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はてなキーワード: 世界観とは

2019-04-18

anond:20190418155610

少年漫画は全体的にシスヘテロ男性やその予備軍、女でもそうしたマッチョイズムの中にいることを心地よく感じる人にとって読みやすい内容だとは思う。

ただその「居心地良さ」の部分をより居心地よく表現できるかというところが作品ごとの違いでしょ。

ワンピはその昔ながらのマッチョイズムと、(誤解を恐れず言うなら)マイノリティ的な価値観を全く無視した世界観で描かれているところが人気の理由と、オタク界隈やサブカル界隈から違和感をもたれる理由なんだと思うだけ。

ワンピース最近はむしろ一周回って世界観考察とかの濃さでオタク受けしてる印象ある

野党は拗ねすぎ甘えすぎ

野党どうにかしろ!」

当たり前の声。

こういわれなくなった政党は終わり。

そこで不満があるなら政治家なんか辞めちまえ。

政権交代を訴える→「投票してほしければ俺たちを説得してみろ!」

いや当たり前だろその要求は。

より良いビジョン提示して、その実現性も示す。

仕事もらう為に民間人でも当たり前にやってることよ?

そこが不服なら政治家どころか民間人も務まらいか社会なんかドロップアウトして隠れ里に隠棲でもしてろ。

→説得しようとする→「おまえらの言うことは聞きたくない!」

ここが嘘だよね。

ろくなもの提示が出来てないから「うーん、乗り換えに踏み切れないかな」って判断されてるだけ。

でもそういう風にちゃん判断された結果NOだったっていう事実に向き合いたくないので

最初から聞く気がなかったんだとかそういう感じに相手を悪く言うんだよね。

そういう世界観のほうが自分反省努力必要なくなって楽だから

拗ねてるニートみたいなスタンス

絶対無敵ネトウヨ

こんな拗ね拗ねニートみたいな感性が今の野党及びその支持者なんだよ

あなたなら悪口被害者意識だけ達者な拗ね拗ねニートになんかの仕事を与えたいですかって話



繰り返すけど

おまえらの言うことは聞きたくない!」

ここにうそがあるね。

自分は正しく評価されない、アンフェアに拒絶されていて何をしても無駄」っていうのは

自分がまだまだで改善点があるということを認めたくない人間がよく取るスタンス

こいつに限らずなんか野党野党支持者はこのスタンスが多い。


相手が(社会が)ボクを拒絶してるから努力したって無駄なんだ」っていうスタンスは何も得るものがないけど

自分批判されることな他者一方的批判する立場が欲しい人間にはこういう風に拗ねるのは魅力的になる。

ママ以外の人間はいい歳してそんなスタンス人間とは口も利きたくないから去っていって悪口仲間の同類だけ集まってきてどんどん先鋭化した交友関係になるんだけど。

anond:20190418111019

2019-04-17

冬目景はきちんと完結させてる

イエスタデイをうたってアニメ化が期待半分不安半分なのはともかくとして、また話を畳めないだのなんだのというブコメが星を集めていたので書く。

イエうたが完結したときにも書いた。

畳み方が好みに合わない、ということならともかくとして、どれだけ時間がかかろうと大半は話を終わらせているので、「話を畳めない漫画家」は風評被害もいいとこだ。

ZERO 1巻完結

羊のうた 7巻完結

黒鉄 5巻まで刊行。無期限休載

 →黒鉄・改としてリブート。もうすぐ2巻がでる。

イエスタデイをうたって 11巻完結

・文車館来訪期 1巻完結

幻影博覧会 4巻完結

・LUNO 1巻まで刊行休載中(という名の打ち切り

 → 新装版で巻数表記が消えたので1巻完結扱いで良いはず。ストーリーは結末まで書かれている。(元々、同じ世界観主人公を変えつつ進んでいくような予定だったらしい)

・ACONY 3巻完結

ハツカネズミの時間 4巻完結

ももんち 1巻完結

マホロミ 4巻完結

・空電ノイズの姫君 3巻で雑誌消滅に伴い打ち切り出版社変えて継続

以上、短編集は除く。

始めた漫画は完結まで描いていることがご理解いただければ幸いです。

遅筆なのは認める。おれだって早く続きが読みたい。

今日も女は嘘松

世界観

2019-04-15

anond:20190415163648

世界観が物凄く単純だよね

戦争」とか言い出して喜んでるし

中学生とかなんだろうか

anond:20190415163012

強者男性KKOにつくとは言ってないが、しか女性につくよりはお得だろう。

KKOの苦しみは強者男性世界観肯定するゆえの物。女性はそれを破壊したがっている。

それに、弱者在っての強者だしな。

底辺の字書きがpixivブクマを獲得する方法

ブクマが50も取れないっていう人向けです。

そもそも母数が少ない極小ニッチジャンルは除きます

比較的若年層を読者として想定してます

原作を読んで・観て、心が滾って、二次創作を漁る。

考察妄想が膨らんで、このアイデアを誰かと共有したいと思う。

書いて、ドキドキ、ちょっと時間を置いてブクマいいねの数を確認

それで自分の期待以下の数値だから、この記事を読んでいるのでしょう。

なんで、私の作品共感されない!

アイツより、あの作品より良いモノだと思うのに!

少なくともこれ位は数は稼げると思った!

…わかるよ、その気持ちは痛い程わかる。

でもね、君は何でもかんでもブクマするかいいいねをするかい

私はよっぽど後でじっくり読みなおしたいと思わないとしない。

中にはエンジェル投資家みたいな人がいて、ブクマいいねしてくれるけど。

まあ、これを読んでいる人はそういった人たち以外からも欲しいんだろう。

でもね、まず二次創作文字を読んでくれる人が少ないんだ。

だってライト層だった君もそうだろう?

ツイッターpixiv画像漫画検索して読んでなかったかい?

ハマってから文章を読んだだろう?

あと、自分に正直になって思い直してみてよ。

pixiv検索する時に「1000」とか「users」とか入れてたでしょ?

ブクマ数少ないから読まないで飛ばそ、って思ったことあるでしょう?

そういうことさ。

同じストーリーでも絵や漫画の方が読みやすい。

仮にダメストーリーでも「絵」として楽しめる。

あのコマの表情がいい……セリフが……ってなるでしょう。

それが小説では難しいんだな。

好きなCPブクマ数を稼げて、それでいて神たちと交流する。

できたらいいね、でも待ってほしい。

ミニマリズム万歳で多機能商品が増えたからそう思うのはしょうがないけど。

そういうことは大変レアことなんだよ。

好きな事で実は才能があって、生業とし成功している――レアケースだね。

運と才能と努力が全て満たされないと怒らない奇跡だ。

作品登場人物への萌えや想いと自分自己承認欲求を混ぜちゃだめだよ。

だってさ、それってキャラ作品自己肯定力の強化に利用していることじゃない?

結局、ちやほやされたいのは自分だろってなるんだけど。

わかるよ。でもさ、認められたいよね。

で、タイトルにある通りにある程度のことは教えてあげるよ。

私も二つの欲望を持ったことのある人間からね。

デカルトという人が「困難は分割せよ」って言ったんだ。

まずは分けてごらんよ、萌え自己承認欲求とを。

自己承認欲求を満たすためのノウハウを教えようじゃないか

言っておくけど、邪道だよ。

私も自己承認欲求を持て余していたんだ。

結論からいうと、満たされた。

別のジャンルに今はいるけど、すっごいマイナーなんだ。

usersタグなんて存在するの?っていう感じでね。

でも、書きたいし、書いたらコメントをくれたりブクマをくれる人が存在する。

本当に少ないんだ。身内のなれ合いかもしれない。

それこそエンジェル投資家なのかもしれないけど、別にいいや。

だって書きたいだけで認められたいっていう欲求はないからね。

さて、自分語りはこれくらいにしよう。

まず、ツイッターをやっているかい?

そこで交流してると「ご祝儀」と「ご挨拶」でブクマいいねを貰えるよ。

正直ね、お愛想笑いみたいなのなんだけど、やらざるを得ないよ。

え、私が求めているのはこんなものじゃないって?

あのね、全く無名で売れると思ったら大間違いよ。

サクラでもいいか口コミ必要なのよ。

良い商品から売れるんじゃない。売れるから良い商品なんだよ。

ブクマ数が欲しいんでしょ?

……ちゃん評価されたい?OK、待ってくれ。

「困難は分割せよ」だ。

ちゃん評価されるには、自分の実力や作品の内容が伴ってないと駄目。

なので、そういう人はちゃんとお勉強をしてください。

小説の書き方の講座はネットに沢山あるよ。

語彙力や自分感性を磨きなさいね

エモいとかバブみとか汎用性のある言語ご法度よ。

大体、販売されている商業小説日常的に読んでいますか?

読書感想文小論文を真面目に取り組んだことはありますか?

映画演劇を見たりする?展開などを考察する?

さて、ちゃんとお勉強するのも交流するのも面倒くさい人がいるよね。

私は交流が苦手でね、ツイッター全くやらなかったし。

商業小説映画演劇もそんなに読んだり見ない。

だけどね、1000users入りタグは手に入れることはできるんだよ。

君もそういったことを知りたいんだろ。

ダイエット本でさ、栄養バランスとか健康とはとか要らない人だろ。

手っ取り早く、簡単に早急に結果が欲しい人間だ。

長期的に見たら良くないと思うよ。

でも、まずは渇望する承認欲求を満たしてからでもいいよね。

条件として、他にブクマ高獲得作品ゴロゴロしている分野だとするよ。

極小ジャンル彗星のごとく現れて、ブクマをかき集めるようなメアリー・スーは諦めてね。

さて、これはpixivブクマツイッターいいねを獲得するための攻略法だ。

ツイッターをやってない、交流をいっさいしない。

ブクマいいねも一切誰にもしなかったアカウントでやったことだよ。

から普通の人ならもっともっとブクマを稼げると思うよ。

自己承認欲求マーケティングさ。

第一に、むやみやたらに長作を書くのはやめよう。

長い=素晴らしい、じゃないんだ。特に新参者にとってはね。

頑張っても5000~10000文字かな?20前後で読めるといいね

だって、そこまで書ける実力ないでしょう?

仮にそうでも分割しなよ。パート1と2みたいに。

連作の一話目はブクマ数が稼ぎやすいんだ。

その分、二話、三話とどんどん減っていくけどね。

いきなり得体のしれない人の超大作は読みたくないよ。

だって頭を使うし、体力も使うんだよ。

素晴らしい名作も疲れるけど、駄作駄作で疲れるんだ。

あと、自分に一番適している字数を把握するのも必要だよ。

もっと短く、お手頃だったらツイッター文庫風の物語を上げるのはどう?

リーで繋げればいいんじゃないかな。

Pixivで500文字作品とか読まれにくいけど、ツイッターなら別だよ。

あと、そういう文字数でブクマがある人は、その人がブランドなんだ。

ちゃんとしたものを書くって信頼されているんだよ。

あ、でも140字SS名刺鬼門だ。

俳句と一緒で文字数が制限されているが故に、センスと語彙力が求められる。

チャレンジしてもいいけど、気を付けてね。

結構アカウント名とプロ画を人は意外と覚えているよ。

あと字書きのツイートpixivキャプションは気を付けてね。

ある程度の知性は求められるんだ。はっちゃけすぎないで。

作品と作者の人格別にしてもらいたいけど、しょうがいね

今はブクマ数を考えるんだ。

個人のあるがままを受け入れて欲しいなら、「困難は分割せよ」だよ。

それは私には何もアドバイスできないんだ。すまないね

さて、君は空気を読めているかな?

活躍したいジャンルで「users」とか数字検索してみよう。

素晴らしい作品が厳選されているはずだよ。片っ端から読んでみよう。

どんな話が皆の心を掴むのかな。どんな雰囲気なのかな。

原作が重苦しくて希望の光さえ見えないのに、ナンセンスギャグの話があった?

評価であったとしたら、それは作者や作品に光るものがあったってことだ。

君には、少なくともこれを読んでいる限りは無縁の話さ。

真の実力とセンス磨きが必要からね。

さて、今度はブクマが極端に少ないものを読んでみよう。

駄目なポイントが見えてくるんじゃない?

人は自分のことは省みない癖に、他人の粗探しの達人なのさ。

良し悪しじゃないんだ。人気・不人気の違いが分かっただろう。

君のジャンルでは読者はこういうものが好きということが分かった。

パクらずに、似たような雰囲気のものを考えてごらん。

え、難しい?無理だって

原作世界観理解するのに自分の頭が追い付いていないだと?

んー、まあ、それは「キャラ萌え」なんじゃないですかね。

でも、それでもOKです。キャラ独立した存在として愛でてもOK

クロスオーバーカメオ出演というのはそういうものさ。

でもそうなったら、君は原作活躍する姿を描くには実力不足だ。

じゃあ、どうする?パロディですね。現パロでもいかがでしょう。

まれ意味は全く違いますが、ある人がこう言いました。

「語り得ぬことは沈黙せねばならない」と。

書けないものは書かない方が得策です。

書いてもいいですが、それで評価してもらおうとは思わないでくれ。

高校生パロはどうだろう?アルバイトしている光景はどうだろう?

詳しく書けるんじゃないかな?

その場に置かれた時の困難や葛藤が分かるでしょ?

さて、それ以外にブクマ数をブーストするパロディがあります

オ.メガバースとかセ.クピスパロとかね。他にもあるけど。

こういうのは予め世界観を作ってくれているから楽だよね。

自分表現力が足りなくても、読者がくみ取ってくれる。

そして、主題も関心も共有しやすいんだ。

え、私には書きたい主題がある?そういう俗っぽいのは嫌?

いか、ここはブクマを稼ぐための記事だ。

自分なりに温めていた大事主題喝采を浴びたいなら、

それこそ相応の実力を身に着けてから「機は熟した」と発表したまえ。

R18シーンがあるとブクマが増えやすいんだけどね。

これは相当の表現力が必要なんだ。全感覚を総動員させた文章必要

視覚、触覚、聴覚、そして愛情ね。それをノせないと駄目。

それ専用のお勉強必要なんだ。

あと100ブクマくらいなら、なくても達成できるよ。

そして、投稿するタイミングだ。

ジャンルの旬や盛り上げる時期というのも大事だよね。

これについてはコントロールできないから諦めてね。

平日の昼間に投稿するのと金曜日の夜に投稿するの、どっちが有利だと思う?

あと、目立たなきゃダメなんだ。印象付けないとだめなんだ。

イベントに向けて神や大手執筆に頑張っている時やイベント直後がいい。

投稿があってもサンプルだったりするから文字数少ないし、ブクマも少ないでしょ。

え、汚いだって?まあ、本心を言えばそれでも君のよりもサンプルの方が読まれているよ。

でも言っただろう!ここはブクマ数が全てだと!

全員が全員イベントに行く訳じゃなく、本を買う訳でもないんだ。

そういう時にこそ上げてみるんだ。

枯渇しているから、普段なら足蹴りするような作品を読むだろう?

マナー問題を指摘する人がいるかもしれないけど弱小の字書き程度なら大丈夫だよ。

ある程度認知されたなら止めようね。

あと、一気にブクマが増えると思ったらだめだよ。

最初作品は30、50、数作品後に100、300、そして500越え作品ができるんだ。

ジャンル活躍していてもいきなり500越えは難しいんじゃないかな。

例外ジャンル創設期であるけれども、その時期は飢えてるからブクマ率高いよね。

あと、ブクマって徐々に増えるんだ。

2年前の作品が知らぬ間にブクマ数が膨れていることもある。

映画化とか、アニメ化とかあるしね。

ここは当初の意気込みと矛盾するけど気長に行こうよ。

エゴ欲望を満たした後は、じっくり作品に取り掛かろうか。

資料を読み漁ったり、考察にふけたり、交流に励んだり。

いつかは本も出したくなるかもしれないね

最後まで読んでくれてありがとう

もうすぐ5000文字行くんだよね。よく読んでくれたね。

大事なことは、「困難は分割せよ」だよ。

ブクマ欲しいよね、それはしょうがないさ。

じゃあ、それに向けてやれる努力をしようよ。

もちろん、付け焼刃から本当の「実力」も伸ばしてね。

字書きは色々と面倒なんだ。変な劣等感があるし、そんで優越感もあるよね。

漫画や絵よりは読まれないよ。しょうがないよ。

ワンピースハードカバー小説本だったら今みたいに読まれてた?

まあ、小説もすごいよ。人格内面を深く描き出すよね。

響きと怒り』とか『アルジャーノンに花束を』の語り手の表現が凄いんだ。

まあ、読まなくてもいいけど。

でもさ、物語を書き始めるとそういったことに関心が向くと思うよ。

書き始めて「たのしー!」ってなってから「読んでみるか」でいいさ。

物語を書くのは簡単なんだ。

だって書けるけど、良いものや人に愛されるものは別なんだ。

拙いけど素晴らしい作品はあるけど発掘してもらえるかな?

まずは心安らかに楽しい!」って思ってもらえるように。

読んでもらえるものを書いてもいいんじゃないかな。

2019-04-14

阿仁ユイジのテンペスト無料で読んだ

前にも読んだけど再度マンガアプリ無料だったので

テーマ面白いと思ったし最初読んだ時は引き込まれ

けどなんだろ、2度目に読むとお腹いっぱい

なんか思想的なものが面倒くさく感じて

ストーリーだけで読み進められない

ショートショート的に1巻とかもっと短ければ

発想のおもしろさだけで読みきれたと思う

そこそこの長さで続けるなら世界観とか発想以外に必要ななにかがあって

それがなかった

自分にとっては、だけど

女の争い、キャバ嬢なんかに代表される世界観

女の集まりならどこでもあるように言われる

けど、女が集まっていて、そうでない場も存在するわけで

その違いはどこから来るのかとちょっと考えた

協力要素より競争要素が強い関係

同質の集まりだと、皆で食事しながら愚痴言い合う みたいな動きをするもんだけどな

2019-04-13

[]移動都市モータル・エンジン

『移動都市モータル・エンジン』(以下、移動都市と省略)を見てきたので感想。いつものごとくネタバレ気にしてないのでネタバレ嫌な人は回避推奨。あらすじ解説とかもやる気ないので見た人向けですぞ

総評

120点ヤッター!バンザイ!。点数の基準は「上映時間映画料金を払ったコストに対して満足であるなら100点」。大満足なんではあるが、この大満足は極めて個人的感情であり、しかタイミングによるところが大きい(後述)。なんで皆様におすすめできるか? オールタイムズベスト的な価値があるか? といえばおそらくない。見なくて良い。

しかし一方で今じゃないと書けない評価もあると思うので、この記事はその辺について触れたいと思う。

ファンタスティックCGアクション映画

当方は「パンフとか購入するくらいならもう一本別の映画見るわ教」の人間なので詳しいセールス文句は知らないのだけれど、スタッフ的には『ロード・オブ・ザ・リング』のスタッフ結集!とのことで、ほうなるほどと思って足を運んだ。どうでもいいけど、この映画日本での広報に失敗してない?

んでもって内容なのだけれど、想像した以上にCGが良かった。「CGが良い」っていろんな方向性があるんだけど、一昔前の重要課題だった「嘘くさくない」とか「合成に違和感がない」みたいな部分は今やもうすでに解決済みであって、現在では「どれくらい見たことがないすごい景色を見せてくれるか?」ってとこが焦点だとおもう。

その点において『移動都市』は素晴らしかった。超巨大戦車じみた土台の上に一個の都市ロンドンが乗っかって、スチームパンクともレトロフューチャーとも言える鉄量にまかせてゴンゴンガンガン進みながら、その中には宮殿大英博物館もあってゴシック生活もあるってあたりが、もう、きゅんとくる。世界観荒唐無稽さを、CGによる映像美と迫力で押し切るという、いわば「嘘の芸術である映画センス・オブ・ワンダーが花開いていた。その点は二重丸。

アクションも、チェイス市街戦空中戦、焼け落ちる基地から脱出、潜入、銃撃戦と各種取りそろえそれぞれにレベルが高く、十分以上に楽しめる。

一方で脚本は、まあ、悪くもないんだけど、そこまで良くもない。割りとありきたりな復讐劇で世界観CGによる大美術アクションに全ふりしたような映画ではあった。

登場人物も、主人公スター・ショウ(母親殺害された件をきっかけとする復讐者)とトム・ナッツワーシー(ヘスター好意を抱き所属するロンドンを裏切って協力する史学者&飛行機乗り)は、内面的にも平坦でそこまで感情移入するってほどでもない感じ。

二人をお助けする女性賞金稼ぎアナファンのほうが汎アジアキャラ的なドラマをもっていて好感度高かったほど。

だいたいしめて90点くらいで、レイトショーで割引で見ると満足な映画というのが評価だろうか。

そんなんじゃねえよFuck!傑作なんだよ!!

しかし!上記のような説明ではこの映画を120点評価した理由が全くわからないだろう。ここではそこを解説したい。

そもそも『移動都市』の世界観は、現在文明大戦争でほぼ滅んだアフターホロコースト地球である大量破壊兵器メデューサ欧州は完全に壊滅して、泥炭じみたぬかるむ湿地の広がる大荒野になってしまっている。そこではもはや土地根付いた生産をすることは不可能であり、都市は「移動都市国家」としてそれぞれが巨大陸兵器になりつつ、荒野をさまよって、より小さな移動都市を鹵獲して、食料や燃料や労働力(そこの市民)を略奪して暮らしているのだった。

今回映画『移動都市』の主役都市とも言えるロンドンは、その中でもかなり大きなものであり、旧時代文明研究をして工業力を維持しつつ、小都市を略奪して巨大化しているっぽい。

ロンドンはどうやら物語開幕直前にドーバー海峡を渡ったようで、欧州東部の小都市国家郡にたいする略奪旅行にでる。わーお!プレデタージャーニー!これを市長は「都市淘汰論」とかうそぶいて正当化する(ダーウィニズム! キタコレ)。

この時点で映画開始から10分もたってない。すごいよロンドンめっちゃゲスじゃないですか。

移動略奪都市ロンドンは「移動派」を名乗っていて、一方で、ユーラシア大陸当方には「反移動派」がいて、これは旧来の都市運営のように普通に地面に都市を作って周辺で農耕しているらしい。映画後半になるとそっちにもカメラが行くんだけど、緑豊かな自然復興している。

東へ向かうには要所となる渓谷があり、そこに東部の「反移動派」たちは「盾の壁」なるものを築いていて移動略奪都市侵入を拒んでいる。この「盾の壁」と移動略奪都市ロンドン大戦争が映画クライマックスだ。

物語中では明言してない(してるわけがない)んだけど、この「移動派」の移動略奪都市ロンドンって、もう、完全に植民地主義なわけですよ。

巨大な鉄の破砕口で逃げ惑う小移動都市を捕捉してバリバリ噛み砕き、そこの住民たちを「強制移住」させて「ロンドンへようこそ!あなた達には住居と仕事提供されます!」とか放送しちゃってるけれど、そういうひとたちは都市最下層の労働者タコ部屋みたいなところに押し込んで働かせている。

そういう小移動都市を奪って「燃料一ヶ月分の足しになるか」とか市長は言い放つし、ロンドン公園テラス(周辺の荒野が見える)では、ロンドン上級市民が鈴なりになって、(おそらく東欧貧乏な)小移動都市に銛を打ち込んで串刺しにして鹵獲するシーンとかで「うぉおおお!!ロンドン最高!!」「やれー!やっちまえーー!!」「貧乏人を奴隷しろ!」とか大歓喜なんですよ。

もう、このシーンだけで興奮してしまう。

まじか。スタッフまじでこの映画作ってんのか? っていうか原作小説からこれかよ。パンクだな。

しかもそのうえ「反移動主義者どもは盾の壁などをつくって我々を干上がらせるつもりだ!けしからん!奴らの土地を奪うぞ!!決戦だ!!」「うぉおおお!ロンドンロンドン!!」とか言い始める。

これだよ。これこそが大英帝国だよ! 大英博物館はそうやって鹵獲した貧乏都市に残されていた旧時代文明異物を収集して飾っておくとか説明されて、「わかってるよこの作者ぁ!?」ってなるなった。

んでまあ、そうやってね。植民地最高!労働力移民(白目)でOK!上層部では光降り注ぐ庭園ヴィクトリアンなライフスタイルで下層はスチームパンク労働者身分が違うからろくな会話もできません。みたいなロンドンが、最終的にはコテンパンに負けるんですけどね。

原作フィリップリーヴはイギリス出身なんだけど、自虐っていうかシニカルな笑いが凄まじいな。まさにこのシニカルかつブラックな笑いがこの映画の加点理由であって、だめな人には全くダメだし、歴史的な経緯がわからないと小芝居に意味が無いとも言えるし、そういう意味では難しい映画かもしれない。でも、めっちゃパンク

まあそういう感じでゲスダメダメさを楽しむ映画ではあるんでが、日本場合さらボーナスがあって、それはイギリスがただ今絶賛ブレグジットに関するgdgdの真っ最中であって、過去自分がやった鬼畜所業再確認だってことですよね(欧米での公開は去年なのでそこまでタイミングドンピシャじゃなかった)。

イギリス人「だってイギリスイギリスのものなのに政治の中枢がEU本国側にあるなんていやでしょ?」

ガンジーせやな自分頭悪いやろ?」

みたいなことを思い出しながら『移動都市』を鑑賞のは最高に贅沢だと思うのですわ。メイちゃん首相だんだん顔が怖くなってきたし。『移動都市』みたいにEUぶらり旅で離脱できるとええな。

anond:20190413111856

上野さんの世界観では、環境があるはずなのに東大に落ちた男性(例えば兄は東大生なのに弟が不合格)ってどんな扱いになるんだろう?

合格したのは環境のおかげ、不合格になったのは…努力不足?それとも環境不足だったのか?

[] #72-1「僕は学んだ」

僕はこの『ヴァリアブルオリジナル』を読んで、正義とは何か、愛や平和とは何かを学びました。

まず序章では主人公ヴェノラの、現世での日常生活が丁寧に描かれます

僕はこれを読んだとき、「あれ、冒険は?」と思いました。

そんな疑問も長くは続かず、主人公は5ページ目あたりで幼馴染をかばって大型の貨物自動車に轢かれます

そして、どっかの神様が彼の決死の行動に感動し、異世界で新たに生きるチャンスを与えて序章は終わります

異世界での冒険を早く読みたかった僕は、最初この話を余計だと感じていました。

異世界行くんだから現世の話を長くやる必要はないんじゃないかと思ったのです。

だけど後になって、この序章は主人公人格を早めに読者に印象付けつつ、彼が異世界へ行くことに説得力を持たせるためのものだと気づきました。

おかげで僕は自然とヴェノラのキャラクターに魅了され、彼が異世界冒険することに何も疑問を持たなくて済んだのです。


続く第一章では、主人公を通じて異世界がどのようなシステムかが描かれました。

異世界は彼が元いた世界とは違う世界であり、勿論そこで生きる人々や動物似て非なるものです。

ロールプレイングゲームのような魔法スキルもあって、まさに異世界なんだと伝わってきます

そんな世界の違いに戸惑うヴェノラの姿にはとてもリアリティがあり、僕は「外国ホームステイたらこんな感じなんだろうな」と思いました。

だけど、生きていくためにヴェノラは試行錯誤してシステムを学んでいきます

僕は読んでいて最初は「うわー、勉強イヤだなあ」と思いましたが、ゲームのような世界観のおかげで分かりやすくて、スラスラ読むことができました。

ヴェノラが魔法スキル理解するのと同じスピードで、読者である僕も世界観を感じていくので、何だか二人三脚で走っているような気分でした。

僕はこの第一章で、自ら進んで何かを学ぼうとする姿勢の大切さを知りました。

(#72-2へ続く)

専業同人作家を辞めてよかった

艦これ全盛期までは同人誌で食ってた

でも艦これアニメを見てから専業同人をやめた


いくら良いコンテンツであっても、公式がやらかす可能性が怖いんだ

燃えてるけもフレだってそう

あんなにストーリーも良くて可愛いキャラがたくさんいて、2次創作もしやす世界観なのに、

公式がクソのような作品ナンバリングタイトルで出してくる可能性があるのはとても怖いんだ


いくらおもしろい本を、エロい本を作ったって、公式がやらかせばファンは減る

ファンが減ると本を買ってくれる人も減る

これが同人じゃない普通漫画家なら自分努力不足にできるだろう

でも同人作家がいくら努力したところで公式がクソを生み出すのなら意味がない


公式の出してきたクソを無理矢理褒め称えるという手段もあるが、生活のためとはいえ明らかに面白くないクソ作品を持ち上げるのはやってて面白くないし、

SNS全盛期のこのご時世無理がある



仕事もあるから出せる本は減ったけど、今は好きなものを好きなように描けてるから幸せ

コンテンツ面白くなくなったらまた別のコンテンツに行けばいい

2019-04-11

ポケモンドラクエCG映画になったらキャラクターの顔がどれもこれもスタンドバイミードラえもん風ですごく嫌

ドラえもんが嫌なわけじゃなくて、顔の造形が似てるのが嫌

あの手の顔しか作れないの?

サトシを見てもリュカを見てものび太の顔が浮かんできて世界観ぶち壊しすぎる

anond:20190410095124

韓国という国は、たとえるならネット掲示板における粘着荒らしみたいなもの

日本」という名の掲示板をずーっと、50年以上前から続けてる超迷惑荒らし

あるいはSNSでたとえるなら、何度BANされてもアカウントを作り直して「日本」というアカウント罵詈雑言メッセージを送り続けるような奴

もちろんあの国にも思想の左右や保守革新といったものはあるけれど、突き詰めるならば「荒らし方」の方向性の違いしかないので、誰が国の舵取りをしても日本迷惑行為を続けること自体は変わらない

「荒らさない」という選択肢自体あの国には存在しないんだよね

日本韓国自主的荒らし行為をやめることを期待して、ある程度向こうの言い分を聞いたりして対応してきたけれど、ここ一年か二年で「こいつら相手するだけ無駄じゃね?」と気づいてしまった

たか安倍政権支持率は落ちないし、韓国との融和を訴える人は見向きもされないわけ

そういえば去年だったか、有名ブロガーを刺殺して逮捕されたクソがはてなにいたよね

韓国っていうのは要するにあいつだと思えばいい

常人には理解できない世界観というか価値観というか正義感というか使命感というか、そういうのに突き動かされて相手迷惑行為を延々続けてる、韓国っていうのは要するにそういう存在なわけ

2019-04-10

anond:20190409151933

物語を使って視聴者特定の行動を促すというのは実は無理なのではないでしょうか。

物語に過大な期待をしすぎです。どんな集団にも過激な人はいるし、けもフレファン集団でも同じです。けもフレを見た過激な人が急に全員優しくなるようなことがあったら、それはもはや洗脳です。

からといって、テーマに絡めることを諦めて、中途半端エピソードにしておけば「人間が歪めた動物について考え」るかというと、そういうものではありません。

おっしゃったアイデアにあったようにキュルルちゃん人類の罪を贖罪してしまえば、見ている方はスッキリした気分になってしまって何か教訓を得ることはないということです。

キュルルちゃん人類の罪を贖罪するプロットを書いたつもりはないのですが、ともあれ、やりたいことが「人間が歪めた動物について視聴者を考えさせること」なら、それにそってテーマを展開してプロットを作れば良いかと。テーマに絡めることを諦めても、その点は改善しません。

俺は、ビーストは死んでないと思います

最終的に死んでるか死んでないかは、別に、どうでもいいんですよ。問題はキュルルが、「自分が呼んだビーストの無事を確かめもせず、喜んでる薄情極まりないキャラ」として描かれていることです。

キュルルちゃんの思いが言葉だけじゃなく行動になるまでに固まる。

「キュルルが身の危険を顧みずにビーストを説得してわかった」みたいなシーンが別になく、暴れるビーストが、素直に船に乗って(?)キュルルについてきたのか、さっぱり分からないので、特に盛り上がりません。

それでビーストが大暴れするので気持ちいいわけです。

ビースト側の考えや動機意志が全く見えないので、ビースト感情移入しようがなく、大暴れが気持ちよくもないし、死んでも、さほど悲しくもないです。

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けもフレ2では現実的な厳しさを書いたのではないでしょうか。

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いえ、今はまだ固まっていない段階です。その正体をつかめない段階で用語意味を固定してしまうと先へ進むことができなくなるでしょう。必要ときにその都度「この作品のこの部分は優しい世界か?」「優しい世界とはなんだ?」を繰り返して意味を掘り進めていくべきです。

それについてはお任せします。私は「優しい世界」という用語特に興味がないので、これ以上は控えます

絵柄が大きく変わっていることは初見でわかりますSNSで憤慨しているファン監督交代騒動は耳にしていたはずです。

私は絵柄は前作を踏襲したもので、さほど大きくは変わってないと思います。少なくとも、ギスギスさを予感させる変化ではないですね。キービジュアルも仲良しフレンズで、交代した監督も「 前シリーズリスペクトし、面白いと思ったところは全部入れてます」と言っている。

総じて、ギスギス、ダークを予感させるものでは全くないです。

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スパイスの効いた辛旨なカレーで有名になったお店が、【店長スタッフが変わって】、でも看板はそのままだった。それでも気になってお店に入ってみたら、全然違う甘々な、しかも不味いカレーを出された

辛旨カレーだった店が、看板そのままで甘口カレーを出したら来た客は混乱しますわな。店主が替わったのは知ってても、店の名前が変わってなくて、特に告知がなければ、同じような味を期待するでしょう。カレーの味を変えるのはいいんですが、辛口カレーの中でバリエーションが変化した、とかではなく、甘口カレーハヤシライスビーフシチューなりに変えるなら、看板に大きく「甘口カレーetcの店になりました」と書いておくべきでしょう。それは、客がどうすべきであったか、悪質な客がいたかどうか、とは全く別の話です。

2019-04-09

anond:20190409045845

人間動物迷惑をかける点ですが、フウチョウたちが「確かにヒトのおかげで助かったケモノもいるが、ヒトが不用意に近づいたばかりに、迷惑するケモノもいたかもしれんぞ」と明確に問いかけてるんですよね。これに対するアンサーは必要であり「テーマとして昇華していない程度の示唆」で終わらせるのは無理があります

しかに。フレンズの選定や居心地の悪さ、フウチョウの問いかけも含めると、制作意図があったのは反論しようがないです。ならば、それをテーマに絡めることを諦めたというのはどうでしょう。ここ最近の界隈の雰囲気を見ると、けもフレ1でさえ信者とまで言われるほどの熱心なファンに「へーきへーきフレンズで得意なこと違うから」「のけものはいない」のような世界観を教える事はできなかったわけじゃないですか。結果論ですが、船長ワカバが休んでれば赤い木の騒動なんて起こらなかったのに、それを作ってるたつき監督自身が過労気味なわけじゃないですか。物語を使って視聴者特定の行動を促すというのは実は無理なのではないでしょうか。おっしゃったアイデアにあったようにキュルルちゃん人類の罪を贖罪してしまえば、見ている方はスッキリした気分になってしまって何か教訓を得ることはないということです。制作サイドに人間が歪めた動物について考えてほしいという善意があって、それをエンタメ物語に乗せて実現させるための方法として、示唆で止めておく手段を選んだ。いかがでしょう。

俺は、ビーストは死んでないと思います。そこにけもフレ2の作劇の方針がみてとれる気がするのです。個人的にはビースト周りのドラマはなかなかに心揺すられました。パークの重鎮のかばんさんさえ”アイツ”よわばりする厄介者イエイヌを追い詰めサーバル撃退されたけど、スケッチブックの集合絵に入れてあげた。「解りあえなかったとしても、解ろうとするのは別にいいじゃん」、ボートに現れたビーストから逃げることを促されてもこのまま行くと言い切る。キュルルちゃんの思いが言葉だけじゃなく行動になるまでに固まる。それでビーストが大暴れするので気持ちいいわけです。このドラマ普通に決着させようとすると、うーんたとえば、瓦礫の中にビーストを探したが見つからず、足跡がパークに続いてくのを見て「いつかまた会おう」とひとりごちる、とかになるでしょうか。でもそうせずに瓦礫に埋もれて消える描写にした。ホテルメンバーの救済のために尺が足らなかったのかもしれませんが、俺は刮目してみていたので気づいていました。ホテル屋上のあの位置は頭上に障害物はなく、瓦礫に埋もれたのはカメラのほうだと。つまり誤解させる演出になっているわけです。多くの視聴者初見で、ああビースト死んだのか可愛そうやな、とおもってSNS悲鳴を流します。それで解析班が動いて「ビースト死んでなかった!」という記事ホットになる。木村監督は交代時に、けもフレ1の魅力は散りばめられた伏線、のようなことをおっしゃってたと思いますネット考察版が動くことを期待して放映後に爆発する仕掛けを組んだというわけです。エンタメ作劇的には王道ではないでしょうが、このような狙いがあったのでは。

俺はけもフレ1・2・ケムリクサすべてで、伏線や回収、世界観の開示などを目を皿のようにしてさがし、それに理屈をつけるような見方をしています。それで楽しめていますけもフレ2では話の途中に掛け合い漫才みたいなのが頻繁に入ってくるので、その部分もニコニコながら見ていました。確かにドラマとして登場人物紆余曲折が一つのテーマ収束していく様はあまりけもフレ2にはないですが、その部分に多くを期待しない鑑賞スタイルには合っているような気がします。

何話か見返したのですが「キュルルの手がかりの絵が尽きた」ことが描かれたシーン

一話の最後スケッチブックをめくり千切られたページを目にするシーンがあります。状況的にあそこでは手がかりを見つけるために捲っていたのであのページが最後になることはキュルルちゃんは判っていたと思いますホテルでリョコウバトに集合絵を渡すときに、観覧車の次のページに集合絵を描いていて、その次が白紙であることが一瞬見えます

キュルル自体の魅力が損なわれ、作品自体への評価が下がります

キュルルちゃん立場から見て、イエイヌ価値観尊重してああ言ってあげる、というのは悲劇トリガーには観念的にはなっていますが、無責任・悪意のある行動には思えないです。カラカルが介抱していて危機的状況から開放されて安心しているという状況です。みため年齢的に見ても致し方ないかと。キュルルちゃんは魅力的なキャラクターとして描かれていてそれは成功していると思っています。この扱いで好感度が下がる合理的理由はないでしょう。

強敵との戦いをどう盛り上げるか、逆転を、どう印象づけるかの工夫がありますフレンズセルリアンとの戦いは、あまりそうした工夫がなく、盛り上がらなかったです。それなら誰かが「野生解放!」と叫んだほうがわかりやすいでしょう。

けもフレ1では仲間に呼びかけるために、野生解放宣言していますけもフレ2の該当の戦闘ではそのタイミングで一対一だったので言う必要がなかったのもあると思います。突然漫画演出になるのはリアリティが下がって興ざめするので、盛り上がるためだけに叫ぶのは良い方針ではないと存じますしかし確かにセルリアンとの戦闘けもフレ2全体で退屈な仕上がりになっている印象は否めないです。制作なりに「優しい世界」を目指した結果ではと考えています戦闘けもフレ1に比してもピンチ感は少なくなりました。見返したときに緊張感が高くならないようにあえて戦闘テンションを抑えたということです。最終戦での野生解放が叫ばれなかったのを考えていたんですが、する必要がなかったというのが答えだと思いますホテルメンバーが囲まれたのがおそらく最大の危機的状況ですが、そのときにおいてもホテルに現れるペパプを妄想していました。いよいよとなれば解放する気だったのでしょうが、ペパプ本物が登場して救われる流れになります

最終話評価は、それまでの1~11話の評価と切り離せないものですので。視聴者に信用されるために、制作者側は信用を積み重ねる必要がありますが、そこがうまくいってないわけです。

セルリアン集合シーンはけもフレ1の名シーンほどの決めカットではないです。先に申し上げたとおり、あの状況ではああいう絵にしざるを得ない、共通性を見出すのは無理矢理のこじつけですよ。信用がないと言うより、悪意があると信用されていた、というほうが実態に近いと思います監督交代騒動のツケを支払わせるために問題表現を探したというこです。たしか結果的には新体制が信頼を積み上げることに失敗した、というのは同意します。しかしその責任制作側にあったとまでは言い切れないです。ところで、けもフレ1でたつき監督が序盤で信頼を積み上げるような何かをしていたか、というのはずっと考えていました。一話で退屈と断じて切り捨てたという視聴者はよくいるし、伏線-回収のループを重ねていけば意味のあるシーンを作れる作家だとわからせることができるけど、そういうのってしてましたっけ?

キュルルのおうちが、見付からなかったことに、消化不良があります。次に、キュルルが「おうち」を諦めるに至る過程曖昧なので、ドラマが盛り上がりません。

けもフレ2では現実的な厳しさを書いたのではないでしょうか。けもフレ1へのアンチテーゼというか、ご都合主義的ではない、よりリアル世界観フレンズ同士の親切心を浮き立たせたかった。一話を見てパーク内にキュルルちゃんのおうちがあるような気はしないわけです。家族の元に帰ってENDは想定しにくい。案の定見つからない。イエイヌは救われない。ビーストはどうしようもない。でもそれぞれに現実的な進展が与えられるわけです。エンタメ文法でみるとドラマとしては盛り上がりに欠けるでしょうがスッキリとしない視聴感がビターな感じはあると思いますケムリクサでの最終話EDの、りりが救われた風の描写は俺に、感動したけどこれ結局お話に過ぎなかったんだな、という思いを与え、肩透かしでした。

ところで、けもフレ1のテーマは何だったのでしょう。かばちゃん成長物語と捉えると、1話では彼女は頼りないですが、11・12話で存在感を見せつけたという感じであまり変化がない。ミライさんのフレンズ生存理由になったり細かい伏線の繋がりは合ったのはわかります。それぞれの話でドラマが見事だったのも異論ないです。でも全体としてのドラマどうでしょうケムリクサは逆に全体としての物語性が強いです。けもフレ2は両方のフレーバーを持っている。その話での起承転結と「おうちテーマ」のための全体の流れが合わせて練られている。イエイヌが”おうちにお帰り”といって拒絶されるのは全体のために必要だけど、イエイヌ回単体ではキュルルちゃんサーバルカラカルの在り方を見せられて自分との違いを見て挫折して去る、くらいでよいわけです。ただ各話においてフワッと見ているだけではドラマとして盛り上がりに欠ける、というのは改善余地は合ったかもしれませんね。

批評として使うなら、定義必要になるでしょう。

いえ、今はまだ固まっていない段階です。その正体をつかめない段階で用語意味を固定してしまうと先へ進むことができなくなるでしょう。必要ときにその都度「この作品のこの部分は優しい世界か?」「優しい世界とはなんだ?」を繰り返して意味を掘り進めていくべきです。

スギスを狙ったのなら、作品の出来とは別にマーケティングミスです。そういうのは事前に告知して心の準備をさせるのが良いかと。

絵柄が大きく変わっていることは初見でわかりますSNSで憤慨しているファン監督交代騒動は耳にしていたはずです。ファン必要以上にセンシティブになり、前と寸分違わず同じもの要求した、そのように見ていますけもフレ2も最初からスギスしていたわけでなく、センちゃんアルマーさんの実態ジャングルメンバーなど、段階を追っての開示になっているとは思います(話がずれるかもしれませんが、「危険きわまりない溝ができています!」は、好き嫌い分かれるネタを初っ端から突っ込んできたな、と思いました)。

付録

スギスした作品はギスギスした作品で楽しめる人も、癒やし系作品の続編として出されると「思ったのと違う」ってなりますよね。ラーメン屋いったらサンドイッチが出てきたみたいなもんで。

面白いので http://blog.livedoor.jp/fukukan2009/archives/52307013.html 及びその次の記事より引用します。

別の場所コメントでは「カレーを頼んだのにXXXが出てきた」といっている人もいました。俺は「カレーハヤシライスビーフシチュー」くらいの印象です。

anond:20190408230305

人が動物の上に立つモチーフイルカアシカイエイヌが、けもフレ1以後の「人間がいなくなってる世界」でそれを強調されることが視聴者にとって不快で、それを書くなら悲劇性や罪悪感も書くべきだ、との主張でしたね。誤解していました。失礼しました。そうするとリョコウバトは構わないのでは。けもフレ1でもトキ絶滅していますが、人が上に立っているわけではないので問題ない。リョコウバトも同じ扱いでいいのではと思います

けもフレ2における、人間動物迷惑をかける点ですが、フウチョウたちが「確かにヒトのおかげで助かったケモノもいるが、ヒトが不用意に近づいたばかりに、迷惑するケモノもいたかもしれんぞ」と明確に問いかけてるんですよね。これに対するアンサーは必要であり「テーマとして昇華していない程度の示唆」で終わらせるのは無理があります

リョコウバトとトキ比較ですが、けもフレ1のトキ場合絶滅危惧動物であること、人間によって傷つけられたことに関する言及はないわけです。一方、リョコウバトの場合絶滅を暗示する演出がいくつもあり、先のフウチョウの問いかけもあったわけです。

イルカアシカについてですが、ネットを眺めた体感では、そこまで気にされてないように思うので、これが気になるのは俺自身問題であって、そこまで気にしなくても良いかもしれません。

ただし、フウチョウの問いかけにある通り、全体的に人間動物関係性の負の面に掘り下げるならば、イルカアシカも一緒に掘り下げたほうが脚本の完成度が上がるでしょう。

イエイヌについては、あれは監督交代のいざこざ抜きでも、居心地悪いかと。

詳しくないのですがハリウッドヒーロー物では技名宣言は少ないのではないでしょうか。国内で閉じるローカルルールに縛られずによりリアル表現模索したのでしょう。

マーベルやDC映画場合叫び声でパワーアップはしないわけですが、強敵との戦いをどう盛り上げるか、逆転を、どう印象づけるかの工夫がありますフレンズセルリアンとの戦いは、あまりそうした工夫がなく、盛り上がらなかったです。それなら誰かが「野生解放!」と叫んだほうがわかりやすいでしょう。

まあファンタジー蔑称ということもないのでしょうが、多くをノリで処理すべき寓話世界観というほどには、けもフレ2は堕していないと思います

まず私の立場は「多分、脚本の穴だろうが、寓話世界観と取れないこともない」というものです。ラストバトル前の葛藤(フウチョウ)と、ラストバトル勝利ギミックビースト)という重要な部分の両方が、ファンタジーな流れで解決されるので、その印象が非常に強いんですよ。

しかし、たつき監督けもフレ2をやっていたらそのカット問題にならないわけでしょう。監督が代わるごとに構図被りに難癖つけられるなら、正解は作らない一択ですよ。俺は野生解放こそ失念していましたが、かの名シーンの存在は覚えていて、でもその被りには気づきませんでした。観客が悪意を持ってアラ捜ししていることまで計算に入れて作っていかなきゃならないなら、アニメ制作者が家に帰らない期間は年単位で増えていくでしょう。観ると決めたら、ある程度製作者を信用することは視聴者側の責任だと考えています

点が三つあると人の顔に見える、と言う話がありますが、人間は、基本的意味のないところにも意味を捜す生き物です。現実には意味のないことは幾らでもあるのですが、作劇でそういう部分を作ると、視聴者は無理矢理意味を見いだそうとし、結果、制作者にとって不本意な受け取り方をされることがある。それを避けるためには、意味・印象が散漫なシーンを作らないことです。

結局、セルリアン型フレンズにあまり意味がなく、戦闘も盛り上がっていないのが、あら探しされやすい大きな原因だと思いますフレンズ型になった意味もさほどなく、あまり怖い印象もなく、なんとなく倒されていくという(このへんは脚本だけでなくアクションシーンの問題でもあります)。

けもフレ1の集合シーンは、ここからフレンズが、それぞれの個性を生かした連係攻撃を開始するわけです。例えば、それを踏まえて、セルリアンが巧みな連携を仕掛けてきて、「これまでのセルリアンと違う! なんて強いんだ!」とすれば、そこには一つ意味が生まれます

そういった点をクリアしても、ケチつけられる可能性は否定しません。結局、最終話評価は、それまでの1~11話の評価と切り離せないものですので。視聴者に信用されるために、制作者側は信用を積み重ねる必要がありますが、そこがうまくいってないわけです。

この先奇跡的にけもフレ2の人気が反転して評価が逆転したら繰り上がって「優しい世界」になるのでしょうか。だとすると「優しい世界」は「感じが良くて人気だった」くらいの概念になってしまうでしょう。

「優しい世界」に込める意味は、人それぞれで、深く考えてない人も多いでしょう。なので、最大公約数を取れば、まさしく「感じが良くて人気だった」くらいの意味になると思います批評として使うなら、定義必要になるでしょう。

私自身が「優しい世界」という言葉を使ったのは、「素直なキャラ面白いドラマを作ること」くらいの意味です。

けもフレ2でギスギスが解禁されたことで、G・ロードランナーやフウチョウ、イエイヌなど、けもフレ1に収まりきらなかっただろうフレンズへの間口が開かれました。

スギスした作品はギスギスした作品で楽しめる人も、癒やし系作品の続編として出されると「思ったのと違う」ってなりますよね。ラーメン屋いったらサンドイッチが出てきたみたいなもんで。ギスギスを狙ったのなら、作品の出来とは別にマーケティングミスです。そういうのは事前に告知して心の準備をさせるのが良いかと。

逆に言うと、ここまでギスギスな作品だと受け取られる、とは制作側は思ってなかったんでしょうね。

論理同意できません。自由意思はどちらの選択をとっても自由ときにのみ現れるものです。

そこはおっしゃるとおりですね。書いたことに矛盾があったので書き直します。

まず、1話からのヒキである、キュルルのおうちが、見付からなかったことに、消化不良があります。次に、キュルルが「おうち」を諦めるに至る過程曖昧なので、ドラマが盛り上がりません。

キュルルが「おうち」を捜す動機として、フウチョウに対して、「そこには、僕にとって大事な、なんかすごく大切なものがあった……気がする……」と言ってるんですよね。この「大事な大切なもの」が不明なまま、おうちより仲間と言われても、とってつけた感が出ます

それがパークのどこにもなく手がかりの絵も尽きて絶望したことが示されているので

何話か見返したのですが「キュルルの手がかりの絵が尽きた」ことが描かれたシーンが見当たりませんでした。教えていただけると幸いです。

でもそうするとセンちゃんアルマーさんを入れる尺がなくなりませんか。誤解させるための設定も用意しなくちゃならない。というかイエイヌちゃん完全に救われちゃってますよね。

思いつきプロットですので、詳細まで詰めてないのはご容赦ください。作劇において、尺やバランス問題は常につきまとうので、やりたいことの優先順位を決めて整理すれば良いかと。

優先すべきものイエイヌとキュルルの関係なら、他のキャラの出番を減らして調整しますよね。逆にカラカルとキュルルが仲直りして関係性を深めるほうがメインなら、プロットが重くなりやすイエイヌでなくて、別の困ったフレンズにしたほうが、すっきりするかもしれません。

キュルルちゃんホテルで海に落下させるためにイエイヌ回で下げたのではないでしょうか。落ちたときニコニコ動画では「ざまああwwww」が連発されましたが、あれは制作の狙いだったと考えています。そして必然的落下からのフウチョウ説教・海底火山紹介に自然につながります

通常、主人公とは「こいつがどうなるか見届けたい」と視聴者に思わせて、物語ドライブする存在です。そのためには視聴者を引きつける魅力が必要になります。魅力がないと、作品を見続けるモチベーションが湧かない=つまらないとなるわけです。魅力としては「いいやつ」から「かっこいい悪」「人間欠点があるが、どこか憎めないボンクラ」まで様々です。

さてキュルルは、別に「かっこいい悪」や「憎めないボンクラキャラではなく、概ね、フレンズを助ける心優しいキャラとして描かれてたわけで、それをこういう下げ方したら、キュルル自体の魅力が損なわれ、作品自体への評価が下がります。さすがに制作者が意図してそういう風には描かないと思います

キュルルが落っこちた回でニコ動アンケートちょっと上がったのは知ってますが、主人公がそこまで嫌われてる時点で、作品としては末期症状でしょう。

しろ話の流れのメインだったのは”スケッチブック最後のページの行方”だったと思います。すべてのドラマスケッチブックに沿って展開され、最後の絵は破られていたことは最初の話で既に明らかにされていて、ホテル海上で悩むキュルルちゃんは千切られたページの跡を見つめていました。

長い時を生きてミライさん時代からパークを見守ってきたイエイヌに対してキュルルちゃんが「おうちにお帰り」を言い、逆にイエイヌ彼女から送られた絵をみて(観念的に)おかえりを言うわけです(実際に口にはしてないけど、まあ立場的に)。キュルルちゃんはそのシーンを持って本当におうちに帰った、受け入れられた。それを最後のワンカットで示すのが強い、と思うのですがいかがでしょう。

この解釈は私が気づかなかったもので、なるほど、と、思いました。

ただ、「スケッチブック最後のページの行方」がメインだったとすると、エピローグ的な部分で登場しても、もうその時点では、セルリアンは倒され、キュルルのおうち探しも終わっており、ドラマとして盛り上がらないかと。

イエイヌの「おうちへおかえり」と、キュルルの「おかえり」を重ねて、メインテーマに結末をつけたいのであれば、もうちょっとそこに重点を置いた作劇にしないと視聴者に伝わらないと思います

一般的エンタメの作劇上のセオリー評価できないというのはわかりましたが、しかしそのセオリーに従わなければいけない強い理由があるのですか。

作品の出来、不出来は、究極的には個人の好みになります。その上で、「多くの人が好む/嫌う最大公約数」というものもあります。それをまとめたのが、エンタメセオリーと呼ばれるものです。

けもフレ2の一般的評価が低い論拠として、そうしたセオリーを守れてないから、という点を指摘しているわけです。

もちろん、セオリーをぶっちぎって、面白い作品はあります。私から見る範囲で、けもフレ2に、セオリー無視したが故に面白くなってる点は見当たりませんでした。ただこれは私の意見なので、「そうではない。ここが面白い」という意見は拝聴します。

2019-04-08

anond:20190408180028

人が動物の上に立つモチーフイルカアシカイエイヌが、けもフレ1以後の「人間がいなくなってる世界」でそれを強調されることが視聴者にとって不快で、それを書くなら悲劇性や罪悪感も書くべきだ、との主張でしたね。誤解していました。失礼しました。そうするとリョコウバトは構わないのでは。けもフレ1でもトキ絶滅していますが、人が上に立っているわけではないので問題ない。リョコウバトも同じ扱いでいいのではと思いますしかけもフレ1でカフェを訪れるフレンズは別の鳥でも良かったわけで、トキ選択されたのは何らかの意図があるでしょう。以前に書いたような「テーマとして昇華していない程度の示唆」でとどめても善いのではと思います不快になるまで強調されるならドラマに絡めて決着を付けるべきだということですね。ならばイルカアシカイエイヌでそこまで不快になるということ自体製作者の想定外なのではないでしょうか。俺もグロテスクさは感じましたが話が入ってこないほどは気にならなかったです。「そこに居心地の悪さを感じるのは当たり前」とおっしゃいましたが、監督交代のいざこざ抜きでもそう言えると断言できますか。

ヒーローがなんか技名叫んでパワーアップ」は、戦隊ものでもプリキュアでもアンパンマンでもあるので、そうそう引っかからない

これまでそういう表現が主流だったというだけです。戦闘ときに技名を叫ぶのはフィクション的です。攻撃タイミングがバレてしまうし、叫びに使うエネルギーを拳の乗せろよ、です。詳しくないのですがハリウッドヒーロー物では技名宣言は少ないのではないでしょうか。国内で閉じるローカルルールに縛られずによりリアル表現模索したのでしょう。「サーバルの目が光ると、ビーストも同じように目が光るカットがあるので、『同じ系統のパワー』に見えるんですよね。」とのことですが、同じ系統でよいと思います。常時強制的に野生部分が開放されているのがビーストだと俺は捉えてます

私の意見は「内面世界の外への進出自体は、多くの作品共通する、いわゆる「盛り上がる」部分です。ただ、その進出の仕方に、世界現実の仕組みに矛盾しない理屈がある場合と、理屈なしでイメージが直結する場合がある。ケムリクサは前者で、けもフレ2は、後者のように見えるという話です。

俺はケムリクサの最終話での細かいつじつま合わせに納得していません。「盛り上がり」とはリンが赤い木に対峙するシーンからですよね。ケムリクサでは草周りが特に緻密に組んであるので引っかかっているのかもしれませんが、矛盾していてノリで処理するの範疇に入っていますけもフレ2でのキュルルちゃん葛藤は「盛り上がる」部分ということでいいですね。とすると問題はフウチョウよりむしろ吹っ切れた後にタイミングよく飛んでくるビーストのような気がしますが… ただそこに至るまでに作品評価は決してしまっていたし、葛藤をフウチョウという便利な舞台装置で処理したところで全体がファンタジーということにはならないのでは。むしろケムリクサは柔軟性のあるギミックやしがらみのないプレーン舞台を用意していることで矛盾をでなくしているように思います。まあファンタジー蔑称ということもないのでしょうが、多くをノリで処理すべき寓話世界観というほどには、けもフレ2は堕していないと思います

1と2の共通するクライマックス部分で、似た構図の印象的なカットを出して、共通性を感じないわけがないです。そこは制作者は気づくべきです。

しかし、たつき監督けもフレ2をやっていたらそのカット問題にならないわけでしょう。監督が代わるごとに構図被りに難癖つけられるなら、正解は作らない一択ですよ。俺は野生解放こそ失念していましたが、かの名シーンの存在は覚えていて、でもその被りには気づきませんでした。観客が悪意を持ってアラ捜ししていることまで計算に入れて作っていかなきゃならないなら、アニメ制作者が家に帰らない期間は年単位で増えていくでしょう。観ると決めたら、ある程度製作者を信用することは視聴者側の責任だと考えています

視聴者視点では行動が横暴に見える」のであれば、それは「優しい世界」「癒やしとしての芸術表現」として失敗してるのではないかと思います。...(中略)...「優しい世界」というのは、面白かった作品への誉め言葉として使われているように思えます

この先奇跡的にけもフレ2の人気が反転して評価が逆転したら繰り上がって「優しい世界」になるのでしょうか。だとすると「優しい世界」は「感じが良くて人気だった」くらいの概念になってしまうでしょう。批評文脈でそのようなものを論じるのは意味がないのでは。作品制作において(俺は関係ないですが)、優しい世界を目指すというのは単に売れるよう頑張る以上のものであって、今のところは曖昧ですが、これから更に研究していく必要があるほど奥の深い領域だと考えていますけもフレ2でギスギスが解禁されたことで、G・ロードランナーやフウチョウ、イエイヌなど、けもフレ1に収まりきらなかっただろうフレンズへの間口が開かれました。そこはメリットだったのですが他方優しい世界性は減じてしまったということです。スピリットは二作品継承されましたが、休日リピートして癒やされるのはやっぱり一期ですよね。

話が前後して申し訳ないのですが、作劇論について…

ドラマとして盛り上がる重要ポイントで誤解を与えてはいけない

なるほどこれまで俺は不備を、設定の矛盾のようなものに絞っていましたが、重く捉えてらっしゃるのはプロット上の未消化や演出上の目論見の失敗、などですね。この方面は完全に素人なのですが、胸をお借りするつもりで議論に足を踏み込ませていただきます

「おうち探し」がテーマで、「仲間と一緒のここがおうちだった」に落とすためには、通常、「おうちは見つかったが、その上で、仲間と一緒にいることを選ぶ」というプロットします。そうしたほうが「自分意志で選んだ」感が出るからです。「おうち」が見付かったけど、廃墟だったとか、「おうち」側から同胞と認められなかったとかでショックを受けて、その後、決心するとかが基本パターンですね。そこが全くないので響かないんですよね。

論理同意できません。自由意思はどちらの選択をとっても自由ときにのみ現れるものです。事実上その選択しかないのにそれを選ぶのを決心するのは意思ではなくて屈服ですよ。敗北したのではなく自分で選んだと言い聞かせるために自分発破をかけているわけでしょう。けもフレ2のキュルルちゃんは諦める必要がないときに諦めの決断をしているので、そこに確かに彼女自由意志があると判るはずです。響くか響かないかは決意の重さを事前に示しているかでしょう。リリの「会えないのはもっと嫌だ!」は赤い木を生み出した(観念的な)責任彼女にあるし、あそこで「好きに生きて」などいわれて逃されて、わかりました楽しく生きますは納得感が全く無いので、戦線復帰が可能だとわかった時点で行動は一択なわけです。でもワカバとの日々でお化けになることを怖がったり、ワカバが倒れるのを心配したりしていたので、彼女自身が消えることの怖ろしさは十分に示されてる。それでも積極的に行くところに決意の強さが見て取れるわけですよね。キュルルちゃんはそれまで三人でおうちを探して旅をしてきて最後に、それがパークのどこにもなく手がかりの絵も尽きて絶望したことが示されているので、諦めるということがそれなりに重い決定であることは判っているわけです。それで充分だとは思いますが、まあ死ぬほどの重みではない。先々週にリリの決断をみているのでそこからすると見劣るのは否定できないです。

増田さんのプロット案は面白いですね… そっちのバリエーションも観たかたかも(実はプロの人なの?)。

最初イエイヌが、キュルルを、去って行った飼い主と完全に誤解している。キュルルや他のフレンズの助けで、イエイヌが元の飼い主のことをきちんと思い出す。その時、元の飼い主がイエイヌと別れた時に、安易に捨てたわけではなかったことがわかる。キュルルはイエイヌの寂しさを受け止めつつも、今の自分に出来ることはないので、別れる。一人のイエイヌの家に、他のフレンズが遊びに来る、などとします。

でもそうするとセンちゃんアルマーさんを入れる尺がなくなりませんか。誤解させるための設定も用意しなくちゃならない。というかイエイヌちゃん完全に救われちゃってますよね。このときのキュルルちゃんが横暴に見える、とまでは俺は思っていませんが、視聴者の多くはそう捉えたようです。おかしいと思わない人はサイコパスとまで言われていました。素人考えなんですけど、あそこでキュルルちゃんが(観点的な)非道を働いてしまうことには狙いがあったのではと思いますお話の上でキャラクターが何らかのミス悪事を働いて被害を作ってしまった場合、それに悪意がなくても、天災的な事故観念的な罰を受ける。視聴者の溜飲を下ろすためなのか、そういう処遇はよくあると思います。でないと消えざるを得なかったリリ・ワカバがただひたすら不遇ということになってしまう。キュルルちゃんホテルで海に落下させるためにイエイヌ回で下げたのではないでしょうか。落ちたときニコニコ動画では「ざまああwwww」が連発されましたが、あれは制作の狙いだったと考えています。そして必然的落下からのフウチョウ説教・海底火山紹介に自然につながります

肩すかしなのは、キュルルちゃん出自と、最終話に至るドラマキャラ動機等が、特に関連しなかったからです。キュルルちゃんがキュルルちゃん本人のフレンズで、疑似不老不死だったことを眼目とするなら、それが何かと絡む必要があります

キュルルちゃん疑似不老不死説は俺の自説で、そこまでの確証はないことは一応留意してください。むしろ話の流れのメインだったのは”スケッチブック最後のページの行方”だったと思います。すべてのドラマスケッチブックに沿って展開され、最後の絵は破られていたことは最初の話で既に明らかにされていて、ホテル海上で悩むキュルルちゃんは千切られたページの跡を見つめていました。長い時を生きてミライさん時代からパークを見守ってきたイエイヌに対してキュルルちゃんが「おうちにお帰り」を言い、逆にイエイヌ彼女から送られた絵をみて(観念的に)おかえりを言うわけです(実際に口にはしてないけど、まあ立場的に)。キュルルちゃんはそのシーンを持って本当におうちに帰った、受け入れられた。それを最後のワンカットで示すのが強い、と思うのですがいかがでしょう。

通常、作品における伏線・回収は、プロット重要なメインの部分についてやるものだと思います

一般的エンタメの作劇上のセオリー評価できないというのはわかりましたが、しかしそのセオリーに従わなければいけない強い理由があるのですか。不勉強ながら俺はそれを知らなかったし、多くのファンも同じではないでしょうか。視聴者には考察班的に楽しむ人もいるし、癒やし目的カジュアルに流し見る人もいるでしょう。教科書的な表現から逸脱することで芸術進歩してきたのではないですか。

anond:20190408224936

なんでドメインとかIPっていう世間では別の意味で確定されてる言葉をあえて誤用していくのかね?

タイトルとかジャンルとか、言葉をつくすなら「作品世界観」程度の話じゃん?

記事タイトルだけでオタクってめんどくせーな勝手近親憎悪してろよって思うに十分だから本文よんでないわ

anond:20190408162614

あと作品アカと、雑談アカはわけようね。

君の世界観を濃厚に出すアカウントにしよう。

このくらいストイックにやろうね。

https://twitter.com/click_burgundy

都会生まれ貧乏人が11年ぶりに続編を書く

https://anond.hatelabo.jp/20080819183454

時給1500円なんて人生バラ色じゃね?



これ書いたの俺。

あれから11年経った。家も買った、子ども複数人いる。


これまでの経歴を書く、少し補足を入れつつね。


飲食営業バイト > やや専門性のある派遣社員専門性のある派遣社員独立開業取引先に就職(数年) > フリーランス (今ココ)


売上ベースでは900万を超えるようになった。経費を引くと所得で800弱ってとこかな。

郊外一戸建ての家を買った。子どもポコポコまれてきた。


まれも育ちも貧乏だったので金の使い道があんまりない。でも貧乏になる恐怖がすごいので、しっかり稼ぐ。もちろんお金幸福は買えないが、お金不要な不幸をはじいてくれるお守りだ。しか効果は抜群。中流以上の人はわかんないかもしれないけど。


なんで11年ぶりに続編を書こうかと思ったかって、少し前に、増田で都会育ちと金持ちと貧乏といろいろの世界観の話がホテントリしてたので、俺も書きたくなったことがあるから


俺はこのパターンに当てはめると「都会生まれ、都会育ちの、貧乏人」ということになる。ニュータイプ

都会には結構貧乏人が多い。昔から都会には貧乏人が生息してきたんだが、田舎の人は(お金だけでなくて)情報的・文化的格差があってこういう事実をあまり知らないのかも。

貧乏一口に言ってもいろいろ。俺の場合は月末になるとおかずがなくて米だけになる程度の貧乏。下には下がいるので貧乏系のマウンティングは勘弁な。


公営住宅に住んでいた。一人親ではなく、両親がいた。家族障害者はいなかった。つまり、稼ぎがすこぶる悪かったってことになる。

自分貧乏を強く意識したのは、友達がみんな自転車を持っているのに自分だけなかったときとか。小学校3年くらいの時に始めて「学習机」をもらったときのこととか。その学習机が実は、人が不要になって捨てた女性用の鏡台だったこととか。相対性剥奪ってやつか。「不足している」というのをひしひしと味わい尽くした。


友達貧乏人が多かった。俺は別々の2グループに属していたが、全体を見て公営団地に住む奴らが7割。一人親も7割くらい。大学に行ったのが2割(東京的には少ない)。公営団地に住んでいて(高卒後の進路として)大学に行った友達はいない。俺は今、放送大学で1学期2単位ずつとる一応の大学生だけど。


自分が「持たざるもの」ということは小学校低学年くらいによく理解できた。なので自分誕生日プレゼントに欲しいものリクエストをしない子になってしまった。両親が何が欲しいのかと問い詰めてくれたので、たいして欲しくもない安そうなものをねだったことを覚えている。父親時代に取り残された職人だった。需要がなく、仕事がなかった。その分野以外のスキルゼロのまま、学歴もないまま、何もないまま、仕事を辞めて家族を養うために肉体労働を始めた。当時はそんな父親をかっこ悪く思ったが、今思うとすげーかっこいい。泣けてくる。転職先で、体力もおぼつかないまま、若造にこき使われて、ストレスをためて酒を飲み過ぎて、一発逆転を狙ってギャンブルにはまった模様。あんまり笑わないでやってほしい。人は追い詰められると一発逆転を狙うようになる。


年頃になって周囲がおしゃれに目覚め始めたときはつらかった。みんなで服を買いに行って、俺だけ買わないとか。集団ゲーセンに通うようになっても、おれだけ2~3回やるのが精一杯とか(しかも、1プレイ50円のところだぜ!)。人のプレイデモ画面ばかり見てた。だから強くもならないし、ワンコインの持続力は短かった。資本の力を思い知らされた。


話は若干それるが、田舎の人が「都会=金持ち」の偏見を持っていて困ることがある。変なところで、嫌みを言われたり、奇妙な目の敵にされることがある。そんな奴らの方が、金銭的な意味では俺より豊かな育ち方をしているのにだぜ。これには本当にまいる。


俺は専門学校に行くために高校時代バイトに明け暮れた。父親借金(ギャンブルで!)が発覚したときに、俺の貯金で返済しようかと思ったけど、母親がそれを止めてくれた。貧乏だったので、逆選抜バリバリ思考で、とくにかく早く働きたかった。だけど高卒で働くよりも手に職を付けたかった。でも専門学校を出て飛び込んだ業界旧態依然としたレッドオーシャン封建社会だったので続かなかった。すぐに仕事を辞めてモラトリアムに走った。大学に行ってる友達が遊んでばかりで悔しかたから、俺も遊び倒すことにした。夜の繁華街でもよく働いた。いわゆる「外こもり」みたいなこともやった。いろんなとこで死にかけた。


で、そのモラトリアムの延長線上で、自分とある才能に気がついてしまった。ほんとラッキーだった。その才能を生かして派遣仕事を得ようとした。しか学歴がないので前提条件に入れなかった。しかたないのでその方面資格を取った。短期間で、一発で、そこそこのレベル資格が取れた。ちょう頑張ったけど、今思えば才能に恵まれていた(ちなみに、当時の自分努力体験成功体験をセットで味わったので、「スーパー自己責任論者」になってしまった。必死だっんだろうな。時代もそうだったので勘弁して欲しい。今思えば、才能が9割というベース努力2割を足しただけの結果だと思ってる)。


まずは大卒じゃなくても雇ってくれる職場から始めた。そこで勉強してから転職した。経験者だったので、同じ方面専門性の高い職にありついた。自分ホワイトカラーという分類に入っている奇跡に驚いた。だから頑張ったし、面接特にはりきった。張り切ってスキルを並べて、受かった瞬間に有休消化を使ってそのスキルを学んだ(つまり面接時に話したスキルは若干ハッタリ)。新しい職場でも良く働いた。勢い余って結婚してその勢いで独立した。ちなみにでき婚ではない。


そのまま専門の分野で経験を積んで自分商売確立した。時給にはできないけど、無理やり時給にするなら5~6千円はいくはず。1日だいたい6時間強働いて、月に75~80万くらいの売上で、家事の分担をがっつりやって、下の子保育園の送りも迎えも全部俺がやって回るようになった(あ、計算があわないから時給はもっと高いっぽい)。


今でも金にはがめつい。金にならない仕事はしない。大人言葉遣いながら、お金のことはまっさきにはっきりと、しっかり伝えて商売をしている。


日々の生活においてお金に困らないというのは本当にありがたい。でも下の子がねだるガチャガチャだけは絶対にやらない。自分で稼いで自分でやれといつも言ってる。くそくだらない(ように見える)ファミレス入り口かにあるあのガチャガチャ類を見ると、ゲーセンで惨めな思いをしていた昔の自分が思い出される。やらせてやりたいという気持ちと、なんだかわからない複雑な気持ちがせめぎあって、「大きくなって自分お金でやるんだぞ」と言ってぎゅっとだっこして強制退場


と、一気に書いてみて読み返してみたが、母親のことを書けてなかったな。人が生きる上でお金愛情は不可欠。どっちか一個だけ欠けるとしたらお金愛情は欠かせない。だけど普通に言って、両方必要絶対必要。ない人がいるなら、それを補う世の中的な仕組みが必要。こないだ結婚記念日だった両親は今も健在。ありがたい。

2019-04-07

anond:20190407175202

一般的な作劇として、不愉快イベントは、単体だと「単に不愉快なだけ」で終わるので、作品テーマ性として発展させ、そこに意味を持たせるわけです。...

まり関心を持ったことのないポイントなので、勉強になります僭越ながら、グロテスクさが感じられうる示唆的なシーンが、人物の行動の結果などに繋がって作品としてのテーマになるまで昇華されていなかったとしても、芸術的意味はありうるのでは、と考えています。例示していただいたアイデアのように正面からこれをテーマに据えてしまうと、作品自体目的が”説教”になってしまうので避けたが、示唆したいことは確かにあった、という可能性です。別の方の増田引用します。

動物園から人と動物関係についてあくまで人は管理者であって友達ではないという指摘があった。人の都合で檻に閉じ込めている現実から目を背けるべきではないとのこと。学習研究、人の活動によって個体数が減らされてしまった種の保存など、人が人のために他の種を管理しているのだから、あまり動物と人が対等に取り扱うことは教育上望ましくない。2期では是非そういった視点も踏まえ、動物同士がフレンズでありヒトは違うという体でお願いしたい。

"けもフレ2の脚本オーダー"への返信

動物園から制作陣への要求… もちろん、そのような体で書かれた冗談しょうが、こういう視点制作側にあったのかもしれません。

野生解放といえよ、とか、他のフレンズは野生解放しないのか、とかは、内面世界問題ではなく、脚本の不備の問題です

それを仰るなら、けもフレ1の黒いセルリアンとの戦闘でも多くのフレンズは野生解放していないです。ところで「野生解放を言わない」ということには、けもフレ制作陣の明確な狙いがあると思いますけもフレ2では他にも「ちほー」や「フレンズ」といったタームがほとんど言われません。推測ですが、これは一般受けを狙うために途中から入ったりぼーっと観てる視聴者キッズが引っかからないように配慮したものだと思われます。逆に明確に説明するようになったものもありますキャラクター性格です。「私、体が丈夫なだけじゃなくて記憶力もいいので」「私は用心深いから」… などなど、けもフレ2ではキャラクター自分性格自己申告します。作劇技術的な難度という点ではこのような表現はおそらくレベルが低く、エレガントでもないのでしょう。しかしそれが直ちに作品として悪い、ということにはならないでしょう。解りやすいというメリットは確実にあります。あざといくらいハッキリ言うので、おそらくここを起点に自分でも動物性質を調べてほしい、という願いも込められているのかもしれません。

ケムリクサに置いて、内面世界シンクロする際は、ケムリクサというギミックを使っており、SFとしての筋は通っていると考えています。ここでいうリアリティラインは高めです。

そうでしょうか。最終話の赤い木との戦いで、りんの本体の葉から水がなくなって戻ろうというときに、ミドリの核の枝と桃ちゃん継承しました。枝を肘につけてパワーアップして復帰しますが、しかミドリの枝にケムリクサを修復する機能があったのでしょうか。ミドリの葉は状態を治す・保つ事ができますわかばの腹に空いた穴や、りんの欠けた手足を補ったことはありますが、ケムリクサそのものを治したことはないです。もしケムリクサをも治せるなら、赤い木に指して倒せるのと矛盾してしまうと思います。かといって桃ちゃん自分を分裂させたという可能性もありません。桃ちゃんは、(姉妹では)りなだけが使える葉だからです。また同じく最終戦で、りんは、りり最後記憶を取り戻しますが、あのとき記憶ケムリクサが突然発動したのはなぜでしょう。直前に二回わかばが開いていますが、二度ともロック解除が必要でそれは、りくにさえできない、わかばけが可能手続きだったはずです。りんは最終戦終了後キャッチした、わかばとともに船のそこに落ちますが、そこで突然ミドリの光の柱が伸びて二人の怪我を修復します。でもミドリは葉も枝も戦闘で使い切ったのでは。リアリティラインが低い… 内面の高まりがなし崩しに外面に出てしまう。お話を頂いて頭に浮かんだのはむしろこのシーンでした。ケムリクサを万能の舞台装置、あらゆる話の粗を吸収するスポンジと捉えるなら、けもフレ2のセルリウムサンドスターをスポンジにすれば全て解決では。

悪意のあるキャラがいない、という点では「優しい世界」を継承しているでしょう。りんがわかばを警戒するのは自然なことですし、それ以外は全員が素直で、また世界破壊の原因も優しさに起因し、わかりやすい「悪役」はいない

「優しい世界」の解釈が俺らふたりの間で異なっているように思いますけもフレ1で、カバ新参かばちゃんに「パークの掟」を諭しつつも、去りゆく二人に何度も声をかけて心配しているさまを示す。ツチノコは地下迷路で口の悪い闖入者を疎んじつつも、(諦めた体で)二人に協力して出口を探すわけです。最後には絶滅していなかったヒトへの安心気持ちを口にする。サーバルかばちゃんを、「かばちゃんは…したかったんだよね?」のように道中何度もフォローを入れる。このような誰かを深いレベルで思いやる描写があちこちにあり、一方で人物間の衝突はあっても形骸化した、表面的なものしかなかった。全面的留保余地なく安心できる世界観がけもフレ1の「優しい世界」としてみんなに愛された、そう考えていますしかケムリクサではもう最初からわかばは異物扱い、いつでも落とせる、落としてやろうのような脅迫的な発言が毎回あるわけです。もちろんおっしゃる通りそこには合理性があるんですが、しかし、りくさん、あなた最後散り際にまで「こんなやつのどこがいいんだ」的なdisりをくれる必要はあったのか、あれ実はあなたも好きだったんで吹っ切るために強がったんですよね、などと視聴者の俺は解釈していますが、しかし「優しい世界」では全然ないでしょうということは主張しておきます(でもりつ姉はオアシス)。

「悪意を持って作られた創作」と言われるものは、悪意が前に出すぎてて、作品として楽しみづらいものなわけです。

設定や伏線において、けもフレ2に不備があるように思えるのは錯覚で、実態作品の狙いと得意な表現範囲の違い「へーきへーきフレンズで得意なこと違うから」、で済むレベルなのではと考えているのです。むしろ楽しむことを妨げる、エゴイズムという意味での悪意は、視聴者の俺らの側にあるのではないでしょうか。拝読した記事には総論としては同意で、いわゆる「ハンロンの剃刀」は強力なのですが、作品を論評するとき必要環境安心して自分意見を言える状況、とは現状はかなり食い違っているように思います。この空気の中での分析は、かなり注意深く精査しなければ容易に流されて最悪のケースでは誰かの筆を折らせる結果になりかねない、そう思って眉に唾をつけ考察しています

例えば一期のメインキャラが、十数人として、それが全員、根が素直で優しいとするなら、「根が素直で優しいキャラを十数体、キャラを立てて描き分ける」ことになるわけで、えらいことです。もちろん、素直なやつばっかりじゃないですが、それにしても想像すると怖くなりませんか。

ううむ、言われると、けもフレ1のサーバルコツメカワウソプレーリードッグはみんな似てはいものの、ごくごく微妙キャラが違っており、おそらくセリフに落としても区別がついてしまうでしょうね。制作陣の構成についても明るくないですが、この功績は吉崎観音さんの成果?

SDガンダムの剣

刀とか剣がおおい

ガンダムなのにビームサーベルほとんどない

世界観が武者なんとかだからかもだけど

なぜ物理剣がおおいのか

ガンダムって硬いか物理剣だと切れないんじゃないか

と今更思った

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