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2018-10-15

anond:20181014190805

キズナアイはしゃべりの脚本家特定されていない。今を生きる一人の少女キズナアイ人格代表して勝手に何でもしゃべってよいとされているわけではない。実際には、たくさんの萌えコンテンツ制作チームのおじさんたちが会議して一言一句精査したあげくしゃべる内容を決めてる。ここまではOK?

配信ユーザーからコメントを拾って応答してるのも「制作チームのおじさんたちが会議して一言一句精査したあげくしゃべる内容を決めてる」ように見えているの?

2018-10-14

anond:20181014112046

キズナアイはしゃべりの脚本家特定されていない。今を生きる一人の少女キズナアイ人格代表して勝手に何でもしゃべってよいとされているわけではない。実際には、たくさんの萌えコンテンツ制作チームのおじさんたちが会議して一言一句精査したあげくしゃべる内容を決めてる。ここまではOK?

で、それって人間でいうと洗脳とか強要された状態なわけです。IS(旧イスラム国)がやってる性奴隷とかとおなじで、一見自然言語をしゃべっていても、本人の意志は完全にゼロ状態

でも二次元から男性向けコンテンツから、そして最後人間おもちゃとしてのAIだという了解が取れているから、そんなコンテンツ存在が許されたわけ。

もちろん現実女性コスプレ風俗で働きたくなったら自分意志で似合う衣装としてへそ出しを選ぶこともあるだろうし。

 

そういう成り立ちのキャラを完全に三次元扱いして実在女性区別しないというのなら、

まずキズナアイ個性とか一貫した人格本来意味でのアイデンティティ)を見せてほしいんだ。

おじさんがだれでも勝手に使える「フェミからのかくれみの」ではないという証拠を見せてから

じゃあ「本人の意志で着たならいいだろ!」って反論につかってあげてくれ。

ラノベ漫画キャラが突飛な格好でもいいのは、エルフから異世界人だから

などと作品内でそれなりに理由があるから楽しめる。

 

キズナアイAIである以上、技術限界がある。

現在レベルでは、自律AI存在しないというのは文化庁諮問委員答申した事実

それが自分の「意志」で萌え衣装を選べるわけがない。

もし萌え絵をたくさん食わせてAIが合成して吐き出したっていうなら、それも人間でいう洗脳だ。

萌え絵という現実で着るには同性や高齢者から侮蔑さえ伴う、責任のある衣装を、

人格をもたせるつもりのキャラクターに、「現実」を知らせずに、

敢えて萌え衣装だけから選ばせたんだから罪深い。

この後「えっこれってエッチなんですか、普通高校生制服・・キャア恥ずかしい」って

厚着に着替えるラブコメ展開の予定があるならちゃんといっといてくれ。

 

私見ではキズナアイ運営が今後それをやる気は絶対ないだろう(やる気があるならいままでにいつでもやるチャンスはあった)。

銀行ATMにでてくる解像度の荒い女性行員の絵のごとく、

恥知らず謝罪たっぷりいわせてあとは手垢がつきすぎて誰も萌えられなくなるまで使い捨てられるだけの存在だろう。

そういう運営NHK女子キャラ女子キャラとも思わない態度も含めて怒っているんだ。

リアル女性はうるさいかAIっていうお人形遊びでごまかしちゃえみたいな。

人形だって女という記号を乗せる前にもっと考えろ。

2018-10-13

小説家になるには

https://anond.hatelabo.jp/20181012144629

この手の話については業界内で共有されてる名著がいくつもあるので、それらを読んだら良いです。

まず手塚治虫マンガの描き方―似顔絵から長編まで』という本があるので読みましょう。漫画対象に書いた本ですが、小説にも重なる点が多いです。何より分かりやすい。

(ちなみに『寄生獣』の岩明均はこの本読んで漫画を描き始めたそうな)

小説プロパーで言うと三島由紀夫小説読本』の中に小説の書き方を書いた一節があります上記手塚著と重なるところが多いですが、アプローチが違うので比較して読むと得るところが多いです。

仁義なき戦い』の脚本家笠原和夫の本(確か『「仁義なき戦い調査取材録集成』かな?)の中にも脚本の書き方を書いた一節があります。やっぱり手塚著と被ってきますが、すぐ読めるのでお勧め

最近の本だと荒木飛呂彦荒木飛呂彦漫画術』という本があります。これも手塚著とかなり被りますがより詳細で良いです。

小説物語)の書き方を書いた本はこれの他にも沢山ありますが、言っていることの大筋は大して変わりません。数冊読んだ上で実践するのが一番でしょう。

2018-10-09

おっさんずラブ

答えになっているかどうか微妙ですが・・・

誤字脱字で書き散らしですみません


40代後半のゲイです。

意見として読んで頂けたら嬉しいです。


ラーメンズ」が好きです。

アメリカドラマの「クローザー」が好きです。


おっさんずラブ

面白かったですし、かなり泣きました。


単発の2016年物を当時見て、

2018年物をアマゾンでさっき見ました。


日本ドラマはほぼ見たことがありません。

テレビ自体も実は30年近くほぼ見ませんでした。


アメリカドラマクオリティが高いのと、

マイノリティに対する態勢が違うのでやはり

日本ドラマ敬遠してしまます


日本漫画があるように、

アメリカドラマ裾野の広さはすごいです。


でもこのドラマはかなりいいところまで

行ってると思います

アメリカドラマに迫る勢い。


ジョークセンス

マイノリティに対する姿勢

作品クリエイティブ度、

それらのバランス


2016年版では薄かった、

マイノリティに対する配慮

すごく感じました。


2016年版の異性愛者側の描き方は、

リアルだと思います

春田のハセの告白に対するリアクションも、

非常にリアルなので、ゲイとしてはかなりショッキングです。


まり、これが現在日本での状況です。

大多数がそーだよな。そーなるよな。と納得できるリアルさ。


おっさんずラブレビューでも、

男性の絶賛レビュー枕詞のようにつく、

「俺はゲイではないんですが・・・」ってやつ。


これがリアルな状況なんです。

自分同性愛者だと思われては困ると言う事。

(異性愛者ってのは事実なんですから

そうなんでしょうけどね)


落合恵子さんが、

同性愛者の話をするとき

「私は違うんですが・・・」とつい言ってしまっていた。

それが、同性愛者の人を傷つけていると

気が付いたと、コメントされています


余談ですが、

同性愛に対する嫌悪感は、

近親者同士の恋愛嫌悪感に近いと思っています

いけない事と言う感覚


しかしこの感覚は実は曖昧なのです。

国や地域宗教によって、ずいぶん変わります


8親等までダメな国や、同「姓」もダメな国もありました。


実際に血縁者でも事実を知らなければ、

恋愛に落ちることもあるでしょう。

近親婚が合法な国もありますし。


社会的な原因での嫌悪感存在すると思います


さておき、

いろいろ踏まえて、今回の2018年度版の制作にあたり、

制作陣のコメントにも「配慮をした」とありました。

これは、本当にすごいことです。時代ですね。


もちろんまだまだ作品違和感はあります


多くのゲイBLに対して思う、

性的指向は変化しない」と言う思い。


しかし、性的指向100%変化しないものではないし、

かつ、恋愛性的指向関係も完全ではないです。


ずっと一緒にいたい=結婚したい!って話なら

性的指向だけで決定するものでもないでしょうし。


ただこの問題ちょっと複雑なんです。

性的マイノリティの辛さの原因の一つは、

性的指向の変化はほとんどない」事なので。


当事者は、

沢山の情報の中から選んで、自己肯定材料に使っています

研究結果、アンケート結果、事件などなど。


時代とともに変わりますし、

結果、失敗(自己否定)に終わる考察もあります


なんの肯定的情報も得ず理論武装出来てない時期


自分以外の当事者とあって感情を共有した時


自己肯定成功し始めた時


色々な経験をして、性的マイノリティ―と言う特徴が

自分の全てではないと思った時期


当事者が今、どのような考え方なのかによって、

作品に対する評価も相当変わるでしょう。


この番組

当事者メリットデメリットで考えると、

断然メリットが上回っていると思います


ハッピーエンドで終わったこと。

春田と牧がゴールだったことは大きいと思います


あり得ない!っていう評価は、フィクションにたいしてナンセンス

視聴者が、制作者の誘導に納得した作りで、

かつ、ゴールが異性愛者同士じゃなかったのは感動しました。


箇条書きに他に気になったところをあげます


マイマイに対して黒沢夫人の「あなたは無いでしょう」

(うーん、ジョークとしては品がない、

まぁ結果的想像も及ばない

破壊神にやられてしまうわけですが)


黒沢部長盗撮パワハラセクハラ

(面白さとトレードオフですかねぇ

この作品の掴みの肝ですから)


黒沢部長の恋がコメディリリーフ過ぎた・・・

可愛そうな終わり方だったです。

でも、もっとコメディとして突き抜けてほしかったし・・・(笑)


武川正宗トイレ視線

(ちよっと偏見がきついですね、犯罪ですから・・・)


風呂でのキス!

(性暴力との指摘がゲイ友達からありました)


ロリ巨乳と言うセリフ

(小児性愛者関連はちょっと)


上記問題点もアメリカドラマであれば、

もっと突き抜けたジョークになりますし、

ポリティカルコレクトをしっかり守りつつ、

フォローちゃんします。時勢に合わせてですけど。


それでも、おっさんずラブは、

今までの日本ゲイ関係ドラマと比べて突き抜けたと思います


偶然もあると思ってます

でも、ゲイを一つの設定として使い、純愛を描いた。


約40年前の漫画作品

竹宮恵子さん作の「風と木の詩」があります


少女漫画評論家藤本由香里さんが、

風と木の詩解説で、


「つながりへの希求他者による自己肯定欲求」が

少女漫画の「根底テーマ


拒否される愛としての少年愛は、

「それ」を見つめることを可能とした。


究極のつながりとは何か?という

純粋関係性のみを問題視しえた。

とおっしゃっています


40年前は悲劇で。

40後の今、この手法が「おっさん愛」で

おっさんずラブ」とゆうモダンホラー風の喜劇の中で

使われました。


大成功だと思います(笑)


BLやおい少年愛、長く受け継がれ蓄積した少女漫画資産

それによって、受け取り側が大きく変わったこと。


制作者側がどれほど意識たかは確かに微妙です。

かい設定では矛盾無理解もあります


でも視聴者のいろいろな感想を見ていると、


ゲイの話とかじゃなく純愛なんです!

(ゲイマイナス要素だけど、いい話という理論)


だけではなく、


ゲイは1つの設定。で純愛!

という受け取り方の人たち。



NHKの「弟の夫」は素晴らしい作品でした。

感動して死ぬほど泣きました。

ゲイにとってメリットしかない作品です。


でも、異性愛者にとっては?

と考えると、おっさんずラブは、

エンターテイメントとして秀逸。


がゆえにゲイ要素のある作品

大勢の人に評価される。

大事な事だと思います。橋渡しとして。


脚本家の素晴らしいセンス

それを映像化できる俳優を含めた優秀なスタッフ


ちょっとした奇跡だったと思います(笑)



1つだけ。作中の音楽が好みではありませんでした。

日本ドラマだと、音楽製作費とか大変なんですかねぇ?

テーマ曲の2曲は良かったんです。

それ以外が一貫性がないと言うか・・・


まだまだ書きたい事がありますが長すぎました!(笑)

文章の中で、ゲイ当事者性的マイノリティ

主語が揺らいでること申し訳ございません。


読んで頂いてありがとうございます

2018-10-05

anond:20181005144508

どっちみち二次元キャラと同じでしょ。

漫画だのアニメだののキャラだって台詞は作者なり脚本家なりが考えているわけだし、

そこに作者の地が見え隠れする事もある、ってのも同じ。

キャラとして創作したつもりでも、何だかんだで自分(作者)の要素が入る」ってのはよく言われるしな。

違いは脚本書いてる人が実際に声優もやってる、って事くらいで。

芸能人にしたって普通に言動批判される事は多いのに、何でキズナアイに限って批判は一切許さないというテンションになるのかね。

彼女が深く傷ついていない事を祈る」?芸能人まがいの事をしていて批判されたら傷ついた!批判は許さない!!ってならそういう仕事すんなよとしか言えないけど。

単なる信者から?ご本尊批判絶対に許さなアイドルオタと同類

芸能人でも何やろうが(それこそ犯罪とかでも)庇うオタっているからね。

2018-09-28

渡鬼」は面白いが「半分、青い」はつまら

どっちも荒唐無稽ご都合主義なんだけど。

半分は本当につまらん。なんでこんな話になるんだ?書いているヤツは正気なのか?ただ面白く無いぞ。

渡鬼は、脚本家独善旧態依然とした価値観や気になるポイントはいくつでもあるんだけど、それでも全体としてドラマとしては面白いんだよ。半分の脚本家渡鬼見直す所からはじめてくれ。

2018-09-23

プーさん実写

日常に追われて大事なことを見失っていませんか」

というベッタベタベタベタに手垢のついたテーマテンポよく手堅く綺麗にまとめる手腕に感動してしまった


王道を目指しましたと嘯いて盛大に説教の垂れ流しを敢行してしまうクソ脚本家とか

意味深なシーンを垂れ流せば深みが出ると勘違いしてるバカ脚本家はこの映画見て少し勉強してほしい

足を踏み外しがちなシーンできっちりハンドリングして、伝えたいメッセージを要所でちゃんワードにする

こういうバランス感覚こそが脚本心臓

2018-09-19

anond:20180919194131

脚本家どころか90年代アニメ史において「こいつ抜きには語れない」というレベル存在でしょ。あかほり

2018-09-17

ドラマ版「この世界の片隅に」素晴らしい作品でした...「この世界の片隅に」でさえなければ

この世界の片隅に」のドラマ版が今週日曜最終回を迎えた。自分にとっては呉旅行に行く前日に見てドハマリし道すがら原作コミックも買い、舞台となった街を散策できた思い出深い作品だった。

 映画版では尺の都合から削除せざるを得なかったリンさんとの物語もしっかり描かれ、さら原作であまり描写されなかった近所の人々にもしっかり焦点が当てられ、よりボリュームのある物語に仕上がっていたと思う

 各話も緩急を付けて見どころを設けすずさんと周作さん、二人の関係性も深く描くことに成功していた

 アイスクリームのシーンは二人の仲睦まじさが伝わり絆が深まる姿を丁寧に描いていて「砂糖の配給が停止になって、闇市で配給の50倍の金額取引されてる時期にアイス食うのはいくらなんでも不自然すぎる」という違和感もまぁ気にならないレベルに収まっていたと思う

 いままで現代編については否定的意見もあったが、最終的には今現在そこにいるすずさんを描く形に集約し映画とは違った余韻のある良い最終回を迎えたと思う

 途中どうしても見ることができなかった回はあったが

 概ねドラマとして大成功の部類だろう。ネットでの評判も上々でツイッタで感想検索しても「泣いた!」「感動して目が腫れ上がった」「ラストにはほっこりした」と大絶賛だ

 実に素晴らしい作品になったと思う

…これが「この世界の片隅に」でなければ

実のところ第一話が始まってから猛烈な違和感を感じてこれは本当に「この世界の片隅に」なのか疑うくらいだった

最初違和感は兄洋一の出兵が決まったシーンでの家族のやり取りで母親であるキセノが涙を流したことだった、ここで泣くのは「この世界の片隅に」としては違和感があった 

それ以降でも北條家へ嫁ぐことが決まった前日に不安母親に漏らし泣き始めるすず

2話以降でも、広島産業奨励会館前で周作が子供の頃ばけもんに誘拐されたとき一緒にいた少年だったことに気がついてすずは涙を流し

それ以降も母親との別れを告げるすずの甥に当たる久夫が帰り道涙を流し、洋一の戦死の報を受けて石一つしか入ってない骨壷を抱きかかえて母親号泣

毎話毎話何かにつけて涙を流していた

自分にはこれが猛烈に違和感に移り最終話前の話まで見るのを止めてしまった

原作で涙を流したシーンはギャグとしてオチに使った空襲で義父円太郎がすずさんと晴美さんを庇ってそのまま寝てしまった回を除けば

晴美さんが亡くなった時限爆弾の回と終戦ときだけでそれは意図的にそうしているのだ

戦中においては、自分たちが正しいことをやってるからこそ理不尽暴力には屈しないって共通した考えがあったからこそ人前で泣くことはせず(時代的に人前で泣くと反戦を疑われてしまうって事情もあった)

その日常を支えていた信念が飛び去ってしまい、自分たちの耐えてきた日々が誰かを犠牲にした上に成り立っていたことに気がついてしまたからそこで涙を流し

戦後は居なくなっていった人たち会えない人のために自分笑顔の入れ物になりたい、なによりも泣いたら勿体無いという気持ちから泣くことを止めるのだ

それは作中物交で漁村に向かう帰りの道すがら刈谷さんと話す中で

「生きとろうが死んどろうが もう会えん人が居って ものがあって うちしか持っとらんそれの記憶がある

うちはその記憶の器としてこの世界にあり続けるしかない」

「晴美さんとは一緒に笑った記憶しかない じゃけえ笑うたびに思い出します」

「泣いてばっかりじゃもったいない 塩分がね」

という会話でも明らかで

このセリフは「この世界の片隅に」のテーマだと思う

辛い時代の中戦中耐えてきた理由、それが飛び去った後また泣くのを止めた理由

そこは物語を描く上でいちばん重要ポイント原作を読んだ人や映画を見た人なら違えることはない

翻ってドラマ版だ

ドラマは泣く、事あるごとに泣く、誰もが皆辛い時には涙を流す

ドラマで泣いて泣いて泣く理由一般視聴者向けにわかやす表現にしたから、とか実写にするにあたって原作映画の通りだと不自然に見えるからという改変なら良かった

脚本担当原作をあまり理解していなくて、分かりやすドラマに組み直した結果だったのなら許せたかもしれない

脚本家は原作の内容を理解してそのテーマもわかった上でそれに対してダメ出しして改変したのだ

最終回をすずさんと義母のやり取りでこんなセリフがあった

「泣いてええよ、我慢せんでええ、ここはあんたの家なんじゃけえ、我慢したらおかしくなるよ」

原作のやり取りとは真逆セリフ

ここで理解った

脚本家はテーマを違えてたわけでも、分かりやす安易な改変をしたわけでもない

テーマについて理解したうえでそのテーマに、「この世界の片隅に」が「この世界の片隅にである根幹にノーを叩きつけてるのだ

はっきり言えば脚本家は「この世界の片隅に」が嫌いだったのでは無いかとさえ思う、少なくとも作品重要ファクターの一つについて否定的だったのは間違いないだろう

結果的に見ればドラマ大成功の部類で多くの人の心に残る名作となった

でもこれは「この世界の片隅に」ではないし、「この世界の片隅に」を否定する物語

もちろんそれが必ずしも悪いわけではないし原作好きな人にもドラマ版に満足してる人もいるだろう

ひょっとしたら原作が嫌いだったかドラマ版の改変でようやく自分の求めてるものが出てきたって人もいる

少なくとも真逆のことをやって多くの人の心をうった名作を作った脚本家の実力は極めて高い

からこそ原作否定するのならオリジナル戦争ドラマ勝負すればよかったと残念でならない

おそらくそちらのほうがずっと名作になったのだろうから

2018-09-14

anond:20180913143949

村上春樹の「ある日ふと思い立って生まれて初めて小説を書いて投稿したら入賞して小説家になって今に至る」って経歴を見ると

まれ持った才能ってものがあるんだな、と思う

大学時代映画脚本家目指してたそうだから文章書く基礎はあったんだろうけど、小説とは勝手が違うだろうし

その裏に、何年も何年も小説書きまくって投稿しまくっても芽が出ない人が山のようにいるのに

2018-09-09

anond:20180908185801

脚本家クレジットが途中から消された件もあったよな

「実際の構成たつき吉崎観音脚本たつきから」って説明だったけどクレジットたつきだけで吉崎観音はなし

そして脚本家は何もコメントしない代わりに自分プロフィールには「けもフレ脚本」を乗せ続けていたという後味の悪い件

と金の卵金の卵というけどKADOKAWAは実際そんなに実益あったの?

データを見てないから知らないんだけどグッズが売れたんだろうか

2018-08-29

サザエさんちびまる子ちゃんも打ち切ればいい

サザエさんととちびまる子ちゃん。これらがただ長く続いてるだけで国民アニメ扱いされているのに反吐が出る。

平成も終わろうとしている時に未だに昭和ノスタルジーを引きずっている老害番組意味はあるのか?子供に付き合って見ている親でさえ知らないような大昔だぞ。

男も女も同じ顔の判子絵子供は短パンで駆け回り、嫁は働きにも出ず家で家事育児携帯電話パソコンも無い家。娯楽といったらテレビだけ。7人家族で被扶養者5人猫1匹。家族みんなで同じ時間に飯を食べる。これが家族の代表かよ。

大人ノスタルジーに浸りたいならもっと別の作品があるだろ。三丁目の夕日とかNHKが朝やってるドラマとかさ。

子供は見たがっているのか?面白いと感じるのか?バンダイが公開している子供の好きなキャラクターランキングに一度でもこの2作品が入ったことがあるのか?(ちびまる子ちゃんブーム当時にあったかもしれない)

他の国民アニメと呼ばれる作品はどうか?

参考:週間高世帯視聴率番組10

名探偵コナングルグル漫画だが昨今ではマンネリを打破すべく新展開を投入しヒット。映画も公開するたび興行収入更新する異常さ。

クレヨンしんちゃん時代設定を明確に現代にすることで設定や小道具時代を反映にした物になり古さを感じない。サザエさんよりはよっぽど現代家族像に近い。それでも野原ひろしが35歳にして年収650万の商社係長専業主婦子供2人犬1匹を養いながらマイホームマイカーを持つ野原一家は十分に勝ち組と言えそうだが…。

ドラえもん2005年の全面リニューアルは当初こそ否が多かったように思うが今では十分に浸透し、好きなキャラクターランキングでも上位常連現代科学力がひみつ道具凌駕しない限り子供達に夢を与え続ける意義のある番組だろう。

アンパンマン。圧倒的子供人気を放送当初からずっと維持し続けている化物。アンパンマンが嫌いな子供なんていません!世の親御さんにとっても頼りになる味方。

その他ワンピースポケモンプリキュア戦隊ライダーガンダムもかな?マンネリ化しないよう変化を入れながら継続し続けている。挑戦の結果浮き沈みはするけど何もせず飽きられて終わっていくよりマシだ。

関わっているクリエイターは凄いと思うし尊敬している。

対してサザエさんちびまる子ちゃんはどうだ?

なぜか維持し続ける高視聴率に「国民アニメ」という驕りから来る感覚のズレ。変化することなく惰性で続くことを良しとする保守的思考

ちびまる子ちゃんなどサザエさん前座でようやく人気を保っているようなものだろ。仮に放送時間を日曜朝9時周辺にしたら誰も見なくなるわ。

初期にはあった毒気も無くなり最近ではどこかで見たような良い話や無難な話ばかりで全く面白くない。ドラ泣きに便乗して作られた「イタリアから来た少年」など留学生が来て別れてお涙頂戴なんだろうなと思ったら本当にその通りすぎて笑えた。過剰な日本美化やステレオタイプ外人描写、多すぎる外人キャラを全く活かせていない展開に脚本家の知性を疑う。テレビスペシャルレベル作画劇場スクリーンに映す意味本当にあったのだろうか。

23年前の「わたしの好きな歌」の方がストーリーも良く湯浅政明が描く強烈なアニメーションの方がよっぽど凄かった。

視聴者だってバカではない。こんな誰向けかもわからない番組を見ようとは思わない。実際に視聴率も低迷している。

これから先、視聴率が上がることもなくじわじわと下がり続けるだろう。幸い最近フジテレビは「長く続いているだけ」の番組をどんどんと打ち切っている。この調子で下がれば数年後には打ち切りもあり得る。

空いた枠には現在放送中の鬼太郎を持ってくればいい。こちらは「現代」を反映したストーリーとなっており十分見応えがある。同じ時代、同じ季節ネタを同じキャラクター達が延々と繰り返す毒にも薬にもならない番組などよりずっと面白い

2018-08-25

anond:20180825083543

下方婚あきらかに成功している例として自分を挙げたいがもうすでに終わったのとソースを出せないので、

リアタイ例としてhttp://www.kawauchisyun.com/ こちらの主夫さんを挙げておく。

また、勝間和代さん、女性芸能人(覚えてる限りで夫は歯医者など比較的高給とりだけでなく、ADや脚本家などもいる。歯医者にせよさほどの高給取りではないと思える)なども

おそらくすべて下方婚にあたるとおもう。

そのすべてが失敗例とはとても見えない。

(あとりゅうちぇるご夫妻なんかも最初色物扱いで女性のほうがしっかり稼いでいたように見えた。これは逆転婚とでもいうべきか)

勝間さんなど、結局は離婚しているものの、また再婚というかパートナーを見つけて子供を育てている。

旦那さんの意識を変えるのと、自分の属している方の意識を変える簡単な手として、

離婚協議転職おすすめするが、それはおそらく今ではない。

今は産休・育休を使って将来を見据えたり、あと体にうめこまれ出産ダメージという爆弾を除去してほしい。

 

だれにとってもこどもという愛しいくびきをつけたままの自己実現というのは難しいけれど、そのすべてが下方婚のせいではない。

これを言うのは残酷なことかもしれないが、あなたよりちゃんとできてる下方婚女性現実にいる。

だんなさんも「生まれたての子供さえいなければ今すぐにも転職して上方婚状態にしてあげたい」と思っているかもしれない。

話し合うことが第一歩。

===

26日の追記みたけど、貼ったリンク先を一個も読んでないよなーと。

ようするに、「男がこんなに気が利かないなんて。下方婚なんてするんじゃなかった」は二重に誤認がある。

あなたの男だけが気が利かないのであって全体に演繹してはいけない。

下方婚はするべき場合もある。

なので炎上ネタとしては男女ともにケンカを売るという基本的なやり方で成功してますが、

ほんとに胎盤剥離とかしたんならネットなんかしてないでとりあえず寝れば。

親戚に写真送って子守相談できそうな人を探すとか保育園活動とか解禁と同時に注射しまくりとか、別にやるべきことが相当あるわけで。

2018-08-22

anond:20180822091946

日本ドラマ面白いかどうかは、脚本家を見ればだいたいわかる。

老害が幅をきかせている世界からな。

相棒」も面白い脚本家がやってるシーズン面白かったが、ちょっと前になんか内紛で?大量に脚本家変えたんだよね。

2018-08-21

本が売れない

全部ソシャゲが悪いんや。

ソシャゲユーザー可処分時間吸い取っているから、文芸書だけじゃなくラノベですら売れなくなってしまった。

目端の利くワナビソシャゲ脚本家目指しているよ。

ネタバレ】『GHOST IN THE BOX!!』と『カメラを止めるな!』あらすじ比較

パクリだとか原作だとか原案だとか、はてブだと両者のストーリーを踏まえずに議論が進んでいる感じを受けたので取り急ぎまとめまで。

まず『GHOST IN THE BOX!!』。

前半はある研究室廃墟の2階が舞台となる。昔人体実験が行われていたと噂される山奥のこの建物映画サークルの4人、研究者とその助手廃墟オタク小説家が集まり、そこで次々と殺人事件が起こる。最初映画サークルのアサマ、カクダテの2人がそれぞれ暗闇の中で刺殺、毒殺される。次に映画サークルのロラク小説家のイワツキが殺される。人間には不可能と思われる殺人に、残された人々はこの場所都市伝説は本当なのではないかと思い始め、研究者ネロメが外へ飛び出す。ここで助手のミナカタが、奥の部屋に入り日が明けるのを待つことを提案する。しかし、廃墟オタクのツジムラがその部屋に入ったところでミナカタは部屋の鍵を閉め、毒ガスにより毒殺する。ここで最初に殺されたはずのアサマが現れる。実はこの殺人は、アサマが死んだフリをして行っていたことであり、それにミナカタが協力していたことを知らされる。アサマは部屋に入る前に逃げ出したネロメを殺し、共犯者のミナカタも銃殺。そして残された映画サークル仲間のツバキナイフで刺そうとしたところで暗転する。

後半はこの研究室の3階が舞台となる。後半になると登場人物映画監督脚本家助手制作助手彼女制作友達、土方の7人が加わる。そして前半に見せられていたもの映画撮影現場であった種明かしがされる。そして前半の映画舞台裏ではどんなことが起こっていたのかをコメディタッチで描いていく。

https://stage.corich.jp/stage/28989/done より

次に『カメラを止めるな!』はというと。

とある自主映画撮影隊が山奥の廃墟ゾンビ映画撮影していた。本物を求める監督は中々OKを出さずテイクは42テイクに達する。そんな中、撮影隊に本物のゾンビが襲いかかる!大喜びで撮影を続ける監督、次々とゾンビ化していく撮影隊の面々。映画史をぬり変えるワンカットゾンビサバイバル!……を撮ったヤツらの話。

https://filmarks.com/movies/76912/spoiler より

個人的感想としては、このレベルパクリになるんなら作品なんて撮れねーじゃん!メディアも違うのに!という印象。

そもそも、もとの作品ゾンビものじゃないし。

原案としてクレジットに載っただけでも良く配慮されてると思うよ。ただ、当初はガン無視してたのはあんまり印象良くないかな。

なんにせよ、

市橋浩治プロデューサーしっかり仕事しろよ…

この件で一番儲けてるのお前やろ…

anond:20180821102860

それは「大場つぐみ本来オチだと言って映画提供した」と映画監督脚本家らが証言しているという意味

「つまらいから引き伸ばしに違いない」「おもしろいからこっちが本来オチに違いない」みたいな後付け逆算の妄想しか見えないけど。

2018-08-20

anond:20180819025305

男性女性では映画鑑賞の仕方が違うって話を何処かで見たな。たぶん「ホンマでっかTV」あたりなのであまり信用出来ないのだが

これがまあ当てはまると仮定するとこんな感じか

男性場合プロデューサー監督脚本家あたりの目線映画を観るので、もし自分がこの映画を作るならこうしてた的な感想を持つ。

なのでキャスティング演出ストーリー展開あたりに注目する。

予算が潤沢な大作洋画なら色々こだわることができるので男性好みになり、逆にイメージと違うキャストに棒演技とクソCGなんてことになると男性は叩くことになる。

作品全体の質が満足度につながるので、鑑賞前では判断のつかない"ギャンブル"要素が強くなり、評価の定まった映画しか足を運べなくなる。

調査結果を見ると「好きなシリーズ」あたりがその傾向で、「好きな原作小説」もストーリーは確実に面白い評価できてるからかな


女性場合映画に出てくる誰かの目線映画を観るので、もし自分主人公彼女ヒロインだったらどう思うか的な感想を持つ。

なのでいか自分共感できるかが重要になる。自分に近い設定だと共感度が高くなり、逆にあり得ない設定でも疑似体験的な楽しみ方ができる。

好きな俳優自分はこんなことを言われてる、憧れの女性として振る舞うことができる、みたいな感じか?

から好きな俳優女優が出ている、あるいは憧れの設定などの映画であれば楽しめるし、それらの情報は事前に取得できるので映画に"ギャンブル"要素が少なくなる。

調査結果で「好きな俳優(女優も含まれるよね?)」がダントツなのはその傾向で、「予告編を見て」で映画に足を運べるというのも男性と確実に傾向が違う

的外れならゴメンね

2018-08-13

アニメ脚本家の力量を考える際、原作存在する作品脚本は失敗しないのが当たり前くらいで見た方がいいと思う。

有能脚本家原作あり作品脚本10割に近い確率成功させている。失敗はしていないと言った方がいいか

花田十輝鈴木雅詞みたいな筋金入りの無能ですら原作ありで原作に沿って作った場合は高確率でそれなりの出来になる。(シュタゲわかばガールユーフォニアムなど/聖剣の刀鍛冶かのこんなど)

しろ何故頻繁に勝手原作から逸脱したことをやりたがって失敗するかが分からない。だからこそ無能なのだろうが。

彼らが原作から離れた改変や追加をした結果、成功した例をほとんど知らない。(ローゼンラブライブH2O艦これなど/おかわり、SHUFFLE、ISUCA、RAILWARSなど)

鈴木の勇しぶは割と楽しく見られたので原作改変しつつ大失敗しなかった数少ない例かもしれないが、褒められたものではない。

ここでいう成功は売れた売れないでなく、内容が原作と比べて同等に機能しているか、むやみやたらと設定や話の劣化をさせてないかどうか。

鈴木構成担当した作品原作ありが大半でありながらその半分前後を大胆な原作改変で明後日の方向に持っていき絶望を生むので危険度が異常に高い。

花田原作ありの場合鈴木よりは失敗率が低いが、並の脚本家と比べると明らかに失敗率が高く危険

一方で筆が早いのか仕事数が多く、オリジナル作品や設定や土台だけを元にストーリーに起こすタイプ作品担当することも多い。

そして、そのタイプ作品の失敗率は異常に高い。

オリジナルや半オリジナルタイプ作品は有能脚本家でも2~3割の確率で失敗するが、大失敗は殆どしない。岡田などの無能は大失敗が2~3割、失敗が5割以上。花田は大失敗が5割前後、失敗が8割以上。

よりもいはオリジナル作品でありながら珍しく成功したらしいが見てないので何とも言えない。

噂を聞くと監督演出のおかげで大したことのない話があたかもいい話のように感じられるようになっているだけのような感がしないこともないが花田脚本やって阿鼻叫喚の出来にならないだけ凄いことだ。

花田原作から個人で魅力を抽出して再現したり補強したりして話に起こすような才能は全くない。本人は原作コピペしない拘りを持つらしいが大人しくコピペだけするか物書きを辞めてほしい。

鈴木原作から個人で魅力を抽出する才能があるかどうかは謎。原作の魅力を抽出しようという気が元々ないように感じられる。もはや原作レイプテロリスト

両者の脚本から原作作品制作に対する謙虚さや真摯さが感じられない。

鈴木の人となりはよく分からないが、花田インタビューから傲慢さの塊のような人間と感じられる。

半分青いの脚本担当税金泥棒

これだけの俳優時間予算を集めてこの程度のものしか作れんのか

他の脚本家に機会譲ったれよ

民放で爆死するのは好きにしろって感じだけどNHKこれはひどい

いい加減にしろ

2018-08-10

文化人早稲田大学出身者が多い理由

小説家脚本家映画監督などいわゆる文化人と言われる人の経歴を見ると早稲田大学卒、あるいは早稲田大学中退であることが多い。早稲田大学文字を見るたびにまたかと思うのだが、なぜ早稲田なのだろう。業界特別コネでもあるのだろうか。今はどうか知らないが学閥支配する時代があったのかもしれない。

2018-08-02

ラノベ作家養成専門学校が酷い ~Special Edition~

前回までのタマス

https://anond.hatelabo.jp/20130830202223

https://anond.hatelabo.jp/20130901102804

https://anond.hatelabo.jp/20160813154757

※本エントリー上記エントリーを読まなくても楽しめるよ★

交通費と昼食を出してくれるというので、一日体験入学に行ってきました。

場所(校舎)は都内一等地。年110万円の学費を払うとこんなとこに校舎が作れるのだなぁ。

学校法人から税制面での優遇もあるし、これ学校経営ポシャっても不動産収入だけで食っていけるんじゃないか

パンフレットが酷い

Webでも紙のパンフでも、デビューした作家が一人しか載っていない。

他の学科アニメ声優ゲームなど)も就職実績は控えめ。

代わりにやたら紙幅が割かれているのが「学内コラボ

ノベルズ学科が書いた小説の表紙をグラフィック学科が書くみたいな。

早い話が学芸会だね。

あとは文学フリマ出展したよとか。そんなの金払えば誰でもできますけど……

それに学園提携教育ローン。年利3.5%(オリコ)。返せるの?

話がラノベから逸れるんですけど、素人目にもはっきり分かるほどイラスト系・ゲーム系のレベルが低い。2年間勉強してこれ?って感じ。卒業したあとどうなるんでしょうね。

余談ですが待合室には大量の声グラが置いてありました。声優コースは儲かるのでしょうか?

学生が酷い

積極的に私が他の参加者に話かけようとすると「やめてください」とスタッフに制止される。

「弱い子が多いんです」というのがその理由。何が弱いのか? 頭? 自尊心

あと、全体的に顔が幼い。未熟さを感じる。

授業が酷い

脚本家をコーディネートする仕事」に就いている謎のおじさんが講師

授業のお題は「公募小説のコツ」

募集要項を守れ、下手な原稿は下読みに弾かれるぞ、推敲しろといった当たり前の内容。

ちなみにこの先生の下読み時代手書き原稿を読んでいたとのこと。いつの話だよ。

次の授業は講師変わって「アイディアの広げ方」

ラノベの書き方やハリウッド脚本術といった類の本を座学で教える感じ。

もうこれ本読めば分かるじゃんといった内容で途中で眠くなっちゃた。

今回のレポはこれでおしまい。どうだい、進学したくなってきただろ?

[]劇場版ポケットモンスター みんなの物語

劇場版ポケットモンスター みんなの物語」を見たので感想。と言うか自分メモネタバレ気にしてないのでそういうの嫌な人は回避推奨。

総評

「まさに千八百円と上映時間分の時間投資する価値がある映画」を100点だと考えたときの点数は15点位。ひどみ。低評価。なんだこれ。

しか微塵も揺るがない増田。なぜなら(自分的には大体似たカテゴリに入る)「ドラえもん のび太の宝島」が脅威のマイナス点数の失神級駄作だったので免疫がついたのだった。

群像劇という野心的な企画

シナリオの作りが野心的で100分という尺の中でなんと群像劇をやろうとしていた。

主な人物として「市長の娘ヒロインのラルゴ」「ギャルっぽいヒロインリサ」「過去を抱えた市長オリバー」「後悔に生きる老婆ヒスイ」「コミュ障ポケモン学者トリト」「口からのでまかせで生きてきた男カガチ」あたりがいて、それぞれが内面問題を抱えつつ生きている。物語舞台ウラティを訪れたサトシは、この街生命線とも言える「風祭り」に参加。そこで起きる大事件に様々な人間と関わり合いながら立ち向かう……という映画のメインストリー

この「群像劇をやりたい」という企画性というか意気込みを、まずは評価する。……んだけど、それはやっぱり難易度は高い。脚本はあちこち駄目ぽだった。大きな問題点としては感情動線理屈建て不足で、なんか悩みやトラウマがある→でも私の力が必要っぽい→周りが盛り上がってる→感動パワーでうわー解決! というのが群像劇分水コピーされている。

そこには「今までの悩みやトラウマを超克するための内面的な気付きやきっかけ」みたいなものが不足していて、「今までダメだった理由」「今回は立ち上がった理由」が極めて薄いかキャラによっては存在すらない。感動的な音楽がかかって背景で大火災とかあるからやらなきゃならないやったでーというわりと雑なほうりなげだった。そんなんだったらそもそもトラウマいらんでしょ。

そのほかにも、山の中で発見された聖火を市長が街まで持って帰れば時間は余裕なのに(また普通に考えて街の宝を放置するほうがありえないのに)、わざわざ間に合わないギリギリまで放置して女子高生ギャルスプリントさせるとか、なんかこう……脚本レベルで穴が多い。

「みんなの物語」「みんなで協力するという感動」という企画性は理解できるんだけど、脚本陣にそれを実装する能力が欠けていたように思われる。かと言ってそれは脚本家をけなしているわけではなくて、企画レベルで(つまり脚本方法性や盛り込もうとした素材のボリュームレベルで)無理があったんじゃなかろうか? 登場人物を絞るなり(その意味サトシポケモンピカチュウだけに絞ったのは良かった)、あるいは尺を圧迫しないおりたたみで内面描写したりという工夫が足りなかったように思う。

ポケモン人権問題

今回ピックアップされたポケモンゼラオラでんきタイプ)。

ゼラオラ物語舞台ウラティ周辺のポケモンの守り神とでも云うべき存在で、フウラティが成立する前から周辺のポケモン自然を守ってきた。しかし、産物に乏しいこの地にルギアがあらわれて風を呼び、この風をもとにした風力発電でフウラティは成立。人間ドンドコ森を切り開き、ポケモン自然生息域を圧迫、その件でゼラオラとは対立せざるを得ないようになっていった。五〇年前、人間たちは自己から森林火災をおこしてしまい、火災からポケモンを守るためにゼラオラは負傷。当時の市長ゼラオラを守るために、山林は人間立入禁止として立ち入ったものゼラオラ呪いがあると嘘の噂をばらまいた――というのが物語の背景。

なんだけど、なんかもうこの時点で2周半くらい人間側がクズじゃねえ?

ゼラオラ何も悪い事してないじゃないですか。と言うか、その点ではなく、むしろ人間人間の都合(街を拡張したい)で森林伐採をするならそれはそれで良いんだけど(なんせ人間はそういう存在なので)それならそれで、そのように述べてやれば良いわけで、「ゼラオラ呪い」なんていう相手名誉毀損するでっち上げをしながら、相手を救うとかいう恩着せをするのが全く救えない。んで50年もの間「かー、ゼラオラに呪われちゃうんであの山には入れないんだよなー。かーっ。呪い無ければ事故調査も開発もできるのになー。かー」とか責任転嫁をしてきたという醜悪さがある。

それがポケモン世界観だと言えば世界観なのかもしれないが、そのゼラオラサトシピカチューは叩きのめすことで「ともだち」にして「ともだちだからもう遺恨はないよな?」とする脚本は、おいおいいくらなんでもそれマジで書いてるのかよ? 的な部分はあった。

ポケモンは三歳児程度には意思疎通な生命体なんだけど、ペット(守るべき対象)なのか、それとも一種亜人権利を認めるべき存在)なのか? って言うこの問題意識はポケモン第一から見え隠れしている。しかし今回は輪をかけて「ポケモンはともだち」というパワーワードゼラオラが見かけ上はネコ科の獣人っぽい外見(人型)であるという2点で、極まってしまっているように思える。明らかに独自言語能力を有して、周囲の同族ポケモンを守り、森林火災から救助するほどの知能を持つ知性体を「呪い」扱いしてトラブル責任転嫁をするって、どうなのよ。

そもそもウラティルギアの呼んだ風を用いる発電で街を興し、毎年一度「風祭り」の日にルギアを招いては風力発電の維持を願っているような街である。風がとまれば電力も絶えて街は闇に包まれ住民たちはうなだれる。そういう関係を「ともだち」っていうのか? 母親の財布から毎月数千円くすねて上納することによって「ともだち」になってくれるクラスメイトより気持ち悪くないか

そういう意味で今回の映画は、自分個人が楽しめないとか以上に「この映画を無邪気に楽しめるってやばくね?」的な心配が発生してしまった。この心配方向性は「ドラえもん のび太の宝島」によく似ている(ドラえもんのほうがヤバさは上だが)。

いいとこその1

ポケモン映画は毎回なんだけど、街の人混みの中や自然の中にちょこちょこと数え切れないほどのポケモンが登場していて楽しいウォーリーを探せ的な楽しさがある。その気持ちよさ楽しさは今回もたっぷり楽しめた。

いいとこその2

要人物の一人「コミュ障ポケモン研究者トリト」のパートナーポケモンであるラッキーがよい。

脚本演出がどこまで自覚的だったのか怪しいのだけどこのラッキー存在が、映画全体に対するアンチテーゼになっている。

トリトポケモン研究者でいつも多くのポケモンに囲まれているんだけど、いつも一番近くにいるのが癒し系ラッキーで、おそらくこのラッキーは、トリトを飼い主であるとか主人であるとか思っていない。トリトのことを自分保護すべき存在だと、あるいは下手をしたら、トリト自分の子供だと思っている。

ポケモンが一体何なのか? 都合の良い労働動物なのか? 資源なのか? 生存権保護すべき対象なのか? 人権さえ認めるべき存在なのか? というテーマシリーズにグッサリ刺さった楔なわけだけど、それってあくま人間を中心にした人間視点しかない。

ラッキートリトのことを意気地無しで世話が焼ける存在だと思っていて(そしてそれは正しい)、そのうえ自分が世話をしてやる対象だと思ってる。

それはポケモンの側からみて、人間が「時々発狂して面倒くさいメンヘラ同居人」なのかもしれない、というシリーズブレイクスルーになりうる(非常に薄くて小さな突破口だ。

2018-08-01

anond:20180801145023

一人称三人称という点についてマヂレスすると

現在ラノベは、ノベルゲームシナリオから発展した側面があるからではないのか

1990年代末~2000年代初頭に隆盛したエロゲとかの影響

実際、エロゲシナリオライターから転じたラノベ作家とか、エロゲシナリオ転用したノベライスとかあるし

ただ、1980年代まで遡ると初期のスニーカー文庫作品の多くはアニメノベライズか、アニメ脚本家オリジナル作品だったか三人称も多かった(富野由悠季小説版ガンダムとか)

***

余談だが、基本が一人称なのに途中でいきなり三人称になったり話者が変わる文体といえば、阿佐田哲也麻雀放浪記ラノベなのか?(「勝負師哲也」のイラストつけて売ればそのまま行けるかもや知れぬ。坊や哲とドサ健のBLとか絶対出るな)

anond:20180801082004

北川アンチ執拗に叩いてるけど、半分、青い。朝ドラオタに向けた10年代朝ドラオマージュであり、創作者のブルースだよ。

エンタメ界の下積みを描くという点で共通する、ゲゲゲの女房やらあまちゃんを熱心に見ていた人は見たほうがいい。半分、青い。ゲゲゲあまちゃんと同じくクリエイターの歓びを主題に置いている。しか主人公が中盤でがっつり挫折するという独自性もある。

朝ドラ全史の中でも稀有な、挫折するヒロインをこのドラマが抱えたことは、なぜ創作者は物語を紡ぐのかということを脚本家真摯に答えようとしているかであるように見える。

そして鈴愛が真正から挫折したことは、挫折を認めないことがヒロイン呪縛になっていた「純と愛」や「まれ」のアンチテーゼでもある。

思い返せばゲゲゲあまちゃんも昔から朝ドラ見てきた年配者にはあまり評判が良くなかったんだよね。朝ドラテンプレートから導き出されるカタルシスは今作にはないかもしれないけど、ドラマ好きは結構楽しめる作品だと思うんだけどな。

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