチでもないです。山本太郎さんは意見交換会で直接有権者から質問を受けていて、その場で答えていて、普通にすごいと思ってます。
https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/k-tyosa/k-tyosa22/dl/14.pdf
- ①労働者等が、②役務提供先の不正行為を、③不正の目的でなく、④一定の通報先に通報することをいいます。
「労働者」には、正社員、派遣労働者、アルバイト、パートタイマーなどのほか、**公務員**も含まれます。
「役務提供先」において一定の法令違反行為が生じ、又は**まさに生じようとしている旨を通報する必要があります**。 一定の法令違反行為とは、「国民の生命、身体、財産その他の利益の保護に関わる法律」」(※1)として公益通報者保護法や政令で定められた法律に違反する犯罪行為若しくは過料対象行為、又は最終的に刑罰若しくは過料につながる行為をいいます。
- **労働施策の総合的な推進並びに労働者の雇用の安定及び職業生活の充実等に関する法律(昭和四十一年法律第百三十二号)** (俗に言うパワハラ防止法)
- 育児休業、介護休業等育児又は家族介護を行う労働者の福祉に関する法律(平成三年法律第七十六号)
不正の利益を得る目的、他人に損害を加える目的その他の不正の目的で通報した場合は、公益通報にはなりません。
通報先は、(1)事業者内部、(2)権限を有する行政機関、(3)その他の事業者外部のいずれかです。
上記の要件を満たさない通報についても、労働契約法などの他の法令等によって通報者が保護される場合があります。
- ※常時使用する労働者の数が300人以下の事業者は努力義務
- **公益通報をした人を特定できる情報は、従事者以外は扱えません。**
- 従業員等に対して、従事者制度に関する周知や教育活動を行ってください。
- 公益通報者の氏名などを漏らすと守秘義務違反として30万円以下の罰金(刑事罰)が科されます。
- 氏名でなくとも、公益通報者が誰であるかわかる情報も同様に守秘義務の対象です。
- 従事者守秘義務は異動や退職後も続きます。(期限の定めはありません)
- 公益通報をしたことを理由とした解雇は無効です。解雇以外の不利益な取扱い(降格、減給、事実上の嫌がらせ等)も禁止されています。
ソース:
いい店舗で働けてると思ってる。みんなイイ年してフリーターである自分に優しい。
まかないのラーメンが毎回同じ味で飽きることはないし、給料は近隣よりも僅かに高いくらいだし、シフトは融通が利くし、早くこのバイトから抜け出したいなんてこともない。
あれ、どうにかならんかな。お客様だからって、上から目線すぎるだろ。
★1を付けるやつって、どういう趣味してるんだ?これもカスタマーハラスメントということになるんじゃ?
ちょっとだけ例を挙げよう。新しげなやつを3つだけ。
なお、うちは濃い味のラーメンを出してる。地元では有名になりかけてる。
【クチコミ①】
★★★☆☆
家系。今時流行りのラーメン屋はごく稀に入店する。普段は老夫婦がやってるお店のラーメンを食べている。
● 味の濃さ
凄まじい濃さ。某有名ラーメン漫画でいうところの「ヒステリーな味」だ。ラーメン(特にスープ)は体に毒という情報は、若い方でもご存じと思われる。
ニュース番組で、毎日ラーメンを食べていたその道の評論家の人が若くしてお亡くなりになった~という報道が数年前にあった。
もし、週に何度もこういうお店のラーメンを食べると、冗談抜きで糖尿病・高脂血症その他の生活習慣病に罹患する。毎日利用したなら還暦前にお亡くなりになる。
機会があれば、冷えたラーメンを見てみよう。油脂が白く固まっている。まさに結晶。あれは分類上、一般ごみではなく産業廃棄物になる。
● 実際においしいのか
脱水症状とか、仕事でたくさん働いた後で~という留保を付けるなら、はっきりいっておいしい。凄まじい味の濃さで、そのうえ量が多い。若者向けだ。
スープが特濃なので、野菜と合わせると相性抜群である。個人的にはホウレンソウをベジファースト気味に食べるのが◎だった。
ただし、ほかのレビュアーもおっしゃっているが、アルバイト主体であるためか、日によって品質が異なる。これは、こちらの店に限らず、新進気鋭のチェーン店ではどこもそうである。あなただけが不幸なわけじゃない。
どうしてもハズレを引きたくなければ、近所にあるジョリーパスタかココイチに行こう。くら寿司とずんどう屋はダメである笑
● 最後に
繰り返すが、ラーメンと健康について。ラーメンは多くても2週間に1回に留めた方がいい。特に、私の隣でラーメン・肉・ご飯を貪っている若者を見て感じた。
若いうちはいいとか、そういうものではない。若くても生活習慣病になる。なってからでは遅いのだ。お米など炭水化物が食べられなくなってしまう。
スープまで完食すると、サービス券が出るようだが理解に苦しむ。なぜお客を病気へと導くサービスを行うのか?
(※廃棄スープを減らすため、あるいは心理学のコミットメント狙いと思われる)
地元民として、こういうやり方は歓迎できない。
こちらのチェーン店に限らず、今時風のラーメンの出汁は最後まで飲んではいけません。肉体が塩と油にまみれてしまいます。
イートイン
食事の種類
ディナー
1 人あたりの料金
¥1,000~2,000
食事: 3
サービス: 3
雰囲気: 3
やさいラーメン
【クチコミ②】
★★★☆☆
無料ライスもありがっつりいきたい人にもばっちりです。サイドには薬味類がありました。
私は今回ネギラーメン(醤油)を選びましたが、見た目豚骨?かと思いました。
食べると醤油なのですがw
18時までに注文すると麺の大盛りは無料サービスになるそうです。
麺は意外と長くなく箸で一口分に掬えるようになっていましたね。
ご飯にスープを浸して食べれば美味しそうですがその前にお腹いっぱいになり、辞めときました。
ただ、水を飲むときは氷と同時にでるためお代わりが欲しいときは切り替えがないので、氷のみが増えていきますので要注意です。
食事: 3
サービス: 4
雰囲気: 3
【クチコミ③】
★★☆☆☆
これまでここはラーメンちゃうと敬遠してきたが22日は550円で食べれると並んでみた。13:30に来店し20分で入店。15分待って着丼。見た目は味噌と醤油の区別つかん。まずは一口スープをぐびっと。ヌル!味噌、醤油ともに油呑んでるみたいで区別つかん。麺も食感なく最後まで塩っぱい油漬け麺の印象。スープも麺も一口で大盛り無料に後悔。初めて残しそうになった。若い人にはご飯お代わり自由だしご馳走かもね。
うちに限らずだが、このへんの飲食店のレビューって、★4★5が多数なんだが、あえて★1を付けるカスハラが多い。
なんていうか、Amazonのサクラ商品みたいに、レビュー分布の図が弓形に反りかえっている。
こういうのって、なんとかならないんだろうか。
その主張をどこで読んだのかは知らないけど、まともなニュース解説の記事なら、その主張には続きがあって、
「アルバイト学生が親の扶養からはずれる問題は、親の扶養控除の壁を103万円から引き上げるのが正攻法の解決策である」と書かれているぞ
実際にパート主婦の103万円で夫の扶養控除から外れる問題は、150万円まで扶養から外れない特別扶養控除を作って解決してる
当方、齢37である。来月末に引っ越しをする。大学卒業から約15年、暮らしてきた実家近くのアパートを離れるのである。
社会人としての稼ぎが少なすぎて、実家の手を借りなければ生きられない。よくメシを食べに行っていた。情けない社会人だった。それは結婚しても変わらなかった……幸い、子どもはいない。
妻は、いいやつだ。こんな貧乏暮らしの人間と結婚してくれた。見栄っ張りなのが玉にキズである。親戚や近所同士の集まりでも、コモンカード(MTGで言うと「モグの狂信者」 わかったぞ! わかったぞ! わか……)に等しい私を、高年収の正規サラリマンとして紹介することがあった。
よくできた妻だと思う。私にはもったいないくらいの。悪態をつくことはあるけど、裏切ったりしない。近所の実家にお米や野菜をたかりに行く時も、一緒に付いてきてくれた。
もし、この世界がエロ漫画の世界で、あらくれ氏が描くみたいなオッサンに妻が寝取られてしまったとしても、私は許すと思う。私に尽くしてくれる良妻である。
大学時代、ぜんぜんダメな子だった。偏差値50台の二流以下の大学で、学生時代はアルバイトばかりやっており、部活もサークルもせずにダラダラ過ごしていた。就職活動はひどいものだった。
「Fの就職チャンネル」で就活生の動画(ex.大学4年の6月から就活始めたりする)をたまにやってると思うが、まさにあんな感じの、圧倒的ダメダメ就活生だった。
さて今回、引っ越しをするのは、晴れて正社員としての採用が決まったからである。関西の南の方に住んでるのだが、隣県での採用が決まった。大まかな括りだと機械操作オペレータである。年収+はなんと約200万円。
今まで、この田舎にある小さい製造会社で毎日毎日、機械や仕様書・図面と格闘してきた。25才の時、契約社員として雇ってもらった。それまでは近所にある町中華の店でアルバイトしていた。
正直キツかった。専門知識は一切ない私立文系人間である。マジで辛かったよ。しかも、小さい会社なのに出張まであるんだからな……だがしかし、ついに培ってきたワザが評価されたのだ!!
今年の4月になってから(妻の強い勧めで)転職サイトに登録してみたところ、私のワザというのは、意外と需要のあるスキルだったようである。(ビズリーーーーーーーーーーチッ!!)
大したことは思いつかなかったが、とりあえずやってみたことを列挙する。
・少し高級な中華料理屋で暴飲暴食
・昔の思い出グッズを漁る(MTGカード、進研ゼミ中学版、ガラケーの写真など)
・地元神社の奉納祭り役員への立候補。当日記を書き始めた頃に無事終了
あとは、里山登りかな。幼い頃、祖母に連れられてよく里山散歩をしていた。小高い山の頂上から見下ろす町並みは壮観だった。
なにぶん田舎なので、里山がたくさんある。グーグルマップで見てみると、東京の方でも端っこの方は青々とした山が広がっている。あんな標高数百メートル以内の山を、ひたすらに登っていく。
自宅の裏から繋がる山道の入口から始まって、よいしょよいしょっと里山を登っていく。私が子どもの頃は、近所の人はみんな林業してたから、開けた地形がけっこうあった。里山というよりは丘陵に樹木が生えてる感じだった。
亡き祖父の話によると、戦時中はどの里山もはげ山状態だったらしい。戦争で石油燃料が不足したため、国民単位でみんな柴刈りをやりまくったのだ。グーグルマップで言うと、あの青々とした山がほぼ肌色だったということだ。
今は林業をする人はおらず、里山は荒れ放題である。てっぺんまで行っても町の景色など見えやしない。雑木の群れが頂上を覆い隠している。
樹木が生い茂ってないところだと、町の景色が見えたりする。山の標高は低いけど、限界効用が低いとでも言えばいいのか、珍しい景色なので壮観である。汗ダラダラで意識が朦朧としてるのもある。脳がマヒしている。
https://tadaup.jp/15183559802496/
高校時代の卒業アルバムも読んだっけ。柔道部に籍を置いていた。
高校卒業式の直後、部活メンバーみんなで柔道場でお祝いをするのだが――その時の写真が出てきた。
なんと、みんなからの寄せ書きも残っていた!! 超恥ずかしいけど公開してみよう。別にいいだろ。増田にこういう投稿するの、人生最初で最後なんだからさ。
(部員一同)
増田さんは、□△高校の相川さんがロリロリで好みなんですよね!!
相川さんを是非モノにしてください
増田先輩の行動で一番驚いたのは、■▲高校の藤田さんの写真をこっそり撮って、救急箱に貼っていたことです
閉会式の時、柔道着の藤田さんが目を閉じて、優勝旗に顔を傾けているやつです
とにかく3年間お疲れ様でした。先輩にはクソお世話になりました!!
増田先輩の柔道、粘り腰で凄かったです。どんな時でもあきらめずに、ベストを尽くしてました
冬の大会で4人抜かれてから5人抜きした時はマジでびっくりしました!
増田先輩の変態エクストリームハートには緊張させられっぱなしでした。
早く警察に捕まってください!!笑
増田先輩へ
増田先輩
お疲れ様でした!!
けど、引退した後もたくさん乱取り付き合ってくれて、たくさん寝技も教えてくれて、感謝してます
いままでありがとうございました♡
増田君が入部してきた頃にはどうなることかと心配をしました。ご卒業おめでとうございます。キャプテンとしての重責、大変ご苦労様でした。柔の道は、将来どこかで役に立つ時がきます。力必達(※つとむればかならずたっす)。何事も最後まで諦めず努めてください
・先輩ご卒業おめでとうございます これからも頑張ってください
・3年間お疲れさまでした 面白い先輩でした笑
・これからも今までみたいに頑張ってください
これはひどいwwwwwwを地で行く内容である。こんなん、人に見せられるもんじゃねーだろ。
でも、いいよ。増田民へのサービスだ。いつもお世話になってるからな。
そんなこんなで先月に就職が決まってから、結局最後までできなかったことがある。大学時代の思い出の開封である。
それ以外の思い出BOXはすぐに開封できた。実家にある元自分の部屋にある段ボール箱のテープを、ビリッとやればそれでよかった。でも、大学生時代は後味が悪すぎる。就職すらできずに、逃げるようにして卒業したんだから。正直、嫌な思い出である。トラウマと言っていい。
いや、大学の卒業式は出席したのだ。謝恩会にも。問題は、マクドナルドでの思い出である。
マクドでアルバイトしてたんだけどさ、卒店式っていうのがある。文字どおり店舗からの卒業式である。毎年3月にある。
卒店式だけど、マクドナルドって経営や店舗運営が外資ルールだから、エリア内の店ごとに売上を競わせるんだよな。
それで、いい結果を出してる店舗だとそれなりの貸館施設で、いまいちな結果の店舗だと近所の公民館を無料で借りて、ジュースやお菓子をテーブルに並べて卒店式をやる。
大学時代にアルバイトをしてたマクドの店は、成績がいいところだった。京都にある四条河原町店という名門店舗である。店舗番号は100番以内、つまりマクドナルド黎明期に作られたお店のひとつだ(今でもあるのかな)。
当時の私は就職活動に失敗して、無職neatでの卒業が決まって落ち込んでいた。
そんな時、自分のひとつ年下の後輩のスウィングマネージャー(※できるアルバイトが社員の仕事をする。時給+50円)から話があった。「増田さん今までお世話になりました。卒店式、ホテルグランヴィア京都でやりますからね。店長が、すげー男を見せてくれた(※足りない分は自腹切ったらしい)んすよ!! 自分、増田先輩のために送辞読みます」とか言ってた。
でも、私は嬉しくなかった。就職活動に失敗してニート確定の自分が、そんな場で送辞を読まれたって嬉しくもなんともない。畜生というやつだ。
結局、卒店式には出ないって後輩君に伝えた。すごくガッカリしていたよ。だって、彼が初心者の頃、私がずっと付いて教えていた。彼が嫌なことあって、アルバイト中に不貞腐れてる時でも、構わずにとにかく、いろいろ教えていったよ。
この子は才能があるから、すぐにうまくなるだろうと思ったけど、やっぱりすぐに上手になった。
ただスキルがあるだけじゃなくて、なんというか、仕事の本質がわかってるというか。能でいうところの上手(うわて)みたいな感じである。世阿弥がさ、『風姿花伝』で伝えてるような、社会人技能について嵩があって丈もあって(※今でいうとT型人材)、本質的なことがわかってる子だった。
一度だけ、後輩君から催促を受けた。二度だったかもしれない。あの時のことは覚えてる。
あれは事務所だった。「卒店式出ましょうよ」というシンプルなものだった。しかし私の答えは……。
「そんな気分じゃない。早く就職しないと。すぐにできないかもしれんが」と言ったら、「増田さん。AJCCで2回も勝ったじゃないですか!! 余裕っすよ」と言ってた。
※AJCC…マクドナルドの技能大会。「2回勝った」とは、地区大会と府大会で部門別優勝したの意。関西大会では、府大会と違うメンツでオペレーションになったので、コミュ障だった私はボロボロの成績だった
その後の後輩君とのやり取りは覚えてない。最後の方だと「あのな、後輩君。どんだけ綺麗に、上手く、速く、素早く、ハンバーガー作れたってな。社会じゃ何の役にも立たねーんだよ!」と悪態をついた。
それで、後輩君は黙ってしまって、それ以来やつとは会話していない。最後の勤務日も、淡々と仕事を終わらせて――いや違う、確か女性の学生客がトイレでゲロ吐いたんだっけ――それの片付けを夜に終えて、私にとってのマクドナルドは終焉を迎えた。
帰りに、同じくマクドナルド河原町三条店(※こちらは関西最古の店舗らしい。今でもあるのかな)に寄って、チョコパイかベーコンポテトパイを買って帰った。マックポークだったかもしれない。マックチキン……( ;∀;)
しんみりしてしまった。
学生時代の思い出を開封するのは心理的にキツイ。けど、時間は限られている。いったん妻とこのアパートを出たら、帰ってくるのは十数年後になるかもしれない。妻はうちの実家嫌いなので……。
そんなのはちょっと、想像したくなかった。というわけで、アパートの自室の押し入れを開けて、学生時代の禁断に近い思い出の段ボール箱を開封した。
そしたら、いろんなものが出てきた。当時のガラケーとか、大学時代の成績表とか、学位記とか、マクドナルド辞めてから郵送で届いた卒店式の寄せ書きとか、昔の授業ノートとかだな。産業社会学部のゼミのみんなで撮った記念写真もあった。京都駅の近くで行われた社会科学の研究展示会で賞を取った時のやつだった。当時の日記も出てきた。
その日記、最後の方だけパッと読んでたんだが、どうやら学生時代の私は卒業時に108万円の貯金があったらしい。なんでそんなにあったかというと、大学1回生の時からマクドナルドで週5で働き続けていたからである。いわゆる超修行をしていた。ここまで働いてると、身体が脳をハックするようになる。
……厨房の注文画面が「ピッ」と鳴ったら、考えるよりも前に身体がハンバーガーを作り始める。考えるんじゃなくて、調理行程を『感覚』が捉えるようになる。トングとか、ソースガンとか手に取るんだけど、なんかさ、感覚がさ、一体感がすごい。トングが身体の延長というか、もはやマクドナルドというお店自体が、自分と一つになってるような、そういう感じ。
例えば、トングを握ってパティ(肉)を掴んでる時って、体のどこがそれを認識してるのだろうか。
指先だと思うかもしれない。けど、その指を支えているのは筋肉組織と関節であり、それらをさらに骨組織が支えている。物質に触れている指先というのは、入口である。
骨組織と言ったけど、トングでパティを掴んだ時の刺激って、関節の中を電気信号が走って、最後は脳に伝わる。ということは、刺激というのは、結局は指先じゃなくて『脳』が認識している。
でも、その刺激って指先が認識してると人は解釈することができるし、実際にしている。脳が認識してると捉えることもできるし、体の先っちょが認識してると捉えることもできる。
こういう解釈が成り立つということは、指先が触れてるトングそのものが、パティの感触を認識してるってことにもならないだろうか。
剣道の達人だと、竹刀が体の一部みたいになっていたりする。サッカー選手だったらボールである。そうだ、ここでの私にとっての肉体の最延長は、指先じゃなくて、トングなのだ!!
もう少し延長すると、店舗で働いている自分というのは、床に立っている。呼吸をしている。ほかの従業員やお客さんの存在を感じ取っている。ということは、其処に存在している以上は、その床を、空気を、ほかの店舗スタッフを、お客さんを、なによりマクドナルド四条河原町店という、その存在が――私という人間の延長として考えることはできないだろうか。
実際、国際赤十字とか、国連とか、国際NPOとかで働いている人、それ以外にも人類福祉のための活動してる人って、地球とか、人類社会そのものを自分の延長として捉えてるんじゃないか? そう感じざるを得ないようなニュースがたまに飛び込んできたりする。
それはさておき。108万円の貯金、結局どうしたんだっけ。
あー、そうだ。グータラだった自分は、フリーター生活とともに2年もしないうちに霧消したんだった。でも、あのお金があってよかった。あれがなければ、秋から始まる奨学金の返済に対応できなかった。
あの頃(23~25才)の私は、アルバイトではダメだと、奨学金の返済に耐えられるだけの仕事を探して、探して、探しまくって、ようやくたどり着いたのが今勤めている金型の製造工場だった。
始めは出荷場での勤務だったけど、オペレータの給料が高いというので転属を申し出たのだ。これらは当時の日記を読み返して初めてわかった。案外、人は記憶を改ざんするものである笑
ちなみに、まだ奨学金を返済できていない。普通の社会人だったら、繰り上げで30前半くらいには全額返済できていると思われる。今はその程度の稼ぐ力すらないけど、これから妻と一緒に創り上げていきたい。
最近モラハラ気味の妻から車の維持はコスパが悪いから売れとの指示がきた。
そういった話はよくあるだろう。
最近は平日に車に乗ることはなくなったので、確かに金銭面からみたコスパは良いとは言えない。
都内では、タクシー、レンタカー、カーシェア、電車、レンタサイクル、キックボードシェアと交通手段はたくさんある。
駐車場と保険、車検を月平均に鳴らすと3~4万はするであろう維持費は、上記の交通手段で移動した場合、上記交通手段での移動の方が安くなるだろう。(あくまでうちは週末に使うことがメインだったから)
そしてこう "コスパ" という言葉をしきりに使う人(妻含め)がいるが、コスパってなんだろう?とふと疑問に思った。
コスパとは、コストパフォーマンス(cost performance)の略で、支払った費用に対して得られた効果や満足度、つまり「費用対効果」を意味する言葉です。 「コスパが良い」とは、支払った金額に対して期待以上の成果を得られたときに使います。たとえば、お手頃な価格でバッグを購入したときに、想像よりも使い勝手が良かった・丈夫な作りだった場合などは満足感を得られるため、コスパが良いと言います。 「費用」は金銭だけでなく時間・労力・精神的負担なども含まれ、「パフォーマンス」は、作業なら結果、工業製品なら性能、食べ物なら味、ファッションなら材質・デザイン性、人間関係なら他人から得られるものなど、様々なことに使われます。
表示される。
確かに支払った費用に対して、週末にのみ使う金額だとコスパは悪く感じてしまうことはわかるだろう。
ただ、「費用」には、金銭だけでなく時間・労力・精神的負担も含まれてるということに気がついた。
だが、苦労や精神的負担という面からみると、コスパはとても良いんじゃないかと思った。
電車移動での待ち時間・急な雨での予定変更・カーシェアを予約できない時・カーシェアを予約できたけど、急に使えなくなった時などの精神的な負担やそれをカバーする労力・自転車では遠いけど、電車・バスでは行きにくく、カーシェアやレンタカーなどでは、駐車場に置いとく時間が長く勿体無いというところに行く時の時間、そしてそういうところに行くことの体験は、圧倒的に車を維持することのコスパは良い。
これを妻に説明しても理解できないだろう。なんといっても自分で運転しないんだから....
最近よく聞くコスパは、金額面だけみている傾向が強い。しかし、車が本当にコスパは悪いのか?一旦考えると金銭面ではコスパが良いとは言い切れない面もあるが、
精神的には心を貧しくしているのではないか?と考えるようになった。
心の貧しさが、節約していきたいという発想になっている可能性もある。
(月の固定費(駐車場や保険などの維持費など)に対してその金があれば他のことに回せるじゃんとの意見も言っていたので)
モラハラ気味だから、表面的なことしか見てないので、とりあえず攻撃したいだけかもしれない。
定量的に妻に伝えるのは難しいだろう。人の仕事道具すら売ろうとする人だから心に余裕がないと思う。
そもそも妻は私が正しい的な人で何を言っても聞かないから、車を手放す方向でさっさと済ませた方がこちらの精神的な負担も少ない。
でも、色々しらべてコスパという言葉の定義からは決してコスパが悪いとは言えないというのは自分の中では認識をもてた。
子供に対しても、色々な体験をさせるには車がないと行きづらい場所もある。そういう体験・経験を月3~4万できるのはお得ともとれる。
と、コスパって便利な言葉だなと思いつつ、車を売るための査定している。
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若干背景を書いとくと
2018年から配偶者に限っては150万円まで控除されるようになっている
ただ、130万円から社会保険料がかかるので実質的には130万円の壁になっている
加えて106万円の壁もあるので更に話が複雑になる
「とにかく控除をややこしくしておけば申請するのを諦めて税金を払ってくれるだろう」
「なんかややこしいし払ってないと怒られるから払っておこう」
という心理が働く
ところが控除に関しては
「なんかややこしいし払ってないと怒られるから働かないでおこう」
という心理になるので働き控えが起きるし、経営者ですら良く分かって無いので「働かないで」とお願いすることになる
これは178万になっても同じで制度設計をシンプルにしないと意味が無い
150万円までは配偶者に限らず一切申告する必要なし(扶養に入れる)、150万円以上は確定申告して扶養・保険から外れる、までやらないと意味が無い
税収が増えるか減るかなんてやってみないと分からないが
私は特にどこの宗派が好きとか檀家であるわけではなく、主に御朱印や御首題をいただきにお寺巡りをしている。
そうなると様々なお寺の事情を垣間見れることがあるが、やはりお寺の厳しい状況を垣間見ることもある。
住職の高齢化も進み引退したりお亡くなりになったりするとそちらのお寺は他の同じ宗派のお寺の住職が兼務したり、後が見つからなければ廃寺になってしまうこともある。
私が知っている限りでもそのような事情で兼務されているご住職を知っているが、県を跨いでいたりすると双方の距離もそれなりにあり移動が大変で負担もかかる。
先日行ったお寺も元々は現在、そちらを管理されている方のお祖母様が始められたがお亡くなりになり遠くから同じ宗派のご住職を招いておられたそうだが残念ながら昨日でお寺じまいをされてしまった。
子どもなどがお寺を継ぐケースが多いがどこもなり手不足のようで、様々な事情で跡取りがいない場合がありそうなると前述の通り、他の住職が兼務したり廃寺となってしまう。
お寺の収入は主に檀家からのお布施であるが、最近は檀家離れが進んでいるようでそうなると収入も少なくなる。
懇意にさせていただいているお寺のご住職もお子様がいらっしゃり色々とお金がかかるとのことで、お義父様がオーナーをされているコンビニで週一でアルバイトされている。
また普段は一般企業に勤めながら住職の仕事をされていたり、自営業をされてそちらの収入で賄われている方もいらっしゃる。
お寺は幼稚園経営をされているところも多いが、近隣のお寺の幼稚園は少子化もあってか2年ほど前に休園(実質廃園)となり、一部の建物以外は取り壊して現在アパートを建設中である。
お寺は大きなところ以外はどこか近寄りがたい印象もあるが、それを払拭しようと御朱印に力を入れて凝ったデザインや限定のものを出したり婚活イベントや書展など様々な催しを行ったりと開かれたお寺を目指しているところもある。
御朱印をいただいたりご住職とお話をさせていただくと色々と勉強になることも多いので、まずは色々なお寺に訪れてほしいと思う。
「思ってた顔と違った」
コンビニでアルバイトをしていた高校生時代、考えが古風ですぐ子供産めって行ってくる、苦手なオーナーがいた
ある日出勤した直後に突然、マスクを外せと言われて
私は自分の顔が醜い自覚があるから、外すのが怖くて、すぐには外さなかった
でも、促してくるから渋々外した
「なんか…思ってた顔と違った」
と言った
その言葉を聞いた瞬間、ずーんと、心臓になにか負荷をかけられたような感覚に陥った
家に帰ってから顔がぐしゃぐしゃになるくらい泣いた
私がブスじゃなかったら、そんなこと言われなかったのに
どうしてブスに生まれちゃったのかな
どうして可愛く生まれなかったのかな
自分の容姿のことを考えないようにしていたのに、その事しか考えられなくなって
1年経った今も忘れられない
生まれつき顔がぶくぶくしていて、それがコンプレックスであると、自覚していた
それから輪郭が気になって仕方なくて、小顔ローラーや、小顔矯正や、小顔マッサージ、一通りやったが、全く小さくならなかったし、過度な小顔マッサージで口内を傷つけお粥しか食べられなくなった時期もあったため、両親にやりすぎだと叱られやめた
20歳になったらお肉が落ちてくるよって周りの言葉を信じていたけど、未だに顔はパンパンの70キロのデブのままだった
1年前にバイト代を必死に貯めて打ったボトックスも、あまり変化がなく効果が切れた
半年前、あの時は悪かった
姉に言われた
何も響かなかったし
今更謝られても、何も感じなくて
顔も見たくなかった
振袖の予約は全くしていないし、この顔で、生涯残る成人式の前撮りなんて撮りたくない
なんなら、20歳になる前に顔グッシャグシャにして、亡くなりたい
正しくはわからないが、物心ついた頃にはもう我が家は生活保護だったと思う。
父親と母親は離婚しており、シングルマザーで姉妹で育ててもらった。
私は他人とぶつかりたくなかったから、文句をあまり言わず従っておりそのたびに母親に褒められていた。
母親によく、「私ちゃんの子どもとして次は生まれてきたいな」と抱きつかれながら言われた。気持ちが悪かった。
母にとって私は都合の良い恋人であり、友人であり、娘であったのだと思う。
保育園にはお昼寝があるが、自分だけお昼寝で眠れず、虚空を眺める日々を送っていた。
そのまま小学生になり、軽度のいじめを受けながら常に自殺することを考えながら空を見て数時間過ごす日々だった。
アパートに暮らしており、自分の部屋などあるはずもなく、物だらけの汚い部屋に小さな棚と机を置いて、そこで勉強していた。
姉は努力家で見た目も良く、出来がよく人気者だった。
私は努力ができない怠け者で、見た目も悪く、人見知りだった。
地方住みの貧困家庭だった為、中学までは公立の近いところに入学し、高校は”普通と違って楽しそうだから”という理由で農業高校に入った。
家から片道4kmほどある高校で、自転車で通っていたがほとんどギリギリの出席数だった。
小学生から過敏性大腸症候群に悩まされていて、すぐにお腹を下し、授業中に何度もトイレに行くことが多かった。
そのことで陰で悪口を言われていたことを知ってる。しかし仕方なかった。
高校二年のときに大腸検査をしたが異常がなく、その頃に母親が通っていた心療内科を勧められた。
最悪の出会いだった。
医者の口癖は「楽しいことを見つけなさい」「箸が転んでも笑える年頃なんだから」だった。
この時過敏性大腸症候群への効果は無かったが、薬への依存だけが残った。
母親にお金のことは気にしなくていいから大学に通って良い、と言われた。
底辺高校だったので成績と家庭の経済状況から奨学金一種も狙えたが、そう言われたから奨学金を借りなかった。
入学してすぐに「あんたを大学に行かせるお金なんて無い」と言われた。
そんなことある?それなら大学なんて行かずに就職しておけばよかったと思った。
もう大学に入学してしまったからにはここから行かない選択肢を選べるほど私は強くなかった。
利子が60万ついた。
私が大学に入る頃、ここで生活保護を抜けて、姉が看護師で働き出した。
親は姉に10万家に入れることを強いていた。私はあまり知らなかったが、手取りのうち10万も家に入れていたら働く気力なんて無くなると思う。
しかし確かにその期間姉のおかげで私達家族は生活保護を抜けて生活をしていた。
短大に入ってからは通うのに苦労した。片道バスで2時間だった。
この頃にはうつ病の症状が重く、月~土の1限から6限の必修授業についていくのが大変で必死だった。
ただ何度も休学をしたくなったり、大学を辞めたくなった。
学校のカウンセラーを利用したが、大して効果もなく、授業と授業の間に行く時間が無くなって通うのを辞めた。
栄養士として働くイメージが足りていなかったな、と今になると思う。
考えなしの馬鹿だった。
勉強も苦手で努力もできないのに奨学金という借金を背負ってまで大学に行く意味がなかった。
なんとか卒業できたが、就活がうまく行かず、結局小売の接客販売業に就職した。
実家からどうしても離れたくて地元以外の場所の店舗の希望を出したが、配属が決まったのは地元の端っこだった。
実家から店舗への距離が10km以内だったからか、通勤手当が出ず、結局店舗の近くのアパートに引っ越した。
その頃姉は結婚し、引っ越して家を出ていた。母は姉のことを「裏切り者」と罵った。
ここまで話には出してこなかったが、母方の実家の祖母は気狂いだ。
宗教に傾倒していて、そのことで近所の人や親戚に迷惑をかけまくっていた。
昔の人だから働いたこともなく、祖父のお金だけで暮らしてきた人だった。
私は祖母に友達の家に遊びに行っちゃ駄目と言われたり、祖母がたまたま私が友達の家に入っていくのを見ていたらしく、勝手に友達の家に侵入してきたことがあった。
ホラーだった。この時の友達の家の人に警察に行かれなかっただけ良かったと思う。
こういう人だから、いつ学校に不法侵入してくるか怖くてたまらなかった。
中学の時に祖父が亡くなり、母の精神がさらに不安定になり、苛烈だった母は弱い人間になってしまった。
母には妹がいたが、関東に住んでおり、祖母の面倒を見れる状況ではなかった。
そのため今も母は祖母の世話に苦しんでいる。
だから祖母の世話を任せっきりにされている母が親族を恨むのは当然だと思った。
話を戻す、新卒で入った店舗は、パワハラとセクハラが横行するブラックだった。
ドラッグストアだったのだが、笑顔と声のトーンで厳しく言われ、なんでこんなこと言われなきゃならないんだと思って何度も泣いた。
エリアマネージャーは客の前で上司を怒鳴るし、上司も客の前で私を叱った。
また、登録販売者の資格を入社した年に取れないと晒し上げにされるようだった。
その結果は上司に送られる。
そこで結果が悪いと、休憩時間、休日も店舗に強制出勤させ、勉強をさせられた。
家に帰ってもずっと勉強をしていた。
私は馬鹿で記憶力も悪く毎回テストの点数が悪く、その度上司から叱られた。
仕事の中で棚の整理(商品がばらついてたら綺麗にする)があったのだが、遅すぎて叱られ、仕事で出来ないことがあるとその度バイトの大学生と比べられることが多かった。
店長は2つの店舗を兼任しており、ほとんど私のいる店舗にはいなかった。
店舗にはパワハラをしてくる上司二人と私だけがいる状態だった。
出勤しても上司に「その顔は何?」と言われ(普通の表情をしていただけなのだが、笑顔でいないと気に食わないらしい)、少し調子が悪そうにすると「体調悪い状態でいても迷惑だから休むなら休むで帰って」と言われるようになった。
後者はその通りかもしれないが、私は「冷たいな」と感じてしまった。
期待するな。
あまり覚えてないが、3ヶ月目には上司に辞めることを伝え、店長を交え泣きながら辞める理由を伝えた。
こちらは主にパワハラや、店長がいなくて相談できなかったことを伝えたつもりだったが、店長は「バイトと比べられるのがイヤねぇ……」そこに引っかかっていた。
「ああ、この人たちとは話が通じないんだ」と思った。
院内でいじめが横行しており、手取り13万でやることが無いか聞いてから動いているのに「やること聞いたりしなよ」と院長に言われ、毎日全身に湿疹が出て、連日救急にかかってやっていけないと感じ、3日で退職した。
辞める日は、全員がいる前で辞めることを言わされた。公開処刑だなーと思った。
生活費はカードローンを借りて自転車操業でやっていた。実家にいても生活費は無いのだった。
実家にいても親と二人で改善に向かわない、地獄のような蠱毒で暮らしてるだけになってしまうから。
生活保護は案外すんなり通った。
その頃は「うつ病」ではなく「自律神経失調症」と言われていたので、就労不可が降りなかったからだ。
しかしメンタルが安定せず、長く離れていた父親と同居することにした。
ここで生活保護を抜けた。
2年ほどだった。
父親と同居が始まってしばらくは良かったが、突然姉と叔母が家に来て、私を社会復帰させるための会議が始まった。
毎日家事をこなし、毎日2時間以上の外出をし、就労支援事業所に行き、アルバイトをし、など様々な条件を出された。
叔母の金で病院を変え、二万以上かかる謎の脳波検査で統合失調症か、躁鬱か、ADHDか、うつ病か判断する検査をした。
うつ病だった。
その後3ヶ月ほど姉たちに言われた通りの生活をした。
希死念慮がひどく、気持ちとは裏腹に体が勝手にベランダから落ちようとするのだ。
流石にそのことを姉たちに打ち上けた。
ひどく失望された。
これ以上ここにはいられないと思った。その頃父親が女性と毎晩会っていることを感づいていたこともあり、余計に居づらくなった。
通った。
生活保護を抜けては申請し、抜けては申請する人間になっていた。
色々あって、結果的に新卒の会社を辞めてから大雑把に空白期間が7年経った。
メンタルは良くなってはおらず、悪化してからずっと現状維持の状態が続いていた。
外に出るとたまになにもないのに涙が出た。家の中にいても不安で、スマホでyoutubeを流して横になっていた。
最近になって急に働こうと思いたち(今思えば究極の躁状態だったのだと思う)、フルリモートの営業を二ヶ月だけやった。
何故二ヶ月だけかと言うと二ヶ月で切られたからだ。私が無能だったのかもしれないが、ベンチャー企業だったこともあり、経営不振での派遣切りだった。
全部メールとチャットでの対応だったため、4時間ほど働けば残りの4時間は寝ていても気づかれないのだ。そういうところも駄目だったのかもしれない。
下手に二ヶ月ほど働いたため、二ヶ月だけ保護費を大きく超える給料が入り、現在保護停止状態で、国保や医療費を払っている。
ちなみに稼いだ金は二ヶ月で合計35万ぐらいだ。一ヶ月の生活費が13万のため、9万ほど手元に残る予定だった。
ここまで話していなかったが、実は私は今猫を二匹飼っている。経緯は省くが、知人から預けられた。
猫のうち片方の歯が突然抜け、病院に行ったら歯周病で治療費がちょうど9万だった。
たまたま働いていたからなんとかなったものの、働いていなかったらどうにもならなかった。
偶然に助けられた。
正直自分の世話もまともに出来ないのに何故猫を飼っているのかよくわからない。
だが大事な命だからいつまでも健康に生きて欲しい。寿命まで面倒を見たいと思っている。
不要不急の出費がなければ通常猫にかかる費用は人間に比べたら大したことなかった。
でも働いていなかったら?どうなっていたかわからない。まぁ多分病院に分割返済を頼んでいたのだと思う。
話は変わるが、中学の頃から仲良くしている友達が、30までに結婚できなかったらルームシェアをしようという話を出してきた。
欲が出た。
ルームシェアをしたいと思った。
ただそのためには生活保護ではいけないし、貯金も100万以上ないと引っ越しは難しい。
私は焦りだした。すぐに働かなければいけないと。
どこも受からなかった。
クローズ就労がほとんどだったが、一つだけ応募した障害者雇用も、3週間ほど時間をかけて待機させられたが有耶無耶になって見送りになった。
でも続かなければ意味が無いし、自分が甘えた考えの障害者だと思ってるから応募していない。
色々な企業から引っ越せば仕事があるとは言われたが、猫がいるので転居費用が出ず、無理だった。
このまま一生働くところも無いまま生活保護に甘えて生きていくのかなと思った。
今の医者には働くことは難しいと言われてるし、自分も外出ただけで意味もなく不安になり泣く病気なのでやっていける気がしない。
だけど金が欲しい、ルームシェアがしたいと思い、仕事を応募し続けている。
7年の空白期間はでかすぎた。
正直夜職やチャトレも考えたが、夜職に関しては見た目が悪くデブで喪女なので無理だしチャトレもそうだが職歴に書けないものはやっても意味がないのだ。
そもそも精神不安定な自分ができると思えない。世の中の働いてる人間は凄い。
田舎なのでまともなB型、A型作業所もなく、求人もなく、就労支援事業所も無い。
もう諦めるしかないのかな。
就労支援事業所はバスに乗れば通えるが、何度も言ってる通り外出すると精神が不安定になる。
それを考えると何もかも駄目だと思ってしまう。
フルリモートで働きたい。電話はできなくは無いが、コールセンター的なところに勤めたことが無いから続けられるかわからない。
生活保護停止がいつまで続くのかは知らないが、この状態で病院に行くことを考えると不安で無理をしたくない。
ニュースを見ると手取りが減るやらなんやら書かれてるしより不安を煽るな、と思う。
障害年金3級があるから2ヶ月に1回14万入る。だから手取りは多少低くても大丈夫だが、流石に手取り10万となると少し厳しい。
13万以上は欲しいと思うのは贅沢なんだろうか。
何か今更手に職をつけたほうがいいのか、と思わないこともないがその努力も勉強もできないから今の自分があるんだと思い手が止まる。
駄目人間だ。
だけどそこから抜けて貯金できる生活をしたいと考えると途端何も出来ないと泣くだけの無能女が表に出てくる。
親も貧乏だしほぼ絶縁してるし頼るという考えはまず無い。
というかこの状態でいてもそのうち親の面倒を見なくてはならなくなるのではないか?未来のことを考えると憂鬱になる。
隣の芝生は青いというが、
せめてどれかはまともであれよと願ってしまう。
ダイエットをしたいが飯でしかストレスの発散ができない。睡眠欲も性欲も無いのに食欲だけはどれだけ体調もメンタルも悪くても人一倍はあるのが笑える。
糖尿病と診断されており、好きだった白米も食べれなくなった。まあそんなに制限してない。ソーセージなどは控えてる、程度だ。
正直どうにでもなれと思いUber Eatsを使って贅沢して飯を食い自己嫌悪する日々をここ最近は送ってる。最悪だ。何やってんだ。
本当にどうしよう。
恐らくここから辿った未来が少し前ネットで流行った「美緒48歳」なんだと思う。
誰か教えてくれ
中学高校と男子校に通い、卒業と同時に引きこもりになり、うつと発達障害の診断を経て障害者手帳を取得。
現在は障害者雇用のアルバイトとして事務補助の仕事をやっている。時給は最低賃金。
障害者でアルバイトだとそもそも社内の女性と接点なんて無い。出社時と退社時に挨拶するだけの関係だ。
20代をネット漬けで過ごし、気付いたらアラフォーになっていた。ニート歴は実に15年になる。
だから俺は完全に非モテだろうし、おそらく弱者男性を名乗れると思う。
でも正直、この年になると「たいていの物事は自分の思い通りになる」って分かるんだよ。
手始めに開始したダイエットと筋トレは20kgくらい痩せたよ。体脂肪率8%くらいまで絞れた。
あれは流石にやりすぎだったから今は13%くらいに戻したけど、体型の良し悪しなんてこんな簡単に弄れるんだなって感動した。
フランス料理までは流石に手が出せなかったけど、和食中華イタリアンはコツさえ掴めばいくらでも応用が効いた。
食べるものと量を自分で選ぶ喜びを知ったら間食や外食の必要性がなくなった。
YouTubeを毎日毎日見て基本から実践して今は古着やハイブランドまで食い込めるようになった。
コミュニケーションも瞬発的な雑談だけならぎりぎりついていける。
就職するにあたって就労移行支援という機関に1年通ったけど、友達と呼べる人間も何人かできた。
もう「これ以上」は望んでないんだよな、正直。
同世代の正社員の人を見ると結婚指輪してて子供の話題で盛り上がったりして、そういうのを見て「いいなー」とは思うけどさ。
今の俺の立場から手持ちの札ならべて婚活市場でしのぎを削る根性はないんだわ。
やれば出来そうかもという気もするんだけどさ。
でもそうしなきゃいけないほどのモチベーションが無い。
俺はたとえば「カッコよくなりたい」という欲求はあるよ?
だから体型も整えたしファッションも学んだし身なりも整えたけどもさ。
でも「モテたい」と「カッコよくなりたい」って別物じゃん?
ファッションに親しんでる今なら分かるけど、おしゃれな人間って多分モテないよ。
モテる人ってそこそこ無難な着こなしでコミュニケーションに優れた陽キャだから、おしゃれに特化する人間とは全く別方向の存在だもん。
そしてモテる人ってすぐ結婚するから「本当にモテる人」って存在しなくない?違う?
まあ何にせよ、だから多分、非モテを解消することは俺の本意じゃないんだよね。
みんなそんなに今の人生に不満なのかな。
ニート歴15年で障害者で最低賃金の俺がこんなに自由に生きてるのに、少なくとも正社員で働いてそうなお前らがなんでそんな不幸感出してるわけ?
追記。
ご安全に。本日の溶接工あるあるは「公園で遊具の溶接欠陥を見つけたことを子供に自慢して白けさせがち」です。
退職してきた。
元はと言えば工業高校から某大手の本工から紆余曲折もあって中堅企業で電気屋として働くことになって10年以上たつ。しまいには班を抱えるに至ってた。何がMTGだ何が会議だ何がメンタルケアだKYやれKY。そんなんだからいつまで経っても・・・・・・・てな感じで、特に中間管理職としての不満があったわけではない。妻の実家の都合なので。次も溶接の仕事をするのかは全くの未定だから闇バイトを始めるかもしれない。特に、UTやMTを日常的に通さなければいけないタイプの電気屋は、つまるところ検査屋というイタコが啓示してくれる瞑想をやっているようなものだから、精神依存性がある。だからなのか電気屋やめた途端にメンブレする人は結構いる。これは、そもそも病的な傾向があったところに、今までは溶接が治療的に作用して持久していたのではないかという仮説をたてている。だからキレる老人にも溶接をやらせてみれば多分治るのではないか。ピンピンコロリとはいうが、高齢者の医療費削減がサァ!安楽死がサァ!とコロリの話ばかりしていて、それよりもピンピンの方について真剣に考えた方がいいんではないか。そんなことを増田は考えている。
そして、この10年で人材が大変多様になった。退職後が暇すぎて働いている70歳超えてる増田の師匠みたいな人や、特定技能のベトナム人はもちろんのこと、ついには女性までという奇妙な職場環境だった。いわゆるマイノリティの方が数が多い。都会の人にいうと待遇が悪いんじゃないかと言われる。だけど、この地方だと人的資源そのものが枯れてるので、ジキュ上げたところで大きな意味があるのかよくわからない。既に10年前から単価を倍に上げたけれど人員を増やすことは難しいと鉄工所アルバイトも言っていた。ゼロに何を掛け算してもゼロ。引き合いを断って同業者を当たり尽くしたのか金額だけが上がってまた引き合いが来て、それをまた断ること4度繰り返して納期がどんどん後ろにズレていく案件まであるという。当たり前だが人を増やせばいくらでも利益は出てくるのだが、それでも出来ない。高圧経済とは言うんだけど、少子化という圧力が高すぎて風船が破裂してしまって逆に生産性が落ちている状態なのでは?
まあ、経済の難しいこととか分からんから、特に外国人と女性ってのは難しいなと日々感じながら仕事してたので、2つのケースについて自分の経験や考えを長々と書かせてもらおうと思う。
元は技能実習生として日本に来ていて、こちらでの生活も一定の期間していたから、言葉はまあまあできた。
外国人は怒ってはいけないと何かで読んだから怒らないように気を付けていたが、安全面でこのルールはかなり破った。教える/叱る/怒るはスペクトル的なのだろうか。自分の命の値段が安いと思ってるのか何なのか、クレーン吊り荷の下をくぐることが多すぎて弱った。とにかくフラフラっと近寄るし、動いているクレーンから視線を切ってしまう。日曜に出てきてペンキで床を塗って避難場所を作り、誰かがクレーンを動かすブザーを鳴ったらここに行けという少し極端なことを始めたりもした。でも、それはそれでクレーンを操縦する側の日本人にとっても安全を強く意識する契機にはなったかもしれないとポジティブに考えてる。師匠は「昔は職人ってあんなもんだった」とか呆れて言ってた。そういえば防塵マスクも最初ちゃんと付けなかった。前社ではどういう指導を受けてたんだろう。外国人だからって溶接ちゃんと教えてないどころか安全教育すら放棄するのは企業として最低限のこともできてないのだし、名前だけは有名だけど社員の質が総じて低い会社なんだろうな。そういう会社に限って職人だ匠だマイスターだとアピールに余念がないのだから世の中というのは不思議。増田が平均的な溶接工よりも安全にうるさいのも確かだが、それにしても。
そんなんだから当初の溶接の実力はかなりひどく低かった。特定技能なのに特定の技能を持ってないのでは。「どうやってJIS試験とおったの?」って聞いてしまった程度にひどい。欠陥を手直ししていたらしいけど、具体的な欠陥とは何かを教えてもらえないから、突っ立ってたまに溶接して仕事してるふりだけしてたらしい。だから何がどう欠陥なのか、その原因と対処方法みたいなところから教えなくてはいけなかった。信じられないほど低いレベルの話。そんなことも教えない技能実習。何の技能を実習させてた?全く関係ないけど、みんなの家の鉄骨は本当に大丈夫かな?
というわけで基本から教え始めたのだが、とにかく覚えが早い。最終的にはカラーチェック程度の検査なら手直しも含めた具体的な手技は自分で考えてくださいみたいな方向になってた。どうせベトナム人は教えたやり方を勝手に変えてしまうから詰めても意味がないということに早々と気付いたのもある。それを良いことと捉えるかどうかが問題だと思っていて、逆に日本人の若手は自分で考えて動くということをしないから何事もバランスだろうか。増田も勝手なことをして成長していたタイプなので、安全上の問題がなければ過干渉は避けるようにしていたつもりだけど、どうしても余計なことに口を挟んでしまいそうになる。この前も、増田がやるなら左手に持ち替えるところを、フレキシブルトーチつないで右手でかなり無理な姿勢で溶接していた。悪い工夫ではないと思うが、左手で右手と同じように出来るまで練習しなよとか余計なことを言ってしまった。大物やってる隣へ手伝いに行かせたらUTでエコーが跳ね返りまくって、検査屋の音波おぢに文句言われながら増田と2人でガウジングの煤で真っ黒になりながら3日かけて掘り返して埋めたこともあった。それも経験。失敗は他人に手直しさせた方が効く奴と、自分で手直しせんと覚えん奴がいるので、両方を兼ねれば効果倍増。
最初はアンダーカットもオーバーラップも分からないレベルから、1年で競技会出ても恥ずかしくないレベルに上手くなってるのは増田の金正恩レベルに高い指導力の賜物だと思う。向上心の高さとかも含めてベトナム人のポテンシャルはとても高くて、増田だって数年したら抜かれるんじゃないかと思ったくらい。でも技能実習や特定技能は期限があるので上手くなった頃には帰るから、どこの会社も教育に身が入らず「低度人材のまま、おかえりくださーい」ってわけだ。この国はもうすぐ滅ぶ。本人たちは金持って帰れるからそれでいいやと割り切っているのかもしれないが、能力が高い溶接工を追い払いながら自称ものづくりの国、馬鹿な連中と思ってるかもしれない。
ついに女まで溶接工として採用しちゃったと聞いたもんだから世も末。しかもTIGではなくMAGとCO2で厚物もやらせようっていうんだから。暑いだけじゃなくてCO2なんかスパッタ飛ぶ量が半端じゃないし服とか燃えるけど大丈夫?ハツリやったら全身真っ黒になるけど?と面接でも聞かれたらしいけど別にいいとのこと。以前は医療関係でお務めの御嬢様が人間関係に疲れ果ててやってきたそうなのだが、弊社も入ってみたらセクハラ地獄……と、ならんように考えるのが大変だった。トイレや着替えその他は女性の設計がいるのでほとんど問題なかったのでは?と思っている。こっちが思っているだけで、あっちがどう思っているかは分からないわけですが。
身長が150あれば溶接工として大抵のことは出来ると思うけど女性としても小さすぎる。140ちょっとしかない。革ジャンはブカブカ、見た目は完全に子供。苦労したのは道具からで、トーチは定番のブルーもレッドも上手く取り回せないから私物のビンツェルを貸したら上手く握れるようになった。男だったら文句言わずに黙ってそれでやれって言ってる気もするから、こういうのもオタサーの姫扱いで良くないのか?一つ一つ手探りで考えながらやってた。最終的には会社に頼んでわざわざビンツェルを入れてもらったんだけど、意外と他班の男性陣にも好評だったのか普通に借りパクされる。ブルートーチの小さいやつも悪くないと思うんだけど、薄板を相手に振り回すならビンツェルは最強だと思う。ただしチップがすぐ死ぬのがドイツっぽい。身長に合わせた定盤とは言えない程度の作業台もわざわざ作った。これもジジイに乗っ取られてたから結局は複数作った。グラインダーも大苦戦だったけど、7インチだと2kg切る機種はないので気合でなんとかしてもらった。チッパやニードルスケーラも気合なのでエアツールは何から何まで気合。増田はNPK派だけど女はFUJIの方が使いやすいとかあるのかな?もっと他メーカーでいいものあれば、もし女性溶接工がいたら参考までに教えて下さい。
これもベトナム人と同じで怒ったら面倒だから怒らないでおこうと思ってたけど、そうはいかなかった。フェミに怒られる言い方をすれば、女のくせに仕事が恐ろしいほど雑だったからだ。昼休憩に止端仕上げを明らかにサボっているのを設計のおっさんに見つかって怒られたまではいいが、設計のおっさんと仲悪い別のおっさんが「うるせえ」とか謎にキレて介入し始める謎喧嘩(定期)が始まった。仕方ないから増田が横から割って入って「指導不足で申し訳ないです」とその場を収めた。それで「これ俺にもやらせんの?お姫様だなあ」と言ったら生意気にも「女性差別です」とか口答えするから「所詮は女のやることだから俺が頭下げただけで済んでるんだから二度と舐めた仕事してんじゃねえブス」と言ったら半泣きになって自分で手直し始めて、二度と手抜きはしなくなった。はてな基準やZ世代基準ではセクハラ・パワハラに該当するだろう。増田もブスは良くなかったと思う。だけど、人間心理への侵襲は最小限であるべきという前提は置いても、一定程度の圧力はかけないと人は動かじ。何もしなくても出来るのは天才だけだし。
もちろん良いところもあるというか、短期的に別の班に貸したら大活躍だった。ロボットの扱いがとても上手いのだ。えらい人が営業の口車に乗って導入したはいいものの社内で誰もまともに使えないから量産小物の仕様変更からほぼ稼働させられなかった曰く付きのロボットを、面白半分で使わせてみたら特別教育受けただけなのに自在に動かす。単にティーチングだけではなくジグを作るのも上手くて、図面もなしに勝手にスクラップ集めてやっつけで作ってるのに使えるから、荒っぽいけど勘や発想が良いんだろう。点検に来たメーカーも「これで大丈夫なんですか?」と明らかに悪い意味で驚くくらいのやっつけだが。少量でもジグ作って全部ロボットに溶接やらせるようになったから、当然ながら仮付けしか仕事がなくなる。だから一向に溶接が上達しない。量産かつロボットがやれるサイズなら爆速で上げるから周りもどんどん仕事を投げるのだが、本人はあんまり納得いってないみたいだった。そもそも頭の作りが電気屋じゃなくて鍛冶屋的なものに向いていたのかもしれん。ロボットなんか分からんから増田がなにか言えることもない。ただ、本人が電気屋として厚物がやりたいんだと話して、少しだけ騒動を起こしてた。気持ちとしては分からなくもないが、ガウジングで全身真っ黒にするわけにもいかんよなあと思っていた。他所の女性でチビでも音波物をガンガン溶接する上手いのがいるらしいと聞いたから、差別的な失敗だったかなとも感じていた。その後は一応の解決をみたものの、まだ正解は分かっていない。そうやって正解を探せること自体、恵まれていたのかもしれないのだし。分業かつ柔軟性がある程度に小さい企業という規模感はかなり限られてくるのだから。
もののついでだから最後に書いておく。この前も「水汲みという重労働を女性は担ってきた」というフェミのツイートに「そんなものは軽作業だ」というアンフェが引用が少しバズっていたが、普通に考えれば危険作業だろう。一人KYでもやってみればいい。経験も能力もない奴ほど自らの仕事の危険性を強調してアイデンティティを誇示する傾向がある。ノーヘル原チャリで遊んでるガキか、ヤンキー漫画の読みすぎてイキってる奇妙な人物か。外からイメージを悪くしようとする連中をどうにかしないと、いつまで経っても女性だけではなく男性も劇的に増えることはない。女がやりたくない仕事を男がやりたいと思うことは基本的にない。別に溶接に限らないのだが、業界の人はそういう面をもっと感じ取ったほうがいいと思う。
なんか暇だ。なんかない?
原因は上司=私や先輩から要求されているレベルに自分が達していないことに対する強い不安らしい。
このようなことが起こったのは私の部下で2人目だ。
1人目は何度言っても期限を守れなかったり、書類をしょっちゅう無くす(恐らく作業がしたくないがために故意に破棄したものもあるだろうと踏んでいる)ということを3年以上指導したが、どうしても改善が見られなかったため相応の対応をした。
今回も下記に述べる事情を鑑み、会社から特段強く何かを言われたわけではないが、おそらく私はクラッシャーとして認知されてしまったように思うし、事実そうなのかもしれない。なぜなら、今でも私としては過剰なレベルを求めたつもりではないからだ。
私は上場子会社、とはいっても普段は意識しないような小さな企業で経理部を預かる身だ。
彼女は中途社員。業界や経理未経験ながら事務職として10年ほどのキャリアがあったため採用を決めた。が、実際働いていく中では「角印と実印の違いが判らない」「普通郵便と書留の違いが判らない」「5行のメール作成に1時間かかる」という、私の想定を相当に下回るものだった。
また応用力にも難があり、例えば「1+1=2」を教えても「1+2」のパターンが出ると都度フリーズをしてしまう状態だった。
日常業務に起こりえる、フローチャートのようなものが一切イメージできていないように感じている。
そもそも我々は4人チームで、全体の仕事量を100とした場合、私が40、他の課員2名がが25ずつ、彼女は10と言った程度。判断を要する仕事もあまり振っている意識がなかった。しかしながら彼女は前出の通りなので、書類一枚仕上げてもらうにも”何印を押すか””敬語か丁寧語か言い切り文か”という、周りが想定していないところで悩みを抱えていたようだ。これでは時間がいくらあっても仕事が終わらない。
とは言え採用した責任もあるので少しでも戦力になれるよう丁寧に説明したつもりだったし、他の先輩方も「書類をよく読むとね?ほら、書いてる!」「このパターンは前の××と同じで~」としっかりと説明をしてもらえていたように思う。少なくとも他の課員たちに責任はないと私は考えている。
会社としての結論は「うまく使え」というものだった。これはつまり「難しいことはさせず、飼い殺せ」と言い換えられる。
私には前回も失格の烙印を押した前科があり、かつ現在人材が不足している現状では放出や補充は許されないぞというものだ。
言いたいことはわかる。私は今まで袖振り合うも他生の縁と思い指導してきたつもりだし、事実私についてきてくれて急激に成長してくれたおかげで主戦力になってもらった人もいる。が、なるべく論理的にわかりやすく話したつもりでも、相手にロジハラだと言われればこちらが引っ込むしかない。「うまく使え」といわれた今も、一緒に戦う仲間として扱わず、雑用だとレッテルを貼るような行為に思えて仕方が無い。
が、負担を感じさせた事実を重く受け止め考え方を改めようと心に決めた。
今私は負荷が増える他の課員に頭を下げ、彼女の仕事負荷を10から5に下げる対応をしている。
何一つ一人で完結させず、必ず誰かのチェックが入らざるを得ないフローに変更した。確認するが彼女は中途の30代だ。
これから始まるのは新人かアルバイトレベルの仕事を用意し、花や蝶やで彼女ほめまくり彼女に自信を付けさせ、
もう一度10の仕事をさせるというやりがいがあるミッションだ。
国民民主を批判するつもりは全くないし応援はしてるけど、あまりにも103万円で盛り上がりすぎてるので。
皆分かってんのかな?と思った。
配偶者が103万円以上の所得を得ると扶養者の配偶者控除(38万円)が無くなる。
ただ配偶者の場合、配偶者特別控除に切り替わるため実質壁ではなく階段のイメージ。
しかも150万円までは配偶者控除と同額の38万円控除。それ以降は階段式に控除額が減る。
扶養控除も同様に103万円なので、例えば大学生の子どもがアルバイトで103万円以上稼いだら、
親の扶養控除(38万円)がまるっと無くなる。配偶者のような特別控除なし。
153万円働いたら2.5万円の所得税。そりゃ税金取られるの嫌かもしれんが働かなかった時より減るなんてことは絶対にない。
それ気にするくらいなら住民税の方が高いだろ。(住民税は100万円の壁)
扶養者の会社の配偶者手当とか扶養手当の基準が103万円に沿って作られている企業があるから。
ただ都道府県労働局によれば103万円基準にしているのは20%とのこと。
https://www.mhlw.go.jp/content/11200000/001249490.pdf
仮に103万円の壁が178万円になったとしても、この20%の企業は130万円の壁にシフトするだろうし、元々130万円の壁が基準の企業は多そう。